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宗教現象の生成と保持

―新宗教教団におけるその機構―

キーワード:宗教組織、活字メディア、信憑性、信仰、新宗教 人間共生システム専攻 岡本 圭史

序論

背景:新宗教とは、幕末から明治期以降に日本にお いて誕生した、既成宗教から大まかに区別され得る一 連の宗教を指す。新宗教研究は戦後の宗教学や宗教社 会学の中で大きな潮流を形成し、事例の蓄積と分析概 念の提示の両面において大きな成果を挙げている。更 に、教団を基盤としないような、より緩やかなネット ワークや個人的実践に基づく宗教現象の展開も今日で は顕著である。このような状況は、新宗教教団を対象 とする事例研究が既に古びたものであるかのような印 象を与えるかも知れない。しかし、実際には、新宗教 研究には未だ残された可能性があると見てよい。教団 を対象とした事例研究を通じて、比較的鮮明な輪郭を 持った場において宗教現象が新たに生み出され、、、、、、、、、、、、、、保持、、 される過程、、、、、の追跡が可能となる。このことは、新宗教 教団の事例研究に今日的な意義を与えるものである。 それにもかかわらず、従来の新宗教研究はこの可能 性を十分に発揮してこなかったように見える。従来の 新宗教研究の中に、二つの視座を見て取ることが出来 る。第一のそれは、複数の教団を俯瞰的に捉えた上で その共通項を探り、そこから時代の背景を読み取ろう とするものであった[島薗 1992 など]。第二の視座に立 つ諸研究は、個別の教団を対象とした事例とした上で、 信者達の入信過程や布教活動の特徴といった個別の主 題を実証的に捉えようとした [西山 1976 など]。前者 の視座に立つ諸研究においては往々にして個別の教団 の個性の考慮が不足し、後者のそれに含まれる諸研究 においては対象の理解が断片的となる傾向にあった。 目的:本研究の目的は、日本の新宗教教団である白 光真宏会を対象として、教団内部において新たに生成 された宗教現象に信者達にとっての意味と権威を付与 する信憑性保証の機構並びに、信者達を様々な運動へ と駆り立てる動員の機構を解明することである。 資料と方法:この目的の達成のために本研究におい て用いた資料は、2009 年から 2010 年にかけて福岡県 内において同会の信者達によって開催された集会を対 象としたフィールドワークを実施した際の記録と、教 団の月刊の機関誌である『白光』を中心とした教団の 刊行物である。 研究対象の概要:本研究において事例とした白光真 宏会は、五井昌久(1916-1980)を教祖とする新宗教 教団である。1951 年に五井の周囲に集まる人々によっ て結成された五井先生鑽仰会が 1955 年に宗教法人と して登録され、その翌年に会の名称を現在のものへと 改めた。1980 年 8 月に五井が没して以降は、養女の西 園寺昌美(1941-)が同会の代表として活動を続けてい る。彼女はかつて医師に見放されるような深刻な病気 にかかり、それを五井が霊的に治療したという。五井 はその生前から彼女を後継者として育成しており、 1970 年代には彼女が信者達に向けて行った講話が『白 光』誌上に繰り返し掲載されている。また、1979 年に 刊行された西園寺の初めての著書の序文の中では、五 井は彼女の病が神々の与えた試練であり、その克服を 経て彼女が指導者の地位を確立したと述べている[五 井 1979]。 1990 年代以降、西園寺は各種の“印”と呼ばれるも のを初めとする、様々な行を提示した。近い未来に迫 った人類の危機の指摘と共に、それを防ぐ手段として の信者達による祈りの詠唱や各種の行の遂行が呼びか けられる。今日の同会においては、五井が主に昭和20 年代に提示した教えを核としつつ、その後継者である 西園寺による新たな観念や行の追加が続けられている。 更に、信者達による地球の危機の救済という使命の提 示とその達成という出来事の一つの型が繰り返されて いる。 対象選択の理由:白光真宏会を対象とすることの利 点は二つある。まず、教祖である五井昌久から後継者 の西園寺昌美とその地位が継承される“カリスマの継 承”の過程が、教団機関誌上において明確に、そして 長期間に渡って示されていることがある。それに加え て、今日の同会においては、上述の通り、現在の教団 代表である西園寺が、五井の著作には現れなかったよ

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2 うな行を頻繁に信者達に提示し続けており、更にはそ れらの信者達による遂行を通じた地球の滅亡の回避と いったような新たな“出来事”の提示がなされている ことが指摘できる。その様子は教団本部における多分 に演劇的な様相を呈した行事や教団機関誌を通じて示 され、それらに対する一般の信者達による反応は集会 における座談会等の機会に頻繁に示される。教団本部 や集会を対象とした現地調査と教団の刊行物の検討を 併せて行うことによって、新たに提示された宗教的観 念や儀礼的実践が教団内部において信憑性を獲得する 過程を追跡することが可能となる。上記の二点を考慮 するならば、同会は本研究の対象として適切な教団で あると言ってよい。

第 1 章:教えの形成と教祖の晩年

第1 章では、教団の草創期にあたる昭和 20 年代と教 祖の晩年に当たる 1970 年代における、教えの展開過 程並びに教祖と信者達の間の関係の変化について検討 した。そのことを通じて、当時の同会における動員の 機構が作動するに至るまでの経緯を探ることを目指し た。 終戦後の一時期、後に白光真宏会の教祖となる五井 は、谷口雅春(1893-1985)の創始した新宗教教団で ある生長の家の信者として熱心な布教活動を行ってい た。しかし、生長の家の教えが生活の困難に直面した 人々には通じないという問題に直面する中で、五井は 自身の教えの形成するに至る。五井の教えにおいては、 人間とは本来天地を創造した神である“宇宙神”と一 体の光そのものの存在であるとされ、また、“世界平和 の祈り”と呼ばれる五井の提唱した短い祈りの詠唱が 重要視されている。また、個々の人間が自身の本体が 神の放った光であることを自覚し、世界平和の祈りを 唱え続けることによって、個人と人類の救済がともに もたらされるとも五井は説いた。更に、祈りによる個 人と地球の救済に加えて、地球が瀕した滅亡の危機へ の言及もまた五井の生涯を通じてなされた。五井の教 えにおいては、終末論的な地球の危機の言及と千年王 国論的な地上の楽園の実現の両方との関連において世 界平和の祈りについて語られる。一方では、自身の本 質を忘れた人類が発する業想念によって引き起こされ た地球の滅亡の危機を防ぐ手段としての祈りについて、 他方では、祈りによる平和な世界の実現への希望につ いて語られる。このように、五井の筆致は滅亡の危機 に瀕した人類への警告と地上の楽園の実現への期待の 間を振動する傾向にある。 そしてこの振動は、五井の晩年において前者の極へ と接近する。1970 年代後半の著作においては、地球の 危機が核実験や環境汚染といった個別の出来事との関 連において目前に迫ったものとして語られ、そしてそ れを回避するためのより一層の祈りの詠唱が訴えられ るという傾向が強く見られる。人間の本質の自覚と世 界平和の祈りの意義の強調という内容が反復される一 方で、地球の瀕した危機をめぐる五井の筆致はその晩 年において変化を見せているのである。このことは、 当時の五井が病床に伏していたことと関連していたと 見てよい。晩年の十年間ほどの間の五井は、絶え間な い咳や全身の痛みなどの症状のために、昱修庵と呼ば れる当時の教団本部の中の住居への蟄居を余儀なくさ れていた。このような自身の病状に対して五井が与え た説明は、それが地球人類の業を自らの身体に受ける ことによる浄化であるというものであった。五井の教 えにおける終末への言及は、その内容における一貫性 にもかかわらず、晩年においては自身の晩年における 生活史上の展開との関連において新たな意味を付与さ れていたのである。

第 2 章:教団組織と活字メディア

第2 章では、1970 年代の白光真宏会を対象とした上 で、この時期の同会において作用していた動員の機構 について、教団機関誌並びに教団組織の果たした役割 に注目した上で検討した。 五井の晩年の教えにおける強調点の移行は、1970 年 代の白光真宏会に生じた一連の事態を引き起こす契機 の一つとなった。教祖の晩年にあたるこの時期は、教 団全体の歴史という観点からも重要な段階に位置して いた。まず、この時期には機関誌『白光』がその構成 や文体を通じて五井の後継者を示し続けていた。上述 の通り、1980 年 8 月 17 日の五井の逝去に際してその 地位を継承して二代目の教団代表となったのは、五井 の養女であった西園寺昌美であった。そのことに先立 って、1970 年代には西園寺に神々が特別な使命を与え たとする趣旨の五井の発言がなされていた。また、こ の時期には教団において行われた行事の様子を報告し た機関誌上の記事においても西園寺が述べた挨拶が一 定の位置を占めている。この時期は段階的に進行する “カリスマの継承”の期間であり、そしてその継承の 過程の促進に教団機関誌が寄与していたと見てよい。 このような状況を背景として、当時の誌上において

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3 は様々な運動の展開が呼びかけられていた。『白光』誌 の1975 年 10 月号の誌上において、五井は、マレーシ アにおける赤軍派による米大使館占拠事件に言及した うえで、世界平和を祈るという日本の真意を伝えるた めに、世界平和の文句を記した紙を各所に貼るという 案を示した。この文章自体は、あくまでも時事的な問 題を扱った短文とみなすべきものである。しかし、元々 は博報堂の社長であった当時の教団理事長の瀬木庸介 (1930-1999)の活動を介して、信者達による新たな 型の運動が展開する。瀬木は、世界平和祈願塔と呼ば れる等の建設や、世界平和の祈りの文句を記したポス ターを掲げての平和行進と呼ばれる行進を積極的に行 うよう、1976 年 1 月号の誌上において信者達に呼びか けた。同様の趣旨の記事は、その後も同誌に繰り返し 掲載され続ける。それに伴って、各種の運動への従事 を主題とした信者達による体験談も誌上に現われる。 当時の同会においては機関誌を介した一連の運動が展 開していた。また、当時の誌面に現われる信者達の体 験談からは、瀬木が世俗的な意味における組織者とし てその手腕を発揮した一方で、宗教的な指導者に近い 人物としても位置付けられていたことを窺い知ること ができる。このような世俗性と超世俗性という二重性 を備えていたことは、教団内部において瀬木のリーダ ーシップを強力なものとしたものと思われる。 このように、“カリスマの継承”と、それに平行する 様々な運動の喚起と継続が当時の同会において進行し ていた。そしてその際に重要な役割を果たしていたの が、世俗性と超世俗性の二重の性質を持つ教団内の役 職並びに、活動の促進に寄与する教団機関誌であった。 教団内部において信者達を動員する機構の構成要素と して、教団内組織者と機関誌を位置付けることができ る。

第 3 章:護符の記憶と忘却

第3 章では、教団内部における諸事態の連鎖それ自 体がいかなる性質を持つものであったかという点を問 題とした。そのために、当時の誌上の体験談に登場す る二種類の護符の特徴に注目すると共に、教団機関誌 や信者達の体験談の持つ特徴についても検討した。 当時の誌上においては、上述の“カリスマの継承” に端を発する一連の運動のいわば余波とも言うべき事 態も生じていた。白光真宏会においては、霊光写真と ご霊紙という二種類の護符が知られている。それらを めぐる誌上の体験談を見ると、1970 年代後半から 1980 年代前半にかけて霊光写真がその意味づけを変 化させつつ持続する一方で、後者が徐々に影の薄いも のとなることが分かる。そのような状況は、複数の要 因によってもたらされた。すなわち、教団の呼びかけ を契機とする信者達の活動と体験談の内容の変化、教 祖やその後継者による護符への意味づけと信者達によ るその読み替えの交差、定期的な刊行によって記憶/ 忘却の舞台を提供する“反復装置”としての教団機関 誌、機関誌の内容の新しい部分を重視するという信者 達による教えの受容における傾向、そして誌上の体験 談が口頭のそれの内容を方向づけ、さらに後者におけ るその再現性が低いという特徴である。二種の護符の 特徴の差異や信者達の体験談の見られる傾向といった 一連の過程の中に登場する諸要素が持つ個別の特徴も また、出来事の連鎖の向かう方向に影響を及ぼしてい たと言うことができる。

第 4 章:信仰の成立――そのための諸条件

第4 章では、信者達の信仰の成立を可能とする教団 の内外の諸条件についても論じた。この主題との関連 において、現在の教団における信憑性保証の機構並び に動員の機構が作用する実態について検討した。 現在の同会において新たに提示された宗教的観念や 儀礼的実践に対する信憑性保証の機構は、正当化とリ アリティの補強という二つの段階に分かれている。ま ず、五井の後継者として位置づけられる西園寺に提示 されたということによって、一連の観念や実践が正当 化される。ところが、信者達がそれらを常に十分なリ アリティと共に捉えるわけではない。このような状況 において、長老導師と呼ばれる役職に就いた指導的な 立場にある定年後の教団職員による講話や信者達同士 の体験談、さらには個々の信者における行の遂行など を通じたリアリティの補強の過程が進行する。 しかし、その過程は必ずしも十分に進行するもので はない。そのことは、信者達による西園寺の説いた教 えが十分に実感と共に理解できないという趣旨の語り の中に明瞭に表れる。それに加えて、信者達は教団へ の所属や教団内部の言説や実践に否定的な教団外部の 他者と頻繁に接触する。このような状況は諸観念にお けるリアリティの補強を阻害するように見える。しか し、リアリティの感覚の不足や否定的な他者の存在は、 信仰の担い手としての自覚や教えをめぐる思索を信者 達に促すものでもある。信者達の信仰はこのような緊 張関係の中において成立している。

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4 また、西園寺の提示した“印”などの行は、滅亡に 瀕した地球の危機を救うという壮大な目標を達成する 手段として説明される一方で、個々の信者の病気や負 傷の治癒をもたらすものともされている。このような 意味づけの幅やその運用を通じた信者達による解釈の 余地が存在することによって、印は地球の救済という 壮大な目標を信者達の日常生活に組み込む効力を発揮 する。このことは教団本部においてなされる各種の行 事においても同様であり、このような印や行事の持つ 性質が、今日の白光真宏会において信者達を諸活動へ と従事させる動員の機構の発動に寄与している。一連 の活動に対して信者達が示す意欲は、部分的にはこの ような教団内部に働く動員の機構によって生み出され ている。そしてそのことは、信仰を個人の態度として 捉える視点の限界を示すものでもある。 本稿において採用した教団内部の諸事態を相互の関 連の下に捉える視点は、信仰という対象を捉えなおす ための端緒を開く。信仰は個人がその生活史の中で自 ら獲得するものであると同時に、教団内部において作 用する力の個々の信者達における表出でもある。更に、 教団外他者の存在は信仰の形成過程に対する阻害ある いは促進という図式では捉え切れない、信仰の成立す る場の重要な構成要素となっている。信者達の信仰は、 教団において作用する二種の機構並びに、教団外部の 他者と対峙するという状況との関連において把握され るべきものなのである。

結論

本研究において展開した議論は、教団という対象を いかに捉えるべきであるかという点についての示唆を 与える。上述の通り、従来の新宗教研究の中に二つの 視座を見て取ることができる。すなわち、複数の教団 を視野に含めた上で共通の特性を時代の特性と関連づ ける俯瞰的なそれと、入信過程や教祖の地位の継承と いった個別の主題との関連において特定の教団の短い 事例研究を提示する微視的なそれである。教団という 場において宗教現象が生成及び保持される機構を解明 するためには、両者とも十分なものではない。 主として昭和 20 年代に進行した五井の思想形成の 過程について検討する際には、諸教団を俯瞰的に捉え る第一の視座からの議論が妥当であるように見える。 しかし、1970 年代以降の白光真宏会に対して同様の説 明を加えることは、恐らく適切ではない。まず、この 時期の同会の場合には、“カリスマの継承”という教団 内部の状況が一連の運動を展開させる主な契機となっ ていた。また、五井の後継者として活動する西園寺は、 様々な予言や行、さらには人類に迫った危機やその信 者達による防止といった様々な“事実”の提示を続け た。そのことによって、信者達の活動が喚起されてい る。西園寺の活動は、教団の教えを元に創り出された 世界に対する説明を賦活するものとしての側面を強く 持っている。1970 年代の白光真宏会において展開した その内部において、、、、、、、、進行する出来事の連鎖が、今日の教 団において生じている諸事態とも結びついている。諸 教団に共通する特徴を時代の特性に結びつける俯瞰的 な視座に立つ議論からは、この連鎖の追跡を通じて教 団内の機構を把握するという目的は十分には達成され 得ないであろう。 一方、第二の視座に立つところの、個別の主題を扱 う短い論文の集積によってこの機構を理解することも 困難である。本稿における一連の議論を通じて示した 通り、主に 1970 年代に進行した“カリスマの継承” の過程が今日の同会において展開する一連の事態の背 景にあり、そのような状況において西園寺による新た な実践の提示がなされている。このことは、今日の白 光真宏会を対象に新宗教教団における宗教的観念がそ の信憑性を得る機構を解明という課題を、かつての同 会におけるカリスマの継承という主題と別個には論じ 得ないということを示している。 教団内部における宗教現象の生成と保持の機構を探 るためには、特定の教団を対象とした上で、その内部 における出来事の連鎖の過程を辿り続けなければなら ない。確かに、それは終わりのない作業であり、個別 の事例との格闘に終始する危険がそこにはある。しか し、そのことを通じてこそ、実際に宗教が生み出され、 社会の中で存続しつづける姿を捉えるための手がかり が得られるはずである。

引用文献

五井昌久 1979 「序文」『明日はもっと素晴しい』西園寺昌 美、pp. 2-3、白光真宏会出版本部。 西山茂 1976 「宗教的信念体系の受容とその影響」『社会 科学論集:東京教育大学文学部紀要』23: 1-73。 島薗進 1992 『現代救済宗教論』青弓社。

参照

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