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News July 2005-p8 to p19

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(1)

●地域会長会メッセージ──2005年7月

福音を積極的に分かち合う

アジア北地域会長会

たしたち日本の同胞

はらから

が,回復

された「福音の教義と神聖な

儀式」

「キリストの聖

きよ

い贖

あがな

い」

とによって,

「永遠の家族」に結ばれるよ

う,主の喜びのおとずれを,祈りと断食

と愛をもって分かち合いましょう。

○人々をもっと教会に招待し,福音を紹介しましょう。

○宣教師を大切にしましょう。神の御使

み つ か

いに告げられたア

ミュレクが,アルマを,主の道を宣

べ伝える者として大切

に迎えたように

(アルマ8:18−32参照),フルーツバスケ

ットなどに限らず様々な形で助けましょう。

○主が備えられている人を個人と家族の祈りで探しましょう。

○パートメンバー

(全員が教会員というわけではない家族)

を,イエス様の愛をもってフェローシップし,たとえ何年か

かってでも

「永遠の家族

     

」になれるように助けましょう。

○求道

者が改宗できるよう,自分が改宗

したときのことを思って求道者と宣教

師を助けましょう。

○まだバプテスマを受けていない子供

たちがバプテスマを受けられるように

助けましょう。

○ 2世や3世のモルモンの若人たちが,もっと多く伝道に出

られるよう助けましょう。

○夫婦は伝道(フルタイムまたは週32時間在宅伝道)に出

て,まだ神殿で結ばれていない家族を助けましょう。

○若い日本人が多く改宗して,伝道に出られるよう助けま

しょう。

○伝道資金を貯

めましょう

(年輩の方々や若い人々)

○教会堂での英会話と家庭での英会話が成功するよう会

員が助けましょう。

そのほかいろいろな方法であなたも助けることができます。◆

佐藤ご夫妻R(福祉) 森村ご夫妻(福祉) 安田ご夫妻R(札幌) 根本ご夫妻(神殿) 大城ご夫妻(神殿) 熊野ご夫妻(神殿) 平野ご夫妻R(雇用) 松本ご夫妻(東京南) 天野ご夫妻(神殿) 釜石ご夫妻*(広島) 木暮ご夫妻(福岡) 徳田ご夫妻*(東京北) 北野ご夫妻*(東京北) 長嶺ご夫妻*(福岡) 陸野ご夫妻(奉仕準備中) 中川ご夫妻*(名古屋) 武田ご夫妻*(福岡) 小池ご夫妻(東京南) 藤原ご夫妻(東京北) 池田ご夫妻*(名古屋) 三浦ご夫妻*(東京北) 加藤ご夫妻*(名古屋) 藤原ご夫妻R(東京南) 八木ご夫妻(奉仕準備中) 土田ご夫妻(広島) 近藤ご夫妻(奉仕準備中) 橋本ご夫妻(広島) 塩ご夫妻(家族歴史) 山崎ご夫妻(家族歴史) 鈴木ご夫妻R(家族歴史) 中村ご夫妻(家族歴史) ソルト レーク・ シティー で奉仕 東京神殿で 奉仕 福岡神殿で 奉仕 嶋田ご夫妻(広島) 徳留ご夫妻*(福岡) 井上ご夫妻(教育) 與座ご夫妻*(福岡) 田中ご夫妻(広島) 阪本ご夫妻R(福岡) 榎本ご夫妻(名古屋) 岡本ご夫妻(名古屋) 松尾ご夫妻(名古屋) 高遠ご夫妻*(東京北) 柏倉ご夫妻(Web) 松井ご夫妻R(広島) 上野ご夫妻R(福岡) 屋富祖ご夫妻**(福岡) 中野ご夫妻R(神殿) 歌島ご夫妻(札幌) 宮下ご夫妻R**(福岡) 津村ご夫妻(神殿) 藤井ご夫妻(神殿) 黒木ご夫妻(神殿) 岡田ご夫妻(神殿) 石坂ご夫妻R(札幌) 古芝ご夫妻R(神殿) 沼田ご夫妻(神殿) 中村ご夫妻(神殿) 潟沼ご夫妻R(東京南)

日本人夫婦宣教師の現在

( )内は伝道部または奉仕分野を示す。R:最近帰還した夫婦宣教師 *:地元で週32時間以上奉仕する専任夫婦宣教師 **:伝道部長として召される

(2)

チャーチ・ニュース

9

教会と車いす基金,九州・沖縄の各地へ車いすを寄贈

の5月から6 月にかけ,沖 縄と熊本において, 末日聖徒イエス・キ リ スト 教 会 と 車 い す基金による車いすの寄贈が 行われた。特に沖縄では,伝道50周年に当 たるこの年を記念して,県内各地の病院や 社会福祉協議会から市民芸術劇場まで,12 か所,合計250脚の車いすが贈られること になっている。 その一連の寄贈の皮切りとして,5月23 日,沖縄県豊見城と み ぐ す く市の医療法人「おもと会」 に,元宜野湾 ぎ の わ ん ステーク広報ディレクターの 知念 ち ね ん 光憲 みつのり 兄弟と,教育宣教師の井上 いのうえ 龍一 りゅういち 長 老ご夫妻が訪れ,大浜方栄おおはまほうえい理事長に車いす 65脚の寄贈目録を手渡した。 また5月27日には那覇市立病院を,地域 会長の菊地 き く ち 良彦 よしひこ 長老ご夫妻,金城 きんじょう 正之 まさゆき 那 覇ステーク会長ご夫妻,ミルズ福岡伝道部 部長,井上龍一長老ご夫妻が訪れ,與儀 よ ぎ 實津 み つ 夫お院長に車いす50脚の目録を手渡した。 6月3日には,うるま市社会福祉協議会 の賀陽 か よ う 宗吉 そうきち 会長に,沖縄ワードの玉城 た ま き 弘 ひろし 監督が車いす50脚の目録を贈った。 一方,5月30日には,熊本県益城 ま し き 郡にあ る医療社団法人徳望会とくぼうかい青葉病院に 50脚の車いすを寄贈した。青葉 病院は式典の間も鳥のさえずりが 聞こえる緑の豊かな環境にあり, 病床168床のうち約85パーセン トを認知症(痴呆ち ほ う症)と精神病が 占める。寄贈式典には青葉病院か ら高橋泰三 たかはしたいぞう 院長と淵上 ふちかみ 裕代 ひ ろ よ 副院長 兼看護部長,事務長の井出 い で 幸則 ゆきのり さ ん,看護部長の古澤 ふるさわ 巌 いわお さん・入院 患者の松本まつもと貞子さ だ こさんらが,教会か らは地域福祉部の熊沢くまざわ幸雄ゆ き お部長と 熊本ステークの田代 た し ろ 浩三 こうぞう ステーク 会長が出席した。高橋院長と渕上副院長は 教会員でもある。熊沢兄弟から寄贈目録が 手渡されると,院長の高橋兄弟はこうあい さつした。「今日き ょ うはほんとうにありがとうご ざいます。入院なさった患者様で車いすが 足りなかったり,また実際にご家族で買わ なければいけなかったり,そういうケース もございます。継続的に使用しなくてはい けない方には購入することをお勧めするの ですが,なかなか資金が間に合わなかった りとか,ご家族のいろいろなご事情がある 中で,皆さんの愛ある基金の中から提供し ていただいてそれを使わせていただけるこ とを光栄に思っています。小さな田舎のさ さやかな病院にこうして縁あって頂けるこ とにほんとうに感謝しています。大切に使 わせていただきたい。みなさんから頂いた 精神をこの病院の中で,また別の形で伝え ていけるかなと思っています。」その後,患 者とその家族を代表して車いす利用者の松 本貞子さんから感謝状が教会に贈られた。 熊沢兄弟は松本さんと握手を交わし,「人道 的援助の一環として皆さんの笑顔を見るの がうれしいです。青葉病院の電話の対応が 非常に親切でそのことがすごく印象に残っ ています。そういう病院に車いすを使って いただけることはわたしたちにとりまして も,とても光栄です」と述べた。◆

会教育システム統合地域教育長のブ ラッドレー・ハウエル兄弟が5月11日 (水)から来日し,日本各地のセミナリーやイ ンスティテュートを訪問して生徒や教師たち を励ました。沖縄の小禄ワードでは早朝セ ミナリーを訪問し,「日記を書くことの大切 さ」を強調して生徒に話しかけた。 「皆さんは,日記を書いていますか。(だれ

July

2005

「日記を書きましょう」ハウエル統合地域教育長が若人に勧告

年,教会と車いす基金は,社会福祉法人・恩賜 お ん し 財 団・済生さいせい会に属する全国の病院その他の福祉施 設へ969脚の車い すを贈った。去る6 月1日,済生会に対 して昨年度に寄付などの貢献があった個人・団体に対して感謝状授与式が開 かれ,教会もその席に招かれた。代表としてアジア北地域会長の菊地良彦 長老が出席,済生会総裁の寛仁親王殿下から感謝状を手渡された。◆

寛仁親王殿下が教会に

感謝状を授与

那覇市立病院にて,目録を與儀院長に手渡す菊地長老。 熊本の青葉病院にて。目録を受け取る高橋院長。 小禄ワードの 早朝セミナリーを 訪問した ハウエル教育長。

(3)

5

月19日(木)の夕べに「Dinner for10」と呼ばれる広報のプログラム が行われた。これは各界で影響力を 持つ人々と教会指導者が夕食を共にするこ とで親交を深め,さらに良好な関係を築い ていくことを目的としている。アメリカでは 10人ほどのゲストが集い,夕食会を開催す ることから始まったが,現在では10人にこ だわらず,出席者の状況に合わせて心地よ い環境を作り出すことが優先されている。 また,一般的には教会員宅が会場として利 用されている。 今回の夕食会では国会議員の糸数 いとかず 慶子 け い こ 姉 妹,娘さんの享子 きょうこ 姉妹を招き,菊地良彦アジ ア北地域会長夫妻,ウィリアム・ワーカー第 一副会長夫妻,新山にいやま靖雄や す お地域七十人,鈴木す ず き和かず 夫お東京主要都市広報ディレクター夫妻らを 中心に和やかな時間が持たれた。GM(ジェ ネラルモーターズ)アジア太平洋地区の役 員を務めるアラン・ペリトン兄弟の自宅を会 場として開催された。 テーブルのデコレーションも糸数姉妹の 故郷である沖縄をイメージし,沖縄から送 られたもので飾られた。また,沖縄舞踊や 民謡も披露され,糸数姉妹の故郷である沖 縄文化を通じて,互いがさら に親しくなる場となった。菊 地長老は「てぃんさぐぬ花」の 歌詞の中から「鳳仙花 ほ う せ ん か の花は 爪先を染め,親の教えは心に 染まる」という言葉を説明し,出席者はその 美しい言葉と歌声に聴き入った。自宅を提 供したペリトン兄弟姉妹は「このような機会 を準備していただき光栄です。とても温か な気持ちを感じるものとなりました」と話し た。糸数姉妹からは現在取り組んでいる政 治活動の報告とともに,今後の抱負や夢が 最後に語られた。広報部では,今後も随時 「Dinner for 10」を開催していく計画を立 てている。◆

の6月初旬,七十人会長会のチャール ズ・ディディエ長老が来日し,東京・町 田両ステークのステーク大会を訪問したほ か,日本と韓国の伝道部を巡回した。 東京ステークでは6月5日,ステーク会長 会の再組織が行われ,ディディエ長老は新し いステーク会長を召すために面接した経験 について話した。「わたしは本日30人以上 の神権指導者と面接を行いました。その中 で,皆さんに同じ質問を繰り返しました。 『家庭の夕べを行っていますか?』この質問 に対して,多くの方々が,仕事が忙しく思う ようには行えていないと答えました。『家族 の祈りを行っていますか』この質問にも,多 くの方々が,十分には実行できていないと 感じているようでした。最後にわたしは『あ なたにとっていちばん大切なものは何です か』と尋ねました。この質問にはほぼ全員が 『家族です』と答えました。最も大切なもの が家族と答えながら,家庭の夕べや家族の 祈りを十分に行っていないことに対して,わ たしは矛盾を感じました。」 またディディエ長老は,人生で成功するた めの法則について紹介した。「わたしはここ で皆さんに大切な方程式を紹介します。そ れは,『知識+従順=祝福』というものです。 もし,この『従順』に代わって『不従順』とい うものを入れたとしましょう。すると方程 式は『知識−従順』になります。では,イコ ールの後に続く答えは『祝福』の代わりに何 が来るでしょうか。それは『呪い』になりま す。忘れないでください。『知識−従順=呪 い』ということを。皆さんが人生で成功する ために,この二つの方程式を比較し,よく考 えてください。」──「よく聞く『祝福を受けな い』ではなく,『呪い(Curse)』という言葉が使 われたことに身が引き締まる思いがしまし た」とその場に集ったある神権者は語った。 また,6月12日の町田ステーク大会でデ ィディエ長老は,祈る両手の指を組み合わせ る際,無意識にどちらの手の人差し指を上 にするかを確認させ,その逆の人差し指を 上にして指を組んでみるように指示する。 「難しいでしょう? 気持ちが悪いと思うか もしれません。大管長が,こう組むのが新し いやり方だとおっしゃったらどうですか? このように,変わる,悔い改めるというのは 簡単ではありません。しかし,主に従うと決 意するならば,昨日と同じ行動から変化し なくてはなりません。わたしたちの生活は 変化の連続です。バプテスマの水で主に『変 わる』と約束したからです。あなたの生活の わきではなく,中心に,イエス・キリストを 持ってきてください。日本は『日の出 い ずる国』 『聖徒の出ずる国』です。昇る太陽に新しい 日が来たと宣言するように,今日き ょ うを,もう少 し主に従う新しい日としてください。」◆ /2005年 7月号

10

広報の「ディナー フォー 10」プログラムが日本で始まる

人生の成功の方程式

──チャールズ・ディディエ長老が来日 も手を挙げない。)セミナリーのクラスにノ ートを持って来てください。日本では,ノー トを買えない人はいないでしょう。そして, セミナリーのクラスで,神様が教えてくださ る霊的なことを記録するのです。(金城 寛 教会教育システム地域ディレクターに向か って)このことを,日本のすべてのセミナリ ーの生徒に伝えてください。 以前,ヒンクレー大管長が話された『6つ のB』についてすでに聞いていると思います。 『感謝する人になりましょう。知性を備えた 人になりましょう。清い人になりましょう。 誠実な人になりましょう。謙遜けんそんな人になり ましょう。よく祈る人になりましょう。これ らに付け加えたいと思います。幸せな人に なりましょう。』(2003年2月7日CESファ イヤサイド)ヒンクレー大管長が言われる 『幸せになる』のはあなた自身の責任です。 人は,幸せにも,不幸にも,自分でなれるか らです。」◆

(4)

1965

日本東京神殿が奉献されてから四半世紀を刻む今年は,

同時に,日本人初の神殿団体参入がハワイで行われて40年,

日本福岡神殿奉献5年の節目に当たる年でもあります。

日本の聖徒が神殿とともに歩んだこの歳月を記録すべく

神殿歴史委員会では全国の教会員から手記を募りました。

これは,同委員会へ寄せられた記録から一部を抜粋した,

40年にわたる日本人と神殿との物語です。

チャーチ・ニュース

11

大城 おおしろ 朝次郎 ちょうじろう 兄弟 東京神殿第二副神殿長

時,戦後20年経過した沖縄は,まだ日本の一県ではな く,アメリカ の 統 治 下 に あ って 政 治 や 経 済を異にしていました。日 本本土は外国であり,旅行 するにはパスポートが必要 で,通貨はドルでしたので 日本 円との 交 換 が 必 要 な 時代でした。 ちなみにわ たし の 給 料 (1960年4月)は初任給40ド ル20セントから始まり,その 後5年間で多少昇給して50 ドルとして,1ドルが365円の 換算では1万8,250円にしか なりません。その上,沖縄 から東京までの旅費が必要 でした。従ってその旅費は ひと月の給料分の約10倍になります。夫 婦ではその倍になります。それは巨額な ものでした。ですから巨額の旅費の額面 よりも,とにかくそれを借りてでも完納して, 頑張るしかないと,そして皆さんについて 行くことだけを考えていました。そのよう な苦しい状況はわたしたちだけではあり ませんでした。信仰と神殿参入への強い 希望があった兄弟姉妹たちにはいろいろ な不思議なことがあって困ったことも改 善されて神殿参入が実現されたと聞きま した。当時参入者全員をハワイ・ライエ神 殿の訪問者センターに集めて指導者から 電気製品3点セット,すなわち車,テレビ, 洗濯機を持っている人は手を挙げるよう にと言われたがだれもいなかったように 覚えています。厳しい生活の中で神殿参 入者は,家財道具の売却や借金をして旅 費の調達に当たり神殿訪問をし,長期に わたって借金の返済をしながら,什分 じゅうぶん の 一も守りつつ,大きな祝福を受けてきまし た。その後も借金を重ねながらでも,度 重ねての団体参入計画に参加して神様 の祝福を頂いてきました。」 矢野や の 信保のぶやす兄弟 福岡ステーク福岡ワード

後の難問となったのが,具体的な渡航手続き等と勤務 時間との関係でした。パス ポートの申請も,予防注射 を 受 けるにも,伝 道 部 長 会 の 面 接 を 受 けるのも, ハワイ滞在期間も,勤務を 休まねばならないのです。 現在は法的に定められた 範囲内であれば,年休届 けを出せば権利として休 暇がとれますが,当時は そうで は ありませんでし た。賜 し 暇 か 願 ねがい (休暇を賜る ための願い)というものを 提出するのですが,許可 されるかどうかは校長の 判断にまかされており,本 人または妻の病気か,身 内の葬儀,仏事,重病人 の見舞いぐらいしか許可されないのが 普通でした。……休めば生徒や同僚に 迷惑をかける,という良心の痛みに対し ても,後で必ず埋め合わせをするから, と言って心の中で手を合わせて前へ進 みました。あからさまに文句を言う同僚 に対しては,忍耐を以 も って屈辱に耐える ことも必要でした。姉妹との心を一つに した祈りに,主がこたえてくださっている, と感じたことは大きな力となり,希望とな り,事を進める力の源となりました。

困難を乗り越え

日本の開拓者が旅した

約束の地

ハワイへの道程

東京神殿四半世紀──Temple work in Japan

東京神殿

Temple works in Japan

四半世紀

(5)

東京へ出発する日は,丁度 ちょうど 夏休みの最 初の日に当たっていました。そのため普 段より休みが取りやすく『これぞ天の助 け』と,密かに喜んでいたのです。ところ が,1か月前の職員会議で,その日に出勤 日と決定され,生徒も出校日となり,学校 前の海岸で海難防止のための諸訓練が 実施されることとなりました。万事休す, かと思われました。このような大切なとき, 担任がいなくて,万一のことが起きたらど う責任をとったらよいのでしょうか。 こうなったら,一日も早く校長に本当 のことを話し,休暇の許可を受けるほか ないと決意しました。『御心 みこころ ならば,どう か神殿へ行けるよう助けて下さい』と姉 妹と共に,必死で祈ったことを昨日の事 のように思い出します。 校長は鬼瓦 おにがわら というニックネーム通り, その厳しさは顔にも出ていました。わた しの話を聞き『私的な信仰のために,一 時的とは言え,公的な責任を放棄する という君の神経が理解できない。私的 なことも犠牲にして公的なもの,あるい は生徒のために奉仕をしてこそ,宗教 家と言えるのであって,生徒を置いて けぼりにして,自分のしたいことを優先 しようとする君に,宗教を論ずる資格な どないよ』と,剣もほろろです。『わたし は,この儀式を受けることを通して,人 のよりよい生き方,よりよい教師としての あり方についても,確信を得ることが出 来ると信じています。現在の生徒に迷 惑をかけることは,申し訳なく思うが, 今後学校に対しても,生徒に対しても, もっと大きな信念を持って貢献が出来 るようになれると確信しています。より よい教師になるための研修に行かせた と思って,お許しいただけないでしょう か』わたしは必死でくいさがりました。 長い沈黙が続き,やがて風向きが変 わって来ました。『パスポートも取り,ハワ イ行きの費用も納入しているのなら,今 さらダメとも言えんではないか。わかっ た,担当の仕事については,教頭さんに カバーしてもらうことにする。職員さんに は,福岡の実家のやむを得ない事情で 休暇をとった,という事にしておくから, 君から余計な事は言わないように』わた しが三拝九拝して校長の前から退出し たことは言うまでもありません。 (後日譚 たん になりますが,1年後,日教組 の指令で全職員がストライキに突入する ことになったとき,わたしの信念から唯 ただ 一人反対を唱えて,前日の夜の12時ま で激論を討 たたか わせた末,脱退届を出し, スト当日も管理職以外では唯一人学校 に止まって,教室から教室へ自習処置 をして回る,という行動を取ったため, 混乱を最小限にとどめることができ, 『ハワイ行きを許可したわたしの判断は 間違いではなかったようだね』という校 長の言葉を聞くことができました。) このように出発直前まで試練の連続 でしたので,1965年7月22日,ようやく羽 田空港でハワイ行きの日航機に乗り込 み座席に座れたとき,それからハワイ神 殿での最初の集会で賛美歌を歌ったと き,主への感謝で涙が流れるのをどう することもできませんでした。」 百瀬も も せ梅代う め よ姉妹

ワイ滞在中はなんともいえま せんが強いて言うならばそれ はエデンの園の生活でしたと 言っても過言ではないでしょう。なぜな らば気候は良く美しく衣食住の心配はさ らになく,来る日も来る日も神様とともに 御声 み こ え を聞き隣人先祖の救いのために従 い働いているんですもの,この美しいあ りさまをだれもがエデンの園と表現する でしょう。ほんとうにすばらしいです。で きることなら一生そのところにとどまりた い気持ちでした。」(『聖徒の道』1967年7 月号,19参照。百瀬姉妹はその後1982 年から2年間神殿宣教師として召しを果 たし,1999年に亡くなるまで儀式執行者 として東京神殿で奉仕されました。) 吉沢よしざわ敏郎としろう兄弟 福岡ステーク福岡ワード

れはわたしたち,第二次世界大戦を経験し,荒れた世間 を経験した者には正 まさ に夢の 国への出発でした。沢山 たくさん の募金活動を こなしてやっとの思いで出発しました。 ハワイでの多くの教会員の皆様から の心からの歓迎,レイをもらって夢のよ うでした。正に夢の国が地上にあると はこのことでした。大日本帝国は崩壊 しましたが,これからはこのようなすば らしい土地の人々と交わり,生涯を送れ ると思うと喜びが一杯 いっぱい でした。 わたしたちは本当に神様の国の方々 と生涯交わりができることに驚きと感激 で一杯でした。」◆ /2005年 7月号

12

日本人聖徒の

目に映った夢の国

“エデンの園”

ハワイ神殿

(6)

1980

吉田 よ し だ 憲博 のりひろ 兄弟 さいたまステーク坂戸ワード

ンボール大管長の『すべての戒 めに 従 って 生 活 するよう に』というお話の後,献堂の 祈りがささげられました。まさに主と話 されているような様子でした。渡辺 わたなべ 驩 かん 兄弟の通訳もすばらしいものでした。次 にキンボール大管長の掛け声で『ホザ ーナ』と3回,出席者全員でハンカチを振 りながら唱和し,神を賛美しました。 最後に『Hosannah Anthem』を歌い ましたが,途中で涙が出て止まらなくな りました。聖歌隊員全員が同様でした。 教会幹部も多くの方が涙されていまし た。この感動は生涯決して忘れられな い思い出となりました。」 松井 ま つ い しげる 兄弟 金沢ステーク富山ワード

々一般会員と宣教師さんたちは吉祥寺のステークセン ターに集まり,そこで一般 会員のための献堂式の式典が行われま した。そのとき,参加者が沢山 たくさん おられ, 身動きの取れないくらいぎゅうぎゅう詰 めの会場でした。献堂式の参加者には 白いハンカチを持参するように云 い われて いて,当時マリオン・G・ロムニー副管 長が白いハンカチを頭上にかかげて3度 『ホザナ,ホザナ,ホザナ』と云われて, ハンカチを3回まわされたことを覚えて います。賛美歌『主のみたまは火のごと 燃え』を全員で歌いました。 そのとき,わたしは背後の頭上に重圧 を感じ,天の群衆かと思われる方々も集 まっておられ,ともにこの賛美歌を歌って おられ,この式典にともに参加しておら れるように感じました。今思うに,その群 衆の方々はこれからこの神殿で自分自身 と家族が儀式を受けるために長く待って おられた先祖の方々ではなかったかと わたしは思っています。」 日本東京神殿が奉献された直後に 神殿で結婚したご夫妻 森本もりもと公三こうぞう兄弟 旭川ステーク篠路ワード

10

月29日(水),神殿へ向けて出 発です。次のように(日記に) 記されています。『釧路から

東京神殿四半世紀──Temple work in Japan

1980年10月27日

御霊あふれる

日本東京神殿の

奉献式。

救いの儀式が始まる

宗して間もなくのころ(1980年前後),系図 活動の存在と重要性を知り,わたしも始め ようと決心しました。最初に試みたのが,父方の祖 父の除籍謄本を取ることでした。そこで,埼玉県に 住む祖母のところへ赴き,情報を集めることにしま した。祖母が言うには,除籍謄本は,世田谷区にあ るはずだということでした。その帰路に,不思議な 経験をしたことを今でもよく覚えています。 わたしが住む町田へ帰るには,新宿駅で小田急 線に乗り換えます。いつもならば,新宿から急行 に乗って35分で帰り着けるのですが,その日はど ういう訳か各駅停車に乗りたくなり,町田まで1 時間以上かかる電車に乗りました。車中,祖母か ら聞いた先祖の方々の話に思いをめぐらしていた ときだと思います。新宿から15分ほどの(各駅停 車しか止まらない)梅ヶ丘駅で,突然わたしの心 の中に「この駅で降りなさい!」という声を聞いた ような気がしました。わたしは咄嗟 と っ さ にその駅で降 りてしまいました。電車のドアが閉まるのを見つ めながら,「どうしてここで降りてしまったのだろ う」と自分に問いかけました。駅にポツンと残さ れたわたしは,町田までの切符の料金が無駄にな るのを知りながら,なぜかその駅で降りる気にな ってしまいました。不慣れな場所にもかかわらず, 駅を離れて気の向くままに初めての通りや路地を まるでどこかを目指すかのように歩いて行きまし た。15分ほど歩いた交差点で立ち止まり,信号を 見上げると,『世田谷区役所分所前』という看板が 目に入りました。「ああ,ちょうどいい。おじいち ゃんの除籍謄本がここにあるかどうか尋ねてみよ う」と思い,祖母から聞いた“世田谷区代田一丁目” の住所で孫として除籍謄本の発行を戸籍係へ申し 込みました。この場所一帯は,東京大空襲で焼け てしまい,今は跡形もない祖父の家のあった住所 でした。しばらくすると,わたしの祖父の謄本は 見つからないから住所の間違いだろうと告げられ ました。また,世田谷区の戸籍は区役所と数か所 の分所に別れているので,他の分所等にあるかも しれないが,戦争前の住所のため,どこにあるは ずかを見つけるのも難しいだろう,と教えられま した。そこへ辿 たど り着く経緯が尋常のことではなか ったため,きっと手に入ると期待していたわたし は,その言葉に失望を感ぜざるを得ませんでした。 しかしほかに方策もないため,結局あきらめて帰 ることにしました。 しかし,分所を後にし,建物を振り返ったとき 心の中に,「もう一度戻って尋ねてみなさい!」と いう声が聞こえた気がしました。そこで無謀にも 戸籍係へ戻り,祖母から聞いた住所に間違いない はずだからもう一度調べてもらえないか,と頼み ました。係の方はちょっと迷惑そうな顔で,しぶ しぶ,無いはずの謄本を確認しに行ってくれまし た。ところがしばらくして戻って来ると今度は様 子が違っています。なんと,謄本があったと言う のです。戦後の謄本整理で,焼けて無くなった一 丁目の分はそっくり現在の二丁目に移されていた とのことでした。手に入れた謄本を見ると「壱」に 斜線が引いてあり,「二」に書き換えられていまし た。こうしてわたしは祖父の除籍謄本を手に入れ ることができました。得られた情報自体はわずか でも,そこに至る不思議な導きに感謝しています。 先祖の方々がわたしに向けて「わたしたちの救い の儀式を待っているよ」というはっきりとしたメ ッセージを聞いた気がしてなりません。◆

心に響いた声によって

──家族歴史探究の不思議な導き

佐久間

さ く ま

一浩

かずひろ

兄弟 奈良地方部名張支部

(7)

1990

東京は近く,信じられないほどである。 そして,献堂式へ。大管長管理の下に 行われたそれは,わたしが経験したい かなる大会よりもすばらしく,特に神殿 に対する奉献の祈りは,目頭が熱くなる のを抑えることができないものであっ た。わたしにとっては,11月1日に行わ れようとしている神殿結婚のことを考え ると尚更 なおさら であり,神が定められた天に最 も近いその場所に参入できることを,感 謝せずにはおられなかった。そして, 姉妹も同様であった。また,今まで与 えられた戒めもキンボール長老は繰り 返され,それは特に家庭の夕べを必ず 行うようにというような内容で,かつて ない強さでわたしの心に迫ってくるもの であり,神殿を通しての永遠の結婚を 強調するものでもあった。新しい生活 を始めようとしている二人にとって,何 にも代えがたい最高の旅立ちの言葉と なり,祝福となり,戒めとなった。』 ……当然ながらわたしたちは,今年 結婚25周年の銀婚式を11月1日に迎えま す。この間,二男二女に恵まれましたが, 長男・次男はそれぞれ福岡と東京北で の伝道を終え,長男は昨年東京神殿で 結婚しました。◆

19

68年)当時,アメリカのカリフォルニア州にある大学に留学中だったわたしは, 学生ばかりのワードに集っていました。そのワ ードに家族歴史(系図)のクラスが新しく設けら れ,先生からクラスに出席するように言われま した。わたしは,日本から資料を取り寄せるの は大変だし,日本で家族歴史のクラスに出席し たことがあるので,その必要はないと言いまし た。すると先生が,「わたしは,このクラスにだ れを出席させるべきかお祈りをして決めまし た。特にあなたは出席すべきだと強く感じたの で,このクラスに来なければなりません」と言い ました。それで毎週出席していましたが,系図の 探求は何もしていませんでした。 それから何か月か過ぎたある晩に,夢を見ま した。その夢の中で,二人の若い女性が現れて, そのうちの一人の女性がこう言いました。「わた したちは,あなたのお父さんの姉です。あなた はアメリカに来て,自分の好きなことばかりして, わたしたちに死者のためのバプテスマをしてく れていないではありませんか。そんなことでは 日本に返しますよ。」夢の内容はそれだけだった のですが,朝起きてその夢がとても心に残って いました。 それでもまだわたしは,系図のために何をし ようともせず,ただその夢のことを考えていまし た。日がたつにつれ,その夢がますます心に重 くのしかかってきました。そのことを教会の指 導者に話すと,それは霊界からのメッセージだ からすぐ系図の探求をするように言われました。 早速,日本の姉に手紙を書き,父の戸籍謄本 を送ってもらいました。父は,姉8人,兄3人の 12人兄弟の末っ子で,わたしが物心ついてから 生存していたのは,父の8人の姉のうちふたりし かいませんでした。ですから夢に出てきた父の ふたりの姉も,亡くなっている6人のどの姉なの か,わたしには分かりませんでした。 系図の記録用紙に上から順に名前を書き入れ ていきました。7番目の姉の名前を書き入れた 途端,わたしは,声を上げて泣き出しました。そ れは今までに感じたことのない深い感激の喜び の涙でした。しばらくわたしは,涙を抑えること ができませんでした。そして8番目の姉の名前 を書き出したときにも同じことが起こりました。 わたしは,夢に出てきて死者のためのバプテス マの儀式を頼んだのはこの二人の姉に違いない と確信しました。そして声を出して,「こんなに 死者のためのバプテスマをしてほしかったのに, 遅くなってごめんなさい」と謝りました。 夏休みに日本へ帰ったとき,父がわたしの夢 の話を聞いてすぐ,その二人の姉がだれなのか 分かると言いました。驚いたことに,それはわ たしが記録用紙に名前を書いて泣き出したあの 二人の姉の名前でした。もし生きていたとした ら教会に入りたがる人たちは,この二人しかな いからだと父は言いました。 二人とも同じ昭和5年に22, 23歳という若 さで未婚で亡くなったということです。しかも 看護婦であったそのうちの一人の姉は,伝染病 がはやったとき,うつるからとだれも看病に行 きたがらないのをかわいそうに思い,看護に行 って病気がうつって亡くなったということも,そ のとき父が話してくれました。 そして,夢で見た二人の姉がどんな顔かたち をしていたかと父が尋ねたので,わたしに話し かけた人は父にそっくりで,もう一人はとてもき れいで,父に似た人の後ろに一歩下がって何も 言わず,とてもおとなしく見えたと答えました。 すると父はますます確信を深め,絶対にこの二 人だと言いました。話しかけたのが7番目の姉 で, 黙っていたのが8番目の姉だとも言いまし た。7番目の姉は,父にそっくりで,不正を見る と黙っていられず,はっきりといさめる人で,8 番目の姉は,当時の小野小町と言われるほどの 美人でおとなしく,言いたいことはいつも7番 目の姉の後ろに立って,姉に言ってもらってい たというのです。 父もわたしも,わたしの見た夢がただの夢で はなかったことを,そのとき悟りました。そして 当時まだ教会員でなかった父が,「この二人以外 にも,死者のためのバプテスマを望んでいる人 がいるだろうから。 先祖全員の死者のためのバ プテスマの儀式をするように」と言いました。そ の話を聞いた父の兄嫁が「わたしは,もう年を取 っていて教会には行けないので,わたしが死ん だらその,死者のためのバプテスマをしてくだ さい」とわたしに頼みました。その伯母も14年 前に亡くなり,約束どおり,彼女に死者のための 身代わりの儀式を施しました。それからときど き,彼女が何も言わず,にこにこと笑っている夢 を見ました。きっと約束を果たしたことを,喜ん でくれているのだと思います。(1994年8月号 『聖徒の道』チャーチニューズ14,参照)◆

待ちかねた人々の声

──霊界の伯母に呼びかけられて

ニブリー 能栄

よ し え

姉妹

東京南ステーク東京第2ワード

1980年,東京神殿奉献式のため 吉祥寺の東京ステークセンターに入る スペンサー・W・キンボール大管長。

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チャーチ・ニュース

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浅井 あ さ い 智子 と も こ 姉妹  名古屋ステーク春日井ワード

ごーいと思った。きれいだった……。』初めて神殿ロ ビーに入った9歳の男の子 は目を輝かせ,今,自分の目で見て感じ たままを,そのように表現しました。また, 1か月後にアロン神権者となる予定の男 の子は,主の宮にふさわしい服装を,と いうことで,いつもはTシャツ姿なのに, ワイシャツにスラックスを着込みました。 子供たち一人一人が,特別な思いを抱 き,この日を迎えることとなりました。 (2004年)8月27日(金)∼28日(土)── 春日井ワード初等協会主催の東京神殿 ツアーが行われました。深夜の高速走 行で,まだ眠い子もいましたが,着替え 後いよいよ東京神殿へということで,ち ょっぴり緊張した面持ちの子供たち。 朝8時30分──ロビーに入ると,周りを 見回し,主の宮の様子を目と,霊で感じ ているようでした。神殿ロビーでは,さ さやくような声の福田 ふ く だ 真 まこと 神殿長から,短 く神殿を案内していただいたのち,別 館にてOHPを使って,神殿の目的など 詳しい説明をお聞きしました。映し出 される神殿内の様子に見入る子供た ち。福田神殿長の問いかけに,一所懸 命答える子供たち。そんな様子に,ツ アーを準備してきてよかったと,しみじ み感じました。 ……この日,神殿長からのお話の後, 子供たちは一人一人愛する家族へ手紙 を書きました。そして,愛する家族とと もに,永遠にいられるために自分に何が できるか,何がしたいかも書きました。 ……今回のツアーが,子供たち一人 一人の心の中に生き続け,永遠の家族 を築くうえでの,大きな力となってくれる ことを願っています。」 山田や ま だ真由美ま ゆ み 姉妹 鹿児島地方部名瀬支部

たしには大切な日がたくさんあります。自分の誕生日,子 供たちの誕生日,バプテスマ を受けた日,そして福岡神殿に参入した 日です。 バプテスマを受けたのが2001年8月18 日,福岡神殿に初参入したのが2004年 12月23日。こんなに早く神殿に参入する 時が来るとは思っていませんでした。ま た,その大切さも知りませんでした。神 殿推薦状を取得し,維持していくことの 責任の重さもよく分かりませんでした。 少しずついろんなことが分かってきたと きに,神様やイエス様への感謝の気持ち でいっぱいになりました。

日本人聖徒の

生活に溶け込み

祝福をもたらし続ける

今日の神殿

たしたちは15年前に主人の仕事でアルゼ ンチンの日本人学校に行くことになりま した。外国は治安が悪く,どこの国に行くのかも 分からないので,初めはあまり気が進みませんで した。しかし祈っていると外国に行くという確 信が強くなっていきました。それで,「もし,日本 人学校に行くのなら,神殿のある国に行かせてく ださい。」と熱心に祈りました。そのころは神殿 のある国は合衆国以外では10くらいしかなかっ たと思います。アルゼンチンに行くことが決ま ったとき,神殿があるかどうかすぐに聖徒の道を 調べました。するとちょうど1年前にブエノスア イレス神殿が奉献されていました。心が喜びで いっぱいになりました。 アルゼンチンは日本のちょうど裏側にある,日 本から最も遠い国の一つです。どんな国なのか そのころはほとんどの知識がありませんでした ので,空港に着いたときはとても不安でした。し かし,空港から市街地に行く途中公園がずっと 続き,その公園を過ぎた左手に銀色に輝く美しい 建物が見えてきました。最初に見た建物はなん と,ブエノスアイレス神殿でした。わたしたちは バスの中で顔を見合わせ,感謝の涙と平安につ つまれました。そして主がほんとうに祈りにこ たえてくださったという強い確信と証 あかし を得るこ とができました。 日本を出る前にわたしたちは,週に1回は神殿 に参入しようと決心していましたので,最初は5 時に家を出て3回バスを乗り換え,2時間かけて 神殿に行っていました。しかしもっと近い方法 が分かり,1時間ちょっとで行けるようになりま した。そして車を購入してからは40分で行 けるようになりました。 1年半して神殿から,「神殿長から面接を 受けてください。」との電話をいただきまし た。神殿長の所に行き面接を受けると,「週 に1度か2度,神殿で奉仕してくださいま せんか」と言われました。わたしたちには 思ってもみないことだったので,とても驚 いたのですが,感謝して受けさせていただ きました。そして日本に帰るまでの1年半 をブエノスアイレス神殿で奉仕させていた だきました。スペイン語は慣れない言葉で難し かったのですが,神殿で奉仕の召しを頂いてか ら急に言葉が分かるようになり,儀式の言葉もよ く覚えることができました。ほんとうに神殿は 不思議な所です。 また,兄弟がホームティーチングをしていた, 教会から遠ざかっておられた会員の姉妹が活発 になりました。同僚を誘って初めてホームティ ーチングに行ったとき,兄弟はその姉妹に「日本 語でもいいから」とお祈りを頼まれました。そし て彼女は教会に集うようになられました。後に 断食証会の日,「永友兄弟が祈ったとき,言葉は 分からなかったけれど『御霊 み た ま 』をとても強く感じ, 教会に戻りたいと思った」と,証をされました。 その後,御主人と子供さんたち3人がバプテスマ を受けられ,1年後に神殿で家族7人の結び固め をされたとき,彼らの儀式に立ち合うことができ ました。アルゼンチンで多くの兄弟,姉妹と友達 になり,すばらしい3年間を過ごすことができま したことに心から感謝しています。◆

異国の地で奉仕して

──アルゼンチン・ブエノスアイレス神殿

永友

ながとも

栄子

え い こ

姉妹 鹿児島地方部 都城支部

2004

アルゼンチン・ブエノスアイレス神殿

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/2005年 7月号

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バプテスマを受けたからそれで終わ りではないことを知っています。神殿に 参入してからわたしの新しい信仰生活 が始まりました。多くの兄弟,姉妹から, 神様のみもとへ行けるように,この世で やるべきことをたくさん教えてもらって います。それは,不完全なわたしを正 しく導いてくれていると証 あかし します。 神殿が確かに主の宮であることを心 から証します。ふさわしさを維持するこ とは大変なことではありません。それは 自分自身の誇りとなり,大きな喜びとな ります。できるだけ早くまた,神殿に参 入できたらいいなあ,と思っています。 今この時代にこそ,この教会の福音 が必要だということを証します。いつか 名瀬支部から福岡神殿へ団体参入する 日が来ることを願っています。」◆

東京神殿四半世紀──Temple work in Japan

右足を引き摺

る巨人

眉毛濃く どっしりした鼻

浅黒い九州男児

神はヨブの三分の一の棘

とげ

を与えたもうた

病名 動静脈奇型

動脈と静脈の間の

毛細血管がないのだ

がん

より厄介

やっかい

な代物

良い薬も

良い治療法もない

医者は頭を振る

(あなたはね

立たないように

歩かないように

寝ているに限る)

巨人は爆発する

信仰の炎を天に吹き上げ

めらめら あかあか

この世に棘ある肉体を持ってきたのは

食べるためではない

働くためだけではない

肝心要

かんじんかなめ

は 魂の問題だ

霊の問題だ

巨人は高らかに叫ぶ

神殿の中を右に左に

歩く 歩く

右足軽やかな引き摺りで

神さまには無言の呼びかけ

腹の底からの祈り

立たないでおられるものか

歩かないでおられるものか

羽根布団に寝ておられるものか

死者の救いのために 

生者の喜びのために

見えないものを見据えて

魂 奮い立つ

ヨブの飛沫

ひ ま つ

全身に熱く浴び

疾風

しっぷう

の中の勁草

けいそう

己に重ねながら

その己を愛でながら

巨人の眼は 一直線

聖なる神殿の中を

一枚の白い羽毛になって

巨人

徳沢とくざわ愛子あ い こ姉妹 福岡神殿メイトロン

2005

神殿歴史委員会より

「ハワイ神殿訪問及び日本における神殿の 証 あかし ・体験談の保存」プロジェクトにご投稿いただいた皆様に,心から感謝いたします。 これまでに寄せられた原稿は,森村久男兄弟らによって編集され,教会機関紙に過去に掲載された神殿に関する記事とともに,検索 機能つきのデータベースとしてCD-ROMに収められ保存されつつあります。これらの貴重な記録が,ちょうどモルモン書のように50 年後,100年後のわたしたちの子孫に受け継がれることを期待しています。神殿歴史委員会での直接の募集は,いったん,6月末日を もって締め切りましたが,今年いっぱいは,引き続きリアホナ編集室で原稿をお受けいたしますので,奮ってご投稿くださいますよう お願い申し上げます。初等協会や青少年からのご投稿も期待しています。 地域家族歴史アドバイザー 遠藤 大 福岡神殿の徳沢 清 神殿長と徳沢 愛子メイトロン。 2004年12月10日, 東京神殿に設置されるモロナイ像。 日本福岡神殿 ●上記のように,神殿・家族歴史に関する手記は,住所・氏名・ 電話番号・所属ユニットを明記のうえ,右の宛先へお寄せ下さい。 なお,インターネットへ接続可能な環境をお持ちの方は,テキス ト形式(.txt)またはマイクロソフト・ワード形式(.doc)で保存した ファイルを電子メールに添付してお送り下さい。 宛先 〒106-0047 東京都港区南麻布5-10-30 リアホナ編集室 気付 神殿歴史委員会 行 電子メールアドレス [email protected] お問い合せ 03−3440−2666(管理本部制作課 担当・岡田)

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チャーチ・ニュース

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「わたしは食い滅ぼす者を……おさえて」

── 懸命に戒めを守り,北の大地に信仰を刻む

河田

か わ だ

利夫

と し お

兄弟・みゆき姉妹/札幌ステーク帯広ワード 

短期連載

3

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72年に帯広で改宗した河田兄弟は,高校を卒業した後,家を 継いで農業に従事する決心を した。「兄が農業を辞めて出ていくという ことになったので,卒業を間近に控えた わたしは『じゃあ,わたしがやってやる』と 奮い立って農業を始めました。」改宗した のは23歳。別の兄の紹介で教会を知っ た。農業を始めて5年後のことだった。 ヨブのように 改宗した3年後にみゆき姉妹と結婚し た河田兄弟のもとへ長兄からの連絡が 入った。「教会員ではない一番上の兄が また農業をやりたいと帰って来ました。 わたしたちは分家をして,他の場所で酪 農を始めたのですが……。」 長兄が牛舎を建てて1年目に最初の災 難が訪れた。その牛舎が火事で全焼し てしまったのだ。分家して他の場所で酪 農を始めた河田兄弟姉妹がハワイ神殿 を訪問し,帰国して間もない10月のこと だった。 「実家には両親もいました。43頭の牛 が仔牛も含めて全部焼け死んでしまいま した。兄は牛舎を建てたばかりですか ら,借金だけが残ってしまったんです。 土地をほとんど全部売らないと返せない 状況でした。しかし,そこで辞めてしま うと,非常に頑張ってきた父親が落胆す るのはよく分かっていました。」 火傷を負った長兄は農業を辞めて家 を出て行ってしまった。河田兄弟姉妹は 再び父親のところへ戻り,働いて借金を 返すことになった。残された借金は金額 にして約3千万円。「当時の3千万といえ ば,とても大きい金額でした」と河田兄弟 は話す。 さらに河田兄弟姉妹に大きな悲しみ が訪れる。 2週間かけて全焼した牛舎の後片付 けを終えて間もないころだった。「わたし たちが牛舎で仕事をしていたときのこと です。牛舎の回りにはぬかるみがありま した。わたしたちを捜していたのだと思 うのですが,息子がその水たまりに落ち てしまったんです。わたしは遠いところ にいて,探したけれど分からなかったん です。」水たまりに落ちたのは河田夫妻 の次男。2歳になるころだった。「神殿か ら帰ってきてから,いろんなことがありま した。」河田姉妹は静かに振り返る。若 い夫妻は牛舎を失い,幼い子供の命も 失ってしまった。「安息日を過ごして月曜 日に息子が亡くなりました。葬式が終わ った後は夫婦で放心状態でした。」 全焼した牛舎の後にもう一度新しい 牛舎を建てることにした河田兄弟は,飼 っていた牛の半分を売り,残りの牛を実 家へ持って来た。分家した若い夫婦が 始めた酪農は借金をしてのスタートだっ たので,自分たちの分,長兄から引き継 いだ分,そして,家の返済金も含めて負 債は多額に膨れ上がっていた。 「父親がいましたからね。父親は生活 する術 すべ もないわけですし。全部一緒に 引き受けることにしました。そうしなけれ ば土地も全部売らなければなりません, 返済しようと思っても牛もいないのです から。父親は相当ショックを受けていま した。ほんとうは牛舎をわざわざ建てる よりも,酪農をやめてしまった方が楽だ ったのですが,農協が出す条件に従い 資金を繋 つな がないと農業が続けられない 状況になっていました。」河田夫妻が牛 舎を建て始め,材料が届き始めたころ, その半年の間にもう一つ命を失ってしま う。「父親が肝臓ガンで亡くなってしまい ました。とてもかわいそうでした。」 さらに,牛舎を建てた河田夫妻を新 しい苦難が襲う。 「その後2年間,酪農をやりましたが, 酪農にとってすごく悪い時期になってき ました。牛乳が余り,牛乳に食紅を入れ て出荷調整をした時期なんです。もうそ れ以上出荷できないような状況を作り, 食紅を入れた牛乳は仔牛に飲ませる か,捨てなければなりませんでした。負 債などとても返せるような状況ではあり ません。牛もだんだんと安くなりますか ら,思い切って牛を売って,土地の一部 も売って,酪農を辞めることにしました。」 力を尽くして安息日 にち を守る 河田夫妻を責め立てたのは大きな災 いだけではなかった。周囲の人からの 辛辣 しんらつ な言葉も若い二人の心を 傷つけ た。「わたしたちは結婚するときに安息日 を守ることを第一として決心していまし た。たとえ酪農でも畑作でも,とにかく日 曜日は仕事を休むことにしていました。 農家としてはちょっと強引でしたが……」 と語る。 酪農のほかにもじゃがいもを栽培して いたが,高価な農耕機械を数件で共同 購入し,作業も共同で行わなければなら なかった。「共同作業であれば,安息日 なんて自分で決めることはできませんか (マラキ3:11) 亡くなった息子さんと河田姉妹。牛舎にて。 全焼した後に再建した牛舎。今では 倉庫として使われるのみ。

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ら。」結局,共同作業から抜け,ジャガイ モを作ることもやめた。「直接耳に入って こないものもありましたが,とにかくいろ んなことを言われました」と河田姉妹は 回想する。 安息日を守るために河田夫妻はとにか く力を尽くした。 「天候が月曜日から崩れるとわかって いながら,日曜日に仕事をしない日もたく さんありました。牛を飼っているときは天 気が勝負の牧草の仕事を土曜日の夜中 まで行って,ほとんど寝ないような感じで 朝早く起きて,牛の世話をしてから教会 へ行くということはよくありました。当時, わたしも支部長をしていましたので,朝 の3時くらいに起きて,朝と昼の餌をやっ て,帰りは支部長として面接などをして 教会を出るのが,5時とか6時になります。 周りが何と言おうと,親が何と言おうと, 安息日をどうやって守ろうかと考えてい ました。それから帰って牛に餌を与えた りすると,午後10時くらいになるんです。 安息日を守って教会から帰ると,一番期 待していた牛が牧柵に挟まって死んでい たこともありました。牛が放牧地から逃 げ出していたこともありました。雨が続 いたりすると,牧草が腐ってしまって,近 所からいろいろ言われましたし,一日で 何百万もの被害を被ることもありました。 牛を飼ったり,畑作業をしながら安息日 を守るのはほんとうに大変なことなんで す。よくやったと思います。若かったか ら。必死だったんですね。」 にんじん作りとの出会い 安息日を頑 かたく なに守る河田夫妻の所へ 一つの話が舞い込んできた。にんじん を作る業者が土地を貸してほしいという ものだった。「にんじんってどんな作物な のかわたしたちも知りませんでした。貸 すときに条件を付けたんです。うちの畑 でどれだけ取れたか,収穫量とか製品 率とかのデータをくれるならという条件 を付けて貸してあげたんです。そして, 秋の収穫をしているところを見たら,見 事なにんじんができていたんです。これ 以上のにんじんなんてあるのかなと思う くらいのにんじんができていました。そ して,データを教えてもらったら,やっぱ りその業者が扱っているほかの畑で作 った中でうちの畑で作ったにんじんがい ちばん良かったんです。うちの畑でこん なすばらしいにんじんができるのならば 自分で作ろうと思いました。」 翌年,河田夫妻はさっそくにんじんの 栽培を開始した。「4町歩 ちょうぶ くらい作ったん ですが,何にも知らないで作ったので, ほとんどいっぺんに種を蒔 ま いてしまいま した。収穫の機械もないので手で掘っ て,手で選果して大変でしたが,大きな 収入になりました。」 河田兄弟は「すばらしい」自信作のに んじんを直接,市場に持ち込み,どのよ うな評価をされるか試してみることにし た。にんじんを見た市場関係者は口々 に言った。「すばらしい。これだけのもの を作れるなら,続けて出荷してください。」 今では出荷する段ボール箱を見た別な 業者からも出荷依頼が届く。今,東京の 大田にあるいちばん大きな青果市場に 出しているが,仲買業者から直接欲しい と依頼され,契約栽培も多くなってきた。 そのため市場に出荷する分がないほど の人気になっている。 もちろん「毎年いいことばかりではあ りませんよ。神様はちゃんと高慢になる ことを防いでくださり,と きどき叩いてくださいます から」と話す。 殺虫剤なんてかけて いません 「人生の中で,損失だ と思えばそのようなことは きりがありません。例えば, 牧草の仕事を木曜日から 土曜日まで行い,日曜日も 天気が良くて,日曜日に仕 事をしていればいいもの を日曜日に休むと,月曜日 に雨が降るんです。乾燥 がほとんどできている牧 草を雨に濡らせば,腐っ たり品質が落ちたりしてし まいます。しかし,そうい うのを気に留めていたら 安息日を守ることなどでき ません。神様はすべてを 分かったうえでそうされているんですか ら。とにかくこれで行こうと。損害ではな く当たり前だと思っていました。牛の事 故なんて別に日曜日に限らずいつだって 起こることです。そう思えば,安息日に教 会へ集うことで損失なんてありません。」 農家の朝は早い。日曜日でも6時には 仕事を始めている。支部長を務めてい た河田兄弟は朝8時ごろに,ネクタイを締 めてスーツ姿で出かけていく。「あんな ことをやってたら農業なんて続かない」 何度も河田夫妻が耳にした言葉がそれ だ。想像もできないような苦難を体験し てきたにもかかわらず,結婚したときから の決意を守り続けた河田夫妻は,現在, 周囲の風評に反するように,工場も建て, 河田兄弟の開発した自動にんじん収穫機。 畑の畝に沿っ走らせると機械の爪が次々と にんじんを掘り出してゆく。かつては人手で 収穫したので時間がかかり,冬を迎えて 大地が凍り始めてからも固い土を 掘り起こして収穫したものだという。 大きさ別に箱詰めされたにんじんは,隣接する巨大な 冷蔵庫で保存され,出荷を待つ。「この工場は日曜日 が休みなので,皆喜んでくれますし,普段から 病欠する人もほとんどいません」と 河田兄弟は語る。 収穫機には巨大な袋がセットされている。 いっぱいになった袋はトラックに積まれ 工場へと運ばれる。 河田兄弟の経営するにんじん工場。収穫した にんじんは自動的に洗浄され, 選果場へとラインを 流れていく。

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チャーチ・ニュース

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従業員も雇い,借りた土地も広げながら 農業を営んでいる。大根,じゃがいも, 大豆,にんじんが終わったら,牛蒡 ご ぼ う と長 芋。春まで出荷できるようにして,冬は 収穫して貯蔵したものを選果して一年中 出荷できるようにしている。「どうしたらで きるんですか。」批判の声に代わって,こ のような質問を投げかけられるようにも なってきた。「理想を追求している姿を 周りの人は見ているんですね」と河田兄 弟は話す。 「安息日にわたしが責任を果たすとき には,妻が一人で牛の世話をしてくれま した。ほんとうによくやってくれたと思い ます。二人の息子たちは,教会にも集い, 伝道にも行き,神殿で結婚し,今も頑張 っています。以前,にんじんの葉に虫の 死骸がたくさんついていたことがありま した。それを見た業者が上手に殺虫剤 をかけましたねと言うんです。にんじん にたくさんつくアゲハチョウの大きな幼虫 の死骸がいっぱいぶら下がっていまし た。しかし,昔から最低の農薬しか使わ ないので殺虫剤なんてかけていません。 什分 じゅうぶん の一の律法に書いてあるように,食 い滅ぼすものから神様が守ってくださっ たんです(マラキ3:11参照)。わたした ちが気づかないところで,神様が守って くださったんです。子供たちがこんな話 を聞いて覚えていてくれます。それだけ でも大きな祝福でした。そのようなこと を思えば,安息日を守ってきたことは,こ れで良かったのかなと思います。」 河田兄弟姉妹の経験は辛く,哀しく, 時には出口さえも見当たらないようなも のだったであろう。すべてを主にゆだ ね,祈り,安息日を守り続けてきた河田 夫妻は「知恵がなかったので」と何度も 語る。しかし,主の知恵に頼る方法こ そ最も賢明な選択であることが,真摯 し ん し な態度を貫いてきた二人の人生を通じ て証されている。◆

お 知 ら せ

員の異動

2005年5月21日から2005年6月14 日までに管理本部会員統計記録 課に通知のあった役員の異動 (敬称略) ●大阪堺ステーク田辺支部 支部長:柏山かしやまじゅん淳 ●鹿児島地方部川内支部 支部長: 中 條 なかじょう 淳 じゅん ●神戸ステーク播州赤穂支部 支部長:新谷しんたに国彦くにひこ ●福岡ステーク前原ワード 監督:遠藤えんどう慎しん ●広島ステーク浜田支部 支部長:勝手か っ て 修治しゅうじ ●神戸ステーク加古川ワード 監督:春山はるやまあつし篤 ●さいたまステーク越谷ワード 監督:鈴木す ず き 啓史ひ ろ し ●岡崎   ステーク豊田ワード 監督:前田ま え だ 建治け ん じ ●広島ステーク安古市支部 支部長:菅近 かんちか 宏幸 ひろゆき ●札幌西ステーク小樽ワード 監督:佐久間さく ま 道之みちゆき ●神戸ステーク関西支部 支部長:谷内たにうち喜彦よしひこ ●鹿児島地方部宮崎支部 支部長:徳留とくとめ清弘きよひろ ●日本盛岡地方部 第二副部長:佐々木さ さきさとし聡 ●広島ステーク柳井支部 支部長:松永まつなが公位こうのり ●名古屋ステーク瀬戸ワード 監督:植田う え だみつる満 ●奈良地方部大和郡山支部 支部長:中野 な か の 和男 か ず お ●大阪北ステーク高槻ワード 監督:昌子しょうじ直文なおふみ ●熊本   ステーク八代支部 支部長: 林はやし優作ゆうさく ●宇都宮地方部古河支部 支部長:岩永 いわなが 晴幸 はるゆき ●東京南ステーク東京第三ワード 監督:Erickson, Rodney D. ●静岡ステーク浜松第二支部 支部長:Naruse, Toshio ●仙台ステーク山形ワード 監督:會澤あいざわ里美さ と み ●三重地方部伊勢支部 支部長:山 やまざき和男か ず お ●大阪堺ステーク御坊支部 支部長:濱田は ま だ 耕一こういち ●名古屋伝道部新宮支部 支部長:McKee, Christopher A. ●日本高崎ステーク 第一副会長:相川 あいかわ 豊 ゆたか 第二副会長:大河原 お お か わ ら 吉明 よしあき ●熊本ステーク大牟田支部 支部長:野田のだ 啓二け い じ ●札幌ステーク浦河支部 支部長:藤田ふ じ たみつる満 ●日本仙台ステーク 第一副会長:高橋たかはしゆずる譲 第二副会長:渡部わたなべ澄憲すみのり ●札幌西ステーク手稲ワード 監督:紺野こ ん の 真介しんすけ ●三重地方部鈴鹿第一支部 支部長:金森かなもり彦久ひこひさ ●日本三重地方部 第二副部長:名嘉真な かま 尚也な お や ●日本郡山地方部 地方部長:森もり浩典ひろのり 第一副部長:武藤む と う 和四郎わ し ろ う 第二副部長:桑原くわはらゆたか豊 ●熊本ステーク熊本ワード 監督:松崎 まつざき 信次 し ん じ ●熊本ステーク長嶺ワード 監督:小出こ い であきら章 ●『リアホナ』2005年6月号ロー カル・ニュース18,19ページ に誤りがありました。 「標準建築プランが地域に……」 の項,2段7行目。誤:内田健 治兄弟 正:内田健児兄弟 「奉献された教会堂」の項 誤:福岡ステーク大分ワード 正:熊本ステーク大分ワード ●『リアホナ』2005年6月号『フレ ンド』F8ページ,「さくをこえる」 の項に,訳文抜けがありました (F9ページ最終行)。正しくは 「……人生はずっと幸福なもの になるのです。●」です。 ●『リアホナ』2005年5月総大会 号77ページ「結ばれた心」の 文章内(78ページ一列目中段) に誤りがありました。 誤:……その権能を使徒パウロ にお授けになりました…… 正:……その権能を使徒ペテロ にお授けになりました…… ●読者の皆様には大変ご迷惑を お掛けいたしました。ここに謹 んでお詫びし,訂正させてい ただきます。(編集室)

お詫びと訂正

「損失だと思えばきりがありません。 そういうのを気に留めていたら 安息日を守ることなどできません。 神様はすべてを分かったうえで そうされているんですから。」

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ASIA NORTH AREA (JAPANESE) /2005年 7月号

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2005年5月

(299期生)28人・海外3人

●上から氏名,任地(伝道地),出身ユニット

J M T C / お 知 ら せ

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