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「続々・失敗百選」

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この本の定価・判型などは,以下の URL からご覧いただけます.

http://www.morikita.co.jp/books/mid/067501

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はじめに  i

はじめに

“つい,うっかり”から“まさか”へ,注目する失敗が移った  2011 年の東日本大震災から,日本社会の注目する失敗が変わった.図 A.1 に示す ように,震災前は,「滑った,転んだ,忘れた,間違った」というような,軽いヒュー マンエラーとして処理されるような失敗に,皆が注目した.これは致命的でないから, 事故後に「“つい,うっかり”しました」と正直に謝って,損失分だけを補填すれば 許してもらえる.技術的な失敗も,疲労・摩耗・腐食のように,既知で頻発する失敗 図 A.1 “つい,うっかり”から“まさか”へ注目する失敗が移った

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ii  はじめに だけに耳目が集まった.これらはちょっと勉強すれば簡単に予見でき,既知の再発防 止策で回避できる.それなのに“つい,うっかり”と忘れて設計して事故を起こした エンジニアは,明らかに未熟である.前書の「失敗百選」,「 続・失敗百選 」 には, このような失敗群を記載した.  それが震災後に一変した.つまり,「潰された,流された,想定外,危惧感」とい うような,重く致命的な失敗へと注目の重心が移った.これは,事故後に“まさか” と溜息が出るような,不意を突かれた失敗であり,または,10 年に 1 回,大会社の 誰かが起こすような稀少な失敗でもある.あまりに稀少なので,当事者のエンジニア でさえ過去の事故現場を見たことがなく,過去の知識を学ぶチャンスもほとんどない. 仮にその失敗が天災ならば,「被災は神様の思し召しだ,私を責めるな」と誰でも悪 態がつける.しかし,地震の前に,消火器を用意したり,転倒防止機器を噛ませたり, 避難場所を調べたり,と 2 次被害を小さくする減災方法はやっておくべきであった.  2011 年の福島第一原発事故が,その“まさか”の失敗の典型例である.これを運 の悪い天災と考えて,「大津波が来たら原発も一巻の終わりだった」と簡単に諦めて いる人が多い.しかし,後述するように,ジタバタしても生き残れる減災方法が実際 には存在したのである.また,抽象的な運命論や組織論を用いて,ひたすら保安院や 東京電力,民主党政権などの当事者を非難する人も多い.でも後述するように,当事 者は特別に異質な組織に属していたというわけでもなく,逆に日本の文化を具現化し たような,どこにでもある組織の一員なのである.いまでも数百 km2 の国土を失い, 十数万人の避難者が苦しむという状態が続いている.この歴史的な犠牲を将来の技術 進歩につなげなければ,何のためのエンジニアリングか. “科学技術立国”日本の面 子をかけて,筆者も 5 年間,福島事故を考え続けた. “つい,うっかり”と“まさか”の失敗では,防止時の脳の動きが逆になる  “つい,うっかり”と“まさか”の失敗の決定的な違いは,発生頻度の高低でも損 失の大小でもない.図 A.1 に示すように,対応すべき人間の脳の動きが違うのである. だからこそ,再発防止・減災促進には別個の研修方法が必要になる.  “つい,うっかり”の失敗を防ぐためには,「雑念を捨てて,作業に集中する」こと が大事である.ドラゴンボールの“かめはめ波”のように,1 本のエネルギ集束ビー ムを放出するような感じである.余計なことは考えない.一心不乱に目の前のことだ けを考える.ところが,“まさか”の失敗を防ぐためには,その一点集中がもっとも いけない.福島第一原発では,東電社員が安全設計審査指針を守ることに集中し,そ れを一歩でも超えた状況での減災対策を何もやらなかったので損失が拡大した.米国 は 2001 年の同時多発テロの後,いわゆる B.5.b とよばれる行政命令を用いて,事細

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はじめに  iii かな減災対策を進めていた.ところが,この日本の頑固な一点集中思考は,米国の柔 軟な広域展開思考を忌避した.日本には,米国のように深層防護で手を拡げるととん でもなく仕事が増える,と憂えるムードがあった.後述するように,東電が B.5.b を 入手していれば,福島事故はチェルノブイリ事故相当のレベル 7 からスリーマイル島 事故のレベル 5 に減災できた可能性が高い.放射能は原発の外に出なかっただろう.  “まさか”の失敗では,逆に「違和感を拾って,思考を展開する」ことが大事である. これは“線香花火”のように,弱いエネルギが分岐・拡散して全方位にパチパチと広 がる感じである.あちこちに点滅するリスクの兆候をとらえられるので,片端から破 滅のシナリオを想定してみる.  すなわち,“つい,うっかり”は集中,“まさか”は展開,と脳の動きがまったく異 なるのである.  その結果,“つい,うっかり”と“まさか”の失敗で,事前防止訓練の内容も 180 度異なってくる.“つい,うっかり”には,頻発する失敗シナリオごとにケーススタディ する,いわゆる“危険予知訓練”が有効である.たとえば,「通路に雨が吹き込んだ ら何が起きますか?」,「台車や人間が滑って機械に衝突します」,「では対策を考えま しょう.そうだ! いつもの水の拭き取り,ヨシッ!」と全員で確認する.毎日実行 するとリスクに強くなる.一方で,“まさか”には,荒唐無稽な失敗シナリオを,ブレー ンストーミングや連想ゲームで展開させるような,新しい訓練方法が有効である.た とえばいま,「地下鉄の駅で電車を待っているときに直下型地震が起きたら,どうやっ て逃げようか?」と状況を考える.「いつもは通らない出口から地上に出て,勘をは たらかせてそこから自宅に向かって歩いてみよう」と答えを出して実際に歩いてみる. これは何年か後のイザというときに役に立つはずである.バカバカしいと思う心を封 じて大真面目に考えることが大事である.  “まさか”の失敗を防ぐには,設計のリーダーの“まさか”の失敗防止能力,つまり, 違和感や直観で失敗の予兆を感じ取る能力が必要になる.たとえば,小さな異音をふ と聞いただけで,共振,緩み,疲労,分解,発火と 1 秒以内に違和感を起点に思考を 展開して,緊急停止・避難勧告を始めるべきである.この能力は,会社の設計部長や 技師長のような高位の技術者だけではなく,5 人の作業グループのような末端の主任 や職長にも求められる.主任や職長が現場から離れて,事務所で一日中,報告書を書 いているような工場や事務所に明日はない.現場に漂う違和感を検知できないからで ある. 違和感は,失敗防止だけでなく,新商品開発にも役に立つ  “まさか”の失敗で必要な「違和感を拾って,設計を展開する」という脳の動きは,

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iv  はじめに 新商品や新工程を開発するときにも役に立つ.失敗学と成功学はよく似ている.20 世紀には,インターネットのデータベースがなかったので,書類や経験の中から必要 知識を検索できる“人間グーグル”的な能力が,エンジニアの出世を決めた.しかし, いまやそれはコンピュータの仕事となった.エンジニアは,「違和感を起点に脳の中 の知識群を要求機能に適合するように組み合わせる」という軽めの“創造力”が必要 になった.これは過去に事例がないのだから,あらかじめプログラムを組むことはで きず,機械学習で過去の知識とタグ付けすることもできない.スティーブ・ジョブス 曰くの“connecting dots”である.成果として何も人類最初の大発明を目指す必要 はない. iPhone だって,もしタイムマシンでヒットがわかったら,1 箇月でそっく りの試作品が完成したはずである.少なくとも,この違和感起点の組合せ技術を磨く だけでも,日本の製造業は“新製品ラッシュ”になって甦るはずである.  しかし,これまでの日本の受験勉強では,“つい,うっかり”の失敗を防ぐために 必要な脳の動きと同じものを若者に求めた.つまり,「雑念を捨てて勉学に集中する」 ことである.テレビもゲームも彼女も御法度にして,勉学にいそしむ.受験勉強の勝 利者は工学部に進んだ後も,工学に集中するために,芸術,哲学,経済,法学などを 雑念として切り捨てる.もちろん,違和感も雑念の一つである.しかし,この切り捨 てが思考の展開を止める.卒業後の社会は,設計解を導くための制限時間を長く設定 する.入試のように 2 時間と短いわけではない.2 箇月,2 年とナガーイ時間をかけ て考えてよい.一度,思考を漏れなく全方位に展開し,その後で,現状での要求機能 を抽出し,要求機能の干渉点からリスクヘッジしてみるとよい.また違う世界が見え てくる.  教室や事務所に閉じこもっていないで,街に出てみよう.隣の町工場や研究室,博 物館,故障車,店舗,農園などを見るだけでも,何かに感動し,何かの違和感を拾っ て,新たな設計解を思いつくものである. 失敗の分析者だけでなく,成功に向かうための実務者になろう  本書も,前書の「失敗百選」,「続・失敗百選」と同様に,筆者の職場の事故をいく つか掲載した.工学系研究科の安全衛生管理室長である筆者は,失敗の分析者だけで なく,つねに失敗を糧に成功に向かうための実務者として働くことが求められた.医 者は,基礎医学の研修だけでなく,臨床で患者の病気を治すことを社会から要求され ている.エンジニアも同様である.分析者だけでなく,優秀な実務者になることを世 の中は求めている.違和感を拾ったら手足を動かしてみよう.自主的に小さな挑戦を 楽しんでみよう.  本書は,前書と同じように,第 2 部に多くの事故事例を列記した.これをケースス

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はじめに  v タディして,自分だったらどのように対処すべきかを考えると,“まさか”の失敗対 応能力が磨ける.考えるうちに,「自分のいまの仕事において何が失敗になりそうな のか?」という問いの答えをピーンと直観で予想できるようになる.その感覚が大事 である.ザッと読んで,脳の感度が高まってきたように感じたら,本書の効能は期待 どおり,ということになろう.  理系の人は,これまでに「論理的に考えよ」としつこく注意されてきた.もちろん, 言葉で構築した仮説や理論は大事だが,言葉にならない直観や違和感も大事である. それがないと脳は思考を開始できない.筆者が玩具メーカのバンダイに行ったとき, 企画グループの若者には“アイデアマラソン”で 1 年に 1000 件の提案が課されると 聞いた.食事の回数と同じである.大学の研究者も本を読みながら,実験をしながら, 同僚と食事をしながら,年に 1000 件のヒラメキが必要である.誰に聞いても,どん な文献を読んでも,実験のうまくいかない原因がわからないときこそ,チャンスであ る.実験ノートにヒラメキを 20 件は書けるはずである.それが論文になる.違和感 の感度を高める訓練を続けるうちに,無意識にピーンと天啓に打たれるようになる. 受験勉強で基礎をしっかりやってきたから,思いつきもそれほどデタラメではない. ヒラメキを口に出しても,思いつきの根拠を述べよ,とは誰も言わない.「それは営 業秘密!」と言いながら,根拠なき自信をもって,自分の脳のささやきを信じてみよ う.5 年間も続けたら,目標は達成されて成功に至っているはずである.

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vi  目 次

目 次

第 1 部 「失敗百選」,

「続・失敗百選」 から 「続々・失敗百選」 への展開

1 Ⅰ 「続々・失敗百選」を要約する 2 Ⅱ “つい,うっかり”から“まさか”の失敗へ注目が移る 29 Ⅲ “まさか”の失敗の典型例─福島第一原発の事故─を学ぶ 41 Ⅳ “まさか”の事故の特徴は何か,どうやって防ぐか 74 Ⅴ 違和感を拾いながら失敗を防ぎ,新しい創造を始めよう 92

第 2 部 失敗事例を学ぼう

119 Ⅵ 福島第一原発は事故に先立って何が問題だったのか 120 1  リスク不感症 122 ミッドウェイ海戦で米軍が日本の空母 4 隻を撃沈/保安院が B.5.b を無視して減災 対策が実行できず/津波に飲み込まれる前に逃げない人もいた大槌町/1000 年に 1 回の貞観津波級の大津波が再発見の 20 年後に来襲/過去の原発事故から学べば福 島原発事故は減災可能/稗田山のような深層崩壊はいつどこでも発生可能/笹子ト ンネルの天井板落下はボストンでも過去に発生/気象庁はマグニチュードで津波の 大きさを予測して波の高さ 3 m と警報/阪神淡路大震災のときの耐震技術はマグニ チュードで決定/一つの内部告発から東京電力のトラブル隠蔽が発覚 2  電脳死軽視 155 福島第一原発は制御電源を喪失,減圧・消防車注水・ベントが遅れ/筆者が体験し た自動車と家電の電脳死 3  舶来品依存症 168 福島第一原発 1 号機の非常用復水器だけが“Fail Close”になっていた/技術導入 してから六本木ヒルズの回転ドアの重量が 3 倍に増加 Ⅶ 福島第一原発は事故処理中や事故後に何が問題になったのか 180 4  減災想定不足 180 福島第一原発では自動車用バッテリとエンジン付きコンプレッサが不足/福島第一

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目 次  vii 原発事故ではあれもこれも考えていたけれど皆,時間切れ/セウォル号では乗客に 待機を命じておいて船長は避難 5  非直営体制 199 アクリフーズで契約社員が故意に農薬混入/福島第一原発事故の命綱は協力会社の 動かす消防車 6  有事体制不全 204 現場は有事だけど東電本店や政府の思考方法は平時のまま/どこに避難すればよい か,JR 東日本は列車が止まった場所で最適解を探す 7  安全率 10 倍化 213 小佐古会見とベディントン会見/原子力規制委員会が心配する 40 万年前の活断層 と破局的な火山噴火 8  統合訓練不足 220 阪神淡路大震災の反省を東日本大震災に活用/東日本大震災の小学校の避難成功も 指導者の準備次第 9  復興長期計画 227 後藤新平が推し進めた関東大震災後の帝都復興/関東大震災後と東日本大震災後の 火災保険支払い/東日本大震災時にポリエチレン製ガス配管は破断せず/ドイツの 倫理委員会は脱原発を決定/天災天国日本に内在する国土再生力(富士山・浅間 山・富山平野) Ⅷ “まさか”の事故から多くの問題が学べる 242 10 改造先送り 242 日本触媒で一時貯蔵用の中間タンクが爆発/三井化学で緊急停止後の酸化反応器が 爆発/東ソーで緊急停止中の塩酸塔還流槽が爆発/新日鐡住金でコークスを 5 日間 貯蔵していたら酸化発熱して発火 11 後始末不備 261 三菱マテリアルで分解・洗浄中の水冷熱交換器が爆発/東京大学で廃液を減容して いたら爆発 12 不祥事温床 267 STAP細胞の証拠を捏造した小保方事件/JR 北海道の特急火災と脱線事故/朝日 新聞が吉田調書から大スクープ,でも大誤報 13 検察立件問題 285 単独犯のシナリオに固執した袴田事件/三菱自動車製トラックのハブ脱落/エキス ポランドのローラーコースタの脱線/東京渋谷の温泉施設シエスパの爆発

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viii  目 次 14 危惧感無罪 302 速度超過でカーブに進入し,JR 西日本の列車が脱線転覆/明石の歩道橋上で圧死 おわりに 311 原子力関連の略号一覧 324 参考文献 326 索 引 334

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2  Ⅰ 「続々・失敗百選」を要約する 失敗学の流れで本書を書き始めた  本書は,前書「失敗百選」(2005),「続・失敗百選」(2010)に続く 3 冊目の“続々” ものである.しかし 1 冊ごとに,これが最後と書いているので,内容は独立している. 筆者の失敗学は,「続々・実際の設計─失敗に学ぶ」(畑村洋太郎編著,実際の設計研 究会,日刊工業新聞社,1996)から始まった.最初は機械設計の失敗を扱っていたが, 少しずつ対象を大きくして,機械製作時の事故,製品使用時の事故,商品企画時の失 敗,と設計過程の上流に遡った.また,設計過程と同じように,失敗対象の製品も 2 次元的に広げ,単独の機械から,インフラ,交通システム,家電,日用品,サービス まで網羅した.  この章では,本書「続々・失敗百選」のどこがこの流れの中で新しいのか,を述べ る.「はじめに」で前述したが,一言で言えば,“つい,うっかり”から“まさか”へ 失敗の対象を広げたことである.これまでは,天災のような“まさか”の失敗は,事 前に予測できず準備できないので,「エンジニアの責任が及ばない失敗」と思われて いた.天災はいわば“神様の鉄槌”であり,被災者も神様にサイコロで決められたと 思いきるしかない.人間は無力である.しかし,2011 年の東日本大震災とそれに伴 う福島第一原発事故は,エンジニアに衝撃を与えた.なぜならば,天災を“まさか” の失敗だから「仕方がない」と他人事のように突っ放せなくなったのである.つまり, 「こうなったのもエンジニアの責任である」と社会から白い眼で見られた.  大地震や大津波のエネルギは大きすぎて,現代のエンジニアでも制御できない.で きるとすれば,減災だけである.たとえば,振動によって鉄筋コンクリートの建物が 倒れないように免震設計できた.国民は,天災のエネルギを制御できなくてもいいか ら,または,財産をすべて失ってもいいから,せめて生命だけは取られないように設 計して欲しい,と要求した.大津波は 2 万人もの生命を奪った.また,福島第一原発 事故は生命を奪わなかったが,放射能によって豊かな国土を奪い,間接的に絶望した 避難者の生命を蝕んだ.エンジニアは再発防止のために,どこに注目すればよいのだ ろうか.今後,数十年以内には必ず来るのであろう東南海地震や,それに伴う大津波, 首都圏直下型地震,富士山噴火,巨大台風,深層崩壊,などの異変に備えなければな

「続々・失敗百選」を要約する

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1 ●節●  3 らない.日本列島は 5 m もずれて,いまや“たが”が外れたのである.異変では,1 万 人オーダの生命と 10 兆円オーダの財産が失われ,日本の経済は宝永(18 世紀初頭.富 士山が噴火)後の江戸時代のように,沈滞し続けるであろう.もはや元禄(17 世紀後 半)や昭和(20 世紀後半)の高度成長期には戻れない.でも,日本列島が沈没するわ けではないから,全滅せずに存続できるような減災手法を開発すべきである.そうす れば日本は生き残り,若者が再び,繊細で頑丈でエコで,自分にフィットして使いや すい日本発のオリジナル商品を作り続け,日本民族の生産文化を継承し続けるだろう. 安全度が増すに従って,失敗学の対象が変わってきた  筆者は,世紀交替の 1995 年頃から失敗学を始めたが,それからの 20 年間で,日 本社会の失敗に対する考え方が変わってきた.本書ではとくに,2011 年の東日本大 震災以来の変化,“つい,うっかり”から“まさか”への変化に注目する.  1995 年頃までの明治以来 125 年余り,本書の注目する工業関係の失敗の 99.9%は 公開されなかった.数字の 99.9%の定量的な根拠はないが,とにかく全部が闇の中 という感じだった.公開されたはずの 0.1%の失敗も,記録がどこにあるのかわから なかった.筆者は事故調査報告書や判決文の写しを,関係者からやっとの思いで入手 した.99.9%の失敗は,それぞれの企業,組織,業界,地方,部署などの中で隠匿さ れ続け,関係者はそれこそ墓の中まで記録をもっていった.一方で,エンジニアは失 敗を隠匿しながらも,水面下では必死に再発防止対策を施し,製品や工程の信頼性・ 安全性を高めてきた.江戸時代以来の真面目な職人文化のお陰かもしれない.  筆者は,日立金属でエンジニアを始めたとき,社内で「落穂拾い」という失敗に学 ぶ活動を,上長はじめ全員が大真面目にやっているのに驚いた.馬場粂夫・元日立製 作所専務が戦後,公職復帰後に始めた活動である.失敗製品を納品後,空理空論を吐 いて顧客に迷惑をかけていないか見直すのだが,最初は「ドブ浚い」と言っていたが, 汚いので「落穂拾い」に代えたそうである.彼の本の中に「正直が根本徳目であって, これがなければ落穂拾いも始まらない」と書いてあった.活動は先輩の正直文化を継 承することに意味があった,と筆者は思う.日立だけでなく日本の各社が似たような 活動をいまも継続しており,それが日本の生産の強さになっている.  しかし,21 世紀になると,日本の工業は“グローバル”化して終身雇用を保証し なくなり,非正規社員の増加と共に,「先輩の面子を潰さない」という年功序列に基 づく文化もなくなった.企業は忠誠心をなくし,失敗を隠せなくなった.またグロー バル標準の企業倫理を維持するために,アンフェアな隠匿行為を世間が許さなくなっ た.エンジニアにも,「失敗を隠すな」という技術者倫理が求められるようになった. その倫理は 2000 年から 15 年も経つと組織内に深く浸透し,いまや,「人間として当

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4  Ⅰ 「続々・失敗百選」を要約する 然受容すべき道徳である」というレベルにまで昇華した.  その昇華をウソだと思うならば,インターネットで失敗知識を調べてみればよい. 15年前には入手できなかった,事故調査報告書から判決文,データ集,怪文書,暴 露記事まで簡単に見つけられる.見事に誰も隠していない.というか,「隠してまでも, 先輩・上司・会社・組織の誇りを守ろう」という,20 世紀の古きよき“仲間意識”“忠 誠心”は消えてしまった.筆者の東大では爆発音と共に事故が起きると,いつも内部 の学生が「核爆発発生!」というようなデマを写真付きで流す.安全衛生管理室の最 初の 2 時間の仕事は,デマの発信者探しとその撤去になる.完全なる情報コントロー ルはそもそも不可能である.隠したつもりの真実はいつかは必ず公表される.  そして,インターネットは失敗のセーフティネットを用意してくれる.失敗でも軽 めのもの,たとえば,ちょっとした日常茶飯事の失敗や“つい,うっかり”の失敗な らば,事象・原因の分析のついでに対策までインターネットが紹介してくれる.たと えば,顧客先に約束時刻に到着できるか心配ならば,交通機関やマップのアプリがい つどこに行けばよいかを提示してくれる.また,カッターで指を切って痛い目に会え ば,指が切れないようなステンレス網入りの軍手を紹介してくれる.さらに,ついダ ブルブッキングして大事な会議の日に海外出張を入れても,Web 会議のアプリがパ リのホテルからの出席をセットアップしてくれる.  このように,軽めの失敗は退治され,安全度が増してきた.その結果,従来は,重 すぎて対策まで手が回らなかった,もう片方の“まさか”の失敗の存在感が相対的に 増してきたのである.  この傾向を図に表すと,図Ⅰ.1のようになる.この図では,水平面に失敗の発生範 図Ⅰ.1 安全度が高まると“まさか”の失敗の発生確率が相対的に高まる

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1 ●節●  5 囲を,その垂直軸に安全度を取って,シナリオごとに失敗を“円錐”で表した.垂直 軸の上になるほど安全度が高くなる.一般に社会が成熟して安全になるほど失敗発生 件数が少なくなるので,失敗は上に行くほど細くなる“円錐”で表される.2000 年 頃は,同図の手前に記したような,電気の消し忘れのような日常茶飯事の失敗や,労 働災害の転落のような“つい,うっかり”の失敗に,筆者を含めた社会が注目してい た.いわゆる,ミスやエラーの原因分析とその防止策である.誰でも体験する可能性 があるから,読者も身近に感じて理解しやすい.  しかし,失敗しないように安全設計を進めていくと,軽めの失敗は,円錐を切り取 る安全度レベルの“水面下”に潜って,もはや起きる可能性がなくなった.たとえば, 東京大学では禁酒禁煙が進み,一気飲みによる急性アルコール中毒や,吸殻のポイ捨 てによる小火が消えた.環境美化が進んで,立て看板や実験ゴミを建物の隅に捨て逃 げしなくなり,ムシャクシャした学生がそれに火をつける放火も消えた.その結果, 事件・事故の発生確率が小さくなり,安全・安心の大学に生まれ変わった.というは ずであったが,救急車・消防車の出動依頼回数はゼロにはならないのである.どうし て…….  安全度が高くなっても,いまだにある種の失敗は起きる.それが“まさか”の失敗 であるが,これが始末に終えない.事故予防策に大金をかけても,どこまでやればよ いのかわからず,キリがない.たとえば,首都圏直下型大地震で減災しようと思えば, 全部の校舎を免震構造にするしか手はないが,もちろん建築資金はない.筆者の東大 では,重量物にアンカーを打ち,校舎の壁に対角補強材を入れ,全員に安否確認メー ルが送れるようにした.しかし,通学途中の学生の安全や,キャンパスに避難してく る住民の安全までは,手が回らない.  “まさか”の失敗は膨大なエネルギを発するから,当然のことながら損失も大きく なる.地震一発で,国家は破産,会社は倒産,個人は悲惨になる.安全度のレベルが いくら高くなっても,“まさか”の失敗の発生確率はゼロではない.図Ⅰ.1で示すよ うに,手前の“つい,うっかり”の失敗の円錐はすでに再発防止策で発生を抑えて水 面下にある.一方で,奥の“まさか”の失敗の円錐が水面から頭を出し続けているの で,相対的に多くなったように見える.これが 2015 年現在の日本の状況である.  “まさか”の失敗の対象は増加し続けた.たとえば,首都圏の直下型地震をはじめに, 富士山の噴火,通勤電車の中での爆発テロ,工場ラインでの毒物混入,致死的な伝染 病の上陸,海外工場の突然の操業停止,のような滅多に起きないような失敗を心配す るようになった.まるで,天が落ちるのを心配した“杞憂”そのものである.そこま で破滅的でなくても,首都圏の大規模停電,上水道の毒性菌汚染,スギ花粉の異常放 出,精神異常者のメッタ切り,サイバーテロによる個人情報漏出,卒業論文の集団捏

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6  Ⅰ 「続々・失敗百選」を要約する 造,学生・職員の連続自殺,なども考えられる.発生確率はゼロではなく,明日起き てもおかしくない. 2011年まで,世間も筆者も“つい,うっかり”の失敗だけに注目していた  2011 年まで,筆者の“失敗学”は“失敗のナレッジマネジメント”であった.つまり, 過去の失敗で得た知識を,将来の失敗防止のために再利用する方法を研究していた.  人間は,自分の失敗ならば確実に知識を再利用できる.なぜならば,痛みと共に一 連の失敗知識を強く記憶するからである.その結果,同じ過ちを犯しそうになると, 失敗の記憶が自動的に喚起され,未然に防止できる.しかし,「人間の人生が無限に 長くはない」のがネックである.一人の人間があらゆる種類の失敗に遭遇するほど人 生は長くない.そこで賢い人は,自分が受けた失敗だけでなく,他人が受けた失敗を 再利用するようになる.すなわち,世間の失敗に注目して,そこから本質的な原因を 抽出し,さらに事故現場を訪ねて状況を仮想体験する.失敗学の奥義は「人の振り見 て我が振り直せ」である.この“人の振り”,つまり他人の失敗こそ有用なナレッジ である.  同じ失敗でも,時代と場所が変わると,注目度が違ってくる.つまり,「ここまでは 許容されるが,ここを超えると責められる」という“失敗のボーダーライン”が変化す る.この 20 年間に,多くのボーダーラインが変化した.たとえば,他人の文章を無断で 写すと,学問の世界から追放されるようになった.学生ならば“コピペ(コピーアンド ペースト)”で一発退学である.しかし,自分の考えをゴーストライターに言語化しても らうのはいまだに許される.実際,ビジネス本の大半はゴーストライターの作品である.  筆者は 2007 年に「失敗の予防学」(三笠書房)を執筆し,経営者の失敗を分析した. その結果,「隠すな,驕るな,我が身を正せ」をモットーに,世間の失敗を勉強すると, 誰でもだんだんと賢くなれることを示した.この本は 2013 年に文庫版に焼き直しされ, 「なぜかミスをしない人の思考法」(三笠書房)と題を変えて 8.5 万部も売れた.  この本は筆者が企画したが,友人のゴーストライターが経営者の失敗を書いてくれた. 筆者はその原稿を基に,「はじめに」と「おわりに」,さらに本文中のコメントを加筆し ただけである.これは許されるのか.筆者は「人参や大根の素材を用意してもらったが, 自分が煮て料理にしたから,自分こそ著者である」と開き直っていた.しかし,佐村河 内事件を描いた「ペテン師と天才」(神山典士著,文芸春秋,2014)を読むと,その失 敗のボーダーラインも怪しくなってきた.これまでは次の論理が通っていた.「世の中 のビジネスが欲しいのは作品ではなく,商品である.だから,クリエータの主張をわか りやすく伝えるための,アレンジや代筆は“必要悪”であり,それらの実行者のゴース

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1 ●節●  7 失敗のナレッジマネジメントは効果的である  筆者は,とくにエンジニアの失敗に注目して,「失敗百選」,「続・失敗百選」を執 筆した.まず,エンジニアが知っておくべき 369 の失敗事例を収集し,次に,それ らから抽象的な“失敗シナリオ”を抽出して 60 選の(最初は 100 選のはずだったけ れど少し減った)“引き出し”に分類して,最後に暗記しやすいように短く圧縮して 知識化・教訓化した.これくらいのデータベースを脳の中に構築すると,その後に起 きるかもしれない類似の失敗も,その引き出しから容易に見つけ出すことができる. こうして,安全設計できる“失敗学コンサルタント”が促成栽培できるようになった.  ここで,失敗のナレッジマネジメントの実例を紹介しよう.たとえば,筆者は長い間, 「逃げ遅れ」という失敗シナリオと格闘していた.図Ⅰ.2(a)に示すように,筆者の大学 の地震訓練では,2010 年までは,消防署の指導書どおりに,仮想地震直後に「避難指 示があるまで待機してください」と放送していた.確かに,地震終了後の時点では,ど こで火災・崩壊が起きているかがわからないので,慌てて四方八方に逃げることは危険 である.しかし,その放送直後に放送設備が部屋ごと崩壊し,それっきり避難指示が出 なかったら,待機者はどうしたらよいのだろうか.もしも,従順な学生が火災の噴煙を 我慢して待機し続け,その挙句に息絶えたら,これは悲劇であり,ご両親に訴えられて も言い訳ができない.  2011 年の東日本大震災では,生徒を数十分も待機させた挙句に,最後は送迎バスを 出して津波に巻き込まれる,という悲劇も起きた.実際,石巻市の日和山幼稚園や山元 町の常磐山自動車学校は,安全義務違反で有罪になっている.そこで,工学部の安全衛 生管理室長の筆者は,地震後に「速やかに退避してください」と放送するように文言を 変えた.  「失敗百選」でも,韓国テグ市の地下鉄火災の事故(事象 21.2,2003 年)を取り上げ た.このときは「待機せよ」と命じた運転士が列車から率先して逃げてしまい,待機し ていた乗客は電車のドアを開けられずに,196 名が亡くなった(図Ⅰ.2(b)).その後, 筆者は韓国テグ市の市民安全テーマパークを 2011 年に訪ねた.そこには,この事故で 焼損して真っ黒になった車両が展示されていた.あちこちに霊が漂っているみたいで, 日本人ならば身震いするはずである.ショックを受けた後に,地下鉄仮想駅で車両に乗 せられ,突然,煙が噴出する中,自分でドアコックを開いて脱出する,という訓練を受 トライターは許される」しかし,それも程度問題である.純文学がダメなのと同じよう に,クラシック音楽もダメ,と世間が判断した.この判断も 10 年後には変わろう.

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1 ●節●  41

“まさか”の失敗の典型例

─福島第一原発の事故─を学ぶ

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.福島第一原発事故の主原因を分析する

福島第一原発を“脱関心”してはいけない  「はじめに」で書いたように,そもそも筆者が本書を執筆しようとしたキッカケは, 2011年 3 月 11 日から始まった福島第一原発の事故である.この事故の中には,たく さんの教訓が含まれている.しかし,その後,2015 年現在,この事故の最大の問題 点は,国民の「脱関心」になった.2014 年 2 月の都知事選では,細川・小泉元首相 の脱原発の主張が空回りした.事故から 4 年も経つと「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」 のごとく,事故なんかどこにもなかったかのように日本国は動いているのである.  最近,筆者のもとに,ある出版社から失敗学の書籍の企画が持ち込まれた.最初に, 「福島原発事故の本は絶対に売れないので,それ以外の失敗を扱ってください」と釘 を刺された.確かに多くの新聞・テレビで各種のアンケートが実施されたが,2014 年になると,賛否分布はどれも原発再稼動派が多かった.つまり,再稼動派 50%, 脱原発派 25%,意見保留 25%という比率である.事故直後は脱原発派一色だったの に…….現在の安倍政権は経済優先・再稼動派なので,徐々にこの比率は増えていく のだろう.  筆者の学部 3 年生向けの設計工学の講義(2014 年 4 月,出席 101 人)において, 小テスト形式で,原発運用に関する意見を学生に聞いた.その結果,再稼動(フラン スのように積極的に) 48%,期限付再稼動(ドイツのように消極的に) 31%,即停 止 8%,無回答 13%であった.理系学生は一般市民の 50%よりも,(フランス式にせ よドイツ式にせよ)再稼動支持率が 79%と高かったが,学生を含めて筆者も,決し て積極的に電力会社を応援しているわけではない.筆者の大学内で実際に起きたのだ が,事故直後の世間からの攻撃(たとえば,原発関係の教授室のドアが損壊され,事 務室に無言電話がかかりまくった)を忘れずに,世間の隅で静かに脱関心派を装って, 潮目が変わるのを待っているのである.世間は,原発をゴリ押ししたのはいわゆる“原 子力ムラ”の面々で,それは東大工学部の原子力工学科出身者で占められていると見 ている.しかし,原子力は 1970 年頃,夢のある花形の工学であり,東大の中でもっ

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42  Ⅲ “まさか”の失敗の典型例─福島第一原発の事故─を学ぶ とも進学振分点数の高い優秀な人材が進学選択したのも事実である.もともと原子力 ムラの面々は賢いのである.偉くなっても不思議ではない.  世の中は無関心でも,筆者は失敗学講演のときは関心を示して,できるだけ福島第 一事故を取り上げている.それも,できるだけ簡単に構造を説明し,できるだけ単純 に失敗に至るメカニズムを説明している.このとき,事故時の東電のテレビ会議の様 子(人名を隠すためのピー音付きのもの.東電の HP で公開中)を流すと,緊迫感が 伝わってもっとも関心を示してくれる.要は説明方法が重要であり,それによって関 心度も変わるのである.しかし,国民はその説明の席まで足を運んでくれない. 福島第一原発事故の最大の主原因は“電脳死による作業遅延”である  図Ⅲ.1に,福島第一原発事故の原因相関図を示す.二重枠で囲んだのが,筆者が思 うところの主原因である.本章で図の内容を後述していくが,まず主原因から概説し よう.図内に四つある. 図Ⅲ.1 福島第一原発事故の原因相関図

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1 ●節●  43 (a) 慢心によるリスク不感症:2011 年以前は日本の原発は安全に運転され,その安 全性が評価されて輸出品として将来が期待されていた.ところが,2001 年にアメリ カで 9.11 テロ攻撃(失敗百選,事象 23.1,2001 年)が起きて,その減災対策として いわゆる B.5.b とよばれる行政命令(事象 61.2)が米国で作られた.また,2000 年 頃から貞観地震の地質学的調査が実施されて,1000 年に 1 回の巨大津波の対策検討 (事象 61.4)が必要だとわかった.それでも日本は原発を安全に運用できていたので, いまひとつ積極的に減災対策に注力できなかった.さらに,後述の(b)組織疲労がエ ンジニアの活力を奪って,リスク不感症を重症化させていった. (b) 書類作成による組織疲労:電力会社に就職して原子力部門に配属されたエンジ ニアは,誰でも「原子力は書類作成の仕事が多すぎる」とよく不満を口に出す.また, 火力のエンジニアが原子力に配属転換されると,その作成書類の厚みに仰天する.と くに,2002 年のシュラウド亀裂の隠蔽事件(失敗百選,p. 345,事象 61.10 として本 書で再び詳説)後に,保安院が設置されて,書類の正確な作成とその公開が義務づけ られ,書類作成作業時間は倍増した.これは“ボディブロー”のように組織疲労に効 いてくる.つまり,書類作成のために事務所に詰めることが多くなり,現場に入る時 間がなくなってきてリスクも検知できず,また,疲労困憊で新たに改善設計を始める 気力も殺がれた.  筆者は以前,中国電力の島根原発の点検不備問題(2010 年)の担当者と話す機会 があった.スイッチやモータのような壊れにくい機器の定期点検時期を守らずに,点 検漏れ 511 箇所,実績上の点検不備 1160 箇所が見つかった事件だが,過去の担当者 が点検間隔を他社よりも短く,安易に見積もったのが原因だった.原発の安全には直 接・速急的に影響しない機器ばかりだったが,自主基準遵守違反に対しても保安院の 攻撃は容赦なく,必要な提出書類の厚さが数十 cm と厚くなった.調査中に部長が自 殺し,担当者が疲れきっていたことを思い出す. (c) 電脳死による作業遅延:(a)∼(d)の四つの主原因の中でも,筆者はもっとも影 響の大きかった主原因が(c)の電脳死による作業遅延であると思う.実際に大津波に 襲撃された原発は福島第一原発だけでない.津波を受けた 15 基のうち,福島第一の 5,6 号機,福島第二の 1∼4 号機,東海 1 号機,女川 1∼3 号機,東通 1 号機の計 11 基は,津波を受けても冷温停止に成功している.どこが違ったのかというと,制御電 源(直流バッテリ)が津波によって喪失したか否か,つまり,コンピュータや制御回 路が動いたか否か,ということに尽きる.  制御装置が停止することを筆者は“電脳死”と表現した.本当に人間の脳死と同じ で,手足や臓器が生きていても,脳死になると意味のある動きができなくなる.実際,

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44  Ⅲ “まさか”の失敗の典型例─福島第一原発の事故─を学ぶ バルブを開けようにも,中央操作室のスイッチを押しても引いても倒しても開かない. 福島第一では真っ暗闇の中,大きなバルブの前に自動車用バッテリとエンジン付きコ ンプレッサやボンベを運んで配管配線につなぎ込み,それこそ手を使った手動で開け なくてはならなかった.これでは,すべての必要作業が遅れて後手に回ることになり, 結局,燃料棒損傷に至った.  現代の機械にはどれにもコンピュータ(または制御素子)が搭載されている.筆者 の家庭を見回しても,自動車,風呂,便座,ポット,ジャー,エアコン,掃除機,テ レビ,ビデオ,照明,洗濯機などにはコンピュータが付いており,ないのは自転車く らいである.じつは,電脳死こそ,現代の機械の最大の弱点である. (d) 安心率 10 倍化による復興遅れ:機械設計者は“安全率”という係数をかけて 強度に余裕をもつ.だから,原発の圧力容器の内圧が最高設計圧力を超えても,誰も 鉄の板が破裂するとは思わなかったのである.たとえば,一般に安全率はボイラの圧 力容器ならば 4 だし,エレベータのロープならば 5 である.しかし,今回は事故後に, 許容放射能が 100 から 20,20 から 1 mSv/y (年間ミリシーベルト)と小さくなった. 確かに小さければ小さいほど肉体に安全だが,除染の規模が桁違いに大きくなる.事 故直後の 2011 年 4 月末では,20 mSv/y ならば期間限定で昼間に高齢者が住むくら いなら許容される,というのが世間のムードだった.  ところが,2011 年 4 月 29 日の小佐古敏荘教授(東京大学)が参与辞任の記者会見 (事象 67.1 で詳説)で,「校庭の 20 mSv/y を子供に容認させることは,学者として 受け入れられない」と涙ながら述べて,世評は一気に引っくり返った.さすがに内閣 参与の発言だから重みがある.その後,20 倍の“安心率”がかけられて,1 mSv/y で土壌除染から農作物,魚介類まですべての許容量が計算された.許容量が 10 倍違 うと除染費用が 10 倍大きく,復興期間も 10 倍長くなる.  除染に膨大なお金をかけるくらいならば,福島県民の人間ドック無料化に踏み切った ほうがよい.早期がん発見につながって,広島市と同じように寿命日本一を達成できる. 「放射線医が語る被ばくと発がんの真実」(中川恵一,KK ベストセラーズ,2012 年) では,事故後の被ばくデータ収集から継続的観察までを提案して,筆者は当然と思って いたが,低被爆の危険性を強く主張しないからか中川先生がマスコミから攻撃されてし まった.英国政府のサー・ジョン・ベディントン科学顧問は正確に事故分析して,東京 在留の英国民に,避難は不要と説明した (事象 67.1 で詳説).結果を見れば,中川先生 やベディントン氏の主張が正しかったが,もう誰も覚えていない.  そもそも小佐古先生のような放射能測定のスペシャリストを,民主党政権が復旧方法

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1 ●節●  45 福島第一原発は日本のどこのメーカにも潜在する要因を有していた  もう 1 回,図Ⅲ.1を見て欲しい.この図を描いていたときに気づいたのだが,じつ は日本のどこのメーカにも潜在する要因を有していた.原発特有なのは,右上の「(o) 原発反対派に対する終わりなき応対」くらいだろう.  つまり,上述した「(a)慢心によるリスク不感症」や「(b)書類作成による組織疲労」 は,大事故を起こしたときに,日本のどこの会社でも共通的に非難される問題点であ る.たとえば,下記のような記事をどのような事故に対しても,事故後の新聞で見る ことができる.すなわち, ・経営者は信頼性世界一の世評で慢心し,未完成の自社技術を軽信した ・経営者がデータ管理を不相応に命じたので,現場は書類作成に追われてリスクを看 過した ・経営者がノウハウを有する熟練職人をリストラしたから,残った者が多忙になり漫 然と作業した.  この新聞記事を読めば,エンジニアは内容が自社で起きている雰囲気と同じなので, 他社でもそうだったのかと簡単に信じる.それくらい日本に(たぶん,世界のどこの 先進国にでも)共通している問題点であった.効率性を異常に重視してそのポリシー に絶対服従するのである. を総合的に立案する“内閣参与”に命じたことも不思議である.筆者は 2015 年 1 月 15 日に初めて先生からこの会見のときの気持ちを聞くことができた.先生によると,有事 だから 10 mSv/y 程度は仕方がない,許容値をさらに小さくするとチェルブイリのよう に復旧できなくなる,妊婦と子供に対しては 1 mSv/y にすべきだろう,と述べたそう である(NHK から会見資料が公開されているが,その内容とほぼ同じ).許容量の相 場としては正しい判断だったであろう.  しかし,マスコミは,先生が感情を激して 1 mSv/y を口走った 15 秒間だけを切り取っ て繰り返し報道した.次の日に抗議の電話が大学に 2000 件かかってきて,先生は身を 隠した.マスコミの情報操作に悪意を感じる.雪印乳業の集団食中毒(失敗百選,事象 26.1,2000 年)のときに,社長がマスコミに追いかけ回された事件と似ている.エレベー タに追い詰められた社長が思わず「私も寝ていないんだ」と叫んだが,その 15 秒間だ けがカットされて繰り返し報道され,雪印は総合食品会社から元の乳製品会社に縮小さ れた.

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46  Ⅲ “まさか”の失敗の典型例─福島第一原発の事故─を学ぶ  東電の原子力部門は危険性を理解していても,「原発のリスクはじつのところ小さ くはない」とは口が割けても言えないから,余計にマスコミから慢心と見られた(給 料も高いので高慢とも見られた).そして実際に社員が真面目でモラルが高かったか ら,書類作成にも過度に取り組み,社内でも原子力部門は奇異に思われた(多忙すぎ る外科医が医学生から忌避されるのと同じ).  なお,東電社員をはじめ,協力会社,市町村長,住民の日本人は,世界的に見れば 真面目でモラルが高かった.これは事実だから,当然ながらポジティブな結果も生ん だ.つまり,エンジニアの事前の耐震設計や建築施工で手抜きがなかったから,大地 震でも原発内の装置や配管が損傷しなかった.また,国から命令されなくても,いざ となったら消防車で注水できるように屋外に注水栓・消火配管・防火タンクを自主的 に設置していたから,結果的に「(g)冷却・耐震設計を実証」できた(けれどもそれ をフル活用できたか否かは別の話).また,4 号機爆発後も現場に残った 50 名を“フ クシマ 50”と外国メディアが褒め称えたように,東電社員が生死を賭けて従事した ことで「(h)現場の献身的な作業」姿勢も示した.また,周辺の住民も市町村長の指 示のもと,整然と避難し,「(i)住民の秩序的な撤退」で日本人のモラルの高さを世界 に示した(一部の病院患者の撤退では混乱が死に直結してしまったけれど).  となると,現場には問題がなく,逆に指導層の本社幹部,経営者,政府首長などに 問題があった,ということに落ち着く.指導層を攻撃する書籍も多いから,100 年後 には皆がそのように信じるだろう.太平洋戦争の敗因として,日本軍の兵隊は強かっ たのに,指導者が硬直化して弱かった,と論じる書籍は多い.また,バブル崩壊後の 日本企業の停滞原因として,生産現場が強いのに本社の戦略部門が弱いから,とステ  企業人の自由と規律,自主性と服従性,創造性と効率性のバランスを語るとき,いつ も引き合いに出されるのが,3M の 3 代目 CEO のウィリアム・マックナイト(William McKnight)の次の 1948 年の教書である(とくに従業員の失敗に関する部分を抜粋):  Mistakes will be made. But if a person is essentially right, the mistakes he or she makes are not as serious in the long run as the mistakes management will make if it undertakes to tell those in authority exactly how they must do their jobs.

 従業員は失敗するが,長い目で見れば管理する上司があれこれ手足のように命令する 失敗よりも深刻ではないという意味である.箸の上げ下げまで指示されると,自主性が なくなり創造性がなくなり,世の中の動きに追従できず会社もつぶれる.3M は 15% ルールをはじめに行動の自由を認めている.東電は,結果的にその裏返しを実行してい たわけである.

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1 ●節●  47 レオタイプの日本人論を再び論じる書籍も多い.  しかし,筆者が福島事故を公平に見る限り,現場も指導者も偏ることなく皆,モラ ルが高かった.また,対処中に誤判断もあったが,それが現場・指導層のどちらかに 偏ることもなかった.つまり,福島事故の現場・指導層の当事者をほかのどのような 日本人に代えても,結果は同じであったろう.民主党でなく,自民党だったら減災で きた,という説も怪しい.ヒーローを敢えて挙げれば,1 週間,指示を出し続けた吉 田昌郎所長(当時)か,高い放射線下にベント弁を開けに入る現場の“決死隊”であ ろう.しかし,国民にはハリウッド映画のスーパーマンや敏腕弁護士みたいに颯爽と 映らず,どちらかというと一人で殴り込みをかける高倉健演ずるヤクザみたいに悲愴 である. 福島第一原発事故は,多くの組織的原因も内包していた(その 1)  次に,図Ⅲ.1の右側の組織的な問題を分析してみよう.東電の原子力部門はどのよ うな組織文化をもっていたのだろうか.新聞で強調されていたのは,「(j)定期点検の 短縮による稼働率の向上」である.つまり,生産の高効率化・低コスト化だけに注力 した結果,安全対策が疎かになった,というシナリオである.  福島原発における「安全よりも効率化」が証明されたら,三池炭鉱の炭塵爆発(失敗 百選,事象 25.11,1963 年)と同じ原因構造になる.三池の爆発では「利益重視の経営 者が散水する保安部門を縮小したのが原因」とどの資料にも載っていて,歴史として定 着している.そのような歴史を教われば,いわゆる軍艦島(長崎県の端島炭鉱)でさえ, 世界遺産登録に反対する韓国大統領の指摘するとおり,「三菱合資会社が人民を酷使し た悲劇の“奴隷島”」と見えてしまう(日本の高校生もそのように見ているだろう).と ころが,軍艦島の労働者の給料は本土のエンジニア並であり,住居の不燃耐震の鉄筋コ ンクリート化や,テレビ普及率 100%という本土以上の生活も事実であり,歴史書の奴 隷島も短絡的な見方であることがわかる.  福島第一原発(1 号機竣工 1967 年,完成 1971 年)のたった 10 年前に,高度成長期 の切り札として黒部第四発電所(クロヨンダム,1956 年竣工,1963 年完成)が作られた. 工事犠牲者 171 名を出したが,「黒部の太陽」のようなヒーロー映画も残し,国民の意 識にポジティブの感情を植え付けた.しかし,発電量はたったの 33 万 kW である.福 島原発で最小型式の 1 号機でさえ 46 万 kW とクロヨンよりも大きく,現在の火力発電 所ならばアッという間に 100 万 kW 級が林立する.高度成長への寄与率は水力よりも 原子力,原子力よりも火力だった.歴史を鵜呑みにするのではなく,自分で遺跡を見学 して 1 次資料で勉強し,その当時の雰囲気を想像しないと,簡単に事故時の技術やその

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48  Ⅲ “まさか”の失敗の典型例─福島第一原発の事故─を学ぶ  稼働率を向上させるということは,競争力を高めるために,株式会社が必ず実行す べき行動の一つである.政権末期の共産主義国家や民営化前の日本国有鉄道は,労働 組合員が「余剰人員を生むような効率化は悪である」と訴え,効率化という言葉自体 が憎まれた(現在の新聞にも効率化はネガティブなイメージを伴って書かれる).し かし,いま,日本に国鉄のような効率化反対の民間企業があれば,確実に倒産する. 筆者が思うに,東電は原子力部門でさえ,日本の製造業に共通する長所・短所を有し ており,とくに生産文化的に異常なところはなかった.しかし東電は,規制産業であ り,従業員の給料が高く,時の政府にも献金しただろうから,多少の嫉妬を受けて集 中攻撃された.有名私学の教授は,給料が国立大学よりも 3 割高いという理由で,学 会で多少の嫉妬を受けて,何かトラブルが起きると執拗に攻撃されるのと同じである.  東電は,低コスト化の施策として,協力会社に依存する「(k)非直営体制」を選択 した.これが事故時にはブレーキになった.たとえば,命綱の消防車の運転は南明興 産という協力会社に依存(事象 65.2)していたし,水素爆発後の瓦礫の除去のため の重機の運転はこれまた協力会社や自衛隊に依存した.会社が違うと請負契約以外の 何の仕事を頼むにしても,社長から社長へと頼まねばならない.つまり労務契約を結 ばない限り,現場で速やかに直接に命令できない.しかし,いまや日本国中の会社が 非正規社員を大量に使っており(全労働者の 40%が非正規),東電だけを異常だとは 言えない.  また,事故後に,米国の原子力関係者から,東電はメルトダウンしても放射能漏出 だけは防ごうという気合いが見えず,「(f)減災方法の想定不足」が原因である,と指 摘された.確かに,事故を絶対に起こさない,という“防災”方法はよく考えていた のに,起きた後に何をすれば損害を最小限に留められるのか,という“減災”方法を さっぱり考えていなかった.もっとも,前者の防災方法でさえ積極的に考えていたと いうより,消極的に真似したというのに近い.証拠の規制でさえ,米国の規制を翻訳 して叩き台にし,結果的に模倣した.とにかく,日本の原発は「インチをセンチに変 えただけ」と揶揄されているように,米国の GE (General Electric)社か,WH (Westinghouse Electric)社の技術を直輸入した.改良したのは,日本の事情に合わ せた耐震構造だけである.自分で設計していないので隠れた制約条件がよくわからず, 設計の基本的なところは容易に改造できない.となると,1 号機のようにデッドコ ピーして規制も翻訳するしかない. 管理方法を解釈できないと思う.

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2 電脳死軽視  155

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電脳死軽視

失敗シナリオ 62  福島第一原発事故は,図Ⅲ.1(c)に示したように,技術的には“電脳死”による作 業遅延が主原因となった.福島第二原発は第一と同じような状態になっても,直流電 源(バッテリ)が生きていたので,中央操作室からプラントを監視・制御できた.制 御装置の電源喪失は,現代の機械のアキレス腱切断に等しい.一見,ささいな故障に 思えるが,電脳死するとすべての器管は操作不能になる.皆がそのリスクを薄々,知っ ていたのだから,軽視せずに予備バッテリを買っておけばよかった.現在の若者はス マホ依存症である.スマホのバッテリが切れるとスマホが電脳死になるだけでなく, 持ち主の若者も腑抜けの脳死もどきになる.遠出するときは充電器を忘れてはならな い. 2.1 福島第一原発は制御電源を喪失,減圧・消防車注水・ベン トが遅れ 事象 62.1 東京電力福島第一原発,図 2.1∼2.3,文献[3]∼[9]  福島第一原発は津波によって直流電源を失い,中央操作室からセンサも読めず,装置やバ ルブも操作できず,つまり“電脳死”状態になってしまった.何をやるにも現場に行って手 動でやらねばならず,その結果,圧力容器減圧,消防車注水,ベントラインの開放などがす べて遅れてしまい,結局,メルトダウンに至ってしまった.これを防ぐにはとにかく直流電 源(バッテリ)が必要だった. シナリオ   2011 年 3 月 11 日 14 時 46 分,震度 6 強の地震発生.空気遮断機破損   福島第一原発の 1,2,3 号機,1.6 秒で制御棒挿入して臨界停止(スクラム)   スクラム後,外部電源喪失で非常用ディ−ゼル発電機(D/G)起動   全機で主蒸気隔離弁を閉,閉じ込め機能を損なうような配管損傷なし   1 号機で非常用復水器(IC)を 3 回にわたって自動起動・停止   2,3 号機で原子炉隔離時冷却系(RCIC)を手動起動.ここまでは順調   15 時 27 分に津波第一波.35 分に第二波.高さ 11∼17 m で致命的   海抜 4 m の海水ポンプが水没,海抜 10 m のタービン建屋も被水   タービン建屋地下,1∼4 号機の全 D/G・配電盤・バッテリが被水   直流電源を含む全電源喪失. IC は自動停止,RCIC は稼動継続   共用プール建屋内の空冷の D/G の 2 台は被水したが,稼動可能

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156  Ⅵ 福島第一原発は事故に先立って何が問題だったのか   だが配電盤が損傷したので配線できず,D/G や電源車から通電不能  地震後から津波襲来までは,当日の制限条件下でベストな対応を,現場は実行でき た.つまり,日頃訓練していたとおりに,制御棒を入れて主蒸気弁を閉めて,非常用 ディーゼル発電機と高圧系の冷却装置を起動し,パーフェクトだった.また,大地震 にもかかわらず,機器に 0.1 cm2 超の穴が開くと各種の測定値に変化が現れるのだが, 放射線・圧力の変化は見られず,圧力容器も配管も損傷がなかった.耐震設計が完璧 に機能したので,工学の勝利である.  そして最悪の津波が襲ってくる.2 号機は,RCIC が幸運にも津波前に稼動してい たので,その後も“Fail As Is”(なすがままに)で稼動継続できた.歴史に if は禁 物だけど,もっとも残念だったことは,1 号機の IC が“Fail Close”(フェイルセーフ, Closeは閉の意味のクローズ,接近の意味のクロースではない)になるようにインター ロックが設計されていたことである(事象 63.1 で詳説).つまり,津波後に直流電源 が落ちたときに,自動的に弁が閉まって IC も停止してしまった.それなのに,福島 の現場も東京の本店も保安院も安全委員会も,そのようなインターロックがかかるこ とを誰も知らず,仮に知っていた人がいたとしてもそれを誰も示唆しなかった.1 号 機の IC は 40 年間でたぶん試運転時に数回しか動かしていないので,いまの運転員 がそのインターロックに気づくはずがない.  その後,夜になるまで,運転員は IC が引き続いて稼動している,と信じ続けた. もし IC が稼動していたら,“豚の鼻”とよばれる排気口から蒸気が凄まじい音と一 緒に噴出し,一目瞭然だったであろう.しかし,運転時の状態を知らないのだからわ かるはずがない.残念ながら IC 稼動という判断は“恥の上塗り”に終わった.  海岸の海抜 4 m 地帯に設置されている海水ポンプは,モータが津波で冠水して全 滅した.当然ながら,海水ポンプは最低位置に設置されていたので,もっとも津波に 弱かった.まず,海水ポンプで送出されるはずの冷却用海水がなくなり,非常用ディー ゼル発電機の水冷タイプのものが停止してしまった.そして,同様に主復水器も残留 熱除去系(RHR,副復水器に相当)も使えなくなった.でもよく考えれば,波高 8 m程度の 100 年に 1 回級の大津波が襲った場合でも,海水ポンプがやられることは 薄々,予想できたはずである.予想できたからこそ,非常用ディーゼル発電機には空 冷タイプのものも原子炉 2 基に 1 台ずつ,用意したのであろう.設計どおり,空冷 タイプは発電し続けたが,津波が 1000 年に 1 回級の殺人津波だったので,発電した 電気が給電されるはずの配電盤が全滅して使えなかった.福島第二や第一の 5,6 号 機は配電盤が生きていたので,空冷タイプがその後の命綱になった.  数日間,圧力容器の中に消防車で注水し続けると,熱の捨て場所がないから 2 号機 の 3 日後のように格納容器の中の水が沸騰して圧力が上がる.また,1 号機のように,

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2 電脳死軽視  157 ベントし続けると放射能も飛散し続けるようになる.沸騰するまでに,電源車を搬送 し,交流電源を引き,モータを交換して,RHR を再開しないとならないが,福島第 二では 3 日間かかった.  しかし,津波直後は,3 日後の RHR の心配をする暇はなく,高圧系の冷却装置の 起動に運転員は集中した.それさえ動けば,1 日後には減圧して消防車で注水でき, 3日後には RHR で抜熱できる.  電源は,外部電源の送電線,遮断機,高圧配電盤(メタクラ,Metal-Clad Switch Gear),低圧配電盤(パワーセンタ,Power Center),バッテリ,末端配線の順に配 線されて,電圧が下がって行く.  電気系で最初に残念だったことは,第Ⅲ章で述べたように,福島第一では空気遮断 機を 1∼4 号機まで使っていたことである.これは時代遅れで耐震性の低い遮断機で あり,案の定,地震によって長い碍子が折れて全滅した.3 号機は最新でタンクに封 入されて耐震性の高いガス遮断機に更新工事中であった.福島第一の高電圧送電線は 7系統のうち,4 系統は鉄塔が倒れずに生き延びていたので,もしガス遮断機に更新 されていれば,1 系統くらいは外部電源として 1 日以内に復旧できた可能性が高い. そうだとしたら(それ以降の配電盤・バッテリ・末端配線もどれかが生きていたと仮 定すると),福島第二,女川,東海で実証されたように助かった可能性が大きい.  結局,外部電源が復帰するのに 10 日間かかった.しかし,電源車も 60 台近く集まっ たので,仮に原発内部の配電盤・バッテリ・末端配線が生きていれば,福島第一原発 はそれから 1 日以内に冷温停止できただろう.もし配電盤のうち,1,2 号機のどち らか一つ,加えて 3,4 号機のどちらか一つの配電盤が使えれば,大事に至らなかった. つまり,空冷タイプの D/G から,あるいは電源車から,配電盤へと電線をつなぎ込 むことができた.  遮断機と配電盤の if は諦めるとしても,決定的に残念だったことは,1,2,4 号機 がバッテリまで被水したことである.3 号機のバッテリは地下の中 2 階に設置されて いたので,海水がその下に流れて,ラッキーなことに生き延びた.そのバッテリ(と それより先の末端配線)のおかげで,3 号機は 1 日半後くらいまでは中央制御室から 直流駆動のバルブ,RCIC,HPCI が操作でき,水位と圧力センサの数値を読み取る ことができた.1,2 号機の中央制御室と比べると,大きな違いである.  1,2 号機の中央制御室は室内灯も操作盤も真っ暗になり,ここのシナリオで注目 する“電脳死”に至ったのである.電脳死すると,何をするにもバッテリを担いで, 操作盤の裏のタップか,またはバルブとセンサの前まで出向いて直接通電しなければ ならず,すべての作業が遅くなって対応が後手になる.  なお,福島第一原発のうち,4 号機は長期の定期点検中で圧力容器内に冷却すべき

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158  Ⅵ 福島第一原発は事故に先立って何が問題だったのか 発熱源がなかったので,また,5,6 号機は短期の定期点検中で崩壊熱は残っていたが, D/G・配電盤・バッテリ・末端配線が生き残っていたので,それぞれ容易に冷温停 止できた.  図 2.2 の上段に示すように,福島第二,女川,東海もそれぞれ同様に冷温停止でき た.その手順は,図 2.1 に示したような“勝利の方程式”のシナリオどおりである. “勝利の方程式”とは,俗に,筆者の好きな阪神タイガースが優勝した 2005 年のと きの試合後半の投手リレーである.ジェフ・ウィリアムス,藤川球児,久保田智之の JFKで 7 回から継続して 8 割の勝率を上げたが,その投手リレーと同様に,RCIC, 減圧,消防車,RHR とリレーすれば福島第一も生き延びられたはずである. 図 2.1 冷温停止までの“勝利の方程式”  つまり,具体的にまず,(a)IC や RCIC のような高圧系冷却装置を駆動して,約 70気圧の圧力容器の中に注水する.次に,それが動いている間に逃がし安全弁(SRV, Safety Relief Valve)とベント弁を強制的に開いて圧力容器・格納容器を減圧させ, (b)数気圧に減圧させた圧力容器に消防車のような低圧系冷却装置を用いて注水す る.最後に,それが動いている間に熱交換器や海水ポンプを直して,(c)循環系冷却 装置で冷温停止させる.もっとも,このシナリオは,沸騰水型原子炉(BWR)のプ ロのエンジニアには,当たり前の話である.吉田昌郎所長も,11 日 17 時 12 分に, この“勝利の方程式”どおりに,消火系で対応せよと指示している.とくに 3 台の中

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2 電脳死軽視  159 図 2.2 “勝利の方程式”を使って冷温停止させるまで推移 でたった 1 台残った消防車を使って,減圧後,原子炉内に注水することは奇策である. あまりに奇策だったので,実際にそれが始まったのは翌日未明であったが…….  福島第一の 1,2,3 号機は,図 2.2 の下段に示すように,“電脳死”によって“勝 利の方程式”は完成しなかった.つまり,1∼3 号機とも,減圧と消防車注水の作業 が遅れた.図 2.2 の“弁開かず”が SRV の開の遅れを示している.図 2.1(b)に示す ように,SRV は窒素雰囲気の格納容器の中に設置されているので,ハンドルを手で 回して開けることはできないのである.その結果,水位の低下,燃料棒の露出,メル トダウン,水素発生,水素爆発,配管・配線の損傷,と泥縄的に“敗北の方程式”の 線上を転がり落ちることになる.それぞれの号機ごとに“敗北の方程式”の事象を紹 介しよう.まずは 1 号機から,つるべ落としのように状況が悪化していく様子を示す.

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