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八識思想の成立について -- 楞伽経の成立年時をめぐって --

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私は一昨年、﹁阿頼耶識思想の成立とその展開l末那 識の成立をめぐってl﹂︵大谷学報第四十九巻第二号︶とい う小論文を発表した。その折、紙数の関係で拐伽経につ いての検討はまたの機会にゆずるということにしておい たので、ここに娚伽経の成立年時を検討しながら、﹁八 識思想の成立﹂の問題を再検討してみようと思う。 枅伽経の成立年時に関しては、鈴木大拙博士は﹁枅伽 経なるものは何時作られたかと言うに、それは固より判 然わからぬ。⋮⋮即ち第四世紀の頃には既に出来て居た ものであろう﹂︵鈴木大拙全集第五巻﹁傍伽経﹂四六九頁参 照︶といっておられる。 しかるに宇井博士は﹁佛教経典史﹂︵昭和三二年刊︶の

八識思想の成立について

l傍伽経の成立年時をめぐってI

中で ① ﹁拐伽経は一般に大乗起信論の基づく経といわれ、 従って古い経であるが如くに考えられて居るが、⋮ ⋮世親以前に存したとは考えられないから、恐らく 四○○年頃のものであろう﹂ ② といわれ、また印度哲学史の中では ﹁此経︵娚伽経︶は世親の時代には恐らく未だ現わ れずして其没後間もなく現われたのであろう﹂ といって、拐伽経の成立を世親以後としておられる。こ れに対して西尾京雄氏は﹁枅伽経の成立年代に就て﹂ ︵宗教研究新第九巻第五号一二三頁参照︶において、拐伽経 が提婆時代︵一七○’二七○年頃︶にすでに存在していた ことを、以前主張しておられた。 最近では中村元博士の﹁インド思想史﹂︵一九五六年︶

橋尚哉

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にも紹介されており、この害はかなり詳細に年時が入っ ており、便利な書であるが、梧伽経に関しては、 ③ ﹁如来蔵思想と唯識説との綜合として﹁携伽経﹂ P目丙割く四薗国︲印昇国︶が成立した﹂ とあるのみで、世親以前に成立したのか、以後に成立し 4 たのかについては言及されていない。ただ如来蔵思想の 項で﹁拐伽経﹂を第三期の典籍とし、第二期の典籍に世 親の﹁佛性論﹂や﹁摂大乗論釈論﹂をあげていることは、 榴伽経の思想を世親以後と解しての分類のようにも思わ れる。 また山田龍城博士の﹁梵語佛典の諸文献﹂︵大乗佛教成 立論序説、資料篇︶では、枅伽経については数ヶ所︵一○三 頁、一○四頁等︶出ているが、これまた糯伽経の成立年時 については明確でない。 次に水野弘元博士還暦記念﹁新・仏典解題事典﹂︵中村 ⑥ 元、平川彰、玉城康四郎編︶には、枅伽経の項で﹁原本の 成立はおそらく四○○年前後と見られる﹂とあり、参考 ⑥ 文献として常盤大定博士﹁支那仏教の研究第二﹂と両. ]・弓ゴ○冒儲の己5国尉言昼旦田口。。ご望月ロ○二哩詳と があげられている。 世親の年代を従来通り三二○年’四○○年頃とすれば、 西尾氏の説は例外として︵梧伽経の成立年代を提婆時代 まで測らせることは私には疑問であるが︶、一般に枅伽経 の成立︵四○○年頃︶は世親と同時代か、やや後と考えら れているようである。 さて四巻梧伽︵求那政陀羅訳︶の訳出が四四三年である ことは一応認めなくてはならないから、当時、インドか ら中国へ伝来した事情を考え合わせれば、常識的には娚 伽経が少なくとも三五○年’四○○年頃には成立してい たと考えなくてはならないであろう。︵ここでいう拐伽 経の成立とは、勿論、羅婆那王勧請品︵Ⅱ請佛品︶や、 最後の偶頌品などが附加される以前の原型の成立をい ﹄フ︶。 7 そうすると、世親の年時を従来通り三二○年’四○○ 年頃でよいかどうかという問題と微妙に関連してくるの

⑧⑨

であるが、最近、フラウワルナー博士や梶山博士にょっ ⑩ て、安慧の年代が五一○年’五七○年︵従来、四七○年l ⑪ 五五○年頃︶に訂正されつつある今日、干潟博士などによ って世親の年代も四○○年’四八○年頃︵従来、一三一○年 ⑫ ’四○○年頃︶に訂正される傾向にある。最近の著書の中 には、これらの説を受けて、すでに無著、世親、陳那、 安慧などの年時をかなり修正しているものもある。

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さて枅伽経の刹那品では次の如く明瞭に八識が説かれ ている。 4 0 ①計①のぐ①ぐ包庁門画葺四昏切くゆごぽぃくい四曾四巨○餌ぐ胃]ロ画ごロ。]Qぐ① ○四匡四胃幽含昌巨望①︵⑳寂や四画わ.]・己 ﹁この中に三自性、八識、二無我あり﹂ 更にこの文の直後には次のような偶文︵刹那品第五偶︶ 私がこのように娚伽経の成立年代を問題にし、世親以 前に成立したものか、以後に成立したものかを問題にす るのは、実は八識思想の成立と関連してくるからである。 すなわち、拐伽経にはサンスクリットテキストの上にも 明瞭に八識︵搦冨︲ぐ言曽国︶が説かれている。しかるに 世親の著書には、唯識三十頌にも唯識二十論にも、サン スクリットテキストの上で八識という語は見あたらない。

⑬⑭

︵もっとも、弥勒の爺伽論には漢訳、チー、ヘット訳による ⑮ 限り、八識は説かれているが、それに相当する個所のサ ンスクリット断片はまだ発見されていない︶。もし拐伽 経が世親以前に成立したものであれば、八識思想の成立 はサンスクリット原本による限り、梧伽経の記述が最初 ということになる。 |’ があり、そこでも八識︵尉冨︲ぐ言曽色︶が説かれている。 ⑰ も四画○四包丘mHR目創三のぐ四ずぽ脚ぐゆ・の○ゆく觜]ロ騨旨P昌昌画黒宙①ぐ四 ○由一Qぐ①ご印肖四斤口ごおごぽゆく⑦汁]︻門計⑳口○Hpmp倒望脚己四︲ も蝕凰mH色ず凹昏一切一一 ﹁五法、︹三︺性、八識、二無我はす尋へて大乗の摂 耐なる寺へし﹂ このことはこれに相当する四巻拐伽︵拐伽阿政多羅宝経、 四四三年訳出︶の上でも八識が説かれており、 ﹁是名二五法や三種自性八識二種無我﹂︵大正一六、 五一一中︶ ﹁五法三自性及与八種識 二種無有我悉摂二摩訶術一﹂︵大正一六、五二中︶ となっている。そしてその八識の内容については、やは り刹那品に ⑬ ]肉色詐四Hロロロ冨四巽四ロ昌四包巨庁蝕詐騨計固帥”四庁四四四局ごぽゅ勤]沙目⑳ご]l ]口凹口蝕1m四犀ご砂四ごQ洋○HpppOH国PpOぐ︺]ロ騨冒四目︺○餌も騨口○四 一○四ぐ]−.群ご騨丙脚昌幽の命]H計彦︺騨己目ご蝕吋口芹勤屋︵印穴.℃.いい、.﹄.副︶ ﹁何等をか八となす。謂く阿頼耶識と名づけられた 9 0︲ る如来蔵と、意と、意識と、外道によって語られた る五識身とである﹂ とあり、これに相当する四巻拐伽でも

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﹁何等為⑫八。謂如来蔵名﹂識蔵圭心意意識及五識 身。非二外道所説一﹂︵大正一六、五一二中︶ 鋤 となっている。この他にも枅伽経では八識を説いている ところがあり、糯伽経に八識が説かれていることは疑う 余地がない。それは古来より梼伽経は﹁五法、三性、八 識、二無我﹂を説くといわれているから、むしろ当然か もしれない・ ではサンスクリット原本による限り、世親の著書の上 にも説かれていない八識という語が、娚伽経の上にはサ ンスクリット原本の上にも何故に説かれているのである 鋤 うか。枅伽経ははたして宇井博士のいわれるように世親 以後に成立したものであろうか。それとも拐伽経は世親 以前に成立していたが、世親はそのような八識を語ろう としなかったのであろうか。 私はこれについて世親は携伽経を知っていた。すなわ ち拐伽経の成立は世親以前であるという有力な資料を示 鰯 してこの問題を検討してみようと思う。それは山口博士 も指摘しておられるように、世親造といわれる釈軌論 ぐ箇丙ご竿冒時丘に拐伽経の偶頌品の偶文が九偶も引用 ||’ されているからである。釈軌論には、 燭 の諸穂中に我はない。諸瀧は我でない。それらは︹愚 夫が︺分別する如くにはない。それらは︹不可言性 として︺無ではない。 ②愚夫が分別せる如くに、一切のものが有であり、そ れが見られている如くであるならば、一切が如実に 見られていることになるであろう。 ③︹また、そういう立場で︺一切が無なるよりしては、 雑染と清浄とは無となろう。けれども見られている 如くにそれらはあるのではない。またそれらは無で もない。 ” とあるが、これはまさしく娚伽経偶頌品の一三五偶、一 ㈲ 三六偶、一三七偶に相当している。さらに続いて釈軌論 ㈱ には枅伽経偶頌品一五○偶より一五五偶までの六偶が引 用されている。 ただここで注意しなくてはならないことは、釈軌論に は種々の経典名があげられているが、拐伽経という名は 見あたらない。いま拐伽経偶頌品が引用されているとこ ⑰ ろも、﹁解深密経中に﹁一切法は無自性云々と説いてい るが、かくの如き等のこれら一切は了義ではない﹂と出 ている﹂とあり、その後で﹁そこでそれらの経節の中で、

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燭 偶のみを掲げよう﹂といって、解深密経の﹃諸法無自性、 諸法無生、諸法不滅、諸法本来寂静云々﹄の偶を引き、 その直後に﹁余︹経︺にも﹂といって先程の拐伽経の三 偶及び六偶が引用されている。ここに余経というのみで、 従って釈軌論中に拐伽経という経名は見あたらないが、 両者を比較すれば梼伽経偶頌品と完全に一致しているこ とが知られよう。 ただ偶頌品は四四三年訳出の四巻拐伽にはないので、 鯨 初期の拐伽経には偶頌品はなくて、後世の附加ではない か。あるいは偶頌品の中には後世附加された部分もある のではないか、という疑問もあり、従って釈軌論に拐伽 経の偶頌品の偶の引用があるからといって、世親が枅伽 経を知っていたことにはならないという反論もあること と思箔フ。 しかし、私は最近、この偶頌品の一三五偶、一三六偶、 帥 一三七偶が枅伽経無常品の偶︵三五偶、三六偶、三七偶︶ てあり、四巻枅伽にもこの偶があることを見出した。四 巻拐伽︵求那賊陀羅訳︶では、

﹁陰中無し有し我陰非二即是我一

不し如二彼妄想一亦復非し無し我

一切悉有性如二凡愚妄想一

若如一一彼所見一一切応見レ諦

一切法無性浄職悉無し有

不三実如一一彼見一︲亦非レ無二所有︸﹂ ︵大正一六、五○○下︶ となっている。そしてこれに相当する七巻梼伽︵大乗入傍 伽経、実叉難陀訳︶では ﹁悪中無し有し我非二澁即是我一 不し如二彼分別一亦復非し無し有

如一二愚所二分別一一切皆有性

若如二彼所見↓皆応し見二真実一

一切染浄法悉皆無二体性一

不し如二彼所見一亦非レ無二所有一﹂ ︵大正一六、六一○上I中︶ となっており→両者は訳語の上に差異があっても、意味 内容は全く同じである。 四 帥 かくしてもし釈軌論が世親の著書であるという定説が 成り立つならば、世親は枅伽経の偶頌の一部を知ってい たことになる。ただここで釈軌諭が解深密経などの名を 明瞭に出しながら、拐伽経については﹁余︹経︺に云く﹂

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といって梧伽経の名を出していないことは、枅伽経が成 立しつつある時期であって、世親は拐伽経の偶文は知っ ていても、拐伽経なる経名を知らなかったのかもしれぬ。 あるいはこれらの偶文が他の経典にあって︵その経典が 現在伝わっておらず︶、娚伽経と釈軌論とがたまたま同 じ偶文を引用したということもありうるが、しかし釈軌 論が解深密経と並列して枅伽経の偶文を引用している状 態、及びその偶文が膀伽経偶頌品のみならず、無常品に も出ており、しかも四四三年訳出の四巻梧伽にもこの偶 文があることを考え合わせれば、やはり世親は拐伽経を 知っていたのではないかと思われる。 鰯 また安井博士も指摘しておられるように、梼伽経無常 品窃〆己忌巴に出ている 鋤 ﹁知が所縁の境を把握しないとき、そのとき、唯識 に住することがある。︹すなわち︺、識の所取が無な るによって、能取には、また、︹所取を所縁の境と して︺能取するはたらきがない。⋮⋮云々。という ことが世尊によって説かれているが⋮⋮・﹂ という文は、世親の﹁唯識三十頌﹂の第二十八偶、即ち 鋤 ﹁識が所縁を把握しないとき、唯識に安住する。所 取が無いとき、それを能取しないから﹂ という偶文と殆んど一致している。それ故、安井博士は 燭 ﹁入拐伽経が唯識説を伝統しつつ、しかも世親に年代的 に近いことを物語るもののように思われる﹂といってお られるが、この﹁唯識三十頌﹂の第二十八偶と梧伽経無 常品の文の類似は世親と膀伽経との関連を知る上にまこ とに興味深いものである。 かくして私は世親は娚伽経なる経典を知っていたので はないか。すなわち榴伽経は世親と同時代か、それ以前 に成立していたのではないかと思う。この結論は従来の

鯛帥

宇井博士や常盤博士の定説とは異なり、色々と反論も出 ることと思う。例えば常盤博士が﹁続支那佛教の研究﹂ に述べておられるように、 ﹁五法、八識、三性の如き中枢教義のみならず、二 種閨提、五種性、三種意生身、三身佛の如き特殊の 思想より見て之を﹁摂論﹂の後に属し、世親以前に 上るを得ず﹂︵一二五頁’二一六頁︶ とか、 ﹁拐伽経﹂の骨格は﹁球伽﹂﹁顕揚﹂﹁佛性﹂の諸 論に散説せらるる五法、三自性、八識、二無我であ り、又その中に是等諸論と共通する五種乗性や二種 閲提や三身説を説いてある。.⋮・・⋮これより推して

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このように考えてくると、拐伽経の成立年代は四巻拐 伽が四四三年に訳出されているので、やはり三五○年’ 四○○年頃にすでに成立していたと考えなくてはならな い。そこで問題となるのは世親の年代である。従来のよ うに世親の年代が三二○年’四○○年頃であれば、梧伽 経は世親と同時代に成立したことになるが、最近の説の ように世親の年代が四○○年’四八○年頃ということに なれば、世親が枅伽経を知っていても何等不思議はな 闘 い。否、世親の年代はグプタ王との関係からいえば、四 ○○年1四八○年頃の方が妥当であるのに、﹃梧伽経﹄ との関連で今なお三二○年’四○○年説が一般に用いら れているのである。従ってもし世親が拐伽経を知ってい たということになれば、世親の年代は干潟説︵四○○年’ 四八○年頃︶が有力になるのではないかと思う。 ﹁枅伽﹂の年代も大体世親と護法との間に置いて大 過はあるまい﹂︵七七頁︶ といわれている教義的な問題をどう理解すればよいかと いう疑問も残るが、これらの問題は今後の課題としてお きたい。 閉 さてそこで、世親は八識思想を説く枅伽経を知ってい ながら、何故、自らの著書︵サンスクリットの上で︶に 八識を説かなかったのかという疑問も残るが、おそらく 世親は八識を説く必要性を感じなかったのであろう。八 識を並列的にあげ、問題にするのは主として中国に入っ てからである。初期唯識思想においてはそれほど問題に 倒 されていない。従って世親も唯識三十頌第五偶において ﹁意と名づくる識﹂︵日四目○口窪目湧く昔営騨昌︶を説いて おり、玄英はこれを﹁末那﹂︵大正三一、六○中︶と訳し ているから、阿頼耶識と六識とを加えて一応八識になる が、世親はあえてこれを八識という形式では説いていな いのである。 また初期唯識思想においては、八識があまり問題にさ れないのに、漢訳ではあえて八識で解釈されている例と ㈱ して、大乗荘厳経論、菩提品第六十七偶を上げることが できる。サンスクリット本文では、 帥 ﹁大円鏡智は不動である。 平等性と妙観察とに於けると、 及び成所作に於けるとの三の智慧が それに依止している﹂︵宇井博士訳︶ ⑫ とあって、チやヘット訳も大体これに一致している。しか

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るに漢訳︵宇井本、第六十一偶に相当︶には ﹁四智、鏡不動、三智之所依。 ℃、、、℃ 八七六五識、次第転得故﹂︵大正三一、六○六下︶ となっていて、サンスクリット本文及びチ、ヘット訳には ない﹁八七六五識﹂という言葉が入っている。もっとも 漢訳者が用いたテキストと、現存の梵本とが異なってい たのではないかという疑問も残るが、これなど、初期唯 識思想ではあまり問題とされていない八識思想が漢訳さ れるとき挿入された好例であると思う。 以上、私は世親造といわれる釈軌論に引用されている 枅伽経の偶文が、枅伽経の偶頌品のみならず無常品にも 見出され、従って枅伽経の最も初期の形態を伝えている といわれる四四三年に求那政陀羅によって訳出された四 巻拐伽にも見出されることを手懸りとして、世親は梧伽 経を知っていたのではないか。すなわち枡伽経の成立は 世親と同時代か、それ以前であるという結論に達したわ けであって、これは従来の定説、娚伽経は世親以後の成 立であるという定説とは異なるが、今後の研究がこの問 題を解決してくれることと思う。何分にも若輩ゆえ、論 証の過程において不十分な点も多々あることと思う。皆 様方の御叱正御鞭燵をお願いする次第である。 ︵﹁八識思想の成立﹂に関しては結城博士の﹁心意識論 より見たる唯識思想史﹂︵三一四頁以下︶が非常に詳しい・ 私はサンスクリット文献を中心に﹁八識思想の成立﹂を考 察する内、唯識三十班第五偶に﹁意と名づくる識﹂・日四目○ 口p日ゆく言9国目とある記述に注目し、かってサンスク リット文献の上では唯識三十頌の記述をもって一応﹁末 那識の成立﹂といえるのではないかと論じたことがある。 ︿拙稿﹁末那識の源流﹂印度学佛教学研究第十六巻第一号所収、 ﹁阿頼耶識思想の成立とその展開﹂大谷学報第四十九巻第二号 所収﹀ しかしその折、枅伽経が世親以前に成立したものか、 あるいは以後に成立したものかについての確証がなかっ たため、﹁八識思想の成立﹂の起源を拐伽経まで洲らせ ることができるかどうか疑問であった。しかし梧伽経の 成立が世親以前となった今や、サンスクリット文献の上 では娚伽経に﹁八識思想の成立﹂の起源を求めなくては ならないと思う︶。 註①宇井博士﹁佛教経典史﹂一四九頁参照 ②宇井博士﹁印度哲学史﹂︵大︶四一九頁参照 ③中村元博士﹁インド思想史﹂二○○頁参照 側中村元博士﹁インド思想史﹂一六八頁参照 ⑤水野弘元博士還暦記念﹁新・佛典解題事典﹂九九頁参照

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⑥常盤大定博士﹁続支那佛教の研究﹂には﹁予は敢て﹁櫻 伽﹄を以て世親以後護法以前という﹂︵一二五頁︶とある。 ⑦中村元博士﹁インド思想史﹂一六○頁参照 宇井博士﹁印度哲学研究﹂︵第一︶四一四頁参照 宇井博士﹁印度哲学史﹂岩波書店︵大︶三八七頁、日本評 論社︵小︶三一七頁参照 但し宇井博士﹁印度大乗佛教中心思想史﹂︵三六○頁︶ には、﹁世親は四百年前後乃至遅くとも四百二、三十年頃 に死なれたものと考えるのが尤も穏当であろう。:::これ のみが唯一の正しいものであると信ずるのではない﹂とあ 々︿︺O 龍山章真氏﹁印度佛教史﹂一八四頁参照 ⑥国・吋国目餐昌の勗旧四目日閨房旨昏の冨鼻。q・自且菌口 ]o唱○︵弓尉目のH鼎冒。胃犀昏Ha①属口目。の目︲ロ且○m国︲ 里の国、ご︾忌日︶や]雪.]・函 ⑨梶山博士﹁清弁・安慧・護法﹂︵密教文化第“・鮨合併 号︶一五九頁参照 ⑩中村元博士﹁インド思想史﹂二○○頁参照 宇井博士﹁印哲研究第五﹂一三六頁参照 ⑪干潟龍祥博士﹁世親年代再考﹂三二一頁参照 霊嘩証鐸諦率集印度学佛教学論集︶一九五四年国・句3口︲ 急巴旨①H博士はこの点に関し、二人の世親︵古世親総。’ 鵠P新世親らCl盆e説を主張しておられる。︵目の宅冨︲ きめ名匡①号の国巨&冨目旨、ご患面認及びFp且目胃厨 旨建]の冨黒○昌旦冒昌四口旨担。︾夛国属の○.ぐ︾忌日.や ﹄函やl己.]い]︶ ⑫桜部・上山両博士﹁存在の分析﹂︿アビダルマ﹀︵仏教 の思想2︶昭和四十四年刊、二七四頁、二七五頁︵インド 佛教史年表︶参照 服部・上山博士﹁認識と超越﹂︿唯識﹀︵佛教の思想4︶ 昭和四十五年刊、二二頁、二三頁、五一頁参照 ⑬結城令聞博士﹁心意識論より見たる唯識思想史﹂三二○ 頁参照 ⑭拙稿﹁阿頼耶識思想の成立とその展開l末那識の成立 をめぐってl﹂︵大谷学報第四十九巻第二号︶四三、四 四頁参照 ⑮琉伽論の梵本は菩薩地の他に、最近声聞地、縁覚地が発 見され、インドより出版されつつある。 ぐ.国伍ま段○ず曾川国2月富国○渦○胃凹ごロ旬日]も胃匡︾○巴︲ o具菌后召.z・ロ昌廿国○口冨閨詐ぐ色ご庫口日掛︾勺胃国四岳急。 ⑯南条文雄博士校訂﹁梵文入傍伽経﹂二二九頁参照 ⑰南条文雄博士校訂﹁梵文入柵伽経﹂二二九頁参照 ⑬南条文雄博士校訂﹁梵文入枅伽経﹂二三五頁参照 ⑲サンスクリット及びチ寺ヘット訳昌口の甘甥8冒逼厨ヴュ且 冒︵晟淨︶からは、﹁外道によって語られたる﹂となるが、 しかし四巻傍伽では﹁非外道所説﹂となっている。 ⑳集一切法品、梵文入傍伽経一二六頁︵四巻傍伽大正一六、 四九六上︶や、無常品、梵文入梼伽経一三八頁などにも説 かれている。 ⑳宇井博士﹁佛教経典史﹂一四九頁︵本文四○頁︶参照 ⑫山口博士﹁大乗非佛説諭に対する世親の論破l釈軌諭 第四章に対する一解題l﹂︵東方学会創立十五周年記念

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とある。︵大正一六、六九六中︶

⑲鈴木大拙博士﹁樗伽経﹂︵鈴木大拙全集第五巻︶には、 ﹁偶頌品、これも後から追加せられたものである﹂︵四七 二頁︶とある。 ⑩南条文雄博士校訂﹁梵文入傍伽経﹂一五六頁参照 安井博士﹁入僻伽経﹁無常品﹂の原典研究﹂︵大谷大学 研究年報第二十集︶八六頁参照

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帥山口博士﹁世親の釈軌論についてlかりそめな解題と いうほどのものl﹂︵日本佛教学会年報第二十五号︶三 五頁以下参照 ⑫安井博士﹁入傍伽経﹁無常品﹂の原典研究﹂六八頁参照 ⑬昌胃宮口胃丘自口烏冨日ヴ冨盟くP3冒目ブ、巳自号百日︲ 四H斤画四H旨旨○も四﹄ゆず﹄︺P庁①一副脚口閏己庁④Q脚a︺或四℃武Hロ倒汁叶四︲ ぐ昌四ぐぃ印汁ロ脚巨④討営ずぽ四ぐゆ陸ご与猷色も庁①HmH動彦望画ずぽ動く国・ぬH画彦四戸四1 ,国回宅閨四、HPロ四口四門けす]︺PごP茸︵の屍も.]争弾胃醒︶ 鋤固四忌冒巴四目g目蝕日且副口目︺]国プ﹃○ご巴鯉g鼻の国烏一 の計画岸⑳門口ぐご副四口四H匡画碑H騨守ぐ①mHいぽ園ロゥ豈山d①芹勲Q色、吋凹屋脚二面些一 ︵Fかaや仁酌胃・]e 田安井博士﹁入傍伽経﹁無常品﹂の原典研究﹂六八頁参照 なお安井博士は﹁入傍伽経は:.:龍樹以後、無着・世親の 時代にいたるごろまでに成立した中期大乗経典とされるの が通説である﹂︵同書六七頁︶と述べておられる。 ㈱宇井博士﹁佛教経典史﹂一四九参照 帥常盤博士﹁続支那佛教の研究﹂七七頁、一二五頁’一二 六頁参照 ⑬誰共嶮騨ノ和博士﹁佛教史概説﹂︵インド篇︶九三頁参照 干潟博士﹁世親年代再考﹂三一六頁以下参照 ⑲拙稿﹁阿頼耶識思想の成立とその展開﹂l末那識の成 立をめぐってI︵大谷学報第四十九巻第二号︶四五頁参照 ⑩拙稿﹁金倉博士古稀記念・印度学佛教学論集﹂の書評 ︵佛教学セミナー第五号︶六七頁参照 紬宇井博士﹁大乗荘厳経論研究﹂一六九頁参照 旦四詠騨司倒ロ四目秒。巴包日吋餌くい蔵回国餌昌国目留国昌一 砂四日印団宮口q四ぐの爾倒田山昌耳ご山口烏曾山口四①くPC四一一亀一 ︵印Fか昌叩冨餌け画]画旨四︲閨茸堅い目涼口時四や怠﹄・息︶ ⑫影印北京版]冨巻ml511 目①]○画目①将の目房頤罰○昇呈 淵駕、鵯巨日日:医耳曾昌一一 JOJI■JJ■ 口︺ロ四国︺ロ四口因cQPpm︵︶ゆ︵︶﹄,H庁︹頃 びく凹岸︶色い、拭巨ずい己騨丙彦○口空]︶○一 卜

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2 学校法人は、前項の書類及び第三十七条第三項第三号の監査報告書(第六十六条第四号において「財