兵法諸流と武者言葉との関係についての試論 : 甲州流諸派の武者言葉集について-1-
48
0
0
全文
(2) (22)28ゴ 田 勇 雄 島. の若 千 の著 書 を 共 用 す る ほ か に は独自 の著 書 を 使 用 し それ ぞ れ 独 特 の体 系を 立 てた。 し た が って狭 義 の甲 州流 と いえ ど も 、 そ の兵 学 上 の内 実 は多 種 多 様 であ った。. 本 稿 の目 的 と す る武 者 言 葉 と それ ら 甲 州流 諸 派 と の相 関 々係 は 、 それ ぞれ の流 派 の兵法 学 上 の理念 と 体 系 と に応 じ. 。. 、氏 長時. 、諸 派 と 武 者 言 葉 と の相 関. 、 て、 武 者 言 葉 集 の存 否 が定 ま り 、 ま た そ の存 在 意 義 を 異 にす ると いう こと にな る。 ただ 現在 は そ の残 存資 料 が限 ら. れ 、 諸 派 と 武 者 言 葉 と の資 料 関 係 が す べて明 確 にさ れ て いると は言 え な い状 況 にあ るため. 関 係 を 確 言 的 に論 じ る こと は でき な い。 たと えば 、 北 条 流 は 戦 争 技 術 先 行 の理論 体 系 を構 築 し たと 考 え ら れ. 代 に は言 語 技 術 も し く は軍 礼 と し て の武 者 言 葉 集 には ほと ん ど 関 心を 持 たな い方 向 で体 系 を 構 築 し たと 考 え ら れ る. それ に対 し 山 鹿 流 では 、 士 道 と いう よ う な 人間 学 的要 素 に重 点 を お く体 系 を構 築 し た ため、 当初 か ら 武 者 言 葉 に関 心. 、 を 示 し て い た 。 そ の北 条 流 でも 、 そ の末 流 は武 者 言 葉 集 を 具 え る に至 った。 ま た景 憲 の体 系 のよ う に 根 幹 的主 著 と. 言 え るも のを 持 たず 単 元学 習 的 な各 論 的 著 書 の綜 合 によ って体 系 を ま と め る、 と いう方 法 のば あ いも 、 それ と 同 様 で. あ り 、 結 果 的 には武 者 言 葉 集 を 持 つも のと 持 た ぬも のと が でき てく る。 そ のよう に、諸 派 にお け る、 武 者 言 葉 に対 す. る認識 いか ん、 武 者 言 葉 集 の存 否 いか ん は、 兵 法 学 上 の理念 や体 系 と 密 接 に関 係 す るも のと 思 わ れ る が、 ただ時 代 が. く だ ると と も に、 傾向 と し て は ほと ん ど の兵 法 学 の諸 流 派 が な にら か の武者 言 葉 集 の作 成 に留意 す る風 潮 が生 じ た よ う に思 わ れ る。. 本 来 現代 流 の戦 争論 か ら す れ ば 、 兵 法 学 で は 、 戦術 ・戦 略 の論 や武 器 ・装 備 の論 な ど こそ中 心 的 な 問 題 になり こそ. す れ 、 武 者 言 葉 のよ う な 戦 争 行 為 と は直 接 結 び付 か な いも のが兵 法 学 の部 門 の中 に取 り 入 れ ら れ る こと 自 体 が 異様 な. それ の存 す る こと が近 世 日本 兵 法 学 の特 徴 であ り 、 同時 に近 世 日本 兵 法 学 が現代 的 はず であ る。 にも か か わ ら ず 、. 戦 争論 と は 異質 であ り 、 む し ろ 人間 学 的 要 素 の強 い哲学 であ った こと を 示 す も の でも あ る。 し か し 武 者 言 葉 は、実 体. 的 に は中 世 的 思考 の残 存 な の であ る。 そ れ は中 世 の武 士 集 団 の生 活 意 識 の中 に生 き生 き たも の であ り 、 そ の形 骸 が近.
(3) たり井 伊家 に預けられたりし た のであ る。景憲 がそののちも井 伊家 やそ の家臣と密接 に連絡し ていた のも そ のため で. 忠 の小姓とし て徳川家 に仕 え る こと にな った。家康 の政策 によ って、武 田家 の遺臣 の多くが徳川家 の譜代 に吸収され. 家 の遺臣 の分 散 に伴 い、大叔父小幡光盛を頼 って暫時越後 に身 を寄 せたが、まもなくその年 の 一二月、当時七歳 の秀. 天正 一〇年 二月天目山 の合 戦 により武 田家 の滅亡した時 には、小 幡勘兵 衛景憲 はわずか 一一歳 の少年 であり、武 田. 甲州流 の概観 その 一. 第 一 小幡 景憲 と武 者 言 葉. 座 を 次 第 に転 換 す ると いう こと にな るわ け であ り 、 そ の こと も 同 時 に別 個 の言 語 的 関 心を そ そら れ る問 題 であ る。. 集 団 と し ては武 士 階 層 一般 か ら 学者 集 団 へと変 転 し てお り それ ら の言 語 集 団 の転 換 に伴 いそれ が武 者 言 葉 に対 す る視. の歴 史 的 経 緯 が 甲 州流 の生 成 ・変 遷 と ど う か か わり あ う か 、 そ れ が 私 の問 題 点 であ る が、 それ は同 時 に そ の間 に言 語. 大 し て い るし 、諸 流 派 によ って意 義 群 の範 囲 にも 出 入 があ り 、 も ち ろ ん兵 法 学 上 の位 置 づ けも相 違 し て い る。 それ ら. 語 彙 であ った。 ま た武者 言 葉 ・軍 詞 ・軍 中 詞 な ど の術 語 で抱 括 さ れ る語 彙 も 、 そ の意 義 群 の範 囲 が 一般 に中 世 より 拡. 導 内 容 にも 変 化 が生 じ た。 即 ち 近世 にお け る それ は、使 用 語 彙 で は な く 、学 術 的指 導 によ って知 的 に指 導 さ れ た 理解. の注 意 を 呼 び 、 それ に伴 い、 改 め て兵 法 学 で学 術 語 と し て指 導 す る 必要 が 認識 さ れ 、漸 次 そ の指 導 態 勢 が確 立 し 、指. つて特 別 の気 持 を 籠 め て戦場 で使 用 し た こと の意 義 が新 世 代 人 に忘 れ ら れ よう と し たと き 、 それ を 承 知 し た 旧世代 人. て使 用 し た、 と いう こと で、 そ のよ う な条 件 で の使 用語 彙 であ った。 と ころ が、 近 世 にな って、 太 平 の世 が続 き 、 か. 彙 であ った。特 殊 なと いう のは 、原 則 と し て 日常 用 語 と し ては使 用 せ ず 、 戦場 で のみ宗教 的要 素 や儀 礼 的 要 素 を 含 め. 世 に武 者 言 葉 の形 式 で兵 法 学 に導 入 さ れ た の であ る。 か つて中 世 で は、 言 語 集 団 と し て の武 家 社 会 で の特 殊 な使 用 語. 兵法諸流 と武者言葉との関係 についての試論 28θ (23).
(4) )279 (2イ. 田 勇 雄 島. あ る 。 つい て 二 四 歳 の時 徳 川家 を 浪 人 し て諸 国 遍 歴 の旅 に出 、 そ の間 伊藤 流 の剣 の奥 義 を 究 め、 儒学 ・禅 学 を 修 め る. と と も に、 ﹁訓 閲 集 ﹂ 系 の軍 配兵 法 の研 修 や信 玄 関 係 の軍法 の研 鑽 に つと め て甲 州流 創生 のため の基 礎 的教 養 の習 得. に つと め た。 更 に大 阪 の陣 にあ た っては、 大 阪 城 内 にあ って諜報 活 動 に つと め、 夏 の陣 の終 了後 秀忠 に謁 し て 三〇 余. 年 の浪 人生 活 を 清 算 し て旗 本 に復 帰 し 、 禄 高 千 五百 石 に 登り 、寛 文 三年 九 二歳 で天寿 を全 う し た。. 甲 州 流 兵 法 は景 憲 によ って樹 立 さ れ たも のであ って、 景 憲 以前 にす で に信 玄 ら によ ってそ の具体 的 な 兵 法 学 体 系 が. 成 立 し て いたわ け で は な い。 そ の こと は謙 信 流 を 標 榜 す る要 門 流 にお いても 同 様 で、 それ ら の建 学 は ほ ぼ類 似 の情 況. を 辿 るも の であ る。 つま り 景 憲 は武 田家 滅 亡 の時 に は 一 一歳 の少 年 であ ったし 、 そ の年 齢 の少 年 に ふさ わ し く 、実 戦. の体 験 も 持 たず 、 兵 法 学 の具体 的 な 習 練 の機 会 も 持 た な か った の であ り 、彼 の建 学 は 二四歳 以後 二〇 余 年 にわ た る浪. 々 の生 活 の中 で営 為 基 礎 的 習 練 が蓄 積 さ れ 、 以 後 旗 本 に復 帰 し て以 後 も 営 々と 錬 磨 さ れ 、彼 が七 〇 歳 に至 る 頃 一応 の. 大 成 を 見 たと 考 え ら れ て いる。 景 憲 の少 壮 有 為 の時 、 世 に行 わ れ た体 系 的兵 法 学 と 言 いう るも のに は、 わ ず か に ﹁訓. 閲 集 ﹂ を 挙 げ う る のみ であ り、 彼 は それ に つい ては上 泉 信 綱 の体 系 と 岡 本 半 介 の体 系 と を学 んだ。 ﹁訓 閲 集 ﹂ の体 系. と し ては、 こ の 二派 が従 前 の小 笠 原 家 風 な 古 式 な体 系 を 戦 国時代 の戦 闘 に適 応 でき る兵 法 へと自 己改 革 し つ つあ り 、. お そら く 当時 で は新 風 を はら む 兵 法 学 と し て注 目を受 け て いたと 考 え ら れ る 。 それ と 同様 に 、 景 憲 も こ の中 世 末 的. な 、 し かも 新 風 を めざ し て自 己 改 革 す ると いう体 質 を 、 そ の兵法 学 的 思考 の培 養 土 壌 と し て備 え て い た。 それ は、彼. ら が ひと し く 、 そ の人と な る 頃 も しく は それ 以 前 に主 将 のため に主 家 が滅 亡 し たと いう 経 験 を 持 ち 、自 己保 存 のた め に は勝 つ兵 法 を 持 た ねば なら ぬ こと を 胆 に銘 じ て いた か ら であ ろう 。. 景 憲 は そ の土 壌 の上 に、 か つて 一新 戦法 を 開 拓 し た信 玄 や当代 のす ぐ れ た戦法 に つい て多 く の指 導 を 武 田家 遺 臣 ら. か ら受 け 、 更 に信 玄 の戦史中 心 に各 種 の戦 争 技 術 を 説 く ﹁甲陽軍 鑑 ﹂ を 得 、ま ず みず か ら が大 阪 の陣 に参 加 す る こと. に よ って得 た戦 争体 験 か らあ み 出 し たも のを 織 り 混 ぜ 、 それら を 綜 合 し て甲 州流 兵 法 を 創 立 し た のであ る。 し た が っ.
(5) 、 、 て景憲 の創立し たも のは、 いわば中世末的兵学思考法を経とし 中世末的戦闘体 験を緯とし て編成し たも のであり 、 常 に来 たる べき戦闘 への実践的適応を意 図し て新構想を企図す るも のではあ ったが 他面宿命的 に中世末的残滓を多 分 に内蔵した のもま たやむをえぬ ことと いう べき であ ろう。. 昭和四七年 石 岡久夫氏 の ﹁日本兵法史上﹂ ︵ 甲州流兵法 に ついて、 その成立 ・展 開など の兵法学史的基礎研究 は、 、 ・雄山閣︶が最もすぐれ ている。以下 にも、兵法学史的記述 の多くは該書 の恩恵を受 け ている。石岡氏 は 景憲 の兵法. て いた間 のこと であり、大阪 の陣終結後旗本 に復帰して以来 ひたすら兵法学体 系 の充実 に つとめた。景憲 が山鹿素行. す でに述 べたよう に、景憲 の基礎的修練時代 は、彼 が二四歳 から 二〇余年 にわ た って徳川家を離れ て諸国を遍歴し. 新 風を吹き こみ つつ新体 系を構築する ことを意 図したも のと思われ る のであ る。. 戦史等とし ての ﹁甲陽軍鑑﹂や各種 の伝授も のをもと にし てあ る べきも のを模索する こと により、在来 の兵法 に適宜. に胚胎した。即ち、単 に伝授を中 心にし て ﹁訓閲集﹂ の伝統を墨守す る のではなく、主として信玄ら の実践的体 験 や. はそれを逐次 それぞれ の時代 の戦闘法 にかなうよう に改変し つつあ ったも のと思われるが、その思潮は景憲 にも同様. であり、それ では処 理しえぬも のが戦術 の変化ととも に多くな っていた。集 団戦時代 に生きた上泉信綱や岡本半介ら. れ る。と いう のは、景憲 が伝授を受け た軍 配兵法 は従来 の小笠原家式 な体 系 で、 これは個 人戦中 心時代 の古風 なも の. った中世末 の実戦体 験 に基づ いて、より新 し い方向をめざす兵法学体系 の形成を景憲 は意 図し つつあ ったも のと思わ. す る こと であ る。 これら の主体的統合 のう え で、中世末的兵法学 思考法 に立ち つつも実戦的 には次第 に変化 し つつあ. 軍法 に関す る こと であり、四 は信玄を中 心とす る戦史 やそれ にま つわ る戦争技術的な事項をまとめた書物 の発堀 に関. る。 そ のうち、0 は ﹁訓閲集﹂中 心とす る中世的兵学体 系 に関す る こと であり、例 oO は信玄流を中 心とす る実 践的. 、 各種 の伝授を受 け た こと、0城取 その他 の伝授を受け た こと、四 ﹁甲陽軍鑑﹂を書写した こと の四箇条 がそれ であ. 、 学 上 の修練を次 の四種 に分類し ておられ る。即ち田軍 配に関す る各種 の伝授を受 けた こと 日信玄流 の軍法 に関 す る. 兵法諸流 と武者言葉 との関係 についての試論. 278(25).
(6) に印 可 状 や印 可 副状 を 授 与 し た のは 寛 永 一九 年 で、 時 に景 憲 七 一歳 、 素 行 二 一歳 であ っ たが 、 そ の頃 景 憲 の兵 法 学 の大 綱 は決 定 し て い た と 考 え ら れ て い 街” 以 後 景 憲 は そ の兵 法 学 の具体 的内 容 を 記 述 し た 著 述 を 逐 次 著 述 し た 。 それ は、 ﹁ 甲 陽 軍 鑑 抜書 集 、 一巻﹂ ︵ 正 保 二 ・ 一 一︶・﹁ 同 抜書 後 集 、 一巻 ﹂ ︵ 正保 三 ・ 一 一︶・﹁ 同 抜書 武 備軍 要 巻 、 一巻﹂o 暑 到来 、 ﹁ 一巻﹂ ︵ 慶 安 三 ・六 以前 ︶・﹁ 寒 到来 、 一巻 ﹂ ︵ 同 ︶o﹁ 彼本 、 一〇 巻﹂・﹁ 中 興源 記 、 五 巻﹂ ︵ 慶 安 四 ・六 ︶・﹁ 此 本、 一巻﹂ ︵ 万 治 元 ・ 一 一︶。﹁ 軍 法 巻 裏書 、 一巻﹂・﹁甲 州 流 軍 配相 伝 之 抄 、 一巻﹂ な ど であ る。 これ ら は甲 州 流 諸 派. 景 憲 の学 風 の従 順 な継 承者 であ ったと さ れ る小 早 川 能 久 は讃 岐高 松藩 主 松 平 頼 重 の家 臣 と な っ 甲 て 州流兵 学 を 祖 述 し た 。 次 に松 山 定 申 の系 統 で は、 そ の門 下 の服 部 直 系 が 尾 州家 で的 伝 流 を し 、 称 更 に ら 甲 州流 別 伝 ・手 鑑 流 ・ そ の 門 か 甲 陽 的 当 流 を名 乗 る者 が 現 わ れ る。 な お 石 岡 氏 は、 松 山 直 良 を 流 、 卸 す る 甲 州 古 伝 流 があ り この直 良 は松 山 定 申 と 理 同 一人物 であ ろう と さ れ る が、家 蔵 の ﹁緯 糸 集 ﹂ の伝 系 か ら す れば 、 的伝 流 の服部 直 景 門 の同直 好 定 申 の孫 弟 子 ︶で ︵. 甲 州 流 と 各 藩 と の関 係 で は、本 論 に関 係 を持 つも のだ け を 抜書 す ると 、 ま ず 景 憲 の本 流 は 甥 憲 行 に更 に そ の女 婿 景 豊 に ひき 継 がれ、 そ の子 孫 は広 島 藩 の甲 州 流 兵 法 師 範 と な った。 なお この系 統 は神 谷直 政 によ っ て尾 州藩 にも 伝 わ っ た 。 次 に、 景 憲 の臣 杉 山 盛 政 は のち 桑 名 藩 主 松 平 定 綱 に仕 え 、 子 孫 も 代 々同 藩 に甲 州流 兵 法 をも っ て仕 え た。 次 に、. た と 言 わ れ る が 、 そ の両 名 お よ び 山 鹿 素 行 など も 門 下 の逸 材 であ る。. 富 永 勝 由 ・梶定 良 ・近 藤 正 純 の四名 を 小 幡 門初 一的 四哲 同 学 と名 付 け て最 高 弟 と し 、渡 辺盛 房 ・正木 内 蔵 亮 ・跡 部 九 郎 兵 衛 の三名 を 小 幡 直 伝 三友 同学 と 言 い、 西 村 義 則 ・小 早 川 能 久 ・熊 谷小 膳 ・府 川行貞 の四 名 を 四伝 四明 同 学 と 称 し た 。 こ のほか 景 憲 に は杉 山 盛 政 ・村 上 昌 宣 の両 家 臣 があ り 、 彼 ら に は景憲 が知 行 千 五百 石 の中 か ら 五 百石 ず つを与 え. を 通 じ てほ ぼ共 通 の教 科書 と し て永 く 使 用 さ れ たも の であ る。 これ ら のほか にも 景 憲 の著 述 と さ れ るも のを 若 干 承 知 し て いる が、 真 偽 の ほ ど も 十 分 確 認 し て いな いし、 流 儀 上 の理論 に は ほと ん ど 関 係 を持 たな いほど のも の であ る。 景 憲 の門 人 は 、 石 岡 氏 によ れば 次 のご と く であ る。 即 ち 、 正木 輝 雄 の ﹁ 兵 家 系 図﹂ の説 く と ころ では、 北 条 氏 長 ・. (26)2// 田 勇 雄 島.
(7) あ る か も し れ な い。 そ の系 統 の岡崎康 邦 は 甲 州 古 伝 流 を 称 し た。次 に、佐 々木 秀 乗 の系 統 で は、 ま ず 大 嶺 広 通 の門 下. が仙 台 藩 に甲 州 流 を 伝 え 明 治 維新 の頃 ま で隆 盛 であ った し、 ま た関 和政 春 や そ の甥 有 沢永 貞 によ って金 沢藩 に甲 州 流. の 一派 が 伝 え ら れ た。 それ ら のほか八戸 藩 の甲 州流 に つい ては大 田尚 充 氏 の説 があ る。 即ち 景 憲 の門 人明 石 甚 九 郎 為. 七 一歳 の景 憲 は 二 一歳 の素 行 に印可状 や印 可 副状 を 与 え て いる が、 こ の頃 に景 憲 の兵 法 学 の体 系 は定 ま って いた であ. であ ると 考 え ても よ い山 鹿 素 行 の著 述 に は 、 早 く か ら武 者 言 葉 に つい て の記 述 が 見 ら れ る か ら であ る。寛 永 一九 年 に. え ら れ るも の に は武 者 言 葉 集 は な いかと 思 わ れ る にも か かわ ら ず 、同 じ く 景 憲 の門 弟 であ り 、実 質 的 には氏 長 の門 弟. な影 響 を 与 え た可 能 性 が考 え ら れるから であ る。 ま た 一つに は、 景 憲 の門 弟 北 条 氏 長 の北 条 流 では、氏 長 の伝書 と 考. いか ん は 甲 州 流 の兵 法 学 に占 め る位置 の重 さ のた め に、 流 内 諸 派 はも ち ろ ん の こと 、 雨 後 の兵 法 学 一般 の動 向 に重 要. し景 憲 に武 者 言 葉 集 の伝書 があ れば 、 お そら く それ は近 世 にお け る最 も 古 い武 者 言 葉 集 と な る はず であ り 、 そ の実 態. 一つに は 、 小 笠原流 系 の兵 法 を 除 いて は、 甲 州流 は近 世 に最 も 早 く 開 流 し た流 派 であ る ため で、 も 点 と な って いる。. 、 、 て与 え て いた の であ ろう か 、 武 者言 葉 集 を作 った こと があ った の であ ろう か な ど の こと が 私 にと って大 き な問 題. 言 葉 に つい てま と ま った指 導 を行 な って いた の であ ろう か 、 そ の兵 法 学 体 系 の中 でど のよう な位 置 を武者 言 葉 に対 し. 小 幡 景 憲 は、 武 者 言 葉 に つい てど のよ う な 用 語 を 用 い、 ま たど のよう な 概 念 規 定 を与 え て いた のであ ろう か、 武 者. 文 字 相 伝 ﹂か ら ﹁軍 配 文 字 ﹂ へ そ の 二 ﹁. 関 連 を 持 た な いも のも 多 い の で、 それ ら に つい て は省 略 す る。. 藩 に行 な わ れ たけ れ ど も 、 それ ら の細 部 事 項 に つい ては十 分 に明 ら か でな いも のも多 く 、 ま た 目下 の作業 に直 接 に は. 戸 藩 に 甲 州 流 を 導 入 し たも と にな ったと さ れ るも の であ る。 甲 州流 の諸 派 は以 上 に略 記 し たも のより は遥 か に多 く 諸. 政 が盛 岡 藩 に仕 え 、 そ の門 人 で同藩 士 の星 合 平 左 衛 門 に八戸 藩 士中 里覚 右 衛 正 康 が 甲 州流 兵 学 を学 んだ が、 それ が 八 兵法諸流 と武者言葉 との関係につ いての試論 2/δ (27).
(8) ろう と 考 え ら れ 、 事 実 景 憲 は それ 以 後 甲 州 流 の根 幹 と な る兵 法 書 を 著 述 し て い る。 一方 素 行 では そ の年 に最初 の兵 法. 学 上 の大 著 ﹁兵 法 神 武 雄 備 集 ﹂ の根 幹 が ほと ん ど成 立 し て いたと 言 わ れ るが、 そ の著 書 に はす で数 か所 にわ た って武 者 言 葉 群 の記 述 があ る。素 行 は武 者 言 葉 に つい て の知 見 を 景 憲 か ら 得 た のか、 それ と も 氏 長 か ら 得 た のか 、と いう こ と は私 にと って重 要 な問 題 と な って いる。 景 憲 と 直 接 関 連 さ せ て考 え ら れる それ ら の問 題 にど のよう にし て接 近 し て いく べき か に、 と ま ど いを 覚 え さ せ ら れ る の であ る。. 景 憲 に関 す る そ のよ う な 問 題 を 究 明 す る た め に は、 景 憲 の兵 法 学 に重要 な影 響 を 与 え 、 か つ武者 言 葉 集 と関 連 す る. 伝書 を 持 つ ﹁訓閲 集 ﹂ の伝 授 に つい て、 そ の実 態 を 明 ら か にし てお か ねば なら ぬ。 す でに ﹁甲 州 流 の概観 ﹂ の項 で、. 景 憲 の兵 法 上 の修 練 を 、 石 岡 氏 に従 って四種 に分 類 し た が 、 そ の田 の、軍 配 に関 す る各 種 の伝 授 を 受 け た こと 、 は ほ. ぼ ﹁訓 閲 集 ﹂ の伝 授 に関 す る こと であ る。 本 稿 の主 題 であ る武 者 言 葉 と の関 連 か ら は 、主 と し て ﹁訓閲集 ﹂を 中 心 と. す る軍 配 兵 法 の伝 授 を 受 け た こと が最 も 深 い関 係 を 持 つと 考 え ら れ る ので、 ま ず これ に つい て の検 討 に焦 点 を 絞 る こ. ︵7 ︶. そ の四類 中 第 二類 は近 世 期 のも の、 第 四類 は各 種 異本 の混交 な の で、 こ 2 一 類 を 除 く と 、 第 一類 と 第 二類 と はと も に. れ らを 第 一類 氏 隆 伝 岡 本 系 、 第 二類 氏 隆 伝 上 泉 系 、 第 二類 小 笠 原 流 水 島 系、 第 四類 異 本 諸 系 と それ ぞ れ 命名 さ れ た。. る時 期 の ﹁訓 閲 集 ﹂ の編 成 等 に重 要 な役 割 を 果 た し たも のと 考 え ら れ て いる。 石 岡 氏 は ﹁訓閲 集 ﹂ を 四分 類 さ れ 、 そ. 流 し たと の所 説 であ る。 いず れ に せ よ小 笠 原 一門 では 、頼 氏 ・成 隆 ・氏 隆ら が 伝 系 に載 り 、 そ のう ち こと に氏 隆 があ. は大 江 維 時 が唐 か ら 将 来 し 、 匡 房 が 源義 家 に伝 授 し 、 商 後 源 家 ゆ か り の兵法 学 と な り 、 のち 源家 一門 の小 笠原家 に伝. ﹁訓 閲 集 ﹂ を 中 心 と す る兵 法 学 と 武 者 言 葉 集 と の関 係 に つい て は、 す でに述 べた こと があ る。 現存 の ﹁訓閲集 ﹂ は す でに多 量 の改 編を 受 け てお り 、 それ ら か ら は原 型 は も ち ろ ん、 そ の後 の改 編 のあ と も ほと んど 辿 るす べも な いま で に至 って い る が、 そ の伝 来 経 路 に つい ては、 石 岡 氏 によ れ ば 次 説 が有 力 に行 なわ れ て いたと の こと であ る。 即ち これ. と にす る 。. (28)275 田 勇 雄 島.
(9) 、 一類 の岡 本 系 は、氏 隆 、 氏 隆 を 伝系 に持 ってお り 、 そ のう ち第 二類 の上 泉 系 は 上 泉 信 綱︱ 秀 胤 ︱ 義 郷と いう 伝 系 第 、 改 編 し たも のな のであ る 。 ︱ 信 綱︱ 秀 胤 ︱ 岡 本 半 介 と の伝 系 を持 つ。第 一類 の岡 本 系 は第 二類 の上 泉 系 を受 け それ を 、 遡 及 でき るか、 と いぅ それ では第 一類 と 第 二類 と を 比 較 検討 し て共 通 項 を 採 り それ によ って氏 隆 編 の ﹁訓 閲 集 ﹂ に 、 純 に数 学 の引 き 算 の に、事 実 上 算 術 的 遡 及 は でき な い。 それ は上 泉 系 自 体 常 に独 自 の改 革 が進 展 し て いる た め で 単. の判 軍 配 の思想 は平 安 朝 以 来 中 世 期 を 通 じ て流 行 し た天 文 気 象 によ る吉 凶 石 岡 氏 の解 説 を 援 用 す れば 、 ﹁. け であ る が と ころ で、 景 憲 は ﹁訓閲集 ﹂ を中 心と す る軍 配兵 法 に ついて伝 授 を受 け たわ. 断、 中 国 の. 。 中 心 に兵 法 関 係 の伝 授 に当 事 ﹂ があ り 、 それ に は武 者 言 葉 に ついて のま と ま った記 述 があ る 氏 隆 系 は ﹁訓閲 集 ﹂ を 、 一門 内 で は そ のよう は属 す る が 、 たり 、武 家 礼 式 の伝 授 に当 た った小 笠原家 のあ る群 の 人び と と は 学 問 上 別 系統 に 。 万 文字 巻﹂ や ﹁ 式家 系 の ﹁ 礼 武 家 れ で な学 問 系 列 を 越 え て伝 授 ご と に ついて の情 報 交 換 は な さ れ たかと 思 わ れ る そ 。 ば ら ぬし、 あ り え な い こと では な い 言 様之 事 ﹂ と 氏 隆 系 と の間 に伝 授関係 のあ る可 能 性 も 考 え てお か ね な 、 ら れ る こと か ら し て、 目下 のと ころ 、 上 泉 系 の ﹁訓 閲 集 ﹂ に は直 系 と 別系 と があ り 直 系 に のみ ﹁文字 相 伝 ﹂ が見 、 小 笠原 家 百 二十 字 之 事 ﹂ と の関 係 に つい 文字 相 伝 ﹂ はあ る時 期 の上 泉系 に始 ま るも のと 考 え る が 氏 隆 伝 の ﹁ 私は ﹁ 百 二十 字 之 事 ﹂ と に は直 接 関 係 は 認 め ら れ な い こと を言 う に ては別 の機 会 に詳 述 し たく 、今 は ただ ﹁文字 相 伝﹂ と ﹁ 、 み述 べてお く 。 万言 様之 事 ﹂ と の間 にも 直 接 的 な影 響 関 係 は考 え にく いと の と ど め る。 ま た ﹁文字 相 伝 ﹂ と ﹁ 、 そ の軍 配 思想 に ついては. 。 よ う には運 ば ぬと ころ に、 伝 授 物 の複 雑 さ がう か が わ れ る の であ る 、 文 字 相 伝 ﹂ があ り 、 それ では、 な ぜ氏 隆 時 代 の ﹁訓閲集 ﹂ の摘 出 を 望 む のか と いう に 第 二類 の上泉 系 に は 伝書 ﹁ 、 、 小 笠 原 家 百 二十 字 之 事 ﹂ と いう 伝書 があ り 両者 それ が武者 言 葉 集 の萌 芽 的 形 態 を 具 え て いる こと と 別 に氏 隆 伝 ﹁ えら れ るか ら であ る。 にあ る種 の共 通 の精 神 が 認 め ら れ、 そ のため上 泉 系 の ﹁文 字 相 伝 ﹂ は氏 隆 に始 ま る可 能 性 が考 万言様之 文 字 巻 ﹂ があ り 、 ま た別 に同家 の伝 書 と 思 わ れ るも のに ﹁ ま た別 に京 都 小 笠 原 家 の政 清 伝 ﹁訓閲集 ﹂ に は ﹁. 兵法諸流 と武者言葉 との関係 についての試論 27イ (29).
(10) 陰 陽 五行 の思想 、 十 干 十 二支 の組 合 わ せ等 によ る 日時 ・方 位 の善 悪 が、 日常生 ば 活 か り でな く 、 軍 陣 の成 敗 に影 響 す. る こと から 案 出 さ れ た思 想 であ る。 こ の関 係 か ら 軍 配 は軍 敗 と も 称 せられ 、軍 配兵 法 が起 こ った の であ る﹂ と いう こ と に な る。 景 憲 は主 と し て岡 本 半 介 か ら こ の思 想 を 受 け た。 ま た景 憲 の兵 法 思想 を 、 軍 配 ・軍 法 ・築 城 観 ・戦法 理念 の四種 に分 類 し 、 ﹁ 軍 配 は軍 法 の助 と な るも のと し 、 主 体 性 を 軍 法 に置 いた の であ る。 換 言 す れ ば 、 天 の時 より も 人 の問 題 に重 き を 置 いたと いえ る﹂ と 杉 山 公憲 の ﹁ 軍 鑑 挙 要 ﹂ の ﹁天 官 巻﹂ に関 し て述 べると と も に、 そ の思想 は景憲 に発 す るも の であ ろ う と 、 同 じ く 石 岡 氏 は述 べてお ら れ る。 景 憲 が岡 本半 介 そ の他 か ら 軍 配 に関 す る伝 授を受 け た こ と に関 し て、 ど のよ う な明 証 があ る のか 、と いう に、 石 岡 氏 によ れ ば 、ま ず次 のよ う なも のが 認 めら れ る。 即ち 、 同 および景憲 2局弟小早川能久 の 環羽物語後集し の記 事 、 ﹁軍 配抜書 ﹂ ︵ 同上泉 系 の ﹁ 要 務 集 伝 来 聞書 ﹂ の記 事 、 同小 早 川 能 久 著 ﹁翁物 語 集 ﹂ の記 事 、 国 ﹁ 信 玄 全 集 末書 ﹂ の記 事 、 な ど が挙 げ られ る。 石 岡 氏 は それ ら に基 づ い て、 ヨ量思は 文 禄 四年 ︵一五 九 五 ︶、 徳 川 家 を 浪 人 し てか ら 諸 国 遍 歴 の旅 に出 で、 中 世 以後 天文 雲 気 に よ る 日取 方 取 等 の軍 配 術 を 主 体 と す る兵 法 に留 意 し 、 元 和 四年 ︵一六 一八 ︶ に至 る 二十 数 年 間 に亘り 、 当時 の著 名 な軍 配兵 法 に 家 つい て研 究 し た こと が知 ら れ る﹂ と 述 べてお ら れ る。 そ の軍 配兵 法 家 と し ては、雨 宮半 兵 衛 ・判 兵 庫 助 ・上 泉 義 o 郷 岡本 宣 就 ・広. )273. の伝 授 と か体 系 的 伝 授 と か を 受 け たと は、 ほと ん ど 述 べて いな い。 し か し上 泉 流 に つい て言 え ば 、 ﹁ 要 務 集 ﹂ や ﹁大 星初 段﹂ な ど と 上 泉流 にと って枢要 部 を 占 め る事 項 の伝 授 を 受 け たり 、 ﹁訓閲 集 ﹂ の 一部 に当 た るも の の伝 授 を 受 け たり し たと す るか ら に は、 上 泉 流 兵 法 にと っては それ ら より 一層. そ れ ら の軍 配 兵 法 家 か ら 景 憲 の受 け た伝 授 は多 く は断 片 的 事 項 に ついて の伝 授 であ ろう と 思 わ れ る が 、体 系 的 授 伝 を な し え たも のと し ては 、 上 泉 流 の上 泉 義 郷 と 岡 本 半 介 と が挙 げ ら れ る。 し か し それ ら の資 料 にお け る記 述 の示 すと ころ では、 景 憲 が軍 配兵 法 に つい て断 片 的 伝 授 を 受 け た こと を 主 と し て記 述 す る にと ど ま り 、 あ る種 のま と ま った量. 瀬 景 房 ・益 田秀 成 ・赤 沢 太 郎 左 衛 門 等 の名 を挙 げ てお ら れ る。. (3θ. 田 勇 雄 島.
(11) 。 基 層 的 な体 系 とも 言 う べき ﹁訓閲集 ﹂ の体 系 的指 導 を も受 け た可 能 性 も 考 え ねば なら な い. 。 景 憲 が岡 本 半 介 か ら ﹁訓閲集 ﹂ の指 導 を受 け た こと は明 ら か であ る 寛 永 十 九 年 に山 鹿素 行 に与 え た印 可 副状 の中 、 、 不 究 ■ 学 こ と述 べて いる。 これ で は ﹁訓閲 集 ﹂ の 一部 を ︵ 一 逐 閲 集 一 部 訓 写 伝 方 雖 ・ 岡本半 介 一 一 レ で、 ﹁愚 老 嘗 従 二 二 レ 。 、 伝 写 し たま で で、 そ の学 を 十 分 究 め て は いなか った と 述 べて いるわ け であ る 普 通 こ の種 の伝 授 物 の指 導 にお いて. 文 字 相 伝 ﹂ を 伝授 さ れ た のか、 それ と も ﹁軍 配文 字 ﹂ を 伝 授 さ れ た のか 、 あ る いは両者 を 伝 授 さ れ つま り 、 景 憲 は ﹁. 文 字 相 伝 ﹂ を 増補 編 纂 し たも のが ﹁軍 配文 字 ﹂ であ る、 と いう相 互関 係 にあ る こと と のた め であ る。 と の関 係 では、 ﹁. 文 字 相 伝 ﹂ が含 ま れ 、 岡 本際 に は伝 今 こ の ﹁訓閲集 ﹂ の伝 授 関 係 に私 が執 着 す る のは、 第 一に、 上 泉 系 には伝書 ﹁ ︵ 、 文 字 相 伝 ﹂ と ﹁軍 配文字 ﹂ 、 書 ﹁軍 配 文字 ﹂ が含 ま れ 、 と も に武 者 言 葉 の崩 芽 的形 態 を 具 え て いる こと と 第 二 に ﹁. の 一八 冊 に相 当 す る の であ るかも 知 れ な い。. 、 、 あ ろう 。 そ のよう に考 え れば 、 現存 のも のは残 閾 本 で は な く 景 憲 が ﹁訓閲集 ﹂ の 一部 を書 写 し たと 述 べた のが こ. る。 庚 午 は 元禄 三年 で、 現存 本 を永 貞 が自 写 し た年 に当 た る。 即 ち景 憲 ︱ 秀乗 ︱永 貞 の系 列 で永 貞 の書 写 し たも の で. 秀乗 ︶ 力許 二伝来 シテ和朝 ノ古 伝 軍書 ノ最 初 訓閲集 アリ是 亦 庚 午 ノ春 我 二伝 レ之 ﹂ と あ ﹁枢 密 要 論 ﹂ には ﹁佐 々木 ︵. 。 館 加 越 能 文 庫 に岡 本 系 ﹁訓閲集 ﹂ 一八 冊本 が残 存 し て いる これ には岡 本 半 介 石 上 宣 就 ︱ 小 幡 勘 兵 衛 縄 直 の伝系 が記 、 。 。 さ れ てあ る。 元禄 三年 にお け る有 沢永 貞 の自 筆 であ る 縄 直 は景 憲 の初 名 であ る これ は本 来 残 閾 本 であ り も と も 。 っ と全 体 系 本 が そろ って いた こと も考 え ら れ 、景 憲 が全 伝書 の伝 授 を受 け たと も考 え ら れ る も と も 有 沢永 貞 の主 著. 部 のみ に ついて修 学 し た、 と の意 と も 解 さ れ る。 も ち ろ ん. 易 か ら難 へと いう ふう に順序 を 立 て て指 導 を 行 な い、 あ る種 のま と ま った は、 そ の全 体 系 の中 を いく つか の群 に分 け 、 、 、 指 導 を 行 な ったあ と 、 と き には全体 系 の指 導を 行 な ったあ と で それ ら の伝書 の書 写を 許 さ れ たり も し く は そ の伝 、 、 。 書 を 一種 の免 許状 の形 で授 与 さ れ たり す るも の であ る し た が って こ のば あ い 景 憲 の言 を 信 じ れ ば ﹁訓閲 集 ﹂の 一 、 これ を 景憲 の謙 退 の辞 と も解 し う る 。今 、金 沢市 立 図書. 兵法諸流 と武者言葉 との関係 についての試論 ). 2/2(3ゴ.
(12) た のか 、 あ る いは両 者 と も に伝 授 さ れ な か った のか、 と いう こと を 問 題視 し て いる の であ る。. 景 憲 が上 泉 系 の ﹁訓 閲 集 ﹂ の 一部 の伝 授 を 受 け た こと は 明 ら か であ る。 し か し 一部 の伝書 名 を 具 体 的 に絞 って、 上. 泉 系 の ﹁文 字 相 伝﹂ の伝 授 を 受 け た明 証 があ る のか、 と な ると 、 明 証 はな い。 し か し岡 本 系 の ﹁軍 配 文字 ﹂ に つい て. は、 金 沢 市 立 図書 館 の加 越 能 文 庫 の ﹁訓閲 集 ﹂ ︵ 元禄 三年有沢永貞筆︶ の ﹁ 軍 配文字 ﹂ の伝 系 に ﹁ 小 幡 勘兵 衛 縄 直 ﹂ の. 的向 上 に つれ て文 字 表 記 の指 導 を 主 題 と す る 必然 性 も 喪 失 し 、 む し ろ武者 言 葉 が現実 的 に使 用 語 彙 で は なく な った こ と への投 影 と し て、 忘 れ ら れ た語 員 の学 的指 導 への必要 性 が 認 識 せら れ、武 者 言 葉 集 の大 量 生 産 を も たら す こと に な った。 これ と は別 に、 ﹁文 字 相 伝 ﹂ と 同様 に兵 法 伝書 の 一つと し て文 字 に関 す る指 導 を 行 な ったも のに氏 隆 伝 ﹁ 小笠. を す べて単 純 に そ の時 代 の言 語 的実 態 の反 映 と いう こと で理解 す る こと は正 しく な いが、 近 世 期 に は表 記 能 力 の 一般. に は関 係 を 持 た な いよ う な文 字 指 導 に つい て の伝書 を 導 入 し た こと にあ る。 こ の文字 表 記 の指 導 に関 す る伝書 の導 入 は、 や が て次 の段 階 で は 語 彙指 導 と し て の武 者 言 葉 の導 入 の契 機 と なり 、 漸 次 兵 法 学 にお け る言 語 的要 素 の侵 出 へ道 を 開 く こと にな るわ け であ る 。 た だ近 距 離 的 に は、 ﹁文 字 相 伝 ﹂ の直 接 の発展 的継 承 が岡 本 系 の ﹁軍 配文字 ﹂ であ り 、 こ の両 伝書 の主 題 は あ く ま でも 文字 表 記 の指 導 にあ る。 それ は中 世武 家 階 層 一般 に書 記 能 力 が劣 って いた た め で あ ろ う が 、 武 者 言 葉 は 現 実 的 に使 用 語 彙 であ って そ の能 力 は す ぐ れ て いる、 と いう実 情 を 反 映 す るも のであ ろう か 、 ﹁軍 配 文 字 ﹂ では、 文 字 表 記 に関 連 し て附 帯 的 に語 彙 の若 干 に言 及す ると いう 形 で、 語 彙指 導 への崩 芽 的要 素 を 胚 胎 し てお り 、 そ の意 味 で は次 代 への基 礎 的 土 壌 作 り が始 め ら れ て いたと いう こと が でき る。も ち ろ ん兵 法 学 内 で の試 み. さ な い こと にし た い。 私 の考 え では、 ﹁ 文字 相 伝 ﹂ の史 的意 義 は 、 兵 法学 の体 系 的 伝書 の中 に、直 接 的 に は戦 闘行 為. ﹁文 字 相 伝 ﹂ と 上 泉 流 兵 法 と の関 係 や そ の本 文 の復 刻 等 に つい ては、 既 に述 べた こと があ る の で、 な る べく 繰 り 返. 一層 そ の こと は明 白 であ る 。. 名 が載 って い るし 、 そ れ が右 述 のよ う に小 幡 景 憲 ︱ 佐 々木 秀 乗 ︱ 有 沢永貞 へと 実 質 的 に伝 写 さ れ た も の であ る なら 、. (32)2/ゴ 田 勇 雄 島.
(13) 原 百 廿 字 之 事 ﹂ が あ る。 本 伝 書 も本 来 は氏 隆 伝 ﹁訓閲集 ﹂ 中 の 一伝 書 と し て著 述 さ れ たも のであ った か も しれ な い. が 、 現 存 の形 態 か ら は そ の明 証 は得 ら れ ず 、 ま た それを 発展 的 に継 承 す る伝書 も 現在 のと ころ発 見 す る こと が でき な. 。 い。 それ が後 世 に与 え た影 響 は ほと んど 認 め ら れ ず 、武者 言 葉 へ道 を 開 いたけ は いも ま た認 めら れ な い そ のよ う に 、 小 笠原 百 廿 字 之 事 ﹂ と で は、武 者 言 葉 集 の歴 史 の中 で占 め る位 置 に大差 が認 め ら れ る よ う に ﹁文 ﹁文字 相 伝 ﹂ と ﹁. 、 字 相 伝 ﹂ によ って文字 表 記 の指 導 に関 す る伝書 を ﹁訓閲集 ﹂ の伝 書 体 系 に導 入 し た こと や や が て は語 彙 指 導 の伝書. 、と いう のは 一種 の呪術 的方 法 で. 軍配文字﹂ であ る。 そ のこと は、両者 の記述様式 ・記述内容を比 文字相伝﹂ の発展 的継承が岡本系 の ﹁ 上泉系 の ﹁. あ る。. であ る。 最 後 に敵 将 の名 字 を 書 くと き に は、 そ の漢字 の首 を は ね た よ う な形 に書 け. て、 通 常 の訓法 から 飛 躍 的 連 想 的 に発 展 し たも ので、 戦 闘行 為 を 常 に味 方 の勝 利 に直 結 し よ うと の祈 念 的意 識 の反 映. それを カ ツ ・ ノブ ルなど と 訓 じ る のは、 漢字 の兵 法 用 訓法 と し ゴ ク ・ハタ ラクと 訓じ る の は 通 常 の用法 であ る が、. 、 箭 は敵 に向 か って ス スムと 読 み 、逆 に、敵 の矢 は ス ス マぬと いう ふう に 敵 と 味 方 と で用 語 を 異 にす る用 法 を根 底 に 。 動 ﹂ の訓 で は、 それ を ウ 持 つ戦場 用 武 者 言 葉 と言 語 意 識 を 共 通 にす るも のに つい てそ の文 字 的 側面 を 述 べたも の ﹁. ス ムと 訓 じ る のは、 し い て神 功 皇 后 の三韓 出 兵 の故 事 に語 源 を 求 め る いわ ゆ る故 事 附 け の例 であ ると と も に. 。 殿 ﹂ を シ ッパ ﹁文 字 相 伝 ﹂ の本 文 に 即 し て伝書 の著 作 者 の意 図 し た文 字 指 導 の内 容 を具体 的 に検 討 し てみ よ う ﹁ 、 兵 呼﹂ を ッ ライ ・シ ンガ リと 訓じ る のは 、 兵 法 用 漢字 に ついて正 し い漢 字 訓 を 指 導 す るも の ︵シ づ フイは初出例か︶ ﹁ 。 、 アイ ジ ルシと 訓 じ る のは 、 兵 法 用漢字 のう ち 宛字 式表 記法 に つい て 字 意 か ら す る宛字 を挙 例 し たも の ﹁箭﹂ を ス 、味 方 の. 間 学 的 な哲学 体 系 へと赴 か せ る 契機 と な ったと 言 え る の であ る 。. って、 他 の軍 礼 的要素 と あ いま って、 近 世 兵 法 学 を単 純 に戦 闘 の た め の理論体 系 に終 始 せじ めず し て、 これ を よ り 人. と し て の武 者 言 葉 の導 入 の契 機 と な ったわ け であ り 、 それ は近 世 兵 法 学 の体 系 の中 に言 語 的要 素 を 導 入 す る こと によ. 兵法諸流 と武者言葉 との関係 についての試論 27θ (33).
(14) 較 す ると 、 容 易 に判 定 でき る 。 ﹁ 文 字 相 伝 ﹂ の文 首 と 文 尾と を存 し 、 そ の間 に大 き く 増補 す る形 式 によ って ﹁軍 配文. 字 ﹂ は成 立 し て いる し 、内 容 的 にも ﹁軍 配文 字 ﹂ は 、 神 功皇 后 の故 事 の記 述 も 増 補 ・整 備 し、続 く 漢 字 の配 列も あ る. 種 の編集 意 図 で同 様 に増 補 ・整 備 し たあ と が 認 めら れ る。ま た ﹁文 字 相 伝﹂ の主 題 が兵 法 上 の文 字 指 導 にあ った よ う. に、 ﹁ 軍 配文 字 ﹂ の主 題 も同 様 に文 字 指 導 にあ った。 た だ後 者 の特 異 点 の第 一は、武 具 ・兵 具 ・物 具 ・戦 具 に つい て、. そ の用 語 を多 く 挙 げ 、 そ の正書 法 を 示 す と と も に、 そ の用語 の分 類 名 を 添 え 、 更 に別 に ﹁ 狼 煙 ・斥 候 ﹂ な ど の戦場 用. 具 ・人的構 成 に つい て の用 語 ・用 字 に触 れ る こと であ る 。 漢 字 指 導 を 契機 と し て兵 法 用 語 の指 導 にも 言 及 す るわ け で、 これ は次 代 の武 者 言 葉 集 の中 に兵 法 学 用 語 が抱 含 さ れ る こと への先 鞭と 考 え ら れ る。 特 異点 の第 二 は 、 ﹁ 銀胃 一 てへん まい 電 変 ・鞘 ﹂ な ど の武 具 部 分 の用 字 の解 説 に関 す るも の であ る。 これ ら は本来 和 語 であ り 、 和 語 と し て の兵 器 用 語 の漢. ﹁ 軍 配文 字 ﹂ の内 容 を 武者 言 葉 と の関 係 か ら 用 語 面 を 中 心 に考 察 す ると 、 こ の用 語 に は次 の各 種 が挙 げ てあ 。第 る 一に、武 具 ・兵 具 ・物 具 ・戦 具 な ど の兵 器 用 語 を そ の分 類 名 と と も に挙 げ てお り 、 更 に ﹁ 斥 候 ・間 諜 ﹂ な ど の戦 闘 用. のも これ ら と 類 を 同 じ く す る 。. 字 表 記 にど のよ う な漢字 を 用 い る か の選 択 にあ た って、 ﹁ 銀 冑 ﹂ は銀 星を 四形 にお く ので ﹁ 銀 ﹂ の字 を 用 い て ﹁ 白﹂ の字 を 用 いな いと か 、 ﹁ 幕合 戦 ノ時 気 変 発 シテ電 光 ノ如 シ﹂ であ り 、 そ れ で甲 の頂 上 に は ﹁電 変 ﹂ の字 を 書 く な ど 、 民 間 語 源 説 や故 事 付 け など の解 釈 のも と に、 な る べく 縁 起 のよ い漢 字 を使 用 し よ う と す る。 こ の縁 起 のよ いも のを重 ん じ ると いう 考 え方 は中 世 以 来 の伝 統 的 なも の であ る が 、 それ ら が 武 器 用語 を摘 出 し な がら問 題 にさ れ る点 に、 語 柔 への関 心 の深 ま り が感 じ さ せら れ る 。 第 二 に、 同 じ く 和 語 の兵 器 語 に ついて の漢字 表 記 の選 択 にお い て、 漢字 の意 味 な ど を 踏 ま え て、 忌 詞的 思 考 法 に基 づ い て縁 起 のよ い漢 字 を使 用 し よ う と す るも のがあ る。 ﹁ 去 死﹂ は、 和 語 の音 と 漢 字 音 と を 一致 さ せ 、 そ の上 意 味 の ﹁ 去 レ死 ﹂ と いう こと への祈 り を 籠 め て こ の表 記 を 選 んだも の であ ろ う し 、 鎧 の 祖 伝 ﹂ と す る のも ﹁軍 神 二三祖 ノ神 明 有 、之 ヨリ 伝 テ敵 ノ利 双 ヲ防﹂ ぐ た め であ り 、 鎧 の板 を ﹁ 袖を ﹁ 威多﹂とする. )269 (3イ. 田 勇 雄 島.
(15) 略 ︶ス ス ム ル﹂ な ど のよう に指 揮者 な ど の身 分 に 御 乗馬 ︵ 狼 煙 ﹂ な ど の戦場 用 語 が挙 げ てあ る。 第 二 に、 ﹁ 員 用語や ﹁. 応 じ る用 語 が挙 げ てあ る。 第 二 に、 味 方 の箭 は ス スムと 訓じ たり 、 敵 の幕 は引 く と いう よう に、敵 o味 方 によ って用. 語 を 変 え 、 味方 に は よ し な に言 い、敵 に はあ しざ ま に言 う よう に敵 ・味方 で使 い分 け る用 語 を 持 つこと があ る 。 これ. 、 戦 争用具. の優 劣 が勝 敗 の重 要 な要 因と な るし、 これ が同時 に戦術 を も 規定 す る が、 当 時 は 刀槍 によ る個 人技 中 心 であ った た め. て指 揮 者 に関 す る用 具 で、 刀槍 等 の武 士 の戦 闘 用 具 に は言 い及ば な い。 つま り 、後 世 の戦術 論 から す れ ば. これ は主 と し 制 器﹂ は扇 ・磨 ・幕 ・旗 ・六 具 ・兵 具 ・団 ・策 等 の軍 器 に関 す るも の であ る。 に関 す るも の であ り 、 ﹁. 項 に分 類 さ れ る。 そ の分 類 に従 うと 、 ﹁天 官﹂ は主 と し て軍 事 に関 す る 日取 り の類 と 雲 気 を 相 し て勝敗 等 を 占 う 術 と. 兵 法 秘 術 一巻書 ﹂ の混 入 し たも のと し 、 これ を 除 いた残 り を 天 官 o人事 ・製 器 の三 て、 石 岡 氏 は そ のう ち 一 一巻 は ﹁. 軍 配文字 ﹂ が ど のよ う な位 置 にあ る かを 、あ ら か じ め考 え てお き た い。岡 本 系 の ﹁訓閲集 ﹂ 八 五 巻 に つい 系 の中 で ﹁. 武 者 言 葉 集 が、 各 流 兵 法 学体 系 の中 でど のよう な位 置 を 占 め る のか 、 を 考 え る に先 だ って、 岡 本 系 ﹁訓閲 集 ﹂ の体. 精 神 を受 け と り 、 そ れ か ら ど のよう な自 己改 革 を体 験 し た の であ ろう か。. 半 介 にお け る変 革 的 精 神 の表 わ れ であ ると 言 ってよ い の であ ろう 。 小 幡 景 憲 は ﹁軍 配文字 ﹂ か ら 、 ど のよ う な変 革 的. う と の精 神 の表 わ れ が認 めら れ るなど 、 伝書 を 貫 く 理念 の中 により 近 世 的 な要 素 が認 めら れ る の であ る。 それ は岡 本. で は 、 用 字 の指 示 にも 客観 的 に記 述 し よう と の意 識 が認 めら れ 、故 事 付 け な ど の解 説 の中 にも より 合 理的 に解 説 し よ. 軍 配文字 ﹂ 全 く 文字 指 導 にあ る こと と と も に、 これ は全 く中 世 末 的要 素 に充 ち た伝書 であ ると 言 え る。 それ に対 し 、 ﹁. 神 と 、敵 将 の名 字 は首 を 刻 ね た よう に書 くと いう こと に見 ら れ る呪術 的要 素 と が最 も 根 幹 にあ り 、 こ の伝書 の主 題 が. 文字 相 伝 ﹂では、文 首 の ﹁箭﹂ の訓 の故 事 付 け と 味方 の事 柄 を よ し な に言 う と いう 精 な い。根 本 的 理念 に差 があ る。 ﹁. 軍 配文 字 ﹂ と の差 違 点 は、右 に挙 げ た特 異点 のよ う な も のだ け かと いう に、 そう と ば か り は言 え ﹁文 字 相 伝 ﹂ と ﹁. ら は次 代 の武 者 言 葉 集 の内 容 と 直 接 的 な関 連 を 持 って いる。 兵法諸流 と武者言葉 との関係 についての試論. 268(35).
(16) に 一般 兵 器論 は未 発 達 であ り 、兵 法 学 で は将 師 用 の指 揮 用 具 中 心 の論 だけ が なさ れ て いたわ け であ る。 ﹁人事 ﹂ に は 、. 城 取 り ・首 実 検 o出 陣 ・出 陣 祈念 ・陣 取 り ・斥 候等 が含 ま れ る。 即ち 出 陣 から 戦場 のかけ ひき に至 る諸 事 項 が含 ま れ. る が 、 こ の中 に ﹁ 軍 配 文 字 ﹂ が含 め ら れ て いる 。 近 世 では、 首 実 検 ・出 陣 祝 ・武 者 言 葉 な ど は軍 礼 の項 に納 め ら れ る. が 、 そ の崩 芽 が こ の ﹁人事 ﹂ の項 にあ る わ け であ る。 ﹁人事 ﹂ の項 は 、 一軍 の将 が出 陣 し て戦場 に臨 み、 軍 を 指 揮 す. る上 で の諸 事 項 を 含 む と 考 え てよ い。 近 世 にお け る兵 法 各 流 の戦術 論 と軍 礼 論 と の中 心 が こ の ﹁人事 ﹂ にあ た ると 言 え る わ け であ る。. 近 世 の兵 法 学 各 流 の体 系 を 戦術 論 ・指 揮 用 器 論 ︵ 兵器払 じ ・軍 礼 論 の三種 に下 位 区分 し 、 軍 礼 論 のあ る こと を も って. 近 世 日本 兵 法 学 の特 徴 と 解 し た いと いう のが、 私 の素 人考 え であ る が 、 そ の軍 礼 論 の中 に武 者 言 葉 論 を中 心と す る言. 語 技 術 論 が含 ま れ ると 考 え て いる 。 も っと も 軍 礼 の用 語 の起 源 と か武 家 礼 式 家 と の影響 関 係 と か こ の用 語 の使 用 の有. お け る素 朴 な宗 教 的 精 神 に基 づ い て敬 虔 に行 なわ れ たも のと 思 わ れ、 それ は や はり 戦 闘行 為 の 一種 と み なさ れ る べき. て祈 り の実 現 と な って祈 り 手 に帰 属 す ると 期 待 さ れ て いる 。 ﹁ 軍 配文 字 ﹂ によ る文字 表 記 は本 来 そ のよう な中 世 人 に. 神 の作 動 が見 ら れ る 。 し かも それ は単 な る祈 り に終 始 す るも のと し て祈 る の では な く 、 祈 る こと は言 霊 の活 動 によ っ. さ し て不 可 思 議 な こと では な か った の であ ろう 。出 陣 に先 だ って行 な う出 陣 祈 願 の行 事 の肴 組 に考 慮 を 払 い、 そ れ に よ って勝 敗 を 占 い、 勝 利 を 祈 願 す る 思 考 法 と 、 戦 闘関 係 の用 字 に勝利 の祈 願 を こめ る のと では、根 源 的 に共 通 す る精. わ れ て いる こと は、 我 わ れ にと って は い ぶか し い現象 で、 著 し く 不審 感 を そ そら れ る。 し か し中 世 人 にと ってそれ は. 的 に性 格 を 異 にす るも のと 思 わ れ る。 にも か か わ ら ず こ の ﹁訓 閲集 ﹂ では等 し く ﹁人事 ﹂ の中 の伝書 と し て対 等 に扱. 我 わ れ の意 識 か ら す れ ば 、 ﹁ 軍 配 文 字 ﹂ によ る文字 表 記 の指 導 は、 城 取 り ・陣 取 り ・斥 候 など の戦 争技 術 と は本 質. 軍 配 文 字 ・実 検 巻 ・頸 祭 大 事 切 紙 ・頸 祭 返極 秘 が これ にあ たり 、 ほ ぼ これ に当 た るも のが近 世 に継 承 さ れ る。. 無 と 兵 法 学 各 流 と の関 係 と か に つい て は 、十 分 整 理を 行 な って いな い。岡 本 系 ﹁訓 閲集 ﹂ では、 発向 巻 ・肴 組 大 事 ・. (36)267 田 勇 雄 島.
(17) も の であ った の であ ろう 。. ﹁天 官﹂ は軍 事 に関 す る 日取 と か雲 気 を 相 し て勝 敗 を 占 う術 に関 す るも の で、 指 揮者 の心 得 る べき 戦 争技術 の指 導. 制 器﹂ も 扇 ・ の 一部 であ る。 ﹁人事 ﹂ も 出 陣 祈念 ・城 取 り ・首 実 検 など指 揮者 の心 得 る べき 戦 争 技 術 の 一端 であ る。 ﹁. 景 憲 の兵 法 学 上 の主 著 は 、 既述 のご と く ﹁甲 陽軍 鑑 抜 書 前 集 ﹂ を初 めと す る十 種 の伝 書 であ り 、 これ ら を も って甲. ︵一︶ 景憲 の伝書. そ の三 小 幡 景 憲 の武者 言葉 集 ︱︱ 杉 山 公 憲 の ﹁軍 鑑 挙 要 ﹂ を 経由 し て︱︱. 文 字 ﹂ の中 に過 渡 的 様 相 を 認 め る こと が でき る の であ る。. 軍配 く す る 。 そ れ は武 者 言 葉 に期 待 す るも のが変 化 し た結果 であ る。 そ のよう な 歴 史 的 変 化 から し ても 、岡 本 系 の ﹁. 武 者 言 葉 之 大 概﹂ の要 門 流 兵 法 学 体 系 上 の位 置 に つい ても類 を 同 じ き 軍 礼 上 の知 識 と さ れ た。 そ の こと は要 門 流 の ﹁. 武 教 全 書 ﹂ では下 級武 士 の心 得 る べ と き 伝 書 が いく つも 著 述 さ れ たわ け であ る。 武 者 言 葉 に つい て言 えば 、素 行 の ﹁. 得 る べき 兵 法 上 の知識 に差 違 を 与 えた。 そ の風 潮 に の って平 士 の心得 る べき も のを 説 いた ﹁一騎武 者 受 用之 巻﹂ のご. 何 によ って、若 干受 講 項 目 等 に差 を付 け る方 式 を 一般 に採 用 し た。 同時 に近 世 の兵 法 学 では、武 士 の身 分 に応 じ て心. そ の代 わ り に受 講者 の身 分 の如 各 種 の武 士 階 層 を 広 く指 導 の対 象 と し 、 近 世 の兵 法 学 各 流派 では、 と いう のは、. 現 実 の指 導 の反 映 と 思 わ れ る 。 そ こに岡 本 半 介 の伝書 の過 渡 的形 態 が考 え ら れ る 。. や や下 層者 に対 す る 御 乗 馬 ﹂ と か に つい て述 べる件 があ り 、 大将 ノ御 陣 屋 ﹂ と か ﹁ さ れ た語 彙 に関 す るも の に は、 ﹁. 文 字 ﹂ も 本 来 主 と し て指 揮 者 を 対 象と し て編 纂 さ れ たも の であ ろう と 思 わ れ る。 た だ明 ら か に岡 本 半 介 によ って増 補. 軍配 文字 相 伝﹂ や ﹁ ﹁訓 閲 集 ﹂ は本 来 指 揮者 の た め の兵法 学 体 系 であ った し、 し たが って武 者 言 葉 の萌 芽 と 目す る ﹁. 。 団 な ど 指 揮 者 の指 揮 用 具 を 主 と し て論 じ るも の で、 指 揮 者 のた め の戦 争技 術 の 一部 を 述 べたも のであ る そ のよう に 兵法諸流 と武者言葉 との関係につ いての試論. 266(37).
(18) 州流 兵 法 学 の基 本 的 伝 書 と す る。 景 憲兵 学 は 、 建 学 の当初 は学 的性 格 が曖味 であ り 、 そ のう ち 次 第 に学 的 に整 備 充 実. さ れ たも のと 考 え ら れ る し 、 ま た景 憲 以 後 に は そ の整 備 充 実 が 一層 進 行 し、 それ に伴 い拠 り 所 と す る兵 法 理念 等 の い. か ん に 因 って諸 派 に分 派 し 、 中 には甲 州 流 よ り 分 離 独 立 す る こと を 標 榜 す るも のま で現 わ れ た。 それ ら を 通 じ て、 甲. 州 流 の流 派 上 の範 囲 を 何 を 基 準 にし て決 定 す る か は 、 それ ら 諸 派 が 甲 州本 伝 流 と か 信 玄 流 と か 甲 陽 的 当 流 と かと 甲 州. 流 ゆ か り の名 称 を使 用 す る か 否 か と か 、 あ る いは古 伝 流 や 手 鑑 流 な ど の 別 系 の名 称 を使 用 す る か 否 か な ど によ って. は、 定 め が た い。 流 派名 の決 定 に は政 策 のか ら む ば あ いがあ る か ら であ る。 む し ろ 景 憲 直 伝 のそれ ら の伝書 を 講 読 伝. 授 す る指 導 課 程 を 持 つか 否 か に よ って決 す べき で、 たと えば 岡 崎 康 邦 のごと く 、本 来 は 甲 州流 を 学 ぶ者 であ っても 、. す で に異 を 立 て ﹁ 先 師 以 来 の伝 書 を廃 棄 し て自 著 を も って伝 書 と し 、流名 さ え も 別 名 を 称 し た﹂ も のは、 たと え兵 法. 理念 上 共 通 の要 素 を 持 って い ても 、厳 密 に は 甲 州流 か ら 除 く 、 と いう ふう に取 り 計 ら った方 が よ か ろう と 思 う の であ Z O。. ﹁訓 閲 集 ﹂ の伝 承 に関 し て、 上 泉 系 や岡 本 系 に革 新 的 気 運 があ り 、 景憲も そ のよ う な進 歩 的兵 法 学 者 に見 ら れ た革. 新 的 な 精 神 風 土 を 早 く も 十 分 体 感 し て いた であ ろう 、 と初 め に述 べた。 しか し それ はあ く ま でも 可 能 性 の問 題 であ っ て、 必 然 性 の問 題 では な い。 景 憲 兵 学 の建 学 の当初 そ の学 的 性 格 が曖 昧 であ ったと い った のは、自 己 の兵 学 を ど のよ. 心と な る 伝書 群 を 著 述 す る の は 、 ま さ に門 弟 両 人 のそれ ら の著 述 に遅 れる こと 数 年 の後 の こと であ る 。 そ の意 味 で. た それ よ り 早 く 寛永 一二年 に北 条 氏 長 は ﹁ 兵 法 師 鑑 抄 ﹂ の体 系 を 完 成 さ せ て景 憲 を 驚 か せ て いる。 景 憲 が甲 州流 の中. う と 言 わ れ る。 こ の時 、 素 行 は す でに大 部 の書 ﹁ 兵 法 神 武 雄 備集 ﹂ の大体 の理論体 系 を成 就 し て いたと さ れ るし 、 ま. 歳 の景 憲 は 二 一歳 の素 行 に印 可 状 ・印 可 副状 を 与 え てお り 、 そ の頃 に は甲州流 の兵 法 学 理論 の大 綱 も定 ま って いた ろ. も 明 確 で は な く 、 も ろ も ろ の点 にお い て明 確 でな い こと が多 か った ろう こと を 言 って いる のであ る。寛永 一九 年 七 一. う な 理念 に よ って展 開 さ せ る か に つい て、 景 憲 の考 え が十 分 に確 乎 し たも の では な く 、兵 法 学 体 系 の見 通 しも 必ず し. (38)265 田 勇 雄 島.
(19) は、論 理 的 思 考 力 の点 で は、 景 憲 は北 条氏 長 や 山 鹿 素 行 に及ば な いし 、 そ の及ば な い こと が景 憲 の氏 長 に対 す る不 快 さ の原 因 と な り 、両 人 の不 和 のも とと な ったも のと 考 え ら れ て いる。. 景 憲 が い つ流 派意 識 を 確 立 し て甲州流 の開 流 を 決 意 し たか、 明 ら か でな い。 お そら く 近 世初 頭 に は、兵 法 に流 派 と. 、 いう意 識 は見 ら れ な か った の で はあ るま いか 。 武 家 礼 式 と し て の小 笠原 流 や伊 勢 流 の こと は言 う ま でも なく 芸 能 関. き 候 故 と 存 候。 然 に近 年 其 方 に逢 候 て、 軍 法 兵 学 之 咄 、 評判 詮議 を仕 候 に、 毎 度 驚 レ耳 候。 睡 庵 事 は渡 奉 公 人 に. 、 へ参 候 て軍 法 咄 仕 候 へ共 、 我 等尤と存 候 者 無 レ之 候 。此 段 は渡 辺 睡庵 と 昼夜 咄 候 て、 古 来 より 軍法 弓 矢咄 毎 度 聞. を 取 誓 詞仕 候事 無 レ之 候 。 殊 更武 芸 など は 人 にま し て習 候者 に無 レ之 候 。 世 上 軍 法 者 多 候得共 、 師 を仕 候者 我 等 所. 村 上 宗 古 老 、我 等 別 て申 談 候事 、各 存 知 候 通 候 。 拙 者 方 へ御 出 候時 分 被 レ仰 候 は 、 我 等 事 わ か き時 分 より物 之 師. な って い った と 思 わ れ る 。素 行 の ﹁配所 残 筆 ﹂ に次 の記 事 があ る。. 的 風 潮 を 受 け て、 巷 間 に兵 学 講 談 の類 がし き り に行 なわ れ 、 軍 学 者 をも って自 任 す る者 が巷 にあ ふれ ると いう 世情 に. で、 近 世 初 頭 にお け る説 話 文 学 と し て文 学 史 上 に 一つの座 席 を与 え る べき だと 提 言 し た こと があ る 。 そ のよう な時 代. 0︶ ︵ 1. 咄 聞書 ﹂ な ど で そ の実 態 を 把 握 でき るが、 そ れ ら は他 の時 代 の説 話 と は様 式 ・題 材 等 に つい て特 殊 性 を持 つも のな の. 武辺 の産 業 予 備 軍 と し て武 士 たち が武 辺咄 ・夜 咄 な ど と 称 し て戦 闘体 験 と か戦 闘 の た め の教 養 談 に ふけ った こと は ﹁. 験者 が巷 にあ ふれ てお り 、武 ば った こと が 一般 に重 要 視 さ れ た。軍 記 の形 式 に よ る戦 史 物 が多 量 に生 産 さ れ 、 それ ら. 近 世初 頭 に は 、 世 は 泰 平 に赴 き つつあ るも の の、 戦 乱 への危 険性 が全 く 解 消 し たわ け では なく 、 ま た従前 の戦 争体. 。 そう な る に は 暫 く時 を 必要 と し た であ ろう 。 も ち ろ ん学 的未 分 化 が 一層 それ を 要 請 し な か った こと であ ろう. 持 つ。 兵 法 学 に流 派 が生 じ たと すれば兵 法 講 義 を 職 と す る者 の発生 に伴 う も の であ ろ う が、 近 世 初 期 の武 家 社 会 で は. であ ろう 。 流 派 を 立 てる こと が自 己擁 護 の手 段 に な り 、 経 済 的生 活 に関 連 を 持 つこと に な って初 め てそれ は必要 性 を. 、 係 一般 に流 派 と か家 元と か が問 題 にさ れ る のは 、 か なり のち の こと であ る。兵 法 のよ う な学 門 の世 界 では 一層 そう 兵法諸流 と武者言葉 との関係 についての試論 26イ (39).
(20) (イ θ. )263 田 勇 雄 島. 近代 稀 成 武 士 と存 候 。 然 共 軍 学 兵 法 之 議 論 被 レ仕 候 は ゞ其 方 前 に て睡庵 回 の明 可 レ申 候 様 に て不 レ被 レ存 候。 就 レ其. 当 年 五十 三 歳 、 老 学 恥 入 候 得 共 、今 日初 て誓 詞仕 、其 方 兵 学 之 弟 子 に成 申度 候由 ︵ 略︶. ま た近 世初 期 に 何 流 と も 流 儀 を 定 め ぬ兵 法 書 が多 産 さ れ 、 ﹁ 軍 鑑 独 歩 集 ﹂﹁ 兵 法之 書 ﹂ ︵ 鍋島少輔信澄、九冊︶など多 数 が 現存 し て いる のも 、 右 のよ う な 世 風 の残 滓 と いう べき であ ろう 。. 元 和 元年 に大 阪 夏 の陣 が終 結 し て、景 憲 は徳 川 家 に 帰 参 し 、 元 和 七 年 に北 条 氏 長 が 一三 歳 にし て入門 し 、同年 毛利. 宰 相 秀 元 に 元 和 七 年 本 ﹁甲 陽 軍 鑑 ﹂ を進 上 し て いる 。 ﹁甲 陽 軍 鑑 ﹂進 上 の件 は、景 憲 の研 究 が世 上 に喧 伝 さ れ た た め で. あ る べく 、 事 実 景 憲 所 有 の ﹁甲 陽 軍 鑑﹂ を 諸名 士 の書 写 し た こと も 多 く、ま た版 本 に つい ても 、 現存 の明 暦 版 o万 治. 版 な ど のほか にも 寛 永 版 ・寛 文 版 等 の刊行 のあ った こと に つい て の諸 説 も行 なわ れ る ほ ど であ る が、 それ ら の刊 行 に. は景 憲 の協 力 を 得 て初 め て可 能 であ った こと は言 う ま でも な い。 ﹁甲 陽 軍鑑﹂ の刊 行 は ﹁ 信 長記 ﹂ ﹁ 太 閤 記 ﹂ など の英. 雄 中 心 の戦 史 物 刊 行 の流 れ の中 で な され たし 、 よ り 巨 視 的 に は中 世 以 来 の各 種 戦 史 物 著 述 の流 れ の中 で著 述 され たも. の であ り 、 そ れ を めぐ る研 究 的 刊 行 物 には寛 文 十 年 の書 籍 目 録 によ ると 、す でに ﹁甲 陽 軍 鑑 管 見 抄宍馬場道誉、 一九冊︶. 一〇冊︶・﹁甲 陽 軍 鑑 評判 奥 儀 抄﹂ 曾 五 冊︶な ど が載 せら れ てあ る。 伊南芳通、 承応 二年刊、 。﹁ 甲 陽軍 鑑 評 判 ﹂ ︵ こと に. 慶安三 o四年︶よ り は お そく ﹁ 景 憲 の伝書 のう ち 、 ﹁ 彼書 ︵ 彼本と ︵ 万治 ﹁甲 陽 軍 鑑 評 判 ﹂ のご と き は 、 此書 ︵ 此 本と ︵. 元年︶より 早 い時 期 に刊 行 さ れ て いる。 それを も ってし ても 、 ﹁甲 陽 軍 鑑﹂が いか に強 く 世 の注 目を 浴 び て いたか を 知 る こと が でき る 。. そ のよう な ﹁甲 陽 軍 鑑 ﹂ の書 写 ・刊行 ・研 究 等 の盛 行 を も ってた だ ち に景 憲兵 学 の浮 上 に直 結 す る こと は正 し く な. い であ ろう 。 景 憲 は、 三科 伝 右 術 門 ・広 瀬 美 濃 守 ・早 川 弥 三左 衛 門 か ら信 玄流 の陣 法 ・軍 法 ・城 取 な ど の部 分 的 な戦. 法 に ついて の伝 授 を 受 け ると い った こと によ って、 あ る種 の戦 闘 技 術 に ついて の断 片 的 知 識 を 持 って いたけれ ど も 、. それ ら を 一定 の 理念 のも と に兵 法 学 に組 織 づけ る こと を 当初 か ら意 識 し て いたか は 、 甚 だ 疑 わ し い。 景 憲 の伝書 から.
(21) は 、 それ は ほと ん ど 感 得 でき な い。 景 憲兵 学 は、 ま ず そ の断 片 的 知識 に基 づ い て ﹁甲陽 軍 鑑 ﹂ を 素 材 と し て講 読 す る. 、 景 憲 は量 的拡. 兵 法 之 書 ﹂ など が そう であ る よ う に、 断 片 的 知 識 の深 軍鑑 独 歩 集 ﹂ ﹁ こと か ら 始 めら れ たも のと 思 わ れ る。 そし て ﹁ ったも の であ ろう が、 そ のう. 化 と 拡 大 と がま ず 求 め ら れ 、 景 憲 兵 学 は そ のよ う な要 請 に応 ず るも のと し て成 長 し て い. 、 ち それ ら 断 片 的 知 識 の理論 的 統 一が求 めら れ るよう に な り 北 条 氏 長 や山 鹿素 行 は それ を な し え た が. し てい し 大 にと ど ま った の で は な いか と 思 わ れ る。 ただ景 憲 は ﹁訓 閲集 ﹂ にお け る兵 法 学体 系 を 岡 本 半 介 を 介 て承 知. 、 後集﹂ 前 集 ﹂ にも ﹁ 上 の部 分 的技 法 の摘 出 が な さ れ た こと を示 唆 し て いる。 そ の技 法 の抜書 でも たと えば 備 立 が ﹁ 、 、 。 にも そ の他 にも 見 ら れ ると いう ふう で、十 分 体 系 的 組 織 的 な抜 書 に はな って いな い そ れ は 言 ってみ れ ば 単 元学. 景 憲 の伝書 に は ﹁甲 陽 軍 鑑 抜書 前集 ﹂ と か ﹁甲 陽 軍 鑑 抜 書 武 備 軍 要 巻﹂ な どと ﹁甲 陽 軍 鑑 ﹂ か ら の抜書 であ る こと 、 を 標 榜 す るも のが あ る 。 そ の こと は、 そ の兵 学 上 の特 徴 が ﹁甲 陽 軍 鑑 ﹂ の研 究 にあ る こと を 示 唆 す ると と も に 兵 学 、 上 の理想 像 が究 極 的 に信 玄 のそれ の再 現 にあ る こと を 示 唆 し て いる が 一方 そ の過 程 で ﹁甲 陽 軍 鑑 ﹂ に見 ら れ る兵 法. あ る。 景 憲 兵 学 は 、 これ ら と は展 開 の相 を 異 にす る わ け であ る。. 英 そ の他 にも 等 し く 認 めら れ 、論 理的 思考 力 にたけ た流 祖 が自 己 の学 的体 系 を建 立 す るさ い に見 ら れ る 一つの類 型 で. 兵 法 雄 鑑 ﹂ に至 って北 条 流 の体 系 が完成 す 雄 鑑抄 ﹂ になり 、更 にま た正 保 二年 には ﹁ 更 に寛 永 一六年 に錬 成 さ れ て ﹁ 士 鑑 用法 ﹂ が成 立 す る。 ほか に部 分 一般 士 人用 に ﹁ 結 要 士 鑑 ﹂ が成 立 し 、 る。 以 後 そ の簡 約 本 と し て将 軍 献 上 用 に ﹁ 。 由 利 安 牟 攻 城 伝 ・ 一歩 集 ・乙中 甲 伝 ・城 取 離 格 問 答 ﹂ 等 が著 述 さ れ た 即ち ま ず兵 法 学 体 系 の 的 事 項 を対 象 と す る ﹁ 。 錬 成 が な さ れ 、 そ の完 成 後 教 科 書 や単 元学 習書 の著 作 が な さ れ たわ け であ る そ の こと は山 鹿 素 行 や要 門 流 の沢崎 景. 兵 法 学 の体 系 と の関 係 から 言 えば 、 北条 氏 長 の北 条 流 で は. 、 た 。 し た が って十 種 の伝 書 に は実 現さ れ て いな いが ﹁訓 閲集 ﹂ の体 系 を 基 盤 にし た 一つの体 系 が景 憲兵 学 の深 層構 。 造 と し て存 在 し て いた こと は 、考 慮 し てお か ねば な ら ぬ であ ろう 、 寛 永 一二年 に ﹁ 兵 法 師 鑑 抄 ﹂ の体 系 が完成 し、 それ は. 兵法諸流 と武者言葉 との関係についての試論. 262(イ ゴ).
(22) 2)26ゴ. 習 的 技 法 を ﹁甲 陽 軍 鑑 ﹂ か ら 抜 書 す る う ち に、 それ ぞ れ の伝 書 が成 立 し 、 それ ら の伝書 を 反 復 講 義 す るう ち 次 第 に講 義 内 容 が深 化 し 拡 大 し て い ったと いう 事 情 が推 察 さ れ 、 景 憲 兵 学 の整 備充実 の情 勢 が推 察 さ れ る の であ る。 し し か 一 面 景 憲 兵 学 の理念 と か体 系 と か と い った学 問 の基 本 的 構 造 が十 分 鮮 明 にされ て いるわ け では な く 、 し た が っ て景憲 兵 学 の本 質 は何 か 、 そ れ は ど のよ う な経 過 によ って変 遷 し な がら自 己確 立 し たか、 な ど の こと は 、 現段 階 で 兵 は 法学史 家 にも 十 分 鮮 明 にさ れ て いると は言 え な い状 態 にあ ると 見 受 け ら れ る。 ︵二︶ 杉山公憲 の ﹁ 軍鑑挙要﹂. 一般 に兵 法 学 の講 義 では 、後 世 の体 系 も定 ま り 伝 書 も 固定 し た時 代 には、 入門 し て講 義 の開 始 さ れ る時 、師 匠 か ら 教 科 書 が支 給 さ れ 、 それ に基 づ い て逐 次 講 義 が進 展 し た 。 し かし 兵 法 学 でも 武 家 礼 式 な ど でも 、 建 学 初 期 の、体 系 は いう ま でも なく単 元 学 習 の指 導 内 容 も ま だ十 分 一定 し な い段 階 で は、 ま ず指 導案 に基 づ 講 く 義 が集 中 的 に 一組 分 実 施 さ れ 、 終 了後 受 講 ノー ト の整 理提 出 を 命 ぜら れ 、 誤解 ・曲 解 o未 解 な ど有無 の調 査 、誤 解 事 項 の訂 正 な ど を経 て、 ノ. 作 と し て注意 さ れ る 。. 憲 は 元 和 五年 に ﹁ 武 功 之 巻﹂ ﹁ 合 戦 巻﹂ ﹁ 築 城 巻﹂ の伝 書 を 著 作 し 、 それ を寛永 一〇 年 に盛 政 に免 許 し て いる。 これ ら の伝書 を 盛政 以外 にも 伝 授 し た か は 、定 か でな く 、 ま た そ の伝書 は現存 し な い。 た だ こ の三伝 書 は景 憲 の最 も 早 い著. 景 憲 兵 学 の展 開 を 知 る に は、杉 山 八蔵 公 憲 の伝書 ﹁軍 鑑 挙 要 ﹂ が重 要 な鍵 を持 つ。公 憲 の父 八蔵 盛 政 は、村 上 昌宣 と と も に、 景 憲 の壮 年 時 代 以 来 の股 肱 の臣 で、 のち 景 憲 が家 禄 千 五百 石 を与 えら れ たと き 、 それ を 二 等 分 し て両名 に 五 百 石 ず つを与 え た と いう 。 両名 はま た兵 法 上 の弟 子 でも あ った。 盛 政 は、寛 永 一〇 年 五〇 歳 の時 景 憲 よ り 免 許皆 伝 を 受 け 、 ま た のち 桑名 藩 主 松 平定 綱 に仕 え た。 八蔵 公 憲 は盛 政 の嗣 子 で、万 治 元年 一五歳 の時 景 憲 より 印 可状 を与 え ら れ 、 直 系 の嗣 子 のな い景 憲 によ って ﹁景 憲 又憐 余 猶 過 盛 政 こ と自 記 す る よう に愛 さ れ 、 景 憲兵 学 の学 統 を 嗣 ぐ レ レ 二 者 と し て信 頼 さ れ た 。 杉 山 家 は以 後 代 々松 平 家 にお い て甲 州 流兵 法 学 的 伝 の兵 法 家 と し て 杉 山 系 の学 統 を 守 った。 景. (イ. 田 勇 雄 島.
(23) ︱ 卜 返却 のう え 、 免 許 状 の下 附 があ ると いう 順序 にな る こと が多 い。 そ のば あ い提出 ノー ト が聞書 を 形 成 す るわ け で. 軍 鑑 挙 要 ﹂ 一 一部 二 あ り 、 時 に は変 身 し て伝 書 に昇 格 す る こと も あ ると 思 わ れ る。 そ のよう な意 味 で、杉 山 公 憲 の ﹁ 二六 冊 はき わ め て重 要 な役 割 を 担 う も の であ る。. ﹁ 軍 鑑 挙 要 ﹂ は杉 山 公 憲 が主 君 桑名 藩 主 松 平定 重 の命 に よ って延 宝 八庚申 暦 仲 冬十 九 日に師 景 憲 の兵 法 学 の始 終 を. Z O。. と あ る よ う に、 景 憲 入手 の ﹁甲 陽軍 鑑﹂ は 入手 当時 す で に相 当 欠 損 し た部 分 があ ったと考 え ら れ る 。 し た が って現存. 九和 七年 六月 是 を 写 置 なり 五分 一はき れ てす た る 残 るを よく 見 て本 の こと く小 身 の愚 人 尾 畑 勘 兵 衛 一. 局坂 弾 正 書 之 右 天 正 五年 丁丑極 月 廿 四 日 一. き 事 項 であ る が、 ﹁ 軍 法 巻 ﹂ 下 巻 の奥書 に、. 右 の文 意 は こう いう こと であ ろう か。 即ち、 以上 の 一一部 と そ の細 部 の事 項 と は ﹁甲 陽軍 鑑 ﹂ の奥 義 秘 決 と いう べ. 略︶ 也 ︵. か ち 全 部 し て軍 鑑 挙 要 と 号 す 此 書 を 能 く得 心 す ると き は軍 鑑 の深 理 に至 る へし 猶書 にあ ら わ し か たき 所 口伝. 右 者 甲 陽 軍 鑑 の奥 規 秘 決 の処 本 書 に省 開 し て是 を のせ す 切 れ て見 へす と 記 す 故 に僕 先 師 の間 書 を 以 て類 を わ. そ の奥書 に次 のよ う に述 べてあ 軍 鑑 挙 要 ﹂ の成 立 に つい ては、 これ が 景 憲 兵 学 の指 導 体 系 を なすも の であ ろう 。 ﹁. 実 之 部 ︵一九 冊︶ 計 三 二六 冊. 六 冊︶・非 常之 部 ︵四 冊 ︶・天 官之 部 ︵一九 冊︶o秘事 之 部 ︵一三 冊︶・兵 器之 部 ︵四 二冊︶・雑 之 部 ︵一九 冊︶o故. 軍 鑑 挙 要 ︱︱ 武 道 之 部 ︵二 三冊︶・軍 法 之 部 ︵一九 冊︶・城 取 之 部 ︵三 一冊︶・攻 戦之 部 ︵二 一冊︶・小 勇之 部 ︵一. 甲 州流 軍 書 エ ハ○ 冊. 聞 書 に基 づ い て詳 説 し 献 上 し たも の であ る。 そ の内容 は、 ﹁甲 州 流 軍 書 目録 ﹂ によれ ば 、左 のご と く であ る。 兵法諸流 と武者言葉 との関係についての試論 3) (イ. 26θ.
関連したドキュメント
コノ方法ハ三朔シ二二ル恐レガナイ糠デアル.叉振盈スル際二品目之ヲ行ヘバ氣泡が出來テi欠ノ造作「困
ハ中等學校出身者ノ方大デアルが統計二上ノ有 意1生ハ8年以外二認メラレナイ.(恐ラク大数
余烈叉先二鰻餓時二於テ瓦斯代謝ノ著シク低
「ノイミトール」(Neumitol)ヲ注射セシ後該注射部外ノ所二水癒生ジタリ.依ツテ其ノ内容液申ノ嗜中性
カカル溶液ノ全量約15ecヲ3−7日二分チテ静脈
2本ノ50cc入ノ遠心沈澱管二上記ノ如ク盧置セル
束田氏ノ読ク「分葉核藪ノー適性二減少スル時ハ,一般二豫後良好テルモ,効果比較的可
テ手術後白血球敷ノ」曾加シ,白血球百分率二於