論文
コールバーグの道徳性発達理論と法的発達
―第 5 段階と刑事司法の特質との関係から―
佐 藤 伸 彦
*はじめに
近時、司法制度改革で学校教育等での司法の仕組みや働きに関する司法教育1の充実が提言されたことを受け、法 務省下で法教育研究会・法教育推進協議会が設置されるなど政策レベルでも「法教育」として推進されている。また、 2010 年には法学者、法律実務家、教育学者、小・中・高等学校の教職員などを中心として、法と教育学会が設立さ れている2。 法教育は一般に「法律専門家ではない一般の人々が、法や司法制度、これらの基礎となっている価値を理解し、 法的なものの考え方を身に付けるための教育」3を意味している。知識型の教育ではなく、思考型で社会参加型の教 育という特色をもっていること4から、評議活動の経験を通じたコミュニケーションによって合意形成を図る主体的 な市民的資質を養成することを目的として、模擬裁判が用いられることが少なくない5。このように法教育の目的を コミュニケーションに基づく合意形成を図る主体的な市民的資質の養成に置くことは、近時、日本でも裁判員制度 が開始され、国民自身が裁判官とともに主体的に評議に参加することが求められるといった点からもその必要性が 指摘できよう。そのような裁判官と協働して行う裁判員制度においても、刑事司法の特質に即して裁判が進められ る必要があろう。そこで、刑事司法の本質に沿いながら、今後刑事手続に参加していく国民に必要な資質や能力を 慎重に見極めて法的な発達変化を促すことが求められる。 重要なのは法教育も、およそ「教育」である以上、発達の諸段階に応じた教育が求められる点である。法教育は、 法と関連した知識や態度などの発達過程に関する問題を含みうる事柄に関する「法的社会化」のプロセスとして理 解することができる6。そして、規範意識の形成過程とその発達という点について道徳的判断の認知的発達に関する L・コールバーグの道徳性発達理論が、道徳性的発達の観点から段階ごとの法への理解・志向についても問題設定を していることから、法的な発達変化にも当てはまるものとして注目される7。例えば、 J・L・タップは、コールバー グの道徳性発達理論が法的発達にも妥当するか検討している8。タップは、「ルールと法は、正義(just)すなわち、 道徳的な社会秩序を達成するためのメカニズム」であり、ルールと法は、義務、権威と正義の観点を含んでいて、「法 制度や法過程に密接に関連する概念は、道徳的思考の中心的見方でもある。この対応は、道徳的発達と法的発達の 整合性を示唆する」9と述べている。タップによって実証的に得られたデータは、コールバーグの道徳性発達理論と 一致するという結果となっている。また、松村良之もコールバーグ自身が権利や契約といった法的な概念を用いて 議論をしており、タップなどの権利観念の発達を扱う研究からなお法的発達にとって道徳性発達理論の図式に意味 があるとしている10。 発達段階に応じた法教育の取り組みが不可欠である点は、法教育研究会「報告書」でも指摘される11など、法教 育研究において共有されている。しかしながら、「発達段階に応じた法教育」について、とりわけコールバーグの道 徳性発達理論と法的発達の関係から法教育について検討するものはそれほど多くないように思われる12。もっとも、 キーワード:道徳性発達、法的発達、法教育、法と心理、適正手続き *立命館大学大学院先端総合学術研究科 2015年度3年次転入学 公共領域コールバーグ理論と法教育の関係に触れるものも、タップの研究により法的発達に関してもコールバーグ理論と一 致すること、コールバーグ自身が法的概念を用いて議論を展開していることから、コールバーグ理論を法的発達に 関する理論とみなして法教育を論じているように思われる。ところが、松村も指摘するようにタップの法的発達理 論が J・ロールズや L・L・フラーの法哲学や P・セルズニックの法社会学のアイデアに影響されており、また、コー ルバーグも「正義」の概念についてロールズに依拠する部分が強い。そのため、タップがロールズやフラーの法哲 学を引用したことについて「正しい態度とは思われない」13と松村も述べるように、発達段階の理論的側面につい てはなお議論の余地がある。 また、コールバーグの各段階の説明は、契約といった民事法上の権利や公民権といった市民的権利を中心になさ れているようにみえるが、刑法上の問題として罰することができるかどうかや刑事手続上の被疑者・被告人の権利 について触れている箇所もある。そのせいか、多様な法領域のそれぞれの機能や特質を混同して展開されているよ うにみえる部分も少なくない。 そこで本稿では、コールバーグの道徳性発達理論から見た「法」について整理してコールバーグ理論に見る法的 な発達観を示した上で、法的社会化のプロセスとして注目されてきたコールバーグの道徳性発達理論における法的 判断と道徳的判断の関係性について再検討を行う。そして、コールバーグの道徳性発達理論との関係ではあまり論 じられていない刑事手続の特質に沿って、コールバーグの道徳性発達理論と法的な発達変化との関係を考察する。
Ⅰ 発達心理学における法と道徳:発達理論とモラルジレンマ
1 道徳性発達理論とモラルジレンマ コールバーグによる道徳性発達理論は、仮説的に設定された道徳的な 藤場面(モラルジレンマ)に対する判断 とその理由づけをもとに道徳的な価値志向について評定し、3 水準 6 段階の発達段階として定式化したものである。 コールバーグにとっての道徳性の発達には、以下のような基本的理解がある14。すなわち、コールバーグにとって、 人間は能動的・合理的な存在である。そして、私たちは、外界を自分なりに一貫したものとして能動的・主体的に 認知し、構成化していく。道徳的な「正しさの枠組み」も、有機体と外界との相互作用の中で変化し、構成化され、 それに基づき道徳的判断もなされる。そこで、道徳性の発達とは、その理解の変化の過程であり、基本的には合理的・ 能動的過程と理解される。認知発達理論による構成化は、内外に概念的 藤や矛盾のない均衡化へと向かうという 前提に立ち、自分なりの理解に不均衡が生じれば、均衡を図ろうとする。構成化され、均衡化していく過程は、そ の有機体が持つ均衡化の傾向と構成化される外界の特徴に規定されるとされ、外界が普遍的構造を備えている場合 には、認知発達過程も普遍性を備える。コールバーグは、社会環境にも普遍的構造があり、道徳性発達段階も普遍 的であるとしている。ここで、コールバーグは、ある道徳的な 藤場面でどのように行動し、価値を選択するかと いう道徳的判断の内容と道徳的決定の仕方や道徳的な価値の捉え方15という形式を区別すべきとする。そして、内 容は文化によって規定されるものである一方、形式は「どの社会にもある自己−他者−社会の関係がより均衡化され、 より一貫性と普遍性のある合理的なものになっていく」16普遍的な発達段階とされる。 こうした道徳性発達の基本的理解においては、道徳的判断をなすことは認知的過程として自らの価値観を見つめ 直して優先順位を論理的に整えるものであり、日常生活での道徳的 藤を解決していくのに用いられる思考過程と される17。道徳性発達段階も普遍的であるという主張を実証的に示すために日常生活の中で行われる道徳的な 藤 場面で用いられる道徳的判断の段階を確かめようと、コールバーグが用いた方法が、仮説的な 藤場面(モラルジ レンマ)を与えて、ある道徳的判断に至った判断の理由や根拠を考察する道徳判断の面接方式である。次に示した ハインツのジレンマは、コールバーグが用いた道徳性発達理論におけるモラルジレンマの仮説的事例としてよく用 いられるものの一つである。 <事例> ハインツの妻 X が特殊ながんにかかっており、いまにも死にそうな状況に置かれている。X の担当医は、ハイン ツに対して、X が助かるには薬屋 Y が発見し、製造・販売している薬を飲む以外助かる方法はないと説明した。その薬は、10 万円の製造費に対して、100 万円で販売している18。 ハインツは、妻を助けようと親戚や知人などからお金を集めたが、半額しか集めることはできなかった。そこで ハインツは、Y に事情を説明し、安く売ってくれるか、まずは半額を支払い残りはその後にしてもらおうと交渉した。 しかし、Y は、「私が薬を発見した。私は、それを売って けるつもりだ」と言い、取り合ってくれなかった。そこで、 悩んだハインツは、薬を盗もうと薬屋に忍び込んだ。 ハインツのジレンマでは、ハインツが薬を盗むべきであったかなどが尋ねられる。そして、盗むべき、あるいは 盗むべきでないかのいずれかの判断に対して、なぜ盗むべき、あるいは盗むべきでないのかといった理由が問われる。 その理由づけに対応して、普遍的な道徳的判断の諸々の様式・要素・価値に分類され、発達段階ごとに意味が定義 されている。そうした各発達段階の定義に照らしていかなる発達過程にあるのか確定される19。 コールバーグの示した道徳的判断の 3 つの水準と 6 つの段階への評定法は、既に述べたようにハインツが薬を盗 むべきか、それとも盗むべきでないか、という判断の結果それ自体は重要でない。いずれの回答をとる場合でも、 理由づけに着目してそれぞれの段階で定義される道徳的判断の形式に基づいて評定される20。例えば、前慣習的な 水準である第 1 段階では、罰を避け、自己中心的な視点から権威者に服従することが「正しい行為」とされる。こ の段階では、盲目的に権威者に服従すること自体に価値があるとされ、罰や権威に支えられた道徳的秩序の尊重に よって、権威者への服従という志向が価値づけられているわけではない。そこで、薬を盗まないことによって X を 死なせた場合には、死なせたことについて責められて刑務所にいられてしまうから薬を盗むべきであるとか、薬を 盗むことは正しい行為でなく警察に捕まって罰を与えられてしまうから盗むべきではない、という理由づけを行う 段階とされる。第 2 段階で「正しい行為」とは、自分自身の欲求や利害、あるいは他人の欲求や利害をみたす手段 であるとされる。個人間の対等な交換や各人が等しく利益を受けることが公平とされる段階である。慣習的水準に 至ると単に社会的な秩序に従うといった態度ではなく、それ自体への価値を捉えて正当なものとして維持していこ うという態度が現れる。第 3 段階は、「よいこ」であることを志向する段階である。すなわち、周囲の人が期待する 役割に反しないように行動しようと考える。ハインツのジレンマにおいては、薬を盗むかどうかは家族など周囲の 人にとってその行為が「よい人」とされるかどうかに関わる。道徳的秩序によって価値づけられなかった第 1 段階 に対して、第 4 段階では「正しい行為」とは社会システムと社会秩序を維持するために、自分の同意した義務を果 たし社会へ貢献していくこととされることですでにある社会秩序の背後にある道徳的秩序を尊重しようとする態度 が見られる。この段階では、人間の生命は尊く生命を救うという義務に従って薬を盗むべきであるとか、法は社会 秩序の維持にとって重要であり各個人で法を破ることがよしとされるのは社会秩序に反するから盗むべきではない、 とされる。脱慣習的水準に至ると、道徳的価値と道徳的原理の定義を行おうとする態度が現れる。第 5 段階では、 社会契約的な法律志向をもつとされる。この段階では、生命に関する権利は財産権よりも基本的な価値を有する権 利である社会契約による普遍的なものであるから薬を盗むべき、あるいは法が社会的合意に基づくものであって法 が基本的人権の保護を目的としている場合には従うべきであるから盗むべきではない、と判断される。第 6 段階で は公正などの人格の尊重という自分自身の選択した普遍的倫理原則を志向する視点にいたる。より普遍的な道徳的 志向とコールバーグが考える人格の尊重という原理を意識する第 6 段階では、(ハインツのような立場に置かれた状 況では)だれにおいても生命を救うべきという道徳的義務があり、薬を盗む行為は法的には間違っているが道徳的 には正しく、すべての理性的な人々によって同意される道徳律に基づく場合にのみ法は正当化される21、と表現さ れる。すなわち、コールバーグの道徳性発達理論においては、自己中心的視点から、より社会的視点を経て、原理 的な視点へと移行する。 2 道徳性発達理論にみる「法」 コールバーグは、第 5 段階の社会契約的志向とは「相手との合意による相互性と、合意に先だつ両者の平等とを 前提とする公正」という考え方を指すものとし、「第 5 段階を、道徳的視点としてよりも、立法的な視点として強調」 する22。そして、「社会契約、規則功利主義、そして、個人の利益と自由の擁護としての法という考え方が、道徳性 や社会に対する批判的・懐疑的な志向性によって生じる問題に答える、一連の互いに組み合った考え方」であると
いう23。第 5 段階では、法は「最大多数のための最大幸福」という原則に従って、社会契約として合法的な手続き によりつくられるべきであるとされる。しかし、コールバーグは、法が規定していない場合や不確かな場合には、「行 為者はどう行動すべきだろうか」という問題が提起され、法や社会契約、合意が及ばない範囲においては第 5 段階 の立法的視点を拡張して、体系的な道徳的観点をもつことができるかがまず問われるべきとする24。すなわち、法 や社会的な合意に従って解決し得ない状況が多く存在しており、道徳的選択が問題となると考えている。その場合 には、もはや第 5 段階の社会契約的な視点では十分な均衡を行うための道徳的判断をなしえず、法と道徳の 藤に 対する何らかの回答を持ちえない。そこで、法を超えたより高次の原理的視点が必要であり、正義や公正、相互性 と平等性を基本とする人格の尊重という道徳的原理が第 6 段階として示されるのである。 コールバーグの道徳性発達理論は、「法」に対して一定の哲学的(倫理学的)立場に立っているように見える。そ れは、コールバーグがこれまでの道徳性発達の分野が見落としてきたという道徳性の概念が哲学・倫理学的概念で あるという事実に基づいて、哲学的な概念を指針とした道徳性発達を研究するという立場を主張していることから もみてとれる25。また、道徳性の段階の性質をある種の哲学的前提から出発している26とも述べており、道徳の定 義についてカントやヘアーなど形式主義と呼ばれる哲学者によって第 6 段階の普遍的な道徳原理が価値づけられて いる点からも、一定の哲学上の立場に立って理論が形成されていることが分かる。コールバーグによれば27、より 成熟した道徳的判断の妥当性は、真理や有効性といった規準より一般的な構造的規準に基づいており、そうした一 般的な構造的規準とは分化と統合の増大である。そこで、形式主義者は、適切な道徳的判断の普遍的で規範的な性 質を強調する。道徳的判断の成熟は規範性を強めるものであり、「『である』と『べきである』の間の(あるいは、 内的原理としての道徳性の、外的な出来事や期待からの)分化の一連の増大」とされる28。「道徳的に他律的な『で ある』から、道徳的に自律的なあるいは定言的な『べきである』が分化していくこの一連の過程」も道徳的なもの が分化していく過程を表しているという29。普遍性を求める道徳規準が統合に対応し、一貫性という基準と結びつく。 普遍的原理に基づく道徳性においては、あらゆる場合のあらゆる人の権利を規定する。分化と統合という規準は、 発達理論に構造上より良い均衡をもたらすものであり、多くの道徳的問題や 藤、見解をより安定的な方法である いはより一貫した方法で扱うようになる。 コールバーグの上記の議論に対しては、次のような批判がある。例えば F・E・トレーナー30は、コールバーグの 特に第 6 段階の道徳的発達段階に対する見方が、特定の哲学的(倫理学的)立場に依拠していることなどについて 指摘している。トレーナーは、コールバーグが内容とは関係のない形式的な段階とする第 6 段階を特定の倫理的価 値へのコミットメントが含まれていると主張する31。こうした批判に対して、次第にコールバーグも形式性から道 徳的な内容的価値に対しても焦点化するようになる。しかし、コールバーグのいう道徳性の発達とは、認知構造の 分化・統合の機能の増大をさし、道徳的判断の規範性や普遍性の増大によって新たな認知構造を獲得するという側 面が強い32。こうした点から、道徳的な内容の刷り込みは認知的な 藤を生じさせることには必ずしもならず、認 知構造の分化・統合や認知構造の変化に結びつくわけではないと考える。形式から内容の重視へと移行したわけで はなく、強調点は形式に置かれている33。コールバーグは、道徳性発達理論において正義を第 6 段階の普遍的原理 として位置づけており、また、「あらゆる場合のあらゆる人の権利を規定する」ように、役割取得(「その状況の中 でその決定によって影響を受ける役割の一つを演じなければならないが、どの役割を演じるかはわかっていないす べての人に受け入れられるような決定」)が普遍化可能な道徳的判断としている34。そこでは、法の不服従をめぐる 問題も扱い、さらに正義の概念が法と深く結びつくものであることからも、そうした正義の概念にかかわるかたち で法的な発達変化も含意しているとみることができる35。 このように、コールバーグの道徳性発達理論を法的な発達変化をも含意するものと理解できるが、コールバーグは、 ロールズが形式的な倫理学的議論の中から第 5 段階から第 6 段階の道徳を導いていることなどを指摘しながら、第 5 段階の社会契約的視点では法の予定しないあるいは合意の範囲外の状況では 藤状況に陥ってしまうために第 6 段 階に至ることでその 藤を解決しうるものと考える36。そのようにして法より高次の道徳・倫理的原理を普遍化可 能な原理として第 6 段階に位置付けることで、自己の選択した倫理的原理に沿う限りにおいて法律や社会的な合意 は妥当なものとされる。すなわち、法律が自己の選択した倫理的原理と矛盾する場合には、倫理的原理に従うべき ものとされる。
ハインツのジレンマなど道徳的 藤状況に対する反応を見る際の質問として、主として、法的判断が道徳的にも 許容されるのか、またそれはなぜか、といった道徳的観点からの回答が求められる。そこでは、法を遵守するとい う選択それ自体をもって低次の発達段階とされるわけではないが、高次の道徳(第 6 段階)では自らが依拠する道 徳(あるいは普遍的倫理)に、ある法(≒法律)が従っているかという観点が必要とされている。その背景には、 法は普遍的倫理・道徳的原理に基づいている場合に妥当と考えるコールバーグの法への見方がある。しかし、「法が 道徳を強制できるか」という法哲学的問題と同様に、道徳的観点からは「道徳が法を拘束できるか」が問題となら ないのだろうか。
Ⅱ 刑事司法の本質と発達段階
1 法的観点からみた法的判断と道徳的判断 こうした問題は、コールバーグによれば、第 5 段階ではハインツのジレンマなど道徳的 藤状況ではなお解決で きない問題が生じるとされることから引き起こされる。しかし、法的観点からみたとき、 藤状況はどう捉えられ ているだろうか。例えば、刑罰法規の適用はそれ自体重大な人権の制約であるため、その濫用や恣意的運用による 人権侵害から国民を保護しなければならない37。そこから刑法は必要最小限にとどめられ(謙抑性)、刑罰以外の方 法で犯罪に対処できる場合はまずそうした代替可能な方法が用いられるべき(補充性)という性質が導かれる。そ のため、刑法上の犯罪とされる領域は断片的なものとなり(断片性)、刑罰権の適用領域を限定化する。そこでは、 法以外の代替可能な方法がある場合、そうした代替可能な方法によって 藤状況を脱することが予定されているの ではないか。その場合には、必ずしも法の制定や作動を要しない。また、刑法の基本原則の一つとされている罪刑 法定主義は、民主主義と自由主義の二つの観点から、刑罰の処罰限定原理として理解される必要がある38といわれる。 すなわち、国民の自由への侵害を最小限にとどめるために何が犯罪か予測可能性を確保するための自由保障の観点 から明確に「法律」に定められていなければならず、国民による正当に選挙された代表者を通じて国会で何が犯罪 か主権者自ら決定されることが求められる。このように、刑法は単に犯罪とされる行為に対する処罰原理であるの ではなく、国民に対する自由保障機能も有している。国民自身の自由の保障の確保が、民主主義と自由主義の二つ の観点に支えられた立法手続を背景とした法によっているという点は、コールバーグのいう第 5 段階の立法者の視 点に通ずる。以上に鑑みれば、コールバーグのいう第 5 段階の立法者の視点に立つとき、法の予定しないあるいは 合意の範囲外であっても、法以外の規範によって 藤状況を脱することが可能な場合には、そもそも別の規範によっ て脱しうることも想定されているのではないだろうか。 ここで、「人を殺すな」とか「人のものを盗ってはならない」などにあらわれるように、刑法上犯罪とされている ものの多くは、一般には法と道徳が重なり合っているものと考えられている。また、例えば契約の拘束性や家族法 に関する規定など、民事法においても法と道徳の関係性が問題となることがある。法と道徳の関係性については、 法哲学的な議論においては法と道徳の融合論と分離論との対立など様々な争点が密接に絡み合いながら議論されて いるところであるが、現実に法的な紛争として主題化した場合には法と道徳の重なり合いを強調する法分野もあれ ば、家族法などこれまでの法と道徳との関係性が批判されるようになってきた法分野もある。また、裁判所法に規 定される裁判所の構成や地方自治法上の地方公共団体の名称に関する規定、あるいは商法における商人の定義など 道徳とは必ずしも関係があるとはいえない実定法規もある。さらに、消滅時効(民法 166 条以下)や黙秘権(刑事 訴訟法 198 条 2 項、291 条)などは道徳規範と矛盾すると考えられ得るものである。そのため、ある事例に対して法 的責任と道徳的責任の双方が必ず認められるわけではなく、実際の問題の処理においては両者の間でズレがみられ る39。すなわち、法学(あるいは法律学)においては、法的判断と道徳的判断が区別され、ある紛争を処理したり 法的な交渉を行ったり、より具体的なレベルでは両者の結論が異なる場合があることが想定されている。そして、 そのような想定の下では、法的判断と道徳的判断の過程が必ずしも同一の過程を通るとは考えられない。 コールバーグは、第 5 段階では法や社会的合意が及ばない範囲においては「行為者はどう行動すべきだろうか」 という問題を解決することは困難であることから、より原理的な段階を導く。しかし第一に、法があらゆる場面を 規律することが適切でないことや具体的妥当性のために法解釈の余地が残されていることなど法の機能や役割等に鑑みると、法が規定していない場合や不確かな場合があることはむしろ自然なことのように思われる40。そうした 場合には、法的観点から見れば、法以外の道徳規範などを参照して行為者が行動すべきことを想定しているものと 考えられる。第二に、法が「正義」に反すると考えられる場合には、法(ここでは成文化された法律)を超える価値・ 原理としての普遍的倫理原則にそって 藤状況の解決を図ることが法的観点から妥当とされるかどうかも論争点と なろう。この点、法的観点からは、ある法律が正義に反すると考えられる場合には、立法上あるいは司法上の手続 に従って法律を改廃したり、憲法適合性を問うたりすることなど法的な手続きに従って法システムの枠内において 法的正義に反することが確定されることを通じて法に従わないことが許されることになると思われる。第三に、私 的自治原則が妥当する当事者間の合意による契約などの場合には既存の法律が必ず作動するわけではないなど、法 や社会的合意が及ばない場合には、道徳規範、宗教規範など法規範以外の規範的問題として認知し、認知した問題 の解決に適切と思われる規範的枠づけを持って対処することが許容されている。より精確には、法や社会的合意が 及ばない範囲が存在しているからといって、より原理的な段階が必要とされることは必然的ではなく、法的判断と 道徳的判断の齟齬はよくあることとして第 5 段階においても許容されるものと考えられる。 2 法的発達変化としての第 5 段階と刑事訴訟における手続観 以上で見たように法的観点からは、法や社会的合意の及ばない範囲において第 6 段階を導くためにコールバーグ が提示した「行為者はどう行動すべきだろうか」という問題に対しては、法の作動を必然のものとせず、法以外の 道徳など他の社会規範に基づき行動することがそもそも予定され、法の制定や事前の合意を必ずしも要しない。また、 法が正義に反する場合には、法システムの内部で法的な手続きに従うことで正義を満たすよう対処することが要請 されていると考えられる。その点で、法的観点からは、「行為者はどう行動すべきだろうか」という問題は第 5 段階 でほぼ解消されうるように思われる。 ここで、コールバーグの道徳性発達理論における第 5 段階は、法を尊重する態度は立法者の視点に立つものであり、 法を「形式的に公正な手続き上の規則に基づかなければならない」ものとして理解され、立法のための手続き上の 規則も「立法者が社会の構成員から理性的同意を得ていることを前提とした」社会契約の考え方を用いているもの とされる41。 また、道徳性発達段階によれば、法を擁護する視点に立つ第 4 段階から立法的視点に立つ第 5 段階になると、立 憲民主主義の観点から法を捉え、尊重しようとする態度になるとされる42。すなわち、個人の権利や少数者の保護 を図りながら、「すべての人々を引きつける必要な法や社会を作るような手続き上の機構と」して立憲民主主義を捉 える43。そうすることで、社会秩序の維持として犯罪者の有罪判決を確定させることを重要とする第 4 段階から第 5 段階では被疑者・被告人に対する訴訟手続過程がより重要とされるようになる44。そして、この手続き上の規則も、 社会契約の考え方に基礎づけられている。 刑事手続は、それ自体被告人その他の身体の自由や財産権などの人権侵害を相当程度に含むものである。また、 国家刑罰権の行使には、「人権侵害を最小限にとどめようとする努力と工夫」45が必要であり、刑罰権の適用が慎重 に行われる必要もあることから、そうした人権侵害を最小限にとどめるためにも手続上の規則に乗っ取って刑事裁 判が行われることが重要である。刑事訴訟の目的が真実解明と適正手続の保障であるとされる一方、二つの目的が 互いに矛盾する場合には人権の保障機能を確保するために法定手続きを優先することが近代刑事手続きにおける手 続保障の意義である46。そこで、法的判断と道徳的判断が必ずしも一致しないことが見込まれる、社会契約に裏付 けられた手続上の規則に従う視点で法を捉える第 5 段階にあることが、刑事手続における適正手続の保障の実現に とって重要な意味を持つのではないかという問題が提起されるのではないか。 しかしながら、コールバーグの縦断的研究による年齢傾向として、大人(30 代)でも第 4 段階が優勢であり、訴 訟手続過程をより重要とする第 5 段階に達する例は多くなく、実証的なデータに乏しい段階とされている47。だが、 実証的データに乏しいものの第 5 段階は、コールバーグの評定法において実証的に確認できる機能的に最も高い発 達段階ではある48。道徳性発達理論を法的な発達変化と結びつける場合には、手続保障に資する認知発達過程と理 解できるものとして、第 5 段階は法的発達段階として重要な意味を持つ。それでも、第 5 段階に至ったとされるケー スはまれであり、多くの人々が被疑者・被告人の訴訟手続過程をより重要と考える発達過程にはないことが推察さ
れる。 ここで、法的判断と道徳的判断との関係や手続観に関する認知発達からの研究として、出版の差し止め、解雇、 盗聴、平和協定への批判的思想と暴力扇動スピーチという 4 つの仮説課題を設定し、裁判員としての法的観点に立っ た判断と「どうすべきか」と問う道徳的判断を法律の素人である大学生に求めて、両者の比較検討を行ったものを みてみたい49。この研究によれば、法律の知識量や人権について深く考えさせられた経験等の調査対象者のプロフィー ルと判断や判断の際に言及される観点との間には関連がほとんど認められず、大きな相違が認められなかった50。 そして、この研究では「『裁判員として』司法の場で判断するよう求められたものなので、道徳的判断と比べ、法律 や判例、前例への言及が多くみられてもよいように思われる」が、理由づけや「知りたいこと」として法律などへ の言及が少なく、「法律を参照しながら判断するという基本的態度が素人には欠けていることを示唆」している51。 また、判断の重要な観点となる事柄の可能性や程度を検討することなく決めつけたり、対立する両当事者の一方の 利益のみを考慮したり、手続の適正さにほとんど注意を払わず、人間関係や人柄、反省や前科という観点から判断 することが認められた52。この研究からは、法的判断をもとめられたとき、判断理由や知りたいことについて犯罪 性や行為の危険性に着目する一方、法を参照しようという態度や適正手続への配慮がほとんど見られない。そうし た点から、大学生でも、社会秩序維持の傾向が見られ、手続き上の規則を重視する第 5 段階には至っていないと考 えられよう53。 この点、刑事訴訟法学者からも、刑事手続における適正手続の保障を理解するのは容易ではなく、「真実発見に矛 盾してでも貫くべき手続的保障の場合は、ある意味では社会通念や常識を乗り越える必要がある」ため、「実際にこ れを貫徹するのは難しい」という54ように、黙秘権など被疑者・被告人の権利は理解されにくいものであるという 点はしばしば指摘されてきた55。これは、日本の刑事訴訟の実質が、検察官・警察官による糾問主義的捜査手続に あり、徹底した取り調べを中心にした捜査による詳細な資料から事件の緻密な検討を通じて起訴するかどうかを決 め、裁判所による公判もそうした捜査手続の中で作成された調書を中心とした「調書裁判」によって行われる「精 密司法」56の「ひずみ」57に対する問題意識を背景とする。すなわち、「精密司法の問題性は、おのずから『手続の 適正』よりも『真相解明』に傾くところにある」58とされる。そして、国民の間でも手続の適正さよりも真相解明 を基本とする必罰主義的傾向があると考えられてきた。また、法社会学者が行った裁判員制度と刑事司法に関する 法意識についての調査票調査でも、一般的には被疑者・被告人の手続保障については厳しい態度であり、それなり に手続保障を理解している高学歴者などでも具体的な文脈になると手続保障に好意的でない方向を示す一般的なパ ターンが見られる59といった指摘もある。 そこで、多くの国民にとって刑事手続における適正手続の保障を理解するのは容易ではないという刑事訴訟法学 者の指摘は、認知発達理論の観点からみても多くが被疑者・被告人に対する訴訟手続過程がより重要とされるよう な段階にないことから、十分に説得的なものである。 以上のように、適正手続の保障は、近代刑事手続における人権保障に資するものとして重要な意義を有するが、 刑事手続における適正手続保障の意義を理解するのは思うほど容易ではない。それは、法律を参照しながら判断す るという法的判断よりそれ以外の観点から判断して、適正手続よりも実体刑法秩序を維持する傾向が指摘され、多 くの国民が被疑者・被告人の訴訟手続過程をより重要とする発達段階にはないと考えられることによる。一方で、 近代刑事手続における手続保障は、実体刑法秩序の維持とは異なる、人権保障機能を確保するという手続それ自体 に意味がある60。刑事司法の特質として個人の権利や少数者の保護という自由主義があり、刑事手続における適正 手続の保障が意味を持つ。 そうした中で、社会秩序の維持として犯罪者の有罪判決の確定を重視する第 4 段階から、被疑者・被告人の訴訟 手続過程をより重要と位置づける第 5 段階への移行が、刑事司法の特質を理解するために重要な意味を持つと思わ れる。法的発達段階としての第 5 段階は、実体法とは区別された手続法それ自体の意義を理解し、訴訟手続過程を より重要なものと考える発達段階であると考えられよう。
おわりに
以上から、本稿では、立法的視点に立つ道徳性発達理論の第 5 段階は、法や社会的合意が及ばない範囲において、 法以外の社会規範を参照して法的問題とは異なる枠づけでジレンマへの対処が許容されている段階とした。そこで、 法的観点からコールバーグの道徳性発達理論を再検討するとき、必ずしも法が道徳的観点に基礎づけられている必 然性はないように思われる。そして、少数者の権利を保障するという刑事司法の特質からは、手続き上の規則に従っ て問題を認知し手続きの適正化を図ることが求められる。そうした刑事裁判における問題の認知を行うためには、 法的判断と道徳的判断が異なる場合があり、被疑者・被告人の訴訟手続をより重要と考える第 5 段階の発達段階に至っ ていることが肝要である。 そこで、刑事司法を射程に入れた法教育を考える際、これまで黙秘権など被疑者・被告人の権利が理解されにく いとされており、道徳とは矛盾しうる刑事手続における適正手続の意義を理解させることは課題である。本稿で示 したように、多くの国民が手続上の規則をより重要と考える発達段階に至っていないのではないかという点から、 手続保障の意義の理解を目的として、第 4 段階から第 5 段階に発達段階を促す教育プログラムの構想が求められる といえよう。実体的真実追求と適正手続の保障が刑事訴訟法の目的とされているが、この二つのバランスを図るこ とは容易ではなく、特に実体刑法秩序の維持という観点と比較して、刑事手続における適正手続保障の意義を理解 するのは簡単ではないという点は、刑事手続に関する法教育において大きな意味を持つ。その際、「裁判員として」 刑事裁判に参加する場合、どのような立場でどのような観点から問題を枠づけて認知し、評議に参加しているのか 明らかにしていくことも課題として挙げられよう61。そうしたそれぞれの立場で評議に参加することが、手続保障 の意義をどのように理解して真実解明と調整を図り、どう判断に影響するのか検討が必要であると考える。 また、裁判員制度導入をめぐって、「国民の健全な常識の反映」62により、「より良い裁判ができる」63という主張 がなされている。ここで、国民の司法参加によって「より良い裁判ができる」という場合、様々な背景をもつ一般 の国民の感覚が裁判に反映されることで裁判が多角的な見方によって進められるとか、裁判に慣れていない裁判員 のほうが裁判官より被告人の主張に耳を貸す傾向がある64、という点からの主張である。ただし、そうした主張に 対する実証的な確証が得られているわけではなく、国民の司法参加が刑事裁判にどのような影響を与えるのかは今 後の課題である。もっとも、先に挙げた法社会学者による裁判員制度に関する法意識調査によれば、自白の強要によっ て有罪の決定的な証拠が出てきたような場合など具体的な文脈では手続保障に好意的でないという一般的傾向や、 実体刑法秩序の維持から手続保障の意義を区別して理解することは「容易でないように思われる」65結果が見られ ることから、適正手続の保障という観点から「より良い裁判ができるかどうか」考える場合、「国民の健全な常識の 反映」により「より良い裁判ができる」という主張は、「結局のところ水掛け論に終わる」66と考えられる。 最後に、刑事手続における少数者である被疑者・被告人の人権保障は、刑事司法の特質として理解されなければ ならない。なぜなら、少数者の人権保障という自由主義の側面から道徳規範に反する場合でも手続保障が重視され なければならないからである。それゆえ、国民に、実体的真実追求とは異なる手続保障それ自体の理解は容易では ない点に留意した手続保障それ自体の意義を理解してもらうための法教育の構想の提示が今後の課題である。注
1 法務省「Ⅳ 国民的基盤の確立」『司法制度改革審議会意見書』112 頁。 http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/report/ikensyo/pdfs/iken-4.pdf(2016.9.08) 2 2009 年 12 月 6 日に設立準備総会・シンポジウム、2010 年 9 月 5 日に設立総会および第 1 回学術大会が開催された。法と教育学会は、「小・ 中・高等学校における法教育、大学法学部における法学教育、法科大学院・司法研究所における法曹教育、そして、法律専門家に対する 研修・教育のあり方について総合的に研究し、それを実践するため」に設立された。学会の目的それ自体は、小・中・高等学校といった 学校教育課程だけでなく、法学教育・法曹教育など広く対象とされている。 法と教育学会については、以下のホームページを参照。http://gakkai.houkyouiku.jp/(2016.6.12) 3 法教育研究会『はじめての法教育―我が国における法教育の普及・発展を目指して―』(ぎょうせい、2005)2 頁。 4 法教育研究会・前掲注(3)2 頁。5 例えば、飯孝行・平野潔・宮崎秀一「裁判員教育の検討」法と教育 Vol.2(2011)33 頁以下、藤井剛「模擬裁判実施による生徒の変化」 法と教育 Vol.2(2011)49 頁以下、瀬賀正博「中学校における模擬裁判の実践―言語活動と論理構成の視点から」法と教育 Vol.5(2015) 77 頁以下など。 6 コールバーグの道徳性発達理論を「法的社会化」に関連するものとして理解し、法教育への展開を示唆するものとして、山岸明子「道 徳的判断とその発達」木下冨雄・棚瀬孝雄編『法の行動科学』(福村出版、1991)74 頁以下、大村敦志『「法と教育」序説』(商事法務、 2010)。 7 コールバーグと法的発達変化あるいは「法的社会化」の関係につき、松村良之「正義と公正」棚瀬孝雄編『現代法社会学入門』(法律 文化社、1994)296 頁以下、松村良之「個人の法的発達」上原行雄・長尾龍一編『自由と規範―法哲学の現代的展開』(東京大学出版会、 1985)257 頁以下。
8 June L. Tapp & Lawrence Kohlberg, Developing Senses of Law and Legal Justice , Journal of Social Issues, Vol.27, No.2, (1971), pp.65-91. タップの法的発達理論とその批判については、(山岸・前掲注(5)「道徳的判断とその発達」74 頁以下、松村・前掲注(6)「正義と公正」 296 頁以下、松村・前掲注(6)「個人の法的発達」257 頁以下が紹介し、若干の検討を加えている。 9 Ibid., pp.65-66. 10 松村・前掲注(6)「正義と公正」307-318 頁、松村・前掲注(6)「個人の法的発達」267-268 頁。 11 法教育研究会・前掲注(3)13-14 頁参照。 12 例えば、中原朋生は、コールバーグの道徳性発達理論と法教育の関係について扱った参照すべき論文としてタップの 2 つの論文を含め、 5 本挙げている(中原朋生「正義とケアを視点とする法教育と道徳教育の連携―米国の小学校における共通単元『責任』を手がかりに」 法と教育 Vol.5(2015)16-17 頁注(9))。 13 松村・前掲注(6)「正義と公正」268 頁。 14 山岸・前掲注(5)76 頁、山岸明子『道徳性の発達に関する実証的・理論的研究』(風間書房、1995)9-15 頁、山岸明子「ミニシンポ ジウム・法社会学のフロンティアⅡ コールバーグの道徳性発達理論―発達心理学の立場から」法社会学 45 号(1993)121-125 頁。 15 山岸・前掲注(13)「実証的・理論的研究」12 頁。「形式」は、何らかの決定を下す際の理由や根拠の分析を通じて明らかにされるも のである。 16 山岸・前掲注(13)「実証的・理論的研究」12 頁。 17 J. ライマーほか(荒木紀幸監訳)『道徳性を発達させる授業のコツ ピアジェとコールバーグの到達点』(北大路書房、2004)45 頁、佐 藤伸彦「法的判断枠組みと法教育のめざすべき到達点−道徳判断発達理論を参考に」立命館法政論集第 5 号(2007)6 頁。 18 事例を紹介するにあたり、イメージのしやすさに配慮してドル表記から円表記にした。 19 ローレンス・コールバーグ(内藤俊史・千田茂博訳)「『である』から『べきである』へ」永野重史編『道徳性の発達と教育 コールバー グ理論の展開』(新曜社、1985)27 頁。 20 以下、各段階の理由づけの具体例につき、山岸・前掲注(13)「実証的・理論的研究」337-359 頁の資料・コールバーグの評定法、コー ルバーグ・前掲注(18)30-32 頁の表 4 を参考にした。 21 コールバーグ・前掲注(18)86 頁。なお、こうした第 6 段階は、法より「より高次な」原理・道徳律であるという「第三の哲学者」 の見解から導かれる。このより高次な原理・道徳律は、第一にカント派の「各個人を手段としてではなく目的として扱え」という原理と その原理に関連する個人の主張はどんな場合でも平等に考慮すべきであるという法に成文化されない個人固有の権利であり、個人の公正 という原理によるとされる(88 頁)。 22 コールバーグ・前掲注(18)77 頁。 23 コールバーグ・前掲注(18)79-80 頁。 24 コールバーグ・前掲注(18)80-81 頁。 25 コールバーグ・前掲注(18)3 頁。 26 ローレンス・コールバーグ、アン・ヒギンズ(岩佐信道訳)『道徳性の発達と道徳教育―コールバーグの理論展開と実践』(麗澤大学出 版会、1987)22 頁。 27 以下の形式主義者の道徳原理について、コールバーグ・前掲注(18)52-53 頁、コールバーグ・前掲注(25)90-91 頁。 28 コールバーグ・前掲注(18)52-53 頁、コールバーグ・前掲注(25)90-91 頁。 29 コールバーグ・前掲注(18)52-53 頁、コールバーグ・前掲注(25)90-91 頁。
30 F . E. Trainer, A Critical Analysis of Kohlberg's Contributions to the Study of Moral Thought , Journal for the Theory of Social
Behavior, vol.7,(1977), p. 47. トレーナーは、コールバーグは自身の分析を内容に関する含みを持たない形式であると主張するが、第 6
段階の道徳的思考は明らかに特定の実質的なまたは一次的な倫理原則への関与を必然的に含むことが明らかに説明されている、とする。 トレーナーの当該指摘を含むその他のコールバーグへの主要な批判については、松村・前掲注(6)「個人の法的発達」265-267 頁がまと
めている。 31 Ibid., pp. 47-48. 32 荒木寿友『学校における対話とコミュニティの形成―コールバーグのジャスト・コミュニティの実践』(三省堂、2013)95 頁。 33 荒木・前掲注(31)95、98-102 頁。 34 コールバーグ・前掲注(18)93 頁・なお、松村・前掲注(6)「正義と公正」311 頁参照。 35 松村・前掲注(6)「正義と公正」311 頁。 36 コールバーグ・前掲注(25)118 頁。コールバーグは、ロールズに依拠しながら「普遍的な形式を備えているはず」の「社会契約と自 由に選択された法の学説は」、「通常、既存の外面的な社会的合意や政治的手続きを引き合いに出し、それを基礎においており、「個人道 徳と政治的変革の方向とに指針を与える自律的な正義の原理の潜在的概念をそのうちに内包してい」ると主張する。そのため、「法律や 既存の社会の多数意見が正しくない場合には、第五段階の人間は 藤に陥り、その 藤は第六段階で初めて解決可能」になるという。 37 浅田和茂『刑法総論〔補正版〕』(成文堂、2007)13 頁。 38 山口厚『刑法総論〔第 3 版〕』(有斐閣、2015)10 頁。 39 この点について、田中成明『現代法理学』(有斐閣、2011)166 頁。 40 例えば、国家による刑罰権の行使は国民の生命・身体・財産の侵害にほかならないから、その適用や刑罰法規による犯罪化は慎重でな ければならないと考えられる(辻村みよ子『憲法〔第 5 版〕』(日本評論社、2016)255 頁)。 41 コールバーグ・前掲注(18)76-77 頁。 42 コールバーグ・前掲注(18)74-80 頁。 43 コールバーグ・前掲注(18)76 頁。 44 コールバーグ・前掲注(18)76 頁。 45 松尾浩也「刑事司法と人権」『刑事訴訟の原理』(東京大学出版会、1974)134 頁。 46 田宮裕『刑事訴訟法〔新版〕』(有斐閣、1996)6 頁。 47 ライマーほか・前掲注(16)71-72 頁、93-96 頁。 48 ライマーほか・前掲注(16)71 頁、95 頁。 49 外山紀子・長谷川真里「人権に関する素人の法的判断と道徳的判断」法と心理第 10 号 1 巻(2011)131 頁以下。これに関連した権利 概念に関する発達研究として、長谷川真里「児童と青年の『言論の自由』の概念」教育心理学研究第 49 巻第 1 号(2001)91 頁以下、長 谷川真里「言論の自由に関する判断の発達過程:なぜ年少者は言論の自由を支持しないのか?」発達心理学研究第 14 巻第 3 号(2003) 304 頁以下、外山紀子・大林路代「プライバシーと知る権利に関する子どもの理解」発達心理学研究(2007)第 18 巻第 3 号 236 頁以下。 50 外山ほか・前掲注(48)141 頁。 51 外山ほか・前掲注(48)142 頁。 52 外山ほか・前掲注(48)142 頁。 53 外山ほか・前掲注(48)142 頁も研究上の限界としているとおり、社会経験等が人権に関する判断に影響を与えることも考えられるため、 「法律の素人である大人」に一般化することには慎重になる必要がある。 54 田宮・前掲注(45)6 頁。渡邊弘「法教育について―裁判員制度教育の検討をとおして」活水論文集第 51 集(2008)42 頁参照。 55 高田昭正「黙秘権について―歴史的意義と現代的意義」季刊刑事弁護 No.38(2004)64 頁、村岡啓一「黙秘権を勧めることは『不適切』 弁護か?」季刊刑事弁護 No.38(2004)20 頁。 56 松尾浩也「刑事訴訟の日本的特色―いわゆるモデル論とも関係して」法曹時報 46 巻 7 号(1994)26 頁。 57 野尋之「裁判員制度と刑事司法改革」法社会学第 79 号(2013)42-46 頁。 58 松尾浩也『刑事訴訟法(上)〔新版〕』(弘文堂、1999)16 頁。なお、 野・前掲注(57)43-44 頁参照。 59 松村良之ほか『日本人から見た裁判員制度』(勁草書房、2015)254 頁。 60 田宮・前掲注(45)2 頁、田口守一『刑事訴訟法〔第 6 版〕(弘文堂、2012)2 頁。 61 そのような観点からの研究として、小宮友根「裁判員は何者として意見を述べるか―評議におけるアイデンティティと『国民の健全な 常識』」法社会学第 79 号(2013)63 頁以下がある。 62 法務省・前掲注(1)102 頁、103 頁。 63 中島徹「刑事手続における『主権』と『人権』」ジュリスト 1334 号(2007)185 頁。 64 福井厚「裁判員制度と『民主司法のジレンマ』論」法政法科大学院紀要第 6 巻第 1 号 36、38 頁。中島・前掲注(62)185 頁も参照。 65 松村ほか・前掲注(58)254-255 頁。 66 中島・前掲注(62)185 頁。
A Discussion on Relationship between Moral Judgment and Legal
Judgment Based on Kohlberg s Theory of Moral Development: Focusing
on the Importance of Stage Five in Considering Criminal Proceeding
SATO Nobuhiko
Abstract:
Law-Related Education based on the developmental stage has been promoted in Japan recently. In addition to that, as Saibain-in (lay judge) system is introduced, it is required to carefully assess necessary qualities and abilities required as Saiban-in and encourage legal development change among lay people. Based on Kohlberg s theory of moral development, this paper examines the legal developmental stage, which is important for understanding criminal proceeding. First, it reviews viewpoints on law in Kohlberg s theory of moral development. Then, it analyzes difference between moral judgment and legal judgment. Finally, it finds that Stage Five attaches more importance to procedure compared to Stage Four which emphasis social order in Kohlberg s theory. Thus, the paper argues that the significance of protection of due process which is different from the substantive criminal law order can be understood only by reaching Stage Five, which attaches more importance to procedure. In conclusion, this study argues that, at Stage Five as legal development change, it is not always necessary for law to be based on moral point of view and it is vital to deepen lay people s understanding on procedure to develop to Stage Five, which considers the proceedings more important.
Keywords: moral development, legal development, law-related education, law and psychology, due process