◆はじめに
皆さんの中で前回、尾上浩二さんのお話も聞かれた方 はどれぐらいいらっしゃいますか? はい、ありがとう ございます。6、7 割ですね。私の話は、尾上さんの話と 繋がる部分がかなりあります。尾上さんは障害のある当 事者の立場から、どのように社会を少しずつ動かしてき たのか、エピソードを交えてわかりやすく話してくださ いました。その中で、障害者差別解消法ができるまでの 話もありました。 2 年前からスタートしたこの法律は、まだまだ知られ ていません。この数年間、私は自分の本業が何なのかわ からなくなるくらい、差別解消法についての講演や研修 を引き受けてきました。2015 年度から 200 回近くになり ます。せっかくできたんだから広く知らせたい、活用し てほしい。もともと法律の専門家でも全くないけども、こ の法律がなぜできたのか、どういうふうに社会を変えて いこうとしているのかとを伝えなければと思っていま す。 今日は土曜講座という場ですので、ふだんの研修の要 素に加えて、具体的な差別事件においてどういうところ が壁になっているのか、また差別解消法や「合理的配慮」 は決して障害の問題だけでなく、他のテーマとも関わっ ていることがわかるようにお話できたらと思います。◆自己紹介①障害学と自立生活運動
あなたの専門は?と聞かれたら、一応「人権教育と障 害学」と答えます。どちらもわかりにくいです。私は会 社員生活を経て、教育学の大学院に 30 歳を超えてから入 りました。教育といっても、社会教育の方です。広い意 味で「人権」に関わることを、どうしたら様々な人が知っ て考えることができるのか、どんな学びがあれば人権が 守られる社会になるのかを考えたかった。 もう一つの障害学(Disability Studie)は、「お前の言っ てることの理屈は何だ?」と問われたときに私が「こう です」と答える根拠になっています。(尾上さんの話にも 出てきましたが)「障害の社会モデル」を軸とする学問で す。 障害のある人がいろいろ生き辛かったり不利益を受け たりするのは、「その人の体の一部が何かうまく機能しな いから」ではなくて、「社会環境にバリアがあるから」と 考えるのが、「障害の社会モデル」の枠組みです。「社会 モデル」の考え方は、今や障害者権利条約や差別解消法 のベースになっています。教育専攻のはずだったのに、 「障害学」の本が面白くて、勝手にはまっていきました。 なぜ私が「障害学」にはまったか。それは自立生活運 動を知っていたことと関係があります。会社員をしてい た 25 年前、ちょうど 25 歳の時に、重い障害がありなが ら地域で暮らしている人と、たまたま学園祭で出会いま した。それまではほとんど障害のある人と接することな く、考えたことがなく生きてきたんですけども、ひとり 友だちができたことが分岐点になりました。 最初の数年間はただ友だちづき合いをしていたわけで すが、だんだんその人が「自立生活運動」に関わってい ることを知っていきます。そして大学院に入って、立岩 真也さん(ら)が執筆した『生の技法』を読んで大変新 鮮なショックを受けました。「ああ、そうかそうか。自分 の友だちが生活してるのは、あの考え方はこういうこと だったのか」と合点がいった。重い障害があっても施設 や親元ではなく地域で暮らす、暮らせるようにしていこ うという、具体的な取り組みや思想を含めた自立生活運 動に強く惹かれました。そのあと介助もするようになっ て 18 年、細々と現在に至ります。自立生活運動に友人お よび介助者として関わりながら勉強してきた私にとっ て、障害学の「社会モデル」はストンと腑に落ちました。◆自己紹介②障害者権利条約
私の大きな関心ごとの一つが障害者権利条約です。 2006 年に国連で採択されて 2014 年に批准されたわけで 特集 2公正な社会を阻んでいるものは何か
―障害者差別解消法と合理的配慮概念を手掛かりに
松 波 めぐみ (大阪市立大学/立命館大学生存学研究センター)すけども、正直、日本社会での関心はとても低いです。条 約ができたときも批准したときも、話題にならなかった ですよね。それは運動や福祉の業界でも同じです。 私は 20 代の時に人権 NGO の活動をしていて、国際標 準として「人権」条約があることの重要性を多少は知っ ていました。だから障害者の条約が、他のマイノリティ 問題よりもずいぶん遅れてだけど策定されようとしてい るということに刺激を受けました。わかっていないこと だらけだったけども、条約づくりの「現場」を見たいと 思い、オブザーバーとして一度、ニューヨークの国連で 開催されているアドホック委員会に行きました。すごく たくさんの障害当事者が条約づくりに参加している様子 を見たことは忘れられません。 そんな経緯もあって、せっかく新しい理念のもとで条 約ができても人々に知られなかったら、実践されなかっ たら意味がないじゃないかということで、自分ができる ことを模索していました。そこで 2008 年秋、京都で「条 例」をつくろうとする運動に遭遇するのです。
◆自己紹介③京都府の条例づくり
千葉県で 2006 年に障害者差別をなくす先駆的な条例 ができたことを受け、各地で条例をつくろうとする動き が起こります。2008 年秋、ちょうど京都で働きはじめて いた私は、立命館の生存学書庫であった催しに参加した ときに、京都でも条例制定をめざす動きがあることを矢 吹文敏さん(日本自立生活センター)から聞いて、「興味 あります!」と言って、押しかけボランティアのような かたちで、約 40 の障害者団体・関係団体が集まるネット ワーク組織に参加するようになり、事務局員を引き受け ました。その条例は結局 2014 年に成立したんですが (2015 年施行)、その間、かなりどっぷりと条例づくり運 動に関わってきました。おかげで、いろんな障害種別の 人と日常的に接して話を聞くことになりました。この ネットワークでは視覚障害、聴覚障害、知的障害、発達 障害、精神障害、難病、等々の方たちと日常的に顔を合 わせて活動してきました。 そういった中でも、「条例に何の意味があるの」「差別 解消法ができたって差別がなくなるわけがない」といっ た声はよく聞いたんですよね。でもそのおかげで、法律 や条例で何が変わるのか、どう説明したらわかってもら えるのかを常日頃から考えるようになりました。 京都府条例では、全国初で「障害がある女性への複合 差別」の文言が入れることができました。これは、京都 の障害女性たちが「これを条例に入れてほしい」という 強い希望をもって盛んに運動したお陰です。条例づくり の過程で、障害女性はどういう経験をしているのかをよ く話し合いました。言いにくいことが多い現状自体、複 合差別の結果なのだとわかってきました。◆二つのパラダイムシフト
障害者差別解消法の話に入りますが、二つのパラダイ ムシフトがあったことはとても重要です。そもそも「差 別」という単語がタイトルに入った法律は日本に一つも なかったし、障害者は「福祉の受け手」というイメージ が強かった。可能になった最大の背景はやはり障害者権 利条約の成立です。 障害者とはどういう存在なのか。「保護の対象から、権 利の主体へ」―これは権利条約の理念を表す有名なフ レーズです。障害者とは保護してあげなきゃ、何かを提 供しなきゃない存在だった。いわば「客体」でした。そ うじゃなくて、ほかの人と同じく「権利を持っている主 体」となれるように、法制度も人の意識も変えていかな くてはなりません。 二つ目のパラダイムシフトはもちろん、「障害の医学モ デル(個人モデル)」から「社会モデル」への転換です。 障害のある人がいろんな困難とか不利益を負うのは、身 体のせいじゃなく、社会のバリアに原因があるんだ、そ ういうふうな障害観のパラダイムシフトが時間をかけて 進んできた。その結果の新しい条約であり、法律だとい うことですね。 ある事象、ある出来事を見たときに、「どこに原因があ るか」「どう変えたらいいのか」について、医学モデルと 社会モデルでは発想の仕方が変わってきます。◆「障害」とは何か?
①階段の前の車いすユーザー
シンプルな絵があります。階段があって、階段の前で 車いすを使う人が困っている。(スライド 9) これは電 車の駅の階段です。どうしてこの人は電車に乗れないの でしょうか。 こう尋ねられた時、多くの人は「あ、この人は車いす を使ってる、自分の足で階段をのぼれないんだな、だか ら困ってるんだな」と素朴に発想する。「じゃあ、どうし たらいいのか?」と問われたら、「リハビリをして歩ける ようになればいい」と思うかもしれない。それが無理なら、六人がかりで抱えてもらって階段をあがる? それ は大変だから、無理に電車になんて乗らずに、家族が車 を出して目的地まで送ってあげたらいいじゃないか。と いうふうに、個人で、せいぜい家族で対処するよう求め られてきたのが、昔ながらの考え方です。 そうじゃなくて、そもそもどうしてこんな「階段だけ の駅」を作ったのか。世の中には、地域には、いろんな 人が住んでいる。車いすを使う人だけじゃない。足腰弱っ た高齢者だとか、ぜんそくで息が苦しくて階段を上がる のがつらい人。骨折している人、ベビーカーの赤ちゃん をつれた人など、いろんな人がいるということを無視し て、駅をつくってきた。あたかも元気に階段をのぼれる 人だけしかいないかのようにして社会を作ってきた、 そっちの方こそ問題なんだ、という「社会モデル」の発 想が、障害者運動の中から出てきました。かつては過激 と思われかねなかった思想が、徐々に徐々に説得力をも つようになっていきます。 社会には多様な身体の状態の人がいる。そのことを無 視して、排除して、駅を作った、街を作った、法律や制 度を作った。そういう多数派中心の社会のあり方を問題 視して、バリアをとりのぞこうとする。そういう見方が 出てきたことが、差別解消法につながるわけです。
◆「障害」とは何か?
②字幕「君の瞳に乾杯」がもしなかったら
もう一つ、次のスライドをご覧下さい。映画のワンシー ンです(スライド 11)。気づかれる方もいると思うんで すけども、「君の瞳に乾杯」という字幕が出ています。『カ サブランカ』という、往年の名画です。こうやって字幕 があることによって、私たちは映画を楽しむことができ ます。もし、ですね。皆さんが見たい外国映画があって、 お金を払って映画館に入った、ところが何かのミスに よって字幕が出てこない。フランス語だけ聞こえてくる、 とかいうことになったら、困りますよね。一所懸命、映 像をみてもストーリーがさっぱりわからない。腹立たし くなるし、返金を求めますよね。字幕がないと困るわけ です。 ところが日本映画だったらどうでしょう。字幕がない のが当たり前ですよね。最近、ようやく一部の映画館の 一部の時間帯で、日本映画の字幕付き上映が増えてきま した。でもまだ少ないです。字幕付き上映をした映画館 に、「邪魔だ。気が散る」というクレームが入ることもあ るそうです。 何が言いたいか。実は、聴覚障害のある人たちは、長 年、日本映画にも字幕を付けてほしいっていう要望をし てこられたんですね。例えば、これは私が直接聞いた話 ですけれども、子どもの頃、家族で「フーテンの寅さん」 の映画を見に行った。みんなゲラゲラ笑ってるけど、自 分だけ何がおかしいかわからない。笑えない。そういう 悲しい思いをしたから、大人になってからは外国映画 ばっかり見てきたと。字幕があるからですね。「外国の俳 優さん、女優さんには詳しくなったけど、日本の俳優の ことをよく知らない。だから、有名な俳優さんが死んだ といってもピンと来ない」。そんな声を聞いて、すごく ショックを受けたことがあります。 つまり、特に映画マニアじゃなくても、これまで日本 映画を見て面白かったもの、好きなもの、影響を受けた もの、皆さんもあると思うんですよね。私もです。でも、 日本で作られた膨大な映画のほとんどが聴覚障害の人に とってアクセスできないものだったということに気がつ いて、「わあ、何てことをしてきたんだ」と思ったんです。 この数年でようやく、以前よりは、期限付き(あるい は時間帯を限定して)ですけど、字幕付き上映のも出て きましたけれども、まだ全部じゃないです。せっかく字 幕付き上映があるので見たいと思ってたけども、見逃し てしまったという話も聞きます。 つまり何が問題なのか?というときに、古い障害観だ と、「ああ、聞こえないから映画のストーリーが追えない のか。気の毒に」というふうなことだったり、「もっとい い補聴器はないのか」とか、「聴力」の問題にされてしま うわけですよね。 どうして外国映画に字幕が付いてるか、それは外国語 がわからない、私含め、私たちに対する「配慮」として 付いてるわけですよね。もしフランスの映画に字幕を付 けずに上映したら、商売になりませんよね。つまり多数 派に対しては「配慮」がある。でも、字幕がなければ映 画を楽しめない聴覚障害の人たち何十万人かに対しては 何の配慮がなかった。それだけ、数の多い少ないで、露 骨に態度が違うわけですよね。 だから、聴覚障害の人たちが長年「日本映画にも字幕 を」ということを訴えても、無視されてきた。そういう 社会のあり方を、より公正なものへと変えようとしてい る。そういうふうにして「社会モデル」のことを理解し てもらえたらと思っています。◆「医学モデルから社会モデルへ」の意味
障害学が、「医学モデル v.s. 社会モデル」と整理し たわけですけれども。実は、「私は医学モデルを主張して います」という人がいるわけじゃないんですよね。ごく ごく素朴な、昔からある、「障害がある人は大変だ」、「障 害のある赤ちゃんが生まれたのか。気の毒に」みたいな ところから、「じゃあ、いろいろ困ること、大変なことを なくすためには障害を治すのが一番だ」と素朴に考えて、 「いかにして障害を軽くするか」が何より大事だとされて きたわけですね。訓練訓練、リハビリリハビリ。私がふ だんつき合いがある重度身体障害の人たちの中には、子 ども時代は遊びよりも、教科の勉強よりもまずリハビリ、 それが何より大事、というふうな日々を送らざるを得な かった人が結構いるんですよね。先週、前回の尾上さん がまさにそういう時期に子ども時代を過ごして、実験台 のようにして手術まで何回もさせられて、何もいいこと はなかったと話されていましたが、そういう時代が確実 にありました。とても過酷です。でもそうした(現在か らみたら)無茶なリハビリや手術を正当化してきたのは、 「ちょっとでも障害が軽くなればそのぶん幸せになれる」 という「常識」的発想でした。 「障害を治す、軽減するのが一番大事。それができなけ ればもう仕方がない。社会の片隅で生存だけは保障しま すよ」という、そんな感じだったと思います。社会の方 を変えるという発想がない時期が長く続いていました。 障害者は社会のまんなかに「いない」のが当たり前だっ たんです。 でもそうじゃなくて、少数の人のことを無視して排除 してきた社会のあり方そのものが問題じゃないかという 「社会モデル」の見方が出てくるわけです。 「医学モデル」はやはり、優生思想とすごく繋がりやす い考え方ですよね。それに抗って、どんな人も、どんな 障害が重くても、また理解しにくい、一見「迷惑」と思 えるような行動を取る人であっても、その人自体が否定 されてはならない。排除したり無視したりしてきた、社 会の方こそがバリアを作ってきた。少しずつでもバリア を軽減していくのが大事なんだという「社会モデル」の 考え方は、過去 40 年の間に運動の中から出てきて発展 し、徐々に定着していったものですよね。もちろんまだ まだ「医学モデル」的な考えがぼこっと出てきたりする わけですけども。でも少なくとも、「社会モデル」の考え 方に基づく法律や制度ができたことは、(雑な言い方です が)すごいことなんじゃないかと思っています。◆「社会モデル」で
合意形成していったからこその現在
「社会モデル」という言葉は、日本では例えば「ノーマ ライゼーション」という政策の言葉に比べるとそんなに 知られていませんでした。でも国際社会では徐々に、社 会の側の対応を求める法律ができてきます。例えばアメ リカで ADA 法( :Americans with Disabilities Act of 1990)という差別禁止の法律ができたりします。WHO (世界保健機構)の障害の定義も少しずつ「社会モデル」 寄りに変わってきます。 それでも人権の条約はなかなかできないまま、21 世紀 になります。国連で障害者権利条約の策定について議論 され始めたのは 21 世紀になってからです。障害当事者運 動は 1970 年ごろから盛んになりますが、社会モデルの考 え方について合意を得ていくプロセスがあった。 「社会モデル」の考え方に対し、やはり反発や、専門家 の抵抗等もあったけれども、徐々に、特に「人権」とい う観点から、「社会モデル」の正当さが認められていくわ けです。この考え方にのっとって、障害者の人権につい てのルール、国際条約を作ろいうということで、合意形 成がなされていった。それで 2006 年に障害者権利条約の 採択に至ったわけです。 ただ、2006 年の時点では、日本の法律には「社会モデ ル」の考え方はなかったので、この 10 年の間に「障害者 制度改革」というかたちで法改正や、新法の制定がおこ なわれてきた。◆ Nothing about us, … の意味
尾上さんのレジュメでもあった、「われわれ抜きでわれ われのことを何も決めるな!」は本当に大きなスローガ ンでした。1 回だけニューヨークの国連に行ったってい う話をしたと思うんですけれども、忘れられないシーン があるんですね。国連だから 190 何ヶ国、国と地域が集 まっていて、その周りにずらっと障害者団体が、ロビイ ングやなんかで来てるわけですけども、政府の代表の中 にも、たくさん、まあ全ての国ではなかったけれども、ほ とんどの国の政府代表の中に障害のある当事者がいた。 全盲の方、車いすユーザーの方、等々、いたわけですね。 で、そういう場で、例えば教育の条項だったらここが争 点だ、ということで膨大な資料が配られて議論がされる。
でも、議長のドン・マッケイさんっていうニュージーラ ンド出身の人が何度も何度も注意したことがあったんで すね。それは、紙で資料を配るな、という。紙だけで資 料を配ったら視覚障害の仲間がアクセスできない。そん な、一部の人を排除したもので話し合いをしようとして も駄目だ、というふうなことを繰り返し注意したんです ね。必ず、話し合いのための資料は web 上に電子データ として上げてほしい、web 上でアクセスできるように なっていれば、視覚障害の人は音声で耳で聞いて内容を 知れるし、点字に印刷することもできる。だから、いろ んな障害の人が排除されないようにという「合理的配慮」 にあたることを国連の場でも一所懸命やってた。誰かを 排除して何かを決めるということはもうやめよう、とい うことを徹底していたのが印象に残っています。 スライド 17 の写真を見て下さい。「JAPAN」と書いて るところの右側が鈴木さんという外務省の女性でしたけ ども、左に座ってる東俊裕さん、車いすを使ってる弁護 士さんですね。こういう障害当事者の人が、日本政府の 顧問として政府の代表団に入ってた。こういうかたちで 2006 年に障害者権利条約が作られていったわけなんです ね。そしてこの 10 年かけて、日本の中で法整備がなされ た。このへんは尾上さんの話ともかぶるので飛ばします。
◆障害者権利条約のポイント
差別解消法の話の前に、権利条約の大事な特徴に少し だけ触れておきます。原則の「インクルージョン」とい うのは、排除(エクスクルージョン)の反対です。障害 者を排除/隔離してきたことへの反省からきてる、とい うことですよね。大きな施設をどんと建てて、障害者は そこにまとめて住んでもらう、「親亡き後」はここしかな い、みたいに障害者の暮らす場を別に作ってきたことは もうやめようという宣言でもあります。また、そういう 意味での排除だけではなく、先ほどの「階段しかない駅」 とか「日本映画に字幕がない」とか、そういったことも 含めて誰かを排除してる。一部の人のことを全然考えな いで、当たり前のように健常者基準でありとあらゆるも のを作ってきた。それに対する反省という意味があると 思います。 それから、「地域で生活する権利」も条約に書かれてい ます。「ここにいらっしゃる皆さん、あなたは地域で生活 されていますか?」と私が聞いたら、皆さん、「はぁ?」っ て思いますよね。それくらい当たり前のことを、障害者 にとっては当たり前ではなかった。自分が暮らしてる地 域から追いやられる。気がついたら遠くの養護学校、支 援学校の寄宿舎に入ってた。気がついたら家族の都合で 施設に入ってた。そういうことをもうなくそう。誰でも 地域の中で(必要な支援を受けながら)暮らす権利があ るし、それが可能になるように各国政府はがんばらない といけないということですね。 また、手話は言語であること、情報・コミュニケーショ ンへのアクセスの権利、「情報保障」もとても大事です。 今日この場には、手話通訳も要約筆記もありませんね。こ ういう設定で話すのは実は久しぶりで、ちょっと残念だ なとは思います。手話通訳を依頼する申込者がいなかっ たってことですよね? 段差があるから入れない、情報がバリアとなって参加 できない、情報が得られなくて不利になる、それは仕方 がない、気の毒だけどあきらめなさいと言われてきた。い や、もうこれからは違うんだ。認識を大きく転換しない といけないわけです。社会を変えなければならないとい う意図が、はっきりと条約には入っています。 複合差別のことも入りました、障害のある女性、障害 のある性的マイノリティ、外国籍の障害者、いろんなか たちでの「複合」がある。どちらの運動や権利擁護の仕 組みからも置いてけぼりにされがちな人たちの問題も、 条約の締約国は取り組まなくてはなりません。◆基本中の基本、障害者差別解消法とは
やっと差別解消法の話に入ります。私は行政職員に研 修することが特に多いです。法律を知っていないことで 問題が起こるとまずい、ということで研修に呼ばれるわ けですけれど。どうしてもそこでは「障害のある市民に 対して、配慮しなくてはいけなくなったらしい」と思わ れている。そこにはまだ障害者は何かしてあげる対象(客 体)というイメージがあり、「社会モデル」の考え方は共 有されていません。 社会的障壁というのは、「社会モデル」の考えに基づい た用語です。階段のような物理的バリア、または「日本 映画に字幕が付かなかった」「講演会に手話通訳がつかな い」といった情報保障の欠如もバリアです。また偏見― 特に知的障害がある自閉症の人や精神障害の人に対して 苛烈です―、そういうものも含めて「社会的障壁」と いいます。社会環境に障壁があるために参加できない。障 害のない人が当たり前に享受している権利を制限される、あきらめさせられる、それを問題にしているわけで す。あそこには行けない、以前に拒否された、何も情報 が得られないから行く価値がない。そうやって追い込ま れて、ごくごく狭い範囲でしか生活できていない人がた くさんいます。それは「身体のせい」ではなく、「社会的 障壁があったから」なわけです。この障壁を取り除くの が障害者差別解消法の目的です。 歴史の中でつくられてきた社会のバリアを、一気に、 「ヨーイドン」でバッと取り去ることはできない。社会の 隅々まで社会的障壁がある。私ももちろん、なかなか気 がつかないバリアがたくさんある。少しずつでもバリア を取り除いていくことによって、障害のある人が権利を 制限されずに共に生きられるように社会を作り変えてい く、そのための法律だということです。
◆差別解消をする/
合理的配慮をおこなう主体について
この差別解消法という法律には限界があります。「国や 地方自治体」と、「事業者」つまり会社やお店等は、障害 のある市民に差別してはいけないし、必要な配慮を提供 しなきゃいけない―というのが法律の枠組みです。今 のところ、一般市民への規定はありません。たとえば「障 害のある A さんを隣人の B さんがのけものにした」と いったことは、今のところ法律の対象外です。 法律の対象になるのは、国・自治体と事業者だといい ました。「事業者」は、障害のある市民に何らかのサービ ス等を提供している主体が全部入るので、お店や会社だ けじゃなくて、町内会や PTA、ボランティア団体、NPO 法人、社会福祉法人、すべて入ります。「サービスを提供 する者が差別をしてはいけない」というのがこの法律の 基本的な作りですね。 市民どうしのことは対象外だ、ということは、それは それで限界なんですけど、まずは「差別してはならない」 ということを徹底して社会の中でルールにしていくこと が大切です。◆「国・行政」と事業者との違い
今のところ、「障害を理由に差別をしてはいけない」こ とは行政も事業者も同じだけど、「合理的配慮の提供」と いうことについては、行政は義務で、事業者は努力義務 というふうに、段差がつけられています。 合理的配慮についてはこの後でもう一回説明します が。これをおこなうにはお金がかかるとか、提供する側 のマンパワーなどもからんで、どうしても難しい場合が あります。まだ「社会モデル」の考え方自体が世間一般 に知られていない中、いきなり全部「義務」としたら、反 発の方が強まるんじゃないか。だから企業とかお店は努 力義務にしよう。でも国や行政はお手本として、ちゃん と合理的配慮をしなさい。例えば、行政が主催する講演 会で情報保障がないことは今やありえません。「法律違 反」と言える。 事業者には努力義務にとどまっていることは、いずれ は法改正すべきです。でも一足飛びにはいかないので、漸 進的というか、まずはできるところから社会を変えてい く。そういうものと思ってもらったらいいと思います。◆法が定める差別その①
「不当な差別的取り扱い」とは?
法律の話をしたらだんだん眠そうな顔をされるのが常 です。もう少しだけおつきあいください。差別解消法に は、大きく分けて 2 種類の「差別」があります。 一つめの、不当な差別的取り扱い。シンプルにいうと 「差別」です。障害のない人にはしないような扱いを障害 のある人に対してする、それで不利益を被らせるもので す。 知的障害のある人が近くの歯医者さんに行った。「障害 者だから駄目」とはさすがに言わない。でもその人が待 合室をぐるぐる歩き回ったり、ブツブツつぶやいたりし たら、「ほかのお客さんに迷惑だ」ということで診察拒否 される。「大きい病院に行って下さい」と言われる。付き 添いの家族はいたたまれなくなり、「しかたがない」と思 う。そうやって続いてきた差別です。 京都でもあった話ですけども、スポーツクラブで聴覚 障害のある人が入会拒否に遭う。皆さん、体を鍛えたい、 ダイエットしたい、私たちと同じような動機で申し込む。 すると、「もし災害があったら、安全に誘導できないので」 等と言われて断られる。「災害」とか「安全」という言葉 は本当によく使われます。 今はもう、こういう拒否は法律違反になった。相談す れば、ちゃんと行政から指導ができるようになった。正 当な理由ではないわけですよね。障害者は無力で何の判 断もできない存在だという思い込み、決めつけが底には ある。「災害時」等の極端なケースを持ち出して断るとい うのは典型的なんです。実は単に障害のある人と接した 経験が少なすぎて、何となく面倒なことになってはいけないから、それを避けたいという、理由になっていない 理由です。これは、はっきりと「法律違反だ」と言える ようになった。 これまで障害のある人と身近で出会いにくい社会を築 いてきたことが背景にあるわけですね。社会全体で排除 してきた結果、教育の場面でも、ふだんの地域でも、出 会う機会が少なかったのが最大の背景です。漠然とした 不安によって、排除する、「別」扱いする。それをとにか くやめるというのが、差別解消法の大きな目的だと思っ ています。完璧な接し方をしなきゃいけないなんてこと は障害者の側も望んでいない。まずは排除しない。ぎこ ちなくていいから、とにかくコミュニケーションを取っ ていくということです。
◆法が定める差別②
「合理的配慮をしない」とは?
合理的配慮とは何か。何らかのバリアがあって障害の ある人が困っている、参加や利用ができないという場面 で、「そのバリアを取り除くために、対話しながら、でき る限りのことをする」というものです。 実際に合理的配慮の例としてよく挙げられるのは、聴 覚障害がある人に対する筆談です。音声での会話の代わ りに、紙に書いて説明するというものです。スマートフォ ンでもいいです。ただ、「そうか、聞こえない人には筆談 すればいいのか」と思われがちなんですが、筆談が苦手 な、読み書きに苦手さがある聴覚障害の人もいるという ことを忘れないでほしいです。本人と対話して、本人が 手話通訳を望めば、手話通訳を手配するのが合理的配慮 です。 レジメにある次の例(スライド 24)は、「受験の時の 合理的配慮」ですね。視覚障害があって点字を使って勉 強してきたので点字で受験したいと求める人に対し、 「あ、障害者の人も受験してもいいですよ。そのかわり特 別扱いしません。全く同じ(紙に墨字を印刷された)試 験問題でよいのなら、どうぞ」という対応をすれば、差 別でしかないのは明らかですよね。入学試験のような大 事な場面で、個々の人に応じて環境を調整する、そのた めに十分な話し合いをするのが大事です。上肢に障害が あって手で筆記するのが難しい、狭い回答用紙に記入す るのは難しい、そうした場合にキーボードの使用を許可 するとか、問題用紙を拡大するとか、そういう調整は法 律ができる前からされてきました。かなり整備されてい ますが、IT 機器の使用についてや、時間延長はどれぐら いが妥当か等、話し合いが必要な場面もたくさんありま す。 次は発達障害のある人の学校生活についての例です。 学習障害、ディスレクシア( :ディスレクシア(dyslexia) は学習障害の一種で、文字の読み書きに関する学習障害) の人の場合、読み書きとか数字とか特定のことに困難が ある。たとえば先生が黒板に書いたのをノートに取るこ とができない、あるいはすごく時間がかかる。こういう 場合に「板書を写真撮影する」ことを許可する。こうい うことも合理的配慮の例として紹介されるようになって きています。◆「合理的配慮」について理解を深める
合理的配慮を理解するには、「社会モデル」の認識が必 要だと私は思っています。でもそうではなく、「障害者に 対していろいろしなくてはならなくなった、大変だ」と いうレベルで受け止めている人がたくさんいます。私は 時々、「障害者が何か要望してきたら、なんでもかんでも しなきゃいけないのか」といった質問を受けます。そう じゃないんですよね。本来だったら、バリアがない環境 が用意されていることが望ましい。けど、そうはなって いないから、個別個別の場面で、できることからやって いく必要があるのです。そもそも「なんでもかんでも」求 めるモンスターのような障害者を仮定して、自己弁護を はかっている時点でどうかと思いますが、人と人として 接触した経験がなければ、そのレベルでとどまっている 人が多いのもまた現実です。 障害のある人から「こういうバリアがあって困ってる、 こうしてほしい」という意思表示を受けとったら、それ をきっかけとしてコミュニケーションを取って、バリア を取り除いて、困ってることを解消しなくてはならない。 何らかの手だてを打つ、調整をすることが合理的配慮で す。 「環境の調整」という表現もよく使います。本人の「障 害」そのものをなんとかせいということではなくて、社 会環境のほうの問題だというニュアンスが入った言葉で す。 よくある誤解に、配慮イコール「思いやり」というも のがあります。合理的配慮の「配慮」という字面だけを 見て、日本語の「思いやり」という言葉と「配慮」とい う言葉が近いニュアンスなので、「あ、障害のある人に思 いやりを持って接するということか」と思い込む。行政でも非常に多く見かけるので、意図的にこの誤解を広め ようとしているのではと疑ってしまうほどです。 「思いやり」で何かしてあげることが合理的配慮ではあ りません。悪気があるとかないとか関係なく、現に社会 的障壁があって、障害のない人が難なくできていること が障害のある人はできない状況がある。「話し合いなが ら、調整しながら、そこにあるバリアを取り除くことで 平等にする」のが合理的配慮の基本です。具体的には段 差の解消であったり、情報提供だったり、発達障害等に より感覚過敏のある人が居やすい環境をつくることだっ たりします。 段差のような、見えやすいものもあれば、見えにくい ものもあります。大多数の人にはなんてことない音がう るさくてたまらない人がいる、部屋の照明が眩しくて しょうがない人もいる。大多数の人には何てことなくて も、非常に苦痛で集中できなかったり体調が悪くなるよ うな人がいれば、その人に出ていってもらうのではなく、 部屋の環境の方を調整する。 知的障害や発達障害のある人に説明するときに、絵と か図とか指差しとかいろんな手段を使ってみるのも大事 です。何が適切かは、その場その場でコミュニケーショ ンして探っていくしかないところがある。要は平等にそ こに参加できる、平等に利用できるようにする、そのた めに何が必要かを、話し合いながら行っていくのが合理 的配慮です。
◆合理的配慮の注意点
注意しなければいけないのは、勝手に先回りしないこ とです。マニュアル的なパンフレット類も出てきたんで すけども、「何々障害の人はこうすればいい」という思い 込みにつながる心配があります。(スライド 26 ∼ 27 にあ る)レストランの図で、視覚障害の人に点字のメニュー を渡している例があります。点字のメニューを用意して る店というのは多くはないですから、これは良いことで すが、「どや!」とばかりに点字のメニューを渡したけど、 「私、点字読めません」ということもざらにあるわけです ね。視覚障害の方で点字を読めるのは 1 割以下だという データもあります。中途失明が多いということもあるし、 最近はパソコン上でデータを音声に変換できるように なっていることも関係します。もちろん点字を使う人に とっては点字はすごく大事な手段ですけれども、「点字が あれば OK」というものではない。一人一人違うので、個 別に対話することが不可欠ということです。 ただ、本人からの「意思の表明」が大事とはいっても、 本人が言葉にするのが難しい場合、本人をよく知ってい る人が代わりに表明することももちろんある。また本人 が言い出せない、でも明らかに困っているという場面が あれば、こちらから働きかけるのも大事です。こうした ことは差別解消法施行の基本方針(2015 年に閣議決定さ れたもの)で書かれています。◆「バニラエア事件」①何があったか
バニラエアの事件は、ある意味で象徴的な出来事だっ たので、その後のバッシングも含めて話をしたいと思い ます。去年(2017 年)6 月、結構話題になったのでご存 知の方もいらっしゃるでしょう。私は、「実際に起こった こと」と「世間の多くの人が持った印象」とが非常にズ レている事件だと思っています。 まず、何があったか。2017 年 6 月の初めに、大阪に住 む車いすユーザーの男性が奄美大島に休暇で遊びに行っ た。行きは大丈夫だったけど、帰り、大阪に戻ろうとし て奄美空港に行くと、バニラエアという格安航空会社 (LCC)のスタッフから「歩けない方は飛行機に搭乗でき ません」と言われた。「歩けない方は搭乗できません」と いう言い方だったことは、バニラエア側も認めています。 確かに空港の設備は十分ではなかった。でも、往路で関 西空港から乗ったときは、一緒に行った友だちも手伝っ て乗り込むことができた。だから帰りもそうしようとし たら「いや、他の方のお手伝いで事故があってはいけな いので、駄目です」と断る。バニラエア側のスタッフも 手伝えない。つまりは飛行機に乗ることができない。 この木島さんという方は会社員で、日曜日のうちに大 阪に帰りたい。ここでバニラエア機への搭乗をあきらめ たらどうなるか。JAL とか ANA とか、3 倍くらい値段 の違う飛行機に乗るしかない。避けたいと思うのは当然 ですよね。 木島さんの場合は脊髄損傷という、事故で中途で障害 を持った方ですけども、上半身は動かせた。だから、何 とか上半身の肘の筋力でタラップをあがることができ た。その「タラップを肘でよじ登る」様子がイラストつ きで報道されてしまったので、その印象がすごく世間で は強くなってしまったんですけれども、これはミスリー ドでもあったかと今の私は思っています。これはやむな く自力で いあがることをしたわけで、パフォーマンスでも何でもないんですね。それで無事大阪に戻れたけれ ど、やはりあれはおかしい、もう障害者差別解消法もで きているはずじゃないか、と思われたわけですね。 木島さんは海外を含めて、よく旅行に出かけている方 だったので、法律のこともご存じだった。大阪府の、障 害者差別解消法(および大阪府の条例)に基づく相談窓 口に相談したわけですね。すると行政としても、それは 確かに法律違反じゃないかと思って、鹿児島県やバニラ エアのほうにも連絡をとりあい、事実確認をします。こ れは差別解消法に基づく問題解決の仕組みですね。で、 「これは確かにおかしい、法律違反だ」ということが明ら かになって、バニラエア側に指導が入った。それでバニ ラエアのほうも問題を認め、謝罪をしました。 で、これがとても大事なんですけれども、バニラエア は今後「搭乗できません」という拒否をしなくていいよ うに、最低限ですが設備を購入したわけです。アシスト ストレッチャーの写真がありますが(スライド 32)、こ れ 15 万円だそうです。いくら格安航空会社といっても、 15 万円の物を購入できない、「過度な負担だ」ってこと はありえないですよね。さらに階段昇降機も購入して、今 後は車いすのお客さんが来てもちゃんと普通に、安全に 乗ってもらえるようになった。これが車いすユーザーに とっては「問題が改善された」ということなんですよね。 とても大事です。今後は車いすユーザーが安心してバニ ラエアを使えるようになった。これは法律が効果を発揮 した例なんです。尾上さんに聞いたところ、このケース も、法律ができる前だったら、おそらくもっともっと解 決に時間がかかってただろうとのことです。
◆バニラエア事件②しかし起こったバッシング
先ほどのアシストストレッチャー購入が決まった時点 で、事件から 2 週間ほどしかたっていません。法律があっ たことで、スムーズに進んだわけです。 でもその後、6 月の末に新聞やテレビで報道されます。 この時点でこの事件を知った人も多いでしょう。私もそ うでした。記事では、障害者差別解消法のこと、バニラ エア側が改善したことまで報じられていました。 ただその時、ややセンセーショナルに、「車いすユー ザーが腕でタラップを い上がることを強いられた」と いうニュアンスで、イラストつきで新聞に載り、テレビ に出、またはヤフーのトップニュースにもなったんです ね。報道された直後は、一瞬同情が起こる。「ああ、障害 者の人にこんな屈辱的なことをさせてひどい」という感 じです。ところが一転して、その日のうちにバッシング が始まりました。 私はその日はずっとネットにはりついて見ていたんで すけども、ツイッターに木島さんを非難するツイートが 拡散されはじめ、まとめサイトも作られ、あっという間 に、バッシングが広がっていきました。「バニラエアに謝 罪させたこの木島という人、自分のホームページに、事 前連絡しないでいきなり空港に行ったと書いているぞ。 これはルール違反だ。バニラエアのホームページを見た ら『事前連絡』するよう書いてあるじゃないか。こいつ がルール破りだ」とかいう、ほとんど言いがかりとしか いえないようなことから、印象がつくられていきます。あ たかもこの障害者に問題があっんだ、バニラエアはむし ろ被害者だ。といったニュアンスの意見が作られ、ネッ ト上でどんどん拡散されていくんですよね。実際は事前 に連絡していても乗れなかった。それはバニラエア側も 認めていて、新聞にも載っています。でもネット上で「炎 上」している案件に参加しているのは、事実なんかはど うでもいいと思う人たちなんですね。(このバッシングの 話は最後にもう一度取りあげます。) ただこの事件は、ネット上のこととは関係なく、これ を機に DPI などの障害者団体が声明を出したり、国土交 通省がバニラエアとかピーチのような会社を含め、この ようなことが今後ないように、という指示を出したりし た。(補足。2018 年 8 月に国土交通省からさらに航空法 とバリアフリー法の関連法規の改正が決まったことが報 道された。) 私が一般市民向けの講座でバニラエアの話をしたり、 大学生に対して授業で話をすると、「誤解してた。この障 害者の人がわがままだと思ってた」という声がいっぱい あるんですね。そこで思うのは、障害のある人がふだん どんなふうに交通機関を使いにくかったり差別を受けた りしているか、本当に知られていないんだなということ です。法律のことなど、当然知らない。イメージだけで、 バッシングに加担しているのは、「善良な市民」なんです。◆バニラエア事件③法に照らすと(おさらい)
先ほど、「差別解消法は大きく分けて 2 種類の差別を禁 止している」と話しましたよね。一つめは「不当な差別 的取り扱いはだめ」。これもう、バニラエアの奄美空港で の対応はまさに該当します。歩けないということを理由 に、搭乗というサービスを断るというのは、一発でアウ トです。民間企業でも関係ないわけですね。加えていうと、2 番めの「合理的配慮の提供を拒否す る」ことにも該当します。本人とコミュニケーションを 取って、たとえ設備が不十分でも、本人と話し合って「ど うすれば安全に乗ってもらえるか」を考えるべきだった。 物理的にもできたはずなんですよね。(木島さん自身、海 外を含め、もっと小さくて設備が不十分な空港でもそう やって利用してきた経験がある。) 合理的配慮もしなかったということで、二重の意味で 法律違反だったわけです。しかしネット上の様々なコメ ントやバッシングの議論の中で差別解消法に触れたもの は全くなかったです。
◆居酒屋での予約拒否事件
お隣の滋賀県の聴覚障害者団体が居酒屋の予約を拒否 される、ということが 2016 年夏に、法律ができてすぐの 時期にありました。これは 6 人で居酒屋を予約しようと したら、全員が聴覚障害者だということがわかった途端 に予約拒否となったケースです。「店員は手話ができな い、忙しくて筆談する十分な時間がない、何か失礼なこ とがあってはいけないから」とお店側は言っていたよう です。おそらく、「知らない」ことによる不安が強かった んですね。実際には、聞こえない人たちと飲食店でコミュ ニケーションする方法はいくらでもあるんです。でも、知 らなさ、恐怖感みたいなものから拒否してしまう。 このケースも「差別」だと認識した当事者の方が行政 に相談したことで、行政から指導がなされ、店側の「謝 罪、再発防止」に至りました。今後、各店舗で同じよう なことがないようにちゃんと指導しますということに なった。さっそく法律が生きた例ですね。◆中身まで知っているのは 20 人に 1 人
まだ障害者差別解消法は知られていません。去年の夏 に、8 月の末ですかね、内閣府が世論調査をしたところ、 一般市民の中で障害者差別解消法という法律ができたこ と自体を知らない人が 77 パーセント。実際そんなもんだ ろうと思います。法律ができたことはちらっと聞いたこ とがあるけど、中身は知らないという人も多い。法律の 中身まで知ってると答えた人は全体の 5 パーセント、20 人に 1 人でした。確かに、そんなもんだろうなあと私の 実感としても思います。いずれは学校でもきちんと教え られるようになるべきだと思うけれど、当面は、事件の 報道がきっかけでもよいので、知られていってほしいで す。◆「たった一人でも」の意味
研修でよく話すことなんですけれども、この障害者差 別解消法には、障害のある人が―それは別に障害者手 帳を持っている人に限らないということもちゃんと基本 方針で書いてますけれども―「たった一人でも」、バリ アがあって困ってる、参加できないということがあれば、 そのバリアを取り除いてほしいと言えるようになったと いう意味があります。 「たった一人でも」とわざわざ書いたのは、「あなた一 人のために特別扱いできません」と断られることはよく あったからです。例えばこういう講演会の場で、聴覚障 害の人が「手話通訳を付けてほしい」と申し込んでも、 「いや、あなた一人のために何万円もする通訳の手配など はできません。予算がありません」ということが、しょっ ちゅうあったわけです。「あなたが見つけてきてくださ い」ということで、手話を勉強している聴者の友達にタ ダ働きを頼むことしかできなかったりした。 でもこの差別解消法では、一人一人、本当に一人一人 の個別の必要に応じて、障害のない人と同じ権利が享受 できるように調整してほしいということが言えるように なった。法的な裏付けができた、ということが一番大き いと思います。あと、さっき事例で話したように「相談」 の仕組みができたことですね。法律を知らない事業者等 がまだたくさんいて、差別は起こる。でも相談をするこ とで改善される例が確実に増えています。◆知られておらず、
利用しにくいということについて
(2018 年)4 月になれば、差別解消法が施行されて丸 2 年になります。そこで改めて課題と思ってること、本題 「公正な社会を阻んでいるものは何か」の話に入っていき たいと思います。 まず、この法律が障害のある人自身に知られていない ことが、ひとつ大問題だと思っています。権利擁護にと りくむ障害者団体はまだ少ないし、いろんな団体や関係 機関に「お知らせ」が送られていても、腑に落ちるよう なかたちで伝えられてはいない。ましてや、どこにも所 属していない人、また福祉的就労でなくてなんとか一般 就労をしているような人が、特に知らないように感じま す。差別解消法についてのパンフレットを手にとる機会があったとしても、読めばわかるというものでもないと も感じています。 障害のある人に、「あなたがこんな差別を受けることが ないよう、法律で保障されるようになりました、こんな ことがあれば相談できますよ」ということを確実に、わ かりやすく伝えるような仕組みがないし、そうした取り 組みが少なすぎると思います。 さらに、法律があることを知ったとしても、差別的な 扱いを受けたことを相談しようと思えないケースがまだ 膨大にあるように思います。
◆なぜ相談できないのか
これは SNS で知った例なんですけれども。車いすユー ザーである大学生が、以前よく行っていたステーキハウ スに行ったら、「車いすの人はお断り」という非常に露骨 な入店拒否にあったんですね。その人は中途障害で、以 前よく家族で食べに来ていて、美味しい店だから来たの に、車いすになったとたん拒否された。「残念。ああ、障 害者になるとこういうことがあるのか。やっぱり大変な んだな」という中身のことをツイッターでつぶやいてた んですね。私はそれを見て、「え、こんな露骨な差別、相 談したらすぐさま対応されるのに」と思ったんですけれ ども。 ツイッターを見ていると、その入店拒否された青年の 友だち、知り合いの人たちは皆、同情して、「大変だった ね。悔しかったね。つらいね。でも、もっと気持ちよく 入れるお店を探そう」などと書いている。「あなたが有名 人になったら、きっとそのお店の人も後悔するよ」と書 いている人もいた。まったく善意の人たちです。「差別」 という言葉は出てこない。 「これはちょっと法律のことを知らせたほうがいいん じゃないか、赤の他人だけど」と思っていると、私と同 じように思った人は結構いて、その青年に対して、「あな たが受けた扱いは、これは障害者差別解消法に当たる差 別だから、お住まいの都道府県でも市町村でもいいので、 相談したらいいですよ」というふうに情報提供したんで すね。ツイッター上で。 ところがその青年は、非常に丁寧に、「あ、どうも心配 して下さってありがとうございます。でもそんな、差別 とか、大げさなことは言いたくありません。事を荒立て たくないし、お店を悪者にしたくない」といったことを 投稿していたんです。 いやいやいや、大げさも何も、それは明白な差別じゃ ないか、店は間違ったことをしているしこのままでは次 の被害者が出るぞ、と思ったわけですが、それ以上「あ なたは相談すべきだ」と押し付けるようなことはできな いと思ったんですよね。 ごくごく「普通」の感覚をもった、「事を荒立てたくな い」という心情を持つ青年です。「差別したお店を訴える」 なんてことは、世間ではハードルが高すぎる。バニラエ ア事件で見るように、本人が攻撃の対象にもされかねな いんですよね。「法律を活用しよう」と思いにくい土壌が あること、根深さを痛感しました。◆本人が権利を行使するためには?
「これは不当な差別だ」、または「合理的配慮を求めて もいいんだ」ということを、障害のある人本人が知る機 会をどうしたら作れるのでしょう。 「合理的配慮を求める」ということについて、例えば大 学に入学することができれば、(立命館大もそうですけど も)大学の中での「障害学生への支援」はこの数年間で かなり整備されてきていると実感しています。本人から なかなか申し出にくいとしても、スタッフや周りの人が 気がついて、「こういうことを求めてもいいんだよ」とい うことを本人に伝えることもなされていると思います。 でも、一般市民として暮らしている、会社で働いてる、 そういう人に対して知る機会が少なすぎます。「合理的配 慮を求めてもいい」「どういうふうに求めたらいいか?」、 そういうことについて知識を得るための仕組みが必要で す。◆障害者を「クレーマー」に
仕立てたがるのは?
いろんなところで研修をしていると、企業や行政、つ まり障害者を「顧客、お客さん」として関わる可能性が ある側が、「何か厄介な法律ができた。障害者がクレー マーとして何でもかんでも要求するんじゃないか。正直 言って、憂鬱だ」というふうな態度を露骨に出す場面に もたびたび遭遇します。「市役所にある文書を全部点字に しないといけないんですか?」と聞いてくる行政の人も います。そんなことを求める視覚障害者はどこにもいな いと思うんですけど、架空の、極端な例を出して、「こん な法律ができた、かなわん」と言ってしまうのはなぜな のでしょう。 合理的配慮について、障害のある人が求めたとおりのことができないことは、当然あります。予算がない、人 手が足りない等で、断らざるを得ない、あるいは「全部 はできない」ということはある。その場合はちゃんと話 し合いの場をもって、理由を説明をするのが大事です。き ちんとコミュニケーションを取れば、説明がなされれば、 それは「過度な負担であり、やむをえない」ということ で、法律上の「差別」にもなりません。 ただ実際、「過度な負担」と認められたら、合理的配慮 をしなくても差別にはならない、という文言だけを見て、 「どこからが過度な負担になりますか?」と質問してくる 人が多いんです。それも、熱心に。これは、「排除しない で、できるだけのことをしていこう」という態度ではな く、どうしたら「おまえの会社は差別をしただろう、合 理的配慮をしなかっただろう」と責められるのを避けら られるかにばかり関心が向いていると感じます。 「できれば関わりたくない。障害者を雇いたくない。お 客さんとしても来てほしくない」といわんばかりの態度 は、残念ながら研修の打ち合わせをしている時などにも、 垣間見えることがあります。
◆入居差別の根深さ
ちょっとまた別の話をします。 バニラエアと居酒屋の事例は、相談したことが解決に 繋がったものでした。ただもちろん、なかなかそうはい かない例も多くあります。これは地元の京都で起こった ことですけども、去年(2017 年)の話ですが、車いすユー ザーが引っ越し先を探すことになって、立て続けに 5 件、 入居拒否に遭うということがありました。その方の場合、 まずは普通に自分の条件に合う物件をネット上で検索し たり、不動産屋さんで見たりして、気に入った物件につ いて、「この部屋を内覧したいんですけど、どうでしょう か?」と言っていったんですね。ところが、不動産屋の 対応は悪くなくても、いざ大家さん、管理会社のほうに 「車いすユーザーである」ことが伝わると、それだけで自 動的に拒否、理由を聞いても教えてくれない、あるいは まったく理由になっていない理由を言われる、というの が立て続けに 5 件(4 つの管理会社が関連)あったんで すね。本人がどういう人物か、車いすがどういうものか、 実際は床に音が響くとかいうこともないことなど、説明 する機会も何も与えられず、ただ「車いす」というだけ で断られ続ける。もうだんだん自分が社会から完全に拒 否されてるような気分になってきたと、その方は話して いました。非常につらい思いをされたと思います。 最終的には 6 件目の物件で、ようやくオーケーが出た んですけども。障害者差別解消法が施行された後の話で すよ。本人もいろいろ調べたんですが、この分野には差 別が容認されるような慣行とか、いろんなグレーゾーン があるようです。 法律が施行された今、不動産屋として、「障害があるこ とを理由に物件を紹介しない」ということはできない。で も大家さんの個人の意向は、それが偏見に基づいたもの であっても守られている。また管理会社というものが壁 になって、行政、省庁なども介入しにくいところで拒否 するということになっているようです。この件、ずっと 京都府の相談窓口にも相談して対応をお願いしているん ですけども、まだ十分な解決に至っていません。あまり にも構造的で、非常に難しいんだなということを改めて 思っているところです。◆解決にならないケース
また、行政はとりあえず相談窓口で話は聞いてくれる けれども、踏み込んだ解決策をとるのが苦手なんだな、と いうことを実感しています。 京都の例で、これは直接的には知らない方のことです けれども。在宅で介護サービスを使っている女性がいて、 本人は嫌なのに、入浴介助に男性のヘルパーが派遣され てくる。これについて配偶者の男性が、「妻が非常に嫌 がっているから、何とか改善したい」ということを行政 の相談窓口に電話してこられた。しかし行政のほうは、 「では役所に相談して下さい」とか、「異性介護を行わな い事業所をそこの市に紹介してもらって下さい」などと 話したようです。実際にはそんなに簡単な話ではないん ですね。都市部でなければ、事業所の数も少ないし、プ ライバシーの問題もある。一つの事業所を拒否したら住 みづらくなることも考えられる。「異性介護を行わない」 という方針の事業所は地方では見つからないかもしれな いし、そうしたことを行政職員がを把握しているとも思 えない。要は、実際の解決には到底結びつかないような 対応しかできていなかったのです。そんな回答を受けた ら、相談者は二度と窓口など頼るものかと思うかもしれ ません。◆バニラエア事件、犠牲者非難のロジック
先ほどバニラエアの事件のあと、ネット上でいろんな 書き込みがあったことを話しました。それについて私は、非常にしんどかったんですけれども、雑誌の連載のため にネット上の反応を分析しようとして、かなりの数のコ メントを集めたことがあるんです。いくつか傾向がある ことがわかりました。 そのバニラエアの事件で車いすユーザーの当事者に対 するバッシングの中の一つの傾向として、「LCC だから、 格安航空会社だから、我慢しなければいけない」という ものがあります。「JAL や ANA じゃないんだから。安い 航空会社なのに障害者がわがままを言った結果、値上が りしたらかなわん。自分たちが安く利用できなくなる」。 エゴむきだしですね。その中で象徴的だったものが、「車 いすのお客さんがバニラエアに乗れるようにしてほしい というのは、ファーストフード店でフルコースを頼むの と同じだ。ファーストフード店なんだから、それなりの サービスで我慢しろ」というものでした。 もちろん、車いすユーザーの彼は別にフルコースの料 理を頼んだわけではなく、たとえていうなら「普通に食 事したい」だけなんですよね。できれば安くあげたいの も当たり前です。 二点目。「障害者が飛行機に乗るということ自体が現に 迷惑なんだ」と言いたげな、「迷惑」を強調する書き込み もかなりありました。例えば、「航空事故、ハイジャック とか、何かそういうことがあったら、障害者一人を助け るために健常者が何人も犠牲になりかねない。そういう ことを自覚しろ」。まあこれを敷衍したら、つまりは「飛 行機に乗るな」と言ってるに等しい。ぞっとするような 冷たい感じを受けました。 三点目。「あなたのようなわがままな、パフォーマンス をするような、自己主張するような人がいることはそう いうことをしたら、ほかの障害者に迷惑だ」という意見 がかなり目立ったんですね。「自分の知ってる障害者の人 はそんなわがままは言わない。」「自分の母親は障害者だ けれども、そんなことは一切言わなかった。常に周りに 感謝していた」と。「良い障害者、悪い障害者」を分ける かのようにして、「良い」障害者像に勝手にあてはめたよ うな人を持ちあげるわけです。 このときに木島さんがとった行動は、ごくごく当たり 前のものです。もう航空券を買ってるんだから、格安の バニラエアの便で帰りたいと思うのは当然です。あとで 行政に相談したのも、なんら非難されることではないど ころか、推奨されるような行動です。けれども、ネット 上には、「こんな人がいるためにほかの善良な障害者が迷 惑をする」という意見が押し寄せました。それも、ふだ んは別にヘイトスピーチのような書き込みをしているわ けではない人たちからです。バッシングをしているアカ ウントを見ても、ほかのツイートではごく常識的なこと をつぶやいている人も結構いたんです。悪い意味で、私 はひどく印象に残りました。ふだんからあらゆるマイノ リティに差別やヘイトをまき散らすような人ではなく、 良識ありげな市民も「木島さん非難」をしている。 そこでは、「弱者は弱者らしくおとなしくしているべ き。自己主張するなんてもってのほかだ」という前提が 見え隠れします。「この人たちは特権を求めている」と、 ありもしないことを言い立てる。 もちろん障害者が求めていることは、特権でも何でも ない。ただ同じように交通機関を利用したい、というこ とだけなんですけれども。在日外国人へのヘイトスピー チも、生活保護受給者へのバッシングも、同じ根っこを 持っていると思います。 バニラエアの事件は、事実として何があったかという ことがわりと簡単に把握できる事件にも関わらず、ここ まで的外れなことで盛りあがるのか、という点で、去年 あらためてショックを受けました。でもこの合理的配慮、 差別の禁止や合理的配慮というのは、構造的に不平等な 地位に置かれている、障害のある人がかつてはバスや地 下鉄に乗ることもできなかった。非常に排除されてきた。 そういうことを是正する、交通機関を使う、外出すると いう当たり前の、私たちと同じ、障害のない人と同じ権 利が享受できるように、平等な公正な社会にしていくた めの、いきなり全部は無理だから一歩一歩できることを していこう。そういう権利の行使の一環だったわけです けど、それがいかに根づきにくいか。 結構、常識的と見えるような人が、バニラエアの事件 では、この木島さん、車いすユーザーをバッシングして たんですね。結構びっくりするようなぐらいの規模でそ れがあったんです。