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教師教育における地域教材づくりの意義と課題 : 酪農単元の事例から

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(1)Title. 教師教育における地域教材づくりの意義と課題 : 酪農単元の事例から. Author(s). 田村, 真広. Citation. 僻地教育研究, 52: 109-120. Issue Date. 1998-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/1611. Rights. 本文ファイルはNIIから提供されたものである. Hokkaido University of Education.

(2) No.52. 1998.3. 教師教育における地域教材づくりの意義と課題 一酪農単元の事例から一 田 村 真 広(北海道教育大学釧路校). AStudyonDevelopmentoftheRuralSubjectMatter for TeacherEducation. −ACaseStudyofDairyFarmingUnit− Masahiro TAMURA. みなす必要があった。. はじめに;「地域に関する学習」についての言説. 二つの答申を受けて発表された教育課程審議会「中間. まとめ」(1997年11月17日)ではどのように受け継がれ. 地域教材を用いた教科学習の有効性や,地域に関する 学習の重要性は,おそらく誰もが認めるところであろう。. たか。結論からいえば,地域学習は,新設する「総合的. そしてその有効性や重要性の中味については,多くの. な学習の時間」と「福祉」及び「特別活動」にのみ託さ. 人々によって,さまざまな文脈の中で論じられてきたこ. れたといってよい。つまり,各教科には地域学習の趣旨. ともまた周知の事実である。. は浸透していないのである。各教科については,「基礎 的・基本的な内容への厳選」がもっぱら述べられている。. さきに発表された中央教育審議会「第一次答申」(1996. 年7月19日)では,科学的素養の育成や環境教育に関連. いいかえれば,教科内容の厳選によって「ゆとり」を生. して,体験型の学習機会を充実させるべく地域社会との 連携が重要だと述べている。次いで「第二次答申」(1997. み出すという間接的な関与が述べられているに過ぎな. 年6月26日)では,中・高6年間の各教科等において地. 地域学習を重視する論調はトーンダウンしたといわざる. 域の歴史や文化,自然,産業を活かした内容を取り上げ,. を得ない。. い。率直に言って,中教審答申から教課審答申の間で,. 教材の利用に際しても地域の特色を反映させ,地域の人. なぜなのか。それは答申全体の拠って立つスタンスに. 材を講師として活用し,社会教育施設や団体等との連携. 起因する。すなわち,公的基準の厳格なコントロールは. を図るべきだと提言している。そしてこのような「地域. 依然として国家が行うという,教育課程行政の骨格を不. に関する学習」(以下では地域学習と略称する)について,. 変とするスタンスである。その骨格内において教科内容. 「その地域における次代の人材を養成する役割を担うこ. の厳選,授業時間数の配当を行い,時間を捻出して創っ たわずかな「ゆとり」領域に,一見して過大とみなせる 内容を担わせるといった方針が貫かれている。だから「ゆ. とも期待される」(1)と述べているくだりは,その重要性 の中味に踏み込んでいる点で注目すべきである。地域の 人材を養成する地域学習という言説は,これまでにない. とり」領域にゆとりなどないのである。「ゆとり」領域. 新しい内容を含んでおり検討に催するものである。概し. の教育課程原理は,各教科のそれとは異なるようである. て,「生きる力」を育むための学習指導の改善策として,. が明確には示されていない。教科への時間配当の余りを. 地域学習には大きな期待が寄せられていたといってよ. 配分するという手続きがとられている点で,むしろ従属. い。さらにいえば,自ら課邁を見つけて考え,主体的判. 的な位置づけは明らかである。「ゆとり」領域を基軸と. 断をもとに行動し,問題を解決する資質や能力の育成に. した教科内容の厳選にはなっていないのである。その意. 寄与する地域学習を実施するとなれば,これは各教科と は異なる教育課程原理によって組織するものと,明確に. 味で今回の教育課程の改訂は,これまでの教育課程原理. を継承したものといえる。しかしながら,「ゆとり」領 ー109−.

(3) 田 村 真 広. 城についての教育課程原理の探究は,地域学習や教科の. いる。. 日頃の学生らの言動から感じていたことは,彼らの多. 学習を豊かなものとする可能性を開くことに遠いはな い。このようにとらえるならば,今回の教育課程の改訂. くは大学に入ってくるまでに達成感のある学びからスポ. は,過渡的な位置づけをすることが許されよう。. イルされてきたということである。初等社会科教育法の. 講義の中で書いてもらった授業回想文には,「社会科は. 過渡的性格を持つ改訂は,教育実践に多くの混乱をも たらしかねない。地域学習に限っていえば,何はさてお. 暗記科目でしかなくおもしろくなかった」といった類の. き地域と連携して体験型の学習機械を提供すれば,あた. 文章が続出した。そして彼らは「教育大学にふさわしい. かも深刻化している学習からの逸脱現象は解消されるか. 実践的な講義内容」を講義に求めてきた。彼らの求める. のごとき印象を答申は与えている。多くの教師は,その. 「実践的な内容」とは,子どもに知識を与える際の苦痛. ような提言には安易に同調できない。とはいうものの,. を緩和できるような,普遍性を持った授業技術の習得に. 実施が義務化されればマニュアル化された活動が蔓延す. あると見受けられた。いわく,「身近なことがらを取り. るであろう。. 上げる」「見学などの体験活動を増やす」。これらが技術. いっぼうでは,地域社会の事象に取り組み,社会活動. の中身の一端である。そのような技術の追究に意味がな. に参加することによって,子どもの興味・関心を活かし,. いとは思わない。問題だと感じたのは,授業を目の前に. 主体的で深みのある学習を発展させたという経験を持つ. した時に,教師の持つべき文化・科学に対しての興味関. 教師も少なくはない。社会科の授業実践に限ってみても,. 心という視点が全く視野に入ってこないことだった。い. 地域教材づくりには豊かな蓄積がある。教師の側に確か. いかえれば,社会科授業を苦痛にしか思えなかった自分. な見通しが措ききれない状況下でも,地域学習や地域教. の学習履歴は不問に付して,授業の上達への処方箋を欲. 材を用いた授業を試行的に実践してみることは,教師の. するという姿勢である。子どもに苦痛を与えれば,教師. 役割を再考することを通じて,「ゆとり」領域の教育課 程原理を究明する契機となりうる。ただし今後の試行的. となる自分にやがては苦痛が降りかかってくるとわかっ. ているからである。彼らは何らかの処方箋を,やはり今. 実践は,教科内容の厳選という壁と向き合わざるを得な. までしてきたように「覚える」ことによって身につけよ. くなり,ますます困難を極めるおそれがある。. うと望んでいるのであろう。その切なる気持ちはわから. 学習指導要領改訂を控えた現在,「ゆとり」に託され. ないではない。しかしながら,そういった対処療法的な. た教育課程原理の探究は,教科数青学研究及び教師教育. 指導観や課題消化的な授業観が,私には気がかりだった。. 研究にとって焦眉の課題といえる。本稿は上記の問題意 識に立って,教師教育における地域教材づくりの方法と. 興味が持続・発展し,広さと奥行きを持った文化や科 学の世界に分け入り,自分への自信や生き方の選択につ. 意義について考察するものである。課題の一つめは,釧. ながるような学びがあるのだということを知って欲し. 路枚にて1996年度開講の「社会科教材論」の経緯を概観. い。未解決・不確実の世界へ分け入って探究することの. し,地域教材づくりに取り組む中で当面した「つまづき」. 醍醐味や,新たな知識を仲間と分かち合うことの充実感. や「困難」の意味を検討することである。二つめは,先. をこそ,せめて専攻生である学生には経験してもらいた. 行実践の検討をふまえて教師教育における地域教材づく. かった。自分の学習履歴を見つめ直すきっかけとなるよ. りの意義と課題について論ずることである。. うな学びを経た上で,今度は他者にメッセージを伝える ために工夫することの難しさや面白さを味わってもらい. たい。その上で,「身近なことがら」「体験活動」を重視. 1.探究的な学びを経験してもらいたい. するという教育方法上の原別の妥当性も確認してほしい. 以下では,1996年度の授業科目である「社会科教材論」. と思った。. 経緯を述べる。その際に,学生の学びの姿を措くことは もちろんのことであるが,私個人の学習の過程や学生と. 2.「考える酪農家」との出会い. のやりとりをも,できる限り対象化することを心がけた. ここではまず私の学びの履歴について整理しておく。. い。. 社会科教材論は専攻科目に該当する。教科専門科目と. 調査・見学の経緯を中心に表1をまとめた。この中から. しての読み替えも可能となっているため,専攻外の学生. エポックメーキングな出来事を3点にしぼって述べる。. にも門戸を開放している。しかし,今のところは社会科 教育学専攻生の受講が主となっている。通年実施で4単. (1)マイペース酪農学習交流会との出会い. 位(前期2単位・後期2単位)を認定し,2年生のすべ. 1995年9月に厚岸町の石沢牧場を初めて訪問した。厚. てが受講する。宮崎正勝教授と田村が担当教員になって. 岸在住の中学教諭に紹介されたのがきっかけである。当. −110−.

(4) 教師教育における地域教材づくりの意義と課題. No.52. 1998.3. 表1 隅査・見学の経緯 1995年9月13日 21日. 1996年2月中旬∼. 石沢牧場(厚岸町太田)訪問. 岩崎牧場(別海町泉川)訪問;マイペース酪農学習交流会への参加 別海農協調査及び新酪農家の意識調査(社会学)に同行. 2月10日. 明日の厚岸酪農を考える学習会;三友氏の講演を初めて聞く. 5月12日. 別海酪農の未来を考える学習会(学生1+1名同行). 6月1日. 石沢牧場・和田牧場訪問(学生6+10数名同行、乳搾り体験). 6月15日. 三友牧場(中標津町)訪問. 6月26日. 中春別・西春農協への機関調査(学生1名同行). 8月6−8日. 中春別と西春別の酪農家宅に意識調査へ入る. 9月18日. マイペース酪農学習交流会(学生2名同行、オランダのチーズ試食). 12月18日. 石沢牧場訪問(学生同行4名). 農指導眉による先端酪農技術の伝達講習が通例であり, 参加者もたいていは男性(基幹従事者)のみである。表. 時は社会科教材論を意識していたのではなく,講義で使. えそうな教材探しが目的であった。 最初の訪問で印象に残ったのは,「牛に仕事を分担し. 1以外も含めて数度にわたる学習交流会への参加を通じ. てもらう」という言葉だった。石沢さんは,草が生えて. て,根釧酪農をめぐるホットな話蔑に触れることができ. いる期間中は放牧を中心として牛を飼育する昼夜放牧と. た。. いう飼育法を実践していた。昼夜放牧は,牛の健康を維 持し自然の循環を保つことに役立ち,何よりも酪農家に. (2)社会学調査への参加. 時間のゆとりを生むという。三友盛行さんの話を聞いて. たまたま別海町をフィールドにして営農意欲調査を計. から,現在の経営スタイルに変わったとも聞かされた。. 画していた同僚の徳川直人助教授(社会学)の主宰する. 「牛に草を食べさせるのは当たり前ではないのか。放牧. 調査へ同行させてもらった。私にとっては,対面調査前. が特徴とはどういうことなんだろうか。」絞りたての牛. 後の準備・作業を通じて「社会調査法」を学ぶ機会とな. 乳や手作りパン・チーズなどをごちそうになりながら,. った。また社会学調査では,高額負債に喘ぐ新酪農村の. 私の頭の中はグラグラと揺さぶられていた。. 酪農家や,最新技術を導入して規模拡大を志向する酪農 家からじかに話を聞かせてもらい,経営問題を多角的に. 石沢牧場訪問を契機として,マイペース酪農学習交流 会に度々顔を出すようになった。「マイペース」に込め. 見るためのヒントを得ることができた。. られているのは,その人に合った「適正規模」での自分. 一番驚いたのは負債に対する感覚だった。確かに多く. らしい酪農経営を実践し,豊かな暮らしを追求するとい. の酪農家は,付属施設を含めた70頭規模の牛舎で約5000. う農業観である。学習交流会は印象に残る人々の集まり だった。「今年の1香草の出来は上々だ」とか,「自分も. 万円,サイロが約2000万円といった具合に,高額な負債. 完熟堆肥づくりを始めた」など,参加者は各々の経営を 語り交流する。自家製のチーズやパン,農作物を使った. いうことにはならないのである。負債は返済計画に基づ. を負っている。しかし,負債があるから経営が困難だと いて組まれているのであって,都会人が無計画にサラ金. 料理などを賞味しながら語り合う。それぞれが自分の経. を借りるのとは違う。つまり負債の大小が問題なのでは. 営の現状をさらけ出し,反省し,自分に見合った経営の. なく,必要経費に対する乳代所得の割合こそが,その経. あり方を発見するといった学習会である。学習交流会は,. 営の善し悪しを見る重要な尺度となるのだ。ただし近年. 夏・秋は昼間にメンバーの牧場で,寒くなると夜間に公. では,所得率よりも所得額を重視して,施設・設備に多. 民館等で開催される。朝夕の搾乳の合間に集うのである。 夫婦での参加も多く見られ,子育てや趣味についての話. 押しも得て増えている。労働強化を前提にしたこのよう. 題も交わされる。酪農家が中心だが,中には獣医や学校. なやり方は,とうてい未来への活路を開く決め手とは思. 教師,博物館の学芸貞なども参加している。このような 学習会が浜中・別海・厚岸町で組織されている。そして. えないのだが,現実には広く行き渡っている。同等規模. 年に一度は各地区で百人規模の人々を集める「未来を考. ては,所得額はもちろんのこと,所得には現れない労働・. える会」を開催する。酪農研修会というと. 暮らしへの満足度とか,自然環境観,子育て・教育観、. 額の投資をして規模拡大に奔走する酪農家が,行政の後. を持つ酪農家を比べてみても,営農志向のあり方によっ. ,普及貞や営 −111−.

(5) 田 村 真 広. 農協観,町の未来像などに大きな違いがあったりする(2)。. けとめるのだろうか。そんなことを頭に刻みつけて帰路. 根釧の酪農経営を一括りにして語ることには無理があ. に着いた訪問であった。. る。マイペース酪農を変わり種の経営実践例としてでは なく,これからの根釧酪農経営の選択肢の一つとして見. 3.社会科教材論の歩み. ていこうと私なりに思ったのは,社会学調査への同行が きっかけであった。さらに,農協への機関調査に学生が. 4月16日,社会科教材論を開講した。この時は専攻の. 同行するなど,徳川氏の計画した調査に私の学生が同行. 2年生が7名だったが,のちに総合科学課程の3年生1. したり,また逆の場合があったりと,学生にとっては学. 名も受講することになる。まず私から,教材論は初めて. びの橋渡しの機会が与えられることになった。. の試みであり,どのような展開になるか予想できないこ とが多いが,テーマは酪農でやっていきたいと話を切り. 出した。「なぜ酪農なのか」という質問に対して,私は. (3)三友盛行さんを訪ねる 1996年6月,講演会や『現代農業』ではすでにお馴染. 6点の理由を示した。. ① 乳製品は生活に密着した食品である。食生活の変化. みだった三友さんの牧場を訪問した。三友さんは,まず. 牛舎ではなく草地へ私と徳川氏を案内し,「自分はまず. によって需要も増えつつある。. 木を植えようと思った」と話しはじめた。話は,経営の. (参 じかに触れたり,体験することができる。. こと,農協・農政のことはもとより,防風林や景観のこ. ③ 実際に食べてみることは,授業に活気をもたらす。. と,腐葉土のこと,苗木が大木に育つまでの長い歳月を. ④ 五感をフルに働かせて,必要な情報や知識を入手す. 夢想して暮らす生活ぶりのことなどに及んだ。室内では. る術がある。. 奥様である由美子さんが,「約30年前に入植をして最初. ⑤ 様々な角度から迫ることができる。. に買ったのがこれ」と大きなスピーカーを指さした。大. ⑥ 国際化,規制緩和,都市化など,社会変動の中でと. 音響でスピーカーを鳴らしたというのである。由美子さ. らえることができる。 面白そうだという印象を持ってもらおうとビデオを準. んは,酪農家が自家産の牛乳を利用してチーズを作って. 味わうという「農家チーズを作る会」を主宰しており,. 備したり,大きなテーマの中で各自が自由にやってもら. 講習会を開いたり,国内外での研修に参加したりと多忙. いたい旨を訴えたりして,なんとか酪農で出発させよう. で充実した生活ぶりを,集会や通信の中で見せてくれて. と考えていた。酪農以外のテーマで進めることへの見通. いる。. しは持てていなかった。学生たちは,面白そうだと思っ. 三友さんのしぐさ・語りには,聞き手を引き込む魅力. たのか,教師側の熱意に押されたのか,結構すんなりと 受け入れた。. があった。その語りはもちろん「授業」を念頭に置いた ものではない。自分の語りたい核心部分を単刀直入に語. 教材論の第一部は,暫定テーマにもとづく調査活動と. り出す。時として「断片的」と思われる場合も少なくな. 中間発表である。テーマは各自で決めさせて,グループ. い。しかし,こちらが質問を挟めば的確な説明をしてく. を組んで進めてもよいことにした。ところが,似ている. れるので,「断片」で終わることはないのである。. テーマが並んでいてもグループ活動は機能しなかった。. 何が私と異なるのだろう。例えば,私が植林のことを. これは,テーマの背景にある問題意識が共有できていな. かったからだろう。報告も文献の引き写しが多く,それ. 語るとすればこうなる。まず根釧台地の土壌は火山灰質. で痩せており,そこに原生林が繁っていた。だから,入. ゆえ議論も盛り上がらなかった。ホクレン釧路支所,中. 植は水の得やすい河畔から始まった。原生林を伐採して. 札内農協,釧路市役所への調査を試みる者が現れたのは,. 炭焼きなどをしながら草地を広げ,乳牛を少しずつ増や. 8月になってからのことである。この頃には,ビデオ視. していく。戟後の酪農振興政策で補助金が増え,根釧酪. 聴,講義「酪農と人間・社会」「社会科単元論」やバター・. 農の近代化は一気に進んでいった。その結果,酪農専業. ヨーグルトづくりなどを挟んでいった。. 農家が草地を拡大しながら飼養頭数を増やし,低乳価に. 第二部は,調査・報告と並行して進めた5月から6月 にかけての牧場見学・インタビュー・搾乳体験である。. あえぎながらも経営を維持してきている。草地を広げす. ぎた結果,防風林が足りなくなったり,糞尿を土壌に還. インタビュー項目の検討は,それぞれから提出された内. 元しきれず河川に流出させ,漁民や住民から非難を受け. 容をつき合わせて,曖昧なものは明確にし,類似事項は. るに至っている。だから木を植えるということは・‥,と. まとめるという作業をした。これは牧場見学に備えての. なる。おそらく学校の教師が「このことを伝えたい」と. 有益な作業であった。好天に恵まれた6月1日,石沢牧. 思った時の語りとは,そのようなものになるといってよ. 場を訪問した。専攻学生の他に,徳川氏と総合科学課程. いだろう。学生は三友さんのような語りをどのように受. の学生約10名が同行した。石沢さんは牛舎を案内してく. −112−.

(6) No.52. 教師教育における地域教材づくりの意義と課題. れたあと,近所の和田牧場も見学するとよいと,段取り. 田君や,ホクレン釧路支所で輸入自由化関連の最新情報. までしてくれた。和田牧場は,フリーストール牛舎(群. を得てきた遠藤君のレポートにはそれなりの前進が見ら. 式の飼育舎),ミルキングパーラー(自動搾乳機室),自. れた。中でも米山君のレポートは,他の学生や私たちを. 動給餌装置,スラリゲーションシステム(糞尿処理装置). うならせ,のちの単元・授業案づくりにも影響を与えた。. など,最新鋭の設備を導入して多頭飼育を志向する経営. その内容は,一つは,反袈草食動物である牛の生態に関. だった。学生たちは,糞尿槽の糞尿の多さに博然として. することだった。牛の食べた草は第一胃内でバクテリア. いた。「あれを牧草地にまくのか」と。いっぼう石沢牧. によって分解され,バクテリアを食べた原生動物が成. 場は,放牧中心で草地管理に手間をかけ,サイロでサイ. 長・増殖すること。この原生動物が第四胃で消化吸収さ. レージ(草の漬物)を作り,スタンチョン牛舎(首繋ぎ. れて牛は蛋白質を含んだ牛乳を出せるのである。二つめ. 式の飼育舎)で搾乳し,堆肥場で糞を2年間かけて切り. は,牛の食べさせられている草の種類や飼料穀物の種類. 返すという具合だった。夕方には搾乳を体験させてもら. をあげ,三つめは飼料穀物はアメリカ・カナダ・インド. った。おそるおそる乳房に触れる者,歓喜する者,感激. ネシアなどから輸入されたのもので,飼料購入費が酪農. はひとしおだったようだ。ただし,断わる学生も1名い. 経営を圧迫していることを述べたものだった。報告のあ. た。. と,活発な討論が繰り広げられた。そして「牛はいつか. 第三部は,各自がテーマを選定した上での研究発表で. 1998.3. ら,なぜ配合飼料を食わされるようになったのか」とい. ある。9月下旬の夏合宿で発表会を行い,一区切りをつ. う疑問がみんなの中にわき上がった。配合飼料へのこだ. けた。表2には各学生のテーマの変遷を示してある。マ. わりは,これ以後も持続した。. イペース学習交流会に2度参加し中札内まで赴いた久保. 第四部は10月に行った教科書分析である。テーマごと. 表2 学生の選んだテーマとその変遷 「酪農ヘルパーについて」→「生産・流通・経営」(林) 「乳質・乳製品について」(江川). 「牛の飼料について」(米山) 「日本人の食生活と牛乳・乳製品の流通」→「家畜の糞尿と処理」(綱木) 「牛乳の流通」→「牛乳の販売・流通」(久保田). 「乳製品の歴史について」→「乳製品輸入自由化と北海道酪農」(遠藤) 「牛と酪農家について」→「酪農工場」(北尾). に調べてわかってきたことを教科書の内容とつき合わせ. プごとに調べて発表を行った。作業手順を示したことが. る作業である。これは単元・授業案づくりの導入として. 功を奏し,グループ活動はスムーズに進んだ。. も位置づけた。表3の作業手順を私から提示した。さら に,小3・4・5,中学地理,中学公民の教科書をグルー. 第五部は11月から2月にかけて行った「酪農」単元・. 表3 教科書分析の作業手順 ① 学習指導要領における「目標」「内容」「内容の取扱い」を参照. ② 参照する教科書(会社)の確定 ③教科書における該当箇所の検索. ④ 教科書記述の分析、検討 ⑤発表の準備;1.参照した教科書 2.該当個所の記述 3.特徴(「目標」との対応や工夫など 4.考察(取扱いの可能性を含む). 授業案づくりである。対象学年別に班編成をし直して,. 度3度と修正を加えて,ようやく12月19日に所属の1年. 単元案および1時間の模擬授業案づくりを行った。全体. 生を児童・生徒に見立てた模擬授業へとこぎつけた。そ. の場で討議に付される前には仲間と「激論」し(じじつ. の反省を生かして,2月には教材キット(単元案,授業. 「激論の結果」というフレーズがこの頃流行った。),2. 案,資料,解説,感想によって構成されたもの)を作成. ー113−.

(7) 田 村 真 広. 第二は,安定供給への懸念である。放牧せずに不健康. した。春休みに入ってからは,私のチェックを受けて修. 正を重ねた。年度当初にはこの教材キットを持参して僻. な状態におかれた牛から搾った北海道ブランドの牛乳. 地校を訪問しようと大風呂敷を広げていたのだが,それ. が,安く大量に販売される現状は,それを支える規模拡 大型の酪農振興策によっている。酪農振興策によって生. は次年度以降の課題として残った。. 産地では何が起きているか。まず,農産物輸入自由化は. 乳価の抑制に直結させられるのが現状である(5)。乳価抑. 4.見えてきた根釧酪農の世界. 制による収入減を飼育頭数の拡大によって補う計画であ. る。フリーストール,ミルキングパーラー設置へ補助金. 教科書で措かれている根釧の酪農とはどのようなもの. だろうか。教科書記述はどれを見ても,高額負債の返済. を給付し,新設備体系の導入のために大型農業機械への. に追われ,低乳価に耐えるべく生産拡大・合理化を進め,. 更新を余儀なくさせる。さらに,一農家でまかないきれ. さりとて後継者は見つからず,1年365日働きつめてい. るといったように,酪農家の苦境を描き出している。と. なくなった業務は外注化(牧草刈り取り,乾草購入,ヘ ルパーなど)してゆく。このような経費削減の努力は規. ころが,テレビCMや観光ガイドブックからもたらされ. 模拡大に伴う負担に追いつかず,かえって経営を悪化さ. る情報は,それらとは似つかないものである。大草原で. せる農家が少なくない。負債増加で利息の返済に追われ. 牛が悠然と草を食べており,その牛申、ら搾った新鮮でお. る農家は,やりがいや未来への展望を失い,積極的に後. いしい乳製品のイメージが振りまかれている。どちらか. 継者を育てなくなる。離農率2∼3%(6)という予測数値. が誤りで,どちらかが正しいのか。否,どちらとも正し. は,集落・学区の崩壊への予兆とも受け取れる。. 第三は,高温滅菌法の問題である(7)。日本の市販牛乳. く,また誤りも含んでいるのである。前者は生産者サイ ドから,後者は消費者サイドから措きうる実態の一面で. のほとんどは120℃2秒という高温滅菌法(UHT)が採用. ある。どちらが正しいのかを考えるよりも,両者のギャ. されているが,これが自然とかけ離れた牛乳を生み出し. ップは何を意味するのかと考えることで,根釧酪農の抱. ている。高温滅菌法は,牛乳の日持ちをよくする反面, 成分や風味を破壊する。牛乳を嫌いになった理由として. える本質的な問題に迫ることができるのである。. 「臭み」をあげる人が少なくないが,その「臭み」は牛. 健康な牛から搾った自然に近い牛乳こそ,人々が安心 しておいしく飲める牛乳である。これは自明のことがら. 乳本来のものではなく,高温滅菌法によって成分が変成. のように思える。ところが現代の消費者にとって,乳製. したもの(焦げ)である。それに対して,60∼65℃30分. 品の生産・流通過程は複雑で見えにくくなっており,し. の低温長時間法(LTLT)や72度15秒の高温短時間法. かも多くの危険と隣り合わせになっている。. (HTST)は,成分や風味がほぼ保たれ,自然に近い牛乳 といえる。しかし高温滅菌牛乳は,大量生産をめざす乳. 第一は,牛の健康状態である。今,消費者の多くは,. 放牧されない牛から搾った牛乳を飲まされている。舎飼. 業メーカーの戦略や,賞味期限の長さを求める消費者志. での多頭飼育が主流となりつつある根釧では,乳量アッ. 向によって,市場流通量の9割以上を占めるに至ってい. プと負担軽減のためと称して,十分な粗飼料を与えずに. る。成分が変成し風味が破壊された牛乳は,北海道ブラ. 濃厚飼料を多給している。「港湾畜産」と皮肉られるよ. ンドという良質イメージによって底上げされ,全国に流. うに(3). 通しているのである。. ,日本の酪農はアメリカを中心とする海外穀物メ. ジャーの得意先として組み込まれ,いっそう多給志向は. これからの消費者は,安心して食べられる乳製品を求. 強められている。その結果,「第四胃変位」という牛の. めるだろう。生産地や流通過程への厳しい眼差しは,強. 病気が多発している(4)。病気の多発は生乳生産量に影響. まりこそすれ決して弱まることはない。現在進められて. を与えるだけでなく,家畜共済金の負担率を上げること. いる酪農振興策は,消費者の信頼を得られ,なおかつ地. になるので,酪農家にとっては重大事である。他にも「乳. 域社会の活性化を促すものなのだろうか。疑問の余地が. 房炎」や「繁殖障害」といった病気も多く発生している。. 少なくない(8)。. 運動量が少ないことが一因とされ,抗生物質等の薬品を. 投与して治療が行われる。寿命も短縮しており,通例は. 5.単元・授業案をつくる. 5産以上とされるが,別海町平均で2.6産となっている。. (1)乳価,飼料,糞尿. 集荷の際に乳質検査が行われているとはいえ,ホクレン の一元集荷システムの元で,病気がちの牛から搾った牛 乳が混入していることは公然たる事実である。こうした. 林・江川班は中学地理の単元・授業案を作成した。2 時限目で取り上げることになっている三つの問題は,「な. 牛乳は,北海道ブランドという良質イメージによってロ. ぜ飲用乳への転換が求められるのか」「配合飼料の海外. ンダリングされ,全国に流通している。. 依存に危険性はないか」「糞尿処理はどうする」である。 ー114−.

(8) No.52. 教師教育における地域教材づくりの意義と課題. 1998.3. これらは,後半期の社会科教材論の中で焦点化された. のような努力を行っている酪農家がなぜ競争に打ち勝つ. テーマでもあった。. ことができないのか疑問に思った。それは酪農家に原因. 北海道の生乳生産は,7割が加工用(バター,チーズ, ヨーグルトなど)で,3割が飲用に向けられている。飲. があるのか,そうでなければ消費者か,調べてみるとど. 用乳価が95円と最も高く,加工用乳価(バター,脱脂粉 乳用)は75円75銭となっている。加工用でもチーズや発. の存在を考慮しなければ理解できないし,解決の方法を 探ることもできないという結論だった。酪農の基礎とな. 酵乳にされる生乳はさらに低価格である。このままでは,. った北海道の風土,現状の酪農を知ってもらうことで世. 加工用主体の地域と飲用の多い地域とで収入の差が出て. 界の中の日本という認識を持つことを目的として私はこ. ちらか一方に原因があるのではなく,世界の中での日本. しまうので,道内の酪農家は,加工用と飲用の販売代金. のような考えをもとに本授業計画を立てた。まだまだ経. を全道でいったんプールし,出荷生乳の乳質に応じて配. 験不足ゆえ指導の方法はもっとよいものがあるのかもし. 分をしている。道内酪農家にとっては,加工用生乳価格. れない。だが私は様々な開港を知ってもらい,考えても. の安定と,飲用出荷枠の適度な拡大が生命線である。と ころが,脱脂粉乳が外国産になったり,乳業資本からの. 学ばせる際の土台となればよいと思う。」. らうための指導案を構想した。今後これをもとに農業を. 引き下げ圧力などで,乳価は低く押さえられている。97. 彼は地元の教師になることを希望している。11月のあ. 年4月には,3年ぶりに加工用乳価が引き下げられた(74. る日のゼミで,「ここまでしてなぜ酪農家は規模拡大に. 円24銭)。「ミネラルウオーターよりも安い牛乳」との酪. 走るんだろう」と彼はつぶやいた。これは初歩的な「問. 農家の嘆きは届かないまま,低価格攻勢はとどまるとこ. いかけ」とは異なるものといえよう。問い続けるに催す. ろを知らない。. る「問い」に,ようやく彼はたどり着いたといえるので. 輸入自由化は,乳製品や肉牛の流入ばかりではなく,. はなかろうか。. 配合飼料の対外依存度を高める。酪農家は穀物市場の動 向に翻弄される。牛の胃病や乳房炎の発症率も高くなる。. (2)グループ活動での「激論」. こうした状況にあればこそ,放牧を中心とする酪農経営. 綱木・北尾珪は「牛のごはん」(小5)の授業案を作っ た。本案の山場は自作のロールプレイングゲームである。. は重要な意味を持っていることに気づく。. 酪農家が配合飼料を多給し,多頭飼育で乳量と収入をア. 観光ガイドブックに措かれるのどかな風景とは異な. り,酪農周辺地域は糞尿で汚染されている。多頭飼育が. ップさせていくしくみを理解させようとして考案したも. 進められた結果,草地に還元しきれない糞尿が蓄積して. のである。登場人物のプロフィールを作り,ゲームのルー. いる。堆肥化しきらない糞尿が,そのまま農地に散布さ れ,地下水や河川を汚し,住民・漁民との間に乳轢を生. ルを考え,手作りの用具も準備した。配合飼料の給餌を 乳量との関係だけで取り上げ,乳質との関係をオミット. んでいる。また過剰な森林伐採と肥料の多投は,土壌劣. した点に問題を残してはいるものの,ゲーム作成を推進. 化(塩害)を招いている。糞尿処理問題は,景観保全の. し来た北尾君の感想を読むと,それなりの苦心の跡がう. ためというよりも,酪農経営の土台を揺さぶる深刻な問. かがえて興味深い。. 題となりつつある。ちなみにこの点について教科書は触. 「社会科教材論は今までの講義で一番おもしろく感じ. れていない。こうした中にあればこそ,堆肥づくりや植. ました。そんなに先生になる気はないですが,授業づく. 林の重要さとか,草地面積当たりの飼養頭数の限界とい うことを考えさせることには大きな意味がある。. りって宮崎先生が言っていたように脚本家みたいで,自. 分で自由に創造していける,おもしろさがあると思いま. 林君は,次のような感想を書いている。. す。でも,2人でやっていたので意見の違うところは, すごく言い合いになって,『あーもう網木の家には行け. 「今回酪農の授業を行うにあたって我々は石沢さんと. いう酪農家を見学することができた。その時今まで道東. ないな』と思うときもありました。一番ゲームでもめま. 地区に生活しながら酪農についてはまったく無知な私が. した。意見がない,わからない,とかいろいろ言われま. いた。自動車で通り過ぎることがあっても中までお邪魔. したが,いつもなら『あっそうだね。』で引っこむばく. し,どのような仕事をしているのかは一般知識として,. でしたが,今回はけっこうがんばりました。何人かでつ. つまり小中の教科書に掲載されている程度のことしか知. くるなら,楽しくつくりたいです。2人だと1対1でま. らなかった。石沢さんに様々な質問をしたが,その中で. とまらないことが多くて,3人でやっていた遠藤たちの. 酪農家,酪農業が抱えもつ不安というものを漠然とだが. ところとか楽しそうでした。あの授業なんですが,まだ. 感じとることができた。そして農協の方の話を聞いたり. まだ改良しないと,授業の主旨は伝わらないでしょう。. してゆくうちに酪農という業種の前途は暗く,打開する ために多くの努力が払われていることを知った。私はこ. ぼく達と先生連の5年生に対する価値観に違いもありま. したし,あまり,納得してできた授業ではありません。 ー115−.

(9) 田 村 真 広. 1つの単元を学習していくときには宮崎先生の言う,1. デアを発信してほしかったので,教師陣からは様々な要. 本の串があります。でも,その串にたくさんのものを,. 求を突きつけた。「型にはまりすぎて柔軟な発想ができ. さしていくと子供はそれを吸収しきれるのでしょうか。. なかった」という自己評価は,「こんなこ. 色々なことに手をつけるのではなく,1つのことをじっ. ていいのかなと思うくらい,もっと思い切ったことを取. くりと理解していく授業をつくれればいいなあと思いま. り入れるように」と教師陣から度々けしかけたことを反. す。」 グループ活動を取り入れたのは,一見低調に見えた全. 映している。他の2人も同じようなことで苦しんだと感. と授業でやっ. 想を書いていた。米山君もまた,地元の中学教師をめざ. 体ゼミでの思考の練り合いを促すためだった。彼らは,. している。柔軟な発想を持って,僻地の子どもたちに「夢」. ゲームの内容をもっと濃密にできないかという教師陣か. や「誇り」を育てる教師になってほしいと願わずにはお. らの様々な注文をめぐって,激しく言い合いをしたよう. られない。. だった。北尾君のもう一つの顔をのぞけたようで,私は 愉快であった。学生たちは,全体ゼミでは「活発」に見. 6.教師教育における地域教材づくり. えない時があっても,グループ活動や番外で「激論」を. 社会科教材論は,小・中学校向けの授業づくりを最終. 交わしていたようであり,その緊張感はきっと全体ゼミ の場にも持ち込まれていたのだろうと,あとになってか. 目標としながらも,効率的な指導形態の一般化を志向し. ら私は確信することができた。. たものではなかった。むしろ最終目標に至る学びのプロ セスを充実させることに重点を置いてきたといえる。学. (3)型を破ることの難しさ. 生と教師がみずから探究者となって,問題の所在や地域. 米山・遠藤・久保田班は,「牛のおっぱい」(小4)の. 素材の価値を確かめようとしてきたのである。その意味. 授業案を作った。本案の山場は,牧場見学に臨む小学生 の関心を高める工夫にある。導入の発間は「牛のおっぱ. で,地域教材づくりは,授業の再現可能性を追求するも. いを絵に措いてみよう」である。措かれた絵を比べなが. てきたといえる。そこで最後に,地域教材づくりに取り. ら「どうやって牛乳をしぼるのか」と尋ね,疑問を残し. 組んできたこれまでの社会科実践や,地域素材を生かし. 見学に備える。そして3時間目ではバターを作ってみて,. た授業計画の試みに検討を加えながら,教師教育におけ. 加工乳の意味がわかる,というものである。中学地理で. る地域教材づくりや地域学習の有する意義と課題につい. 取り上げる乳価・飼料・糞尿に連なっていくことを願っ. て論ずることとする。. のとしてではなく,研究成果の公開発表として位置づけ. て作られた。しかしながら,やや「気配り」がされすぎ ていて「お行儀のよい」授業案との印象を受けた。「用. (1)地域素材の固有性. 意した発間はどのくらい時間をかけて考えたのか」と宮. これまでの社会科教育実践において,地域素材の教材. 崎氏から詰問された場面があった。すかさず遠藤君は「半. 化は活発に取り組まれてきた。しかしながら,その中で. 年です」と真顔で答えて,一同の笑いを誘った。この答. の地域の位置づけには,一貫した特質があったのではな. えはあながち嘘ではないようだった。いつもまとめ役を. かろうか。一言でいえば,地域の固有性を重視すること. こなしている米山君は,次のような感想を記している。. よりも,「一般」に還元される「特殊」な事例として地. 「…又,心から健康でおいしい牛乳を生産しようと『夢』. 域を位置づける傾向が強かったということである。例え. 『誇り』をもって石沢さんが努力していることを聞き正. ば,鈴木正気は「久慈の漁業」の実践について,かつて. 直言って安心とうれしさを抱いた。酪農の町に住んでい. 次のように述べている。. ながら,自分の酪農に関する知識の甘さや酪農に関する. 「日本産業の一般的特質は,地域の特殊性に貫徹され. 熱い授業を経験できなかった悔しさを感じた。授業づく. ているのであるが,しかし一般性自体は地域の特質によ. りについては,我々の調べがまだ不完全なため,思い切. ってしか成立しないという関係を持つ。だから私は,久. ったことができなかった。又,考え方が型にはまりすぎ. 慈の漁業に固執することによって,日本の産業を一般的. て柔軟な発想ができなかったのが残念なことだった。」. に扱わなくても,久慈の漁業を深くとらえることがその. まま一般性をとらえることになるのだと考えた。」(9). 学生たちはレポート発表を無難にこなしてきた。否,. また,社会科で酪農単元に取り組んだ名雪清治は,取. こなしてきたとはいささか失礼な言い方である。米山レ. ポートは私たちに多くの知見をもたらしてくれたし,ま. り上げる「地域の事象」に必要な視点として四点を示し. た教材論前半期の頂点をも作ってくれたのだから。「酪. ている。. 「(∋地域の事象には,他の地域の事象と密接に結びつい. 農に関する熱い授業」という表現は,彼なりの社会科教 材論への評価とも読める。あえて彼らには型破りなアイ. ている側面がある。. −116−.

(10) No.52. 教師教育における地域教材づくりの意義と課題. (多地域の事象には,様々な共通性がある。. 看過することはできない。すなわち「やりがい」「満足感」. (卦地域の事象には,その地域だけに見られる特殊性が. といった営農志向のあり方に関わる要因である。酪農家. ある。 (初地域の事象には,矛盾があり,変化,発展がみられ. の多くは独立意識や責任感が強く,最新情報には敏感で. る。」. りはしないものである。借金返済のために離農もできな. 1998.3. あるが,あえて経営実祷や失敗経験などの交流を望んだ. (10). いので,息を潜めるようにして続けているという「独立. ③の「その地域だけに見られる特殊性」とは何であろ. うか。果たして地域の固有性のことなのか。やはり否で. した」酪農家さえいる。そのような中に,多忙な時間を. ある。それは,続けて名雪の示す「具体的留意点」を見. やりくりしてまで学習・交流し後継者への願いを語る酪. れば明らかである。. 農家たちがいるのである。当然のことながら,端々に語. られる町の将来展望も異なってくる。なぜこれほどまで. 「①生活の実態をよく見せる ②地方から中央を見る視点を大切にする. に違いがあるのだろうか。この違いは重要な内容を含ん. (卦地域は変革できることを知らせる. でいる。地域教材づくりにおいて地域に固有の価値観を. (釘地域学習によって,主権者意識を育てる. 認めるという視点は,その地域の良さや可能性を探り出. (9父母・地域住民と手を結ぶ. し,その地域で暮らすことへの愛着を育てるために不可. ⑥社会科学的研究方法を身につけさせる」(11). 欠な視点なのである。. つぶさに観察した「生活の実態」は,あくまで「地方 から中央を見る視点」にもとづいて整理され,学習した. (2)ホンモノ志向の体験. 成果は「主権者意識」につながるとされる。ここから読. 地域教材を用いた社会科学習の利点は,モノやコト,. みとれることは,地域教材はすべてが「一般」に還元さ. ヒトにじかに関わる体験を組み込みやすい点にある。ま. れる「特殊」という位置づけなのである。5年生の授業. た,子どもの主体的な活動が前面に出て,教師は体験を. では,多頭飼育の進んでいる根釧(別海町と浜中町)と. 支援する薬方に徹するという学習形態がとれるゆえに高. 地元白老町の酪農業を比較させている。ところが,根釧. く評価されてもきた。これから一定の広まりを見せるで. と白老の違いは確認しつつも,指導の眼目は生産費の高. あろう地域学習については,学習形態という見栄えにと. 騰や乳価抑制,乳製品や飼料の輸入によって苦しめられ. らわれた評価が横溢する可能性がある。. 体験とは,ある種の「モデル」を背景に持った具体的. つつもがんばっている酪農家の共通した姿を知ることに. 置かれている。根釧酪農は多頭飼育の先進地として概括. な「内容のまとまり」を「やってみる」ことである。そ. され,個々の酪農家は必死で生産に従事している人とし. して,「モデル」と「内容のまとまり」との距離を極限. て抽象化されている。. まで短くしたものがホンモノである。例えば,「酪農家. 私はここで,根釧地域の特色を概括することや,ひい. がしているように搾乳をしてみる」ことはホンモノの体. ては国土,日本経済への認識が果たして必要か,などと. 験の一例である。社会科教材論ではこの他にも様々な体. いう議論をするつもりはない。もし「特殊」としての地. 験場面を組織した。すなわち,職人のようにバターを作. 域教材を否定してしまうならば,おそらく社会科の授業 計画は成り立たなくなってしまうであろう。むしろ強調. 綿密に調べてみる,レポーターとしてわかりやすく発表. したいことは,地域教材づくりにおいて地域素材の固有. してみる,研究者のように討論してみる,教師のように. 性は不可欠な視点だということである。地域を「特殊」. 授業してみるなど。これらは,背景となっているモデル. とみなす地域教材づくりでは,暗黙裡に「一般」を忍び. や活動の中身は多岐にわたっているが,「やってみる」. 込ませており,しかも往々にして「一般」の妥当性を不. ことから得られたものが,各自によって意味づけされた. 問に付してしまう。それは「一般」の眼鏡に映る「特殊」 のみを扱う地域教材づくりが蔓延ることにつながる。そ. 上で,学習者の中に統合されている。さきに紹介した感. んな教材を使った授業ばかりを続けていたら,やがては. に値する「問い」の形となって学習者の中に統合されて. マンネリズムに陥り,子どもたちを寡黙に追い込むこと. いる。社会科教材論では,テーマは広めで興味深いサブ. ってみる,食通のように味わってみる,調査員のように. 想文や,単元・授業案などの形態をとって,問い続ける. になるだろう。なぜならば,地域住民との意識の隔たり. テーマを各自が選んだ。多岐にわたる体験については,. に無頓着な地域教材になっているからである。. できる限りホンモノ志向を心がけてきた。それぞれが極. 酪農家を何軒も訪ねてみると,同じ条件を揃えた酪農. め尽さられた内容だったとはいえないが,学びの一連の. 家など一軒として存在しないことがわかる。また,搾乳. プロセスでホンモノ志向を追求することには相応の意義. 量,飼育頭数,所有面積などの物質的条件も経営状態を 知るためには重要であるが,それに還元されない要因も. があると実感できた。 三宅信一の「バター教室の授業計画」は,地域学習へ. −117−.

(11) 田 村 真 広. 場合,農家の働きぶりや経営収支,農業政策に重点が偏 りがちになる。社会科教材論にも同様な傾向があった。. の先駆的提案であり実践である。バター教室は4日8時 間で計画されているが,ここにはホンモノが満ちている。. 牛乳から乳脂肪を分離する遠心分離器,乳脂肪を操拝す るバターチャーン,古代メソポタミアでの酪農風景を措. このことに問題はないだろうか。「農業をどう教えるか」. いた写真パネル,ヨーロッパの童話に出てくる挿絵,牛. ってくる。農業の衰退が言われる昨今であるが,いっぼ. の胃の写真,第1胃の内容物であるルーメンジュースな. うで農業は第二次,第三次産業と見まがうような様相を. という命題を立てると,いくつかの問題点が浮かび上が. どである。附属学校や僻地学枚の子どもたちを前にして,. も呈している。それは,バイオテクノロジー,クローン. バターやヨーグルトを作り,酪農の歴史と文化を語り,. 技術,アグリビジネスなどの用語によって象徴される。. 反袈のしくみを顕微鏡で観察するなど,ホンモノと関わ る場面を多様に準備し,学習者の驚きや発見を生み出し. 経済動物としての牛への理解を抜きにして,労働や経営 スタイルの意味を深く理解することなどできない。「乳. ていった実践である。. の出なくなった牛はどうするんですか」「雄牛が生まれ. 三宅実践が先駆的であるのは,ホンモノ志向という点. たらどうするんですか」といった子どもからの問いかけ. のみにあるのではない。三宅は「バター教室の授業計画」. に対して応じられる単元研究,教材研究が求められる。. 「牛も人間も牛乳も生きものである」ように,生命の連. に託したことがらを端的に述べている。. 鎖に位置づけられた社会事象を,酪農単元の学習の中に. 「私の夢は,『牛群雲のごとし』といわれる根釧原野に,. 乳と羊毛の文化をつくりだしたいというものです。〈中. 組織する必要がある。. 略〉 バター教室で子どもたちに力説していることは,牛. は生きものであること,乳もまた生きものであること,. (3)教員養成におけるプロジェクト型授業 複数の分野にまたがる専門家が一つの主題のもとに会. そして人間性は牛との長いつきあいのなかで人類の生活. をゆたかにしてきたこと,この3点です。」. し,多様なアプローチから問題解決に挑んで集団的な研. (1カ. 究成果をあげるプロジェクト研究という方式がある。社. バイロットファームや新酪農村に象徴されるように, 根釧の酪農家の仕事は大量の牛乳を搾ることに特化され. 会科教材論は,このプロジェクト研究方式に近い授業科. てきた。それゆえに,長い年月をかけて乱文化を育てな. 目といえる。教貞養成カリキュラムは,教育専門科目,. がら経営を安定化させるという,ヨーロッパ酪農のよう. 教科教育科目,教科専門科目,専攻科目,卒業論文と教. な経緯を持たなかった。そのことが地域社会に様々な歪. 育実習から成り立っている。ここから実施校に中味をゆ. みを生みつつあった。「バター教室」では,このような. だねてしまっている教育実習を除くと,ほとんどの科目. 根釧酪農地域に固有の問題が一貫して意識されており,. はプログラム的授業の形態をとっていることがわかる。. それでいて牛と人類の関係史という広大な世界にも開か. すなわち,基本的概念や歴史というような理論に始まり,. れている。決して視野が地域に限定されてはいない。た. 各論として個別事象の意味づけに入り,展望と課題に至. だし,準備されたホンモノの多くは,三宅自身が酪農先. る講義である。プログラム型授業といえば聞こえはよい. 進国等から取り寄せたものであっち。ホンモノはいまだ. が,なかには受講者との関係性を一切捨象した「講義」. 根釧酪農地域に根づいてはおらず,それゆえ三宅は技術. も少なくない。この種の「講義」では,プログラムは終. 普及貞の立場に立たざるを得なかったのである。. 始一貫して教師の手の内を離れることはないのである。. マイペース酪農学習交流会で「技術」について話題に. わずかに専攻科目内の実習や演習の一部でプロジェクト. なったことがある。いわく,「我々は『技術』を否定す. 型授業が行われているのが実情といえる。. るのではない。土着的農業をめざして自分にとって役立. ところで,酪農について十分な見識を持ち合わせてい. つことは何なのかを考えた上で『農民的技術』を創造す. ない学生と教師が,プロジェクト型授業に参加すること. ることを大切にするのだ」と(1頚。彼らは乳業,機械メー. には,いったいどのような意味を見いだせるのだろうか。. 第一は,学生にとって,自分が本当は何を知りたかっ. カーに翻弄されてきたことを自覚し,使い古された技術. 普及スタイルを乗り越えようとしている。自家産の牛乳 を使って自宅で作る「農家チーズ」や,土づくり,草づ. たのかをじっくりと考える機会が与えられることであ. る。社会科教材論の前半は,知りたいことは何かとつか みかねている状態から,とりあえずわかったことをまと. くり,野菜栽培などには「農民的技術」の一端を垣間見 ることができる。これからの地域学習においては,地域. めた。後半では,他人に伝えたいことは何かと熟考し,. や農場で展望を持って生き,自分の言葉を持った語り部. 伝えるために知らなければならないことに思考を焦点化. と出会わせ,彼らの暮らしを支えている文化や生活技術. させていった。しかしながら,すべての学生が適切なテー. に触れる体験をこそ,組織することが求められる。. マを見つけて,しかも要領よく報告をまとめられること. ところで,社会科の地域教材として酪農を取り上げる. を見込むのは果たして妥当であろうか。むしろ,すぐれ −118−.

(12) No.52. 教師数育における地域教材づくりの意義と課題. 1998.3. た発表内容を「良いもの」と認めて,自分らの単元・授 おわりに. 業づくりに「盗む」という学び方について,教師は是認. 「ゆとり」領域についての教育課程原理の探究は,地. すべきではなかろうか。このようにプロジェクト型授業. においては,多様な学び方を自己・相互評価できなけれ. 域学習や地域教材を生かした教科学習を実り豊かにする. ばならないことがわかる。. ために重要である。本稿で論じたことは,わずか2年間. 第二は,教師の役割について熟慮せざるを得ないこと. の教師教育実践にもとづいた,ナイーブな探究の断片に. である。プロジェクト型授業では,学生と教師がともに. 過ぎない。それでも書くべきだと判断したことにはそれ. 探究者になる。社会科教材論では,私は私なりの関心か. なりの理由がある。. ら調査を進めていながら,同時に進展する彼らの関心は. 大学の研究者は,研究の現場を持つとともに,教育現. どこへ向かおうとしているのか,そして私はどのように. 場をも抱えている。しかしながら,前者を「フィールド」. 応えればよいかを十分に考えさせられた。久保田君が中. と解すことはあっても,後者を「フィールド」と認識す. 札内農協の独自ブランドでの牛乳販売の問題を取り上げ. る大学人は稀なようである。大学以外の教育現場は,子. たときに,私は根釧の酪農家がホクレンによる一元集荷. どもや親から教育改善を求められ,行政からは教育改革. 体制に依存せざるを得ず,それが手軸足棚にもなってい. を突きつけられて四苦八苦している。大学人は,どちら. ることをいっそう深く理解することができた。知り合い. にも無頓着であることが,あたかも許されているかに見. の酪農家にそのことを話したとき,「農協とは何か」と. える。 「現場」は,複雑な要因がからんで困難を生み出して. いう議論に発展したことを忘れることはできない。久保. 田君には,そうした私の関心を話すとともに,インタビ. いるところである。頻繁に使われる「現場」の持つ語感. ューの依頼文の書き方や電話でのアポイントのとり方を. はそのようなニュアンスを含んでいる。しかしながら,. アドバイスした。他者にどうしても知らせたいことがら. 「現場」は困難が集積しているだけの場所ではない。調. を自ら汲み出すためには,ことがらに見合った適切な方. べようとする出来事が生起する場に我が身を置き,五感. 法を駆使することが必要になる。フィールドワークの哲. を使って生の体験を獲得する場所でもある。それゆえに,. 学と技法(14)は,地域教材づくりや地域学習にとって必須. 生の体験によって研究活動にも精気を取り戻すことが期. の教養ではなかろうか。. 待できるのである。大学の研究者には,「現場」への身. 第三は,地域の人々との協力関係をつくることである。. の置き方を工夫する自由が保障されている。おそらくこ. 学生も教師もともに探究者であろうとすれば,地域のイ. の自由度に,大学以外の現場との大きな隔たりがあるの. ンフォーマントに出会うことは調査の第一歩となる。確. だろう。ともかく,大学人には「現場」を持たない自由. 固とした自分の物語を持った語り部との出会いをコーデ. ではなく,「現場」への身の置き方を工夫する自由があ. ィネートすること,これが私の果たした最大の役割であ. るのだと考えておきたい。. る。出会わせるに際しては,私たちは酪農について初学. 1996年度の社会科教材論は,テーマ選定の場面に象徴. 着であることを率直に伝え,インフォーマントの協力も. されるように,私の強い思い入れから始まった。にもか. 求めた。こうした信頼関係を築ける人というのは,自然. かわらず,1年間を通して学生は調査・研究を持続させ. とえり選られてゆく。こうした人々に出会う中で,学生. てくれた。一つの見本(模範ではない)ができたので,. たちは何かをつかんでくれた。しかしながら,出会わせ. 1997年度にはテーマ選定から学生にゆだねてみることに. れば私の役割は終わったということにはならない。肝要. した。彼らは予備調査をふまえて「ゴミ」を選択した。 単元・授業案はもとより,教材キットを早期に公開し. なことは,印象的な語りの断片を私の中で温めておくこ. とである。あとになってから,「牛に仕事を分担させる」. て世に問うことが必要だと痛感している。手始めとして,. とか「まずは木を植えようと思った」といった語りの意. ホームページと,CD−ROMの制作に着手するつもり. 味を阻嘱し直す機会が訪れるからである。岨噛された語 りは,もはや断片ではなく,酪農問題をリアルに理解す. でいる。. るためのキーワード(「ヘルパー」「家族経営」「防風林」「糞. (1)文部省編「21世紀を展望した我が国の教育の在り方. 尿処理」など)へと転化する。キーワードを手中にした 彼らは,遠慮も忘れてインフォーマントへ再び接触を求. について(中央教育審議会第二次答申)」『文部時報』. 1449,1997年,p.65。. めるようになる。もちろんこの時点では,話題は酪農に. (2)社会学調査の結果と考察は,以下を参照のこと。. とどまらず,教育や生活全般に広がることは覚悟しなけ. 徳川・田村「大規模酪農地帯における暮らしと農の. ればならない。なぜならば,それはインフォーマントが. 意識と論理一別海町における探求事例から−」『環境. 現役学生との対話に期待を抱き出したサインなのだから。. 教育研究』(北海道教育大学環境教育情報センター), −119−.

(13) 田 村 真 広. 1−1,1998年5月刊行予定。 (3)桜井 豊『日本酪農の活路と対策』酪農事情社,1979. 年,p.116。 (4)根室管内での診療件数は1991年に787頭,1995年に は1,721頭と報告されている。『北海道新聞』1996年10 月29日。 (5)1996年乳価は約75円/ゼ。ちなみに別海町は65円/β で振興計画を策定している。さらに生産コスト46円/ゼ のラインをクリアしている農家は2割だという。1996. 年8月7日,別海町経済部酪農対策室にて聴取。 (6)1996年6月26日,西春別農協にて聴取。ただし1997 年に入り情勢は一変した。矢臼別における米軍演習実. 施に伴い,砲弾着弾地周辺農家は5年以内に残留・移 転・離農の意思を決定するように迫られている。また,. 不良債権処理を画策した四農協合併案件は,西春別・ 上春別両農協の否決により振り出しに戻った。これら の状況から察すれば,離農率はいっそう高まることが 懸念される。 (7)平澤正夫『日本の牛乳はなぜまずいのか』(草思社, 1997年)が詳しい。. (8)放牧中心,環境保全,適正規模型酪農経営は,農業 経済学の分野でも注目され始めている。例として以下 の論文を参照のこと。吉野宣彦「北海道酪農専業地帯 における低投入型酪農の収益性と展開条件」,河上博 美・干場信司他「経営的収益性および投入化石エネル ギー量による酪農場の複合的評価」,ともに『酪農学. 園大学紀要』22−1,1997年。 (9)鈴木正気『川口港から外港へ』草土文化1978年, p.61。. (1功 名雪清治・藤岡信勝『社会科で「地域」を教える』. 明治図書,1989年,Pp.26−7。 ㈹ 同上書,p.27。 (1勿 三宅信一「酪農をどう教えるか(上)」『授業を創る』. 2−2,1983年,pP.20−1。 (1頚 高橋昭夫「講演:なぜ今,マイペース酪農か」,酪. 農と地域・子どもを守る釧根地区集会,1997年11月16 日。 (1増 例えば,佐藤郁哉『フィールドワーク』(新曜社,1992 年)などを参照のこと。. −120−.

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参照

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