近藤益雄は何を記したのか : 『なずなの花の子ら』からの試論 利用統計を見る
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(2) Ⅳ.近藤益雄の目指した生活教育. 1.近藤益雄の生涯と教育的遺産 近藤益雄(1907~1964)は長崎県佐世保市に生まれた。学生時代より文学に興味をもち, マ. マ. 詩や俳句に力を入れて活躍した。そして,国学院師範科時代に東京巣鴨細民街の桜楓会託 児所でのボランティア経験をしたことが,綴方教師としての,また,知的障害児の生活教 育のきっかけであったといえよう。近藤・清水(2009)は「この雰囲気のなかで近藤の“人 マ. マ. 間としての目ざめ”があったのは事実である」と述べている。昼間は細民街から集まって くる幼児と過ごし,夜は働く青年たちの勉強会に力を注いだ。近藤益雄の「ヒューマニズ ム精神」の源流はこの学生時代の体験によるものであった。小学校の国語教員となった近 藤益雄は生活綴方教育に精進し,文集『てんぐさ 』『朝の花粉 』『勉強兵隊』を発行する ことで全国的に注目を集めた。戦後,校長職を辞め,長崎県で初の知的障害児学級「みど り組」を創設した。生活指導と学習指導を統合させた教育実践は,当時,未開拓であった 知的障害児教育に大きな影響を与えた。また,知的障害児の生活の場である「のぎく寮」 を開設し,家族ぐるみで32名の知的障害児を受け入れ「学校教育と校外教育,教育と福祉 を一体とした生活教育(張,2006)」を実践したのである。. 2.生活教育とは 生きる力,活用する学力などの用語が注目される一方,しばしば生活に根ざした学習と いう概念が問題提起される 。「生活的概念は,子どもが生活のなかで経験的に身につけて いく知識や概念のことで,それはしばしばその時々の状況に密着していて事柄の表面的な 理解にとどまっていることが多い。一方,科学的概念は,系統的な教授-学習によって習 得され,事物の正しい分析,統合に基づいて形成される本質的で体系化された知識である。 真の科学概念は,子どもにとって自覚的な学習によって習得されるし,それはまた他の課 題場面にも応用可能な概念である(柴田,1962)」。ピアジェが両者の相互影響の可能性 を排除しているのに対して,ヴィゴツキーは,このような発達の関係を,教授-学習と発 達の関係のモデルとしてとらえた。中村(2004)はこれを「相互浸透の過程」としてとら え ,「いわゆる生活概念と科学的概念の内的な統一的発達過程であり,この過程の進行と 共に、やがて両概念は統一的な概念体系へと統合される。この時点で初めて、子どもには コトバ主義ではない真の科学的概念が形成される」と述べた。生活概念の発達は ,「具体 性と経験の領域において始まり,次第に,体系性,一般性という特性をもつ科学的概念の 方向へ進んでいく。そして,逆に,科学的概念は,高度な普遍性,自覚性の領域において 始まり,徐々に,個人的な経験や具体性の領域へ向かって進んでいく(柴田,同 )」と, とらえられる。ヴィゴツキーのことばを借りれば「下(具体)から上(抽象)へ」と「上 (抽象)から下(具体)へ」の相補性である。 また,東井義男は「教科の理論」と「生活の理論」ということばで提起している。彼は,. - 16 -.
(3) 山 梨 障害 児教 育学 研 究紀 要 第 5号 (平 成 23年 2月 1日). 「子どもに生きて働く学力を形成していくためには,それぞれの教科のなかを系統的に流 れている地道としての「教科の理論」だけを教えていくだけでは不十分であることを指摘 し,どんな教科の学習においても「教科の理論」は一人ひとりの子どものおかれている生 活現実のなかから出てくる「生活の理論」に支えられていなければならない(東井 ,1972)」 と主張している。 近藤益雄は自らの教育を「生活教育」と主張した。それは「生活することで,生活を学 んでいく教育」であり ,「日常生活をとおしてする生活教育,学習活動をとおしてする生 活教育,職業指導をとおしてする生活教育」の3領域に分けられる 。「どの子どもも,す べて自覚できる才能を備えているかというと,そういうぐあいにうまくはゆかないが,で きるものにはぜひそうさせたいし,自活とまではゆかなくても何かしごとができるように はしたいのです…(略)…それには,才能を少しでものばしてやらなければならないので す。私はこの才能のことを『生活の核』と呼んでいます。この『生活の核』こそが,子ど もの生命力ともなるのである。これを発見し,育成し,活用するのがこの教育の眼目といっ てもいいのです(近藤,1975)」という教育観を示している。張(2000)は「即ち,生活 と教科を構造的に立体的に,あるいは成層的に統合し,統一することなのである。それは 健常児と知的障害児を通じて適用されるべきであり,ただ年齢や知能の程度によって,生 活的,労働経験的部分と教科的部分とのカリキュラムにおいてしめる比重にいろいろの差 が生ずるのみであろう」と述べた。これらからも,生活と教科が相互に依存し,補い合う 関係が子どもにとって効果的な学習環境を与えることがわかる。. 3.教科指導と実生活をめぐる近藤益雄の考え方 戦後の知的障害児教育では,障害の重い子どもには教科指導は不可能だとする「教科否 定」論と,どんな子どもにも教科指導は必要で可能だとする「教科肯定論」との対立,矛 盾があった。張(2000)は ,「 「 教科否定」論の立場では,教科に関する指導を全く行わ ないわけではないが,生活経験教育に傾斜した取り組みが行われている。これに対して, 「教科肯定」論の立場ではいくら重い障害児でも,教科が可能かつ必要であるという理念 を掲げ,生活の重要性を認めつつ,教科を積極的に位置づけている。後者の理論は生活と 教育を結合するべきだという主張を中心に展開されたが,生活と教育をどう結合するかに ついては深まった議論はなされていないと見られる」と指摘している。ここに教科指導と 実生活との溝が生まれるのである。張(同)は「近藤益雄は IQ50~75くらいの子どもで も生活経験が極めて乏しく,それだけにかたよると,この子どもたちが社会に生きてゆく ための訓練が手薄になると指摘していた。つまり,単に子どもの経験,興味からは,子ど もに身につけるべき生活力になりにくい」とも指摘している。これらの矛盾を近藤益雄は 以下のように述べた。. - 17 -.
(4) ママ. 特殊学級の子どもをも含めて,「精神薄弱児には,よみかきの勉強など必要でない。」という考え 方がある 。「そんなことをするひまがあったら,手しごとでも,おしえこんでおくほうが,よほど 気がきいている 。」という考え方である。私もそういう考え方にとらわれることがたびたびある。 平がなの一字もしらない子どもが,作業ときたら,けっこう,りっぱにやってゆけるという例はた くさんある。そうかとおもうと,みじかい文くらいかける子どもで,運搬の仕事ひとつできないの がいる。そういうのにぶつかると,私などは, 「いくら平がなのよみかきができたって,これじゃ, なんの役にもたたない。」と,いらだたしくおもう。 近藤益雄(1961)精神薄弱児の読み書きの指導. 4.「かく」ことへの背景. より. なぜかきはじめたのか. 勝田(1972)は「実践記録とは教師の生活綴方,生活記録であり,教育実践を中核にし て,そこでぶつかる問題や矛盾やそれへの克服の営みをすべて含み,さらに人間としての 教師の生活感を反映するものでなくてはならない」とした。実践を綴ることで,教師は子 どもを知り,教師としての自己を見つめなおすことができる。また,それを繰り返す営み の中で子どもの変化とともに自己の変化を感じ取ることができる過程を経験する。近藤益 雄は以下のように述べている。 教師も文をかこうではないか…(略)…教師は,子どものそのようなつぶさな生活を知りたいと 願わないのだろうか。そのねがいをほんとうにつらぬくためには,もっと勇気と自信とをもってい いのではないか。そのためにも,文をかこうではないか…(略)…あたりまえのことをちゃんと考 え,あたりまえのことをなんのてらいもはったりもなしに文にかく勉強をしようではないか。私は 私たちの仕事を前へおしすすめるために,まじめに文をかくことを勉強したいと思う。しようでは ないか。 近藤益雄(1975)近藤益雄著作集3. この子らも・かく. より. 近藤の生活綴方教育の性格を清水(1966)は以下のように指摘する。 まず,彼らの人間的な感情や要求を大切に受けとめ,自分の問題を教師や仲間たちに自由に訴え られる状況を保証しその問題や個人に応じて適切な表現方法(絵でもなんでもよい)を与える。そ れから,自分や父母,地域社会の生活とそれらをとりまく自然を,さまざまな関係と変化において -とりわけ労働を媒介とする民主的な集団の育成と結合して-「観察」させ「調べ」させる。そし て,それを綴り,集団で話し合うことによって,彼らの認識と実践とを統一的に発展させようとす るものである。即ち,綴ることによる認識力・実践力の高まりが生活の向上に力となり,逆に「生 活を育てること」によって綴る意欲や綴る力を強めるという関係が貫かれている。 清水寛(1966)近藤益雄における生活綴方から「精薄児」教育への発展. より. 生活綴方という独特の地域性を担いだ遺産に共通することは,子どもたちの側に身をお こうとする態度であろう。子どもがおかれている環境をあるがままにとらえたいという強 い思いがその根底を支えているのである。清水(同)は「彼においては,生活綴方教育は, 教科の教授=学習や生活指導と,並列的・対立的に捉えられているのではなく,前者はい つ,どのような形態で行われるにせよ,後者を正しく生き生きと進める役割をになってお. - 18 -.
(5) 山 梨 障害 児教 育学 研 究紀 要 第 5号 (平 成 23年 2月 1日). り,逆に,後者による知識・技能・情操や民主的行動力の発達が前者における表現活動を 深く豊かにしてゆくという関係にある」と述べた 。「綴る」という行為は,生きた仕事を 記すことであり,教育実践の主体としての,「固有名詞」をもった個人の活動を保証する ためのものといえる。. Ⅴ.「かく」視点. 1.「私ども」という記述 近藤益雄の著作では「私」という表記がもっとも多く使われている。「私は…」と語る 近藤は,子どもに対して,親に対して,社会に対して自分の思いを訴えている。反対に詩 では「わたし」と綴られている。詩の中の「わたし」は教師でもなく,保護者でもない, 同じ器で食事をし,同じように仕事をし,仲良く遊ぶ共同生活者のようなまなざしが感じ 取れる。また ,「私どものしごと」という文節も多く用いられており,これはのぎく寮で 共に生活する自らの家族を始め,同じ仕事をする仲間,教師たるものに呼びかけていると 考えることができるだろう。『なずなの花の子ら』では以下のように語られている。. 「ものいわぬ子どもに,こうしてみたが,さっぱりいわない。しかし,こうしてみたら,すこし はいった。こんどはこんなにしてやってみたらよくないかと思う」というようなはなしをたくさん するがいい。…(略)…こうすることが私どもが「特殊」の殻をぬぎすてることになるのではない か。そうでなくて,なにか ,「おれでなくては」とか「わたしこそが」とかいう,おもいあがった あたまでものをいいむつかしいこと,おくふかそうにおもわれること,特殊なことなどで外側をつ つみ,こけおどしみたいなことをいって,自分の失敗や苦心や工夫については,かくしておく-と いうようなことで,何か篤農家的な深みをもつもののようにふるまうことの愚かさを,私どもは, いつもいましめねばなるまい。 近藤益雄(1975)近藤益雄著作集4. なずなの花の子ら. より. 近藤益雄の実践記録は自らの内省にとどまってはいない。勝田(1972)は実践記録の表 現形態として ,「記録であるかぎり「強調と省略」があり,それゆえの文芸性をもつ。し かし,文学ではなく実践の事実の記録であり,より本質的には「実践記録」は主体的・感 性的な認識を理論的に抽象化するのではなく,形象化することを通して真実を語ろうとす るものである」と実践記録の共有財産としての意義を見出している。ここで指摘する形象 化とは,読み手が目をとおして,また実際に働きかけて追体験する中で,その時々の行動 や判断を共有し,その偶然性と必然性を確かめ合っていく過程と言いかえることができる だろう。 近藤益雄は同じくこのようにも語っている。. せっかちになったら,まけ。あせったら,足踏みばかりする。急いだら,子どものほうがおいつ マ マ. けない。…(略)…私はわすれてはいない。根気よくやらねばならぬときには,どうしてもこんき. - 19 -.
(6) マ マ. よくしなくてはならない。くりかえしというしごとは,たしかにこんきのいるしごとだ。…( 略)… この子どもの教育には,くりかえしが実に多い。こっちはそのくりかえしにあくのだが,子どもは, いっこうにあきをかんじないことだってずいぶん多い。だから,そのときにこちらがあいてしまっ たのでは,こちらのまけだ。…(略)…わたしどもは,まずのんきにやることに自信をもつことか ら,はじめたいことだ。 近藤益雄(1975)近藤益雄著作集4. なずなの花の子ら. より. 自らの実践を「目まぐるしい 」「はじめはまいった 」「私も神経は,けっしてずぶとい ほうではないものですから」と語る近藤は,「私どものしごと」というなかに,同士とし ての仲間を求め,かくことによって自らも励ましていたのかもしれない。 自らへの励ましとは,この時代におかれた環境を示している。張(2006)は当時を以下 のように述べている。 終戦直後,知的障害児が差別され,受け入れられる場がなかった暗い社会状況の中で,近藤は「 こ の子らを,ひなたへ」という言葉を掲げた。彼は戦前から積み重ねた知的障害児の教育経験,そし て特殊学級を担任して,知的障害児を教育するのには,長期的,早期的に関わるべきであることを 認識したが,当時障害児を受け入れる幼稚園や保育所などはないし,小・中学校の特殊学級や養護 学校の数は極めて少なかった。 張 穎槙(2006)知的障害児への生活教育. より. 分析対象の中には「私ども」という記述が50箇所ある。「私ども」とは近藤益雄の文中 の言葉を借りれば「ひと足先にふみだしたもの」と言い換えることができるのではないだ ろうか。それはつまり,障害児教育の理解者が少ない中で,学級の中で取り残されている 子どもたちが「その学級をすきになり,その教師をすきになり,ほんのすこしでもその学 級集団のなかにとけこんでくれる」ように努めようと決心した者たちことである。そんな 仲間に,また,決心をとどまっている者たちへの語りかけの表れと理解することができる。 以下に数カ所を引用する。 「特殊学級がほしい」というまえに「なんとかして自分の手で,自分の学級ですくってやろう」 と,歯をくいしばってみるのが,良心的な教師にちがいない。それなら,私どもは,その「なんと かして」にまず手をかしてあげよう。 そして,もっとらくな気もちで,この子どもたちの普通学級での教育について,考えあってゆこ う。そこで,私ども は,特殊学級でまなびとった精神薄弱児についてのことがらを,惜しみなく, ときをみ折にふれて,つたえてあげよう。 私ども はこうして特殊教育の「秘訣」や「秘伝」を,すててしまい,特殊の殻を出て,たくさん な教師と手をとってゆこう。 そこは教師だから,自分の学級のそのような子どもでも,やはり救える道があるとわかったとき は,また新しい勇気をふるいおこすことができるにちがいない。その勇気をすこしでもひきだすこ とのできる教師に,私ども はなりたい。だから,私どもは,普通学級でできるやり方・仕方を,特. - 20 -.
(7) 山 梨 障害 児教 育学 研 究紀 要 第 5号 (平 成 23年 2月 1日). 殊学級の毎日のしごとのなかからあみだして,その教師におくりとどけてやろう。 近藤益雄(1975)近藤益雄著作集4. なずなの花の子ら. より. 近藤益雄は「私は日本語が,ほんとうにうつくしく,ほんとうに正しく,そして,ほん とうにゆたかなものになることをねがう。それが,だれの耳にもうけいれられやすい,や さしくてわかりのよいことばにならなくてはとおもう。そして,そのようなことばで私は つぎのようなことをしていきたい。特殊教育の大切さを,たくさんなひとにわかってもら うしごと。そのためには,だれの耳にもはいりやすい,親しみのあることばではなしたり, 文にかいたりしなくてはならない」と述べた。近藤益雄の「かく」視点は,他者と分け合 える共有財産を広めていくこと,そして自らの「臭み」を取り除くための活動といえる。 「臭み」とは自らの奢りを制する意味で近藤益雄自身が用いることばである 。「おれでな くてはこのしごとはできない」と思うこと「特殊学級の受持らしい殻によろわれ」て偏っ た考え方に陥ること,等を常に自らに戒めていたのである。. 2.障害観と子ども観 ここでは,個々の子どもの呼称について注目する。近藤益雄の実践記録の中で,子ども たちは固有名で登場してくる。勉強嫌いのサカエは学校に釣り竿をかついできては裏の川 で釣りをする。ぼろぼろの着物を着て二里ちかい山路をからすのなきごえのような叫び声 をたてて学校へ走ってくるナルエ。脱走癖のあるカツミは,たびたび家を出ては村の人々 に山探しをさせ,村人に迷惑をかける。気の弱いトシヨシ,気だての良いムネ,絵をかく ことがすきなシゲル,等々,子どもたちの行動や考え方があるがままに綴られている。 「知 的障害児」ではない「サカエ 」「トシヨシ 」「ムネ 」「シゲル」という一個人が実践記録の 中で生き生きと存在しているのである。近藤益雄とシゲルのやりとりを以下に引用する。. 三年生のシゲルは腕白だったから,先生にもほかの子どもにも,てこずらせていた。私が図画や 国語を,その教室におしえにいったら,シゲルは絵をかくことがとてもすきだということがわかっ た。ほかの子どもとちがって,なかなかおもいきった,元気な絵をかくので,私がほめてやったら, シゲルは「校長先生が,いつでもおれたちの先生になれよ」と,鼻しるをすすりあげながらいって くれた。そして,そんなことからおとなしい子どもになった。シゲルは中学校をおえて,パン工場 でまじめにはたらいている。 近藤益雄(1975)近藤益雄著作集4. なずなの花の子ら. より. 浅井(2008)は実践記録の特徴として「「私」という一人称が用いられる 」,「教室の子 どもたちが名前やイニシャルで特定される 」,「 「 私」と子どもの具体的な言動に即して物 語的に叙述される」の3点を挙げた。この姿勢は「子どもを対象化して表象するのではな く,子どもに接している「私」を照準する。そこには,教師と子どもの「指導する・され る」関係を疑問視する姿勢が伺える。子どもを固有名詞で表記することで ,「児童」とい. - 21 -.
(8) う枠から外れた「ある一人の存在」として認めよう(浅井,同 )」とする表れであると言 えるだろう。読み手の我々は「ちえおくれの」ということばにまったくとらわれない「シ ゲル」を思いうかべることができるのである。ここに近藤益雄の求める生活教育があるの ではないだろうか。. Ⅵ.現代的意義としての捉え. 現代で実践を記す意義を考えたときに,これまで述べてきた近藤益雄の実践から,何が 求められるのだろうか。近藤益雄は以下のように述べている。. 私は知能テスト・性格テスト・生育歴調査・環境調査などをうまくやれない。…(略)…しかし 私には,大学の先生やテストのことにくわしい松本繁さんというなかまの先生がいるし,児童相談 所やお医者さんが,力ぞえをしてくださるので,素人の私などがなまじっかなことをするよりも, うんといいしごとができている。そして,ときには「私はこのひとたちの診断書によってこの子ど もたちの治療をすればいいのだ」などと,すこし得手勝手をいってみることもある。だが,このこ とでひとついけないことがある。こんなテストなどにあまり知識のない親などのまえでは,ともす るとなまかじりの自分の知識をふりまわすことがないでもない。…(略)IQ だの MA だのという と,なんだか学者らしくて権威がありそうで,親たちは感心する。しかし,私はそんなことよりも, 「三ヶ月間、こんな指導をつづけたら,ようやく,これだけの仕事ができるようになった」という はなしを,うんとするようにならねばならぬ。SQ だの CA だのと,そんなことばをさかんにとび ださせることが,私どものある臭みになるとこまる。私どもはあくまであたりまえのしごとをあた りまえに,だれにもわかるようにはなし,そしてやっているものだ,といえるようになりたい。 近藤益雄(1975)近藤益雄著作集3. この子らも・かく. より. 教師が多角的な視点で子どもをみつめることは有意義なことである。知能テストや諸検 査は支援の新たな視点を与えうる。しかしながら近藤益雄が指摘するように,子どもをみ つめることがともすれば「分析」や「解析」するように,数字上で機械的に弁別するだけ に偏ってはいけないだろう。現代の実践記録を記す際にも教師は十分注意しなくてはなら ない。固有名をもった個人しか汲みとることのできない子どもの側面を見つけようとする ことが教師の仕事であり,実践記録に記すべき内容といえる。. 文献 1)浅井幸子(2008)教師の語りと新教育「児童の村」の1920年代.東京大学出版会. 2)張 穎槙(2000)知的障害児教育に関する生活と教科の関係論-教育方法論の視点か ら.日本教育学会大学研究発表要項,59,148-149. 3)張 穎槙(2006)知的障害児への生活教育-近藤益雄の「のぎく寮」での実践を中心 に- .中国四国教育学会教育学研究紀要,52,432-437. 4)勝田守一(1972)勝田守一著作集第3巻.国土社. 5)近藤益雄(1961)精神薄弱児の読み書きの指導.日本文化科学社.. - 22 -.
(9) 山 梨 障害 児教 育学 研 究紀 要 第 5号 (平 成 23年 2月 1日). 6)近藤益雄(1975)近藤益雄著作集3. この子らも・かく.明治図書.. 7)近藤益雄(1975)近藤益雄著作集4. なずなの花の子ら他.明治図書.. 8)近藤益雄(1975)近藤益雄著作集6. その花はまずしくとも他.明治図書.. 9)近藤原理・清水寛(2009)写真記録この子らと生きて.日本図書センター. 10)中村和夫(2004)ヴィゴツキー心理学.新読書社. 11)柴田義松(1962)思考と言語.明治図書. 12)清水寛(1966)近藤益雄における生活綴方から「精薄児」教育への発展.東京都立大 学院教育学研究集録,6,61-70. 13)東井義雄(1972)東井義雄著作集.明治図書.. - 23 -.
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