• 検索結果がありません。

イデオロギー概念としての憲法制定権カ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "イデオロギー概念としての憲法制定権カ"

Copied!
48
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)ーカール.シュミットの憲法学の研究ー. イデオロギー概念としての憲法制定権カ. 目 次. 1. 憲法制定権力の事実性と根源性. 法の妥当性の問題. 憲法制定権力の担い手. 国民主権論と憲法制定権力. 3. 2. 憲法制定権力の性格と担い手. 一 はじめに. 二. 三. 2. シェイエスの国民主権論. 1 国民主権論の課題. イデオロギー概念としての憲法制定権力. 山. 下. 四五. 威. 士.

(2) シェイエスとシュミットの憲法制定権力. イデオロギーとしての憲法制定権力と事実としての憲法典制定権力. 国家の継続性とドイッ. 憲法制定権力と憲法典制定権力. 3. イデオロギー概念としての憲法制定権力. 四 1. 憲法否定と憲法廃棄及び憲法改正. 2 3. はじめに. 四六. 憲法制定権力宕瑳o搾8房葺轟耳 <R壁器⁝ひq鴨幕且oOo類巴けの観念は︑現在ではよく知られているように︑ ※. フラソス大革命時のイデオ・ーグ︑アヴェ・シェイエス>げω一亀8に由来する︒. コンドルセ08戯98什に由来し︑﹁理論的に見れば︑コ. この︹憲法制定権力の︺問題をほぼ全面的に言い尽していた︒﹂︵9=0︶なおρω9ヨ葺・90U幹富言鉾<8. もっとも︑彼によればシェイエスの憲法制定権力の観念は︑. ※参照国N毒蒔9︒冨耳o︿9宕=きぼ8房鼻轟鼻田記切魯声oq讐ヨ望器霞︒9侍αR坤き昌ω蓉78寄ぎ一&8 一§ ンドルセは︑. 伽①昌︾旨猷昌のoβ伽oωヨao醤o昌o ooロ︿o感三件馨ω−鵬α餌昌閃o諾獣ω震o一〇母ユo ・魯o昌囚一 器o昌犀帥旨風︒︵一〇曽︶︒一800︒鱒>鼠一ω■一〇 刈舜. しかし︑シェイエス以後︑この﹁フラソスで開花した制憲権の理論は︑十九世紀後半までのドイツ公法学ではほと. んど顧りみられなかった︒⁝⁝しかし︑十九世紀後半から二十世紀初期の学説も︑この間題に特別の関心を示しては. いない︒君主主権主義のもとで自由の法として0憲法の最高法規性が確立していなかった当時のドイツに制憲権理論 ※ が結実しなかったのは当然である﹂.

(3) ※芦部信喜﹁憲法制定権力﹂宮沢先生還暦記念・憲法大系第日巻︑一九六一︑一〇一ー二頁︑この憲法制定権力のドイッにお. けるとりあつかわれ方にっいて参照=︒国ヨ閃o●Oお震窪α震<R貯器¢昌αQ怨昌留凄昌ひQ9一〇認.↓芭﹂︒U8ω魯帥昌色⊆口ひqαR. 国家は統治権の主体としてあらゆる法の淵源であ. このように︑ドイツにおいて憲法制定権力という観念の否定された根拠として︑芦部氏は︑. ギ〇三〇ヨユ段98N窪αR<震富8§鴨ぎ8歪梶<oロP>諺o暮欝玄ωρω9目葺. ︽憲法制定権力の否定︾ 次のものを算える︒. ① ﹃法の淵源をすべて国家に求める国家法人説の理論﹄. り︑国家の成立によって始めて法秩序が形成され︑権利主体が生れる︒従って︑フランス大革命時の政治理論のよう. に︑国民がそれ自体として権利主体たる法人格性をもち︑各々の契約によって国家を創設するという思考は︑国家法. 国家法人説的に理解された﹃権力分立に関する機能理論﹄ー要するに︑権力分立を権力そのものの分配では. 人説持国家権利主体説の観点からすれば背理とされる︒. ②. なく︑その機能の各機関への配分であると理解し︑又︑権力を﹃主権者である国民の決断︑即ち︑憲法制定と︑その下. における分立された諸権力﹄と区別して把握するのではなく︑このふたつの権力を︑即ち︑憲法制定権力をも︑分立. された諸権力の内のひとつの作用として︑他の諸権力機能と並列化して把握するものである︒従って当然ここでは︑. 四七. 即ち︑法学の対象を実定法に限定し︑しかもその実定法に内在する. ﹃憲法の実質的な最高法規性の観念を拒否し︑憲法の本質を︑ただその改正が法律の改正よりも困難だ︑とい. 憲法制定は何ら特殊性を有するものではなく︑法律制定と同一のレベルにおいて把握される︒ ⑧. う形式にのみ求める法実証主義の憲法概念﹄ イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(4) イデオロギー概念としての憲法制定権力. 四八. 諸価値の考察は︑自然法論的・政治的なものとして排斥し︑又︑他方では︑その実定法の生成・変動・基盤の考察は︑. 非法学的・社会学的なものとして排斥し︑ただひたすらに法の形式的論理構造のみを解説することを主題とする法実 ※ 証主義国法学である︒このような国法学にあっては︑憲法の﹃憲法﹄たる性格は︑﹁もっぱらその高められた形式的. 法︹律的効︺力Rま冥①騰震B亀oO霧9N窃ξ鉱θの内に存在する︒﹂︵の●密臣器ぎ幹鎚巨①ぼ①︒︵一〇〇〇︶・お鍔oo>. 仁中ψ器 ︶そこにおける憲法の概念規定は︑例えば︑今日なお踏襲される殆んど無内容な︑実質的意味の憲法概念・. 形式的意味の憲法概念に典型的に示されているように﹁偶発的に制定された憲法規定を基準として﹂︵ρ望ゲヨ葺︒ ※※ ※※※. o︶なされることになる︒このような憲法把握から憲法制定の特殊性を 0︶ご望.ω>仁ヰωレo <o焦器窪β鴨一①ぼ9︵一80. 認識することが不可能なのは︑当然のことであろう︒. ※この意味において︑法学における実証主義は︑哲学・自然科学における実証主義と大巾に異なり︑その実定法︑実は国家制. 定法至上主義という側面からすれば︑このふたつの実証主義は︑相反する性格を有しているQ<唯・舅国亀段︑︑U凶o因ユω置. このように語られる根拠から従来否認されていた憲法制定権力の観念を︑何故︑シュミットは︑一. 以上︑詳しくは︑芦部﹁憲法制定権力﹂一〇一頁以下. 憲法の概念についての詳細は︑私の﹁憲法と憲法典﹂中央大学法学新報七六巻七・八号を見よ◎. α角ω貫緯の一〇﹃8︑.●冒︾目Fいωo臥巴華躍昌αωo臨巴や閃亀︒q9一〇N9ψ鱒O鰻ω︒ψ卜oO刈●. ※※. ※※※. ︽本稿の意図︾. 九二〇年代というあの時点において︑彼の憲法学の核心を成すものとして復活せしめたのであろうか︒この問題を︑ ※ 当時の旧派・新派の学派の争いやヴァイマル憲法状況とのかかわりあいで解明することは別稿に譲り︑本稿は︑この.

(5) 問題を︑憲法制定権力が彼の憲法学体系中において果たすべく背負わされた任務を分析することを通じて解明し︑そ. のことにより︑逆に︑従来必らずしも︑明確とは言えなかった憲法制定権力の性格の解明にわずかの寄与をなしたい と思うものである︒. ※私の﹁憲法学の危機と憲法学者ードイツ・ヴァイマル憲法下の﹂︑とりあえず︑<騨因あo巨箒冒雲︑︑Nξ9旨色謎88三. 法の妥当性の問題. 二. 憲法制定権力の性格と担い手. 〇ヨ舞涛α醇儀①日ω9①⇒ω叶帥象ω話9房一①ぼΦぎα震白o一B巽R園8⊆三鱒︑︑●凶口>勾しo℃﹃●ω9心oo・一〇〇9ω●ooO\謡.. 1. 近代国家の法秩序のもつひとつの特徴は︑その整合的な段階構成にある︒即ち︑近代国家の実定法秩序に属する法. 規範は︑その規定内容の一般性・特殊性により︑いくつかの段階に配列される︒より一般的な内容を有する法規範. は︑より特殊的な内容を有する法規範に対し︑相対的に上位にあり︑その上位に位置する一般的法規範は︑下位に位. 置する特殊的法規範の妥当性を根拠づけ︑近代法論理においては︑下位の法規範は︑上位の法規範から︑規範論理的. 必然性をもってー当然のことながら︑事実として人間行為の媒介されることを排斥しはしない1創設される︒従って︑. ﹁全体として観望するならば︑︹近代︺国家の法体系は︑最も一般的な内容を有する極めて少数の法規範を頂点とし︑. 四九. 最も特殊的な内容を有する無数の個別的法規範を底面とした︑あたかもひとつの円錐形の如く︑末広がりに広まった ※ 規範意味の空間を占位している︒﹂︵尾高朝雄︑国家構造論︑一九三五︑四五九ー六〇頁︶. イデオロギ!概念としての憲法制定権力.

(6) イデオロギー概念としての憲法制定権力. 五〇. 這曽・ψ嵩一\8ドUおいo訂①<o昌αR肉oo鐸鴇鵠霊お器 の功績であり︑それ. ※この近代法特有の性格を分析して﹃法段階説菊8算紹9臨898幕﹄を創唱したことは︑︸竃震年︑.軍密冨諺oり窃9ヨ oぎ段お置o昌 閑 9 げ 房 島 8 ﹃ 8 . ︑ ︾ α 閑 ω 輿 島. D9緯巽o窪ω下ぼρN>鼠一・お認・︿o旨8①ω・酋信戸園虫昌①菊9算巴Φ耳ρN> を体系化した串囚o一のo戸=餌仁℃63三Φヨo山震O. 鼠一︒一8ρω︒一8酔>一一磯oヨ①ぎ①ω冨讐巴oぼρ一〇謡︸ω.認一Rψ圏oo庸Oo器轟一↓げoo蔓9い帥名斡昌αω母貯ρ一〇窃︒サ一Nω融. 山中康雄・. を始ゐとする純粋法学の業績であろう︒しかし近代法の段階的構成そのものの認識は︑別に純粋法学的立場に限定せられるも. ※. 一九五一︑三三頁⁝にも見られ. のではなく︑例えば︑極めてアトランダムに挙げても︑加古裕次郎︑近代法の基礎構造︑一九六四・一六三頁以下. 近代法の性格︑一九四七・三二頁以下︑戒能通孝﹁市民社会と法体系﹂法律時報二〇巻二号︑ るo. この段階的な国法の体系を︑事実に直接している判決・行政処分︑ある場合には個別立法から︑国法秩序の階段を︑. 命令・法律と一歩づつ遡り︑憲法に至り︑そこよりさらに遡らんとする時︑我々は一体何にたどりつくか︒. ※ ︽個別立法︾個別立法冒島ξ身巴鴨器旦一粟℃8お轟旦田一一9亀量昌α震も事実に直接する︒<αq一・串内㊤紹算≧一鵯ヨ魯. ドイッの戦後処理という事情も手伝って︑消極国家・立法国家・一般的法律概念という市民的法治国家の原則に対して︑重大. o︐この個別立法は︑現代の資本主義国家における社会国家的傾向に伴い︑又︑特殊的には︑ 器ω3讐巴o耳o■︵這謡︒︶お①ρψ認趙o. な理論的・実践的問題を提出しており︑法の定立と法の執行の区別という市民的法治国家の権限配分︵く笹︒ρω3ヨ葺︒<R−. 貯ω鶏昌αq卑ψ嵩趙鈴匡図巴器P≧眞ω富緯のどω︒謡ooわ︶に対しても問題を提起しているQ個別立法の問題は単なる立法技. 術の問題に止まらず︑現代法体系の全面的把握にかかわる問題のように思われるく磯どい固一巴犀o毛の露︐Uざ詣9含q昌鵬塁昌閏. ぼoお富簿−置8一〇αq凶零げo民o目℃o昌88昌置亀震bo一葺ωoげo昌℃臣一〇ωo℃臣oρωoげヨ一塁9一田oo℃ω︒ω趣ρ声ω9昌o置①μ︑.qoげ・.

(7) 官記念・憲法の諸問題・一九六五. OR田上穣治﹁実質的意味の法律﹂清宮教授退 震田自色鴨器欝.︑一P閃O馨8ぼ洋盆﹃ρω∩げヨ葺﹂3ρω﹂総︑.ミOO.ぴ窪・ψ峯O. この問題こそ︑憲法を頂点とする国法体系の根本的な妥当性の根拠を尋ねる問題として︑数知れぬ法学者・哲学者が ギリシヤの昔しから考究して来たものであった︒. 十九世紀から二〇世紀初頭の法実証主義者たちは︑法を所与として受けとり︑法の妥当根拠O①一ε昌ひq詔霊且の問. 題︑即ち︑法体系の始一兀︾口壁轟αR勾8洋ω9α霊眞の問題を法学的認識の領域外に﹃非法的なもの﹄として追. 放︑あるいは︑せいぜい﹃事実の規範力20﹃ヨ鉾貯o国轟坤α8固犀凶ω9窪﹄として︑結果的・因果的に説明したり︑. あるいは︑法学的論理仮説としての﹃根本規範O毎且8同目﹄を設定することによって論理的・規範的に説明しよう ※. とした︒これらの試みに対し︑シュ︑・・ットは︑この妥当根拠の問題に︑政治的決断℃〇一三ω9①国算ω9蝕身5笛の概念. でもって︑より憲法学的には︑憲法制定権力くR富ω雲轟鴨訂区︒O①名葺の概念でもって答えようとしたのである︐. ※︽法体系の始元の問題︾なお注意すべきは︑この法体系の始元の問題は︑国法体系の妥当根拠をもとめるという妥当性の側. 面︑即ち︑法体系の規範性の源を尋ねるという側面と共に︑法体系の存在性の源を尋ねるという法の生成の側面をも含む場合. があるQそして元来︑法実証主義はこの始元の問題について後者の側面のもつ意味についてはまったく興味をもたず︑答えよ. うと試みはしないQだからこそ法実証主義と称され得るのである︒しかし︑この法実証主義の地平を越え出ようとするシュミ. ットは︑その主観的意図においてはこのふたつの側面に対し︑併せ答え得るものとして︑憲法制定権力の観念を提出したはず. であるQこの点こそが︑シュミットのその先行者たちに対する秀れた点であり︑又︑彼の憲法制定権力の分析において︑一方. 五一. で秀れて当為的なものとしてのケルゼン流の根本規範が︑他方で秀れて存在的なものとしての主権の観念が︑その内容を形成 イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(8) イデオロギi概念としての憲法制定権力. 憲法制定 権 力 の 事 実 性 と 根 源 性. するものとして常に参照されるべき理由であるQ. 2. 五二. シュミットによれば︑その憲法制定権力とは﹁政治的意志であり︑その意志のもつ権力︑あるいは︑権威竃8算. 9R︾暮o旨警が政治的実在︸o一注零ぎ国臨ω冨目の性格・形式についての具体的全体的決断ぎ昌ζ9000鶏目5. 鼻零箒箆§αqを下すことがでぎるのであり︑従って︑政治的統一︹体︺の実在を全体として国邑馨9NαR宕一蕊ω9. げ窪田ロ訂津ぎO雪8昌規定することができるのである︒﹂︵<R壁器⁝晦典ψ誤δ︶この憲法制定権力によって下さ. れた決断が︑憲法<R鼠器⁝㎎即ち︑実定的憲法概念勺oω置<R<R鼠ω窪躍筈詔ユ中︵<R壁ωω琶鴨rψ瞳︶であ. る︒従って︑この﹃憲法﹄とは︑まず第一次的には︑政治的統一︹体︺の性格と形式に関する決断である︒その言う. ところの政治的統一︹体︺の核心は︑憲法制定権力である︒これに対し︑﹁憲法律<R富田⁝鵬詔80言は︑その内容か. ω●旨︶. ※. らして︑憲法制定権力の意志︹即ち︑憲法︺を詳細に規範化したものにすぎない︒﹂︵<R貯紹毒ひqωごψお︸<αqど辞 m℃○. ※本節の憲法・憲法律の概念︑及び︑それと憲法制定権力の関係にっいては︑私の﹁憲法と憲法典﹂を見よQ. このような簡単な理解から︑シュ︑・・ットについて︑次のような法体系図を形成することがでぎる︒. この法体系図Aは︑ふたつの点において特色を有する︒ひとつは︑通常憲法と理解されているものを︑より根源的. な﹃憲法<Φ篤窃鶏農﹄とそれを具体化・詳細化するものとしての憲法律<R富田琶暢鴨器試とに区分することであ. り︑他のひとつは︑﹃憲法﹄︑シュ︑・・ットの考えでは憲法くo牒器段躍の妥当根拠を求めて︑憲法制定権力という力.

(9) n. t. 鉱. ㏄. S. n 9. 魯 忽. 法体系︵規範︶図︵ e. d. e t. be. ㎜㎝←弊㎜←㎝. 9a S g t. 91. 驚. v. ssG α 爲G ね V ㎡. ※ 囚声含事実↓碧器魯窪︒存在ωo言と称され得るものに到達していることである︒. ㏄. G. G. ︵. =. 五三. ※前者の特色については︑別稿﹁憲法と憲法典﹂で主題的に論じてあるので︑本稿では後者についてのみ取扱うQ. ところで後者の特色をより明確にするために︑次のような図式を構成してみよう︒ 法体系︵力︶図B り. d Z ︶ ㎝ 甑 血 ㎎ b e n u el tS gd el tb el te b g UG es Ue bG et ZG es e s. V. ㏄ ︵. ね. gWa nW a←e n ←g ne £a Wg 惚. α. ね. V. この筆者の構成した法体系図Bを先の法体系図Aに代入してみよう︒ イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(10) 法体系図c. 3. の m. 鋭旺 ︸タ 在系. 9 存 ●. 〆遍. fe. n孟. U. 9. n. 監. f. U. 鈴就 es. 9. 鈴 αg. Z t es. 曙α︶. bロ e z. 虚線(./)は,法の妥当の過程を表わす。. この実線(\)は,法の生成の過程,. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 五四. この構成された法体系図Cより示されることは︑シュ︑・・ットは︑法体系の始元の問題に対して︑力.. G 力. es. eも. n. も e. α. 短〆 e d n. bet. e. 9 a. n. α. ㎞厩 α鶴. e gW㎎ ㎝寵 UG α. ss ね. V. 系列. あるQ﹂︵<R鼠ω窪昌鴨ごψお︶. 憲法制定権力は︑このような不可譲の性格において現われる時には﹃常に自然状態の内に冒ヨ〇ニヨ2薗ε旨島富注﹄. いう概念を見い出したのである︒従って︑﹁憲法制定権力は︑いかなる法規や法手続にも拘束されるものではない︒. 存在ω①ぼをもって答え︑各々の段階の規範に対応して︑優越する存在を設定し︑その集約点として憲法制定権力と. ︽事実的性格︾. 法・規範Sollenの.

(11) このように憲法制定権力が︑事実の問題2器ω餓o融&とされることによって︑その担い手の問題望び一Φ痒⁝α. ↓鼓範R即ち︑一体誰が憲法を決断する力をもつか︑あるいは︑もつたか︑ということも事実の問題とされi何故な. ら︑それを定める﹃法規や法手続は存在しないから﹄−!そのため︑担い手は︑従来誰が憲法を定めて来たか︑という. 歴史的経験的事実の内に探し求められることとなり︑かくして︑神Oo暮国民<o鼻&RZ魯9君主因身蒔少数. ところで︑ここで憲法制定権力の担い手の分析に入る前に︑憲法制定権力のいまひとつの重要な性. 者の組織O茜き厨緯一903R匡3α①旨o詳が憲法制定権力の担い手に算えあげられることとなった︒. ︽根源的性格︾. 格を見ておこう︒それは︑憲法制定権力はいかなる法的制約ももたない︑ということである︒それは﹃常に自然状態 ※ の内に﹄あり︑元来無制約であり︑完全に自由な存在である︒. ※この点が︑憲法制定権力とい5考え方そのものは今日学界の共有財産として受け入れられようとしながらも︑それが激しく. 非難されるところであるoそのため今日では︑この憲法制定権力の根源性に対して一定の限界が画されようとしているQ例え. ば﹁憲法制定権力の制約は︑国民がその存在そのものの形式について決定でぎる範囲よりも高位の領域からのみ生じ得るQ従. 冨>鼠一︒ω●恥O︶﹁憲法制定権力は︑代表制的国家権力︑例えば︑憲. って︑憲法制定権力は既存の手続的規定には拘束されないが︑超国家的へ権きR馨器島oぽ︼≦窪零ゲΦ葺8算①には拘束さ れる︒﹂︵日三曽自自・U窪房魯霧ω富緯段9耳・︵お盟︒︶這8. 法議会・立法議会が行い得ることよりも広い権能をもっものではないQ従って︑前国家的︑即ち︑超国家的権利は︑憲法制定. 一3一●ω・ミ舞≦︒内農. 五五. u一︒<o魯のω琶鵬巴の冨︒−. 権力の判断から遠ざけられる︒﹂︵↓●寓窪自︒.︑U凶①<R富器ロロ騎鴨び8留OO薯餌一什一ヨO毎昌α鴇器言..U一〇αh霊<①毛巴9昌騨 一〇㎝o ︒︒ω︒①&︶︿ひQごO●田魯oい<︒臥器弩轟註農鴨<︒蹄器ω章鵯8﹃ヨ. 耳=魯oO毎昌3旨5置ロ臓α①ωω冨讐①9這a・ψ鴇\oo・橋本公亘・憲法原論・一九五九・四五頁o. イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(12) イデオロギー概念としての憲法制定権力. 五六. この憲法制定権力のもつ﹁無条件性・自律性・根源性﹂︵渡辺宗太郎﹁憲法制定権力と憲法改正権限﹂続憲法学の諸問題. 収・一九五〇︶という性格こそがシュミットの憲法制定権力論の基本的特徴であり︑このような性格をもつからこそ︑. その権力は存在・力であり得たのであり︑又︑従って︑力国轟黛Oo名葺︶をもち得る者は誰でも︑その担い手と称 し︑且︑称し得たのである︒. シュミットは︑彼の憲法制定権力についてこのように︑一般的に︑その事実性と根源性を語る︒ところが︑我々は︑. 彼の憲法論八一頁で︑突如として︑次のような文章を読む︒. む. ヤ. む. も. め. む. ち. む. ち. ヤ. む. ヤ. ヤ. ち. ﹁国民は自己の形式を変更することができ︑常に新たに自己の政治的存在の形式をあらためることができる︒即ち︑国民は政. 治的自律性において完全な自由をもつのであり︑国民は自ずからは形式をもたずして形ち作るもの島霧8吋ヨ一8舅巽BΦ5牙. ヤ. む. む. も. じ. む. ヤ. む. む. む. であり得る︒しかし︑それに対して︑世襲君主国3ヨo昌震o匡oは家族における承位順位国芒8蒔8琶昌仁昌㎎に拘束され︑そ. セ. む. セ. ち. も. む. ち. じ. ち. む. む. む. も. ヤ. ち. む. ち. む. む. ち. ち. む. も. も. れ自体が既に形ち作られた制度ぎ巴9器ま犀8げo昌8﹃8一震富匡畦一魯9昌㎎である︒王朝U冤昌錺ユoは︑国民<o幹oαR. Z讐δ昌とは異なって︑あらゆる政治生活の根源とは見倣され得ないのである︒﹂︹傍点は山下︑以下同じ︺. 憲法制定権力の担い手の内︑最も重要と思われる国民と君主とについて語られたこのような違いを明らかにするた. めに︑我々は﹃主権の問題は︑主権の担い手の問題である﹄という周知の命題に従って︑憲法制定権力の担い手の問. 題を考えてみよう︒特に︑シュミットの憲法制定権力の場合には︑例えば︑シェイエスのそれと比べて︑その担い手 ︑. ︑. ※. は複数と考えられているため︑このような研究は必須のものであり︑極言すれば︑シュ︑・・ットの場合︑憲法制定権力. 一般についての言表は殆んど何ものをも我々に伝達しないであろう︒.

(13) 暮の問題を明白に権利の問題2器畳o甘ユω. ※同じ注意を=出亀塁ωo薯Rぎ凶舞一〇旨ψ窒津菅野喜八郎﹁シュミットの憲法改正限界論にっいての一考察﹂東北大. 憲法制定権力の担い手. 法学二四巻二号二〇頁が行なっているQ. 3. 国民主権という自然法を大前提とし︑憲法制定権力宕薫o眸8霧含ε. として︑﹁国民のみが憲法制定権をもつ﹂︵大岩誠訳・第三階級とは何か︑一九五〇・八○頁︶としたシェイエスに比べ︑. 中世においては﹃神﹄のみが︑あらゆる権力・正当性の根源であり︑且︑その担い手であった︒ ※. シュミットは︑上述のように︑憲法制定権力を事実の領域の問題とし︑従って︑その主体も経験的事実の内から算え. ︽神099. あげた︒. ①. ﹃あらゆる権力は神より出る︒﹄︵・マ書一三ー一︶. ※尾高朝雄・法の窮極にあるもの︵一九五五︶一九六〇・八一頁はシュミットの憲法制定権力の担い手を紹介しながら︑この. ﹃神﹄を抜かしているQしかも︑他の国民・君主・少数者の組織の三つの担い手を︑それぞれ民主政・君主政・貴族政という. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 一七八九年のフランス革命と一七七六年のアメリカ独立宣言が新しい時代を開い. アリストテレス流の三政体論と同一のものと説明しているが︑このように説明する根拠についてはまったく触れられていな む む ヤ い︒これは明確な誤謬であり︑又︑このような把握では︑後述の﹃神﹄︵及び国民︶のもつ重大な性格−抽象性1が必然的に 見落されざるを得ないであろうQ. ヤ. ② ︽国民<o涛&RZ讐δ息. 五七. た︒即ち︑﹃国民﹄が人間として始めて︑自己の政治的存在の性格と形式について︑自己自身で全体的決断を下した イデオ・ギー概念としての憲法制定権力.

(14) イデオロギー概念としての憲法制定権力. ※. 五八. のである︒この国民<o涛とは︑より正確には︑国民2蝕9を指す︵<管<︒瀞器旨覧4ω・ミ︶︒シュ︑・・ット自身の説. 明によれば︑﹁Z舞凶9とは︑自己の政治的特性についての自覚をもち︑政治的存在に対する意志をもった︑政治的に. ※※. 活動し得る統一︹体︺としての<o涛﹂︵<鼠器段認些巽o︶を指し︑さらに︑﹁2豊9とは︑<o詩という一般的概. 念に対して︑政治的自覚によって個別化された<o涛﹂︵ψ舘一︶を示すとも表現している︒. とした現実としての先験的な神に代わって︑ふたつの主体があらわれた︒. 即ち︑<o鱒とU凶oOoωo臣9富とがo﹂としてい. ※シュミットは既に評葦零冨寄Bきユ酋5亀﹂O蜀の中で︑コ七世紀二八世紀の展開によって︑最高の︑且︑確固. Z蝕8︑文化的国民H<o房という使い方は一般的なもののように思われる︒例えば︑﹁2豊8. たQなおそれは後に勺o一三ω90悶oヨ帥暮幹︒N委畦一●這謡では︑﹁U凶o寓o昌の9げo濤︵U器<o欝︶直昌α望oOoωoビ魯言﹂と表現. このような政治的国民. が改められているQ. ※※. の本質は身昌僧ヨ凶の9R2即9﹃にある︒﹂︵OD甘霞冨ぎ≧蒔ω寅讐ωピの嵩O︶﹁<o鱒が相対的に統一的政治的意志にょって︑. ・︶一89. 0る>岳一・ψ一曾︶しかし︑このように一般的であるということは︑このZ鉾凶8ということばの内容. その個性をもとうとして︑それを追求する場合に始めて︑我々は2緯δ昌ということばについて語り得るのである︒﹂︵国︒=o−. ね. 全面的ε9一なものであり︑そのため規定され得ず︑従って︑一面では伝統的な民主主義的理論の内容と同じものとなったり︑. む. ュミットの<o涛という概念は︑例えば︑ケアロイタァーの使っているような﹃民族的くα一宏零ぽ﹄なものではない︒それは︑. 理解が同様に一義性をもっている︑ということを必らずしも意味しない︑いや逆に次のようにさえ表現され得るのであるo﹁シ. 一一R・ω富緯匹Φξρ︵這oo. ち. 他面では︑新たに興隆して来た行動主義的な2簿凶8の神話ともとれるo﹂︵=●=9日窪Pピ畠三B詳餌件騎詔窪いo窓犀馨⇔R ≦o騎α8℃o一三ω90昌唱匡一〇ωo℃霞oO●ω⇔げB鐸の.一8↑o D・一&㍉︶.

(15) ③︽君主囚曾蒔︾ 一八一五年から一八三〇年代の王政復古の時代に君主が憲法制定権力の担い手として現われ. た︒この時期の比較的﹃弱腰﹄で﹃妥協的﹄な君主が︑その担い手とされながら︑その前の﹃朕は太陽なり﹄﹃王の. 欲するところ︑即ち︑法の力をもっ﹄と宣言し得た絶対専政君主たちが︑その担い手として考えられることのなかっ. たのは︑その時代には未だ﹃人間が自己の人格にもとづいて決断を下す﹄という考え方の存在していなかったためで. あろう︵<撃くR冨ω霊凝ωごoo︒お︶︒しかし︑あたかも︑ひとたび﹃君主の主権﹄について語られ始めるや︑直ち. に﹃国民の主権﹄についても同様に唱導されざるを得なかったように︑﹃国民の憲法制定権力﹄について語られるよ ※ うになった後には︑﹃君主の憲法制定権力﹄についても同様に承認されざるを得なかったのである︒. も. じ. ち. ヤ. ち. も. セ. や. ヤ. も. ヤ. 行為によって構成せられるQ﹂︵<R富ω霊5鴨ごψ鵠oo\斜︶. む. ち. む. じ. む. ヤ. も. セ. も. ここに言うところの﹃少数者﹄とは﹃影響力の大きい投. ﹁ポナパルトの王国において実現を見た﹂君主政はあくまでも民主的基礎の上にあろうとし︑従って﹁国民の憲法制定権力の. ヤ. 君主政の中でも︑シザー型君主政︑即ち︑﹁一般選挙義務と一般選挙権とによって始あて︑従って︑一九世紀に始めて成立し﹂. ※<尊hあ9日葺.︑Nξ即器房9ぎω8獣︒血RO︒鴨員雪︒一亀9︑.旦害一三鴇冨↓訂o一品陣①﹂8 ●騨琶あ・雪卑もっとも︑. む. ㈲ ︽少数者の組織 9鵯三ω魯舅αR竃ぎ留旨①凶叶︾. 員と有給の職員をもつ常備軍と補助と救助のためのあらゆる組織とをもった・すみずみまで組織された確固たる形成. し ︶としてあらわれる現代大衆政 態貯ω貫亀員魯o樋程芭RgO魯ま①﹂︵ρω9昌雰頃蜂RαR<①﹃富霧毒堕一〇ω一・ω・o︒︒. 五九. 党のことであろう︒それは︑組織されていない国民の多数に対抗し︑叉︑それに何ら基礎をおくことなしに︑憲法を ※ 制定することができる︑と言われる︵<&器窪凝のごψo ︒鱒︶︒ イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(16) ヤ. イデオロギ!概念としての憲法制定権力. も. じ. む. め. む. セ. ヤ. セ. ち. も. ヤ. も. む. ヤ. む. む. ち. む. も. や. む. む. む. も. も. ヤ. む. セ. も. ち. ヤ. め. む. じ. も. も. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. む. セ. ヤ. む. ヤ. ヤ. セ. ヤ. む. 六〇. も. ヤ. ヤ. む. う. じ. ヤ. む. む. む. ヤ. も. も. ヤ. じ. このようなシュミットのあげる四つの担い手を一見して直ちに思いつかれるのは︑神・国民と君. いないのではないかと想像される︒﹂︵憲法要論︑一九六五︑七頁︶. も. 国民を憲法制定権力の主体とし︑政党をその把持者であるとして説明しているQその点では︑国民を事実上の権力者と考えて. む. は︑ヘラーの主権理論に影響されつっ︶から大西芳雄氏は︑次のような適確な予想を叙述されている︒﹁シュミット自身は︑. 思に自らを基礎づけることを最終的に放棄しているわけではない︒﹂︵<9富器仁昌暢rのoo趙ω︶そしてこの叙述︵及び︑おそらく. ヤ. ※もっとも︑現代におけるこの少数者の組織の適例たるイタリアのファシスタも・シアの共産主義ソヴィエットも﹁国民の意 ち. む. ︽担い手の分類︾. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 主・少数者の組織という二つのグループである︒結論を先取りして叙べれば︑神・国民は抽象的観念的構成物である のに対し︑君主・少数者の組織は具体的実在的人格者ではないだろうか︒. ている国民は︑近代国民国家における・国民主権における国民であり︑それが明らかに抽象的一者として観念的に構成された. ※このことは神にっいてはなんら問題はないが︑国民については異論があるかも知れない︒が︑ここで︑シュミットが問題とし. ンは︑この種の国民概念を﹃国民の理想概念﹄と呼んでいる︒︶杉原泰雄﹁国民主権の基本構造﹂一橋論叢五三巻二・三号. 藤. ものであることは疑いがないQ詳しくは︑次章及︑=●凶①一ω窪・譲o旨置昌α≦oω8αRUoヨoζ讐凶ρ︵一旨ρ︶一8璽国>鼠一︒︵ケルゼ. 本豊嗣﹁国民主権と人民主権﹂関西大法学論集一二巻二・三号︑野村敬造﹁国民主権と代表の原理﹂講座現代法二巻︑大西芳. 雄﹁国民主権の意味﹂立命館法学一六巻一号︑要するに︑近代の国民概念が︑神の概念からの展開であることを証明することが︑. まさにシュミットの﹃主権概念の社会学﹄のひとつの役割でもあったQ<ひq一ρω畠目葺︒℃o犀広90↓冨90鳴9腫>鼠一・ψ2\ド. もし︑そうだとすれば︑神・国民が︑それ自身で行動し︑何らかの実際的問題に対して決断を下すことは︑本来的. に不可能であり︑結局は︑﹁世俗的現実において︑神の代理人<R賃9Rとして行動することのできる者﹂︵ρω9ヨー.

(17) 葬ぎま零富↓訂・一︒閃凶①﹄>豊あ﹂①︶が︑神の御名において決断を下し︑又︑﹁国民<o蒔と自己を同一視できる者﹂. ︵螢る・9︶︑より現実的には︑国民意志の代表者勾8感ω窪冨導︑例えば﹁ある場所に現実的に参集している活動的国民. 欝二奉ω声緯呂目晦R﹂︵<&器の§覧・あ﹄8︶︑選挙人団d肘≦警一R七R舞ヨヨ一§αQ①昌﹂︵m﹄・ρψo︒㎝︶が︑国民の名. において決断を下すのである︒これに対し︑君主はもちろん具体的人格者であり︑少数者の組織もまたそうである︒. シュミットが︑特に後者について﹁緊密なる組織をもっこと﹂を要求している︵<&器ω琶覧・・¢o︒一︶のも︑その組織. の実在性を確保するためのものであろう︒そして︑この国民が観念的世界においてのみ存在し︑人工的に形成された. 抽象的なもの︵甲寓亀雲ω︒薯震畳感貯・ψδとして︑それが全能なる自由存在である︑と規定されるのは︑そもそ. も︑その国民が自由であり︑全能であるように構成され・観念されたからに他ならない︒このことは︑国民と同一グ ※ ループに属する神について考えれば︑まったく自明のことであろう︒. 〇醤を︑又︑国家論と神学の並行性については︑自●民Φ一ω窪︒U震ωo虹巳o鴨ω30ロ昌血 づユOヨ・一〇. ※神が人間の構想物以外の何物でもなく︑その諸属性は︑人の附与したもの以外の何物でもないことは︑例えば︑び扇窪Rσ− 零FU霧≦Φ器 昌 血 8 0 ぼ δ 絆. ω.. Oヌ. 8ユ巨ω叶一ω︒ぼω貫器げΦ讐R︵一8ε一露o︒.旨仁h一.昏旨巴旨暮α貫ρω魯昆雰.︑℃oまω︒ぼ冒8一︒αqδ..ぎ勺︒一三ω3︒ ↓げoo一〇σq凶o. 六↓. これに対し︑君主は︑実在的人格として︑経験的・因果律的制約を受け︑さらには︑それらの意識内化されたもの ※ としての社会規範的拘束を受ける︒. ※<箪串寓亀雲望鎧邑①ぼ①あ﹂O年・小林直樹﹁法の存在構造﹂思想四〇二号︑三九頁以下 イデオ・ギー概念としての憲法制定権力.

(18) イデオロギー概念としての憲法制定権力. ヤ. ヤ. ヤ. 六二. ︽憲法制定権力の担い手と性格の結合︾ 担い手について上述のような分類が可能として︑それを憲法制定権力と結. 合してみよう︒まず第一に︑憲法制定権力は力であり︑存在の領域に住まうものであった︒ところがこのような性格. を有する憲法制定権力は︑その担い手として︑神や国民のグループとは結合し得ない︒何故なら︑存在であり︑現実. ヤ. ヤ. し. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 的に力を有し得るのは︑現実的に存在するものでなければならないからであり︑既述の如く神や国民はそのような性 ヤ. ヤ. 格をもたないから︒ところが︑第二に︑憲法制定権力の無条件的・自律的・根源的という性格を考えると︑これは明. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. らかに観念的構成物である神や国民のグル㌧フとしか結合し得ない︒かくして︑憲法制定権力の二つの性格に対応し ︑︑. ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ ※※. て︑性格と担い手を異とする二っの憲法制定権力が成立することになる︒即ち︑事実・存在としての憲法制定権力と 観念・当為としての憲法制定権力とが︒. このように明確化されたシュミットの憲法制定権力の理解は︑その前者の方向においては現実的権力としての﹃主. 権﹄概念との類縁性を︑後者の方向においては︑政治的イデオ・ギー︵帰属概念︶としてのシェイエスの﹃憲法制定権 ※ 力﹄︑より論理的に一般化されたものとしては︑ケルゼンの﹃根本規範﹄との類縁性を我々に予想させる︒我々は︑こ. の予想の下に︑次章で︑シェイエスの憲法制定権力の概念について︑何故︑彼が︑その概念を主権概念以外に案出しな. ければならなかったのか︑しかも︑何故その担い手は︑国民でしかあり得なかったのか︑あるいは︑その担い手以外. のものと結合し得るものか︑等々を考究することによって︑シュミットの憲法制定権力の分析の手掛としてみよう︒. ※︽シュミットとケルゼン︾この予想そのものの論証は︑別稿﹁シュミットとケルゼン﹂で行うが︑例えば簡単には︑次のエー. ムケの指摘を見よ︒﹁基本的にはケルゼンとシュミットのふたりの著者によって憲法制定権力は﹃前提されて﹄おり︑この権力が.

(19) 一体どのようにして構成せられるかという問題は回避されているQ⁝⁝ふたりの間のちがいは︑ケルゼンが根本規範の﹃<震−. め. む. ぬ. も. セ. ち. じ. む. じ. ち. も. む. じ. ヤ. ヤ. ヤ. きωあ象塁凝﹄としてこの権力を把握するのに対し︑シュミットが憲法制定権力の統一の﹃くo箪島−ω9雲轟﹄としてこの権力. リ. も. ち. め. ヤ. を把握する︑という点にのみあらわれている︒﹂従って︑憲法制定権力とは︑要するに﹁シュミット流に把握せられたケルゼ. ンの根本規範U凶O内一①ω窪ω魯①O毎⇒ユロ自ヨぎO O9ヨ津件ω畠R蜀霧霊昌αq﹂なのであるQ星国日悶ρO括目o昌α段<oほ島巽ロひqω・. ヤ. ぎα震琶騨這器畳ψ畠鳶︒このような推定はシュミット自身のことばにも示されるQ 例えば︑ケルゼンとの対立を充分に意. 識しなから書かれたシュミットの﹁決断は規範的に見る限りは無から生れる﹂︵℃o一まω9①↓冨Qδ屯ρ9蒔ω︶という命題は. ﹁根本規範は︑法学にとっては︑ひとつの奇蹟であり︑不可知である﹂︵長尾竜一﹁法理論における真理と価値四﹂国家学会. ψお︶と述べている︒なお︑シ. 雑誌五九巻九・一〇号一一一頁より重引︶というケルゼンの命題と同値であり︑やや文脈は異にしつつも︑シュミット自身︑. ﹁決断は帰責点NξΦ9目5鵯℃¢昌p耳から始めて︑規範・規範的なものを規定する﹂︵鉾騨ρ. o9巨簿︑.旦>勾ω℃Fω阜 ュミットとケルゼンの類似性について︑簡単には中ω件震一ぎの︑︑ω9&①害巽串国巴ω窪仁昌αρo. この点で興味ある見解を示されるのは︑小林直樹氏である︒小林氏は﹄︐制憲権が無制約. ミ●ωひ$卑を見よQI但し︑スターリングの論述は︑シュミットにおける論理・方法・立場の展開を無視する点において大. ︽小林氏の憲法制定権力の理解︾. きな問題をもっているがo. ※※. に働く実力たり得ない︒⁝⁝基本価値が⁝⁝制憲権の主体をも規範的に拘束する﹂︵憲法の構成原理︑ 一九六〇︑五六頁︶と. され︑そのような制憲権の概念が﹁法学における分析の用具としては︑およそ国家及び実質的意味の憲法の存するところで. は︑一般的な概念として用いることができる﹂︵五八頁︶とされているQこれにつけ加えてさらに︑﹃制憲権はもともとイデオロ. 六三. ギーとしての歴史的概念であり︑国民主権と不可分に結びついた点で︑近代の理念に外ならない﹂︵﹁憲法理論の基本問題﹂法. イテオロキー概念としての憲法制定権力.

(20) イデオロギ!概念としての憲法制定権力. 六四. 五八頁︶としており︑しかも︑シュミットの憲法制定権力に対して﹁およそ実力を有する者が制憲権の主体たり得ると解. 律時報三七九号︑六三頁︶とされつつ︑﹁その主体を国民︵人民︶だけに限定することは正当とはいえないであろう﹂︵構成原. 理. の基本問題﹂法律時報三七七号に対する前掲反論からして︑結局制憲権を単なる理念でも・単なる実力でもない︑小林氏のこ. することは︑その実質を損うことになろう﹂︵五九頁︶と註記されている︒このような複雑な言い方は︑尾吹善人氏﹁憲法理論. とばを借りれば﹃価値関係的存在﹄︵法律時報三七九号︑六三頁︶として把握されるようであるQしかし︑この理解において. 間題となるのは︑分析用具として使われ得る制憲権の概念は︑明らかにその主体・担い手と切断されたものでなければならな. い︒そうでなければ︑言われるように﹃一般的に﹄使用できないQところが︑小林氏自身承認されるように︑制憲権はもとも. と国民概念と必然的関連をもっており︑その故に理念的存在であった︒にも拘らず︑その担い手・主体を国民に限定すべきで. なく︑且︑一般的に使用するとすれば︑そこに言われている憲法制定権力とは︑まさに︑本文にのべた﹃事実存在としての憲. ち. も. も. も. む. む. ち. ヤ. む. ち. も. 法制定権力﹄でしかあり得ないQ既述の如く︑シュミットの憲法制定権力は︑その事実的性格︑即ち︑存在の領域において思. ヤ. ち. ち. も. セ. 考されたからこそ︑それはさまざまの担い手と結合し得る分析用具となったのであったQ﹁制憲権をその主体から分離するこ. む. め. じ. む. ち. ち. ち. ヤ. とによって︑エームケが正当に指摘したとおり制憲権を純粋に︽実存する︾︑規範的要素を欠くものと考えることが︑ シュミ. む. む. め. ヤ. ち. ヤ. ヅトにとって可能となる﹂Q芦部﹁憲法制定権力﹂一一〇頁︑結局︑小林氏の場合の間題はより基本的に︑事実と価値の無媒. 介的1ここで﹃弁証法的﹄と述べることは︑論理的にはなんら説明にはならないーな結合にあると思われるがーその典型的. 表現は︑小林﹁法の存在構造﹂思想四〇二号に見られるー︑その基本的間題が︑この点についてもあらわれ︑憲法制定権力の. もっている規範的側面と事実的側面との区別が明確にされず︑結合にのみ急がれたのではなかろうかQ参照︑菅野喜八郎﹁根 本規範論考﹂新潟大法経論集一一巻六七頁以下.

(21) 1. 三 国民主権 論 の 課 題. ※※. 国民主権論と憲法制定権力. ︽ボーダンの君主主権論︾ 主権ω窪話鐵三鼠ρωo瑳震蝕昌ぎという概念は︑絶対君主制の弁明のために生じた概 ※ 念である︒ボーダンによって提出されたこの概念は︑たとえ自己の上に﹃神と自然の法Oo辞霧出巳2葺貰おo鐸﹄. を認めるとはいえ︑対内的には具体的人格者たる君主の専政を︑対外的には君主の人格と同一視される国家の自由・ 自律性を主張し ︑ 正 当 化 す る 概 念 で あ っ た ︒. 謡謹●℃o一一二ωoゲo. 一九六三︑ゴニ頁以下︑原英. o矯︒ρω魯ヨ葺巳U爵富9μω ωo仁<Φ笹三感鉾ψ一G. ※﹁+六世紀におけるヨー・ッパの国民国家への解体と︑等族に対する絶対君主の闘争からボーダンの主権概念は成立した︒﹂ ρωoげヨ律β℃〇一三ωo﹃o目げ8一〇讐ρω︒謡●<ひq一︒=︒=①一一段. ↓富O一〇四ρω・るヌρ甘良8評●︾=堕望き房ごψホG︒ヌ今井直重︑主権の憲法学的研究︑. ﹁﹃国家は実定法には服しないが︑超実定法的規範︵神法・自然法・ψ器軽器2︶には服する﹄という命題は︑その︹絶対. 次﹁ボ!ダン主権論の成立﹂関西大法学論集六巻四号 ※※. 主義体制の︺偽善的表現である︒﹂長尾﹁法理論における真理と価値の﹂国家学会雑誌九六巻二・三号一三五頁︑なお︑原英. ︑. ︑. ︑. ︑ ︑ ︑ ︑ ︑. 次﹁ボーダンにおける神法と自然法﹂関西大法学論集二一巻二・三号 ︑. 六五. ボーダソの主権概念にあっては︑﹁主権概念が︑主権者の具体的な主権的権力を伴っているという点に注目すべき イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(22) ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. イデオ・ギー概念としての憲法制定権力 ヤ. ヤ. 六六. であって︑このことこそが主権概念の本来の姿であったということができる︒主権とは︑究極の意思決定をなし得る. ものであるという具体的事実において始めて意味をもつものである︒﹂︵中村哲︑主権・一九五二︑二六頁︑<尊Oあ魯苧 ※. 糞ぽ蜜零冨↓富o 一 品 凶 ρ 曽 朗 ψ 一 〇 ︒δこのように観念された主権概念は﹁目に見える具体的支配関係﹂︵中村・前掲二五. 頁︶を意味し︑具体的人格者たる君主に適合的なものであった︒. ※﹁ボーダンが主権の内容として指示したものは︑事実当時のフランス国王が君主に対立する諸々の勢力に拮抗して現実にす. でにその手中に掌把し︑もしくは掌握しようとしっっあった権力にほかならなかった︒﹂︵堀豊彦︑﹁国家権力の絶対性﹂近代. 国家論一巻︑四三頁︶. ︽ルソーの人民主権論︾ このような具体的権力としての主権概念をボーダンの意図を越えて︑国民という主体にか. かわらしめようとすれば︑それは必然的にルソー流の人民主権8薯R亀器富一8冨巨﹃o論︑即ち︑直接民主政か︑又は︑ ※ 命令的委任をもつ代表民主政にならざるを得ない︒主権的権力の持主が君主という具体的人格者であったと同様に︑. 主権者とされる﹃国民﹄もまた具体的人格者としてのそれであらねばならないからである︒ルソーの人民主権論にあ. 前川訳︑社会契約論︑八六頁︶. っては︑主権は個人としての国民︵人民︶︑及び︑その集合体にあり︑彼のあげる例を借りるならば︑一万人で構成さ れる国家においては︑各人民は一万分の一の主権︵﹃分割主権﹄︶を持つのである︵桑原. ※rN幕茜9︒富ぼ①αR忘黛亀8房簿轟塁ψ嵩ヌ甲浮一ω︒鐸≧軽ω欝讐3ω﹄逼斜︸ψo︒違麟私の︑法学ノー ト国際社会と国民の法・一九六八︑一八四頁. ︽第三階級の主権論︾ ところが︑主権概念からしてその論理的正統とも言うべきこの人民主権論は︑近代において.

(23) 抽象化されて行き︑それと似ても似つかぬ﹃国民主権ωo瑳R鉱器8轟ぎきげ論﹄へと変質化される︒それは歴史. 的には︑一七八九年から一七九一年にかけてのフランス革命憲法制定会議において行なわれ︑その代表的イデオ・ー. グが︑コンドルセであり︑シェイエスであった︒では︑一体何故︑このような変質化が行なわれたのであろうか︒. 君主の絶対的な強権に対抗するにあたって︑君主以外のあらゆる階級・階層を自己の側に集めねばならなかったー. それは階級力学の法則的要請であるーフランスの第三階級にとって︑何らかの意味で︑主権が国民にある︑と語るこ. とは必須の政治的ポーズであった︒しかし︑主権の概念に元来込められている現実的権力という意昧で﹃国民主権﹄. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. を発想することは彼らにとっては不可能であった︒何故なら︑現実に国政を左右する権力は︑農民や第四階級を含む. 全国民に︑ではなく︑﹃我々第三階級﹄にのみ所属すべぎものであったから︒ツヴァイクは︑このような事情を﹁第. 三階級は︑国民Z銭暮であらねばならない︒何故なら︑国民が主権者とならねばならないから︒﹂︵勲騨ρ㊤一︒ ︒①︶. と表現している︒このような要請の下では︑主権理論の正統とも言うべきルソー流の人民主権論の採り得ないことは 自明のことであった・. さらにまた︑当時一世を風靡していたモンテスキューの権力分立論は︑当時においては︑今日解するような機能的. 分立ではなく︑政治的対立の妥協理論として︑異なった階級・勢力に対し︑権力をわりあたえるための分立理論であ ※ り︑それは︑彼モソテスキューの混合政体論と不可分のものであった︒. ※﹁権力分立論は君主に避難所を与えるものであった︒﹂︵串浮奮野≧軒望器酔ωrω﹄罵︶結城光太郎﹁権力分立﹂憲法研究. 六七. 入門︑六七i八頁も︑権力分立論の性格を︑a自由主義的性格︑b主権回避的性格︑c社会的権力分立︑という風に列挙して. イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(24) イデオロギ!概念としての憲法制定権力. ※. 六八. つ.さω凍 いるQ<笹●9国轟qP︑.U一〇〇〇箋包富ロ笹冨αRq昌ひqげ色鼠OβけO呂90昌..●一算男8訂Oゲユ津盆﹃ρωOげB答eおq9も. ●O. ψ一一〇︒庸. 当然︑フランスの第三階級は︑この理論を重要と看敏していた︒ ※<oq一.U●N毒茜鉾. 従って︑フランス大革命によって要求されており・フランス大革命によって生み出された国家のアポロジーは︑次 のような要請に答え得るものでなければならなかった︒. ﹃主権理論の正統たる人民主権論のもつ危険性に陥らず︑しかもなお︑主権者は国民である︑と称することができ︑さらには︑. この国家の運営技術としての君主と国民との並存を説く権力分立論とも結合することができ︑しかもこの権力者たる君主と国. む. む. ち. ち. ち. ち. ち. り. む. む. む. ち. も. ち. セ. む. う. う. ち. り. 民とが︑モンテスキューの場合のように︑チェック・アソド・バラソスによる並列であるよりも︑国民を上位に置くことがで きるように配慮できる理論ー要するに︑落水理論型の権力分立機構をもつ国民主権論﹄. このような要請に答えるべく登場するのが︑シェイエスの憲法制定権力宕瑳oぼ8塁砿εm暮の理論だったのであ るo. ※このような時代的課題は︑百年前のイギリス名誉革命のイデオ・!グ・ジョン︑・ヅクにとってとまったく同様のものであ. 9匡9. った︒﹁・ックの国家論がかかわった三つの重大問題︑即ち︑権力分立・自由権・代表制の問題は︑シェイエスにおいてその. ︽シェイエスの国民主権論︾. ままにくりかえされたo﹂一●N譲①碍●騨 .O. 2. シェイエスは︑国民乞銭9に憲法制定権力の存在することを断定する︒そのことによって︑国民は国家構成の根源. たる地位を与えられる︒しかも︑それが自然法的に設定せられることによって永遠的に︒.

(25) ﹁国民はすべてに優先して存在し︑あらゆるものの源泉である︒その意思は常に合法であり︑その意思こそ法そのものであ. ち. セ. ヤ. む. ち. む. む. や. む. も. む. じ. む. む. ヤ. む. む. む. も. ち. む. ち. ヤ. ヤ. む. む. る︒﹂︵大岩誠訳︑第三階級とは何か︑八四頁︶︑﹁国民は唯一つの自然法によって自ら結成する︒これに反して︑政府は人定法に. のみ依存する︒国民は存在する事実だけで︑その欲するすべてのものとなる︒﹂︵八六頁︶︑﹁国民が仮令どんな意思をもっても︑. 国民が欲するということだけで十分なのだ︒そのあらゆる形式はすべて善く︑その意思は常に至上至高の法である︒﹂︵八八頁︶. ヤ. む. ち. ち. や. じ. じ. も. ち. い. ち. む. や. む. セ. む. ﹁あらゆる自由な国民⁝⁝において唯ひとつの方法のみが憲法について生じる論争に結末をつけさせるのであるQそれは⁝:. 国民自身に救いを求めることである︒憲法がなけれぽそれを一つ作るべきだ︒国民だけが憲法制定権をもっている︒﹂︵八○頁︶. しかし︑この﹃国民﹄とは個々の人民の恣意を排斥する真の﹃国民﹄であり︑その意思である﹃真の共同意思﹄. ︵八二頁︶である︒このような国民は自から手を下すことが出来ないので︑ここに必然的に代表制度が導入される︒. ルソーの一般意思と決定的に異なって︑このシェイエスの共同意思は代表され得るし︑代表されねばならない︒. む. ヤ. む. ち. ち. も. む. む. も. む. む. も. む. ﹁国民は︑憲法制定会議の代表を選任して︑その代表者たちに憲法制定権者たる国民の代表として︑憲法典の制定行為を行な. わしめる︒﹂︵八○頁︶﹁代表者は︑その与えられた任務に関し︑常に国民そのものを代表する︒﹂︵九五ー六頁︶. この代表制度により︑﹃国民の万能﹄はそっくりそのまま﹃代表者﹄に︑即ち︑多くの場合﹃議会﹄﹃国会﹄に移譲. む. セ. む. や. も. ヤ. も. ち. ヤ. ヤ. む. ヤ. も. め. も. む. し. む. ち. 思は︑国民自身のそれに相当する・﹂︵九〇ー一頁︶. む. ち. む. め. も. む. ヤ. ヤ. む. む. セ. ヤ. セ. 六九. め. む. ヤ. じ. じ. に独立性をもつ︒彼らはあたかも自然状態における個人の如く︑自己の欲するままの意志をもてば足りる︒⁝⁝彼らの共同意. む. ら独立している︒⁝⁝︹国会は︺憲法を定めるために︑国民自身の代理をするのである︒その点について︑彼らは国民と同様. ﹁もちろん︑国会が国民意思の全権を授けられる必要はない︒⁝⁝しかしこの団体は国民にかわってあらゆる組織法の方式か. されるー﹃譲位した主権者﹄︒. む. イデオロギ!概念としての憲法制定権力.

(26) イデオロギー概念としての憲法制定権力. 七〇. ﹃譲位した主権者﹄は︑その位を譲られた者の全能性を正当化する根拠となり︑又︑それが︑その唯一の機能となる︒. この国民主権論は︑主権を具体的な個人としての人民とは別個の人格をもつ﹃国民﹄という観念的に構成された抽. 象的統一者に所属すると考え︑その主権の行使は︑この観念的構成者たる国民が権能を附与した人に委ねられる︑と. 考える︒この理論によって︑国民主権論とは︑国家の主権的権力を﹃国民﹄という名の下に︑議会構成者.ブルジョ. ワ階級・少数者の組織︑さらには︑個々の人民とは相対立する君主にさえ委ねることのできるものとなった︒. ﹁主権は︑一にして不可分である︒譲渡も得ず︑又︑時効にもかからない︒主権は︑国民口注9に属し︑人民窟一も冨の. 如何なる部分も︑如何なる個人も︑その行使を潜取することはできない︒﹂そして︑﹁代表者は︑立法府と王である︒﹂︵一八九. 一年のフランス憲法第三編前文︶. このように︑元来は具体的人格と結合したものとして提出された主権概念が︑抽象的構成物たる国民と結合して国. 民主権論という理論を形成し︑それがなお正当性をもち得たのは︑そこにおいて構成された﹃国民﹄が︑すべての. ﹃人民﹄を集めたものと合致し得た︑あるいは︑その可能性をもっていた︑又は︑そう人々を説得し得た間のことで. あり︑歴史的には︑ブルジョワ階級が﹃国民﹄としてあらわれ︑しかも︑全人民的であり得た︑あるいは︑その代表. 者であり得た限りにおいてであり︑その合致の可能性の保障が失なわれる場合には︑この国民主権論は︑一部の者の ※ 権力掌握を隠す無花果の葉たる役割しか果たさなくなる︒しかも︑この合致の可能性の失なわれる可能性は︑常に存 在していたのである︒何故なら︑それらはもともと合致していないものだったから︒. ※たしかに﹁主権概念の根本問題は︑事実的な最高権力と法的な最高権力との結合にある︒﹂Oあ魯巨罫℃︒ま零冨↓冨o一粛す.

(27) む. む. じ. ヤ. む. ち. む. ヤ. ち. む. ち. む. セ. む. ヤ. も. ち. も. む. じ. ち. ヤ. ヤ. む. め. ψNSにも拘らず︑﹁国民は純粋に正当性そのものであるo. ヤ. じ. む. む. め. ち. じ. む. ち. ち. ヤ. む. これは何等権力的契機に親しまないQ国民は国家権力を正当づけ. るが︑何ら権力的に最高の決断者ではない︒﹂黒田覚︑目本憲法論上︑一七三頁︑かくして﹁国民主権における国民は︑ひと つのイデオロギー的要請になりおわったのである︒﹂和田英夫︑憲法体系︑ 一〇頁. ※. 国民主権という理論は︑君主のもった絶対的権力の地位に国民という抽象的一者をすえ︑そのことによって現実的. 参照︑私の︑法学ノート一八六頁以下︑昂凶色紹野≧茜即器諺一. ψ曽良灸国民の実体化︾なおこのように抽象的なものである. には︑君主をも含めたあらゆる人々に︑絶対的権力を与えよう︑というイデオ・ギー操作に他ならない︒ ※. 国民が︑あたかも実在するものの如く実体化されて把握せられるひとつの理由は︑﹁君主主権に対する国民主権という概念が対 む. ヤ. ち. む. じ. ち. 立的にもち出されたため︑君主の人格性を疑わない心理がそのまま国民という人格的統一性の存在を容認するということに転. 嫁されているのであり︑ここに問題が含まれている︒国民という主体は︑君主の場合のように見える人格性をもっものではな. い︒﹂中村・主権・四一頁︑このような実体化の適例は︑我国に見られる︒即ち︑天皇主権より国民主権への転換が︑単に国. 家の首・タマとしての天皇から国民への﹃すげかえ﹄的発想において受けとめられ︑かつての﹃天皇の名さえもち出せば何で. もできる﹄式の命題が︑単に﹃国民の名さえもち出せば何でもできる﹄式の命題に転換されるのみで︑﹃国民万能﹄という︑. 応々にして︑支配者のもちやすい権威的発想を︑この︑かつては天皇をあやつり︑現在では国民を自由にあやつれる階層に温. 存させている︒しかも天皇がまがりなりにも具体的人格者として経験的実在性をもっており︑そのための制約が存在した︹﹃英. 断を下す﹄存在とその形式︺のに比べ︑国民は何ら実体をもたず観念にすぎないため︑より自由にあやつることが可能であ. 七一. 院内主義﹄を支えるために呼び出. り︑極端な場合には︑現実の人民が国民という自らの名において圧迫され・弾圧されるという状況が現出することになる︒そ の象徴的表現が︑﹃声なき声﹄を発する﹃国民﹄であり︑政府与党に全権を与えて﹃議会. イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(28) イデオロギー概念としての憲法制定権力 される﹃国民﹄であろうo. 七二. 国民主権の理論が唱導され︑支配的となり︑そして始めて現実化された時代︑即ち︑一七八九年から九一年のフラ. ソスにおいて実際にはその国民主権における﹃万能なる国民﹄とは第三階級のことであり︑より直接的には︑国民公 ※ 会ぎ餓9巴8ロ︿ o 馨 δ 昌 の こ と で あ っ た ︒. ※この国会主権論こそ︑﹃国民主権﹄理論の真実を示すものであり︑ブルジョワ階級における議会主義的共和制の必然と共に︑. 毛9浮oOo諾葺ロけ一言・δ些︒℃るO云9この二重. 胡印昌傷件げoO3の試ε鼠O戸q些も︒一嵩顕今井︑主権の憲法学的研究︑二三一ー七頁︑. それ特有の思想であろう︒その典型的表現は︑︾<●98零ω葺身o賄島oい 主権論については︑一●甘昌昌ぼ鴨・↓ぽい. シェイエス と シ ュ ︑ ・ ・ ッ ト の 憲 法 制 定 権 力. 山本浩三﹁国会主権論﹂同志社法学五号︑田上穣治﹁主権の概念﹂憲法大系二巻九四頁. 3. このように主権の概念は︑ボーダソによる絶対王政︑特にフランス・アンリ三世王朝の専政を正当化するためのも. のであり︑シェイエスの憲法制定権力の概念は︑国民の授権を調達するための第三階級︑特に︑フラソス大革命時の. ブルジ︒ワジーの正当化概念であった︒その憲法制定権力の概念は︑本来主権概念に固有のものであった事実的権力. 的契機を嫌って︑従って︑全人民︑特にその内の最大多数者たる人々︑正当に国民という名を自己に冠することので. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. きる人々の権力掌握の可能性を嫌いつつ︑しかも他方において︑絶対君主に対抗して︑﹃国民﹄という旗印を自己の. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ち. ヘ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 陣営に掲げ得るために案出されたものであった︒従って︑その憲法制定権力というものは︑常に抽象的な︑それ自体. としては常に正しいが︑しかし︑自らは決して行動することのない︑というよりは︑本質的に何ら行動し得ず︑ただ.

(29) ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 現実に行動する者に対してその行動の正当性の根拠を与えるということを唯一の投割としてもつ者とのみ結合し得る. という論理構造をもっている︒もちろん︑このような条件に合致し得るのは︑神か︑又は︑国民のみである︒. もちろん︑シェイエスにおいて︑神をその根拠とすることはできない︒何故なら︑それはまさに敵の最も主要な根. 拠であるのだから︒これに対し︑シュミットにおいては︑このような時代的制約は何ら存在しなかった︒このことが. 国民と並んで神をも︑シュミットの憲法制定権力の担い手として正当に認識せしめることとなった︒. 既に述べたように︑シュミットには︑ふたつの性質を異にする憲法制定権力があった︒いや︑より正確に言えば︑. 神・国民という担い手のもつ憲法制定権力と︑君主・少数者の組織という担い手のもつそれとは︑その性質を異にし. た︒そして︑前者こそが︑シェイエス以来の憲法制定権力論の正統とも言うべきものであり︑それはいわば︑社会契. しかし︑シュミットは︑この伝統的な憲法制定権力の概念に止まらず︑さら. 約論における一般意思<o一自脇αq窪段巴oの実体化されたものであり︑なんら事実・存在・力ではなく︑当為の世界 に住まうものである︒. ︽シュミツトにおける事実性の強調︾. に事実として存在する君主や少数者の組織のもつ憲法制定権力についても語った︒それはまさに﹃憲法を制定する﹄. という歴史的事実の内から抽出されて来た歴史的実在である︒このふたつの憲法制定権力︑即ち︑﹃憲法を制定する﹄. ということの意味するところの違いについては次章で叙べるとして︑ここでは︑このような事実としての憲法制定権. 力と観念としてのそれとを併せて︑憲法制定権力一般を何故彼が事実・存在・力と強調したのかを考えておこう︒そ. 七三. のひとつの理由は︑事実的権力としての主権概念の憲法学的把握として︑それを単に憲法を生み出す過程・力として イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(30) イデオロギー概念としての憲法制定権力. 七四. のみ扱つかえば足りるという憲法学的視野の狭さにもあろう︒しかしそれ以上に︑シュミットにあっては︑ヶルゼγ. 的規範論理主義による法の生成の問題と法の妥当の問題の峻別に対して︑その集約的表現としての根本規範に対し︑. その形式性を打破するために︑権力O①巧巴貯ということばによって︑憲法体系の生成の問題と憲法体系の妥当の問. 題とに対し︑一元的に答えようとしたためであり︑その結果︑法を作る主体を探求する現実的経験的問題と︑法を妥 ※ 当ならしめる主体を探求する観念的正当化の問題とを一括的に把握するに至ったためであろう︒. ※この点で次のホフマンの言は参考とされるべきである︒﹁国法的実証主義に対する反動から新たにされるべぎ法理論及び国. 家哲学の間題として︑再び法の妥当性の問題の内に︑その法実証主義の根本状況を議論しようとする努力から︑シュ︑・・ットの 仕事は理解されるo﹂甲=9旨僧βPい詔三ヨ凶感け碗£8ピo碗巴凶薮eω・田・. シェイエスにあっては︑その国民の有する憲法制定権力は︑法の妥当性の根拠にすぎない︒シュミットにおける神. ・国民の有する憲法制定権力もまた同様の性格を有する︒それはまさにケルゼンの根本規範と同一のものの異なった. 表現に他ならない︒しかし︑君主・少数者の組織の有する憲法制定権力については︑そのように理解するわけには行. かない︒その詳しい説明は次章に譲るとして︑いずれにせよ︑もはや︑憲法制定権力一般について語ることは不可能. 憲法制定権力と﹃憲法典﹄制定権力. である︒ここでも﹃主権の問題は︑主権の主体の問題である﹄という命題は︑正確である︒. 四. これまで述べて来た︑正当化根拠としての憲法制定権力と︑事実としてのそれのちがいを明らかにするために︑シ.

(31) 国家の継続性とドイッ. ユミット自身が︑この区別を怠ったために混乱に陥ってしまったひとつの事例を採りあげてみよう︒ 1. シュミットの理論によれば︑憲法制定権力は国家及び憲法体系の核心を成すものであり︑その担い手が移動する場. 合には︑即ち︑彼の用語を借りれば︑﹃憲法否定<R貯器暮暢くR艮9嘗躍﹄の発生する場合には︑国家.憲法体系 ※ の継続性もまた失なわれるはずである︒. ※<管<R富ωω琶覧 ψOωドもちろん︑憲法制定権力そのものが失なわれるということは︑原理上あり得ない︒それは国家. 一般の消滅を意味しょう︒なお国家の継続性・自同性一般については犀頃Oヨoゑo︐U8国耳雪魯仁昌αq8ωω富讐09竈ωρげ窃. 区呂律巴・目尾高朝雄・国家構造論・三六九頁以下. ︽国家変動の事例︾ 具体的に問題を考察するとして︑今日問題になり得るものとして︑国民の憲法制定権力が君主. のそれへ移行する場合について考えてみよう︒シュ︑︑︑ットは︑そのような例に該当するところのヴァイマル憲法下に. 9一9︶︒従って︑このような例の場合には︑国家の継続性.自同性は失. おいて王政を復興しようとする試みに対して︑そのような企ては﹃憲法否定﹄︑即ち︑国民の有する憲法制定権力の廃 止を意味する︑と述べている︵<&器ω琶豊 なわれると結論して良いであろう︒. 次に︑それとは反対の事例︑即ち︑君主の憲法制定権力が国民のそれへ移行する場合についても同様に考えられる. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. であろうか︒先の事例に対する推論・結論︑あるいは︑シュ︑・・ットの基礎理論からして意外の念を禁じ得ないことだ. 七五. が︑この事例の場合︑シュミットは﹁継続性を認めることが︑民主的憲法の論理鼠のピo磯民①冒霞号ヨ畠鋸けδ9窪 イデオロギー概念としての憲法制定権力.

(32) イデオロギー概念としての憲法制定権力. 七六. <R壁ω撃口騎に合致する︒﹂︵<︒旨器§鴨ご9逡︶と結論する︒そのように結論される根拠は次のとおりである︒﹁何. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 故なら︑民主主義理論からすれば︑国民の憲法制定権力に基く憲法以外に正当な憲法は認められないからである︒従. って︑一般に存続しているすべての憲法を︑国民の︑明示の︑あるいは︑暗黙の意志に還元するき︷畠昌窪絶旨良辱. 3窪&Rω匹一ω9≦o貫o且自譲罠窪8ω<o涛窃N畦膏ζβ霊ぼ窪ことができるのである︒たとえ︑支配︑即︑ち. その意志の行使のやり方が男o讐震き堕ρF&o句窪ヨqR>器ま目ひQ&88薯自一〇拐どのような形式で行なわ れようとも︒﹂︵<R鼠誘琶豊 ω・緯︶. 従って︑上述の結論づけの根拠は︑実に︑﹃国民のー明示又は暗黙の1意志﹄に求められる︒君主政憲法から︑民. 主政憲法へ︑という最もドラスチィックな移行にも拘らず︑なおその国家の継続性・自同性を支持するもの︑それを 彼は﹃国民の意志﹄に見い出したのである︒. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. しかも︑なおシュミットの表現をより詳細に調べると︑この﹃国民の意志﹄は︑明示の︑あるいは︑暗黙のもので. あるに止まらず︑さらには︑﹃推定的な承認﹄でも足りるという底のものである︒彼は語っている︒﹁憲法によって. 規定されている公的生活への単純な関与の内にも︑国民の憲法制定意志<R富器⁝ひq鴨幕且o≦崔①が充分にはっき. ※ りと表現せられていることを推定せしめる行為内o鼻一且o算o国彗良仁躍が看取せられ得る﹂︵<o鳳器窪眞診払曽︶と︒. ※同じことは︑次のギールケの団体法論についてのべられたことばからも読みとることができようQ﹁革命的憲法改正の場合・. 倫理的には命令され︑歴史的には正当化せられるような法の破壊が︑即ち︑法の継続性の破壊が存在するQ法の破壊は存在し. 続けるQしかし︑それは聖化され︑追認的に︑国民の法意識にとっては充分な法的事象によって︑妥当根拠閣oo浮詔≡&を.

参照

関連したドキュメント

(constitutio は、皇帝の制定法とか、後には教会の規則などを意味した)、当初は国家の法一般の 意味で用いられたようである。 しかし、

マイノリティの子供たちは︑マジョリティである英語を話す子供たちと同じクラスに組みいれられ︑必要最少限の

︼WΦP叶げ鋤臼 9鵠侮勾①℃O一.貯○臨 旨仁α晦㊦ω ω叶O村図矯 鼠①けO鋤竃O 鋤昌α..

に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき」,とい

パ  ハ 4847 )  ) ︵49︶ ︵50︶ パ  パ 5251 )  ) パ  パ  ハ 555453 )  )  ) ︵56︶ 商法における企業法理論の意義と役割

 婚姻に関する第 24 条について、自民党案では、家族を基本的単位として

評急<ω一﹂8G 。︶ω。。

2 憲法 13 条の保障範囲を比較的広範に理解する見解 では、憲法