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商法における企業法理論の意義と役割 (東洋大学法学部創設50周年記念号 第50巻第1・2合併号) 利用統計を見る

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(1)

商法における企業法理論の意義と役割 (東洋大学法

学部創設50周年記念号 第50巻第1・2合併号)

著者名(日)

遠藤 喜佳

雑誌名

東洋法学

50

1・2

ページ

81-104

発行年

2007-03-10

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000609/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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商法における企業法理論の意義と役割

  目  次  はじめに 一 商人概念から企業の概念へーーその主張と批判 二 方法論の間題−体系性と類推論 三 商法の自由職業への適用可能性  おわりに はじめに  商法典︵明治三十二年︵一八九九︶制定︶より独立した法律として、新会社法が制定され、平成一八年︵二〇 〇六︶五月から施行されている。これに伴い、既存の商法典の条文やその文言にも変更修正が行われているが、        ︵lV 商法がその基本とする﹁商人﹂と﹁商行為﹂という両概念を中心にした法的な構造には変化が見られない。  しかし、実質的な意昧における商法という観点からは、改められた会社法制をも含めて、﹁商法とは何か﹂とい     東 洋 法 学       八一

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    商法における企業法理論の意義と役割       八二 う問い掛けが再び行われなければならない時期を迎えているのではないだろうか。我国が法の継受によって明治 期に近代法制の整備を行ったことは周知の事であるが、その母法の一つであるドイツ法の領域においても、一九        ︵2︶ 九八年に商法の改正が行われ、さらに二〇〇五年には、ドイツよりも抜本的な形でオーストリアでも商法が改正     ︵3︶ されている。このオーストリアの立法では、企業という考えが前面に登場してきている。そこで、あらためて企 業そして企業法という考えがドイッ法領域の商法分野でどのように取り上げられてきたのかを検討し、その理論 的な背景を探ってみたい。本稿では、そのための手がかりとして、最近我国でも詳しく紹介された司田自切琶浮甲    ︵4︶      ︵5︶ 匹の論稿と之への論評としてなされた代表的な企業法の論者、℃9R勾巴ω魯による対論を中心に取り上げるこ とにする。 ︵1︶

((

32

))

︵4︶  会社が商人であることについて、新会社法では直接の明文化はされていないが、会社法五条と商法四条一項から当 然のこととして論じられている。江頭憲治郎﹃株式会社法﹄平成一八年・有斐閣三一頁、神田秀樹﹃会社法第八版﹄ 平成一八年・弘文堂一二頁参照。しかし、前田庸﹃会社法入門第一一版﹄平成一八年・有斐閣七頁は、これに反 対する。  =園①お<oヨNNφ一8。 。”ωO団一・ロミ合罐弓山旨一ぎω江N弓一8。 。ロ一$旧国。ω9且8Z旨ゑH8。 。﹄一。一.  国四勾︾O“新たな企業法︵dO閃︶は、二〇〇七年一月一日より施行される。く嗅国民昼9d暮R器ゲ日窪招89N− ど魯ω貫簿=O炉N国即嵩。︵N。8︶﹂一。 。。  閏ω琶一冒ω江=睾8びoαRdgR器げ日窪鴇8浮巴ωωo邑Φ壱践奉霞8耳一8ヨ福瀧博之﹁実質的意義の商法と 企業法・序説−団旨浮ω箆の企業法論1﹂関西大学法学論集五十四巻六号︵平成一七年︶一頁以下参照。なお

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 後掲注︵6︶大山﹃企業形成の法的研究﹄四七頁以下でも検討がなされている。 ︵5︶ ℃菊巴ωoFN=勾一9︵お8γψ蜜刈斥 ライシュの見解を紹介するものとして、田中誠二﹁商法の中心概念として   の企業の概念﹂﹁商法の中心概念としての企業の営利性の修正﹂﹃商事法研究第二巻旨九七一年・千倉書房一頁以   下参照。

商人概念から企業の概念へーその主張と批判

1 一九九八年のドイツ商法︵頃O切︶の改正は、複雑化した商人概念の諸規定を整理して、統一化するものでは       ︵6︶ あったが、別の新たな概念−企業概念ーを導入して根本的な改正を図るものではなかった。勾巴ω魯は、一九 六五年に、法律吏的および法解釈学的認識の成果として、ーまず第一に立法者へi歴史上、一九世紀にしっ かりと結び付いたところの、HGB一条以下の商人概念︵丙”亀目彗参び①讐謀︶の代わりに企業者︵¢旨o彗魯ヨR︶        ︵7︶ ないし企業︵d旨の讐魯B窪︶の概念を定めることを提案していた。この概念は、すでにHGBの多くの規定にお いて用いられている︵例えば、HGB二条、八四条を参照︶。付言すれば、その提案は、偉大なスイスの商法学者 のO胃一≦凶o鼠且の考えに遡る。彼は、企業の概念を﹁あらゆる変化にもかかわらず核心において変わらない﹂商 法の、いわば法理論的な、つまり現実に先行または上位する︵<9−&震浮Φε8筐話b︶基本概念とみているので  ︵8︶ ある。企業という法概念をどのように捉えるのか、については論者により違いがあるが、菊巴ω畠は、﹁商法におけ る企業とは、永続を目指す組織された経済的統一体を用いて、独立して、他の市場参加者へ経済的に価値のある

    東洋法学      

八三

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    商法における企業法理論の意義と役割       八四        ︵9︶ 給付を提供するものである﹂と定義している。  囚貰馨窪ω魯邑象は、彼の大いに構想された商法の教科書において、同じく企業概念を主役︵No導轟5閃畦︶と してその基礎にした。そしてこの概念を、自然人から引き離して、次のように記述している。すなわち、企業と        ︵−o︶ は、市場に企業者がそれによって登場するところの組織化された経済的統一体である。  この﹁企業﹂︵d昌①旨魯日窪︶という中心概念を用いて、︻ω魯邑鼻は、HGB一条以下の意味において商人        ︵n︶ ︵囚餌亀目四目︶に結び付けられている商法を、企業の特別私法・外部私法︵︾島①巷試話q9窪︶へと考え直す。こ の計画が単に法政策的なものに止まっていたとしたならば、その後のドイツにおける法学的領域でのしぶとい論 争は、ほとんど繰り広げられなかっただろうといわれる。 2 因巴ω畠は、初めはただ法理論的、法政策的に計画されていた構想プランを、立法者なしで次のようにして実        ︵12︶ 現しようとした。すなわち、肉巴ω昌は1一九六七年に初めて1商人概念に関連した商法の規定を、正真正銘 の企業者︵C旨Rp魯目R︶そのものに伸張させることができるのかどうか、という問題を、建築請負業者︵︼W窪− 目8導魯BR︶と建築職人︵ω雲冨且≦o詩R︶に肯定した。より厳密に言えば、HGB一条二項一号︵一九九八 年改正前規定︶における﹁再譲渡﹂︵ゑ①冨零Φ感島①霊轟︶の文言を狭い言葉の意味から解き放つという方法論的 な手がかりによってこれを行っている。  HGB一条以下の商人概念を越えて、商法規定を類推適用するというテーマを、国巴ω魯は、一九八五年に新た      ︵13︶ に取り上げた。そして企業概念は類推可能性のための指導原理︵○ユ窪鉱R仁鑛ω頃一目邑であり得るというテーゼ

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を彼は繰り返した。一九世紀末のドイツの立法者を、BGB︵ドイツ民法︶とHGBとの間の素材分配において        ︵14︶ 分別ある原則が導いていなかった⋮そして一連のHGBの規定が本来BGBに属していただろう、という以前か らの彼の認識と、スイス債務法およびイタリア民法との比較法的な考察でも役立ったところのある認識を結び付 けて、勾巴ω9は次のように語る。すなわち、HGB規範の、BGBの極めて相似する規範との相一致せる理由 ︵轟江o︶のゆえに、そのようなHGBの規範は、特別に企業との関連付けがなくとも、民事的な法律関係そのもの に、つまりその関係においては、そもそも何ら企業ないし商人が関与していなくても、類推適用ができるであろ う。もちろん、これには規範ごとにその成立史の厳密な分析を必要とする。そしてBGBとHGBとの規範の同 一評価の実例を、一連の取次の法︵囚oヨ一ωω一9段9拝︶の規範が成しており、複利取得︵N旨器鶴冒普魯目①霧︶の       ︵15︶ 法を度外視すれば、交互計算についての規定さえもその例となるだろうと述べる。 3 園巴ω3の見解︵悶8置9︶は、囚ω畠巨島により取り上げられ、そしてより決定的に、就中より一貫して組 み立てられた。区ω魯日一9は、﹃類推の公式/フォーミュラ﹄︵︾轟一〇咀駄興旨9を打ち立てた。それによれば、 HGBの規範は、二つの前提条件の下で、非商人的な企業︵三〇拝訂鼠ヨ9艮零箒d⇒梓R器げヨ9︶に類推適用で きるとされる。一方では、全ての企業の法取引を考慮しているところの規範が間題とならなければならない。他 方では、強行的な保護の考え︵N三轟窪号ω3旨囲8き犀窪︶が類推︵︾墨δ笹①︶を妨げてはならない。彼は類 推できる規範の例として、HGB三六二条一項︵契約申込に対する商人の諾否通知義務︶、HGB一四二条︵一九       ︵16︶ 九八年改正により削除︶、未登記の建築請負業者︵ω蝉⋮導の旨魯日R︶を挙げている。

    東洋法学       八五

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    商法における企業法理論の意義と役割       八六  国ω魯昌鼻は、類推を妨げるところの保護規定︵ωoど9<oお畠痒窪︶として、例えば、HGB三四八条︵違約       ︵17︶ 罰︶、三五〇条︵方式自由︶、三五五条一項︵交互計算︶およびその他若干を挙げている。  このo o9巨鼻のテーゼに対して、とりわけ冒冒Rは根本的な異論を申し立てた。Nα萄Rは、このテーゼを方 法論的に許容できないと言っている。つまり、その適用を営業的企業︵鵯≦R窪3①¢旨①旨魯目窪︶に限定し、 さらにその企業の内でも、もう一度様々な基準に従って差異をつけるということが商法の根本的な決定︵○霊且− 9房魯色身轟︶であるとして、このような限界の設定︵︾9お目二轟窪︶を解釈的に取り除くことはできないとす る。商法においては、一般的な企業の外部法の萌し︵囚①言︶ではなく、その解釈論的な禁止︵8−一農①−一簿甲くRげ9︶ があるという。この禁止は、また法の継続形成の概念、それは多かれ少なかれ、露わな法律への背反︵o凍①器 Ooωの言8⋮霞①ま︶のための魔法の公式であるが、それによっても克服できないとされる。そして、法政策的なプ ログラムとしても、人は溶ω3日置けに従うことはできないし、いずれにしても従うことができるわけではないと ㌧B︶。 レ・つ 4 0き餌ユωは、国ω3露一窪のテーゼを完全には否定していない。O磐巽δは、次のように言っている。すなわち、 企業、または広くそれと同一に帰するものに対する商法の個別的な規範を、﹁商人類似の﹂︵ざ無ヨ磐お跨島9①︶ 人物に対して類推適用することはできる。けれどもそれは、各々の個別の類推について別々の理由付けを必要と するのである。これに対して、企業の外部私法の理論︵島の冨ぼ①<o目︾畠窪虞守簿おo辟α段d算o旨魯含窪︶ は、論証の責任を法律に反する方法で逆転させるものであるという。つまり、企業者︵d暮①旨魯BR︶への商法

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      ︵19︶ の適用可能性が原則となり、その適用できないことが論証を要する例外となる、とされる。        ︵20︶  園巴ω9および囚ω3鼠象のテーゼにより好意的に論じているのは、田ω舞である。すなわち、非常に広範な、 そして全く破綻なき概念︵企業の概念が意図されている︶に限る代わりに、逆に、商人企業︵ざ鼠目9巳ω魯8 d旨Φ旨魯ヨ9︶の概念の緩やかな拡張によって、それは立法者によってであれ、個別の商法規範の類推によって であれ、商法の適用範囲を拡大することの方が、より得策と思われる、としている。そして、商人概念は、たぶ ん企業の外部私法としての商法という首尾一貫した視点においても、無くて済むということはほとんどないだろ うという。      ︵21V  <oωωビωは、法理論的な理由から囚ω3巨鼻を攻撃している。 ︵6︶ ︵7︶ パ  パ  パ  パ

11109 8

)  )  )  ) 勾9  Pゑ一Φ㌶昌口ρ=曽pαΦ一段8拝︸一●切α←一旨3ψO。 o洋ρ一8伊  勺●寄一ω。FO①ωo匡畠島。﹃Φくo醤gωωΦ言琶閃Φpαo鵬旨豊ω畠Φ9巨色品窪§αω一目名彗9琶鵬αΦω国琶α①一段¢ 〇年・信山社一頁以下参照。 正後のドイツの商人概念について﹂明治学院論叢六二九号法学研究六七号六五頁、同﹃企業形成の法的研究﹄二〇〇  正井章搾﹁商法とは何か﹂ジュリスト一一五五号六五頁参照。ドイッの新しい商人概念については、大山俊彦﹁改

0一ωoげ︵句p刈︶︸ωμ旨。  溶ωoげヨこ∬寓蝉pα巴ωおoげ計伊︾鼠冨閃Φ一8Pω●O①’  凶●ωoびヨ凶簿︵閃p一〇yゆo 。一ω.ミ賄h 東洋 法 学 八七

(9)

パ  パ  パ

141312

)  )  ) パ  パ  パ  ハ  ハ  パ 20 19 18 17 16 15 )  )  )  )  )  ) ︵21︶  商法における企業法理論の意義と役割       八八  勾巴ωoF冒ω一8刈ふω鴇h  男ωω戴日OΦど一〇〇 〇ρψ8斥  く鵬一・沁巴ωo戸>げ鴨Φ目巨磯αΦω缶き8醇Φo耳ω<o目再茜Φ注魯窪即8辟営αR内oα庄惹什一9ωひQoω9一〇拝ΦαΦω 一。魯ぼ﹃巨α①冨﹂。露巨α○Φω9一。辟一一9Φくo﹃雲ωω魯N巨磯Φpαo鵬ヨ豊ω畠Φ9巨色諾窪§αω一g零き色巨ひq αoω国簿p血Φ一ωおo拝ρ一〇①伊  くひq一菊巴ω魯︵悶p刈yψNミ律  =効&巴段8窪︵句戸一。ンω。親律  ︵閃p一〇γω・㎝§  N呂器き妻○<8富巳Φ一什α器=四民o一段8算四NO勾一。。 。。 。”。 。曽h  O8Φ=Φ\O磐貰一ρ国きq①一胃Φo辟b一.︾鼠一.一〇〇 。PψO。  Nq目P 犀”q暁円P帥づ目F一ωOげ①昌 dPけΦ﹃β①﹃HP①昌 ご︺P 国蝉昌α①一ω− q⇒α OΦωΦ=ωOげ四暁けω吋ΦOげ戸 一P”○①α帥Oげけ目臥ωωO﹃ヒ一胤叶 国同口ω叶 国. 国マω畠︵一〇8肖Oo 。㎝ンぼωの。くOB問oお魯仁昌閃ωぎω簿暮噛簿腕劇四昌下二昌α=曽昌α①一ωお畠叶”︾昌評麩mH㊤o。ρψU凝赴①Oh Oσ震3ωd幕露魯§串即一く弩8拝琶α註αR幕霞①仔。山Φ8目一。岳叶一ω魯R牢譜Φωけ①=琶讐ロαR勾8浮甲 ゑ一ωωΦ拐oご控甘ω這。 。9。ま噛h溶ω畠巨鼻の応答を伴って、9①ざ一畳9aR葵Φ讐一ω畠R国目風ユωヨ拐巨 dヨ閃鋤昌閃ヨ一け屏o象自N一RけΦ目勾Φo辟四冒ωHOo 。980降

二 方法論の問題−体系性と類推論

1 ω琶ロ房巴は、国巴ω魯および凶ω昌巨舞のテーゼとも、またその批判者であるNα一国R︸O碧巽量<oωω一仁ωと も議論する。閃且一冒ω江が、まず始めに述べていることは、批判者たちも、また商法の規範についての類推適用の 可能性を、適法な類推解釈の一般的な前提−法の欠飲と適切な立法理由ーの下で、受け入れているというこ

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       ︵22︶ とである。それと共に、より重要と思えることは、閃琶巨ω匹が彼の叙述のこの部分において、国玲oに言及して いることである。そのω琶一冒ωζさえも、○き巽δと同じように、企業法理論の支持者は全ての外部の企業の法律       ︵23︶ 事例に商法を及ぽすために一種の推定︵くRヨ旨巨閃︶を設けている︵ω。5︶と考えている。  国ω魯鼠窪は ア・プリオリ︵先験的︶に与えられた商法を考えているが、しかしそれは、ただ法欠訣を塞ぐ 仮説のみが可能であるだろう、というく○ωω一諺の非難に対しては、㊥琶一冒ω匹は、そのような間題の提起は、ほと んど実りのないものであるとして、実質的な核心においては、本来、次のような特別な法論理的間題、すなわち 現行の法体系は、単に法律および慣習法の実定的な個別規範からのみ成り立っているのか、それとも其れ︵現行 の法体系︶は、これらの規範の認識可能な根拠や理由そして全ての法制度と法領域の一般的な指導原理︵一α6ユ亭 N嘗9︶をも包含しているのかどうか、という問題のみが重要であるとする。ω琶浮ω試は、それらの現実の社会 的な有効性のために、後者それ自体は、明らかに、具体的な個別規定と同様に﹁現実の﹂認識の﹁実際的な﹂対 象であるとしている。 2 次いで、劇胤巨ω匹は、根本的な法原理︵&①胤目量日Φ旨巴窪因9拝ω讐目房簿器︶という彼のテーマを取り   ︵24︶ 上げる。商法の文献は、たくさんの商法の特徴や﹁特性﹂︵○匿轟簿R一ωこざ︶を苦心して明らかにした。それらは、 時には原則として表され、そしていずれにしても、容易にこの法領域の指導目標としてまとめることができると いう。すなわち、法律関係の迅速かつ簡易な創設と清算︵国畠昌巳目閃§α︾び註畠ε轟︶、その法律関係の自明 の有償性、公示︵勺暮一鼠富亀という格別の手段により強化された法的安定性、一般的には、取引の安全と信頼

    東洋法学       八九

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    商法における企業法理論の意義と役割       九〇 の保護、並びにより厳格な注意の要求とより厳格なその他の帰責の可能性である。その点に関しては、今日なお 読む価値のあるとされる国Φ良の教授就任公開講義︵︾算葺富<〇二①霊畠︶1なぜ民法から分かれて商法がある  ︵2 5︶ のか? に国琶一営ω匹は、はっきりと言及している。この商法の基本的な考え︵冨一眞①呈民窪︶は、商人概念、 したがってまた商人企業︵冨鼠ヨぎ巳ω380艮Φ旨魯導窪︶の概念には明らかに左右されないとする。それどこ ろか、この考えは、何人かが独立に、継続して、営利の目的で、生じうる利害関係者の範囲に給付を提供し、よ って彼の者が、幅広い営業の経験を積み、そして典型的に多数の、広範に同種類の取引となるような所において は、どこでも実際に当てはまるという。このことは、任意のその他の、つまり非商人の種類の企業の場合にも、 商人の場合と全く同じように当てはまるとする、例えば、大工、理髪師、映画業、税理士、医師、弁護士などで ある。︵ω■一。 。︶この現行商法の本来の指導原理︵い魯ヨ輿ぎ窪︶は、一貫した理解と適用の下に、商法上の規則の 企業一般への原則的な拡張を必要としている。︵ω。5︶ 3 しかし、閃旨獣ω匹は、間題となっているところのこの重大なる方法論的な建自書︵U窪冨oぼ俸︶を、企業 法理論は覆い隠してしまったという。なるほど企業法理論は、重大なる意味のある﹁原理﹂︵ギ一目6︶または、こ れと同意義であるとされる﹁法の継続形成の目標﹂︵園9窪獣93ま目鴨N一9iすなわち企業︵母ωd算①旨魯− 目窪︶に依拠しているとされる。しかし、この企業は、同時に一定の現実事象を描写するところの法概念としても 特徴付けられている。だが、ある現実事象︵国①巴9ぎo目魯︶が同時に法原理や法の継続形成の目標、つまり法学 上の論証における規範的な前提︵Φぼ①昌自唐蝕奉勺感且ω器︶であるとすることはできないとされる。もし、商法

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の全体系から企業理論︵q旨Φ毎魯B①霧跨8鼠Φ︶を徹底して考えることを望むならば、その場合には、特有な原理 ︵多数である!︶のそれに属する基層︵ω98窪︶ーこれは現行法では首尾一貫して十分には述べられていないと されるーをはっきりと示さなければならないとする。︵ω●8︶  切琶浮ω民は、もし企業法理論をそのように続けるとすれば、この理論に、原則的には、とりわけ立法論的には ︵8ざ鴨HR9量︶賛成しなければならないという。︵ω。謡︶しかし、企業法理論はまさに立法論的に、そして法の 継続形成的にだけ用いることはできないとされる。なぜならば法律の欠訣という必要条件、そして全く一般的に、 ﹁提案された法律の限界﹂︵一①図−冨9φお目o︶が顧慮されていないからであるという。企業法理論の批判者が完全 に明らかにしたのは次のことである。すなわち、商法に関して、この理論を総合的に一般化することは﹁曖昧で ない法律の内容と、そして立法者の意図、それは入り組んだ、複雑な商人概念によって、とりわけ境界設定の確 実性︵︾9お目巨鵯ω8冨浮①一け︶を進めようとする意図とも、架橋し難い矛盾﹂があるということである。本来、 そのことに何も付け加えることはできないという。︵ω●困︶体系的に、また単にある程度の、まとまった外部的な特 別私法としての企業法は、いずれにしても法律学によって、方法論的に正当に法に反しては展開することができ ないとする。︵問p望碧ψミ︶  菊巴ω3によれば、国琶一冒ω江は、いずれにせよ立法論的には商法の中心的形象としての企業概念に賛成してお り、彼の原理論に基づいて、別な風に企業理論を基礎付けているのだという。そして、このような指導的な側の       ︵26︶ 賛同は、﹁企業理論家﹂︵d旨①旨魯目①畠跨8おけ涛R︶として喜ぶのに、十分なるきっかけになると評している。     東洋 法 学      九一

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    商法における企業法理論の意義と役割       九二 4 ω覧浮ω匹は確かに企業法論を立法論的には承認していたが、しかし企業︵又は企業者︶という概念を解釈に より、とりわけ類推により、解釈論的に︵号一畠①冨鈷︶商法の名宛人にすることは拒否しており、囚ω9巨舞と 国巴ω9の立場を攻撃する。  閃琶一宮ω匹は、全ての方法論者と同様に、類推を補完的な法の継続形成の道具として許している。法律の﹁計画 に反する不完全性︵巳碧三魯蒔①d毫o房感民蒔箒ε﹂の意味における法の欠飲は避けられない。これは、次のこ とを意味する。すなわち、﹁ある法律事件がすでに解釈されている法律に従っては評価判断できない︵留︾ωO㊥︶、 がしかし⋮⋮法的には法律効果を確定するという意味での評価判断を必要としている﹂。平等の原則︵O一①8浮簿ψ ω鉾N︶と結び付いて、﹁計画に反する不完全な﹂︵筥彗三箭蒔巨<o一涛o目目窪9︶規範の立法趣旨︵惹匡o一①咀ω︶ は、法規範の法律効果の命令を法的に直接には規律されていない事例にも及ぼすことを要する。方法論的な道具       ︵27︶ は、類推解釈︵︾轟一〇笹80巨昌︶である。切琶臣ω江は、その限りで、関係する文献に、とりわけ○き巽冨に、彼       ︵28︶ は法の欠鉄にとても詳細な調査研究を捧げたのであるが、言及している。  斯様に、類推はすでに昔より定義されていた。もっとも、それは初期の法的思考においては、類推という表示 の下にではなく、類似解釈︵>げ巳一3ぎ誘零巨言ω器︶、なかんずく拡張解釈︵島Φの簿9ω貯窪ぎ8壱H9簿一目︶の 論証類型の下に扱われていた。それは、その今日における呼び名を十六世紀の半ばにようやく得たのである。も        ︵29︶ ちろんその使用に結び付いている間題は変わることもなしにである。 5 独自の法学的な解釈方法としての類推︵︾冨一〇讐Φ︶という名称表示は、一五九〇年に国○薯Rによって初め

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て用いられた。しかし、それは欠訣の補充︵︾仁ω露一冨轟<9い曽良窪︶という今日的な意味においてではなく、 法律上の矛盾の除去・調整︵︾岳笹Φ8ど鑛︶という意味においてであった。つまり今日的な意味における体系的 解釈︵ω冨8巨魯δ9Φ>器一①讐巨㎎︶に比べることのできるものであった。しかも↓窯9旨が一七九九年の彼の ﹁↓箒霞冨αR一〇笹ω魯魯>房一①讐轟号ω3巨ω99国9洋ωーローマ法の論理的解釈の理論﹂で、類推という        ︵30︶ 概念をはっきりと拡張的解釈︵壁亀①ぎ窪8︾拐一畠琶磯︶と同等に扱うまでは、そのままであった。今日の方法 論が今なお引き合いに出すところの留く蒔昌にとっては、類推とは結局、欠鉄を充填する道具である。類推によ る法発見︵菊8辟昌区目閃︶は、彼によれば、二つの段階で現れる。﹁まず第一に、新たに、今まで知られていな い法的な関係が、それについては、したがって従来の形成された実定法には、法律制度が典型としては含まれて いないのだが、出現する場合である。この場合には、そのような典型的な法律制度は、すでによく知られている ︵法律制度︶との内面的な類似関係の法律に従って、新たに形づくられる。第二に、はるかにそれは頻繁であるが、 すでによく知られている法律制度の内で、個別的な法律問題が新たに生じる場合である。このような間題は、こ の制度に属している法命題との内面的な類似関係に従って答えられなければならないだろう。そのような目的の ためには、個別の法律の根拠・理由への正しい見方が非常に重要であるだろう﹂。  つまり、類推は﹁法の予測された内的な帰結﹂に因るのであり、それは必ずしも単なる論理的なものではなく、 ﹁むしろ同時に、法的関係およびその典型の実際的な性質の全体的な観察︵Ooω㊤日鼠房o富巨轟︶から出てくると       ︵3 1︶ ころの、有機的な︵○茜碧一零ぎ︶ものなのである﹂。それと並んで、ω㊤<蒔昌は、拡張解釈を知っている。しかし

    東洋法学      

九三

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    商法における企業法理論の意義と役割       九四       ︵32︶ 彼は、これをそれほど明確には類推とは区別してはいないのである。 6 類推の成立史の締め括りとしては、類推はつまるところ、体系的解釈の下位事例︵d旨R貯εである、とい うことに落ち着く。﹁小さな﹂類推iある一定の規範から出発し、その規範にはっきりとは含まれてはいない事 例にまで伸張される︵個別類推︶  は、留︿貫昌の第一の類推の場合であるところの﹁大きな﹂類推︵法律若し くは法の類推︶と同じように体系に適合しなければならない。つまり、一つ又は幾つかの規範の根本思想︵9琶阜 鴨量爵①︶が規制されていない事例︵欠訣&①い骨ぎ︶に﹁適合している﹂︵冨窪︶場合には、評価の同等性        ︵33︶ ︵ωo≦R9轟茜一①8浮簿︶を指し示すところの諸事例の﹁類似性﹂︵>巨汀算①εがあることが常に重要である。  以上のような方法論における分析を踏まえた上で、園巴ω3は、﹁何が、このことから、商法の民法との関係につ いて、そして企業ないし企業者の概念との対比における実定法上の商入概念について、導かれるのか?﹂﹁この場        ︵3 4︶ 合には、どこに欠訣があるのか?﹂という間題をあらためて提起している。 パ  パ  パ  パ 25 24 23 22 )  )  )  ) ︵26︶ 国蝉且Φ一ωひQ﹃ΦωΦ9Φ巴ωO器一一Φα①ω霊茜Φ益魯窪勾8辟ρΦぎωΦ一け轟ひQ﹃Nξい①訂Φ<8αR︾昌巴○ひQ一ρH。ω伊  ︵ω●⋮︶の表記は、以下ω琶一ぎω匹︵閃P“︶の頁数を示す。 害包蝉ヨΦ旨巴Φ勾①o算ωひQ﹃歪巳ω簿Nρ一。。 。。 。。 國Φoぎ巧8﹃巴びぴΦωけΦ9Φぎ︿opαΦヨび費肉Φ岳o冨昌勾8耳ΦひQ﹃Φω○づαΦほΦω=蝉&巴ω冥一話賃①。辟”>免。ρ ︵お8ンおo 。顕 園巴ω畠︵勾p㎝ンω。零一.

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パ  ハ  パ  パ  パ  パ 32 31 30 29 28 27 )  )  )  )  )  ) パ  パ

3433

)  ) ︼W琶一営ω貫冒岳冴畠①ζΦ夢oαΦ巳ΦぼΦ琶α閑8辟ωぴΦ嬢鋒一㊤。 。ρω●ミ罠, U一の菊Φωけω9一一q昌閃<○昌い爵o犀①昌一日OΦω①9博N。>鼠一μOo 。ω”びΦωopα段ωω。置︷h 園巴ω魯︵浮.㎝ンψ竃ω9 く閃ど&ΦN●>亀一4一〇 〇〇ρω●目o o● ω麩貫昌”砕ωけΦヨαoω冨q凝g&B一ω号窪殉8窪ρH口。 。参ω●N。昆. く屯註RNβ寄一ω魯\匡器ω9︾昌巴。笹Φ自冒Φ蒔窪R︾琶Φ鵬琶暢8宕鳴日名Φ喜霜Rび巴ω国R窪ω8三R昌閃 仁且9きoρ男ωゑ①旨R望巳ωoダ一。。 。Pω。曽伊 勾巴ωo﹃︵司戸αγψ㎝誤h 勾巴ω魯︵寄.㎝γω・竃㎝● 三 商法の自由職業への適用可能性 1 勾巴ω3は、先の質間に対して、BGBの立法者もHGBの立法者と同様に、完全なる、欠訣のない法典の編 纂を規格化していたという回答が行われるためには、BGBそしてHGBの創作にあたって理想的な立法者が働 いていたということが前提となるであろう。そして、それは、およそ全ての市民に対して適切で相応しい規範の みをBGBに納め、HGBには、もっぱら商人に対してのみ適切であるところの規範のみを納めたであろうとす          ︵35︶ る立法者であるという。しかし、より詳しい分析が示すのは、商法と民法との問には納得のいくような分別の原 理︵>鼠お匿⋮鴨冥旨且づ︶がないということである、とし勾巴ω魯は次のように述べる。商法の歴史は、ドイツで はードイツ連邦︵αR留暮ω9Φω目α︶の統治下でーまず統一的商法、つまりオーストリアにおいても発効し

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    商法における企業法理論の意義と役割       九六 たところの一八六一年のドイツ普通商法典︵︾U頃Oω1︾一一ひQΦ日o営8U①暮ω魯8国碧8一ω鴨器旨ど9<。一・ 。曾︶を       ︵36︶ もって始まった。ようやく四十年経って、BGBが、これと調整されたHGBの修正を伴って、登場した。BG Bの法典編纂は、十九世紀の半ばにおいては政治的に実施できなかったので、法律行為に関するたくさんの規定 が︾∪国○閃へ収められた。その後、それらの規定はBGBに、特に総則部分へと移された。しかし、すでに一八 六一年以前に、商法と民法との間の分かりやすい分離の原則︵ωo邑R震一目邑が欠けていた。いわゆる自然法の 法典編纂︵乞簿瑛おo拝玲o島ゆ屏◎叶一目窪︶ー一七九四年のプロイセンの一般ラント法︵︾い勾︶、一八〇四年と一 八〇七年のフランス民法典と商法典︵Oo8Ω<8FOo号800日目R8︶  は、様々な量の商法の特別規定 を含んでいた。とりわけ、一八コ年のオーストリアの一般民法典︵︾困○ω︶は、ほとんど含んでいなかったの   ︵37︶ である。 2 ドイツでは、国家連合︵ω鈷讐o昌⋮α︶からビスマルクの連邦国家への変換の後に、BGBの準備作業が始ま った。そして、﹁民法典のほかに、さらに別個の商法の法典編纂がそもそも必要であるのかどうか﹂、﹁もしそうだ としても、二つの法典の間の法律素材︵勾8辟霧8きをどのように分けることができるのか﹂という根本的な間 題が生じたのである。スイスとは対照的に、このスイスでは比較的僅かの散りばめられた商法の特別規定を伴っ た統一的な債務法という考えが受け入れられたのだが、ドイツにおいては、法政策的な思潮が、とりわけげ①<営 Oo匡ω9ヨ一鼻の影響の下で、二分割︵①ぎ①N名①ぎま渥︶を採ることを決めたのである。しかし、同じくその二分 割の基礎に納得のいく分別の原理はなかった。Oo置ω魯巨窪と彼の弟子である覆&震にとって、商法はむしろ一

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種の﹁民法の若返りの泉﹂︵冒鑛びヨ目9α8区お①岳oげ窪園8辟ω︶だった。それは、商法と民法との間の相対 的な関係に帰着するに違いなかった。なぜならば、商法は時には多く、時には少なく、同一の特有な法命題や法       ︵38︶ 制度を含んでいたからである。 3 国巴ω魯は、商法と民法との歴史的な成立の経緯を明らかにした後、間題点を次のように整理し、さらに具体        ︵39︶ 的な喫緊の課題について論じている。  つまり、間題であるのは、立法者の理性の足らざるところ︵勾簿一〇白曾犀窪︶、立法上の矛盾を法律学や判決が、 解釈や法形成という手仕事の道具を使って、斯様な立法上の﹁欠敏﹂︵い宥犀9︶を塞ぎ、不完全な点を直すことに よって補整することが許されるのかどうかということである。そして、このことは、取りも直さず、﹁商人概念の 代わりに、企業ないし企業者︵d旨Φ旨魯ヨ窪訂妻d導①旨魯目R︶という概念を採用するという立法者への正当 な法政策的な要請を、立法者がこの問題の解決を未だ近いうちにはできないことが明らかである場合には、現行 法上、解釈によって先取りすることができるのかどうか﹂という間題に至る。立法者が、例えば、不断の焦眉の 課題を片付けなければならないことから、この間題を解決することができないような場合に、法︵3ω園9拝︶を 継続形成することは許されるのか? すなわち、そのような事例領域において、もし立法者にこの間題に献身す る時間があるならば、立法者の同意が想定し得ることが明自であるような修正︵囚o睡①葬自窪︶を施すことが、裁 判所には許されるのかどうかということである、とする。       ︵40︶ 4 勾巴ω3が、以上の法命題のための具体的な検証事例として掲げる間題は、自由職業に対する商法の適用間題

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    商法における企業法理論の意義と役割       九八 である。なお、自由職業を巡るドイツの法律事情は、近時の立法によって勾巴ω9の前提としたものとは若干変化 しており、ここで補足的な説明を行う。すなわち、一九九四年に自由職業の共同経営を図るための組織としてパ ートナーシップ形態の結社を認める立法︵勺貰9Rω魯母誘鴨8房魯臥砕招8Φ訂︶がなされて、民法の組合と人的商 事会社の両法制を基礎にした経営組織が用意された。この法律では、その対象となる相当数に亘る自由職業の一 覧カタログが明示されており︵留︾募b評旨OO︶、またこのパートナーシップ︵b巽9R総冨εが商営業を営 むものではないことも規定されている︵留︾房μω簿NN勺霞けOO︶。  さて閑巴ω魯によれば、ドイツでは、自由職業は、立法者により部分的に、例えば弁護士、医師、公認会計士の         ︵41︶       ︵42︶ ように示されている。自由職業は、周知のごとく、営業︵○①類R幕︶とは見なされていない。したがってこれら の職業は、商営業︵国きαの一ωひq①妻R訂︶ではなく、それらは商法の下にはない。自由職業人が営業を営んでいない        ︵43︶ ということの理由付けは、利得の意図︵○①≦一目筈ω89︶の欠けていることを論拠としている。しかし、この意図 が営業の必須の概念メルクマールであるのかどうか、ということを勾巴ω魯は疑わしいとするが、大半の学説そし       ︵44︶ て連邦通常裁判所︵ωO国︶も利得の意図に固執している。  さらに、例えば、フリーの芸術家、作家、通訳、家庭教師のような、その他の職業も自由業に入れられる。こ れらの職業は営業ではなく、したがって商営業でもないので、また商法も適用されない。  勾巴ω魯によれば、歴史的な分析は、利益獲得の意図︵Oの&目①鼠巴§磯錦房8辟︶が営業概念に必要であるとす       ︵45︶ る見解に根拠のないことを示している、とされるが、法律学と法律実務における多数は在来の見解に従っている。

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5 だが閑巴ω号は、現在のところ、いわゆる自由職業が商法の適用から一貫して排除されているわけではないと もいう。すなわち、立法者が一定の商法上の会社形態を許すことを通じて、商法が適用されるところの自由職業       ︵46︶ がある。公認会計士や税理士は、そのようにして全ての商法上の会社形態を利用することができる。これに対し て、薬剤師は合名会社︵○=○︶のみを選択することができ、その場合には、薬剤師は連邦通常裁判所によれば、        ︵47︶      ︵48︶       ︵姐︶ 商人に入れられる。これに対して、医師と弁護士は従来、民法上の組合の形式のみで提携することができた。も        ︵50︶ つともヨーロッパ共同体︵国○︶の加盟国に対してヨーロッパ経済利益団体︵国妻Hく︶が公開されて以来、弁護士の 団体に独特の形象が現れている。つまりEWIVは、ドイッ連邦共和国においては、そのために公布された施行 ︵51︶ 法により、商事会社と定義されており、したがってHGB六条一項︵法形式による商人︶によりこの会社には全        ︵52︶ ての商法︵寓Oω︶が適用されるのである。        ︵5 3︶ 6 以上のような法律状態を前にして、勾巴ω畠は、次のように間う。  EWIVの方式で組織化され、国境を越えた弁護士の共同経営体︵︾づ類巴誘ωoN一9警窪︶は商法の支配下にある のに、そのようなヨーロッパ的な関連のない弁護士事務所︵︾嵩名巴富ざ自蚕9︶は、商法に服するという可能性 すら有しないということは、基本法三条︵︾拝。 。OO︶に違反している。 平等原則に触れるところの斯様な一貫 性のないことは、立法者がこの間題に動かないとしたら、甘受すべきものなのか? この場合に、我々の法治国 家における独立の権力である司法︵即9鐸8お畠⋮ぬ︶は慎重に修正を行う権限を持ってはならないのか?  勾巴ω3は、企業の形態において、つまり組織化された経済単位の最小方式の存在をもって営まれているような

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    商法における企業法理論の意義と役割      一〇〇 自由職業には、商法の規定を場合に応じて、ケースバイケースで適用すべきだろうという。自由職業の経営共同 体は、ずっと以前から、商号︵固﹃目9︶を、HGBが商人に対して予定しているのと同じ様に扱うことに移行し       ︵5 4︶ ていたとされる。但し、勾巴ω号は、自由職業にHGBを一括して適用することを性急には擁護すべきでないだろ うとも言っている。つまり、実定法上の規定が自由職業の活動を定めている限りでは、それらの規定がHGBに 優先する。例えば、その例は、連邦弁護士法︵切⋮8段9辟ωき≦聾ω9身⋮の︶の四四条︵吻潰ω勾︾○︶である。 この規定によれば、職業上、仕事を要求されて、そしてその依頼を引き受けるつもりのない弁護士は拒否を即時 に表明しなければならないとされる。弁護士は、この表明の有責なる遅滞から生じるところの損害を賠償しなけ        ︵55︶ ればならない。この規定はBGB六六三条とHGB三六二条に対する特別規定である。しかし、そのような特別 規定がない限りは、因巴ω魯によれば、企業︵O耳Φ毎魯目9︶に相応しい、適切であるところの商法上の諸規定を、 企業的に組織化された自由職業に適用することについては何の懸念もないのである。もしそうでないとすれば、 次の様なおかしな矛盾が生じるという。すなわち、ヨーロッパ的な関連のない弁護士の経営共同体︵>づ類聾甲       ︵56︶ ωoN一9警窪︶はその購入した事務用品についての毅疵担保請求権を行使するのに六ヶ月の猶予期間がある︵二〇〇 二年改正前BGB四七七条︶のに対して、他方においてEWIVの方式での経営共同体は、HGB三七七条によ り、もしその暇疵担保請求権を失いたくないとすれば、直ちに検査して、責間しなければならないのである。そ       ︵57V れには何の正当な意味もない。

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パ  パ

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)  ) ︵37︶ ︵38︶ パ  ハ

4039

)  ) ︵41︶ ︵42︶ パ  パ  ハ  パ 46 45 44 43 )  )  )  )  Oo匡ω魯巨鼻=き象8げα①ω国四区①一ω89けω﹂﹂W血・る.︾鼠一‘一。 ぼど且Rけ口。①N.  寄一ω。Fu一Φ︾9お目琶閃住Φω一浮&Φ一ωお。洋ω墜ヨσ霞ひQ﹃亀一9窪響9け曽一ω内o段爵呂gω窟○げ一Φ日ぎ一ε甲 ﹃概観ドイツ法﹄一九七一年・東京大学出版会一一九頁以下参照。  ドイツ普通商法典の成立史については、服部栄三﹁商人主義・商行為主義とドイツ旧商法﹂鈴木・五十嵐・村上編  園巴ω魯︵閏p㎝γωひ誤● 。刈μω’ら 。。舞旧囚,ωoげ巨辞U器国O一W琶α蝕Φ O紹窪≦巽けω蝉仁凝菩窪αΦω=きαΦ一ωおo耳ρ一〇〇 。G 。●  園巴ωoび︵句pq︶︸ψ竃①臣。  自由職業についての文献として、植木邦之﹁自由職業とその事業者性﹂法学新報一〇五巻六・七号五九頁以下、大 村須賀男﹁独禁法における自由職業の事業者性﹂ジュリスト六二八号一〇七頁以下参照。  連邦弁護士法閃勾︾○の二条一項は﹁弁護士は自由職業を営む。﹂と規定する︵留>び巴ゆ巨8巽8耳器p薫巴富o益− 壼轟︶。同じく公認会計士についても︵留>び器ψ一ミ葺零富津ωロ同鼠Ro益壼轟︶規定がある。その他、自由職業 を列挙する規定︵留︾げ巴℃四辞OO︶もある。  連邦弁護士法国国︾○の二条二項は﹁弁護士の活動は営業ではない。﹂と規定する︵留>富bω琶8霞8馨鐙昌名巴串 o巳壼鑛︶。同様の規定は、医師・歯科医師・税理士・公認会計士・公証人等にある︵留︾富bω琶号ω>ρ留︾げψ “N魯嘗①臨ざ呂Φρ㈱器>訂﹄ω簿昌ω8器ぴΦ吋ρ留︾訂﹄ω讐鵠巧算曽訂一房質鋒Rρ留ω彗湊閃ZgO︶。歯 科医学の事業に関する法律︵○ΦωΦ訂まR象①︾拐昏巨鵬αRN9 。げ嘗色ざ区①<o目5>o﹃出お。 。刈︶では、歯科医師 が自由職業を営むとはせずに、歯科医学の事業は営業ではないと規定している︵留︾募妹N魯昌亀ざ且ΦO︶。  ○Φω。言ΦωげΦ嬢雪α毒閃N霞団§山Φωお。算ω讐語一けωoこpq鑛一。α。 。”㊥り∪旨良ω魯目\屋ρψお。  く閃一ゆO=No 。G 。”G 。o 。Rh二pαωO鵠N3”一9律  く鵬一菊巴ω畠︵男pNγψ旨①独  吻ミ潮葺零冨雰肩無R・巳昌凝﹄おω8器ぽR簿R鴨8貫 東 洋 法 学 一〇一

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パ  ハ

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)  ) ︵49︶ ︵50︶ パ  パ

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)  ) パ  パ  ハ

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)  )  ) ︵56︶ 商法における企業法理論の意義と役割 一〇二  ㊥O=<.N9富昌q巽一〇〇 。ρ2旨譲HOo 。ω”NOo 。陳。  弁護士法人については、改正連邦弁護士法︵一九九八︶によりドイツでは一九九九年三月から有限会社形態の弁護 士会社の設立が認められている。坂田吉郎﹁諸外国の弁護士法人法制について﹂自由と正義五一巻八号三八頁以下、 丸山秀平﹁弁護士法人について﹂法学新報一〇八巻九・一〇号五九三頁以下参照。弁護士の様々な経営形式について は、<騨寄器ユ畠\≦身ご且”劇園>○内oヨB①導鐸9︾鼠一﹄。貫ω。9。 。まこの他、有限会社形態を利用できる自 由業としては、建築士、エンジニア、税理士、公認会計士、医師などが挙げられる。  ω鼠且o段”U一①︾⇒≦巴富ωoN一Φ感“閃ω勾oげΦ旨田ωoげ2一零Pω知ミF眺費良Φ曾N島畠①Oo目Φぎωo﹃臥けωRm蝕ω ︼WO=N。刈bお律恥冨oF男g日窪眺邑げR魯一倉ΦHN拐曽ヨBΦ轟昔①ド9ωω■冨目9窪H零9  この団体については、B.グロスフェルト︵山内惟介訳︶﹃国際企業法i多国籍企業組織法1﹄中央大学出版 部一九八六年四九三頁以下、同︵丸山秀平訳︶﹁ヨーロッパ会社法﹂川添・小島編﹃ドイツ法・ヨーロッパ法の展開 と判例﹄日本比較法研究所一九九九年五五頁、正井章搾﹁ヨーロッパ経済利益団体iEC法による超国家的企業形 態﹂姫路法学一号五一頁参照。  くo目置9︾胃一一這o oo 。”ω○ω一.H。ω■Nお。  ωRぴ錯9Φ①ξo冨一ω畠①且辞ω。冨津一一3のH旨RΦωω窪<RΦ巨閃琶堕お。 。。 。甲蜜自R\の轟窪σ①茜g呂≦一。。 。P 一魔O律  菊巴ω魯︵男p㎝ンo o。㎝ミ甲  ωけΦ一&o良”甲①凶①一WΦ霊脇Φ1ω什一Φ穿日αRαR勾8﹃叶ωo巳量鑛し。βψN。 。願  ㈱ω爵国O切は、契約の申込に対する沈黙︵ω畠矩Φ蒔窪︶が承諾と看倣される場合の特則を定める。㈱①。。 。ω○切は、申 込に対する諾否の通知義務を規定する。  ドイツ民法に関しては、債務法の根本的な改正︵二〇〇二年一月発効︶が行われている。担保責任の期聞について は、動産で引き取り時から原則二年という短期時効期間を定める︵貿。 。。 。閃○団︶。半田吉信﹃ドイッ債務法現代化法概 説﹄二〇〇三年・信山社二七六頁以下、四一四頁参照。同改正を扱うものとして、﹁特集ドイツ民法改正と消費者信

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 用法制﹂クレジット研究三〇号など。 ︵57︶ 閃巴ωoヶ︵閃Pαγψ零o o。 おわりに  園巴ω9が方法論的課題を中心にして論じた以上の議論の展開の中で、彼は現行法の解釈そして立法を導く指導 原理としての企業ないし企業法理論の役割を明らかにしたといえる。そしてあるべき方向への立法が行われてい        ︵5 8︶ ない段階での法解釈について、彼は最後に次のように述べている。立法権︵&①ひq89囲3の巳①○Φ妻曽ε、議会が 適時に必要な回答を出さない場合には、補助的な修正の決定機関として司法権︵9Φユo拝①急o冨○Φ妻餌一け︶の権        ︵59︶ 限・管轄範囲︵因o目需$目︶が議論される。この点について、連邦憲法裁判所は、次のような回答をした。すな        ︵60︶ わち、﹁法典の老齢化﹂︵≧9旨α段囚a田訂江自︶に伴い、法律の下命︵Oのω①9①筈臥①9と裁判所による個別 事例の裁判との問の時間的な問隔が大きくなると共に、必然的に、裁判官の法の創造的な継続形成についての自 由︵&①写①ま①津α8困o拝①おN弩零ぎ鳳Rδ魯9司o#謡匡目閃αoω勾9窪ω︶は広がる。その際、裁判所が私法 において広範囲にわたる方法の自由︵置①甚&①嘗お注①δを許されたのは、その結論が﹁私法上少なくとも議論 の余地はあるが、ともかく私法の法解釈学︵国RB窪Φ暮篤︶の法則に明らかに矛盾しない方法で獲得された場合 ︵61︶ ⋮﹂である。  本稿で取り上げたω琶浮葵と閑巴ω3の論文から早十余年の月日が経つ内に、ドイッ法の領域においても商

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一〇三

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    商法における企業法理論の意義と役割      一〇四 法、民法をはじめ、各論文中で言及された諸種の法律について改正や廃止、立法という様々な動きがあった。そ して新たに二〇〇七年からオーストリアで施行される企業法︵qO切︶では、企業を、﹁利得の目的を問わずに、独 立して経済的な活動を継続的に企図する組織﹂として定義し︵留︾房﹄dOω︶、従来の商人に替わる中心的概念 に据えている。尚、自由職業については、任意の登記によって同法第一編の適用下に入るという方向を採用した        ︵62︶ ︵貿︾富bdO切︶。企業法理論がこの立法にどのような働きを果たしたのかについての詳細は後日の検討に待ち たいが、法律の制定においても企業法理論の持つ意義を明らかにしたものと評価できるだろう。 パ  パ

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)  ) パ  ハ  パ

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)  )  )  閃巴ωo﹃︵閃pqンω。竃o o。 ωo轟旨びΦω。巨5£倦●。ド一。蚕ωく&O国G 。合困。独月2一名一㊤蚕一認一拝冨お養\O壁畳ρ竃①些a①巳Φ浮。α震 肉8拝ω&器窪零富炉ω。>‘戸一8望ψ謡O●ソラヤ決定に関しては、渡辺康行﹁裁判官による法形成とその限界﹂ドイ ツ憲法判例研究会編﹃ドイツの憲法判例︵第2版︶﹄二〇〇三年・信山社三八四頁以下参照。  丙β亘Φび旨N一〇$”Oホ’  ωくRお国ω♪ψ8岬Z一名一。お”一認9  ∪魯⇒\国お一9︵缶お堕γU鋤ω器発ごO切ω内妻−ω8αΦ浮Φ持NOO9ω.NO渉

参照

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