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17世紀宗教詩における"Wholesome Meditation"

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17世紀宗教詩における"Wholesome Meditation"

著者 圓月 勝博

雑誌名 主流

号 44

ページ 23‑42

発行年 1983‑02‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014949

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23 

1 7 世紀宗教詩における W h o l e s o m eM e d i t a t i o n "  

園 月 勝 博

いわゆる17世紀英国形而上詩人の一人である HenryVaughanが 詩 人 であると同時に医者でもあったことは,周知の事実である.披の残した作 品の中に,医術に関する著作,翻訳が多数含まれていることも当然、と言え るであろう.しかし,医術に対する関心は,Vaughanにだけ見られるもの ではない.彼の先達とも言える JohnDonne GeorgeHerbertの作品 にも,医術への多くの言及が見られるのである披らの同時代人に,

W

i1‑ liam Harveyという近代医学の先駆者がいたことを思い起こしてもよいで あろう.医術に対する関心の高まりは,当時の時代精神の特徴的な一側面

と言えるのである.

医術が一つの学問として脚光を浴びるようになったのは,当時の近代科 学精神の勃輿と無関係ではない.医学という学問,医者という職業が,英 国において法的に確立するのは16世紀になってからである.1511年の条例 で教会による医師開業認可が正式に法制化され,さらに,その20年後には,

Canterbury大司教から医学に関しても他の学問と同様に学位の授与を行 なうことを指示する条例が大学に出されている. 1546年には, Oxford,  Cambridge両大学に医学の欽定講座が設立される.また, 1540年には,

それまで非公式であった外科医団体が Henry八世によって公式団体とし て認可された.そして, 1565年には, Elizabeth女王が大学に人体解剖の 許 可 を 与 え て い る 上 に 述 べ た よ う な16世紀英国における医術の専門化 と学問的研究の基盤の確立が, Harvey という近代医学の先駆者の登場を

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約束するものであったということに疑問の余地はないであろう.

しかし,言うまでもなく,医術が一挙に近代科学へと脱皮したわけでは ない.Francis  Baconが彼の時代の医術の現状を嘆いて, And  there‑ fore many times the impostor is  prized, and the man of virtue taxed.  Nay, we see  [theJ  weakness and credulity of  man is  such, as  they  will often prefer a mountebank or witch before a learned physician 

と漏らした口吻にも見られるように,呪術まがいの民間医療も根強く残っ ていたのである.Keith Thomasは, 17世紀英国の魔術的医療行為の実態 を豊富な資料を駆使して記述し,当時の医術について次のように結論づけ ている.

In this whole五eldthere was often no clear distinction between  the use of natural remedies and supernatural  or  symbolic  ones.  Many seventeenth‑century  prescriptions  which seem magical  to  us  were  in  fact  based  on  obsolescent  assumptions  about  the  physical properties of natural substances.' 

事実, Vaughanの訳業の一つである HermeticalPhysickの中でも,

医師の条件として, asound Christian"であること, theservant.  . .  of nature"であり theArt of healing"に習熟する profound Phi‑ losopher"であること,そして, anA1chymist skilfull  in all  spagiri‑ cal operations"であること,の三つが挙げられている人当時の医術が,

正統信仰,自然科学,民間信仰が混然一体となったものであったことがわ かる.

とりわけ,最後の条件は,私たち現代人にとっては,奇矯でさえある.

しかし,不老長寿の霊薬 (Elixer) を求めて自然の奥義を極めんとする錬 金術が,当時の人々の想像力になお強く訴えるものであったことを私たち は忘れてはならない.それは,永遠の生命の希求という人間の一普遍的な願

(4)

17世紀宗教詩における Wholesom Meditation" 25  望を投影するものである.

錬金術は, Paracelsusによって, 医療行為に直接的に結び、つけられ,

いわゆる医療化学 (iatrochemistry)と呼ばれる学問となり, 16・17世紀 のヨーロッパに大きな影響を与えることになる FrancesA. Yates等の 精力的な研究によって再び脚光を浴びることになった当時のヘルメス哲学 を代表する魔術的秘教運動 Rosicrucianismが,その唯一の社会的活動と して医療行為のみを認めていたことも9 この医療化学の流行と無関係では ない この時代の医術には,当時の正統信仰,自然科学,民間信仰が一 体となり,永遠の生命の希求という人間の普遍的な願望が投影されている のである.

上に述べたような医術に関連する概念は, 17世紀英国宗教詩において,

霊の救済と永遠の生命を求める宗教的熱情に具体性を与えるために, しば しば詩的表現に転用されている.本稿の目的は, 17世紀宗教詩に見られる 医術的概念の詩的表現への転用のもつ意味を考察することにある.

17世紀英国宗教詩について考える時,黙想 (meditation) は看過するこ とのできない重要な概念である反宗教改革の精神を特徴づける黙想と いう方法論は,当時の詩作術と密接に結び付いている.

医術的概念が, どのように黙想と詩作術に現れているかを見るために,

まず, Donneの詩の次のような一節に目を向けてみよう.

Wilt thou love God, as he thee!  then digest,  My Soule, this wholesome meditation. . . . 

Meditation "という言葉に付けられた wholesome"という形容詞に 注意したい. 1行自の動詞 digest"と共に言葉の多義性を秘めており,

そこに本稿で論じようとする主題の鍵があるからである.文脈の上では,

(5)

wholesome"を Conduciveto  wel1ゐeingin general, esp.  of  mind  or character" (0. E. D., "wholesome," 1)と一般的な意味に解し, di‑ gest"という動詞に Tosettle and arrange methodically in the mind " 

(0. E. D., digest,"め という語義をあてはめれば,その文意を理解で きる.しかし, Peter Milwardも指摘するように1O, digest"と whole‑

some には食餌療法の比喰が隠されている.すなわち, digest"を To prepare (food)  in the stomach and Intestines for assimilation by  the system" (0. E. D., "digest,"のの語義に解し, wholesome"を

Promoting or conducive to  health"  (0. E. D.,wholesome,"  2)の 意味にとるのである.この wholesome meditation"という言葉には,

黙想という精神的なレベルの概念に食餌療法という肉体的なレベルの概念 が重なり合っている.

当時の黙想形式に大きな影響を与えた著作の一つである LuIs de  la  Puenteの l'lfeditationsuρon the Mysteries olour Holie Faith, with the  Practice 01 Mental Prayer touching the  same は,黙想の最終段階の col1oquyにおける神に対する呼びかけに関して, asa sicke man speak‑ eth to  a Physitian, declaring unto  him his  infi.rmities, and desiring  remedie thereof"という指導規則を持っている11 すなわち,霊の救済

を求める際に,病気の治癒という肉体的な概念が援用されるのである.こ の点で, Puenteの黙想指導規則は,先に見た Donne の詩の whole‑ some meditation "とL、う発想に通じるものを持つ.

ここで,私たちは次のような問題に到達する.それは,病気とその治癒 という肉体に関わる医術的概念が霊に関わる黙想及び宗教詩に転用される ことにいかなる意味があるのか, という問題である.この問題に答えるた めに,まず最初に,医術的概念の黙想への援用の意義を探り,次いで,そ の詩的表現への転用の意味を考察してみたいe

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17世紀宗教詩における WholesomeMeditation"  27 

17世紀英文学におけるこの医術的概念の黙想への援用の意義を論ずるに あたって, Donneの Devotions upon Emergent  Occasionsに目を向け たい.なぜなら,筆者の知る限り,この作品ほど鮮やかに本章で論じよう

とする問題を浮き彫りにしているものはないからである.

Devotiα1S のこの特徴は,この作品の若干特殊な成立事情に依るところ が大であろう.1623年に Londonでは熱病が流行し, Donne も病の床に 伏す身となった.その時,病気とその治療の進行に即して,重病に伏す彼 が行なった黙想が一冊の書物となって翌年出版された.それがこの Devo tionsである.このようにして著わされた作品の中で,病気とその治癒と いう医術的規念が黙想の中に執掛に援用され展開されたとしても,何ら無 理はないであろう.

それでは,この作品を見ていこう.Donneは2 まず,病気というもの が持つ意味を想い起こすことから,その黙想を始める.

miserable condition of Man, which was not imprinted by God,  who as hee is immortall himselfe, had put a coale, a beame of  Immortalitie into us, which we might have blowen into  a jlame,  but blew it  out, by our五rstsinne; wee beggard our  sel ves  by  hearkning after  false riches, and infatuated our selves by heark ning after  false knowledge.  So that now, we doe not onely  die,  but die upon the Rack, die by the torment of sicknesse ; nor that  onely, but are preaffiicted, super‑aictedwith thesejelousies and  apprehensions of Sicknes, before we can cal it  a sicknes; we are  not sure we are il1.  . . . 12 

病気そしてそれが引き起こす死は人類の壁落すなわち原罪に根ざすものな のであった.原罪によって人間は示遠の生命を失なった, という考えは,

(7)

当時の世界観,人間観において当然のことと言えよう.

しかも,人聞は単に死から免れることができないというだけではない.

人聞は病気の苦しみを味わわねばならず,さらに,いつ我が身にふりかか るかもしれぬ病気に常に脅えながら生ぎなければならない.そして,遂に は,自分が本当に病気であるのかどうかさえ確信が持てなくなってしまう.

病気をとおして顕れる人類の罪さえも,人聞は見失なうことになる.そこ にこそ人間の悲惨がある, とDonneは言う.

さらに, もう一つ人聞を他の被造物と区別するものがある.それは,他 の動物が自分の病気や傷に何が効くかを知っているのに対して,人間は知

らない, ということである.

Man hath not that innate instinct, to  apply these  naturall  mdi

cines to  his present danger, as  those  inferiour  creatures  have; 

he is  not his own Apothecary, his  owne Phi'sitian,as  they  are.  Call back therefore thy Meditation again, and bring it  downe. . . .  His diseases  are his owne, but the Phisitian is  not. . . .(p.  513)  人間には naturallmedicines"を探す innateinstinct"が欠けてい

る. Iそれ故に( therefore") J黙想が必要なのだ, とDonneは論を進 める.自分を癒してくれるものを探し求める術が要求されるのである.同 様の主題が Herbertによって次のように用いられている.

Or Rather let 

My severall sinnes their sorrows get;  That as each beast his cure doth know, 

Each sinne may so. (Good Friday," 1 1.17‑20)  動物が自分の病気や傷を癒やすものを本能的に探し求めるように,人間も 罪を癒やすものを求めねばならないのである.

私たちは, Donneや Herbertの作品の中で,病気という肉体的なレベ

(8)

17世紀宗教詩における WholesonieMeditation"  29  ルの問題が罪という精神的なレベルの問題へと実になめらかに展開してい ることに気がつく.

この点については, Donne自身がこの Devotionsの最後で明言してい る.

‑・.and 80 my meditation is  fearful1y transferred  from the body  to  the minde, and from the consideration of the sicknesse to  that  sinne, that sinful carelessnes. . . . (p.  552) 

彼の黙想は肉体から精神へと,すなわち,病気から罪へと移行する.この ように,肉体の現象をとおして精神的あるいは霊的な問題を把握すること ができるという点に,この時代の詩人が持つ感受性の一つの特質がある.

そして,この感受性の特質こそが,肉体に関わる医術的概念の精神に関わ る黙想への援用という本章で論じている問題の根底にあることを銘記して おきたい.

上記の引用部分からもわかるように,肉体の病気は Donneの黙想の出 発点,すなわち,現場想設 (compωitioloci)の役割を果たしている.彼 は肉体の病気について黙想を行ない,その中に肉体の治癒と霊の救済を求 めている.ここに,病気の中に真の健康,つまり,永遠の生命への道があ る, という逆説が提示されている.

In the distempers and diseases of soiles, sourenesse, drinesse,ωeeρ‑ ing, any kinde of barrennesse, the remedy  and the physicke, is,  for a great part, sometimes in themselves; sometime[sJ the very  situation releeves them. . . . (p;  549) 

この逆説は,罪を犯したものこそ神に近い, という「幸福なる盟落

C f

elix culpa)Jの教理に基づいている. そして, Donneは, 肉体の病気によっ て生じる不断の苦しみを,人類の犯した罪に対する償罪とみなす.

(9)

30  17

Adam might have had Paradise for dressing and keePing it; and  then his rent was not improved to  such a labour, as would have 

made his brow sweat; and yet he gave it  over; how farre great er a rent doe wee pay for this  farme, this body, who  pay  our  selves, who pay the farme it  selfe, and cannot live upon it!  (pp.  548‑549) 

肉体の病気がもたらす苦しみが原罪という人類の普遍的な罪に根ざす以 上,真の治療は人間の力で、は果たすことのできない仕事であろう.Donne  は熱病の回復にあたづて次のように言う.

To cure the sharpe accidents of diseases, is  a great  worke;  to  cure the disease it  se1fe is  a greater; but to  cure  the body, the  root, the occasion of diseases, is  a worke reserved  for  the  great  Phisitian, which he doth never any other way, but by glorifying  these bodies in the next world.  (p. 550) 

現世に生きる限札人聞は病気から完全に解放されることはない.病気の 根源である肉体から逃れることはできないからである.

この病気の根源の治療は the great Phisitian"に残された仕事だ,

とDonneは言う.ここで言われる the great Phisitian"とは救世主 イエスのことであろう.救世主を医者とみなすのは一種の「奇想」であり,

この奇想は,先に見た Puenteの黙想指導規則にも既に見えていた.また,

Vaughanの黙想の手引書とも言うべき TheMount of Olives, or  Sol‑ itary Devotionsの次のような一節にも,この奇想は現れる.

Thou [LordJ didst not come unto the whole, but to the sick. The  五rst(had there been any such,) had no need of a Physician, and  the last  (hadst not thou come to  restore them,) had perished for  ever.13 

(10)

17世紀宗教詩における WholesomMeditation"  31  上に引用した Vaughanの一節は,パリサイ人の学者らに,なぜ罪人や 取税人と食事を共にするのか, と関われたイエスの次のような言葉に依拠

していることは明らかであろう.

When Jesus heard it, he saith unto  them, They that  are  whole  have no need of the physician, but they that are sick: 1 came not  to  call  the righteous, but sinners to  repentanceY 

イエス自ら自分自身を医者になぞらえているのである固事実,福音書にお いても,病人の治療は,イエスの重要な行役いのーっとして特筆すべき価 値を与えられている15 このような聖書の記述が,救世主を医者とみなす

「奇想」の根底にあるということに,疑問の余地はない.

病気の治療という肉体的なレベルの行為をとおして神の人間に対する愛 という霊的な概念を理解することは,先に述べたような感受性の特質をも っ17世紀の詩人たちにとっては,私たちが想像する以上に,理にかなった

ものであっただろう.

肉体の現象をとおして精神的あるいは霊的な問題を把握することができ る感受性の特質が,肉体に関わる医術的概念の精神に関わる黙想への援用 の根底にあることは先に指摘しておいた.そして,この感受性の特質が生 み出した救世主を医者とみなす「奇想」の中に, wholesomemeditation " 

という言葉の中心的な主題を,私たちは見ることができるのである.

lV 

私たちは医術的概念の黙想への援用の意義を考察することにより,肉体 概念から霊的概念への移行,病気の中に真の健康があるという逆説,救世 主を医者とみなす「奇想Jの三つの点に17世紀宗教作品のもつ特質を見て きた.この黙想が当時の詩作法に深い影響を与えていたことが明らかな以 上,上に述べた三つの特質に留意しながら医術的概念の詩的表現への転

(11)

用の意味を考察することにより, 17世紀宗教詩の特質を探り当てることを 試みるのは,決して的はずれではあるまい.本章では,実際の詩作品に現 れる病気とその治癒にまつわる表現を見ていきたい.

黙想が当時の詩作法に与えた影響の中で,最も重要な点は,現場想設で あろう.それは, Louis L.  Martzの言葉を借りれば, theimage‑form‑ ing  faculty  to  provide  a concrete  and  vivid  setting  for  a medita‑ tion on invisible  things"を用いることである16 例えば, St.  Ignatius  Lo)aの『霊操』には,次のような黙想指導規則がある.

見えない題自について観想,あるいは黙想をする際,たとえば,今こ こに黙想しようとする罪のような場合,その現場の想設とは,この朽 ちはつべき肉体のうちにとじこめられた霊魂と,獣類のうちに逐請の 身として涙の谷にさまよう全き自分自身とを想像の眼で眺め,考察す ることである.全き自分自身とは,霊魂と肉体から成りたっているも のをいう17

「見えない題目」を視覚化するという点に,現場想設が当時の詩作法に大 ぎな貢献をする理由がある.

先の章で見たように,病気という肉体の苦しみは,原罪に由来するもの であった.それ故に,病気で苦しむ自分自身を創り出すことは,原罪とい う「見えない題目」について黙想するための格好の現場想設となる.霊魂 と肉体から成る「全き自分自身Jの中に,原罪が具象化されるからである.

事実, 17世紀英国宗教詩において,病気で苦しむ自分自身の想設が,作 品の迫真性を増すのに大きな効果を挙げている例を見つけ出すことは容易 である.例えば, Donneの次のような一節,

Oh my blacke Soule!  now thou art summoned  By sicknesse, deaths herald, and champion; 

(Holy Sonnet [1633J  2,"  11.  1‑2) 

(12)

17世紀宗教詩における vVholesomeMeditation"  33  では,病気と切迫する死という現場想設が,語り手の救済の希求を現実感、

注れるものにしている.Herbertの詩でも,それは同様の効果を挙げてい る.

Come Lord, my head doth burn, my heart is  sick,  Whi1e thou dost ever, ever stay: 

Thy 10ng deferrings wound me to  the quick, 

My spirit  gaspeth night and day. (Home," 11.  1‑4)  Donneの詩に見られる屈折した激越さはないが,病気の症状を平明な言 葉で具体的に神に向かつて述べたてていくところに,いかにも Herbertら

しさがある.Vaughanにも病気を現場想設に利用した作品がある.

Weary of this same C1ay, and straw, 1 1aid  Me down to  breath, and casting in my heart  The afterゐurthens,and griefs yet to  come, 

The hea vy sum 

80 shook my brest, that  (sick and dismai'd) 

My thoughts, like water which some stone doth start  Did quit their troub1ed Channel, and retire 

Unto the banks, where, storming at  those bounds,  They murmur' d sore. . . . (The Mutinie,"  11.  1‑9) 

自分の体験を想い起こすという語りの手法をとって,病気の苦しみの中で 見た神秘的な世界へ,読み手を引きずり込んでいくところに, Vaughan  の真骨頂が発揮されている.以上見たように,その語りの性質は三者三様 ではあるが,病気という現場想設の中に「全き自分自身」を見つめるとこ ろに共通点がある.

病気を現場想設に用いる詩作法が最も大胆に展開されるのは, Donneの Anniver sariesであろう. とりわけ,The First  Anniversarieにおいて,

その手法は顕著である.この詩の margina1notesには, Thesicknesses 

(13)

of the world" (1. 88 n.), Impossibility of health " (1.91 n.)という言 葉が見える.さらに,この詩には,An Anatomy 01 the  Worldという副 題が付けられている.O. E. D. に拠れば, dissection"という語義で使 われる anatomy"という単語の初出年は1541年である.この医術用語の 文学概念への転用は, 16世紀後半から17世紀前半の英国において,枚挙に 暇がない例をもち,一種の流行になっていたことを Barbara Kiefer  Le‑ walskiが実証している18 この副題は,先に述べた16世紀英国における医 術の専門化と科学的研究の基盤の確立に伴う医術的概念の詩的表現への転 用の一例となり得ると同時に Donneがこの詩を書いた時, その現場想、

設と作品全体の主題との間にある密接な関連を明確に意識していたことの 傍証となり得るものでもある.

The First Anniversarieは大宇宙の病んだ姿を執劫に描写する.

So thou, sicke world, mistak'st thy selfe to  bee  Well, when alas, thou'rt in a Letargee. (11. 23‑24) 

病気であることを忘れた世界に対して, sicke world "と呼びかけるこ とによって,それを思い起こさせる.さらに,詩人は人間の悲惨な現状を 次のように考察する.

There is  no health; Physitians say that we  At best, enjoy, but a neutralitee. 

And can there be worse sicknesse, then to  know  That we are never well, nor can be so? (11. 91‑94) 

健康などというものはない, と言うことによって,病気から免れることの できない人間の姿が確認される.

この主題はTheSecond Aηniversarたにも引き継がれ,展開されていく.

Thirst for that time, 0 my insatitesoule, 

(14)

17世紀宗教詩における WholesomeMditation" 35  And serve thy thirst, with Gods safe‑sealing Bow1e. 

Bee thirsty still, and drinke stil1 till  thou goe; 

'Tis th'on1y Hea1th, to  be Hydroptique so. (11. 45‑48) 

水腫病という病気であることこそが唯一の健康だ, という逆説が提示され る.この詩が詩人のパトロンの夫逝した娘の悲歌であることを思い出して みよう.詩人が理想化するこの少女

ι

病気そして死をとおして,至福の 世界へと向かっていったのである4

Shee, shee embrac'd a sicknesse, gave it  meat, 

The purest B100d, and Breath, that ere it  eat. (11. 147‑148)  病気こそ真の生命に至る道だ, という逆説は Vaughanの詩にも現れる.

Sickness is  who1esome, and Crosses are but curbs  To check the mu1e, unruly man, 

They are heavens husbandry, the  famous fan  Purging the floor  which Chaff disturbs. 

(Affliction," 11. 17‑20) 

徹頭徹尾絶望的な現状認識の中で,逆説的に,真の救済を求める熱情が増 幅されていくのであるぷ

詩人は,病気という現場想設に引き続いて,自分が本当に求めるものの 明確化という作業を行なっているのである.それは,当時の黙想形式にも 対応する19 先に引用した Puenteの黙想指導規則からも明らかなように,

病気という現場想設の中で求められるものと言えば,病気の治療であるこ とは言を侯たないであろう.

I am a little  world made cunning1y "と自らを小宇宙と規定するソ ネットで, Donneは自分が罪に汚れていることを認め,より大きな苦し みを進んで受け入れようとする.

(15)

36 

But oh it  must be burnt; a1as the五re Of lust and envie'have burnt it  therefore,  And made it  fouler; Let their fiames retire,  And burne me δLord, with a五eryzea1e 

Of thee'and thy house, which doth in eating he1e.

(Ho1y Sonnet [added in 1635J  2,"  1 1.10‑14) 

苦しみの中で,神の愛が切実に求められる.最終二行の表現は,概ね,聖 書の Thezeal of thine house hath eaten me Up "20に基づいている.

聖書の特定の個所に準拠しながら hea1e"という言葉でその表現を締 め括ることによって,神の愛による救済という霊的概念に,苦しみの治療 という具体性を与え,詩人は巧みに詩的迫真性を達成している.

それでは,この hea1e"という言葉はどこから詩人の想像力に訪れた のか. Vaughanの次に引用する詩の一節は, この問題を解〈端緒となる であろう.

Through that pure Virginshrine, That sacred vail  drawn o'r  thy glorious noon  That men might look and live  as G10‑worms shine, 

And face the Moon: 

Wise Nicodemus saw such light  As made him know his God by night. 

主主ostb1stbeliever he! 

Who in that 1and of darkness and blinde eyes  Thy 10ng expected hea1ing wings could see, 

When thou didst rise, 

And what can never more be done,  Did at  mid‑night speak with the Sun! 

(The Night," 1 1.1‑12) 

(16)

17世紀宗教詩における ¥VholesomeMeditation"  37  最終行に見える theSun"が theSon"との地口であることは言うま でもない.当時の宗教詩において好んで用いられるこの地口は,予表論的 に救世主の降臨を示す Ma1achiの Butunto you that  fear my name  shall the Sun of righteousness arise with hea1ing in  his  wings. . . "21 

に基づいている.ニコデモが見た Thy10ng expected healing wings " 

がイエスであったことも言を侯たない22.Donneの詩に見られた hea1e"

という言葉

ι

上記の聖書の一節に依りながら,三位一体の神の一位格で ある神の子イエスに呼びかけたものと考えるのが妥当であろう.ここで再 び私たちは,救世主を医者とみなす「奇想」に辿り着くのである.

キリストの麗罪によって示された神の愛だけが人聞を真に癒やすことが できるという考えが,医術的概念の詩的表現への転用の根底に常に意識さ れている.そのことは, Donneの次のような詩に明瞭に示されている.

Materiall Crosses then, good physicke bee,  And yet spirituall  have chiefe dignity. 

These for extracted chimique medicine serve,  And cure much better, and as well preserve;  Then are you your own physicke, or need none, 

when still'd, or purg'd by tribu1ation. (The Crosse," 1 1.25‑30)  十字架には医療効果があると信じられていた23 しかしながら, 物として の十字架がもっこの効験の背後には,第一義的な意味として,まず霊的な 意味での十字架,すなわち,キリストの受難と績罪がある, と詩人は強調 する. この霊的な意味での十字架こそが, extracted  chimique  medi‑

cine" (これは,多くの批評家が指摘するように,先に言及した医療化学 のことである〉という肉体的なレベルの治療を可能にするものなのである.

そして,キジストの受難を追体験し24 自らその肉体的苦痛に苛まれるこ とによって,キリストとの霊的交渉を逐げる時にだけ, 人 は 自 分 自 身 の physicke"となる.民間信仰,自然科学,正統信仰に見られる医術的概

(17)

38  17世紀宗教詩における WholesomeMeditation" 

念が一体となり,キリストの購罪による霊魂と肉体から成る「全き自分自 身」の救済へと収蝕されていく.このような点に,肉体的な現象をとおし て霊的な現象を理解し,霊的な概念を肉体的な概念によって表現できるこ の時代の詩人の感受性の特質が如実に示されている.

Herbertの詩にも十字架に関する同じような一節がある.

The bloudie crosse of my deare Lord 

Is  both my physick and my sword. (Conscience,"  11.  23‑24)  この十字架は, bloudie"という形容詞が付されている以上,語り手の 身近にある物としての十字架ではなく,想像の眼で見た霊的な十字架であ ろう.その霊的な十字架が,彼の肉体の苦痛を取り除く physick"とな り彼の現実の力である sword"となる.一見,何気ない言葉の中に,霊 的な世界と感覚的な世界が交錯し,重層的な意味が醸し出されるというと ころに, 17世A紀英国宗教詩の一つの特質がある.そこに,肉体に関わる医 術的概念が詩的表現に転用される下地があり Donneが 彼 の 詩 の 中 で

meditation "を wholesome"と呼んだ理由もあるのである.

17世紀英国宗教詩に見られる肉体の病気とその治癒に関する医術的概念 の詩的表現への転用の意味を見てきた.議論を進めるにあたって,まず,

この論題に関係する歴史的背景を概観し,それを念頭において本稿で論じ た問題を提起し,医術的概念の黙想への援用が示す特質と主題,医術的概 念の詩的表現への転用の持つ意味をIJ債に考察することによってその提起さ れた問題への解答を試みる, という道筋を採ってきた.そして,私たちは そこにこの時代の詩人の感受性の特質の一つを認めることができた.それ は,感覚的な事象の背後にそれに照応しそれを支配する霊的な事象の存在

と意味を把握する能力である.

(18)

17世紀宗教詩における WholesomMeditation" 39  人間の肉体に関する医術的概念と精神に関する黙想が示す霊的救済の理 念は,私たち現代人が想像する以上に,密接な照応関係を保持しながら,

当時の詩作法に反映されている.また,その関係は,単に密接なだけでな く,緊張感を苧んだものでもある.そこには,当時の正統信仰,自然科学,

民間信仰が絡み合わされている.それは,勃興する科学精神と旧来の世界 観という二つの文化規範が共存する精神共同体の一つの所産とみなすこと ができる.霊魂と肉体から成る「全き自分自身」の救済を求める根源的な 願望が,このような状況の中で,医術概念の詩的表現への転用をもたらし た, と言えよう.

Donneを中心とする17世紀英国詩人のこのような感受性の特質を, a  direct sensuous apprehension of thought, or  a recreation  of  thought  into  feeling "25 と喝破したのは T. S.  Eliotであった.そして,他なら ぬこの Eliotが,本稿で論じた医術的概念の詩的表現への転用を現代詩の 中で見事に再演している.それは,肉体現象から霊的概念への移行,病気 こそ健康という逆説,今リストを医者とみなす「奇想」を明示し,本論考 の要約の役割をも果たしてくれるであろう26

The wounded surgeon plies the steel  That questions the distempered part;  Beneath the b1eeding hands we feel  The sharp compassion of the healer' s art  Resolving the enigma of the fever chart.  Our only health is  the disease 

I f  

we obey the dying nurse 

Whose constant care is  not to  please  But to  remind of our, and Adam's curse, 

And that, to  be restored, our sickness must grow worse.  (East Coker,"  1 .1147‑156) 

(19)

1 Vaughanの医術知識に関しては, Thomas O. Calhoun, Henry  Vaughan: 

The Achievement 0/ Silex  Scintillaπs (Newark:  University of Delaware  Press, 1981), pp.  112‑121を参照のこと. Donneの作品に現れる医術に対ずる 言及は, Milton A11an Rugo丘,Donr切なImagery:A Study iπCreative Sources  (New York: Russell and Russe, !lc 1939), pp. 47‑58に手際よくまとめられて いる. さらに専門的な研究として, D. C. A11en, John  Donne's  Knowledge  of  Renaissance  Medicine,"  JEGP, XLII (1943), 322‑342がある.一方,

Herbertも, D. C.  A11enが上記の論文で指摘するように, Jean Fernal (Fer‑ nalius)の著作に親しみ, Luigi Cornaro (Cornarus)の Trattatode  la  Vita  Sobriaの翻訳を行なうなど Donneに優るとも劣らぬ医術に対する関心をもっ

ていTこことは明らかである.

2 以上の記述は, Alban H.  G.  Doran, Medicine," Shakespeare's England: 

An Acount 0/ the Li/e and Manners 0/ his Age, eds.  Sidney Lee and C. T, 

Onions (Oxford: Clarendon Press, 1916), 1, 413‑428に拠る.さらに大きな歴 史的観点から膨大な資料を駆使して,当時の「ロンドンの科学と医学」を論じた ものに, Christopher Hill著,福田良子訳, Ii'イギリス苧命の思想的先駆者たち』

(東京:岩波書庖, 1972), pp. 23‑143がある.

3 Francis Bacon, The Advancement 0/ Learning  in The Advancement 0/  Learning and New Atlantis, with a preface by Thomas Case (The World's  Classics勺London:Oxford UnivrsityPress, 1906), p.  128. 

4 Keith Thomas, Religion and the Decline 0/ Mαgic  (New Y ork:  Charles  Scribner's Sons, 1971), p.  189. 

5 L.  C.  Martin (ed.), The  Works 

0 /  

Henry  Vaughan (2nd  ed.;  Oxford: 

Clarendon Press, 1957), pp. 579‑580. 

6 F.  S.  Taylor著,平田寛,大槻真一郎共訳, Ii'錬金術師一近代化学の創設者た ちJJ(東京:人文書院, 1978), pp. 238‑247.  W. A. Murray,Donne and Para‑ celsus: An Essay in Interpretation," RES, XXV (1949), 115‑123も示唆に富 む.

7 Frances A. Yates, The Rosicrucian Enlightenment  (Boulder:  Shambhala, 

1972), p.  42 and pp. 52‑54. 

8 Cf. Louis L. Martz, The Poetry 0/ Meditation: A Study in  English Reli‑ gz'ousLiterature 0/ the 8ωenteenth Century (Revised ed. ; New Haven: Yale  University Press, 1962). 

9  Holy Sonnet (1633) 11," 11, 1‑2.以下詩の引用は本文中にその出典を記す.

(20)

17世紀宗教詩における WholesomeMeditation"  41  使用したテキストは下記のものである. Helen  Gardnr (ed.), John  Donne: 

The Divine Poems (2nd ed.;  Oxford:  Clarendon Press.  1978) ; W. Milgate  (edふJohnDonne: The Epithalamions, Anniversaries, and Epicedes (Oxford: 

Clarendon Press, 1978);  T. S. Eliot, Collected Poems: 1909‑1962 (London :  Faber  and  Faber, 1963); F. E. Hutchinson  (ed.), The  Works  of George  Herbert (Oxford: Clarendon Press, 1941); L.  C.  Martin (ed.), op.  cit.  10  Peter Milward著,石井正之助訳, 1ジョン・ダンの「皇室なるソネット1 JdI (ル

ネッサンス双書東京:荒竹出版, 1979), pp. 116‑117. ちなみに, whole‑ some という言葉が heal," holy"と同語源であることを想い起こしてみ

るのも,本稿で論じようとしている問題を考えるにあたって,あながち無駄では あるまい.Donneの Holy Sonnet  (from  the  Westmoreland  MS.)  1"の

wholy" (1.  4)には wholly"と holy"の地口がある.

11  Quoted in Louis L. Martz

, 

op.  cit.

, 

p.  37. 

12  John Hyward(edふJohnDonne Dean of St,  Paul' s: Comρlete  Poetry  and Selected Prose (London: Nonesuch Press, 1929), p.  507.  以下この作品 からの引用は本文中にその頁数を記す.

13  L. C.  Martin (edふop.cit., p.  161. 

14  Mark. ii.  17.本稿の聖書からの引用は全て AuthorizedVersionに拠るs

15  Math. iv.  23, viii.  16, ix.  35, xv. 30, xxi.  14, Mark.  i .34, iii. 10, v.29,  Luke. iv. 40, vii.21.  cf.  Acts. x.  38.  Johnには, 共観福音書に見られるイエ スのこれらの治療行為の記述はないが, かわりに, ベデスタの池の病人の治療 (v.  1‑18)と生まれながらの盲人の治療 (ix.1‑41)が記されている.

16  Louis L. Martz, op.  cit., p.  28. 

17  St.  Ignatius Loyola著, 霊操刊行会訳[j"霊操dI (東京:エンデルレ書庖,

1956), p.  58. 

18  Barbara Kiefer Lewalski, Donne' s Anniversaries and the Poetry of Praise :  The Creation of a Symbolic Mode (Princeton: Princeton University  Press,  1973), pp. 226‑227. 

19  Louis L. Martz, op.  cit., pp. 32‑33.  20  Ps.  lxix.  9 and John. i. i17.  21  Ma I.iv.  2. 

22  John. iii.  2. 

23  Euginia Garin著,清水純一,斎藤泰弘共訳 1イタリア・ルネサンスにおけ1 る市民生活と科学・魔術IJ(東京:岩波書広, 1975), pp. 267‑268.  William  Empsonも, 引用した Donneの詩の一節を論ずるにあたって, この old

(21)

fancy"に言及し,加えて, physick" (1.25)のもつ言葉の多義性にも注意を促 している.Cf.  William Empson, Some Versions 01 Pastoral (London: Chatto  and Windus, 1950), p.  79. 

24  Cf. Louis L.  Martz, op.  cit., pp. 71‑117. Martzの引用する SpiritualCOl

batには次のような一節がある. Andverilie everie devout man maye everye  daye, and everye houre go healthfullie, and without prohibition  unto  the  spiritua!l Communion of Christe, that is  to  saye, in  remembringe  of  his  passion.パー"(quoted in ibid

, 

p.  90) 

25  T. S. EJiot,The Metaphysical POts,"Se!ected Essays (3rd ed.;  London: 

Faber and Faber, 1951), p.  286. 

26  このいわゆる GoodFriday Lyricは五連から成り,引用した部分は最初の二 速である. 本稿の論旨から外れるので, この lyricの解釈に関する詳述は避け る.EliotがAnneRidlerに宛てた手紙 (quotedin Helen Gardner, The Com‑

position 01 Four Quartets CLondon: Faber and Faber, 1978J, p.  109)にある 彼自身のコメントから見て,彼がこの lyricを書くにあたって, 17世紀英国宗教 詩をかなり意識していたことは明らかである,ということを指摘するにとどめた

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