『スーラ』における失われた女同士の絆
著者 石本 哲子
雑誌名 主流
号 64
ページ 53‑78
発行年 2003‑03‑15
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015190
53
『スーラ J における失われた女同士の紳
石 本 哲 子
序章
母と娘の聞の結ぴっきと分離の問題がSulaと「そこに描かれる母の声と 娘の声の複雑な相互作用を解明する鍵になる
J
(348)とMarianneHirschは『母と娘の物語
J
の中で主張している.Hirschは同じToniMorrisonの 作品であるBelovedを「母親の声を探求する作品J
(386)とみなす一方で.Sulαに関しては,
r
テクストは,母親的なものから逃げ出そうとする試み自 体の中に存在する毘をも明示J
(362)し,r
かくして,母親の声を容認する 領域を創り出すと同時に母親の声を押さえつけもする,ブラック・フェミニ ズムの家族物語が形をなすJ
(同)という否定的な見解を述べるその暖昧 さと矛盾において最初は対照的に映っていたEvaとSulaの行為は「スーラ が逃げようとするが結局は逃げきれない母親像J
(358)を巡り同様の共謀と 両義性を示すものとして立ち上がってくると考えるHirshは, Sulaの「母 性と愛着心J
(360)の否認は彼女が芸術家,即ち「従来のものに取って代わ る女の筋書きと体の発明者J
(358)としての生涯を送ることも不可能にさせ ていると解釈するのである.Hirschと同じように ,Sulαにおける母親と子 供の関係の失敗,つまり前者の母性愛とそれによって脅威にさらされる母子 各々の個人性の問題を追及している批評家は少なくない.そのうちの一人で ある LaurieVickoryはSulaとBelovedの二作品を取り上げて,これらの 小説が社会境遇のせいで自分たちの子供たちと自分たちとを切り離して,自 らを自律的個人として楽しむことができていない母親たちの心的外傷と妄執54 『スーラ』における失われた女同士の緋
を扱っていると考える.一方で、,他の「…真に芸術的な一表現をする可能性」
(360)はSulaには閉ざされているとするHirschの解釈に反して, Vickory は以下の希望を見出してもいる: ・.• these novels also focus at length on how the daughters who survive search for different ways of being (Denver and Sula particularly, but also Sethe)" (303).つまり, Hirsch が「母性」を拒絶する Sulaの脆さを指摘しているとすれば,逆にVickory は「異なる生き方」の可能性を見出そうとしているのである.さらに,
HirschやVickoryとは着眼点を異にするDeborahGuthは上記の二作品に Song of Solomonを加えて,これらを現在と過去の複雑な相互作用を劇化す る小説群と見なすというアプローチを取っているのだが,彼女はSulαを Sulaの自己への失敗に終る旅の物語を通してEvaの内的な潜在権力と黒人 の祖先の知識とその喪失が探求されつつある小説とみなす.Guthに従えば,
Evaは以下のように過大に評価されることになる." " the rejected ancestor, for all her destructiveness and tyranny, is in fact the freest, most integrated character, and a model which the text itself imposes in order to challenge the more modern' definition of selfhood that Sula is trying to live out" (316).
このように多様な見解が出されているなかで本稿を執筆する目的は, Eva を筆頭とする「母親たち」とSulaとの対立をもう一度考察することであり,
それによってSulaの「芸術家」としての可能性を探求することである.つ まり,
I
母親の声」を巡つて分裂するEvaと共にSula自身も暖昧性を免れ られないとする Hirなる生き方を模索する次世代として捉える Vi化ckorηyの見解を本稿は支持し たい.Sulαにおける各世代の歴史的条件と現在と過去の相互作用を重視し たいとは思うが, Guthの見解にも反して, Evaに祖先を代表する「最も自 由で最も統合された人物である j という価値を見出すことはしない.ここで は,SulaをEvaとSulaの物語であるというよりは, NelとSulaの,同世
『スーラ』における失われた女同士の紳 55 代の女たちの物語と考えることで, Nelという「母親」の演技者,つまり母 親になる者とそれを拒絶する者Sulaとに焦点を当てて考察を進めていく 2
まさに,黒人であり女性であるという社会的な規範に沿った「女家長」の再 行為,再演を繰り返しているのがNelであるとするならば,
i
バリア/イゼ ベル」の役割を反復しながらも,その規範を置換していくこと一少なくとも その可能性ーがSulaの行為とその徹底した「母性」の拒絶に覗えるものと 考え得るだろう最終的にはSulaとNelの関係は喪失され,悲哀として体 験されるのだが,この両者の間にあり得たかも知れない関係を考慮に入れて Barbara SmithはSulαを「レズピアン小説J
と名付けたのだし,また実際 に,この小説にその萌芽を見て取ることは不可能で、はない.だが,そのよう な関係は,女性を中心とした「心理学的規範」を応用しSulaを二人の女性 において三段階にわたる女性成熟化が具現された小説と捉えて,以下のよう に述べる DianeGillespieとMissyDehn Kubitschekの見解には必ずしも 合致しない: Moralauthenticity requires both truth [SulaJ and empathy [NelJ. Without truth, degenerative goodness coopts empathy in the service of control. Without empathy, truth destroys the possibility for connection" (44). GillespieとKubitschekはSulaとNelの差異と相補性をよく描き出してはいるが,
i
女性成熟化」の規範からは逸脱した彼女達の 関係のうちに見られる可能性は排除しているように思われる.本稿では,Nelの夫JudeGreeneから Shadrackという戦争帰還兵に至るまでの男性 達を媒介とする, SulaとNelの,相反するが補完的な関係を「成熟した女 性の統合」を構成するものとしてではなく,寧ろ漸く相手の喪失を喪失と捉 える段階に辿り着いた女性達の鮮と断絶を表すものとして見ることになるだ ろう.
1
r
母親たち」と SulaSula Mae Peaceは1910年に生まれた新しい世代の女である.1880目的年
56 『スーラ jにおける失われた女同士の粋
頃に生まれたと思われる Sulaの祖母である EvaPeaceを中心とした旧世代 の女性たちは時間と空間に刻印された家庭の農奴であるのに対し, Sulaは
「自分
J
の欲望を追及することができる自由を保障された世代に属してい る4ここには旧世代の女と新世代の女との対立の構図を鮮明に見て取ること が出来る.子供の為に自己を犠牲にし,また子供にもそれを強いる Evaと「野心がまったくなく,金や財産や事物にたいする愛着も,貧欲さも,人の 注意をひいたり,お世辞を言ってもらいたい欲望も全然なく一自我
J
(119)をも欠落させて,平気で思を忘却する Sulaの差異は両者の歴史的条件の相 違に起因すると先ず、は言ってもよいだろう.51910年代に,夫BoyBoyの出 奔の後,独力で子供を育てることを強いられたEvaの孤独な苦しみは想像 を絶している.12月の半ばになろうとする頃 3人の子供を抱えて,仕事 に就くこともできないEvaは夜遅くに,末っ子のPlumの便通の滞りをよ くする為に屋外便所で最後の食料である豚脂を尻に塗って排便させる:
And now that it was over, Eva squatted there wondering why she had come all the way out there to free his stools, and what was she doing down on her haunches with her beloved baby boy warmed by her body in the almost total darkness, her shins and teeth freezing, her nostrils assailed. She shook her head as though to juggle her brains around, then said aloud,uh uh. Nooo." (34)
この二日後に, Evaは子供達を隣人に預け, 18ヶ月失践する.帰還した Evaは足を一本失っているが,家族の住む家を建てることができるほどの 収入を獲得している.この足に関しては, Evaは故意に電車の下に差し込 み,補償を得たのだとか,病院で1万ドルで足を売ったのだとかいった様々 な噂が立つのだが,その噂が大筋では間違っていないとして, Evaの行為 は彼女の苦悩を考えれば,正当化されるべきものなのだろうか?寧ろ,母性 愛の名のもとに積極的に評価されるべきものなのだろうかい Evaの行為を
『スーラ』における失われた女同士の粋 57 単純に善か悪かで裁くことは不可能であるとして, Sulaが彼女の罪悪感を 刺激することが出来るのは何故なのだろうか?1937年, Sulaが27歳で Medallionに帰還する時,彼女はEvaの行為を「一ヶ月二十三ドルで自分 の人生を売った
J
(93)のだと,真っ向から否定する.EvaがSulaに結婚 して子供をつくるように諭す時, Sulaは「ほかの人間なんて誰も作りたか ないよ.自分だけを作りたいんだからJ
(92)と返答する.r
わたしのなかで 燃えてるものはどんなものでも,わたしのものよ lJ
(93)と言い放つSulaの前ではEvaの犠牲の精神と母性の神話と子供達に対する過剰な専横はそ の魅力と説得力を失うようだ.EvaはSulaとの対立を通して,徹底した自 己犠牲という手段を選択して家庭を守り子供を育てていく女として,図らず も自らを定義してしまっている.同時に, SulaもEvaの前にあっては一後 にはNelの前でも 自分の生と死以外には執着しない女として,自己の輪 郭を明確にせざるを得ない.EvaとSulaの差異は世代の違う女達の過剰な 母性と母性の欠落から生じていると言うことが出来るだろう.
然しながら, Nel WrightとSulaの対立は,両者が同世代に属している 為に,歴史的な条件だけでは説明できない.1930年代にはNashvilleの大 学に所属していたと推測される Sulaは貧困に苦しむこともなく,自分自身 の為の快楽を求めることで日々を過すことが出来る.その一方で、, Sulaの 同世代の友人であるNelは「黒人の女
J
(142)であることを意識せざるを 得ない人生を歩むことになる.Nelは思春期以前のSulaとの友情を裏切っ て, J ude Greeneと結婚することを選ぶのだが,彼らの結婚は,そもそも 期待が外れてtheNew River Roadの建設の仕事に雇用され損ねたJudeの 惑りと「とにかく男の役割を果たしたいという燃えるような決意J
(82)に 端を発していた.そのJudeは結婚後にSulaと不貞を働いた後で彼女に捨 てられて出奔してしまう為に, Nelは不払いの家事労働と子育てに加えて,掃除を引き受けたりホテルで客室係のメードを努めるなど,条件の劣悪な労 働をこなすことを余儀なくされる.Nel は夫の出奔以後25年間,
r
ささやか58 『スーラ』における失われた女同士の緋
な生活
J
(165)に自分を押さえつけておくだけとなり,彼女は最早「ストー ヴの上に長いことおきすぎた平鍋のシロップのように煮つまり,ただその匂 いと,固く甘いどろどろしたものだけが残って,こすり落とすのが不可能に なった愛J
(同)を子供達に注ぐ「母親」以外の何者でもない.Nelは(1)結 婚(実家との切断)(2)夫の裏切りと出奔(3)BoyBoyとの会見以後,寝室に 引きこもり,深入りしない程度の男性との交際と(3人のtheDeweysを含 めた)子供の養育だけに腐心するという Evaと同じ人生の行程を辿ってい ると言える.但し, Sulaと同世代のNelとEvaでは歴史的条件が異なる為 に, Evaの経験した(1)生活の保障の為の自己犠牲(2)夫への憎しみ(3)子供へ の愛の欠如という三点でNelは彼女と全く同じ「母親」ではあり得ない.Nelの方はEvaには常に共感を抱いており, 1965年に三人の子供と一人の 孫よりも長い人生を生き延びている彼女を養老院に訪れるのであるが,この
「母性」による連帯感の不当さはEva自身によって宣告されることになる.
然しながら,そのEvaとNelの相違にも関らず, NelとSulaの関係に 入る亀裂はこの「母性」の採択と拒否が原因となっていることは疑いを得ず,
NelがSulaの死lこ至る病気を患うのをNumber7 Carpenter's Roadにある Evaの古い寝室に見舞う時点では, Nelは「母親」からのSulaに対する復 讐という隠された動機を信じて, Evaの代弁をしていると言える.Nelは, Sulaが抵抗し軽蔑してきた価値観を受け継ぐ者たちを代表しており,両者 の間で交わされる会話はMedallion帰還直後のSulaとEvaの会話を努需 とさせる.Nelは,死の床にあって尚,
I
仕事なんかわたしには何の役にも 立ちゃしないわJ
(142)と「お利巧な口J
(同)を利くのを止めないSula の倣慢さに I(あんたは)どんなこともできはしないわよ.あんたは女だし,おまけに黒人の女じゃない?あんたは,男のように振る舞うことはできない のよ.
J
(同)と報復するe このように黒人女性であることの重圧を Nelが 話す時, Nel はSulaに復讐するだけでなく,自分自身にもその「母性」を 弁護している.かつて曾祖母の葬式にNewOrleansを訪れた旅の後で,鏡『スーラ』における失われた女同士の粋 59 をみつめて「わたしはわたしなんだわ.わたしはあの人たちの娘じゃない.
わたしはネルじゃない.わたしはわたしなのよ.わたしなのよ
J
(28) と肢 主将来彼女が出かけるであろう数々の旅行を想像した少女の面影は,この Sulaに対立する Nelにはない.Nelの言葉は同語反復に過ぎないと切り返 すSulaにNelは「…もしあんたに子供があったら,あんただってそんなこ と思わないわよJ
(142)と応じ,子供を持つ「母親」としての経験を振りか ざしている.それに対して, Sulaは r(子供を持ったとしても)あんたが男 って言う人聞のように振る舞うわJ
(143)と返答するのだが,完全に「母親」となり,
r
母親J
を代弁L,r
母親」の声で語っている Nelには聞き届けら れない.勿論, Sulaはその「母親」の論理を知らない程度に未熟であるわ けでも蒙昧であるわけでもなく, Sula はこの国の黒人女性がやっているこ とは 1切株のように死にかけてるJ
(143)ということであると知ったうえで,「わたしのさびしさはわたしのもの
J
(同)とする現在の生き方を貫いている のである.Sulaは世の「母親j たちから解放されることと,自らも「母親j となることのあり得ない生と死を求めているが,それはEvaの時代から連 綿と続く黒人女性の苦しみの連鎖を断ち切るという決意であり,また黒人女 性が完全な犠牲者や奉仕者の地位に徹することによる権力との結託を破壊す るという意志である.他方, Nelは「傷つけられた妻としての振る舞い方を 矢口っていJ
(120)て,残された子供たちに「表に出すのがこわいほど,もの すごく濃厚で途方もないJ
(138)ような愛を注ぐ母親を演じ続けるのである.では,このNelの「母性」と Sulaの「非・母性
J
は何処から来たものな のか.NelとSulaの歴史を辿れば,彼女たちにはそれぞれ彼らの生涯を決 定するような母親がいて,r
母親たち」も一枚岩ではないということが証明 される.Nelの母親であるHeleneWrightは,娼婦である Creoleの女性で ある母親と,その母親の働く娼婦の館から遠ざけて養育を施す祖母をもち,「湖の男
J
(17) との結婚により NewOrleansか ら 北 の Ohio州の Medallionに移り住み,家庭の主婦となることで社会的地位を上昇させたの60 『スーラ』における失われた女同士の粋
であった.彼女の唯一の子供Nelのそつのない結婚式を「この世に彼女が 存在し,考え,行なったすべての頂点
J
(79)であると考える彼女は, Nel が幼い頃から洗濯パサミで鼻を引っ張るよう命じ,また熱い櫛で「真直な髪 の毛J
(55)をつくりだしてやるのに余念がなかった.結果的には失敗に終 るJudeとNelの結婚は「彼女が持っていた生気や性急さをすりへらして,鈍い輝きに変えてしまっていた
J
(83)母親の教育が結実したものであった と言えよう.一方で, Sulaの母親HannahはMedallionで最も保守的な教 会通いに勤しむHeleneとは対照的に,夫Rekusの死後, Medallionの多 くの男性と肉体関係を持つ.Hannahは生物学的には子供をもうけた母親 であるにも関らず,I
母親J
である必要性を意識することを免れている.Hannahは職業としてではなく,また嫉妬からも解放されて,多くの男性 と性交渉を持ち,町中のあらゆる階層の女たちを苛立たせる為,女性との友 情は稀有で,長続きがしない.Sulaの先達とも言えるHannahの「母性
J
からの解放は,二人の女性PastyとValentineとの会話において,彼女が Sulaを愛してはいても「好きじゃない
J
(57)し,I
子供たちって,ちがう 人種だもの…J
(同)と認め,それを隠そうとはしない態度に表れている.Nelの保守的で貞節な母親が彼女の「生気」と「性急さ」を「鈍い輝き」に 押さえつけてしまうとしたら, Hannahは自由に↑生愛を楽しむことでSula
にその快楽を間接的に教え,また母親と子供は一体でなく,異なる二人の人 間なのだと教えている.Sula以前に, HannahはEvaによる Plumの故意 の焼殺の根底にある,親と子供は個別に存在することが出来ないという錯覚 を否定していると言える.
Hannahは, Sulaほどあからさまにでも攻撃的にでもないが, Evaの
「母性」を問う存在であり,彼女がEvaに「母さん,わたしたちを愛したこ とがあって?
J
(67)と問いかけることは非常に重要である.Evaは「おま えが考えているような仕方ではJ
(67)愛したことはなかったと答え, 1895 年当時の苦しみを語った後,I
それが愛じゃないのかい?J
(69)と彼女に切『スーラJにおける失われた女同士の粋 61 り返す.これまでも, Evaは自分の切断された足について何通りもの,真 実を回避する逸話を思いつくままに子供達に話して聞かせていたのであった が,それは最早Hannahにとっては「百万べんも聞かされた
J
(69)話であ り,それを避けて核心に触れる為に,共有された Plum殺しの秘密を持ち 出し,続けてその理由を問う.Hannahが子供達に尽くす「母親」を自認 する Evaの弱点を突いたその時,彼女は「二人の人聞が同時に同じことを 話しているときのように,一方の声がもう一人の声より一秒の何分のーか遅 れているようにJ
(71)r
二つの声でJ
(同)語り出す7ここでは,歴史的条 件の元に強力な「母親J
たらざるを得なかったEvaでさえも,分裂してい ることが判明する.Plumを殺したのは「一方」なのか「もう一方」なのか,かつて自己犠牲によってPlumを含めた子供達を貧困から救ったのは「一方」
なのか,
r
もう一方Jなのか.Evaの語る息子殺害の理由は戦争からの帰還 後,麻薬中毒となっていたPlumが彼女の子宮に戻りたがったが,自分には その空間がもうなく,彼が「男らしく死ねるJ
(72)ように彼を殺したのだ というものである.Evaがこれを語る時,つまり,自己弁護の作用をする 選択的な記憶以外の記憶を忘却できずに思い出すことを強いられて,r
母親」としての統一性を失っている時, Evaはその抜け殻となったかのように振 舞い,
r
指で服のひだをきちんと整えながら彼の名前を呼び続けJ
(72)る.或いは,これがEvaやNelの繰り返し演じ続けている「母親
J
の真の姿で あるのかも知れない.HannahはEvaとの上記のやり取りの後で,彼女自 身の「真紅の花嫁衣裳を着て結婚式をしている夢J
(74)が告げたように,強風のなかで庭の火をつけて,火達磨になって焼死するのであるが,
Hannahを助けようと階上の窓から身を投げたEvaは,再びその「母性
J
を間われることになる.結局, EvaはOldWilly Fieldsの救助で命拾いを して,
r
母性」の要請によってHannahと火の中で一体となることに失敗す るからである.Hannahの死に際して, SulaとEvaの反応の相違は対照的 である.Sula はHannahが焼死するのをただ見つめていることでEvaの,62 fスーラjにおける失われた女同士の鮮
子供の焼死に自動的に反応する「母親
J
としての身体を確かめているようで ある.だが, Sulaはその同じEvaがPlumを焼死させたことも知っている ので,深いアイロニーに気付かずにはおれない.SulaはEvaによる Hannahの遅すぎる救助をただ、みつめていることによって,彼女が黒人女 性の生きる苦しみの中で「母親j としての身の処し方を繰り返し演じ続けることで生じる過剰な執着から他者と自己の両方を犠牲にしてしまうことを発 見する.SulaはHannahよりもさらに意識的に,そのような「母性
J
から の解放を求め,そして一人で生きて死ぬ孤独を引き受ける.またSulaは自 分 が 理 由 な く , 半 ば 事 故 に よ っ て , 殺 人 を 犯 す 加 害 者 と な る 可 能 性 (Chicken Littleの死)や,r
金箔についての考え方が正しいかどうか知るた めにJ
(136)恋人のAjaxの顔から肉を引き剥ぐという類の「好奇心J
(同) や,後に死の床で「私,彼女があんなふうに跳び上がり,踊り続けてくれたらと思った
J
(147)ことを回想するように, Hannahが焼け死ぬのを見つ め続けるという残虐さを認めることもする.Sulaのあまりにも過激な率直 さは, Evaの「母親」としての自動的な反応や,瀕死のSulaを見舞いなが ら,社交辞令として具合がよさそうだと声をかける Nelの偽善と対立し,その強制的な「母性」の身振りの独善性は Sulaの「それが(善良なのは) あんたのほうだ、って,どうしてわかる?
J
(146)という疑問によって,鋭く 暴かれる.SulaはNelが最早その一員と化した「母親たちJ
(少なくとも,「母性」を疑うことのない共同体)に対して非常に半らつな制面を下している:
. the spiders whose only thought was the next rung of the web
,
who dangled in dark dry places suspended by their own spittle,
more terrified of the free fall than the snake's breath below. Their eyes were so intent on the wayward stranger who trips into their net, they were blind to the cobalt on their own backs, the moonshine fighting to pierce their corners. If they were touched by the snake's『スーラ』における失われた女同士の粋 63 breath, however fatal, they were merely victims and knew how to behave in that role (just as N el knew how to behave as the wronged wife) . . . But alive was what they
,
and now Nel,
did not want to be.(120) Sulaによれば,
r
母親J
になるとは生きるのを止めて少しずつ死んでいくことであり,彼女自身はそれを回避して,創意、を必要とし,要求する「自由意 志による落下
J
(120)を実践しつつ,生きょうとしていた。だからこそ,「芸術的な表現形式をもたない芸術家のように,彼女は危険な存在になった」
(121)のである.Nelが「母親」の役割を演じ続けることで「自由意志によ る落下」を恐れて,少しずつ死んで、いくことしかしていないとすれば,
r
母性」からの離脱を目指す自由人であるSulaは殆ど母親恐怖症 (matrophobia) の症状を示すまでに「母親」を嫌悪しているのかも知れない.8Sulaが救助 の 為に 階上の 窓 から飛 びl怒りる Evaをみつめながら,ただ動かないで Hannahの死に立ち会ったのは象徴的な出来事であったと言えるだろう.
Hirschはこの点でSulαに否定的な見解を示しているが, Sulaの「母性」
の拒絶は, Nelのその強制的な反復と比較した場合,画期的で十分に意義深 い行為と思われる.さらに「母性」の反復と拒絶を巡って,相反しまた相互 に補完する SulaとNelの関係はどう交わるのか,次章ではそれを考察する.
Eレズビアン
d
唱見としての Sulaここで思い起こしておきたいのが, Barbara SmithのSulαを「レズピア ン小説」として考える試みである.Smithは「女性人物たちの明白な異性 愛にもかかわらず,私は『スーラ』を読み直すうちにそれがレズピアン小説 として作用することを発見した。その理由は,スーラとネルとの激しい友情 が示されるのみならず¥作者モリソンが,男女関係の異性愛的制度である結 婚や家族に対して,一貫して批判的な姿勢をとっているからでもある
J
64 『スーラ』における失われた女同士の紳
(Showalter 207・208)と論じる.Morrisonの作品を postmodernist'text"
(McKay 94)と捉えるRobertGrant はこの試みを toomonistic" (McKay 93)と評し,さらにDeborahE. McDowel1はSmithがレズビアニズムその
ものの定義を暖昧にしていると批判した:
r
…スミスがレズピアニズムの問 題を単純化しすぎると同時にあいまいにしてしまった…たとえば『スーラ』をレズピアン的視野からのみ読むことは,この小説の濃密さと複雑さ,すな わちその民間伝承や前兆や夢の巧みな融合,その隠喰的で象徴的な豊かさを 見逃すことになる
J
(Showalter 233回234).だが, McDowellがSulaについ て以下のように述べる時,まさにその描写が暖昧に成らざるを得ないような この小説の可能性をやはり示唆しているのではないかゾNot only does the narrative deny the reader a central' character, but it also denies the whole notion of character as static essence, replacing it with the idea of character as process" (81). Morrison自身, Nelよりも Sulaを積極的に 評価する一方で,その両者の関係について考えることは避けられないと感じ ているようだ: Yetshe [Sulal and Nel are very much alike. They complement each other. They support each other. 1 suppose the two of them together could have made a wonderful single human being. But, you see, they are like a Janus' head" (62). NelとSulaの出会いそのものは1922年に夫々 12歳という年齢で,深遠な孤独を持て余す「ひとりぼっち の小さな女の子
J
(51)同士であった時に起こっており,当時Nelは「誰か 火のように情熱的な王子J
(51)を待ち望み, Sulaは屋根裏で「砂糖をなめ,ぱらの匂いをかぎ…灰色と白の毛をした馬に乗って疾走
J
(52)するのを空 想するという,まさに補完的な白昼夢の狂気のうちに二人は在った.だが 12歳で既に彼らは「白人でもなければ男でもないことJ
(52)と,それ故に「あらゆる自由と勝利は禁じられて
J
(同)いることに自覚的で,それで、いて 尚,r
何かほかのものJ
(同)を創造しようとしていた.その「何かほかのも の」とは市可であったのか.そして,この互いに相同形を描く補完的な三人の『スーラ』における失われた女同士の粋 65 人間の遭遇について,何が言えるのか.
I
母性J
の演技者とその仮面を暴くものとはどう補い合い,交錯するのか.レズピアニズムという女性同士の粋 の定義が物議をかもすものであることは確かだが, SulaとNelの関係をそ れと名指したSmithの見解を我々は言下に否定できない.9AdI色 町1eRich
コンテイヌウム
もまた,ルスゥーアの『少女』と共に『スーラ』は彼女がレズビアン連続体 と呼ぶところのものを「しっかり見すえて
J r
ロマン主義によって汚されて いない…女同士の一体感を示しJ
(102)I
女の注意を惹くための異性愛的強 迫観念の競争を描き,もっと意識的なかたちをとるなら愛と力を再統合する かもしれない女の結びつきの,拡散と挫折を描いているJ
(同)と論じ,Smithと同じ意見を提出している.本章ではこの三人の女性の関係を,彼 女らに加えて第三項或いは媒介としての男性との護点に注目しながら,検討 する.何故なら,このSulαにおいては,注目に価する男性たち (Jude Greene, Ajax, Tar Baby, Plum, Shardrack)は戦争体験,麻薬中毒,雇用 の問題,母親との濃密な関係といった観点において,黒人として,或いは黒 人の共同体からさえも徹底的に疎外された存在である為,男性同士の鮮を結 び,公的生活に参与することに失敗しているからである 10寧ろ,彼らは SulaやNelとの関係を通して,この作品において前景化されている女同士 の鮮に奉仕する役割を果していて興味深い.
さて,それ以前は固く結ぼれていたNelとSulaの鮮がJudeGreeneの 前者との結婚と後者との姦淫によって不可避的に引き離されるということは 既に述べた.Jude はtheN ew River Roadで道路建設の仕事に携わること によって得られる「道路作業員同士の友情
J
(82)を熱烈に望んで、いたが,結局雇用されず,そしてまさに,彼の「恥辱と怒り
J
(84)への反応がNel をSulaから引き離すことになる.後に, Sulaと懇意になるAjaxが言う様 に,男達が「男の役割を果したいという燃えるような決意J
,或いはそれに 失敗した惨めきを共有し慰めてもらいたいという希望から結婚を求めるとす れば,女性は「自分たち自身の苦しみJ
(83)を欲しているので,その弱さ66 『スーラ』における失われた女同士の幹
の前に他の女性との連帯を犠牲にしても,妻,そして後には「傷つけられた 妻jの役割を果すことを選ぶのである.結婚は全てを変え,二人は「まった く同じもの
J
(119)ではなくなってしまう.つまり,I
白人でも男でもないj 女たち 少なくとも Nel は,彼女達にとっての唯一の公的領域への参与となりうる結婚生活を選び、取った時から,互いに無力である黒人の女同士の 鮮を維持することは不可能になるのである.とはいえ, NelはSulaと Judeの姦淫の現場に直面するまで,その友人の貴重さを全く忘れてしまう わけではない.Sulaは新婦の付添い人を務めた Nelの結婚式の後で Medallionを去り,以後10年間,放浪生活を続けるので,彼女がNelと出 会うのは,町人に邪悪さを連想、させる「やっかいなコマツグミの群れ
J
(89) に付き添われた,放浪からの帰還の後である.Sulaの帰還は一旦はNelに「白内障が癒って,片方の目が昔同様に使えるようになった感じ
J
(95)にも 似た5月の「魔法J
(同)を見させるので,その笑い声は猫を怯えさせ,子 供達を中庭から連れ戻す程である.Sulaは「彼女を笑わせ,古いものを新 しい目で見させ,いっしょにいると,自分が賢く,おとなしく,ほんの少し わいせつになったような気分を感じさせるひとJ
(95)なのである.Nelは, 話し掛けることが自分との対話になるその友人のお蔭で, Judeとの結婚生 活に対する気持ちまでもが「陽気でのんびりした愛情に変わり,その戯れの 気分が二人の愛の行為にも反映されてくるJ
(95)ことを認めている.だが,Sulaが頭のなかの「わたしの前にも後にも
J
(144)聞いていた「その空間 を満たしてくれたJ
(同)Judeと性交渉を持ち,その後で彼を容赦なく見捨 ててしまうので, NelはSulaを憎み,彼女の言葉を理解することが出来なくなる.二人の関係が発覚した際のNelの反応は「これから先の長い歳月 の閲ずーっとわたしは,わたしの脚の問にけっして誰も入ってくる人がない まま,四本の取手がついたあの棺のところまではるばる歩いていかねばなら ない
J
(111) とは「やさしいイエスさま,これはいったい,どういう十字架 なのでしょう?J
(同)というもので,その後彼女はEvaの「母性J
を踏襲『スーラ』における失われた女同士の終 67 するべく,
r
ものすごく濃厚で途方もないJ
子供への愛を持て余す母親とな る.この時から Nelは「泥だらけの紐でできているが,重さがなく,ふわ ふわしてはいるものの,恐ろしい悪意にみちたボールJ
(109)に付き纏われ,「それを見まいとする努力
J
(同)をせざるを得なくなるのだが,この毛玉は Judeの喪失ではなく, Sulaの喪失を喪失として意識できず,彼女に怨恨を 募らせるだけのNelのあまりにも規範化した振る舞いに相応する 11その毛 玉を見ない努力を続ける Nelは性行為の対象を失って,ただ「母親」の役 割を演じ続け, Sulaの葬式にも出席しないEvaにのみ同情と親近感を抱き 続けるが, Sulaの死後25年が経過してからそのEvaによってNel自身は 圧倒的にSulaに近い存在であったことを指摘される.養老院に訪ねたEvaによって殆ど故意にSulaと取り違えられるNelは,その折の会話から初め て,彼女は「あのころずっと,わたしはジ、ユードがいなくなったからさびし いのだと思ってた
J
(174)のにも関らず¥実はSulaを愛するようには夫を 愛していなかったということを自覚する.Sulaの喪失を喪失と認識できた 時, Nelは「柔らかい毛皮のボールが破れ,そよ風のなかのたんぽぽの綿毛 のように吹き散J
(174)るのを体験する.このように, Jude Greeneを通して, Nelが共同体の規範に即して,結婚 を選ぴ,夫のSulaとの姦淫を経て,さらに「母性」を強化させていく過程 が明らかである一方で, SulaとAjaxの関係はそれとは対照的に,結婚生活 や「母性」への嫌悪によってのみ支えられ,初めて「占有
J
(131)を学ぶ Sulaにはその直後に彼との別離と死が準備される.結婚後, Nelが「彼女 らの一員J
(120)と化してしまい,そしてSula自身が10年間の放浪生活 を体験した後で,彼女と「まじりけのない話しあいJ
(127)を交わすことが 出来るのは,ある日好奇心から牛乳瓶を持って現れたAjaxだけなのである.Sulaは既に放浪生活の聞に, NashviIle, Detroit, New Orleans, New York, Philadelphia, Macon, San Diegoで「退屈さ
J
(120)を発見し,また全て の都市の人々が同化されて「大きなひとつの型の人間J
(120)と化し,r
い68 『スーラ』における失われた女同士の粋
つも同じ愛の言葉,同じ愛の慰め,同じ愛の冷め方
J
(121)を共有している ことを知ったのだ.Sulaは実は「友達」を探していたのだが,1
恋人は一女 にとって一同志でなく,決して同志になることはできないJ
(121)と知り,彼らとは純粋に性行為を楽しむに留まっている 12帰還後, Sulaが「他人の 生活についての月並みな話題
J
(127)に慣れ, Medallionへの不満を募らせ ていくなかで,また,白人男性と性交渉を持つという「許すべからざる罪J
(112)を始めとした「実験的な生活
J
(118)を実践することで住民側からリ ア
「世間から爪はじきされている存在
J
(122)とみなされていくなかで, Aj・ax だけが自分の母親であるところの「呪文を唱えて悪霊を呼び出す女J
(126) に似たSulaを同じように強靭で、賢明で興味深い女性であると考え,対等に 扱い,敬い,その話に耳を傾ける.だが,そのような会話の後で, Sulaは Ajaxと性交し,彼に跨り,1
恐ろしい高みJ
(130)から彼を見下ろしながら,彼女が夢見るのは彼の身体を穿孔することである:
And if 1 tαkeαnαil file or even Eva's old pαring knife‑thαt will dか ー
αnd scrαpeαωαyαt the gold, it will
f i
αIIαωαyαnd there will be dαbαster. The αlαbαster isωhαt gives your face its planes, its curves. Thαt is why your mouth smiling does not reαch your eyes. Alαbαster is giving it αgravity thαt resists αtot,αl smile. (130)そして,さらに雪花石膏の割れ目に「肥沃デ,小石ヤ小枝ノナイ,ローム」
(130)を見ることを想像している.そして「ワタシハ,アンタノ土ニ水ヲヤ リ,ソレヲユタカデ湿ッタモノニショウ
J
(131)と考えるのだ.Sulaは「母性」を排除して,代わりに恋人の身体を「占有」し,その身体に孔を穿 ち,その崩れた身体を育て,守りたいと考えている.このようにして,
Sulaは「占有」を学習し,緑のリボンを髪に結わえるのに始まって,風呂 場を磨き上げ,ベッドをこしらえ,食事を二人分用意するなどといったこれ までの自由さ,気まぐれきを裏切る行動を取り始めることになるので,
『スーラ』における失われた女同士の鮮 69 Aj・axはDaytonで行われる航空ショーを見物する為に,逃げ出してしまう.
Sulaは死体に水をやり,それを豊かにし,潤したいという奇妙な「母性
J
とでも言うべきものを獲得した後で,己自身の死に向けて準備をする.それ は「生まれてはじめて完全に孤独に
J
(148)なるという体験であり,またま さに「肌に吸いつくような水のやさしさのなかにすべりこみ,水は彼女を包 み,支え,疲れた肉を洗ってくれるJ
(149)という体験でもあり, Sulaは それを「そのうちネルに話してあげようJ
(同)と考えながら,死ぬ.Sula は,完全な孤独のうちに起こる死を,r
母性J
を棄却し,r
実験的な生活」を 選ぴ,共同体によって「パリアJ
とみなされることを引き受けた者の罰とし て受け入れるのではなく,生の最終段階としての死の恐怖に果敢に直面し,不安を解消させて,唯その体験を最早「彼女らの一員」でしかないかも知れ ないNelと共有したいと望むのである.
だが,何故Nelなのか.それは, 1922年の夏に起こったChickenLittle という少年の殺害の秘密の共有を巡って, Nelは既に Sulaの味方であった からである.この事故の起こった日, Sulaは母親のHannahが彼女を「好 きではない」というのを物陰から聞いているのであり,
r
こわくて嬉しい叫 び声J
(60)を上げる ChickenLittleをぐるぐる廻した挙句,その手を滑ら せて,彼を半ば事故で溺死させてしまうことは「母親の責任J
を放擬するこ とに等しいと言える.これはEvaがPlumを母親の責任において殺害した のと対照的な行為であるだろうYNelはその後の葬式で,二人の聞の「ある 空間,ある隔てJ
(64)を知覚しており,ただ涙を流している Sulaとは違 って,r
自分が『何もしなかったJ
ことを知ってJ
(65)いるが,密かに罪に 問われることを恐れてもいる.SulaがこのChickenLittleの殺害において「母親
J
としての責任を持つことを放棄する決意をしたとしても,この時の Nelはその決意を共に担う明確な意志を持っていないように思われる.然し,1965年にNelが養老院に Evaを見舞う時,それまでNelがEvaに対して 抱き続けていた「好意
J
(171) と,同じ「母親」としての共感は,無残に崩70 『スーラ』における失われた女同士の紳
れ去る.年老いて痴呆の症状を示している筈のEvaがChickenLittleの殺 害を目撃したと脅迫して,敢えてNelとその直接的な加害者である Sulaと を同一視してみせる為,初めてNelは,自分が, Evaではなく,寧ろ Sula の側に立って,町全体の人々の彼女に対する「悪意
J
(171)に疑いを持ち,それを憎むべきだったのだという考えを持つに至る.そのようにして, Nel 自身は「母親」であるより前に, Nelであり, Nelであるより前には「わた しj であるべきだったのだ.NelはEvaの指摘によって, Chicken Little の死における,自分自身の「成熟,落ち着き,憐れみ
J
(170)は「喜ばしい 刺激のあとにくる平静な気分J
(同)に過ぎなかったのだと認識する.Nelは「ちょうど,チキン・リトルのからだがかきたてた波紋の上を静かに水が ふさいでしまったように,満足の思いが歓びを押し、流してしまった
J
(170) のを思い出す.二人は葬儀の後の埋葬の際には,手をつないでいて,どちら も棺だけが地中に埋められ,I
あの泡立つような笑いや,てのひらに残った 指の圧力は,永久に土の上に留まることJ
(66)を共に理解していたのだ.さらに,殺害以前に, NelとSulaは「墓」を準備しながら,
I
突然訪れた 荒々しい気分J
(57‑58)を体験していたのではなかったか.二人は「葉がか らみあった四本の木が涼しそうな蔭を作っている広場のような所J
(57)に 寝転んで,葉を指で押したり引張ったり,厚い小枝の樹皮を引き剥がしたり の草遊びを楽しんだ後で,孔を掘ることに夢中になる:But soon she grew impatient and poked her twig rhythmically and intensely into the earth
,
making a small neat hole that grew deeper and wider with the least manipulation of her twig. Sula copied her, and soon each had a hole the size of a cup. Nel began a more strenuous digging and, rising to her knee, was careful to scoop out the dirt as she made her hole deeper. Together they worked until the two holes were one and the same. . . . Carefully they replaced the soil and covered『スーラjにおける失われた女同士の紳 71 the entire grave with uprooted grass.
Neither one had spoken a word. (58‑59)
この時,確かに無意識で、はあるが官能的な時間をSulaとNelは共有してい る.二人はこの場面で「二つののどと一つの目をもった少女
J
(147)と化し,行為者が互いに混じりあいながら,共に墓を掘るという倒錯した時間を過ご しているのだ.その後, NelとSulaは「口にすることのできない動揺と興 奮
J
(59)に捉えられるのだが,これは彼女らがまだ未熟であり,自分達の 体験している感情を名付けることが出来ないからであろう.Sulaの以後の「実験的な生活」はこの少年の殺害前後の感情に忠実であるところから生ま れ, Nelの規範的な生活は,その感情をSulaに転化することで,抹殺して しまうところから生じているように思われるが,それならば, Nelが「母性」
と引き換えに自覚の無いままに逃避するようにして喪失したこの感情とは何 であったのか?
Chicken LittleがSula/ Nelをその殺害の秘密によって結び付ける媒介 であったとすれば,戦争の後遺症を患い,共同体の底辺且つ周辺に留まる Shadrackは, Chicken Little殺害直後のSulaに「ずうーっと
J
(149)と 言う言葉を与え,I
水の眠りJ
(同)を約束し,また Sulaの死後25年を経 たNelの墓参りとそれに続く認識の訪れに立ち会う第三項である.14Sulaを「バリア」として扱う共同体の中で, Shadrackだけが彼女に敬意を表し,
「水の眠り」を約束することで慰め,その日の上のあざを再生の徴とも解釈 できる「おたまじゃくし
J
(156)であると考えたのであった.Shadrackは またBottomという土地が,その共同体が邪悪な存在として退けていた Sulaの死の後を追うように衰退していく現場にも立ち会う.Sulaの死後,疫病と極度の冷気に襲われた冬の翌年の一月三日に起こった突然の陽気のせ いで,嘗てはShadrackを瑚笑していた多くの人々が彼の後につき従い,行 列を構成し,何度も何度も雇用を期待させられては,それを遅延させらてい
72 『スーラ』における失われた女同士の幹
た腹いせに, トンネルを「破壊し
J
(161)てしまうのだが,その結果取り払 われた構盾によって起こる洪水の中で彼ら自身が死に至るのである.この時 まさにShadrackの唱道する「全国自殺記念日J
(7)が実現するのである が,I
彼の訪問者は死んでしまい,もう二度と来はしないのだからJ
(158), 彼はカウベルだけを鳴らしながら呆然と立ちすくむしかない.戦争中から,谷間と Bottomとにおける黒人と白人の住み分けが崩れ始めたこの土地は,
既に失われてしまっており,取り戻されることはない.40年前に比べて,
黒人を取り巻く雇用の状態は向上しているのであるが,若い人たちを自分の 世代とは「まったく違う
J
(163)と考える NelはBottomの衰退を「それ は悲しいことだ、った.ボ、トムは本当にいいところだ、ったからJ
(166)と考え ている .Sulαという小説はこのようにして第一行目で説明されるところの the Medallion City Golf Courseが建設されようとしており, Bottomとい う場所が存在したことが過去のこととされている現在とその土地の「ニガー のジョークJ
(4)に端を発するという起源の話 白人の農夫が奴隷に約束 した肥沃な谷聞の土地を譲る代わりに,I
天の最抵部J
(5)として高いEの 土地を与えた とに戻る 15既に失われているBottomという場所において,貧困層の女系家族出身のSulaが「母性」を拒絶し,中産階級への参入と地 位の維持と向上を目的とするWrightの娘Nelが「母性」を選ぴ取ることで,
喪失されたSula/ Nelのあり得たかも知れない関係の物語もやがて風化し てしまうだろうことは予測がつく.それを辛うじて留めさせているものがあ るとすれば,それはSulaの墓石の前で,彼女の死後25年を経てNelに訪 れる「わたしたちは,仲のよい友だちだった
J
(174)という認識と,その後 に続く「心底からの号泣 大声で,長いことーだったが,奥底もなければ,頂きもなく,ただいつまでも環を描きつづける哀しみだけ
J
(174)が残る働 突の衝撃である.そして,今やNelをSulaと関連づけることが出来なくな るほどに老いたShadrackだけが,嘗てNelがChickenLittleの溺死を目 撃し,喜びを感じもした後で, Sulaを通して彼の言葉である「ずうーっと」『スーラ』における失われた女同士の粋 73 を伝え聞き,彼の存在を認めたように,彼女がSulaの墓地を訪れるのにす れ違い,その認識の訪れに立ち会うのである.Shadrackに聞き届けられる かも知れないNelの叫ぴは, Sulaとのあり得たかも知れない関係を巡って,
白人でも男性でもない黒人の少女の極私的な領域に垣間見られた「何かほか のもの」を創造する可能性とその喪失を告げている.ここで初めて, Nelは Sulaの喪失を喪失と認識し,その死の喪に服することが出来る.Nelが失 ったのはBottomというその名前自体が皮肉な「ニガーのジョーク」から生 じた土地において,全く新しい個人の誕生を予感させるSulaという存在で あったのだ.嘗て病床でSulaは自分が愛される可能性についてこのように 語っていたではないか:
. . when Lindbergh sleeps with Bessie Smith and Norma Shearer makes it with Stepin Fetchit; after all the dogs have fucked all the cats and every weathervane on every barn flies off the roof to mount the hogs. . . then therぜ11be a little love left over for me. And 1 know just what it wi1l feellike." 045‑146)
SulaはAjaxの失院後の孤独の中で,
I
ワタシハ歌ッタ,スベテノ歌ヲ,ス ベテノ歌ヲワタシハ歌ッタ,アリッタケノ歌ヲJ
(137)という歌調から成る 短く,とりとめのない歌を歌うのだが,彼女の歌った全ての歌の中で,最も 印象的であったのは, Nelとの友愛関係の歌ではなかったのか.Nelが小説 の最後でその喪失を嘆くところの,r
母親」にとっての禁忌であり可能性で もあったものはまさにr
(Lindberghに憧れるが空を飛ぶ機会を与えられな い)Ajaxではなく,白人の男性である Lindberghでもなく,それ以上に強 く禁じられた)女が (BessieSmithのような「芸術家」としての素地をも った)Sulaと寝て(或いはそれぞれの恋人や夫に対する以上の共感を分か ち合うことで)J生ずる女同士の鮮で、あったに違いない1674 『スーラjにおける失われた女同士の粋 注
1 Hirschはエディプスの物語やフロイトの家族物語に基づいた家族構造の伝統的
マザーフッド
な表象への視点を変化させ,母性という西洋文化においては語り得ない物語を発掘 しようとする試みの中心にBelovedを据えている.
2作品の考察を行うに当たって,本稿が依拠しているのはJudithButlerのgender の行為の定義である:I他の儀式的な社会ドラマと同様に,ジェンダーの行動には,
反復されるパフォーマンスが必要である.この反復は,すでに社会的に確立されて いる一対の意味の再演であり,同時に再経験である.それはその意味を合法化する ための,日常的で儀式的な形態であるJ(246).従って, Butlerによれば,課題は
「反復すべきかどうかということではなくて,どのように反復すべきかということ である.実際には,反復しつつ,その反復を可能にしているジェンダ一規範を,ジ ェンダーのラデイカルな増殖をとおして,どのように置換していくかということJ
(259‑260)になる.
3 K. Sue Jewellによれば, 1980年代までアフリカ系アメリカ人の女性の文化イメ ージには本質的に mammy,Aunt Jemima, Sapphire, and Jezebel or the bad‑ black‑girl" (36)の4種類であった.これに並行して, be11 hooksが指摘するとこ ろでは白人の社会学者たちは黒人女性が黒人男性と比べて家族の中で権力を有して いるといったような thematriarchy myth" (80)を提供しており,この神話を受 容することは性差別・人種差別の圧力と闘う為に黒人の女性達が集合的に組織する 可能性を減退させるものであると考えられる.Evaは上記の最初の三つのイメージ と thematriarchy myth"の範鳴で捉えられ得る人物かも知れないが, Sulaは邪 悪さと黒人の共同体から名指されるほどに従来の周定観念からかけ離れて傑出して おり, thematriarchal myth"に抵抗すると共に, Jezebel"のイメージにも抵抗 している.
4 1852年から1873年の設定であるところのBelovedにおけるSetheの置かれてい る状況と対比されるEvaPeaceの状況を考察するにはJacquelineJonesによる南 部都市の1880年一1915年の分析が役に立つ.Jonesは南部の都市の働く女性の代 表的な職業として(1)家政婦や洗濯婦,(z)タバコ工場の未熟練労働者, (3)裁縫師と教 師の三つ型の仕事を挙げながら, I賃金労働に従事すること以外,ほとんど選択の 余地はなかったが,一家の稼ぎ手である女性が,アメリカの都市部において伝統的 に温存されてきた労働倫理に完全に従わなければならない理由などなきに等しかっ たJ(153)と述べ,その結果として, I古ぼけた規制J(154)とf南部都市のすべ ての黒人の生活に影響をおよぼす新しい雇用形態J(同)との両方を象徴していた と説明する.この時代には,都市部南部では白人の覇権への挑戦が始まり,黒人女 性たちは「都市の風景を包みこむ暴力的な脅迫や,ジム・クロウの新しい波に立ち
『スーラ』における失われた女同士の終 75 向かうことをみずから主張しようとしていたJ(154)のであるから,彼女らの置か れた状況に改善の兆しが見え始めていたと推断することは不可能ではないが.Eva の苦しみは当然この楽観的な見解を裏切るものである.
5本稿におけるSulαからの日本語での引用は大社淑子による翻訳の『スーラ』を 参照している.但し,括弧内に記載したページ数は原典のものである.
6 Evaの行為は彼女の苦悩を考えれば,正当化されるべきだと考える批評家は少な くない.例えば,大社淑子も『トニ・モリソン 創造と解放の文学jにおいて「エ ヴァの生は,いわばマイナス面をプラスに転じた積極的な生であり,否定的な力を 建設的に用いた意志の勝利だと言うことができょうJ(74)と述べている.
7 HirschのSulαに関する立論はEvaのこの「二重の声」に依拠していると恩わ れる:
r
エヴァが苦しい説明をする際に使う二重の声…は,個人的な主体,および 母親といった,彼女に負わされた二重のアイデンティティを意味しており,おそら く自己分裂が必然的に母親の話法を特徴づけ,形作ることを示しているのだろう.テクストは三人称の語りと一人称の語り,自由で間接的な思考と対話を結び合わせ ており,二重の声を実際に出現させているJ(354).
8 HirschはAdrienneRichの定義を引きながら.
r
母親恐怖症Jという現象を以下 のように捉えている:r
(1970年代の)フェミニズムの家族物語の中心になってい るのは,明らかに娘である.ここで母親は明白に,恐ろしい他者,娘の出現しつつ ある主体にとっての客体の立場のままである.母親恐怖症とは,r
誰かの母親であることや母親に対する恐怖ではなく,誰かの母親になることへの恐怖である1... J
(266) .然しながら,強制的「母性」を習得するNelと比較する時,この症状は Sulaの強みともなり得る.
9 Sulaを「レズビアン連続体」を見据えた小説と解釈するAdrienneRichはその 言葉の起源に触れてこのように述べている:
r
レズピアン連続体という用語には,女への自己同定の経験の大きなひろがり一一人一人の女の生活をつうじ,歴史全体 をつらぬくひろがりをふくみこむ意味がこめてあって,たんに女性が他の女性との 生殖器的性経験をもち,もしくは意識的にそういう欲望をいだくという事実だけを さしているのではない.それをひろげて,女同士のもっと多くのかたちの一次的な 強い結びつきを包みこんで,ゆたかな内面生活の共有,男の専制に対抗する粋,実 践的で政治的な支持の与えあいを包摂してみよう.またできれば,結婚への抵抗を 連想し,またメアリ・デイリーが語源を確認したあのhaggard[やつれた,ぎすぎ すした,荒々しい,などの意]な態度…を連想、しながら,この語を聴いてみようJ
(87) .また, Lillian Fadermanは19世紀末から20世紀後期にかけてのレズピア ンの歴史をまとめた著書『レスビアンの歴史』において.
r
レスビアニズムに関して不変の真理などあり得ないJ(379)こと.
r <
女どうしの愛〉の定義づけにも,そ76 『スーラ』における失われた女同士の鮮
の愛を基盤にした社会生活にも,政治行動にも,普遍的なものなどいっさい存在し ないJ(同)ことを認めざるを得ないことを告白している.
10 Eve Kosofsky Sedgwickは『男同士の粋 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』
において,主に18世紀中葉から 19世紀中葉にかけての小説に描かれた,イギリス の文学作品における「男性のホモソーシャルな欲望Jを検証している:I男性支配 社会では,男性の(同性愛を含む)ホモソーシャルな欲望と家父長制の力を維持・
譲渡する構造との聞に,常に特殊な関係が潜在的に力をもちうる,独特の共生関 係が一存在するのだ,と.時代によってその関係はイデオロギー上はホモフォピア として,あるいは同性愛として顕れるだろうし,そうでなければ,このふたつがひ どく反発し合いながら強烈に構造化され組み合わさって顕れることもあろう. (家 父長制と女性同性愛との間にも,常に特殊な関係があることは間違いないが,その 場合,その関係は異なった[時には正反対の]根拠およびメカニズム作用の上に成 り立っと言える)J (38).また,彼女は主に人類学の学問領域に注目しつつ, I家父 長制社会における異性愛体制を的確に論じようとすれば,なんらかのかたちで女性 の交換という観点を採り入れなければならないと主張しているJ(38) Gayle Rubinを引きながら, I女性の交換とは,男同士の鮮を揺るぎないものにするため に,女性を交換可能なおそらくは象徴的な財として使用し,その根源的目的を達成 することであるJ(同)と論じている.この現象がSulaには適用できないというこ とは,これが家父長制の社会と密接に関連しながらも,異なる位相に位置付けられ た小説であることを示唆している.
11 Butler は(1)I悲哀の作用(対象が喪失されるだけでなく,喪失としてはっきりと 認知される作用)に寄与するプロセスJ(130)としての取り入れと(2)I対象が何ら かの方法で『身体のなかに』保持される,否定され宙づりにされた悲哀の状態 に 属するJ(130)メランコリーとを区別している.Iメランコリー」は同性愛タブー の考察において,重要な概念となる:Iフロイトによれば,異性愛の対象の喪失は,
その対象の置換という結果をうみ,異性愛という目標そのものは置換されない.他 方,同性愛の対象の喪失には,目標と対象の両方の喪失が必要となる.換言すれば,
対象が喪失されるだけでなく,欲望も完全に否定さ・れ,
r
私はその人を失ったわけ ではない,その人を愛したことなどない,事実,その種の愛を感じたことなどまっ たくない』ということになる.こういうふうに愛をメランコリーで保存することは,この否定が全過程でおこなわれるために,いよいよ確実に守られるのであるJ
(132) .
12 引用した文章の中の「女同志」の表記は本稿の表題のそれとは異なるが,ここで は大社淑子の翻訳に忠実に記した.
13 HirschはNelとSulaがChickenを救おうとせずに溺死させたことを「エヴァ