税法の解釈方法と武富士判決の意義
著者 田中 治
雑誌名 同志社法學
巻 64
号 7
ページ 2229‑2275
発行年 2013‑03‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014487
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二〇三
税 法 の 解 釈 方 法 と 武 富 士 判 決 の 意 義
田 中 治
目次はじめに一 武富士事件の概要二 武富士控訴審判決の批判 1 高裁への鑑定意見書 2 最高裁への鑑定意見書三 借用概念論と税法における住所の意義四 租税回避論における公平感の機能 1 租税回避行為の意義とその否認の論理 2 本件行為の租税回避行為該当性おわりに
二二二九
( )同志社法学 六四巻七号二〇四税法の解釈方法と武富士判決の意義
はじめに
本稿は、いわゆる武富士事件
)1
(について、その解釈論上の方法に関して若干の検討をすることを目的とする。 一つは、本件に関して争われた﹁住所﹂の解釈をめぐる問題がある。この問題は、基本的に、税法における住所の概念が民法のそれを基礎とするところから、一般には、税法における借用概念の解釈として考えられている。しかしながら、借用概念論とともに、そもそも、税法においては、なぜ、国が全面的な課税権を行使しうる基本的な要件として、納税者の住所が国内にあることを求めるのか、という視点からの考察が併せて必要になると考える。国家の課税権行使の正当性の一つとして、国と納税者との結びつきに関してどのような紐帯が、なぜ、どの程度必要になるのか、という考察は、税法における住所要件の存在理由を改めて問うものといえる。 第二に、本件においては、納税者の行為を租税回避とみる見方を採用するかどうか、そのような見方が住所をめぐる解釈の帰結を左右するかどうかという点において、各審級間において違いがある。 本件において、そもそも租税回避行為とは何をいうのか、本件行為は租税回避行為に当たるのか、本件行為が租税回避行為に当たるとすれば、それは何を根拠にどのように処理されるべきか、という問題が問われている。 租税回避又は租税回避行為の概念は、実定法上の根拠がなく、論者によってその説くところは種々であるが、後に述べるように、本件の納税者の行為は、伝統的な意味の租税回避行為ではなく、一般的に、租税負担の軽減行為ということができる。納税者の行為は、日本に住所があれば、無制限納税義務者として、贈与税の課税を全面的に受けることを避けるために、日本に住所がない状態に移行するというものである。そのような行為に対する道徳的な評価はともかくとして、法的には、当該行為は、贈与税の課税要件の充足を避けたものにすぎない、というべきである。 二二三〇
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二〇五 このようないわば課税要件を外す行為については、これを法的に否定する明文の根拠規定は存在しない。本件においては、課税の公平の観念又は感覚を基礎に、住所概念の拡張が課税庁によって試みられ、それが控訴審判決においては成功したものの、最終的に、最高裁判決において退けられた、とみることができる。 以下に述べるように、本件に関して最高裁判決の採った手法と結論は基本的に妥当と考える。 なお、以下の検討の過程においては、本件に関して私が裁判所に提出した鑑定意見書(平成一九年一〇月に東京高裁に、及び平成二一年六月に最高裁にそれぞれ提出したもの)につき、両者の叙述が互いに重なる部分を含めて、ほぼそのままの形で掲載する。今回の最高裁判決に至る、あるいはこれと関わる各種の見解の一つとして、資料的価値があるかもしれないと考えるからである )2
(。
一 武富士判決の概要
⑴ 本件は、贈与税決定処分取消等請求事件である。 原告(納税者)は、平成九年六月二七日から平成一二年一二月一七日までの期間、A社の香港駐在役員として滞在していたところ、平成一〇年三月二三日、その両親から、両親がオランダの有限責任非公開会社への出資として保有する持分を贈与された。本件滞在中に占める納税者の香港滞在日数は、六五・八%であり、日本滞在日数は二六・二%である。 平成一一年の改正前の相続税法においては、原告は制限納税義務者であるため、日本に住所がなければ、当該贈与について贈与税はかからない。なお、香港には、贈与税はない。課税庁は、本件納税者の住所は日本にあるとして、贈与
二二三一
( )同志社法学 六四巻七号二〇六税法の解釈方法と武富士判決の意義
税の決定処分、無申告加算税賦課決定処分をした。その総額は、約一三〇〇億円である。 争点は、本件贈与の時点で、納税者が日本に住所を有していたかどうかである。納税者は、不服申立てを経て、提訴に及んだ。 ⑵ 第一審裁判所 )3
(は、﹁原告は三年半ほどの本件滞在期間中、香港に住居を設け、同期間中の約六五パーセントに相当する日数、香港に滞在し、上記住居にて起臥寝食する一方、国内には約二六パーセントに相当する日数しか滞在していなかったのであって、原告と亡BないしA社との関係、贈与税回避の目的その他被告の指摘する諸事情を考慮してもなお、本件贈与日において、原告が日本国内に住所すなわち生活の本拠を有していたと認定することは困難である﹂として、原告の請求を認めた。 これに対して、国は控訴した。控訴審裁判所
)4
(は、原判決を取り消した。 控訴審判決は、住所を﹁生活の本拠﹂とした上で、﹁一定の場所が生活の本拠に当たるか否かは、住居、職業、生計を一にする配偶者その他の親族の存否、資産の所在等の客観的事実に、居住者の言動等により外部から客観的に認識できる居住者の居住意思を総合して判断するのが相当である﹂とした上で、納税者の本件滞在期間中の生活の本拠は、その滞在期間日数を考慮してもなお、日本(本件杉並自宅)にあったものとして、課税処分は適法であるとした。その根拠は、杉並自宅の納税者の居室は、香港に出国した後も家財道具を含めてそのままである、納税者は日本滞在中は杉並自宅で過ごしている、納税者は重要な役員としての任にあり、香港滞在期間中も昇進をしている、納税者にとっては、A社の所在する日本が職業活動上最も重要な拠点である、納税者は香港滞在に際して衣類程度しか携帯していない、納税者が香港で有していた財産はその資産のごく一部であるにすぎない、納税者の居住の態様からみても、香港を生活の本拠としようとする意思は強くはなかった、などとする。 二二三二
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二〇七 ⑶ その後、納税者の上告受理が認められ、口頭弁論を経て、最高裁判決は平成二三年二月一八日に原審判決につき破棄自判をし、納税者を勝訴させた。最高裁 )5
(は、大要次のように判示している。 贈与税の課税要件である住所とは、﹁反対の解釈をすべき特段の事由はない以上、生活の本拠、すなわちその者の生活に最も関係の深い一般的生活、全生活の中心を指すものであり、一定の場所がある者の住所であるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきものと解するのが相当である。﹂﹁一定の場所が住所に当たるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かによって決すべきものであり、主観的に贈与税回避の目的があったとしても、客観的な生活の実体が消滅するものではないから、上記の目的の下に各滞在日数を調整していたことをもって、現に香港での滞在日数が本件期間中の約三分の二(国内での滞在日数の約二・五倍)に及んでいる上告人について前記事実関係等の下で本件香港居宅に生活の本拠たる実体があることを否定する理由とすることはできない。このことは、法が民法上の概念である﹃住所﹄を用いて課税要件を定めているため、本件の争点が上記﹃住所﹄概念の解釈適用の問題となることから導かれる帰結であるといわざるを得ず、他方、贈与税回避を可能にする状況を整えるためにあえて国外に長期の滞在をするという行為が課税実務上想定されていなかった事態であり、このような方法による贈与税回避を容認することが適当でないというのであれば、法の解釈では限界があるので、そのような事態に対応できるような立法によって対処すべきものである。そして、この点については、現に平成一二年法律第一三号によって所要の立法的措置が講じられているところである。﹂ なお、須藤裁判官の補足意見がある。それは、解釈上、複数の住所の余地もありうることを示唆しつつ、結論として、上告人の住所は香港にあったとするのはやむを得ないとする。また本件のような贈与税回避スキームを見れば、著しい不公平感を免れることはできず、一般的な法感情の観点からは、本判決の結論に違和感も生じないではないとしつつ、
二二三三
( )同志社法学 六四巻七号二〇八税法の解釈方法と武富士判決の意義
﹁個別否認規定がないにもかかわらず、この租税回避スキームを否認することには、やはり大きな困難を覚えざるを得ない。⋮⋮納税は国民に義務を課するものであるところからして、この租税法律主義の下で課税要件は明確なものでなければならず、これを規定する条文は厳格な解釈が要求されるのである。明確な根拠が認められないのに、安易に拡張解釈、類推解釈、権利濫用法理の適用などの特別の法解釈や特別の事実認定を行って、租税回避の否認をして課税することは許されないというべきである。そして、厳格な法条の解釈が求められる以上、解釈論にはおのずから限界があり、法解釈によっては不当な結論が不可避であるならば、立法によって解決を図るのが筋であって(現に、その後、平成一二年の租税特別措置法の改正によって立法で決着が付けられた。)、裁判所としては、立法の領域にまで踏み込むことはできない。後年の新たな立法を遡及して適用して不利な義務を課すことも許されない。結局、租税法律主義という憲法上の要請の下、法廷意見の結論は、一般的な感情からは少なからざる違和感も生じないではないけれども、やむを得ないところである﹂とする。
二 武富士控訴審判決の批判
1 高裁への鑑定意見書 以下は、東京高裁に提出した鑑定意見書のほぼ全てである。
⑴ はじめに 本意見書は、平成一九年(行コ)第二一五号贈与税決定処分取消等請求控訴事件において問題となる、贈与税の納税 二二三四
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二〇九 義務の成立及び確定を左右する住所の意義につき所見を述べるとともに、本件の法的解決に際して、そもそも租税回避行為の存否及びその法的評価を問題とすべきかどうかにつき併せて所見を述べるものである。 あらかじめその結論を述べておく。 第一に、贈与税における住所は、民法にいう生活の本拠をいい、生活の本拠とは、職業上の中心地ではなく、納税者が日々起臥寝食する生活圏を指すと解すべきである。 贈与税の課税においては、納税地の簡明性の確保、二重課税防止(国内及び国際の両面において)の観点からして、同一人について同時に二か所以上の住所はないというべきである。 本件納税者の住所の判定においては、他の納税者に対して判定すると同様の基準で、すなわち、国外勤務の本件納税者について、おおむね一年以内の役務提供が見込まれるか否か等を基本に判断すべきである。 贈与税における住所の判断において、贈与税は相続税の補完税であるという性格論から、直ちに、相続税の負担の減少につながる個々の贈与を解釈論において排除すべきだということにはならない。そのような解釈は、許容された合理的な解釈論の枠を踏み外すことになるとともに、国民の代表者でない行政又は裁判所が、もともと立法府に帰属する立法権を行使することとなり、許されるものではない。 第二に、本件が租税回避行為であるとしても、租税回避行為はもともと課税要件の充足を避けることによって租税負担の軽減又は排除を図るものであって、法的には適法行為である。現代社会において、合理的経済人が合法的に租税負担の軽減、節約を図ることは何ら異とするに足りない。したがって、本件節税スキームを違法視しあるいは正義に反するものとの前提で、住所概念に関して法を解釈適用することは、感情論としてはともかく、法的には許されない。
二二三五
( )同志社法学 六四巻七号二一〇税法の解釈方法と武富士判決の意義
⑵ 贈与税における無制限納税義務者の位置 本件の係争時点においては、相続税法(以下﹁法﹂という。)の定めにより、贈与税は次のように課税される。 相続税の納税義務者は原則として個人である(法一条の二)。また、贈与税の課税対象は、贈与によって取得した財産である(法二条の二)。贈与により財産を取得した時に国内に住所を有する個人は、取得した財産の所在地がどこにあるかを問わず、すべての財産について納税義務を負う(法二条の二第一項)。財産を取得した時に国内に住所を有しない個人は、国内にある財産についてのみ納税義務を負う(同条第二項)。前者が無制限納税義務者、後者が制限納税義務者である。 法は、国内に住所を有する個人か否かで、課税対象の範囲、広狭を区別している。 国内に住所がある個人を無制限納税義務者として、課税対象を限定することなく、国がその者に対して全面的に課税権を行使するのはなぜか。その理由は必ずしも明確ではなく、十分な検討はない。おそらくその理由は、我が国との場所的若しくは生活上の結びつきの程度が高くなるにつれて、我が国の課税権行使の許容性、妥当性が高まり、その程度が大きくなればなるほど、全面的な課税権の行使(無制限納税義務者としての取扱い)が正当化されるからであろう。 すなわち、租税は、社会全体で支えるべき公共事務(社会を維持するために不可欠な道路、港湾等の基幹的な社会資本の整備、あるいは、警察、消防等の基幹的な生活環境等の維持など)を賄うための財源であり、社会の相互依存や共存共栄の理念を具体化するものである。そうだとすれば、個人がその生活の基礎を置く国において、当該公共事務を実施するために、各個人が一定の税負担を負うのは当然だということになる。このような個人の生活と国との結びつきを前提に、これから更に進んで、個人が他国において得た財産をも当該居住地国において課税しようという傾きが生じ、その結果、生活上の結びつきの強固な個人につき国が無制限納税義務者として取り扱うことが正当化されるに至ったも 二二三六
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二一一 のと思われる。 このように、贈与税においては、所得税とほぼ同様に、日本に住所を有するか否かによって無制限納税義務者と制限納税義務者を区分している。その区分の基礎には、住所の有無によって、日本との場所的ないし生活上の結びつきの程度が異なることとなるという考え方がある。 このようにして、日本に住所がある者については、その者の生活の本拠がある日本の租税負担を負わせるために、その者が贈与によって取得した財産により担税力が増大したことを根拠に、いわば属人的に課税対象を包括的に取り込むことが正当化される。他方、日本に住所がない者については、日本との生活上の関係がないのであるから、いわば属地的に、日本にある財産のみを課税対象とすることが許容されるにすぎない。 このように、相続税法の組立ては、基本的に、日本に住所があるか否かで、日本の課税権の及ぶ範囲を定めている。したがって、日本に住所があるか、ないかのいずれかをまず判断し、その前提の上で、我が国の課税権の及ぶ範囲、課税対象の範囲を決めるべきこととなる。 およそ立法者が、ある個人に関して、日本に住所があり、かつ同時に、外国にも住所があることを想定して税法を立法したなどと考えることは、二重課税排除の見地からみて余りに不合理であり、また、そのようなことを示唆する明文の規定はどこにも存在しない。 なお、平成一二年度の税制改正において、贈与により国外にある財産を取得した個人で当該財産を取得した時において国内に住所を有しない者のうち日本国籍を有する者(過去五年以内に国内に住所を有したことがある場合に限る。)をも無制限納税義務者とした。この改正は、国外に住所をもつ者が国外にある財産を贈与によって取得した場合について、新たに国籍要件等を付加することにより、無制限納税義務者の範囲を拡大するものである。私は、この改正そのも
二二三七
( )同志社法学 六四巻七号二一二税法の解釈方法と武富士判決の意義
のは一定の合理的な理由に基づくものであり、基本的に妥当と考える。とはいえ、この改正は、本件贈与日(平成一一年一二月二七日)の後になされたものであって、本件について解釈論上の意味又は効果を何ら生じないことに留意する必要がある。
⑶ 贈与税における住所の意義ア 住所の意義 税法上、住所の定義はない。したがって、税法の適用においては、住所とは﹁各人の生活の本拠﹂をいうとする民法二一条の規定に基づきこれを理解すべきこととなる。 租税実務においては、この旨を通達において明言している(相続税法基本通達一・一の共― 五)。また通達は、﹁その生活の本拠であるかどうかは、客観的事実によって判定するものとする。﹂と定める。また同通達は、この場合において、﹁同一人について同時に法施行地に二箇所以上の住所はないものとする。﹂と定める。 なお、民法においては、住所複数説が唱えられることがある。 しかしながら、第一に、これは、今日の複雑な生活関係においては、画一的、形式的に一か所を住所とすることに無理がある場合があることを指摘するにとどまり、同一人が特定の一つの関係について同時に複数の住所をもつことを意味するものではない。 例えば、家庭生活については甲地、職業に関する生活関係については乙地というように、住所が生活関係の種類に応じて分化することを認めるべきである、と主張される(四宮和夫=能見善久﹃民法総則(第七版)﹄六四頁)。これは、それぞれの生活関係について一つの適切な住所が認められてよいことを示すもので、現実的で合理的な考え方というこ 二二三八
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二一三 とができる。しかしながら、そうであるからといって、同一人が特定の法律関係について同時に複数の住所を有しうるとみるべきではない(石田喜久夫=石田剛﹃新版注釈民法(一)︹改訂版︺)﹄四〇七頁)。 要するに、民法にいう住所複数説は、それぞれ個々の問題についての住所は一つである(例えば、家庭生活についての住所は一つである)が、結果からみると、同一人について複数の住所が成り立つことを否定することはできない(例えば、家庭生活上の住所は甲地、職業生活上の住所は乙地)ということを意味するにすぎないというべきである。 第二に、民法においては合理的な範囲で住所複数説が成り立つとしても、それとは別に、税法においては、上記の通達が示すとおり、同一人について同時に国内に二か所以上の住所はないと解すべきである。すなわち、税務執行の簡明さを確保し、二重課税による納税者への不利益を避けるためには、納税地は一か所に限定することが相当であり、その意味において、課税上の住所は一か所に定まるべきものである。 この理は、国際的な課税権の配分の場面においても妥当する。国際的二重課税を防止するためには、国内における住所の有無によって贈与税の無制限納税義務者か否かを截然と区別しうるし、また区別すべきであるからである。 また、課税上の住所の判定の際には、納税者の生活の本拠と職業の本拠とは明確に区分されるべきである。一般に、租税負担が国民の相互扶助を基本理念としているところから、国の課税権行使の対象者としては、生活者としての国民を前提にしているといってよい。そうだとすれば、贈与税の納税者にとっての住所=生活の本拠とは、納税者個人の職業上の本拠ではなく、納税者個人の生活上の本拠をいうものと解すべきである。個人が日々起臥寝食する生活圏をもって当該納税者の住所=生活の本拠と考えるべきであろう。 このように、贈与税について観念される住所は、納税者の日々の生活の中心地を意味するものであって、基本的に、当該納税者の就業の有無、仕事の内容、勤務の実態等によって左右されるべきものではない。
二二三九
( )同志社法学 六四巻七号二一四税法の解釈方法と武富士判決の意義 イ 本件における住所の判定 上記のとおり、本件住所の判定にあっては、日本国内に本件納税者の住所があるか否かが基本的な争点になる。当該納税者の住所が日本国内にあれば、その者は無制限納税義務者として、国内、国外のいずれに所在する財産かを問わず、贈与されたすべての財産について納税義務を負うことになる。この点、控訴理由書に示された課税庁側の主張には以下のような問題点がある。 第一に、控訴理由書は、本件納税者の住所を判定する際には、一般論として、住所複数説によって判断すべきであるとする(八頁から一〇頁)が、これは相当ではない。 上記のとおり、民法にいう住所複数説は、複雑な生活関係に関し、結果からみて同一人について複数の住所が成り立つことを否定できない場合があることを意味するにとどまる。また、課税関係の明確化等のためには、納税地は一か所に定まるべきものである。 第二に、控訴理由書は、本件においては、納税者が日本との﹁結節要素﹂なるものをもつかどうかを判断すべきであると主張する(一一頁以下)が、その主張の意味するところは必ずしも明確ではない。 控訴理由書は、﹁贈与税を賦課するに足りる日本との結節要素が認められるかどうかを判定すべきである。そして、そのような課税上の﹃生活の本拠﹄たり得る日本との結節要素が認められれば、他に生活の本拠と呼ぶべき場所が海外にあったとしても、日本に﹃住所﹄が認められるべきである。﹂(一三頁)とする。この主張は、﹁課税上の生活の本拠﹂と﹁事実上の生活の本拠﹂とを形式的に対立させ、かつ、外国に住所があると観念される場合でも、それとは別に、あるいはそれを上回って、国内に﹁課税上の生活の本拠﹂があることをもって、国内に住所があると観念すべきだ、というかのようである。 二二四〇
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二一五 しかしながら、住所についてのこのような形式的、対立的把握は明確な法的根拠を欠き、妥当ではない。贈与税にいう住所とは、民法の定めるところに従い、各人の生活の本拠をいい、また、生活の本拠とは、その者の日々起臥寝食する生活圏をいうと考えられるところ、当該住所の判定については、上記の通達がいうように、その者の生活関係の中心となっている場所がどこにあるかという客観的事実によって判定すべきである。そうだとすれば、贈与税に関する住所の判定は、﹁事実上の生活の本拠﹂がどこにあるかを証拠をもって判定すればよい、ということになる。 しかるに、事実上の生活の本拠とは別に、﹁課税上の生活の本拠﹂なるものを殊更観念することは、税法における住所の解釈を不当に拡張するものであって、相当ではない。控訴理由書にいう﹁結節要素﹂なる表現は、このような拡張解釈の事実とその問題性を意識させないように考案された修辞といってよい。控訴理由書が、結節要素という表現で意図しているのは、要するに、日本との関係が少しでも残っている場合には、その者は日本の住所を失ったとまでいうことはできない、ということであろう。そうだとすれば、この結節要素論は、生活の本拠かどうかという論点を、日本との関係が残っているかどうかという別の論点に置き換えたものというべきである。しかしながら、納税者の住所の判定において基本的に問われるのは、その者の生活の本拠がどこかであって、その者と日本との関係が切れているかどうかでないことは明らかである。このように考えると、結節要素なる概念は、理由なく住所概念を拡張する結果となり、相当とはいえない。 また一般に、住所の判定において、複数の判定要素を総合的に考慮することは、それが合理的な方法である限り認められてよいが、問題はその各判定要素の内容、範囲の妥当性である。 控訴理由書は、贈与税に関する住所の判定については、①居宅等が継続的な生活の本拠たり得る住居であるか、②職業活動はどこでどの程度行われているか、③家財道具や受贈者の個人資産はどうなっているか、④親族の状況がどうな
二二四一
( )同志社法学 六四巻七号二一六税法の解釈方法と武富士判決の意義
っているか、特に贈与者との関係がどうなっているか、⑤居住の意思はどうかなどを総合考慮すべきだとするとともに、これらについて一定の事実を挙げている。 総じていえば、これらの判定要素及びその下に挙げられた事実からすれば、本件納税者が国内に住所をもつという結論に当然に行き着くかどうかは相当に疑問である。 例えば、上記①について、本件納税者が四日に一日以上の割合で本件杉並自宅に起居したという事実をもって、生活の本拠が日本にあったと主張するのは無理がある。本件納税者が四日に一日以上本件杉並自宅に起居したということは、要するに、四日に三日程度の割合で、国外に生活の本拠を置いたということの別の表現でしかない。そうだとすれば、贈与税の納税義務者の判定に際しては、本件納税者は日本に住所がなく、制限納税義務者として取り扱うべきだ、ということとなる。 上記②について、納税者が日々起臥寝食する生活圏のあるところが住所=生活の本拠であると解するならば、職業活動の場所のあるところをもって当該納税者の生活の本拠ということは相当ではない。 上記③について、家財道具が本件杉並自宅に残っていること、及び、本件納税者が多額の預金等を日本国内に保有していたことは、直ちに、当該納税者が国内に生活の本拠をもつことを意味しない。仮に、事実として、本件納税者が問題の家財道具や預金等を使って、国内で継続的、長期的に生活を営んでいるのであれば、その者は国内に生活の本拠があるといってよい。ところが、国内に当該家財道具や預金等があるからといって、その利用者又は所有者が当然にその者の生活の本拠を国内に置いているとはいえない。このように、家財道具や預金等が国内にあるということと、それらを使用又は利用する者が国内で生活するということとは直接の関係がなく、これらは別個の問題である。 上記④について、本件納税者にとって贈与者である両親が本件杉並自宅に居住すること、本件納税者が日本滞在中に 二二四二
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二一七 同所に居住すること等から、本件納税者の住所は国内にあるとする論理もかなりの無理がある。親子の間で親しい関係が継続しているからといって、子の生活の本拠が当然に親元にあるということはできない。親子関係の継続という問題と子の住所の特定という問題とは全く別のことがらである。 上記⑤について、本件の争点は、日本における居住意思が失われたかどうかではなく、客観的にみて、本件納税者の生活の本拠が日本国内にあるかどうかというべきである。本件納税者が相当の期間香港で起居していたとしても、将来も継続して日本で生活することを予定し、日本の生活の本拠を完全に解消しない場合、その者は日本に住所があると解すべきだとする論理は、租税実務の考え方にすら背馳するもので、暴論というほかない。 およそ課税庁側が課税の公平、正義をいうのであれば、本件納税者の住所の判定においては、基本的に、国外勤務者等の住所の判定の際に用いる通例の手法によって判定をすべきである。 すなわち、その当時の相続税法基本通達一・一の二共― 六は、日本国籍を有している者が、贈与により財産を取得した時において日本を離れている場合でも、﹁国外において勤務その他の人的役務の提供をする者で国外における当該人的役務の提供が短期間(おおむね一年以内である場合をいうものとする。)であると見込まれる者﹂については、その者の住所は国内にあるものとして取り扱う旨を定める。またその注書きにおいて、国外出張、国外興行等により一時的に日本を離れているにすぎない者については、その者の住所は国内にあることとなる、と定める。 納税者間の公平な取扱いの観点からみて、本件納税者についても、基本的に﹁国外における当該人的役務の提供が短期間であると見込まれる者であるか否か﹂を基準に判定をすべきである。すなわち、本件納税者の人的役務の提供がおおむね一年以内でなされると見込まれる場合は、その者の住所は国内にあるので、無制限納税義務者として取り扱うべきである。他方、その提供期間がおおむね一年を超えると見込まれる者については、国内に住所がないのであるから、
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( )同志社法学 六四巻七号二一八税法の解釈方法と武富士判決の意義
制限納税義務者として取り扱うべきである。この﹁おおむね一年以内﹂の基準は、国内に住所があるかどうかを判定する際の合理的な判定基準といってよいと思われる。 本件において、課税処分に当たり、このような判断が丁寧になされたかどうかは必ずしも明らかではない。本件一審判決の事実認定によれば、本件納税者は、三年半ほどの香港滞在中、約六五パーセントに相当する日数、香港に滞在し、所定の住居に起臥寝食したというのであるから、日本国内に住所=生活の本拠はなかったというべきである。 第三に、控訴理由書は、相続税法の趣旨を踏まえた住所の解釈が必要である旨を強調する(一三頁)が、その意味するところは必ずしも明確ではない。 なるほど、贈与税が、相続税の回避を封じる目的をもつことそれ自体には争いはない。それは、もし贈与税がなければ、人は相続税の負担を避けるために、生前に財産の相当部分を相続人等に贈与することになりかねず、これでは相続税の存在理由を失わせ、課税の公平を損ないかねないからである。しかしながら、贈与税がそのような制度的背景をもつことを根拠に、直ちに、相続税の負担を軽減することにつながる個々の贈与について、明文の根拠規定を欠いたままで課税処分等をなしうるなどと解することは、租税法律主義の観点からみて到底許されない。 本件贈与当時(平成一一年一二月二七日)の法の規定では、財産取得時に国内に住所のある無制限納税義務者は、贈与によって取得した国内、国外のいずれの財産についても納税義務を負うものであった。他方、財産取得時に国内に住所のない制限納税義務者は、国内にある財産についてのみ納税義務を負うものであった。このような法の仕組みのため、制限納税義務者は、国外財産を贈与により取得した場合、当該財産については贈与税の納税義務を負うことはなかった。本件納税者は、日本に住所をもたない制限納税義務者として、国外に所在する財産を贈与によって取得したものであった。 二二四四
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二一九 このような制限納税義務者に対して、国外に所在する財産の贈与という事実が生じた後で、遡及して贈与税を課すことができるか。当時の相続税法の枠組みを前提とする限り、答えは否である。贈与税にいう住所の概念を拡張すればあるいは可能かもしれないが、そのような拡張自体、解釈論の枠組みを超えるものである。 なぜなら、解釈論では制限納税義務者に係るこの種の贈与に課税できないからこそ、立法府は、平成一二年度の租税特別措置法の改正において、上記のとおり、新たに国籍要件等を規定に盛り込むことにより、無制限納税義務者の範囲を広げ、一定の要件の下、国外に所在する財産の贈与につき課税対象に含めることとしたものである。立法府は、平成一二年度の改正に当たり、その当時日本の相続税や贈与税の負担を免れるための節税手法が広く紹介され、税制への信頼が損なわれかねない状況があるとの認識の下、これを抑制するための措置として税法を上記のように改正した(中村信行ほか﹃改正税法のすべて(平成一二年版)﹄三七二頁)。 平成一二年度の税制改正は、決して住所の概念を拡大したり、縮小したりするものではない。同改正は、国籍要件等を加味することによって、無制限納税義務者の範囲を広げたものである。控訴理由書の考え方は必ずしも明確ではないが、もしそれが、改正前の旧法の解釈に関し、相続税の負担軽減につながる贈与税の課税漏れを防止する方向で住所等の意味内容を拡張解釈すべきだというのであれば、それは解釈論としては到底許されない。国民を代表し得ない課税庁によって、かつ、贈与という事実があった後において、法の解釈をとおして遡及的に税負担を課すことは、租税法律主義の厳に禁じるところであるからである。また我が国の立法府は、租税法律主義の拘束の下で、問題となる法の欠缺やほころびに対して、事後的にかつ個別具体的に立法上の手当てをしてきたものである。この手法は、憲法適合的な法の是正方法であって、適切なものというべきである。
二二四五
( )同志社法学 六四巻七号二二〇税法の解釈方法と武富士判決の意義
⑷ 租税回避行為の意義及びその適法性 控訴理由書は、本件では巨額の租税回避行為を許容するかどうかが問題であるとするとともに、それを許容することは正義に反するという(二二頁)が、本件納税者の行為を租税回避行為とし、これを正義に反するとして論難することは相当ではない。 租税回避又は租税回避行為の定義につき、必ずしも一致したものはない。とはいえ、一般に租税回避行為は、脱税とは異なり、課税要件の充足を避けることによって租税負担の軽減又は排除を図ることを意味するにとどまるものである。これは、脱税が、﹁偽りその他不正な行為﹂によって、成立した納税義務の履行を妨げるものであることと比べて、鮮やかな対比をなしている。租税回避行為は処罰の対象となるものではない。また、我が国においては、租税回避行為を一般的に禁じる明文の規定はない。 税法上、およそ課税要件を充足していない者に対して、課税を強行することはできない。租税回避行為はややもすると許されない行為と考えられがちであるが、租税回避行為を禁じる明文の規定がない場合には、課税要件の充足がない者への課税は許されていない。その限りにおいて、法的には、租税回避行為は、税法上承認されている適法な行為というべきである(金子宏﹃租税法(第一二版)﹄一一〇頁、清永敬次﹃税法(第七版)﹄四六頁)。 本件納税者は、平成一二年度の税制改正前の相続税の仕組みの下で、日本国内から香港に住所を移し、本件贈与税に関して、制限納税義務者としての取扱いを受けることを企図した。問題は、この事実に対する法的評価である。 この点、控訴理由書の考え方は、このような納税者の行為が正義に反し、租税の形で莫大な財産の一部を社会に還元することを拒否する不当な行為であるとするもののようである。 確かに、そのような考え方の基礎には、法の抜け穴をねらって税負担の軽減を図ることに対する嫌悪感やそのあざと 二二四六
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二二一 さに対する反感があると思われる。また、そのような行為が後に立法により抑制されるとした場合でも、後追い立法までの間に、一定の租税負担が軽減され続けることに対する苛立ちの感情もあるかもしれない。 しかしながら、そのような感情には共感できるところがあるものの、道徳論、感情論としてはともかく、そのような感覚を根拠に、直ちに、あるいは包括的に租税回避行為を禁止し、抑制することは相当ではない。またその延長線上で、解釈原理として、公平負担の原則から、納税者が選択した取引又は行為を事後において税法上当然に否定しうるというのであれば、それは租税法律主義の原則を大きく損なうこととなる。 およそ人が、法によって明確に禁じられていない範囲で税負担の軽減を図ることは法の一般に許容するところであって、何ら異とするに足りない。いわゆる航空機リース事件に関する控訴審判決(名古屋高裁平成一七年一〇月二七日判決)は、﹁現代社会における合理的経済人の通常の行動として、仮に、租税負担を伴わないかあるいはそれが軽減されることなどを動機ないしは目的(又は、動機等の一部)として、何らかの契約を締結する場合には、その目的等がより達成可能な私法上の契約類型を選択し、その効果意思を持つことは、ごく自然なことであり、かつ、合理的なことであるといえる。﹂と判示している。 また、人が、予測可能性と法的安定性の下で自由な取引や行為をすることは、経済的自由の根幹をなすものというべきである。 本件贈与に関する節税スキームは、かなり一般に紹介され、資産家によって利用されていたようである。そのことに対する道徳的、感情的評価はともかく、その種の節税行為そのものは、税法上は適法な行為としか言い様がない。本件において、本件納税者は脱税をしたわけではない。本件納税者は、日本国内に住所があれば無制限納税義務者として課税されるところから、国外に住所を移し、制限納税義務者としての取扱いを受けようとしたにすぎない。
二二四七
( )同志社法学 六四巻七号二二二税法の解釈方法と武富士判決の意義
このように、本件納税者は、納税義務が生じないように住所を変更したにすぎないのである。法的には、節税目的から国外に住所を変更することを禁じる規定はどこにも存在しない。すでに述べたように、立法府は平成一二年度の税制改正において、このような節税スキームを問題として、将来に向かって、無制限納税義務者の範囲を拡大する方向で明確に措置したものである。 税法の解釈適用においては、人は、自分が実際に行った取引や行為を基礎に課税を受ける権利があるというべきである。本件においては、本件納税者が日本への居住意思を保持し続けたか否かなどが争点となるものではない。問われるべきは、本件納税者は、客観的な事実からみて、本件贈与時点において、日本に生活の本拠があったと法的に評価できるかどうかである。住所の有無を判断する際には、租税回避行為はそもそも悪であるという、法的根拠を欠いた、こらえ性のない正義感によるのではなく、生活の本拠と判断するに足りる具体的で明確な事実の認定とそれに基づく冷静な法的評価によるべきである。
⑸ おわりに 第一に、贈与税における住所は、民法にいう生活の本拠をいい、生活の本拠とは、職業上の中心地ではなく、納税者が日々起臥寝食する生活圏を指すと解すべきである。 贈与税の課税においては、納税地の簡明性の確保、二重課税防止(国内及び国際の両面において)の観点からして、同一人について同時に二か所以上の住所はないというべきである。 本件納税者の住所の判定においては、他の納税者に対して判定すると同様の基準で、すなわち、国外勤務の本件納税者について、おおむね一年以内の役務提供が見込まれるか否か等を基本に判断すべきである。 二二四八
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二二三 贈与税における住所の判断において、贈与税は相続税の補完税であるという性格論から、直ちに、相続税の負担の減少につながる個々の贈与を解釈論において排除すべきだということにはならない。そのような解釈は、許容された合理的な解釈論の枠を踏み外すことになるとともに、国民の代表者でない行政又は裁判所が、もともと立法府に帰属する立法権を行使することとなり、許されるものではない。 第二に、本件が租税回避行為であるとしても、租税回避行為はもともと課税要件の充足を避けることによって租税負担の軽減又は排除を図るものであって、法的には適法行為である。現代社会において、合理的経済人が合法的に租税負担の軽減、節約を図ることは何ら異とするに足りない。したがって、本件節税スキームを違法視しあるいは正義に反するものとの前提で、住所概念に関して法を解釈適用することは、感情論としてはともかく、法的には許されない。 我が国において、立法府は、問題となる納税者の取引や計算について、基本的には、それを抑制すべく事後的に個別に対応してきた。この方法は、租税法律主義の原則を体現するものとして高く評価されてよい。この方法は、税法をより合理的なものに変えるとともに、税制や税務行政に対する納税者の信頼を得る上での王道というべきものである。こらえ性のない正義感によって、法の解釈を歪めたり、立法的判断を解釈の場面に持ち込んだりすることは差し控えるべきである。
2 最高裁への鑑定意見書 以下は、最高裁に提出した鑑定意見書のほぼ全てである。その内容は、主として、本件控訴審判決の特徴とその問題点を指摘するとともに、本件の解釈のあるべき方向性を指摘するものである。以下において﹁判決﹂又は﹁本判決﹂とは、本件控訴審判決をいうものである。
二二四九
( )同志社法学 六四巻七号二二四税法の解釈方法と武富士判決の意義
⑴ はじめに 本件納税者が贈与税の納税義務を負うためには、その者は、贈与による財産取得時において日本に住所を有しなければならない。本件住所の判定においては、本件納税者の住所が日本国内にあるか否かが決定的な争点である。当該納税者の住所が日本にあれば、その者は無制限納税義務者として、国内、国外のいずれに所在するかを問わず、贈与されたすべての財産について納税義務を負うことになる。 住所の意義については、民法の定めるところに従い、各人の生活の本拠(民法二一条)をいうものとして取り扱われており、生活の本拠であるかどうかは、客観的事実によって判定するものとされている(相続税法基本通達一の三・一の四共―五)。少なくとも租税実務は、住所の判定に際してこのような判断基準を採用している。このような租税実務の処理は、法的安定性の見地から、住所の意義を民法におけると同じ意義に解するのが適切であることからして、妥当なものといってよい。 生活の本拠とは何か、については民法上必ずしも統一的な理解はないようであるが、基本的には、各人の日々の日常生活が営まれている場所をいうものと考えてよいであろう。 さらに、相続税法が、贈与税の無制限納税義務者の要件として国内に住所があることを定めているのは、同法が、我が国との場所的又は生活上の結びつきが強くなればなるほど、当該納税者に対する我が国の課税権行使の許容性、正当性がそれに応じて強まると考え、その結びつきを端的に示すものとして、課税要件として、住所要件を明記したものということができよう。贈与税は、財産の受贈者を納税義務者とし、その税収をもって社会公共の事務に充てるものである。したがって、国による全面的な課税権行使の対象となる無制限納税義務者は、国との間で生活上の強固な結びつきをもつ者、生活者としての個人を前提としているといってよい。そうだとすれば、贈与税の納税者にとっての住所=生 二二五〇
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二二五 活の本拠とは、納税者個人の職業上の本拠ではなく、生活上の本拠をいうものと解すべきである。このように考えるならば、贈与税における住所とは、基本的に、個人が日々起臥寝食する生活の場をいう、と解すべきであろう。
⑵ 住所認識の方法論について― その概論 判決による住所の意義の理解には、方法論上、次のような問題点がある。 第一に、判決は、贈与税の納税義務者の判定を左右する住所の判断基準として、﹁住居、職業、生計を一にする配偶者その他の親族の存否、資産の所在等の客観的事実に、居住者の言動等により外部から客観的に認識できる居住者の居住意思を総合して判断するのが相当である。﹂とする(六頁)が、これは明確な法的根拠を欠いている。 一つは、住所の意義については、相続税法上、明文の規定はない。一つの合理的な解釈として参考となるのは、上記通達の定めである。そこには、﹁生活の本拠であるかどうかは、客観的事実によって判定するものとする。﹂と記載されている。このように、少なくとも租税実務は、税法の解釈適用として、基本的には、客観的事実によって住所の有無を判断している。租税実務は、住所の意義を解釈するに際して、本判決のいうような﹁住居、職業、生計を一にする配偶者その他の親族の存否、資産の所在等の客観的事実に、居住者の言動等により外部から客観的に認識できる居住者の居住意思を総合して判断する﹂ことを常態とはしていない、といってよいであろう。 二つは、判決のいう総合判断論の根拠であるかのように示唆された昭和二七年四月一五日最高裁判決と本判決とは、それぞれ事案を全く異にする。加えて、同最高裁判決は、﹁住居、職業、生計を一にする配偶者その他の親族の存否、⋮⋮を総合して判断する﹂などと明示するものではなく、この総合判断論は、本判決独自の基準というべきである。本判決は、住所の判断基準について、二七年の最高裁判決を参照せよというが、これは、本判決が、二七年の最高裁判決
二二五一
( )同志社法学 六四巻七号二二六税法の解釈方法と武富士判決の意義
の基準に従って判断しているだけだとの弁明になるかもしれない。しかしながら、二七年の最高裁判決は、上記のような判断基準を打ち出してはいない。 一見すると、本判決の示した上記基準は二七年の最高裁判決の示唆したものと捉えられるおそれがある。もし、上記基準が、住所の判定における確立した法的基準であるかのごとく受けとめられるとすれば、それは人を誤導することになる。 二七年の最高裁判決は、確かに、﹁住所所在地の認定は各般の客観的事実を総合して判断すべきものであ︹る︺﹂と述べる。しかしながら、そこにいう各般の事実として最高裁判決が掲げているものは、当該事件の下級審が認定した、上告人は、﹁大阪府豊中市所在の同人次男宅から右営業所に通勤し、妻も右次男宅に同居しており、生穂町には月二、三回数日間帰るだけである。﹂という事実である。同最高裁判決においては、このような各般の事実に基づいて、下級審が、上告人の住所が大阪府豊中市にあったものと認めたことは違法ではない、としたものであった。 このように、二七年の最高裁判決は、客観的事実に即して住所を判定すべきことを述べるにとどまる。まして、本判決のいうような、﹁居住者の言動等により外部から客観的に認識することができる居住者の居住意思﹂を加味して住所を判定すべきであるなどの総合判断論及びそのための具体的な基準の提示をするものではない。 確かに、二七年の最高裁判決は、﹁単に滞在日数の多いかどうかによってのみ判断すべきでものでもない﹂というが、これは、そのすぐその後に続く、﹁けれども、所論のような客観的施設の有無によってのみ判断すべきものでもない﹂という文章の一部を成すにすぎない。要するに、二七年の最高裁判決は、滞在日数を判断すべきでないというのではなく、むしろ、滞在日数を重要な判断要素と考えつつ、それ﹁のみ﹂で決め手とするのではないが、と譲歩の姿勢を示しつつ、結局のところ、上告人の主張する﹁客観的施設の有無﹂をもって住所所在地の決め手とすることはできない、と 二二五二
( )税法の解釈方法と武富士判決の意義同志社法学 六四巻七号二二七 してこれを退けたものである。同最高裁判決はすぐその後の文章で、﹁要するに原判決の確定した事実に基いて上告人の生活の本拠を考えるときは原判決が上告人の住所を豊中市にあったものと判示したのは相当である。﹂と結論づけている。 第二に、判決は、本件納税者の﹁生活全体からみれば、︹香港自宅は︺生活の本拠ということはできない﹂と述べる(一四頁)が、そこにいう﹁生活の本拠﹂の意味するところは定かでない。判決は、当該箇所で、①納税者の生活の本拠は本件杉並自宅にあった、といい、また同時に、②香港自宅は納税者の生活全体から見れば、生活の本拠ということはできない、という。ここでは同じ﹁生活の本拠﹂という文言が用いられているが、その用法は必ずしも統一的で一貫したものとはいえない。判決は、本件納税者と杉並自宅との結びつきを認定する場面では、本件納税者の食事、就寝の場として杉並自宅があるという。他方で、本件納税者の職業活動上、日本が最も重要な拠点であるという文脈においては、本件納税者の﹁生活の本拠﹂が日本にあるという。 このように、生活の本拠という文言は、二とおりの使われ方をしている。しかしながら、およそ﹁生活の本拠﹂という概念は、衣食住や家族生活にかかわる日常生活の場をいうのが通例であって、職業上の拠点、組織を指すものとは思われない。判決はこのように、﹁生活の本拠﹂という概念を理由なく拡張したにもかかわらず、納税者の住所の認定において、起臥寝食とは無縁の職業上の拠点、組織の所在地に依存したという事実を殊更意識させないために、言葉の上だけで、住所の認定においては﹁生活の本拠﹂を考慮したものだと述べたものであろう。論理上のこのような放埒さを典型的に示すのが、被控訴人の﹁生活全体﹂からみれば、香港自宅は生活の本拠ということはできないという叙述である。住所を認定する際の﹁生活全体﹂とは何か、生活全体という情緒的な表現の意味するものは何か、が厳しく問われなければならない。
二二五三
( )同志社法学 六四巻七号二二八税法の解釈方法と武富士判決の意義
第三に、贈与税を課す際の住所の判定においては、起臥寝食を中心として、客観的事実に基づいて、納税者の生活の本拠がどこにあるかを判断すべきである。要するに、住所の判定においては、これに関する客観的事実のみを問題とすべきである。本件納税者が、贈与税回避の意図に基づいて香港に出国することを認識していたこと、香港における滞在日数を調整したこと、及び香港に長期的に滞在する意思はなく、またこれを予定していなかったこと、という事実から、本件納税者の住所は香港になかったと結論することは、事実と法的評価との合理的な接合を無視した、飛躍した論理的帰結というほかない。 まず、納税者の内心や主観的願望がどうであるかという問題と、その者の生活の本拠がどこにあるかという問題とは、全く別の次元に属する。本件納税者が贈与税を免れたいという思いがいかに強くとも、香港には住みたくない、早く日本に帰りたいとの望郷の念がいかに強くとも、贈与税の納税義務の存否の判断において問われるべきは、当該納税者が、日本に生活の本拠=住所があるかどうかという客観的事実の存否である。 次に、納税者が贈与税の回避意図をもったこと、及びこれに基づいて香港における滞在日数を調整したことが、どのような法的効果を生み出すのかは、判決では必ずしも明確に触れられていない。判決は、これらの事実を基礎に、﹁本件事実関係の下では、香港における滞在日数を重視し、これを日本における滞在日数と形式的に比較してその多寡を主要な考慮要素として本件香港自宅と本件杉並自宅のいずれが住所であるかを判断するのは相当ではないというべきである。﹂と述べるにとどまる。 問題は、なぜ、何を根拠に、﹁相当ではない﹂といいうるのかである。贈与税の回避意図をもったこと(これは、贈与税の課税要件が充足されたにもかかわらず、意図的にその履行を回避するという、いわゆる脱税の意図とは異なり、贈与税の課税要件が充足されないように意図することを意味する。)は、道徳的、感情的な評価はともかくとして、法 二二五四