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特殊教育からインクルージョンへ西 永  堅

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特殊教育からインクルージョンへ

西 永  堅

星槎大学紀要(Seisa Univ. Res. Bul.)共生科学研究 No.12 25〜36(2016)

星槎大学共生科学部

1 .はじめに

近年、発達障害がある子どもの数が増えていると指摘されている。実際、文部科学省(2003、

2012)の調査でも、2002年の「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童

生徒に関する全国実態調査」では、通常学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童・

生徒は、全児童・生徒数の6.3%であったのに対して、2012年の「通常の学級に在籍する発 達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」において、通 常学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童・生徒は、全児童・生徒の6.5%であ ることが報告されている。これらは、あくまでも通常学級における調査であり、この10年 間で、特別支援学級や特別支援学校の在籍児数も増えているため、通常学級に限らず、特別 な教育的支援を必要とする児童・生徒の数が増えていることは確かである。

しかし、その一方で、知能指数というのは、偏差値法を用いた相対値であり、知的障害 や学習障害といった発達障害は、行動診断も行われるが、知能検査や、認知発達検査など で算出される、知能指数や群指数、評価点、標準得点といった同年齢群における相対的位置 で診断がされているのが主である。そして、その知能指数を出せる知能検査は、日本では、

WISC–Ⅳか田中・ビネー式知能検査Vであるのだが、その『田中・ビネー式知能検査Vの

理論マニュアル』(田中教育研究所2003)には、以下のように書かれている。

「現代の子どもの発達に適した尺度

改定の最も大きな目的は、当然のことではあるが時代に即した知能検査の尺度を作成する ことである。

現代っ子は、 口は達者だが手先が不器用になった とか、 実体験が少なく生きる力に欠 ける バーチャルな世界観しか持たないから人の痛みがわからない などさまざまな評さ れ方をしている。

しかし、現代の子どもの実態はどうなのか。また、知的発達にどんな変化が起こっている のかを検証する必要があった。これこそが標準化調査の目的と意義でもある。

今回の調査で得られた結論は、ほとんどの問題で加速化現象がみられたことである。つま り、15年前(1987年版当時)よりも現代っ子の知的発達は促進していることが検証された。

もちろん詳細な分析からは違う側面もみられるのだが、全体的にはことばも手先も低下して 特別企画 「特別支援教育の現在と未来」

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いなかったのである。」

これは、「発達の加速化」と呼ばれるものであるが、一般的にあまり知られていない。もし、

発達障害がある子どもたちが実際に増えているのであれば、このような知能検査の平均の位 置(つまりIQ100の位置)は下がるはずである。そもそも、発達障害の障害はdisabilityであり、

視覚障害や聴覚障害といった身体障害のimpairmentをではない。しかし、日本においては、

それらが明確に区別されておらず、disabilityは、相対的な視点が強いことも検討されるべき 課題である。それらが理解されないままで、インクルーシブ教育を議論したところで、適切 な教育を目指すことは難しい。

以上の観点から、本稿では、まずは、特殊教育の歴史を概観し、現在の特別支援教育の成 果と課題をまとめ、真のインクルージョン(inclusion)を目指して今後の特別支援教育のあ り方を述べることを目的とする。

2 .日本の特殊教育の歴史

2001年1月の省庁再編時に、文部省特殊教育課は、文部科学省特別支援教育課と名称が 変わった。ただし、盲・聾・養護学校、特殊学級から、現在の特別支援学校、特別支援学級 と名称変更が行われたのは、2007年の4月であり、2007年度から特別支援教育の本格実施 が行われた。

特殊教育の歴史は、山口・金子(2004)がまとめている。まず、遺棄の時代である。古代 社会においては、その厳しい生存競争の中で、障害をもつものは遺棄されたり、自然淘汰さ れていたとされ、古代ギリシャの都市国家であるスパルタでは、障害者はタイゲトスの峡谷 に投げ捨てられたとされている。日本においても、「蛭子伝説」がよく知られている。イザナギ・

イザナミの二人の神に生まれた子どもが三歳になっても足が立たず、葦の舟に乗せて流して 捨てられたとされており、我が国の歴史に登場する最初の障害児の記述とされる。

しかし、花田(1999)は、この蛭子伝説には続きがあり、蛭子は、足腰は立たず体はグニャ グニャで、喋りもしなかった脳性マヒを想わせる重度障害児であり、蛭に似ていたためヒル コと呼ばれていたが、ヒルコを乗せた葦舟が流れ着いたとされたところに、エビスを祭る神 社があり、蛭子と書いてエビスと読ませている神社があるぐらいなので、その後蛭子は、七 福神の一つとされていると述べている。

次は、古代から中世にかけての奴隷制社会、封建社会では、階級分化が進む中で、嘲笑の 時代となり、見せ物の時代がある。日本においては、視覚障害のあるものは、琵琶法師や瞽 女、鍼灸などの専門的職業集団を組織して、社会的な地位を確保していった。

さらに、中世社会では、慈悲の時代と呼ばれ、キリスト教、イスラム教では弱者の救済を 説き、障害者や病人を収容する施設を設けている。日本でも、奈良時代に仏教を背景に設け られた悲田院や施薬院がそれにあたる。

産業革命以降では、経済的生産性が高くない人たちは保護の対象とされて、労働能力が低

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い老人、障害者、病人を対象とした救貧院が設けられていく。そして、救貧保護の中から、

障害児・者の教育の試みが開始された。

遺棄の時代、嘲笑の時代、慈悲の時代、保護の時代を経て、ようやく教育の時代となる。

レオナルド・ダ・ヴィンチやルターは、ルネッサンスの浸透の中で、技術や科学的精神が発 展し、人間中心の思想と科学的態度が尊ばれるなかで、聾者の教育可能性を説いている。フ ランスでは、1760年にパリにド・レペによる聾唖学校、1784年には、アユイによる盲学校 が創設されている。肢体不自由児教育は、1832年にドイツでクルツが職業指導を中心とし た学校を開設している。

知的障害を対象とした教育は、フランスのイタールが、1799年にアヴェロンの森で発見 された野生児とされている子どもに対しての教育から始まるとされている。その後、セガン は、イタールの助言と指導を受けながら1837年に知的障害のある子どもの教育を始め、そ れが知的障害児教育の基礎となっている。

我が国では、江戸時代末期の寺子屋において、かなりの数の盲聾児が教育を受けていたと いう。1875年には京都府下の小学校で聾児の教育が試みられており、1878年に独立した校 舎をもつ京都盲唖院が開設されたことが、我が国の特殊教育の発祥とされている。

盲唖学校は、現在の視覚障害と聴覚障害の併設になるが、1909年に文部省は、東京盲学 校を設置し、1910年には東京盲唖学校を廃止し、東京聾唖学校を設置した。これ以降、盲 聾分離が行われるようになった。1923年には、「公立私立盲学校及聾唖学校令」(勅令)「公 立私立盲学校及聾唖学校規程」(文部省令)が定められ、道府県に盲学校、聾学校の設置義 務や経費負担が課せられ、整備充実されることになった。

知的障害児における教育は、1886年に「小学校令」が出されており、就学率が50%を超 えるようになると、学業成績の悪い子どもたちへの対策が必要になってきたが、1890年に 松本尋常小学校に落第生学級が、1896年に長野尋常小学校に晩熟生学級が設置されている。

1907年には、文部省は師範学校の附属小学校に特殊学級(特別学級)の設置を推奨している。

一方、学校教育とは別に、知的障害児の施設として、1891年に石井亮一による滝乃川学園 が設立されている。

戦後は、1947年5月3日の日本国憲法施行において、「すべて国民は、法律の定めるとこ ろにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」とされ、教育は国民の三 大義務の一つであるが、同年の学校教育法における盲・聾・養護学校の設置義務は、1947 年には施行されなかった。盲・聾学校に関しては、1948年に義務化とされたが、養護学校 に関しては、1973年に養護学校の政令が出されて、1979年4月にようやく義務制となった。

戦前から盲学校・聾学校は設置されており、1948年には盲学校が74校、聾学校が64校す でに設置されていたのに対して、養護学校と名乗っていた学校は、1948年には知的障害、

病弱、肢体不自由各1校設置されていたに過ぎなかった。したがって、義務化の前にある程 度の養護学校の設置が目指されなければならなかった。そのためにも、1956年の「公立養 護学校整備特別措置法」によって、国の負担が公立の養護学校にも行われるようになり、公 立の養護学校が設置しやすくなった。

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小学校における特殊学級は戦前からあったが、中学校特殊学級は、1947年の品川区立大 崎中学校分教場が日本において初めてである(松矢2015)。この特殊学級は、1950年4月 に東京都に移管され、都立青鳥中学校になった。この特殊学級は、三木安正が6・3制義務 教育の実施を見込み、教育課程研究のために研究学級として開設を準備したものである。星 槎大学初代学長である山口薫もこの特殊学級で教員をしている。また、その後三木安正は 1950年に私立の養護学校である旭出学園を開学している。

文部省は、1952年に初等中等教育局に特殊教育室を開設した。初代室長は、厚生省から 異動してきた辻村泰男であった。そして、山口薫は特殊教育室に、知的障害、肢体不自由、

病弱担当の専門官として異動している。1953年6月の「教育上特別な取扱を要する児童・

生徒の判別基準」、1953年11月「精神薄弱児実態調査」、1956年6月の「公立養護学校整 備特別措置法」、1959年11月中央教育審議会答申「特殊教育の充実振興について」と、養 護学校の義務化のための基礎づくりが行われた。また、公立養護学校整備特別措置法によっ て、都立青鳥中学校は、1957年に全国初の公立知的障害養護学校になった。

養護学校の義務化のためには、特殊教育の教員の養成が必要になる。文部省は、1953年 の精神薄弱児対策基本要綱で、教員養成大学に養成コースの設置を示し、1956年に東京教 育大学、北海道大学、岡山大学の教育学部に養護学校教諭免許状に必要な単位を修得でき る課程が認定された(松矢2015)。また、附属学校に特殊学級の設置の方針が示され、1960 年に東京学芸大学と広島大学教育学部に初の4年制の養護学校教員養成課程が設置された

(山口薫は、この年に東京学芸大学に異動している)。養護学校教員養成課程は、1973年の 鹿児島大学を最後に国立のすべての教員養成大学・学部に設置されている。そして、教育課 程を示す養護学校小中学部学習指導要領は1963年に文部省事務次官通達という形で示され、

1971年に初めて正式に大臣告示として示された。

日本における養護学校の義務化は1979年であり、障害のある子どもたちも含め全員就学 が認められるようになった。これは、世界的にみてもけっして遅くはない。例えば、スウェー デンは1968年であるが、英国は1971年、米国は1978年であった。しかしながら、特殊教育・

養護学校の義務化のスタートは、次に続く特別支援教育・インクルージョン教育の始まりで もあった。

3 .養護学校の義務化以降

養護学校の義務化前では、障害のある子どもたちに対するケアはどのように行われていた かと言えば、柴崎(2002)によれば、1957年に児童福祉法が改正され、精神薄弱児通園施 設が新たに設置されることになったのであるが、それは6歳以上の就学義務猶予・免除され ていた知的障害児に対しての生活指導や専門的な指導訓練を行うことを目的としていた。肢 体不自由児に対しては、1963年に既存の肢体不自由児施設に通園施設が併設されるように なった。就学前の子どもたちへの療育施設は、1968年に神戸市が3歳から5歳までの幼児 を対象とした通園施設を開設したのが初めてである。厚生省は、1972年に「心身障害児通

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園事業実施要綱」を出している。その後、養護学校の義務化によって、通園施設に通ってい た6歳以上の就学義務猶予・免除の子どもたちは養護学校に通学するようになったので、定 員の余裕ができ、通園施設においても幼児の早期療育が盛んに行われるようになった。

さて、養護学校の義務化以降、1981年の国際障害者年、1983年からの国連障害者の10年 がある。それに際して、国は、中央心身障害者対策協議会「国際障害者年長期行動計画の在 り方について」(1982年1月)を出しており、「心身障害児に対しては、その障害の種類、程度、

能力、適性等に応じて適切な教育を行い、その可能性を最大限に伸ばし、可能な限り社会自 立の達成を図るとともに、障害をもたない者も幼少時代から障害者に対する正しい理解と認 識を深めることが基本であるとし、特殊教育振興のための諸施策の充実と、交流教育機会の 拡大、受験機会の確保、教育研究条件の整備、視聴覚障害者むけの短期大学構想の推進」と 述べられていた(丸山1982)。この背景には、ノーマライゼーションの理念の浸透が考えら れる。

一方、ノーマライゼーションの理念を背景とした統合教育運動が行われるようになったの も、養護学校の義務化が転機であった。統合教育運動は、すべての障害児を直ちに小・中学 校の通常の学級に入れることが目指されていたと考えられている。しかし、それに対して山 口・金子(2004)は、欧米の先進国で、障害者のほとんどが通常の学級で教育を受けるよう になりつつあると受けとめられているとすれば、それは統合教育の著しく偏った解釈であり、

事実に反している。そして、アメリカ合衆国の通称全障害児教育法の中に、「障害児は最も 制約の少ない教育環境において無償で適切な公教育を受ける」とあるが、この「適切な公教 育」という重要な文言を見落としてはならないと述べている。また、山口・金子(2004)は、

ユネスコが刊行した『特殊教育用語辞典』(1983年改訂版)においても、統合教育を「特別 な教育を必要とする子どもたちに、通常の教育組織の中で特殊教育の方策を与える」ことと 定義しているが、ここでいう通常の教育組織には特殊学級も含まれており、個々の子どもに 必要な特殊教育が与えられてこそ真の統合教育が成立すると述べている。

さて、養護学校の義務化に伴い、日本の教育制度は、通常学級、特殊学級、盲・聾・養護 学校で、憲法第26条に書かれている、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能 力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」ことが認められるようになるのである が、1978年の文部省初等中等教育局長宛報告「軽度心身障害児に対する学校教育の在り方」

の中で、弱視、難聴、肢体不自由、病弱、身体虚弱、言語障害、情緒障害の指導形態について、

特殊学級における指導とともに、通常学級における指導があげられており、その中で、通級 または巡回による指導の必要性が指摘されている。特殊学級は、固定式学級として、児童生 徒が学籍をおき、大半の指導を受ける場とされていた。しかし、特殊学級に学籍をおきつつ、

大半の指導を通常の学級で受け、心身の障害の状態等に応じた特別の指導を特殊学級等で受 けるという形態での教育が行われるようになってきた。これが「通級」という形になるので あるが、他校の特殊学級に通級しているケースも多かった。そこで、特殊学級において指導 を行うことは適切ではないが、通常の学級における指導だけでは不十分な者の支援制度を整 備する必要があった。そこで、山口薫を座長とする通級学級に関する調査研究協力者会議が

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設置され、1992年3月30日に、「通級による指導に関する充実方策について(審議のまとめ)」

が出され、1993年4月より、通級による指導が実施された。このまとめでは、「通級とは、

各教科等の授業を主として通常の学級で受けながら、心身の障害の状態等に応じた特別の指 導を特殊学級等で受ける教育の形態である。」とされた。しかし、その一方で、精神薄弱(当時、

現在は知的障害)については、「精神発達の遅れやその特性から、小集団において発達段階 に応じた特別な教育課程・指導法が効果的であり、このため原則として、主として特殊学級 において、いわゆる固定式により指導することが適切である」とされた。また、このまとめ では、学習障害にも触れられており、学習障害に関しては、通級による指導が効果的である という指摘とともに、重要な課題として検討をしている。学習障害だと思われる児童・生徒 は、言語障害、及び、情緒障害を対象とした特殊学級に通級している実態があった。

そこで、1992年6月に、山口薫を主査とした、学習障害及びこれに類似する学習上の困 難を有する児童生徒の指導方法に関する調査研究協力者会議が発足した。そして、1999年7 月2日に、「学習障害児に対する指導について(報告)」が出され、学習障害の定義が決めら れている。この報告では、知能検査の結果、明らかに知的障害が見られれば、知的障害の養 護学校や特殊学級で教育を行うことが適当であるとされている。一方、境界付近の値を示す とともに、聞く、話す、読む、書く等のいずれかの学習上の基礎的能力に特に著しい困難を 示す場合は、通常学級等において学習上の基礎的能力の困難を改善することを中心とした配 慮を行うか、知的障害として特殊学級において学習上の困難への対応を工夫することが適当 であると述べられている。しかし、学習障害児は、その多くは、通常の学級に在籍している ことから、通常の学級における指導を基本に対応していくことが重要であるとされている。

ただ、この当時では、学習障害児のうち特別の教育課程を編成して指導することが適当な者 の範囲や要件が未解決のため、通級による指導に類似した指導の場を設けることが考えられ れ、今後の研究が必要であると述べられている。

この後、2001年1月に「21世紀の特殊教育の在り方に関する調査協力者会議」(座長河合 隼雄)から「21世紀の特殊教育の在り方について〜一人一人のニーズに応じた特別な支援 の在り方について〜(最終報告)」が出され、障害の重度・重複化や多様化、教育の地方分権 など特殊教育をめぐる状況の変化のもと、これからの特殊教育は、障害のある児童生徒等の 視点に立って一人一人のニーズを把握し、必要な支援を行うという考えに基づいて対応を図 る必要があり、盲・聾・養護学校の地域へのセンター的機能をもつ必要性が述べられている。

また、2003年3月には、「特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議」(座長小林登)

から「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」が出され、個別の教育支援計画、

特別支援教育コーディネーター、広域特別支援連携協議会等が特別支援教育の大きな特徴と された。ただ、この「在り方」で提言された特別支援教室はただちには実現できなかったと 言えよう。そして、2005年12月中央教育審議会答申「特別支援教育を推進するための制度 の在り方」が出された。2006年には、通級指導教室の対象に、「学習障害者」、「注意欠陥多 動性障害者」、「自閉症者」が新たに対象となった。そして、2007年4月から、現在の特別 支援教育がスタートしている。

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4 .インクルージョン・インクルーシブ教育の世界的な流れ

さて、近年日本でもインクルーシブ教育という言葉が聞かれるようなってきた。星槎大 学は2004年4月の開学当時から、初代学長山口薫のもとで、インクルージョン教育を目指 した特別支援教育の専門家の養成に力を注いできた。その当時もインクルージョンへの理解 は乏しかったが、現在はインクルーシブという用語は広がってきたものの、障害がある子ど もとない子どもがともに学ぶことと、あたかも子どもをインクルードすることがインクルー ジョンだという考え方が広がっている。

近年インクルーシブ教育という言葉が広がってきたのは、2006年12月に国連で採択され た障害がある人達の権利条約を日本が2007年9月に署名し、2014年1月に批准するまでの プロセスにおいてである。障害がある人達の権利条約では、障害がある人達へ合理的配慮を しないことは差別にあたるとされており、また、障害を理由として教育制度一般(General education system)から排除されず、障害がある人達にもインクルーシブ教育を保証される ことが謳われている。

我が国では、障害を理由とする差別の解消を推進に関する法律(障害者差別解消法)が 2016年4月に施行された。障害を理由とする差別が禁止され、さらに合理的配慮を行わな いことは、国公立機関では禁止、民間事業所では努力義務とされている。また、中央教育審 議会では、2012年7月に、「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のた めの特別支援教育の推進(報告)」(委員長宮崎英憲)が出されている。この名称からもわか るように、本来インクルージョンは、従来の通常教育と特殊教育をインクルードしていく教 育システムのことであり、障害がある子どもと障害がない子どもを現状のままインクルード するのであれば、従来から批判があるインテグレーション(統合教育)と同義になってしま う恐れが指摘できよう。

インクルージョンという言葉が世界的に使われるようになったきっかけは、1994年スペ イン・サラマンカ市で行われたユネスコとスペイン政府共催の特別なニーズ教育に関する世 界会議で採択されたサラマンカ声明においてである。サラマンカ声明の正式名称は、「特別 なニーズ教育における原則、政策、実践に関するサラマンカ声明」であり、インクルージョ ンの原則、Education for Allがキーワードになっている。つまり、インクルージョン、イン クルーシブ教育は、「特別なニーズ教育」なのである。

サラマンカ宣言では冒頭に、「すべての子どもは誰であれ、教育を受ける基本的権利をもち、

また、受容できる学習レベルに到達し、かつ維持する機会が与えられなければならず」とある。

教育を受ける基本的権利を有するのは、障害があるものだけではないし、もちろん、障害が ないものだけでもない。そして、教育を受ける権利は、ただ学校に行くことができるだけで はなく、受容できる学習レベルに到達とともにそれを維持する機会を与えられなければなら ないのである。現在、通常学級のカリキュラムにおいて、本人の発達に合っていなく、不登 校や問題行動を見せている児童・生徒が多い中、知的障害などの障害があるものがこのまま 通常学級で授業を受けるのであれば、それはダンピングと呼ばれる状態であり、教育の権利

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を守られているとはいえないであろう。また、サラマンカ声明では、学習のニーズを持って いるのは、障害がある子どもだけではなく、すべての子どもであると書かれており、変わら なければならないのは、子どもたちの方ではなく、教育システムが多様なニーズを考慮にい れて計画されていなかければならないと述べられている。

その一方で、従来の分離教育のように、全く別の教育システムが合理的なわけではない。

養護学校の義務化は、今まで、障害を理由として就学義務猶予や就学義務免除という適切な 教育を受ける権利を剥奪されていた児童・生徒に対し、すべての児童・生徒に教育を受ける 権利が認められたことが評価できるが、その一方で、地域に特別支援学校等がない場合、6 歳で親元や居住地域を離れなければならないというのは、大きな問題であったと考えられる。

実際に、寄宿舎を設置している特別支援学校の数は多い。また、就学期において、同年代の 子どもたちと離れて学習をしていても、卒業後に社会参加できるのかという問題も指摘でき る。したがって、サラマンカ声明は、「児童中心の教育学の枠内で調整する、通常の学校に アクセスしなければなら」ないと述べている。つまり、目指すべきインクルージョンは、障 害があろうとなかろうと、なるべく生活している地域の学校で、その子どものニーズに応じ た教育を受けることが可能になることだと考えられる。これは、義務教育と高等教育の差は あるが、大学をイメージすれば、大学では、同じキャンパス・同じ場所で学んでいるが、学 生はそれぞれ必要な単位を取得することができる。そして、大学には、性別や年齢によって クラスが分けられることもない。

確かに、欧州の中には、障害がある子どもも地域の通常学校に通わせることがインクルー ジョンであると考えている国もあるが、そのような国々も、けっして盲学校や聾学校、特殊 学校がないわけではなく、また、特殊学級が日本よりも整備されている国も多い(山口・金

子2004)。また、それらの国は、原級留置や飛び級の制度も同時にあり、日本ほど年齢・履

修主義ではないことが指摘できる。

また、「通常の学校にアクセスしなければなら」ないという一文も、原文は、「those with special educational needs must have access to regular schools which should accommodate them within a childcentred pedagogy capable of meeting these needs」であり、「通常の学校に行かな ければならないのではなく」、二重籍や学籍の一本化を目指しつつ、一部でも通常の学校(通 常学級とも書いていない)においても教育を受ける機会を得られるようにすべきであると解 釈できる。

そして、サラマンカ声明では、インクルージョンは、けっして理想論ではなく、費用対効 果も高いと書かれており、経済的な部分も含めても極めて合理的な教育システムであるとさ れている。

また、同様に、障害のある人達の権利条約でも、インクルーシブ教育の推進が謳われてい るが、通常学級で同年齢の子どもと同じ教育を受けることが書かれているのではなく、「障 害者が、その人格、才能及び創造力並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度ま で発達させること。」と質に関しても言及されており、「3(a)点字、代替的な文字、意思疎 通の補助的及び代替的な形態、手段及び様式並びに定位及び移動のための技能の習得並びに

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障害者相互による支援及び助言を容易にすること。(b)手話の習得及び聾社会の言語的な同 一性の促進を容易にすること。」とあるように、視覚障害がある児童・生徒には点字を、聴 覚障害がある児童・生徒には手話をコミュニケーション手段としてしっかりと学習させてい くことの重要性が強調されている。これが現在の通常学級で可能であるのかをしっかりと検 討すべきである。また、ろうコミュニティの存在も保証されている。現在は医療技術の発展 によって、同じ地域の学校で、同年代の子どもが視覚障害や聴覚障害を有している数は多く はない。もちろん学校の選択権は、保護者や本人に認められるべきであるが、聾学校などの 存在はむしろ尊重されるべきであると考えられよう。

そして、このインクルーシブ教育は、それぞれの国によってそれこそ多様であるべきだと 考えられる。障害の有無に関係なく、義務教育の就学率が低い発展途上国においては、特別 支援学校を整備していくことはとても難しい問題である。したがって、そのような国におけ るインクルーシブ教育は、障害があっても、まずは、地域の通常学校に通えるように整備 していき、それから、本人の発達に合わせた教育支援が行われるように整備していくことが 優先されるであろう。一方、すでに特別支援学校が整備されている先進国においての、イ ンクルーシブ教育は、まずは、本人の発達に合わせた教育支援を整備しつつ、それが地域 の学校でもできるように、教育システムを整備していくことが望まれるであろう。日本で は、まず一緒に学ぶことが先決であると考える人たちが、日本政府・文部科学省を批判して いることが多い。日本政府は、障害のある人達の権利条約における、教育制度一般(general education system)に、特別支援教育が含まれると解釈しており、国連と確認がとれている からこそ、障害のある人達の権利条約の批准ができたわけである。しかし、文部科学省がイ ンクルーシブ教育の推進のために多様な学びの場の整備をあげていることに対して、本来「通 常教育」と訳すべきで誤訳だったと清水(2012)は主張している。

5 .特別な教育的ニーズとは

ここで、ニーズと障害の違いを述べておきたい。従来の特殊教育は、障害の程度と種別に よって学校種が決められていた。しかし、現在は、医療技術の向上により、極低出生体重児 の生存可能性が高まり、重度であったり障害を重複している場合もあり、単純に障害種別で 学校を決めたり、指導法を決めたりすることが難しくなった。また、その一方で、脳科学の 発展により、さまざまな個人差を測定できるようになったため、新しい障害名・診断名が使 われるようになったが、それらのカテゴリーで学校種や指導法が決まるわけではない。そこ で、英国では、ウォーノック報告(Warnock 1978)が出され、従来の障害種別ではなく、個々 のニーズに応じた教育・支援である、特別なニーズ教育が提唱された。それを引き継ぐのが、

インクルージョン、インクルーシブ教育になる。つまり、障害があれば当然ニーズもある可 能性が高いが、障害があってもニーズがない場合もあるし、その逆に、障害がなくてもニー ズがある場合もある。特別なニーズ教育、インクルーシブ教育においては、障害のあるなし に関係なく、ニーズがあるから支援を考えるわけで、健常者が常に障害者を支援しなければ

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ならないという強者弱者という発想ではなく、障害がある人がない人を支援してもいいと考 えるのがニーズ論であり、インクルージョンである。

真城(2003)は、特別なニーズ教育が日本では正しく理解されておらず、障害児教育の 置き換えというのは論外でも、従来の障害児教育に、学習障害やADHDなどを包含するよ うになったという特別なニーズ教育の使い方がされるのが典型的であると述べている。した がって、障害児を「SEN児」(特別な教育的ニーズ児)と呼ぶのも適切ではなく、特別なニー ズというのは環境との相互作用で生まれるので、「静的」、「固定的」なものではなく、「動的」

な概念であると述べている。

そして、特別な教育的ニーズというのは、サラマンカ宣言でもあるように、障害に限定さ れているものではなく、経済的な理由によって学習する権利が保証されていない児童・生徒、

外国にルーツをもつ保護者や本人である児童・生徒、性別によって学習する権利を保証され ていない児童・生徒、虐待等家庭環境にニーズがある児童・生徒、さらに年齢によって学習 する権利を保証されていない児童・生徒などを含んだ概念である。このような概念であれば、

今後新しい障害が見つかったとしても、臨機応変に対応ができるはずである。

6 .一元論

山口(2008)は、統合教育(インテグレーション)とインクルージョン教育の違いを、定 義上はほとんど違いはないかもしれないが、①「すべての子どもは、自分の家の近くの学校 の通常の学級に通って適切な支援を受ける。」②「すべての教師が、適切な支援と専門的な 研修の機会を受けながら、すべての子どもについて責任を持つ。」③「学校は、学校の組織、

カリキュラム、アセスメントのやり方を再構築し、学習と参加への障碍を克服するために、

また、学校や地域でどんな子どもも一人残らず育てるために、学校の価値について再考する。」

といった、ミットラーの3か条を引用しながら、単に子どもを通常の学級に入れるだけでな く、適切な教育が保証されるための学校、教師の変革が必須条件であると述べている。子ど もを既存の学校に合わせるのではなく、子どもが適切な教育を受けられるように、学校を変 え、教師を変えることにあるのであれば、それは一朝一夕に実現できるはずもない。インク ルージョン教育は過程である。統合教育運動は、既存の学校の通常学級に就学させようとし たところに致命的な誤りがあったと述べている。また、山口(2008)は、養護学校義務制反 対運動の人たちから糾弾され、特殊教育の教員養成課程を廃止すべきであると批判された。

山口自身は、養護学校の義務制は、どんなに重度の子どもも一人残らず義務教育を受けられ るようになったという点で大きな意義があったけれども、ダンピングと呼ばれるような点は 間違いだとしても、統合教育の、「できるだけ通常の教育システムに統合する」という重要 な側面を軽視していたことは誤りがあったと述べている(山口、2008)。

そこで、従来の特殊教育と、統合教育、そしてインクルージョン教育を弁証法的に検討す れば、従来の特殊教育がテーゼであり、統合教育がアンチテーゼだとしたならば、インクルー ジョン教育はジンテーゼになる。そもそも、障害がある子どもも障害がない子どもも、同じ

(11)

子どもであるのにもかかわらず、インテグレーションの障害がある子どもとない子どもが一 緒に学ぶという発想は「二元論」の発想であり、インクルージョンはそもそも、障害のある なしにかかわらず、「人は一人ひとりユニークな存在で、違っているのが当たり前であり素 晴らしいことなのだ」という考えのもと、すべてを包み込むシステムを作るのがインクルー ジョン教育(一元論)である(山口、2008)。

つまり、一元論とは、一体化ではないし、一元化でもない。また、多元論のほうがわかり やすいという意見もあるが、多元論はただ例外を複数作っていくだけであり、けっしてインク ルージョンとは呼べない。通常教育も、もともとは男子校、女子校と分かれて教育が行われ ていたが、性の違いに配慮して共学が当たり前になったように、人種の違いも、宗教の違い も、それぞれの違いに配慮しながら通常教育は行われている。であれば、インクルージョンは、

年齢という軸でカリキュラムを決めるのではなく、一人ひとりの発達に応じたカリキュラムが 作れるように通常教育のカリキュラムが変わってこそ達成できる教育改革ではないだろうか。

7 .まとめ

インクルージョン、インクルーシブ教育が近年話題になるようになってきたが、正しく理 解されているとは言えない現状である。そもそもdisabilityを視覚障害や聴覚障害といった

impairmentと日本語では同じ障害と訳しているところに、誤解を生じる原因になっている

と考えられる。英語のdisabilityは、かならずしも永続的な障害を意味してはいなく、もっ と広い意味で使われている。したがって、障害者、健常者と人間を2つに分けてしまう二元 論は適切ではない。少なくとも発達障害の診断に知能検査で測られる知能指数を用いるので あれば、それは相対的な数値であるため、同じ能力であっても、年齢や国、時代によって、

ニーズの度合いは異なる。インクルージョンは一元論の考え方であり、教育的なニーズを持 つものは、障害のあるなしにかかわらず、すべての人間である。ユネスコは、2015年5月に、

2030年の教育に向けてインチョン宣言を行った(UNESCO 2015)。

Ensure inclusive and equitable quality education and promote lifelong learning opportunities for all

単なるインクルーシブではなく、公平公正な質が担保されなければならないことが宣言さ れており、また、生涯学習という年齢軸を超えた教育の重要性も確認された。そして、この ような教育の権利は、けっして障害のあるものや、性別、貧困など社会的弱者だけを対象と したものではなく、すべての人に対する権利であるという一元論の思想も反映されていると 考えられる。

今後の日本の特別支援教育では、インクルージョンが障害のあるなしには関係がなく、ニー ズに応じた特別なニーズ教育であるということが理解されることが必要であり、変わらなけ ればならないのは、特別支援教育ではなく、通常教育が変わらなければならないことを理解 されることが大いに期待される。

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謝辞

特殊教育・特別支援教育の歴史をまとめるのに際して、我が師である故山口薫先生のご功 績と偉大さを改めて身にしみて感じました。生前のご指導とご鞭撻に心より感謝申し上げる とともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

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参照

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