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2 E 文化の特殊性からみた日本の障害児教育

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Academic year: 2021

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文化の特殊性からみた日本の障害児教育

一自己・他己双対理論による検討一

障害児教育専攻 横 川 真 由 子

はじめに

日本の障害児教育は、先進諸外国と比べると 非常に遅れをとっている。世界的には統合教育 の考え方が浸透してきでおり、日本もそれを目 指すべきものと受けとめているはずであるが、

なかなか具体的施策に表れない。これは、日本 人の内面的精神が制度・政策として表された結 果として捉えることができる。この日本人の内 面的精神が障害児教育をとりまく様々な問題と 密接に関係しているという視点から、検討・考 察する。

第1章 日本の障害児教育の現状

障害児教育は歴史的にみると、健常児との関 係で、融住、分離、統合の三つの形態をもっ。

今日において轍住ということはまったくの論外 であるが、分離か統合の二つのあいだで揺れ動 いている状態であると言える。もちろん統合が 障害児教育の理想と考えるのは、多くの人々が 梢尋しうることであろう。しかし、現実はその 理想とは程遠い。そこで統合への道を阻む要因 が、現行教育法の規定にあると想定した。教育 基本法の障害児に関する取り扱いの規定から、

障害児の別学体制を容認している箇所が確認さ れた。加えて学校基本調査の検討の結果、この 規定が学校現場にも反映されている、すなわち 統合への事構になっているものと縮命付けるこ

とができた。

また、障害児を取り巻く環境で問題点として

指導教官 中塚善次郎

挙げられることは、地域社会の障害児に対する 差別・偏見意識がなかなか解消されないことで ある。統合教育が進むことによって、障害児も、

その家族も、地域社会とコミュニケーションを 深めることができる。それが精神的安定にもつ ながるのであるが、現実はそうではない。逆に 差別・偏見によってストレスが増し、地域社会 から心理的に

E

鴎住を置こうとする。

学校現場に加えて、地域社会でも同様に障害 児を取り巻く環境には、矛盾や蔚盾環が生じて いる。

第2章 問 題 の 所 在

障害児をとりまく差別・偏見意識は、個人の 考え方であり、ひいては思摺、の問題と考えざる を得ない。そして思担、は各国の宗教と密接に関 係している。

日本人は閉鎖的な地理環境によって集団のむ すびつきが非常に強い民族として発展してきた。

このような集団主義という特性をもった文化的 土壌と仏教の「和の精神」とが見事に合致し、

集団の秩序が保たれ、同時に日本独自の文化が 形成されてきたのである。集団主義はともすれ ば同質尊重、異質排除の傾向に陥ってしまう。

それに対して仏教の人間すべてに仏(神)が存 在しており、各人が尊重されるという教えによ って、集団内の「和」が保たれ、異質排除の傾 向を克服していた。従って、日本では直接的に 人々が「他渚の心を感じるこころ」によってつ

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ながっていた。このことから個人主義の欧米に 比べると、日本人は他者志向性を強く持った民 族であったと特徴付けられるのである。

しかし、日本も近代化の過程で多くの欧米文 化を取り入れるようになった。特に戦後以降、

この傾向は決定的になり、加えて民主主義制度 が本格的に導入され、同時に宗教教育が禁止さ れた。民主主義制度とは、欧米の個人主義から 考え出されたものであり、その基本性質である 自己追求を抑制するための社会規範の存在を前 提に発展してきた制度である。すなわちキリス ト教の教えが自己の利益邑求を抑制する儲蛇 担っていたのである。

しかし、現在の日本は公教育のなかでの宗教 教育が完全に否定され、自己追求を抑制するも のがいっさい無くなった状態である。そうなる と、人々は自己の利益ばかりを求め、自分の利 益と直接関係しないものには興味が向かない。

従って集団主義のマイナス特'性である、異質排 除の傾向が顕著に表れてくる。現代の日本がこ のような傾向に陥っていることは、第1章で述 べた障害児教育を取り巻く諸問題に表されてお り、明らかである。そして、信仰を失った日本 の民主主義詰士会は、それらの問題を解決する方 法を持ち合わせていないのである。

第3章 自己・他己双対理論による問題解決

の方法

第1章、第2章で指摘した問題を踏まえ、日 本の障害児教育に求められることを自己・他己 双対理論(中塚, 1993; 1994)に基づき検討し た。結果、障害者を相対的能力の欠損者として みるのではなく、障害者も健常者も同じく人間 存在を超えた絶対的他者(絶対者、神、

ω

よってただ贈られた存在であるという共通理解 が必要となるということであった。これはあく

までも健常者側に求められる意識改革である。

このような健常者の意識が改革されるためには、

教育が重要な役割を果たすことは間違いない。

しかし、それ鰍抹の知識偏重教育では不可能 である。そのためには、ただ「あたま」だけで 理解するのではなく、「こころ」を伴った実惑と しての理解が得られることが重要である。それ は情育・徳育によって培われるものなのである。

障害者洲色文措によって贈られた前主である というネ見点に立つと、改めて障害児の誕生は非 日常であり、絶対者との濫邑を媒介してくれる 荷主であると感じることができる。そのことが 信仰を取り戻すことにつながり、自己、または 人間の限界を自覚することにもつながる。その ときはじめて障害児は、自分の身をもって障害 を受け、健常者が「弱者」にすぎないことを知 らしめる「強者的存在」として托躍されるので ある。障害児教育がすべての教育の原点とされ る理由も同じである。すなわち障害児教育に携 わる教員は絶えず非日常と接触し、自己の限界 を自覚しやすい状況にある。自己の限界を自覚 してはじめて他者に対してこころを開くことが でき、すべての他者を無条件に受け入れること ができるようになる。そこに教育の出発点があ ると考えるからである。

おわりに

これからの障害児教育に求められることにつ いていくつか提言を行った。また、それを実践 に移せるような土壌が本来の日本文化のなかに 見出せたのである。日本人が一刻も早く他者志 向性を取り戻し、すべての人聞が幸福に至れる ような文化的土壌が再び育まれることの望みを 本論文に込めた。しかし、浅学ゆえの拙論であ るため、これからの筆者自身の実践によって補 うべきことが多く、今後の課題とする。

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