山梨の特殊教育の変遷 利用統計を見る
7
0
0
全文
(2) ・昭和25年. 増穂町立増穂小学校に知的障害特殊学級を設置。. ・昭和26年. 県立ろう学校を山梨村(現山梨市)に移転。県立盲学校高等部をあんま・ はり灸師養成学校として認定。. ・昭和27年. 上野原町立島田小学校に知的障害特殊学級が設置される。. ・昭和28年. 甲府市立北中学校に特殊学級が設置される。その後、徐々に特殊学級が設 置される。. ・昭和32年. 甲府市立富士川小学校に虚弱児学級が設置される。. ・昭和34年. 県立あけぼの学園内(甲府市羽黒町)に甲府市北新小学校、北中学校の分 教室を設置する。. ・昭和38年. 県立盲学校が現在地の甲府市下飯田町に新築移転。それに伴い、県立養護 学校(現甲府養護学校)を県立盲学校内に設置し、新校舎が完成した12月 に現在地に移転。山梨大学附属小学校に特殊学級設置。. ・昭和39年. 3. 山梨大学特殊教育学科開設。. 昭和40年代~昭和50年代 ・昭和41年. 山梨大学附属小学校特殊学級校舎新築移転(附属小・中学校第二部)。. ・昭和42年. 甲府市立富士川小学校に言語治療教室を設置。その後、韮崎市立韮崎小学 校、大月市立大月東小学校、鰍沢町立鰍沢小学校等に言語治療教室を設置。. ・昭和47年. 県立中央病院内に県立養護学校中央病院分校(病弱)を設置。. ・昭和48年. 山梨大学附属養護学校開設。. ・昭和49年. 県立養護学校あけぼの分校が独立し、県立あけぼの養護学校となり、社会 福祉村に開設。県立わかば養護学校を社会福祉村に開設。. ・昭和50年. 甲府市立伊勢小学校に情緒障害学級を設置。その後、徐々に情緒障害学級 が設置される。県立養護学校を甲府養護学校と改称。. ・昭和54年. 養護学校教育が義務教育となる。県立やまびこ養護学校を大月市宮谷に開 設。 訪問教育開始。. 4. ・昭和55年. 県立ろう学校を山梨市大野に新築移転。. ・昭和59年. 県立甲府養護学校中央病院分校が独立し県立富士見養護学校となる。. 昭和60年代~現在 ・昭和55年. この後、心身障害児理解推進校(交流教育)研究公開が盛んに開催される。. ・平成 3年. 特殊学級開設40周年記念大会の開催。. ・平成 5年. 甲府市立富士川小学校、富士吉田市立下吉田第一小学校で「通級による指 導」の実施。. ・平成 8年. 県立ふじざくら養護学校を河口湖町船津に開設。. - 51 -.
(3) ・平成 9年. 県立富士見養護学校旭分校を県立北病院内に開設。山梨医科大学内に玉穂 町立玉穂南小学校及び玉穂中学校下河東分校を設置。. ・平成10年. 小・中学校の新設特殊学級増加(23校増). ・平成11年. 中学校に肢体不自由特殊学級を新設置。. ・平成12年. 県立わかば養護学校ふじかわ分校を鰍沢町に開設。難聴、弱視特殊学級を 新設置。. ・平成13年. 県立かえで養護学校を甲府市東光寺に開設。特殊学級設置数の大幅増加。. ・平成14年. 認定就学制度始まる。. ・平成17年. 県立甲府養護学校で、山梨県教育委員会指定研究「医療的ケア支援体制モ デル校実践的調査研究事業 」(平成14~16年度)を実施後、文部科学省指 定「養護学校における医療的ケアに関するモデル事業」 (平成16年度)、 「盲・ 聾・養護学校における医療的ケア実施体制整備事業 」(平成17年度)を実 施し、平成18年度から県立甲府養護学校に看護師2名、県立あけぼの養護 学校看護師2名、県立ふじざくら養護学校看護師1名が配置される。いず れも、非常勤職員(週30時間、週5日)。. ・平成15年. 山梨県特別支援教育(旧、特殊教育)連盟50周年記念式典開催。 特別支援教育推進体制モデル事業を塩山市教育委員会に委嘱。. ・平成16年. 県立ろう学校で「通級による指導」の開始。. ・平成18年. 学校教育法の一部が改正され、平成19年4月から「特別支援教育」となる。. Ⅲ. 考. 1. 戦前. 察. 盲、聾教育を中心に先駆的な取り組みがなされ本県の特殊教育の誕生期である。 2. 戦後~昭和30年代 昭和22年に学校教育法、同施行規則が制定され、盲、聾教育が義務制となり、県立盲学校. と県立ろう学校が設置され、盲・聾教育の原型が整ったことになる。 他方、公立小中学校においては、昭和25年増穂町立増穂小学校に知的障害特殊学級が設 置され徐々に知的障害特殊学級が設置された。 昭和32年には、甲府市立富士川小学校に虚弱児学級が設置された。 また、昭和34年に県立あけぼの学園内に甲府市北新小学校、北中学校の分教室が設置され た。 これは、戦後、沖縄から始まったポリオウイルスが全国で猛威をふるい、小児麻痺の児童 の教育が急務となり設置されたのであろう。 昭和35年 、「精神薄弱児の教育 」(松岡武著、東洋館出版)が出版され、今後の特殊教育の 指針となり、指導法及び理解と啓発に貢献したと考える。昭和39年に、山梨大学に特殊教育. - 52 -.
(4) 学科が開設された。 この時期は、県立盲学校、県立ろう学校、県立養護学校(甲府養護学校の前身 )、知的障 害特殊学級、病弱学級、肢体不自由分教室がいくつか設置され、障害のある児童生徒への教 育の必要性が理解され始めた時期であろう。 ちなみに、昭和30年の特殊学級数及び児童生徒数は14学級194名、昭和35年は46学級570名、 昭和40年は81学級747名であった。グラフ-1で示すように、昭和35年から昭和40年にかけて、 特殊学級在籍者数が急激に増加している。. グラフ1 特殊学級数と在籍児童生徒数の変遷 1200 1000 800 600 400 200 0 昭和25年. 35年. 45年. 特殊学級数. 3. 60年. 7年. 17年. 児童生徒数. 昭和40年代~昭和50年代. 昭和41年に、現在の附属養護学校敷地内に、山梨大学附属小学校特殊学級新築移転(附属 小中学校第二部)した。その後、昭和54年の養護学校義務制を控え、昭和48年に、山梨大学 附属養護学校、昭和49年に、県立あけぼの養護学校、県立わかば養護学校、昭和54年に、県 立やまびこ養護学校、昭和59年に、県立富士見養護学校が開設した。 ところで、公立小・中学校においては、昭和42年に、甲府市立富士川小学校に、県内初の 言語治療教室が設置され、その後、各地域に言語治療教室が設置されていった。また、甲府 市立伊勢小学校に情緒障害学級が設置され、知的障害、病弱、言語、情緒障害と対象となる 児童生徒が増加していった(グラフ-1を参照)。 ちなみに、特殊学級数と児童生徒数であるが、昭和45年には、110学級941名、昭和50年、 137学級1049名、昭和60年、134学級865名であった。昭和54年が養護学校が義務制になった ことから、この年から数年間、特殊学級数が減少したが、その後、また増加するこになる。 私は、学生であった昭和44年から特殊教育に関わることになるが、昭和45年に山口勝弘先 生、昭和47年に椙村憲之先生をお迎えし、松岡武先生(故人 )、飯田貞夫先生(故人 )、高野 武先生の5名のスタッフにより講義を受けることになった。その当時の印象として、学校現. - 53 -.
(5) 場では実践研究が盛んに行われ、口角泡を飛ばす議論がなされていた。学生で記録の手伝い をした私は圧倒されてしまった。学校現場での指導に行き詰まった教員が毎日のように特殊 教育学科に出向き、今後の指導についてアドバイスを受けていたのも印象的であった。この ような熱心さが、急激に特殊学級や養護学校を定着させる原動力になっていたのだろう。 私は大学卒業後、県立で初めての知的障害養護学校である、わかば養護学校に昭和52年に 赴任したが、初代校長佐藤太善氏から 、「山梨県に知的障害養護学校が定着するか否かは、 本校の職員の力にかかっている」と常々話を賜ったものである。あれから30年を経て、この ように知的障害養護学校への希望者が増加するとは思いもよらなかった。教育関係者の努力 もさることながら、保護者及び児童生徒の知的養護学校教育に対する価値観も変化してきた ためと考える。. 4. 昭和60年代~現在. 公立小・中学校において、心身障害児理解推進校(交流教育)研究公開が盛んに行われた。 平成10年を境に、いったん減少していた特殊学級数と児童生徒数が急激に増加し始めた(グ ラフ-1を参照)。 その要因は通常の学級に、学習障害、注意欠陥多動性障害、高機能自閉症等の児童生徒が 在籍しており、その児童生徒に対応するために、特殊学級が利用されるようになったためと 考えられる。また 、「通級による指導」も甲府市立富士川小学校、富士吉田市立吉田第一小 学校で行われるようになり、一人一人のニーズに応じ、様々な指導の形態が用意されたこと も児童生徒数増の一因であろう。 また、平成14年に 、「盲・聾・養護学校に入学すべき児童生徒であっても、市町村の教育 委員会が当該市町村の設置する小学校又は中学校において適切な教育を受けることができる 事情があると認める者については、小学校又は中学校に就学させることができる」との認定 就学制度を施行したことも、その要因であろう。 平成15年に文部科学省から委嘱を受け、特別支援教育推進体制モデル事業を塩山市教育委 員会が実施し、学習障害、注意欠陥多動性障害、高機能自閉症等の児童に対する校内支援体 制の構築に向けた取り組みが実践された。その後、平成16年に、甲府市教育委員会が同モデ ル事業を行った。特別支援教育に移行するためのモデル事業である。 ちなみに、この時期の特殊学級数と在籍児童生徒数は、平成2年、112学級837名、平成7年、 118学級920名、平成17年、283学級1121名である。 この10年間で特殊学級数は2倍強に増加したことになる。同様に在籍者数は過去最高であ るが、増加率は約1.2倍であることから、1学級あたりの在籍者数が減少していることを意味 している。また、一人一人のニーズに応じた教育に対応したための結果とも言えよう。 平成17年度の公立小・中学校数は、分校も含め約310校である。同一校に複数の特殊学級 が設置されている学校もあるものの、数字上からは、ほとんどの公立小・中学校に特殊学級 が設置されていることになる。. - 54 -.
(6) 今後、一人一人のニーズに応じた、より質の高い指導が求められていることから、指導法 の研究が大切になってくる。 一方、県立学校は、グラフ-2で示したとおり、平成8年を境に再び在籍児童生徒数が増 加し始めた。そのため平成8年に、県立ふじざくら養護学校、平成9年に、県立富士見養護学 校旭分校、平成12年に、県立わかば養護学校ふじかわ分校、平成13年に県立かえで養護を、 それぞれ現在地に開設した。平成18年度は、児童生徒数が800名を超えた。その主な要因は、 知的障害養護学校高等部への入学希望者が増加しているためである。 グラ フ 2 盲 ・ろう・養 護 学 校 数 と在 籍 児 童 生 徒 数 の 変 遷 1000 16. 800 600. 8. 400 200 0. 0 平成 元年 4 年. 8 年 1 2 年 13年 1 4 年 1 5 年 1 6 年 1 7 年 1 8 年. 児 童 生 徒 数 (左 目 盛 ・人 ). 学 校 数 (右 目 盛 ・校 ). 今後、県立わかば養護学校と県立かえで養護学校の希望者増に対し、新設の養護学校を設 置するなどの検討を行うと共に障害の重い児童生徒から軽度の障害の児童生徒に対応した教 育課程等の研究を行う必要がある。 また、肢体不自由養護学校においては、障害の重い児童生徒が在籍するようになっており、 医療的ケアを含め、自立活動等の指導法の研究を行う必要がある。. Ⅳ. おわりに. 山梨の特殊教育の変遷を、私なりの視点で考察してみたが、改めて、山梨大学特殊教育学 科(現、障害児教育講座)の方々、県教育委員会の方々、現場の先生方のご努力のおかげで 現在の山梨の特殊教育があることを痛感した。 来年4月から特別支援教育へと転換するが、今まで積み上げてきた特殊教育があったから こそ、より質の高い特別支援教育が展開できるのである。 今後は、現在の課題を解決すべく努力と児童生徒一人一人の教育的ニーズに応じて適切な 教育的支援を行う特別支援教育を目指し努力しなければならない。そのためには、大学関係. - 55 -.
(7) 者、教育行政関係者、福祉関係者、医療関係者等との連携が大切であり、今後とも、山梨大 学障害児教育講座の方々、また、山梨県特殊教育振興審議会、山梨県心身障害児適正就学推 進委員会等で会長としてご尽力いただいた山口勝弘先生のご指導、ご鞭撻をいただければ幸 いである。. 引用・参考文献 1)松岡 武(1960)精神薄弱児の教育.東洋館出版. 2) 大山信郎 他(1968) 特殊教育事典.第一法規. 3) 山梨県教育委員会(2002)山梨の特殊教育(平成14年度版).山梨県教育委員会. 4) 山梨県教育委員会(2006)山梨の特別支援教育 ( 平成18年度版 ).山梨県教育委員会.. - 56 -.
(8)
関連したドキュメント
副校長の配置については、全体を統括する校長1名、小学校の教育課程(前期課
取組の方向 0歳からの育ち・学びを支える 重点施策 将来を見据えた小中一貫教育の推進 推進計画
取組の方向 安全・安心な教育環境を整備する 重点施策 学校改築・リフレッシュ改修の実施 推進計画 学校の改築.
各サ ブファ ミリ ー内の努 力によ り、 幼小中の 教職員 の交 流・連携 は進んで おり、い わゆ る「顔 の見える 関係 」がで きている 。情 報交換 が密にな り、個
取組の方向 安全・安心な教育環境を整備する 重点施策 学校改築・リフレッシュ改修の実施 推進計画
小学校学習指導要領総則第1の3において、「学校における体育・健康に関する指導は、児
[r]
公立学校教員初任者研修小・中学校教員30H25.8.7森林環境教育の進め方林業試験場