博士(歯学)上野尚雄 学位論文題名
舌扁平上皮がんにおける低酸素誘導性因子―1 ぱ (HIF − la) の発現と臨床病理学的悪性度との関連
(A relationship between induction fo HIF‑la and clinical findings in squaremous cell carcinoma of the tongue)
学位論文内容の要旨
低酸 素誘 導性 因子HIF(Hypoxia inducible factors)は、細胞の酸素恒常性を維持する上 で 重要 な役 割を 果た す転 写因 子で ある 。HIF−1はエ リス ロポエ チン 、血 管内 皮増 殖因 子 (VEGF)、 解 糖 系 酵 素 、 グ ル コ ー ス ト ラ ン ス ポー タ ー な ど の 遺 伝子 の転 写を 活性 化す る こ とに よっ て、 細胞 を低 酸素 環境に 適応 させ る働 きを 持つ ことが知られている。HIF‑1は ぱ とロ の2っあ サブ ユニ ット からな り、HIF‑1ロ は細 胞核 内で恒 常的 に発 現し てい るの に ´
対 し、HIF‑1ぱは 組織 の酸 素濃 度に より その 発現 の調 節を 受けており、正常の酸素濃度下 で はプ ロテ アソ ーム の分 解に よりほとんど検出できないが、細胞が低酸素環境に暴露され る とHIF−1ぱの 分解 は抑 制さ れ、 急速 な蓄 積を 生じ る。 近年、HIF‑1aの 発現 が血 管内 皮 増 殖因 子(VEGF)の転 写を 亢進 する こと によ って 血管 新生 を促 し、 腫瘍 の進 行増 殖に 関 与 す る こ と が 報 告 さ れ て い る 。ま た、 低酸 素誘 導性 のア ポト ーシ スに はp53夕ン パク の 関 与が 知ら れて いる 。そ こで 今回私は、北海道大学歯学部口腔外科を受診し舌扁平上皮癌 と 診 断 さ れ た39症 例 を 対 象 に 、 抗HIF‑1ぱ 抗 体 を 用 い た 免 疫 組織 化学 によ ってHIF‑1ぱ の発現と臨床的、病理組織学的所見などのパラメーター、特に腫瘍の転移活性との関連と、
そ れ に 伴 う 血 管 新 生 と の 関 連 、な らび に変 異型p53とHIF―1ぱ の発 現と の関 連に つい て 検討した。
本研究においては、舌扁平上皮がん患者の生検標本に対して免疫染色を行うことにより、
腫 瘍組 織に おけ るHIF‑1a夕ン パクの発現を検索する手法をとった。また本実験に先立ち、
口 腔が ん細 胞株 を用 いたin vitroの実験系により本研究で行った免疫組織化学の確実性を 確 認し た。 口腔 扁平 上皮 がん の細 胞株 であ るKB、Ca9.22を正常 酸素 濃度 下と 低酸 素濃 度 下 の2種の 条件 で培 養し 、ウ エスタ ンブ ロッ テイ ング と免 疫染 色の2種の 方法 でHIF−1ぱ タ ン パ ク の 発 現 を 調 べ た と こ ろ、 低酸 素濃 度下 で培 養さ れたCa9.22に のみHIF‑1ぱの 発 現 が認 めら れた 。こ の結 果は ウエス タン ブロ ッテ イン グと 免疫組織化学の2種類の検出方
法 で 差異 が無 かっ た。 この こと より免 疫組 織化 学に よるHIF‑1aの 検出 は有 効で ある と考 え ら れ た 。 そ こ で1986年 か ら2001年 の25年 間 に北 海 道 大 学 歯 学 部口 腔外 科を 受診 し、
病 理 組 織 学 的 に 舌 扁 平 上 皮 が ん と 診 断 さ れた 症 例 の 中 でTlお よ びT2の39症 例 を 対 象 と し 、 抗HIF‑1ぱ 抗体 を 用 い た 免 疫 組 織 化 学 を 行 っ た 。39症 例中12例 にHIF‑1ぱの 発現 が 認められた(陽性率:31%)。HIF・laの発現と患者の年令、性別、腫瘍の病理組織学的 悪性度、臨床病期、浸潤様式、局所再発の有無とは有意な相関は認められなかったが、HIF・l ぱ陽性群は頚部後発転移、遠隔転移が有意に多く(p<O.Ol;Fisher sexact test)、生存率も 有意に低かった(pくO.Ol;log lank test)。さらに、抗CD34抗体を用いた免疫染色により腫 瘍 周囲 の問 質に おけ る微 小血 管に ついて 検索 した とこ ろ、HIF‑1ぱ陽性群は陰性群と比較 し て 顕 著 な 血 管 新 生 が 確 認 さ れ 、HIF‑1ぱ の発 現に よりVEGFが活 性化 され 血管 新生 を惹 起 し た と 考 え ら れ た 。 が ん 抑 制 遺 伝 子 で あ るp53はHIF‑1ぱ の 発 現調 節を 抑制 し、 低酸 素 誘 導性 の細 胞死 に関 与す ると ともに 、VEGFの 転写 抑制 的に はた らく こと が知 られ てい る 。 変 異 型p53の 発現 を 免 疫 組 織 学 的 に 検 索 し た と こ ろ 、 変 異型p53の発 現と 初診 時の 患 者 の 腫 瘍 径 に 有 意 な 相 関 が み ら れ た が(mt・p53陽 性 群T1:7例 、T2:13例 、mt−p53陰 性 群T1:15例、T2:4例;pく0.01)、そ の他 の臨 床、 病理 学的 所見 とtま 相関 せず 、HIF‑1 aの 発 現 と も 関 連 はみ ら れ な か っ た 。 し か し 、HIF‑1aと 変 異 型p53の 両者 の発 現が 陽性 な 群で は、 有意 に頚 部後 発転 移、 遠隔転 移が 多く (pく0.01)、生存率も有意に低かった
(p二ニ0.02)。変異型p53(mt‑p53)は野生型p53(wt‑p53)によってHIF―laの発現が抑制する 機 能 を 喪 失 す る こ と に よ りHIF―laの 発 現 抑 制 、VEGFの 転 写 抑制 が起 こら ず、HIFーla に よ る 転 移 活 性 の 増 大 を よ り 強 く 修 飾 す る 働 き が あ る と 考 え ら れ た 。 今回の検索結果により.、舌扁平上皮がんの腫瘍組織ならびに口腔がん細胞株の一部にお い てHIF‑1aの 過 剰 発 現 が 認 め ら れ た 。 こ の よ うな 悪 性 腫 瘍 に お けるHIF‑1aの 過剰 発現 が 、腫 瘍の 急速 な増 大に よっ て惹起された低酸素状態に対して組織の酸素濃度の恒常性を 維 持す るた めに 二次 的に 発現 した結果なのか、それとも腫瘍細胞そのものが酸素濃度に依 存 せ ず恒 常的 にHIF‑1aの過 剰な 発現を 呈す 形質 を得 た結 果に よる もの なの かは 、未 だ明 ら かで はな い。 しか し舌 はほ とんどが血管に富む筋組織により構成されており、また対象 と し て選 択し た腫 瘍は すべ てTl、T2症 例で あり 、今 回検 索し た舌 腫瘍 組織 は酸 素欠 乏状 態 では ない 可能 性が 高い もの と思われる。HIF―1ぱの発現が血管新生、浸潤、代謝の変化 な ど腫 瘍生 物学 の鍵 の一 端を 担うことによって、腫瘍の増殖プロセスで重要な役割を果た し てい るこ とを 考え ると 、こ のよ うに正 常酸 素濃 度の 環境 下にも関わらず恒常的にHIF‑1 ぱ の 発 現 を 示 す タ イ プ の 腫 瘍 細 胞 は 、 低 酸 素 状態 に 暴 露 さ れ る こと によ って はじ めて HIF−laの 発 現 を 示す 腫 瘍 細 胞 、 ある いは 低酸 素状 態で もHIF‑1aの発 現を 認め ない よう な 腫瘍 細胞 と比 較し て、 臨床 的により悪性度が高い腫瘍と考えられる。また一般に病理組 織 学的 に膨 張性 に増 殖す るタ イプの腫瘍は再発、転移が少なく予後良好とされ、反対に浸 潤性の増殖を認める腫瘍は再発、転移の頻度が高・くより注意深い経過観察が必要とされて
いる。腫瘍の浸潤様式は患者の予後を類推する上で重要な所見ではあるが、実際の臨床で は病理組織学的に膨張性の増殖を示しているにも関わらず、所属リンパ節や遠隔臓器に転 移をきたしている症例も認められる。今回の検索で膨脹性増殖を示す舌扁平上皮がんの中 でHIF‑1aの発現のみられた4症例中2例で転移が確認されたこと5ま、HIF‑1a夕ンパク の発現が腫瘍の転移活性の程度を知る上で有用な検索方法となりうることを示唆するもの と考えられた。
結論;舌扁平上皮がんにおけるHIF‑1a夕ンパクの発現は、腫瘍周囲の問質に著明な血 管新生を惹起し、それにより腫瘍の転移活性に有意に関与し生存率にも影響を及ばす事が 明らかとなった。また、HIF‑1aの発現と腫瘍の転移活性増大の流れには、mt‑p53の発 現が何らかの形で関与していることが考えられた。HIF‑1aは舌扁平上皮がんの新しい予 後予 測 因 子 、 特 に 腫 瘍 の 転 移に 対 す る 予 測 因 子 に な り う るこ と が 示 唆 さ れ た 。
学位論文審査の要旨
学 位 論 文 題 名
舌扁平上皮がんにおける低酸素誘導性因子―1 ぱ (HIF ― la) の発現と臨床病理学的悪性度との関連
(A relationship between induction fo HIF‑la and clinical findings in squaremous cell carcinoma of the tongue)
審 査は 向 後、 戸塚 、進 藤 およ び福 田審 査員 全 員が出席のもとに口 頭で行われた。まず申請者か ら提出論 文の 内容 の 説明 を受 けた 。 その 内容 は以 下の 如 くで あっ た。
HIF(Hypoxia inducible factors)は、細胞の酸素恒常性を維 持する上で重要な役割を果た す転写因子で、
エリ スロ ポェ チン 、VEGF、解 糖系 酵 素、 グル コー ストランス ポーターなどの遺伝子の転写 を活性化するこ とに よっ て細 胞を 低 酸素 環境 に適 応 させ る。HIF‑1はaと ロの2つ のサ プユ ニッ トか ら なり 、HIF‑1ロは細 胞内 で恒 常的 に発 現 して いる のに 対 し、HIF‑1aは 組織の酸素 濃度によりその発現の調節を 受けている。近 年、HIF−1ぱ の発 現 が血 管内 皮増 殖 因子(VEGF)の 転写 を 亢進 する こと によ っ て血 管新 生を 促 し、 腫瘍の 進行増 殖に関与することが報告され ている。今回我々は、北海 道大学歯学部口腔外科を受診 し舌扁平上皮癌 と 診 断 さ れ た39症 例 を対 象 に抗HIF‑1ぱ 抗体 を用 いた 免 疫染 色を 行い 、HIF‑1aの 発現 と臨 床 病理 学的 パ ラメータとの相関を検索し た。
39症例 中12例にHIF‑1ぱ の 発現 が認 めら れた ( 陽性率:31% )。HIF‑1ばの発現と患者の 年令、性別、腫 瘍の病理組織学的悪性度、 臨床病期、浸潤様式、局所再発の有無とは有意な相関は認められなかったが、HIF‑1 a陽性群は頚部後発転移、遠 隔転移が有意に多くくpくO.Ol;Fisher sexact test)、 生存率も有意に低かった
(pくO.Ol;log lank test)。さらに、抗CD34抗体を用い た免疫染色により腫瘍周囲の問質における微小血管に つい て検 索し たと こ ろ、HIF‑1a陽 性 群は 陰性 群と 比較 し て顕 著な 血管 新生 が 確認 され 、HIF‑1aの 発現に よ りVEGFが 活 性 化 さ れ 血 管 新 生 を 惹 起 し た と 考 えら れ た。 がん 抑制 遺 伝子 であ るp53はHIF‑1ぱ の発 現 調節 を抑 制し 、低 酸 素誘 導性 の細 胞 死に 関与 する とともに、VEGFの転写抑制的にはたらく ことが報告され ―618―
博 男
則 信
隆 靖
正
田
後
塚
藤
福
向
戸
進
授 授
授 授
教
教
教
教
助
査
査
査
査
主
副
副
副
てい る 。 変 異型p53の 発 現を 免 疫 組 織学 的 に 検索 したと ころ、 変異型p53の発現 と初診 時の患 者の腫 瘍径 に有意 な相関 がみられ たが(mt‑p53陽性群T1:7例、T2:13例、mt―p53陰性群T1:15例、T2:4例;pく0.01)、
その 他 の 臨 床、 病 理 学的 所見と は相関 せず、HIF‑1aの発現 とも関 連はみ られな かった 。しか し、HIF‑1ぱ と変異 型p53の両者の発現が陽性な群では、有意に頚部後発転移、遠隔転移が多く(pく0.01)、生存率も有意 に低か った(p 0.02) 。変異 型p53(mt‑p53)は 野生型p53(wt‑p53)によってHIF‑1aの発現が抑制する機能を 喪失 す る こ とに よ りHIF‑1aの 発 現 抑 制、VEGFの 転 写 抑 制が 起 こ ら ず、HIF‑1aに よる 転 移 活 性の 増大 を より強 く修飾 する働き がある と考え られた 。今回 の検索結果により、HIF・1ばは舌扁平上皮がんの新しい予 後 予 測 因 子 、 特 に 腫 瘍 の 転 移 に 対 す る 予 測 因 子 に な り う る こ と が 示 唆 さ れ た 。
つい で各審 査員から 申請者 に対し 、本論 文の内 容とそれに関連する種々の質問が行われた。主な質問は以 下の通 りであ る。
1) 野生 型p53の 存在 下 で はHIF‑1aの分 解が促 進され 、低酸 素誘導 性のapoptosisを惹起 するとあ るが、
この 機 序 は 何か 。
2) 血管 新 生 の 惹起 が り ン パ節 転 移 を 増強 し た 機 序は 何 か 。
3) 今 回HIF‑1a陽 性 で あ っ た 腫 瘍 は 、 低 酸 素 に よ っ てHIF‑1aを 発 現 し た と 考 え て 良 い の か 。 4) HIF― laの 発 現 が 腫 瘍 の 浸 潤 様 式 と 有 意 な 相 関 を 示 さ な か っ た の は 何 故 か 。 など で あ っ た。 申 請 者 はこ れ ら の 質問 に 対 し て明 確 に 説 明し た 。
さらに本実験の今後の展望について尋ね、以下の回答を得た。
本実 験はretorospectiveな実 験系で あるた め、今後 さらに症例数を増やし、より厳密な結果を得たいと考 えて いる。 また放 射線治 療前後 におけるHIF‑1ばタ ンパク の発現 の変化 など、他のパラメータについての検 索も 行う予 定であ る。ま た、HIF‑1aの 下流遺 伝子の 検索と 、その 下流遺 伝子発 現と臨床 病理学 的悪性度と の関 連につ いても 検討予 定であ り、実際 にHIF‑1aの 下流遺 伝子で あるこ とが確 認された がん遺 伝子pim―1 と血 管拡張 を調節 するadrenomedullinについ て現在 追加実 験中で ある。
以上から、申請者は本研究およびその関連領域について十分な知識を有していると認められた。
本研 究は腫 瘍転移 のメカ ニズム 解明に 大きく寄 与するものであり、今後の研究結果が、がんの悪性度のス クリ ーニン グ、あ るいは がんの遺 伝子治 療に役 立つ可能性があり、医歯学の発展に貢献する研究であると評 価さ れ、申 請者は 博士( 歯学)を 授与す るに値 するも のと判 定され た。
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