序 言 中 国 で は 隋 代 か ら 唐 代 初 期 に か け て 真 諦 訳 の ﹃ 摂 大 乗 論 釈 ﹄ ︵ 以 下 、 ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ と 略 称 す る ︶ を 研 究 す る 一 群 の 人 々 が 出 現 し た 。 彼 ら を 摂 論 学 派 と 称 す る こ と に す る 。 摂 論 学 派 で は ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ を 受 容 す る 際 、 そ こ に 説 か れ る 唯 識 説 を 如 来 蔵 思 想 に よ っ て 解 釈 す る 傾 向 が 顕 著 で あ っ た 。 小 稿 で は 、 こ の こ と を 摂 論 学 派 の 心 識 説 に お い て 確 認 し 、 そ の 解 釈 の 特 徴 と 変 遷 に つ い て 考 察 す る 。 摂 論 学 派 の 心 識 説 に 如 来 蔵 思 想 の 影 響 が み ら れ る こ と は 、 先 学 に よ っ て 早 く か ら 指 摘 さ れ て い る が 、 そ の 見 解 は 必 ず し も 一 致 し て い る わ け で は な い 。 一 般 に 、 摂 論 学 派 の 心 識 説 は 、 第 八 阿 梨 耶 識 を 妄 識 な い し 真 妄 和 合 識 と み て 、 第 九 阿 摩 羅 識 を 真 識 と み な す 九 識 説 で あ っ た と 考 え ら れ て い る︵ 1 ︶ 。 し か し 一 方 で 、 初 期 に は 第 八 阿 梨 耶 識 を 真 妄 に 二 分 す る 八 識 説 で あ っ た の が 、 後 に ﹃ 楞 伽 経 ﹄ の 心 識 説 の 影 響 に よ っ て 九 識 説 に 変 化 し た と い う 見 解 も あ る︵ 2 ︶ 。 こ の よ う に 見 解 の 相 違 が 生 じ る の は 、 摂 論 学 派 の 心 識 説 自 体 に ゆ ら ぎ が あ る か ら で は な い か と 思 わ れ る 。 そ の 歴 史 的 変 化 に も 注 意 を む け な が ら 、 摂 論 学 派 の 心 識 説 の 実 態 を 検 証 し て ゆ き た い 。 一 、 摂 論 学 派 の 八 識 説 と 九 識 説 1 、 摂 論 学 派 の 八 識 説 先 ず 、 摂 論 学 派 に 八 識 説 が 存 在 し た こ と は 、 唐 代 初 期 の 摂 論 学 者 で あ る 霊 潤 ︵ ︱ 六 五 〇 ︱ ︶ の 心 識 説 の 解 釈 か ら 確 認 さ れ る 。 ﹃ 続 高 僧 伝 ﹄ の 霊 潤 伝 に は 次 の よ う に あ る 。 ﹃ 摂 論 ﹄ 黎 耶︵ 3 ︶ 、 義 該 真 俗 。 真 即 無 念 性 浄 、 諸 位 不 改 。 俗 即 不 守 一 性 、 通 具 諸 義 。 転 依 已 後 、 真 諦 義 辺 即 成 法 身 、 俗 諦 義 辺 成 応 化 体 。 如 未 転 依 作 果 報 体 。 拠 於 真 性 無 滅 義 矣 、 俗 諦 自 相 有 滅 不 滅 。 以 体 従 能 染 分 義 滅 、 分 能 異 体 慮 知 不 滅 。︵4 ︶ ﹃ 摂 論 ﹄ の 黎 耶 、 義 は 真 俗 を 該か ぬ 。 真 は 即 ち 無 念 性 浄 に し て 、 諸 位 に 改 ま ら ず 。 俗 は 即 ち 一 性 を 守 ら ず 、 通 じ て 二 二 三 駒 澤 大 學 佛 學 部 論 集 第 三 十 四 成 十 五 年 十 月
摂
論
学
派
の
心
識
説
に
つ
い
て
吉
村
誠
摂 論 学 派 の 心 識 説 に つ い て ︵ 吉 村 ︶ 二 二 四 諸 義 を 具 ふ 。 転 依 已 後 、 真 諦 の 義 辺 は 即 ち 法 身 と 成 り 、 俗 諦 の 義 辺 は 応 化 の 体 と 成 る 。 如 し 未 だ 転 依 せ ざ れ ば 果 報 の 体 と 作 る 。 真 性 に 拠 り て 滅 の 義 無 く 、 俗 諦 の 自 相 に は 滅 ・ 不 滅 有 り 。 体 を 以 て 能 に 従 へ ば 染 分 の 義 滅 し 、 能 を 分 か ち て 体 に 異 す れ ば 慮 知 滅 せ ず 。 こ こ で は ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ の 第 八 阿 梨 耶 識 が 真 俗 二 諦 に 二 分 さ れ 、 真 諦 は 清 浄 不 変 に 、 俗 諦 は 生 滅 変 化 に 通 じ る と 解 釈 さ れ て い る 。 こ れ は ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ の 説 く 真 如 ・ 生 滅 を 媒 介 す る 阿 梨 耶 識 と 同 じ 説 明 で あ る と い え る 。 ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ の 阿 梨 耶 識 は 真 妄 の 依 持 と な る 如 来 蔵 と 同 義 で あ る か ら 、 霊 潤 も ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ の 阿 梨 耶 識 を 如 来 蔵 と 同 一 視 す る こ と で 、 阿 梨 耶 識 を 真 俗 二 諦 に 二 分 す る 解 釈 を 成 立 さ せ て い た も の と 思 わ れ る 。 ま た 、 阿 梨 耶 識 の 転 換 に は ﹁ 転 依 ﹂ の 語 が 使 わ れ て い る が 、 そ の 内 容 は 真 諦 が 法 身 に 、 俗 諦 が 応 化 身 に な る と い う も の で あ り 、 玄 奘 以 後 の 唯 識 教 学 に は 見 ら れ な い 解 釈 で あ る 。 こ れ と 同 様 の 解 釈 は 、 敦 煌 本 の ﹃ 摂 大 乗 論 章 ﹄ に 見 る こ と が で き る 。 同 書 は 内 容 か ら 摂 論 学 派 の 初 期 の 注 釈 書 と 推 定 さ れ る も の で あ る 。 言 梨 耶 識 者 、 此 方 正 翻 、 名 無 没 識 。 此 有 二 義 。 一 識 生 滅 門 、 能 受 清 熏 、 終 能 転 依 、 応 身 功 徳 、 名 為 無 没 。 二 就 識 真 如 門 、 終 可 顕 了 成 就 法 身 、 名 為 無 没 。︵5 ︶ 梨 耶 識 と 言 ふ は 、 此 方 に 正 翻 し て 、 無 没 識 と 名 く 。 此 に 二 義 有 り 。 一 に は 識 生 滅 門 、 能 く 清 熏 を 受 け 、 終 に 能 く 転 依 し て 応 身 の 功 徳 あ る を 、 名 け て 無 没 と 為 す 。 二 に は 識 真 如 門 に 就 き て 、 終 に 顕 了 し て 法 身 を 成 就 す べ き を 、 名 け て 無 没 と 為 す 。 こ こ で は 阿 梨 耶 識 が 、 識 生 滅 門 と 識 真 如 門 と に 二 分 し て 解 釈 さ れ て い る 。 こ れ は ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ の 心 生 滅 門 と 心 真 如 門 の 理 論 に 基 づ い た 解 釈 で あ る 。 ま た 、 識 生 滅 門 の 阿 梨 耶 識 が 転 依 し て 応 化 身 と な り 、 識 真 如 門 の 阿 梨 耶 識 が 法 身 と な る と い う 説 明 は 、 霊 潤 の 転 依 の 解 釈 と 同 じ で あ る 。 こ の こ と か ら 、 阿 梨 耶 識 を 真 俗 二 諦 に 二 分 す る 八 識 説 は 、 摂 論 学 派 の 初 期 か ら 後 期 ま で 通 用 さ れ て い た こ と が 推 定 さ れ る 。 2 、 摂 論 学 派 の 九 識 説 次 に 、 九 識 説 に つ い て は 、 摂 論 学 派 か ら 玄 奘 門 下 に 転 じ た 円 測 ︵ 六 一 三 ︱ 六 九 六 ︶ の ﹃ 解 深 密 経 疏 ﹄ の 記 述 か ら 検 討 し て ゆ き た い 。 円 測 自 身 は 新 訳 の 八 識 説 に 立 つ も の で あ る が 、 摂 論 学 派 の 九 識 説 を 次 の よ う に 説 明 し て い る 。 真 諦 三 蔵 、 依 ﹃ 決 定 蔵 論 ﹄ 立 九 識 義 。 如 九 識 品 説 。 言 九 識 、 眼 等 六 識 、 大 同 ﹃ 摂 論 ﹄ 。 第 七 阿 陀 那 、 此 云 執 持 。 ⋮ 中 略 ⋮ 第 八 阿 梨 耶 識 、 自 有 三 種 。 一 解 性 梨 耶 、 有 成 仏 義 。 二 果 報 梨 耶 、 縁 十 八 界 。 ⋮ 中 略 ⋮ 三 染 汚 阿 梨 耶 、 縁 真 如 境 起 四 種 謗 。 ⋮ 中 略 ⋮ 第 九 阿 摩 羅 識 、 此 云 無 垢 識 。
摂 論 学 派 の 心 識 説 に つ い て ︵ 吉 村 ︶ 二 二 五 真 如 為 体 。 於 一 真 如 、 有 其 二 義 。 一 所 縁 境 、 名 為 真 如 及 実 際 等 。 二 能 縁 義 、 名 無 垢 識 、 亦 名 本 覚 。 具 如 ﹃ 九 識 章 ﹄ 引 ﹃ 決 定 蔵 論 ﹄ 九 識 品 中 説 。︵6 ︶ 真 諦 三 蔵 、 ﹃ 決 定 蔵 論 ﹄ に 依 り て 九 識 義 を 立 つ 。 九 識 品 に 説 く が 如 し 。 九 識 と 言 ふ は 、 眼 等 の 六 識 は 、 ﹃ 摂 論 ﹄ と 大 同 な り 。 第 七 阿 陀 那 は 、 此 に 執 持 と 云 ふ 。 ⋮ 中 略 ⋮ 第 八 阿 梨 耶 識 は 、 自 ら 三 種 有 り 。 一 に は 解 性 梨 耶 、 成 仏 の 義 有 り 。 二 に は 果 報 梨 耶 、 十 八 界 を 縁 ず 。 ⋮ 中 略 ⋮ 三 に は 染 汚 阿 梨 耶 、 真 如 の 境 を 縁 じ 四 種 の 謗 を 起 こ す 。 ⋮ 中 略 ⋮ 第 九 阿 摩 羅 識 は 、 此 に 無 垢 識 と 云 ふ 。 真 如 を 体 と 為 す 。 一 真 如 に 於 て 、 其 れ 二 義 有 り 。 一 に は 所 縁 の 境 、 名 け て 真 如 及 び 実 際 等 と 為 す 。 二 に は 能 縁 の 義 、 名 け て 無 垢 識 、 亦 た 本 覚 と 名 く 。 具 さ に は ﹃ 九 識 章 ﹄ の 引 く ﹃ 決 定 蔵 論 ﹄ 九 識 品 中 に 説 く が 如 し 。 円 測 の 説 明 に よ れ ば 、 九 識 説 は 真 諦 が ﹃ 決 定 蔵 論 ﹄ に 基 づ い て 立 て た 説 で あ る と い う 。 九 識 説 の 組 織 は 、 通 常 の 六 識 に 、 第 七 阿 陀 那 識 、 第 八 阿 梨 耶 識 、 第 九 阿 摩 羅 識 を 加 え た も の で あ る 。 第 七 識 を 阿 陀 那 識 と す る の は 真 諦 訳 の 心 識 説 の 特 徴 で あ り 、 玄 奘 訳 が 末 那 識 と す る の と 大 き く 異 な る と こ ろ で あ る が︵ 7 ︶ 、 こ こ で は 第 八 阿 梨 耶 識 と 第 九 阿 摩 羅 識 の 解 釈 に 注 目 す る こ と に す る 。 先 ず 、 第 八 阿 梨 耶 識 は 、 解 性 ・ 果 報 ・ 染 汚 の 三 種 に 分 け て 説 明 さ れ て い る 。 解 性 は 真 如 に 、 果 報 ・ 染 汚 は 生 滅 に 関 す る 説 明 で あ る か ら 、 こ こ で も 阿 梨 耶 識 に は 真 妄 の 両 面 が 考 え ら れ て い る 。 阿 梨 耶 識 の 性 質 を 分 析 的 に 説 明 す る こ と は 、 摂 論 学 派 の 初 期 か ら 行 な わ れ て い た 。 ﹃ 続 高 僧 伝 ﹄ の 道 宗 伝 に よ れ ば 、 隋 の 道 奘 は ﹁ 四 種 黎 耶 ﹂ を 立 て 、 阿 梨 耶 識 を 聞 熏 ・ 解 性 ・ 仏 果 な ど に 分 け て 説 明 し た と い う︵ 8 ︶ 。 道 奘 は 霊 潤 の 師 で あ る か ら︵ 9 ︶ 、 こ れ は 八 識 説 に お け る 阿 梨 耶 識 の 説 明 で は な い か と 推 測 さ れ る 。 こ れ を 円 測 の 説 明 と 比 較 し て み る と 、 道 奘 の 阿 梨 耶 識 の 分 類 で は 少 な く と も 半 分 が 真 如 に 関 す る 説 明 で あ る の に 対 し 、 九 識 説 の 阿 梨 耶 識 の 分 類 で は 三 分 の 二 が 生 滅 に 関 す る 説 明 と な っ て い る 。 九 識 説 で は 、 真 如 が 阿 摩 羅 識 と し て 別 に 立 て ら れ る た め 、 阿 梨 耶 識 は 自 ず と 妄 な る 性 格 が 強 く な る の で あ ろ う 。 次 に 、 第 九 阿 摩 羅 識 は 、 無 垢 識 と も い い 、 真 如 を 体 と す る と い う 。 こ れ を 所 縁 ・ 能 縁 に 二 分 す れ ば 、 所 縁 が 真 如 な い し 実 際 で あ り 、 能 縁 が 無 垢 識 な い し 本 覚 で あ る と 説 明 さ れ る 。 こ れ は ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ に 説 か れ る 、 真 如 ・ 本 覚 の 理 論 を 借 り た 説 明 で あ る 。 こ れ と 同 様 の 解 釈 は 、 定 賓 の ﹃ 四 分 律 疏 飾 宗 義 記 ﹄ に ﹁ 真 諦 三 蔵 云 、 阿 摩 羅 識 有 二 種 。 一 所 縁 、 即 是 真 如 。 二 者 本 覚 、 即 真 如 智 。︵ 真 諦 三 蔵 云 く 、 阿 摩 羅 識 に 二 種 有 り 。 一 に は 所 縁 、 即 ち 是 れ 真 如 な り 。 二 に は 本 覚 、 即 ち 真 如 智 な り 。 ︶ ﹂︵10 ︶ と い う か た ち で 見 る こ と が で き る 。 こ の こ と か ら 、 阿 摩 羅 識 を
摂 論 学 派 の 心 識 説 に つ い て ︵ 吉 村 ︶ 二 二 六 所 縁 ︵ 真 如 ︶ ・ 能 縁 ︵ 本 覚 ︶ に 二 分 す る 解 釈 は 、 摂 論 学 派 の 学 説 と し て 他 学 派 か ら も 認 知 さ れ て い た こ と が 分 か る 。 ま た 、 円 測 の ﹃ 仁 王 経 疏 ﹄ に は ﹁ 真 諦 三 蔵 、 総 立 九 識 。 阿 摩 羅 識 、 真 如 本 覚 為 性 。 在 纏 名 如 来 蔵 、 出 纏 名 法 身 。 ︵ 真 諦 三 蔵 、 総 じ て 九 識 を 立 つ 。 阿 摩 羅 識 は 、 真 如 本 覚 を 性 と 為 す 。 在 纏 を 如 来 蔵 と 名 け 、 出 纏 を 法 身 と 名 く 。 ︶ ﹂︵11 ︶ と あ り 、 阿 摩 羅 識 は 煩 悩 と 共 に あ れ ば 如 来 蔵 で あ り 、 煩 悩 を 離 れ れ ば 法 身 で あ る と い う 説 明 も あ る 。 こ れ に よ れ ば 、 九 識 説 に お い て 如 来 蔵 と 同 一 視 さ れ る の は 、 阿 梨 耶 識 で は な く 、 阿 摩 羅 識 の 方 で あ る と い う こ と に な る 。 九 識 説 は 、 後 述 の よ う に 浄 影 寺 慧 遠 の 心 識 説 に も 言 及 さ れ て い る の で 、 や は り 摂 論 学 派 の 初 期 か ら 唱 え ら れ て い た と 考 え な け れ ば な ら な い 。 即 ち 、 八 識 説 と 九 識 説 は と も に 摂 論 学 派 を 通 じ て 行 な わ れ て い た の で あ り 、 そ の ど ち ら に も 如 来 蔵 思 想 に よ る 解 釈 が 顕 著 に 認 め ら れ る の で あ る 。 二 、 摂 論 学 派 の 心 識 説 の 由 来 1 、 八 識 説 の 由 来 摂 論 学 派 で は 八 識 説 と 九 識 説 と い う 二 つ の 心 識 説 が 、 初 期 か ら 後 期 に 至 る ま で 並 存 し て い た こ と が 知 ら れ た 。 次 に 、 二 つ の 心 識 説 の 由 来 に つ い て 、 八 識 説 と 九 識 説 の 双 方 に 言 及 す る 浄 影 寺 慧 遠 ︵ 五 二 三 ︱ 五 九 二 ︶ の ﹃ 大 乗 義 章 ﹄ の 記 述 か ら 考 察 す る こ と に し た い 。 慧 遠 は ﹃ 大 乗 義 章 ﹄ 八 識 義 で 識 相 を 一 か ら 六 十 等 に 分 け て 説 明 し て い る が 、 そ の う ち 識 を 三 分 す る 解 釈 の な か で ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ の 心 識 説 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い る 。 真 妄 和 合 ⋮ 中 略 ⋮ 如 ﹃ 摂 論 ﹄ 説 。 一 是 本 識 、 二 阿 陀 那 識 、 三 生 起 六 識 。 ⋮ 中 略 ⋮ 拠 妄 摂 真 、 真 随 妄 転 、 共 成 衆 生 。 於 此 共 中 、 真 識 之 心 、 為 彼 無 始 悪 習 所 熏 、 生 無 明 地 。 所 生 無 明 、 不 離 真 心 、 共 為 神 本 、 名 為 本 識 。 此 亦 名 為 阿 梨 耶 識 。 故 ﹃ ︹ 起 信 ︺ 論 ﹄ 説 言 、 如 来 之 蔵 、 不 生 滅 法 、 与 生 滅 合 、 名 阿 梨 耶 。︵12 ︶ 真 妄 和 合 ⋮ 中 略 ⋮ ﹃ 摂 論 ﹄ に 説 く が 如 し 。 一 に は 是 れ 本 識 、 二 に は 阿 陀 那 識 、 三 に は 生 起 の 六 識 な り 。 ⋮ 中 略 ⋮ 妄 に 拠 り て 真 を 摂 す れ ば 、 真 は 妄 に 随 ひ て 転 じ 、 共 に 衆 生 を 成 ず 。 此 の 共 中 に 於 て 、 真 識 の 心 は 、 彼 の 無 始 悪 習 の 熏 ず る 所 と 為 り 、 無 明 地 を 生 ず 。 生 ず る 所 の 無 明 は 、 真 心 を 離 れ ず 、 共 に 神 の 本 と 為 る を 、 名 け て 本 識 と 為 す 。 此 れ 亦 た 名 け て 阿 梨 耶 識 と 為 す 。 故 に ﹃ ︹ 起 信 ︺ 論 ﹄ に 説 き て 言 く 、 如 来 の 蔵 、 不 生 滅 の 法 と 、 生 滅 と 合 す る を 、 阿 梨 耶 と 名 く と 。︵12 ︶ こ れ に よ れ ば ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ の 心 識 説 は 、 通 常 の 六 識 、 第 七 阿 陀 那 識 、 第 八 阿 梨 耶 識 ︵ 本 識 ︶ か ら な る 八 識 説 で あ る と い う 。 す な わ ち 、 慧 遠 は ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ を 基 本 的 に 八 識 説 を 説 く
摂 論 学 派 の 心 識 説 に つ い て ︵ 吉 村 ︶ 二 二 七 も の と み て い た よ う で あ る 。 慧 遠 は 九 識 説 の 説 明 に ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ を 用 い な い が 、 そ の 理 由 は こ こ に あ る の だ ろ う 。 ま た 、 阿 梨 耶 識 は 真 妄 和 合 と い う 性 格 を 持 ち 、 真 識 で あ り な が ら 煩 悩 の た め に 妄 相 を 作 り 出 す も の で 、 ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ の 阿 梨 耶 識 ︵ 如 来 蔵 ︶ と 同 じ で あ る 、 と 説 明 さ れ て い る 。 こ の 解 釈 は 、 摂 論 学 派 の 八 識 説 と 共 通 す る も の で あ る 。 慧 遠 の 八 識 説 と 摂 論 学 派 の 八 識 説 と の 前 後 関 係 は 、 に わ か に は 決 し が た い 。 た だ し 、 阿 梨 耶 識 に 如 来 蔵 縁 起 を 読 み 込 む と い う 解 釈 は 、 後 述 の よ う に 慧 遠 に よ っ て 確 立 さ れ た も の と 考 え ら れ て い る 。 そ の 一 方 で 、 現 存 す る 摂 論 学 派 の 心 識 説 の 中 に 、 慧 遠 が 参 照 し た と 思 わ れ る 八 識 説 の 議 論 は 確 認 す る こ と が で き な い 。 し た が っ て 、 慧 遠 の 八 識 説 が 摂 論 学 派 に 継 承 さ れ た と み る 方 が 、 そ の 逆 よ り も 蓋 然 性 は 高 い と い え る 。 ま た 、 後 期 の 摂 論 師 で 八 識 説 を 唱 え た 霊 潤 は 、 慧 遠 門 下 の 霊 に つ い て 出 家 し た 人 物 で あ る︵ 13 ︶ 。 現 存 す る 資 料 か ら う か が え る 霊 潤 の 思 想 に は 、 慧 遠 の 考 え 方 を 受 け 継 ぐ も の が 少 な く な い︵ 14 ︶ 。 こ の こ と は 、 慧 遠 の 八 識 説 が そ の 門 下 を 中 心 と し て 摂 論 学 派 に 継 承 さ れ た こ と を 示 唆 す る も の で あ る 。 以 上 の 理 由 か ら 、 慧 遠 の 八 識 説 が 摂 論 学 派 の そ れ に 先 行 す る と み る こ と は 妥 当 で あ る と 思 わ れ る 。 と こ ろ で 、 阿 梨 耶 識 を 真 妄 和 合 識 と み る 慧 遠 の 八 識 説 は 、 唯 識 論 書 に 直 接 の 典 拠 が み ら れ な い 独 自 の も の で あ る 。 そ う す る と 次 に 、 慧 遠 の 八 識 説 は い か な る 経 緯 で 形 成 さ れ た の か 、 と い う こ と が 問 題 と な っ て く る 。 こ の 問 題 を 解 明 す る に は 、 地 論 南 道 派 に お け る 心 識 説 の 展 開 に つ い て 考 え な け れ ば な ら な い だ ろ う︵ 15 ︶ 。 慧 遠 の 師 で あ る 法 上 ︵ 四 九 五 ︱ 五 八 〇 ︶ は 、 通 常 の 六 識 、 第 七 阿 梨 耶 識 、 第 八 真 如 か ら な る 八 識 説 を 唱 え て い た︵ 16 ︶ 。 そ れ に よ る と 、 六 識 は 妄 相 ︵ 生 死 ︶ を 生 じ る が 、 そ れ は 阿 梨 耶 識 を 本 と し て 縁 起 す る と い う 。 ま た 、 阿 梨 耶 識 の 働 き は 真 如 を 体 と し て 行 な わ れ 、 真 如 は 仏 性 ・ 真 諦 ・ 第 一 義 空 で あ る と 説 明 さ れ る 。 こ の 阿 梨 耶 識 の 根 底 に 真 識 を 立 て る と い う 構 造 は 、 地 論 南 道 派 の 心 識 説 と し て 広 く 認 知 さ れ て い た よ う で あ る 。 し か し 法 上 の 説 明 で は 、 第 七 阿 梨 耶 識 が 如 来 蔵 と さ れ る 一 方 、 第 八 真 如 も 仏 性 ︵ 如 来 蔵 ︶ と み な さ れ る た め 、 心 識 説 と 如 来 蔵 思 想 と の 関 係 が か な り 不 安 定 な 状 態 に あ っ た 。 こ れ は 法 上 が 心 識 説 を 解 釈 す る 際 に 、 ﹃ 楞 伽 経 ﹄ の 説 明 に よ っ て い た た め で あ る ︵ 後 述 ︶ 。 そ こ で 慧 遠 は 、 そ の 弱 点 を 克 服 す る た め に 、 阿 梨 耶 識 と 如 来 蔵 を 完 全 に 同 一 化 し た 新 し い 八 識 説 を 考 案 し た 。 そ の 際 に 使 わ れ た の が 、 六 世 紀 後 半 の 北 地 で 流 布 し 始 め た ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ で あ っ た 。 ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ は 阿 梨 耶 識 と 如 来 蔵 を 結 び つ け る 理 論 を 説 き 、 如 来 蔵 が 真 妄 の 一 切 法 を 縁 起 す る と い う 如 来 蔵 縁 起 を 確 立 し た 、 如 来 蔵 思 想 の 綱 要 書 で あ る 。 慧 遠 は こ
摂 論 学 派 の 心 識 説 に つ い て ︵ 吉 村 ︶ 二 二 八 の ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ の 理 論 に の っ と っ て 阿 梨 耶 識 を 如 来 蔵 と み な し 、 こ れ に 真 妄 和 合 と い う 性 格 を 与 え た も の と 思 わ れ る 。 さ ら に 真 諦 訳 の ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ が 北 地 へ 伝 播 す る と 、 慧 遠 は そ こ か ら 第 七 阿 陀 那 識 な ど の 新 知 識 を 取 り 入 れ 、 阿 梨 耶 識 は 第 八 識 と な っ た 。 こ う し て 考 案 さ れ た の が 、 阿 梨 耶 識 を 真 妄 和 合 の 第 八 識 と し て 、 そ れ を 如 来 蔵 と 同 一 視 す る 、 慧 遠 の 新 し い 八 識 説 で あ っ た と 思 わ れ る 。 慧 遠 の 八 識 説 は ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ の 知 識 を 援 用 し て い る も の の 、 そ の 基 本 的 な 考 え 方 は ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ に よ っ て い た 。 こ の 八 識 説 を 継 承 し た 摂 論 学 派 は 、 そ の 初 め か ら ﹃ 摂 大 乗 論 ﹄ を 如 来 蔵 的 に 解 釈 し て い た と い う こ と に な る だ ろ う 。 2 、 九 識 説 の 由 来 慧 遠 の 心 識 説 は 、 ﹁ 八 識 義 ﹂ と い う 章 名 に も 表 れ て い る よ う に 、 あ く ま で 八 識 説 を 中 心 と す る も の で あ っ た 。 そ う な る と 、 慧 遠 の 九 識 説 へ の 言 及 は 一 体 何 を 意 味 し て い る の で あ ろ う か 。 ま た 、 そ れ は 摂 論 学 派 の 九 識 説 と い か な る 関 係 に あ る の だ ろ う か 。 こ れ ら の 問 題 を 考 察 す る た め に 、 次 に 慧 遠 の 九 識 説 に つ い て 検 討 す る こ と に し た い 。 ﹃ 大 乗 義 章 ﹄ 八 識 義 で は 、 識 を 四 分 す る 解 釈 と 九 分 す る 解 釈 の 中 に 、 阿 摩 羅 識 へ の 言 及 が あ る 。 識 を 四 分 す る 解 釈 は 次 の よ う で あ る 。 三 真 妄 倶 開 、 以 説 四 種 。 真 中 分 二 。 一 阿 摩 羅 識 、 此 云 無 垢 、 亦 曰 本 浄 。 就 真 論 真 、 真 体 常 浄 。 故 曰 無 垢 。 此 猶 是 前 心 真 如 門 。 二 阿 梨 耶 識 、 此 云 無 没 。 即 前 真 心 、 随 妄 流 転 、 体 無 失 壊 。 故 曰 無 没 。 故 ﹃ 起 信 論 ﹄ 言 、 如 来 之 蔵 、 不 生 滅 法 、 与 生 滅 合 、 名 為 阿 梨 耶 。 妄 中 分 二 。 謂 妄 与 事 。 真 妄 各 二 。 故 合 有 四 。︵17 ︶ 三 に は 真 妄 倶 に 開 し 、 以 て 四 種 を 説 く 。 真 の 中 に 二 を 分 つ 。 一 に は 阿 摩 羅 識 、 此 に 無 垢 と 云 ひ 、 亦 た 本 浄 と 曰 ふ 。 真 に 就 き て 真 を 論 ず れ ば 、 真 の 体 は 常 に 浄 し 。 故 に 無 垢 と 曰 ふ 。 此 れ 猶 ほ 是 れ 前 の 心 真 如 門 な り 。 二 に は 阿 梨 耶 識 、 此 に 無 没 と 云 ふ 。 即 ち 前 の 真 心 、 妄 に 随 ひ て 流 転 す る も 、 体 に 失 壊 無 し 。 故 に 無 没 と 曰 ふ 。 故 に ﹃ 起 信 論 ﹄ に 言 く 、 如 来 の 蔵 、 不 生 滅 の 法 と 、 生 滅 と 合 す る を 、 名 け て 阿 梨 耶 と 為 す と 。 妄 の 中 に 二 を 分 つ 。 謂 く 妄 と 事 と な り 。 真 妄 各 々 二 あ り 。 故 に 合 し て 四 有 り 。 こ こ で は 識 が 真 妄 に 二 分 さ れ 、 真 妄 が さ ら に 各 々 二 分 さ れ て 説 明 さ れ て い る 。 そ の う ち 真 識 は 阿 摩 羅 識 と 阿 梨 耶 識 に 分 け ら れ る 。 阿 摩 羅 識 は 無 垢 な る 真 識 の 体 で あ り 、 ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ で い え ば 心 真 如 門 に あ た る と い う 。 阿 梨 耶 識 は 没 す る こ と の な い 真 識 心 で あ り 、 ﹃ 大 乗 起 信 論 ﹄ の い う 一 切 法 の 生 滅 ・ 不 生 滅 の 依 持 と な る 如 来 蔵 で あ る と い う 。 慧 遠 の 説 明 に よ れ ば 、 阿 梨 耶 識 は や は り 真 妄 和 合 識 で あ り 、 阿 摩 羅 識 は そ の 真 識 と し て の 側 面 を 指 す 、 と い う こ と に な る だ ろ う 。 そ れ