『魚山蠆芥集』成立過程の研究
大正大学
仏教学
研
究科仏教
学専
攻
博士後期
課程
(氏名)新井弘賢
1 (目 次) 序論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一頁 一 本論 文の目 的 一頁 二 本論 文の概要 一頁 (一)声明関連の名称・用語の確認 と定義 一頁 ⦅一⦆ 『 声明集』 一頁 ⦅二⦆『魚山蠆芥集』 二頁 ⦅三⦆覚証院方・東南院方・金剛三昧院方 二頁 ⦅四⦆曲 目構 成と基 本 構造 三頁 ⦅五⦆博士の骨格 と旋律 三頁 (二)構成と『魚山蠆芥集』成立過程の時代区分 三頁 三 文献 資料 五頁 (一)初期の資料 五頁 ⦅一⦆ 『 声明集』 五頁 ⦅二⦆ 「 秘讃」 六頁 (二)中期の資料 八頁 ⦅一⦆ 『 声明集』 八頁 ⦅二⦆口伝書 九頁 (三)後期の資料 一一頁 ⦅一⦆ 『 声明集』 一一頁 ⦅二⦆『魚山蠆芥集』 一一頁 四 先行研 究 の概要 一三頁 第一章 『魚山蠆芥集』につい て ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一八頁 はじめ に 一八頁 第一節 資料と変遷 一八頁 第一項 長恵の 『 魚山蠆芥集』の編 纂と再治 一八頁 第一目 編纂 一八頁 第二目 再治 一九頁 第二項 朝意の『魚山蠆芥集』の書 写 二〇頁 第一目 朝意以前の 写 本 二〇頁 第二目 朝意の書 写 本 二一頁 第三項 『魚山蠆芥集』の刊行 二四頁 第二節 長恵 と朝 意 二七頁 第一項 長恵 二七頁 第二項 朝意 二九頁 第一目 人物 像 二九頁 第二目 「秘讃」の相伝 三一頁 第三目 「三重の許可」の相伝 三四頁 第三節 曲目・曲順 三七頁 第四節 曲調 三七頁
2 第五節 博士 ・旋律・仮名 三八頁 第六節 注記 三九頁 第七節 「音律 開 合名目」 四一頁 おわ りに 四二頁 第二章 初期 ― 大進 上人流伝来と『声明集』の成立・・・・・・・・・・・・・四六頁 はじめ に 四六頁 第一節 初期の実態 四六頁 第一項 『声決書』 四六頁 第一目 概要 四六頁 第二目 系譜 四八頁 第二項 『声実抄』 五一頁 第一目 概要 五一頁 第二目 系譜 五七頁 第三項 『声明集』 五九頁 第二節 覚意の功績 六〇頁 第一項 覚意の相伝関係 六一頁 第一目 覚意相伝の奥書を有 す る資料 六一頁 一 高野山 六一頁 二 称名寺 六一頁 第二目 覚意の相伝系譜 六二頁 一 観験系大進上人流の相伝系譜 六二頁 (一) 『 密宗 声明系譜』 における相伝系譜 六二頁 (二)称名寺所 蔵 資料による相伝系譜 六二頁 二 慈業 系大 進上人流 の相伝 系 譜 六二頁 (一)宗源系の相伝系譜 六三頁 (二)堅覚系の相伝系譜 六三頁 第三目 覚意の声明譜の相伝場所 六三頁 第二項 『声実抄』にあらわれた覚意の情報 六五頁 第一目 般若房定意の自筆の声明本の存在 六五頁 第二目 相応院流の指南 六六頁 第三目 故実の知識 六六頁 第四目 醍醐 流の『声明集』につ い て の 認識 六七頁 第三項 「覚意の五音博士」以前の記譜法 六七頁 第一目 慈業 系大 進上人流 の記 譜 法 六七頁 第二目 任賢の記譜法 六八頁 第三目 高野山の「覚意の五音博士」以前の記譜法 六九頁 第四目 『声実抄』の「笛の図」 七一頁 第四項 五音博士の考案 七七頁 第三節 覚意の翻譜 七八頁 第一項 本節の趣旨 七八頁
3 第二項 覚意の翻 譜に 関 する先 行 研 究 七九頁 第三項 称名寺所蔵 の 覚意相伝「 秘 讃」 八〇頁 第一目 〔称名寺観験系秘讃〕 八〇頁 一 祐真から相伝した〔称名寺観験系秘讃〕 八〇頁 二 祐真から相伝した可能性がある〔称名寺観験系秘讃〕 八二頁 第二目〔称名寺慈業系秘讃〕 八三頁 一 宗源系の〔称名寺慈業系秘讃〕 八三頁 (一)伝承経路不明の宗源系「秘讃」 八三頁 (二)玄慶から相伝した宗源系「秘讃」 八四頁 二 堅覚系の〔称名寺慈業系秘讃〕 八四頁 第三目 系統不明の「秘讃」 八五頁 第四項 醍醐寺 所 蔵資料と の対 応 八六頁 第一目 宗源系〔醍醐寺慈 業系秘讃〕における対応 八七頁 第二目 堅覚系〔醍醐寺慈業系秘讃〕における対応 八七頁 第五項 〔慈 業系秘讃〕の記譜法 の 比 較 八八頁 第一目 記譜の比較項 目の設定 八九頁 第二目 宗源系の〔醍醐寺慈業系秘讃〕 と〔称名寺慈業系秘讃〕 八九頁 一 〈天龍八部第三重深 秘 〉の比較 八九頁 二 〈緊那羅天讃〉の比較 九一頁 三 〈慧十 六 大菩薩漢語 讃 〉の比 較 九二頁 第三目 堅覚系の〔醍醐寺慈業系秘讃〕と 〔称名寺慈業系秘讃〕の比較 九四 頁 一 〈吉慶梵語三段秘曲〉の比較 九四 頁 二 〈金剛利菩薩讃〉の比較 九六頁 三 〈文殊梵語秘曲第三重〉の比較 九六頁 第四節 初期の『声明集』 九九頁 第一項 『声明集』につい て 九九頁 第二項 資料 一〇一頁 第一目 〔進 流声明集〕 ( 「称名寺本a」 ) 一〇二頁 一 概要 一〇二頁 二 覚意との関係性 一〇 二 頁 三 「称 名寺 本a」にみられる系譜 一〇三頁 第二目 〔南山進 流声明集〕 ( 「 称 名寺本b」 ) 一〇五頁 一 概要 一〇五頁 二 記譜の特徴 一〇五頁 三 覚意との関係性 一〇 五 頁 四 相応院流 との関係性 一〇六頁 第三目「文保二年本」 一〇七頁 一 概要 一〇七頁 二 系譜 一〇八頁 (一)隆然 一〇八頁
4 (二)相応院流 一〇九頁 (三)東南院方 一一〇頁 第三項 曲目・曲順 一一一頁 第四項 博士の骨格 一一二頁 第一目 「称 名寺 本a」の博士の骨格 一一三頁 第二目 「文保二年本」の博士の骨格 一二四頁 第五項 『声実抄』から特定された博士の骨格 一二七頁 おわ りに 一三四頁 第三章 中期 ―『声明 集』の多様化と『声明集私案記』 ・ ・・・・・・・・・・一四六頁 はじめ に 一四六頁 第一節 中期 『声明集』 一四六頁 第一項 資料 一四六頁 第一目 「応永三年本」 一四六頁 第二目 「永享六年本」 一四六頁 第三目 「永享十年本」 一四七頁 第四目 「康正二年本」 一四八頁 第五目 『声明集隆法口伝』 一四九頁 第二項 曲目・曲順 一五〇頁 第三項 博士の骨格 一五一頁 第一目 「応永三年本」の博士の骨格 一五二頁 第二目 「永享六年本」の博士の骨格 一五六頁 第三目 「永享十年本」の博士の骨格 一六一頁 第四目 「康正二年本」の博士の骨格 一六六頁 第四項 中期 『声明集』の系譜 一六八頁 第一目 中期の 『 声明集』の 分 類 一六八頁 第二目 「康正二年本」の系譜の確定 一六九頁 一 『声明集隆法口伝』の博士の骨格 一六九頁 二 「康正二年本」との比較検討 一七〇頁 第五目 隆然 系の継承 一七一頁 第二節 『声明集私案記』 一七三頁 第一項 『声明集私案記』の概要 一七三頁 第二項 諸本 一八二頁 第三節 『声明集私案記』 が 依 拠 す る『声明集』 一八六頁 第一項 曲目・曲順 一八六頁 第一項 博士の骨格 一八六頁 第四節 『声明集私案記』にみられる流 派観 一九三頁 第一項 覚証院方と東南院方 一九三頁 第二項 衆徒方と金剛三昧院方 一九 四頁 おわ りに 一九五頁 第四章 後期 ―『声明集』の刊行と『魚山蠆芥集』の成立・・・・・・・・・ 一九八頁
5 はじめ に 一九八 頁 第一節 版本 『 声 明 集 』の成立 一九八頁 第一項 「文明四 年版 」 一九九頁 第一目 曲順 ・ 曲 目 一九九頁 第二目 博士の骨格 一九九頁 第二項 『魚山蠆芥集』の基本構造確定への影響 二〇一頁 第一目 曲目・曲順 二〇一頁 第二目 博士の骨格 二〇一頁 第二節 『魚山蠆芥集』の成立 二〇三頁 第一項 『声明集私案記』と『魚山蠆芥集』の旋律の相違 二〇三頁 第二項 『声明集私案記』の受用 二二二頁 第一目 現行の 唱 法と一致 する指 南の 提示 二二二頁 一 出典が明示される形式 二二二頁 二 出典が明示されな い形式 二二四頁 第二目 現行の唱法と一致せず採用し な かった指南の提示 二二五頁 一 出典が明示される形 二二五頁 二 出典が明示されな い形式 二三三頁 第三目 現行の唱法と一致しな い が 許容される一説とし て 提示された指南二三五頁 一 出典が明示される形式 二三六頁 二 出典が明示されな い形式 二三七頁 第四目 流派 の情報 二三八頁 一 相応院流 と進流 二三九頁 (一)掲載 二三九頁 (二)不掲載 二四一頁 二 覚証院方と東南院方 二四三頁 (一)掲載 二四三頁 (二)不掲載 二四四頁 三 衆徒方と金剛三昧院方 二四四頁 (一)掲載 二四四頁 (二)不掲載 二四五頁 第三項 『声明集私案記』以外からの受用 二四七頁 第一目 典拠 が特定可能 な 指 南 二四七頁 一 「称 名寺 本a」 二四七頁 二 「文保二年本」 二四九頁 三 『声実抄』 二四九頁 四 『声明集隆法口伝』 二五一頁 五 快助の指南 二五五頁 六 師の指南 二五五頁 第二目 典拠不明の 「 古」 二五六頁 おわ りに 二五九頁
6 結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・二六二頁 資料編①: [ 表1 ] 覚意相伝資料一覧 資料編②: [ 表2 ] 称名寺所蔵覚意相伝「 秘讃」一覧 資料編③: [ 表3 ] 変動域博士対照 表 資料編④: [ 表4 ] 旋律 対照表 資料編⑤: 『 声明集』詞章一覧 参考文献
1 序論 『魚山蠆芥集』は 、真 言声明の主 要 曲目を収 録す る法 会 用 の譜本で ある『声明 集 』に 旋 律や音価の 表 記また各 曲目の曲調 の 情報等の注記が 付 さ れ た、南山 進 流 1 の教 則本 であり、 現在 でも 真言宗諸山 で 使用され て い る。 現在使用され て い る『 魚山蠆芥集 』 の諸本は 、智生房長 恵 (一四五 六~一五二 四 )によ っ て 一五一七年に編纂 された三巻本の『魚山 蠆芥集』からす べ て 派 生し て い る 。 こ の 三巻 本の 『魚山蠆芥集』 は 、 十 六世紀後半に順良房朝 意(一五一八~一五九九) に よ っ て 度 々 書 写 され、 江 戸期以降には、高野山、智山に おい て 何 度も刊行され た。当本は 、 現在 でも 高野山以外 の 真言宗諸 山 で 広く規 範 的な 教 則 本とし て 使用され て い る。換言 す れ ば、現在 こ の 三巻本 の 『魚山蠆 芥集』から 派 生する教則本を利用する声明の 流派は、全て 南山進流 と み な す こと も で き る 。 こ の よ うに ほ と ん ど の 真 言 宗 の声 明 は 南 山 進流 に よ っ て 統 一 さ れ た事態は三 巻 本の『魚 山蠆芥集』 の 成立によ っ て 將され た とも いいうるの で あ る 。 真言声明の実態解明の ための基礎研究とし て 、本論考 で は 、以上の よ う な位置にある三 巻本 の『 魚 山 蠆芥 集 』 の成立 過 程 に つ い て 明 ら か にす る こ と を 目 指 す 。 序論 では、 ま ず、 本論文の目 的 につい て 、 次 に、 本論 文の概要 とし て、 声明 関連の 専 門 用語の確認と定義、本 論考の構成と『魚山蠆 芥集』成立 過 程の時代区分の説明 、 文献資料 の紹 介を行 い 、最後に 『魚山蠆芥 集 』に関連す る 先行研 究 を概観す る。 一 本論 文の目 的 『魚山蠆芥集』の先行研究は『魚 山 蠆芥集』 編纂以後の資料について の 考究が 中 心 で あ る。したが っ て 、 未だ 高野山に大進上人流 が 流入し て から『魚山蠆 芥集』が成立するに至 るまで の 経 緯 を中心に 扱った研究は 存在しな い。本 稿 で は 、こ のこ とに 着目して 『魚山蠆 芥集』の成立過 程 につ い て 考究を 行 っ て い く 。 特に、大進上人流流入以後の高野山の声明の 系譜について の口伝書の記述と『 魚 山蠆芥 集』の先駆資料 で ある 『声明集』 の 関連性を 絶えず意識 し て い くこ とにする。こ れらの資 料が 有機的な 繋が りの中で 語られ る ことに よ っ て 『声明 集 』諸本の立ち 位 置が 定まり、そ れによっ て 『 魚山蠆芥 集』成立まで の南山進 流の具体的な伝承過程が 解 明され る と 考 える 。 二 本論 文の概要 (一)声明関連の名称・用語の確 認 と定義 本論 文の概要 を示 すにあた り、使用 する『声明集』 『 魚山蠆芥集 』 、 基本 構造 、 曲 目構 成等 の用 語につい ての定 義 と必要な事 柄 を示し て おきたい 。 ⦅一⦆ 『 声明集』 南山進流 で 使 用され「 声明集」と 呼 ばれる、形態が小型 の 枡型本で 、基本的に 詞 章(歌 詞)と博士 ( 音符)の みが 記載さ れ て い る法 会用の譜本 を 『声明集 』とす る 。こ の『声明
2 集』は、『 魚 山蠆芥集 』の先駆資 料 に位置付けられる。 また、南山進流の『声 明集』とほ ぼ 同じ曲目を収載し「 声 明集」と 呼ばれる こ と がある 醍醐 流の声 明 集成を「 醍醐 流の『 声 明集 』 」 と記 す。 なお、 醍 醐流につい て 新井〔 一 九九 一〕は、 醍醐 流は醍醐 座主 の勝賢(一 一 三八―一 一九六)に よ り一 流と し て 声明の 基 盤が 確立 した が 、 その実質的な作業 は 弟 子の任賢が行った。(中略)醍醐 流 は一三 世 紀中頃印 禅と玄 慶 とに分かれた が、一 四 世紀中頃に聖尊(一三〇一―一三七〇)に よ り統合さ れた。 2 とし て い る 。 本稿 で 醍 醐 流 と い っ た 場合、 こ の系譜を指す 。また、資料編③ 「 『 声明集』 詞章 一覧 」 に 、『 声 明 集 』 に 収 録 さ れて いる 全 曲 の 詞 章 を 掲載 し 、 博 士 が 記 載 さ れて いる 全 て の詞章にナンバー を付した。これは、博士の骨格を対照する際、対象箇所を同定 する ため である 。 なお、掲載した詞 章 は、南山進 流 の最古の 版 本 で影印本とし て公 刊され て い る 3 「文明四年版 」に基づい て 作成した。 こ の「文明四 年 版 」 の 詳 細につい ては 、第四章 第一節第一項 で 改 め て 述べる。 ⦅二⦆『魚山蠆芥集』 形態が大型の美濃紙判( 袋 綴 本 )で 、曲調や 唱法上の注 意 、旋律等が注記されて いる声 明の教習に 用 いる南山進流の譜本 を 『魚山蠆芥集』とす る 。 『魚山蠆芥集』を「魚山私鈔」と 呼 称 す る場合 も あるが 、 長恵 がこ の名称を使用したか 否かは不明 の ため こ の 名称は使用 し な い 。 な お、 『魚山蠆芥集』の 書 名 の由 来は、 弘 法大 師空海(七 七 四~八三 五)の『 性 霊 集』巻六 の「方丈の 草 堂は法界 を呑んで 蠆 芥 の如く 、 花山の松 林は 宝樹に変 じ て 刹説の 如 し。梵 曲 は 魚 山の如く 、綿花は 龍淵 の如し 4 」で あ る 。 また、「魚 山 」は中国 の声明の発生の地名( 山東省東阿 県 、三世紀 初期魏の曹 植 がこ の地 で梵唄 を 制作 ) で あ る 。 日 本 で は声 明 を 意味し 、 天 台 声明 大 原 流 の 本拠 地 大 原を魚 山 とい う。「蠆芥」は「あく た、 ちり」 の 意味 で 、 そのよ う に 数 多くの声明を集めた楽譜集を意 味す る 。 ⦅三 ⦆覚証院方 ・ 東南院方 ・金剛三昧院方 十四世紀 後半頃 に 『声明集』の口伝書 と し て 慈鏡(一三 六 八~一三九六~)に よ っ て 撰 述 さ れた とされる『声明声決書 』に、 十 三世紀の 後半に、南山進流 で覚証院方と金剛 三昧 院方と東南 院 方の三流が そ れぞれ 興 ったと い う 記 述 が あ る 。それに した が っ て 、 南山進流 のなかの声 明 の支流名とし て 「 覚 証 院方」「 東南院方」「金剛三昧院方」を用 い る。 なお、 この 三流 の実 態につい ては 不 明 な点 が 多 い 。 『声明 声 決書 』によ る と、覚 証 院方 は覚証院の勇心房隆然(一二五八 ~ 一三四一 ~) が、金剛三昧 院方は金剛三昧院の証蓮房 覚意(一二 三 七~一二九三~)が 、 東南院方 は東南院の 龍 信房釼 海 (生没 年 不詳) が それ ぞれ樹立 し た とされる 。したが って 三 流 の名 称は それぞ れ の派祖の 住処に因んで 名付けら れと思わ れ る が 、 こ の 名称と三 流 の 伝承の関 連性は決して 高くな い 5 。ま た、覚 証 院方の 系譜は限ら れ た資料 6 によっ て 一応江 戸 期 ま で 確 認 で きるものの、金剛三昧 院方、 東 南院 方の系譜等の情報はほとんど残され て い ない 7 。 また、鎌倉期から室町期にか け て 、高野山は 金 剛峯寺方と大伝 法 院方と金剛三 昧 院 方の
3 三勢力に分 か れ て いたが 、 こ の 三 勢 力と声明 の三 流との関係も明確で はな い。 覚証院方の正嫡が金剛峯寺の検校に補され て いるの で 、 金 剛峯寺方では覚証院 方 の声明 が唱えられて いた と一 応考えられる。 金剛三昧院方におい て 金剛三昧院 方 の声明が 伝承された 可 能性は大 いに考えら れ るが、 これを裏付ける資料 が ない 。 南山進 流 関連の資料か ら 大 伝法院 方 の声明に 関す る情報 を 見つけるこ と がで き な いため、 大伝 法院方の 声明につい て は現在の と こ ろ不明 で ある。今 後南山 進 流 以 外の 資料に調査範 囲を拡げ、この問題につい て継続 的 に追求して 行 きたい。 ⦅四⦆曲 目構 成と基 本 構造 『声明集』は、資料 編 ⑤ 「 『 声明集』詞章 一覧」に示 し たよ うに 、a〈三礼 ・ 如 来 唄〉 から δ ( 教化〉まで 、 全 二 十九 曲に よっ て 構 成 さ れて いる 。こ れらの 曲 名を 曲目 と 呼 び 〈 〉で 示 す 。こ れ ら の 曲 は 、 複 数 曲の組 み 合わ せに 別 け るこ と が で き 、こ の 曲 の組 み 合 わせ を曲 目構 成 と 呼 び 、 [ ]で 示す 。 『声明集 』は次のように[法用][供養法 ] [讃]の三つの曲目 構 成からな る。 [法用 ] a〈三礼・如 来 唄 〉〜 i〈 対 揚 〉 [供養法] j〈金剛界〉 〜 m〈礼讃文〉 [讃 ] n〈四智梵語〉 〜 δ 〈教化〉 また、曲 目・曲 順 と博士の骨格 から構 成 される も の を 基本構造 と呼ぶ。 ⦅五⦆博士の骨格 と旋律 博士の骨格とは、音高の動きを表 示 す る ために四十五 度の間隔 で 表 記される「 宮 」「 商」 「角 」 「 徵」 「羽 」の五音 の 組 み合 わせ・ 構 成を指 す 。 旋律 とは「宮」「商」「角」「徴 」 「羽」の「五音」それぞれに与えられる固 有 の装飾 音や音型のことで ある 。それらは 、 「ユ」( =「 由 」 ) 「ス」(=「直 」 ) 「ソ」(= 「反 」 ) 等の名称 で 博 士の傍らに 表 記される 。 (二)構成と『魚山蠆 芥集』成立 過 程の時代区分 第一章 で は、 本稿の中 心資料 で あ る 『魚山蠆芥集』の基本的情報と当書 に関わ る 事柄に つい て論じる。 第一節 で は、『魚山蠆 芥集』の資 料 と、長恵 の『魚山蠆 芥 集』の撰 述から『魚 山 蠆芥集』 の刊行ま で の 変遷を概観 す る。 第二節 で は、『魚山蠆芥集』を撰 述 した 長恵と『魚山蠆芥集』の普 及の礎を築 いた朝意 につい て 論 じ る。 そし て 、 第三節から第 七節においては『魚山 蠆芥集』の内容について 概 観 す る 。 すなわ ち、 第三節 で は、曲 目 ・曲 順、 第四節 で は、曲 調 、 第 五節 では、 博 士・旋律・仮 名、 第六 節 で は、注 記 、第七節では、三巻本の『魚山 蠆芥集』から付加されて い る「音 律 開合名目 」 につい て それぞれ紹介する。 第二章から第四章ま で は、『魚山蠆芥集』の成立過 程 を 初 期・ 中期・ 後 期に分け、高野
4 山に大進上 人 流 が 流入 した時期から『魚山蠆 芥集』が成 立 す る まで につい て 考 察 を行う 。 これは『声明集』の発 展段階に即 し て 区 分し た も の で あ る 。 す なわち 、 初期は 『 声明集』 の基本構造が作られる 時期、中期は、『声明 集』 の基本 構 造は一様になった が 、 『声明集 』 諸本において 博士の骨 格 が 多様な 時 期、後期は、基本構 造 及び博士 の 骨格 が一 様となり、 『魚山蠆芥 集 』の基 が 出来上 が った 時期 である。 第 二 章 で は、 『魚 山 蠆 芥集 』 の 成立過 程 初 期 に つ い て 考察 を行 う。 こ こ では、大 進 上 人 流 が 高 野 山に伝 来 し て か ら 、 『 声明 集 』 の 基 本構 造 が 覚証院 方 の 隆 然 系 の 『 声明 集 』 に 確 定し、その後覚証院方が二系統に分かれた と されるま で の 間について 論 じる。 具体的な年代は、正等房勝心(~一一一八~一二三七~ )が大進上 人 流の本拠 地の移転 の要 請の手紙を 中 川の慈業 (~ 一二四 三 ~)に送った嘉禎元 年 (一二三五)から重弘(~ 一三五九 )が 示寂した 正平十四年 ( 一三五九 )まで に 設 定 す る 。特 に、『声明 集 』の基本 構造がこ の時期にどれほど確定さ れ て い たの かについ て 考 究を行う 。 第一節 で は、十四世紀末に撰述さ れ た『声決 書』と『声 実 抄』によっ て 初期の 実 態につ い て 考察 を行 う。 これによっ て 、十三世紀初頭か ら十四世紀初 頭にか け ての初期の実 態に つい て推 定し た い 。 ま た 、 この 時代 に 『 声 明 集 』 が存 在し てい た の か に つい ても検 討 を 行 いたい。 第二節 で は、 『魚山蠆芥集』の 成立過 程 を論じ る に あたり、 『 魚山蠆芥集』の記 譜の 根 幹をなす「 覚 意の五音 博士」を考 案 した覚意 の功績につ い て 考 察を 行う 。 第三節 で は、大進上人 流の声明譜と覚意が「 五音博士」に翻譜した声明譜を比 較 対照す ることによっ て 覚 意が それま で の 大 進上人流の記譜法の声明譜を五 音博士に書き直した こ とを明らかにしたい。つまり、覚 意 が五音を 付 す 前 の元々の声明譜 を 特定し、 その声明譜 と、 五音 博士 が付 された 後 の 声 明譜の一致の確認 を目指 す 。 第四節 で は、初期の『 声明集』 す な わち神奈川県立金沢 文 庫が管理 し て いる称名寺所蔵 の二本の『 声 明集』及 び「文保二年本」の曲目・曲順と 博 士の骨格につい て 『 魚 山蠆芥集 』 を指標として 対照し、 初期において 基本構造がどれほど 確 定し て い たのかにつ い て 明 らか にすること を 目指 す 。 また『声実抄』によって 、 初期の『声明集』が般若房定 意 (十二世 紀末 ~十三 世 紀 前 半 頃 ) 、 宝蓮房祐 真(十三世紀前 半 頃)の『声明集 』 の何れのもの であ ったのかに つ い て も確 認を試みる 。 第三章 で は、『魚山蠆 芥集』の成立過程中期につい て 考 察 を行う 。 こ の 時期は 、 『声明 集』の基本 構 造が確定 し て 以後から『声明集 』刊行以前ま でである 。具体的には、重弘示 寂以後、つまり正平十 四年(一三五九)から『声明集』の刊行、つまり文明四年(一四七 二)以前 までに設定 す る。 この時 期 に、覚証院方が二系統に分かれ た可能性 が 考 えられ、 ま た 、種々 の 『声明集 』や口伝書が 登場し、「文明四年 版 」刊行の 道筋が 作 ら れ たと いえ る。 また、本章 で は、『声明集』諸 本と『声 明集私案記』『声明集隆法口伝』を中心資料 とし て用いる。 第一節 で は、 中期の 『 声明集』 諸本の属 する系統の特 定を目指 す。 第二節 で は、『声明集 私案記』の 基 本的性格につい て 紹 介 する。 第三節 で は、『魚山蠆芥集』編 纂に大 き な影 響を与えたとされる『声明集私案記』 が ど の系統の『 声 明集』に 依拠 するの か につい て 考察を行う 。 第四節 で は、『声明集 私案記』の覚証院と東 南院、衆徒方と金剛三 昧院とを対 比 した記
5 述をみるこ と に よ って 、『声明集 私 案記』の 流派 観につ い て 明 ら か に し たい。 第四章 で は、『魚山蠆芥集』の成立過 程 後期 につい て 考 察 を行 う。ここでは、『声明集』 の刊行から 『 魚山蠆芥 集』の成立 ま で に ついて 論 じる。 具 体的な年 代は『声明 集 』が 刊行 された文明 四 年(一四七二)から 三 巻本の『 魚山蠆芥集 』 が 編 纂さ れた永正十 四 年(一五 一七 )まで に 設定す る 。 第一節 で は、 まず、 「 文明四 年 版」の依拠した 中 期の 『声明集』の系統 を明らか に す る。 すなわち、中期 で みたどの系統のもの が 、 「 文明四 年 版」に影響 を 与え て い るのか に つい て明 らか に す る。 さ ら に、 「文 明四 年版 」 と 『魚山蠆芥 集 』 と の 関 係性につい て 考察 を行 いたい。 第二節 で は、『魚山蠆芥集』の教則本とし て の成立に関わる問題に つい て 考 察を行 う 。 すなわち 、『声明集』の骨 組みに長恵 が どの よ う な要素を付加し、南山進流の規範的教 則 本を作り上 げ たのかに つ い て 明 ら か にす るこ とを目指 す 。 すなわち 、最初に『 魚 山蠆芥集 』 の『声明集 私 案記』の受用について 、次に『 魚山蠆芥集 』 の『声明 集私案記』 以 外の受用 につい て 検 討 し、その 結果に基づ い て 考 察を 行 う 。 三 文献 資料 本稿におい て 利用する中心的テク ス トを初期 、中期、後 期 毎に挙げ る。 (一)初期の資料 本稿 では、初期の資料とし て 『 声 明 集』三本 と種々の「 秘 讃」の声 明譜を利用する。 こ こでは、 三本の『声明集』 と四 本 の 「秘讃」の資料の書誌につい て 確認 する。なお、今回、 覚意が五音 博士に 書 き 直 す 前 の「 秘讃」を 特 定 す る ため に醍醐寺 所蔵 の「 秘讃 」も 利用す る。こ の 資 料 につ い て は 称 名寺 所蔵 の「覚意 の五音博士 」 の「 秘讃 」と比 較 対 照 す る 際に 分か る範 囲で 書 誌 につ い て 確認 を行 う。 ⦅一⦆ 『 声明集』 初期の『声明集』 で「 覚意の五音博士」以前のものは存 在 し な い。 僅かに称名 寺 に「覚 意 の 五 音 博 士 」で 記譜 され た『 声 明 集』系 統 のも のが 二 本 所蔵 されて い る 。 ま た 、転 写 本 で あ るが 、岡山金剛福 寺 に「覚意 の五音博士 」 で 記 譜さ れた文保二 年 の奥 書を 持つ『声明 集』系統の資料が 存在し て いた。 本稿 では、称名寺所蔵 の資料を「 称 名寺本a 」「称名寺本b」と そ れぞれ呼ぶことにす る。両者は 、 覚意の記譜に遡る こ と ができる 可能性 が あ る 。以下、分かる範囲でこれらの 書誌につ いて 確認し て おき たい。 また、 も う一 本の 資料を 「 文保 二年本」 と呼 ぶこ と に す る 。こ れは 、 そ の後 の 『 声 明 集 』 と形態が 若 干 異な るが 、基本的構 造 は 類 似して い る。ま た 、こ の「 文保二年本 」 は 、 後 世 に加筆 さ れた と考 えられる 注記 に よ っ て 覚証院の 隆然 (一二五八~一 三 四一~) との 関係 性が 指摘 で き るもの で ある。金剛福寺に所蔵 され て い た「文保二年 本」は現在 所 在不明 で
6 大山〔一九 五 九〕に口 絵 写 真として 二枚ばか り掲載されて いる 8 。ま た、中川 〔 一 九七六 a〕 でも少 し く言及され て いる 9 。幸いにも、金剛福寺所蔵の「文保二年本」を 岩 原諦信 氏が 書 写 し た も の が 高 野山 大学附 属 高野山図 書館に 所 蔵 さ れて いる 。 今 回はこ の 資 料 を 利 用す る 。 なお、〔南山進流 声 明集〕 ( 「 称名寺本b 」 ) は『金沢文庫資料全 書 』第八巻「歌謡・ 声明篇 続 10 」(以下、『金沢文庫 資料全 書 』 第 八巻)の 書誌情報を 用 いる。 №1〔 進 流声明集〕 ( 「 称名寺本a 」 ) 称名寺所蔵 。 複 写 資料で 確 認。 書 写 年次 不明(鎌倉末 期~室町初 期 ) 。 書 写 者不明。巻子装。一軸。紙数不 詳 。 一紙二 二三行。一行一五文字 。〔外題〕「金剛界 」 。 〔内題 ・ 尾題〕無し 。 〔奥 書〕 無し。 №2〔南山進流声明集 〕 ( 「 称名寺本b 」 ) 称名寺所蔵 。 複 写 資料 及び『金沢 文 庫資料全 書』第八巻で 確認。 書写 年 次 不 明 ( 鎌 倉 時 代 ) 。 釼 阿 (一二六一 ~ 一三三八)書 写 。 巻子装。一軸。楮 紙。 一八紙。一紙一〇行。 一行一四字 。 〔外題・内題・尾題 〕 無し。〔奥書〕無し 。 №3「文保二年本」 高野山大学附属高野山図 書 館所蔵 ( 454 コ 16 )複 写 資 料で 確 認 。 昭和四(一九二九)年 、岩原諦信(一八八三 ~ 一九六五 ) 写 。袋綴装(四つ目 綴 ) 。 一 冊。表紙 共七 六丁。竪 二九 ・五 ㎝ 。 横二一 ・ 一 ㎝ 。半 丁 四 行。一行 八字 。 〔貼外題〕「古本声明 集 」 。 〔内題 ・ 尾題〕無し。 〔奥 書〕 本云 文保二年八月一日 普一 (醍醐様の博士図、高野様の博士図等 を 挟 む ) 金剛福寺 紫雲山 于時寶暦七丑年三月吉 祥 智教 ⦅二⦆ 「 秘讃」 覚意が相伝した こ とを 示 す 奥書を 有 する『声 明集』は現 存 し な い が 、幸いにも 称 名寺に は、覚意が 相 伝した「 秘讃」の資 料 が数多く 所蔵され て い る。今回は、 これら の 資料を利 用し、覚意 の 功績を明らかにし て い きたい。ここでは、今回利用 す る「覚意の五音博士」 によっ て 記譜され て い る「秘讃」の書 誌 につ い て 分か る範 囲 で 確認する。 こ れらは す べ て 『金沢文庫資料全書』第八巻に収 載 され て い る資料 で あ る 。した が っ て 、 こ の資料集の解 説を参考に し て 書 誌情報を示すこ と にする。 なお、四本 のうち 二 本 は 種々の「 秘讃」を収 載した秘讃集 で ある。ここに収められ て い る 個 々の「秘讃」の覚意 の 奥書 は第二章 で 改 め て 報 告 す る 。 また、「 覚意の五音博士」以前の記譜法を 保 持し て い ると考 え ら れ る醍醐寺 所蔵 の「 秘 讃 」も 今回 利用す る 。 先 述したよう に 、こ れ に つ い て は 「覚意の五 音 博士」の 「秘讃」 と比較 対 照 す る際 に書 誌情報を確認する。
7 (№1)『 秘 讃類聚集 』 称名寺所蔵 。 『金沢文 庫資料全 書 』 第八巻( 一一六~一 二四頁 ) で 確 認。 延慶二(一三〇九)年 、釼阿(一 二 六一~一三三八) 写 。 巻子装。 一軸。楮紙 。 竪三 〇・〇㎝。横三三六・〇㎝。紙数 不 詳。一行一〇字。 〔外題 ・ 無題 ・尾題〕 無し。 〔端 裏 書 〕「 ヒサ ン類 聚集」 〔奥 書〕 延慶二年八月三日 以蓮上人/秘 本點寫傳受畢於此一 巻 者/ 東寺 一流之秘曲韻律一道之 肝心/也 予自去建 治弘安之暦至 于徳治延/慶 之比首尾三十余 年 之間顕密/二 道 之音曲 稽古經年呂 律 中 曲 之 / 妙韻鑽 仰 積日而顯明 神 感動 /之 曲密諸天合 掌 之節只隠 /秘心腑 乎未 漏口 外者 也今感得/ 此 一巻感 涙 与筆 端 交 下偏高/祖大 師之憐慰 妙音大天之 擁 /護 也不可不信不可不悦仍 感激/之至任筆 注 馳 云 尓/(梵 字・ケンア ) 剱阿 春秋 四十 九 (№2)『 秘 讃集』 称 名 寺所 蔵。 『金沢文庫 資 料全書』 第八巻 ( 一二五~ 一三一 頁 ) で 確認。 書写 年 次 不 明 ( 鎌 倉 時 代 書 写 ) 。 釼阿( 一 二 六 一 ~ 一三 三 八 ) 写 。 巻 子装 。一 軸。 楮紙 。 竪二九・八㎝。横二六八・二㎝。紙数不 詳。一行一〇字 。 〔外題 ・ 無題 ・尾題〕 無し。 〔紙背〕 相傳 上月 房 天王寺 円 禪房 良忍 房 明本 房 寶蓮房阿闍梨 證蓮 房 (№3)『十六大菩薩梵語讃』 称名寺所蔵 。 『金沢文 庫資料全 書 』 第八巻( 一三七 ~ 一 四 五頁 ) で 確認。 書写 年 次 不 明 ( 鎌 倉 時 代 書 写 ) 。 釼阿( 一 二 六 一 ~ 一三 三 八 ) 写 。 巻 子装 。一 軸。 楮紙 。 竪二〇・一㎝。横三一一・ 〇㎝。紙数不 詳。一行一三字 。 〔外題 ・ 無題 ・尾題〕 無し。 〔奥 書〕 文永 七年六月一日於高野 山 □□ ( 本 寺 ) 之/薬師院奉隨寶蓮房/ 阿 闍梨□ ( 御 ) 傳受 〔 〕然而 / □ ( 弘 ) 安六年六月三日於安養□ ( 院 ) 五/ 音 博 士 付 畢 但 朱 博士者 書 □云/ 建 長□ ( 七 ) 年□□ ( 中 秋 ) 八日於實相 寺 書 / 寫 畢 天 王 寺聖人 本 也頗以秘 □中/ 極 秘 也 〔 ( 朱 ) 權 少 儈 都 〕金剛佛子祐□ ( 真 ) / ( 朱 ) 四方讃 ハ 祐遍 ノ 本 ヲ 以 テ 寫畢/ ( 朱 ) 寶〔 〕 ノ 声明 集 ニ 有故也/偏爲興隆佛法博士 等差定畢 /覚意 在 判 (№4)『 貮 捌尊唐音 讃』 称名寺所蔵 。 『金沢文 庫資料全 書 』 第八巻( 一四六~一 五 一頁 ) で 確認。 延慶二(一三〇九) 年 、釼 阿(一二六一~一三三八) 写 。 巻子装。一軸。楮 紙 。 竪二 九・ 九㎝。横 三二六・五㎝。紙数不 詳。一行一 〇 字。 〔外題 ・ 無題 ・尾題〕 無し。
8 〔奥 書〕 書本 云 / 此 本 者乘 願房 之本 也 以 彼 本 寫 云 云 /式部律 師玄 慶/又云/此寫 本醍醐 式 部律 師 〇 玄慶 奉習/ 乗 願 房 私 ニ 被付 本也而自 玄慶大納 改 名 /言 僧 都 御房覺意相 傳 之/ 弘安 二 年 六 月 十二日 覺 意/同 弘 安七年 正 月十四日於高野 山 安 / 養院私 ニ 付五音博士 畢 覚意 在 判 /又云凡於此 讃者世間 未 流 布秘讃也 /寫本 ニ モ 自半分 者 秘 シ テ 博士 ヲ 不被付 之/以口傳誦之然而恐 癈絶故私 ニ 付顯之/条属 冥 顯 雖多 其憚偏爲紹 隆 佛法/顯示博士 者也覺意記 之 /于時延慶二年六月 廿 七日以勝蓮上人/ 本 令 書寫畢而此秘讃者或 云人 公 然 /以 口傳 雖 受 〇 之畢 於 本 書 〇 未感 得 之 而 嘉 元 三 年 上 洛/ 之 時 感 得 之 但 相 應 院相 傳 也 付博士半 /分也故今以 勝 本 令書寫 并 受/面授畢 / ( 梵 字 ・ ケ ン ア ) 剱阿 廻年 四九歳 /一交 了 (二)中期の資料 本稿 で利 用 す る 中 期 の 資 料 を 『 声明 集 』 と口伝書 毎 に 紹介 する。 ⦅一⦆ 『 声明集』 十四世紀の末から十五 世紀の半ば に かけて の 『声明集』が 幾本か存 在 す る。そ し て 、 こ の中 の四本 の 『声明集 』を今回利 用 す る 。本 稿で は 、 そ の 四本を そ れぞれ「 応 永 三年本 」 「永享六年 本 」「永享十年本」「 康 正二年本 」と呼び利 用 する。な お、「応永三年本」 「永享六年 本 」「永享十年本」は 複 写 資 料、「康正二年 本 」は原物 資料を利用する。 (№1)「 応 永三年本 」 醍醐寺 所 蔵( 196 函 16 號 ) 。 複写 資 料 で 確 認 。 応永 三(一三九六) 年 、実 海(生 没 年不 詳) 写 。 粘葉装枡形。一帖 。表紙共八九丁。 竪 一六・一㎝。横一五・四㎝。半丁 四 行。一行八字。 〔外題〕『声明集 』 。 〔内題 ・ 尾題〕無し。 〔奥 書〕 応永第三 丙 子 秊秋十 二 日 於 若州遠敷 郡極 楽寺為 化 他不恥廉 筆□□實海 書 (№2)「 永 享六年本 」 西大 寺所 蔵。 複 写 資料で確認。 永 享 六 ( 一 四 三四 ) 年 、 良 玄 ( 一三六 六 ~ ) 写 。 列帖 装枡 形、 一冊。 表 紙共 八四 丁 。 竪 一四・四㎝。横一三・七㎝。半丁 四 行。一行八字。 〔外題 ・ 内題 ・尾題〕 無し。 〔奥 書〕 永享六年 甲 寅 霜月十六日 於 與州 /新 居縣西 條 庄福武村佛生 山光明寺之 / 院主坊為 自他求 菩提 振 筆 畢 而 已 / 同十 八日 付博士 翼 白卯 朱墨 點竟/右筆魚山末資□ 良玄星霜六十八才
9 (№3)「 永 享十年本 」 高野山光 台院所蔵( 高 野山大学 附属高野山図 書館寄託⦅ 454 シ光 26 ⦆ ) 。 複写 資 料 で 確認。 永享十( 一四三八)年、宥賢( 生没年 不 詳 ) 写。 列 帖 装 枡 形 。 一 冊 。 表 紙 共 八 一 丁 。 竪 一四・七㎝。横一五 ・ 一㎝。半 丁四行。一 行 八字。 〔外題 ・ 内題 ・尾題〕 無し。 〔奥 書〕 湊州三原郡 於 上八木八幡宮之/ 砌 日 本第一之雖爲悪筆 雖 天 仰/難背 如 形 任 本 染筆 畢/ 金剛資良空 之 /永享十 年八月五日 空鏡之/右 筆 也者金剛 佛子宥賢 (№4)「 康 正二年本 」 所沢宝玉院所蔵。原物 資料で 確 認 。 康 正 二(一四五六)年 、祐範(一 四 一七〜 ) 写 。 列帖装 枡 形。一冊 。楮紙。表 紙 共八六 丁。竪一六・六㎝。横 一六・五㎝。半丁四行 。一行八字 。 原表紙。 〔外題〕『声明集』 〔内題 ・ 尾題〕無し。 〔奥 書〕 康正 二 年 丙 子 七月廿二日 書 之/并進 上人之餘流五音博士付 之畢祐範四十才 / 権大 僧都法 印長清之/持主泉祐之 ⦅二⦆口伝書 十 四 世紀後半 頃に撰述され たとみ ら れる『声 明集』所収 曲 目につ い て の 指南を 記 述 す る 口伝書 が 現 在 四本 存在する。 こ れ ら は初期、中期の実態 を 知る上 で も 有 益な資 料 で あ る。 そ の 四 本 とは、 『 声実抄』 『声明声決書 』 ( 以 下 『声決 書 』 と 呼 ぶ ) 『 声明集私案記』 『声明集隆 法 口伝』 で ある。『声 実 抄』は 初 期の声明 家 の 多く の情 報を伝える 資 料で ある 。 『声決書』は歴史的記 述 に 秀 で た資料 で ある 。『声明集 私 案記』は 『魚山蠆芥 集 』に影響 を与え た と 考 えられて いる資料で あ る 。 『声 明集隆法 口 伝 』は覚証 院方 の隆法 ( ~一三七 六~一四四七~)の口 伝を伝える 資 料 で ある 。 なお、『声実抄』『声 明 声決書』『声明集私 案 記』は、主に『続真言宗全書 11 』三 〇 所 収 のテ クス トを利用する。 こ こでは、そ れ らの 奥書 を『続真言 宗 全書 』 に よっ て示 す。 その他の現 存 す る 資料 の書誌につ い て は 、第 二章 及び第 三 章で 確認す る 。 また、『声明集隆法口 伝』は高野山大学附属 高野山図 書館に一本のみ現存 す る 。 本稿 で は、 これを複 写 し た も のを利用 す る 。以下にこ の 資料の 書 誌について 確 認 す る 。 (№1)「 元 治元年本 」(一八六 四) ( 『 声実 抄 』 ) 〔奥 書〕 (上巻) 元治元 甲 子 六月 吉祥日 寫 得之金剛 佛子良天 (下巻)
10 本云/于 時応永 二 年 乙 亥 沽洗十七日 午 剋 書寫畢 / 私云 。於備 前 前州御誦郡尾 道浦西國寺 教王院爲自/ 末學等令法久住師 資 相承之草 案以淸書 畢 / 求法沙門 宥善 (祭文口伝・朝恵の跋文挟 む) 于時元文五 庚 申 年 以朝恵手寫之 本 寫 之件 本今 在浄菩 提 院 / 高野山千 手院谷普門院理峯 之資 廉峯 書 / 宝暦七 丁 丑 年朧月二日寫之 畢 /金剛佛子智雄拜書 安 永二 癸 巳 年林鐘上旬 以智雄本 書寫畢/高野山北谷寶泉院義長 書/時寛政九年 星 次 乙 巳 林鐘上浣以 義 長本拝 / 寫 畢/ 金剛 峯寺求道沙 門惠 性 院 英海行 年 三十六/ 嘉永二 己 酉 秊九 月於野峯寫 之 畢 / 密乘 沙門玄 惠 /元治元 六月吉祥日 寫 得之金剛 佛子良天 (№2)「 文 久三年本 」(一八六三) ( 『 声明声決書 』 ) 〔奥 書〕 樹下 石上求 道 沙門慈鏡 春秋 二十九 。 ( 「 音律開合名目」を挟 む ) 已上同慈鏡 作 也/ 此抄於 二 聲明音律 之 二 道 ニ 一 尤秘蔵也 。殊 ニ 進流聲 明 ノ 重書 也。可 レ 秘可 レ 秘/ 求道 沙 門 印 融 ( 「 五音 配 十 二調子事」を挟 む ) 天保五 甲 午 年 二月 吉晨書寫焉 / 悉地院幻 務鋭信 四十 四歳 /文久三 癸 亥 年林 鐘日右随鋭信前 官 聲明 傳授 之砌 得 書 寫 畢 /小 野末 徒宥 榮 三十 二歳 (№3)「 寛 政七年本 」(一七九 五 ) ( 『 声明集私案記 』 ) 〔奥 書〕 享保 十二十一 月上旬蒙中院院主寛傳 阿遮梨之命 以 他 本 此 校 之補脱刪繁 功訖/ 沙門 眞 源/同十五年十月十一日以眞源阿 遮梨據也本 所 訂之本 書 寫終時元文五 庚 申 五月 十九 日/ 南岳 密念沙門憲令 /于 時寛政七 乙 卯 正月 十 一 日 書 寫 焉 畢 (№4)『 声 明集隆法 口伝』 高野山大学附属高野山図 書 館所蔵 ( 大山 1873 )複写 資 料で 確 認 。 宝暦一二(一七六二)年、霊瑞 ( 一 七二一~一八〇四) 写 。袋綴 装 (四つ目綴 ) 。 一冊。 表紙 共四〇 丁 。竪二四 ・〇 ㎝。横 一 六 ・ 九 ㎝ 。半 丁三 行 。 一行約 一 二字 。 〔貼外題〕「聲明集隆法口傳」 〔内題〕「 聲 明集私口 傳覚證院隆 法 口」 〔尾 題 〕 無し。 〔奥 書〕 応永二十二年六月十八日重仙俊覚 房 寛正四癸羊 卯 月二十五 日東南院御 自 筆御本 依 仰 写 之畢 幸重宥賢房 延徳二年 庚 戌 閏八月廿 四日於高野山金剛峯寺 小田原 三蔵院護摩 堂 難有依貴顔 写 之処也 偏 上求菩提 化下衆生為 也 穴賢〃〃 右翰求沙門玄覚 星霜 丗六 書之 天文三甲午年 正月廿一 日 写 之 宝暦十二年 三 月三日夜写 得 了
11 金剛峯寺音 曲 沙門霊瑞南龍 (三)後期の資料 本稿 で 利 用 す る後期の資料を後 期の資料を『声明集』と『魚山蠆芥集』毎に紹介 する。 ⦅一⦆ 『 声明集』 十五世紀後半に初め て 『声明集』が刊行され た。 こ の 『 声 明集』は 『日本音楽史料集成』 1「古 版 声 明 譜」(以 下『日本 音 楽 史料集成 』1)と いう 何本 かの 声明譜を影 印 し て 収め た 資 料集 におい て 「文明四 年版 」と呼 ば れ て い る 。先 行研究 で は、刊 行 の 契 機を 「声明人 口の増大 に伴 う譜本の需要 12 」によるものとして い る。し た が っ て 、 当時の高野山 で 最 もスタンダードな『声 明集』 で あ っ た可能性がある。以下に、『日本音楽史料 集 成』1の 情報によって「文明四年版」の書誌を示 す。 「文明四年 版 」 上野学園日本 音楽史研 究所所蔵 。『日本 音楽 史料集成』 1 で 確 認。 文明四(一四七二)年 、龍全(生 没 年 不 詳 ・ 筆者)成秀 ( 生 没 年 不 詳 ・ 博士 ) 。 列帖装 枡形。一冊。緒紙。表紙共八六丁 。 竪一六・六㎝。横一 六 ・二㎝。半丁四行。 一 行八字。 原表紙。 〔外題 ・ 内題 ・尾題〕 無し。 〔刊記〕 筆者龍全博士成秀 /為 順盛頓證菩提/開此印 板願主快禅 / 文明四年 壬 辰 六月廿一日 ⦅二⦆『魚山蠆芥集』 本稿 では、『魚山蠆芥 集』の成立 は 、三巻本 の『魚山蠆 芥 集』の編纂におい て な ったと みなす 。 な ぜ なら、現 在真言宗諸 山 におい て 使用され て い る『魚山 蠆芥集』は 江 戸期以降 の版 本の『 魚 山蠆芥集』から派生 し た も の で あり、 な お か つ江戸期以降の版 本は長恵の 「永正 再 治本」を底 本 とし て い ると考 え られるか ら で ある。そし て 、 「 永正 再 治 本」 で 現 存し て い る の は朝意の 書 写 本のみである。 こ の朝意の書 写 本 で 最古 の も の が 永禄七年に書 写 さ れた も の で 、 尾道西國寺に所蔵され て い る。した が っ て 、 本稿では、 こ の資料を「永 禄七年本」と名付け利 用する。以下に、『尾 道西國寺の寺宝展』の図録 13 の情報も利用 し「 永禄七 年 本 」 の 書 誌につ い て 確 認す る 。 また、『魚山蠆芥集』 の出典の表 記には「正 保 三年 版」 つまり大正蔵におい て 対応 する 箇所 も明示するため、大正 蔵所収 の 「正保三 年版 」の書誌 に つ い て も以 下に おい て併 せ て 示 す ことにする。 (№1)「 永 禄七年本 」 尾道西國寺所蔵。『尾 道西國寺の寺宝展』の図録及び 写 真 資料 で 確 認。
12 永禄七 ( 一五六四 ) 、 朝 意(一五 一八~一五 九九) 写 。列帖装。上 中下三冊。 帙 入り (一帙 三 冊 ) 。 後表 紙。 上巻 : 表紙共二四丁。竪二六 ・三 ㎝。横 一 八・〇 ㎝ 。半 丁四行 。 一行八字 。 〔貼外題〕「魚山蠆芥 集上」 〔内題〕「魚山私鈔」 〔尾 題 〕 「 魚 山蠆芥 集 上」 〔奥 書〕 永禄七年 甲 子 二月廿八日 書 之右 筆和 州 之 産南山 客 僧朝意 順 良 房 長善 房御所 望 之 故 書 之 折節御廻向 奉 仰者也 持主隆遍 長 善 房 第二度 校 合 順良 房 四 十 九 才 朝意( 花 押) 中巻 : 表紙 共三二丁。竪二六 ・三 ㎝。横 一 八 ・ 〇 ㎝ 。半 丁四行 。 一行七字 。 〔貼外題〕「魚山蠆芥 集中」 〔内題〕無し。 〔尾 題 〕 「 魚 山蠆芥 集 中 」 〔奥 書〕 本云 以上中 巻 了 此口傳声明集拭老眼注之了縦知音之人 并雖 同国同朋也 輙 不可 有書 写 也 若 背 此 旨 大師 明神 此 治 罰違反之身上可蒙也 万 一器両 之 弟子有之 者可令 書写 之 也 永正 十一年 甲 戌 余 ウツ キ 三日於清浄光院客 殿書注之 左学頭 法印 権大僧都長恵 春秋 五十七 魚山 蠆 タイ 芥 カイ 集中 第二度校合畢 永禄七年二月書 写 備後隆遍 長 善 房 所望 故書 写 畢 進 流 声 曲 無残 者也 順良四十九才 朝意( 花 押) 下巻 : 表紙 共三 四丁。竪二六 ・三 ㎝。横 一 八 ・ 〇 ㎝ 。半 丁四行 。 一行一二 字 。 〔貼外題〕「魚山蠆芥 集下」 〔内題〕無し。 〔尾 題 〕 「 魚 山蠆芥 集 乙」
13 〔奥 書〕 御本 云 初心者為 指南 一 注之 大 都 ハ 案記 ヲ 爲本 ト 一 雖 レ 然於 當当 世相違 之 儀 不 載 之 一 御覧雖多憚 一 弟子分 解 迷勧秀之為 勝 計 一 認之 愚拙弟子之 外不可有披覧 一 雖似 法恡 ニ 一 後輩之謗 法之過失不可起 初用心也将 又 長恵法印 可預御廻向 也 此 書 造畢 ハ 明応 五 年 丙 辰 五 月 十二日也 春秋三十九 才今 ノ 書写 者 永正 十四年 丁 丑 四月廿九日 書 之春秋 満 六十 標詫 勢遍 円深 房 春秋廿六 師資契諾 異 他 故 為 形見 一 拭老 眼書 之了芳恩 高從蘓迷懇 志 深 自 冥 界 於後 世者尚 以 可披訪 菩提 者也 左学頭法印 権大僧都長 恵 在 判 ( 「 音律開合名目」を挟 む ) 永禄七 年 二月二十 七日於高野山小田原理 趣院縄樞書 了 右筆 客層朝意 順良房 四十 七 才 備後長善房 依貴命書 写 一 者依器量異他長恵法 印第二之 伝本 書 写 並 校 合畢朝意 之懇志者不喩山嶽 冥 界 之不足比 御回 向一入奉仰 處 也 持主隆遍長 善 房 第二度校合 朝意( 花 押) (№2)「 正 保三年 版 」 伝本が 少 な い ため『 大 正蔵 14 』で 確 認 。 正保三(一六四六)年 、西田 勝 兵 衛 開版。一 冊。 〔外題〕不詳 。 〔内題〕「魚山私鈔」 〔尾 題 〕 無し。 〔刊記〕 御本 云此口 傳 声明集拭 二 老眼 一 注 レ 之了縦雖 レ 為 二 知 音之人 并 同国 同 朋 一 輙不 レ 可 レ 有 二 書寫 一 也若 背 二 此 旨 一 大師明神 ノ 此治 罰 違 反 之 身 ノ 上 ニ 可 レ 蒙也 万一器両 ノ 之弟子等有 レ 之者 可 レ 令 三 書 二 写之 一 也 永正 十一年 甲 戌 余三日、於 清 浄光院客 殿 書 注 之 左学頭法印 権大僧都長 恵 春秋 五十七 在判 右以法印長恵御正本 校證之令刊行 者也 正保 丙 戌 暦姑 洗 日 二 条 寺 町 西田勝 兵 衛 尉 四 先行研 究 の概要
14 以下におい て 、『魚山 蠆芥集』及びそれ に関 連す る主要な 先行研究を紹 介 す る 。 まず、『魚山蠆芥集』に関連する 先 行研究を 挙げる。 『魚山蠆芥集』に関連する主要 な 研 究 は 、岩原諦信『増補校 訂 声明の 研 究 15 』 、 大山 公淳『仏教音楽 と 声明 16 』 、 金田 一春彦「 真言 声明 17 」 、 中川 善 教 「 魚 山蠆芥 集 成 立 攷 18 」 、 中川 善教 「南山進流声明概説 19 」 、 新井 弘順「 真 言声明におけ る反音曲の 記 譜法につ いて 20 」 で ある。 こ れらの研究は、『 魚山蠆芥集 』 の資料・歴史・音楽理論の いずれかに 言 及 す るも の で ある。 大山〔一九五九 〕 中川 〔一九七六 a 〕中川 〔 一九七六b 〕 で は 『魚 山蠆芥集』 の 資料・ 歴史につ いて 詳 細 に論 じられて いる。一方、 岩原〔一九 三 二〕新井 〔 一九八三 〕 で は『魚 山蠆芥集』の音楽理論につい て 詳 細 に論じられ て い る 。金 田一〔一九七二〕 で は 資料・歴 史・音楽理 論 につい て 論じられ て い る。 岩原〔一九三二〕は『 魚山蠆芥集 』 所収曲目 の実唱につ い て 『 魚山 蠆芥集』の 情 報を頼 りに論じるもの で ある 。また、金田一〔一九 七二〕は『 魚 山蠆芥集 』の刊本のみを利用し た論考 で あ る 。した が っ て 、室町 期 以前の『 魚山蠆芥集 』 の成立過程に係る資 料 を扱う研 究 で はな いと いえる。 新井〔一九 八 三〕は 、 『魚山蠆芥 集 』の所収 の反音曲の 記 譜法を初 めて 解 明 し た 論 考 で あ る 。 次に、『魚山蠆芥集』が成立した 室 町期後半 まで の真言声明に関連する先行研 究 を紹介 する。 『魚山蠆芥集』の先駆資料と考 えられる『声明集』につ い て の 先行研究につい て 挙げる。 それは、先述した幾本 かの声明譜が影印し て 収 められ て いる『日本 音 楽史料集成』1の 中の二つの解 説 で ある。一つは、新井 弘 順氏の 「 真言 声明南山進流につい て 21 」 、 もう 一つは、福 島 和夫氏の「一五・一 六 世紀刊行 の印 刷楽譜 22 」 で ある。 なお、 『日本音楽 史料集成』 1 には、「 文明四年 版」の影印資 料の他に 「 〔 般若理趣経〕文明一五年版 」 「 〔 諸講伽陀〕文禄二年泉空奥書 無刊記」 と そ れぞれ 題 名が 付さ れ た 二本 の 影 印資料が 収載され て い る。 真言声明の記譜法 、さ らには 、 仁 和 寺系及び 醍醐寺系の 声 明つ い て の研 究が 新 井 弘順 氏 によっ て 推し 進め られて い る。それ は、 「真言 声明における反音曲の記 譜 法につい て(Ⅱ ) ――仁和寺 相 応院流― ― 23 」「真言声明慈業系 大 進上人流の展開 24 」「声明の記譜 法 の変遷―― 博 士図―― を中心に 25 」「 宣 雅 博 士 本 『 法 則 集 』 に つ いて 26 」「 真言声明 醍醐 流〈理 趣 経讃〉の二種の譜― ―唯律様と 反 音様につ い て ―― 27 」で あ る 。 こ の 一 連 の研 究に よ っ て 真 言声 明の記譜法 の 研 究 は 飛 躍的に進歩 し たと いえ る。 次に真 言 声明の 歴 史 に つい て言及し てい る 研 究 を 挙 げ る。 これ は、櫛 田 良 洪 氏の 「声明 成仏思想の受容 28 」で あ る 。こ れは 、「 声 明 成 仏 思 想 」 を 主 題 と し て い るが 、東 寺 宝 菩 提院及び称名寺所蔵の声明資料を 利 用し て 平 安期 末から 鎌 倉期にかけ て の真言声明の歴史 につい て 論じ て い る。また、金 田一春彦氏 も 『四座 講 式』 におい て 「真言 声 明の流 派 」に つい ての歴史 的展 開につい て概論的に論じ て い る 29 。 次に、真言声明の口伝 書 に 関する 先 行研究を 挙げる。 こ れ は、澤田 篤子氏の二本の論考 である。それ は「真 言 声明の口伝書 」 に つい て(第一 報) ――博 士 指 口 伝 事 ―― 30 」と 「真 言 声 明の口伝書 に つい て(第二報) ――声実 抄 ― ― 31 」で あ る 。
15 以上が『魚山蠆芥集』 及び、それ に 関連する 主要 な 先 行研究 で ある 。 続 い て 、 今紹介した中で 『 魚山 蠆芥集』の成立過程に つい て 言 及 し て い る論 考につい て 少しく付言したい。 『魚山蠆芥集』の成立 過程につ いて 言及し て いる 先行研 究 は 、 大山 〔一九五九 年 〕と中 川〔 一 九 七六a ] 中川 〔 一 九七六b〕の 三本だけ である。 大山〔一九五九〕 で は 「魚山集は 斯 道初学入門の手曳き と し て 編纂 されたの で 、 こ れ は 声明及び声 明集の盛行に伴 う 必然の帰結としなく て はな らぬ。 32 」 、 また、 中 川 〔 一 九 七六a〕 で は 「形式 上 、声明集 が 先 行し て 、 それが発展し て 教 則本 的な性格 を 帯 びるに至 って 、後 に 魚 山 集 に 成 っ た 33 」 、 と述べられ て いる。 こ れ ら の記述に よっ て 、 『 魚 山蠆 芥集』の成立 前には、 高野山にお い て 声 明が 盛んになり 、 『声明集 』を手に取る初心者が 増加したた め 、それに つい て の 教則本が 必要 不可欠にな り 、『魚山 蠆芥集』が 編 纂された 状況を窺い知る ことができる。 また 中川〔一九七六b 〕 で は、「 魚 山集は教則本とし て 、 声明集は法会依用の料とし て 需要 に応じて 刊行され た も の で あろう。その『声明集』に『私案記』に依っ て 注 記したの が、 長恵 師の 『魚山集』 で ある。 34 」と 述べられて い る。こ れ は 、 『 魚 山蠆芥集 』は法 会用の『声 明 集』に『 声明集私案 記 』の記述が注 記と して 付された 教則本と して 成立 した とい うことである。つまり、『魚 山 蠆芥集』は、それ以 前 の『声明 集』と基本 的 構造(曲 目・曲 順 及び 博 士 の骨格 ) は同 じもの で あっ て、新た に『声明集私案 記 』 に よっ て 旋 律 や 所作の注記が 加えられ た教 則本で あ ると中川 氏はみなして いたよ う である。 以上のよ うに、大山氏 、中川氏は 、 『声明集 』が普及し 、 教 則 本の需要 が 高 ま っ たため に『魚山蠆 芥 集』が成立したと、『声明集』と『 魚山蠆 芥 集』との関連性を強調し て いる 。 おそらく、先行研究 で 述べられ て い るよ うに 、『魚山蠆 芥 集』は『 声明集』や『声明集 私案記』の 影 響を受けて 成 立 し たも のだと思わ れ る。し か し、先行研 究 で は 、『声明集』 から『魚山 蠆 芥集』へど の ように 展 開し て い ったのかに つ い て の具 体的な 検 証 が な さ れて い な い。つまり『魚山蠆芥集』 が どの系統の『声明集』を受け継いで いるのか 。『声明集 私案記』の 記 述を実際にどのよ うな態度 で 受 用し て い る のか。また『声明集私 案 記』以外 の系統の情 報 の影響は 果たし て 存 在 しな かっ たのかと いう よ う なこ とが 論じら れ て い な い 。 以上の こ と を 踏まえ本 研究を進めて いく。 1 中川の大進 上 人宗観( ~一一一五 ~ )を祖と す る 声明の 流 派で ある 大進上人流が十三 世 紀初頭に 高 野 山に伝わ っ て 興った 高 野山の声 明の一流を 現 在、南山 進 流 と 呼 称 し て い る。 2 新井弘順「 声 明の記譜法の変遷― ― 博士図― ―を中心に 」 日本音楽史研究第一 号 一九 九六 年 一六 頁。 3 福 島 和 夫 校 訂 『 日 本音楽 史 料 集 成』 1 「 古版 声 明 譜 」 東京 書 籍 一九九五年。 4 『遍照発揮性霊集』『弘法大師全 集 』巻第八 密教 文化研究所 一九一 〇 年 四七〇頁 、 『定本弘法 大 師全集』 巻八集 密教 文 化 研 究 所 一九九 六 年 九九 頁。 5 東南院方に関し て は、 剱海、釼忠にみられる よ う に最初は、東南院 の住僧が東 南 院方を 弘通し て いたよ う であ るが、十五 世 紀になると東南院の院主が覚証 院方の正嫡になっ て い るの で 、 東 南 院において 東南院方が伝承されて いるわけではなかっ た と 考 えら れる。なお 、 覚証院方の 正 嫡に関しても 必ずしも覚証院方 の住僧が覚 証 院方の正嫡にな っ て い るわけで はなく、隆 然 の三代 後 の隆法を最後に覚証院 の住僧は覚証院方の正嫡にはなって い な い。
16 6 朝意の『梵 讃 許可 幷 血 脈 』及び江戸期の真 源 ( 一六八九 ~ 一七五八 )の『密宗 声 明系譜』 におい て 僅 か に確認 で きる。 7 『声明声決 書 』 で は、東南院方の 剱 海の後を 継い だ 了 栄房剱忠が 自 分の代 で 東 南 院方が 廃れること を 嘆き隆 然 から声明を 学 びに 赴い たが 、器量なく「 了栄 房の非節」と 呼ばれる 誤った声明 を 東南院に 持ち 帰 っ て し ま っ たと 述べられて い る。こ の 東南院方 及 び 、金剛三 昧院方が、 剱 忠、覚意 の後にどの よ うな 人物 によっ て 伝承されたの かについ て は 分かっ て いな い。 8 大山公淳『 仏 教音楽と 声明』大山 教 授法印昇 進記念出版会 一九五 九 年 口絵 写 真 三 (一) ( 二 ) 。 9 中川善教 『仏教 学 論集』山喜 房 書林 一九七 六 年 四二 三頁。 10 神奈 川県 立金 沢 文 庫編著 『 金 沢 文庫 資料全書』 第八巻 「 歌謡・ 声 明篇 続」一九八六 年 便利堂 三二一~三二二頁。 11 ・『 声 実 抄 』 『続 真言 宗全 書』三 〇 続真 言宗 全書 刊 行 会 一 九 八六 年。 三~三五 頁。・『声 明 声決 書』『続 真言宗 全 書』三〇 二五五~二八七頁。 ・ 『声明集 私案記』 『続 真言宗 全 書』三〇 八九~一三〇頁。 12 『日本音楽史料集成』1九六頁。 13 「広島県立歴史博物 館 展示図録」 第 二八冊『 尾 道 西國寺 の 寺宝展』 二〇〇二年 七九 頁。 14 「魚山私鈔」『大正新 修大蔵経』第八四巻 大正新修大蔵経刊行会 一九三一 年 。 15 岩原諦信『岩原諦信著 作集』2東 方 出版 一九九七年。 初刊一九三 二 年。 16 大山〔一九五九 〕 。 17 東洋音楽学会編 『 仏教音楽』音楽之友社 一九七二 年 八二~一七 〇 頁。 18 中川善教『仏教学論集 』四一八~ 四 四九頁、中川〔一九 七 六a〕と 略称 する。 19 中川善教 『仏教学論集 』三七五~四一七頁、中川〔一九 七 六b〕と 略称 する。 20 新井弘順「 真 言声明に おける反音 曲 の記譜法 につい て 」 『 東洋音楽研究』 第四 八 号 一九八三年 。 21 『日本音楽史料集成』1九三頁。 22 『日本音楽史料集成』1九八頁。 23 新井弘順「 真 言声明に おける反音 曲 の記譜法 につい て ( Ⅱ )――仁 和寺相応院 流 ――」 『国 立音楽大学 研 究紀要』 第一八号 一九八 四 年 。 24 新井弘順「 真 言声明慈 業系大進上 人 の展開」 『醍醐寺の 密 教と 社会 』山喜房佛 書 林 一九九九年 。 25 新井 弘順「声明の記 譜 法の変 遷 ――博士図――を中心に」『日 本音楽 史 研究』第一号 一九九六年 。 26 新井 弘順「宣雅 博 士本『法則集』につい て」福島 和夫編日 本史 研究叢刊一 三『中世音 楽史論叢』和 泉書院 二〇〇一年 。 27 新井弘順「 真 言声明醍 醐 流 〈理趣 経 讃〉の二 種の譜―― 唯 律様と反 音様につ いて ――」 『真 言 密 教と日 本 文化』 二〇〇 七 年。 28 櫛 田 良洪「声明成仏思 想の受容」『真言密教成立過 程の研究』山喜房書林 一九六六 年。 29 金田 一春彦『 四座講 式 』の研 究 三省堂 一九六四 年。 30 澤田篤子「 真 言声明の 口伝書につ い て ( 第一 報)――博士指口伝事――」『大阪教育 大学紀要』第三十四巻 一九八六 五年 。 31 澤田篤子「 真 言声明の 口伝書につ い て ( 第二 報)――声 実 抄――」『大阪教育大学紀
17 要』第三十 五 巻 一九 八六年 。 32 大山〔一九五九〕二二 二頁。 33 中川〔一九七六a〕四 四八頁。 34 中川〔一九七六b〕三九〇頁。
18 第一章 『魚 山 蠆 芥 集 』 に つい て はじめ に 本章 では、『魚山蠆芥 集』の基本 的 情報につ い て 述べる 。 第一節 で は資料と変遷につい て 、 第二節では『魚山 蠆芥集』を 編 纂した長 恵と現存して いる三巻本の『魚山 蠆 芥集』を 書写 し た 朝 意 に つ いて 、 第 三 節 で は 曲 目 ・ 曲 順 、 第 四 節 で は 曲 調 、 第 五 節 で は 博 士 ・ 旋 律 ・ 仮 名 、第六節 では注記 、 第 七節 では『魚山 蠆 芥集』の 最 後 に掲載され て いる 「音律 開 合名目」に つ い て 取り 扱いたい。 第一節 資料と変遷 本節 では、第一項 で長 恵の『魚山蠆芥集』の 編 纂 と再治につい て 、 第二項 で 朝意の『魚 山蠆芥集』 の 書 写 、第 三項で 『 魚 山 蠆芥集』 の刊行につ い て そ れぞ れ概観 す る 。 第一項 長 恵 の『魚山 蠆芥集』の 編 纂と再 治 長恵 によ る『魚山蠆芥集』の撰述過 程につい て 考 察 す るにあたり、これを長恵によ る 編 纂 と 再治 に区 分 け する。 『魚山蠆芥集』 は 最初、甲乙二巻本とし て明応五年(一四九六)に 智 生 房長恵によっ て 編纂 され た 1 。その後 、 長 恵は 、こ れを 永正十 四 年( 一五 一七 )に再 治 し終え 、 現在に 伝 わる『魚山蠆芥集』 に 形成した。 第一目 編纂 長恵自筆の甲乙二巻の『魚山蠆芥 集 』は残念ながら現存し な い 。そこで 甲乙二 巻 の『魚 山蠆芥集』の原本を便宜的に「明 応 未 再 治 本 」と呼ぶ。長恵自筆 本 は存在し な い が、 「明 応未再治 本 」 の転 写 本 と思しき資 料 が 存 在 す る。それらは、享禄五年(一五三 二 )に書 写 された「享 禄 五年本 2 」と 書 写 年 不 明の「 桜 池 院 本 3 」 で ある。 なお、これら両本は、 ど ちら も完本では な い 。 中川〔一九七六a〕に よると「享 禄 五年本」 の構成は、 〈 三礼・如来唄〉から 〈 胎蔵 界〉の〈五 誓 〉ま で 、 「桜池院本 」 の構成は 、〈胎蔵界 〉 の〈虚空蔵轉明妃真言〉から 〈教化〉までとそれぞ れなっ て いるとい う 4 。 「桜池 院 本」の 本 奥書には、明応五年(一四九六) に 長 恵 が『魚山蠆芥集』 を 著 した こ とが明記さ れ て い る 5 。 ま た、 中川 〔 一 九七六a〕 で は、本奥書 の 前には、 「魚山蠆芥集 乙」と記され て い る こ とから、 「 桜 池院本」は「明応未再治 本 」の「乙巻 」 で あ るとみな され て い る 6 。 中川〔一九七六a〕は 、「享禄五年本」を二 巻本 の『 魚 山 蠆芥 集 』 の「 甲 巻 」 と みな し 、 「桜池院本 」 の 「 乙巻」の前 に 持っ てくると 、整合性のとれた曲の配 列 になることから、 これら両本 を 合 本 すると「明応未再治 本」になると推定 し て い る 7 。た だし中川 〔一九七
19 六a〕 で は 、 両本によっ て 「明応未 再治 本」が復元されると確定 す るため に は 、 曲の配 列 からだけで は なく、注 記の「あり 方 8 」の類似性 も 考慮しなければな らな い と も 述 べられ て い る。当 書 では、 こ の類似性に つ い て 項を設けて 指 摘する用意が あると述べられ て いる が、それを 具 体的に指摘し て い る 箇 所は確認されな い 。 つまり先行 研 究 で は、「享禄五年本」と「桜池院本」に よ っ て 「明応未 再治 本 」 が復元 されること は 、完全には確定されて い な い。確かに、両本を繋 ぎ合わ せ れば、 整 合性のと れた 一 本 の譜 本に なるの で 、 こ の「享禄 五年本」 と「桜池 院 本 」の合 本 は、 長 恵 が明応 五 年に最初に 世 に出した『魚山蠆芥 集 』 で ある 可能性 が あ る 。今後、 曲の配列以外の こ とも 視野 にい れ 、 「明応未再治 本」の復元を目指したい。 第二目 再治 長恵 は、永正 十四 年(一五一 七 )に『魚山蠆芥集』 を 甲乙二巻 本から上 中下三 巻 本に再 治し終え た 。 この こと は、 後に述 べ る朝 意 に よっ て書 写さ れた複数の『魚山蠆芥 集』の奥書から判明 して いる 。 す な わ ち 朝 意 の 書 写 本 は 、長 恵 に よる 『 魚 山 蠆 芥 集 』 の 再 治 を 記 す 現 在確 認 さ れて いる 最 古 の資 料で あ る 。こ の 奥 書を「 永 禄七 年 本 」 ( 一五 六 四 )に よ っ て み る 。 中巻 の 本 奥書 を 引 用 す る。 本云 以上中 巻 了 此口傳声明集拭老眼注之了縦知音之人 并雖 同国同朋也 輙 不可 有書 写 也 若 背 此 旨 大師 明神 此 治 罰違反之身上可蒙也 万 一器両 之 弟子有之 者可令 書写 之 也 永正 十一年 甲 戌 余 ウツ キ 三日於清浄光院客 殿書注之 左学頭 法印 権大僧都長恵 春秋 五十七 次に下巻の本奥書 を引 用 す る。 御本 云 初心者為 指南 一 注之 大 都 ハ 案記 ヲ 爲本 ト 一 雖 レ 然於 當当 世相違 之 儀 不 載 之 一 御覧雖多憚 一 弟子分 解 迷勧秀之為 勝 計 一 認之 愚拙弟子之 外不可有披覧 一 雖似 法恡 ニ 一 後輩之謗 法之過失不可起 初用心也将 又 長恵法印 可預御廻向 也 此 書 造畢 ハ 明応 五 年 丙 辰 五 月 十二日也 春秋三十九 才今 ノ 書写 者 永正 十四年 丁 丑 四月廿九日 書 之春秋 満 六十 標詫 勢遍 円深 房 春秋廿六 師資契諾 異 他 故 為 形見 一 拭老 眼書 之了芳恩 高從蘓迷懇 志 深 自 冥 界 於後 世者尚 以 可披訪 菩提 者也 左学頭法印 権大僧都長 恵 在 判
20 こ の 本奥書によっ て長 恵が永正十 一 年(一五 一四)に『 魚 山蠆芥集 』の中巻 まで を再治 した ことが 分 かる。そ し て 、その 三 年後の永 正十四年( 一 五一七) に三 巻本に 再 治し終え た も のを弟子の円 深房 勢遍(一四九二~)に 授与したようである。した がっ て 、 長恵は少 なくとも永 正 十四年まで に 『魚山 蠆 芥集』を再 治 し終えて いた こと が分かる。 また、 こ の 本 奥書 の 「 将又」以 下が誰の記述 であるのか判然 と し な い 。 これに関し て 、 中川 〔一九 七 六a〕 で は 、 「原奥 書 は長 恵師が 書 いたようで も あり 、書き与え ら れた勢遍 師が 書き足 し たも のの ようで あ る 。 原本が 見 あ た ら ぬ ので あるから 何れとも 調 査 の法が 無 い。 9 」と 述 べ られて い る。 また、勢 遍 は 江 戸 中期に真 源(一六八 九 ~ 一 七五八)の著 した 『密宗声明系譜 10 』に おい て 、 長 恵 と朝意の間に位置付けられる覚証院方の正嫡 である 11 。 なお、三巻 本の『魚山蠆芥集』 も 長恵自筆 本は現存し な い。した が っ て 、 元々 の長恵自 筆の原本を 便 宜的に「 永正再 治 本 」 と 呼 ぶこ とにす る 。 第二項 朝意の『魚山 蠆芥集』の 書 写 長恵 が再治 し 終 え た 『 魚山蠆芥集』 は、 長恵の孫弟子の順良房朝 意 によっ て こ の 後度 々 書写 さ れ た 。 こ こ で は 、 ま ず 朝 意 以 前 の 書写 に つ いて 、 そ の 後 に 朝 意 の 書写 に つ いて み る 。 第一目 朝意以前の 写 本 ま ず 、朝意以前の 写 本 を挙げる。長 恵の『魚 山蠆芥集』 の 再 治 と 、 朝意の『魚 山 蠆芥集』 の書 写 の 間にも、幾 本 かの『魚山蠆芥集』の 写 本 が存在する。 現在存在が確認 で きる のは「享禄 元 年本」( 一五二八)「天文四年 本」(一五 三 五)の 二本である 。 「享禄元年本」の原物資料は 実 際にはみ て い な い の で 、大山〔一九五九〕及 び、『聲明本展観目録 12 』の情報によっ て 分かる範 囲 で 書誌につい て 確認したい。 なお、 大山〔一九 五 九〕及び『聲明本 展 観 目録』に おい て 当 本 に 関する情 報は限りな く 少な い。 「天文四 年本」は大山〔一 九五九 〕 と中川〔一 九 七六a〕 で紹介 さ れ て い る 。た だし、 大 山 〔 一 九五 九〕 ではほとん ど 論じ られ てい ない 。 中 川 〔 一 九 七六a〕 では、「明応未 再 治本 」 よ り も 「 永 正再 治本 」 の 方 に 類 似 して いるこ と が 報 告さ れて いる 。当 本 は 高野山 大 学附属高野山図 書 館所蔵の複 写 資 料 によっ て 書誌について 確認 する 。 (№1)「 享 禄元年本 」 高野山遍照光院蔵 所蔵 。『聲明本 展 観目録』 に奥 書掲載 。 大山〔一 九五九 〕 ( 二 二四頁 ) で 僅 かに言及され て い る。原物資料は未確認 である。 享禄元 ( 一五二八) 年 写 。 書 写 者不 詳。装丁不 詳 。上・中・ 下 三冊。 〔外題〕「魚山私鈔」 〔内題 ・ 尾題〕不詳 。 〔奥 書〕 於 高 野山谷 上地蔵院移 之 享禄元秊三月吉日 ( 『 聲明本 展 観目録』 四頁)