メレロヴィッツの社会志向的企業管理論(上)
−市場経済体制と企業管理−
菅家正瑞
一、序
二、市場経済と企業者 三、市場経済の危機とその要因
四、労働の人間化とその方策(以上本号)
五、協働的企業管理と人間指導(以下次号)
六、メレロヴィッツの所論の特質 七、結
一、序
経営活動は何らかの経済社会体制の枠に強く規制される。それ故に,国民 経済や社会構造における変動は経営の危機感を生み出し,この危機感は経営 の在り方やその行動に対する全面的再検討を強制して止まないであろう。
その時代にはその時代の国民経済的社会的問題が存在し,解決が求められ る経営的危機を生み出す。それに対応して応用科学としての経営経済学は,
経営の存立をおびやかすかくの如き危機の克服のために絶えず努力してき たのである。例えば,インフレーション時には価値維持の問題が生じ,そ の解決のために F.シュミットは有機的貸借対照表の研究を行なった。ま たシュマーレンバッハは体制的危機を経営の過剰能力や固定原価の問題と して把握し,その解決のために原価計算や価格政策の研究を行なったので ある。
メレロヴィッツ(Konrad Mellerowicz1891〜)は今日における経営的問
題を経営における人間に兄い出す。しかもこの問題は,市場経済の存続にか
かわる極めて重要な問題として捉えられているのである。メレロヴィッツは
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経 営 と 経 済 今日の市場経済の中にその存続をおびやかす要因を見い出しそこに「市場経 済の危機」を理解するのであるが, しかもそれは「経営の危機」としても把 握されうるものなのである。そして乙の「経営の危機」は経営における人間 の問題と密接不可分の関係にあるのである。それ故メレロヴィッツは経営に おける人聞を今日の最も重要な経営的問題として捉え,経営経済学的研究の 中心的地位に置くべきことを主張している
Dそして今や,経営経済学は技術 的・経済的領域の研究のみに限定されず社会的領域をも含めて完成されるべ きことを主張するのである。従ってそのような経営経済学はもはや経営経済 学という名称は不適切であり,むしろ「企業管理論」として再構成されるべ きであろう。しかもこのような経営経済学の企業管理論への再構成はメレロ ヴィッツ自身が努力している所なのであり,人間的・社会的側面が強調され た企業管理一一「社会志向的企業管理
(sozialorientierteUnternehmens‑fuhrung)J
一 ー に , 経 営 の 危 機 を 従 っ て ま た 体 制 の 危 機 を 克 服 す る 「 処 方築」が示されるのである
O本稿における課題は,以上のようなメレロヴィ
ッツの主張を明らかにし,その主張にそって若干の検討を加えながら,経営 における人間の問題を考察することである
1)2)。
注1) 本稿において中心的に検討するメレロヴィッツの著書は次のものである。
Mellerowicz. K.. Sozialorientierte Unternehmensfuhrung. 2.. neubearbeitete AufIage von~Strukturwandel und Unternehmensfuhrung<{. Freiburg i. Br. 1976.
なおこの書物は,ペーケノレ
(AribertPeeckel)の協力のもとに苦かれたもので ある。
2) Vg
l . .
Derselbe. a.a.O.. SS. 5.........7.二、市場経済と企業者
メレロヴィッツによれば,経営
(Betrieb)はまずひとつの有機体
(Orga‑nismus)
として把握される。そのことは,経営が固有の内在的諸法則に従
う,独立的な,生活する,閉鎖的な全体であることを意味する。そしてそれ を特徴づけるのは「独立性 (Selbstandigkeit)Jと「完結性 (Geschlossen・ heit)jというこつの基準であるロ経営は,その目標設定にあたってさしあ たり外部に依存せず自由に選択するという意味において独立的である。更に それは,選択されたこの目標を達成するための全ての経営的方策が,個々の 部分に至るまで統一的意味関連にあるという意味において完結的である。し かし経営の理解のためには,経営を孤立的に捉えるだけでは不十分であるこ とは明らかである。なぜならば経営は全体経済との聞に継続的で多様な関連 を有するからである。メレロヴィッツにおいては,全体経済に対する経営の 関連は,経営が全体経済のひとつの「器官 (Organ)jであるということで 示される。乙の場合の経営の特徴を示すものは全体経済の目限設定に対する
「依存性と結合性 (Abhangigkeitund Verbundenheit)jで あ る 。 な ぜ な らば全体経済のもつ目標は,それを個別経営にゆだねることによってのみ達 成されうるからであるo従って経営は国民経済の
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官として,国民経済の目 標を自ら解決すべき職分としなければならないこととなる。その切合,経営 の職分は二つのものに大別される。そのひとつは経済的なものであり,他の ひとつは社会的なものである。経済的職分は市要充足であり,社会的職分は 社会的保障 (sozialeSicherheit)である。国民経済の器官として経営は,その経営過程を社会的・経済的観点から全体経済の要求
l
こ調和せしめなけれ ばならないのである1)。さて経営は全体経済の部分として特定の経済体 ~j'IJ
(Wirtschaftssystem) の中で経済活動を営んでいるのであるから,経常にとって経済体制は決定的 に主要である。経済体制としては原則的に「市場経済 (Marktwirtschaft)j と「計四経済 (Planwirtschaft)jというこつの謀本的休日;IJが区別される。その区別にとって決定的なのは経済における「秩序 (Ordnung)Jを保証す る手段に何が投入されるのかということなのである。純粋な自由なI¥i場経済 では秩序はおのずから発生し,それはいかなる)Jによっても払j京されるもの ではない。一方純粋な計阿経済にあっては秩序はWl家が決定し,凶家が全て の経済活動を集権的に決定する。それ故拘束された経済体j¥j1j!こは自由が存在
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しないことになるo もちろん,西ドイツの経済体制は市場経済ではあるが,そ れは純粋なものではない。市場経済には現実的には実に多様な形態が存在し うるのである。しかしあらゆる市場経済に共通するメルクマーJレが存在し,
更にそれらに副次的メルクマールが付加されて個々の市場経済の個別的形態 にその特質が与えられるのである。メレロヴィッツによれば,各市場経済に 共通するメノレクマーノレとは,1.市場における競争, 2.生産手段の私的所有,
3.個人の意思決定の自由, 4.自由な価格形成,という四つの要素からなる ものである。そして西ドイツの市場経済の形態は「社会的市場経済 (soziale Marktwirtschaf
t )
Jであり,それは完全な市場経済ではあるがなおそれに 社会的特徴が強く与えられたものなのである。すなわちそこでは,一方では 競争原理が支配する市場経済的秩序の実現が目ざされると同時に,他方では 市場経済の社会的特徴が強調され,所得分配の是正や社会政策によって市場 経済の社会的側面が補強されるのである2)。さてメレロヴィッツによれば,市場経済は極めてすぐれた経済体制であ り,それは高い経済的給付をもたらすだけでなく,同時に高い社会的給付 (soziale Leistung)をも実現するのであるo しかもそれは最少の国家的規 制のもとで実現されうるのである。しかし市場経済にはこのようなすぐれた 点のみならず,見のがすことができぬ重大な弱点をも併せて有していること が注意されなければならないのである。例えば,国民経済的循環の不安定 性,権力集中の傾向,社会的格差の存在,自己利益と全体利益の不一致,競 争の非自律性,完全雇用の非自律性等が列挙されるであろうo しかしながら 市場経済は決して固定的で不変の体制ではない。むしろそれは動態的な体制 であり,時代や発展とともに変化し,変化する環境に適応しうるものであ る。かつまたそれは,様々な弱点に対応する克服の方策によって改良されて いくものなのである。市場経済の秩序は,その基本的メルクマールを維持し つつ,変化する関連に適応していく,絶えず新たに形成される秩序なのであ る口それ故,秩序の形成は与えられ変化する環境に依存する。とりわけ,技 術,経済,社会の強力で急激な変化は,市場経済を特定の方向に進ませ特徴 づけるものとしてメレロヴィッツは理解しているo特lこ現在市場経済l乙変化
を強制しているものとして彼が指摘しているのは,技術においては環境保護 と原料不足であり,経済においては市場拡大や経済的結合,新しいマーケテン グ技術であり,社会においては変化した人間の地位である。市場経済の弱点と 並んでこれらの構造的変化も市場経済の変化を強制することとなるのである。
しかもこのような構造的変化は必然的に経営(=企業)にも影響を及ぼすこ とになるのである。メレロヴィッツは市場経済と経営との関連性を以上のよ うに捉えるのであるが,更に彼は両者の問にいわゆる「企業者 (Unterneh・
mer)Jを介在せしめる乙とによって両者の関連性を考察するのである3)。 メ レ ロ ヴ ィ ッ ツ に よ れ ば , 企 業 者 は 市 場 経 済 の 発 展 の 本 質 的 原 動 力 (treibende Kraft)をなすものなのである。i1f場経済と企業者は相互依存的 関係にあり,一方がなくしては他方はありえないのであるD そして市場経済 の機能力 (Funktionsfahigkeit)は企業者の給付に依存しているものと解さ れているのであるD それでは企業者の給付は何に求められるであろうか。シ ュンベーターは企業者の本質を「生産要素の新結合の遂行」の機能に見た。
企業者は,理想,組織,方式,製品において常に新しいものを創造するもの と し て 捉 え ら れ て い るo しかもメレロヴィッツによれば企業者は新方式自 体を開発するのみならず,それを成功担に利用しなければならないのであ るo従って,企業者の基本的職能は生産要素の「新しい,成果ある結合の遂 行 (Durchsetzungneuer und erfolgreicher Kombinationen) 4) Jをなすの であるo経済的観点から見るならば,企業者にとって決定的なのは乙のよう な基本的職能を果たすか否かである。ところで企業者保(Unternehmersein) の基準は,市場経済における企業者の具体的活動に注目するならばより明 確 に 示 さ れ る の で あ る ロ 表 面 的 に 見 る な ら ば , 企 業 者 は l . 用意機能 (Verfugungsfunktion), 2.形成機能 (Gestaltungsfunktion),3. 管理 機能 (Leitungsfunktion)の 担 当 者 と し て 規 定 さ れ て い る 。 す な わ ち 彼 は,生産に必要な物財・労働力・資本を用意し,次いで生産過程を組織し,
更に個別的活動と窓思を全体的・統一的生産な思lこ統合するという活動を行 なうものとして把握されるのであるD しかしメレロヴィッツによれば, この ような表面的像のみでは決して企業者保の本質を捉えたことにはならないの
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である。企業者像に結びついている属性という観点から企業者人格を捉える 乙とによって,その内面的基準を明らかにしなければならないのであるD な ぜならば純粋の企業者的活動の基礎にあるものは,常にこれらの内面的基準 であるからである。メレロヴィッツによればとれらのものは,鋭い勘,先見 性,勇気,主導性,創造力,人間指導の秘訣 (Kunst)という属性であるo
企業者人格を特徴づけるものは創造の情熱であり,企業者人格とは空想と勇 気をもって新結合のために主導性を発揮し創造的理想、を実現する能力である といえるであろうO メレロヴィッツの念頭にある企業者像とは,以上のよう な属性を十二分に発揮することによって前述の三つの活動領域において草新 を成功裡に遂行するものなのである5)。
さてメレロヴィッツによれば,以上の如き企業者がなすべき給付,すなわ ち企業者給付 (Unternehmer leistung)は二つのものに分けられるoその主 要なものは経済的職分であることはおのずから明らかであろうoすなわち彼 は,今日の動態的市場に対する経営の関係を形成しなければならないのであ るD けだし「市場と消費者へのサービスのみが企業者にその確実な地位を与 える6)」からであるD
しかし企業者給付は経済的なもののみではない。今日においてはそれ以 上のものが企業者に要求されていることが注意されなければならない。な ぜならば,企業者はその企業者給付として社会政策的職分 (gesel1schaf ts‑ politische Aufgabe)をもひきうけなければならないからである口けだしメ
レロヴィッツによれば,企業者は今や福祉の保証人であり,それ故この職分 を果たす限りにおいてのみ市l易経済における自由な活動が彼らに汗されてい ると解されているからである。かくして企業者は単に経済的給付のみならず,
同時に社会政策的給付をもその職分として有するのであり,そしてそれらの こつの給付を介して社会における自己の地位を向上せしめ,更にまた社会的 市場経済の維持のために多くのことをなしうるのである。これらの二つの企 業者給付を果たすが故に,企業者はその財務的成果に対しての正当性を主張
しうるのであることが注なされなければならないのであるの。
さて今日の発展した企業においては,その管理はいわゆる管理者 (Mana‑
ger) 委託的企業者によって行なわれているのがほとんどである口乙の委 託的企業者はシュンベーター的意味での企業者=所有者的企業者ではない が,メレロヴィッツによれば彼らも純粋の企業者でありうるし,今日におけ る変化した関係のもとでは竹理者がほとんど企業者職能の遂行者なのであ る8)・
以上のように,メレロヴィッツは企業者の職能を介して市場経済と企業を 結びつけていることは明らかであるo企業は全体経済の器官として需要充足 と社会的保証というこつの職分を有するのであるが,企業者の二つの給付は まさにそれに対応するものに他ならない口経営の国民経済的職分の現実的・
具体的担い手として企業者==
{~~:理者が現われるのである。企業者は一方では
管理者として企業の維持・発展のために貢献すると同時に,他方では国民経 済的職分を果たすことにより市場経済の維持・発展の貢献者として位置づけ られるのであるD そしてメレロヴィッツによれば,企業者の市場経済に対す る義務と役割がさしあたり強調されている乙とが注;なされなければならない。すなわち,企業者は経済と社会に対するおのれの職分を誠実に認めおのれの
責任を ~g 識し,それらを実行することによって ilJ 要充足と社会的保障という
市場経済の機能力に貢献すると同時に,それらの両飢域における革新の遂行 によって市湯経済の発展に貢献するものとして1沼識されているのである。ま さにこの芯味においてメレロヴィッツにあっては,企業者はW:I;易経済の本質 的原動力であり,社会における指導的地位を確保すべきものなのであるo市 場経済と企業者との関連についていえば,以上のように企業者の市場経済に 対する維持機能が強調されている点にメレロヴィッツの主恨の大きな特徴が あるのである。さてメレロヴィッツの述べる企業者保は,いわゆる「経営者」 にその現実 的姿を見い出すことができるであろう。それではわれわれはいわゆる「経営 者」にメレロヴィッツの理怨的企業者像を見い出すことができるであろう か。いわゆる無責任的経営者や思徳商法的経営者が人の口の端にのぼると き,われわれは必ずしもメレロヴィッツに賛同しえないのである。しかし彼 によれば,企業者は大衆から誤解されているのが現実なのであるo企業者
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は,その機捻,その;意味,その行動前提において完全に誤解されているので ある。なぜならば大衆が問題にしているのは,なるほどそれは企業者である かもしれないが企業者としての機能を全く果たしていない限界現象であるか らなのである。しかしながらわれわれがこのような主張に一歩譲って企業者 の理想像を認め現実の経営者との隔離を無視したとしても,企業者の地位や その価値に容易に誤解を招く企業者の弱点が企業者のイメージに付着してい る乙ともまた事実であるといわねばならないのであるD メレロヴィッツはそ のような企業者行動の重要な弱点として,次のようなものをあげているo ま ず、それは社会的義務の軽視である。更に企業者行動の弱点は,彼が人間的・
社会的要采 (menschlich‑gesel1schaf
t 1 i
cher Faktor)を無視するという乙 とにある。更にその他の弱点としては,競争に対する企業者の冷淡さ,企業 者の利潤欲,企業者としての職業道徳の欠如,彼らの策略,国民への報知の 不足(秘密主義) ,そして企業者の連帯感の不足があげられているのである
9)。さて以上のように,企業者行動には,市場経済の存続にとって決定的と も言える椋々な弱点が付着しているのであるが,それではそれ故に市場経済 は否定され,新たな経済体制に取って代わられるべきものなのであろうか。
メレロヴィッツにとってはそれは断固として拒否されなければならぬ道なの であるD なぜならば彼によれば,市場経済は卓絶した給付能力をもっ経済体 制であり,この半世紀において理論と実践は市場経済の計画経済に対する優 位性の証明を絶えずもたらしてきたからなのであるD 市場経済は最高の経済 性でもって給付生産が行なわれ, しかも同時に高い社会的給付が達成される 経済体制なのである。メレロヴィッツにとってはもはや市場経済の優位性は 確信をこえた信念と化しているといっても過言ではなく,それ故にその信念 に哀づけられて市場経済の維持と発展のために貢献することは彼にとっては いわば天命ともいえるのである10)。
さてそれでは,メレロヴィッツはし、かにして市場経済の維持と発展とに貢 献しようとするのであろうか。彼によれば,市場経済をその否定者から批設 し発展せしめるものは,いかにその弱点が指摘され大衆から誤解され批難さ
れようとも,企業者をおいて外にありえないのであるo企業者こそが市場経 済の守護者をなすと解されるのであるo 従って,企業者活動を抑制する事実 や企業者活動に付着する弱点を明らかにしそれらの除去に努め,企業者の旺 盛で生き生きとした活動を鼓舞することに彼の課題が見い出されるのであ る。それと同時に,企業者には,市場経済の守護者としての自信と誇りをも ち,自らの使命を認識し行動することが要請されることになるD しかしメレ ロヴィッツの自には,企業者はその期待に答えて行動しているとは映ってい ないのである口企業者の敵対者は既に体制変草という目標を追求していると いうのに,企業者には彼らから市場経済を守ろうとする積極的姿整が見られ ないとメレロヴィッツは感じているのであるo 彼によれば,彼らに対する 企業者の沈黙や譲歩は決して市場経済を擁護するものではありえず,企業者 がいかに立派な洞察をもっていようとも市場経済を守らないものは社会的改 悪の共同責任者をなすのであるD このような強い口調の中に,われわれは 今日の市場経済に対する彼の強い危機志識を感得することができるであろ
っ
さて,企業者のこのような消極的で自己防衛的態度は,なるほど一般大衆 のイメージにある企業者像の誤解に対処するためであるかもしれない。更に また,企業者に対する権力集中や高所得の非難や煽動も,企業者への誤解を 刺激し攻撃に拍車をかけることであろうo し か し そ れ に も か か わ ら ず 市 場 経済は守られなければならないならば,そのための唯一の道は,企業者を鼓 鐸し,企業者職能の健全で圧盛な発露を促進する生き生きとした企業者活動 の外には求めえないであろうo メレロヴィッツは今日の市場経済がその存続 の危機にさらされていることを強く怠識しているのであるが,その大きな原 因のひとつを企業者職能が抑制される事実に求めているのであるoそれでは 一体,今日の市場経済におて何故に企業者職能が抑制されることになるので あろうか。そしてまた,市場経済はそれ以外にどのような危険要因にさらさ れているのであろうか。
注
1) Mellerowicz, K., Sozialorientierte U nternehmensfiihrung, SS. 15.........17. 2) Derselbe, a. a. 0., S5. 17.........27.74 経 営 と 経 済
3) Derselbe. a. a. 0.. SS. 27‑‑‑32. Vg
1 . .
derselbe. Unternehmenstolitik Band 1 : Grundlagen 3. Auf1age. Freiburgi .
Br. 1976. SS. 13‑‑‑32 4) Derselbe. Sozialorientierte U nternehmensfuhrung S. 54.5) 6) 7) 8) Derselbe. a. a. 0.. SS. 53‑‑‑‑57. S. 57. SS. 57‑‑‑59. SS.
59'""'61.
9) 10) 11) Derselbe. a. a. 0.. SS. 62'""'68. S. 5 u. S. 387. S. 67.
三、市場経済の危機とその要因
メレロヴィッツによれば,市場経済をその存続の危機にさらしている要因 は労働組合のいわゆる「階級闘争 (Klassenkamp
f )
Jであると解されている。なぜならば市場経済の優位性の象徴であり基盤である高い経済性 (Wirt‑ schaf tlichkeit)が,階級闘争によって不可能になる恐れがあると同時に,市 場経済の発展の買献者である企業者の活動が抑制されるからである。けだし 経済性を促進するものは経営における「協働 (Kooperation)Jなのである が,階級闘争は経営内に対立と緊張を持ち込むことによって協働を破境しそ の結果経済性を防害すると同時に,企業者的意思決定に労働組合を参加せし める乙とによって意思決定過程の長期化と複雑化をもたらし,企業者創意を 畏縮せしめてしまうと解されているからである。メレロヴィッツにおいて は,労働組合による企業者的意思決定への参加は企業経営に対する「外部影 響 (Fremdeinf1us)Jを意味し,それは企業者創意を萎えさせ企業者の管理 意欲や投資意欲を冷やすものとして捉えられているのである1)。それ故,企 業経営に対する労働組合による「外部影響」は,企業者創意を頼りとする市 場経済にとってまさに「危機」を意味する訳であるO しかも階級闘争は同時 に I協働」を破壊し経済性の低下をもたらすという志味においても「市場 経済の危機」をなすのであるo しかしメレロヴィッツは市場経済の危機の原 因を乙れのみに見い出しているのではない。その外
l
こも今日の市場経済の危 機要因が存在しているのであるo そして特に主要な要因をなすものは,経営 における人間的・社会的側面に関連するものなのであるD なぜならば今日に おける社会の構造変革(Strukturwandel)は経営における人間的・社会的要京を企業管理の中心問題になさしめ,そして乙れらの問題は非常に重要にな っているので,これらへの対応を誤まれば体制変草をもたらす危険があるか らである2)。まさにこのような志味においてこれらの問題もまた「市場経済 の危機」の要因をなすと解せられるであろう。
前述の如く,まず第ーに,
, t ‑!J,}経済を危険におとし入れる要因として労働 組合 (Gewerkschaften)があげられる。それは例えば賃上げ要求において,
何よりもまず階級闘争の担い手において,そして様々な社会的給付の要求 においてそうなのである。労働組合は給付に対応しない賃上げ要求において 市場経済の危機の要因をなすと解せられている。労働組合はほとんど自動的 に毎年の賃金引き上げ,社会的生産への持分の増大を完全に給付‑と無関連的 に要求している。そこには賃金と給付との関連性を見失なう危険性が存在す るD すなわち経済法則に従わない賃金要求には,賃金を臼己の給付に対する 反対給付と見ない危険が生ずるのである。それ故,労働のJ也大なしにもしく は労働時間の短縮による労働の
j
ぷ少が生じても,賃金のJ廿大は迎jEであると 忠われるであろう。次に,労働組合は労働者の保護機能をn寺と伴に次第に 背後に押しやり,それに代わって権力への努力が現われ,更には共同決定(Mitbestimmum;) ,投資 {l~r 理 (In
vestitionslenkung),経済統f l i l J
(Wirtsch‑ aftskontrolle)そして最終的には別の経済体制を目ざしていると解されて いるのであるO メレロヴィッツによればこのような努力は労働組合の本.質に も職分にも属するものではなしそれは労働組合の役員によって追求される 体制克服 (Systemuberwindung)の 戦 略 か ら 生 ず る 九 然 の 結 果 な の で ある。史l乙高い賃金要求や多くの原価を発生させる副次的諸給付の永久的要 求 は 経 営 の 負 担 に 耐 え か ね な い 損 失 を も た ら し , 最 後 に は 終 常 の 社 会 化 CSozia1isierung der Betriebe)をもたらすであろう。その結果経営的収益 力の減少が不可避的にもたらされ, しかもそれは労働者ゃれjI究者に大きな影 響を及ぼさずにはおかないのである。これらの進行は明らかに経営椛造的展 開であるが,この展開に対して企業者が何の対応もせずに従来通りの行動IC 終始するならば,企業者と社会的市場経済の迩命はそれまでにすぎないロメレロヴィッツはうな倒組合と市助経済の関連を以上のように巧‑えるのであ
76 る3) o
経 営 と 経 済
市場経済を危険に落とし入れる要因は,労働組合と並んで,市場経済その ものを直接的に打倒することを目ざす体制変革への努力 (Bestrebungen zur Systemveranderung)である。しかもそれは強力な力をなすのである。
「体制克服 (Systemuberwindung)Jは様々な左翼政党や集団の共通目標で あり,彼らの唯一のかすがいとして作用しているD しかも彼らが目標として 同時にかかげる人間的理想は行動的同調者を獲得せしめ, しかもそのことは 彼らの冷徹な考察の中に既に織り込み済みなのであるo体制打倒の達成のた めに彼らは何よりも効果のある心理学的手段を利用することをメレロヴイツ ツは述べている。そのひとつは,現実の経済体制の機能や給付能力を無視し た,誇張された社会政策的要求であるD しかもそのような過重な要求に対し て疑問を表明することは既にタブーであることが多いのである。それ故それ らの要求とその基礎となる経済的給付との関連性を表明するものは一一それ は特に企業者にあてはまるのであるが一一,中傷されることになるのであ る。そしてこの心理学的戦略は次のような二つの危険性を有しているD その ひとつは,無責任で世間知らずのヒーマニストを草命的戦略の潜在的助力者 になさしめることであり,もうひとつは,体制内における正当な要求である 利害の対立やその調停の問題が体制を危険にする対決問題として取り扱われ ることである。メレロヴィッツは,特に危険で市場経済を破壊し企業者を哀 弱せしめる改革や展開として次のものをあげているo 1.同権的共同決定 (Die paritatische Mitbestimmung), 2.企業の重い税負担 3.集団的 財産形成 (kollektiveVermogensb
i 1
dung), 4.集権的投資管理 5.限界 を無視した社会給付の要求, 6.通貨安定を無視した経済政策的要求, 7.イ デオロギー的観点からの経済管理や経済政策による企業者的基礎の破壊D以
上が体制克服への諸力に対するメレロヴイツツの説明の概要である4)さて市場経済の危機要因はこれら二つのもののみではないD メレロヴィツ ツは今日における社会的な構造変苧の結果,様々な社会的要請 (gesellscha‑
ft
1 i
che Anforderungen)が 現 わ れ て き て い る と と を 述 べ て い る の で あ る が,それらの要請の実現が経営に対して要求される時,経営のそれらへの対応いかんによっては企業の存立それ自体をおびやかしひいては市場経済その ものの危機を招くことになるのであるo それ故それらの社会的要請もまた市 場経済の危機の要因をなすと解せられるのである。その中でも特に重要なも のとして, r社会的公正(sozialeGerechtig keit) j, r新しい社会的構造(neue gesellschaftliche Struktur)j,そして「経営の民主化 (Demokratisierung im Betriebe) JがあげられるD
メレロヴィッツによれば「社会的公正」は「公益(Allgemeinwohl)jと並 んで今日の社会における指導原理となっていると解されるo それは社会にお ける全ての生活領域に大きな影響を及ぼしており,経営に対しては特にそう である。今日,経営における人間的要素を重要で困難な生産要素にしている のは,実は社会とその構造であるo今日,完全に新しい社会的秩序が努力さ れており,その目標は均等な社会構造(egalitareGesellschaftsstruktur)な のである。すなわち社会的公正の名のもとに全ての人間の序列(Rangstell‑ ung)は同一であるべきであり,それは各人に同ーのものを窓味し,それ故 生まれながらの不平等は不公正なのであり,相続された特権は廃止されなけ ればならない。要するにそこでは全てに対して同ーの発展機会が目ざされ,
実際の生活状態は同一でなければならないのである。しかし公正の概念は多 義的であり,現在では全ての人間は同一に取り扱われるべきであるという見 解が存在する。その場合自然によって与えられた不同ーの精神や生活条件は 考慮されていない。そこで更に一歩進めて,公正は不利な者をより良く取り 扱うことが要求されるo 自然の不同一,運や未来の不同ーは社会によって均 等化されなければならないことが要求されるのであるD しかしその場合公正 の要請たる平等は現実的にいかにして実現されうるのであろうか。ひとつの 解決策として機会平等の考え方があるo しかしその場合出発条件の同ーが配 応されなければならないので,財産分配にかかわる所有問題が現われる。し かもそれは平等と自由の調和に関する重要な問題をなすのであり,社会は乙 の問題を解決しなければならないのであるD 更に経営がこの問題に直面する 時,いかなる解決策を発見しうるのであろうか。経営はまさに階層的秩序 (Hierarchie)をなし,その意味で全ての従業員はまさに不平等的地位にあ
78 経 営 と 経 済
るのである。それ故平等的地位の実現は経済的給付生産を阻害し経営の存続 をおびやかすと解せられているのである5)。
さて次にメレロヴィッツは「新しい社会的構造」への要前に関して次のよ うに述べるo人間の生活基盤は労働である。人は不足 (Mangel)を感じそ の除去のために,そのための活動方法と秩序とを必要とする。分業 (Arb‑
eitsteilung)が水平的・垂直的方向における秩序を要求し,それは経済性 の理由からであるO そこから,労働過程における分肢化と全体的な調和の 必要性が生じた。その結果現われたのが,給付生産のための,階居的原則 (hierarchisc hes Prinzi p)に従う組織である。それは序列秩序 (Rangor‑
dnung)と責任とを前提とする原則である。社会も原則的にその構造におい て階層的原則に従ってきたが,今や社会は別の構造をとり始めている。すな わち従来の階問的社会 (hierarchischa uf gebaute Gesellschaf t)は,それ に対立する民主的で均等的な社会構造,民主的社会構造を求めているのであ るD しかし人はこの平等に基づく多元的な構造の社会においても分業的に行 動しなければならない。けだし社会的職分分割と技術的分業は社会にとって もはや不可欠であるからである。それ故社会構造は全体的相互依存的関係に あるわけであるo さて新しい民主的に構成される社会では,給付生産は階層 社会とは根本的に異なるo民主的・多元的社会では,唯一の中心からの集権 的管理はもはや行なわれえないのであるo そこでは行動する主体はすべて社 会の中心であるO このような新しい社会は今日数多くの領域において確認さ れるし,経営においては経営の集団化 (Kollektivierung)の 試 み に そ れ を 見つけることができるのであるD しかし乙のような社会の発展は,自由秩序 の放棄という,社会存立に大きな危険を及ぼす新しい問題を生ぜしめている
と解されているのである6)。
様々な社会的要請の中でも経営にとって極めて主要な危機要因として考え られているのが,経営における民主化である。メレロヴィッツによればそれ は今や大きな社会的要請であり,それは特に労働組合によって要求されるも のであり,同権的共同決定はその延長として捉えられているのであるo とこ ろで乙の場合 r民主化」とは何をな味し「経営の民主化」とはいかなるも
のなのであろうかロメレロヴィッツによれば,民主化とは政治的領域におけ る権力形成のための組織原則であり,政治的技術を意味するものなのであ るo それは人間集団の多くに対しては適切な原則ではあるが,人間集団の全 てに対しては必ずしもそうではない。けだし,民主的原則のあらゆる所での 適用は過剰民主主義 (Uberdemokratie)をもたらし,それは民主主義万能 主義 (Demokratismus)であり,民主主義の堕落をなすからである。経営 にとっては民主化はほとんど不適切である口なぜならば,メレロヴィッツに よれば,経営の民主化への要請は経営の給付生産への必要性と対立するもの であり,それ故民主化の実現のためには,経営は不経済性や生産性減少ある いは社会的生産物の減少といった高い犠牲を支払わねばならないからであ る。要するに,経営の民主化は「給付原則 (DasLeistungsprinzip) Jに対 立するものとして捉えられているのである。ここにおいてわれわれは経営の 民主化と経営的給付生産との関連性に対するメレロヴィッツの次の見解に注 志すべきであろうo けだしそれは民主化のみならず経営に対する他の諸要請 に対する彼の基本的態度をなすと解されるからである。すなわちメレロヴィ
ッツは給付原則を経営における最高原則として捉える。なぜならば経営は給 付 生 産 の た め の 用 意 (Veransta
1 t
ung)をなすからであるo しかし今日で はしばしば経済的給付がそれ故給付原則が危険にさらされているのであるが,その原因はイデオロギー的思考や誤まった民主主義の概念、にあるのであるo
前述の如く,給付生産は経営経済的職分の第一のものであり,他の職分の 先頭に立つものなのであるo他の職分は百JI次職分であり,主要職分を危険に しない限りにおいてのみ満たされうるべきものである。経済的給付は社会の 生活能力をはじめて可能にし,それがなければ国家も個人も欲求充足のため の収益や所得を得ることはできないのである。まさにこのような怠味におい て経済的給付は所得の前提条件のみならず,全ての社会的給付のそれでもあ る。国家の全ての給付,公共的行為は経営的給付に基づいているD 従って給 付原則は,国民経済と経営経済の代表的かっ不可欠の原則をなすのである。
それ故このような基本的立場からするならば,政治的技術としての民主化,
あるいは民主主義は経営においては否定されざるをえないのであるの。
80 経 営 と 経 済
さて,われわれはここで,以上の三つの社会的要請の聞には密接な相互依 存的関連性がある乙とを容易に指摘することができるであうoすなわち,
「社会的公正」は全ての人間の同一的序列,均等化,社会における平等的地 位を要求するのであるが,それはその結果として,従来の階層的秩序を社会 的公正の理念に反するものとして否定し,新たに公正の原理に相応する「新 しい社会構造J,すなわち階層的原則ではなくて民主的で均等的な社会構造 を要求することとなるのである。そしてそのような民主的社会構造の要求 の具体的なものとして「経営の民主化」を理解することができるわけであ るo この場合の民主化とは政治技術的意味で捉えられ,それ故それは経営に おける階層的秩序を否定し各人の経営における地位の平等化を意味するも のとして把握されている乙とが注意されなければならないであろうD メレロ ヴィッツにおいては「経営の民主化」とはまさに政治的領域における民主主 義をそのまま経営に移行したものとしてさしあたりは厳密に理解されている のである。そして「経営の民主化」の要請を頂点とする以上の社会的要請が,
経営のかつ国民経済の不可欠の原則をなす給付原則に鋭く抵触するものであ り,それ故にこそ市場経済を危険にする要因をなすものとして理解されうる のであるo
ところで市場経済を危機に招く要因として述べられているものはこれらの 要因につきるものではない。更にメレロヴィッツは「労働のエトス (Das Ethos der Arbeit) Jの低下,労働に対する労働者の態度 (Einstellungzur Arbeit)すなわち労働倫理あるいは導徳 (Arbeitsmoral)の堕落が市場経 済の発展にとって極めて危険であることを説くのであるo
今日の社会は分業的社会であり,近代的労働組織も分業の原理に基づいて いるのであるが,その分業の高度の発展が労働者の行動に本質的影響を及ぼ している諸条件を決定しているのである口要するに分業が労働倫理にマイナ スの作用を及ぼしていると解せられるのである。すなわち,高度に分業化さ れた今日の労働組織においては,労働にとって重要なものは労働者の人格 (Pers