メレログィッツの社会志向的企業管理論(下) 15
メレロヴィッツの社会志向的企業管理論(下)
−市場経済体制と企業管理−
菅家正瑞
一、序
二、市場経済と企業者 三、市場経済の危機とその要因
四、労働の人間化とそ,の方策(以上前号)
五、協働的企業管理と人間指導(以下本号)
六、メレロヴィッツの所論の特質 七、結
五、協働的企業管理と人間指導
メレロヴィッツによれば,経済と社会における変化した構造関連と将来 の技術的・経済的・社会的発展は,新しい管理様式(F也hrungsstil)を要請 するのであるが,この新しい管理様式は,企業管理に対する前述された様々 な諸要請を満たすものであらねばならないのである。ところで今日経営は二 つの重点をもっている。それは既に指摘されたように,経済性(収益性)と 人間性である。今日においては,もはや一方のみの主張は許されえない。け だし,経済性がなくては企業は存続しえず,人間性が犠牲にされては円満な 労働過程と経営の社会的機能の達成はないからである。協働者(Mitarbeiter)
との適正な関係がない企業管理は最高の収益性とその前提である経済性を 達成しえない。それ故に,今日の企業管理の課題は,経済性と人間性との間
に最適な交点を発見することにあるのである。このような「経済性と人間性 との統合(Synthese von Wirtschaftlichkeitund Humanitat)」を果たす のが,まさに経済性一社会志向的企業管理に外ならず,それは新しく要請さ れる管理様式をなすのである1)。
ところでメレロヴィッツによれば,この新しい管理様式の基礎には特別の
「管理哲学 (Fuhrungsphilosophie)jが横たわっており,それは構造変革に 対応する管理の哲学をなすものなのであるoその管理の哲学の内容をなすも のは,企業者と労働者との利害の均衡 (Ausgleichder Unternehmer‑und der Arbeitnehmerinteressen)であり,それは,別の経済秩序と憲法とをもた
らす意図で労働界にもち乙まれる階級闘争に対立する「パートナーシャフ トの理念(Ideeder Partnerschaft)jによって支えられているものなのであ る。乙の哲学は,労働者の対立を和らげ,労働者をその職場に結び、つけ,彼 らの外部影響追求を防ぐ哲学であり,メレロヴィッツによればいっそう発展 せしめられなければならない哲学なのである。ところで彼によればこのよ うなノマートナーシャフト哲学を生み出した基礎は,次のような二つの義務に 対する企業者の意識なのであるD そのひとつは,社会的生産物への最適な貢 献をなすという義務意識であり,もうひとつは,社会的安全性,満足的労働,
人間適合的労働形成に配慮するという,従業員に対する義務意識である2)。 この二つの企業者の義務意識は,先に掲げられた企業者の二つの職分,すな わち需要充足という経済的職分と労働者の社会的保障という社会政策的職分 に対応するものであることには説明を要しないであろう。そしてまた,前者 の義務の実現にとっては経済性の高揚が,後者のためには人間性の回復が不 可欠の基本的課題であることは言うを待たないであろうo今日の新しい管理 様式は,このように,一方では構造変革に伴なう企業への社会的要請に対応 するものであると同時に,他方では企業者自身の職分ないしは義務意識に基 礎づけられた企業者自体の内面的要請に基づくものなのであるo
さてそれでは,以上のようなノマートナーシャフトを理念とする「社会志向 的企業管理」はいかにして経済性と人間性とを高揚し,両者の最適な交点を 見つけ出しうるのであろうか。メレロヴィッツによれば,経済性の分野にお いては「分業」が進歩とより高い生産性の基礎をなすものであり,他方人間 性の分野においては「意思決定の分割 (Entscheidungsteilung)jが人間性 高揚の基礎をなすのである。意思決定の分割とは職分と責任の関係者全てへ の委譲であり,それは協働者の自己啓発を可能にし,加えて人間適合的労働
メレロヴィッツの社会志向的企業管理論(下) 17
形成を可能にするのであるoそれ故,経済性と人間性との最適な交点は分業 と意思決定の分割との調和点に求められると解されるが,乙れに関して具体 的には述べられていないのであるo新しい管理様式の中心的な基本的思考は
「対立」に代わる「協働 (Kooperation)jにあり,乙の「協働」いかんが 管理様式を決定するのである3) o それ故,この新しい管理様式は「協働的経 営管理 (kooperative'Betriebsfuhrung)jとも称せられる針。乙の協働思考 において特に重要なのは,資本と労働の協働であろう。けだし協働的企業管 理の理念をなすパートナーシャフトは,労働と資本の利害の均衡化,両者の 利害の保障を目ざすものであるからであるD
さてそれでは,乙の協働志向的な新しい管理様式の特質は何に求められ うるであろうか。従来の管理様式は長い間「権威的管理様式 (autoritarer Fuhrungsstil) jであり,それは企業者の命令とそれに対する従業員の服従
とからなる命令一服従システムであり,その管理は「権威原則(Autoritats‑ prinzip)jないし「命令原則 (Anweisungsprlnzip)jに基づくものであっ た5)。技術的発展がまだ進んでいない段階では,企業者はある程度まで企業 全体を見渡し,技術的にも管理する乙とができ,全領域に命令を下すことが できたのである。しかし技術的発展とともに技術が複雑化し企業規股が拡大 するにしたがって,この命令一服従システムはもはや有効に機能しなくなっ た。それ故,管理のために専門家が不可欠になった時から,企業者の独裁は 終わったのであるo更にまた,管理様式の草新を促した要因として,市場の 拡大,あるいはまた EDPや数学的意思決定手段のような新しい管理補助 手段の開発があげられるであろう口しかしそれのみではない。むしろ何より も決定的な要因は,経営に対する新しい社会的要訪,労働者の地位の変化,
彼らの向上した自己意識,労働組合の影響や権力であり,それらが企業官・理 に新しい要請を行ない,新しい管理様式を,すなわち資本力による {ì~r理では ない,知識と能力,精神的優越や慎重な心理学的に裏づけられた人間指導 (Menschenfuhrung)による管理を強制するのである6)口けだしこのよう な企業環境の中では,もはや命令原則に基づく権威的・強制的労働は有効な ものではありえないのである。われわれはまず今日における労働の特質に注
目しなければならない。今日,労働者がその物的力や能力以上のものを労働 に投入しうるためには,彼らの新しい「欲求構造 (Bedurfnisstruktur)jを 満足せしめうる符理様式であらねばならない。企業者によって満足せしめら れるべき新しい別の欲求とは,協働者の啓発可能性 (Entfa1tungsmりglich‑ keiten)であるD 彼らはもはや命令による部分労働をなすのではなく,経営 の共同責任者であろうとし,可能な限り独立的に意思決定を行なおうとし,
部門や職場でその専門知識と能力をもって創造的に活動しようとするので あるの。このような協働者の「欲求構造」を満足せしめるために,新しい管 理様式は何よりもまず権威原則を捨て,管理は,労働の協働的組織構造に基 づく「協働者原則 (Mitarbeiterprinzip)jによって行なわれねばならない。
新しい管理様式の特質は何よりもまずこの「協働者原則」に基づく管理に求 められるであろう口そしてこの原則の根底には,パートナーシャフトの理念 が横たわっていることにはもはや説明を要しないであろうD その結果乙の企 業管理の職分として,人間性を発展せしめる独立的創造的な活動の可能性を つくること,それ故協働者の労働の喜びと満足とを生ぜしめることが現われ るのである。
さてメレロヴィッツによれば,協働的企業管理の中心問題は何よりも次 のことにつきるものなのである。それは, 自立的でない命令拘束的労働者 を,思考する自己形成的協働者に高め,人間適合的労働形成のために最大の 労働の人間化に配慮し,更に経営の「民主化」を遂行することである。 rこ れは,新しい管理様式のほとんど唯一の最も重要な重点である針。 jJここで われわれが注意せざるをえないのは,経営の民主化が新しい管理様式の最も 重要な主点をなすというメレロヴィッツの主張である。なぜならば経営の 民主化という社会的要請は,経営の給付原則に対立し経営を従ってまた市場 経済を破壊するものであるとして否定せられたからであるo何故l乙ここにお いて経営の民主化の必要性と重要性とが強調されているのであろうか。経営 の民主化に関するメレロヴィッツの主張の矛盾の原因は,経営の民主化の概 念の相違に求められる。彼によって否定せられた民主化とは,政治的原則 としての民主化であり,給付原則と密接に結合しその基礎をなす経営の階
メレロヴィッツの社会志向的企業管理論(下) 19 層組織に真向から対立しそれを拒否する民主化であった。ところが乙こで 述べられている民主化とは,経営における人間の地位に関して彼らの品位 (Wurde)を保証することを意味しているのであるo メレロヴィッツは経営 の民主化について語る時,経営の機能すなわち経営を階層的に組織化するこ とと,経営における人聞の地位すなわち彼らの品位の保証とを明確に区別す べきことを主張する。そして経営の民主化は後者においてはじめて可能であ ると述べるのである。そしてこの意味において民主化を捉える場合,それは 人間化とほとんど同義になることが注意されなければならないであろう。彼 は経営の民主化広ついて次のように述べるD 経営における人間性は(政治的 意味での)経営の民主化なしでも達成されうる。経済的給付は無条件に何の制 約もなしに主張されうるのではなく,それには人間性的限界が存在するので ある。それは人間性に支えられた給付でなければならず,それ故,給付原則 と人間性とは対立するものではない。経営的給付生産において民主的原則を 考える場合,経営における機能と人間的品位 (mensch1icheWurdigung) とは厳格に区別されなければならない。機能の遂行の場合には,民主的秩序 すなわち全ての給付者の平等は問題外であり決して認められるものではな い。給付原則は,上位者と下位者,管理者と執行者,責任担当者と協働者 を,すなわち階層的秩序を必要とするのである。それは対話と協調という人 間性には対立しないが,民主化には反対するO 民主化は,機能的椛威が不可 欠な最高経済的な組織を可能にしないからである。しかし経営における協働 者の地位 (Stellung)すなわちその人間的品位の実現においては,民主的原 則は全面的にもたらされるのである。ここにおいて協働者は,全ての承認 (Anerkennung)と保護 (Fursorge)が 与 え ら れ , 同 権 者 (Gleichbere‑ chtigter)として人間的に取扱われるのである。 しかもこの怠味での民主化 は協働者の給付と経営に対する積極的態度を促進するO そしてそれ故にこそ 経営管理は,経営のためにそして経済的必要性のために従業員を確保するこ と (Gewinnungder Belegschaft)ができるのであるo ここに従業員の経営 志向化を目ざす企業管理の怠義が存在するo けだし従業員が経営志向的であ るならば,同権的共同決定における労働組合の優勢を排除しうると解される
からである。企業管理はこのような方法で労働組合の外部決定を回避しうる のである到。
以上のような経営の民主化に関するメレロヴィッツの主張の中に,われわ れは,民主化とは人間化の意味に外ならないととを確認しうるであろう。民 主化とは人間の品位の保証という人間化の為のひとつの方策として理解しう
るのであるD それ故このような理解に立つならば,新しい社会志向的管理様 式の唯一の最も基本的問題は,労働者の自己形成的協働者化,人間適合的労 働形成,そして人間的品位の実現と保証という内容をその中にもつより大き な意味での「労働の人間化」であるといえるであろラ。しかもそれは経済性 と調和せしめられた人間化であることを忘れてはならないであろう。さてそ れでは次に,このような人間化は具体的にはいかにして実現されうるのであ
ろうか。
既に明らかなように,乙の新しい管理様式の基礎は協働にあるO そして,
この協働思考を支えているのがノマートナーシャフトという管理哲学なのであ るD さてそれではこの協働がいかにして実現されるのかといえば,それは先 に少し触れたように,意思決定の分割,すなわち機能と責任の委譲にその具 体的方策が求められる I協働的経営管理の最も重要な基準は,機能と責任 の委譲であり,あらゆる管理形態において責任が委譲されようとも,委譲は 協働的管理にとって本質決定的であり,ここにおいて最も包括的に応用され るのである10)0 J今日における労働の特質を考慮するなら・ば,労働者が自 分の物的力や能力以上のものを投入しうるためには,共に考え,自己の意思 決定に基づいて,共に作用し,責任を引き受ける用意が重要であるO それ故 今日の企業は,その全領域にわたって,独立的に考えて行動し,一般的方針 の中で意思決定を自分で行なうことができる労働力を必要としているのであ る。機能と責任の委譲は,このような今日の労働の特質とそれから生ずる企 業の必要性に対応するものなのであるD けだし機能と責任の委譲の意味する ところは,委譲された者の主導性に機会を創造し,共に考え共に行動し共に 決定することを彼に任せ,共同責任を委託することであるからであるO 委譲 は集団に対しても行なわれる。その場合,集団の成員は委譲された職分に対
メレロヴィッツの社会志向的企業管理論(下〉 21 して自分の全能力を投入するように刺激され,同時に,独立的に行動し自己 を実現する可能性をえるo このように機能と責任の委譲によって,全体成 果への個人と集団の最高の貢献という目標をもっ企業がつくられるのであ
るに
以上の如く,協働的管理の目標は,協働者の有する全ての知的一給付用意 (Intelligenz‑und Leistungsreserven)を活動せしめると同時に,協働者 の人間性を実現し育成することである。そのための方法として,協働的管理 は,機能と責任の委譲や事業部化 (Divisionalisierung)あるいはチーム作 業 (Teamarbeit)の方式12)によって給付領域をつくり,その中で意思決定 や目標設定に協働者を参加せしめることによって彼らの職分と企業全体への 関心を生ぜしめ,目ざめさせるのであるD それ故,協働的管理は,協働者が 活動する際に,自分の能力,経験,意思を完全に投入しようとする信頼を呼 びおこすのである。しかしながら注意されなければならない乙とは,協働者 に対するこのような作用は,彼が単なる労働者ではなく,協力者として,す なわち自主的に働き責任をとるパートナーとして受け入れられる時にのみ達 成されるということである。その時には,機能と責任の委譲は,協働者を経 営と一体化せしめ,その全能力,その潜在力,その創造性を投入せしめるよ
うに作用するのである13)。
さてメレロヴィッツによれば,新しい管理様式の重点をなすのは決して協 働やその具体的方法としての機能と責任の委譲や分権化と事業部化あるいは チーム作業のみではない。新しい管理様式とi極めて密接に結びつくものとし て I人間指導 (Menschenfuhrung)Jがあげられなければならない。経営 は技術的・経済的・社会的統一体として理解されるのであるが,従来の経営 経済的認識は技術的・経済的領域を重視し,人間的・社会的側面については ほとんど述べていないのである。現実においても管理者や技術者は現場にお ける人間的・社会的現実をほとんど知らないのが実情なのであるo すなわち 彼らは自分の専門的知識や能力はもってはいるが,人間指導の領域では十分 に育成されていないのである。しかし企業?守理において人間指導は極めて重 要である。けだし,設定された目標を最高に実現するためには調整された行動
が前提なのであるが,この行動の調整に働きかけるのが人間指導であるから である。このような意味において企業管理は目標設定と人間指導であるとい われるほどに,人間指導は主要なのであるo経営における管理者の基本的職 分は,管理方策における信頼 (dasVertrauen)を基礎づけそれを維持する
ことである。従って,人間指噂における基本的問題は,管理者 (Leiteロden) と被管理者 (Geleiteten)と の 聞 の 関 連 の 最 良 形 成 (Bestgesta1tungder Beziehung)に存在するのである。そして,その場合に必要なのは次のよう な管理あるいは管理者における基本的態度ないし姿整である。すなわちそ れは,上位者と下位者の区別を「階級 (Klasse)Jとして捉え,下位者は上 位者よりも価値を有せず第二次的なものであると見なす態度は否定されなけ ればならないということであるO なぜならば上位者・下位者の区別は単なる 機能分割にすぎず,各自の担当機能に重要性の多少は存在しえないからであ る1針。 I一個所の欠陥は全体を停止せしめる15)Jのである。 I全階層の上 位者はその『高い価値』という自負をすてよ。上位者が下位者に完全な人間 的承認を与え,彼に完全な人間的平等を認める時にはじめて,問題が解決し はじまるのである16)0 J
さて人間は様々な要求をもって労働界にはいりこむ。そして今日人聞はそ の作業において様々な作用のもとにおかれているo人間指導は,人聞の正当 な要求を考慮して,人間労働に決定的作用を及ぼす問題を解決しなければな らない。けだし,労働関係の基礎をなすものは決して報酬のみではなく,経 営における人間のもつ多様な要求が十分に配慮されなければならないからで ある。それ故メレロず、イツツは人間労働の重要な作用要因とそれらに関する 人間の欲求構造に対する基礎的考察を行なって,人間指導が解決すべき問題 を次のような五つの要素に分けて述べている。第一のものは作業環境に関す るものであり,快適な作業環境のための体系的努力がなされなければならな い。第二のものは職分であり,職分は執行者の観念と可能性に適合するもの でなければならない。第三は同僚との関連に関するものであり,人間的特性 に対する配慮がなされ,不和の解消や作業領域の変更が行なわれなければな らない。第四は集団との関述に関するもので,集団構造への有意義な影響が
メレ口、ヴィッツの社会志向的企業管理論(下) 23 重要であり,従って自分の作業集団に対する個人の満足度が検討されなけれ ばならない。第五は管理関連 (Fuhrungsbeziehungen)に関するもので,
広い情報と処理自由(委譲)によって各協働者の意思決定範囲が拡大されな ければならない17) 白人間指導が解決すべき問題は以上の五つの要素の作用 から生ずるのであるが,最後の管理関連は人間指導において特に重要であ る。なぜならば,人間指導は前述の如く管理者と被管理者との聞の関連を最 良に形成し,もって管理方策における信頼を基礎づけ維持することにあるの であり,そのためには管理者と被管理者との聞に成立する管理関連の分析と 作用が重視されなければならないと解されるからであるO メレロヴィッツは 管理関連をコミュニケーシヨン,集団関連及び個人関連の三つの要素に分析 し考察している。その内容について検討する余裕はないが,経営における調 和的作業関係,すなわち協働の促進と維持のために,上位者と下位者との聞 の広い信頼関係を促進するための基礎的考察を行なっていると解される18)。 続いて彼は以上のような基礎的考察に基づいて,人間指導の実践について述 べているのであるがこれは省略せざるをえない。 19)
さて人間指導は原則に基づいて実行される。この人間指導の原則は次の三 つの基本的要素に結びつけられるのである。これらの基本的要系のひとつで も無視されるならば,人間指導の要請は満たされないのであるO それ故人間 指導では原則は完全に厳守されなければならないのである。それらの原則と は,第ーに, (経営,部門,集団の)共通的目標達成に対する協働者の関心 (Interesse),第二に,共同体における(経営,部門,集団における)対立な き労働,第三l乙,負担と賃金の適正な分配に対する信頼,である。これらの 全体原則が人間指導に関する全ての怠思決定の基礎におかれなければならな いのである20)口
以上を要するに,人間指導の課題は管理者と被告理者との問に信頼関係を 築きあげ,それを促進することにあると解せられるO それ故,人間指導は協 働的企業管理の不可欠の要素をなすと解せられるO なぜならば,経営におけ る七位者と下位者との間の信頼関係は ,Lミき作業気)瓜と共同作業のnijjJ{であ り,更にそれらを促進するものであるからである。しかも同Il与に人間折導は
協働的企業管理と結び、つくことによってはじめてその課題をより良く遂行し うるのである。なぜならば,経営における相互信頼の確保の前提は上位者と 下位者との閣の人間的平等化の承認であり,人間的平等化に努力し人聞の品 位の保証に努めるのが協働的企業管理であるからである。要するに協働的企 業管理と人間指導とは一体となって実施されることによってはじめて各々の 課題をより良く達成し,もって労働の喜びゃ経営との一体感を高め促進する
ものと解されるのである。
注1) Mellerowicz, K., Sozialorientierte Unternehmensfhhrung, S. 267, vgl. >
derselbe,【Jnterneh menspolitik, S. 33.
2) Derselbe, Sozialorientierte Unternehmensfuhrung, S. 267, vgl., derselbe, U nternehmenspoliti・k,S. 44.
3) 4) 5) 6) 7) Derselbe, Sozialorientierte Unternehmensfuhrung, SS. 268‑‑‑ 269, S. 277, S. 269, SS.275~276 , S. 270.
8) 9) 10) 11) 12) 13) Derselbe, a. a. 0., S. 270, S. 42, S. 277, SS.
276~277 , S. 292 ff., S. 313.
14) 15) 16) Derselbe, a. a. 0., SS. 314~316 , S. 316. S. 316.なおメレ ロヴィッツは別の個所で人間指導の重要性について,次のように述べている。
Die Betriebswirtschaft beruht auf drei Produktionsfaktoren: Arbeit, Kapital und Organisation. Abe runter den heutigen gesellschaft1ichen und betrieb1ichen Verhaltnissen wandelt sich der Produktionsfaktor Arbeit, der menschlich‑gesellschaft1iche Faktor gewinnt an Bedeutung und gibt dem Faktor Arbeit ein erhりhtesGewicht. Menschenfuhrung wird angesichts des betriebssoziologischen Strukturwandels ein Kern‑
problem der Unternehmensfuhrung; sie ist heute ebenso wichtig wie Absatz und Produktion.
Gab es bisher, wie Goetz Briefs sagt, zwei Mりglichkeiten,den Betrieb zu ruinieren: nicht zu wissen, wie man zu produzieren und nicht zu wissen, wie man zu vertreiben hat, so kommt heute eine dritte Mりglichkeithinzu: nicht zu wissen, wie man mit Menschen umzugehen hat. (SS. 99~100)
メレロヴィッツの社会志向的企業管理論(下) 25 17) 18) 19) 20) Derselbe, a. a 0., SS. 317~323 , vgl., S. 323 ff., vgl.,
S. 335 ff., S. 379 u. vgl., Unternemenspolitik, S. 84 ff.
六 、 メ レ ロ ヴ ィ ッ ツ の 所 論 の 特 質
以上の如く,メレロヴィッツの企業管理論においては,企業管理が単に企 業内部の問題として取り上げられているのではなくて,企業を越えた経済秩 序との密接な関連性において論議されているのであり,その背後には市場経 済に対する彼の強い危機感が横たわっているのである。市場経済と企業管理 との関連性の重視は,メレロヴィッツの所論の全体を貫く基本的特質をなし ているのである口メレロヴィッツによれば,市場経済の発展の原動力は企業 者であり,それ故企業者は市場経済の守護者としてその危機に立ち向かうべ き義務と責任を与えられているのであるD 企業者は市場経済の危機に対して 無関心であってもそれを宿命的に甘受しでもならないのである。企業者乙そ が体制的危機に対する強力な阻止力であるのである。しかし彼は決して素手 でこの危機に立ち向かうのではない。危機に対抗しうる強力な武器が与えら れなければならず,その武器となりうるのが,社会志向的企業管理に外なら ないのであるD
「市場経済の現在の弱点にもかかわらず,それに課せられているあらゆる 負担や制限にもかかわらず,社会の変草から確かに生ずるあらゆる困難に もかかわらず,企業者が対応して行動し,経営管理の最新の方法を使用 し,企業者制のために戦う志志があるならば,明白な長所をもっ市場経済 はあくまで存続の見込がある。」
その際企業者の実行すべきことは次の三点である。
1. 経営を純粋の労働共同社会にっくりあげるために,経営社会学的に志 向する新時代の管理,新しい管理様式を発展させること。
2. 不断の研究や活動。
3. 市場経済の長所を示し,公衆活動に参加すること1)。
「社会的市場経済を防御するための企業者の最も重要な武器は『社会志向 的企業管理』である2)0 J
以上のようなメレロヴィッツの表現の中に,われわれは市場経済,企業者 および企業管理という三者の関連性に関する彼の捉え方を理解しうるであろ うo しかも最後の表現は彼の所論の性格を最も雄弁に語っていると思われ る。市場経済の維持という極めて重大な戦略的意義が企業管理に与えられて いるのであるoそこにわれわれは,従来の企業(経営)管理論に見られない 特質を見い出すことができる。
さて
r
市場経済の危機」の要因としては様々のものが掲げられるのであ るが,メレロヴィッツが最も根本的な危機要因として考えているのは,労働組 合とその「階級闘争」であるD 階級闘争は経営内に対立を持ち込むことによ って協働を破壊し経済性の犠牲をもたらし,その結果市場経済の高い経済的 .社会的給付が危険にさらされるからである。それ故,経営内の対立を和らげ ないしは排除し協働を確保することが何よりも企業管理の課題をなすことに なる。しかし市場経済の危機は協働の破壊のみではない。更にそれは企業者 職能の抑制に求められる。労働組合の「階級闘争」は,同権的共同決定をは じめ様々な改革を実現することによって企業者的意思決定に外部影響をもた らし,その結果企業者職能が抑制されると解されているのであるD 従って労 働組合の企業者的意思決定過程への外部影響を何らかの方策によって実質的 に排除ないし緩和することが企業管理に求められることになるO もちろん市 場経済の危機要因はこれのみではない。経営の民主化を頂点とする種々の社 会的要請や体制転服をねらう様々な力あるいは企業の負担を重くする諸要求 が存在している。しかしメレロヴィッツにおいては,経営内対立と外部影響 をもたらす労働組合とその階級闘争こそが根本的な市場経済の危機要因とし て理解されているのであるoしからば企業者は企業管理を武器としていかにして市場経済の危機に対抗 しうるのであろうか。彼の手中にある社会志向的企業管理は何故に経営内的 対立を排除ないしは和らげ同時に外部影響を回避しうるのであろうか。社会 志向的企業管理はその基礎にパートナーシャフトという理念ないしは管理哲 学を有するものであるD すなわち経営を労働と資本の両パートナーから成る 共同体 (Gemeinschaft)として把握し,このような観点から現実の経営や
メレロヴィッツの社会志向的企業管理論(下) 27 その管理をながめ,最終的には経営共同体を実現しようとする意図がメレロ ヴィッツの所論の中に見い出されるのである。従って,資本と労働の共同体 として経営が実現されるならば,階級闘争による両者の対立は排除されうる ことになる。乙の点に関してメレロヴィッツは次のように述べて,経営にお けるパートナーシャフトを主張するのであるD
「労働組合の一面的集団思考は社会の繁栄にとって必要な共同体思考に対 立し,その階級闘争的行動は共同社会的平和を乱す。彼らが統一体として の経営を簡単に認めようとしないことは,その行為が示している。不可避 的な敵対者という資本と労働の運命的なマノレキストの対置は一一しかし両 者は相互依存的関係にあり協力しあってのみ有効なのだがーーまったく誤 りであり無意味であり,両者はーそうのボートに乗っており,それは彼ら を安全に運ぶことができるが折り合いに失敗すれば転覆するにちがいない のである。その時は,資本が失なわれるだけでなく,資本によってつくら れた職場もが維持されえないのである。
資本と労働のかくの如き相互依存的関係において,両者の利害を全く完 全に保障しうるものはパートナーシャフト以外に何があるのか?3) J 経営共同体の実現は更に労働組合の外部影響をも排除ないし緩和しうるも のとして理解される。けだし共同体の成員として労働者は経営との利害の深 い結び、つきを得るのであるが,労働者の経営との結び、つきが労働者を経営志 向化せしめ,その労働者の経営志向化が共同決定における労働組合の外部影 響を実質的に排除ないし緩和しうると解されるからであるO その際にパート ナーシャフトと並んで,従業員の経営志向化や従業員の確保のために経営の 民主化が必要とされることが注意されなければならない。しかも経営の民主 化とは,メレロヴィッツにおいては経営所属者の人間的品位の実現,彼らの 人間的な平等的取扱いという,経営所属者の人間性の実現を意味するものな のである。乙の場合経営の民主化は労資共同体を実現し更にそれを促進する ための必要条件と解されうるであろう。なぜならば従業員が経営において人 間性を無視され疎外されている限り,経営との一体感や共同体意識は決して 望み得ないからであるO 更に同様の意味において,経営共同体の実現のため
には,従業員が経営労働に対して満足と喜びを見い出すとともに,その労働 が経営との一体感を促進し良き経営気風を生み出すものであらねばならない であろうoけだし経営と従業員を結びつけるものは経営労働であり,それを 媒介として両者の関係がはじめて形成されるのであり,彼らの経営生活の中 心をなす労働は彼らの経営に対する態度を決定的に左右するからである。そ れ故,経営の民主化と並んで,労働の人間化は社会志向的企業管理の本質的 構成要素をなすことになるのである。このようにメレロヴィッツは経営を資 本と労働というパートナーから成る共同体として把握し,それを実現するた めの手段として企業管理を位置づけるのである。そしてそのような企業管理 の重要な構成要素として,経営の民主化,労働の人間化(人間適合的労働形 成)そして人間指導が現われるのである。このような経営観や企業管理観の 中に,われわれはメレロヴィッツの所論の大きな特質を見るのであるD
以上の如くメレロヴィッツは「市場経済の危機」を労働組合とその階級闘 争に見い出し,その対策を社会志向的(同時に経済性志向的)企業管理によ るパートナーシャフトの実現に求めるのである口それ故彼の所論は労働組合 運動や階級闘争を否定する労働組合否定論的色彩を強く有することになるD
その否定論の根拠は,一つには協働の破壊と他方では労働組合による外部影 響に求められるのであるD しかし既に指摘した如く,同権的共同決定におい て労働組合が企業者的意思決定過程に影響を及ぼしうるとは必ずしも言えな いのである。むしろそれは逆に体制安定化機能を果たしているとマルクス主 義研究所によって明言されていることが注意されなければならない心。これ に対して,労働組合ないし階級闘争は経営内協働に対立と緊張をもち込むこ とによって協働を破壊するかも知れない。しかし経営内協働を破壊するもの は決してこれのみではないD むしろ協働破壊のより根本的原因は経営的労働 それ自体の内に存在していることが強調されなければならないであろうO す なわち近代的経営労働の有する特質がもたらす労働疎外や経営疎外が経営内 協働を破壊する作用をもつのである。その結果,労働者はもはや労働に対する 満足や喜びは見い出せず,ましてや経営との一体感や良き経営気凪は望むべ くもないのである。そのことが経営内に大きな対立と緊張を外部より招きや
メレロヴィッツの社会志向的企業管理論(下) 29 すい体質を形成していると言えるであろうo それ故協働を確保するためには 何よりもまず経営的労働に内在する協働破壊要因に対処することが先決であ り,それが経営外部からの破壊要因に対する抵抗力を強化することになるで あろうD 努力されなければならないのは労働組合を否定するととではなく て,経営労働における人間性を確保することである。労働の人間化,人間適 合的労働形成,人間指導や更には経営の民主化の目ざす所はここに存在する
と言えるであろうo
もちろんメレロヴィッツも近代的経営労働が労働者の人間性疎外をもたら し,労働の人間化が必要なことを説くのであるが,その必要性と重要性の根 拠は経営内労働の特質に求めるよりも社会的構造変革といういわば経営外的 要因に求めているのであるD いずれにしても企業管理の今日における大きな 課題のひとつは労働の人間化であるo ところでわれわれは労働の人間化の方 法に関して根本的に二つのものを区別することができるであろう。すなわち 労働の人間化の努力が労働過程そのものの中で,労働と直接結び、ついて行な われるのか,あるいはそれが労働過程から離れて,労働から切り離された所 で行なわれるのかという区別である5) 。後者は労働の人間化が「労働」過程の 外で行なわれるから厳密な意味では「労働」の人間化とは言えないかもしれな い。しかし労働において疎外された人間性が回復される限り,それは労働の 人間化に外ならないし, しかも労働過程から離れるが故に疎外された人間性 は容易に回復されうるのである。メレロヴィッツにおいては,前者の方法に属 するものとして人間適合的労働形成,権限と責任の委譲や人間指導が,後者 に属するものとして経営の民主化があげられるであろうD なぜならば,前者 に属するものは給付原則に基っーいて階層秩序の中で経営機能の分担者として の人間に対する方策をなすのであるが,後者は人間的品位の実現という階層 秩序から一応離れた人間的地位に対する方策と解されるからであるo このよ うにメレロヴィッツにおいては,経営の民主化とは従業員を一個の人間とし て平等に取扱うことを意味しており,共同決定をはじめとするいわゆる従業 員の経営参加は意味されていないのが大きな特質をなすのである。経営の民 主化とは労働の人間化を意味しているのである。
しからば次に,人間としての平等的取扱いはいかなる形で行なわれ保障さ れうるのかが問題になるであろう。経営階層制は人間的差別化の温床をなし 経営社会構造の複雑性は差別化を促進する6)と考えられるから,その対策が 構じられなければ経営における人間的差別化は固定化し深化するであろう。
人間指導がメレロヴィッツにおいて重視されている理由もここにあると解さ れるO 人間指導は経営における人間関連の中に信頼を築きあげるものである が,信頼性を確保するためには人間的平等化への十分な配慮を要することは 言うを待たないであろう。しかしわれわれが注意しなければならないこと は,人間指導は経営階層制それ自体の中で行なわれるものであり,それ故人 間的平等化は階層制の制約の中にあるということであるO ここに人間指導の 限界が存在するD それではメレロヴィッツにおいては,階層制から離れた人 間化の方策はどこに見い出されるであろうか。従業員に対する種々の社会的 給付の必要性の主張の中にその方策を理解することが可能であろうO しかし 彼は経営の民主化に関しては具体的展開を行なっていないのである。その理 由は経済的給付生産を最重視する彼の基本的態度にあると考えられるO しか し人間性は経済性と同様に重視されなければならない。経済性のために階居 制と機能が重視されるならば,それに対応して人間性も重視されなければな らないであろうO 経営の民主化に関する彼の主張は,更に具体的に展開され なければならないのである。
以上のように,労働の人間化はメレロヴィッツの展開する社会志向的企業 管理の中核を形成するものであるO 労働の人間化の要請は単に社会的構造変 革に対応するのみならず,経営労働自体がそれを必要とするものと解されな ければならない。しかもメレロヴィッツにおいては労働の人間化はパートナ ーシャフトと結びついて,企業を越えた市場経済の維持という体制維持の大 きな問題に密接に結合されていることが何よりも注意されなければならない であろうD
注 1)2) 3) Mellerowicz. K.. Sozialorientierte U nternehmensfuhrung. SS. 98~
99. S. 389. SS. 388~389.
4) 村田和彦. r労資共同決定の経営学j, 二千倉書房,昭和53年 , 第 五 立 階級悶
メレロヴィッツの社会志向的企業管理論(下) 31 争と労資共同決定, 203頁以下参照。
5) 藻利重隆, r労務管理の経営学(第二増補版)j,千倉書房,昭和51年, 85頁以 下参照。
6) Vg1., derselbe, a. a. 0., s. 211.
七、結
以上を要するに,メレロヴィッツの「社会志向的企業管理論」は,労資の 対立主義に代えて労資の協働という協調主義に基づく企業管理を提唱するこ とによって企業の存立と発展を介する社会的市場経済の維持をはかろうとす るものであると解されるD しかも労資協調主義は両者のパートナーシャフト としての経営を実現することに具体的展開を見い出しているのである。その 際,企業管理は労働組合運動や階級闘争に対抗し,市場経済を体制克服より 守る企業者の武器としての極めて戦闘的で戦略的な位置づけが行なわれてい
ることにメレロヴィッツの所論の大きな特質がある。
このように彼の所論の根底に流れているものは,市場経済に対する大きな 危機意識と限りない愛着である。これが彼の所論に対してあたかも労働組合 の存在を否定するかの如き色彩を与えていると解することができるであろうD
しかし彼は決して労働組合の存在を否定しているのではないD だが彼が労働 組合運動の一部や階級闘争を拒否することによって,現実的には労働組合否 定論と受け収られても止むをえないであろう。彼の所論にはこのような限界 の存在することが注意されなければならない。
しかしそれにもかかわらず彼の所論は経営経済学の企業管理論的展開に対 して大きな意義を有していると言わねばならない。応用科学としての経営経 済学は, もはや経済的ー技術的領域のみならず社会的領域においても発展せ しめられなければならず,企業の全領域を含んだ経営経済学が要請されてい るのであるD そのような経営経済学の完成は企業官・理論として展開されるで あろう。メレロヴィッツの所論はそのような企業官・理論の体系化に対するひ とつの貢献をなすのである1)。