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貨幣資本家と資本(2) : 今日の「金融化」を背景にして

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Academic year: 2021

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貨幣資本家をめぐって

3―1 貨幣資本家と機能資本家 周知のように,マルクスの利子生み資本論は, これまで宇野弘蔵を始めとする多くの論者に よってくり返し批判を受けてきた。一方に利潤 以下の利子でも満足する貨幣資本家を置き,他 方に自前の資金がなくても融資を受けられる機 能資本家を置いたその初期設定が,マルクスの 本来の資本規定・資本家規定から大きく逸脱し ているという批判である54)。その批判の根底に は,「原理論では,資本は利潤を目標として投 ぜられるものであって,単に利子をうるために 投ぜられるものではない」(宇野[1964]159頁) という資本理解が潜んでいる。 確かに宇野が指摘するように(宇野[1959] 207―210頁),マルクスの利子生み資本論は,先 行する『資本論』第3巻第3篇までの利潤論の 展開から隔絶したかたちで,かなり唐突に開始 されているという印象が強い。利子生み資本論, というより信用論・利子論として見ると,その 初期設定に重大な瑕疵があったことは否定でき ないであろう。少なくとも,分化発生論的方法 によって信用論・利子論を説く場合,産業資本 間の(または産業資本と商業資本との)信用関 係から説き始めるのが定石であるという点にか んして,本稿も特に異存はない。 <要約> 宇野は,原理論から貨幣資本家を捨象することを主張したが,リスクを外部化しようと する貨幣資本家的な行動原理は,資本の投資行動において普遍性をもつ。貨幣資本家は, 同質な産業資本間の水平的な金融関係とは異なる,異質な主体間の垂直的な金融関係を媒 介する役割を果たす。あるいは,資本は投下しないが商品は転売するような機能資本家的 な主体を,広く資本の世界の内外から動員する役割を果たす。この役割は,非資本の世界 に浸透しながら展開する今日の「金融化」を考察する上でも重要である。 マルクスと宇野とでは,貨幣資本家像に微妙な違いがある。宇野の貨幣資本家像は,マ ルクスのそれ以上に古典的な金貸のイメージに近い。ただ宇野も,資本市場の下では資金 動員の範囲が産業資本の外部にまで拡張され,貨幣資本家的な株主が出現するという点を 認めていた。しかしこの点を認めることは,近年の資本市場論ではかえって難しくなって いる。 非資本の世界にたいする浸透力は,商品経済の論理自体に内在している。現代金融を語 る上で重要な要因(証券化・集積化・同質化)は,労働力の商品化のなかにも萌芽的に見 られる。今日の「金融化」した世界は,労働力の商品化をつうじて見えてくる原理論の世 界から隔絶しているわけではない。 金融資本もまた,異質な主体間の垂直的・癒着的な金融関係を媒介し,その関係自体を 一つの資本へと転化するものであり,今日の金融市場における投資主体と同様,貨幣資本 家的な性格を有している。貨幣資本家は,金利生活者や退役資本家とは違って,ネットワ ーカーとしての性格を強くもつのである。 JEL 区分:B11,B14,B24,B40,B51

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