現代原価計算の発展とその内容
佐 藤 好 孝
一 原 価 の 正 常 化 傾 向 と 原 慣 計 算 の 発 展
現代原価計算の発展は︑単なる社会的・経済的な要請によってへ一見無秩序に︑突発的に発展したかに見えるが︑
決して無秩序に︑しかも突如として招来せられたものではなく︑一つの完全な計算考系列を通じ︑また必然性にもと
づ い
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算
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計 算
か ら
出 発
して︑永い工企業の発展の歴史的過程のうちに︑いい換えれば経営経済の歴史と雁行して経過して来ているうちに
(Vg1.z.B.Mellerowicz,K.,Kostenund Kostenrechnung,Bd.肖,1.1957.SS.17ff.)︑次第に成熟した
計算形態をとる様になって来た計算制度である︒かかる歴史的過程のもとに発達して来た原価計算の発展は'実は単
位 計 算 ( S t i i c k r e c h n u n g ) な い し 客 体 計 算 ( O b j e c k s r e c h u n g ) に お け る 単 位 原 価 を 構 成 す る 原 価 構 成 の 範 時 思 考 の
ぅちにみられる︒われわれは︑一般に︑原価面では経営の財の消費を理解し︑計算面では給付単位に対する原価の附
加 面 ( P r o j e c k t i o n ) を 理 解 す る ( V g 1 . N a h e r e s b e i K r i t z l e r , G . , D i e P l a t z k o s t e n r e c h n u n g i n D i e n s t e d e r B e t r i e b s k o n t r o l l e u n d P r e i s k a l k u l a t i o n , 1 9 2 8 . S . 1 . ) 原 価 は 多 目 的 に 使 用 さ れ る が
︑ こ の こ と は
︑ 原 価 概 念 が 目
的概念であり︑同時に他の類似概念から区別せられた単独概念であり︑また個別企業的単価概念のみならず社会的原
現代原価計算の発展とその内容 l二九
経 営 と 経 済
一 三
O
における財の消費の理解範囲も異なって来るし︑ その個別企業において原価を計算せんとする目的の相違によって企業
それに伴って計算手続ないし計算形態も異なるという関係にある︒ 価概念をも包含する乙とを意味する︒かくて︑
一般に原価構成思考が計算思考を左右する結果を招来する︒このため︑計算形態の発展は︑
計算目的によって規定せられた単位原価を構成する原価構成の範鴎思考の発展に相応して発展するものとしてこれを
理解することが出来る︒かくて原価計算の課題とか︑その課題に対応じて考えられる計算形態は︑常に計算目的によ かかる関係にあるため︑
って規定せられた単位原価を構成する原価構成の範障をどう理解するかによって符せられる関係にある︒そこで︑わ
れわれが︑単位原価を構成する原価範時思考の一般的発展傾向を解明することのうちに︑実は原価計算の発展の歩み
が求められるのである︒かかる関係を端的な表現をもってすれば︑ メレロヴイッツ教援が指摘される如く﹁原価計算
の発展に対して明確に認め得る特徴は︑原価計算の発展と原価の正常化傾向とが平行している﹂(冨色︒ g
乏 の
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という事実に求めることが出来るといえる︒われわれが︑いま︑かかる原価の正
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国 内 回 ・
常傾向への変遷の成跡を歴史的に明確に跡ゃつける乙とは困難であるが︑もし乙れを歴史的に追求せんとすれば︑
各時代を通じて採られて来た会計実践の支配的思考の特徴に照らして︑これを推知する方法をとる以外にない︒
註 勿 論 乙 の 問 題 を 解 明 す る た め に は ︑ 原 価 性 の 問 題 な い し 原 価 概 念 の 解 明 か ら 入 る 必 要 が あ る
Dか か
る 観
点 に
立 つ
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解 明
は ︑
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考 察
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応 I
原価の正常化傾向の内部的要因
周知の如く︑現代原価計算の生成起点は︑観点の相違により種々異なる時点に求みられているが︑
産業革命以後に生成した工場制工業に︑その母体を求められるのが大多数の諸家の一致せる見解である︒ 一般には英国の
この見解
は︑その理論的根拠として︑原価面では産業革命にもとづく生産過程の機械化︑ それに伴う生産過程の複雑化につれ
て前世紀未葉より関心をもたれ始めた機械用役の原価性ならびに補助的労働・補助的原材料の原価性の認議に求めら
れ︑計算面では︑生産過程の機構化ならびに部門化に伴い生じた上述の︑原価の配賦法の確立と︑次節において詳述す
るが︑原価の体系的・組織的な把握を可能ならしめた点に求められている︒これは︑文献的には︑周知の如くガルク
‑フエルスの一八八七年の著書﹁工場会計﹂
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求められる︒上に述べた如く︑間接的な諸原価が︑製造原価範障に製造間接費として認められ︑
計算が確立され︑かつ原価元帳が生成したという事は︑ その割当ないし配賦
一つの独自の計算体系をもった現代原価計算制度が誕生した
事を意味する︒以上の如く︑現代原価計算制度の確立は︑一般に︑前世紀未葉に求められるのであるが︑当時の原価
計算の支配的内容は︑製造間接費の認定と配賦計算がその中心課題であり︑乙れをめぐっての問題が展開されるとい
う実情にあった︒従って当時の原価計算の特徴は︑間接賀論を中心とする原価負担者の正しい計算という点に求めら
れる︒要するに︑当時の原価計算は実際に発生した原価をいかに漏なく発見して取り上げるか︑またその原価をいか
に給付単位当りに対してありのままに把握するかにあったといえる︒かかる意味をもった原価計算は︑前世紀未葉か
ら今世紀初頭にかけて異常なる発達を遂げた欧米の工場制工業を基盤にして︑益々その重要性を増す様になった︒か
かる事情を反映して︑原価計算は︑一方においては︑製品原価の計算の精密化が要求され︑他方においては︑製品原
価の計算の迅速性が要求される様になった︒製品原価の計算の精密化の要求に対しては︑製造間接費の認定と配賦計
算の精密化という形で問題が提起され︑具体的には間接賀配賦法の計算の精密化ないし合理化ならびに原価場所計算
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製造間接費の配賦計算の予定化という形で問題が提起され︑具体的には予定間接費率の技法ならびに理論づけとして
現代風価計算の発展とその内容
一 一 一
一
一経 営 と 経 済
一
一
一一
一一
展開された︒ここに現代原価計算の発展万向を規定する一つの要因である原価の正常化傾向の発端が見出される︒か
かる傾向を製造原価計算における間接費の予定配賦計算よりきた原価の正常化傾向として特徴づけることが出来る︒
行して行った事は︑史実によって明かな処である︒ 上述の如き計算の迅速性の問題より出発した予定間接費率の問題が︑次第に内容的に原価の正常化傾向へと発展移
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一方︑乙の問題は︑付経営規模の拡大︑口競争の激佑︑国経済変動などの諸要因に影響されて︑次述
Q 様な結果を招来する処となった︒すなわち︑それは︑乙れを経営内部的に見た場合︑資本の固定化︑それに伴い発
生する原価︑特に製造間接費関係原価が︑比例的性格から次第に固定的性格へと移行して行ったという乙とである︒
このため︑同一与件標準のもとで製造せられた製品原価が︑固定費の性格に影響され︑操業皮の変化によって給付単
位当り原価額が異なって表現されるという結果を招来した︒製品原価額が︑常にかかる状態に置かれていたのでは︑
企業経営者が企業の経営政策上多大の支障を来たすのは当然である︒そこで︑ その必然の結果として︑同一製品につ
いては︑同一原価額を望む要求が生じて来たのもまた当然の帰結といえる︒今世紀初頭から一
0年代にかけて︑英米
独においては︑経営規模の拡大︑それに伴う生産過程の機械化ならびに複雑化︑その結果として経営過程の機構化が
進んでいた︒このため︑企業の比例的原価要素が︑次第に固定的性格を帯びるといる現象を招来していた︒
他方また︑企業は︑競争の激化と経済変動に伴い︑操業度が常に不確定な状態にさらされていた︒かくて︑
状態を如何に克服するかという事が︑当時の経営者達の一つの課題となっていた︒ か﹀る
( 拙
稿 ︑
﹁ドイツ計画原価計算の
生成発展史考﹂経営と経済七九号)かかる事情を反映して︑原価計算論の面においても︑ ドイツにおいては︑計算価
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名 門 2 0 )の問題として︑あるいはまた正常間接費の配賦(ロ
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の匡出向︒)五 十
算の問題として採り上げられ︑米国においては︑正常間接費率の問題として採り上げられた︒かくて従来の実際原価
計算は︑直接費関係に対しては固定計算価格を︑また間接費に対しては正常配賦率といった具合に︑各原価要素の価
格的正常化を通じて原価の正常化を計る万向に進み︑いわゆる正常原価計算化していった︒かかる傾向を︑われわれ
は︑原価計算の正常計算
(Z RB
巳
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︒ロ)化より来た原価の正常化傾向として特徴づけることが出来る︒ z
他面︑特に米国においては︑科学的管理法の思考が︑今世紀初頭頃より次第に経営の技術的分野において普及し︑
か か
る 思
考 が
︑
一
0年代には︑経営の技術的管理の手段として非常に重視される様になって来た︒周知の如く︑この科学的管理法の
一方では技術的標準化の思考を普及し︑他万ではアイドル・コスト
( E
‑ 0 8 2 )
の排除を提唱した︒
一 九
二
0
年代になってからは︑経営計算制度の体系の下で︑原価計算における原価管理という計算目
ドイツと米国とでは︑事情
唱 導
者 述
は ︑
的の下に標準原価として止掲され︑益々原価の正常傾向を促進せしめていった︒乙の点︑
﹁経営と経済﹂七九号︑八
O号︑八一号を参照されたい)要するに
上述の思考は︑具体的には︑米国においては標準原価思考として現われ︑ドイツにおいては部分原価計算(叶巳
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・
を異にしている事は周知の事実である︒
( 拙
稿 ︑
28 5
与
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としての比例原価計算
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2 5 5 m )
ないし経営価値計算
﹃ロ己問)の思考に引続く計画原価計算思考として現われるに至った︒かくて︑原価は物量計算ならびに価値計算の二
面的正常化を通じて正常化される様になった︒かかる傾向を原価計算における原価管理思考より来た正常化傾向とし
(出立門戸ゆずω
君 ︒
2 0ロ 円 ︒ ︒
.
て特徴づけることが出来る︒
上述の如き︑標準設定にもとずく原価管理思考︑いい換えれば標準原価思考には︑そこに一つの欠陥を包蔵してい
た︒すなわち︑直接費関係原価は︑単位原価標準によって︑変動間接費関係原価については︑弾力性予算によって管
理し得た︒にが一般に固定的間接賀として分類されている原価については︑上述の思考が適用し得︑す︑ 一つの別の標
準思考を必要とするという欠陥があった︒ この様に︑標準原価思考は︑間接費関係原価に統一的管理標準を設定し得
現代原価計算の発展とその内容
一 一 一
一 一 一
一
経 営 と 経 済
一 三 四
ないという欠陥をもっていた︒かかる標準設定にもとづく原価管理の欠陥は︑ その後標準原価制度による経営の部分
的管理から経営計画(長期計画を含む)にもとづく総合的管理へと移行する動機をつくったと考えられる︒
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固定資管理の問題は︑第一次大戦以後一九二
0年代を通じて一つの大きな課題となってはいたが︑これが一九二九
年の世界大恐慌により極端な生産過程と販売過程の不調和を生じ︑乙の結果急激に表面化して来たといえる︒かくて
これが︑ドイツでは最適操業度(︒宮山・ 乙の問題は︑固定費によって表現される設備の利用の問題として提起された︒
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の問題として︑あるいは最適経営規模(︒芝山自巳
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の問題として現
われ︑米国においては一九三
0年代の始め頃より限界利益の算定の動きとなって現われた︒
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上述の問題は︑既述の事情を反映して原価計算論の面においても︑ドイツにおいては︑最適計算
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忠吉ロ)論として採り上げられ(︿
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N g m )︑米国においては︑固定資を製品原価の計算より除外せんとする︑
いい換えれば直接原価計算
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と短期的な損益分岐点分析思考との結びつきの形はおいて採り上げら
れた︒周知の如く︑最適計算は︑作業の正常量ならびに最適操業度を通じて
昭和十七年︑二二六頁以下参照)︑直接原価計算は︑固定的な原価(宮ユ O
仏g ω
同)を除外する事を通じて︑ (久保田音二郎博士著﹁間接賀会計論﹂
製造原
価の正常化が計られた︒かかる傾向をわれわれは︑原価計算における固定費管理より出発せる操業度の影響排除より
来た原価の正常化傾向として特徴づけることが出来る︒
E
原価の正常化傾向の外部的要因
原価の正日化の要因には︑上述の内部的要因のほかに︑いま一つ外部的要因が考えられる︒乙の経営の外部的要因
にもとづく正常化は︑メレロヴイッツ教援も指摘される如く︑経営の内部的要因にもとづく正常化とは反対に全く別
それはただ例外的の場合(例えば戦時とか平時の特殊な場合﹀にのみ可能である口経営の外 の性格をもつものであり︑
間 二
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部的要因にもとづく原価の正常佑は︑経営の正常化を仮定ないし前提としているといえる︒(︿
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印止しこの外部的要因と考えられるものには︑まず第一に経営統計の発展に伴なう
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各業和問の経営の比較・分析方法の発達に求められる︒乙れに属するものとしては︑原価分析
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らびに原価調査
(8 2
円 g
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︿O円札巳各)ならびに特に g 円︒﹃)の運動││以上米国においてーーまた経営比較(国立ユ与
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経営比較の体系の一部をなす原価比較(問︒己 gS 品宮古町)などを挙げることが出来る︒
証
米国における原価分析ならびに原価調査は︑科学的管理法と同一系列に属すると考えられるものであって︑その動機も共に各
企業の無駄の排除守口
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以上掲げた各種の運動は︑各国の国情によりその出発点をなす動機ならびに方法を異にしている点もあるけれども
最終的には︑各企業経営の立場より経営合理化の手段として行なわれた事はいうまでもない︒ただ︑ これらのものが
既述の内部的要因と異なる処は︑
こ れ
ら は
︑
いずれも業者の団体ないし公的機関などの外部者によってもたらされた
現 代 原 価 計 算 の 発 展 と そ の 内 容
一 三
五
ー 経 営 と 経 諸
点にある︒この結果︑乙の運動は︑同一業種聞の各経営の経済性測定資料を提供し︑また相互の生産物比較の資料を
一 一 一 一
六
交換しあう事によって経営を管理する事を的いとしていた︒個々の企業は︑常に社会的・経済的な規制のもとに存在
し︑もしその企業が︑各時代の社会的・経済的規制を無視する場合︑その存立自体が否定される関係にある事はいう
までもない︒かくて︑上述の如︑き外部的要因は︑個々の企業における各原価要素の所謂価値計算と数量計算の面の大
きさを規定し︑これが延いては︑標準的な生産物・標準的な処理方法をもたちす結果となっている︒このため︑材料
とか︑仕損品とか︑作業屑とか︑減価償却額などの部分原価(吋巳
‑ w g Z
ロ)の正常化をもたらした︒ この事は︑個
々の原価要素の大きさを長期的にみた場合当該経営の原価にとって正常的なものをもたらす結果となる︒かかる傾向
をその原価の正常化の動機よりみて︑われわれは︑企業の経済性の測定(当日立
ω与え巴各
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付比較
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口問)
より来た経営の正常性を前提とせる原価の正常化傾向として特徴づけることが出来
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王 宮
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の確立の運動の内に求められる︒周知の如く︑この運動は︑終始
統一的な目的をもって行なわれて来たものではなく︑各時代の社会的・経済的状勢に即応して推移した事は申すまで
もない︒すなわち︑ある場合には教育的目的をもって進められ︑ ある場合には過当な価格競争を防止するための価格
協定目的をもって︑またある場合には産業合理佑の目的をもって進められて来た︒従って︑上述の運動が︑企業にも
たらしたと思考せられるものには種々なるものが考えられる︒だが︑そのなかにあって︑大体終始一貫していたと考
えられるものに︑計算の基準形式の定式化と価格形成の定式化があったといえる︒このため︑
こ の
運 動
は ︑
ついには
個別企業ないし同一業種における総原価額の大きさを規定するという結果を招来した o 例えばメレロヴイツツ教援も
指摘される如く︑一九三八年十一月十五日付公布のドイツの﹁公的註文品価格計算令細則﹂
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その代表的なものであるといえる︒周知の如く︑
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︒ ・
P 巳
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なるものを規定している︒乙の細則自身は︑個別企業の製品の適切なる総原価額の計算基礎となる原価
こ の
細 則
は ︑
公的註文品の納入価格として
﹁ 公
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文 品
価 格
﹂
計算規定である︒だが︑ との細則の的いとする処は︑むしろ正しい計算ではなく︑適切な原価の計算ないしは市場価
格のない製品の適切な原価の計算にあった︒このため︑結果的には︑ 乙の問題は︑個別企業の生産に必要な原価を同
一 業 組 部 門 の 平 均 原 価 ( 口 氏 ︒ F Z E E ω W O E g ) へ接近せしめ︑延いては当該企業の原価にとって正常的なものをも
たらすという結果を招来している︒そこで︑かかる傾向をその原価の正常化の動因よりみて︑われわれは︑これを価
格形式目的
35 2E Eg
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当
2 5 )
よりみた価格変動の正常化を前提とせる原価の正常化傾向として特徴づけるこ
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上述の如く︑経営の内部的・外部的諸要因は︑ それぞれその動因ないし目的を異にして出発しているけれども︑結
果的には既述の如く原価の正常化の方向に発展して行ったといえる︒かくて︑乙の事を一哀を返して申せば次の如くな
ろう︒すなわち︑原価は︑計算目的および条件によって異なり︑同時に時代と共に変化して来た︒そのため現象的に
は︑原価思考は︑既述の如く種々なる形をもって現われて来た︒だが︑ そこに共通して流れていた一つの傾向は︑部
分的であるにせよ︑全体的であるにせよ︑ いづれの現象も結果的には原価の正常化を招来したという事である︒乙こ
﹁原価の正常化傾向﹂にあるとして特徴づけられる所以が見出されると同時に︑原価計算の
発展を考察する前提として﹁原価の正常化﹂の認識が承認せられる根拠も見出し得るものといえる︒ に︑原価計算の発展が︑
現 代
原 価
計 算
の 発
展 と
そ の
内 容
一 一 一 一
七
経 営 と 経 済
一 三
入 原 価 計 算 の 制 度 的 発 展
現代原価計算制度は︑既述の如く︑ 一八世紀末葉から一九世紀の前卒にかけて完成された英国産業革命の結果生成
した工場制工業を基盤とせる経営簿記から発達した計算制度である︒周知の如く︑原価計算に対して関心が払われ始
めたのは︑工場制工業が完成し始めてから相当遅れ︑文献的には前世紀の二
O年前後からであるといえる︒この様な
過程を経て生成して来た原価計算制度に対する理解の仕方には種々なる解釈が存する︒そこで︑以下原価計算の制皮
的発展を解明するに当って︑まず原価計算制度に対する私の見解を明かにしてかかる必要がある︒
われわれは︑いま原価計算制度とは付製造企業のもつ社会的な機能(給付の生産機能)を系統的に︑体系的に︑
実証的に︑画一的に︑形式的に︑一般的に︑記録計算する組織を指し︑かっ︑乙の制度は︑行動主体によって破壊さ
れ な い も の を 指 す と 理 解 し た い
︒ し か も
︑ 一 つ の 制 度 で あ る 以 上
︑ 企 業 に 対 す る 利 害 関 係 集 団
同原価計算制度は︑
の一方の立場(例えば出資者・経営管理者)だけを肯定し︑他方の立場(債権者・従業員・公共団体・消費者)を否
定するが如︑きことは許きれず︑常に各利害関係集団の要因の要求が︑ ここにおいて相互に調整され共同に達成さるべ
き一定の計算秩序であることが心要である︒
以上の二つの条件の内︑第一の条件は︑原価計算が計算制度として成立するための客観的な必要条件(成立要件)
であり︑他の一つの条件は︑原価計算が社会的な制度として原価計算の機能を果すための必須要件(機能要件)であ
るという事が出来る︒従って︑原価計算が︑計算制度として成立するためには︑なによりもまず以上の二つの要件を
備える心安がある︒かくて︑原価計算の制度的発展は︑
出 来
よ う
︒
付成立要件と同機能的要件との発展の内に求めることが
I 成 立 要 件 の 発 展
周知の如く︑原価計算は︑全経営過程(調達過程・製造過程・販売過程)を資本の統一的な循環過程とみて︑
こ れ
を統一的に把握する計算万法としてこの簿記計算制度に対して︑全経営過程の部分過程としての製造過程を対象とせ
る部分計算たる関係にある︒そこで︑原価計算が︑制度として成立するために上述の第一条件を満たすためには︑な
によりもまず符記計算制度と原価計算との関係を解明する乙とが心要であり︑また︑両者の関係を解明することが成
立要件の発展を知る所以であると考えられる︒会計史家の指摘する如く︑両者の関係の発展は︑文献的に見た場合の
発展と現実の発展との聞には相当の隔りがあり︑いうなれば両者は雁行的な発展過程を辿っている︒(の
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徴に求めて解明する事にする︒今日までの原価計算の制度としての成立要件の発展は︑特徴的には少なくともこれを
次の三形態に求めることが出来る︒
形式的・実質的ニ元形態
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原価計算が︑経営簿記から発達したといえ︑会計史家によって考証されている限りでは︑文献的にみて原価計算に
関心をもたれ始めたという一八二
O年前後においては︑製造工程の記録を営業簿記体系に組入れるところまでに至っ
ていなかった︒製造工程の記録が︑製造工程の物的記録を通じて行なわれていたといえ︑単に数量記帳に留り︑金額
的表示にもとづく価値の流れを計算的に把握する段階にまで至っていなかった︒従って︑かかる記録を財務記録と結
びつけるなどということは勿論のこと︑ 工程原価の観念も生じていなかった︒また労務記録にしても支払関係記録に
留り︑製造工程での消費関係記録は行なわれておらず︑結局純粋に経営内部取引と考えられているものを財務簿記の
現 代
原 価
計 算
の 発
展 と
そ の
内 容
一 一 一 一
九
一 四
O
経 営 と 経 済 一部に組入れるところまでは達成されていなかったといえる︒わずかに商的勘定に手を加え︑これを製造関係記録を 行なう中心的な勘定として置く程度で︑商的勘定と工的勘定との区別された形において認識されていなかった白かく て製造過程の記録は︑飽迄備忘的記録の域を脱していなかったといえる︒われわれは︑かかる事実を実証してくれる ものとして︑会計史家の考証にもとづく一八一七年のペイヤンならびに一八一八年のクロムヘルムの書を挙げること が出来る︒すなわち司ミ
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・邦訳・四四
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五 八 頁 )
註グロムヘルムの思考は︑.へイヤンの思考土り不完全であり不徹底ではあるが︑しかし当時の一般的会計思考水準を知るために
は︑却って不完全なグロムヘルムの説明の方がよく表現していると思考されるので︑乙れを︑次にリットルトン教授の考証にも
と
eついてグロムヘルムの説く羊毛工業の記帳関係を例示して置く D
主
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簿]←[商
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図 表
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右掲の図表
I に一訴す如く︑グロムヘルムは︑帳簿体系を主要簿と備忘簿(︒
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︒ E E
ロ 含 自
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に分け︑帳簿体系
の中心をなす主要簿には商品帳(自己岳山口
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を設け︑備忘簿には原料管理を目的とする物的関係記録帳 1
羊毛帳︑製 造工場帳︑製品帳
lと製造費用関係記録帳
l精紛関係費用帳︑製織関係費用帳仕上関係費用帳ーを設けている︒しかし製造費用
関係記録帳は︑商品帳に従属する仕組になっている関係上︑結局主要簿としての商品帳と備忘簿としての物的関係記録帳との二
Cr
組の帳簿の並列的な帳簿組織をもって構成している︒
Cr
製造に消費され た数量
官 同
期末棚卸製品 期末棚卸材料
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申 長
一切の原価の記入 賠入原料 経 帳 賃 銀 給 料
売 表
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仁ヨ図
Dr
商
残高=製品売買損益 (勘定記入は金額で表示する)
表
毛
Cr
残高=手元有高
製 造 工 場 限
成 品
白河
原料消費量記入
品
Cr売 委
残高=製品在庫畳
(以上三勘定は数量だけをもって記入) E
中 長
Dr
量 品
製造費用関係記録帳は︑製造工程を精紡︑製織︑仕上の三工程に分け︑精筋工程には精紡関係費用帳(調整・打綿・紡績帳)
図
Dr
羊
数量、品種記入
上 託 (購入製品数量)
残高=仕掛品
帳
製織工程には製織関係費用帳(織布・縮織帳)︑仕上工程には仕上関係費用帳(整理・仕上・包装恨)を設け︑図表 E に示した
Dr
完 成 品 数 量 製
商品帳の借方項目の費用の資料を提供する︒物的関係の記帳体系は︑図表 E に一示す如く︑すべて数量だけをもって記入され簿記
記帳とは無関係に行なわれる D 製造費用関係記録帳においても賃銀の支払関係記録ならびに小口経費の支払関係記録︑だけに泊り
現代原価計算の発展とその内容
四
経 営 と 経 済
四
消費関係記録はなされないので︑製造工程の記録は︑数量記入だけをもってなされる物的関係記録帳だけという乙とになる︒だ
が乙れとて︑金額的表示にもとづく製造過程の価値の流れを計数的に把握することはなされていない︒との様にみて来ると︑グ
ロムヘルムの経営簿記体系は︑営業簿記における﹁商品勘定﹂ないし﹁商品売買勘定﹂と向性格のものを製造勘定に該当さすベ
く﹁商品帳﹂として加えたにすぎぬという事になる
Dリットルトン教授が指摘される如く︑グロムヘルムの簿記体系は︑純粋な内部関係取引を伝統的な財務簿記の杭成部分として
組入れると乙ろまでは成長していなかったとはいえ︑付簿記が財務記録以上のものである乙とならびに口物的記録の記帳体
系に原料・仕掛品・製品の三勘定を設けるべき事を説いた点は注目に値するロ
この様に︑当時においては生産過程を系統的に計算し把握する方法としての工場会計は未だ確立されておらず︑生 産過程において消費せられた価値の一部が︑わずかに営業簿記的万法によって処理されていたにすぎない状態にあっ た︒製造過程の系統的・組織的な計算把握方法としての製造会計が︑営業会計から明確に区別された認識対象の形態 を採るに至る過程の発展は非常に緩慢であった︒大体一八八
0
年代には︑.商的勘定と製造勘定とが明確に分離されて 取扱われるという方向に発展はしたが︑だが当時の工的記録は︑
その最良のものといえども︑
ある種の欠陥を包放し ており未だ末成熟であったといえる︒われわれは︑かかる事実の一例として︑会計史家の考証にもとづく︑
一八八九
年に出版されたノルトンの書を挙げることが出来る︒すなわち
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ノルトンの原価計算法は︑営業簿記体系に対して製造程過の記録を行なうものとして営業勘定
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との二組の勘定簿上り組織されており︑しかも製造勘定は蛍業勘定の補助的関係に白かれ︑同時
に ζ れら二つは営業簿記体系に対して補助的立場に置かれているという関係にある︒営業勘定は売買損益勘定の内容を詳記した ( 片 岡 立 山 口 問 ω
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かくの如く︑当時は︑工的勘定記録と総勘定元帳との結びつきはまったくなく︑ただ製造会計は︑営業符記体系の
単なる補助的役割を果すに過ぎぬものであって形態的には完全に形式的にも実質的にも二元形態であった︒その後経
営符記は︑次第に整備され︑完成されて︑今世紀(一九
00
年代)の初頭頃には既に原価記録を財務記録に結びづけ
る乙とが実施可能な段階にまで発達しながら依然として両者の記録を結合させないで二元的形態のままにしておいた
方がよいという主張が支配的であったといわれる︒その主張の恨拠は︑いづれも論理的に釈然しておらず因襲を踏襲
したという格好のものである︒その主張の主なものを拾ってみると︑ただ単に付二者が区別されておれば︑期末に
おいて特に棚卸資産に対して生じたあらゆる誤謬ならびに不正事項が明確に示されるとか︑
一般の符記担当者とは異なるカテゴリに属するものであるとか︑ ω 原価計算担当者は︑
国内部統制上非結合の方がよいとか︑側財務勘定
特に乙の議論は︑今世紀一
O年頃まで続いた︒
原価計算の特徴は︑とれを原価計算制度の成立要件の観点よりみた場合︑ と原価勘定とは基本的に違いがあるとか︑国原価勘定は総勘定元帳の一部でないとかといった程度のものであった︒
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戸)かくて︑この時代の
一般的傾向として︑生産過程における消費
価値を正しく原価負担者に賦課せしめ様とする努力の反面︑他面では産業革命にもとづく生産規模の拡大︑棚卸資産
の増大に伴なう製品に対する詐偽記帳ないし私消を防止するという︑いうなれば棚卸資産管理という点に原価計算実
施の価値が認められていたという点に求められる︒同時にまた︑計算技術的には︑原価計算制度の成立要件としての
符記計算制度と原価計算との結びつきの基礎的前提をなす付商的勘定と工的記録との明確なる分離︑
同 工 場 会 計
の確立の前提となる間接費の発見ならびに間接費の配賦法の成立一︑国それに伴い営業会計に対する工場会計の確立が
現 代
原 価
計 算
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展 と
そ の
内 容
一 四
三
経 営 と 経 済
一 四 四
なされたという点に求められよう︒このことは︑製造過程の価値の流れが︑既述の成立要件を満足させるにたる方法
でもって把握し得る体制が確立していたとみることが出来る︒そこでわれわれは︑かかる状態を原価計算制度の成立
要件生成時代として特徴づけることが出来る︒
形式的・実質的一元形態
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事が支配的な主張となっていた︒ 原価計算制度は︑既述の如く︑原価計算生成初期より今世紀一
O年頃まで形態的には形式的・実質二元形態を採る
これが︑今世紀一
O年前後より次第に形式的にも実質的にも一元形態を採るような
方向に発展して行ったという関係にある︒かかる制度を必要ならしめるに至った要因には︑ そこに極々なるものが考
えられるが︑だが当時の社会的地盤よりみて︑われわれは︑少なくとも付当時の産業統計から知り得る如く一九一
O
年頃より企業の生産規模が異なる発展を遂げ︑
計の発展に伴う成果計算の精密化の要求︑ その結果仕掛品・製品などの棚卸資産の増大︑同一方では財務会
同それに伴なう棚卸資産の正しい実証性をもった評価の必要性などの点
に求められる︒形式的にも実質的にも一元形態の原価計算制度の成立は︑ ある種の欠陥を包蔵していたといえ︑周知
の如く文献的には古く︑ 一八八七年に出版されたがガルク・フエルズの﹁工場会計﹂(の民
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経営の簿記体系を左掲の図表ーに示す如く︑一般ないし営業勘定
材料勘定・製品勘定・売買勘定
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轄するものとして製造勘定(自吉正日
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を設け︑これを図表
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H∞∞斗・)に求められている︒このガルク・フエルズの﹁工場会計﹂に求められる所以は︑ガルク・フエルズが
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賃金助定・
図表
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一般ないし営業勘定の体
系のなかに組入れる事によって営業簿記体系と工場とを系統的・組織的に結合し得るとなしている点にある︒
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・nop・CIt., 1902・5thEd
• Pt. 85̲86.)
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EPRIME COST LEDGER.‑SPECIMEN No. 34.
Dr Order No.
(Garcke
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E and Fells,
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1.,
OP. cit.,
1902. 5thEd. p・
74.)Wagcs account
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pr<xess produce in warchouse
(Littelton
,
A. C.,
OP. cit.,
p. 349.) gross profit1 ffi
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ん かかる原価計算制度は︑当の英国においてもガルク・フエルズの制度によって与えられた種類の結合が一般
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の動向は︑今世紀初頭頃より次第に有力になりつつあったが︑実質的には一九一
O年前後から以後の事に属する︒か
かる形態の原価計算制度は︑その後遂次完全なものえと整備されつつ今世紀一
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一 九
一
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年代の終りには︑両者を結びつける機構ならびに技術も完全なものとなり︑両者を結合した原価
計算制伎の理論と実務が完成されていたといわれる︒
時代の原価計算制度の特徴は︑営業の成果計算の精密化要求にそって棚卸資産の実証性ある正しい原価の把握という
点に求められる︒そこで︑われわれは︑かかる状態を原価計算制度の成立要件の完成時代として特徴づけることが出
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待記の形において独立する方向に進み︑営業簿記体系に対立する計算制度として誕生するに至った︒
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