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ドイツ原価計算の発展とその問題点

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(1)

ー49 −  

ドイツ原価計算の発展とその問題点   

−−  ドルン著「ドイツ工業原価計算の発   展」に.よせて−  

平  林  喜  博   

棚 序  

本稿の目的はドルン著「ドイツ工業原価計鈴の発展」(G.DoInlりDi早Entwicklung  

、l\  

derindustriellenKostenrechnunginDeふtschland,1961リ)なる著番を媒介として,さ   あたりドイツにおける原価計辞の発展を研究する場合,奈辺に問題点があるかを幣見す   ことに・ある。いわば問題の所在を明らかにし,併わせてドルンの所説を紹介してドイツ   栢討例の発展を素描することにある。従来,ドイツ原価計算の発展を主題とした研究ほ   英・米のそれに比して少なく,まとまった著苔ほ筆者の寡聞の限り見当らない。従って,  

ドイツ原価計算の発展を論述して.いるかかる著苛の公刊はその先駆的な労作として高く評   価されて良いと喝う。  

(2)原価計算の歴史研究について  

さて,われわれが,ドイツにおける原価計算せ歴史的に研究しようとする場合,まずそ   でいう歴史研究とほ何かという問題,すなわち歴史研究の本質ないし歴史学について省  

察して:おくことば.枢要であると思う。というのほ,後述で明らかになるように歴史研究の   本質理解の差異がドイツ原価計算の発展像を大きく左耳するからである。   

だが,それでほ歴史学とほ何かという問題になると,こ.れほまた簡単に論断することの   できない復雑性を内包して.いる。歴史学の概念それ自体が多元化し又ある意味において混   濁性を含んでいるからである。しかし,一応次のよう紅いうことほできる。すなわち,歴  

史研究というのほ,過去のある事実ないし活動・成果を碗察し それら事実や活動成果の  

(1)本番ほ既に浅羽二郎教授によって未完ではあるが,詳細な紹介がある。本稿もそれに  負うととろ多く,ぜひ参照されたい。浅羽二部稿「ドイツ原計算制度の成立」武蔵大学   

論集第10巻2号,間柄「ドイツ原価引算制度の展開棚」武蔵大学論集第11巻5号。   

(2)

第37巻 第5号   680  

】 ∂∂・−  

相互の関連を把握するものである。しかも,これを特別なある観念でもって一例え.ほ,宗  

教的信念,政灘的信念,あるいは芸術的観念でもって一処理するのでほなく,終始岬つの   合理的な知的認識を媒介として把握するものセある。なによりも事夷を事実において語ら  

しめ且つ知るというこ.とであると。ドルンも歴史研究者の第叫の基本的課題ほ過去におけ  

(2)  

る諸現象の叙述にあると述べている。   

しかし,そのような過去紅おける諸現象を認識対象隼するとしても,それは無限に多く   存在する。従って−,われわれが知りうるのほその無限に/存在する事実ないし活動・成果の   一部分にしかすぎないのであって.,全てを知りつくすてとほ到底不可能なことである。だ   とすれば,ここにどれを認識するかという選択の問題が生れる。だが,選択の問題は各人   の主体的な選びにかかっている。しかも主体的な選びは唄状をいか紅認識しているのか,  

又それ故に何を明らかにしなけれほならぬと考えているのかという各人の問題意識及び研   究課題に関連する。従って,問題意識を根底にした各人の研究課題が選択の問題には重雪㌢  

な役割をほたす。換言すれば,各人の問題意識及び研究課題の相違が選択の  

し,而して歴史研究を多様なものにするといえる。かくして一研究課題の自覚こそが原仙   界の発頃を研究する場合にも惑要であり,それが故に第一・の問題点となる。   

では,今日原価計算論において−何が明らかにされねほならぬ問題として白覚されてい   であろうか。いうまでもなくこれは各人が自問自答しなければならぬ問題であるが, ̄  

の参考顔料として次のものがあげられる。すなわち,雑誌r企業会計」が毎年日本会計   界の印象という特集をおこなっているが,それ紅よると各研究者の関心事は−・昨年(37年  

もの等々   でほ(1値接原価計算(2げランニングのための会計(3)営業費会計に関する  

(3)  

順になっている。又,今年度(39年度)の日本会計研究学会が直接原価計算と  

(4)  

会計学上の利益概念の再検討−というテーマの下で開かれている。これは当面  

するという   が一つは直接原価計算を中心としていわゆる原価計算の内容本質を再検討  

題,いま−・つは直接原価計算の制度化をめぐる問題にあることを示している0  

ではドルンはこの点についていかに考えているのであろうか。彼の目下の研究課   いてその著書では特に言及していないので知ることはできない0ただ,彼はこの者  

(2)G,Dorn.,Die Entwicklungderindustziellen Kostenrechnungin   

1961.S小13.  

(3)「■企業会計」第14巻16号 98−103頁参照。  

他)「会計」第86巻3号参暇。   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(3)

681   ドイツ原価計算の発展とその問題点   ーー ごり −  

一ドルン著「ドイツ工業原価計算の発展」紅よせて−  

(5)  

御するに際して,あるいはこの歴史研究をする目標を次のように論じている。すなわち,  

虎価計算の過去というものを現在及び未来に関係させるということ,別言すれは,正しく  

且つ本質的なものとして認識されている過去10年間の中心思考を現在及び未来に向って更   匿追求するものであり,更に過去の非必然性や欠陥を常に回避するものであると。あるい  

は端的に「工業原価計界の歴史的発展をある日標をもって示すことを,すなわちR新しさ   を発見し,旧きものを新しく研究し適し,発見されたものを適切な方法で表示することを8  

(6)  

その特別な課題としている」と。   

さて,本来歴史研究紅おいてほ問題意識なり研究課題が表面にはあらわれず,むしろそ   の研究の根底に馬流し,いわば偶の首石的存在であると考えれば,ドルンの上記の如き表   明で甘受しなければなるまい0まっれわれとしては彼の所論から推察しなけれほならな∨、。  

ドルンは文献にもとづく記述が課題であり,ただ原価計算龍関する学説の発展をこの研究  

(丁)  

の対象として考察するのでわれわれは十分であるとしているが,その内容全体から次のよ   うな諸点紅彼の研究課題があると筆者は推察する。  

(1)第−に,一般に今日の原価計昇は.企業指導の熟達した管理用具としての機能をもって   いる0ドイツの場合,それは計画原価計算にその典型をみることができる。そこで計画原   価計算の本質及びそ・の計算構造の究明が目下の研究課題であり,それが故に従来の原価引   算理論に対する根本的な再検討及び批判が要請されている。(2)だが,第二にその研究には   原価計弁論の目的と軌を−・つにし七おり,しかも製造工程など同一の事象を論じている経  

営費用論との関連を考察せねばならない。原価計算論と経営費用論とを兼びつけて研究す   る動向は従来からみられるが,まだその完成された姿ほ形成されていない。ドイツにおい  

ても精々経営費用論ほ原価計節論の基礎的研究として有用であるという認級以上には超え  ていない0だが,経営費用論と原価計算論との密接な関連が否定できぬ事実とすれぼ,そ   の交渉の関係を究めなけれはならない。かくして,経営費用論と原価計算論との有機的対   応の論究が大きな研究課題となる。(3)筋三に,これらの所産として討画原価討算あるいほ  

一般に現代原価計算が理論として確立したとしても,それを制度として展開せしめる問題   がある。   

いうまでもなく,以上3つの大きな研究課題は既記のわが国原価計算論におけるそれと  

(5)Gh Dorn.,a.a.0,S..15  

(61DeISII,a‖ a0.,−S.19 

(7)Ders.,a.a。0.,S18.   

(4)

第37巻 軍5号  

−β2・−・  

軌を一つにしている。ドイツの原価計算せ研究しその史的考察をする存在理由ほここにあ   る0だが,それほともかくかかる研究課題は更に主題の設定,対象選択という問題を巻起   せしめる0ドルンの場合,前訊1卜(2)の研究課題はシ,コて−レンバッハの原価計算理論の  考察を必要とし,従って−,彼のその理論の成熟した時代である1919年¶1933年がさしあた  

り対象となる。又,(3)からほナ・チス時代の原価討界諸規程を通しての国家の強制ほあった   が仙つの頂点に達した制度化への歩みの考察が主題となる云それは時代的に.ほ1934年−19   45年が対象となる。   

換言すれば,1)まず計画原価計算を明確に把捉するためにこれに移行するまで   辞の系譜関係が問題となる。それはドイツ原価計算の端緒を何時に.求め,いかにして生  

・成滋.したかという問題の省察を要請せしめ,2)更に.その発展に大きく詩献したシュマ   レンバッハの原価討算理論の評価が主題として生れる。特に彼の理論が原価計静諭と   費用論とを対応関連せしめ,又その可能性を論証しているものであると⊥般にみられて  

るので,一層重要な主題となる。3)最後に.,これら原価計界の制度化への歩みはナチス  

代に∵小つの丁貞点に達する。だとすればその過程の研究ほ今日計画原価計算を制度とし   関する上で多大の貢献をすると考えられる。   

以上の如く筆者ほ推論するのであるが,ドルンほその著竃龍おいで次の如く5段階   代区分をなし且つ主題を設足している。A)19世紀工奥原価討節の前段階,B)20世紀   頭原価計算の始り,特に単位原価計算庭ついて。C)1933年まで,統一・化への努力を  

ての原価討算の確立と椅密化 D)1933年以後,原価計算の発展に及ばす国家の静観   それである。かかる体系は⊥記の如き筆者の推論を正当化して−いると監う。   

ところで,ドルンはこれら主題をあくまで実証主義及眉くべく史料中心に考察   る。それがために史料をしかも原始史料の蒐集に努力を傾ける。かかる研究態度は   の著章を「文献史的研究」と性格づけることになろう。だが,彼ほ史料に対す.る鮭  

注意を向け,主観的にならぬよう配慮していること,原価計算一の発展を他の関連諸  

例えば経営経済学の発展との関連において考察しようとしてい卑こと,更に・歴史  

役立つ研究方法として,目的論的考察と因果論的考察をあげ,この両者の相互締元  

(8)  

論究しようとして−いること等々にみられるが如く,「文献史的研究」と−磯的狂  

しまえない要因もある○更にみると,彼は比較的方法を否定している0そ・れは常  

(8)I)eIS,a.a0一,SS 16−n19 

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(5)

83   ドイツ原価計算の発展とその問題点  

−ドルン著「ドイツ工業原価計静の発展」によせて叩  

ー53 −−  

(9)  

段にすぎないという。しかし,これを他国の歴史的発展との比較と解せはそれを否定す   ことは疑問である。ドイツの問題ほひとりドイツのみならず世界的なものであり,又ド  

イツ原価計弾論が胞国の影響を受けていることも事実であろう○だとすれば,常に他国の   発展との比較は必要でほなかろうか○   

いま−つドルンの研究方法では史料中心のあまり,原価計辞の社会経済的性格を過小評   している。少なくとも原価計算の発展を経済的発展の観点から考察することを軽視して   いるといえる。これらほドイツ原価計算の自律性と自主性とをドルンが意識するのあまり   あろうか。又,ドイツ原価計算の個性的把握のゆえであろうか。いずれにしても,原価   浄の史的考察には・その歴史研究の方法及び分析視点が解明されねばならぬ−つの問題点  

し存在する。  

(3)ドイツ原価計算の前段階と生成・成立の過程  

さて,現代の原価計算の内容及び本質をより明確に掌握しようとする研究課題は,この   論の発生・発展の必然性が奈辺にあるかを究めなけれはならぬ。それは原価引算の生成   と成立の過程を研究することを意味する。ドルンもかかる論究ほ最初から今日の計算体系   ミいかに継承されてきたかについてその意義が明らか紅されうるものであるとして重要視  

ている。そして,彼ほこれを原価引算の前段階的時代と生成の時代とに大別し,前者を  

9世紀末まで,後者を今世紀初頭より1918年までと時代区分している。19世紀末までをド   ツ原価計算の前段階とする理由ほ,ドルンによれは,まずドイツにおいて原価計算がい  

頃出現したかという問題に一儀的に答えられないということ紅基本的には基づくノ。た   19世紀末から今世紀初頭にかけて組織的な事実の開明に着手されたことはたしかであ  

。問題ほそれが原価引算の全体を対象としていないところに前段階的要素があると論じ  

10 

いま−一つこれら紬世紀の原価儲算ほ二[巣の価値製品の飛躍的な発展紅よる実践向からの   諭にもとづくものであるが,当時の企業家連が競争相手に対して徹底して経営諸活動の   匿を堅持したこと,吏に原価計算の目的を価格碇定に・のみ求めていたこ.と等々にも前段  

(11)  

的な要因があるとドルンほ諭しる。従って,そ・の当時の公刊物は著者達によって・個人的   集められた経験の集掛であり,模昭例によって特色づけられることほあっても,問題素  

)DeIS..,乱a O,S17  

0)Ders.,a a.0.,S22  

11DeIS,,a a0.,SS24−P25 

(6)

第37巻 寛5号  

ー 5ノ ーl  

材の体系化そして−批判的見方というものほ未だ生れていないのである。かくして,前段阻   的時代は理論的確立のための,又後の時代における厳密な再構成のための有益な出発点を 

(12)  

形成するものであるといえる。   

さて∴ あらゆる時代に原価の把捉と計静の問題は常一義的意味をもっている。そこには   原価計算の本質なり内容が反映して−いるからであり,それ故に発展の状況が最も明白に  

看取される。そこでこの点についていま少し具体的に前段階的時代をみると,次のネう  

(13)  

な諸点を指摘しうる。いうまでもなく,結論的にいえることほ,原価計算に関する全ての  

諸問題が萌芽的に認識されているということである。仮りに認識され論じられている一と   てもそれら相互紅ほ何ら関連がなく,ましてや体系的な構成はみられないあ・ゼある。そ  

ほさておき,第一・に原価概念の不統一性があげられる。たしかに,当時原価概念の多様イ   を実務家達は用語上明確紅定義し区分するべく努力している。しかし,関心事は計静枝右   の力にあり,その技術が概念の不明確性によって著しく阻害されるということを全く明白   にせずにいたのである。   

このような状態は当然原価要素の把捉,見方をかえれば,直接費・間接費の把握にも   轡を与える0当時,既に原価要素計算について−ほある程度の発達がみられ,多くの研究者   ほ−・般に芸当する構成を定立化しようとしている。しかし、直接費・間接費という観点か  

らの把握及び計算となると事態は一腰している。喧接費砿ついてみれば,今日の意味で   直接費はまだ前世紀でほ認識されていない。むしろ,材料費や労務費の完璧な把握とそ   計算面に重要な意義があり,又関心を向けていることを当時の文献は示している。 

従って,間接費砿ついても,その概念に混淘性があり;人々は経費(Unkosten),  

般経費(Generalunkosten),取引経費(Handelungsunkosten),経営原価   ebskosten),二[場原価(Fabrikationskosten)について語り,それを今日の間接   ほ少なくともその一部分と考えている。かくて間接費概念紅・叫義的内容のないことが知   れる。従って,間接費の把握についても,例えば間接費を構成する範観の認識,換言すれ  

間接費の原価性の認定という問題についても その所説ほ種々様々であった。ただ,後年   きな論争点の・−一つとなった利子の原価性についての思考がみられる。しかし,間接費降   する認識不足ほ間接費の配賦引算にまで波及している。すなわち,当時はとんどが胡察  

(12)Ders.,aa O…,S.37   L13)I)ers.,aa。0.,SS27L〜36   

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(7)

脚    ドイ三管 

の発展」紅よせて_  

ー 55−  

経験から明らかになったところの評価係数を利用して配賦計算をするのみで,配賦計算紅   臍する理論的解明ほみられないのセある。例外として−,原価比例性の法則から間接費の均  

等的配賦を否定し,各部門別計辞を主張しその配賦基準として支払賃金を提案している文   献のあることをドルンほ指摘している。  

′   

原価計算のかかる事情を前段階的と性格づげるならば,原価計算の発展の古典的図式を   示す英国に率いてこの前段階的時代が∬般に1830年頃までとされて:いるので,ドイツの場  

合と比較してみるとその発達は半世紀おくれているといえる。更にみると,このドイツの   前段階的時代を・通してドルンが高く評価している諸文献は多く1880年前後に公刊されたも  

のであり,この当時英国でほ既に原価計辞の成立期であるところからみて,文献⊥からみ    てもドイツの後進性は否定できない。   

では,このような前段階的時代から生成・成史への過程,すなわちドルンのいう原価計   算発展の第∵段階はドイツにあってほどのようであったのか。ドルンほドイツ原価計静の   生成・成立期を今世紀初頭から第・一次世界大戦までとしている。この時代区分にほ多くの   批判があると考えられる。ドルンも,継続的に発展と深化の過程を進む原価計男の歴史を   区分するこ.とは困難であるという。史的考察をする場合この点は大きな問題点である。大   抵は全く偶然的な政治的出来事と≠致せしめるか,又は何か特別なメルクマ−ルで時代区   分をしている。ドルンにあっては,この第岬・段階の始りを実り多い文献的功紋の序幕をなす   亭ころのライトデーとリーリェンタール(Lilienthal.)の出版物紅求め,その終りを第一次担   罪大戦という政治的事件とからみあわせて1918年としている。そして、この時代の特徴ほ簿  

(14)  

記との組織的統一及び間接費計算のあらゆる可能性についての批判的換討にあるという。   

とこ.ろで,ドルンのこの時代区分の根拠についてほ∴そして,それほ後述の各時代区分   にも妥当するのであるが,聾者は十分な説得力紅欠けていると思う。というのは,彼ほ時   代区分の標識を既に明らかな如くもっぱら計算技摘的観点に求めている。われわれほその  

ような計算技術の発生の契機や必然性が奈辺にあるかを究めたいのである。だとすれば,  

これほ経済的地盤からもみなけれほならぬと思う。経済的発展の観点からも考察されない   限り,その時代区分ほ仙両的に陥り易いと考える。勿論,ドルンも社会経済的背景につい   て.三晶究し,前段階的時代と第−−発展時期との聞には,大規模な技術的発展と競争関係の激   化とがみられるという。しかしかかる現象は各時代に大なり小なり共通にみられるのであ  

丑4)Ders。,aa O,,SS・80岬82 

(8)

川  

− β6 一−    第37巻 第5号  

って,むしろその現象の根底紅ある本贋的な変化を明確に規定しなけれほ,原価計算の発   展段階はあとづけられないと思う。ここに一つの問題点がある。  

さて,発展の第一段階の特色である間接費計算の発展に俵点を合あせてみよ箋6)。嘩階  

の時代から残されていた第一の問題は間接費配賦の開明であった。ところが,このような  

問題を考える場合の蚕重な原則である発生原因主義原則(VerlユrSaChungsprinzip)が原   価計界の基本原則としてこの当時観念され,これが間接費計静の発展を促進したとドルン  

ほ論じる。しかし,間接費概念の混乱ほ依然排除されては.いなかった。ただ一般経費又は   山般的経費(幻1g?meineUnkosten)が今日の間接費として概念化され始め,概念上の明   晰化及び一億化が試みられ,叫カで材料費,労務費を原価又は経費として把捉し,他方で   一般経費は原価の1グル−プとして分類された。かかる成果は間接費計界の種々の可能性   の検討を惹起せしめた。   

まず,間接費の原価性の認定という問題に関連して,当時度々みられる主要な分布ほ,  

−方における経営経費又は.工場経費と他方における取引経費又は営業経費との区分であ  

る0これは製造間接費と販売間接費との区分に通じると考えられる。しかもこれに変動狸  

・固定費の分類が導入されている。すなわち,経営費用論的監考が用いられ,間接費を変   動的間接費と固定的間接費とに分類して−いるのである。こ.れは最初1899年ドイツ金属工米   新聞紙上での「工場取引紅おける簿記と原価計算」において,後に「生産費界定の理論」  

で展開したレユ.マーレンバッハの監考紅依拠しているといえる。某聴いえば,これは間接肇   計凱論と経営費用論との交渉の発端ともいえる。だが,旧態依然として間接費構成要兼をめ   ぐる理論の多元化は存在していたし,それが放に間接費の配賦計簸も多面性をも↓つていた。   

しかし}原価計算の正確性は間接費の配賦計鈴の箪稗化を要請したので,配賦基準や配  

賦方法の問題に論議は集中した。前者の配賦基準については,労賃が多く用いられていた  

が,それに対する欠陥の認識を契機としてそれ以外に直接朗料費,労働時間,経営資本,  

更にほ患按原価等々が配賦基準として観念された。だが,それらを用いて瀾按費を屈賦し   ても原価計罫の正確性の要請に十分応えるこ.とはできない。あらゆる要因から生じてレ   る,それが故に複雑な多くの要素から成る間接費を・〜■つの基準で配賦するところに既好  

きな欠陥のあることほいうまでもない。そこで,間接費の配賦問題解決に当時2つの方  

がみられる。1つば,原価部門計掛である。勿論,当時,原価灘門概念が定立していた   個 De工S.,aa0.,SS57■:77 

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(9)

68L7   ドイツ原価計界の発展とその問題点  

−ドルン著「ドイツ工穿原価計静の発展」によせて− 

ー 57、−−  

けではないが,ライけ・−やシコ.マ−レ∵ンバソハ紅よって,今日いうととろの原価部門概念   匿接近した鼠考がみられるのである。そして,この計静思考は企業にとっても有為である  

ことが明らかになる紅つれて急速紅進展する。いま・一つの方向は間接費をある観点から分   類整序してある原価群に集計し,それに一つのある配賦基準を適用して計算するをいうい   わゆる要素群別配賦である。ただ,販売間接費,−・般管理間接費の配賦問題になると,は  

とんど考えられていない状態であった。   

ところで,間接費とは相対的な概念である直接費の把握と計算についてみると,既常原  

価負由老へ直接的賦課される原価として直接費は認識されている。それ紅は材料費,労務   費が含まれるが,そq)上に特別費(Sonderkosten)の認識がみられる0しかし,樽別費  

(16二)  

の把握と計算闇一・般に第一次世界大戦前には普及していないとドルンほ論じて.いる。   

さて,原価計算を制度化するということほ,原価計静をより有為にするところの複式簿  

記,あるいは財務会計,更には経営統計,経営分析,予鈴統制,討画計静等々の計静形態   との有機的関連を明らかにするという研究課題を生起せしめる。その場合,−・般に二つの   方法が考えられよう。第一偲,計節制度論として一考えていく方法,第二は,計算組織論と   Lて考えていく方法,これである。前者ほそれぞれの計算形態の性格を明らかにし,進ん   で工業会討全体におい七しめる各計穿形腰の地位を明瞭紅示し,その計算形態の分類又ほ  体系を総合的に研究するものである。それに対して,後者の計算組織論的方法ほ,計算制   度論が計静形魔の種類及びその性格を究めて体系化しようとするのに対して,むしろ実際   鱒運用面紅関心を向け,これら相互の計静的連絡関係を取上げてJ研究しようとするもので  

、1:)  

ある。いま,前者の方法から原価計罫と期間計算との関連の考察が問題となり!後者の方   法から原価計算と緒記との関連が問題になると筆者ほ考え.る。  

ドルンも原価討算を考える場合に,−・方で生産された製品に,他方で製品を期間に.関連   づけること,すなわち,前者でほ単佐原価計静が,後者では時間又は期間的原価計静がそ   れぞれ問題になるという。彼ほこの二つの側面が有機的関連をもつ時,原価計算龍制度と  

して成立すると考えている。そして,その時期をドイツの場合今世紀初頭から第¶・次世界   メ戦の間と考える。従って,前段階の時代はこの視点からすれほ,原価計算が簿記及び期  

間計界と有機的に結合していなかった時代であるといえる。ドルンの立場は前段階的時代  

(18)  

と発展の賂−・時期とほこの観点からも峻別されるとするのである。  

(16)Ders。,aa0.,SS58−63 

(17)久保田音二郎著「原価計鼻論」32年版,34・−35貢参博。  

(18)G,Dorn.,a。a0‖,SS.23−27 

(10)

′  

第37巻 第5号  

一− うゴ −  

いま,原価計算と簿記及び期間計静との関連について,その発展をドルンの論述紅よって,  

(19)  

概観してみよう。既常−言した如く,前段階の時代においてほ,原価の計穿ほ単位原価封嶽   のみが〔−過常給付嵐価引算(Kalkulation)と名付けられている一考えられていた。換言すれ   ば,期間計穿という思考はそこでほ若干の例外を除いてみられない。それに対比して,原価計   算発展の第一段階でほ期間計算が単位計算の基礎として認識され 文献止も時間又は期間  

に言及した原価計算論が多くみられるようになる。その中で殊に問題匿なったのは期間の   長さについてであったようである。とりわけ短期性の問題が提起され月次計罫の長所や短   所が諭しられている。他方,渾位計算ほ経営内約事実を観明紀する用具とLて完成されるべ  

く努力が傾けられている。かくして,これらの検討は総原価割算(Selbstkostenrechnung)  

の概念と本質を明確にするようになる。   

他面原価計穿と簿記との組織的関連は,発展の第一段階になると特に強く意識された。  

とりわけカルメスによって精力的な研究がなされている。又,経営簿記の概念は今世紀の  

初め10年間にあざやかに出現する。いま一つこの経営簿記の研究で簿記における一元論的   思考が存在したことほ注目に催する。   

(4)シ㌧.マ−レ∵ンバッハ時代   

既に−・言した如く,ドイツ原価計算諭を考える時,シュマー・レンバッハの原価計静腰論   を看過することほ許されない。シ㌧−ンブルークによって,「シュマ−レンバッハはわれ  

(20)  

われの科学の巨匠の中で確か紅最っとも体系なき頭脳の学者である」と過小評価されてい   るが,シ㌧∴マーレ∵ンバッハの蒔いた 

人の認めるところである。現代ドイツ原価計算論の全てこの分野において彼の理論はその端   緒として,又中核として顕在している。メレログィッツも,「1919年から1933年ま■雪路   及ぷ段階の何人の思考が,そ・していずれの体系が最。ともよく生き残りえたか,そ・して経   営経済学の永続の部分となる紅至ったかと問われるならば,ライトナ−の思考とシュマ ̄  

レンバッハの思考との混合物が,経営経済学において今日支配的な見解の土台を形成して   おり,混合物中ソュマーンレンバッノ、の割合は勿論ほるか紅優れていると答えねばならな  

(21)  

い」と述べている。しがり,狭く原価討餅論に限定して−もこの行諭ほ妥当する。  

(19)DeIS.,a a0.,SS4ト・56  

C20)F,Sch6npflug.,Betriebswirtschaftslehre,Methdden und Hauptstr6mungeI1    1954S275 

C21)K,Mellerowicz。,DieIdee der Betriebswirtschaftslehreundihre Entwicklung    durch die Handelshochschule Berlin,ZfB,1956.SS610▼一611 

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

(11)

689   ドイツ原価計算の発展とその問題点  

−−ドルン著「ドイツ工業原価計身の発展」によせて−  

一 59・一   

ところで,シユ.マーレンバッハの半世紀にわたる諸活動をハックスは三期に区分してい  

(22)  

る。すなわち,1903年から1918毎までを第一期,1918年から1933年までを第二期,1933年   から1953年までを第三期としている。又,好一・期はシ,ユ.マ」−レ∵ンバッノ\の原価計弁理論の   基礎確立時代,第二期はその成立と収穫の時代,第三期ほ沈黙の時代としている。これか  

ら推察して,シ.ユて、−レンバッノ\理論は1918年から1933年までのノ\ックスのいう二期に確   立したといえよう。又,その働きも著しいものであったこ.とが想像できる。従って,これ   を称して,一−・般に「レ.ユ.マ−レンバッハ時代」と名付けたこ.とも承認できる。そこ.でわれ   われが彼の原価計静理論を研究するという興味ある主題に対処する場合も,まずこの1918   年から1933年までという15年間がその考察の対象となる。   

ドルンほこの時代をドイツ原価計算論の確立と精密化の時代と規定し,更にこの原価計  

辞が賂一的な原価引算制度と化された時代であると考えている。又,見方をかえて,この   時期は「人間の働き」ということで特徴づけられるが,そうだとすれば,「シ′コマ−・レン   バッハ時代」と名付けうるという。そして,1919年のシ.コマーレ∵ノバッハによる「原価討   静」(Selbstkostenrechnung)なる論文がこの時代の始期であり,同じく彼の提案にな   るコンテツラーメンをめぐる論議がこの時期の終期を示し,新しい時代への移行を示すと  

ドルンは論述する。しかし,ドルンは.シュマ−レンバッノ\の働き紅ついてそれを積極的に   評価するというのでほなく,むしろ最大限客観的に考察しシユマ」−・レンバッハの主張した  

しご:11  

原価計算像を特色づけたいとしている。従って,ドルンの所説に斬新さはない。ただ,彼   はシーユマーーレンバッハの原価計算論が費用理論的考察と結びついていることを指摘し,そ   こに.最大の特徴をみようとして−いることほ/注目に催する。   

シュマーレンバッハの費用理論的考察の囁矢は古く1899年の「エ場取引に∴ねける簿記   と原価封静」なる論文にさかのばることができるが,彼は1919年の論文「原価計算」では   この費用理論的考察を基礎に・おきつつ,一一・カで今迄の理論的,経験的研究の成果を要約   し,他力で全般にわたって個人的な見解を公表したのである。換言すれば,今世紀以来の   重要な問題である固定費問題を正しく位置づけ,原価計算での処方を具体化したのであ   る。当時実務で行われていた原価封昇ほ彼紅よって:導入された費用理論的考察をもって,  

その理論的,科学的基盤をもちえたのである。   

ところで,このようなシュマーレンバッハの原価計算理論について,いま少し詳細に省  

(22)Ⅸ。Hax.,Schmalenbachs wissenschaftliches Werk seit1933,Z王hF,1953。S.   

498 董f  

(23)G,Dornu,aa0.,SS83−85   

(12)

第37巻 第5号  

ーー 6ク ー  

J・=  

察してみると,第一−Lに,原価概念の形成にその特色がみられる。彼は原価と費用とを区分   している。原価を,財貨を消費するに要したものとして貨幣的支出とは別個のものと考え   ている。又,財貨の消費ほ給付に関連したものと規定する。常に原価と費用とが同一でな  

いことから出発して,原価的性格をもたぬ費用を中性費用,逆に費用とならぬ原価を附加   原価としてそれぞれ概念づけた。今日これらは.一≠般化し広く妥当性をもっているが,当時   の原価概念の混乱及び制度化への必要から招来する概念の−感性という局面からみると,  

(25)  

このような所説が普遍化するには多くの紆余曲折があったといえる。   

第=.の特色は総原価計界(Selbstkostenrechn11ng)の概念及び目的にある。Vユ.マー   レンバソハは総原価計算の概念を狭く把え純粋単位計静と観念している。そしてその目的   として−,経営態様の管理と価格計穿との二つを考えている。前者のために.ほ期間の限定,  

殊に短期的紅期間を区切ること及び原価を非常に詳細化することの必要性を指摘した。後   者の価格計算では,(1)速成されうる価格の討凱t2)液有利操業度の算定,(3)価格下位限界   の計軍等が問題となる。   

だが,これは既に指摘した費用理論的考察が基礎となる。荷嵩するが,シ㌧.マーレ∵/バ   ッハの思考の特質はここ虹ある。ドルンも「最近費用理論と原価計餅論との密接な関連が   再びとりあげられているが,40年前にあらわれたシュマーレンバッハの乱考はその発展に 

(26)  

著しい意義を与えてこいる」と論じている。ミ/コマ−レ∵/バッハの費用理論それ自体は後述   する如く,多くの欠陥を有している。しかし,その基本的思考が今日紅まで作用している   ことを,例えば,ドルンほグーテンペルクのいう「■適応」の問題は既紅シセマーレンバッ  

(27)  

ハの理論にその端緒があると指摘している。原価計算が費用理論と結びついて科学となり  

うるというシュマーレンバッハの思考は,今日でも新鮮なひびきをもってわれわれに迫っ   てくる。かくて,原価討軍の史的考察は費用理論との結びつきの洞察を不可欠とする。この   視角を等閑視するとその考察ほ実り少ないものになると筆者は考え.る。   

ところで,ミ/ユマ−レンバッハの思考が,この時代に一世の雄として呪われ原価計算   発展に大きな役割をはたしたとはいえ,その理論がそのまま全て受入れられたわけでは   かった。彼の理論が常に指導的な位置にあったことは否定しないが,そ・の理論をめぐ  

(24)Ders.,a a 0.,SS86−95  

〈29 この事惜はE,Heinen.,BetriebswirtschaftlicheKostenlehre,BdりⅠGrundlage   1959.SS‖96−120を壕帽。ただしドルンの所詔と興って−いることほ注意を要する。  

(26)G,DoIn.,a.a.0.,S.95   C27)Ders,,aa0.,S 94   

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(13)

ー− 6J一一  

691  ドイ 

鮮の発展.」に.よせて−  

数多くの論議が展開されているのである0それは殊に原価計掛制度の確立とからみあっ  

で,例えば概念用語の−瀞牲や統一イヒこの必要性とからみあって生起している。   

さ・て,このような論議の中心的人物としてライトナ■−・の名があげられる0ライけ一−はシ  

タソプルニクによって経験的・現実的方向の代表者といわれているが・ドルンはこれをラ   ィけ−の研究活動の核心をついているとして賛意を表している0すなわち・ライけ−  

の狙は経営実践紅おいて多く利用されている給付原価計算の方法を研究し,そ・れを体系  

的軋整序し,評価し,再び企共に役立てるというところにある0レーマンはこのととから   彼の理論は整序原則の役割をはたしておおり,それ故に爛納的研究方向の代表者であっ  

(28)  

て,演繹的研究方向の代表者であるレコ.マーレ∵ンバッノ\とは知立するという。その他当時  

の中心的人物に.はエッグリレユ.,シ、ユミット等の名があげられる0   

さて,これらの人々によるレ.ユマ−レンバツの理論の検討ほ非常に広範岡庭及んでい   る。ただ,概念の明確化用語の統一イヒの問嘩が常に配慮されていたようである0その傾   何の一つとして原価概念をめぐる論争があった。この時代にほ大きく分けて三つの見解が   あったとドルンほいう。すなわち,(1J原価と費用と同一祝するシユマルツ(Scbmaltz)レ−  

ヌル(R6ssle)(2)原価と支出とを同⊥祷するニックリレ.ユ.,(3)原価と費用とを区別するレ  

(29)  

コマーレンバッノ、,ゲルトマッヘル,べステ,レーマンがこれである0   

このような動向は当時シュマーレンバッハが提起した問題全てにみられる。例え.ば封筒   制度内部での原価計辞の組織的位置づけについては,発展の第一期にみられた特記の閉鎖   性及び酪一億の観点と類型化(Typenbildung)の最初の試みという二つのメルクマM・)L/が   この時代にもシ㌧.マーレンバッノ、によって,例えばかの1919年の論文において継承され,  

且つ彼独自の思考でそれが拡充されている。たが,これにも多くの論議がみられ,それが   ために.特別な専門同体が誕生し,種々の提案を試み問題解決華あたったはどである。いま   理論的側面からこれをみると,計堺の観抽的二区分を主張しているグル−プが乱☆つ。そ   れは原価計算が財務簿記と同等の地位に達し,それら両者が対等・対史関係にあるという   見解で,レェ/マーレンバッノ、を初めとして,べステ,コジオ岬ル,レーマン,ワルプ等が   それ紅属する。しかし,これとは異なるグル−プも例えばゲルトマソヘルにみられる。彼  

〔30)  

ほ成果計算も原価計算滝必要な計算とする意見であった。  

(28)Ders.,aいa0.,SSr95−−−97VglりM,R,Lehmann.,Dieiudustrielle Kalkulation,  

1925.SS‖9一一一11 

:2g)G.Dorn.,aa0.,SS.97一−102 

(301Ders,a a0・,SS 102−106   

(14)

軍37巻 第5号   

織−62 −  

費用理論的考察をめぐっても,操業度概念の吟味,費用範疇論争,費用分解をめく■る論   争等々を中心漉しそ多くの論議が展開された○そして,そこでの目標ほただ−・つ,部分的   に不明確な点を明白にし,誤った解釈を正しくして企業における実践的活動の理論的基礎   にすることであった。今日これらの論点紅ついては詳細な紹介及び研究がみられるが,ド   ルンの所説ほその水準以上を超えてほいない。だが,特別注意をひくのは,彼がコジカ 

−ルの研究を高く評価し,「それは当時疑いもなく≠・つの壷要な進展であった」と述べて  

($1ノ  

いる点である0更に・いえば,ドルンほコジオー・ルこそシ㌧.マーレンバッハの費用理論的考   察を正しく認識した者であると考えている。しかし,このコ汐オール評価は慎重な検討を   必要とする。けだしドルンほコ汐オーールの直接指導を受けており,それが故に慈恵がそこ   紅含まれて.、いるかもしれないからである。ともあれ,コジオールの費用理論を従来看過し  

ていたこ・とはこれによって修正されねばなるまい。従ってわが国の経営費用理論研究でも   コジオールの所説の換討を坐視するわけに.はいかないと考える。   

ところで,この時代の著しい貨幣価僧変動という背景の下に,既にレユマー・レンバッノ、  

が大胆な方法で論議しその先見の明あることを立証していた評価問題が新たに表面化し   た。当時の論争上の問題点は,第一・に調達価格ないし製造原価と再調達原価のいずれが原   価計算のための基礎を形成するかということであった。傾向としてはシュミソトを初めと  

して再調達価格を支持する論者が多くみられる。だが,再調達価格の概念の解釈に多種の   対立がみられるのである。第二の研究成果は.計界価格の本質とその利用可能性湛みられ  

る0 これには樽紅べステの研究が高く評価されて■いる。彼ほ.国民経済的計界価格とは  

別に・「経営価格」(Betriebspreis)を提案している。しかしこれらの研究成果は今日安  

(32)  

当していないとドルンは論結している。   

さて,この「シヱ.マーレンバッハ時代」は既記の如く,彼の提案したコンテソラ一メソ   の論議で終りとなるのであるが,これについても既紅20世紀初頑紅企業での実践がみら   れ,殊にこの期に新しく生れたものではない。だが,30年代の終りにこの適用可静陸佐つ   いて新たな方向がみられたのである。それはシ.ユ.マーレンバーツハが体系的勘定組織の  

成に関連した図表表示をしたことであり,その思考が近代的組織目的に適応した勘定燐   を展開せし鱒,かくて「コンテソテーメソ」という成果を確立せしめたからである。この   ソテンラーメンの計画をシ.ユマーレンバッノ\をして惹起せしめた動機ほ多様であるが・  

(31)DeIS.,a.a.0,.,S.111 

(32)DeIS.,aり a..0.,SS115−119 

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(15)

93    ドイ  告呈算の発展」紅よせて−   − 6β −   那岐において勘定組織の高い概観性が必要であり,その上計甘の正常化と酪−イヒという  

(3S) 面忙その動機が求められるとドルンはいう0コンテソテー・メソをもつ尉相野は当時広範  

囲匿認められ経常内的計許に妥当している0又,同時に財務簿記と原価計辞との勘定の間   の明確な区分に特別な意義があったのである○   

ところで,1927年のシュマ−レンバ−・ツハによるコンテンラ−・メソの公刊を契機として   として,経済合理局(ReichskuratoriumfilrWirtschaitlichkeit)に直結している経済   管理委員会(Ausschuss餌wirtschaftlicheVerwaltung)はその一つにVユ・マーL/ンバ  

ッノ、の指導の下紅専門委員会を設置し,簿記の統・−イヒを論議した0この委員会の目標は・,  

個々の部門に対する「統一億記」の実践にあ■つた○しかし,その際全ての企業に・妥当する   正常化が目的でほなく,それ故に−般化を断念し特殊化に虜カしたことであった0という   のは,祷記の利用可髄性にはたえず限界があるからである。かくし・て.,研究は中規模の経   営に限定し,各々産業部門に特別にいわゆる「統一簡記」を得ることが目ざされた○而し  

てその努力ほ大きな実を覇んでいる。  

ー その委員会の草案をみると,二草案は原価の直接費・間接費の通常区分から始めでいる。  

すなわち,前者には直接材料費,徳接労務費,特別費が属する。後者の間接費は二つの観   点から構成されており,−−・方ほ間接材料費,製造間接費,販売間接費という配賦方法の観   点で,他方は時間間接費,数愚問接費という操業度の考慮の下で構成されている0又,こ   の間接資の配賦計界は出来る限り正確な配賦という目的から二つの段階,すなわち原価要   素と原価部門という段階に配賦過程が区分されているふ更紅この草案には配賦率について   も述べ,間接費を原価部門ごとに・十定基準との比率的関係で穿定するこ.とをすすめてい  

(34)  

る。   

(5)統一原価計算制度と国家の役割   

さて,1918年から1933年までの15年間が「シコマーレンバッハ時代」という名が示す如   く,シュマーレンバッハの原価計算理論を中心にして原価計算の精腐化と完成化とが試み  

られたことほ以上の概観である程度明らかにされた。しかし同時に,原価計簡制度の確立  

及び統一イヒへ・の努力もこれまた見逃すわけ紅ほいかない。殊に実務家の努力はこの面で大   きかった。そのような動きの中から生れたのが経済製造委員会(Ausschussfilr WiItSCha・  

ftliche Fertigung)に・よる1920年9月の「原価討静基本案」(Grundplan der Selbstkos・ 

烏3)Ders ,aaい 0.,SS.149−123.  

(34)DeIS.,aa.0.,SSり123⊥▼128 

(16)

第37巻 第5号  

ー 64 闘   694  

tenreclmung)−以下「基本案」と略称する−であった。この委員会は理論家,実務家,  

技術者等々からなる特別委員会であって,原価計算の実施のための共通な指針の確立紅そ   の課題をおいていた。  

、   

従って.,「基本案」の公刊意図ほそれを作成したところの委員会の目的に閑適する。委   員会では,原価計算は≠…つの絶対的要件であるという認識紅もとづき,その利用・導入に∵  

さいして生じる誤謬の可能性を指摘し,又そ・れを回避するための指針を明示すべく努力し   た。殊に.計節の不完全性を指摘すること,間接費の配賦及び姶原価と利益との不十分な区   別紅みられる本質的欠陥の排除という目的から,概念,原則,原価計節の手続の統−・的確   立が目標とされた。かくて,「基本案」によって概念及び用語の肌義性や明瞭化の基礎が  

できた。とりわけ,直接費と間接費との概念上の区分,又,原価要素,原価部門,原価負担  

者の明白な区分にその特色がみられる。更紅いえは,経営決算表(BetIiebsabrechnun甲一   bogen)の作成表示,間接費の最終原価部門への配賦について.の言及等々にもその特徴が  

みられる。全体的に「基本案」ほ成功した試みであって,これによって個々の企業が定言  

(B5)  

カある原価計算の構成と完成を容易にするであろうとドルンは論評している。  

しかし,この「基本案」にも批判はあった。すなわち,(1)「基本案」は何ら理論的な   歩を示していない。(2)企業の全体組織から離れて展開している。(3)妥協の性質がみられる   等々がそれである。だが,これらは最後的にはこの仕事に大きな期待がよせられていた   故の失望の気持が具現したのであるとドルンほ論じる。そして−,彼はこの「基本案」は   論的隼・構成され,実践的経験にもとづいた原価計算の内容を示していると弁護し,又,  

価計算の形成のための原則として.企業において一層の普及をみ,事実そのことが実践面  

(38ノ  

みると実証されているという。  

この「基本案」匿ほ   ところで,企業は原価計界の−・般的な基準を待望していたので,   

感を示し,その上ジ.ユ.スト(.Tust)やパイザー・(Peise工・)のような実務家の独自の清窮   出現となった。とりわけジ.ユ.ストの提案したテーゼほその性質及び内容が非常な論議   起した。鱒の基本的意図は凝営計算制度む一つの技術進歩に照応した段階に高め・又  

自体−・つの閉された体系に発展せしめるところにあった。更にいえば,そ・の目碍降  

記の原理にもとづく全体的経営計算制度の自己管理にあった。パイザ−は二つの文   ゎし,そこで原価計算の基本問題への態度を示している。彼は工業会計制度を財蓼  

De工・S.,a.a.0..,S132.  

DeI・S.,aa0.,SS.132−135.   

山W・  nW 爪u  

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(17)

ドイツ原価計算の発展とその問題点   

…・ドルン著「ドイツ工業原価計静の発展」に.よせて−   ー 65 −   経常静記との密接な解合紅よって完成しようとしている0そして,その最良の原則は終   痺的に・は財務簿記で算定される年度損益と経営簿記の個別損益の総計との一哉が達成され  

(S7〉 るようなところにあるという。  

だが,このような実務家の活動と共紅多くの委員会ないし研究団体が結成され,そこで   原価計静制度の確立及び統wイヒへ・の努力がなされた。例えば,ドイツ機械工業協会(VeIein   DeutSCher Maschinenbau・Anstalten−VDMA)や,ドイツ鉄工業協会(Verein Deut−  

scher Eisenhi]ttenleute二VDEb)等々にそれがみられる。ドイツ機械工業協会の仕事は   古く1908年にプルイニイ−ル(BIuinieI)の指導の下で出版された「機械工場での原価討   餅」(Selbstkostenrechnung f枇 Maschinen董abIiken)という研究成果にさかのぼ   る。協会はこれを15年後紅再び新しく把えているのである。他方ドイツ鉄工業協会ほ1924   年に経営経済委員会を設立し,鉄工業における原価計穿制度の研究を緊急の謬題としてい  

(88)  

る。   

しかしながら,1933年ドイツに起った政変ほ根本的にドイツ経済匿変化を招来した。そ   れは個々の企共にまで及び,指導的な規範を有する国家が生産の賀や墨にまで干渉するよ  

〟 うになった。この動きは経営計算制度の上紅も拡がり,個々の企業は広く国家的指導機構  

の目標に応じて整序・統制を受けた。これは今迄の過去10年間が全て−強制でほなく自由意   思による統州イヒへの努力であったことに比して,根本的に対立する敷き・であった。従って,  

ドイツ原価計算の発展紅おける1933年から第二次世界大戦までの第三発展時期は,国家   的指導の反映の時代であるといえる。原価計算軋関連ある規定,指針,原則,そして計静   思考は全−〔・この状況を如実に示していま。いま,その事情をドルンの所説に依拠して幣昆  

し99)  

してみよう。   

まず,臆価計辞の発展史上,国家の介入は1936年11月12日の経済性命令によって始ま   る。それほ経常計算制度の改良への要求を統−簿記原価引算指針の制定で充そうとするも  

のであった。この目的のために経済合理局ほ経営経済委員会(Reichsausschuss ftlIBetIie−  

bswirtschaft−RfB)を設立した。かくて,1937年11月11日の「簿記指針原則」(Grund−  

SatZe fiiIBuchhaltungS工ichtlinien)一簿記原則(Buchhaltangsgrunds5tze)q−なる経済   大臣省令ほ国家干渉の具体的な第一歩であった。以下,それ以降の主な諸規程の発布を年  

(37)Ders.,aa、0.,SS.135−」45  

(38)DeIS.,a.a.0、,SS.145岬151 

捌Ders.,aa0.,SS′158−Y182 

(18)

第37巻 第5号  

(;(;−  

代償に列挙すると次のようである。  

1938年11月15日公的註文品価格計界指針(Richtlinien fiir die Preisbildung bei   6f董entlichen Auitragen−RPO)  

1938年11月15日公的証文品価格計算術則(Leits哀tze fiir die P工eisermittlungauf G−  

rundder SelbstkostenbeiLeistungenfii16ffentlicheAuitragg申eトLSO)  

1939年1月16日原価計静総則(A11gemeine Grunds注tze der KostenIeChnung一−RRG)  

1940年5月25日,建築詩文物価格計静細則(Leits5tze Ltir die PIeisermittlungauf  

GrundderSelbstkostenbeiBauleistungenf加6ffentlicherAuftraggeberhLSBD)  

1942年3月24E11業原価計静−・般規定(Allgemeine Regeln zurindustIiellenKos・  

tenrechnung−KRR)  

1942年6月12日金属工業ブロック原価計労相針(KostenIeChnungsrichtlinien fiirden   Metallblock−KRRMe)  

1943年8月11日公的許文品価格計界令(Verordungiiberdie PIeise bei6ffentlichen   Auft略genwVPO)   

さて,これら原価計算の原則,規患指針は工菓原価計筆の形成と実施に直接的・間接   に・影額を及ぼしている。それらは給付達成の経済性を高めるという目標をもち,個々   樟ほその郷導となるゐである。たが,ドルソほこれら上記諸規程を患按的規程と間接  

_.ノ 規程とに分類している。前者には,原価計罫総則,工業原価計算一般規定,金属工英プロ  

ック原価計算魔針が属し,後者紅ほ,公的注文品価格計算魔劇,同細則,及び岡持令と   築註文物価格計界細則を入れている。この分頬基準が何んであるかは.,彼の所説からは   明瞭であるが,そ・の規程の影坪時開の全般的か部分的かによる区分だと思う。   

そこで,ドルソのいう直接的原価計算規程をみると,原価計界総則一以下「給則」と  

称する−の布告が簿記原則と同じく当時の工業経済での原則的役割をしめているの匿   て工業原価計昇一般規定→−以下卜腰規定」と略称する一及び金属工業ブロツタ原価   指針−−以下「金属工芙指針」と略称する〜ほその名の示す如く「総則」を適用する止  

別的役割をはたしている。理論的側面からこれら諸規梓を省察すると,「総則」では   計節の本質及び課題について規定している。すなわち,原価概念の明確な規定があ  

原価計算の基本形態として原価要素計凱原価部門討凱原価負担者言十算を・あげてレ   更には原価の計算について直接的原価賦課(直接費)計算と間接的配賦(間接費)  

示している。直接的賦課計算の原則はできる限り広く原価負担者又は原価部門へ   

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(19)

97  ドイ 

算の発展」によせて】  

一67 −  

謀計訂することであり,間接費の原価部門への配賦は一つの配賦遮準のみを利用するの   はなく,種々の基準の利用を必要とすることを規定している。  

それに対して「叫般規定」はむしろ更に発展することを志向するより,今迄の発展を消   ヒしようとして心る0従って,「総則」の註釈的性格をもち,このことが各産業部門に著   しい便益を与を与えている。では全く特殊性がないかというとそうでほない。用語上の明   原価計辞と簿記との組織的関連の一儀的表示,更に評価に対する基本的規定等々ほ   その核心的なものである。特に,原価計算紅おける評価の問題ほ「総則」が何ら規定をも  

けていないという欠陥をもっているに対して,「−般規定」ほ計辞の当該目標設定に依   存して時価ないし計簸価格の適用を規定している。  

「金属工業指針」は「総則」に含まれている内容を考慮に入れているが,こ.こでは鉄   金臥製造業における統一せ達成するためにこれら産業部門全てのグル十ブ,すなわ   ち電気,自動車,船空,精密機械,光学機械,金屑等々に向けられて心る。内容的にほ  

「総則」や「一般規定」から離れてはいない。勿論,鉄鋼金属業での特別な所与性を考慮   しそいる。全体的吃みると,「−・般規定」で示されているような原価把握と原価計静との  

軒な区分は.背後紅おしやられ,計算上の原価要素の完全な取扱いがみられる。それ改革   紛上の減価償却費,利子,危険費,企業者賃金等々が詳細に規定されている。かくし  

,「金属工業指針」ほ企業における原価計符的思考の深化紅良く寄与している。それが   にそれほある産業部門という狭い領域をこえて−・般的な性格をもつに至っている。  

ところで,原価計静制度への国家の影響という面からみると 

よりもドルンのいう間接的規程の方にその明瞭さがうかえがえる。間接的規程ほ原価討   の形成にではなく,なによりも価格算定の規定な目標にしている。しかし,この目標に   既に確立している指針で整序された経営内的計算制度の助けでもってのみはたしうるあ   る刺戦が結びついている。というのは,良く形成された又常に報嘗されるぺき原価計算濾  

価中心の価格算定の前提であるからである。  

この点からろると,公的註文品価格引算緒は車斗以下「価格計算細則」と略称する−が特   高く評価される。これほ公的註文品価格が総原価の原理に紅もとどついて静定されると  

、う法律上の規則である。そして,他に・規定なき場合この規程によって算定される価格が  

り上げられるのである。従ってこれはコニ莱経営の価格政策に強い影響を及ばし,企業の  

動の自由が国家的基準によって強く制約されていることを意味する。たが,この「■佃格  

辞細則」の大部分は総原価価格の構成にささげられており,そこでは「総則」において   

(20)

軍37巻 簡5号  

ー 6β−  

展開された綱要にもとづいている。又,より強くレコ∴マーレンバッノ、思考にもとづいてい   る。それ故に明らかに経営経済研究の成果が作用しているといえる。   

その他,公的証文晶価格計静指針几一以下「価格計算指針」と略称す・る−…や建物註文物価   格計静細則一以下「建物価格計算細則」と略称する冊及び公的証文品価格計算令叫以下  

「価格計算令」と略称する−は「価格計算細則」に比較すると非常に特殊な規程といネ.る。  

「価格計堺指針」は一般に価格形成の全体的な場合把.対する公的註文者にかなう指示を与   えており,同時に「価格計算細則」や「薄物価格計算細則」で追究しようとした給原価界   定のための粋規定を示している。又,「建物価格計節細則」は建築界の異常から生じたも  

ので〜アクトバー・ンや防禦工事によって一建築物の場合に適用′される。「価格計辞令」.に   なると,これほ「価格計卦指針」の代用であるが,その指導理念は公的詩文はできる限り   統・−・的且つ固定的価格で与えられるぺきであるというところにある。かくて,いう奮でも   なくこれらは明らか紅企染の経営計弊制皮に国家的影響が入り,企米独白の形成可能性を   制限していることを意味する。   

ところで,こ、Lれら諸規程の実施は原価計算の制度化を強制的に促進したといえる0その   意味で制度としての原価討静は進展したといえるかもしれない。たが,原価計算の理論が  

いか紅発展したかは.とれと別個の問題である。既に諸規程の内容の特色を主  

から省察したのであるが,はたしてそこに理論的進歩があったといえ.るであろうか。ドル   ンの見解ほこれに.対して悲観的でほない。理論化への努力は十分にみられるという。われ   われとしてこも今後この点紅十分なる検討を加えるべき−・つの課題があると思うが,ドル  

(ヰ0)  

は次のように評価している。   

すなわち,ドルン把.よると}1933年から1945年までの時代ほ,人々が工業原価計算の   屑の発展があるとしてみる限り,特別に登り多いものがあるとはいえない。しかし,多  

の公刊物を再検討してみるとこの12年間ほ発展の頂点紅立っており,内容の上でもある   化があると諭しでいる。特別な成果は見当うぬという証左は,例えば原価概念をめぐる  

々な解釈が相変らず継続されて.いること,費用理論的研究においてこもルンメルを除いて   その研究活動が停帯していること等にみられる。   

L・かし,ある変化があるというのほ,一つにほ計画原価計算の研究である。こオ   国で生れドイツに導入されたといわれているが,それほ条件つきで正しいのである。  

擬α DeIS.a‖ a0.,SS.185−203 

OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ

参照

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