【学位論文審査の要旨】
1 研究の目的
本研究は、光エネルギー捕集能力を有する三核クラスターを用いて、水中(中性条件)、
室温下、可視光を用いて様々な触媒的分子変換反応を達成することを目的としている。
活性の高い均一系光触媒を合成するためには、その触媒分子のデザインが非常に重要で あるものの、系統的な合成や比較がされてこなかった。今回我々は、「共役系架橋配位子」
を用いて単核錯体を組み上げることにより、目的の「三核錯体」を合成し、光触媒的酸素 化反応に用いることとした。三核錯体のうちの二核は、それぞれ光増感性錯体ユニット(フ ォトレドックス中心)であり、残りの核は反応中心に該当する。
これまでに多くの光増感性ユニットを有する多核錯体が合成されているものの、その多 くが二核錯体であり、かつ、非共役系配位子によって架橋されている。二核錯体が多用さ れるのは、三核錯体の合成上の困難さが一因であり、また、非共役系配位子が用いられて いるのは、各ユニットの光化学的、電気化学的物性を保持するため、また、逆電子移動を 防ぐためであると考えられる。我々は、以前に、新規に合成した共役系架橋配位子を用い た二核錯体の合成に成功しており、この手法を拡張することによって、本研究において、
高収率で様々な置換基を導入可能な三核錯体の合成手法を確立した。また、共役系架橋配 位子を用いることによる逆電子移動は、分子間反応における長い時間スケールにおいて差 程影響がなく、むしろ電子移動速度向上効果が顕著に現れることを見出した。二核から三 核錯体にすることに伴い、複数の電子移動を伴う反応において、各フォトレドックス中心 で分担できるために、反応活性種を速やかに生成することができると予想した。基礎的な 光物性、電気化学的物性を調査し、二核、単核錯体やこれまで合成されてきた他の錯体と 比較することによって実際に、想定した通り性能を発揮しうるかどうかを検証する。また、
実際の反応において、合成した三核錯体を用いた触媒反応が進行し得るのか、安定性、触 媒活性、選択性を検証し、本研究で用いた「共役系三核錯体」の分子設計が適用可能か検 証することを目的としている。
一方で本研究は冒頭で示した通り、可視光エネルギーを利用して、水中、室温下という 温和な条件下、かつ環境調和型の条件における分子変換を目指しており、これに適した触 媒を設計している。水中、種々のスルフィド、アルケン類の酸素化反応を検討し、二核錯 体、単核錯体との触媒活性を比較したところ、三核錯体が最も高い活性を示すことを明ら かにした。これまでに明らかにされていない反応の機構を解明し、本触媒が活性を示す要 因を、触媒の物性と合わせて議論する。
2 研究の方法と結果
本研究は主に、(1) 触媒の合成と同定、(2) 触媒の物性評価、(3) 触媒反応の調査、の三 項目について詳細に検討した。
(1) について、三核錯体の確立された合成方法がないために、合理的な合成手法の開発か
ら着手した。共役系配位子を用いることのメリットが発揮され、合成に多段階を要する架 橋配位子を用いることなく、各単核錯体を単核から二核、二核から三核へと段階的に組み 上げていくことによって三核錯体を高収率で合成するルートを開発した。各単核錯体を組 み合わせる順序や、条件を種々検討し、最適なルートを開発した。三核錯体は同一の架橋 配位子 (bpm: 2,2’-bipyrimidine) を用いたものと、異なる二つの架橋配位子 (bpm と pybpm;
pybpm: 4-pyridiyl-2,2’-bipyrimidine) を用いた二種類の三核錯体を合成した。合成した錯体は、
NMR, ESI-MS, 元素分析によって同定した。この手法を応用することにより、bpm 上の
5,5’-位にメチル基、ブロモ基を導入した錯体も新たに合成することに成功した。
(2) 合成した各錯体(触媒)の物性評価は、紫外・可視吸収スペクトル、サイクリックボ ルタモグラムのデータに基づいて行った。紫外可視吸収スペクトルでは、単核錯体に比べ て、著しく長波長領域まで伸びた吸収帯を示し、これは、共役系配位子を用いることによ る分子軌道変化に由来するものと考えられる。また、サイクリックボルタモグラムでは、
段階的な架橋配位子の還元ピークが観測され、目的とする三核錯体が構築されていること を支持している。また、酸化側には低電位側から順に、反応中心、フォトレドックス中心 の各ルテニウムの酸化還元波が観測され、反応中心が、導入したフォトレドックス中心(隣 接するルテニウム中心)の酸化的消光サイクルにより電子移動可能であることが示された。
水中の pH 変化に対応する酸化還元電位をプロットした Pourbaix ダイアクラムを作成す ることによって、水中での活性種の情報が得られるが、これを本研究で合成した三核錯体 についても検討したところ、1電子、1プロトン移動に続いて、2電子1プロトンが段階的 に移動することに伴い、それぞれRuIII-OH 種、RuV=O 種が生成することを明らかにした。
中性条件下、比較的低電位で高酸化状態である RuV=O 種が生成することが本系の特徴で ある。
(3) (1)で合成した三核錯体を用いた、水中でのスルフィド、アルケン類の触媒的酸素化反
応を調査した。スルフィド類は選択的にスルフォキシドに変換され、アルケン類からは二 分子のアルデヒドあるいはケトンが高収率で生成することを見出した。18O で標識した水 を用いて反応させることによって、これらの反応生成物中の酸素源が水であることを確認 した。また、アルケン類との反応では、観測された中間種との反応を試みることにより、
アルケンからエポキシド、次いでジオールへと段階的に酸化され、ジオールの炭素―炭素 結合が開裂し、二分子のアルデヒド、ケトンが生成することを明らかにした。
出発錯体の化学的酸化をすることによって(2)で明らかにしたRuIII-OH, RuV=O 種の直 接的観測を試みた。酸化剤として適切な電位を持つ [(bpy)3Ru]3+ を用い、加える当量の変化 に応じた紫外・可視吸収スペクトル、質量スペクトル、NMRスペクトルを追跡したところ、
いずれもこれらの中間種の生成を裏付ける結果を得た。
以上の結果を総合し、錯体上における電子、プロトン移動に伴う活性種 RuV=O種の生成 と、スルフィド類との反応によって段階的に酸素化が進行し、生成物を得る触媒反応サイ クルを解明した。
3 審査の結果
当人は、1で示した目的に沿って実験を進め、2で得られた結果に基づき、論文を作成し た。論文中では、研究背景、目的について、豊富な引用文献と共に詳細に記述し、得られ た結果と過去の結果、対照錯体との実験結果比較し、本研究の新規性、特徴を明瞭に記述 している。2で述べたとおり、新しい多核錯体の合成、物性調査、反応性調査いずれにおい ても本人がすべて行い、多核錯体を用いることの有用性や展開を示すことができた。すな わち、研究の新規性、独自性を持つ研究を主体的に勧めたことから、本学博士後期課程の 学位にふさわしい研究成果であると判断した。
4 最終試験の結果
最終試験においては、研究目的と背景、研究成果を論文の構成に従いわかりやすく発表 し、質疑応答に適切に説明、解答することができた。特に、本研究で新しく合成した三核 錯体の合成上の有用性や高い触媒活性を示すことを示し、さらに置換基を導入した錯体と 合わせて議論することによりその展開の可能性を示すことができた。本研究成果は本学博 士後期課程の学位にふさわしいと判断され、この点は3名の委員も同様に判断されている。
本研究成果について、当人が第一著者の論文は、アメリカ化学会誌 (Inorganic Chemistry,
2016, 55, 3750-3758) に掲載済みである。また、本論文第5章の置換基効果の結果は、新た
に置換基を導入した触媒を合成し、その置換基の電子的効果が触媒活性に及ぼす影響につ いて検証した結果であり、現在投稿準備中である。昨年度中間審査を経て、今回最終試験 の結果、学会発表、投稿論文の結果を踏まえ、本学博士後期課程の学位にふさわしい研究 成果および人物であると判断される。