I
記
I
一︑はしがき
政治権力はそれ自体単独に存在するものではなく︑種々の社会的
権力との相互依存の関係にあるという点において︑相対的なもので
ある︒従って権力論はマンハイムが指摘している様に﹁権力の抽象
一駐︸
︑論ではなく︑権力の現実態およびその社会織造に関するもの﹂であ・るとい5見解は十分傾聴されてよいであろう︒本穂においてもこの
穰な視点から︑政治権力の源泉としての社会的諸力︑特に経済力と
政治梅力との関係を考察し︑政治権力がいかなる社会的背景の中に
統合化されて来るか︑そして独立した政治権力が︑その実効性と正
当性を保持古るに当って︑権威へと自らを転化する過程について考
察することが主眼とされる︒
註周.冨曽号①旨︾甸圃①畠︒日︾弓︒g胃陰己巳の日︒胃昌⑦国瞬冒凰長︸
﹈C︑写勺︒︽函.
二︑政治の樒力性
政治現象の考察に当って︑梅力性を政治の本質とみるか否かによ
って︑異った結輪を生ずる︒たとえば︑プラトン︑アリストテレスに 政治権力の統合的性質
一
イ
〜
L D I
おいては︑政治権力は組織社会のもつ独立した機能以上のものであ
り︑共同社会の全権力であった︒それ故︑彼等においては︑国家と
社会︑倫理と政治︑宗教と政治の区別はなく︑社会および市民の活
動はすべて政治的なものであり︑政治を通じてのみ人間たり得たの
である︒又︑自由主義者においては§権力を罪悪視した結果︑政治
権力の周囲鎭柵を設けることを主張する︒それ故︑権力を法的関係
に代替させ︑人間が人間を支配する代りに︑法の支配を設定する︒
そして︑法の支配によってすべての諸関係は目的合理的︽すなわち
予測し︑計算可能なものとなる︒政治椛力を法の支配によって代替
させることによって︑権力の所在がヴェールにつLまれ︑梅力の保
持者は安住の場所におかれる︒又︑マルクス主義においては︑政治
擢力は資本主義社会においては︑資本家階級が労働者階級を抑圧し
搾取する一手段であるとされ︑階級対立のない社会l政治権力の.
存在Lない社会Iを確立するための過渡期においては︑プロレタ
リアの独裁︵政治権力︺を必要なものとする︒かくの如き二三の例
証によっても理解される樺に︑政治権力に対する態度︑すなわち権
力を政治の本質とみるか否かの態度は極々様々である︒本稿におい
ては直接政治樒力を対象とするわけであるが︑それに先だって政治
/
︑
鈴木
寛
11 一 ‑ ‑ ‑ ‑ マ ー ー ー 一 マ ー 今 一 一 一 一 一 一
、
〃 一
55
力形態は︑梅力が基礎づけられるところの価値によって区別されう
るものであると考える︒ラスウェルは樒力を単なる実在としてでは
なく関係的な概念であると考えるのである︒これに対して︑ラッセ︑︽命屋U︶︲ルは﹁権力とは意図された効果を生み出すもの﹂と考え︑権力を人
間叉は集団に属する財産の意味にとっているが︑ラスウェルにいわ
しめるならば﹁政治的意味での権力は︑意図された効果一般を生み出
す能力と考えることは承服しがたい︒政治権力は他人に対する権力
︽7︾
であって︑自然を支配する力とは区別されるものである﹂と︒又トーネイも﹁権力とは望ましい方法で個人ないしは︑その集団の行為
○.﹃晶汽︾︶を萱テイプァイするための個人又は集団の龍力である﹂と述べ項
同様に権力を解している︒︵9︶︐キャトリンが﹁人が政治的交渉の中に見出すものは権力なり﹂と
いう様に︑権力は一髭の状況においては︑常に政治的なものとなる
が︑しかし︑あらゆる政治的な関係が︑支配I服従の関係であると
結論つけることは出来ない︒この点は共同叉は相互調整もまた政治
行為を特徴づけるファクターであることを想起すれば足りるである
戸冗J◎・
註︵1︶国.詞冒鍵①阜冒曇る﹃雪らち.や己.
︵2︶マルクス・エンゲルス﹁共産党宣言﹂犬内・向坂訳︵岩波
文庫六九頁︶
︵3︶エンゲルス﹁労働組合﹂.マルクス・エンゲル選集第十二
巻︑下︑四二二頁
︵4︶旨.君32胃胃弄昌国月月.亀︒冒胃冒呼胃罵言目︾
函①﹃・︶
一◇
一
ニクノ
三︑政治権力の源泉
−1︾
権力は種々の形態をもつものである︒すなわち︑権力は状況によって異るものであり︑一つの社会力は他の社会力に転換し︑変化す
る継鏡現象である︒前述したラスゥエルの権力論にもみられる様に
社会力の特質は︑他人をしく自己の欲望を充足させるために従は
しめようとする人間の動機と︑それに対して服従又は順応する人間
の社会関係のうちに見出されるものである︒マヅキーパーは社会的
権力をもって﹁何らかの関係において他人のサーヴィスとか服従を
︽2−
要求する能力﹂従って﹁直接的に命令によるか︑あるいわ︑間接的に﹃3︸
あらゆる手段を用いて他人の行動を統制する能力﹂の意味に用いている︒ヘルマン・ヘラーも﹁組織化された社会的権力とは︑多かれ
少かれ明かに認めら海た法則によって導かれるところの共同体の人
間活動を生み出し︑維持する権力であり︑叉︑か坐る法則を決定す
︲.︵▲ユロ︾る特別の擬関によって︑行為に転化される権力の形態である﹂とみ
る︒しかしこ上に抽象的に定義づけられた社会的権力は︑梱力の源
泉との関係において把握されて始めて︑分折の対象となるものであ ︵5︶国.ロ.F色脇3−堅星斡回臼崔.属暑盲回雪弔︒君・の﹃釣具g⑤一⑦q竜
︲﹄のmPご勺・司祭1コい
︵6︶鹿.河口聡のP琴昼●︑や四画.
︵旬J︶写輯阻君⑦﹄一︾︼ず一畠︺宿旬四・
︵8︶餌・国︒臼斡看旨の瀞固p巨昌茸零邑曾︾や闇P
︵9︶⑦菌b︐○員目冒︾こ﹄の唇8毎回臼冨曾冒︒﹄︒︑弔巳﹈註g︾﹄@画﹃︾
己己︒い﹄︒碑﹈︼︒
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一︲一・F.戸一︲.凸︑一一一一ー 一一 … . ‐ ‐ー一一 一−−−−−‐ −‐‐ −』ー畠−−− −−
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、
る︒|弱事実としての力のみでは服従を要求し︑権力関係を設定し︑維持
することは出来ない︒権力のみでは正当性も命令性も公的性もあり
得ない︒力そのものには︑何らの価値づけは含まれるものではなく︑
善も悪も.正も不正も︑同様に強くさえあれば支配し︑弱ければ支
.L配されるものである︒ルソーは民約諭の中で﹁力は権利をつくるも
のでなく︑吾々は正当な権力にしか服従する義務はないものである
ことを認めることにしよう﹂とい上︑詩何人も︑生れながらにして
自分の仲間を支配する権威をもっているのではなく︑権力からはい
.かなる権利だって生じないのだから︑人間同志の間の︑一切の正当
︽5︶
な権威の基礎は︑契約にある﹂と述べている︒ルソーのか上る見解は政治権力の基礎を社会契約の中に求め︑政治権力の正当性を把握
しようとした社会契約論であるが︑こ上に梅力の根源に関する一つ
の問題が提示されていると思う︒
社会的権力は︑身分︑財産その他いるノャな価値条件に依存して
はじめて成立するものである︒たとえば︑組織の首領のもつ権力︑
管理磯能︑執行磯能のもつ権力︑経済力︑宗教の力︑宣伝の力︑マ
ス・コミュ一ケーションの力等︒社会的権力はそのよって来る力の
源泉によって種々雑多であり︑あらゆる社会的諸関係や︑あらゆる
・社会の組織体の中に含まれている︒政府のもつ権力はかくの如き︑
数多い側面をもつ権力の中の一つにすぎないものといえよう︒しか
して政府のみが直接の強制力を行使しうる窮極的な権利を持ってい
るという意味で︑政府権力は形式的に最高である︒しかし︑この政
府自体︑他の極力から圧力をうけるものである︒政府はいかなる櫃
〜
力を生み︑いかなる目的にその権力を志向するかは︑権力の礎得闘
争のうちに相互に有効に調整せられるという仕方冨他の諸力に依
存するものである︒いかなる形態の社会的権力も絶対的なものであ
り得ない︒しかし政府の権力はそれが奈辺に由来しようとも︑それ
に接近せんとする椛力とは異る︒すべての条件のもとにおいて︑政
治権力は社会秩序を終極的に調整するものであり︑ほかのいかなる
権力も要求し得ない使命と権威をもつ︒それのみが共同社会全体の
椴関であり︑その領域内のあらゆるものに対して服従を要求するこ
とができる権力である︒したがって︑政治権力は︑絶対的たること
を要求しないが︑それが命令を下すに際して︑憲法の規定にのみ従
うという点において般高であるや叉政治権力は︑その権力のみが︑
最後の手段として強制権を持ち︑強制力を確保十るに必要な実力を
賦与されることを要求する︒これに対して︑あらゆる社会的権力は
政治梅力に志向され︑政府の形式的な至高性をして︑夫奇の目的に
役立たしめるべく︑政治権力の分散作用が行われる︒この様な政治
権力の発生論的考察は従来︑多くの学老によって行われているが未
だ定説もない様である︒
ここでは︑政治権力の発生を政治状況の綜合的な考察の分折にお
いて把握したメリァムの説によって︑問題の所在を明かにしよう︒
すなわち︑メリアムによれば︑﹁仰組織的な政治行動の必要を発生
せしめる社会集団の緊張唇①鼠◎国︶・側社会生活における調節と
順応とを必要とする人間的胴性の賭型弓①別︒p農司q胃ら︒③こ
れらの集団状況およびこれらの人間的個性の配賦に対して適応せる
梅力の賎餓号︒君の圃画冒唱己︑すなわち︑指導者︒これらの諸要素
ク
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J1 一 ー ざ
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一
57
の相互作用において︑権力の発生はみられるのであり︑その主要な
特徴と過程とが発見せられる︒権力は霞ずもって︑集団の凝集性と
衆合性であり︑集団の感ずる必要と功用の子供であり︑人間の社会
︵6︶
的諸関係の溌能である﹂︒この点︑マンハ.イムが﹁正当な権力は︑制度化された人間関係の上に形成される﹂とい上︑又﹁権力の制度
の第一段贈は︑人間関係における行動が類型化される時に生じ︑そ
の統合は︑権力が組織化された制裁力によって︑一つの制度にまで
転化された時にその結果として生ずるものであり︑未組織な権力と
かコント戸1ルから︑組織化された権力叉はコントロールに変化す
︵7︶
ることが重要である﹂と述べているのも同様に権力の発生状況を考えているものといえよう︒
以上の考察の中から︑政治樒力は︑社会的梅力の一種であるが︑
それは特定の地域の上の人間相互の行為を組織化し︑統合させると
いう槻能を営むという点において︑その他の権力の形態と区別され
るものであることが明かにされると思う︒か上る社会的梅力が政治
権力に統合されていく過程のなかで︑特に経済力と政治権力との関
係が重要である︒
註︵1︶閥●旨.冨閣︵冒豊邑胃雪号島の◎くの冒日①旦后も︾や巴.
︵2︶号旨●画やい
︐︵の︒︶﹄ず一色・︾石︒︑詞
︵4︶国.国巴帝硬弔◎胃ざ巳固◎劃﹃胃︵園g旨き冒畠旨烏曾巳昌砕l
旨目8︾・ぐ︒房.旨●占いもめ旨し
︵5︶ルソー﹁民約輪﹂平林訳︵岩波文庫版三一頁︶︒
︵6︶p園︒旨の吋昌斡日︾勺昌一夢︒昌弔23夢︼の吟固やH︑山︒
I
1 1 F
、
四︑経済力と政治権力との関係
経済力と政治椛力との関係を考察することは︑マ・ルクス主義にと
6って大きな課題であった︒唯物史観においては︑生産力が社会の生
産関係を規定し︑社会の生産関係がその他の一切の社会継造を規定
する︒政治の理念はそれ自身の力で動く実体的なものでなく︑下部
祷造たる社会経済の動きによって規定せられるイデオロギーにすぎ
ないものと見る︒そして︑社会経済上の生産力の変化によって政治
も必然的に変化するという︒そこ陣おいては経済力は第一義的なも
のであり︑政治権力は経済力の子供であり︑召使であるとせられ︑
る︒果して政治権力は経済的に有力なる階級の単なるエージェント
にすぎないものであろうか︒政治梅力の源泉は経済力特に土地支配
から引き出されたこともあり︑所有権の変化とか︑新生産様式の出
現などが政治椛力の新しい源泉を創り出し︑闘争を生むに至ったと
見ることは如何であろう︒この両者の関係を歴史的諸段階について
概観するに︑先ず古代においては︑政治権力の源泉は経済力と見る
こともできようが︑しかし︑政治権力は社会活動および生活分野の
全領域に彦透しており︑そこにおける経済力はすべての権力関係を
内包する政治権力の原動力としての地位におかれたと見ることが正
しいであろう︒又︑中世においては︑厳密な意味での政治権力は存在
せず︑それは経済力の一溌能にすぎなかった︒たとえば多元的︑分
裂的な政治梅力は土地支配の単なる機能として認められ︑経済外的
強制力として作用するものであった︒裁判梅も軍事力も行政権もす ︵7︶園.冨自再忌昌己︾8.巳一・︾固亨もIg.
1
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、〆
58
〆ぺて土地支配を通じてのものとしてはじめて把鐙しうるものであっ
た︒しかし︑この様な古代︑中世における涯済力と政治権力との未
分離な関係は︑近代盗本主義の段階に至るや政治権力は独立し︑
しかも︑独立した政治権力が経済力と結びつくことによって両者の
関係が復雑な現象を生み出すに至る︒
政治権力の独立は︑多元的︑分裂的な封建社会の政治権力が︑近
代民族国家の成立によって︑一元的︑統一的に確立され︑物理的強
制力を効果的に独占し︑一切の反抗権︑私的制裁穂を廃棄するに至
って成立する︒しかして︑︑この統一化された政治権力は国家におい
て別盈の槻関に分配されるのである︒ポップスは社会秩序の保持の
ために政治砺力の絶対性を強調し︑ロックは政治椛力を賎少限に抑
酷4︸
制することによってのみ社会の喪全がもたらされうると主張した︒前者が絶対主義権力の擁護となったのに反し︑後者が一六八八年の
名誉革命の正当化を代表するに至った︒しかし両者とも例外を認め
ている︒すなわちホップスの理論では︑政治権力はその社会的機能
を失うならば︑破壊されると説き︑一方一ロックは特権又は同盟権の
制度を通じてもし政治権力が公共の福祉にとって必要なものである
ならば︑それを最大限にするという︒しかし︑彼等は政治権力と経
済力とが擬能的にも発生的にも結びつくものである点については言
一⑪︾﹄及しなかった︒
上述の如きホップスやロックの理論の中には︑次のことが暗黙の
中に承認されているのである︒すなわち︑経済活動がいかなる自由
をもとうとも︑政治梅力は政治的秩序の維持︑安定のために存在し
うるものであると︒ しかして︑純粋に経済力というものも︑また純粋に政治権力という
ものもあり得ない︒経済は政治の一道具であり︑政治は経済の一道具
である︒たとえば︑ある集団あるいはある階級の経済的な力は︑資本
主義社会においては可封建制の場合と異って︑政治権力の尺度には
ならない︒この段階における経済力と政治権力との間の複雑な関係
を把握するには︑マルクス主義の理論を以てしては不充分である︒
マッキーバーはその例証とLて﹁租税や統制によって︑富の特権に
対する政府の侵害︑あらゆる点における社会立法の発達︑或いは又
プロレタリア革命なくして︑様々な政府が︑鉄道その他の公共事業
︵3︶
の様な顛要な費本主義的企業の部分を接收するに至った﹂と説明している︒又︑経済力は恰もそれが単独に働くものであり︑叉それ自
身に附随する目的を追求するものであるかの様に︑その他の社会的
権力と経済力を切り離すマルクス主義の理論には養成出来ないとな
し︑次の如く述べている︒﹁なるほどある種の権力はそれ自らの増〃
大を追求するものであり︑その権力を所有せる者は︑自己の優越性
を拡大し︑強固なものとしようと努力する私のであるが︑それらと
錐も人間である以上︑別の目標を持つ︒この点を考えるや否や︑誇︑︵笹︸張がマルクス主義のテーゼの特徴であることを知る﹂と︒
いかなる形態の社会的権力と錐も絶対的なものではない︒確かに
マッキーバーの主張する様に︑経済力の絶対的な優越性は承服し
かねるが︑そのことは︑経済力が政治椛力に転化し︑その雨者が密
接な関係にあることを無視することにはならない︒マルクス主謡に
あっても︑政治の力が逆に経済の上に影櫻をおよぼすことを見逃し
ているものではない︒経済と政治との間に密接な相互依存関係を認
rl
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61
◎涛画月医ごとい6︒−6︶
又︑マックス・ウェーバーも政治における少数の原理︵甲旨圃ご号吋
冨の旨呂隠国︶について︑指摘している︒すなわち大衆民主制のケーザ
リスティッシュ︵の帯且唖昏昏︶が政治活動を支配し︑そこにおいては
つねに少数の原理︑すなわち少数の指導者グループの卓越した政治
今7︶
的操作が行われる・このことはすでに︑ルソーがかの民約論において﹁多数者が統治して︑少数者が統治されるなどということは︑そも
へ︽HU︶そも自然の秩序に反することである﹂と指摘した点である︒
かくの如く近代国家において政治権力は主権的性格をもち︑寡頭
制的傾向をおびるに至ると共に︑権力組織の拡大化をともない︑組
織内部の総力の階序性が顕著になって来る︒ガウスによれば﹁組織とはなんらかの一致Lた目的の達成を容易ならしめるために︑機能
と責任をわりあてることを通じて人員を配霞することである︒組織
は共通の仕頚に携る個人叉は集団の努力と能力とを関係づけること
|9︶
である﹂といわれる︒政治椛力の組織化はその内部における階序性を確立すると共に︑外部に対して椛力発動の現実態として把握され
よう︒しかして組織内部の階序的傾向の濃度は︑その上層部におい
てますま十権力の集中現象を見る︒かくて権力の集中はその固定度
を強め︑政治権力の社会的な固定化を確立し︑組織が半自動的に均
衡を保つことを困難なものとする︒ウェーバーが有名な支配的管理
の理論において︑﹁継綴的な管理を要求するあらゆる支配経営は︑
一方において合法的な権力の担い手であることを要求するあの主人
に対して服従することに︑人間の行動を適応させる必要がある︒そ
して他方においては︑この服従によって︑必要な場合は物的権力の
h
〆
●行使を貫徹するために要求せられる様なあの事物︑すなわち︑人的
行政幕僚と︑物的行政手段とを自由に支配することを必要とする﹂
と述ぺて︑近代国家において発達せる合理的官僚制度を指摘し︑﹁
近代国家は一定の領域内で︑支配の手段として合法的な物的強制力.︑︲令を有効に独占する様に努力し来つたものであって︑この目的のため
に︑物的経営手段をその指導者の手に帰一せしめ︑以前には自己の
椛利としてその上に支配し︑固有の権利をもった身分的な官僚を一
人残らず收奪し︑自らをこれらの官吏の代りに最高の尖端に据えつ
一胴︶
けてしまった︑組織的な支配団体である﹂といって︑近代国家の合理的な支配経営をかLる官僚組織に見出している︒しかしこの様な
官僚制度の中に︑ラスキーが鋭く指摘した自由の危険性を含んでい
ることに注意が向けられなければならない︒すなわち︑ラスキーに
よれば︑﹁ビューロクラシーとは政治の統制力が完全に官吏の手中/
ににぎられてしまって︑彼らの権力が普通の市民の自由を危くする
︵川︶
嫌な政治形態﹂なりと見るのである︒Lかして官僚主蕊化の傾向は騒会主義的デモクラシーが大衆的デモクラシーに推移するところ︑
あるいわ叉︑自由競争的経済が計画的経済に推移するところにその
源を発するのであるが官僚化の傾向が直ちに政治権力の官僚化とい
えるであろうか︒確かに官僚的な行動が顕著となり︑官僚擬鱗の増
大を招いてはいるが︑だからといって︑権力が官僚主義におき代え
られたということにはならない︒ナチ・ドイツにあっては︑自己の
利益を推進するためにナチ党を利用せんとした大企業家11独占資
本家Iの財政的︑政治的援助を得て︑ナチ党が優力になったこと
明白であるが︑しかし一度ぴナチが権力を礎得するや︑彼は企業麦
一
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〆
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一︒︒︑ 一 一 一 T 一 寸 ← − − − − △ 一 一
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、
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配から自らを解放し︑その政治権力は自治的なものとなるに至った2.6のである︒
註︵1︶旨.葛82言胃曽富津ロ●乱の①い①房・冒津管路・暗lg.
︵2︶旨.弓の冨吋︾宅︒毎涛畠画閃胃具弓︒毒尉呂の浮冒津呂︾〃
ぬ︒四℃︒︶
︵3︶︺屏呈﹃の写①罰鰯o鵠︒○・m函c科
︵4︶雷⑦罠⑦ぷ◎や⑦芦︒︾や四つ胃︒
︵5︶︒嵩ざぽ⑦塚Np﹃ぬ︒昌巳︒E①邑胃尾騨具①胃①脇の畠旨邑9
日︒号吋昌①目己①目︒胃員這這届や︒且⑦凛尉輯や闇
︵〆O・︶︾﹇駒色再ぐ①弓︾◎や︒︑芦・︾で石・肖画蝉I﹈画四・.
︵7︶旨.雪の冨尋弔巳旨唾呂①砕胃罵冨厚砂︼3.大衆民主制の
下では︑指導者は犬衆の信望を得て︑説得およびデマゴギー
を通じてその勢力を築かねばならない︒ウェーバーは少数の#・
指導者が強い権威をもって指導することを鼠閣呵買曽彦とい
っている︒
︵8︶ルソ・︲﹁民約諭﹂平林訳︵岩波文庫版九八頁︶︒
︒︵9︶●魚冨の弓旨日や︑団員①目具旨弔︒二昼g︾やH︑い
︵血︶罠︒量①写⑦銅砲昌言庁己睡国①吋宮由︵甸昌言唖島①醜⑦写臥津①回︾
ぬ︑︒四℃mIIいやCO︶
︵︑︶国.F息置︾国自恩色目◎圏︒劃︵同昌︒﹃畠oも⑦幽急鰯C唖醜Cs巳
︒︑巳①回⑦①︾ぐ◎房.いI心泊勺つし
六︑政治権力の権威への転化
政治権力は近代国家において︑主梅的性格を持つに至り︑分裂的
ノ
一
h
l を営むのである︒ が自らに権威を与え︑権利としての地位を確保ずるための自己作用 が﹁力は椛利を生むものでなとといっている様に︑権力それ自体 めに権威︲への転化作用を行う点について考えねばならない︒ルソー 察したわれわれは︑次において権力自体が︑その普遍性を持つがた の統合乃至集中化作用は︑権力それ自体の発展法則であることを考 壊する運命に立つものであったことを︑経験したわけである︒権力 信と絶対化による病的現象であり︑その固定化Lた権力はやがて崩 るであろう︒二十世紀に生じたファッシズムも︑この様な権力の過 権力の自己撞着であり︑危機的現象の集中的表現とみることができ おいてのみ理解されるものである︒社会的にステロ化した権力は︑ 主義のイデオロギーとして︑それのおかれている政治的状況の中に 共にへ自己統制をしているのである︒かの近世初期の主権論も絶対 迫られ︑その相亜調整作用によって︑自己の相対性の強化を計ると 国家権力に対するその他の社会的諸力との関係において常に調整を 社会的な力である以上︑単独の独立絶対性をもつものではなく︑ の社会的権力に対して強制力において最高の地位についたとはいえ 多元的な椛力の統合化を完成Lた︒しかしながらや政治権力は︑他
先に述べた如く︑政治権力は具体的には︑︑国家権力を媒介とする
支配関係であるが︑こLにおいて︑支配I服従の関係を持続し︑権
力の発動を効果的に可能ならしめるべく︑支配権威に対する正当性
の信念の裏付けがなされなければならない︒勿論︑一般服従者の意
識は︑この支配権威の正当性に対Lて十分批判的であるとはいえな
いが︑無意識的︑受動的にも服従の根拠を承認するものであって︑
●
ー
、
、
63
政治権力の均衡が破れ︑政治権力に対する不信の念淡︑現実の生活
の内部に生起するや支配権威は動揺し︑極端な場合は自己の地位を
危殆に頻せしめるに至ることになる︒それ故︑支配者の側︑更に広
くいえば国家においては︑絶えず支配権威の正当性についての被治
者の信念﹁信仰の体系﹂g農亀︲辱畠目己を喚起し︑培養するこ
とに努力が向けられるのである︒そLて︑かLる権力の正当性は︑
一定の支配の型を伴うものであり︑モスヵの﹁国家活動の限界はい
かにあるべきかと尋ねる代りに︑政治組織の中で最高の形態は何で
あるか︒すなわち︑一定の社会の中で︑政治的意義をもつ要素をして︑
もっともよく効用あらしめ︑特殊化せしめうるのはいかなる形態で
︵1︶
あるか﹂という政治制度の問題と密接に関係づけられる︒この点︵2︶において︑マックス・ウェーバーの﹁支配の三つの類型﹂l伝統
的支配︑カリスマ的支配︑合法的支配lの理論は傾聴すべきもの
がある︒ウェーバーは別の箇所において.一人の人間の間に︑運
命および地位境涯において︑なんらかの著しいコントラストがある
とき︑叉雨者の懸隔藷惹起した偶然的な発生原因が︑いかに明瞭な
場合でも︑有利な地歩を占めている者は︑彼にとって有利なこのコ
ントラストを正当なものとLて指也示し︑彼自身の地位は彼自らに
よって︑正当にかちとられ︑そして他者の地位はなんらかの仕方で
その者自らそれに対して査任があるものとしてみようと十る止みが
︵3︶
たい欲求を感ずる藍と述べて正当性の信念の培養せらるべき点を指摘している︒
マッキーパーは﹁権力それ自体が権威ではない︒権力は権威を主
張するが︑それが成功する度合は︑多くの事柄に依存する︒叉財産
・ノ
〜
も身分もそれ自体によって権威となるものではない︒権威とは︑あ
︑ろ社会秩序の中で政策を決定し︑関係ある事態に判決を下し︑論争
を決着させ︑或いはもつと広く他人に対してリー度1又はガイドと
しての役割を演ずふ確立された権利を意味する﹂〃と述ぺ︑﹁権威は
それ人︑の種類に従って︑あらゆる領域に︑あらゆる集団において
存在する﹂﹁厳格な意味での権威者とは︑社会集団のなんらかの組
織︑もしくはは地域の内部で通用する秩序を組織し︑決裁をする権
利を賦与された人間又は集団をいうのであって︑彼は自己の個人的
能力をもって振郷うのではなく︑常に上述の目的のために︑社会
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によって彼に賦与された椛利をもって振郷5のである﹂と述べて︑権力を椛威に転化して始めて政治椛力の正当な根拠に到達しうるも
のであることを指摘している︒
Lかして︑政治椛力の正当性についての社会的イデオ戸ギーは︑
社会的︑経済的条件の変動によって絶えず修正されるものであり︑
合法的なる故に正当なりというイデォ戸雫1も社会栂成員の同質性が破綻を来し︑階級対立が激化するに従って︑動揺するに至る︒権
力の正当性ならびに正当性のイデオロギーについての考察は本稿の目的ではないのでこれ以上述べられないが︑事実としての権力を価
値としての椛威に転化する作用は︑政治権力において極めて重要な問題である︒それ故︑権力の正当性︑イデオ戸ギー性︑階級性の問
題へのアプローチは今後の課題として残されるであろう︒
註︵1︶の.旨︒︑︒固︾息①函践凋g︑屑︵亀.旨自呂のす︾名.農・急・念・︶
︵2︶嵩.三●g§周︒冒胃胃酔胃爵g︶切侶︑魚.
︵3︶旨.葛gg言︼鳥︒富津目色2mの房︒富津﹀段旨.
︵4︶冨胃辱胃︾§.受.﹀や甲望.r︵一九五三・九.三○︺