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ソ ネ ザ ン グ の 音 楽
︑︑︑
− そ の 資 料 と 問 題 点 及 び 研 究 の 現 状 に つ い て −
田 中 宏 幸
まえがき噸I楽譜付写本の概要・II楽譜付写本の問題点,リズムの解釈をめく・って−不安定な 伝承;リズムの解釈(1)韻律によるリズム,(2)拍節的音楽リズムの適用,(3)自由なリズム,(4)定型リ ズム,(5断衷的なリズム,(6)テイラーのリズム論・IIIメロディ借用,コントラファクトウールの可 能性と問題点。Ⅳ主なるメロディのエディション。V文学作品,絵画などからの手がかり鷹略語 表,参考文献(1),譜例と図版.
ま え が き
中世ドイツ文学に「ミンネザングの春」(2)が訪れるのは12世紀の中頃である。その最初 を飾るのは《DObistmin,ichbindin>(MF3,1)にはじまる作者不詳のいくつかの愛 の歌とキューレンベルガーのミンネリートである。キューレンベルガーは凡そ1150〜1170年 ドナウ川沿いのオーストリアで詩作したものと推定されている(3)。ドナウノ││沿いのオース トリアと南ドイツのささやかな最初の開花の後,プロヴァンスのトルバドゥール?〉ひ"‐
加伽"γ(乃ひ加伽γ)や北フランスのトルヴェール刀℃" の芸術の影響を受けて,ミン ネザングは宮廷・騎士文学の花形として12世紀末から13世紀初頭にかけてその最盛期を 迎えることとなる。ハインリヒ・フォン・モールンケン,ラインマル,ヴァルターなどに 代表されるミンネゼンガー達が貴婦人を,又その理想の「高きミンネ」hoheMinneを称え て,騎士階級のさまざまな集いに精彩を与え,人々に喜びをもたらし,その意気を高めた のである。特にヴァルターによってミンネザングは内面的にも深められ,いわばその頂点 に達する。そしてヴァルター以後も,市民化の傾向を帯びてはくるが,なお13世紀の間は
(1)文献類の引用では原スペルによる著者名とページ数を示すが,一部では書名を略して補う。又しば しば用いる文献の一部は略号で引用したが,この一覧表は64ページを参照されたい。なおページ数 を示す数の後のf.は次頁,ff.は次頁以下を意味する。
又中世文学の引用は慣用の方法によったので略号や詩行数が用いられて、、る。写本類の引用で数字 につけられたrは表面(recto),vは裏面(verso)を意味する。
(2)DesMinnesangsFriihlingラッハマン,ハウプトによって編まれた初期ミンネザング集は「ミンネ ザングの春」と名付けられた。なおMFと略される。文献表参照。
(3)Kienast(Sp.64);Ehrismann(221)
様々の可能性を展開し衰えを見せない。しかし世紀末から14世紀に入ると,大凡そ一世紀 半にわたって咲き続けた騎士杼情詩の時代は衰退しはじめる。この世紀の終り頃,フー ゴー●フォン●モントフォルトやオスヴァルト・フォン・ヴォルケンシュタインなどに代 表される返り咲きが見られるが,これもやがてマイスターザングル〃S"'sα"gや民謡や或 種の多声楽の歌の中へと吸収されてしまう。
13世紀の終り頃から,つまり次第にミンネザングが衰退しはじめる頃から,愛好家や讃 美者たちによって一世紀半にわたるこの芸術の成果が蒐集ざれ羊皮紙に書きとめられはじ める。こうした手書きの古文献のおかげでミンネザングは長く伝承されることになったの である。最も古い写本は(4)「小ハイデルベルク・リート写本」と称される13世紀末の文献 でシユトラスブルクで作製された。これは学界では通常Aと略されている。これに次ぐの はBと略される「ヴァインガルテン・リート写本」で1300年頃コンスタンツで書かれた。
この写本は約15×11.5cmと小型ながらハインリヒ皇帝に始まる31人のミンネゼンガー の作と25点の彩色をほどこされたミニアチュアを305ページの羊皮紙に収めている。しか し大型(35.5×25cm)で恐らく最も華麗な写本は14世紀,1310〜1330年頃(5)チューリヒ で作製された「大ハイデルベルク・リート写本」である(6)。通常Cと略されるこの写本は現 在ハイデルベルク大学の所蔵となっている。Bと同様にハインリヒ皇帝を最初に,以下身 分に従った順序でマイスターと呼ばれる市民出身者にいたるまでの12世紀後半から14世 紀初頭にわたる140人のミンネゼンガーの詩と138点の詩人を中心にした騎士社会の様々 な情景を描いた美しいミニアチュアが収められている。その羊皮紙428葉に及ぶ絢燗たる 集大成は後世への貴重な贈り物となった。
しかし残念ながら,これらのいずれの写本にもミンネザングのメロディ(ー)は伝えられてい ない(7)。deBoor(232)は「大ハイデルベルク写本」について関心が作曲にも向けられな かったことを残念がっている。Scherer(161)も,この美しい記念碑はこの芸術の半分だ けしか救っていないことを嘆くのである。というのは,「すべてのこれらの詩は歌われた」
のであり「いかなる中高ドイツ語のリートも作曲者を待つことなく」それは「メロディを 伴って公けにされ,一般に詩人自ら作曲者であった」からである。ミンネザングが原則と して歌われたということについては,ほとんど疑問の余地はない(8)。ミンネゼンガー自身の
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(4)これより以前の写本として,いわゆる「カルミナ・ブラーナ」があるがミンネザングの写本という より,ラテン語の文学が大半を占める。但し音楽的には重要な手がかりを示しているので後には取上 げる。32ページ以下参照。なお一般の写本についてはMF(XIIIff.);Ehrismann(208ff.);de
Boor(213ff.)参照。
(5)deBoor(213)
(6)ManessischeHds.「マネッセ写本」とも称する。
(7)AarburgProbleme(98)によれば,このためにミンネザングは歌われなかったという意見があった
らしい。なお,以下本稿ではメロディとして最後の一は用いない。
(8)この問題についてはAarburgProbleme(98ff.);Kippenberg(75ff.);Ehrismann(193)など 参照。
ミンネザングの音楽 29
言葉や当時の文学作品,その他の資料に証拠があるからである(9)。もち論そのなかで最も重 要なのは,実際にメロディを伝える写本が存在することであろう('0)。ただ残念ながら初期 から盛期にかけてのこのような写本はほとんど存在していないが。
ミンネザングが歌われた芸術であったとすれば,その完全な理解のためには音楽は不可 欠のものということになる。Ehrismann(193)はテクストdiuwortとメロディdiuwise は解き難く結合されていて,詩人は大抵また同時に作曲家であり,音楽はリートの歌詞の 構成にはじめて完全な生命を与えるのであるから,リートやライヒ〃た"('1)の効果を突き とめるためにはメロディも知らなくてはならないと述べている('2)。しかしながら,このメ ロディは特にその初期と盛期については,ごく稀にしかのこされていない。従って,彼自 身も述べているようにその完全な印象はえられない。彼は更に「音楽」(199)という項で,
歌は単声であったこと,ヴァイオリンGeigeで伴奏されたことなどの特色をあげた後で,
いくつかのメロディ写本の名を伝え,ミンネザングの音楽についての知識はかなり限られ たものであると結んでいる('3)。とすればミンネザングの完全な理解はかなりの場合,不可 能ということになり,Nagelのいう「悪い半分」('4)で満足しなくてはならないということ になる。残念ながらこの状況は今日も根本的には変っていない。しかし,なお推定の域を 出ないとはいえ,不完全で乏しい資料にもかかわらず,様々の研究によって,ミンネザン
グの音楽についての知識は,エーリスマンの時代よりはかなり豊富になったといえる。
例えば,その成果は各種の楽譜の出版に見られるし,更に近年はレコードを聞くことさ えできる。その理解の可能性は著るしく改善されたのである。最近の例をあげればBinkley を中心としたStudioderFriihenMusikのレコードがある。彼等はこれまで解読不能と されていた「カルミナ.ブラーナ」(15)からの2枚のレコードや「ミンネザングと筬言 詩」MinnesangundSpruchdichtunguml200‑1320などを公けにして,我々にその音楽を
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(9)ミンネゼンガー自身の証言としてはKiirenberger(MF8,1),Walther(W66,21),Reinmarvon Brennenberg(deBoorTexte,690),HermannderDamen(ib.691),UrlichvonLichten‑
stein(AarburgProbleme,98;Riedel217ff.),他の作品ではGottfried:Tristan(4751〜4820), それにKudmn(372)も関連として注目されよう。
(10)ヌロデイ写本については本稿のIで紹介する。32ページ以下を参照。
(11)Le北〃はゼクヴェンツ(セクウェンツイア,続調)&qz@e"zと呼ばれる形式に関連する中,世の長大 な形式。フランスの〃に相当する。GennrichGrundri8(96ff.)に詳細が説かれている。又具体的 な例はJammersMelodien(281ff.)及びDLdM(119ff.)にある。ちなみに後者はHennann Damenの作で10ページ半の楽譜を示し又208詩行に及ぶ大作でJ(33ページ参照)に伝えられている。
(12)Nagel(268)は音楽面の理解を強調するあまりテクストを「より悪い半分」dieschlechtereHalfte とさえ云っている。
(13)類似の表現はほかでも見られる。例えばKienast(Sp.55f.)。なおEhrismann(200)には音楽関係 の文献が紹介されている。
(14)注(12)参照。
(15)CarminaBuranaについては本稿32ページ参照。又レコードについては以下59ページ参照。
I 楽 譜 付 写 本 の 概 要
音楽を伝える比較的確実な手段はやはり楽譜である。この楽譜を含む写本はヴァルター 以前のミンネゼンガーについては例外的にしかない。しかし時代が下るにつれて,現代か ら見れば不完全な楽譜ではあるが,これを伝える写本類が増えてくる。これらの写本類に ついての概要はKippenberg(42ff.)やTaylorMelodienI(26ff.)などで確かめられる。
この伝承された写本類には次のようなものがあるが,以下Kippenberg(46)に従い,大体 成立順に列挙して見る。()内は学界で用いられる略号である。
1)ポイロン写本CodexBuranus(M)
これは純粋なミンネザング写本ではないが,これを含む最も古い写本で,現在ミュンヒュ ンに所蔵されている。初刊行者Schmellerによって「カルミナ・ブラーナ」Carmina Buranaと名付けられた(22)。13世紀前半の成立。大体25×17cm,112葉の羊皮紙 からなるが,他に7葉からなる「ポイロン断片」FragmentaBuranaがある。大半はラテ ン語の歌で,道徳的・風刺的内容の詩,愛の詩,酒や遊びの歌それに宗教劇などを収めて いて,いわゆる吟遊詩人の作品(Im"た"加es")も含むとされる。時期的には12世紀か ら13世紀初頭に至る作品で,中高ドイツ語の作品も40以上収められている。この写本の 特色は,かなりの詩行の上方に楽譜が付されていることである。しかし,この楽譜は横線 をもたない「鉤型のネウマ」(23)と呼ばれる符号であってリズムも不明であるが明確な音高 も示さないもので現在までの所,解読は不能とされている。とはいえ最近は平行写本との 比較などによって次第に解明されてきた模様でBemt(569f.)は現代譜所在の一覧表を付 している。又Binkleyのレコードもこのような方法で演奏しているらしい。音楽的には特 に聖マルシャル楽派とパリのノートル・ダム楽派の(一部は多声の)写本との比較による らしい(Bernt,451f.)(24)。この結果レコードにはCB161a,CB107,CB147a,CB 168a(25)の4曲の中高ドイツ語の歌の演奏が収められている。この最後はナイトハルト
(WF,SL11)(26)のリートであるが,これにはネウマはついていない。しかしこの前のラテ ン詩の対にあるものをあてはめたものらしい。更にMF142,19;185,27;203,10,ヴァル ターの51,13などにネウマがそえられているか,それが推定できるので,研究の結果次第
(22)Hilka/Schumannll,1(1)
(23)〃"た"ノ。Sc肋""@e"(I血膨""ez""e"),Kippenberg(46)
(24)聖マルシャル楽派は南フランスのリモージユで12世紀前半,初期の多声楽の発展に貢献した。ノート ル・ダム楽派については注(66)参照。
(25)Hilka/Schumann:CanninaBuranaの番号である。
(26)Wie6ner/FischerのSommerliederNr.11(BeyschlagL17)<Ezgruonetwoldiuheide;…》
で始まる歌。歌詞はMでは異同がある。
ミンネザングの音楽 33
では重要な写本といえよう。
この写本にはいわゆるファクシミリ版があるほか,Hilka/Schumannのテクスト,それに Fischer/Kuhnの現代ドイツ語訳が刊行されていて便利である。写本の解説はHil‑
ka/Schumannll,1;Berntに詳細に見られる。又この写本には8点のミニアチュアが収 められているがコピーがHilka/SchumannI,1に入っている。又写本のネウマの入った 一部分のコピーはKippenbergの巻末(60'/61")とTaylorMelodienll,69(657)で見ら れる。前者はMF177,10(CB147a)とMF142,19(CB150a)を含む。
2)シユライバー断片SchreibersFragment(S)
13世紀後半の手になるものでウルリヒ・フォン・ヴィンターシュテッテンWinter‑
stettenのライヒのメロディ断片を伝える。19世紀末に紛失して現在はない。ただHMS
Ⅳ(772)でその複製を見ることができる。又この現代譜はKraus/Kuhn(160)にReichert によるものが収められている。記譜法は音高を正確に示す「ドイツ式ネウマ」(27)。
3)フランクフルト断片FrankfurterFragment(O)
ナイトハルトの最古の楽譜付文献で14世紀初頭に書かれた。ナイトハルトの5曲(その うち1は偽作とされる)のメロディを伝える。HMSw(770f.)とLitterae双書(Nr、15) でコピーが見られる。記譜法はSとほぼ同じ。
4)イェーナ・リート写本JenaerLiederhandschrift(J)
この写本は恐らくすべてのメロディ写本の中で最も貴重なもので,特に13.14世紀のミ ンネザングの多数の旋律を伝えている。ミニアチュアこそ収められていないが,その代り 美しい描くように書き込まれた楽譜によって,その稀に見る大型(56×41cm)の羊皮紙写 本を一層豪華なものにしている。現在イェーナ大学の所蔵となっている。製作されたのは 14世紀中頃とされている。
最初は154葉あったと伝えられているが,現存するのは133葉で,これに30人のミンネ ゼンガーの102の詩(940詩節)が収められ,91のメロディが伝えられている。メロディ は「ローマ式方型譜」,又は「コラール記譜法」(28)と称されるシステムで記されているが,
これはグレゴリオ聖歌の写本などに用いられているものである。四本の横線上に整然と ヴイルガとリガトウラ(29)を用いて記譜され,歌詞は第一節のゑが下に付され,二節以下は 後にまとめて記入されている。
収録されている詩人の多くは中部・北部ドイツの市民出身者で,この写本でのみ知られ ているということである(TaylorMelodienl,26)。しかしコンラート・フォン・ヴュル ツブルク,フラウエンロープ,アレクサンダーなどの作も伝えられている。なかでも29γに
(27)〃"たc"Ne@"f@e",Kippenberg,46
(28)("tWis"e)Qmd""o"伽","o""o"加",TaylorMelodienl(26),Kippenberg(46) (29)W'",L邨如γ前者は有柄の方型符,後者は各種の複合符を指すものと解されたい。リガトウラは
イタリア語からの表現。
記されているシュペルフォーケルの筬言詩(MF24,9)(30)のメロディは,恐らく最も古い ミンネザングの音楽を伝えるものであろう。
この写本が音楽的に重要である点は,この写本をめく・って多数の研究が発表されたこと でも分かろう(31)。DLdM,JammersMelodien,AoMなどはこの写本からのメロディを多 数収録している。例えばDLdMは72〜152ページにわたりJの16人のミンネゼンガーの 25曲が紹介されている(32)。
さてこの写本の参考文献であるが,先ず最近Litterae双書(Nr・10)で写真版(約半分 の大きさ)が出版されたので,その大要を知るのは容易になった。又不完全とはいえHMS W(775ff.)にメロディ部分のみ第一節の歌詞とともにすべて複製されている。又一部のコ ピーはKippenbergの巻末(シュペルフォーケル),TaylorMelodienll,65(ヴィツラフ)
それにMGGのAarburgの手になる項に737,81γのコピーがみられる。又本稿でもコ ピーを示しておいたので,音譜の形など確かめていただきたい(71ページ)。又この写本に ついては,MGGのAarburgが手軽である。なおLitteraeの巻末にも解説がある。
5)ミュンスター断片MtinstererFragment(Z)
1910年偶然にある貴族の文書の包みとして用いられていたのが発見されたもの。22×
14.5cmの2葉の羊皮紙断片であるが(33),この発見はミンネザングの音楽研究にとって極 めて重要なものであった。この中にヴァルターの有名な「パレスチナの歌」(34)の真正のテ クストに付けられたメロディ譜が発見されたからである。ヴァルターのメロディについて は,それまでは解読不能のMか,別のテクストにそえられた後世のt,P(これについて は以下の15),及び38ページ参照されたい)による間接的資料しかなかった。つまりZは解 読可能の最も古い,かつ信頼度の高い資料として大きな価値を持つものである。さらにW 18,15「第二フィリプス調」,W26,3「フリードリヒ調」及び「新ヴァルター調」(WXXVIII) のメロディが含まれているが,これはいずれも完全ではない。他にラインマルの不完全な
メロディが伝えられている。
この記譜は「ゴシック式コラール記譜」又は「釘型符」(35)と称されるもので3線上に記
(30)<Swaeinvriuntdemandernvriundbigestat》現代譜はDLdM,JammersMelodien,AoMに収 められている。
(31)Litterae双書Nr.10の巻末,Kippenbergの文献表など参照されたい。
(32)先述のBinkleyのレコードにはDerkunincRodolpminnetgot(DerUnverzagte),Ezwaentein narrenwise(Frauenlob),Ichwarnedich(Wizlaw)*,Loibererisen(Wizlaw)の4曲をJにもと づき演奏している。現代譜はDerUnverzagte(DLdM,JammersMelodien,AoM),Wizlaw
(JammersMelodien,LoibererisenはDLdMにも)で見られる。*この原譜のコピーは本稿71ペー ジに収めてある。
(33)書かれた時期は明確ではないが14世紀前半(TaylorMelodienl,32)という説があ る。Kippenberg(49)は少し後と推定している。
(34)<Allererstlebeichmirwerde…》(W14,38)なお注(19)参照。
(35)gひ雄c"g助07zzAcM/ZH"加哩EIsc"γ坑Kippenberg(46)
ミンネザングの音楽 35
入されている。
この断片のコピーはJostesで見ることができるがKippenberg(226f.)も忠実な転写を 示している。この前半は本稿69ページにも引用してある。後にも触れるように,ここに見 られる音符の形の相違はリズムを示すものとは解されていない。又ヴァルターの4メロディ はすべてAoMに収められている。この写本についてはJostes,Lachmann/Kraus /Kuhn(XXXIVff.,XXXVIff.)が参考となろう。
なおLitterae双書(Nr.7)でヴァルター写本の複写版の出版が予告されているので,
これにZも含まれている可能性がある。
6)ベルリン断片Berlin981(Mb)
14世紀後半の羊皮紙断片。作者不詳のメリスマティックな春の歌《Ichsezteminenfuoz andessumersklも》を伝える。このコピーはKippenbergの巻末に,又HMSw(773) に複製が収められている。記譜は「ドイツ式ネウマ」による。現代譜例はKraus/Kuhn(157) やJammersMelodien,AoMに見られる。
7)ウィーン・ライヒ写本WienerLeichhandschrift(W)
アレクサンダー,フラウエンロープ,ラインマル・フォン・ツヴェーターZweterの5 曲のライヒなどを伝える14世紀後半の羊皮紙写本。記譜は「ドイツ式ネウマ」で一部のコ ピーはAoM,1又同じものがTaylorMelodienll(68)に収録されている。
8)シユテルツィング写本SterzingerHandschrift(s,AoMではS2)
14世紀末か15世紀初頭の紙製写本でTaylorMelodienl(27)によると34の詩に18 メロディが伝えられている。このなかにナイトハルトの9メロディが含まれている。この うち2例は真正とされ,しかも他の平行写本のない貴重なものである。原本は戦時中に行 方不明となったらしいがコピーや転写が残されていたのは幸いである。Hatto/Taylorに WF,WL24の現代譜が収められている。
記譜法はKippenberg(46,51)によると統一されていないで,菱型符にリガトウラを用 いた部分,白い菱型符(セミブレーヴィス)によるもの,黒いミニマにセミブレーヴィス を混合したものを示し,不完全ながら一部で定量を暗示しているとされる(36)。
9)フーゴー・フォン・モントフォルト写本(ハイデルベルク写本)Montfort‑Hand‑
schrift,(HeidelbergerHs.)
オーストリアのブレーケンツで活躍したモントフォルト(1357〜1423)の13の詩とマン ゴルトMangoltの作曲(37)のメロディ10曲を伝える15世紀前半の写本。記譜法はゴシッ ク式記譜と一部に暗示的定量符(41ページ参照)を含むらしい。
(36)α"g膠〃"彪彪』〃@sz";Kippenberg(46)この音符の形状についてはKippenberg(225)の忠実な転 写を参照されたい。又〃『"伽q,""z必彩りjsなどの用語については音楽辞典の』〃@s@"ia/"o施伽〃
(定量記譜法)の項を参照されたい。
(37)HugovonMontfortは自分で作曲はしなかったといわれている。
10)ベルリン写本Berlin(erHandschrift)922(x)
15世紀前半(38)の紙製写本で現在チュービンケン大学に所蔵されている。86の詩に12メ ロディを伝えているが大半は作者不詳のもの。記譜法は菱型点を用い,部分的にこれを重複 することによって定量が暗示されているとされる(Kippenberg,49)。なお楽譜は歌詞と離 して前におかれているらしい(TaylorMelodienl,30)。この方法は以下の16)のcでも とられている。
11)モントゼー・ヴイーン写本MondseeWienerHandschrift(Wien2856)(39) 15世紀前半ないし中葉の写本で,約50曲のメンヒ・フォン・ザルツブルク(40)の多声の メロディを含む83メロディを伝え,その一部は明確な定量を示す。Kippenberg(46)によ ると黒色定量符が用いられているらしい。
12)ウィーン写本Wien(erHandschrift)3344(w)
15世紀中葉の紙製写本で,31の詩と20メロディを伝承。8曲のナイトハルトのメロディ を含むが真正なのはWF,WL25(Hatto/Taylorに収録)のゑとされる。記譜は不統一 で何人かの手になるものらしく,ゴシック式コラール譜,コラール方型符,菱型符,それ に定量符が混用されている(Kippenberg,51,225)。
13)オスヴァルト・フォン・ヴォルケンシュタインのヴィーン写本Wolkenstein‑
‑Handschrift,WienerHs.(Nr2777)(KleinではAと略される)
ヴォルケンシュタイン(約1377〜1445)のメロディを伝える定量符の羊皮紙写本。
14)同インスブルック写本InnsbruckerHs.(KleinではBと略される)
前者と同様ヴォルケンシュタインのメロディを伝える定量符の羊皮紙写本で,この両者 で122曲の楽譜が含まれ,うち40曲は多声曲とされる(TaylorMelodienl,30)。とも に15世紀前半に書かれた(41)。このうちAにはMusikforschung誌(1977,409)によると 私家版の複写本があるらしい。又Bの方は現在Litterae双書(Nr.12)で写真版が出版さ れている。又SalmenはKleinの巻末に,このBに基づく現代譜を示している。又以下のⅣ
3)の文献を参照されたい。
15)コルマル・リート写本KolmarerLiederhandschrift(t,MGGではK)
この写本は15世紀中葉に書かれたがJに次ぐ重要な資料とされている。特に後期ミンネ ザングと初期マイスターザングのメロディを多数伝えている。856枚に及ぶ29.5×20cmの 紙製写本で現在ミュンヒェンに所蔵されている。最近Litterae双書から写真版が出版され たらしいが未見であるので,MGGのAarburg,TaylorMelodienl(27)によって紹介 する。それによると100人の詩人の詩と105のメロディを伝え,このなかには5曲のライ
−−−
(38)TaylorMelodienl(29)によると1410〜1430。
(39)Sp6rl(Spoerl)‑Liederbuchとも称される。
(40)14世紀後半のミンネゼンガーHermann,M6nch(Miinch)vonSalzburg.
(41)13),14)及び他のヴォルケンシュタインの写本についてはKlein(XIff.)に紹介されている。
さらに補えば14世紀の「バーゼル断片」(44),「クレムスミユンスター写本」(45),それに マイスタージンガー時代の写本がある。このなかでは「ベルリン写本24,25」(46),「ニュ ルンベルク写本784」,「プシュマン歌集」(47)などが重要とされる。最後の歌集はヴァルター の3メロディを伝えているので有名である。
これらの写本の列挙を見ると,かなりのメロディが伝えられているといえるが,それは 比較的後の時代であって初期と盛期,つまりその「春と夏」については楽譜は全くないも 同然である。シ1ペルフォーケルそれにラインマルの断片を除けばあとヴァルターの11メ ロディがすべてである。しかしナイトハルトとなるとかなり満足すべき量の楽譜が残され ている。そしてずっと後になればヴォルケンシュタインのように記譜の点でも充分満足で
きる楽譜を手にすることができることが分かる。
以上がミンネザングの一次的な音楽資料の概要であるが,これらは又先述のように,い ろいろな問題を含んでいて直ちに当時の音楽となっては蘇ってこない。その問題点のひと つは伝承の不安定さないし不確実性,またいまひとつは記譜自体の不明確さにある。次に
これらについて少々詳細に立入ることにする。
II楽譜付写本の問題点,リズムの解釈をめぐって
不 安 定 な 伝 承
これらの写本では,まずそこに伝えられたものが,果してどの程度まで原作に忠実であ るのか,又真正の作であるのかという真偽ないし伝承の信頼性の問題がある。というのは 何れもミンネゼンガー自身の手になるものではないし,原作の時期から比較的近いZでも 一世紀以上,t,Pともなればヴァルターの時代から三世紀近くの時が経っている。とす ればこれは当然のことであろう。この不安定さは写本類の比較によってしばしば確認され
ている。
(44)BaslerFragment(Ba)このコピーはLitteraeNr.10(J)の付録として収められている。
(45)Kremsm伽stererHandschrift(N)ヴァルターのメロディ(W53,25)を伝えるので知られている が,現在のところ解読不能のネウマで書かれている。JammersMelodien(227)はメリスマティック なメロディの動きが分かるとして原符のままのネウマを示している。これに対しMaurerll(96)に はBirknerによる中立譜が推定されている。
(46)Berlin25はKippenberg巻末にヴァルターのメロディを伝える部分のコピーが見られる。
(47)PuschmannsSingebuchl6世紀末の歌集で時にPと略される。AdamPuschmann(1532〜1600) はニュルンベルクのハンス・ザックスのもとで学んだマイスタージンガーでこの歌集を編んだ。この 歌集はヴァルターのメロディを伝えていて有名である。それはLangerTon(W8,4),Kreuzton(W
103,13/76,22),FeinerTon(W11,6)でいずれもMaurer,DLdMに収められている。なお,この歌 集には1906年Mtinzerによる選集が出版されたらしい。又原本は残念ながら現在は行方不明で戦火 の犠牲となったらしい。このため「ニュルンベルク写本784」の重要性が高まってきたとされる
(Kippenberg,188)。
ミンネザングの音楽 39
例えばHusmannMinnesangはJとWに平行して伝承されているアレクサンダーのメ ロディについて譜例(中立譜)をあげながら,両者の相違を指摘しているが,ここではメ ロディの細部のみならず,終止音のような重要な部分にも異同が確認されている。なおこ こにはトルバドゥールの例も引用されている(Jaufr6Rudel:Lancanliiornの3平行 例)。この種の変動はしばしば別のメロディではないかと思われるほど大きいことがある。
その場合,古い写本の方が信頼できるとは限らないとされるから(TaylorMelodienl, 34)何れをとるかはなかなか決することができないことになる。Taylorはこの立場から平 行写本がある場合は,しばしば両者を平行して紹介している。この例の代表は恐らく TaylorMelodienllに収められているコンラート・フォン°ヴュルツブルクの「宮廷調」
である(48&
又Kippenberg(185ff.,231〜34)はプシュマン歌集の伝えるヴァルターのメロディが,
他の平行写本(ニュルンベルク写本784,ベルリン写本25)と異っている点を指摘し,特 に時代を下った写本からのメロディ推定には充分な検討が必要なことを強調して↓、る。彼 の収録しているコピーによると,ヴァルターのKreuzton(49)が他の2写本ではほぼ一致し ているのにPのみが異っていることが分かる。一般的には後の時代の別の歌詞を付された メロディ伝承は,その変更はむしろ当然かも知れない。TaylorMelodienl(32)もこれ らの写本では「ヴォルフラム,ヴァルターの名のもとに伝承されているメロディは,作者 の最初の構想のうち,恐らく多くを残さないような激しい変化を受けていることを,原則 として確認しておかなくてはならない」と述べている。しかしながらこのような事情にも かかわらず,これらにしか頼れないとすれば,これらの写本も決して軽視されてはならな いであろう。
こ う し た 伝 承 の 不 安 定 さ の 大 き な 原 因 の ひ と つ は , こ れ ら の 音 楽 が − そ し て 文 学 も−久しく聴覚的記憶に頼ってきたという事情にある。Kippenberg(54ff.)によると古 くはミンネゼンガーが自筆の原稿を羊皮紙に認めたという説(リート原稿説Z,"〃妨賊候 彪鰐フル0 )や吟遊楽人のレパートリー譜などをもととして写本類が生じたというような 説があったらしいが,現今では少なくとも音楽的にはその伝承は久しく口伝であったと信 ぜられている。Jammers(8)は多くの写本はどれも実際の演奏のためには向けられてい なかった−例えばJ,Cの大きさ−ことなどを指摘し,歌は記憶によって歌われたし,
又作曲も楽譜の助けを借りなかったとしている。そしてハインリヒ六世帝やハウゼン,ヴァ ルターなどのミンネゼンガー達が楽譜を心得ていたとは考えられないといっている。更に 文学的にも書くことを要しない芸術であったと断言している。しかし後の時代になればこ
(48)J,tの2メロディを現代譜で転写している。両者は大きな相異を示す。更にHatto/Taylorはナ イトハルトのリートについて3ケース,AoMでは12例収録されていて,このような事情を確かめる ことができる。
(49)Maurerl(33);DLdM(30)に現代譜例。共にPによっている。
の事情は変ってくるとは思われる(50)。
このような事情であれば,その原型が長く保持されるということはまず不可能に近いで あろうし,その伝承もまた不安定とならざるをえない。この不安定な伝承形態には当然,
演奏の際の様々な変化や作者自身や他人による変更が加わり,さらに後に書き記される際 の製作者による変更や改訂,それに書き誤りといった要因が加わって写本類の伝承は不確 実なものとならざるをえない。これに音楽を正確に記す手段の不充分さ,ないし困難が加 わるのである。いずれにしてもミンネザングの音楽研究には以上の状況はさけ難い前提と なっていることを承知しておかなくてはならない。
なおメロディの真偽を決定する,ひとつの有力と思われる手段として,付されている歌 詞の真偽による判断がある。TaylorMelodienl(33)はこれを提唱し,少なくともメロ ディを真正なテクストに付されたものと,そうでないものを区別することを勧めている。
厳格とはいえないが,彼はAoMでこれを実行している。もっともナイトハルトの場合の ように多数のメロディが伝えられていると,音楽的な比較によって,例えばメロディ構造 などから或程度の真偽の区別が可能である。又彼ものべているように,テクストが真正で なくてもメロディの承が原作ということは充分ありうる。特に中世ではコントラファク
トゥールKり"加加灼加γと呼ばれるメロディ借用が広く愛好されていたのであるから(51)。
リズムの解釈
次の問題点は,これらの写本の楽譜のほとんどは,現代の楽譜に比較すると著しく不完 全だという点にある。一部のM,Nなどの写本に用いられている音高を示さないネウマ譜 を除いて,音高については大体問題はない。しかし音符の時価ないし長さ,つまりリズム 量や,それらをどのように分割ないし,グループ化するかについては一部の写本を除いて 何も示されていない。これは比較的後の一部の写本に不完全に−ヴォルケンシュタイン などでは既にかなり明確である力告示されているに過ぎず,ミンネザングの重要な写本 であるJ,t,cそしてZなどはこれを示していない。ただ先述のようにcでは例外的に後に
(50)ミンネザングは書かれたし又それが読まれたという証言が見られるから。なお,注(8)参照。こ れに関して「騎士が自分の詩を羊皮紙に書きつけて宮廷で歌う前或いはその後で貴婦人や君主に捧げ たという習慣は,ひょっとしたら早くから行われていた」とKippenberg(17)は推定し,更にリヒテ ンシュタインの「美しい婦人たちがそれを(leich)好んで読んだ」という言葉を引用し歌われると同 時に読まれたという証拠としている。又AarburgProbleme(102)は同じリヒテンシュタインの「メ ロディとテクストがきれいな書体で書きつけられていた…」などを引用して,古い「リート原稿説」
の例証だとしている。他方JammersLiederbuch(73)はCの2枚のミニアチュアに書取らせている モティーフがあることに関連して,これは共に叙事作品ケースであり「筬言詩とリートは暗記して歌 われた」と断言している。なおこの1枚BliggervonSteinach(182")のミニアチュアはコピーが同 書に入っている。上方のワッペンにハープらしき楽器が見える。
又リヒテンシュタインについてはRiedel(217〜222)が取扱っている。
(51)コントラファクトゥールについては本稿Ⅲで取扱う。
ミンネザングの音楽 41
書き入れたと思われる定量符一一黒色のセミブレーヴィスとミニマーが示されている(52)。
この同じ写本の他の楽譜はゴシック式コラール符で記され,少なくともヴィルガとプンク トウムの区別が存在するが,これはリズム量についての相違を表わすものとは考えられて いない。これはZやtの場合も同様で,Kippenberg(71)は前者については書き方の偶然 なのか,何らかの区別を示すのかは判断が困難だとしている。これはJなどの場合にも該当 するであろう。これに反しtについてはプンクトウムは何らかの演奏上の指示の類ではな いかと推定している(53)。つまり,リズム量の区別はないが,何か別の意味をもつという事 が考えられるわけで,又別の困難のひとつであろう。彼は又,不完全な部分的なリズム量 の記載について,リズムの指示は最初は,楽曲の最初の部分とか,当時の知識では判断で きないような困難な箇所にのゑ示されれば充分だったのではないかと推定し「暗示的定 量」α"〃"蛇"庇j化"S"γ(71)(54)という概念を適当としている。
さて一般的に楽譜にリズム量やその種類についての情報が含まれていないとすれば,こ れをどのようにして知るか,つまりこれらの楽譜をリズムに関して,どう解釈ないし解読 するかが,ミンネザングのメロディの宝庫を蘇らせる鍵をにぎっていることになる。それ にしても何故このように楽譜は不完全なのであろうか。それは第一に当時の記譜システム が充分に発達していなかったので表現できなかったということが考えられる。しかし実際 の音楽がどのようなものであったかが分からない以上,何が表現できなかったかは明確で はない。ただ少なくとも音の長さの区別はあったに違いないし,舞曲などでは明確な拍節 リズムも恐らく存在したであろうと思われるから,このような特色を表現できなかったと いえるかも知れない。これは或程度正しい考えで,後に触れるAngles(45ページ参照)の 研究がこれを裏書きしている。しかし他方で,書きとめる必要がなかったという事情が加 わるに違いない。先述したように久しくミンネザングは記譜の詳細どころか,メロディ自 体書く必要のない口伝の芸術であったのであるから,記譜は最初はメモ程度で充分だった に違い籾、。つまり不完全に思われる楽譜も当時の楽人にとっては完全であったというこ とになる。そしてこれに当然,当時の音楽演奏の大きな自由が関係すると思われる。これ は口伝の芸術という形態と無関係ではない。Kippenberg(63)はこの事情に触れて,楽譜 が正確に固定されるにつれて演奏も拘束されるようになったと述べている。このようない きさつは近い過去の古典派の音楽の一部にも見られる。さて比較的大きな自由を伴う演奏
(52)注(43)参照。なおこの写本ではメロディ譜が歌詞と切り離して前に置かれているので,歌詞をど のようにつけるかという問題もある。この問題は他の写本でも2節目以下については生じてくる可能 性がある。
(53)例えば,軽く歌うとか,メリスマのような装飾をほどこしていいとか,声を控えるように,或いは テクストの韻律調整の可能性のある場所などの指示を考えている。(Kippenberg,72)
(54)""g膠〃"た蛇ハル"S"γ(46)とも表現されている。同じものであろう。例としてはMontfort‑Hds.,x の一部,Mondsee‑Wienの一部,Wの一部,[cは?付で()内に入っている〕があげられている。
が特色だったとすればミンネザングの音楽を蘇らせるのに,リズム的に固定した近代音楽 流の解釈は確かに問題があるかもしれない(Kippenberg,61)。この点,後に見るJammers のリズムないし演奏についての見解はこの事情を考慮していると思われる。そして Kippenbergも多分にこの考えに傾いているように見える。
以下,リズム解釈の主要な方向を紹介しよう。
(1)韻律によるリズムーRunge,Saran
楽譜にリズムの手がかりがないとすれば,言葉の方に,つまり詩の韻律』ん加跨によるべ きではないかという見解は充分な根拠のあるもので,既に19世紀の前半にFischerが写 本Jに関して注目していた(55)。しかし規則的な詩の韻律を基礎とするリズム論はKippen‑
berg(74ff.)によれば19世紀末Runge,Saranらの学者によりJ,tのメロディについ て本格的に提唱されたもののようである。その原則はメロディのリズムはテクストの韻律 に従うものとされ,その揚音と抑音の時価は,前者が後者より少し長いか或いは2倍とい う可能性−これは結果として3拍子系となりうる−を保留しながら一応は等価と解さ れ,メロディの拍節は規則的に強弱がくり返される詩脚の拍節に適合された。メロディの 句切りは脚韻が示し,この音節はRungeでは絶えず延長され,女性韻では更に一拍が追加 された。この点Saranは延長しないで演奏者の自由に委ねたらしい。その結果リガトゥラ も音符の数に関係なく一拍時に収められた。しかし歌詞の伴わないメリスマは例外的に扱 われたという。このような韻律の規則的リズムによる解読はもち論充分根拠のあるもので あり,原則としては今日でもMoser,Jammers,Taylorなどにより考慮されている。ただ 細部についてはいろいろ問題があり,なかでもTaylorMelodienl(36)の指摘するよう に,韻律は音楽的なリズムを必ずしも明確には示しえないという原則的なあいまいさを残 していて,絶対的な解読法とはいえない(56)。これはMOserもDLdM(9f.)で指摘してい る。つまり韻律リズムは,音楽的には例えば同じ4分音符をあてることも,又4分音符と 8分音符の交代,或いはもっと他の時価を与えることもさまたげな↓、のである。問題を簡 単にすれば偶数拍子にも奇数拍子にも解釈できるというあいまいさをもっている。
(2)拍節的音楽リズムの適用‑Riemann
先のRungeの試みに刺激されてRiemannは詩の韻律ではなく,近代の音楽に見られ る,強弱の拍が規則的に反復される拍節リズムのパターン,それも偶数拍子でミンネザン グのメロディのリズムをより明快に,かつ統一的に解釈しようと試ゑたらしい。その理論 は連続的な4揚音の(音楽的には8個の4分音符の強弱の交代からなる)パターンを基礎 とし2小節,4小節といったペリオーデの積重ねで楽句が構成されるというもので,近代
(55) (56) (57)
HMS,w(857)
それに詩の韻律が明確でない場合も考えられる。
司芯彪獅〃γVMカ"廼勉〃(Kippenberg,78),1/泥戒e6ZW施肋go"(HusmannMinnesang)
ミンネザングの音楽 43
音楽の楽式の基礎をなすものである(57)。しかしこのパターンを様々な長さ,形式のミンネ ザングに適用するためには,延長や短縮を必要とし,特に多音符のメリスマは極端にコン デンスされなくてはならないという不都合がある。それにTaylorMelodienl(36)の指 摘するように,このような画一的なパターンの適用は,せっかくのミンネザングの多様な 詩節構成のヴァライエティを台無しにしてしまうであろう。それにメロディもテクストか らも分からないような勝手な延長や短縮はまことに不都合といわざるをえない(58)。Runge 以上に無理な理論といえよう。しかしながら舞曲のような種類では(例えばナイトハルト)
この拍節リズム・パターンは可能であろうと思われる。ただ,Riemannはドイツのミンネ ザングの韻律からヒントをえたせいか,3拍子については関心を示していない。しかしロ マン系のダクテュロスやアナパイトスの詩脚には,上のパターンは問題にならないとのべ ているらしいから,ここでは3拍子を考えていたかも知れない。
Riemannの文献は入手困難であるが,Kippenberg(229)の引用譜でその理論の大要を 伺うことはできる。
(3)自由なリズムーMolitor
他方,音譜がリズム量について差異を示さないとすれば,各音符の長さはほぼ同一であっ た の で は な い か と い う 推 定 が 行 な わ れ た 。 ミ ン ネ ザ ン グ に 関 し て こ れ を 唱 え た の は Kippenberg(83ff.)によればMolitorで1910年,当時発見されたヴァルターのミュンス ター断片(Z)のメロディにこの理論を応用した。これについては本稿69ページの譜例11.
に入っているので参照されたい(59)。この理論は元来,主としてフランスのソレムSolesmes 修道院のグレゴリオ聖歌のリズム論に基づくもので,これ自体必ずしも学界で一致を見て いるわけではないが,現在カトリック教会での主流となっている。具体的には各音符はほ ぼ同じ長さで2又は3の音群が不規則に連続するものである(60)。Kippenberg(83ff.)は これを「自由なリズム」〃たR勿肋加娩又「朗詠風唱法」0γzz加燃c肋vりγ加"s@"eiseと称 している。Molitorはこの場合,全体的な区分はテクストに従い,脚韻音節などは延長し,
又シラビックなリートでは詩の抑揚にメロディも適応された。しかしこれ以外は音楽のリ ズムはテクストと無関係とされた。ヴァルターの譜例に見られる風変りな小節縦線の用法 を別として,この理論ではKippenberg(87)も指摘するように音符の数によっては詩行の 音楽的長さは異ってくるし,装飾と考えられるメリスマなどで不都合が起ってくる。彼は,
この理論をナイトハルトのリートや一部に定量譜が伝えられているロマン系のミンネザン グにも適用しようと考えていたらしいが(Kippenberg,86)これは不適当な見解といわざる
(58)Kippenberg(81)もこのような理由付のない延長やメリスマの扱いからこの理論はIllusionである ことが証明されるとしている。更にこのような延長や短縮は我々にも困難であるがミンネゼンガーに とってはもっと困難であったろうと暗にこの理論の虚構を皮肉っている。
(59)Ludwig(205)はこの解読を受け入れられないものとしている。
(60)〃γ"9""s"sc"Rhj"伽z"S、グレゴリオ聖歌のリズムに関してはJohner/Pfaff(18ff.)が簡明。
をえない。ただし一部のミンネザングにはこのリズムが存在したということは充分可能性 があるので,その意味では決して捨てさられるべき理論ではない(61)。
(4)定型リズム
これに対し前後して,「定型リズム」(62)と呼ばれる音楽的な拍節的リズムの別のタイプに よる解読法が提唱される。Kippenberg(102ff.)によると,このメトーデはLudwig(1910 年)に発するもので,彼は中世の多声のモテット(63)と中世のラテン語の理論書の研究からこ の解釈を導き出したとされ,やがて弟子のBeck,Aubryなどの学者に伝えられた。
Aubryはパリのある写本で多声のモテットとトルヴェールの作品が同じ方型符を用いて記譜 されていること,他方このモテットの平行写本がブランコ式の定量記譜法(64)を示している ことを根拠に世俗楽のトルヴェールにも多声モテットのリズム原理,つまり定型リズムを 適用しうると考えた。Beckもほぼ同じ根拠で,259のトルバドゥールのメロディのなかに 15の定型リズム,或いはブランコ式記譜法で記された定量符があること,他方定型リズム で解読されるべきモテットが世俗単声楽と同じ方型記譜を用いていること,それに13世紀 の理論家JohannesdeGrocheoの記述などを援用して,世俗単声楽に定型リズムを適用す ることを「唯一の正しい道」(65)と確信するに至ったらしい。
このリズムは13世紀パリのノートル・ダム楽派( 6)の多声楽で完成された体系で,大体 次のような6つの(リズム)定型Mod"sのどれかが規則的に,そして理論によれば終止ひ とつの定型が反復されるものである。これはしかし実際にはかなりの多様性を示したもの のようである。
−
(61)以下の(5)Jammers,(6)Taylor又(4)の最後(47ページ)のHuSmannなど参照されたい。
(62)いろいろな表現が用いられる。〃0〃んR幼"伽、娩(〃0血ノ沈j""@),"@0〃んR幼"伽29",』伽吻ノー γ血〕"伽@地吻"伽@"wo血関連してMoWs(モードゥス),"@odzds(モドゥス),Mo伽""goW Mod@ds"ん〃など。邦語ではモード(的)リズム,リズムのモード,リズム定型といった用語が用いら れている。モーダル・リズムを英語から借用することもできよう。本稿ではリズムの種類としては原 則的に「定型リズム」,ル吻伽sは「(リズム)定型」と表現する。
(63)Mo彪旋はパリの13世紀のノートル・ダム楽派のひとつの代表的形式。厳格なリズム定型を用いた 多声楽。各声部は別の歌詞を伴なうという特色が見られる。ノートル・ダム楽派については注(66)
参照。
(64)乃切" "な〃Ⅳb"吻〃はFrancodeCologne(vonKbln)による定量記譜法。ブランコは13世紀 中葉のドイツの音楽理論家。
(65)Kippenberg(107)
(66)Notre‑DameSchuleは12世紀後半から13世紀中葉にかけて,パリのノートル・ダム寺院を中心に 多声楽を発展させた楽派。3声,4声に及ぶ,コンドゥクトゥスα"d@@cMs,オルガヌムO7W"""@,
前述のモテットなどの形式の音楽を作曲した。代表的作曲家にはレオニーヌス(レオナン),ペロティー ヌス(ペロタン)がいる。
ミンネザングの音楽 45
菫鰯臓鰄:メョ』│jJ」│
第3定型(daktyliscll:j.'JIj、歩jl
菫鰯継麗職五JJ・IJ,〃1己.
第6定型"bmchiSch);JJJIJJJI
()内は古代ギリシャ・ラテン詩の詩脚名による名称である。(TaylorMelodienI,38)
このモ(−)ドゥスないし(リズム)定型は,ノートル・ダム楽派の多声楽の記譜では,一 定のリガトゥラなどの組合わせで示されたらしいが(67),同じ方型符を用いていても,世俗 の単声楽ではこのような記譜を示していない。にも拘わらず先述のような推定から,この
リズムの解読が試承られたわけである。
Kippenberg(108ff.)はこれらの根拠について詳細に論評し,トルバドゥールの定量符 が,わずか6%にも達していないことから,このリズム解釈を疑問視し,少なくともオリ ジナルではないと推定する。しかしトルヴェールの場合は約1,400例中約400例の多数か ら,ここでは定型リズムが一般的であったことが考えられるとしている。又理論家の証言に ついても119ff・で詳細に検討を加え,当時の理論家は一般に世俗音楽については充分な 知識がなく,現実の多様性を単純化して理論を体系化しようとしているので余り信頼でき ないこと,他方,世俗楽の定型リズムを否定するような所見が見られることなどを指摘し て,このメトーデに疑問を投げかけている。更にモドゥスの選択一一それは原則的には詩 の韻律によるのであるが−も必ずしも明確ではなく,特にGennrichの何度かの訂正や,
同一の歌曲が異なった定型で解読されるなどの不都合が指摘されている。
しかし,この規則的なリズム定型の反復というシステムないしこの解釈に大きな疑問を 起させるのはKippenberg(116ff.)によると,Anglesの研究で,これによって,これま で考えられていなかったような多様なリズムが当時の中世音楽に存在したことが確認され たという。Angl6sはスペインのアルフォンス王の「聖マリアのカンティガ集」Cantigasde SantaMaria(68)のエスコリアル写本と他のフランス写本などを比較研究して,プロヴァン スとフランスの歌集の製作者は記譜の専門家ではなかったという結論に達した。これに対 し同時代のスペインの写本は,まことに多様なリズムを書きとどめているという。そして 中世の歌曲の実際のリズムは,これまで考えられていたよりは,はるかに多様なものであっ たのではないかと判断しているらしい。具体的にはカンティガには,第6リズム定型が見 られること,リズム定型の混合が見られること,多数のメロディで偶数拍子が認められ,
(67)W6rner(59);RiemannMusiklexikon;〃ひ血/"o""b"モード記譜法と称される。方型符を用い る。ブランコ式記譜はこの後に起ってくる。
(68)平凡社・音楽事典「カンテイーカス」,又RiemannMusiklexikon:@"jMs参照。
更に偶数拍子と奇数拍子の混合も存在すること,又テクストの韻律はリズム決定の一般的 規準ではないことなどが確認されたと報ぜられている(Kippenberg,118)。
定量符による写本例が少ないことや,オリジナルなリズムとする根拠がないこと,又リ ズムを示さない歌曲のリズムを示すための根拠は限られているといった事情に加えて,こ のAnglesの研究結果は,定型リズムの世俗単声音楽への画一的な適用が妥当でないこと を強調しているかのようである。
このように問題を含む解読法であるが,これはKippenberg(99)が認めているように,
今日有力な理論となっていて,ドイツのミンネザングについてもGennrich以後,非常に盛 んとなり,多数の解読が試糸られたのである。この理論をドイツのミンネザングに最初に 適用したのはRietsch(1912/13)とされ,彼はトルバドゥールとトルヴェールについての 先例と,定量符で記されたミンネザングのメロディ伝承を根拠としたらしい(Kippenberg,
135ff.)。Rietschの譜例は本稿69ページの5.を参照されたい(69)。この理論のしかし決定的 な地位を確立したのはGennrichである。1924年に彼はメロディは伝承されていないが,ロ マ ン 系 ミ ン ネ ザ ン グ か ら の メ ロ デ ィ ( 及 び 詩 節 形 式 ) 借 用 一 コ ン ト ラ フ ァ ク ト ゥ ー ル Kり" たz""γ(本稿50ページ以降参照)−が認められるドイツのミンネザングについて,
手本となったオリジナルのメロディを指摘した。これによってフランスからの影響が確認 されると同時に,ミンネザングの定型リズムによる全体的な解読の出発点ともなったので ある。
Gennrichは,その後精力的にこのメトーデを試ゑるが(70),Kippenberg(138ff.)はその 許容し難い一般化,体系化や一方的な見解,そして仮説や推論に基づく独善的調子やドイ ツのミンネザングの特性を無視した態度,更にモドゥスの選択についても何の説明もなく 自明の如く処理されている点などに批判の矢を向けている。定型の選択の際の不都合につ いては先にも触れたが,例えばGennrichはヴァルターのパレスチナの歌の解読に際して,
本稿69ページの8.(1951年),9.(1954年)では第5定型に基づいているがGennrich GrmdriB(1932年,247)では第2定型を用いているといった動揺が見られる(7')。
(69)第1定型と第2定型が混用されている。なおRietschが影響を受けたLudwigはドイツのミンネザ ングについては,モード・リズムの適用は控え目であった。本稿69ページの譜例3.と6.は同時に平行 して示されたもので第2定型による6.の方はひとつの可能性とされている。ただし』の多数のメロ ディは定型リズムが適用できると考えている(Ludwig,204)。
(70)Grundri6,Melodien参照,その他の文献についてはKippenberg(205f.)参照。
(71)これについてはTaylorUbertragung(137ff.)も批判している。彼はそもそもGennrichによる定 型リズムの画一的な適用に強く反対しているが,その際このモドゥス選択の不確実さに触れ,ついで に8.の例では所によって第3定型(ダクテュロス)が含まれていることにも注目している。
なおGennrichGrundri6の解読は譜例の6.Ludwigb)(1924)と全く同一である。又Taylor自 身のこの解読は偶数拍子によるものであるが,これについては譜例の1.及び以下49ページを参照され たい。
私Z
なお,これに先立って定型リズムはむしろ世俗音楽の方が起源ではないかという推定を 示しているが充分検討を要する見解であろう。
(5)折衷的なリズムーJammers
これらに対しJammersの見解は折衷的であって,彼はJのメロディについて研究し,言 葉のリズムに基づきながらも拍節的なリズムに固執することなく,固定したリズム・パ ターンからの部分的なずれを許容し,演奏者の自由に委ねた柔軟なリズムの流れを提唱し ている(77)。これはいわばRunge,Saran,Riemannなどの方向とMolitorの論との折衷の
ような見解であろう。
彼はこのような基本的見解に基づきながら他の場合には定型リズムをはじめ様々な可能 性を考慮している。例えば初期のミンネザングやヴァルターのメートヒェン・リーダーな どでは非定型リズムを推定しているが,大体トルヴェールの影響が及ぶ1225年以後は定型 リズムが可能だとしている(JammersMelodien,44,96f.)。従ってヴァルターのパレスチ ナの歌ではTaylorなどとは違って定型リズムを想定している。そしてLudwigの用いた 第2定型のゑが可能と考えて,ほぼ同じ解読譜を挙げている。70ページの譜例参照された い。又13世紀と14世紀のリートでは定型リズムと偶数拍子を見出しており,前者でも定 型リズムの規則に必ずしも適合しないものも認めている。他方,筬言詩についてはレシタ ティヴ調のリズムが見られることを確認している。なお定型リズムもJammersにあって は現代の拍節的リズムとは区別されて扱われ,リズム型は長短の時間的単位の組合わせの 反復によって形成されるものとされ,楽譜では一切縦線を用いない。
つまりJammersの態度は,多様な中世の歌曲の現実に即したもので,これを彼はその Melodienの137ページ以降の多数の譜例で示している。ここにはメリスマで特色づけら れた,グレゴリオ聖歌風のリズムを示すものもかなり収められている。この譜例集につい ては更にⅣの4)で紹介する。
(6)テイラーTaylorのリズム論
英国のTaylorも数多くの著作でミンネザング研究者として知られているが,彼のリズ ムの見解を紹介しておく。彼も総合的という点ではJammersと共通している。
彼は定型リズムに関しては,その存在は認めるが画一的な適用には強く反対し,今日最 も消極的な態度をとっているように思われる。TaylorUbertragungは特にGennrichの ロマン系領域の偏重と音楽面への片寄りに批判を加え,このような方向の研究法の実りの ない事を指摘する。そして槍玉にあげられるのが,定型リズムとコントラファクトゥール である。この後者についても極めて慎重であるが,両者は密接な関係にあるから当然であ ろう。その際特にモドゥス選択の動揺が批判されている(78)。この定型リズムは彼にあって
(77)KippenbeIg(88‑98)が詳細に論評している。そして彼は同191で最も役立つ成果だと評している。
(78)これについては注(71)で触れた。