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漆 原

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(1)

ーJ9・−−  

413  

資本主義と土地所有(Ⅰ)   

漆  原   緩  

Ⅰ  

農業が資本主義に.よってだんだん支配されてゆくに.つれて,たしかに土地所   有のもつ重みは軽くなって−ゆかざるをえない。しかし,資本主義社会でほ土地   所有がなお存続しているのが現状であっ 

業をとくべつな生産部門たらしめる一周となっている。土地所有は地代(さら   紅その転化形態である土地価格)をとおして農業生産力の順調な向上・展開を   おしとどめようとするのであって,農業を後進的な生産部門たらしめる・一つの   要因である。したがって,このような土地所有の経済的な作用をとりあつかう   地代論が農業経済分析の基礎的理論であることをどんな人も否定しえ.ないであ   ろう。   

しかもそうした地代論の研究が,その時々のすぐれて実践的・政策的な問題   意識に.よってうlらうちされてきていることに.注意しておいてよいであろう0た  

とえ.ばわが国の場合,第2次大戦のまえに.は,地主的土地所有の階級性とそれ   が日本資本主義のもとで果してきた役割,地主的土地所有廃絶の方向,といっ   た問題に.たいしで地代論的視角からの検討がふかあられた。また,滞2次大戦   ののちに.は,農地改音に.よって広汎紅創出された零細地片私有=いおゆる「自   作農的土地所有」の性格が,主として農民的分割地所有との対比紅おいて地代   論的に.検討されているし,さらには,最近の開放経済体制のもとで農民層の分   解がどの程度にすすんでいるかを知るために.も,農民約分割地所有のもとでの   地代や資本主義的地代の正しい理解がとうぜんに必要とされるのである◇   

このようなわけで,地代論に.ついては,わが国でもこれまでにかなり豊富な  

研究のつみ重ねがあり,とりわけ,研究は第2次大戦ののちになってからいっ  

そう積極的に.行なわれ,それだけに.また地代論のはとんど全領域に.わたって活   

(2)

寛42巻 寛4号  

−− 2り−−   414   

澱に論争がくりひろげられているところである。その場合,ややレェ.−マチッ   クな整理のきらいはあるけれども, 

学説史」に.おけるマルクスの地代論やさらに.それを発展させたレーニンのかん    がえかたを擁護する立場のひとたちと,マルクスやレーニンのかんがえかたに  ほなお重要な点で誤りがあるとして批判する立場のひとたちとの間の論争の形    で,すすめられてきているといって−よいであろう。  

しかし,われわれが反省しなければならない点は,このような形で細部の論    点をめぐる活瀞な地代論争が展開されてきているにもかかわらず,マルクスや   

レーニンのかんがえかたを批判する立場のひとたちの地代論のそもそ・もの基礎   になっているところのものに.ついてほ,今日まで議論がはとんどかわされてい    ないことである。ごく簡単紅いえば,資本主義紅とって−土地所有(土地私有)   

ほまったく余計なものであり,それゆえ理論的紅は,この社会でも土地国有化    が可儲であること,しかしとりわけそ・れが私有+・般の否定紅つながるとの理由    からブルジョア汐一にほ土地国有化=土地私有の廃絶をする勇気に.欠けている    というのが,マルクスやレ、−・エソの資本主義と土地所有の関係に.ついての基本  

(1)   

的なかんがえかたなのであるカ\反対の立場にたつひとたちほ,資本主義と土    地所有との関係についてのこのマルクスやレ−ニンの周知の規定を批判し,き    わめて.特異なかんがえかたを主張しているのである。だが資本主義と土地所有   

との関係をどうとらえるかが,両者間の差額地代や絶対地代,資本主義地代の    発生史などの地代論の全領域紅わたるかんがえかたの違いをもたらすことにな   

っていると思われるのであって,地代論のいわは基礎的前提をなすものといっ    てよい。それゆえ,地代論における細部の論点紅ついて・の詞争もむろん大切で    あるが,それとならんで,論争をよ.り生産的たらしめるために.も,これまで等    閑に附せられてきたきらいのあるこの基礎的な問題をとりあげるぺきではない    かと思われる。  

(1)マルクスの主張忙ついては,Theorien t)ber den Mehrwert,2.,Teil,S.36,Diez    VeI・lag BeI油1,1959(大森義太郎訳「剰余価値学説史」第二巻籍−・部(改造社・昭和11   

年)213−214貫)を,レーニンの主張紅ついては,レ丁㍉=∴ン「カールマルクス」50−60   

貢(青木文庫・19朗年)をみられたい。   

(3)

資本主義と土地所有(Ⅰ)   ー2才 一    415  

この小稿でほ.;資本主義と土地所有との関係についてのマルクスやレーニン   のかんがえかたを体系的に批判され,さらに.独自の見解を提出されている大内  

(2)  

力教授の見解をまずみてみることにしたい,と思うのである○  

ⅠⅠ   

大内教授の見解ほ,資本主義のもとでの土地国有化問題とのからみ合いのも   とにとかれている。そこではじめに,資本主義のもと 

んする数段のかんがえかたからみてゆくことにしたい0   

教授は,資本主義甲もとでも土地の国有化=土地私有の廃絶が理論的庭は可   能であるというマルクスやレーニンの主張をあやまりであるとしてしりぞけ  

る。その第「・の論拠として−,資本主義のもとでかりに−・たん土地を国有化した   としても,差額地代を全部とりつくしてしまえないので「転貸」によっで土地   私有が再び生じて:くるであろうし,また,土地私有のあらわれとして−の絶対地   代もなくならないからであるという点をあげられている◇   

教授によれば,土地国有化がおこなわれたばあいに・,絶対地代がなくなるた   めには,国は最劣等地をつねに無償で貸し出さなければならない。「土地国有   が実現したばあい、絶対地代がなくなるためには,国ほ限界地をつね紅無償で  

(3)  

貸さなけれはならないであろう。」なぜなら,最劣等地から国が絶対地代をとっ   ているとなると,そこに偲事実上土地私有が存在していることになるからであ   る0 

額地代をすべて徴収しなければならない。なぜなら,そういう条件がみたされ   ないと.国から土地を借りた者は.,それを第三者に・転貸することになり,事実   上土地私有が再び生ずることに・なるからである◇「革が地代をまったく徴収し   ないか,もしくほ超過利潤の一・部しか徴収しなければ,土地を国から借りたひ  

とは,かならず地代をとってそれを転貸するであろう。   平均利潤がえら  

(2)教授の主張は.,主として大内力「地代と土地所有」207−224貰(束京大学出版会。19    58年)による。  

t3〉 同上賓 213貢。なお教授の場合絶対地代ほ優等地には生じないとされている。(この   

点については,注ql惨照のこと。)   

(4)

算42巻 貨4号  

−22 −−   416  

れれば土鳩を借りる資本家ほいくらでもあるからである。そうなれば土地国有  

(4)  

ということは,名目にすぎないことに.なるから」である。   

しかし,教授によると,土地国有制のもとでは,国が,とるべき差額地代の   全部をきちんととって「転貸」をふせいだり,とるぺきでない絶対地代をまっ   たくとらないということほ不可能であるという。なぜならば,資本主義社会の   もとでは,国は.貸し出す土地についてこ地代をとるべき優等地であるか,なんら   地代をとるべきでない(無償であるぺき)最劣等地であるかの区別をいちいち  

(5)  

することができないからである。すなわち,優等地であるにもかかわらず最劣   等地であると誤断して地代をとらない場合が生ずる。その場合には国ほ差額地   代をすべてとりつくさないから「転貸」によって土地私有が再生してくる結果   をもたらす。また,最劣等地であるに.もかかわらず優等地であると誤断して地   代をとる場合が生ずる。そ・の場合には最劣等地から絶対地代をとっていること   になり,つまり,そこに土地私有が存在していることになるであろう。   

こういうわけで,土地国有制のもとでほ,「転貸」をふせぐことができず土   地私有が再生してくるこノとに.なるし,また,絶対地代が存在しつづけるのであ   るから実費的には.土j也私有を止扮しえない,というわけである。   

教授のあげる第二の論拠ほ,教授に.よるともっと基本的な問題点である。資   本主義の存続の基礎としての「労働力の再生産」は絶対地代の存在を前提とし  

てたもたれているのであって,そのように.絶対地代がなければならない以上は   資本主義のもとで土地私有を廃止することほできない,という点である。   

土地国有化に.よって絶対地代がなくなるために・は,国はさしあたり無償で(の   ちになって超過利潤が生ずれば,そのとき紅なって−それを地代として国は徴収   する)全土地を(という のほ.どれが最劣等地かはのちになってわかるのであっ  

てほじめからわからないので)貸しださなければならない。しかし全土地が無   償であるとなれば,それほさしあたり土地私有がないことになるので,だれで  

も未墾地を自由に.耕作しうること吃なってしまい,可耕地が占有されつくして   

0 0   貰頁   3 4 1 1   22   

=∴・.. 上⊥  

同同  

(5)

−−23−  

資本主義と土地所有(Ⅰ)   

417  

しまうまでほ資本主義ほ成立しえない,または資本蓄積は重大な障時にぷつか   らざるをえなくなっでしまうであろう。そういう土地所有形態を考えることほ,  

そもそも背理である。資本主義は,土地国有をおこなっても全土地は無償で利   用しえないこと,すなわち最劣等他に.してもかならず地代を徴収しなければな  

らない。そうでなければ資本主義の基本的な存立条件たる「労働力の再生産」  

〈6)  

を確保できなくなるおそれがある,と占   

かくして1以上の好一一・と第二の論拠から,結局教授はつぎのように・資本主義   下の土地国有化問題に.ついて結論される。「土地国有濫なれば絶対地代は消滅   するとはけっしていえ.ない。むしろそういう土地所有の形態如何紅かかわらず,  

絶対地代もまた資本家社会では不可避のものなのである。そして−,土地国有に  なっても,それがいぜんとしてこなくなりえないものとすれば,そもそも土地国   有ということ自体が,経済学的にいえ.軋姦んなる名目であり,土地私有と本  

(7)  

質的には差異がないこ.とに.なるであろう。.J   

マルクス批判のかたちで資本主義のもとでの土地国有化不可能論をといたの   ち,教授は主題である資本主義と土地所有の関係について独自の見解を展開さ   れる。資本主義のもとで土地国有化が不可能であるのは.,じつは資本主義その  

ものがその内的論理によって土地私有を必然的なものとして生みださずにはお   かないものであるからだという。教授に.よると,マルクスの「資本論」やr●剰   余価値学説史」での土地所有の扱い方は,それが歴史的過程を叙述したものな  

らは,問題はない。「だが,それにしても」と教授ほいわれる。「かりに.土地所   有が資本家的生産様式に.とっては『無用の瘡』であり,なくもがなのものであ  

るならば,またそれが絶対地代という形で剰余価値の−・部を吸収し,それだけ   利潤率を低下せしめるものであるならば,なぜ資本主義の発達紅つれて土地所   有が廃絶される方向に.むかわないかということは,たんに.歴史的に.うけつがれ   たものだからということでは説明しえないであろう。資本主義は歴史的に.ほさ   まざまのものをうけつぎつつも,それが自己の発展に.とって障碍をなすならば  

61同上苫 215−216貢。  

7)同上沓 217−218真。   

(6)

ー 24 一一   寛42巻 籍4号   418  

(8〉  

それを除去してゆかなければならないからである。」土地所有がだから存続する   とすれば,資本主義そのものの中に.土地私有を発生させる根拠があるといわれ   るわけである。そして教授はその発生の論理的過程をつぎのように展開される。  

すなわら,「むしろ資本の運動法則自体が土地の私的所有を必然的につくりだ  

(9) さずにほおかない」のであるとして,土地私有存続の必然性の根拠を資本それ  

自体のなかからみちびきだされようとするのである。資本というものは元来,  

競争をとおして利潤を平均化せずにはおかないものであるという点とかかわら   しめて,土地所有存続の必然性を論理的にみちびきだそ・うとされる。農業での   ように個常的に超過利潤が生ずるとなれば,利潤を平均化させずにほおかない   という資本の要求によって,それは資本家にでほなぐて「第三者」に・引き渡さ   なければならない。こうして「第三者」たる土地私有が生み出されてくるので   ある。「資本ははんらい競争をつうじて利潤率を平均化させずにはおかないも   のである。したがって農業のようにノ恒常的紅超過利潤が生ぜざるをえない条件   のもとでは,それが個々の資本家のポケットに流入しないで,第三者に.引渡さ   れるという機構が必然的にできざるをえないということ。いいかえれば差額磯   代を徴収する算三者たる土地所有は,そういう資本の競争自体が必然的に生み  

(10)  

ださずにはおかないものである.」と。  

(8)同上書 220賞。  

(9)同上苔 221真。  

(1α 同上書221−222貢。なお,教授ほつぎのように・ものぺられている。「自然的条件の差を    基礎常・レて,優等地の資本に一億の超過利潤が生ずることは,その超過利潤を地代とし   

て吸収することによって資本にたいしてほ利潤率の平均化を実現するような土地所有を    必然的に発生せしめることになる。このばあい注意しなければならないことは,土地所    有は歴史的事実としてはすでに資本主義以前から存在しており,それが資本主義社会紅   

うけつがれつつ,ただ資本主義把.適合的な形紅改変される紅すぎないが,原理論の世界    においては土地所有はマルクスがばくぜんとながらそうしているよう紅,まず土地所有    が外部的に与えられ,それが他方で生じた超過利潤を吸収する作用を,いわば窄またま   

負わされるというふう紅理解してはならないというととであ畠。そうではなくて,資本    は.みずからの運動をつうじて利潤率を平均化しなけれはならないのであり,土地の自然    的条件の差によってここの平均化が資本みずからの力では達成できなくなるばあい紅は,   

この超過利潤を第三者紅引渡すことによってそれを達成する必然性をもつ。そこ紅土地    所有が資本によって必然的に措定される狼拠があるのである。」(「地代と土地所有」167   

−168巽)   

(7)

資本主義と土地所有(Ⅰ)  

419    ー25一触  

ⅠⅠⅠ   

以上の大内教授の主張のうら,まず,資本主義社会のもとでの土地国有化不   可能論の検討からはじめよう。  

1.その算叫・の論拠は,土・地国有制のもとでも土地の「転貸」が生じたり,  

また絶対地代の徴収がおこなわれるので,事実上土地私有が存続すること軋な   る,ということである。そ・して:,その理由は.,国が差額地代を全部きちんとと  

(11)  

るべき優等地と,絶対地代をとって−はならない最劣等地とを見わけるこ.とがで   きないからということであった。しかし国は優等地と最劣等地とを見わけなく   てもさしつかえないのであって,そんなことをしなぐて−も土地国有制のもとで   ほ.絶対地代の徴収はありえないのだし,またとるぺき差額地代をとらないとい  

うおそれもないのであるとかんがえる。   

まず第一・に,土地を国有化したはあいに,国があやまって「絶対地代」をと   るということほおよそありえないであろう。なぜならそこでは,絶対地代成立   の原因としての土地私有の独占,すなわち農業資本家とは別のものである個々   の土地所有者による土地私有の独占がなくなっているからである。、土地私有制   のもとでは,農業資本家が土地に資本を投下しようとしても.土.地私有著は.その   土地がいかなる等級地であろうと地代を支払われぬかぎり資本の投下を拒否し  

うる。かくして,農産物の価格が生産価格以上に保たれる結果として絶対地代が   形成されるのである。(むろん,農業資本の有機的構成が社会全体の平均より   低いことが必要であるが。)しかし,土地国有制のもとでほ地代を支払われぬか   ぎり土J也への資本の投下を拒否するものとしての土地私有者は存在しない。こ  

こでは土地は資本家の共同財産なのであり資本を.土」也に投下する資本家自体が   土地の事実上の所有者なのである。だから,土地への資本投下がたんに/地代を   支払われぬかぎり拒否されるということもありえず,ゆえに・絶対地代もありえ   ないのである。大内教授自身.「絶対地代ほ本質的紅ほ土地所有の独占紅よっ  

亜 大内教授は,絶対地代は優等地紅は生ぜず最劣等地紅のみ生ずると考えておられる。  

「絶対地代は限界地にのみある」(「地代と土地所有」205貫)この点ほ疑問であり改めて   

論ずることに・したい0   

(8)

箆42巻 寛4号  

42()  

ー26−  

(12)  

て,農産物の生産価格以上に市場価格が引上げられることから生ずる」とされ,  

土地私有制のもとで絶対地代が生じうるこ.とを認められているのではなかろう   か。土地国有制のもとでは絶対地代がはじめからないのであるから,国が絶対   地代をとるなどということほかんがえられないのである。   

第こに,優等地から生ずる差額地代を,しかもすべてとりきらない場合があ   るという点はとうか。   

いうまでもなく,個々の資本家ほ,できるだけ多くの利潤をもとめてたがい   に卜競争しているのであるが,こうしたできるだけ多くの利潤を求める資本家ど  

うしの間の競争は,同じ農業生産部面内の資本家のあいだにおいても,また, ヽ   異なった生産部面間の資本家のあいだに.おいても行なわれる。しかし,このよ  

うな競争を前提とするかぎり,土地が国有制に.なったばあい紅,国が優等飽か   ら差額地代をまったくとらなかったり,あるいは・−・部し串ゝとらないことはあり   えないであろう。むろん,はじめは,そういう偶然的事態もありうるとしても   それはやがてほ一・連の試行錯誤をへて訂正されるのであって,長き将来に.わた  

って,そういう事腰が行なわれることはありえない。   

なぜなら,もし,農産物の市場価格が最劣等他の個別的生産価格のところで   決定され(差額地代第岬・形態だけに.ついて−かんがえると),最劣等地には投下資   本紅対して平均利潤しか形成されないにもかかわらず国が最劣等地から差額地   代をとるとすれば,とうぜん,最劣等地を国から借りて耕作している農業資本   家は,平均利潤すら確保することができないことに.なり,ばあいによってほ,  

かれの資本の−・部を切りとって地代として国に納めなければならなくなるであ   ろう。ゆえ紅,最劣等地を耕作する農業資本家は最劣等地から資本をひきあげ   て,他のもっとよい土地を借りてそこ.に.資本を移すか,あるいは,農業生産部  

は功 同上蕃197頁。なお,土地私有は絶対地代の原因ではあるけれども,しかし,生産価    格以上に市場価格があがったとしても,その差額がただちに絶対地代であるとするわけ    にはいかない。それが絶対地代であるため浸は,さらに,農業資本の有機的構成が社会    的平均構成よりも低いという条件を必要とするのである。教授は,「われゎれ軋農業資本   

の構成が高いとか低いとかいうことを絶対地代のばあい問題にする必要はない。」(「地代   

と土地所有」197真)といわれるが,この点も疑問である。   

(9)

資本主義と土地所有(Ⅰ)  

421    −27−  

門以外の産業部門に資本を移してごしまうこと紅なるであろう。結局,国ほ.,耕   作が拒否される土地の地代を,ついには再びその土地に資本が投下されて耕作   されるように.なるまで下げてゆかざるをえないことに.なる。いまの例でいえば   地代を零に.しなければならないであろう。   

これと同じメカニズムによって,国が優等地を貸しているに.もかかわらず,  

それを耕作する農業資本家からはまったく差額地代をとらないか,あるいぼ,  

そ・の−・部しかとらないとすれば,この優等地を耕作する虚業資本家の手もとに  は,平均利潤以上の超過利潤が残されることになる。そこで,他より多くの利   潤をもとめる農業資本家や農業生産部門以外の資本家たちは,争って,この土   地を国から借りようとするであろう。そこで国は.地代の額を引きあげ,結局は   超過利潤のすべてが差額地代として吸収されて:しまうところに・落ちつぐであろ  

(1き)  

う。   

このような土地国有制のもとでの超過利潤の差額地代への転化のメカニズム   は,何ら個々の地主が土地を私有する土地私有制のばあいと異なるものではな   い。個々の土地私有暑が自分のもつ土地の上に生ずるであろう差額地代をあら   かじめ適確に計屈するなどということはありえないであろう。しかし,その場合   でも,土地所有者や農業資本家の意志にはかかわりなく,かれらの背後で作用す   る資本家たちの間のより高き利潤をもとめる競争を媒介として,超過利潤の差   額地代へ・の転化がなされるのである。(もちろん,この資本家たちの間の競争自   体が鱒過利潤を地代に転化する根拠・原因であるのではない0魔過利潤の地代  

への転化の根拠・原因は,土地所有,すなわち,地代を収めようとする土地所  

払3)なお差額地代算一形態の場合のはかに,差額地代第二形態の場合もとりあげて大内教    授ほ同じような意味の反論を提出されているが(大内カ「地代と土地所有」214某),こ    の場合においても同じような理由で,国が久しき紅わたって差額地代をとらないという   

ことほありえないであろう。そしてこの場合でも絶対地代がなくなるのだから周が絶対    地代を卦やまって徴収するということもありえない。また,土地所有制のもとで枚最劣   等鞄の差額地代が絶対地代紅なったり,絶対地代が差額地代になったりする(同上番214    貫。)ということは,そもそも土地国有制のもとでは絶対地代がないのだからとても考え   

られないことである0本文でほ,問題を簡単化するために, 

教授の見解だけをとりあげて紹介し論じた。すなわち,最劣等地を除く優等地にのみ差   

額地代が生ずる場合について論じた。   

(10)

籍42巻 箆4号  

ー 2β−   422  

有そのものであり,資本家たちの間の競争は.あくまでもこの転化のための媒介  

(14) 者紅すぎない。)   

土地私有制のもとで利潤の追求をめざす資本家どうしのあいだの競争が,超   過利潤の差額地代へ・の転化の媒介者としての投書りをはたすという点について.  

マルクスは「剰余価値学説史」のなかでつぎのようにいっている。「員方が生   産手段一資本,対象化された労働−・を所有することが,濃方をして労働者から   一・定の鼠の支払われざる労働を獲得することをえしめるのと同じように.,私が   土地等の他の生産手段を所有していることは,私をして貴方および全資本家階   級から,貴方の平均利潤以上軋余計であるところの支払われざる労働の部分を   取り上げることをえしめる。負方達の法則は,正常の事情のもとで等しい資本   は等しいだけ支払われざる労働を獲得するというこ.とを欲する。そして,それ   に.貴方達資本家が互いに強制されるのは競争によってである。よろしい/私は   その法則をはかならぬ貴方に.適用する。・………もし貴方が私に.支払う超過利潤   が,貴方の作った剰余価値と,資本の法則から見て貴方の手に入る剰余価値の   分意との差額よりも少いものであるならば,そうすれば貴方の仲間の資本家逮   が出頭するであろう,そして,その競争に・よって恵方をば強制して,私が貴方  

(15) から搾り出すことのできるものの全額をきちんと支払わしめるであろう.。.」   

2.つぎにより基本的な問題点であると大内教授のいわれる第二の論拠一賃   金労働者の再生産の確保と土地国有制との関係−を検討することにし蒔い。教   授によれば,土地国有制催なっても国はすべてめ土地を無償で貸すわけにはい   かないのであって,最劣等地からも絶対地代をとらなければならない。なぜな  

(Ⅷ 「土地所有の独占,資本の制限としての土地所有は,差額地代では前提されている。   

なぜならば,こ.の土地所有がなければ,超過利潤は地代紅転化されないであろうし,借    地農業者ではなく土地所有者のものにはならないであろうからである」(Das王(apital,   

Bd.Ⅲ,S.759,I)iez Verl∈暗Berlin,1964)/(「資本論」ul)226−227貴・大月書店・1964   

年))  

個 TheorienUber den Mehrwert,2・Teil,S.32−−33(前掲大森訳本第二巻寛一部209   

−210貢)。同じことをレオンチェフは次のよう広いっている。「資本家間に.は競争が存在    する。平均利潤が保証されるならば,平均利潤を上回る分は土地を賃貸した地主に支払   

ってもよいという資本家もたくさんいるであろう。そこで平均利潤を上回る分が差額地   

代という形で土地所有者のものとなる。」(「マルクス主義経済学教科書」上巻(レオンチ   

ェフ経済学選集)98真二(岩崎学術出版社・1968年))   

(11)

資本主義と土地所有(Ⅰ)   、− 29−  

423  

ら,無償で利用できる土地があるノとなれば,資本主義の基本的な存在条件たる   直接生産者の土地からの分離という事実がたもたれなくなる。すなあち,資本   に.とって必要な「労働力の再生産」が不可能に.なるであろうからというこ.とで   あった。最劣等地からも何らかの地代をとりすべての土地を有償にすることに  よって,労働者が容易に驚本を土地に.投下して労働者たることをやめるのをふ   せぐことができるといあれるのであろう。   

たしかに資本主義の発生にさいして直接生産者からの土地の暴力的な分離の   過程=原始蓄積過程が必要であったし,また成立したのちの資本主義の存続に  とって?ねに労働者と生産手段,とく紅土地との分離という状態がたもたれて   いなければならないこともとうぜんである。「この生産様式は,−・方では,直   接生産者が単なる土地の付属物(隷農や農奴や奴隷などの形での)と↓、う地位   から解放されることを前提し,他方では,民衆の手から土地が収奪されること   を前提する。そのかぎりでほ,土地所有の独占は,資本主義生産様式の琴史的   前提であり,また,な紅かの形での民衆の搾取に.もとづぐすべての以前の生産   様式に.とって∴そうであるように資本主義生産様式に.とってもやはりその永続的  

r16) な基礎である。」しかし,マルクスの言葉は直接生産者がすくなくとも土地所有  

から排除されていなければならないことを意味するとしても,とりわけ土地私  

有制,つまり土地が個々の土地所有者によって私的に独占されていなければな  

らないことまでも意味するわけではない。土地が国有であってもかまわないの   である。 

土地が国有化されていて,しかも最劣等地が無償だとしても,そのことはた   だちに∵−・たんつくり出された労働者群をふたたび温良の.立場に引きもどした  

り,かれらを農業資本家に「出世」させたりするわけでほない。なぜなら,労   働者たちほ,資本主義社会における生産の不可欠で最も重要な要素である資本  

−しかも−・定還\以上の資本をもたないからである。理論的に」は労働者のえる  

賃金ほ,かれとかれの家族の生碍の費用に・つかわれてしまうのであるから,か  

れらが資本をもつことほないのである。だから労働者ほたえず労働者として再  

鳩 Das Kapital,Bd.Ⅲ,S,・360(前掲「資本論」皿10頁.)。   

(12)

ーβクー   第42巻 欝4号   424  

生産されざるをえないのである。「貨幣を資本に.転化するために.は,価値生産   と商品流通とが存在するだけでは足りなかった。まず第」・に,−・方には価値ま   たは貨幣の所持者,他方に.は価値を創造する実体の所持者が,一・方には生産手   段と生活手段との所持者,他方にはただ労働力だけの所持者が,互いに買い手  

と売り手として相対するのでなければならなかった。つまり,労働生産物と労  

働そのものとの分離,客体的な労働条件と主体的な労働力との分離が,資本主  

=……●●●●●●●●●  

義的生産過程の事実的に.与えられた基礎であり出発点だったのである。・l   始めは出発点にすぎなかったものが,過程の単なる連続,単純再生産によって−,  

資本主義的生産の特有の結果として絶えずくり返し生産され,永久化されるこ  

とになる。…・・巾‥この過程から絶えず労働者が,そこにほいった時と同じ姿で   一富の∧的源泉でほあるがこの富を自分のため紅実現するいっさいの手段を   取り上げられた姿で一  出てくる。…‥…資本家もまた絶えず労働力を,主体   的な,それ自身の対象化と実現との手段から切り離された,抽象的な,労働者  

の単なる肉体のうちに存在する富の源泉として,簡単に.言えば労働者を賃金労  

=‥(17) 働者として−,生産するのである。」   

このように.,土地をはじめとする一切の生産手段から分離されたものとして   の賃労働者のその後の再生産は,資本それ自体紅よっておこなわれるのであ  

り,そこに資本主義が・一社会として−自立的に存.立しうる意味もある。このば串   い紅土地が私有制であって,すべての土地が有償だから,つまり絶対地代があ  

るからではない0たとえ土地が国有制のもとに・あって−かり軋最劣等地が無償で   あっても何らさしつかえはないのである。   

大内教授は,あるいは.,労働者が貯金をしてそれを資本に.して独立生産者匿   なる,とでもいわれるのであろうか。もしそういう形で労動者が土地を借地す   ることに.なるとしたら,多少の絶対地代を土地所有者が徴収するとしてもふせ  

(18)  

ぐことほできないであろう。  

(17)DasXapital,Bd・Ⅰ,S・595−596(同上「資本論」(4)69−70真)。  

㈹ 大内教授は,マルクスもまた,土地国有制になっても「労働力の再生産」のうえから    国が絶対地代をとらなければならないこともある程度意識していたとされる。「『学説史』   

の土地国有を論じた箇所でほ,かれは,『この(資本家的一大内)生産様式にとって必要   

(13)

資本主義と土地所有(り   ・−・βJ−−  

425  

ⅠⅤ   

資本主義のもとでは,土地を国有化してもそれほ名目的であり,土地私有が   再生しでこざるをえないという教授のかんがえかたは,資本主義と土地所有の   関係紅ついての特異なかんがえかた紅根ざしている。先に.みたように,教授に  よれば,資本主義は,その内的な論理から土地私有を必然的に生み出さざるを   えないということであった。そ・の場合に教授は,平均利潤法則と土地私有との   両者を論理的に.結びつけてかんがえようとされるのである。「資本ははんらい競   争をつうじて利潤を平均化させず紅はおかない」のであるから,農業のように 

「恒常的.」に超過利潤が生ぜざるをえないところでは,それを外部に・排除しな   ければならず,こうしてこの超過利潤を差額地代として徴収する土地私有が必   然的にできあがってこ.ざるをえないということであった。この教授のかんがえ   かたでは,最初紅収入(地代)があってついでその権源(土地所有)がでてく   るといういかにも奇妙な論理がもちだされているし,また,かりに・どうしても   第三者が必要だとしてもはかでもなくまさ紅それが土地私有でなけれはならな   いという説明がなされていない。しかし,その点ほともかくとしても,次の劇   点を指摘しなければならないであろう。   

大内教授は別の箇所で,「もともと諸資本のあいだに.資本のカではいかんとも   しがたいような超過利潤が,しかも恒常的紅.生ずるということほ.利潤率を平均  

なことほ,土地が共有財産でないこと,それが労働者階級にたいしてかれら紅屈しない   生産手段として:対立していることでつくされる,そしてこの目的は土地が国有財産に・な ●●●●●●●●●●●  

るとき,したがって国が地代を徴収するとき,完全に達成されるであろう。』といってい   る。もしこの考え方を賢ぬくならば土地国有に.なれば絶対地代は消滅するという考え方   はどとからもでてこないであろう」(「地代と土地所有」216−217貫)と。しかし,マルク   スのこの言葉では土地私有制の廃止,国有化こそが「労働力の再生産」のうえから資本   主義にとっては望ましいというところ紅強意があるのであって,国が地代をとるからこ  

そ,「労働力の再生産」がたもたれるといっているのではない。「国が地代を徴収すると  

き」というのは,「土地が国有財産に.なるとき」という言葉のむしろいいかえに.すぎな  

い。また,その地代をとくに.絶対地代とよみとることは前後の文章からして,また,マ  

ルクスの地代論全体の内容からみて,とうていできないと思われる。との地代は,あく  

までも差額地代のことをいっているの托すぎないのであって,マルクスが,土地国有側  

になっても絶対地代の徴収が必要であることを意識していたとすることはいかにしても  

解しがたいのである。   

(14)

館42巻 策4号   426  

・− 3ご −  

(19) 化しなけれほやまない資本の運動法別に反する」といわれ,「恒常的」という  

ほかに「資本のカではいかんともしがたい」という点をももち出される。たし   かに,差額地代に転化すべき超埠利潤は,特別すぐれた自然力の独占的占■有に  もとづくのセあり,資本としてほ自由につくり出しえないという点では「いか   んともしがたい」であろう。しかし,「償常的」とか「いかんともしがたい」  

ということからなぜこの種の超過利潤を資本がえてはならないということの結  

論が女ちびき出せるのであろうか。   

この特別すぐれた自然力は,資本によってつくり出せないとしても,資本主   義のもとでは,資本紅よって自由にしうる一腰の自然力と同じように贋本によ   って包摂され,資本のもつ生産力としてあらわれる。なぜなら,資本によって   ほ個由に.できない自然力といえ.ども,資本のもつ生産力としてとりこまないか   ぎりは.,超過利潤はつくり出されえないからである。「資本が自分の充用する労  

働力の自然的および社会的生産力を自分自身の生産力として取り込まないなら  

(20) ば,この高くなった労働の生産力はけっして剰余価値に転化されほしない」か  

らである。差額地代となるぺき超過利潤は,すぐれた自然力を独占する資本家   の個別的価値が一腰の市場価値よりも低いごと,個別的生産価格が市場調整的   生産価格よ.りも低いことの結果として形成されるが,このことは,この時別の  

自然力が資本の生産力とされているからであるとしなければならないであろ  

う。そして,このように.,特別すぐれた自然力も資本のもつ生産力としてあら   われるとすれぼ,その自然力を条件として形成される超過利潤も資本の超過利   ……==◆●●●  

潤と㌧て,いいかえれば資本に・帰属すべき超過利潤としてあらわれるものであ  

ることはいうまでもないであろう。   

このように,資本が農業生産部面を支配することの結果として,この特別の超   過利潤も資本の超過利潤とせられるのである。資本としては,この種の超過利   潤をとりこんではならない,資本の超過利潤としてはならないというのでほ,か  

えってこの生産部面での資本の支配を否定するものといわなければならない。  

個)前掲「地代と土地所有」213真。  

醐 Das Xapital,Bd,Ⅲ,S・660(前掲「資本論」(11)61貫)。   

(15)

資本主義と土地所有(Ⅰ)   ーー3β・−  

427  

本来,資本によって自由につくることのできないかぎられた自然的生産力をも   資本のもつ生産力として処理すること,ここ.にこのような自然力が存在する農   業をも資本主義が完全に支配するということの意味があるのである0   

もちろん,この種の超過利潤は,資本に包摂されて資本の超過利潤として−形   成せられるとしても,それほ贋本それ自体に.よって自由につくり出しうる生産   力ではなくて,資本とほ別の・資本に・よって自由につくり出すこ・とのできない  

・かぎられた自然的条件から生ずる。それゆえに,この超過利潤が資本に帰属す   るとほいっても,資本家−L般に配分されて.しまうとするわけにほいかないので   あって−,それが当然に,特定の,このような自然条件を占有する資本家に・帰属   することはいうまでもないであろう。この種の超過利潤を,さらに・この時定の   資本家でさえもえてはならない(資本家の外部に・排除しなければならない)とい  

(21)  

う根拠ほ資本の内的論理をいくら洗つてみでもでてこないということである。  

(もちろん,この種の土.地が土地私有老の手中にあり,かれに・よって所有され   ている場合には,この超過利潤がこの特定の資本家の手から土地所有者の手に  引き渡されることに.なるのはいうまでも′ない。)   

以上のようにみてくると,農業部面では「利潤を平均化させる資本の競争」  

が作用するから,「資本のカではいかんともしがたい」,そして「恒常的」に生   ずる超過利潤ほ,必然的に.欝三者=土地所有に排除されねばならないという推   論に.いたる過程にほ難点があるといわなければならないであろう。  

但力 もちろん,この特別すぐれた自然条件が土地所有者のものであるとすれば,この超過   

利潤は地代に転化されて土地所有者甲ものとなる0しかしその場合にほけっして平均利    潤をこえるこの超過分がただちに地代紅転化するわけではないのであって,それは資本    の競争を媒介として,資本家からとりあげられるのでありそのことの結果として,平    均利潤をこえる部分が地代になるのである。さきに本文でのぺたよう紅,資本はできる    だけ多くの利潤−一超過利潤を求めて競争しているのであり,その結果として,資本家    のふところから土地所有者のふところにすいとられてしまうのである。土地所有がなけ    れば,たんなる資本の競争だけでほ超過利潤は差額地代になることはないのであって,   

そのばあいにはこの超過利潤は資本に包稀された自然条件から生ずる資本の超過利潤と   

して,特定のこの自然条件を占有する資本家紅帰属するだけである。大内教授の皐う   

に,土地所有のない状態から出発して土地所有を尊びき出すことほいつまでたってもで   

きないであろう。   

(16)

ー茸4一−   第42巻 寛4一弓   428  

Ⅴ   

以上に.おいて大内教授の見解を魂てきたが,資本の運動法則自体が.土地所有   を生みだし,またブルジョア的土地国有化が理論的にも不可能であるという教   授の論証に.は,難点があるということであった。しかし,たんに論理的にいっ  

て難点があるというだけでなくて,このような土地所有のとりあつかい方はそ   もそも方法論的にいって−根本的に問題を含むものであるといわなけれほならな   いであろう。   

土地所有は,もっとも抽象的な意味でほ,本来人間労働の産物ではなく,価   値をもたないたんなる自然としでの土地の独占的私有である。そういうものと  

しての土地所有が,人間労働の産物である剰余価値を地代としてとりこむので   ある。それは土地所有の法則である。−・方,資本主義社会では,他人の不払労働   の蓄積としての資本の所有が,他人の労働の産物である剰余価値をとりこ.む。  

不払労働が不払労働を要求するのである。それは,「商品生産の所有法則」の内  

(22) 的な不可避的な弁証法的発展としての「資本主義的取得法則」である。こ.のよ  

うに土地所有と資本とは本来的に.は何の親縁関係ももたないのであり,本質的   紅は全くの異質物なのである。   

ところで,資本主義社会でほ,資本がこの社会を支配する主人公であり,ゆ   え紅,そこでは,資本家的所有法削が貫徹する。資本主義以前の諸社会では土   地所有が社会を支配する主要な要素■であり,そこでほ土地所有の法則が支配す  

る。資本主義は歴史的にほ土地所有を弱体化させ,それを否定することに・よっ   て成立するのであり,理論的に.も資本にとっで土地所有ほ異質的のみならず有   害な「無用の癖」であるにすぎない。「資本家的生産方法を前挺すれば,資本家  

位功 Das Kapital,Bd.Ⅰ,S巾609(前掲「資本論」(4)91巽)。商品社会では,他人の生産    物をえるにほ自分の生産物を,すなわち自分の労働を手ばなさ窄ばならない。そちでは  

「労働」が所有権の経済的基礎をなす。〜方,資本主義社会でほ.,資本が他人の不払労    働またはその生産物を取得するための経済的基礎をなしており,この資本はまた他人の    不払労働にはかならない。不払労働が不払労働をよぶのである。これは明らかに,たんな   

る自然としての土地の債肩が他人の労働をとりこむという土地所有の原理とは異なる。   

資本所有と土地所有とはともに他人の剰余労働をえるための権源の所有ではあるが,そ   

の本質や原理はまったく異質のものなのである。   

(17)

資本主義と土地所有(Ⅰ)   −3言 −   429  

ほ生産のただに必要なる役員であるばかりで年く,生産の支配的な役員でもあ   る。これに反して,.土地所有者はこの生産方法においてはまったく余討なもの   である。」…土地所有者は,舌代および中世の世界に・おいてほ極めて重要な  

(23)  

役員であったが,工業的の世界においては無用の癖である。一」   

もっとも,理論的にほ土地所有の廃止が可能であるが,実際ほ,ブルジョア   ジー・にほ土地私有の廃止=ブルジョア的土地国有化の勇気に欠けている。けだ   し,土地所有の廃止腰,資本主義が立脚する生産手段−・般の私有の否定につな   がるからであるし,しばしば資本家みずからが土地領有者となっているからで   ある。そ・れゆえ,資本主義はやむをえず土地所有の存続をゆるしているにすぎ   ないのである。(むろん,そのばあい,土地所有ほ資本にできるだけ適応する形   態一近代的土地所有の形態−をとることによってのみ,存続することを許され   るにすぎず,地代も資本に平均利潤が帰属するのをさまたげないかぎりで,ま  

\3▲11  

た価値法則を侵害しないかぎりで生ずるのであるが。)   

このように.みてくると,マルクスが「資本論」でしているように.,また,「経  

(25) 済学批判への序説」に.おいてのぺているように,資本と土地所有は,別々に独  

立してとり扱われるべきであり,しかるのちに.両者の相互作用が展開されるの   が唯一・の正しい方法であることがわかる。資本をといて,資本のなかから異質   物である土地所有がでてくるということは,いかにしてもありえないことであ  

●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●  ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●   ●  ●   ●   ●   ●  

る。まして,資本一資本主義の存立が非資本主義的なものとしての土地私有   

=  =  ◆  ■  ◆  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ■  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  ●  

を不可欠の構成物として可俄に・なるということはとうていかんがえられないで   

● ● ●(26)  

あろう。  

C23)Theorient5ber den Mehrwert,2.Teil,Sい36(前掲大森訳本弟二巻第一部213貢)  

倍増 資本主義ほ一方では土地所有の廃絶の方向を打ち出す。土地所有を近代的土地所有紅    かえ,また,その経済的実現形態たる地代の取得を平均利潤法則や市場価値法則を侵害   

しないかぎりに.おいてのみ認めるのにすぎないものとする。大内教授は本文で紹介した    よう紅なぜ資本主義は土地所有の療絶の方向紅むかわず,差額地代や絶対地代などをあ    えてみとめて:いるのかと問われているが,すで紅地代が差額地代なり絶対地代として存    在するということ自体が,一方では資本主義が土地所有を廃絶・除去してゆく方向紅あ   

ることの一つのあらわれなのである。  

脚 「経済学批判」(青木文庫・1963年)322貫。  

闘 本文で紹介したごとき教授のかんがえかたをもしつらぬくとすれば,地代論の展開の   

(18)

葦42巻 弟4弓  

−・β6 一−   430  

仕方がマルクスの場合とちがってくるのほとうぜんである。マルクスの「資本論」では   土地所有はすでに差額地代論で前提されて:いる。そして,差額地代論では,土地所有   ほ,土地のうえに発生した超過利潤を地代に転化せしめる作用を営むのにたいして,一絶 ■   対地代論でほ,土地所有は,地代に転化すべき超過利潤発生の原因でもあるとされてい  

る0大内教授紅・あっては,そうではなくて,まず,土地所有のないととろか牛差額地代   が展開され,それによって土地所有の必然性がみちびきだされ,ついで土地所有に.よっ  

て,絶対地代が展開される,というわけであって,差額地代→土地所有→絶対地代とい   う展開の仕方がとられるぺきであるとするのである。「土地の自然的制限性が,差額地代   を発生せしめ,そこから土地所有が必然的に.成立し,さいごに.その土地所有が絶対地代   を成立せしめる」(地代と土地所有」72頁)といあれるわけである。この点紅ついて,教   授はもっと具体的につぎのように説明されている.「最劣等地にも差額地代は生ずるので  

あり,そのことを基礎催して最劣等地にも土地所有は必然的に生ずる。このようにして   耕作されるすべての土地に地代が生ずることを前提として,これから耕作さるぺき土地   にも,あらかじめ地代を要求しうる根拠が与えられ,したがってそこ把も土地所有の存   立の基礎が与えられるという点である。つまり絶対地代紅おいてこそまさ紅前提となる   土地所有ほ,このように差額地代の結果として与えられるという関係に.立つのであり,  

またそうでなければ,差額地代から絶対地代への論理の展開はできないのである。」(「地   代と土地所有」222−223貫)。しかし,このように差額地代の展開から第三者たる土地所   有の発生をとくことが誤まりであるとすれば,この事うな地代論の展開の仕方自体も成  

り立らえないことほとうぜんである。なお,「資本論」では,差額地代や絶対地代という   叙述の順序になってほいるが,このことは差額地代の展開の中に絶対地代への移行の論   理的必然性が含まれていること(すなわち差額地代→絶対地代の叙述の順序紅何らかの   論理的意味があること)を示しているわけではない。絶対地代は差額地代のまえ紅展開   して何らさしつかえがないものと考える。このあたりの問題は,本稿の主題からややそ   れるし,また,大内教授以外にも差額地代−→絶対地代の叙述の順序紅何らかの論理的意  

味をもたせようとする論者もあると思われるので,いずれ稿を改めてとりあげることに  

したい。   

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