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蹴鞠の哲学、または地を這う貴族たち

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全文

(1)

一七七 何れの道にもわたりて、形を執する事なり( ﹃遊庭秘鈔﹄ )

一   ゲームのゲームとしての蹴鞠

  白河院政の時代、ある鞠会で藤原長実(顕季長男、成通伯父、蹴鞠の伝書には与州の名でも載る)は鞠を落として 逃げ、院の命令で連れ戻されている︒また藤原重任という男も、鞠数が百を越えたところで﹁もし落としもぞする﹂ と 考 え て や は り 逃 げ だ し 、 と は い え そ の 後 が 気 に な る も の だ か ら 、 ど こ か の 門 を 細 め に 開 け て 庭 を 覗 い て い た ら し い

はその責めに耐えられない者がいるほど 真剣に遊んでいた のであった︒

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もとより鞠はいつか落ちるのである以上、責任はそのつど誰かに帰されるが、院政期初頭の鞠足(プレイヤー)たち ﹃蹴 鞠 口 伝 集﹄に 載 るこれらのささやかな 逸 話 は、当 時 の 貴 族 が 蹴 鞠 をいかに 真 剣 にとらえていたかを 示 している︒ ︒

1

  あの藤原道長が蹴鞠について次のように語っている︒ 蹴鞠の哲学、または地を這う貴族たち

院政期精神史のひとつの試み(三)

尾    形    弘    紀

(2)

一七八 法 成 寺 入 道 前 関 白 太 政 大 臣︹道 長 を 指 す――引 用 者 注︒以 下 同 様︺説 キテ 曰 ク、 ﹁相 撲 ハ 詮 ズル 所 ハ 大 力 ニ 過 ギ ズ︒其ノ鞠ノ如キモ又落チザルニハ如カズ︒其ノ作法ハ皆落ザルノ 態

わざ

ナリ︒︙︙﹂ト云々

2)

  彼の言うようにこの遊戯は、ひとまずは鞠を落とさずに蹴りつづけることを目的とする︒よってそこでのさまざま の作法も、すべてはどうすれば鞠が落ちないかに関わって生まれたものと考えることができる、というわけである︒

  どうすれば鞠を上手に蹴りつづけることができるのか︒蹴鞠の伝書を読むと、そのためには鞠足一人ひとりが鞠に ﹁心﹂ (あるいは﹁志﹂ )をかける(のべる)ことが重要だと述べられている︒

  ○ 与州の説に云く、放つ鞠は、身は寄らず、 心ばかりをかけて

00000000

、もし枝より触りてや返ると疑ふべし︒十丈を延ぶ とも、鞠を思ひ捨てて後は、よき足にあらずと云々︹圏点は引用者︒以下同様︺

3)

  ○ 師説︹成通の語った言葉を指す︺ に云く、 叶ふまじきほどなれども、 ただ延ぶべし︒ あるまじき事にも延ぶべし︒ 鞠を思ひ捨てて惜しむ心の無きも口惜しければ、 志ばかりを延ぶる

00000000

なり

4)

○ 師説に云く、 成平︹成通の師である賀茂成平︒ 頼輔伯父︺ は遠き鞠をも 心をかけて

00000

をめ

きかけき︒ いみじかりき

5)

○ 空

むなし

足 ト 云 フ 事 有 リ︒其 ハ 今 ハ 人 思 ヒ 寄 ルマジクテ、サマタゲナク 落 ル 鞠 ヲバ、及 ビ 難 ク 叶 ヒ 難 シト 雖 ドモ、必 ズ足ヲ挙ルナリ︒是レ 志ヲ宣ブル

00000

ノ儀ナリ︒我ガ木ノ本ニ落ル鞠ナリトモ、叶ヒ難ケレバトテ只落スハ、法無キ 事ナリ︒必ズ足ヲ挙グベキナリ︒是等ヲ空シ足トハ云フナリ︒案内ヲ知ラザルノ輩ハ 咲

わら

フ事ナリト云々

6)

  鞠は思い捨ててあきらめてしまってはいけない︒たとえ足がとどきがたい遠いものであろうとも、鞠に心をかけて

(3)

一七九 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶ いることを示すために足を延ばさなくてはならない︒こうした心がけがたしかに難球を咄嗟に拾い上げ、次のプレー へとつなげる﹁明足﹂ (優れたプレー)を生むのではあろう︒

  あらためて言えば、 鞠とはうまく蹴り上げなければどこへいくともしれないあやうさ、 不可測性を本来秘めている︒ 偶然性に満ちた振る舞いに接することじたいに蹴鞠遊戯の魅力があり、またその振る舞いをうまく制御しおおすこと を目指して鞠足たちの修練はなされるのでもあろうが、興味深いことに、当時の人びとは鞠を﹁懸り﹂と呼ばれる樹 木にわざわざ蹴りかけ、枝をつたってどこに落ちてくるかわからないようにし、そのあやうさをむしろ愉しんでいる ふうでもあったことは以前の稿ですでに注目しておいたことである︒懸りの要素も考慮に入れたとき、不可測の度合 いはやはり一段と高まるから、懸りと鞠との関係を語る言説は、鞠足によりいっそうの注意を喚起することになる︒

  ○ 師︹ここでは成通の師である成平を指す︺ 説に云く、 心には木の枝を恐れず、 又心の底には用意のあるべきなり︒ よりて恐れ恐れずと云々

7

  ○ 一、大木に沿ひ落つる鞠の事︒心に鞠を思ひ寄る人、昔より長実卿︹冒頭に見た、鞠を落とすのを恐れて逃げ出 したあの男︺ の外は未だ見ず、 聞かず︒ 我︹成通を指す︺ も心得ず︒ 但し我心得ずといふは、 心得ぬにはあらず︒ 心得ながら能く能く難き事有る故なり︒ 此の事書くにも及ばず、 詞も適ふまじ︒ 只詮じては、 木に恐るる事勿れ︒ 又恐れよ︒恐れずしつけて後恐るるを云ふなり︒恐れながら恐れぬやうにもてなすは、見苦しき事なり

8

  ともに心の言わば二段構えを要求している︒その"表面 〟 では木を 恐れずに

0000

思いきりよく鞠を蹴上げるように心が けはするものの、 ﹁心 の 底﹂では 鞠 の 思 いがけない 動 きに 対 処 するために 木 を 恐 れなくてはならない

0000000000

のだという(心 を二つの層に分かつ、公家鞠時代の伝書に見られる独特の話法については、すぐ後にあらためて触れる) ︒

  蹴鞠の伝書においては、鞠の不可測性に接する者に必要なより一般的な心構えとして、しばしば﹁かねて存する﹂

(4)

一八〇

――予期、予料することの肝要が語られる︒

○ 師説に云く、人みな疑ひて、我譲ろひにて寄らぬほどに、中に落つるを、 かねて存して

000000

、人の気色・足踏を見ま はすに、誰も寄らぬを見て延ぶるなり

9)

○ 師説に云く、鞠のほかざまに行く方へつきて寄るほどに、枝にあたりて元の方へ返るにすかされて落とすなり︒ 鞠に目をかけて、さる事あらば返らんずるやうに、足踏の 設

まう

けのあるべきなり︒一方のみ思ひぬれば、其の様違 ふ折に過ちの出で来るなり︒ かねて存すべき

0000000

なり

10

○ 内鞠︹室内で行う練習︺も詮ずる所は懸の鞠の料なれば、木をよく蹴りならふにはしかず︒︙︙又走る所、流る る所、付く所、沿ふ所、 凭

もた

るる所、淀む所、跳ぬる所、越す所、これらをよくよく蹴り知り、仔細に存すべし︒ いかなる木を見ても、此処はかかる所、彼処はいかなるべし、と かねて存する

000000

に、蹴る折も相違なく違はぬほど に存知すべし

11

  鞠場に立つ者は、こちらの予想を攪乱させる懸りの存在はもとより、あらゆる不測の事態を考慮しつつ鞠の動きを 把捉しつづけなくてはならないだろう︒よって、蹴鞠の﹁達者﹂とは、 ﹃内外三時抄﹄の言うごとく、 ﹁ かねて存し

00000

、 先立ちて図り、鞠の行くべき方、落つべき方を知り、人の叶ひ叶はざる分をかねて 弁

わきま

へて、寄り 退

き時に随ひ、進退 折 に 拠 る﹂ことが 十 全 にできる 者 ということになる

られている︒ う︒以前に引いたものではあるが再び見ておこう︒蹴鞠の上達のためには、あの源三位頼政同様の"予測力 〟 が求め 定 して 矢 を 放 つ 弓 の 技 術 に 蹴 鞠 のそれとのアナロジーをみとめる、以 下 の 具 体 例 にいちばん 明 白 に 認 められるだろ ︒この﹁かねて 存 する﹂心 の 態 度 は、葉 隠 れの 獣 の 動 線 を 想

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(5)

一八一 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶ 式︹成通の著という﹃三十箇条式﹄と呼ばれる佚書を指す︺に云く、寮頭入道︹未詳︺云く、葉懸りに入りて見 えぬ鞠は、木の枝の 垂

る方に行きて待つべし︒ 師説に云く、草籠めの 獣

しし

と、葉に隠れたる鞠は同じ事なり︒頼政云く、草の靡く方を、獣は見ねどもはからひて あつべし︹矢を当てるの意︺と云々︒此の説鞠に変はらぬなり︒葉の動くは鞠の近きなり︒高く通りぬれば後の 葉は揺るがぬなり︒柔らかなる枝は鞠の懸れば撓むなり︒枝の垂る方を見て寄るべし

13

  鞠の動きは、上下の垂直的なそれをひとまず捨てて考えるなら、前後左右の四方向が問題となる︒この﹁四方﹂の 動きへの注意が必要であるとして、 ﹃蹴鞠口伝集﹄には、

  師説に云く、鞠を上げて此の鞠落ちんは、四方をみな存したるよきなり︒一方ばかりを思ひたるは、違へば僻事 の出で来るなり︒鞠を上げざまに落ちん方を存するが、確かに相違なく思ゆるなりと云々

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  と 述 べ ら れ て い る ︒ 同 書 は ﹁ 公 家 の 蹴 鞠 道 の 成 立 、 体 系 化 以 前 の 段 階 の 書 ﹂

と い う 主 題 は 、 後 の 伝 書 で あ る ﹃ 内 外 三 時 抄 ﹄ に は 、 興 味 深 い 心 へ の 分 析 を と も な い つ つ 以 下 の よ う に 敷 衍 さ れ て い る ︒ の 姿 が 見 て と れ る 、 あ る い は 成 通 の " 肉 声 〟 が 聞 き と れ る ほ ぼ 唯 一 の 書 で あ る が 、 こ こ に 語 ら れ る ﹁ 四 方 ﹂ へ の 顧 慮

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と も 評 さ れ て い る と お り 、 蹴 鞠 の 原 初

︹鞠 が︺枝 にかかる 時 は、まづ 前 に 落 つるを 宗 として、又 後 へ 越 す 事 を 心 にかけて 待 つなり︒一 方 ばかりを 存 す れば、 違ふ時叶はぬなり︒ 又両方をかけて疑へば、 思はぬに落つる時、 え寄らぬなり︒ 宗とある方へ強く赴きて、 しかも左右後を存するなり︒ 心は四方を明らかに察し

00000000000

、 情は宗と赴く方へ存するなり

0000000000000

︒此の違ひ様を能く能く存 して 一心に両方を思ふべし

0000000000

16

(6)

一八二   枝にかかった鞠が前に向かってくるとだけ思ったならば、後ろへ逃げていったときに対応できない︒またその両方 の可能性があると考えたとしても、それ以外の位置に落ちてきた際に寄っていくことは難しいだろう︒どこか一方に 落下位置を予測するのではあっても、同時にその他の三方への配慮ができなくてはならないのだという︒ここでは一 方への強い思いを﹁情﹂と、それ以外の位置への冷静な顧慮を﹁心﹂と弁別して記述しているのがなにより面白い︒ 先ほどの心の二層の喩と組みあわせて換言するなら、心(広義)の"表面 〟 にはどこかの落下点を志向する﹁情﹂が 支 配 しつつ、その﹁心 の 底﹂にこの 判 断 を 客 観 視 するより 醒 めた﹁心﹂ (狭 義)が 控 えているような 二 段 構 えがなさ れなくてはならないということになろうか︒

  人の心そのものを分析の対象とする思考のかたちが生まれ、深化を進めるのは、なにもこの分野に限らないすぐれ て中世的な事態と言うべきであろうが、蹴鞠の伝書においては、その遊戯の性格上、ほんの刹那の心的状態の記述の うちにそうした思考が姿を見せていることが特徴であると思われる︒

  さて、これまではひとまず個人と鞠との関係のなかで必要となる心構えを略述してきたが、言うまでもないことな がら、鞠場には他の七人の鞠足が控えている︒彼らとの鞠を介した言わば申しおくりの連続として蹴鞠はゲームが進 行するのであったから、一人の鞠足の心は他の者の存在へも当然開かれていなくてはならないはずである︒じじつ蹴 鞠 の 伝 書 においては、 ﹁自 他 分﹂を 知 る――飛 んでいる 鞠 が 自 分 のものか 他 の 鞠 足 のものかを 判 断 することこそが、 この遊戯には大切なことであると語られている( ﹃革匊要略集﹄には、 ﹁自他分﹂に関して﹁此ノ道ニハ所詮是ヲ詮事 タルベキ事﹂と言われている

)︒ここには﹃蹴鞠口伝集﹄を引く︒

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一、我 が 鞠、人 の 鞠 分 かつ 事︒源 九︹源 基 経、法 名 蓮 実、藤 原 長 実 の 小 舎 人 童、 ﹁とんばう 返 り﹂の 名 手 として 知られる︺云く、我が鞠は空にて 疾

く乞ふなり︒もし 異

ことひと

人 乞ふ物ならば譲りて、しかも従うべし︒︙︙おほかた 懸 の 鞠 を 分 かつ 事 は、極 めて 有 り 難 き 事 は、鞠 足 は 木 の 左 右 を 分 かちて 立 ちたるに、枝 に 随 ひて 分 かつなり︒ 此

このごろ

比 の上手ども分の鞠知りて分かつ事見えず︒ 是を知りたる人は盛実・隆経︹ともに未詳︺ 許りなりと云々

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(7)

一八三 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶   最 近 の 鞠 足 たちは、二 人 の 上 手 を 除 き、 ﹁我 が 鞠、人 の 鞠﹂を 判 別 することができない、そう 成 通 は 嘆 いている︒ 源九によれば、自分の鞠と思えばすみやかにその意思を示すが、他の鞠足が我がものと声を上げたときは彼に従い、 鞠を譲るべきであるという︒ ここには、 同集に見える、 さきほど引いた﹁人みな疑ひて、 我譲ろひにて寄らぬほどに、 中に落つるを、かねて存して、人の気色・足踏を見まはすに、誰も寄らぬを見て延ぶるなり﹂という一文も思い合わ される︒他 人 の 声 や 行 動 だけでなく﹁気 色﹂ (様 子、雰 囲 気)までも 感 じとり、人 は﹁自 他 分﹂をそのつど 判 別 しな くてはならないのである︒後に見るとおり、このように自他の分際をわきまえるということは、高貴な上臈の蹴鞠と 卑しい下臈のそれとを分かつ、つまり上臈の穏やかな鞠の特質を示す重要な指標となっているのであるが、ひとつの 鞠を上げつづけるために人は、現代のわれわれが驚くほどに多くの事柄を並行して、また瞬時に勘案することを強い られていることにあらためて気づかされる︒   もっとも、この 種 の﹁気 色﹂の 察 知 ということは、当 時 の 貴 族 お 得 意 のものであったのかもしれない︒フランス 旧

アンシャン・レジーム

体 制 期 の 宮 廷 社 会 を 考 察 の 俎 上 に 載 せて、ノルベルト・エリアス(

Norbert Elias

)がサン = シモン 公 爵(

duc de Saint-Simon

)の次の言葉を引いていたことが思い出される︒

わたしはやがてかれの態度が冷たくなったのに気づいた︒わたしは、厄介な問題に悩まされているために偶然か れが取ったかもしれない態度と、故意にとられたとわたしが嫌疑をかけた態度とを取り違えないために、自分に 対するかれの言動に絶えず注意を払った︒そしてわたしの嫌疑が立証されたので、何くわぬ顔ですっかりかれと は付き合いをやめることにした

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  この 貴 族 は、 ﹁宮 廷 においては 物 事 自 体 は 決 して 問 題 にならない︒そうではなくてその 物 事 が 特 定 の 人々との 関 連 において 何 を 意 味 するかが、つねに 問 題 になるのである﹂

関するすべてのことを好んで事とか物に帰そうとするが、宮廷人は物事をも人間化するのである︒というのはかれら とも 語っている︒エリアス 自 身 も、 ﹁われわれは 人 間 に

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(8)

一八四 にとっては、人 間 と 人 間 相 互 の 位 置 がつねに 第 一 に 重 要 だったからである﹂

らぬ 注 意 を 要 する 深 刻 かつ 憂 鬱 なゲームである﹂

日 記 などに 頻 出 する、主 上 の﹁御 気 色﹂を 忖 度 する 人 びとの 姿 は 現 われて 来 ようはずがない︒ ﹁宮 廷 生 活 は、並々な "空気 〟 の濃密は、 わが国の平安貴族の周囲にもやはり漂っていたものであった︒ そうでなくては、 この当時の物語・ の 些 細 な 抑 揚 を 目 ざとくつかまえ、次 の 振 る 舞 いに 活 かすだろう︒こうした 近 代 人 から 見 ればやや 息 苦 しいほどの 人のもつ〈表情〉は無生物を含めたあらゆる事象のうちに遍在している︒宮廷人は、その身近い社会がもつ〈表情〉 と 論 じているように、宮 廷 社 会 では、

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らの政治的身振りの 戯 画 とも見えるものであったと言えるはずである︒

カリカチュア

のさらなるゲーム、言わばゲームのゲームとでもいうべき象徴的役割を担うことになるだろう︒蹴鞠という遊戯は彼

Bruyère

)の 印 象 的 な 言 葉 であるが、そうだとすれば、蹴 鞠 という 遊 戯 は、貴 族 社 会 自 身 が 繰 り 広 げるゲームのうち

Jean de La

とは、エリアスも 引 用 するラ・ブリュイエール(

22

  このように考えてくると、蹴鞠遊戯の一躍の流行が貴族社会の弛緩期、すなわち院政期であったことが意味深く思 えてくる︒後に見るように、この遊戯の場はまさにその後の連歌や能の場にも比較しうる〈座〉の共感性、等質性を 現出させる空間であった︒鞠を上げつづけるという名目のもとに人びとがただひとつの空気を呼吸することにこそ、 この遊戯の興趣の発生源があると見なされることになるのである︒ただし、ここに建立される一座は、中世のいわゆ る座の文芸に充満する民衆的生気を特徴とするというより、前代のものとなりつつある宮廷社会の空気の濃密を追想 する、やや懐旧的な色彩を帯びたものだったのかもしれない︒鞠へと かけられる

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当時の人びとの心のうちには、自ら の社会的基盤が掘り崩されつつあるという危機の意識が潜んでいたに違いない︒

二   〈動かない身体〉の誕生

  前節に見た、 鞠足たちに求められる 心の

00

構えは、 やはり 身体の

000

構えという基盤の上に立つものでなくてはなるまい︒ その心がけが効果を上げるためには、十全な技術や姿勢を確立するまでの不断の修練という身体的契機が当然ながら

(9)

一八五 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶ 必要となるはずだからである︒鞠を用いないシャドウ・トレーニングである﹁空鞠﹂や、通常の物より小さい小鞠を 使って 部 屋 の 隅 の 壁 に 蹴 りあて、跳 ねかえってきたものをまた 蹴 りもどす﹁隅 の 小 鞠﹂ 、桶 を 頭 上 に 吊 るしておき、 直下から鞠を蹴りあげてそれに入れることを狙う﹁桶鞠﹂など特徴的な練習方法が諸書に記されているが、それらを 経て、また実際に鞠場に立って経験を積むことによって、はじめて鞠の不可測な動きに対処する敏捷性が涵養される ものらしく、 ﹃内 外 三 時 抄﹄ではそのはてに 獲 得 される 足 には 魂 が、すなわち﹁足 魂﹂が 宿 るのだと 語っている︒頭 上の枝に当たって強く跳ねかえった鞠を咄嗟に足を延ばして蹴り上げる﹁ 突

つきのび

延 ﹂と呼ばれる高度な技術に関する部分 である︒   是 ︹ 突 延 を 指 す ︺ は 功 入 り ぬ れ ば 自 然 に せ ら る ︒ 全 く 我 が 心 に 思 は る に は あ ら ず 、 心 に 先 立 ち て 、 思 ひ に 進 み て 、 突 く 音 を 聞 か ば 、 足 が 我 に も あ ら ず 延 る ほ ど に 練 習 す べ し ︒ 是 は 師 も 教 へ が た く 、 我 も 習 ひ が た し ︒ 心 に 深 く 約 束 し 、 功 入 る に 随 ひ て 、 足

あしたましゐ

魂 出 来 て 、 心 を 待 た ず 、 思 ひ に 随 は ず 、 鞠 に 付 き て 足 自 然 に 振 る 舞 ふ な り ︒ 是 ほ ど に 至 ら ざ ら む 人 は 突 延 叶 ひ が た し ︒ 高 枕 し て 臥 し た る よ り も 易 し と 云 ふ は 、 か く 足 が 主 を 待 た ず 振 る 舞 ふ 故 な り

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  末尾近くの﹁高枕して臥したるよりも易し﹂という文言は、 ﹃蹴鞠口伝集﹄に見える源有仁の言葉――

師説に云く、花園左府︹源有仁を指す︺は、鞠の木に当たりて退くを延ぶるは、高枕して臥したるよりも、 閑

のど

か に思ゆるなりと云々︒かねて鞠を存して任意思ふは、閑かに思ゆるなり

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を踏まえている︒そちらでは、突延をする上で前節に見た﹁かねて存する﹂心構えが大事であるとされているが、こ の﹃三時抄﹄ではそれを﹁功入る﹂結果、すなわち修練の賜物ととらえている︒長い鍛錬のいやはてに足には魂が宿 り、自在の動きが可能となるのである︒後の伝書に見られる心の分析の深まりについては前節に触れたが、同時に身

(10)

一八六

体についての理解も進んでいたのだと思われる︒

  総じて伝書の言説においては身体の軽さが称揚されている︒以前の稿において引いたものも含め、いくつか例を挙 げよう︒

○ 師説に云く、 大股にて、 常に右の足を浮かべて踏むなり︒ 鞠に合はぬ折も、 足を踏み返し踏み返しして、 浮びて、 踏み留めて立つべからず︒立ち浮びて徘徊すべきなり

25

○ 只身を軽く足を浮べて、虚空を歩くやうに心をかくべし︒身は本所にて足計りを指し出でける事、返す返す悪き 事なり︒身のけばらる︹そりかえるの意か︺重くもなる、かたがた悪事なり

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○ 足踏は、詮ずる所、庭上に浮びて滞る所なく、やすやすとして、しかも 念

ねむ

ある也︒︙︙浮ぶと云ふは、水鳥の波 の上を往反し、かつを虫︹ 水

あめんぼ

黽 のことか︺とて、水の上にある虫の池面を進み退くが如し︒これらは一分の相似 たるを喩ふるなり︒凡そ詞に述べがたく筆に書きがたし︒拾遺納言︹成通を指す︺の鞠庭に立たれたるは、物を 上 より 釣 り 下 げて、地 の 上 五、 六 寸 ばかり 上 がりたるやうに 見 えけりと 云 ふも 同 じ︒普 通 の 歩 は 膝 を 折 りてあく む︹ ﹁あゆむ﹂の誤りか︺ 、鞠の歩は膝を直ぐにて、左右の足同じ時にするすると進退する様なり︒かのかつをむ しの水の上にて逍遥したるを見て心を得べし

27

    神 格 化 される 成 通 のからだが 浮 遊 する 身 体 として 表 象 されることはすでに 触 れたところである

り﹁鞠聖﹂だけでなく、誰もがそのように庭上に浮かぶまでに鍛錬が進むことをこれらの言説は要求している︒ ︒しかし、ひと

28

  ここで﹁庭上に浮びて﹂とか﹁虚空を歩くやうに﹂などと表現されていることは、最後の例に﹁するすると進退す る様なり﹂と述べられていることからすると、実際にはすり足を意味しているのだとも思われる︒鞠の動きが主に庭

(11)

一八七 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶ の上を上下する垂直運動から成っているのだとするなら、それとは対照的に、鞠足の身体は水面をすべるような水平 運動を志向するもののようである︒このとき身体は見る者に﹁ 閑

のど

か﹂だという印象を与えることとなる︒

○ 実 経︹未 詳、 ﹃蹴 鞠 口 伝 集﹄では、木 にかかって 落 ちない 鞠 に 礫 を 投 げて 落 とすのが 得 意 な 者 として 登 場 する︺ 云く、難き所にては易く見せ、易き所にては難く見すべきなり︒難き所にては閑かに待ちて、心を静めて見るべ しと云々

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○ 一、上は閑かにて下速き事︒源九云く、上手の鞠は淀河のやうなるなり︒淀河は上はぬるきやうにて、底速きな り

30

  さきに 挙 げた﹁花 園 左 府﹂こと 源 有 仁 の 言 葉 のうちにも、 ﹁閑 か﹂という 語 が 口 にされ、身 体 の 穏 やかさが 描 出 さ れていたことを 想 起 したい︒ ﹃蹴 鞠 口 伝 集﹄には 他 にも﹁上 手 になりぬれば、難 き 鞠 もよく 合 ひて 静 かに 上 ぐれば、 明 足 とも 人 見 ぬなり︒俄 かに 惑 ひて 当 てたるを 明 足 といふ︒上 手 の 明 足 見 知 るは 上 手 ばかりなり﹂

強 く 見 えてたはやかならず﹂

こわ

るはずではあるが、 ﹃成 通 卿 口 伝 日 記﹄には﹁心 をゆるに 思 ふべからず︒心 の 中 に 躰 を 責 めよ︒ 顕 はに 責 めつれば、

あら

と知られる︒もっとも、なにせ動きの速い鞠につきあうのであるから、どうしたってこちらも素早い動きが求められ あって、明足をそれと見せないほどの蹴鞠の上手になるために、静かさ、穏やかさの獲得がひたすら庶幾されている という 言 葉 が

31

でそれをおくびにも出さないことが重視されているのである︒ とも 言 われていて、鞠 への 迅 速 な 強 い 対 応 は 心 のうちにとどめておき、身 体 はあくま

32

  そのように﹁閑か﹂に蹴られた鞠は﹁ 粘

ねば

く﹂見えるのだという︒

○ 師説に云く、足の設けは心の内に急ぎて、足をもて上ぐる事は急がぬなり︒落しかけて強く足に当つるは、鞠音

(12)

一八八 もよく静かに上がるなり︒さて鞠の粘く見ゆるなり

33

○ 上手は一足なれども、人に違ひて鞠上下粘く静かに降り昇りしてふりめく︹鞠が空中でふらつく︺事なし︒ふり めくは鞠の頭を蹴る故なり︒腰革を見定めて蹴るべし︒但し鞠によりて変わる事も有るべし︒足はもとより力を 入れたれば︻俄かに力を入れば悪し(すみつき括弧は割注を示す︒以下同様) ︼、強くしかも粘く跳ね上ぐれば、 後まで名残りある心地なるべし︒然らば其れが沓音丸くしとやかにて、降り昇り静かに、色もぬれぬれとして上 下するなり

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  とくに 後 者 では、なかば 触 覚 的 で 繊 細 な 筆 致 で 鞠 の 動 きが 語 られているのが 印 象 的 であるが、鞠 の﹁名 残 り﹂ (伸 びやかな鞠の動きの余韻のようなものか) が見る者に感じられるほどに、 鞠にもまた﹁ふりめく﹂ ことのない﹁閑か﹂ さが求められていることを読みとることができる︒

  結局のところ、そのような鞠の動きを可能とする鞠足の身体の理想は、以下のようなものであるらしい︒

所詮は姿乱れず足踏拍子合ひて、たをやかに醜からで、しかも強く柔らかに、笑むに見えて、足ごとに思ひ入り て、落さざるが大事なるなり︒一つは良けれども一つは悪く、斯様にあらば猶達せずと思ふべし

35

  興味深いことに、人が晴れてこの身体を獲得したとき、そのからだには看過しえない重要な雰囲気が纏綿するのだ という︒それを﹃蹴鞠口伝集﹄では﹁ 気

そく

﹂と称している︒

一、気色の事︒成平云く、淡路入道︹源盛長、白河院の蔵人で賀茂成平の師︺は与州の鞠を見て、足当たりは術 無き上手なり︒ 少し気色なし︒ 但し若き時は気色せらるべからず︒ 至りて後気色有るべしと云々︒ 此の説をもて、

(13)

一八九 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶ 今案に、三十以前は気色あるべからざるか︒ 師説に云く、鞠の心に任せて思ゆる後の事なり︒未だしき折は、気色せんとも思えぬなり

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  すでにわれわれは、成通当人の言葉のうちに気色の語を見いだしているが、ここではそれがよりよき価値として高 められて 用 いられていることがわかる︒ ﹃革 匊 要 略 集﹄をも 参 照 すると、この 意 味 での 気 色 とは、鞠 足 が 自 らの 感 情 を率直に表現している状態の謂いであるらしい︒ ﹃要略集﹄によれば、気色には﹁三様﹂ 、すなわち﹁気悦ノ相﹂ 、﹁礼 儀 ノ 躰﹂ 、﹁勇 士 ノ 姿﹂ (これは﹁忿 怒 ノ 姿﹂であるとされる)があるのだという︒鞠 会 に 相 応 しい 礼 儀 を 踏 まえた 穏 やかな身振りをしつつ、ときに激しく身を動かして、この遊戯を行うことの悦びを一身に表現することとでも要約で きようか︒

  ただし、さらに 後 の 伝 書 ともなれば、この﹁気 色﹂という 概 念 は、 "空 気 〟 として 鞠 足 全 員 に 共 有 されるべき、鞠 場 を 支 配 すべきものへと 発 展 してゆく︒ ﹃革 匊 要 略 集﹄にも 見 えるがやや 文 が 乱 れているため、ここは 同 趣 旨 の﹃蹴 鞠略記﹄を引こう︒

  気色ハ好ミテ色ヲ添フルナリ︒鞠場ニ気色無キ躰、頗ル冷然タリ︒気色有ル事モ、亦惟レ甚ダ有リテハ悪シ︒無 クテモ悪シ︒功積リテノ後、自然ニ出デ来タル︒努々意ヲ為スコト莫レ︒只人ニ随ヒ齢ニ依ルベキナリ

37

  そこでは、気色は一人の鞠足の醸すものであることを越え、鞠場全体に拡散している︒このとき、すでにこの場は すぐれて中世的な空間へと変質していると言えるかもしれない︒さきに触れたように、のちの"座の文芸 〟 にも近似 する﹁芸 能 の 空 間 における 共 感 性﹂

テハ、其 ノ 衆 各 我 慢 ヲ 生 サズシテ、一 味 同 心 ニテ 自 他 ノ 徳 失 ヲ 談 義 スベキナリ﹂

が 語 られていると 見 るべきだからである( ﹃革 匊 要 略 集﹄には﹁蹴 鞠 ノ 儀 ニ 於

38

えている) ︒この 種 の 寄 合 性 は、連 歌 や 茶 の 湯、能 にも 通 底 する 中 世 的 芸 能 の 特 性 として 諸 家 によって 指 摘 されてき とあって、 ﹁一 味 同 心﹂の 語 が 見

39

(14)

一九〇

たものだが、蹴鞠の場はそのかなり早い例ともとらえうるのである︒

  ここで見逃せないのは、 ﹃蹴鞠口伝集﹄ ﹃蹴鞠略記﹄ ともに、 若い時分にはこの気色は生み出しがたく、 ﹁至りて後﹂ 、 ﹁功 積 リテノ 後﹂にはじめてこの 雰 囲 気 が 醸 成 されるのだと 注 意 していることだろう︒端 的 に 言 えば、気 色 とは 老 い の身体が発散するなにものかなのである︒ ﹁老足﹂ 、つまり熟練の鞠足をめぐる言説は、蹴鞠の伝書において重要な主 題となっている︒ ﹃蹴鞠口伝集﹄から典型的な例を引こう︒

師説に云く、鞠習ふ初めには、身のならん様も知らず、走り 廻

めぐ

りて物騒がしかるべし︒上手は静かにこそ見ゆれ とて、初めより静かになりぬる鞠は、早足にはならぬなり︒物騒がしく走り廻りて、いづれの足こそ叶はねと思 ふ事なく︹どの技術であってもできないと思うものがないまでに︺ 習ひて、 功の入るままに静まるべきなり

40

  内容は一見さきほど触れた﹁閑か﹂という主題と違背するようだが、蹴鞠のプレーに必要な最低限の早足を獲得す るために、修練の初歩の段階ではむしろ閑かならざるやかましさが奨励されているわけで、最終的には功を積んだの ちに身体が﹁静まる﹂ことがやはり求められている︒若年の鞠足と老齢のそれとの対比という点では、次の藤原顕季 の言葉が看過できない︒

一、 鞠にまことといふ事︒ 八条光親︹未詳、 ﹃蹴鞠口伝集﹄ には八条冠者の名でも載る︺ 云く、 修理大夫顕季云く、 鞠にはまことといふ事のあるなり︒ 年若き折は、 身も軽く足も利きて振る舞はるる折は、 いかなる鞠も過ちなし︒ 老の後は、鞠を我が物にして故ありて上ぐるをまことといふなり︒まこと知らぬは鞠にあらず

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  一般的には御子左家に対抗する六条藤家の領袖たる歌人として知られている顕季ではあるが、同書に﹁顕季卿若く て鞠を好まれける時、 春三月の間に故なく行かぬ︹尊重寺へ行かないの意︒ ここには当時著名な懸りの名木があった︺

(15)

一九一 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶ 日 三 日 とぞありけると 申 し 伝 へたる﹂

いというのだが、この語はいったいどういう意味だろうか︒ 引用はその彼の晩年の言葉と考えられている︒蹴鞠には﹁まこと﹂があり、それを知らないようでは鞠足とは言えな と 記 されているように、若 いころはむしろ 蹴 鞠 に 熱 中 していたものらしい︒

42

  ﹃蹴

鞠 口 伝 集﹄下 巻 下 帖 には、老 足 に 関 するひとまとまりの 伝 承・逸 話 が 収 録 されている︒ここではそれら 四 段 を 順に引く︒

○ 師説に云く、四十より後は老足と云ふなり︒成平四十より後は脚病やみて、若盛りの様にもなくて、時々鞠落し ては人を見て笑み、若くてはかくもなかりし物をと思ひたる気色、いみじかりき︒老の後も、遠き鞠に心をかけ て、落る折は延びかかりき︒ただの人は若きもさやはありし︒老鞠の後、鞠 長

たけ

少し 低

きになりて、落したてて、 しづしづと見えし、いみじかりき︒

○ 資方︹小野忠資の子、野五とも︺云く、老後には我が足の叶ふまじき折は、過ごすと云ひて、平がりて、上より 鞠を越しければ、 傍

そば

の人上げけり︒資方も後にはさぞし侍りける︒

○ 式に云く、 淡路入道盛長云く、 古足は、 鞠の落る時、 我が分の鞠なりと自ら云ふべし︒ さも云はぬは、 若鞠足︹若 いプレイヤー︺ の 侮

あなづ

るなり︒ 若鞠足を 年

︵ママ︶

老いて、 え寄らぬ由を云へば、 昔の有様、 いよいよ恐れ仰ぐなりと云々︒

○ 師説に云く、盛長説を伝へ聞くに、老足は寄るべき鞠に寄らで、是は我が鞠なりと自ら云ふなり︒若かりし時の 事を人の悟りて、いとど仰ぎ恐るるなりと云々

43

  これらの三人の言葉が一貫して擁護しているのは、かつては華ばなしい早足や技術を見せた名手のその後の身体で

(16)

一九二

ある︒もはや鞠の不可測の動きに瞬時に対応しえず、遠い鞠に足を延ばすことも難しい老足は、無理をせずに他の者 へ鞠をゆだねる︒その際は、若い者に見くびられないように、かつての自分ならばそれくらいのものは容易に蹴るこ とができたものを︙︙という思いをにじませるようにして鞠をゆずるべきなのだという︒ここに共感の装置としての ﹁気 色﹂がかりに 成 立 していれば、そのささやかな 振 る 舞 いにより 彼 の 忸 怩 たる 心 情 を 他 の 七 人 も 容 易 に 感 じとり、 老足への敬意の念はさらに強まるだろう︒ここでは、鞠を落とさないことよりも、老足のもつ閑かな品のある振る舞 いが、ひいては〈動かない身体〉そのものが重視されていると見える︒

  鞠の﹁まこと﹂について考える上では、諸書に言われる鞠の﹁徳﹂という主題が参考になろう︒

源 九 云 く 、 鞠 足 は 徳 ど も の あ る な り ︒ 身 の 有 様 よ く て 鞠 か か る あ り 、 一 の 徳 な り ︒ 又 姿 よ か ら ね ど も 足 の 当 た る 、 一 の 徳 な り ︒ 又 延

のべ

足 ・ 帰

かへり

足 一 つ づ つ も あ る は 徳 な り ︒ 又 木 の も と に よ く 立 ち て 乞 ふ べ き 所 を 乞 ひ て 、 足 こ ま か に あ ら ね ど も 有 様 知 り た る 、 一 の 徳 な り ︒ 斯 様 の 徳 皆 を 兼 ね て よ き は 別 事 な り ︒ 少 々 も 備 へ た る を 鞠 足 と 云 ふ な り

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  後 にすぐ 見 るように、蹴 鞠 のアクロバット 技 術 にだれよりも 長 けていた 源 九 であるから、姿 は 二 の 次 にしてでも ﹁足 の 当 たる﹂者、あるいは﹁延 足﹂や﹁帰 足﹂

以下のように論じられ、そうした振る舞いの評価はより明確なかたちをとることになる︒ な身体をもたない者の振る舞いまでもが肯定されていることはきわめて興味深いことである︒後の伝書では﹁徳﹂は りなんと思われる︒しかしその彼にして、最後の項に﹁足こまかにあらねども有様知りたる﹂鞠足をとりあげ、迅速 といった 目 に 立 つ 大 技 を 身 につけた 者 を 採 用 しているのはさもあ

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鞠足ニ三徳有リ︒ 一ツハ、 姿・事柄尋常ニテ木ノ下ニ打チ立ツナドシタルナダラカナル、 イタク 細

こま

カナラネドモ、 是一ツノ徳ナリ︒ 一ツハ、 姿・事柄イト見所ナケレドモ、 タエガタク足細カナル、 是又一徳ナリ︒ 一ツハ、 故実・ 作法存知シテ、事ニ於テ思ヒ入リタル、是又一徳ナリ︒此ノ三徳ヲ一々モ具シタルヲ鞠足トハ云フナリ︒此ノ三

(17)

一九三 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶ 徳ヲ皆悉ク具シタルヲ上足トハ云フナリ︒此ノ三徳ヲ一ツモ具セザル人ハ、猶々能ク能ク好ムベキナリ

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  ここではもはや、所 作 が﹁ナダラカ﹂ (柔 和)ではあるものの、足 が 人 より 利 くというわけではない( ﹁イタク 細 カ ナラネドモ﹂ )ような〈動 かない 身 体〉が、徳 の 記 述 の 冒 頭 にきている︒と 同 時 に、身 体 の 敏 捷 の 有 無 に 関 わらない 故 実 や 作 法 の 通 暁 者 までが 最 後 の 一 項 を 占 め、 ﹁足 コマカ﹂で 機 敏 な 身 体 への 評 価 を 相 対 的 に 低 めているように 読 め る︒鞠足がもつべき徳とは、あらまほしい閑かさを内包した〈動かない身体〉の称揚ということにほかならず、そこ で庶幾されるべき身体とは、端的に老足のそれであったということになる︒顕季の語る鞠の﹁まこと﹂は、蹴鞠遊戯 を め ぐ る こ う し た 新 た な 価 値 の 創 出 と い う 事 態 を 受 け て 、 こ れ を 積 極 的 に 承 認 し た も の と 考 え る こ と が で き る だ ろ う ︒   〈動

かない 身 体〉の 確 立 という 出 来 事 には、上 臈 たる 堂 上 貴 族 と 下 臈 の 地 下 人 という 現 実 の 身 分 格 差 の 問 題 が 影 を 落としてもいる︒

  ○上臈は興有りて鞠を落し、興無くて鞠を落さぬ、各好みによるべし

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○ 成平は、大木に荒く当つるは僻事なり︒流しかく︹かける︺べしと云々︒是を案ずるに、上臈は荒く当たりて落 るを顧みず、 拵

こしら

ふることのなき、さもある事なり︒成平は下臈にて、誤りなくと思ひたる、いづれも謂れあり︒ 人によるべき事なりと云々

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  ここでは上臈の蹴鞠と下臈のそれとの両性格に明確な線引きが施されている︒どんなことをしてでも鞠を落とさな いというのはあくまで下臈の蹴鞠であって、 上臈の者はそのように﹁拵ふる﹂ ことをしてはいけないのだという

下臈の蹴鞠の代表者ともいうべき源九のプレーには眉をひそめる者たちがいたことをうかがわせる興味深い一段であ またこの線引きは、 すでに見た﹁自他分﹂ を的確に判断できるか否かという点に関しても一本引かれている︒ 以下は、 ︒

49

(18)

一九四

る︒

  景忠︹小野資方の子︺云く、源九は上手なれども鞠の様を知らぬなり︒あまたの難の候なり︒一には鞠数︹一人 で鞠を蹴る回数︺多かり︒下臈は足数少なく仕るべきなり︒二には鞠庭に立ち出でたり︒下臈は引き入りて立つ 事なり︒三には鞠の 大

おほむね

旨 知らぬなり︒源九上手にては候へども、この三の難あり︒待賢門院の御鞠に、近衛中将 ︹ 未 詳 ︺ の 御 烏 帽 子 蹴 落 す は ゆ ゆ し き 辱

ぞくかう

詬 ︹ 恥 辱 ︺ に 候 ︒ 上 臈 に は 鞠 を 任 せ 奉 り て 、 我 は 傍 に 立 ち 出 で て 、 あ そ ば し 損 ず る を 掬

すく

ひ 上 ぐ れ ば こ そ 、 下 臈 鞠 足 に て は 候 へ ︒ 立 ち 出 で て 御 烏 帽 子 落 す 様 や は 候 べ き ︒ 僻 事 に 候 と 云 々

50

    源九への批判の要点は、下臈として当然求められるわきまえ、自他分の顧慮ということが彼には欠けているという ところにある︒われがちに鞠場を駆けまわり、あまつさえ貴人の烏帽子を蹴り落とすというのは、下臈にあるまじき 振る舞いではないか︒つまるところこの男は蹴鞠の﹁大旨﹂がわかっていないのだ――景忠はたいそう憤っている︒ ここに口にされた﹁大旨﹂という言葉は、おそらく顕季の語る﹁まこと﹂とほぼ同内容の語であろう︒源九は蹴鞠に おける願わしい閑かさ、 〈動かない〉美徳を解さない者とみなされているのである︒

  上臈であればその場の趣や雰囲気を優先し、場合によればむしろ積極的に鞠を落とすのが彼に相応しい振る舞いな のであった︒鞠は落としてよい!   この、ある意味では蹴鞠遊戯の根幹をなしくずしにしかねない理念が成立した背 景 には、 〈動 かない 身 体〉の 誕 生 という 事 態 がひかえている︒上 臈 の 蹴 鞠 とは、動 かない 身 体 を、言 い 換 えれば 老 い の 身 体 をだれもが 分 有 することを 意 味 していた︒だれもが 象 徴 的 には 老 足 となり、 ﹁気 色﹂の 共 有 を 基 盤 にして﹁閑 か﹂という価値を志向する場こそが上臈の蹴鞠なのである︒よって、顕季の語った﹁まこと﹂とは、上臈の蹴鞠の定 立 を 揚 言 する 宣

マニフェスト

言 の 色 彩 を 帯 びていたとも 見 ることができる︒ (思 えば 冒 頭 に 見 た、鞠 を 落 とすのを 恐 れて 逃 げ 出 し た長実、重任らは、こうした上臈の鞠の理念を共有していなかったのかもしれない︒長実は顕季の長男である︒彼は わが父の言挙げした蹴鞠の﹁まこと﹂に思いいたらなかったのだろうか︒ )

(19)

一九五 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶   と こ ろ で 、 こ の 上 臈 の 蹴 鞠 の 確 立 に あ た っ て は 、 ほ か な ら ぬ 藤 原 成 通 が 加 担 し て い た よ う に 見 受 け ら れ る ︒ そ も そ も 蹴 鞠 の 伝 書 に お い て は 、 源 九 が 下 臈 の 典 型 だ と す る な ら 、 成 通 は 上 臈 の 代 表 の 位 置 を 占 め 、 両 者 は し ば し ば 対 照 さ れ 語 ら れ て い る ︒ 以 前 の 稿 に 引 い た 、 成 通 の 身 体 を ﹁ 上 よ り 物 を 下 げ て 、 土 よ り 五 寸 ば か り 上 が り て 、 浮 き て 見 ゆ ﹂

れていた︒次に挙げる逸話でも、庭に残る切株( ﹁ 切 株 ﹂)への対処をめぐって両者が対照的に描かれている︒

きりくひ

の対照が話柄となっているのだが、そこでは源九に優越する成通の身体に触れて﹁上臈なればかく見ゆるか﹂と語ら 写した﹃蹴鞠口伝集﹄の逸話においても、直前に源九の身体が﹁ 宛 ら舞ふ蝶の如し﹂と形容されており、やはり二人

さなが 51

と 描

行元︹紀行元、白河院政期の鞠足︺が云く、切立の下に、土より一二尺ばかり上がりて 切

きりくひ

株 の候に、落ちかかる 鞠を、源九は躍り上がりてつかまつりしを、拾遺納言は落したてて、切株に当たりて投げ出すを待ちて、上げ給 ひし、いみじくこそ見え侍りしかと申しき

52

  切株のもとに落ちかかる鞠を源九は﹁躍り上が﹂ってすぐさま処理し、かたや成通はあえて落とした後におもむろ に蹴り上げる︒この一文に見えるように、源九はアクロバティックな軽業を得意とした︒とりわけ興にのったときに 見せる﹁蜻蛉返り﹂ ――跳び上がって空中で回転しつつ鞠を蹴る技は、彼の代名詞であった︒

一、 蜻

とんばう

蛉 返

かへ

りの事︒源九云く、躍り上がりて、空にて返ると云ふなりと云々︒源九は興に入りたる折好みてせし 事なり

53

  こうした軽業・早業は、地下の者の本領だったようである︒面白い逸話がのこっている︒ここでの主人公は源九で はなく賀茂成平であるが、 彼は若年のころ、 街のどこかに鞠音を聞きつけてはそこに飛び入りで加わっていたらしい︒ 当時の庶民の蹴鞠の姿がうかがわれる貴重な一段である︒

(20)

一九六 家平︹成平の子︺語りて云く、成平若くて鞠蹴に出る折、馬に乗りて、 何

いづく

処 か鞠の音すると、一条より下り様に 行くほどに、下渡りに音しければ、寄りて門より覗けば、僧・稚児などして鞠のありけるに、資方混じりたりけ るを見て、 韈

したうづ

きて歩み出でたるに、 資方古足︹熟練のプレイヤー︺ にて、 めでたくもてなしいみじかりければ、 僧たち、纏頭︹褒美に与える 被

かず

け物︺せんなど云ひ合ひたるに、成平出で来て、若鞠にてひらひらと面白く早か りけるに、人ども心変わりて、資方が 萎

しな

びて閑かに、めでたく蹴をば見も知らず︒当時早きをいみじがりて、資 方が纏頭もせざりければ、鞠果てて、資方が成平に、 密

みそか

に纏頭せんと云ひけるに、われ︹ここはあなたの意︺が 出で来て妨げたる︒人のくひゆひ︹ ﹁首結ひ﹂か︺に来たるぬしかな、とぞ申しける

54

  彼 が 加 わる 以 前、注 目 を 集 めていたのはもはや 老 足 の 域 に 入った 資 方 であった︒熟 練 の 技、 ﹁閑 か﹂な 振 る 舞 いを 見せて人びとをしきりと感心させていたのだろう︒ しかし、 そこに若い成平が現われるやいなや、 彼らは﹁ひらひら﹂ と敏捷に動く若やいだ身体のこの鞠足に目を奪われている︒そのため資方は、せっかくの褒美を頂戴するのをふいに してしまったのである︒ ここでは、 地下の蹴鞠、 庶民の蹴鞠の魅力があくまでからだの敏捷、 足技の華ばなしさにあっ たことが、資方の﹁閑か﹂な身体の否定をともなってありありと示されている︒

  成平は成通の師である︒しかし、彼はこれらの早業賛美の庶民的風潮にはっきりと異をとなえるのである︒

  一、 躍

おどり

足︹蹴りにくい場所に落ちようとする鞠を、躍り上がって空中で蹴る技術︺の事︒源九云く、躍足は、近 実︹安藤近実、藤原顕季の蹴鞠グループの一人︺云く、先づ右の足を躍りて、左の足を歩きて、右足にて上ぐる なりと云々︒ ︙︙師説に云く、躍足は品なき事なり︒中にも鞠は成平を学ぶなり︒成平は盛長を学ぶなり︒この二人ともに躍 足は好まぬなり︒されば我伝へぬ事なれば、教ふるに与はず︒躍足は、高欄の内へ入り、木の俣に留まりぬべき

(21)

一九七 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶ を、躍り上がりて汲み出すなり︒しかるを、高欄に足懸けて、逆様に倒るる事の出で来るなり︒されば尋常なる 人好まぬなり︒思ひ放ちたるなりと云々

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    引用では、 さきほどの師の逸話は知らないかのごとく、 わたしの先生も﹁躍足は好まぬ﹂ 人だったと語られている︒ ﹁躍 足﹂は 高 欄 に 足 をかけてさかさまにひっくり 返ってしまう 危 険 がある︒だから﹁尋 常 なる 人﹂であれば、そんな 見 苦 しいことにならないよう、この 技 はひかえて、鞠 が 落 ちるにまかせる( ﹁思 ひ 放 ちたる﹂ )のだという︒源 九 が 時に見せる蜻蛉返りについても、後の伝書では、成通のこの判断の線にそって次のように断じられることになる︒

とうばう 帰

︵ママ︶

り は其の興あれども其の詮なし︒ されば 強

あなが

ちに好まず︒ 只源九入道入興の時しけり︒ 自余さもなきか︒ 聞かず

56

  とんぼ 返 りに 近 似 したものと 思 われるからだの 動 きを、 ﹃日 本 三 代 実 録﹄では﹁ 呪

じゆてき

擲 ﹂と 表 現 している

たらしいことをうかがわせるからである︒ ﹁呪﹂字 が 付 されているのが 興 味 深 い︒目 を 奪 うような 軽 業 に 人 びとはなにかしらの 呪 性、まがまがしさを 感 じてい えられているから、 ﹁擲﹂もおそらくはそれに 類 する 身 をなげうった 軽 業 だと 思 われる︒ただしそこでは、この 語 に 字 に 関 しては﹃和 名 類 聚 抄﹄雑 芸 部 に﹁擲 倒﹂の 語 があって、 ﹁ 賀 倍 利 宇 都 ﹂すなわちとんぼ 返 りのことと 語 釈 が 加

かへりうつ

︒﹁擲﹂

57

  小 笠 原 恭 子 は、 ﹃万 葉 集﹄に 見 える﹁走 る﹂という 語 を 調 べ、この 語 はもと 人 間 以 外 の 事 象――とりわけ 鮎 のよう な当時神聖視されていた生き物、 霰

あられ

のごとく吉兆と観念されていた現象の動きに関してこの語が用いられることが注 目される――の動きを形容するもので、現在のように水平方向の移動を言ったのではなく、水が地に落ちて飛び散る ような、 垂直方向に飛び上がる動きを意味したことを明らかにしている

舞 楽 に 見 られる﹁走﹂の 技 法( ﹁足 を 片 足 ずつ 腿 の 高 さまで 上 げて、踏 み 下 す 時 とんと 跳 ぶ 技 法﹂ )はまさに、その ︒ そしてこの考察を芸能の領域に代入し、

58

(22)

一九八

語 本 来 の 動 きにもとづくものであり、これが 後 の 芸 能 にまで 影 響 を 与 えて、 ﹁片 足 ずつ 腿 をあげて、ひょいと 踏 み 下 す﹂狂言の鬼の足づかいを生んだことを論じている︒ここに神と精霊の対立という、ひろく芸能の世界に見られる図 式 をもちこめば、 ﹁上 位 の 神 霊 が 地 に 足 をすりつけて﹁舞﹂うのに 対 し、下 位 の 精 霊 は 地 から 足 を 放 して﹁走﹂る﹂ という対照が見られ、これは﹁芸能的表現の一つのルールとなっていたものではあるまいか﹂と推定している︒

  ぴょんぴょんと跳び上がる所作は、鬼のごとき精霊にも似て、どこかしらいかがわしい、あるいは猥雑な印象を与 えたものと思われる︒蹴鞠が鞠を追いかけまわし、ときに激しいからだの動きを要する遊戯であるかぎり、この印象 を 拭 いとることは 容 易 ではなかったはずである︒この 点 に 関 して、 ﹃遊 庭 秘 鈔﹄が 次 のような 逸 話 を 記 しているのが 参 考 になろうか︒一 段 の 主 題 は、 ﹁腰 の 高 さならん 鞠 に、身 を 二 重 になして、鞠 に 目 を 放 たずして、帰 り 合 ひて 蹴﹂ るという軽業――文意が明確にはとりがたいものの軽業にはちがいない――に関わっている︒

祖父禅門︹二条為世を指す︺若く侍りける 比

ころ

、亀山院晴れの御鞠に、直衣にて参りける︒かはゆく小さき鞠を、 今 の 如 く 身 を 寄 りて 二 重 になして︹上 に 述 べた 軽 業 を 意 味 する︺ 、左 帰 りに 帰 り 合 ひて 之 を 蹴 る 時、冠 の 先 にて 砂

すなご

に一文字を引けるを、 上皇叡感に堪へずして、 晴れの座敷をも忘れさせ給ひて、 為世は 骨

こつ

ししつるにやと

59

  末尾近くに見える﹁骨無し﹂とは、 ﹃新猿楽記﹄の冒頭に、 ﹁咒師、儒侏儛、田楽、傀儡子、唐術、品玉、輪鼓、八 玉、独相撲、独双六、骨無し、骨有り︙︙﹂などと諸芸能が列記されるうちにも見える散楽的技芸のひとつで、川口 久 雄 によれば、 ﹁ぐにゃぐにゃの 骨 無 し 芸﹂とでも 翻 訳 されるような、骨 格 が 欠 如 したかのような 肉 体 の 滑 稽 な 動 き をともなう 不 思 議 な 芸 態 を 意 味 した

う穏当ならざる一語を思わず口にしてしまった――ここはそのように読むべきだろう︒ 給ひて﹂と言い添えられているのを見過ごすべきではない︒院はおよそ晴れの座には不似合いな﹁骨無し﹂などとい 亀山院は快哉の声を上げ、それを﹁骨無し﹂と形容しているわけである︒ただし、ここに﹁晴れの座敷をも忘れさせ ︒晴 れの 鞠 会 で 為 世 が 見 せた、冠 の 先 が 地 面 に 着 くほどの 曲 芸 的 プレーに、

60

(23)

一九九 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶   蹴鞠という遊戯は、ときに〈散楽的身体〉に――小笠原に依拠すれば﹁走る﹂身体に結びつく︒そのことをあの源 九は一身に表現していたのであった︒蹴鞠のもつこの性格に上臈の者たちは批判的である︒さきに見た﹁自他分﹂を わきまえないと源九を難じる言葉のうちには、身体がふいに見せる散楽性をも否定しおおそうという口吻がにじんで いる︒あの成通は、上臈の蹴鞠と下臈のそれとを截然と区切る、以上の言説の渦中にあって、上臈が捧持すべき理念 の 先 棒 をかついでいるように 感 じられる︒ 〈散 楽 的 身 体〉から〈動 かない 身 体〉へ︒蹴 鞠 遊 戯 のうちに 姿 を 見 せてい る身体観の変容のなかで、 ﹁鞠聖﹂成通の占める位置があらためて問題となるだろう︒

三   双

ヤヌス

面神 としての成通

  史実と伝説をこもごもに含みつつ語り出される成通をめぐる言説を、総体として評価しようとするとき、彼のプロ フィールに奇妙な分裂が見られることに気づく︒上臈の行う品ある蹴鞠の代表者、つまり〈動かない身体〉の擁護者 という側面と、蹴鞠本来の荒あらしさに共感しつつ〈散楽的身体〉を人一倍好んでいた、貴族社会における例外者と いう正反対の側面とが、彼の相貌のうちに共存しているのである︒

  前者については前節に簡単に触れたが、 後者の側面についても以前の稿ですでに確認している︒ ﹃成通卿口伝日記﹄ に列挙されたものを思いだしても、清水の舞台の高欄にのぼって足がすくむどころかたやすく鞠を蹴りつつ往復して みせた成通、台盤や人のからだの上に乗って鞠を軽がると蹴り上げることのできた成通、牛車を懸りの木に見立てて 蹴鞠を行い、 驚くべき早業を披露した成通︙︙などと、 さまざまの神話的逸話にはこと欠かない︒ ﹃古今著聞集﹄ では、 それらの 逸 話 とともに﹁かく 若 くより 早 業 を 好 み 給 ひて、 築

ついぢ

地 の 腹︹側 面︺ 、もしは 檜

ひがき

墻 の 腹 などをも 走 られけり︒ また 屋 の 上 に 臥 して 棟 よりころびて 軒 にては 安 座 せらるる 折 もありけり﹂

れば、そうした奇行を父宗通は制止させようとしたが彼は聞き入れなかったから、鳥羽院が御前に呼びつけて﹁汝が かぎらず、彼はまさに〈散楽的身体〉を日ごろから実践するやや奇妙な貴人と考えられていたようである︒同書によ とも 語 られているから、蹴 鞠 を 行 う 場 に

61

(24)

二〇〇 早

はやわざ

態 を 好 むは、何 の 詮 かある﹂と 咎 めている

彼は蹴鞠の言説内部における源九と同じ役回りを演じていることになる︒ 弁明をしているのだが、 ここではほかならぬ成通自身がその振る舞いの〈散楽性〉 ゆえに指弾されているのであって、 ︒このとき 成 通 は、私 の 軽 業 は﹁奉 公 第 一 の 用 なり﹂とやや 苦 しい

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  ここで成通の人となりを確認しておこう︒彼の人柄の詳細についてはなにより﹃今鏡﹄に詳しい︒同書でも、白河 院 の 御 幸 に 随 行 した 際――彼 はこの 院 の 寵 臣( ﹁御 いとほしみの 人﹂ )であって、殿 上 人 のうちでただ 一 人 禁 色 を 許 されていた――彼の乗る馬が川に落ちこんでしまったものの、咄嗟に身をひるがえし、馬の上にすっくと立っていた と語られ、彼の身軽さが指摘されているのだが、ほかにも興味深い彼の性格の一端がそこでは語られている︒

  おほかたは心若くなどおはして、初めて人の婿におはせし折も、調度の厨子かき出だして、咒師の童の御おぼえ なるに賜ひなどし給ひけり

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    さきに触れた澁澤龍彦は、彼に美童を愛でる男色家の匂いを嗅ぎとっているが、おそらくはこのあたりの逸話を見 てとっているのだろう︒それはともかくとして、ここで 彼 は、 ﹁心 若﹂い(子 供っぽい)者 と 形 容 されている︒彼 に はややそそっかしいところがあったようで、 ﹃十訓抄﹄によれば、 ﹁大廟に入りて事毎に問ふ﹂という論語の言葉にし たがい、釈奠の際に作法進退のなににつけ人に訊ねていた中納言師頼卿に、あなたは最近蟄居を命じられていたから 公 事 を 忘 れているご 様 子、初 ういしくそのようにお 訊 ねになるのはもっともなことですね( ﹁年 来 御 籠 居 の 間、公 事 御 忘 却 か︒うゐうゐしく 思 し 召 さるる 條、尤 も 道 理 なり﹂ )などと 軽 口 をたたいてしまい、 ﹁後 悔 千 回﹂と 悔 やんで いる

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  また彼は涙もろくもあった︒同じく﹃今鏡﹄によれば、とある兄弟がいて、弟が矢を射るのに際し兄がその 的

まと

立て に 付 き 随っているのを 見 ては、 ﹁いと 優 しきことなり﹂

を 見 つけては、 ﹁ 自 然 の 事 もあらば、さは、きと 上 げむずるか﹂ (万 が 一 の 時 には、さっとたくし 上 げようとするのだ

おのづから

と 言って 泣 き、ある 武 士 の 指 貫 の 括 りがふつうより 狭 いの

65さしぬき

(25)

二〇一 蹴鞠の哲学︑または地を這う貴族たち︵尾形︶ ろうか) などと感じ入って泣くというありさまで、 同書はこの逸話の冒頭に﹁あまり 音

ねな

泣 きやすき様にぞおはしける﹂ と語っている

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  成通の相貌には直情径行の人、あるいは平たくざっくばらんな人とでも言いうるようなところがあって、この性格 は蹴鞠の伝書のうちにも姿を見せている︒上臈の鞠の理念が成立するのと並行して、蹴鞠の世界には煩瑣なまでにさ まざまの故実が発生するが、 成通は当時の上臈には一見似つかわしくないほどに、 それらの規範に無頓着なのである︒

  源九云く、春の初めの鞠を上げ初むるには、申日を用ゐるなりと云々︒其の後、拾遺納言のもとにまかり向ひて この由を申すに、笑ひて、誰か云ひしと訊ねよと侍りしかば、源九がまうで来たりしに申しかば、監物清経が説 なり、忠資の説なりと云々︒又此の由を納言に申す︒忠資が説ならば、資方・景忠︹資方は忠資の子、景忠は孫 にあたる︺聞くべし︒各さる事云はず︒ 源九があまりごとを云ひ出せるなり

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︒用いるべからずと云々

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    鞠会のその年初めての開催は、申の日を選んで行うのがよい︒ここには後に見る猿の姿をした鞠神との関わりが看 取 できるが、成 通 はこの 故 実 を 源 九 が 余 計 なこと( ﹁あまりごと﹂ )を 言 い 立 てたにすぎないと 一 笑 に 付 している︒ ただし、後 の﹃革 匊 要 略 集﹄には、 ﹁年 始 ノ 鞠 ハ 吉 日 ヲ 撰 ビテ 始 ムベキナリ︒仍 テ 申 ノ 日 ヲ 以 テ 縁 日 ト 為 ス﹂

鞠規範の代弁者であり、成通はそれを解さない者ととらえられている︒ らせば、その位置はさきに見たものとちょうど逆になっていることがわかる︒ここではむしろ、源九こそが上臈の蹴 る 鞠 の 精 霊 にゆかりある 日 とされている) ︒ここにも 源 九 との 対 照 の 構 図 が 見 られるが、後 代 の 故 実 普 及 の 事 実 に 照 ニハ 之︹縁 日 の 故 実︺ヲ 用 ヰル 事 ナリ﹂とはっきり 否 定 されている(同 書 では 申 の 日 は﹁精 の 縁 日﹂ 、つまり 後 述 す 記 されており、成 通 の 肉 声 が 聴 こえてくるこの﹃口 伝 集﹄の 見 解 は、 ﹁例 ノ 又 事 ナラヌ 由 ヲ 示 サン 為 ノ 詞 ナリ︒真 実 と 明

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  また、蹴 鞠 で 用 いる 鞠 には、一 般 的 に 用 いられる 白 鞠 のほかに﹁ 燻

ふすべ

鞠﹂もあって、 ﹃革 匊 要 略 集﹄などでは、これ らは 陰 陽 をかたどったもの( ﹁陰 ハ 白 色、陽 ハ 黄 色 ナリ﹂

)とされもするのだが、成 通 はこうした 故 実 を 意 に 介 す

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参照

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