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(1)

組 織・コミュニティデザイン

KYOTO UNIVERSITY D E S I G N S C H O O L TEXTBOOK SERIES K Y O T O U N IV E R S IT Y DESIGN SCHOO L T E XTBOOK SERIE S O R G A N I Z A T I O N A N D C O M M U N I T Y D E S I G N

ORGANIZATION AND COMMUNITY DESIGN

2

2

山内   裕・平 本   毅・杉 万 俊 夫

[ 著 ]

表紙 DIC621 ISBN978-4-320 - 00601- 0 C3340 ¥3500E 定価(本体

3,500

円+税)

組 織・コミュニティデザイン

O R G A N I Z A T I O N A N D C O M M U N I T Y D E S I G N

ORGANIZATION AND COMMUNITY DESIGN

山内   裕・平 本   毅・杉 万 俊 夫

[ 著 ]

カバー 4C

(2)

CHAPTER

1

社会のデザイン

1

社会のデザイン

2

デザインとは

3

組織のデザイン

4

コミュニティのデザイン

5

文化のデザイン

6

本書の構成

本書は社会のデザインを掲げ,デザイン概念を推し進める。 まず,社会のデザインが求められていること,そしてそれ にどのようにアプローチするべきかを議論する。本書を構 成する 3 つの部である組織のデザイン,コミュニティのデ ザイン,そして文化のデザインについて簡単に説明する。 (山内 裕)

(3)

002

1

社 会 の デ ザ イ ン

デザインの対象は「社会」である。デザインの 理論は,デザインの対象を,製品などのモノ,グ ラフィック,コミュニケーション,サービス,コ ミュニティ,言説などに広げてきた。結果的に何 をデザインするのかというと,われわれの「社 会」になるだろうというのが,本書のスタート地 点である。デザインとはそもそも元から「社会」 のデザインである。デザインはもともと単にモノ のデザインなどではなかった。モノをデザインす るのは,新しい社会を生み出すためである。した がって,デザインの言説において,その対象が次 第に広がり,今や社会というものに落ち着くのは 必然である。 もちろん社会という言葉が曖昧であるため,現 時点ではこのような主張にはそれほど意味はない だろう。本書を通して,このことの意味を明らか にしていく。社会のデザインという言葉は,社会 というような大きなものをデザインすることがで きるのかという反論に会うだろう。これは社会と いう概念に関する誤解とデザインという概念に関 する誤解に基づいている。社会とデザインについ ての詳細な議論や定義は後に譲るとして,ここで は概略的にその方向性に触れておきたい。 まず社会というものはわれわれが手をつけるこ とができないような大きなものを指すわけではな い。われわれが日々その社会の一員として生活し ている限りにおいて,われわれの日常で最も身近 なものである。実際に,われわれは毎日社会とい うものを作り上げている。社会をデザインすると いうことは,人々の間で相互の了解を達成し,何 らかの行為の連鎖を実現することである。 いくつか事例を考えてみよう。たとえば,教員 が授業をしている。通常は,前に出てホワイトボー ドに何か書き,プロジェクターで投影することに よって,対座している学生に講義をすることが多 い。そこで教員が新しいコンセプトで授業を行う ことを決め,事前にオンライン講義を行った上で 授業では議論に集中する反転授業をするとしよう。 学生のグループが前で講義をして,教員が学生に 混じってそれを聞き議論に参加する。ここで教員 と学生が行っているのは,まさに社会のデザイン である。授業というものの意味を作り直し,関係 性を再定義し,行為のルーチンを修正していく。 授業のように制度化されたものから離れて,わ れわれの生活に関連した例も考えられる。ホーム パーティを計画したとしよう。どの友だちを呼ぶ のか,何時に開始するのか,どういうコンセプト にするのか,どんな料理や飲物を用意するのか, 何かエンターテイメントを用意する必要があるの か,などを考えて実行しなければならない。1人

(4)

社会のデザイン

1

ひとりのゲストがどういう情報を得て,何を期待 して来るのかなどを考えた上で,良い時間を過し てもらう工夫をする。 さて,これらでデザインされているのは一体何 だろうか? 最初の例は「授業」であるし,次の 例では「集まり」といっていいように思われる。 授業というのは社会の中で正統性を得ている制度 の1つである。それを今までにない形で作り変え ている。集まりは,何もなければ会わないかもし れないような人たちを集めて,時間と空間の中で 何らかの共通の活動を促す。どちらの場合も, 人々がその場が何で,何が起こっているのかを理 解できるように工夫し,複数の人々の間で特定の 行為の連鎖が,相互に了解可能な形で実現される。 われわれは強制的に人々に特定の行為を要請す ることはできない。デザインとは,それを実現す るための手段である。新しい行為の連鎖は,それ が人々にとって理解可能でなければならない。そ のために物質的な状況,新しい言葉,権力関係な どを作り出さなければならない。もちろん理解可 能というとき,人々が完全に同じ理解をもつことを 意味しない。食い違う理解を作り出し,それに応 じた行為を生み出すことも1つのデザインである。 社会は,あたかもそこに椅子があるかのよう に,実体としては存在しない。あるのは,このよ うにそれぞれの行為を相互に了解し合いながら, 行為を連携させていくような動きである。大学と いう1つのゆるやかな社会の集団を考えても, 住んでいる町の町内会組織を考えても,あるのは このような相互了解に基づく行為の連鎖である。 たしかに,大学には施設があるし,法律やルール もある。町内にも町内会長がいたり,集会場が あったりする。しかしこれらを決めたとしても, 社会がすぐに実現されるわけではなく,人々がそ れに基づいて互いに了解し合いながら行動できる ことが重要なのである。 たしかに授業という制度化された社会的事実は ある。これは人々が共有しているということで, 1つの社会的な事実である。しかし制度が共有さ れているからと言って,それが実体として存在し ているわけではない。仮に1つの社会的事実が あったとしても,特定の場で人々は互いにその社 会的事実をどのように理解し,相手がどのように 理解しているのかを示し合い,それなりの相互の 了解を生み出す必要がある。むしろ多くの場合, 人々は制度から若干の距離を取って行動すること によって,自らを特別であるように見せたり,驚 きを演出する。それらはわれわれが互いを了解 し,行為を連携させることのできるためのリソー ス(制約という意味も含めて)であって,それ自 体が社会という実体であるわけではない。 もちろん,このような相互の了解を保障するも のは何もない。デザインがどれほどすばらしいも のであっても,常に行為のさまざまな可能性は開 かれたものであり,行為を一意に決めることはで きない。たとえば,2人の人が出会い挨拶すると しよう。それを達成することは,社会の最も単純 で根源的な契機である。挨拶をするという行為の 意味を相互に了解し,それを達成しなければなら ない。一方が勝手に「こんにちは」と言ったとし て,他方がそれに対して「こんにちは」と返す保 障はない。このような挨拶はわれわれの日常生活 においてはほぼ予測可能であり,ほぼ確実に相互 に了解することはできる。しかし,それでもこの 了解が食い違う可能性は排除できない。たとえ ば,たまたま挨拶が相手に聞こえないこと,挨拶 している人を認識できないこと,あるいは相手が そうであると思った人ではなかったことなど,さ まざまな可能性に開かれている。われわれの相互 了解は常に都度達成されなければならないので あって,それを外部から保障する仕組みは存在し ない。

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004

2

デ ザ イ ン と は

デザインという概念も修正が必要となる。通常 は,デザインというとデザイナーと呼ばれる人が 対象を意図のまま作り上げることを意味するだろ う。もしこのようなデザインを想定すると,社会 をデザインするということが全体主義的に聞こえ ても無理はない。このデザイン概念の問題は,デ ザインする主体と,デザインされる客体が分離さ れているということである。社会を対象としたと き,誰もそのようにデザインすることはできない ことは明白だろう。主体はその社会の内部にも位 置するし,そこで何かをすると自分にも跳ね返っ てくる。たとえば,上記のように授業をデザイン するとき,授業を意図したように形作ることはで きない。本書で,デザインを便宜的に内在的デザ インと呼ぶのは,このようなデザイン概念ではな いことを強調するためである。 もともと,デザインとは作ること(poietic)で あり,語ること(rhetoric)でもある(Buchanan, 1995)。デザイナーは単に何かを作り出すだけで は終らない。デザイナーは何かを表現するし,他 者を説得しようとする。デザインの対象が人々の 行為,社会の仕組み,集団のあり方などに広がっ ていくに従って,この傾向は強まるのだが,デザ インはもともと常に論議を呼び起こすものであっ た。この意味でデザインとは常に政治的である。 クリッペンドルフが言うように,デザインにおい ては,デザインされたモノのほかに,デザインと は何かという言説をデザインしなければならない (Krippendorf, 2006)。1つにはデザインする人工 物が次第に流動的になっていき,言語に絡み合っ ていく。言説をデザインすることは,デザインの 重要な一部となる。同時に,デザインとは何かに ついての言説が,デザインを革新していく原動力 となっていく。 しかしながら,後に議論することになるが,ク リッペンドルフが人間中心設計を掲げ,「人工物 は多くの人々に,理想的には利害関係を持つ人々 すべてに理解できるものでなければならない」と 語ることにはわれわれ著者は異議を唱える( Krip-pendorf, 2006, p.29)。主体が客体の意味を理解す るという枠組みでは,もはやデザインを議論する ことはできないのである。デザインは常に他者と の関係を含み,相互主観性(intersubjectivity)の 水準で議論されるべきだったのだが,われわれは デザイナーが一方的に何かの客体を生み出すとい う枠組みに囚われてきた。われわれはこの相互主 観性の水準を一貫して維持しなければならない。 客がよく理解できず緊張しながら食べる鮨屋のデ ザインのように,理解できないことも相互主観性 の観点ではデザインの1つの選択肢なのである。

(6)

社会のデザイン

1

もちろん,完全に意味不明で,世界が崩壊してい るわけではなく,理解不可能であるということ自 体が理解可能であるようになされる。相互主観性 とは何かは下記に詳細に説明する。 われわれ著者なりの社会のデザインの考え方と は,簡単に言うと主体としてのデザイナーが客体 としての対象をデザインするという,主客が分離 された主観性の枠組みではなく,社会というもの は複数の人々が互いに了解し合いながら達成して いる相互主観性の枠組みで捉える1。仮に主体が 客体をデザインしたとしても,その客体に主体自 身が含まれているのであり,単純なデザイン概念 は崩壊してしまう。本書では,この相互主観性に 基づいたデザインの考え方を,ひとまず内在的デ ザインと呼んでいる。デザインする主体もデザイ ンされる客体に絡め取られているという意味であ る。このデザインの視座から,本書は,組織やコ ミュニティを本質的な実体として捉える本質主義 を排し,人々の相互主観的な実践に着目するとこ ろから議論している。そのため,組織化,実践, 言語,相互行為,規範などの概念を取り上げてい る。 さらに突き詰めると,デザインするという行為 はあるデザイナーだけがするものではないし,デ ザイナーの意図がそのとおり反映されるわけでは ない。そして,デザインするという行為は,デザ インされる行為と比べて理論上の特別な位置を与 えられるわけではない。デザインするということ は,何か新しいフォームを生み出すことであると 抽象的に考えてみよう。これを生み出すことは, 必ずしも1人のデザイナーが何らかの意図をもっ てそれを形づくることである必要はなく,さまざ まな行為を通して新しい社会の現実,つまり人々 の中での新しい相互了解に基づく行為の連鎖が実 現されれば良い。逆に言うと,それしかできない だろう。 デザインとは,人々の関係性において互いに相 手に主張をぶつけ,説得しようとし,そして何ら かの新しい行為の連携を生み出すことである。こ れは社会のデザインを語る前からそうなのであ り,むしろそうであるからこそ本来のデザインは 社会のデザインであるべきだと考える。デザイン のもっと厳密な意味は,本書全体を通して明らか にしていく。

(7)

006

3

組 織 の デ ザ イ ン

われわれは社会のデザインを3つの領域に分 けて議論することにした。つまり,組織,コミュ ニティ,文化である。もちろん,これ以外にも社 会と呼ばれるものはありえる。たとえば,政治的 な制度や政策,都市,学問などである。われわれ がこのような対象を選んだことは,われわれ自身 の研究に基づいているという理由以外に,単に便 宜的な理由による。実際には,これらの対象を議 論する各部を見れば,その対象範囲がかなり広範 囲に及んでいることがわかるだろう。対象の範囲 はかなりオーバーラップもするし,それぞれの対 象の範囲には収まりきらない。また,都市のデザ インや政策のデザインなどは,それぞれの専門家 がまた別の教科書を書くべきだが,ここで議論す る基本的な考え方はそれらの対象にも意味がある ものだと考えている。 組織は企業組織などの考え方が浸透しているた め,デザインの対象としては,ある程度わかりや すいだろう。企業に限らず,大学もNPOも病院 も組織である。われわれはさまざまな組織に所属 しながら,またさまざまな他の組織とのやり取り によって,生活し仕事をしている。「組織」は近 代の重要な発明の1つである。組織というと, 何らかの目的と参加資格(membership)によっ て定義され,何らかの名前で特定可能な同一性を 保持していると考えられる。目的は1つである 必要もなく,また参与者の目的が一致している必 要はない。参加資格も企業や大学のように制度化 されて明確に限定される必要はなく,一時的にメ ンバーになったり,出入りするということもある が,人々は自分が組織とどのように関わっている のか,内部のメンバーなのか,一時的な参与者な のかなどに志向しながら行動しているということ である。重要なのは,組織というものに組織の中 と外の関係があるということである。もちろん, そこに明確ですべての人が合意する境界というも のはない。しかし,常に組織は自身と環境を差異 化して存在している(c.f., Luhmann, 2002)。 組織とは何かという定義は意外に難しい。近年 は従来の組織概念を解体するような議論も多い。 たとえば,組織などを越え期間を限定して個人が 集まるようなプロジェクトが中心となるような議 論があるように,従来のように永続性のある組織 のようなものを想定することができない。重要な のは,組織とは何かというのは研究者が勝手に定 義できないということである。人々が組織という ものに関する理解をもち,その理解には明示的に 思考されているものから,暗黙のうちに受け入れ られているものもある。そのため組織の定義は, 組織化という行為を通して達成されるものであ

(8)

社会のデザイン

1

る。 単に人がある程度の人数集まれば,組織になる ということではない。組織が成立するためには, 特定の行為が可能なように,人々の間で意味づけ がなされなければならない。つまり,われわれは そもそも人々が組織として行動するための暗黙の 前提にまで切り込まなければならない。暗黙の理 解というのは,たとえば次のようなことである。 組織が成立するためには,ウェーバーの形式合理 性というエートス,つまり個人の思いで行動する のではなく,形式を重んじて合理的に行動するこ とが必要なのである(Weber, 1922)。あるいは, ハーシュマンの「利益」の概念のように,人々が 勝手な欲望のまま行動するのではなく,ある程度 予測可能な形で行動するために,欲望を利益のよ う な 概 念 で 置 き 換 え な け れ ば な ら な い (Hirschman, 1977)。このような理解が相互に了 解可能になったとき,組織というものが生まれ る。つまり,人々がその組織という名の下に行動 することに正統性を受け入れることが必要にな る。人々が単に目的を共有し集まったから組織が 生まれるというようなものでもないし,逆にたと え1人であっても組織として行動することは可 能である。われわれが組織のデザインをすると き,単に組織の形を変えるのではなく,実践,言 語,相互行為などに着目するのはそのためであ る。

(9)

008

4

コ ミ ュ ニ テ ィ の デ ザ イ ン

コミュニティという概念の重要性が増してい る。それは社会的な活動が組織という枠組みには 収まりきらないようになってきたこと,そしてコ ミュニティと呼ばれるような統制のきかない集団 がより社会において規範的になってきているとい う理解につながっている。人々は職業(プロ フェッショナル)コミュニティや趣味のコミュニ ティなどにおいて,他の組織に所属する人々と生 活や仕事をすることも多くなっている。 このコミュニティのデザインは,組織をデザイ ンするときとは異なるやり方が必要となるかもし れない。権力をもった社長というような存在がい ない,つまり脱中心化した集団である以上,その デザインは非常に難しくなる。脱中心化( de-cen-ter)とは,あるものを中心に固定された十全の 実体として捉えることを拒否することを意味す る。ここでは,コミュニティは組織と比べて,固 定的な構造や明示的なルールを持たないという程 度の意味である。言うまでもなく,コミュニティ はもともと地域に限定された集団であり,本書で はその部分を重点的に議論している。地域に根差 していないコミュニティについては第3部では 十分には取り上げていないが,第3部の枠組み が応用可能であることと,本書全体の視野の範囲 に入っていることはおわかりいただけると思う。 もちろん理論的には,コミュニティもその内部 と外部の差異化を行っているのであって,その意 味では組織とは根本的には特別に違う概念ではな い。組織が何らかのデザインの対象としてそれほ ど違和感がないと思われる一方で,コミュニティ のデザインを議論するということは,デザイン概 念を便宜的に広げていく意味がある。コミュニ ティのデザインが組織のデザインと異なるのは, 経験的な(empirical)差異であって,理論的な差 異ではない。 実際,組織論においても,コミュニティ概念の 重要性が増している。実践コミュニティ( commu-nities of practice)のような概念によって,組織 の中あるいは組織を横断する形での人々のつなが りが,組織において重要であることが指摘されて きた。あるいは,コミュニティは複数組織の集ま りとしてメソな水準で議論されることもある。組 織という概念自体が,そもそも自らの枠組みに収 まりきらない段階に来ているとも言える。これら を含めて組織と捉えてもいいだろう。本書では組 織やコミュニティを脱中心化していくため,組織 と固定的に定義することにあまり意味はなく,そ の意味で組織とコミュニティを切り分けること は,便宜的な理由にすぎない。

(10)

社会のデザイン

1

5

文 化 の デ ザ イ ン

本書の第4部が文化のデザインとなっている ことに違和感を覚える方も多いだろう。組織やコ ミュニティと並置して,文化を置いている。通 常,文化はデザインの対象とは考えられない。し かしだからこそ,それをデザイン対象として取り 上げる理由があるのである。組織やコミュニティ という空間的に特定しやすい対象を考えると,ど うしても本質主義が回帰する。本質主義とは,つ まりデザイナーという主体が,何か本質のある実 体である客体をデザインするという主観性の枠組 みを引きずってしまうことを意味する。もちろ ん,本書では確実にそれを避けて議論している が,本書を越えた一般的な議論ではそれを完全に 遂行するのは難しい。 文化をデザインの対象とするのは,この本質主 義と完全に手を切ったときに,社会のデザインを どう考えることができるのかを検討するという戦 略的な理由である。文化は社会の概念の中でも, もっとも扱いにくいものの1つである。その理 由は,文化が目の前に特定できる形では存在せ ず,そもそもどのように考えればいいのかすらま とまらない厄介なものだからである。しかしだか らこそ,それをデザインの対象としなければなら ないのである。そのためには新しい理論を組み立 てることで,文化のデザインを語り,実行するた めの基盤を作る必要がある。それこそが本書の目 的である。 もちろん,文化がデザインの対象となるには, 単に研究の戦略上の理由だけではなく,もっと実 質的な理由がある。詳細は本書の中で十分に明ら かにされるが,現時点で簡単に言うと,現在の社 会において価値として認められるものとして,文 化の重要性が増しているということである。単に 商品やサービスを提供するのではなく,そこに文 化を作らなければその価値を維持することは難し い。アップルは強固な文化を構築するのに成功し ているし,高級レストランやホテルなどは文化的 な価値を前面に出している。文化が今後のデザイ ンの対象として重要になるのは間違いない。 文化のデザインの中で,サービスのデザインが 中心に置かれていることにも違和感があるかもし れない。サービスは,GDPの7割以上を占める ことや,就労人口が最も多いセクターであるなど の理由で重要性が増しているだけではなく,文化 のデザインの領域として注目されるべきである。 サービスは,その根幹に人間関係がある。特に多 くの場合,提供者と客という互いに見知らぬ人々 の間での関係性である。ここでは説明を省くが, 人と人が出会い価値を一緒に作るとき,文化のせ めぎあいが生じる。だから,多くのサービスが文

参照

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