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ほ場整備と工場導入 --居住論への模索(1)---香川大学学術情報リポジトリ

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145 ほ場整備 と工場導入

一居住論への模索(1)−

森 下 一

男 Ⅰ は じ め に 香川県三豊郡大野原町束村地区では,昭和47年から昭和48年にかけて,ほ場整備と工場導入を実施した.現在では 工場数地は,整然とした整備地区の一・画におさまっている.相方の工事が完了し,工場も操業している現時点からみ れば,非農用地である工場用地は土地改良法の改正により,創設換地されたかのようにみえる.しかし,この東村の 事例は土地改良法の改正を見越して,計画設計され工事に着手したのであるが,土地改良法の改正(昭和47年11月施 行)が間に合わず,創設換地による方法の断念を余儀なくされた事例である.. 注目すべきことば,ほ場整備前に導入企業と所要面積が決まっていたことであり,その工場導入が束村のほ場整備 への動機となり,更に,ほ場整備を可能にしたのほ,東村の指導者の発想に基づいたほ場整備方式の提案であった. この発想がほ場整備の計画設計に生かされていった.たまたま,法改正は,そんな時期に当っていた.こうした発想 が−・連の過程で生き続けた結果,“ほ場整備とエ場導入は東村に飲み込まれてしまった.”のではないかという感じが する. エ場導入のことに接することば,もはや農業の外にも限を向けきるを得ないが,そのゆとりも今はなく,また一方 で,“飲み込む”ほどのものは一価,何であるのか皆目見当も付かをい.けれどもその前に,東村の事例の僅かな部 分だけでも沓き留めておきたいと思った.. ⅠⅠほ場整備とユ場導入 1一、整備前 旧中姫村の中の釆村は53∼4軒の小さな部落であり,農家は半数程を占め,非農家が比較的多いい耕地は13ha程 であり,耕地の所有規模は零細であり平均52a程であって最大1ha位であった.だから戦前から東村では大野原町 でも副業が盛んなところであったという.農業は戦前は,養蚕もしたそうであるが,戦後は米作から野菜たばこ等の 裳作が盛んになってきていた. 東村では7反以上の所有でないと,農家でないという風に思われていたそうである.しかし,土地の人の話では,慮 外労働に従事してもそれはやはり農家であって,勤め人というのは,“掛−ナスの出る職場に行っているかどうが, というのが,ひとつの目安だったという..そういう意味で農閑期には姦作の合い間をみつけて,勤め人にならずに農 外労働に従事していた1ha程の束村でも最も大きな鹿家も例外ではなかった。「もし,農薬を続けていく可儲性が あったら,決して工場導入は有り得なかった.と東村のほ場整備とエ場導入の指導者は述懐している.. 2巾 整備まで ほ場整備事業を大野原町は県営事凝として計画し,5カ年計画で470haを実施するというものであり,昭和46年 皮より実施していた..しかし最初束村ではそれ程切実には受け止めほしをかったが,指導者は“どうだろう”という ことで農家に話を進めていった∩経営規模の比較的大きを農家は比較的乗り気であったのに反し,零細屑の農家と, 更には年寄の人達が耳を傾けてくれなかったという.ほ場整備のようなことば,多数決で決めるようを無茶はできな いし又鰻理は言えをい,皆が納得しなければということから,ほ場整備をしたくない人の気持をきいていったという. その気持は,若い人がいをいからしない.農業に魅力がない..反当り10万円も負担して,実施して,はたしてどう か,4反未満の零細屑の農家ではそれほどの投資は見合わないい 3反以上の所有農家にとって,ほ地は標準区画が少

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なくとも−・枚以上配分されるが,(指導者は事業が終るまで,3反区画でないとだめかと思っていたという,)2反以 下の数戸の農家は整備しても分割されて配分されるから,生偏してもだめ.機械化の説明もした,しかし老人でほ人 にやってもらわねばならない,それでは専業の人に負担がかかるとして乗り気でをかった.機械化されて請負に出す にしても借り手がいなくなってきている.では賃貸ししようということになった.しかし整備してまで賃貸しするこ とはないということになったい そうこうするうちに整備するしないが半々となり,束村のほ場整備への実施は行き語 ってしまった。 3い 打解の徴候 反当10万円の投資も見合わず,請負と賃貸しも望みがなかった.それならば耕地を売りたいという人が出てきたの である”それを規模の大きな農家が買って,経営を拡大したらよいという.しかし売り手は当然のごとく高価格をつ け,また買い手は低価格を望んだため価格調整が不可能だったu 指導者が仲をとって調整したけれども失敗したとい う‖ というのも買い手にとってほ整備前であるから,購入価格に更に工事費が上積みされることが分っている,そん なにまでして農業を続けることばできないということになった. 価格の調整はつかなかったけれども,売りたいという人の地殻を募ってみると,45ha程あったい 束村ではほ場整 備はしたいけれども買い手がいないから企業でも呼んでこないかという,町当局へ・の働きかけが,工場導入へのほじ まりであった. 4、工場誘致 東村では耕地の買い手を外に求めたことになる.一・方に工場鉱層3haを計画していた町外の企業が存在した.企 菜は知人を通じて束村にそのような土地があることを知った.町当局も財政上から,そして若い人逮が町外へ出て行 ってしまわない様にということから,工場導入は欲するところであった小 工場導入する以上堅実を企業を誘致したい のは山々であったが,何よりも公舎が心配であり排水と煙がその的であった.誘致企業を決めるまでに,光村の人達 は大野原町に隣接する観音寺市にあるその工場の見聞に行っている.工場内の作業の見学と工場周辺の住宅地での聴 取りをしている.しかし導入工場は大坂より移転してくることを知り,町当局の当事者と束村の人達は,更に大阪の 本社工場内(エ場密集地帯にあった)を見聞している. こうして村ぐるみで誘致企業を決め本腰をいれることになる一.中小不動産業者の介人がないよう,炎村では土地は 個人では売らない,−・托して売り渡すという申し合わせをしている、.また企業と直接交渉はしrない方針をとった.公 薯の讃任の問題に対する配慮と,税金面等での町当局に対する思惑から,町当局を仲介とすることにより,工場導入 は町当局と企業(農村地域工業導入促進法の適用)と光村の三者間の問題とした,ほ場整備関係農家の工場へ勤めた いという人の無条件採用が約束され,工場建設後周辺住民に不都合なことが生じた場合,町当局は企業に操業停止を 申し入れできる協定を交わし,更に工場は光村の隣組の−\員として−・民家として田舎の風習に従う(組入りと称して いる)ことを約束し,企業への売り渡し価格が反当200万円(当時の時価の2∼3倍)と決まり,こうして町当局も 束村も工場誘致を決意していった.東村で誘致に積極的だった人達は耕地の全てを手離してでも,誘致する決意であ ったと当時を語っている.. 5ほ場整備 工場誘致は決まったけれども,売りたい人の耕地は分散している.、そこで指導者は“ほ場整備をして売りたい人の 土地を3halカ所に集めて,一・括して町当局があっせんし,工場に渡すという方法,例え.ばある農家は1反工場用 地として売るとするをらば,配分の時1反少なく配分すればよい.”と考えた.工場へ渡す位置を決めて,はじめて 土地を手離す人がほ場整備に賛成したり ところで光村のほ場盗備関係農家は25戸であったが,ほ場整備を進めていくに際して,25人の関係者のうち11人の 世語役を選んだ.というのも農家の人が言い易い人のところへ行って言えるよう配慮し,総会というよりも世話人会 の場で農家の不満がよく出てくるようにするためであった.. また束村は地区のほほ中心を豊浜から琴平に抜ける県道が走り,耕地は県道を境として南北に別れ分散していた. 部落の耕地の−∴部分だけの整備では,する甲斐がないので,配分時のことを考え,整備は県道の南も北も全て含めて 計画した.また束村では売りたいという地敬が4∩5haあって3haをエ場用地として売り渡すとしてまだ15ha残っ

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147 第27巻第59号(1976) ていた。.売りたい人の希望も入れて,もう一・エ場誘致しようかとも考えたが労働力がもはや期待できず,又工場が来 るかこないか不明では,ということで姓備地区とした. こうしてほ場整備によって工場用地を生みだすという指導者の基本的な考え.は生かされ,工場用地はほ場整備地区 内に計画設計し,工事にとりかかったしかし着工後間もなくこうしたほ場整備方式(農業振興農用地利用区域で工 場用地を生みだすてと)が当初農政局に理解されず,困惑したという.県当局は束村の意をくんで,創設換地で工場 用地を生みだす予定でいたが,土地改良法の改正が遅れ適用しにくいことが判明,それで封画変更し,工場敷地予定 地を整備地区から除外したり ここに創設換地による方法は望みを断たれた.こうなった時,工場敷地予定地内でどう しても売りたくない人が生じたが,交換分合によって工場敷地予定地に売りたい人の土地を従前地として調整した・・ その際,離彪する人を優先した∩ 東村の当初の計画は手続き上修正せぎるを得をかったが,こうして工場用地は捻出 された= ほ場整備をしたからばらばらに売ることば不可瀧であったし,■また個人売りしなかったから工場用地を一・団 地にできたり ところで仮配分の段階になって,先の交換分合の際に,工場予定地内で売りたくない人は予定地外で交換したが, その交換地が従前地とをるのでその位露の有利不利によって,交換するしをいと言い出す人がでてきた… しかしほ場 整備は工場導入と組み合わさって初めて可能になったという申し合わせで納得してもらった、即ち工場導入が先の関 越であってそれが解決して,それに続いてほ場整備ができたという見解が−・讃してとられた. 6.工場用地 (i)位置の決定 工場のおよその位記を決める時,工場側は脱退の南側は人家が多く取り付け道がつけにくく,又農家でも排水のこ とを考慮して下手に行・つてくれた方がよいということで(束村は1/100よりヤヤ急を勾配で一機な北向きの斜面にあ る)県道の北側に立地することにした,もっとも東村の北端には6戸の農家がある.こうしてほ場整備の計画設引の 中で工場予定地3haの区画(200mx150m)を考えながら現在の工場数地の位置が決まっていった. 図1はその県道の北側の整備地区と工場数地を示したものである.工場敷地は出来るだけ束村の地籍内にとどめる 様にした..県道沿いは地価が高く当初からの整備地区外であったn エ場人口とをった⑦地は隣接部落の農家所有であ り工場が単独で買収している一敷地南側は鋸の刃状になったが−∴部分,交換によって工場が整形した.北側は今より も50m程奥へ伸ばす予定でいたが,たまたま古墳が出てきて,古墳跡地が敷地内に入るのは都合が悪いというので 北の境界は決まった.この古墳は発掘調査後,敷地内の一層に出土した石を礎石として社を建て,かまつりして毎月 1日にはお祓いをしている ∴北側の墳が決まることにより,東西方向に拡がることになるが東側隣接部落の㊥地(果 樹園)所有者の強破な反対にあった..図1に示してあるように,東村所有者との交換によって,東側の境は決まった. 西の境界はほ場盤備を一・部しか実施しない西隣の部落の水路㊦(従前地と同位置)によって規定された..㊤の位馴こ 農家があったので,当初宅地が人らない様にした,しかしそうすると工場西側の区画は水路⑬まで長辺120mになり 作業上不適当,もし長辺100mにすると水路㊦との間が20m空いてしまい,西隣の部落に不都合が生じてしまう・ 水路⑮より東端まで約300mあり,結局建て替え時期にあたっていた家屋㊤を移転することにした.移転補償は工場 がした.こうして工場敷地の境界は決まったが,北側境界決定によって当初3ha予定の工場用地は26haとなった (ii)整備地区との調整 大野原町の県営ほ場整備率菜の遅れにより換地確定が長びきそうな気配から,又換地工区が変更できないので,エ 場用地は急きょ整備地区外としたが,エ場側が−・刻も早く登記したいという要求が整備地区外とする最も大きを要因 であった.登記手続きについて工場と農家では思惑が異なる.それによって本来改良区のする登記手続きが工場用地 内の従前地については,エ場側で手続きすることになったい 図1の工場数地内には従前地を示した(52蟹あった)・ 白地部分は売りたかった農家の所有地,黒い表示の部分は,売りたくない農家の所有地であり用地外の売りたい人と の交換分合によって,所有が変った土地である.エ場用地周辺の東側の農道と水路,北側の農道の各々の敷地はエ場 が買収し,工事は土地改良区(面積470ha,組合員776人の大野原町ほ場整備土地改良区は町役場内にあり専任職見が 1人しかいない)がしたい 所有権移転後工場が農道水路を分筆して土地改良区が登記することになっている..南側は エ場の負担で農道(巾1m)及び水路(0.5m),工場人口のところに用水路暗渠を完工した.またエ肇にあたってはエ 場数地内の耕地の表土は生備地区に提供され,その代替として町当局が土砂を還元した.敷地内造成工事は工場がし た”

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∧ヽ 果樹園 宅地 水路 従前地 部落界 ト 」 0 100M 図1.県道北側の整備地区と工場数地内従前地 用排水関係について工場用地の従前地は,香川用水の水系でありまた大谷池掛りであったため,地区除外について 大谷油土地改良区,香川用水土地改良区の相方合わせて決済金として反当25000円を工場が負担することになってい る. 町当局も束村も水を使用しをい工場導入を計ったので,工場使用の用水は主に間接冷却水であり地下水を利用して いる.大谷地土地改良区では,農地及び腰兼用施設等に悪影響を及ぼした時は工場の貫任とし,さく井取水常時 120m8/日(取水深度60m)及びその排水については虚業用に使用するということで同意し,工場排水は農業用排水 路を利用するので維持管理費を分担することになっている.エ場排水のうち冷却水は80m8/日(冬期)120mB/日(夏 期)で下流側耕地の要望による排水であるが,雑排水下水は浄化槽に溜めているい 工場から下流側は一・部上水道では

をく井戸水も飲用に供しているので,水質的に問題なくとも保健所の命令を受けて現在は排水していをい.

7.整備後 (i)エ事費の負担 工場導入が先に決まり次いでほ場整備が実施されたので,工場用地売却によって農家のエ事費の負担金にするとい う考えは元々なかった.工事費の負担についてまず従前地面積によるものとしてはじまり,途中から工場予定地が整 備地区外になりやや複雑になって,工場に売り改す分だけ工事後面積は減るから減少分については負担しないという 意見と,交換分合によって売り渡しが可蘭にをるのだから負担せよという意見がでて,配分時までは結局折半するこ とにをっていたが,工事後は耕地の無くをった分に対しては負担金は徴収できないので,工場予定地内を譲渡した人 を配分において優先することにし,そのかわり負担金をもつことにした..配分時に最優先したということではない..

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149 第27巻第59号(1976) 束村の整備面撥約8、5ha(県道と町道に囲まれたほ地と宅地周辺が未整備で約2ha)であるが町役場の資料による と工事費は2,413万円その内訳は用水路工336%排水路エユ5.7%道路エ14.7%生地工36.0%であるけ束村ではこれら の工事費に加え/て,更に標準区画30aを分割する場合所有界にコンクリート瞳畔を築き各々のほ地にコンクリ・−トで 用水口排水口をつくったのでそれを共同で負担している.これには3%の余剰地を関係農家に処分して充てている・・ 余剰地3%の内,公共用地(子供の遊び場)4セ程を,村の一博地に計画していたのであるが,h配分時になって実現 しなかったという.換地清算.は端数地積の増減により成されているが,この場合の余剰地処分と清算金静定には工場 用地売却価格が用いられている1. (ii)導入工場 束村にきた工場は電動機部品の炭素製品を生産しているが,大阪での工場拡張ができず昭和36年工場誘致により観 音寺市へ進出したが工場周辺が宅地化してしまい拡張の余地はをくをってしまったという,また都市計画法の用途地 域の線引きでは住宅区域にされ白治体の非協力を嘆いている..大野原町へきたのには立地条件として二地下水が折よく 出たことである小工場側では若い人を採用したかったけれども導入時の町当局,東村との約束により中高年合着(40 才以上)も現地採用している… 現在従業員112人中58人(男性43人,女性15人)が大野原町在住老であり,この内8 割が農家の人で中高年令者は5剖以上であるとのこと.大野原へきたとき“農繁期に−・斉に休まれる.”ということ を最も心配したが,勤務時間帯を平常の8時∼17時の他 先番の7時∼16時,後番の15時−0時を設け,一週間交替 で農家の人の希望により予め都合の良い部署に配置しでいるので一眉に休まれることばないという小 一・斉に休まれる のは農家の慶弔関係の時でありこれが−・番に因っているようである.しかし工場もー・民家として年頭の寄合,秋祭り, 慶弔関係で村づきあいをしている. エ場にとって困ったのは,整備地区外とすることによって従前地からの手続きを一朝しなければをらないことであ るという,たとえば従前地の中で−・筆−・坪の井戸の登記では町の協力を得ても1年単もかかってしまい,エ場用地内 の従前の農道(約1300m2)水路(約450m2)を機能交換により工場周辺に移設したにもかかわらず,払い下げが手 間どっている.地価が高くても換地確定して権利関係の調整がついてから土地購入した方がよい,とそんな風に工場 の栗任者は語っている. (iii)束村の変化 (イ)工場へ・の入社 東村で導人工場に勤め始めた人は全部で17名である、表1にはその年令別構成を示した.このうちほ場整備関係農 家の人は15名(11戸)であり,殆んどを占める..夫婦で入っている農家は3戸,他の1戸は親子である.農家からの 入社が多かったというのは農閑期に勤め人にならずに農外労働に従事していた,そういう人達がそっくり工場へ入っ たということであるけ 表1はそのことをよく示している.だから農家でも既に勤め人とをっていた人は入社しをかっ た.勿論非農家でも勤め人となっている人は入社しなかったが,非農家から2名の人が入社している,1名(男性55 才)は前の会社と同一儀件ならば近い方がよいという理由で,もう1名(女性48才)は前の会社が不安定であったと いうことによる.非農家の人が人らをかったというのは3カ月間の見習い期間が大阪であったのでそれで人らなかっ たともいわれている.. 表1の中の女性で30才台までは農家の若嫁さんで,40才以上の人は主婦の人である.虚家の主婦の人で人らをかっ た理由を開いてみると「工場へ二人はいるのすかんと主人に言われて人らなかったい.あるいは「昔,肝臓を患い無 理しをいようになり,炭素の粉が体に憩いし,それではじめからエ場に勤める気はをかったト」というものである男性 40才以上はいずれも世帯主の人であるが,30才代の人は長男の人で県外で勤めていたのであるが両親が老いて東村へ 帰るつもりでいたところたまたま工場導入があって入社したという人である..若い人はすでに勤め人として親と同居 し東村より通勤できるところに勤めており工場が釆たからといって入る人は無かった.60才代で入社した人が1名 (64才)いるが,整備関係農家であり無条件採用という約束から,工場の63才定年とは紐関係に入社した・しかし現 表1東村から入社した人の年令別紙成(50年10月現在)  ̄ ̄ ̄■▼

妄盲丁蒜ニ芯=云二言古二 60∼70

討 1 4 3 1 9 2 2 3 1 8 男 性 女 性

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在では工場は束村以外で40才以上の人は採用しないという方針を打ち出している.. (ロ)耕地所有の変化 図2は東村の22戸の農家(3戸不明)の整備前後の耕地所有変化であるが,この変化が工場用地への売却分であり, 売却関係農家は16戸と多く村ぐるみで工場誘致したことがよくわかるこれだけの農家で個人売りにせず一・指して売 り渡すことができたから,当時の時価の2∼3倍の価格で工場に売ることができたと束村の指導者は語る. 売却しなかった農家は6戸であるが工場導入に反対して売却しなかったという農家ではをい.「息子達が勤めをや めたら後継いで農業をヤってくれるから.というのである= 親子孫と同居している農家である.また「親から受け ついだ土地だから.また一・方には「】売りたかったけれども希望者が多くてかをえ.られなかった.鹿家も含まれている. 売却の場合離農者を優先したが,整備によって離農した農家(不換地鹿家)は図のA,B,Cの3戸である.整備後 の所有は屋敷地だけとなっている、離農した農家Bの主人は離農者の意見を代表している.「若い時は農業の手伝い もしていたが,段々勧めの方が忙しくてで重なくをった,家内も勤めており虚業の経験が全くなかった.今80才にな る母がしていたがほ場整備前は人にたのんでしてもらっていた.この村では規模の大きい農家が耕地を借りてつくる ことはなかった‖ 借りてやっている人もあるがそれは耕地が少をいから白分の手でできる範囲内で借りてヤっていた.. そうした借り手も段々勤めに出るようになっていをくなり,人に頼むのがむずかしくなり家内も農業の経験がなく自 分もゃる意志がなかった小 脳協も細かいことまでしてくれない.またほ地は脱退より中に入っていて地価の値上がり が期待できず,ほ場整備して何年も売ることができないとすればその間自分で“もうり”する白侶がなかった… それ で家内と相談して手離した小 売渡し価格は水田としてはよかったが決して高いとは思わなかった… 今でももっていた らなあとは思わない小.この家では後継ぎの人が遠方で勤めており同居していないり 離農までしなかった農家は鵬・軒−・軒理由も異なっている.6年前に癌を手術して治ったというばおあさんは,今は 農業もー朝していをいが「息子は今治の方に勤めており,週末には帰ってきている.孫が学校に入る様になって孫と 嫁さんは戻ってきた..整備前は妹さんが耕作していたが,息子が田閲するのがいゃでそれで工場に売った..3反半残 したのは退職後のために残した..整備後はセマチ(区画)が大きくなり嫁さんが機械つかってやれ凌いのでやめてし まった小 それで親戚に年貢のことはとヤかく言わず預ってもらったり 工場への売却代金は家屋の新築の一周∬こまわ した.という.まだ若い親子だけの世帯の主人は「親の代から田閲は人に貸していて,自分も農業しをかったぃ 今は 自家菜園をつくる程度ですれ 整備後≠・年目は放っておいたがこの村はほ地に草を生やしていると,直接にではないが 人に言われる土地柄です.それで放っておく択にもいかず2年目には隣部落の農業する人から貸してくれと言われ貸 した.エ場には勤めなかったので売らなかった方がよかったlやほり今から思うと安すぎたようだ.整備前自作地 (4小6反)と借地(4反)で農業専菜にしていた老夫婦世帯のおばあさんは「孫が学校へ・行くようになって,学校かわ るのはかわいそうをので息子逮は戻ってきた∪ 工場には1反2セ程売り渡したが,盤備後1反ばかり光村の人から借 りているので売らなければよかった.借りても損はしをいが年とったし前よりも減らした」また別の農家では「息 0

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151 第27巻第59号(1976) 子が勤めに出て農業をしてくれそうにないし自分も年をとってきて体が弱ってきているし,余計やれないから手離し た..「主人を工場にはめてもらうために,自分逮の代で増やした分だけを手離した‖.「息子達が大阪から戻ってきた ので,田圃も1反余りにして食べるだけにした.「誘致委員をしていたので売る人が居なくをって,田圃が無くをっ てもという気はあった.しかしヤはり田腰=ま全部は無くしたくなかった.整備前は売りたい人の方が多かったので あるが,整備後は法によって8年間は売買できないことと,地価の借上りによってその様なム1−ドは無くなった・・ (ハ)虚業の変化 虚業の変化は工場へ耕地を渡したことと工場へ勧めることにより,作付の減少に表われている.しかし裏作の作付 をしなくなったということではない.「コニ場が近いから兼業では何毛作もできないが.裏作の作何けを減らしながら も続けているい 農業従事者は工場へ・は先番(7時∼16時)後番(15時∼0時)の一・週間交替によって勧めているので 工場へ入ったからといって,前よりも忙しくなったことはないと言っている..婦人の人は平常(8時∼17時)の勤務 で農業を続けている. 表作は主にレタス,玉葱,たばこであったが,「地を遊ばせていてもいかん」ということで手間のかからない麦 (裸麦)を,たばこあるいはレタスにかえ/て播いている農家が見聞できた農家で2戸あった.レタスについて整備前

にもつくっていた虚家9戸のうち4戸は整備後も作付けしているが5戸は整備後ヤめてしまった..その理由は,前年

度価格が暴落した.整備後の地が悪く野菜には向いていない.レタスは玉葱より経費がかかり収穫になると毎日にな り大変であるというものである、.玉葱は整備後どの農家も作付けしているが概ね減らしている… 経営規模7反余りで 主人が工場へ勤めた農家では,整備前のレタス2反たばこ4∫5反をやめて整備後は玉葱2反から3.5反に増ゃし他に麦 もつくったが,「今は農業に対してとても中途半端である.と語っている. たばこは,決して“おかもうげ’(真作であてること)できる作目でなかったが価格が安定しているので束村では 多くの農家でつくっていた.しかし植付け出荷乾燥が共同作業であり,適期が短かく人手が多く必要であった.それ で整備前18戸でしていたのが整備後3戸だけになってしまい,たばこの栽培が極端に変った.「農業はグループでや るもんです,一府だけではヤれるもんでない.という老婦の言葉はたばこについても語っているようにも聞こえる・・ 束村の農業の変化は単的にたばこ栽培に現われている。たばこの作付けを止めてしまったことに農家の事情がどの様 に反映しているのだろうか. ある鹿家ではエ事のことに関して「整備工事が9月より始るといわれ10月の苅り取りに間に合わないというので工 事の年は春の田植をしなかった,工事完了が次の年の5月頃であったので結局1年間何も植えをかった,こういう際 の農家の“つなきり’資金がないので借金して整備しなければをら覆いのは問題だ.と指摘しているが,この工事完了 が5月頃になり,既にたばこの移植期が例年より大巾に遅れていたにもかかわらず工事後たばこを作付けた農家もあ る.その結果出来が悪く人手も無いので一・年でやめてしまった農家もある,.しかしそれだけの理由ではない様である. 玉葱3反レタス1反を作付けしている経営規模7反余りの農家のおじいさんは「エ事後一・年つくったが止めた.もう 年だから.という.また経営規模1.7反の農家では「整備前は土J地を借りてたばこをつくっていたが,主人もエ場へ はまり工事後はもう借りていないので止めてしまった.と語っている… 整備前までは2人で専業で農業をしで農繁期 には人も雇っていた,経営規模8.6反(整備前1町6セ)の農家の主人は工場に入ったけれども整備前レタス2.5反, たばこ4.5反,玉葱3反つくっていたが「今は玉葱2反だけにしている”若い夫婦が2人とも勤めに出てしまってい るので,家内が孫2人の面当をみている.それで作付けを減らしている.地が落ちついたら作付けを増ゃしていく予 定ですぃ 整備をしたから止めているのではない.. たばこの栽培を止めてしまったことに農家の事情が反映していると同時に,−・方それ以上に3軒だけにをってしま ったたばこ栽培農家にも整備前後の状況がうかがえるようである. 主人が既に勤め人で工場に2反ばかり渡し現在経営規模3反余りの農家の主婦は,体が弱いというので工場へも行 かなかった..レタスはもともとつくらず玉葱は整備後減らしているが,たばこ栽培について「たばこは3年たって平 年作にもどった.、整備前は6−5反余りつくったが今は55反位つくっている一.若い子持ちの人は働きに行けない,とい うのも保育所は8時半から16時までで送り迎えしなければならないのでそういう若い人と,それに子守りをしている 年寄の人を収穫時だけ頼む,束村ではまだ人手が集まる.乾燥所は隣の部落の殊に入れてもらった、.主人が今病気で, 自分一人ではとてもできないので息子に車で乾燥所まで運んでくれるかと開いたところ,その位だったらや・つてくれ るという返事だったので,それで決心がついて来年も作付けることにした.」という. 整備前後で経営規模が変わっていない9反8セの農家では,整備前のレタス2.5反をやめ,たばこを5反から3反

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に玉葱を4反から3反に作付けを減らしているが,夫婦で工場へ・勤めている… 主婦の人は「会社は給料が安いから, 地がよくなって野菜ができるようになったら私は会社やめるつもりでいる。.たばこの収穫は8月10日までかかるけど, 会社が6月中旬から9月中旬まで週休2日制をので,金曜の夕方からかかれば,たばこの収穫はできるのでそれでた ばこはつくっている.. 主人が既に勤めに出ている経営規模5反余りの農家では,玉葱を減らしたがレタスは減らさずに作付け,たばこは 4反から3反に減らしているが,その農家の主婦の人は工像へ勤め始めた小「工事の年は雨も多くて工事も休みがち だった,それで他所に半年ほど行っていたが,工場ができたのでこちらへきた.会社だけではもの足りん..根っか らの百姓育ちなので農業をやっている小 やはり女にとっては手応え.がありおもしろい∫.会社のうっとおしい仕事から 解放され野良にでると晴れ晴れする.ほ場整備では何もかもよく怒った.土地をもてあましていたらやはり農業はで きないい 会社にはまったのも息子の為を思って入った‖ そうしないと嫁さんが釆をい,これからは息子に歩調を合わ せて生きたい,嫁さんがきたら農業をやめるつもりでいる.実は工場に売りたかったが,売り手が多勢いてだめだっ た.」 ⅠⅠⅠ計 画 と は 「もし,農業を続けていく可儲性があったら,決して工場導入は有り得なかった..と束村の指導者は述懐したが, 離農する人と勤めたいという人の相方の思惑が一・致してほ場整備と工場導入ほ出来たと語っている.それは「整備に よる裏作の減収分を工場誘致で工場が釆て減収分をカグァ・−してくれるからいい.とエ場に勤め始めた農家の人から 聞くことによって養付けられる.しかし「工場が来て町のふところが豊かになるという考え方と農家の考え.は異なる. 農業していた時は手間賃も出ない時も勿論あったが,やはり農業には張り合いがあった.工場へ㌧入って月々の収入が あることはいいけれども.と指摘する農家の主人もいる… 工場が現在の場所にきてあんな風になるのだったらと いう意味で,ある老人はもし農業を続けていく可能性があったらという願いを塞合わせに,「東村の一・等他に工場はや はりよくない,ここはまわりが人家で−一・杯だ一・旦工場がきたら工場が強くなる,又何つくり出すかわからん.今はほ 場整備もでき工場導入して皆勤められていいかもしれんが,地元民がある時期には泣く,我々や子供の時はいいが孫 の代になってからが心配である.問題は将来でてくるい 工場からの排出物によって地下水にその影響が出なければい いが.地価は300ブヨ円/反になったがそれでは取引きされん..農業の採算が合わず,農地としても取引きされん、.と これからのことを何よりも心配しているい エ場は今農業によってとりまかれている‖ 老人の心配は工場が−・民家でな くなる時,隣組の−・見でなくなる時を心配している一.隣組の山\員ということば具体的な人のことである.−・民家とは その人の顔である.抽象的な数字のようなものではをく具体的な人の顔である小 突然に抽象的数字が消えてしまう世 界がそこにある.束村の事例に接している内に,ふと“土地は動くものである”という錯覚に陥った..家族の人の年 令,別居同居の有無によって,更には農業する人の年令と体の調子との,そんをあわいの申で耕地が動く,耕地利用と 土地所有の交錯それは姦作の動向に単的に現われる,そこには野菜の価格も,エ事のことも,工場の勤務時間のこと も,はては作物の収穫期のこともつながっている.それぞれの農家の顔が耕地の利用に投影されているようだ.都市 化傾向にない農村地帯にある東村だからこそ土地は動いたのだろうか.そんな錯覚も農家の人に一L威されてしまう. 「耕地は個人の間では動かない,エ場だからこそ動いたのだ,特別な時でないと離さをい.価格の折合いが良いとか 悪いとかの問題でない.「大野原では3毛作も4毛作もゃるが,ざっとしても作はとれない.鹿家は苦労している小 肥培管理が難しい1. −・蹴のあとに,ふと“農業とは本来的に人間の自然に対する働きかけという行為であること,もう一つは農共生産 の商品化によって経済的規定を受ける,”という−・研究者の農業に対する基本的な視点のことを思い出した.“自然に 対する働きかけという行為”“経済的規定”の厳密を定義はわからないのだが,東村では整備前「この村では規模の 大きい農家が耕地を借りてつくることばをかった,借りてヤっている人もいたがそれは耕地が少をいから自分の手で できる範囲内で借りてヤっていた..また整備に乗り気でをかった理由として「老人では人にやってもらわねばをら をい,それでは専業の人に負担がかかる.と聞いた.自然に対する働きかけという行為から発せられた言葉に聞こ えて仕方が凌い.こうして発せられる言葉は随処で耳にしたu「10年前は規模拡大も考えた.しかし売る側の農家は 高値で言ってきでうまく折合わなかった,そうこうする内に体が峠を越してその気もなくをった.エ場で若い衆と仕 事していてもやはり年とったことをしみじみと感じる...「もし若い衆が農業していたらあるいはエ場へ行かなかった

(9)

第27巻第59号(1976) 153 かもしれない..こうした若い人の親に対する働きかけ,また一・方に老いていくことに対して作付けを減らし,子供 に合わせていく,しかし農業から決して離れたくない気持ほ親から子への働きかけとをり,そして息子達は孫と共に 村へ戻る.「農業はグループでやるもんです,一・軒だけではやれるもんでない..という老婦の言.グル1−プとはまず 家族からを意味するのであろうか,その意味にば,“虚栄は共に住まないことには,じかな知執 技術も伝わらない” こ.とがこめられているのだろうか.「■作物が自分の力をかなえてくれる.土は女手にも平等にこたえてくれる.力を 込めれば込めただけ返ってくる..東村の指導者のほ場整備と工場導入に関しての終始一骨するもととなった発想が, 自然に対する働きかけの行為の積み重ねの中から生まれてきたものではないかとふと思う“ 農村計画,土地利用計画,農地計画等々と計画に関する富美は多い.これらに共通している計画とは一・体何なのだ

ろう.またある地域にふさわしい計画とは何かい こうした“部分”としての計画は,いかに“全体”という何ものに

かかわっていぁのだろうか..“経済的規定”がはたして“自然に対する働きかけという行為”のどこまで及ぶことが 可儲か,あるいは全くかかわることができないのか,あるいは全面的にかかわりあうのか.こうした疑問の森が立ち はだかる鱒かりである.しかし東村では,“自然に対する働きかけという行為”の前に,得体の知れぬ地価が面と向 っている.

A LAND CONSOLIDATION PRqJECT CONTAINING A SITE

FOR A FACTORYIN THE CASE OF OHNOHARA−CHO

I… Aninvestlgation report on ruralplan andlivingin r・uralareas

Kazuo MoRISHITA

SⅦmmary

From1971)theexecutiveauthoritiesof.agrlCulturewascarrylngthelandconsolidationprQJeCt

into executionin Ohnohara−Choinorder toimprove theland productivity and thelaborefl

ficiency・

HigashimurasituatedinthecenterpartofOhnohara−ChoissmallvillagehavingOl13square

kilometersinsize offarm−1and area and more than50households・The totalpopulation of

thevillageamOunttO220and the45%(99)ofthemar・eWOrkingpopulation.Thisworking

POPulationisdevidedintotwoagegroups)namelythegroupslessthanandmorethan40years

Old.TheformerandahalfofthelaterbelongtOWageWOrkers.Another half−ofthelaterwas

gettlng theirlivingrbycultivatlngWithdiverscrops ayear)Onion)tObaccoplant)rettuCe and

riceplantatthenarrowfarm−1and,theaverageSizeofwhichisonly5,200squaremeters.It

issonarTOWthatthefarmershadtocultivatetheirfarm−1andtwotofourtimesayeartosupport

theirliving。Therefore the cropping rate ofthe farm−land reached200∼400%a year.In

SPlteOftheir hardwork)theproductivityoftheirfarm−1andscouldnotprovidethemag00d

Circumstancesu Therefbre they must work fbr wage out ofthe village dur・ing winter season・

TheyarecalledHpart−timefarmers=

AtHigaShimura)thesma11−holdfarmerswerenotinterestedintheprQ)eCtOWlng・tOtheshor−

tageofmoneyandlaborsothattheprQ]eCtdidnotalwaysadvancesuccessfu11yatfirst.But

afterawhile)SOmefarmerswhowantedtominimizetheirownfarm−1andappearedbecauseof

thedisadvantageSOfagriculture

Thentheleaderofthevi11ageconceivedaplaninhisheadtakingtheabovecircumstances

intoconsidarationsり Hisplansaresummar′izedasfo1lows;

l.toconsolidatetheirscatter・edareainaspot

21,tOdivertthespotfiOmagriculturalintoindustrialchannel.

(10)

3.tose11thespottoacompanyasthe・Sitefbrthefactoryontheconditionof’thatthepart−

timefarmersareemployedbythecompanyasthewhole−timeworkers

Heintroducedtheplanamongthepeopleofthevillageい Hisplanwasfu11ysupportedand

carriedintoe鮎ct.Theycontactedwithanindustrialfirmwhich▲Wantedtomovefiomurban

toruralareaseekingfbritsenoughroomfbrexpansion)throughtheauthoritiesofOhnohara・−

cho.

After concludingtheagreementwiththccompanytheaboveconditionandthattheairand

waterwasneverpollutedbyinpurities丘omthefactory〉thelandconsolidationprq】eCtCOntalnlng

asiteforthefactorycarriedintoexecutionattheHigaShimuraareasasorlg1nallyplannedby

theleader.

Afterthe execution,their circumstances were greatlyimproved)i・・el)the part−timefarmers

beforeexecutionwerefhllyemployedbythecompanyandthenitwasnonecessaryforthemto

workoutside thevillagelMoreover,theycould cultivate theirownsmallfarm−1andat their

leisure.But as the results,agrlCulturallabor power turned toindustriallabor power,the

Plantedareaof’thefarm−1andwasdecreased〉eSPeCiallytobaccoplantgTeatlywentdown・・The

cropplngrateOfthefarm−1andbecameaboutahalfofthatbefbretheexecutionof’prQ)eCt

ThecaseofHigaShimuraareasbringsoutthepossibilitiesofthelandconsolidationprq)eCt

参照

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