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目 次

序章 本研究の主題と先行研究の分析... 4 1 本研究の主題 ... 4 2 先行研究の分析 ... 7 (1)和文文献... 7 (2)欧文文献... 15 3 本研究の構造 ... 21 第1章 ドイツにおける移民児童生徒を取り巻く社会的状況... 32 1-1 ドイツ社会における移民問題の概要(1950 - 90 年代) ... 32 1-2 移民の統合促進政策の推進(2000 年代)... 39 1-3 移民児童生徒の学校教育に関連する諸政策 ... 47 1-3-1 国際レベル... 48 1-3-2 欧州レベル... 51 1-3-3 連邦レベル... 62 1-3-4 州レベル ... 77 第2 章 ドイツにおける異文化間教育研究の理論的基盤... 80 2-1 研究の対象および理論の推移... 80 2-2 異文化間教育研究の主要論点... 88 2-3 多言語教育の主要論点 ... 93 第3 章 ドイツの学校における言語教育に関連する諸政策の分析 ... 100 3-1 国際的な観点における言語関連政策の分析 ... 101 3-1-1 欧州評議会の言語関連政策 ... 101 3-1-2 EC/EU の言語関連政策... 106 3-1-3 その他機関の言語関連政策 ... 111 3-2 連邦レベルにおける言語教育指針 ... 114 3-2-1 初等・中等教育における外国語教育指針... 114

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2 3-2-2 移民児童生徒に対する言語教育指針 ... 116 3-3 ドイツ各州の言語教育政策の比較分析 ... 118 3-3-1 母語教育に関する各州比較 ... 120 3-3-2 ドイツ語教育に関する各州比較 ... 131 3-3-3 ドイツにおける移民児童生徒に対する言語教育の特徴と課題 ... 133 第4 章 ヘッセン州の言語教育政策の変遷 ... 139 4-1 ヘッセン州の言語教育政策に対する分析の視点... 139 4-2 ヘッセン州に関する基本的資料 ... 141 4-2-1 ヘッセン州の特徴... 141 4-2-2 ヘッセン州の外国人児童生徒に関する統計 ... 144 4-2-3 ヘッセン州の教育基本政策 ... 147 4-3 ヘッセン州の言語教育政策の変遷 ... 148 4-3-1 拡大期(1960 - 80 年代) ... 148 4-3-2 変革期(1990 年代) ... 160 4-3-3 転換期(1999 年以降)... 166 4-4 政策転換への反応... 171 4-4-1 母語教育の縮小に対する反応... 171 4-4-2 就学前ドイツ語教育の拡大と就学手続の変更に対する反応 ... 175 第5 章 ヘッセン州における言語教育実践の展開 ... 178 5-1 母語教育の展開 ... 178 5-1-1 報告書等に見る母語教育の運営実態および問題点(1970 - 90 年代) ... 179 5-1-2 母語教員に関する課題... 185 5-1-3 政策転換後の出自言語授業の実施状況(2000 年代) ... 186 5-2 ドイツ語教育の展開 ... 191 5-2-1 1980 年代のドイツ語教育の特徴 ... 191 5-2-2 1999 年以降のドイツ語支援教育の構成... 194 5-3 多言語教育の展開... 206

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3 5-3-1 多言語教育の構成... 206 5-3-2 KOALA(低学年対象二言語共同読み書き教育)... 210 第6 章 授業観察に基づく言語教育実践の分析 ... 213 6-1 多言語環境にある子どもの言語発達に関する調査研究の分析 ... 213 6-2 公立学校における二言語併用教育形態の分類 ... 215 6-3 学校調査に基づく言語教育実践に関する考察 ... 219 6-3-1 移民児童生徒に対する言語教育実践の調査報告 ... 220 6-3-2 実践調査の解析 ... 267 第7 章 学力保障/アイデンティティ形成と言語教育 ... 271 7-1 言語と学力 ... 271 7-1-1 国際学力調査の結果とその反響 ... 271 7-1-2 教育政策への影響... 276 7-2 言語とアイデンティティ... 280 7-3 学力保障/アイデンティティ形成に資する教育に求められる教員の資質 .... 285 第8 章 国際的視点から見た日本における言語教育の課題と展望 ... 288 8-1 世界の多言語教育... 288 8-1-1 多言語教育に関する国際的潮流 ... 288 8-1-2 欧州の多言語教育... 290 8-1-3 北米および豪州における多言語教育 ... 296 8-2 日本における多言語教育の課題と展望 ... 300 8-2-1 現代日本の学校における多言語状況と教育政策 ... 300 8-2-2 日本語を母語としない児童生徒に対する言語教育の課題と展望... 302 終章 多言語社会における学校教育の責務に関する一考察... 305 付録... 311 常設ドイツ連邦共和国諸州文部大臣会議事務局『報告「移住」』... 311 参考文献(和文)... 324 参考文献(欧文)... 329

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序章 本研究の主題と先行研究の分析

1 本研究の主題

本研究の出発点 移民問題は西欧先進諸国が例外なく抱える今日的課題である。その背景や経緯には国ご とに個別性があるものの、この問題が従来の国家観に基づく政策のあり方に一石を投じて いる点では共通している。 ドイツ連邦共和国の場合、1955 年から二国間協定に基づいて募集された外国人労働者と その家族の移住がこの問題を先鋭化させる最大の契機となった。それに呼応する形で教育 学の領域でも外国人の子どもをめぐる教育に関心が向けられるようになり、そこから発展 した教育分野は「異文化間教育」1と呼ばれている。その代表的研究者であるゴゴリン(Prof. Dr. Ingrid Gogolin:ハンブルク大学)とクリューガー=ポトラッツ(Prof. Dr. Marianne Krüger-Potratz:ミュンスター大学)が著した『異文化間教育入門』では、「異文化間教育 (Interkulturelle Pädagogik) は教育学の一専攻ないし下位領域で、社会的、文化的、言語的に ますます複雑化、混成化する状況において、成長、社会化、教育過程にどのような結果が もたらされるかという問いに取り組むものである」2と説明されている。 1960 年代から 70 年代にかけては、急増する外国人労働者の子どもをめぐる教育問題に 関心が集まり、そのため研究の中心は、対象となる外国人児童生徒の分析と対応策であっ た。その後、このような研究手法が多数派であるドイツ人の一方的で支配的な姿勢を反映 しているという批判や、前提とする理論や現況の理解に誤りがあるという指摘が次々とな されていく。それらの批判を通じて社会学、心理学、文化人類学などを下敷きとした理論 的発展が繰り広げられるなかで、異文化間教育という用語の射程について学術的な共通認 識が持たれるようになってきている。 それらの異文化間教育研究が志向する実践上の目標は、社会や学校内の多文化性に配慮 した教育の実現にあるとされてよいであろう。その範疇には、さまざまな具体的教育課題 が入ることになる。例えば、授業や地域活動を通じた異文化間理解の促進、授業言語(ド イツ語)を母語としない子どもに対する教育支援、外国人に対する職業教育機会の向上、 多文化社会に相応した教員養成等々である。それらの課題は、対象や方法に関しては多様 であるが、文化的出自に起因する差別の解消、すべての子どもに対する平等な教育の実現 を目指すという点では共通している。 問題設定と研究主眼 本論文は、上述したドイツにおける異文化間教育理論を下敷きにして、ドイツにおける 移民児童生徒に対する言語教育の政策および実践を検証するものである。より直接的に言 えば、移民の子どもに関する言語教育研究を礎に、主として外国人労働者の移住によりも

1 Interkulturelle Erziehung, Interkulturelle Erziehung und Bildung, Interkulturelle Pädagogik など

複数の表現がある。

2 Gogolin, Ingrid/ Krüger-Potratz, Marianne (2006): Einführung in die Interkulturelle Pädagogik.

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5 たらされた言語的多様性が学校教育ではどのようにとらえられてきたのかについて、政 策・実践面から探る研究である。この際、異文化間教育の理論的展開や、背景にあった社 会的・政治的動向との有機的な関わりのなかでの理解を試みたい。そうすることによって、 多文化社会における教育に関する理論と実践との乖離、あるいは現状と政策との不整合が どのようにして引き起こされるのかが明らかになるからである。そして、教育行政と社会 的・政治的な文脈との連関に焦点を当てることによって、ドイツにおける移民児童生徒に 対する言語教育政策が先進工業国の経験と共通する特色を持っていると同時に、他方でド イツ固有の傾向も有していることが明確になるであろう。 このような考察の中心にある問題意識は、公教育における言語教育の現代的意義の検討 である。歴史研究が明らかにしたように、ドイツにおける学校制度の成立期はドイツの国 家形成と時を同じくし、そのために重要視されたのが「正しい」ドイツ語の習得であった。 その上に教養としての外国語教育が加えられる。しかし、それらの言語教育はドイツ語モ ノリンガルな環境で育つことを暗黙に前提しているので、その前提から外れる子どもには 特別な教育措置が講じられることになる。しかし、若年層(25 歳未満)では移民背景を持 つ者の占める割合が4 分の 1 を超える現在、もはや特別措置の積み上げばかりではなく、 学校教育における言語能力育成のあり方が根本的に捉え直される必要がある。それはドイ ツ語を母語としない児童生徒への追加的な支援だけのみならず、正規授業において児童生 徒の多様な言語発達が前提とされることを要求するということである。具体的には、「第二 言語としてのドイツ語」(Deutsch als Zweitsprache) の視点を取り入れたドイツ語授業、その ための教員養成・現職研修、さらには数学や歴史など教科教育を含めたあらゆる通常授業 がドイツ語教育の機会であると考える自己理解などが求められる。 また、より直接的な言語教育という意味では、ドイツ語、(第一、第二、第三)外国語、 母語/出自言語という言語科目の今日的な位置づけを明らかにしたい。ドイツでは、欧州 評議会や欧州連合が 1990 年代中頃から積極的に推進する言語教育政策の影響や、外国語 (主として英語)教育の開始学年の繰り下げなどにより、言語教育への注目が高まってい る。しかし、多文化社会における多言語能力の涵養の重要性を多くが認めているとしても、 はたしてそれは現実社会の多言語状態を真に受けとめたものであるのだろうか。今日のド イツにおける言語的多様性の形成に大きな影響を与えているのは、外国人労働者や東欧か らの流入者などの比較的新しい移民である。かれらの言語が、学校で教授される言語の選 択に反映されているであろうか。また、ヨーロッパ市民の多言語習得を志向する欧州評議 会や欧州連合の言語教育政策も移民の言語については対応が遅れているのではないか。本 研究では、ドイツや欧州レベルでの言語教育政策を移民の子どもの立場から検証すること によって、これらの点を批判的に検証している。 多文化社会における言語教育を考察するに際しては、上述したような政治・行政に対す る視点のほかに、言語発達上の視点も求められる。複数の言語が飛び交う環境に生まれ出 た子どもにとって、母語とは何を表すのであろうか。授業言語が母語と異なる場合、複数 言語の相乗的な言語発達はいかにして可能となるのであろうか。移民の子どもなどをはじ めとする言語的少数派に対してなされるべき教育を探ることによって、これらの問いに対 する回答の一つが与えられるであろう。 そして、言語能力と学力との相関関係という視点からも、言語教育の目標および方法が

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6 問い直される必要があろう。OECD(経済協力開発機構)による「生徒の学習到達度調査」 (PISA)の結果が発表されて以降、移民背景をもつ児童生徒の学力問題が教育関係者のみ ならず社会全体の耳目を集めている。それによって、移民背景をもつ児童生徒の学力向上 をめざす支援措置がいっそう拡充されているが、そのような趨勢は、一面でドイツ語能力 のみに基づく一元的な評価体制の強化にもつながっている。確かに授業言語としてのドイ ツ語の運用能力は学業達成の決定的要因であるのだが、学校教育の内容や方法を変えるこ となく、それを受けるに足るドイツ語能力の有無を判定するばかりの評価は適当でない。 求められる評価と否定されるべき評価を峻別していきたい。 また、言語教育が学力の向上に極めて重大な影響力を持つのは確かであるが、言語教育 を学力形成の面からのみ捉えるのは問題である。言語的発達はアイデンティティ形成と密 接に関係しているので、その観点からも言語教育が見直される必要がある。よって、本研 究では、母語教員への聞き取り調査や言語権に関する議論などを通して、これについて考 察する。 ヘッセン州の言語教育政策に着目する理由 さて、連邦制を敷くドイツではその権限が各州に委ねられている。ゆえに、ドイツの教 育行政を分析するには、いずれかの州に特化する、あるいは全16 州に対して同一の調査を するという2 種類の方法が考えられる。本論文では、副題に掲げたように、ヘッセン州を 事例として選択することにした。その理由は、ヘッセン州が移民児童生徒の言語教育に関 して稀有な経験を有していることにある。 ドイツ連邦共和国で唯一、外国人児童生徒に対する母語授業を必修化し、他州に先駆け て母語授業の指導要領を作成したこの州は、1999 年の政権交代を機に母語授業からの漸次 撤退を決定した。振幅の大きな展開からは、政治的決定の前には、教育における理論・実 践の蓄積が無力化させられるかのようである。その点について、早くからドイツにおける 移民児童生徒の言語教育を研究してきたライヒ(Prof. Dr. Hans H. Reich) と前出のゴゴリン は、共著論文(2001)3で次のように述べている。 「これは極端な例であるが、それが示すのは、ドイツで懸念されうることである。連邦共 和国の他の州がモデルとして言及していた教育政策に向けられた努力の成果が、数ヶ月の 間に消失させられた。保守的な価値観も、学校の質に関する論拠もこの決定を正当化する ことはできない。この場合は、財政上の理由でさえも説得力がない。数年の間、母語授業 教員の多くを免職することはできないので、かれらは学校のほかの活動に従事しなければ ならない。この不幸を引き起こしたのは、主として一般の感覚に頼る無知であると結論づ けざるをえない。異文化間教育―学校の実践、教育学者の研究、公的な命令・勧告―の30 年間は、政治的エリートや世論を納得させるには十分ではなかった。結果として、モノリ ンガルでエスノセントリックな見方が優ったのである」4。

3 Gogolin, Ingrid/ Reich, Hans (2001): Immigrant languages in federal Germany. In: Extra/ Gorter

(Edit.)(2001), pp. 193-214.

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7 この論述からは、母語授業を名実共に学校教育の一部として位置づけるための行政上の 努力や授業内容の改善に向けた実践上の経験といったものの積み重ねが、評価、検証され ることなく政策変更に伴って無に帰されることに対して、理論面で貢献してきた研究者の 感じる義憤と失望とが伝わってくる。本研究では、ヘッセン州における政策の経緯や関係 者の反応を政令等の文書や新聞記事などから描出することによって、1999 年の方向転換が もつ意味について具体的に論じたい。 さて、ヘッセン州を中心事例として論を構成するとはいえ、それがヘッセン州固有の経 験であるのか、他にも見られる状況であるのかについて判別する必要があろう。そのため には、ドイツの他の州、さらには他の国における政策、実践との比較が求められる。独力 で行う比較研究の限界は明白であるが、先行研究を参照し、また非常に限定された範囲で はあるもののヘッセン州以外での現地調査を行うことによって、ヘッセン州の政策、実践 の相対的位置づけを可能な限り正確に捉えられるよう試みた。その調査を通じて、連邦制 の実態や移民児童生徒に対する支援体制の形成過程の一部が同時に明らかになった。また、 中央集権でないがゆえに捉えにくい国全体の趨勢を各州の動向の共通点を探ることで把握 しようとも努めた。 以上に述べてきたように、移民児童生徒に対する言語教育に関してヘッセン州が歩んで きた道程をたどり、他の州との比較を交えながらその特色を明確にすることによって、移 民社会における言語教育政策の在り方の一例を提示するというのが本研究の趣意である。 言語は、文化を表象すると同時に文化を創り出す礎でもある。文化と呼ぶものを把握する のは極めて困難だが、言語はある程度可視的な状態で存在する。この言語が学校教育でど のように取り扱われているかは、すなわちその背後にある文化の扱いを反映しているので ある。ゆえに本論文は、言語教育政策研究を前面に出しつつも、文字通りの意味での異文 化間教育研究であるとの自己理解に立っている。

2 先行研究の分析

ここでは、本論文に関連する先行研究を整理し、本論文の位置づけを明らかにしたい。 ドイツにおける移民の子どもの教育に関する論考は、日本国内においてもすでに多く発表 されている。それらは、ドイツにおける異文化間教育の理念と実態の探究を目的とする理 論・政策・実践の各側面からの分析、あるいは外国人児童生徒の教育という観点からの制 度的研究、そして言語教育ないし言語教育政策に焦点を当てた研究などである。 ドイツにおいては、移民の言語教育の理論的展開は異文化間教育研究の一領域として捉 えられるので、ドイツにおける異文化間教育理論の主要文献を整理した上で、言語教育に 関する研究を挙げていくことにする。 (1)和文文献 a. 異文化間教育 まず、ドイツにおける異文化間教育の構造の理解を目的とする研究からみていく。図書

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8 の形式をとるものとしては、天野正治編著『ドイツの異文化間教育』(1997)5がある。こ れは、3 人の執筆者による 12 本の既出論文(初出は 1993∼96 年)をまとめたもので、異 文化間教育に関するドイツでの先行研究や報告書の紹介、ならびに、ドイツの教育関係機 関におけるインタビュー調査の結果の分析を中心にして、ドイツの異文化間教育の経緯と 現状についての論点が網羅されている。その際、教育におけるヨーロッパ的次元、総合制 学校、教科書研究、反人種差別教育、などの切り口からも異文化間教育について考察され ている。さらに巻末には付録として、1996 年の文部大臣会議決議「学校における異文化間 教育」勧告の全訳の掲載がある。 論文としては、生田周二「ドイツにおける異文化間教育の諸相」(1996)6、中山あおい 「ドイツにおける異文化間教育」(1997)7がある。中山論文は、まず外国人労働者増加の 社会的背景を説明し、次に政策面に関して、常設文部大臣会議の勧告の変遷から外国人児 童生徒に対する教育措置の推移について述べ、最後に理論・実践の面に関して、異文化間 教育という構想に至る経緯と到達点、展望についてふれている。また、異文化間教育を「第 二次大戦後の外国人労働者の雇用や、難民、引揚者の流入などを背景に、文化や民族の多 様化が徐々に進行しつつあるドイツ社会で、異なる言語や文化的背景をもつ子どもたちが 共生するために模索されている教育、ととらえることができる」8とする出発点は本論文と 重なり合うものである。 以上、ドイツの異文化間教育に関する日本での先駆的研究を見てきた。これらは、日本 国内における外国人児童生徒の受入措置など異文化間教育の分野への関心が高まった 1990 年代に発表されたものであり、ドイツの事例で模範となる側面を吸収しようとする意 識が高いように思われる。もちろんドイツが抱える問題についても言及されている。しか し、それでもなお全体の論調としては、政策や理論が理想的な異文化間教育に向けて前進、 発展してきたものとして描かれていると映る。そのような解釈を筆者が抱くのは、これら の研究が発表された後にドイツで起こったいくつかの画期的な出来事、すなわち PISA で 明らかとなった「学力問題」への対応や積極的統合政策への転換等を経験した上での視点 で分析しているからである。さらに社会的な気運として、2001 年の同時多発テロが契機と なって多文化主義が求心力を失い、かつては同化主義として批判された論調であっても正 当な要求として主張されるようになったことも指摘できる。よって今日的視点で見るなら ば、ドイツの異文化間教育は、少なくとも政策や実践に関しては発展的段階を着々と進ん でいるのではなく、多様な意見がせめぎ合い、関係者それぞれの事情が絡み合いながら、 到達点が移動し続けていると考えた方がよい。それが前進であるか後退であるかは判断の 分かれるところであっても、なぜそこが到達点となったのかを分析し、説明することは可 能である。 このような前提に立つがゆえに、先行研究との相違が生まれている。先述したように、 5 天野正治編著(1997)『ドイツの異文化間教育』、玉川大学出版部 6 生田周二(1996)「ドイツにおける異文化間教育の諸相」『鳥取大学教育学部教育実践研 究指導センター研究年報』5、p. 11-18 7 中山あおい(1997)「ドイツにおける異文化間教育―外国人教育から異文化間教育へ―」 教育学研究科筑波大学大学院博士課程『教育学研究集録』第21 集、pp. 135-144 8 中山(1997)、p. 135

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9 先行研究は理論や政策の発展、それを具体化した実践、残された課題という分析構造であ った。本研究では、理論の展開に逆行する政策、政策の転換の影響を回避する実践という ようなベクトルの向きの異なる関係性を俎上に載せ、それによって複雑で分散的な現実を 立体的に把握しようと努めている。 b. 外国人児童生徒の教育 外国人の子どもの教育について、日本の事例に対する比較教育学的関心から整理、分析 された論文としては、結城忠「ドイツにおける外国人労働者子弟の教育」(1992)9、天野 正治・佐藤義雄「ドイツにおける外国人子女の教育」(1994)10、黒柳修一「ドイツにおけ る移民教育の動向」(1995)11、松本剛幸「ドイツにおける外国人子女の教育保障に関する 研究―ノルトライン・ヴェストファーレン州の事例を中心に―」(2003)12が挙げられる。 結城論文は、ドイツにおける外国人労働者の子どもに対する学校教育の基本的方針を明 らかにするため、背景にある社会政策の経緯や外国人の置かれた状況を整理した上で、外 国人児童生徒の現況、文部大臣会議による諸決議、ベルリンモデルとバイエルンモデルの 対比、外国人の子どもの教育に関する法的問題についてそれぞれ分析している。新聞や雑 誌の記事を引用して時代精神を描写するなど、対象の包括的な理解を試みる研究であり、 その手法は本論文執筆に際しての示唆が多くあった。ただし、1990 年代初頭の研究である ため、ヨーロッパの次元での動向については全く触れられていない。また、対象となって いるのは専ら(二国間協定に基づく)「外国人労働者子弟」であり、1990 年代以降に割合 を高めるその他の外国人やアウスジードラーの子どもは含まれていない。 黒柳論文は、ドイツの異文化間教育の社会的背景である外国人労働者の動向を概説し、 学習困難という視点から移民の子どもの特殊性にふれ、統合の論理の変遷について主に文 化理解の角度から紹介し、移民と学校に関する問題群への取り組みを「特別教育学として の外国人教育学の構想」としてまとめている。文中に外国人教育学の原語表記はないが、 ここでは外国人教育学という用語が異文化間教育と互換的に使われている。そして、特別 な環境にある移民の子どもを理解するために、特別な学問領域が形成される必要があると いう解釈がなされており、これは本論文が逆に回避しようとしている理解である。移民の 子どもを特別視すればするほど、多数派の側の標準を暗黙のうちに肯定することが強化さ れるわけであるから、異文化間教育は移民の子どもの教育問題としてではなく、移民に不 利に働いている教育制度の問題として取り組まれるべきものであると考える。黒柳論文に この点に関する記述がまったくないわけではない。ランフランチの1995 年の著書『移民と 9 結城忠(1992)「ドイツにおける外国人労働者子弟の教育」国立教育研究所『外国人労働 者子弟の教育に関する基礎的研究』 10 天野正治・佐藤義雄(1994)「ドイツにおける外国人子女の教育」外国人教育研究会(馬 越徹代表)『主要国(米・独・仏)における外国人子女教育に関わる具体的施策の変遷』 11 黒柳修一(1995)「ドイツにおける移民教育の動向―外国人教育学の構想と関連して―」 日本社会教育学会年報編集委員会『多文化・民族共生社会と生涯学習』日本の社会教育第 39 集、東洋館出版社、pp. 168-179 12 松本剛幸(2003)「ドイツにおける外国人子女の教育保障に関する研究―ノルトライン・ ヴェストファーレン州の事例を中心に―」『兵庫教育大学現代学校経営研究』15、pp.113-122

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10 学校』から移民の子どもの学習困難の要因を引用しているなかに8 つの指摘が挙げられて おり、その最後で「学校内に内在する制約(『子どもの学習困難』ではなく、制度の『学校 困難』)」という項がある。しかし、残念ながらその項についての分析はなされていない。 天野正治他編著『ドイツの教育』においては「外国人子弟の教育と国際理解」の章が設け られ(第14 章)、ドイツの学校における外国人の子どもの現状と、異文化間教育の発生・ 取り組み・目標について説明されている13。 松本論文は、副題にあるようにノルトライン・ヴェストファーレン州における外国人児 童生徒への教育支援策を「共生」の観点から整理している。ノルトライン・ヴェストファ ーレン州は、外国人人口が多く、革新の社会民主党が長らく政権の座にあったという点で ヘッセン州と類似している。よって、本研究にとっては、2 つの州の共通性を確認する意 味で参考となった。しかし、同論文では、ノルトライン・ヴェストファーレン州の施策が はたして同州に特徴的なものであるのか、あるいはドイツ各州で実施されている一般的な ものであるのかについて言及されていない。他の州との比較に基づき、調査対象とした州 の相対的位置づけを明らかにするために、本研究は、ヘッセン以外の州の動向に対しても 先行研究および可能な限りの現地調査から関心を向けた。 近藤孝弘「選択肢としての外国人教育」(1996)14は、上述の諸研究とは異なる視点から この主題を扱っている。「外国人教育をめぐる問題は、文化の問題ではなく、国民による国 民の理解の問題である」(p. 75)ことを明らかにするべく、外国人労働者、アウスズィード ラー(ドイツ系帰還者)、庇護権申請者という歴史的・社会的な経緯の異なる移住者の子ど もに対する教育の異同について、それぞれに対する政策や修了証獲得率などから分析して いる。問題設定の点において、本研究はこの近藤論文と基調を同じくし、それを言語教育 という媒介によって具体的に論証していく。 c. 外国人/移民の言語教育 さて、ここからはドイツにおける外国人/移民の子どもに対する言語教育に関する研究 をみていくことにする。ドイツにおける移民のための言語教育という観点に重きを置いた 考察として、古くは坂本昭による論文「外国人子弟教育の基本的方策」(1980)15がある。 そこでは、文部大臣会議勧告の言語教育に関する記述が、1972 年を境にして、ドイツの社 会・学校への統合から母国語尊重主義へ転換しつつあるとされ、その具体的方策となる二 言語併用教育の代表モデルとして、バイエルン州の方針が紹介されている。母国語尊重主 義という言葉からはマイノリティへの配慮という面が肯定的に捉えられるが、当該論文に も「その背景に外国人労働者の本国送還の色彩が強いことも確かである」(p. 24)と言及さ れているように、バイエルンモデルとよばれるこのバイエルン州の母国語尊重の姿勢は分 離型モデルとして、統合型のベルリンモデルに対置されるものであった16。また、同論文 13 天野正治・結城忠・別府昭郎編著(1998)『ドイツの教育』東新堂、pp. 256-266 14 近藤孝弘(1996)「選択肢としての外国人教育―ドイツの事例から―」『東京学芸大学海 外子女教育センター研究紀要』第8 集、pp. 73-96 15 坂本昭(1980)「外国人子弟教育の基本的方策―西ドイツの「二言語併用」の問題―」 福岡大学研究所『福岡大学人文論叢』11(4)、pp. 1-29 16 Hegele (1986)によれば、各州における外国人の子どもの就学は、「開放型バイエルンモデ

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11 は「言語教育の基本政策には、二つの方向ないしは立場がある」(p. 1)とし、「一つは、外 国人子弟の母国語とその文化を可能なかぎり尊重していくという、いうならば 文化多元 主義(culutral pluralism) の方向であり、他の一つは、受け入れ国(ホスト国)の言語、 文化に外国人子弟を完全に 統合 させていくという、 文化一元主義 の方向である。換 言すれば、 母国文化尊重 か 統合 かということにほかならない」(同上)と述べる。 近年の異文化間教育研究における議論では、文化一元主義でない統合のありかたが探究さ れているが、坂本のいうところの「統合」は、現在の定義からすれば「同化」とされうる 内容であり、そう考えるならば「ヨーロッパ諸国の動向は、巨視的にみれば、 統合 から 母国文化尊重 へと、一つの転換期に直面していることを示している」(同上)という分 析も理解できる。その転換について、坂本は連邦の次元ならびにヨーロッパ的次元での教 育政策の潮流、およびドイツ社会と移民との相対的関係の変化という2 点から説明してい る。では、なぜ1970 年代に同化主義から出自文化尊重主義へと転換したのか、また、出自 文化尊重が統合と対立するものではなく、むしろ統合を推進するものとして捉えられるよ うになったのはいつ頃からで、何を契機とするのか、という問いが設定されうるであろう。 本論文は、当時の政治的背景やヘッセン州における具体的な言語教育政策の歴史を通じて、 この問いへの答えを探っていく。 ここからは、ドイツへの移民に対する言語教育についての近年の研究をみていきたい。 中山あおい「ドイツにおける異文化間教育と言語教育政策」(1999)17は、「外国人の定 住が進行し、外国人生徒の三分の二がドイツで生まれている今日、母語授業の目的として、 帰国能力の保持をあげる意義は薄れつつあるのではないだろうか」という仮定に基づき、 母語の教育がドイツ語能力の向上や人格形成に貢献すると考えられていること、また、外 国人生徒の出自言語をドイツ人生徒にも教授する取り組みに異文化間教育の促進がみられ ることが指摘されている。この論文の趣意は本研究のそれと同調するところが大きい。本 研究の独自性は、母語教育について考える場合に常にドイツ語教育を念頭に置き、また正 規授業の改善も含めて、移民児童生徒の言語教育を一つの総体としてとらえようとした点 にある。また、この中山論文が発表されて後の、移民に相応のドイツ語能力を求める社会 的・政治的動向をも追跡している。 前掲論文と並び、中山は「ドイツにおける文化的・言語的多様性のための教育」(2000) 18においても移民によってもたらされた言語的多様性について論じている。そこでは、文 化的・言語的多様性のための教育について、国内の多様性(労働移民や難民などによる文 化的・言語的多様化)への対応と、国外の多様性(ヨーロッパの次元)への対応との二方 向から整理し、その二者の結びつきという点からみた問題点を挙げている。この視点に沿 ル」Offene Beyerische Modell とよばれる分離型 segregierende Modell、あるいは、ノルトラ イン・ヴェストファーレン州やベルリン都市州にみられる統合構想integrative Konzepte の いずれかが支配的であると説明されている。 17 中山あおい(1999)「ドイツにおける異文化間教育と言語教育政策――外国人生徒の出 身言語を教授する意義について」異文化間教育学会『異文化間教育』13 号、アカデミア出 版会、pp. 104-119 18 中山あおい(2000)「ドイツにおける文化的・言語的多様性のための教育」日本比較教 育学会編『比較教育学研究』第26 号、pp. 130-147

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12 って、言語教育に関する本論文の位置づけを試みるとすれば、関心は専ら国内の多様性へ の対応にある。国外の多様性への対応に関しては、それが間接的に国内の多様性への対応 に影を落としていることについてのみ論及している。そして、その二者の結びつきに対し ては、中山が「ヨーロッパに視点をおいた教育と、国内の文化的・言語的多様性に視点を 置いた教育の結びつきを議論する場合、外国人やマイノリティの位置づけという問題を考 慮する必要がある。特に、トルコ人などの非ヨーロッパ出身の外国人の子どもたちの存在 が、ヨーロッパの次元の教育においてどのように捉えられるのか、ということが問題にな ろう」(p. 140)と懸念した点について、本論文は、ヘッセン州の言語教育政策の変遷から、 ヨーロッパの結びつきが強化されるのに並行してドイツにおける移民の子どもの言語教育 に出自国による格差が生じている事実を実証する。 伊藤亜希子「ドイツにおける外国人の子どもに対する母語教育の課題」(2002)19は、そ の副題にもあるように、常設文部大臣会議の決議から母語教育への関心の推移を辿ってい る。そして、そこでの決議やその他の勧告における母語教育の目的が、従来の「帰国能力 の保持」というねらいを弱めていると結論している。また、母語教育が実際には母国語教 育であるという指摘や、移民にとっての母語は多様性に富んでいることの示唆など、母語 教育を論じる前提として母語に関する共通理解の必要性を喚起している。本論文は、その ような問題意識を共有しながら、それらの決議や勧告が教育行政として具現化した姿につ いて、世論や専門研究の推移を背景に検証する。 伊藤亜希子「ドイツにおける外国人の子どもに対する言語教育モデル」(2004)20は、外 国人の子どもに対する教育的対応について、バイエルン州とベルリン州を例に取り説明し ている。バイエルンモデル、ベルリンモデルとよばれた伝統的対応と近年の新しい取り組 みとを合わせて整理し、それぞれに対する批判の論点を掲げている。 梁井久江「ドイツにおける外国人児童生徒に対する『母語』教育の実際」(2004)21は、 ノルトライン・ヴェストファーレン州の母語教育政策の展開と現状、ならびにトルコ語の 母語授業の見学を通じて見出された課題について述べている。表題からもわかるように、 州の政策の次元で想定されている母語教育の目的と教育現場の実情とが対比されており、 州が奨励する母語の読み書き能力の向上よりも出自社会の文化的アイデンティティの維持 により大きな力点が置かれていることが報告されている。ドイツで生活する外国出自者の 出自言語授業は、かれらの生活現実に即したものであるべきであるという議論がドイツで はすでに1980 年代から重ねられてきたが、梁井(2004)が指摘するような教育行政側と出 自言語教員側との意識の差22があるとすれば、それについては十分に検討する必要がある。 19 伊藤亜希子(2002)「ドイツにおける外国人の子どもに対する母語教育の課題―常設文 部大臣会議の決議から―」『九州教育学会研究紀要』第30 巻、pp. 267-274 20 伊藤亜希子(2004)「ドイツにおける外国人の子どもに対する言語教育モデル―バイエ ルン州とベルリン州を事例として―」九州大学大学院人間環境学研究院国際教育文化研究 会『国際教育文化研究』Vol. 4、pp. 83-94 21 梁井久江(2004)「ドイツにおける外国人児童生徒に対する「母語」教育の実際――NRW 州におけるトルコ語の「母語授業」を例に――」社会言語科学会『社会言語科学』第6 巻 第2 号、pp. 54-65 22 トルコ語の担当教師が「 母語授業 の主目的をトルコ語の習得とは捉えていないよう で、トルコ語能力の低下より無宗教の児童の増加の方が問題であり、宗教教育を徹底して

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13 以上で見てわかるように、ドイツにおける母語教育については日本国内でもすでに研究 が重ねられてきた。そこでは、母語教育の新たな意義の発見、母語教育をめぐる政策と実 践のずれの指摘など、いずれも新たな知見が示されてきたが、しかしそれらを総合して、 多言語社会における学校教育に関する全体的な構想が論究されてきたとは言えない。例え ば、移民児童生徒の母語教育をドイツ人の子どもを含めたすべての児童生徒に提供する言 語授業として新しく編成することは、確かに理論的には異文化間教育の進展であるが、母 語授業を受けていた移民児童生徒の要求する水準を満たさない内容に変わるという否定的 側面も内包している。一つの問題の解決策がまた新たな問題を生じさせ、誰かに好影響を もたらすと同時に別の誰かに悪影響を与える。この重層的な構造を先行研究では論じきれ ていなかったのではないだろうか。そもそも母語教育は必要かという根本的な議論にも実 は決着がついていないのであるが、その対立や葛藤についてはほとんど取り上げられてこ なかった。母語教育の推進に一定の社会的な理解が得られていた時代でも、母語教育を婉 曲的な帰国促進策と位置づける見解から、対等な関係を構築するための相互的な文化的ア イデンティティ尊重の一手段とする理解まで、その内実には幅があった。反対に昨今高ま ってきたのが母語教育は不要とする声であるが、その根拠は、ドイツ語習得を優先させる べきである、私的事項なので行政が関与する必要はない、社会の分離を促進する、母語教 育の実践は人的条件から考えて不可能である、等々さまざまである。移民背景を持つ者の 割合が上昇した結果、学校における言語的環境は、言語数という点で量的に、言語習得の 形態という点で質的に、ますます多様性が高まっている。そこでは、母語教育は是か非か といった単純な綱の引き合いではなく、どのような状況にはどのような母語教育が相応か つ可能であるかという細やかな議論が求められる。この認識に基づき、ドイツにおけるさ まざまな母語教育実践について、それを実現した環境条件やその応用可能性を含めて検討 しているのが、本研究の独自性であると考える。そのために、異なる時代状況における実 践、複数の州での実践を対比させ、研究者、教師や校長、親、児童生徒、行政担当者と立 場の違う人々それぞれの視点を通して母語教育を多面的に捉えるよう努力した。 さて、ここまで教育学の研究者による諸研究の分析と本研究の独自性について論じてき たのであるが、研究対象を同じくする論考が言語学の研究者、特に日本でドイツ語教育に 携わっている研究者によってもなされている。それについて、次で見ていくことにしたい。 杉谷眞佐子・高橋秀彰・伊東啓太郎「EU における『多言語・多文化』主義」(2005)23は、 ドイツを中心とする欧州の外国語教育を考察の対象とし、「複数言語主義」24、「内容指向 の外国語教育」に昨今の特徴を見ている。欧州評議会やEU の言語教育政策を扱っている 点で参考になったが、二言語教育で論じられているのは、「多数派言語(公用語)使用者を 対象に」(p.40)した方式についてのみであり、そこで考察の対象から外された二言語教育の 方式、すなわち「多民族国家で主として少数言語集団に所属する児童を対象に、母語(少 いく必要があると述べていた」(梁井2004、p. 62)。 23 杉谷眞佐子・高橋秀彰・伊東啓太郎(2005)「EU における『多言語・多文化』主義―複 数言語教育の観点から言語と文化の統合教育の可能性をさぐる―」『外国語教育研究』第 10 号、pp. 35-65 24 同論文では、“Plurilingualismus”の訳語として、この「複数言語主義」、さらに「複数外 国語主義」が用いられている。本論文では、複言語主義という訳語を当てている。

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14 数言語、地域言語、第2 公用語など)と(第 1)公用語(多くの場合は第 2 言語に該当す る)を使用し教科目の学習を進める方法」(同上)に関心を向けているのが本研究である。 藤原三枝子「ドイツ語を出身言語としない子どもたち」(2005)は、「ドイツおよびベル リン州における移民児童生徒を取り巻く環境と問題点を整理し、彼らの第2 言語としての ドイツ語および母語能力養成のためにベルリン州が行っている施策を考察する」(p.98)も のである。これらの研究は、ドイツ語を母語としない子どものために特別に用意される教 育についての調査であり、本論文では、それらの特別な教育が学校教育全体から見た場合 にどのような効果と課題を有しているかについて検討している。 d. ヨーロッパレベルでの教育政策 ヨーロッパレベルでの教育政策は、ヨーロッパの文化的な関係性の強化を目的とする方 向と共通職業訓練政策などに代表される経済的な効率化を企図する方向の2 つから説明さ れる。これまでの国内での研究は、それらがほぼ別個に扱われてきた。 木戸(2001)25は、日本でのヨーロッパ教育研究における分析の視点を次のように分類 している。 ①職業訓練政策からのアプローチ ②エラスムス計画など教育政策に焦点をあてたアプローチ ③多文化社会と異文化間教育という視点からのアプローチ ④国際関係論の視点からのアプローチ ⑤国際社会学の視点からのアプローチ ⑥「ヨーロッパ次元」、「ヨーロッパ市民権」に着目したアプローチ これに則って、先行研究を見ていくことにしよう。 ①職業訓練政策からのアプローチ 寺田(1991)26、山本(2004)27など、研究論文が多く出されている。 ②エラスムス計画など教育政策に焦点をあてたアプローチ 菅原(1997)は28、1980 年代後半から次々と出された EC/ EU のプログラムを整理し、 EU の教育政策の骨格を示した。 ⑥「ヨーロッパ次元」、「ヨーロッパ市民権」に着目したアプローチ 柿内・園山(1998)29は、多次元なアイデンティティの一つとしてヨーロッパ的次元を とらえ、その政策史とスコットランドにおける解釈を論じている。久野(2004)30は、ヨ 25 木戸裕(2001)「EU 統合とヨーロッパ教育の課題」『比較教育学研究』第27 号、pp. 68-79 26 寺田盛紀(1991)「EC 共通職業教育訓練政策における調和化論と多様化論――ドイツの 対応を中心にして――」『比較教育学研究』第17 号、pp. 101-110 27 山本直(2004)「教育・職業訓練政策と文化政策」辰巳浅嗣編著『EU 欧州統合の現在』 (17 章部分)創元社、pp. 156-165 28 菅原恵美子(1997)「EU の教育政策―教育と職業訓練の行動計画」『時の法令』通号1552、 pp. 51-59 29 柿内真紀・園山大祐(1998)「EU の教育におけるヨーロピアン・ディメンジョンの形成 過程とその解釈について――スコットランドの事例を中心に――」『比較教育学研究』pp. 119-137 30 久野弘幸(2004)『ヨーロッパ教育 歴史と展望』玉川大学出版部

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15 ーロッパ・アイデンティティの形成を目的とする教育を「ヨーロッパ教育」とよび、その 形成の経緯について論じている。そして、そのヨーロッパ教育が各国でどのように受容さ れているかについて、イギリス、フランス、オランダについてはカリキュラム面から、ド イツについては実践面も合わせて総合的に検討している。 また、上述のいずれかに分類するのが難しい包括的な研究書として、坂本(2004)31が ある。これは著者の30 年にわたる EC/ EU の教育政策に関する研究が学位論文としてまと められたもので、EC/ EU の教育政策全般の発展過程が総括されている。 以上で見たように、ヨーロッパレベルでの教育政策に関する研究は国内でも活発に進め られてきたが、本論文に最も関係の深い分野、すなわち単一市場形成という目的から間接 的に生じた移住労働者の子どもの教育問題については、EC/ EU の教育政策一般を論じたな かで留意点として言及する場合や異文化間教育の法的根拠として紹介する場合などにとど まり、移民の子どもの教育に関する理事会指令(1977 年)などが出るに至った政治的な背 景や連続性などについては、教育学、法学、政治学などいずれの分野においても議論は乏 しい32。よって、これについては欧文文献を参照した。 (2)欧文文献 a. 異文化間教育 ドイツでは、異文化間教育に関してすでに夥しい数の学術論文、専門書、一般書が刊行 されている。それらの執筆者の専門領域は、教育学、心理学、社会学、法学とさまざまで あり、異文化間教育に対して独自のアプローチがとられている。雑誌論文等については、 第2 章(2-2 研究の対象および理論の推移)で異文化間教育の理論的発展を再び取り上げ ることになるので、ここでは書籍を中心にドイツにおける異文化間教育研究の成果につい て分析することにしたい。 まず、異文化間教育を総括的に論じた概論書としては、アウエルンハイマー『異文化間 教育入門』(1990、1995、2003)33、ニーケ『異文化間教育』(1995、2000)34、ラトケ/デ ィーム『移民と教育―概論』(1999)35、ゴゴリン/クリューガー・ポトラッツ『異文化間 教育入門』(2006)36等が知られている。これらはいずれも、主として外国人労働者の子ど もに対する教育を端緒とする諸問題に対して、理解すべき背景や考察の視点を提供するも 31 坂本昭(2004)『ヨーロッパ連合の教育・訓練政策―EC 市民育成の展開―』中川書店 32 坂本(1979)(2004)は委員会提案に言及しているが、理事会指令に関する考察はない。 坂本昭(1979)「ヨーロッパ共同体における外国人子弟の教育政策――委員会提案の分析を 中心として――」福岡大学研究所『福岡大学人文論叢』第11 巻第 2 号、pp.261-285

33 Auernheimer, Georg (1990, 1995, 2003): Einführung in die Interkulturelle Erziehung.

Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft.

34 Nieke, Wolfgang (1995, 2000): Interkulturelle Erziehung und Bildung. Wertorientierungen im

Alltag. Opladen: Leske + Budrich.

35 Radtke, Frank-Olaf/ Diehm, Isabell (1999): Migration und Erziehung – eine Einführung.

Suttgart u.a.: Kohlhammer.

36 Gogolin, Ingrid/ Krüger-Potratz, Marianne (2006): Einführung in die Interkulturelle Pädagogik.

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16 のである。アウエルンハイマー(2003)は、異文化間教育をめぐるそれまでの研究成果を 整理し、「多文化社会」や「エスノセントリズム」(自民族中心主義)といった論理的基礎 となる概念について述べ、異文化間教育という構想を示している。ゴゴリン/クリューガ ー・ポトラッツ(2006)もこれまでの学術的展開と主要論点を解説する。そこでは、異文 化間教育研究の主たる研究領域として次の5 つが挙げられている。 ①教育史的研究(Bildungsgeschichtliche Forschung)

②比較教育学研究(International und interkulturell vergleichende Forschung) ③異文化間教育学研究(Interkulturelle Bildungsforschung)

④異文化間学校教育研究(Interkulturelle Schul- und Unterrichtsforschung)

⑤異文化間教育学における言語関連研究(Sprachbezogene Forschung in der Interkulturellen Pädagogik) これに準じる形で、以下に先行研究を分類しながら整理していくことにしたい。しかし ながら、当然に2 つ以上の分野に該当する研究もある。それらについては、煩雑化を回避 するために、その力点が置かれていると判断される分野に入れている。 まず、「①教育史的研究」では、20 世紀後半の外国人労働者等の流入がしばしば未曽有 の経験として語られることに対し、それ以前のドイツへの移民という史実を以て反証する。 さらに、そのような過去に対する歴史認識の欠如に、移民への配慮をいかに軽視してきた かという批判を加える。そして、その根源にあるのは、19 世紀の国民国家成立期のナショ ナリズムであることを歴史的に検証している。この分野の代表的論者としては、前出のク リューガー・ポトラッツが挙げられ、「国民国家的教育政策が伸ばした手:ワイマール共和 国における国民教育政策の要素」(1994)37などの研究がある。 「②比較教育学研究」では、同様の状況下にある他国との比較を通じて、教育的対応の 独自性と相違性を探ってきた。例えば、ゴモラ『移民社会における学校改善』(2005)38は、 移民児童生徒を受け入れる学校の体制や特別プログラムについて、学校調査も事例として 含めながら、ドイツ(ノルトライン・ヴェストファーレン州)、スイス(チューリッヒ州)、 イングランドの比較を行ったものである。 「③異文化間教育学研究」とは、移民児童生徒の教育問題を教育学的に調査、分析、考 察する分野を表している。指標として多く用いられるのは、学業達成を測る修了証取得率 や近年では国際的な学力調査である。それらにその他さまざまな指標(就学前教育機関へ の通園率や親の学歴等)を組み合わせて現状を分析する。あるいは、構造的問題、個別的 問題を解明してその課題を浮き彫りにするといった論究である。プレンゲル『多様性の教 育学』(1993、1995)39は、「平等と差異」(Gleichheit und Verschiedenheit)についての論理的 整理を基に、異文化間教育、フェミニズム教育、統合教育の三者の共通性と独自性を探っ ている。

37 Krüger-Potratz, Marianne (1994): Der verlängerte Arm nationalstaatlicher Bildungspolitik:

Elemente völkischer Bildungspolitik in der Weimarer Republik. In: Gogolin, Ingrid (Hrsg.): Das nationale Selbstverständnis der Bildung. Münster/ New York: Waxmann, S.81-102

38 Gomolla, Mechtild (2005): Schulentwicklung in der Einwanderungsgesellschaft. Strategien

gegen institutionelle Diskriminierung in England, Deutschland und in der Schweiz. New York/ München/ Berlin: Waxmann.

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17 「④異文化間学校教育研究」は、より実践志向的な研究である。移民児童生徒の教育に 関して、学校や授業が抱える課題を明らかにし、モデルづくりとその検証が行われる。ゴ ゴリンの教授資格取得論文である『多言語的な学校の単一言語的なハビトゥス』(1994)40 では、授業観察を通じて、教師はじめ学校という場所がいかに「単一言語的なハビトゥス」 で満たされているのかを指摘し、その歴史的背景として国民国家成立期の言語観を論じて いる。また、ゴゴリン、ノイマン編『大都市―基礎学校』(1997)41は、より詳細な事例研 究で、ハンブルク市の基礎学校における調査に基づいた論考である。 「⑤異文化間教育における言語関連研究」については、多言語環境にある子どもの言語 習得についての理解、そのような子どもに対する言語診断を含めた適切な言語教育の方向 性について論じられる。ゴゴリン/グラープ/リスト編『多言語性について』(1998)42は、 失語症や手話、教育政策等さまざまな研究対象から多言語性と関連づけられた論考を集め ることで、単一言語的な見解からの脱却を促している。ゴゴリン/クリューガー・ポトラ ッツ/クース/ノイマン/ヴィテック編『移民と言語教育』(2005)43は、ハンス・H・ラ イヒの65 歳の誕生日を祝して刊行されたもので、編者らの序文と 1987 年に掲載されたラ イヒの論文一編、そして20 人の著者によって書かれた 19 本の論文からなる。それら諸論 文で扱われた主題は、「多言語状況にある子どもの言語水準診断」や「家庭での言語使用」 から「言語と国家」まで多岐にわたっている。 以上、先に掲げた異文化間教育研究の代表的な6 分野について先行研究を見てきたが、 ここに付け加えておくべき基礎的研究として、ドイツ各州の比較調査が挙げられよう。ド イツでは、学校教育の政策権限が各州にあるため州ごとに特性がみられるが、異文化間教 育に関する各州の政策や実態を比較した統計や調査は多くない。 移民の子どもの実態や移民教育の現状に関して、現在のドイツ連邦共和国すべての州に わたって行われた調査・分析としては、まず、ゴゴリン/ノイマン/ロイター編『ドイツ における少数派の子どもの学校教育 1989‐1999 年』(2001)44がある。同書では、少数派 の子どもに関わる学校教育体制が州ごとに整理されている。この際、少数派の子どもとは 移民の子どもだけでなくアウスジードラーや旧来の少数派をも対象に含んでいる。調査の 基準は、次の7 項目に設定された。①どのような規定・措置が定められているか②それら の規定・措置はどのような受け手に向けられているか③どのような組織形態においてそれ らの規定・措置の実現が予定されているか④学校教育の過程において規定・措置にどのよ うな価値を置いているか⑤どのようなカリキュラムが出されているか、あるいは指導要領

40 Gogolin, Ingrid (1994): Der monolinguale Habitus der multilingualen Schule. Münster/ New

York: Waxmann

41 Gogolin, Ingrid/ Neumann, Ursula (1997): Großstadt-Grundschule. Eine Fallstudie über

sprachliche und kulturelle Pluralität als Bedingung der Grundschularbeit, Münster/ New York/ München/ Berlin: Waxmann

42 Gogolin. Ingrid/ Graap, Sabine/ List, Günther (1998) (Hg.): Über Mehrsprachigkeit. Tübingen:

Stauffenburg Verlag

43 Gogolin, Ingrid/ Krüger-Potratz, Marianne/ Kuhs, Katharina/ Neumann, Ursula/ Wittek, Fritz

(2005)(Hg.): Migration und Sprachliche Bildung, Münster/ New York/ München/ Berlin: Waxmann

44 Gogolin, Ingrid/ Neumann, Ursula/ Reuter, Lutz (2001) (Hrsg.): Schulbildung für Kinder aus

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18 や教授計画において文化的差異がテーマとされているのか、どのような方法でテーマとさ れているのか⑥どんな教育的職員がそれぞれの課題を引き受けているのか、それらの職員 の特別な課題に向けた学校監督庁による養成教育・研修・継続教育にはどのような機会が 用意されているのか⑦この調査のテーマ分野における革新が各州の学校政策によって計画 されているか、それらは詳細にはどのような計画なのか45。 また、教育学研究ではないが、法学の教授資格取得論文として提出されたランゲンフェ ルト『移住少数者の統合と文化的アイデンティティ』(2001)46は、移住少数者の教育に関 する各州の法的状況について詳述している。

連邦・諸州教育計画・研究助成委員会(Bund-Länder-Kommission für Bildungsplanung und Forschungsförderung, BLK)からは、『移民背景を持つ子ども・青少年の支援』47が出されて いる。これは、ハンブルク大学のゴゴリン教授、ノイマン教授、ロート教授(当時)によ る専門所見として提出されたもので、2004 年 3 月 29 日の BLK 決議「移民背景をもつ人々 への教育的助言の改善に向けた提言」48の礎となった。

最後に、本論文の基軸となっているのは、重点研究プログラム「労働移民の教育的帰結」 (Folgen der Arbeitsmigration für Bildung und Erziehung: FABER)による研究成果とそのメンバ ーによる一連の研究であることに触れておきたい。FABER は、1991 年から 1997 年までド イツ学術振興会(die Deutsche Forschungsgemeinschaft; DFG)によって支援され、22 の研究 に資金が提供された49。この研究の特徴は、さまざまな専門分野から包括的に行われた点 にある。具体的には、教育学はもとより、言語学(ドイツ語学、言語教授法)、心理学、精 神医学、社会学、法学(教育権)という多彩な学問分野によって進められた50。「移民とそ れが社会システムや教育システムへもたらした帰結は、もはや分離された現象ではなく、 過去および現在の転換過程の局面として研究されなければならない」51とされた。 FABER の研究成果としては、資料「労働移民の教育的帰結」(1990)52、ライヒ/メル 45 Ebd., S.8

46 Langenfeld, Christine (2001): Integration und kulturelle Identität zugewanderter Minderheiten.

Eine Untersuchung am Beispiel des allgemeinbildenden Schulwesens in der Bundesrepublik Deutschland. Tübingen: Mohr Siebeck.

47 Bund-Länder-Kommission für Bildungsplanung und Forschungsförderung (2003): Förderung

von Kindern und Jugendlichen mit Migrationshintergrund, Gutachten von Prof. Dr. Ingrid Gogolin (Federführung), Prof. Dr. Ursula Neumann & Prof. Dr. Hans-Joachim Roth, Universität Hamburg, Bonn

48 Vorschläge zur Verbesserung der Bildungsberatung für Personen mit Migrationshintergrund.

Beschluss der BLK vom 29. 3. 2004

49 そこに含まれる研究として、たとえば‘Bildung und Erziehung ethnischer Minderheiten im

Deutschen Reich: Die Minderheitenschulfrage in der Weimarer Republik’(「ドイツ帝国における 民族的少数派の教育:ワイマール共和国の少数派の学校問題」)があり、その成果は Krüger-Potratz, Jasper & Knabe (1998)に見ることができる。

50 Gogolin, Ingrid/ Nauck, Bernhard (2000): Migration, gesellschaftliche Differenzierung und

Bildung. Opladen: Leske+Budrich, S.9

51 Gogolin, Ingrid/ Nauck, Bernhard (2000), S.16

52 FABER (1990): Folgen der Arbeitsmigration für Bildung und Erziehung. In: Deutsch lernen

(19)

19 ケンス「労働移民の教育的帰結」(1993)53が挙げられる。さらに、ゴゴリン/ナウック編 『移民、社会分化、教育』(2000)54はその最終成果物と呼べるもので、FABER がその活 動を終える1997 年に開催したシンポジウムで寄せられた見解をふまえ、加筆修正が施され た研究成果が掲載されている。 FABER では、次の 6 つが命題(These)として掲げられた55。 1:移住によってもたらされた社会的前提の変化は、単に移民の文化的飛び地に関するもの ではなく、社会全体の文化的状況に関するものである。 2:移住プロセスへの対応は、教育制度における成績の良し悪しで特に顕著に認識される。 3:労働移動への対応は、社会的前提の変化に対する教育制度の適応能力を例示する意味を 持つ。ここでは文化的区別のプロセスと社会的区別のプロセスとが同時に起こるからであ る。 4:移住によって、教育制度の国民国家定自己理解に基づく制度/慣習が問題となっている。 5:移住の帰結によってもたらされた教育制度の挑戦は一国の問題ではない。国の教育制度 を超えて統一性を持つ問題の関連なのである。 6:教育政策の行為領域を地理的にも社会文化的にも新しく定義することが不可欠である。 教育政策や教育計画は、社会の文化的多元化を考慮にいれ、平等原則を侵すことなく、中 期的な統合戦略を開発するという課題に直面している。目的は、少数派の子どもと多数派 の子どもの双方が自文化を育み、他文化とコミュニケーションを図り、文化的にさらに分 化の進む生活世界で、自分自身の判断によって行動できるようにすることでなければなら ない。 これを見てわかるように、移民の増加という社会変化が、教育に関する理論、政策、実 践にどのような影響を及ぼし、どのような変革を要求しているかについての認識の共有化 が目指されている。本研究で移民児童生徒の言語教育の展開を分析するに際して、このよ うな理論的基盤を確認することは必須であり、これら一連の研究から得た示唆は非常に大 きい。しかし、それらの主張の中に本研究が包含されることのないよう、独自の視点から の考察を意識した。それは、和文文献に関する先行研究分析で述べた内容と一部重なるが、 理論的な判断に実際の政策や実践における判断が近づくことは少なく、立論にあたっては、 多様な人々のさまざまな意見を前提し、それらを調整するべきであるという極めて現実的 な視点である。あるべき(と考えられる)教育へ進まない理由は何か、あるいはどのよう な条件下では成功例が生まれているのかという関心を持って考察した点に、本研究の独自 性があると考える。 b. 移民の言語教育 ここからは、特に母語/出自言語授業など移民の言語教育を主題とする文献をみていく

53 Reich, Hans H./ Merkens, Hans (1993): Folgen der Arbeitsmigration für Bildung und Erziehung.

In: Unterrichtswissenschaft. 21Jg. Heft 2, S. 100-105

54 Gogolin/ Nauck (2000) 55 FABER (1990), S. 79-81.

(20)

20 ことにしよう。この領域の第一人者であるライヒによる論文(共同執筆を含む)には、「母 語授業のための基本考察」(1992)56、「 外国語の代わりの 出自言語――イギリス・フラ ンス・(西)ドイツの比較」(1994)57、「ドイツ連邦共和国における母語補完授業の量的発 展」(1995)58、「出自言語授業」(1998)59、「出自言語授業の反対者とその論拠」(2000)60 などがある。ライヒの研究は、各州間の比較や欧州国家間の比較を通じて、母語教育に対 する配慮(あるいは軽視)の程度を明確にするものであった。 ドイツにおける移民の言語教育の専門誌としては、『ドイツ語学習』Deutsch lernen があ る。特に母語授業に関しては、1983 年の第 4 巻で「学校における外国人労働者の子どもの ための母語授業」という特集が組まれている。 以上のように、先行研究の多くは、各国比較、各州比較などの地域別の比較ないしは歴 史的比較という比較研究や、観察調査に基づく研究、あるいは社会学や心理学による現況 分析であった。これに対し、本研究は時間軸を中心に据え、社会(認識)の変化、異文化 間教育理論の展開、移民の言語教育に関する政策の変遷、という三者を一つの時系列上で 捉える試みである。時間の流れを強く意識することによって、学校の現状や教育研究の理 論がどの程度まで教育政策に反映されてきたか、あるいは反映されずにきたかが一層明確 になる。 この目的のために事例としたのが、ヘッセン州における移民の言語教育政策の変遷であ る。言語教育の政策研究は先例が少ないが、本論文で試みる言語教育政策史研究は、ドイ ツにおいても取り組まれていないと見られる。 c. EC/EU における教育政策 Wittek (1982)611977 年の EC 理事会指令から外国人教育政策について考察している。 De Witte (1989)62は欧州共同体の域内労働者とその家族の教育への権利について、それまで に出された EC 規則や欧州司法裁判所の判決などから発展の経緯を追っている。Cullen (1996)63は、移民の子どもの教育に関連するEC 法を分析し、内国民と同等の教育を受ける

56 Reich, Hans H. (1992): Grundsatzüberlegungen zum Muttersprachlichen Unterricht. In: Deutsch

lernen, 1/1992, S. 77-84

57 Reich, Hans H.(1994): Herkunftssprachen “anstelle einer Fremdsprache”. Ein Vergleich

zwischen England, Frankreich und (West-)Deutschland. In: Luchtenberg/ Nieke (Hrsg. ):

Interkulturelle Pädagogik und Europäische Dimension, Münster/ New York: Waxmann, S. 25-38

58 Reich, Hans H./ Pörnbacher, Ulrike (1995): Zur quantitativen Entwicklung des

Muttersprachlichen Ergänzungsunterrichts in der Bundesrepublik Deutschland. In: Deutsch lernen, 2/1995, S.

59 Reich, Hans H./ Hienz de Albentiis, Milena (1998): Der Herkunftssprachenunterricht. Erlaßlage

und statistische Entwicklung in den alten Bundesländern. In: Deutsch lernen 1/1998, S. 3-45

60 Reich, Hans H. (2000): Die Gegner des Herkunftssprachen-Unterrichts und ihre Argumente. In:

Deutsch lernen 2/2000, S. 112-126

61 Fritz Wittek (1982): Eine europäische Dimension von Ausländerbildungspolitik – Zur Richtlinie

der EG vom 25. 7. 1977. In: Recht der Jugend und des Bildungswesens, Heft1/1982, S. 40-50

62 Bruno De Witte (1989): Educational Equality for Community Workers and their Families. In:

Bruno De Witte (ed): European Community Law of Education, pp. 71-79

63 Holly Cullen (1996): From Migrants to Citizens? European Community Policy on Intercultural

Education. In: The British Institute of International and Comparative Law, “International and Comparative Law Quarterly”, Vol. 45/ Part 1, pp. 109-129

参照

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