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アパレル・繊維 ‑‑ 世界が認める基幹産業 (特集  気がつけばバングラデシュ ‑‑ 芽吹く新産業)

著者 山形 辰史

権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名 アジ研ワールド・トレンド

巻 231

ページ 6‑7

発行年 2014‑12

出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL http://doi.org/10.20561/00039937

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アジ研ワールド・トレンド No.231(2015. 1)

バングラデシュを含むベンガル

地域は︑今でこそ洪水や貧困で印

象付けられているが︑長らくイン

ド亜大陸のなかでは先進地域であ

った︒特に︑綿繊維産業の発展が

有名で︑その象徴がダッカ・モス

リンであった︒ダッカ・モスリン

とは︑ダッカで生産される薄手の

綿布を指す︒

一七世紀初めにヨーロッパ諸国

がインドとの交易を始めると︑そ

れまで衣類に毛織物が用いられて いたイギリスに︑ベンガル地域を主産地とするインドの綿製品が流入し︑貿易摩擦を生んだ︒

そのような栄えある繊維産業も︑

徐々に衰退の道をたどっていく

一九七一年にバングラデシュがパ

キスタンから独立した後︑ムジブ

ル・ラフマン率いるアワミ連盟政

権の民族主義的かつ社会主義的方

針により︑基幹産業が国有化され

た︒繊維工場もその対象となった︒

類例に漏れず︑国有化された工場

は︑競争力を持たなかった︒

●貿易摩擦の谷間に咲いた花

︱縫製業︱

糸や 布 を 生産 する繊 維 産 業 の

歴史に比べて︑既製服を生産する

アパレル産業の歴史は新しい︒か

つて衣服は︑糸や布を用いて家庭

で縫い上げるものだった︒第二次

大戦後にはアパレル産業が世界的

に拡 大し

︑ 貿 易 摩 擦 の 種 に もな

っていった︒一九七四年に︑繊維

に加えてアパレルも対象とした多

国 間 繊 維 取 り 決

め︵

Mult i-Fib er  

Arra ng ement: 

MFA︶が発効し︑

当時の主要輸出国にはクォータと

呼ばれる輸出数量上限枠が︑北米

やヨーロッパ諸国から課されていく︒

そのころ韓国は︑当時の主要ア

パレル輸出国のひとつとしてクォ

ータを課されてしまったため︑ク

ォータのかかっていない輸出拠点

を探していた︒まず︑当時の大手

企業グループのひとつであった大

宇が一九七八年に︑バングラデシ

ュのデシュ・ガーメンツ社とのあい

だで技術協力・マーケティング協

定を 結 ん

で︑

約一

〇 人 の デ

シュ

社スタッフが大宇の釜山工場に六

カ月間派遣された︒研修の後︑彼

らがバングラデシュに戻って︑同

社は操業を開始した︒この一三〇 人の多くがデシュ社を退職後に自

分たちの縫製工場を設立し︑後の

バングラデシュ縫製業発展の礎を

築いたといわれている︒また︑も

うひとつの韓国企業のヤングワン・

コーポレーションは︑一九八〇年

に合弁企業としてチッタゴンで輸

出向け生産を始め︑現在でも大規

模な操業を続けている︒

●MFA撤廃の脅威

一九八五年にアメリカとカナダ

がバングラデシュ製のアパレルに

クォータをかけ始めた︒これによ

って韓国企業がバングラデシュに

進出したひとつの理由が失われた︒

クォータの適用によって︑バン

グラデシュ製アパレル輸出が大き

く低下することが懸念された︒し

かしむしろ︑アパレル輸出額は幾

何級数的に増加した︵図1︶︒一方︑

一九九五年には世界貿易機関︵W

TO︶が設立され︑MFAに基づ

くクォータ制度は︑二〇〇五年に

撤廃されることとなった︒

バングラデシュやカンボジア

その他アフリカ諸国を含む低所得

アパレル輸出国にとって︑MFA

撤廃は大きな脅威と捉えられた

本来クォータはアパレル輸出国に

とって輸出上限枠なのであるから︑

国内消費者向けの衣料品販売

(ダッカ、ニュー・マーケットにて筆者撮影:2008 年)

アパレル・繊維

世界が認める基幹産業

  辰

︻第 1 部   豊富な自然・人的資源の活用︼

特  集

気がつけばバングラデシュ

―芽吹く新産業ー

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アジ研ワールド・トレンド No.231(2015. 1)

アパレル・繊維 ―世界が認める基幹産業―

撤廃された方が︑より多くの輸出

が期待できるはずである︒しかし︑

これら諸国にとって強力な競争相

手である中国に課されているクォ

ータも撤廃されることから︑クォ

ータなしの完全自由貿易に移行す

ると︑低所得アパレル輸出国はひ

とたまりもなく︑中国との競争に

敗れ去ってしまうだろうと考えら

れていた︒

●晴れて

﹁世界のアパレル工

場﹂へ二〇〇五年一月一日に︑MFA

によるクォータは撤廃された︒予 想どおり︑年初から中国のアパレル輸出が急増した︒一方︑バングラデシュはカンボジアと共に二〇〇五年前半も︑順調にアパレル輸出を伸ばし︑世界の主要アパレル輸出国としての地位を確立していく︒バングラデシュの二〇一三年のアパレル輸出額は︑EUにおい

て二位︑アメリカにおいて四位で

ある︒●徐々に上昇する賃金

二〇〇五年のMFA撤廃の危機

をバングラデシュ縫製業が無事に

乗り切ったのをみて政府は︑同産

業が高い国際競争力を持っている

ことを確信した︒そこで︑一九九

四年に九三〇タカ︵二〇一四年九

月現在︑一タカは約一・四円︶に

改定されて以降︑据え置かれてい

た最低賃金を︑二〇〇六年に︑一

六六二・五タカに引き上げた︒そ

の後︑二〇一〇年に三〇〇〇タカ︑

二〇一三年には五三〇〇タカにま

で改定されている︒このような急

激な賃金上昇は︑縫製業発展の果

実が徐々に労働者に行きわたって

いることを示すとともに︑競争力

を維持するためには︑低賃金にの

み依存できなくなっていることを

も示唆している︒ ●ラナ・プラザ崩壊とその後

二〇一三年四月︑ダッカ郊外の

シャバール地域で五つの縫製工場

が入居していたラナ・プラザとい

う八階建てビルが崩壊し︑少なく

とも一一三〇人が犠牲になった

同ビルでは︑前日に建物に亀裂が

走るなどの異常がみられたことか

ら︑地方自治体が翌日の操業は控

えるべきことを申し渡した︒にも

かかわらず翌朝︑縫製工場が操業

を開始したところ︑ビルの一部が

崩落した︒同ビルの七︑八階の建

て増しは違法であった︒五つの縫

製工場はいずれも欧米の著名ブラ

ンド向けに生産を行っていた︒

H&M︑インディテックス︵Z

ARAのブランドを所有︶といっ

たヨーロッパ企業は︑国際労働機

関︵ILO︶との連携の下︑自社

がラナ・プラザ入居の工場に注文

を出していなかったにもかかわら

ず︑バングラデシュ縫製工場の安

全環境改善のための資金協力を行

うことを内容とする﹁協定﹂に署

名した︒この﹁協定﹂に裁判での

紛争処理が明記されていることを

懸念して︑GAP︑ウォールマー

ト等のアメリカ企業の多くは﹁協

定﹂に参加せず

︑その代わりに

Alliance  for  Bangladesh  Worker   Safety

という連合を組織した︒現

在は

﹁協定﹂グループと

﹁連合﹂

グループが︑それぞれに︑工場の

建築安全基準検査︑不適格となっ

た工場に勤めている労働者への賃

金補償について議論を進めている︒

●成熟したアパレル供給基地へ

バングラデシュの縫製業は︑世

界の大アパレル供給地としての地

位を確立した︒今後は︑より安全

で人権を重視した供給者に成熟し

ていくことが求められる︒ラナ・

プラザ崩壊以降︑日本政府もOD

Aで︑安全基準検査や作業環境改

善のための技術・資金協力を決定

している︒日本は官民挙げて︑バ

ングラデシュ縫製業の成熟に向け

て︑力を貸す必要がある︒

︵やまがた  たつふみ/アジア経済研究所  国際交流研修室︶

ジーンズ梱包前の最終チェック

(ダッカ輸出加工区の工場で筆者撮影:2008 年)

(出所)Ministry of Finance, Bangladesh Economic Review,  各号。

図 1 バングラデシュの総輸出とアパレル輸出

0 5,000 10,000 15,000 20,000 25,000

(100万米ドル)

総輸出 衣類

1983-84 1984-85 1985-86 1986-87 1987-88 1988-89 1989-90 1990-91 1991-92 1992-93 1993-94 1994-95 1995-96 1996-97 1997-98 1998-99 1999-2000 2000-01 2001-02 2002-03 2003-04 2004-05 2005-06 2006-07 2007-08 2008-09 2009-10 2010-11 2011-12

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