移民児童生徒の言語教育に関する各州のこれまでの施策には共通性と相違性とがある。
母語教育については様々な相違点が確認される。そもそも1970年代に母語教育が制度化さ れた際から一部の州では母語授業の責任主体を州文部省に置き、他の州では出身国領事館 に置いてきたように、その出発点から明確な違いがあった。言語教育研究において望まし いとされたのは州文部省主導の母語授業であったが、それを行う州の一つであったヘッセ ン州は、旧西ドイツ11州で唯一この母語授業を対象児童生徒に対して必修とし、学習指導 要領の策定にも早期に着手するなど積極的な取り組みで知られていた。しかし、1999年に 州政府の政権政党交代による政策転換を受けて、州主導の母語教育が漸次縮小され、いず れは出身国領事館による母語教育へと移行することになった。このような極めて独特な政 策史を経てきたヘッセン州を対象として移民の子どもの言語教育を研究することにより、
政策が実践に与える好悪の影響が浮き彫りとなるはずである。ゆえに、ヘッセン州を事例 として選択した。
以下、論は次のように展開される。はじめに、政策転換時に表出した母語教育をめぐっ ての異なる見解を示し、移民の子どもの言語教育を議論する上で必要となる視点を確認す る(4-1)。次に、ヘッセン州の特色について、人口構成や政治的背景を中心に概観し(4-2)、
ヘッセン州文部省による言語教育政策(特に母語教育政策)を時代順に追う(4-3)。そし て、移民に対する言語教育政策の大きな転換点となった1999年に焦点を当て、各政党の主 張や政策転換に対する反応について州議会議事録や新聞記事等から探り、さまざまな立場 から見たこの政策転換の意味について多角的に描写したい(4-4)。
4-1 ヘッセン州の言語教育政策に対する分析の視点
1999年、ヘッセン州文部省は、それまで正規の必修科目とされていた外国人児童生徒の ための母語授業を教科の枠組みからはずす決定を発表した。そして、時期同じくして移民 児童に対するドイツ語早期教育計画を打ち出したのである。この政策転換について、ヘッ セン州文部省のヴォルフ大臣(Karin Wolff)とハンブルク大学のゴゴリン教授(Prof. Dr.
Ingrid Gogolin)が教育学雑誌『ペダゴーギク』Pädagogik(2000)において、「まずはとに かく正しいドイツ語を学ぶこと」(Zunächst einmal richtig Deutsch lernen)というテーマに対 する賛成、反対の立場をそれぞれ述べている251。
賛成派に与するヴォルフ大臣は、州文部省の主導で母語教育を行う意義が薄れているこ と、州文部省が取り組むべき最重要課題は外国人児童のドイツ語の早期教育であること、
という二つの見解について、以下のように理由づけている252。
母語教育から撤退する説明としては、母語授業が設置された当時と現在では外国人の子
251 Wolff, Karin/ Gogolin, Ingrid (2000): Pädagogik Kontrovers. Thema: Zunächst einmal richtig Deutsch lernen. In: Pädagogik, 7-8, S.80-81.
252 Ebd., S.80.
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どもの将来設計が大きく異なることが挙げられている。「出自言語/母語の授業は、募集さ れたガストアルバイターが数年の職務の後、家族とともに母国へ帰るであろうという仮定 されていた1950、60年代に誕生したものである。外国人の青少年が本国に戻り、その国の 学校に参加する際の負担を軽くしなければならなかった。それで母語による特別な授業が 彼らに用意されたのである」。「ドイツで生まれたその子や孫にとって、親や祖父母の故郷 はもはやドイツよりも遠いものと感じられている。そのような今日、基本的に彼らの人生 設計には帰還ということはもはや出てこない」。そして、そうした状況の変化に鑑みて新た な課題となるのは、外国出自の子どものドイツ社会への統合であるとする。ヴォルフ氏は 続ける。「教育政策の至上目標は青少年を社会に統合することでなければならない。それは、
具体的には学校や職場で成果をあげる機会を改善することである」。このために必要不可欠 なのがドイツ語能力であり、就学年齢に達する前にドイツ語を習得させる方策としてドイ ツ語早期教育が計画されたのである。
ヴォルフ大臣の述べるような見解に基づけば、もはや必要性の下がった母語授業への予 算配分は、ドイツ語早期教育へ回されてしかるべきであることになる。母語授業のための 支出に関して、ヴォルフ大臣は次の数字を挙げている。
「昨年度(1998/99年度;筆者注)は、普通教育の第1〜10学年に在籍する約47,500人 の生徒(約63%)がこの授業に参加した。州の負担は約3,870万ドイツマルク(当時の為 替レートで約27億円)であった」。
これだけの経済的負担は、より重要度の高いドイツ語教育に向けた方が有効であろうと いうことである。
他方、反対派の立場をとるゴゴリン教授の論旨は、二言語環境に育つ子どもには二言語 を教授する方が適切で、母語授業を廃止してドイツ語授業に集中させる理論的根拠はない というものである253。追加的に行われる家庭語(Familiensprache)の授業がドイツ語学習に不 利益となると見なす研究成果が認められていないこと、二言語に育つ子どもはそれらを読 み書きできて初めて自らの言語的潜在能力を開花できたといえること、教育環境に恵まれ ない子どもにとってその教育は学校が担うべきものであること、「まずは正しいドイツ語」
ではなく、両方の言語の授業が二言語をより早く、よりよく習得させられるということ等 の主張から、ヘッセン州の政策転換に対して異議を唱えている。
はたしてヘッセン州の母語授業は、ヴォルフ大臣の言うように、ただ母国への帰還の準 備という役割だけを担ってきたのだろうか。たとえ導入当初の主眼はそこに置かれていた としても、その後、実際に学校教育のなかで展開される過程において、教育学および教育 行政の両側面から新たな意味を付与されてきたのではないだろうか。この仮定に対する裏 づけ(ないしは反証)のため、約30年にわたって行われてきたヘッセン州文部省による母 語授業の歴史をたどることにしたい。
253 Ebd., S.81
141 4-2 ヘッセン州に関する基本的資料
4-2-1 ヘッセン州の特徴
ヘッセン州はドイツ中部に位置し、ヴィースバーデンWiesbadenを州都とする人口約600 万人の州である。ヘッセン州最大の都市であるフランクフルトは、欧州中央銀行、ドイツ 連邦銀行、フランクフルト証券取引所を擁し、ドイツのみならずヨーロッパの金融の中心 となっている。
外国人人口に関しては、ドイツ連邦共和国全16州のなかで絶対数にすれば4番目に多く、
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割合にすれば5番目に高い254。ここで外国人人口割合の高い上位3州(ハンブルク、ベル リン、ブレーメン)はいずれも都市州であるので、それらを除外すればバーデン・ヴュル テンベルク州に次いで2番目となる。
ヘッセン州は、1946年来、第12被選期間(1987‐1991年)にキリスト教民主同盟(CDU)
が政権与党となったのを除いて常に社会民主党(SPD)主導の州であったが、第15被選期 間(1999‐2003)以降はCDUが政権の座についている。政権が交代したこの1999年の選 挙の際に最大の争点となったのが移民の統合問題であり、さらに教育問題はSPDとCDU の方向性の相違が鮮明になる政策課題であることから、移民に関する州の教育政策は1999 年を境に大きく転回した。教育政策の転換については後節に譲り、ここでは近年(第 15 被選期間以降)の移民の統合に関する政治的動向を整理することにしたい。
2000年3月28日に「ヘッセン州政府統合政策大綱」(Leitlinien der Integrationspolitik der
Hessischen Landesregierung)が閣議決定され、統合政策の基本方針が明文化された255。この
大綱には、「尊敬、寛容、共同のなかで―統合への道に立つヘッセン」“In Achtung, Toleranz und Miteinander – Hessen auf dem Weg zur Integration”という副題が添えられている。同年4 月には、州政府によって統合審議会(Integrationsbeirat der hessischen Landesregierung)が設置 された。
2002年には、ヘッセン州社会省の委託を受けたヘッセン州研究・開発会社により『ヘッ セン移民レポート2002』Migrationsreport Hessen 2002が刊行されている。
首相のローランド・コッホ(Roland Koch)、文部大臣のカーリン・ヴォルフ(Karin Wolff) らからなる州政府は2003年から2期目に入ったが、1期目の統合政策の内容と成果につい て州社会省から『ヘッセン州政府統合報告』256が刊行されている。2008年4月5日に発足 した暫定コッホ内閣(第Ⅱa 期)では、文部大臣と内閣副首相を兼務していたヴォルフが
254 ドイツ各州における外国人数(2005年12月31日現在)
州 人口数
ドイツ全体の人 口に占める州の 人口の割合
外国人数 州の人口に占め る外国人の割合 バーデン・ヴュルテンベルク 10,735,701 13.02% 1,277,968 11.90%
バイエルン 12,468,726 15.12% 1,179,737 9.46%
ベルリン 3,395,189 4.12% 466,518 13.74%
ブランデンブルク 2,559,483 3.10% 67,029 2.62%
ブレーメン 663,467 0.80% 84,588 12.75%
ハンブルク 1,743,627 2.12% 247,912 14.22%
ヘッセン 6,092,354 7.39% 697,218 11.44%
メークレンブルク・フォーアポンメルン 1,707,266 2.07% 39,394 2.31%
ニーダーザクセン 7,993,946 9.70% 534,001 6.68%
ノルトライン・ヴェストファーレン 18,058,105 21.91% 1,927,383 10.67%
ラインラント・プファルツ 4,058,843 4.92% 312,926 7.71%
ザールラント 1,050,293 1.27% 87,627 8.34%
ザクセン 4,273,754 5.18% 119,786 2.80%
ザクセン・アンハルト 2,469,716 3.00% 46,723 1.89%
シュレースヴィヒ・ホルシュタイン 2,832,950 3.44% 152,566 5.39%
チューリンゲン 2,334,575 2.83% 47,773 2.05%
全ドイツ 82,437,995 100.00% 7,289,149 8.84%
出典:丸尾(2007a)、p. 17
255 Beschluss des Kabinetts vom 28. März 2000
256 Hessisches Sozialministerium: Integrationsbericht der Hessischen Landesregierung