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ヘッセン州における言語教育実践の展開

ドキュメント内 untitled (ページ 178-200)

  前章では、ヘッセン州における移民児童生徒に対する言語教育政策を時代順に追うこと により、社会状況の変化に対する政策的対応の変遷を捉えてきた。本章では、その言語教 育の実践によって政策意図がどのように具現化したか(あるいはしなかったか)について、

また実践を通じて指摘されるようになった政策上の不備について論述したい。本章は以下 のように構成される。

  はじめに、母語教育実践の展開を追い、それぞれの時代における母語授業の運用状況と 課題とを当時の報告書等から探る(5-1)。1999年の政策転換以降の出自言語授業の実施状 況については別に1節を設けて論じ、州主導の出自言語授業が漸次縮小されることによる 実際の影響について考察する(5-2)。次に、ドイツ語教育の実践について、1999年以降の ドイツ語支援策の実施状況を中心に整理する(5-3)。多言語教育研究においては、各言語 の教育を独立に捉えるのではなく、相互の影響や子どもの言語能力の総合的な発達に配慮 して、複数の言語教育を総体として把握し授業を編成する視点が肝要である。そこで、多 言語教育の展開について、ヘッセン州における多言語教育の制度上の構成、いずれもフラ ンクフルトで始められた移民児童生徒の多言語教育に関する2つのプロジェクトについて 述べる(5-4)。最後に、母語授業やドイツ語支援授業の観察記録を実践事例に挙げ、関係 者への聞き取り調査を含めて多言語教育の実態に迫りたい(5-5)。

5-1  母語教育の展開

  ヘッセン州では、ギリシャ語、イタリア語、セルボ・クロアチア語、アラビア語、ポル トガル語、スペイン語、トルコ語について州主導による母語授業が行われてきた。ヘッセ ン州文部省の発表によれば、母語授業への参加児童生徒数は次のように推移している。

179 表:出自言語授業のコースに在籍する外国人児童生徒

年度 コース数 児童生徒数 1970/71 1,674 1971/72 191 3,046 1972/73 234 3,660 1973/74 342 5,544 1974/75 533 7,761 1975/76 577 9,461 1976/77 677 10,703 1977/78 722 10,741 1978/79 917 13,990 1979/80 1,183 18,001 1980/81 1,249 19,453 1981/82 1,439 21,835 1982/83 1,716 24,762 1983/84 2,212 29,648 1984/85 2,564 32,099 1985/86 2,914 39,727 1986/87 3,162 41,331

1987/88 3,529 42,370 1988/89 3,839 44,624 1989/90 3,959 45,883 1990/91 4,061 45,587 1991/92 4,102 45,482 1992/93 4,152 44,117 1993/94 4,169 45,379 1994/95 4,227 47,275 1995/96 4,227 47,275 1996/97 4,151 48,930 1997/98 4,242 49,120 1998/99 4,088 47,507 1999/00 3,851 45,003 2000/01 3,568 40,465 2001/02 3,281 35,998 2002/03 3,063 32,349 2003/04 3,010 30,974 2004/05 2,832 29,655 出典:Hessisches Kultusministerium (2000): Bildungspolitik in Zahlen. Daten aus dem Schulbereich 2000, S.91、およびヘッセン州文部省HP “Bildungspolitik in Zahlen” 6.4 Ausländische Schüler in Kurse für herkunftssprachlichen Unterricht 1971/72 bis 2004/2005)

5-1-1  報告書等に見る母語教育の運営実態および問題点(1970 - 90年代)

  ここでは、母語教育の運営の実態を報告書等から探ることにしたい。主要文献は、1970 年代の母語授業の実際に関してはギーセン大学研究プロジェクト報告(1982)、1980 年代 については文部大臣報告(1987)、欧州教員養成連盟の報告書(1990)、教員組合の研究大 会報告(1992)、1990年代については新聞記事を中心に据えている。

ギーセン大学研究プロジェクト報告(1982)に見る母語教育の意義と課題

  ヘッセン州中部の都市ギーセンにあるギーセン大学(Justus-Liebig-Universität)において

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1980年から 81年にかけて行われた研究プロジェクトの報告書に、ヘッセン州の当時の母 語教育がどのように行われていたかを窺うことにしよう。この報告書は『ヘッセン州の外 国人児童生徒』„Ausländische Schüler in Hessen”という表題で、外国人児童生徒の地域別分 布や出身国別割合などの一覧から中途入学の外国人児童生徒に対する学校の教育的配慮に 関するものまで、種々のデータや聞き取り調査をもとにまとめられたものである。母語教 育については、I. ヴァイスマン(Ingrid Weißmann)が担当している304

  その書き出しは、「母語の授業(第一外国語の代わりの母語)の意義と課題、授業の言語 としての母語」という見出し語に続いて、「外国人生徒は多くの点に関して、ドイツ人生徒 よりも多くの困難を負っている。連邦共和国で彼らの置かれた特別な状況を彼らが克服す る手助けとなる一つの可能性が母語の授業である。子どもが家庭で用いるコミュニケーシ ョン言語が学校での授業の言語と異なる限り、母語の提供は維持されるべきであって、特 に故国へ帰る可能性が排除されるべきでないという理由によるものである」(S.24)。とな っている。そして、1976年4月8日付の文部大臣会議協定、1977年7月25日付のEG大 綱、1978年3月20日付のヘッセン州政令に、「外国人生徒が連邦共和国での生活に対する と同時に故国への帰還に対して準備する」(同上)という二重の課題を確認している。そし て、ドイツへの社会的編入のための努力はドイツ語の習得にあり、一方、言語的・文化的 アイデンティティを保持するために母語の知識が維持、促進されるべきであるとする。し かし、この二つを独立した別個の方向性として捉えられているわけではない。母語の授業 がドイツへの社会的編入にも貢献すると認識されているのである。具体的には、まず外国 人の子どもが最初に接する言語(母語)を通じて家庭での関係が築かれるなかで「認知的、

感情的に発達」することが言及され、それゆえに母語の授業は、①ドイツ社会への統合、

②故国への再統合、③外国人児童生徒の負担の軽減という3つの側面をもつと指摘されて いる。この3点に関して、母語の授業がどのような役割を果たすかについて、同報告書の 記述から以下に見ていくことにしよう。

①ドイツ社会への統合

  外国人の子どもがドイツの学校に入ることは、「異なる社会環境への取り組み」(S. 25) である。このような子どもの適応、統合のために母語授業が次の2点で有益であるとする。

―母語授業は、通常授業では社会文化的、言語的な相違のために手にすることができない 感情的な支援を児童生徒に与える。

―母語授業は、親密で文化的な関係を保持する。母語の縮小は、家族とのコミュニケーシ ョン能力を低下させ、出身国の文化に対する距離を生み出す。

  著者であるヴァイスマンは、このような母語授業の役割から考えれば、1978年政令から 第2学年で開始されてきた母語授業は第1学年から行われるべきであると主張している。

304 Weißmann, I., (1982): Muttersprachlicher Unterricht für ausländische Schüler. In: Universität Gießen(Verfassungsangaben): Ausländische Schüler in Hessen. Kurzfassung. Forschungsprojekt an der Justus-Liebig-Universität Gießen zur Bildungssituation der Kinder ausländischer Arbeitnehmer.

1980-81. S.24-33.

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また、途中編入者に対しては、言語の問題で理解できなかった授業科目の内容を母語授業 で見直すことも可能であるとしている。

②故国への再統合

  この報告書がまとめられた1980年代初頭は、一方で外国人の滞在長期化という事実(当 時、外国人の38%が10年以上の滞在)があり、他方で連邦政府の帰国促進政策が打ち出 されていた。よって、帰国の見通しについては判断が難しい状況にあった。著者はその点 を指摘したうえで、母語授業が再統合に寄与するという実効性に対して批判的である。そ の理由は、最大週6時限の母語授業では出身国で必要な内容を満たしえないこと、また、

母語授業は一義的に受入国での児童生徒の状況をもとに決定されていることであった。そ して、故国への再統合という教育課題は、送り出し国の側が担うものであって、受け入れ 国はそれを支援するに過ぎないとするのが著者の考えであった。

③外国人児童生徒の負担の軽減

「母語授業は、形式的には量的負担をともなう追加科目であるが、ある条件の下では質的 に多大な軽減となりうる。母語授業が、カリキュラムの構想において連邦共和国における 児童生徒の特殊な状況を顧慮するならば、である。具体的には、教授法や方法論での原理 をほかの科目の授業と広く調和させること、言語の連携によって学習を支援するためにほ かの科目の内容に基づいて方針を決めること、児童生徒が生活する二文化状況を母語の力 を借りて消化する可能性を提供すること」(S. 25)

  さて、1978年の政令では、母語授業と並んで母語による授業に関する記述があった。授 業言語がドイツ語でなく、参加児童生徒の母語である場合をさしているが、これに対して 著者は否定的な見解を述べている。「母語で行われる授業が、これまで学校の状況をはるか によくしてきたとはいえない。多くの場合、生徒は十分にドイツ語を習得せず、ドイツの 学校修了証を獲得していない。ゆえに、母語による授業を長期的な措置と考えるべきでは ない」(S. 26)。

教員組合の改革案(1980年)

1980年、ヘッセン州の教員雑誌“Hessische Lehrerzeitung”は、「ヘッセン州における外国人 の子どもの就学に関する構想」(Konzept für die Beschulung ausländischer Kinder in Hessen)と いう題目で、教員組合の一つであるGEW(Gewerkschaft Erziehung und Wissenschaft: 教育研 究労働組合)のヘッセン州連盟が発表した改革案を紹介した305。そこでは、教員の加配、

アドバイザー制度の活用、教員養成の改善等が論じられているが、本研究において重要な 母語授業に関する指摘についてのみ、以下に示す。

母語授業は、「母語や故郷の文化に対する児童生徒の権利として規定されるべきで、再統 合を目的として規定されるべきではない」と冒頭で言明されている。母語授業が午後に行

305 Claudia Schulmerich/ Doris Diamant “Konzept für die Beschulung ausländischer Kinder in Hessen” In: Hessische Lehrerzeitung, 33 (1980)4, S.10f.

ドキュメント内 untitled (ページ 178-200)