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咬合高径の生理的意義

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〔総説〕松本歯学30:117∼128,2004

        key words :咬合高径一筋紡錘一咀噌カー咬合感覚一Comfortable Zene

咬合高径の生理的意義

森本俊文

松本歯科大学 総合歯科医学研究所 顎口腔機能制御学部門

Physiological significance of occlusal vertical dimension

TOSHIFUMI MORIMOTO

Division of Orα1 and Mαxillofaciαi BiologOr, ln$tituteノ’or・Orα1・Science, Mαtsumoto Dentα1 University

Summary

 Occlusal vertical dimension, the distance between the mandible and maxilla, is consid− ered to be the main factor in the determination of an indiVidual’s ability to effectively per− ‘ form oral fUnctions such as mastication, speaking, and swallowing. The present paper first describes the physiological significance of determining an occlusal vertical dimension ap− propriate f()r each patient, utilizing the subject’s occlusal sensation. Secondly, the physi− ological mechanism producing occlusal sensation and its relation to masticatory f()rce con− trol are dis㎝・ssed, depending on the behavior of muscle spindles in the jaw−closing mus− cles. Raising or reducing the occlusal vertical dimension alters the l飽gth of jaw−closing muscles, resulting in changing the sensitivity of the muscle spindles. The higher brain must always be required to compensate f()r such change in spindle sensitivity to perfbrm mastica− tion smoothly, which may fatigue the brain and cause neurological symptoms associated wi七h malocclusion. The occlusal ve就ical dilnension should not aTbitra亘1y be changed, ex− ceeding the physiological range for the indiVidval patient to feel comfor七able. 1.はじめに  補綴,保存,矯正,小児歯科,ロ腔外科などほ とんどあらゆる歯科医療の場で,咬合の回復,咬 合の調整,咬合の誘導,新しい咬合の設定などの 咬合に関する治療が盛んに行なわれており,咬合 が歯科医学の中心的な課題の1つであることは論 を待たない.  咬合の治療に際しては,解剖学的に正常とされ る咬合状態を治療の指標とすることが多い.その ため咬合はあたかも上下歯の静的なもしくは解剖 学的な対向関係を示しているように考えられる. しかし,生理学的立場から眺めると咬合は咀噌を はじめ様々な口の機能を行うときの下顎運動の基 準位を与えていると考えられる.したがって,そ の動的なあるいは機能的な側面を無視することは できない.特に,咬合高径については,それが生 理的に適切な高さに設定されていないと,食物噛 みしめ時の閉口筋の筋長が非生理的になるため, 咀鳴運動や咀階力を調節するのに大切な咀噌筋か ら脳への感覚入力と脳から咀噌筋運動ニューロン への運動出力との間のバランスが乱れ,さまざま (2004年6月7日受付)

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森本:咬合高径の生理的意義 な臨床症状を生じると考えられる.  それでは,咬合高径がどのような生理機構に基 づいて決定されているのであろうか.解剖学的に は上下歯の萌出度(または歯冠長)が咬合の高さ を自然に決めていると考えがちであるが,歯の萌 出がある位置で止まるようにすべてが遺伝的に決 定されているわけでないことは明らかである.な ぜなら,対合歯がなければ歯はさらに呈出してく る.すなわち歯にはなお呈出しうる余地があるの にもかかわらず,咬合高径が各個体に固有の高さ になることを考えると,その高さで止まるべき生 理的意義があると思われる.咬合高径の決定に関 与する生理機構を解明することによって,咬合高 径が生体にとってどのような意味を持つかを知る ことは,単に生理学的な興味だけでなく,臨床歯 科の立場からもきわめて重要であると思われる. そこで本文では,私たちが行ったヒトおよび動物 での実験の結果を中心にして,①ヒトについて咬 合高径の変化と咬合感覚の関係,②動物の咬合高 径を人為的に変化させたときの適応行動,③咬合 高径の感覚を司る筋感覚受容器(筋紡錘),④咬 合高径と咀噌力調節機構との関係などについて解 説し,咬合高径がもつ生理的意義を考察すること とした. 2.ヒトにおける咬合高径の感覚  咬合高径が過度に「高い」あるいは「低い」場 合,様々の不都合な臨床症状があらわれることが 知られている.たとえばChristensen(1970)は 過度な咬合挙上に起因する症状として,こめかみ の痛み,歯軋り,咀噌筋の圧痛や運動痛あるいは 疲労感,顎関節部の疲労感と痛みなどの症状が誘 発されたと報告している1).またこれらの症状は 顎関節症の初期症状によく似ている.逆に咬合を 低くしすぎると,食物を噛むときに力を入れて噛 まないと噛み切れないといった訴えが出てくると 言われる.これらのことから,少なくとも補綴臨 床において患者が作製された義歯に満足するため には,咬合高径が患者にとって感覚的に受け入れ られる高さに設定されていることが大切である. そのため義歯作製の咬合採得の段階で,咬合高径 に違和感がないかどうかを患者に確認するのが通 例である.  このような臨床的経験に基づいて,咬合感覚を 利用して義歯の咬合高径を決定する方法がLit− tle2)やTimmer3)によって考案された.この方法 では,図1aに示すような高さを調節できるネジ (スクリュー)をロウ堤の下顎前歯部に取り付け て患者に試適する.初め患者にはきわめて「高 い」と感じる高さあるいは逆にきわめて「低い」 と感じる高さに設定しておき,その高さからスク リューを回転させて「丁度良い」もしくは「違和 感の無い」と感じる高さになるまで調節する.そ して,その高さを義歯の咬合高径として設定する 方法である.この方法(以下スクリュー法と呼 ぶ)は,最初から患者が感覚的に受け入れること が出来る咬合高径を求めているという合理性と, 咬合高径を数値で表現できるという利便性があ a 32 1 0

b

下顎の位置感覚 上弁別閾、高・

o

快適閾{丁度良い{ 下弁別閾ノ

瘁o

       スクリューの  下顎位   位置

ny

黶u一

@一面「鴨工段

 開口方向 最下段 図1 咬合高径の決定に用いるスクリュー(a)とスクリューの高さ,下顎位および咬合感覚の関係(b)  スクリューは内芯とその回りを回転する外套より成り立っており,1回転で1mm高さが変わ る.外套につけた刻目0.1mmまで高さの違いが読みとれる.スクリューを「高い」と感じる最上 段から下げてくると,やがて「ちょうどよい」と感じる高さ(上弁別閾,UL)に達する.また逆 に,スクリューを「低い」と感じる最下段から上げていくと「ちょうどよい」と感じる高さ(下弁 別閾)に達する.これら2つの閾値の間に一定の幅が存在する.この範囲を快適域(CZ)と呼ぶ.

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a d b 松本歯学 30、2 2004

ISSSSSSSS

1 2 3 4 56 7 s E

}−CZ−1

c 119 LL  MCP  UL 10 馨

曇・

亘 0 一■ト高すぎる 一⊂〉一ちょうど良い 一▲一低すぎる     咬合高径のスコア 図2:ブロック法による咬合感覚テスト結果の一例    図中,■は「高い」,●は「ちょうどよい」,▲は「低い」の回答分布を示す.各ブロックは10回   ずつテストされている.    ULとLL:「高い」および「低い」感覚の50%上下弁別閾、 CZ(快適域):ULとLLの問に存   在する快適域.この域内にスクリューの高さが設定されると違和感が少ない.MCP:ULとLLの   中間値(計算上の最適値). る.これらの特性は未熟練者でも咬合採得が容易 にできるという長所となる.なおスクリューを介 して接触するときの上下顎間距離は,厳密には咬 合高径とは言えないが,本文では便宜上,この場 合も咬合高径と表現することとした.  この方法を用いた実験から,咬合高径の感覚に ついて少なくとも次のような2つの特性が明らか となった.一つは,「高い」方からスクリューを 下ろして「丁度よい」感覚に達する閾値と「低 い」方から上げて「丁度よい」感覚に達する閾値 は一致しないことが多く,二つの閾値(それぞれ を「上弁別閾またはUL」,「下弁別閾または LL」と呼ぶ)の間にはある幅が存在することで ある(図1b).この幅の内に,スクリューの高 さが設定されているときには,被検者に違和感を 生じないので,この幅を快適域またはComfort− able Zone(CZ)と呼ぶ.二つ目には,上下弁別 閾は必ずしも安定しておらず,しばしば測定回ご とに動揺することである‘−6.これら2つの特徴 から,スクリュー法ではどの高さをもって義歯の 咬合高径として採用すればよいのかが不明確であ り,この方法を臨床にそのまま適用するのはきわ めて都合が悪いと言える.  そこでスクリュー法のより良い適用方法を求め てさまざまな研究が行われた:−!1が.弁別閾を直 接決定しようとするこの方法については,なおそ の欠点は十分に克服されていない.さらに,スク リュー法にはもう一つの欠点が考えられる.すな わち,この方法では上下顎が前歯部の一点接触に なっているが,天然歯列では左右臼歯列で接触し ているため,上下顎の接触位置の違いによって咬 合高径の感覚に相違を生じている可能性がある.  この点を確かめるため,私たちは知覚心理学で

恒常法と呼ばれる方法を利用することにし

た12.13..具体的には前歯部スクリューの代わりに 下顎ロウ堤の両側臼歯部に,容易に着脱可能な左 右対にしたレジン製ブロックを9対作成して,そ

れぞれ1mm間隔で異なる高さに設定した(図

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森本:咬合高径の生理的意義 2a, b).これらのブロック対をランダムな順序 で取り替えることにより咬合高径を変化させ,そ の度に「高い」,「低い」,「ちょうど良い」感覚の いずれかを答えさせた(図2c).この方法(以 下,ブロック法と呼ぶ)では,一定回数(通常は 10回)装着した各ブロックの高さに対して上記の 3種の感覚を選択する度数を調べ,50%上・下弁 別閾を計算で求める(図2d).実験の結果,こ の方法で求められた弁別閾は比較的安定してい た.また,患者が「ちょうど良い」感覚を生じる 快適域の範囲を上・下弁別閾の差として求めると 平均約3mmあった14).また,ブロック法で求め た快適域はスクリュー法で求めた快適域よりも開 口側に位置することも判明した15).

 上記の結果から,義歯の咬合高径を3mmの

快適域内に設定すると,患者には違和感のない義 歯を作成できるのではないかと推察される.そこ でこの推察を確かめるため,10名の無歯顎患者に ついて,各患者が日常装着している義歯の咬合高 径とブロック法で求められる快適域の中央値(こ の値を最適位Most Comfortable Positionまたは MCPと呼ぶ)を比べたところ,9名では予想通 り快適域内に義歯の咬合高径のあることが判明し た(図3)14).これらの実験結果は,咬合感覚を 利用した義歯の咬合高径決定法としてブロック法 は1つの有効な方法であることを示唆している.  ところで,上記の方法ではMCPを義歯の咬合 高径として採用した.なぜなら,MCPは快適域 葵 曇 径 靹一1  −2  −3        患 者 図3:10名の総義歯患者(A∼J)の快適域と各患   者の義歯の咬合高径との比較    ●は上弁別閾(UL),○は下弁別閾(LL),   ■は最適値(MCP),●と○をつなぐ直線は   快適域(CZ)を示す.縦軸:各患者が現在   使用中の義歯の咬合高径を基準の高さとして   いる.Bを除くすべての患者の義歯の咬合高   径は快適域に入っている. の中央値なので,咬合感覚が少々動揺しても快適 域から外れない,もっとも余裕のある位置といえ るからである.ところが最近,MCPは天然歯の 咬合高径よりも少しく低い咬合高径に設定される 可能性が指摘されている16).この可能性は,次の ような動物実験から確かめられた. 3.動物での咬合挙上実験  すでに記したように,ヒトでは咬合高径を過度 に高めると苦痛が生じ,それを受け入れることに 困難を伴うが,動物の天然歯の咬合高径を人為的 に挙上した場合,それは受け入れられるであろう か.この点を明らかにするため,絶えず歯が萌出 しつづける成長期のモルモット(4−5週齢)を 対象として咬合挙上実験を行なった.まず,麻酔 したモルモットの下顎前歯部に咬合挙上装置を取 り付けて上下臼歯間に空隙を作った.その空隙が

3mm程度であれば,ほぼ1週間で臼歯が呈出

して来て空隙は満たされる.咬合挙上 10日後に 装置をはずすと,臼歯部のみが咬合挙上した新た な咬合が形成されている.このような動物は,咬 A(%合)   覆    一10    0 B 咬蟻上板  (%)噺 歯 冠 長 図4 10 日 数 20 30 一10    0     10    20    30         日 数 モルモット下顎前歯部への咬合挙上装置装着 中,撤去後の咬合高径の変化 A:咬合高径の変化量,B:臼歯部の歯冠長 の変化量 縦軸:咬合挙上装置を装着する直前の咬合高 径を100%として変化量を示す.横軸:咬合 挙上装置の撤去日を0日として日数を示 す.**:1%の危険度で有意差あり 点線:対照動物群,実線:実験動物群.いず れも各6匹の結果

(5)

松本歯学 30(2)2004 合挙上装置をはずした直後から3−5日間,しき りにリズミカルな咀囎様の下顎運動を繰り返し て,ほぼ5日間で対照動物(コントロール)と同 じ咬合高径になるまで咬合を低下させた(図4 A).咬合挙上が僅か1.5㎜繊であっても同様 な結果になった.なお,この実験での咬合高径の 変化は,頭蓋骨のサイズの変化によるものではな く,歯の歯冠長の変化であることが判明している (図4B)17).  これらの実験結果から少なくとも次のような3 つのことが言える.eg−一に,ヒト以外の動物でも 高すぎる咬合高径は不快と感じていること.しか も,その感覚は極めて鋭敏であること.第二に, 正常な咬合高径に戻すために咬合を低下させる下 顎運動を行い,対照動物でみられる本来の咬合高 径を回復しようとする機能がはたらくこと.第三 に,10日間程度の期間では,新しく設定された咬 合の高さに動物は順応しないことである.これら の実験結果は臨床的に重要な示唆を与えている. なぜなら,この結果は僅かな咬合挙上でも動物に とってはほとんど許容されないことを示している ためである.また同時にこの結果は,本来の咬合 高径は咬合感覚実験で求められる快適域内の上弁 別閾に近いところにあることを示唆している.そ の理由は次のように説明できよう.挙上された咬 合を削減して咬合高径が上弁別閾に達すると,ほ ぼ不快感がなくなるので,実験動物はそれ以上努 力して咬合を低下させる必要は無くなると考えら れる.もし,対照動物の咬合高径が快適域の中央 値であるMCP(最適値)にあるなら,実験動物 の咬合高径と対照動物の咬合高径との間にいくら かの相違がなければならない.しかし,実験結果 では両者に殆ど相違は無いので,天然歯の咬合高 径はMCPにあるのではなく,上弁別閾に近いと ころにあると考えるのが最も合理的である.さら に,これらの結果はヒトでのMCPが天然歯列の 咬合高径より低いとの先の報告16)と矛盾しない. なお実験動物の咬合高径が対照動物と同じ高さに まで削合された後は,頭蓋骨の成長に合わせて咬 合高径も増大していく.  上記のように咬合挙上した動物の咀曜筋から筋 活動を記録すると,挙上装置撤去後2,3日間は しきりに咀噌時とよく似た開口筋と閉口筋のリズ ミカルな交代性の活動を繰り返し,活動時間も延 121 長した.しかも,この時期の筋活動の大きさは, 対照動物のそれに比べて明らかに大きくなってお り,咀噛様運動のリズムは早くなっていた.この ような顎運動は一種の歯ぎしりと考えられ,咬合 高径を低下させる直接の原因であろう.恐らく自 然状態下でも,モルモットは萌出し続ける歯の高 さをこのような顎運動を行なうことによって自身 に最適な咬合高径を維持しているのであろう.し かし,ヒトの場合にはモルモットのように歯が萌 出し続けることはないので,歯ぎしりによる咬合 高径の調節は考えがたく,むしろ咀噛時に働く力 (咀噌力)などの噛みしめ時に働く力が,歯の萌 出に対する抵抗力になっていると思われる.事 実,咀鳴力調節と咬合高径とは強く関係している が,その背景には咬合感覚を伝える感覚受容器が 重要な役割を果たしている.次節ではこの受容器 の概略を説明する. 4.咬合感覚を伝える感覚受容器(筋紡錘)  咬合高径についての感覚は,閉口筋の中にある 感覚受容器,特に筋紡錘によって伝えられると考 えられる.この感覚受容器については他の成書に 詳しい18・19)が,簡単に説明すると,筋紡錘は形態 的には顕微鏡で見られる程度の微小な感覚受容器 であり,図5に示すような糸紡ぎ形(紡錘形)を したカプセルに包まれている.カプセル内には錘 内筋とよぶ細い筋線維が長軸方向に走っており, この筋線維の収縮は細いガンマ(γ)運動神経に よって調節されている.また,カプセルの中央部 には感覚神経の終末が錘内筋の周囲をらせん状に 取り囲むかあるいは散花状に終止している.筋紡 錘は,この感覚終末が引き伸ばされたときに伸張 の長さと速度についての情報を脳に伝える.した がって,閉ロ筋の筋紡錘は口を開けたときや食物 を噛んだときの閉口筋の長さとその変化について       II羅1・蹴御,運搬

        //

      }ガンマ運動神経

      

2,21   −’一一一s’一”z 図5:筋紡錘の模式図(詳細は本文参照)

(6)

森本:咬合高径の生理的意義 の情報を伝えるので,筋紡錘からの情報によって 下顎の位置と運動速度を知ることができる2°).こ の感覚受容器の感度は極めて鋭敏で,1000分の5 皿m(5ミクロン)の変化に応答するといわれ る19).咬合高径が変化すると,当然のことながら 咬合時の閉口筋の長さが変化するので,筋紡錘か らの感覚情報も変化し,それが咬合高径について の「高い」,「低い」,「ちょうど良い」感覚を生じ るものと推察される.  閉ロ筋の筋紡錘からの感覚神経の細胞体は三叉 神経中脳路核に存在することが古くから知られて いる2°−2‘)が,三叉神経中脳路核を破壊して筋紡錘 感覚を喪失した動物での最近の実験結果は,筋紡 錘からの感覚情報が咬合高径の感覚に関与するこ とを示している.すなわち3節で述べた実験と同 様にモルモットの咬合を挙上した後,三叉神経中 脳路核を破壊すると,挙上板を取り除いた直後か ら始まる咬合削減運動がきわめて弱くなった25). 三叉神経中脳路核には歯根膜からの感覚も投射し ている22・23)が,歯根膜感覚がない総義歯患者でも 咬合高径を感知することが出来るので,このよう な三叉神経中脳路核破壊実験による効果は歯根膜 感覚の遮断によるものではなく,筋感覚入力の遮 断による効果と理解できる. 5.咀噌力の調節機構  咬合高径の感覚を伝える筋紡錘は,咀噌力の調 節にも働いていることが明らかとなってきた.筋 紡錘の感覚神経は,脳に入ると一方では大脳皮質 などの上位中枢に咬合感覚を伝えるが,また他方 では脳幹部において三叉神経運動核内の閉口筋ア ルファ(α)運動ニューロンにシナプスを作っ て,下顎張反射と呼ぶ反射弓を形成している(図 6)26−3‘).そのため,咬合高径を変化させると噛 みしめ時の閉口筋の長さが変化し,筋中に在る筋 紡錘の感覚情報量が変化するため,下顎張反射弓 を介する閉口筋活動が変化し,咬合力や咀噌力も 変化すると推察される.事実,開口度に応じて咬 合力が変化するとの報告はいくつかなされてい る35−39).一方,次の実験結果は,咀噛力について もこの推察が正しいことを示している.  ヒトを含め,哺乳動物の大脳皮質には咀囎野と 呼ばれる領域が存在する4°−46).この領野を電気刺 激すると下顎や舌が咀噌時と同様にリズミカルに

N

筋紡錘

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咬筋蓼  \\

   経       ガ yAl$it.

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 N

図6:下顎張反射の模式図    筋紡錘の感覚神経は,脳幹部で閉口筋支配   のアルファ運動ニューロンに接続して下顎張   反射弓をなす.この反射は大脳皮質など上位   中枢からの調節を受ける.なお,筋紡錘の感   度はガンマ運動ニューロンにより調節される   が,このニューロンも上位中枢からの調節を   受ける. 動き,唾液も分泌するなど,自然咀噌と同様な口 腔領域の反応の生じることが以前から知られてい る.そこで麻酔したウサギの大脳皮質咀噌野を露 出し,この部に電気刺激を与えてリズミカルな咀 噌様運動を誘発し,その運動中に術者がウサギの 上下臼歯間に薄い試料を挿入して噛ませることに より食物咀噌のときと類似した状態を作り出し た.その結果,咀噌中のリズミカルな閉口筋活動 は試料咀噌する前に比べて増大することが認めら れた47).さらに,咀噌する試料の厚さを増す か,同じ厚さでも硬さを増すと閉ロ筋活動はさら に増大した.また,ウサギ臼歯部に圧力トランス デューサーをつけて試料咀噛中に発生する咀噛力 を測定すると,試料噛みしめ時に咀囎力が増大す ることが判明した(図7)、さらにこの際,試料 噛みしめ時の上下臼歯間の距離(最小開口度)も 試料の硬さ,厚さに対応して変化することが判明 したng).これらの結果から,咀噛力調節の基本的 機構は咀囎する物の硬さや厚さに応じて,意志の 関与がなくても自動的に調節されるようになって いることおよびその調節には上下顎間距離の変化 が関係していることが推察された.  このような咀噌力の自動調節能は,三叉神経中 脳路核を破壊すると減弱する49).しかも,この現

(7)

松本歯学 30(2)2004 123          A       B       C

咀瞬力___ ω而箭而L__」㍗

閉・筋→楴榊梱酬酬酬叶酬←−1・m・

開・筋一tWPt””一”wtwwwww”−−e 1・mV

垂直  顎運動 水平  顎運動 前額面  顎運動

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6right 図7:大脳皮質刺激により誘発されたリズミカルな咀噌様運動中に上下臼歯間に小片試料を挿入することによ    る咀階力,閉ロ筋活動および顎運動の変化    上線部で試料を噛ませているが,この期間に咀噌力と閉口筋活動が増加する.また,最下段の前額面    顎運動図に示すように,試料咀噌時に下顎は咬頭嵌合位(点線の位置)に達せず,上顎との間にスペー    ス(最小開口度)があることに注意. 象は歯根膜感覚をブロックした動物でも認められ るので,咀囎力の調節には歯根膜感覚よりも筋紡 錘からの感覚入力が基本的に重要であるといえ る.  このような咀噌力の調節には下位脳幹部での反 射,特に閉口筋の筋紡錘に始まる下顎張反射の関 与が考えられる.そこで,試料咀噌中に三叉神経 中脳路核細胞より筋紡錘の感覚ニューロン活動を 記録すると,咀噌する物の硬さ,厚さに応じてこ れらのニューロン活動の変化することが認められ た5°).これらの三叉神経中脳路核の破壊実験およ びニューロン活動記録実験の結果は,咀噌力が下 顎張反射を介して自動的に調節されるとの上記の 推察が正しいことを示している. 6.咬合高径の変化は咀噌力を変化させる  閉口筋の筋紡錘が咬合高径の感覚と咀囑力の調 節のいずれにも関与しているなら,咬合高径を変 化させると咀噌力が変化すると考えられる.この 点を確認するため,麻酔したウサギの大脳皮質咀 噛野を電気刺激してリズミカルな顎運動を誘発 し,歯冠削除による咬合低下の前後で顎運動パ ターンおよび閉口筋活動を比較した.その結果, 噛みしめ時には歯を削除した高さ分だけ下顎はよ り大きく閉口し,同時に閉口筋の活動量も減少し た).一方,開口筋である顎二腹筋活動量の変化 は僅かであった.また,顎運動リズムについても 歯の削除前後で著しい変化が認められなかっ た51・52).  上記の実験結果は咬合を低くするだけで噛みし め時の閉ロ筋活動すなわち咀噌力が減弱すること を示している.このような操作で影響される感覚 受容器としては筋紡錘以外にも歯根膜の触・圧感 覚受容器が考えられる.この感覚受容器は歯を押 して圧を加えると活動して脳に送る信号量を増 し,閉口筋活動を反射的に促進あるいは抑制す る.歯の削合により咬合状態が変わるとこの感覚 受容器からの信号も変化するので閉ロ筋活動にも 何らかの影響がでると考えられる.そこで,三叉 神経の上顎神経と下歯槽神経を切断することによ り歯根膜神経を遮断して歯根膜感覚を除いた後 に,歯を削除してもなお上記のような閉口筋活動 の減弱効果がでるか否かを検討した.その結果, 歯根膜感覚が無くても歯冠の削合後には閉口筋活 動は低下することが判明した.しかも,その低下 の程度は歯の削合度合すなわち咬合低下の程度に 比例した.すなわち大きく削合される程,閉口筋 活動は小さくなった(図8)52).

(8)

森本:咬合高径の生理的意義  式(%)  0 120  自

0剛100

掻埋 80 嘔({]

副品60

堕40

 な  十 20  題  0  )   0 ●p<0.05有意差あり Op>0.05有意差なし Y=aX十ba=−42.9 r==0.89  b=115.3 0.5    1    1.5    2(mm) 歯牙削除量(咬合低下量) 図8:咬合の削減量と咬筋活動との関係    咬合削減前の咬筋活動を100%としてい   る.○印は優位差がないことを,●印は有意   差があることを示す.咬合削減量が大きいほ    ど,咬筋活動も低下することに注意.  これらの実験結果はリズミカルな顎運動時の噛 みしめ時における閉口筋活動の大きさすなわち咀 噌力が,主として筋感覚によって調節されている ことを示している.すなわち,歯を削合すると削 合前に比べて噛みしめ時の筋紡錘の感度は低下す る53)ので,下顎張反射弓を通る閉口筋への興奮性 入力も低下し,これが本実験で示されたように咀 噌力を低下させる原因になると考えられる. 7.義歯の咬合高径と咀噌力の関係  上記のような動物実験での咬合高径の低下と姐 噌力の関係はヒトでも認められるであろうか? このことを確認するために総義歯の咬合高径を変 化させて閉ロ筋活動にどのような影響が出るかを 調べた.そのため,先ず1節に記したブロック法 を用いて咬合高径の感覚実験を行い,3人の無歯 顎者被験者についてそれぞれ上下弁別閾,快適域 (CZ, comfortable zone),最適咬合位(MCP) とCZの範囲(R)とを求める.次いで各被験者 に異なった咬合高径を持つ3種類の義歯を作製し た(図9A).以後,それぞれをA義歯, B義歯, C義歯とよぶ.A義歯の咬合高径はMCPに, B 義歯の咬合高径はMCP−1/2Rに, C義歯の咬 合高径はMCP−Rに設定されている. A i義歯, B 義歯を装着したときには,被験者は咬合の高さに とくに違和感を訴えないが,C義歯を装着したと きには明瞭に「低い」と感じていた.なお,A義 歯,B義歯, C義歯は,同一の床部分を用い,歯 槽堤部のみを取り替えることによって咬合高径を 変化させた.下顎の義歯は被験者が日常使用して いるものを用いた.なお,いずれの義歯を用いた ときも咬合接触状態がほぼ等しくなるように咬合 調整を行った.  ついで,各義歯を装着してグミゼリーを咀噌し たときの左右側頭筋前部および咬筋浅層中央部か ら筋電図を,また同時に顎運動を記録した.顎運 動については,A, B, Cと義歯の咬合高径が低 下するにしたがって,咬合する位置は上方に偏位 するが,最大開ロ点は義歯間でほとんど異ならな a C義歯(MCP−R) B義歯(MCP−R/2) A義歯(MCP)

b

(30

9

3

 20

綱 坦

握10

口   0       ▲:被検者1

ABCABCABCABC

作業側 平衡側 作業側 平衡側   f則豆頁筋         咬筋 図9 3種類の異なる咬合高径をもつ実験用義歯(a)と各種義歯でグミゼリーを咀噌したときの作業側および   平衡側の閉口筋活動の比較(b)   A義歯:咬合高径をMCPに合わせた義歯, B義歯:咬合高径をMCPより1/2Rだけ低くした義歯,   C義歯:咬合高径をMCPよりRだけ低くした義歯.なお, Rは快適域の幅.患者はC義歯を「低い」    と感じるが,AおよびB義歯については特に違和感を覚えない. A義歯での筋活動の値と比較してC   義歯では有意に活動の上昇がある.

(9)

松本歯学 30〔2)2004 125

A

、曳三叉神経運動核    アルファ 運動ニューロン

B

L、三叉神経.   ∼中脳路核 ガンマ運動 ニュ−ロン

図10:低い咬合高径をもつ義歯での咀噌時に閉口筋活動が増加する理由.    低い咬合高径の義歯でグミゼリーを咀噌する場合,正常な咬合高径での咀囎に比較して,噛みし    め時の閉ロ筋筋紡錘の長さが短くなり,下顎張反射を介する閉口筋への入力は減少する.このよう    な筋活動の低下状態では十分に咀噌できないので,上位中枢からの出力を増やしてAに示すよう    に閉口筋のアルファ運動ニューロンの活動を高めると同時にBに示すようにガンマ運動ニューロ    ンの活動も高めると考えられる.低い咬合高径の義歯で咀噛すると閉口筋活動が増強するのは,こ    れら2つの運動ニューロン群の活動が高まるためであろう. いため,A義歯に比べてB, C義歯では咬合高径 が減少した分だけ開口量が増加した.A, B, C の3種類の義歯を装着した時のグミゼリー咀噌時 の1ストロークあたりの筋活動量を図9Bに示し ているが,咀噌側の側頭筋,咬筋では咬合高径が 低下するにしたがって筋活動量が増大した.すな わち,被験者が「低い」と感じるまで咬合高径を 低下させると,咀囑時の閉口筋活動量が有意に増 大した54).この結果は,6節に示したウサギの咬 合高径削減実験の結果,すなわち咬合を低下させ ると咀噛時の閉ロ筋活動量が有意に減少する結果 とは逆である.しかし,ウサギとヒトで咀噌力調 節の神経機構が異なるとは考え難い.それでは, なぜウサギとヒトでこのような反対の現象が現れ るのであろうか.  その理由は図10のように考えることができる. まず咬合高径の低下によって,噛みしめ時の筋紡 錘からの感覚性出力が低下することにより,ヒト でもウサギでも下顎張反射を介する閉ロ筋への促 進性入力が低下する.麻酔したウサギではこの入 力低下がそのまま閉ロ筋活動量の減少として現わ れたと考えられる.ところが覚醒したヒトの場 合,グミゼリーを咀噌するという仕事量は咬合の 高さにかかわらず一定なので,閉口筋への促進性 入力が減少すると咀噛力が不足してグミゼリーを 十分噛むことが出来ない.そこでこのような閉口 筋への促進性入力の不足分を補うために,上位中 枢からの出力を増大して咀噌筋支配のアルファ運 動ニューロン活動を直接的に高めると共にガンマ 運動ニューロンの活動をも高めて筋紡錘活動を増 強し,下顎張反射弓を介して,間接的に閉口筋活 動が高まるのではないかと推察される.すなわ ち,ヒトとウサギで反対の現象が現れた理由は, ヒトでは覚醒状態で,またウサギでは麻酔条件下 で実験をしたという両者の実験条件に相違がある ため,大脳を含む高次脳から三叉神経運動ニュー ロンへの出力に相違があったためであろうと考え られる.  以上のことから,ヒトにおいても咬合高径の変 化は筋紡錘活動を変化させ,閉ロ筋活動および咀 噌力の調節作用に影響を及ぼすことが明らかと なった.

8.まとめ

 咬合高径を決めるということは,生理学的に考 えると閉口筋中の筋紡錘活動を調節し,この感覚 受容器の感度が各個体に適切な位置になるよう決 めることだと考えられる.本文で記したように, 筋紡錘は咬合高径の感覚に関与すると同時に咀噌 力の調節に関係している、したがって,患者に とって不適切な咬合高径が設定されると,筋紡錘 に過度の伸張あるいは弛緩を起こし,筋紡錘から

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森本:咬合高径の生理的意義 の情報量が過多あるいは過小になる.そのため, 咬合が「高い」あるいは「低い」という不快感を 生じるだけではなく,咀噌力の調節も円滑に行わ れなくなる.そこで,咀噌力調節を円滑に行わせ るために脳は上位中枢から三叉神経αおよびγ 運動ニューロンへの出力を補正して,筋紡錘の感 度を正常に保つよう絶えず努力しなければならな い.本来あるべき範囲を超えた努力を長期にわ たって脳に強いることが,咬合に起因した多くの 疾患の原因になっている可能性は否定できない. したがって,咬合高径を適切な位置に決めること は,義歯作成上重要であるだけでな.く,脳生理学 の立場から見て咀噌を円滑に行わせるためにきわ めて重要なことであるといえる.  それでは適切な咬合高径とはどの位置であろう か.その答えは3節で記したように快適域の上弁 別閾にきわめて近い位置にあると言える.最後 に,このような基礎的研究の結果から今後の歯科 臨床に求められることは,有歯顎者について上弁 別閾を決定する方法を開発することであろう.そ うすれば,多くの咬合治療において適切な咬合高 径を付与することが出来る.咬合治療を成功させ るために,この面での臨床的研究の発展が期待さ れる.

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