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社会科教育研究における授業づくりの意義と課題

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社会科教育研究における授業づくりの意義と課題

原 田 智 仁

The Significance and Challenges of Jugyou-zukuri in

Social Studies Education Research

Tomohito HARADA

キーワード:社会科教育、授業づくり、教科のヴィジョン 1 授業づくりの意味と意義 授業とは一体何か。語義的には、師が弟子に 何らかの「業(学問や技芸)を授ける」ことを 意味し、学校教育では教師の業務の中核をなし ている。それゆえ、教師のルーティンワークと いう観点からすれば、授業はあくまでも「する」 もの、ないしは「こなす」ものに他ならない。 では、いつ頃から、どういう経緯で授業を「つ くる」という考え方が生まれたのだろうか。 そこで、刊行された雑誌論文や著書から、「授 業をつくる(創る)、授業づくり」といった語 を検索してみると、1980 年代から 90 年代にか けて急速にこの語の使用が広がったことがわか る。第二次大戦後の日本の教育研究の動向は、 明治図書出版の月刊誌『現代教育科学』(1958 ∼ 2012 年)からも窺い知ることができるが、本誌 の特集に初めてこの語が登場したのは 1975 年 8 月号で、そのタイトルは「『わかる』授業をどう つくるか」であった。2 年前の 1973 年 5 月号で も同様の特集が組まれているが、興味深いのは それが「わかる授業をどう組織するか」とされ ていたことである。 「授業をつくる」といえば、教師の手作りに よるぬくもりのようなものを感じるが、「授業 を組織する」というと、システマティックで工 学的な印象を受けるのではないか。現に 1960 ∼ 70 年代の日本では、教育の現代化運動がブーム と化し、「授業改造」のための多様な指導法や * 滋賀大学教育学部 学習論が登場して教育界をにぎわした。技術革 新を背景に、OHP やアナライザー(反応分析 器)等の教育機器が学校に導入され、それに呼 応するかのようにフローチャート型の学習指導 案が提唱されたのもこの頃である。米国のアト キン(Atkin J.M.)は、1974 年の東京での「カ リキュラム開発に関する国際セミナー」(文部 省と OECD の共催)で、こうした手法を工学的 アプローチと呼び、その対極に教師の個性的で 創造的な教授・学習活動や評価を位置づけて羅 生門的アプローチと称した1) 。このセミナー報 告が『現代教育科学』の編集者(江部満と 口 雅子の両氏)に影響を与えたかどうかはともか く、70 年代後半になると教育の現代化運動は退 潮し、代わって教育の人間化、個性化が叫ばれ るようになった。そうした時代の風潮が、「 授業 をつくる」という語の登場に何らかの影響を及 ぼしたのではないかと推測される。 また、教育科学研究会社会科部会から独立し た白井春男、久津見宣子による「社会科の授業 を創る会」(後に「人間の歴史の授業を創る会」 と改称)の創設も 1973 年のことである。彼ら は自主編成のテキスト『人間の歴史』を、「も のをつくる」授業を通して実践していった。糸 を紡いで機を織り、校庭を開墾してコメをつく る、あるいは炉を築いて鉄をつくるといった実 践が、機関誌『授業を創る』(1980 ∼ 86 年)に より広められた。その実践自体は誰にでも真似 のできるものではなかったとはいえ、多くの教 師の共感とともに「授業をつくる」という語の 普及に掉さしたといってよいだろう。

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では、この「授業を創る」ないし「授業づ くり」の語の普及には、いかなる意義があるの か。あるいは、いかなる意義を積極的に読み取 るべきだろうか。ここで想起されるのが、稲垣 忠彦らにより編纂された『授業をつくる』全 3 巻(1993 年、ぎょうせい。『日本の教師』全 24 巻中の第 5 ∼第 7 巻をなす)である。明治の学 制から平成初期に至る 120 年間の教師の授業実 践を、「授業をつくる」という観点からあとづ け、今日の授業づくりの方向性を見定めようと した書である。 稲垣によれば、「日本の学校における授業は、 学制期から今日にいたるまで、文部省が制定し た教則、学習指導要領に定められた教科を前提 とし、それにもとづいて編集された教科書を中 心としておこなわれる形態が支配的で」あり、 「学校の制度化とともに、授業の制度化がすす められてきた」。だが、そうした中にあっても、 「教育とは何か、子どもの成長を支える授業と は何かを考え、多くの教師たちが、定型的な授 業の質を問い直し、授業の改造、創造を試み」、 「子どもの経験、生活にもとづく指導、子ども の学習への注目、教科、教科書をこえて広く学 問、文化とつながる教育内容、教材の開発をも とめ、その指導の方法をもとめていった。2) 」 のである。もう、おわかりだろう。稲垣にとっ て「授業をつくる」とは、1970 ∼ 80 年代の日 本に突然現れた現象ではないし、まして手作り によるぬくもりといった単なるイメージではな い。そこには、国家のもとめる教育への批判を 含む、教師の主体的、創造的なプロフェッショ ンとしての実践という意味がこめられている。 稲垣らの書からまもなく 30 年、彼が開示して みせた「授業づくり」の意味や意義は、日本の 教師たちに着実に継承されていると胸を張れる だろうか。私見でははなはだ心許ないといわざ るをえない。この語が登場した頃の新鮮な感覚 がいつしか失われ、教科書に即したごく普通の 学習指導案の作成までもが「授業づくり」と称 されているように思えてならないからである。 それと差異化するためか、近年の教育メディア では、むしろ「授業開発」や「授業デザイン」 といった語が目につく。一種の流行には違いな いが、大事なのは稲垣の説いた精神(マインド) である。「授業づくり」を一時的な流行に終わ らせるのではなく、19 世紀末から戦時期を経て 現在まで脈々と受け継がれてきた教師の主体的 で、創造的な営みととらえ、自らもその営為を 実践する主体であり続けること、そこにこそ今 問われている教職の専門性があるのではなかろ うか。 2 カリキュラム・マネジメントとしての授業 づくり 主体的で創造的な授業づくりのためには、伝 統的・一般的なカリキュラム観を変革する必要 がある。子どもの発達や学年段階、取り上げる 主題や教材にもよるが、通常 1 単位時間でまと まりのつく学習はほとんどないといってよいだ ろう。最低でも数時間、長ければ十数時間、あ るいはそれ以上の単元も少なくない。つまり、 「授業づくり」とは単元レベルで考えるべきも のなのである。そうなると、教科・科目・分野 の全体をどう構成するかという見通し、いわゆ る全体計画や年間指導計画の構想力も問われて くる。もちろん、最初から全体構想を望むので はなく、まず数時間の小単元の授業づくりから 始めることもあるし、教科書の構成にしがって 教える中に短時間の自主教材を投げ込むという 方法もある。そうやって、教師は自分の力量を 確かめながら、少しずつ授業時間を効果的に確 保する術を身に付けたり、自己裁量の幅を広げ たりする方法を獲得していくのである。 こうした教師のプロフェッションの成長を 促す上でも、授業づくりをカリキュラム開発、更 にはカリキュラム・マネジメント(カリキュラ ムの開発 ・ 経営)と位置づけることが重要であ る。なぜなら、教師の主体的、創造的な授業づく りというのは、地域や子どもの実態・ニーズに 即して目標達成のために必要と判断した教育内 容や教材を選択し、学習活動を組織して実践す ることのみならず、実践を振り返ったり評価・ 改善したりすることまでの総体をさすからであ る。この授業づくりのとらえ方の背景には、「教 育課程としてのカリキュラム」から、「子どもの 学習経験の総体としてのカリキュラム」へのカ リキュラム観の転換がある。

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カリキュラムといえば、通常「教育課程」と 受け止められるが、教育課程については「児童 や生徒が、どの学年でどのような教科の学習や 教科以外の活動に従事するのが適当であるかを 定め、その教科や教科以外の活動の内容や種類 を学年的に配当づけたもの3) 」という文部省の 定義に基づく理解が、ほぼ一般化しているので はないか。すなわち、教科・科目編成や授業時 数・履修単位数等を示す学校の教育計画ないし 時間割のようなものと意識され、それは学習指 導要領により規定されており、個々の教師が主 体的に関与する余地はないととらえられてき た。いわば教務主任や教頭が担うべき任務とみ なされてきたのである。だが、これでは教師は 与えられた教育課程の下で、粛々とルーティン ワークとしての授業をこなすしか途はなくなっ てしまう。 これに対して、1970 年代に OECD-CERI(経 済協力開発機構の教育研究革新センター)が開 催したセミナーは、カリキュラム観に変更を迫 る報告を示した。特に、先にも言及した東京で の「カリキュラム開発に関する国際セミナー」に おいて、カリキュラムとは「教育目標、教育内 容、教材、教授・学習活動さらには、評価の仕 方までを含んだ広い概念である」とする OECD の考え方が明らかにされ、参加者の共感を得る に至った。こうしたカリキュラム観に依拠すれ ば、授業とは、「単に出来上ったカリキュラムを 実施に移す場なのではなく、カリキュラムがそ こで形成され、開発され、評価され、修正され ていく場」だということになる。つまり、カリ キュラムは、誰かから与えられたもの、静的で 変更のきかないもの−プロダクト−ではなく、 個々の教師や学校が創意・工夫して創り上げる もの−プロセス−なのである。その意味で、同 セミナーが「学校に基礎をおくカリキュラム開 発 school-based curriculum development」を提

唱したのも十分に首肯できるであろう4) 。 3 社会科教育のヴィジョンと授業づくり 上記のカリキュラム観に立つ授業づくりを 行うとして、社会科教育をどう位置づけ、どう捉 えればよいのか。ここでは社会科の基本的性格 ないしミッション(使命)を確認し、そのヴィ ジョン(未来像)を明らかにした上で、社会科 の授業づくりについて考察することにしたい。 因みに、ミッション・ヴィジョンと授業づくり の関係を図示すれば、以下のようになる。                            ࣑ࢵࢩࣙࣥ ᤵᴗ࡙ࡃࡾ ࣦ࢕ࢪࣙࣥ 図 1 ミッション、ヴィジョンと授業づくりの関係 (1)社会科の基本的性格とミッション そもそも社会科とはいかなる教科だろうか。 周知の通り、日本の「社会科」は第二次大戦後の 1947 年に成立した。連合国軍の占領下であり、 米国の社会科(social studies)の強い影響を受け て誕生したのはいうまでもない。その経緯につ いては片上宗二の『日本社会科成立史研究』(風 間書房,1993)に詳しい。いわゆる戦後改革と 総称される日本社会の構造転換の中で、新たな 民主主義社会を担う市民の育成のために、六・ 三制の学校教育を貫くカリキュラムの柱に位置 づけられたのが社会科であった。 以下に示す学習指導要領社会科編(Ⅰ)(試 案)の書き出しは、社会科創設の趣旨を簡潔に 表現している。 今度新しく設けられた社会科の任務は、青少年に 社会生活を理解させ、その進展に力を致す態度や能 力を養成することである。そして、そのために青少 年の社会的経験を、今までよりも、もっと豊かに もっと深いものに発展させて行こうとすることが たいせつなのである。 ここでは社会科の任務、すなわちミッショ ンを、「社会生活の理解とその進展に力を致す 態度・能力の養成」として、明確に規定してい る。いわゆる社会認識と市民的資質の育成を指 すが、そのために青少年の社会的経験に着目 し、社会的経験の発展を通して社会認識と市民 的資質の双方を統一的に育成しようとするとこ ろに、成立期社会科の特色を見出すことができ る。 それは翌 1948 年 9 月の小学校社会科学習指導

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要領補説で、より明快に論じられた。関連箇所 を引用すれば、以下のようになる。 社会科の主要目標を一言でいえば、できるだけ りっぱな公民的資質を発展させることであります。 これをもう少し具体的にいうと、児童たちが、(一) 自分たちの住んでいる世界に正しく適応できるよ うに、(二)その世界の中で望ましい人間関係を実 現していけるように、(三)自分たちの属する共同 社会を進歩向上させ、文化の発展に寄与することが できるように、児童たちにその住んでいる世界を理 解させることであります。 つまり、社会生活の理解とは、学問の系統 や抽象的な概念レベルでの理解を指すのではな く、子どもたちの生活する社会への適応とより よい社会づくりへの寄与(=社会参加)として の理解を意味しており、それを公民的資質と称 するのである。それゆえ理解と態度・能力形成 は不可分な一体的関係にあることがわかる。 勿論、学習指導要領の社会科自体が 1960 年代 以降大きく変容したように、理解(社会認識) と態度・能力(市民的資質)の関係や、それぞ れの定義をめぐって、これまで多様な解釈・論 争がなされてきたが、全ての論者に共通するの は社会科が社会認識と市民的資質育成の双方に 深く関わる教科だということである。例えば、 科学的探求(説明)を重視する森分孝治の社会 科論は社会科学科と位置づけられ、社会認識の みを強調するように誤解されがちだが、森分氏 は「誰もが形成してきている社会認識体制が、 社会的な知識・判断の体系が市民的資質の中身 である。5) 」と述べており、決して市民的資質 を等閑視しているわけではない。市民的資質の とらえ方が他者と異なり、きわめて限定的であ るというに過ぎないのである。 筆者自身は、森分氏のように合理的意思決定 の基礎となる科学的社会認識形成に社会科を限 定する立場から、さらに数歩進めて、感情も交 えて実践的意思決定のできる市民を育成するた めの社会科が必要だと考えるが、だからといっ て科学的社会認識を軽視するわけではない。要 するに、多様な社会科論は社会科を豊かで柔軟 な教科にする点で歓迎すべきことなのである。 ただし、社会認識と市民的資質の育成という社 会科の基本的性格とミッションについては、共 通に理解しておくべきであろう。 (2)社会科教育のヴィジョン この 70 年余りの間に、世界はもとより日本社 会も大きく変化した。したがって、民主主義の 担い手に求められる社会認識と市民的資質の育 成というミッションは変わらないとしても、目 指すべき社会や市民のイメージ、社会認識と市 民的資質の育成方略等は、社会の変化に応じて 変わってきている。例えば、どこの学校にも創 立以来の理念や校訓があり伝統として受け継が れているが、目指すべき子ども(児童・生徒) 像や学校教育目標は、学習指導要領の改訂等に 応じて変化しているのと同じである。ミッショ ンに対比すれば、ヴィジョン(未来像)と言っ てよかろう。 戦後の連合国軍占領期、高度経済成長期、バ ブル経済の崩壊期、東日本大震災と福島第一原 発事故後の時期では、それぞれ社会科が目指す べきヴィジョンは微妙に、あるいは明らかに変 わってきていよう。 では、現在の子どもたちが 社会の主要な担い手となる 10 ∼ 20 年後の世界 に向けて、社会科教育はいかなるヴィジョンを 掲げるべきであろうか。 OECD は 2030 年の子どもたちに求められる コンピテンシー(知識、スキル、態度・価値) について検討し、その育成に資するカリキュラ ムや指導と評価のあり方を究明するプロジェク ト Education2030 を推進しているが、2018 年に 中間総括としてのポジション・ペーパーを公表 した6) 。そこでは 2030 年の世界を「激動・不確 実・複雑・不透明」(VUCA)の時代ととらえつ つ、そうした中で未来を築いていくコンピテン シーとして、「新たな価値の創造」「緊張やディ レンマの調停」「責任ある行動」の 3 点を挙げ ている。つまり、ひとりひとりが変化の激しい 世界の中で意味のある人生を切り開いていくと 同時に、社会の持続可能性や全体の幸福(ウェ ルビーイング)のために行動できる人間の育成 が求められているのである。それは学校教育全 体を通じて目指すべき目標であるが、社会科が その中核を担うのはいうまでもなかろう。した

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がって、社会科教育のヴィジョンもこうした見 通しの上に設定する必要がある。ただし、抽象 的なレベルの議論に留まっていては、授業づく りに生かすことはできない。育成すべき資質・ 能力を見据えながら、具体的な指導や学習、評 価のあり方に即して検討せねばならない。 その点で注目されるのが、NCSS(全米社会 科協議会)の提起したヴィジョンである。米 国では、2010 年に初等段階の数学と英語の共 通到達目標と K-12 スタンダードからなる各州 共 通 基 礎 ス タ ン ダ ー ド(Common Core State Standards)が州主導で策定され、多くの州で導 入されるに至った。しかし、連邦政府がそれら の教科のテスト結果に応じて競争的資金を配分 することにしたため、どの州の小学校でも数学 と英語の指導に重点が置かれるようになった。 その結果、社会科は英語と合科的に指導される ケースも増え、これに危機感を覚えた NCSS や 人文・社会諸科学系の学術団体が合同で策定し たのがC 3 フレームワーク7) である。C 3 とは 大学 College、職業 Career、市民生活 Civic Life の頭文字をとったもので、社会科教育の意義な いしヴィジョンが単なる大学進学のためでもな ければ、就職のためでもなく、大学・職業・市 民生活それぞれを視野に入れながら、通教科的 なリテラシーとともに教科固有の見方・考え方 を育成すべきことを提案したわけである。で は、C 3 フレームワークに基づくカリキュラム により、市民的コンピテンシーを育てるために 社会科授業はどうあるべきか。この問いに応え るべく NCSS が 2016 年に公表したのが「社会 科の教授・学習ヴィジョン」(次頁の資料参照) である。 この翌年、初等教育段階のヴィジョンも示さ れたが、5 つの項目は中等教育段階と変わらな い。では、日本の社会科教育はいかなるヴィジョ ンを掲げるべきであろうか。無論、基本的には 個々の教師や研究者の判断に委ねるべきものか もしれないが、2020 年という時代状況とこれま での日本の社会科教育の歩みを踏まえると、そ こに大方の同意するヴィジョンが見出せるので はないか。あるいは、ヴィジョンをめぐって議 論することが、社会科教育の活性化につながる に違いない。そう考えて、議論の叩き台たるべ く筆者なりのヴィジョンを提示してみたい。敢 えて、NCSS のそれと差異化を図る必要性はな いが、米国とは異なる日本の文化的特性や教育 の現状を考慮して、①多文化主義、②真正さ (オーセンティック)、③探究、④批判的思考、 ⑤社会参加、の 5 点を挙げたい。以下、それぞ れの含意を簡潔に説明しよう。 ①多文化主義に基づく社会科 アイヌや琉球王国の例を挙げるまでもなく、 日本は歴史的に見て単一民族の国とは言い難 い。また、現在においても少子高齢化による労 働力の不足は深刻で、早晩移民の受け入れを広 げざるを得ないだろう。しかるに、例えば小学 校の社会科は身近な地域から市・県・国へと向 かう環境拡大型のカリキュラムから脱却でき ず、世界についても日本と関わりの深い国や国 連の活動に触れるに留まる。高校の地理歴史科 でも、先の教育課程改訂で世界史が必履修から 外されたように、グローバル化の潮流に反して 内向き姿勢が強まっているようにさえ感じる。 無論、地域に根差し、地域の活動への積極的参 加を促すことは社会科にとって重要であるが、 それと広い視野から世界について学ぶこととは 決して矛盾しないはずである。要は、単一民族 国家観を暗黙の前提に、公民としての資質育成 を図るのではなく、多様性を重視し、グローカ ルな市民の育成を目指す多文化主義的社会科を 推進することこそが必要なのである。 ②真正の学習と評価を中核とする社会科 20 世紀末以来、新自由主義的競争原理が教 育界にも波及し、教育課程や評価の標準化と結 果責任を求める動きが世界的に広まった。それ に伴い、学校現場には個々の子どもの発達や習 熟より、標準テストへの対応を重視する傾向が 強まっている。これに対し、標準テストを「ハ イ・ステークス( け的要素が濃い)」と批判 し、子どもの真の学力評価を求める動きが 1980 年代後半の米国で登場した。それが「真正の評 価(authentic assessment)」論である。やがて、 真正さは評価のみならず、指導や学習のあり方 についても問われるようになった。勿論、その 定義は一様ではないが、F. ニューマンらは真正 の指導の要件として、1)高次の思考、2)知識 の深さ、3)教室を超えた世界とのつながり、4)

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実質的な対話、5)生徒の達成に向けた社会の支 援、という 5 つを示した9) 。日本でも、高校入試 や大学入試に学校ぐるみで取り組む中で、社会 科は教室内の、教科書の範囲内に学習を限定す る傾向が強い。本来の社会科とは、教室を超え た実社会とのつながりを意識させる教科のはず である。今こそニューマンらの指摘するオーセ ンティックな指導と評価が必要だといえよう。 ③探究による社会科 従前の社会科の学習は、概して教師が教科 書の内容を説明して要点を板書し、生徒はそれ をノートにとって記憶するという形式が主流で あった。だが、こうした学びではニューマンら の説く真正さの要件を満たすことは難しい。特 に、高次の思考や知識の深さ、教室を超えた世 界とのつながりを担保するには、生徒の主体的 な問いの設定と、社会諸科学の概念やツールを 活用した探究が不可欠である。つまり、教師が 生徒の学びのレリバンスを無視して知識を教授 するのではなく、生徒自身が課題を設定して資 料を収集・読解し、議論を通して知識の発見に 至るのである。教師はその支援者に過ぎない。 前回の教育課程改訂(2008 年)では、「習得 ・ 活 用 ・ 探究」の考え方が示された。それらは「学 習活動の類型」と説明されながら、教科では 「習得と活用」、総合的な学習の時間では「探究」 が重視されたため、探究は総合的な学習の活動 と受け取られ、教科ではまず基本的知識を習得 させ、その後に活用を図るという学習過程が正 当化された。その結果、教師主導の教え込みへ の反省が不十分なまま終わってしまったのであ る。だが、教科であれ総合であれ、真正の学び を可能にするのは探究以外にあり得ない。探究 を通してこそ、基礎・基本の知識も習得される ことを確認しておきたい。 ④批判的思考による社会科 情報社会の進展とICTの発達により、人々 の意思決定はより合理的になると期待された <資料> NCSS の立場表明「社会科の教授・学習ヴィジョン」( 中等教育段階)の概要 A 有意味な社会科 有意味な社会科は、永続的な理解、本質的な問い、重要な観念、及び目標を中心に構成された 知識、スキル、信念、態度のカリキュラムネットワークを構築する。 B 統合的な社会科 社会科を構成する諸科目−歴史、経済、地理、公民、社会学、人類学、考古学、心理学−は豊 かで、相互に関連した分野であり、思慮深い市民にとって不可欠な基盤をなす。社会科カリキュ ラムは統合的であり、時間と空間を超えた人間の経験の全体像を取り上げ、過去とつながり、現 在とつながり、そして未来を見据える。 C 価値に基づく社会科 社会科教師は生徒が自動的に責任ある市民、参加する市民になるわけではないことを認識して いる。われわれの民主的な政府に具現化された価値観−正義、平等、思想と言論の自由へのこだ わり−は社会科の授業実践に反映される。社会科プログラムは、共通の善と民主的価値の適用に ついての関心を育てるための領域を提供しつつ、トピックの倫理的側面を考察するとともに、論 争問題に取り組むべきである。 D 挑戦的な社会科 挑戦的な社会科には、核となる諸学問における重要な探究のツールの指導が含まれる。また、 カリキュラムは市民や指導者が直面する問題についての批判的、創造的、倫理的な思考を促すべ きである。 E 活動的な社会科 活動的な授業は生徒に自分が学んでいることを処理し考えることを求める。他者の行動や結論 について学ぶことと、結論に向かう方法を理屈づけることとの間には大きな違いがある。活動的 な学習は単に身体を動かすこと(ハンズオン)ではなく、頭脳を活性化すること(マインズオン) を意味する。

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が、現実は必ずしもそうなっていない。例え ば、2016 年の米国の大統領選挙−トランプ政権 誕生−や英国の国民投票−ブレクジット−の背 景に、ロシアによるSNSを通じた情報操作が 疑われている。仮にそれが事実だとしても、情 報ソースを吟味せぬままインターネット情報を 容易に信じてしまう人が少なくないことを示し ていよう。だからこそ、メディアを批判的に読 み解くリテラシーが求められるのだが、探究の 過程でも絶えず情報の出所や立論の根拠を確か め、あるいは一つの出来事に対して解釈の異な る複数の資料を比較検討するなどの手続きが必 要になってくる。これが批判的思考に他ならな い。いわば探究的手法と批判的思考は対になっ て、社会科における真正の学びを支えるのであ る。 ⑤社会参加を重視する社会科 社会参加(社会参画)は、2006 年改正の新教 育基本法において、「公共の精神に基づき、主体 的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する 態度を養うこと」が目標に掲げられて以来、教 育を語る際のキーワードとなったが、それは社 会科教育のミッションとしての公民的資質の中 核をなすものである。だが、単に理念として掲 げるだけでは資質・能力は育たない。日々の授 業づくりの中で、社会参加が具体的なヴィジョ ンとして意識されねばならないだろう。そのた めには、社会参加の概念を明確化し、社会科の 目標のみならず内容や方法にも位置づけること が必要となる。筆者は、「広義の政治的意思決定 の経験を通して、参加と責任の主体としての市 民的資質を身に付けること」と社会参加を規定 したい11) 。その上で、地理・歴史・公民を問わ ず社会科の内容を政治的意思決定の観点から再 構成し、公共的な事柄(=政治)について生徒 自身が議論を踏まえて主体的に意思決定する社 会科教育にしていくことが重要である。 社会科教育の 5 つのヴィジョンを、相互に関 連づけて図式化すれば、以下 のようになろ う。これをもって、本稿のまとめに代えたい。 ♫఍ཧຍ ┿ ṇ ࡢ Ꮫ ⩦ ከᩥ໬୺⩏ ᥈  ✲ ᢈุⓗᛮ⪃ 図 2 社会科教育のヴィジョンの構造 <注> 1 ) 文部省大臣官房調査統計課編『 カリキュラム開 発の課題:カリキュラム開発に関する国際セミ ナー報告書』文部省,1975. 2 ) 稲垣忠彦「総解説 戦前における授業改造のあ ゆみ」,稲垣忠彦・吉村敏之編『授業をつくるⅠ  戦前』(『日本の教師』5)ぎょうせい,1993 年, pp.1-9. 3 ) 文部省『学習指導要領−一般編−(試案)』1951 年,p.16. 4 ) OECD のカリキュラム観に関しては,前掲書 1 を参照. 5 ) 森分孝治「市民的資質育成における社会科教育 −合理的意思決定−」社会系教科教育学会『社 会系教科教育学研究』第 13 号,2001 年,p.47. 6 ) OECD, The Future of Education and Skills:

Education2030. http://www.oecd.org/education/2030/E2030%20 Position%20Paper%20(05.04.2018).pdf 7 ) NCSS, ( ) , NCSS Bulletin 113, 2013.

8 ) NCSS Position Statement, A Vision of Powerful Teaching and Learning in the Social Studies,

, 80(3), 2016, pp.180-182. 9 ) Newmann, F.and Wehlage, G., Five Standards

o f A u t h e n t i c I n s t r u c t i o n , ,50(7), 1993, pp.8-12. 10) Grant, S.G., Kathy, S., Lee, J.,

, Routledge, 2017, p.12. 11) 拙稿「社会参加を視点にした社会科教育の基本 原理」,『社会参加を視点にした中学校社会科の 教材と評価に関する研究』公益財団法人日本教 材文化研究財団,調査研究シリーズ No.68,2016 年,pp.6-12.

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