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書 評
森資著「近代監査の理論と制度」を読んで
久保田 音二郎
Ⅰ
森暦教授が,10余年にわたって,監査に関する基礎的問題に地味な研究をつづけ,その 研究成果の川部を「近代監査の理論と制度」という署名で公刊された。この機会に同番を 紹介し,併せていくつかの坤見を述べたいと思うのが,との小文の目的である。
本書は,発1部「監査の本質論」,籍2部「監査主体と監査行為紅関する理論とその展 開」および弟3部「監査制度の展開」の3つの部からなり,これを9つの章に分けて論
じ,監査基準・準則を「付録」にしている。
さて,−般に監査を理解する立場は,−・様ではない今日の状況を指摘し,この種の問題
を監査行為,監査行為の対象と主体および適用形感に・よる理解の仕方などの観点から,一 般紅理解する仕方のあることを明らかにし,進んで著者は,監査職能からの理解の必要を 強諷する。この職能的理解の仕方は,本書に・おいて一賞して流れている研究態度であると
いってもよい。そこで今日いわれている「監査」なるものを整序し,併せて監査制度につ いても「監査制度とほ,ある具体的状況において監査行為が,具体的目的のために.利用さ
れることについて,一億の範囲の利害関係者の間紅合意が成立し,かつ監査の結果が,利 害関係者のある関係の処理のために使用されるという状況が,反覆かつ維持されることで
ある」(2碩:)と概念規定し,その具体的目的は,仙定の社会的・経済的背恩のもとで,監 査制度にいかなる期待がかけられるかによって理解できる(箆1費)という立場から,本 省の内容の方向づけをしている。
Ⅱ
そこで,監査主休すなわち監査人の独立性の問題から論ずる。著者は,との種の問題ほ すでに.英国の監査役の独立性の規定(会社法1844年)にみられるが,米国においては,そ の事惜が相違することを明らかにせんと試みている(第2章)。このために.,米国でもその
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初期に職業会計士の独立性の必要を論じた論者もあったが,−・般には今世紀になって,次 のように会計士側と監督機関側とで違った独立性を取り上げるようになったという。
会計士側が問題に.した独立性とほ,「職業行為規定」(1917年)にうたわれた独立性の規 定が指摘できるが,そこに.は経済的独立性の問題が見出しえない。その理由はSEC監査時 代までの米国の特殊的な伝統的諸事情に羊るものであって,この規定ほ反倫理的行為を規 制する精神的な独立性であると考えうるという(36−39貫)。このために,後にAICPAが 独立性を取り上げるように.なった場合には,その問題は外観的独立性(経済的独立性)に ついてであるが,そこには当初からの反倫理的行為の規制が変わることなく潜在してい た。だから,さら乾その後に.なって,同協会が「独立性に関する報告書」(1947年)および 監査基準を公表するようになっても,また職業行為規定(寛13粂)の改正をめぐって問題 があり,さらに.その後に.これが60年代紅改正されて,外観的独立性の問題を考えるように なっても,伝統的な精神的独立性に関するものが残っていたという。これに対して,後者 の監督機関側。SECが取り上げる独立性の問題は,監査人の資格としての独立性常ついて であり,後常.は監査人の選任方式に関する勧告を出すこともあったが,これも同じく資格 に関連した問題であって,要は外観的。経済的独立性をめぐる問題に終っていたという。
そこで,かかる史的経緯を考えると,監査人の栢神的なものは実質的独立性であり,ま たこれは監査人だけが,その独立性の存否を判断できるものであるが,外観的・経済的独 立性の方は,外部が識別できる条件であり,またこれは公正不偏?判断を行ないうる状況 に.結びつくものである。だから,実質的独立性は監査業務のなかにおける独立の問題であ
り,外観的独立性は監査制度に関連する問題であるという(63−64貫)。この理論の運び方 には,多くの示唆に富むものがあるといってもよい。
さて,著者は自分の主張を−・段と装づけるために,実質的独立性の問題については,マ クツ・ジャラフが監査の計画,実施,報告の3つの監査兼務に・実質的独立性があるという
所説を取り上げ,この所説も「……まだ形式的なものにとどまっている。それらをより実 質的なものにするためには,監査業務における判断の自由は,−・般に認められた会計原則 および監査基準にしたがうことに・あることを明らかに・すべきである」(73京)と批判し,
質的独立性がいかなる性格をもつかを明確にしようとしている。また外観的独立性の問題 ほ.,国民経済の発展と企業の敏雄化に随伴して必然的に台頭するが,これについてもマク
ツ・ジャラフの所説を引用し,ここには⑦会計士業と会社との関係,㊥会計士事務所組織 からみた独立性の問題を明らかに.し,さらにはマネジメソト・サ」−ゼスと監査との矛眉を
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彼らは論じて.いるという。しかし,この所説に・は新味の面もあるが,外観的独立性に関す る現実問題として.は,理論的でないといい,その理由を詳述して(81−85貫),著者の主張 の真意を明らかにする。こ.の種の問題は,わが国紅おいても取り上げている論者がある が,わたくしほ,著者はどに詳細にして用心深い理論づけをしているのは,他にみあたら
ないと考え/ている。
Ⅱ
次に,財務諸表監査における内部統制組織の問題を取り上げている(寛3肇)。とくに,
本章では,この種の問題は,監査実施上の中心問題であると一腰にいわれながらも,これ まで,内部統制組織と財務諸表監査との関連性について理論的説明が十分に行なわれてい ないという理由から,その説明づけを試みるところに・著者の意欲的な跡がみられる。そこ
で,本草では,従来の論説を分析して−,監査証拠把重点をおいた説明のタイプと監査職能 に藍点をおいた説明のタイプとがあるとして,問題を整序して論を進めている○
監査証拠紅蛮点をおくタイプは,試査の問題に結びつくが,この場合に・は「■……l∵財務諸 表監査が意図する財務諸表の表示の適正性町対する専門的意見の表明が,企業の内部銃創 組織の信頼度に倣存する試査紅よってえられる合理的証拠によって可能であることを論証
しなければならない」(94−95煮)として,このタイプの研究課題を提示する。
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かくて,著者みづからが,そ・の合理的証拠の必要性を論拠づけるために,監査証拠論の 代表的見解であるニ.ユ.マン,ぺルペ・ヒー・トン,マクツ・ジャラフ,スタットラー・からレ
イに至るまでの所説を引用して,これから監査証拠の分類とそれが内部統制組織との関係 の複雑性を浮き彫りにし,かつ監査行為の過程と内部統制租織の検討の問題に立ち入る。
そして,内部統制組織は,証拠∵内部統制組織の信頼度−・証拠−財務諸表の表示の適 正性という,ニ重かつ反復的な循環関係に・見出すことのできる謹拠であり,またこの循環
関係によって,−・段と合理的な証拠の収集と評価活動ができるという論拠を明らかにす る(109真)。したがって,内部統制組織を証拠とみるかぎりは,それは複合的証拠の性格 をもら,通常の証拠のように直接的なはたらきをするのとは造って,全体的に,結合的 に.,循環的にかつ累積的に機赦するものといえる(114毘)。
いま1つのタイプである監査職能に凰点をおく説明は,内部統制組織の職能と会計士監 査の職能との間に共通的なものを見出し,内部統制組織の方へは不正浜謬の摘発監査紅必 要な業務を分担委譲されたという考え方に立つものである。故に,両者の監査職能に・は相
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速点があっても,そこには関連性を見出さねばならぬ研究課題があることな提示する。
かくて;こ.のタイプについてペルベ・ヒ−・トンの所説を引用し,両者の関連性の説明振 りの一層を示し,そのもとで,著者は,ぺルベ・ヒ−トンの所説ほ,発生的な歴史的説明 ではない欠陥はあるが,これが監査職能の本質の統一・的説明づけができ,また相互の職能
的関連から合理的依存関係の形成,さらに個々の監査職能が全体のなかで自己の占める役 割とその実施しうる場所を明確に.でき,進んでほ内部統制組織の検討する論拠が明らか紅
しうると批判するのである(124−25貰)。
内部統制組織の問題を2つのタイプに分析して論ずる試みは,たしか私意欲的なもので あり,またその論ずる内容には高く評価すべきものがある。しかし著者は「……財務諸表 監査に.おける内部統制論は,その職能論と証拠論とによって二,より十分な論拠が与・えられ
るということができる」(129克)というが,それでは職能論と証拠論とがいかなる関係に あるのか,単に野放し的に,同列的な説明づけで終ってよいのか。この点にまで著者が駄 目押しの究明をしてくれたならば,著者の意欲的な試みとその論旨が−・段と察知できた と,わたくしは考えてこいる。
ⅠⅤ
進んで,試査の思考の発展に関する問題を取り上げ,米国における試査の思考は,その 史的背景からくる監査目的に.よっで変わるという立場をとって論ずるのである(籍4章)。
このためたと.え.ば,株主の保護目的の監査では,会計記録の抜検査が問題であり,また信 用目的の監査では,貸侶対照表項目の試査であって,とれが外部証拠の試査へ展開し,証 券投資家の保詭目的になると,その思想的なものは英国監査の流れに属するが,マツケソ ソ・ロビンス事件を契機として外部証拠の必要性が強調され,これがかつての貸借対席表 監査の経験を生かすものとして,試査の思考は史的に展開してきたことを明らかにしてい
る。
そ・こで,ここまでくると,決算日後の事項の監査問題を取り上げねばならぬようになる
(算5章)。著者は,まず,この種の問題が本質的になにを意味するかが明らかにされてい ないといい,この間題の基本的前提には①かかる事項を財務諸表監査で問題にすべき社会 的要請があること,また㊥この要請に財務諸表監査がこたえうる能力のあることだと論
じ,この基本的前提を爾密に分析して,問題視できるゆえんを明らかにしている(147−
52巽)。
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かくて−,この前提のもとで,決算日後の事項が監査報曽雷に.おいで情報提供の職能をも つが,・そ・の職能は監査報告書の中間文節としての情報とは,その性格の違った新しい情報 の追加ということである。しかも,これまでの監査論には批判性と指導性との問題があっ たが,とれまでの指導性ほ内的指導性であるけれど,この追加的な情報をこの角度からみ
ると,それは外的指導性をもつものともいえるという。
そこで,具体的な問題として,決算日後の事項の種類と公開の範囲,決算日後の期間の 決定,その監査手続,事項に対する会計士の安住問題,監査報告書における記載問題な ど,全般に.亘って述べる。そして,著者の態度は,この間題についてのAICPAのそ・れと 根本的に相違することを明らか托するために.,同協会の意見書(策31号)を取り上げ,こ
れとの関係匿.おいて,限定意見に,関連したミ補足的情報(supplementalinformation)と 限定意見に関連しない追加情報公開(additionaldiscIosure)または追加的説明事項(addi・
tionalexplanatorymatter)との区別の必要性を強調し,同協会の態度であれぼ「それは 単に「財務諸表の監査」紅とどまらず,「財務諸表およびその理解に重要な情報の監査」
へと進んでいるといえる」(180京)と批判し,著者の前述の主張との相違を強く論ずる。
つづいて,短文式監査報告書の問題にふれるが(算6費),ことでは監査報告書は,財務 諸表を離れてオピニオン・リボー・トとして械億するのか,財務諸表と一体になってインフ
ォ・メ−・ジョン・リポートとして機能するかの問題から,これには慎重な検討を要するとの 前提に立って,後者のインフォメ−・レヨソ・リポートの立場をとることを明らかにする。
このために,監査報告書をめぐる二重安住の原則を取り上ば,さらに.,監査報告書ほ監査 人の意見表明を中核にするが,外部利害関係者側の要請は情報提供の側面紅強くあらわれ ているとして,著者の立場とその研究態度に対する誤解をさけている。
Ⅴ
そこで,情報表示への会封監査への制度化の問題を取り上げる。まず,行為の装づけと しての会計監査はあったが,これは.英国式監査の原型であるともいえる○しかし,これが米 国でほ凝営目的の監査として移植した跡もある。しかし,米国に・おける情報表示への会計
監査は,信用監査にその原型を求めうるという。かくて,モソトゴメリーの貸侶対照表監 査原則からこれを傍証し(203貫),また情報表示へ会計監査であるから試査が問題になり,
行為の基づけとしての会計監査のように精査の要請が出てこないと論ずる0かくて,SEC による監査になると,これが情報表示の会計の監査の鹿型につぐものだといい,当初の信
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用目的の監査の原型とその利害関係者など紅ついての相違を明らかにする(第7草)ム
ところが,現段階になると,この種の情報表示の監査が,証券投資家保護という広い目 的へと展開しているが,この事実に.は,機関投資家,財務分析家,投資相談業の出現がみ
られるが,彼らは情報表示といかなる関係にあるかをマクツ・レヤラフの所説を引用し で,そこ紅情報公開の十分性の思考を取り上げるのである(寛8章)。しかし,著者ほこの 所説を全面的に.支持するのではなく,問題の情報を分析して,これにほ,財務諸表に含れ
る情報つまり監査人の監査を受ける情報と然らざる情報とがあるにもかかわらず,これら を同列に論じていると批判し,また投資家がこれらの情報を求めることは認めるが,これ らを制度化すること紅は困難があり,さらに問題を営業年度末の情報に限定してこも,会社
の外部からの情報もありうるし,また営業年度末の情報だけでも,これにほ客観的公正.な 判断を下せるものばかりではないと批判する(235−39貰)。
これを袈返すと,情報表示への監査へと展開する傾向があっても,これから潜らに軽卒 な問題の取り扱い方ができないという著者の態度を示すものであり,またここ軋情報表示 の監査に.ほ著者はマクツ・ジャラフの所説と−・線を画しているといってよい。そこで,最 後に.,さらに.進んだ社会監査の理論として−,ポー・エソ説(1953年)およびゴイダー説(1963 年)を,監査論の新方向として,これを例示する意味において記述し,これにもー・線を画
しているのが,著者の情報表示の見解であることを強調するのである(籍9輩)。
Ⅳ
以上ほ,本書の大要であるが,必要な箇所軋開運して,それへの卑見を述べたから,そ れ以外のことについて,わたくしなりの考え.をつけ加えたい。本書は,著者森背教授が克 明に.多くの英米文献を捗りようし,これらを自分の立場にたぐりよせて,米国紅おける監 査問題を中心に,監査史論的研究を土台に・して,その基礎的問題のいくつかを究明したも のである。したがって,わが国に.おいてあり勝ちな監査技術の解説書とは類を異紅してい
る。まことに,本書がわが国の監査領域における研究水準を引上げるに大きな貢献をする 労作の1っといっでもよい。とれは,ひとりわたくしの評価だけではない。最近の他め書 評(たとえば,高田正浮稿「新進監査研究の動向」国民経済雑誌傑117巻第2号)におい
ても,この点を指摘していると、ころであり,また昭和43年度に日本会計研究学会から日 本会計研究学会賞(太田賞)をこの労作が受賞したのも,この事実を公平に物語っている ものである。
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560ただ,わたくしなりの慾から出た点をいうならば,本書は,米国を中心にした監査の基 礎的諸問題の研究であるだけに,と.の研究分野においては,米国の監査基準・準則に関す
る問題が,・−・種の社会的監査規範として取り上げねばならないはづである。しかるに,本 番では部分的には随所でこの問題にふれているが,その全貌について,本書の構想からい
って−,いかなる地位づけになるのか。この点紅ついての論述のあることを望んでやまな
い。
次に,本番は,監査職能的理解という立場から未開拓の分野匿研究をいどんでいる。こ のために.,短文式監査報告書もインフォメソヨソ・リボー・トとして,その職能を理論づけ ようと企
査報告書をかかる情報的見方で割り切ってよいかどうかには問題があると考える。わたく しは,監査報告書の職能について,いいふるされたものとして,「財務諸表への信頼度を高 める」という表現があるが,こ.の表現は,オピニオン・リポートの立場に.立っても理解 できるし,またインフヵ・メイジョン・リボー・トの立場に立っても理解できるものだと考え ている。したがって,財務諸表への信頼度を高めるとほ,いかなることであるかを分析し て,理論づけても,著者の企てる方向へと展開できるのではないかと思う。もし,監査報 告雷をインフォ・メインョy・リボー・トと割り切るのであれば,過去のSEC監査時代にオピ
ニオン・リボー・トだといわれていた監査報告書の様式について,これが情報理論から嘩本 的に変化したことを実証せねばならぬ課題が出てくる。とこ.ろが,これが実証できるに足
るような監査報告書の様式はそれほど見出しえないのが現状である。この意味で,財務諸 表への侶傾度を高めるという表現の分析的理論づけを望んでいる次第である。しかし,
とれは本書への評価とは別の問題であり,むしろ労作なればこそ,要望していることはレv うまでもない。
(269真,昭和42年2月,中央経済社版,′価1,100円)