児島惟謙の法思想と司法権の独立(2)
一大津事件を中心として−−−
緒 方 真 澄
(一・)問題の提起
(ニ)児島惟謙と大津事件
(a)大津事件の発端
(b)司法処理過程(一っ(以上・香川大学経済論叢第43巻舞5号)
(C)司法処理過程(二)(以上・本号)
(d)司法処理過程(三)
(三)児島惟謙の法思想
(四)司法権の独立と大審院長の立場
(五)結
(c)司法処理過程(ニ)
まず,ここでは,司法処理過程を考察する前に・,内閣及び児島惟謙大審院眞
(以下児島院長と略す)を中心とする裁判所の各刑法解釈に対する立場並びに今 回の事件に.適用する刑法の解釈に・ついて,一言しておこう。
内閣の立場ほ.,既述したごとく,刑法116条の法文中の皇太子紅外国の皇太 子をも広く包含するという解釈でもって犯人を死刑紅処すべきだと主張した。
これ紅対して,児島院長を中心とする裁判所の立場ほ,刑法292条の謀殺罪の 規定と同法112条の未遂の規定を適用して謀殺未遂として死刑説を排斥したの
(甜)
である。
当時の刑法は,明治15年(1882年)紅施行されたものである。刑法292粂ほ,
「予メ謀テ人ヲ殺シタル者ノ\謀殺ノ罪トナシ死刑二処ス」と定め,謀殺罪紅対す
(36)緒方兵澄・「司法権の独立と児島惟謙」(「法学論集第2号」110頁)0
ーβ7−
児島惟謙の法思想と司法権の独立(2)
37
(37)
る刑罰は死刑であって,ただそ・れのみである。また刑法112条はイ罪ヲ犯サン トレテ巳工具事ヲ行フト雑モ犯人意外ノ障擬若クノ、舛錯二因り未夕遂ケサル時 ハ巳二遂ケクル者ノ刑ニー■・等又ハニ.等ヲ滅ス」と,刑法113条Ⅰ項は,「重罪ヲ
犯サントレテ未夕遂ケ サル者ハ前条ノ例二照シテ処断ス」と規定していた。と■・
こで「−・等又ハニ等減.ス」というのほ,刑法7条で「左二記載レタル者ヲ以テ
蛋罪ノ主刑卜為ス1.死刑,2.無期徒刑,3.有期徒刑,4.無期流刑,5.有期 流刑,6.蛋懲役,7.軽懲役,8.壷禁獄,9.軽禁獄」と定め刑罰の重さの慣で 等級をつけ,死刑を最も重い刑とし,以下無期徒刑,有期徒刑といった順で定
めていた。しかも刑法17条は「徒刑ノ、無期有期ヲ分タス島地二発遣ジ定役二服 ス有期徒刑ハ12年以上15年成下卜為ス」と規定している。したが。て,津田ほ,
その公判および予審での供述によれば,ほじめからロジャ皇太子を殺害する意 図もって帯剣を引抜き皇太子の後頭部を二回に・わたり斬りつけたものである。
したがって,刑法292条にいう謀殺の罪に・該当する。しかし,津田は殺害の目 的を達しなくて,皇太子妃.軽傷を負わせただけで逮捕されたのであるから,未 遂である。未遂罪についてほ,刑法112条が適用せられ,「既遂の者紅科ゼら れる刑から一一・等または二等を減ずる」こと紅・なる。すなわら,謀殺の未遂は,
無期またほ有期の刑にL処せられることに・なる。だから津田の犯行を謀殺罪とは いえ,その未遂を死刑に.することはできない。しかし,別に,この刑法紅は,「皇 室に.対す・る罪」の・一章があって,天皇,皇后,皇太后,太皇太后および皇太子 紅危害を加える犯罪を特に届く罰した。すなわち刑法116条ほ「天皇,三后,
皇太子二危害ヲ加工又ハ加エソトシタル者ハ死刑キ処スノ.」と定め,天皇,三 后,皇太子を殺害し又は傷害した者だけでなく,そのような行為をしようとし た者も死刑紅処せられるのである。したがって未遂罪も死刑に・なるのみなら ず,ただ準備をしたあるいは劇画したというだけのことで死刑紅・処せられるの
(38)
である。
(37)岡田朝太郎・「日本刑法論各論之部」670貴〜674頁。
(38)太田章郎・「註解・刑法義解」巻之三に・は「天皇三盾及び皇太子二対シテ犯レタル罪
ノ、圃ヨリ通常ノ刑ヲ以テ罰スベキ者ニプラズ。敵二本粂二於テ骨二之ガ刑ヲ厳エソ,
策51巻 貨1・2号 38
−−3占−
津田の犯行がロンヤ皇太子を殺害する目的の犯行であるとすれば,通常−・般 人を殺害しようとする行為と同一・紅考えることほ不適当であって,刑法中,外 国皇室,皇族に対する犯罪に.ついて特別の処罰規定ほない。したがって_上記し た刑法116条を準用するという考えがでてきたのである。
しかるに,刑法116条が,刑法草案の過程で日本の文字が削られたのほ,日 本の法律であれほ日本の文字は必要でないという理由からで,外国の皇室に対 する罪を認めて削ったものではないのであって,日本の皇室紅対する犯行のみ を目指して制定された条文であることほ,立法趣旨及び解釈の⊥からも正.当で あり,我国法曹界・における通説であった。また内閣もこの立場をとってt、たの
(39)
である。又,刑法草案時の元老院議事の際にも日本の文字を削除したのである と言われている。
当時の内閣の意図は.,大津事件に・よって,ロシヤの対日感情の悪化を恐れて,
津田三蔵(以下「津凋= と略す)を死刑に処すること紅よ・つて,その緩和を図 ろうとした。
そ・して事件の発生した翠口,5月12日松方首相,山田法相等が,児島院長を
天皇三后及ビ皇太子二対レ,諜故殺,欧れ創傲,幽閉,其他噂体二危害ヲ加工又ノ、
加エン/トシタル者ハ,其罪ノ樺倭ヲ問ワズ悉ク之ヲ死刑二処ス。蓋シ此条危害ヲ加エ ス
デ ソトシタル者い\,即チ罪ヲ犯サント謀ツタル者,又ハ其予備ヲ為シタル者,宕クノ、巳
二其事ヲ行イ未ダ遂ゲゲル者卜難ドモ,猶オ同一ノ刑二処スルヲ云ク。此レ其刑頗プ ル惨醗二過グルガ如レト維ドモ,決シテ然ラズ。若レ之ヲ厳ニシ未然二予防セゲルト キハ,我国体二於テ実二容易ナラザル意害ヲ生ズルヲ以テナ■リ」とある。
(39)「現に大津事件発生の年の1月,政府は貨一回帝国議会に刑法改正案を提出してい るが,その中に,国際に関する罪と題する−竜を新たに加え,外国皇室紅対する犯行 についての規定を設ける提案が含まれていた。その提案理由として政府は,今日まで のわが国の刑法がこの種の犯行についての規定を欠いていたことは『法の不備』であ るから,これを補わねばならぬ,と説明している。刑法改正案ほ審議未了のまま議会 ほ閉会したが,とにかく116粂が,日本皇室に対する犯行に・のみ適用があり,外国の それに適用のない規定であることを,政府自ら認めていたことは,これによっても証 明される」と。田岡良一一・「大津事件の甫評価」65頁。児島大審院長も,「抑モ刑法算 116条草案ニハ日本天皇三后皇太子二対レ云云トアリレモ明治13年元老院議事ノ際削 除レタルモノナリ。其理由トスル所ノ\天皇ナリレ称号ハ古来ヨリ我陛下ヲ尊称シ奉ル言 辞ナレノ\,我日本刑法二於テ故ラニ日本ナ・ル文字ヲ冠セレムル必要ナシト云フニ存 シ,決シテ適用ノ範囲ヲ拡張セソカ為メェハアラサリキ」と。児島惟謙・花井卓蔵
「大津事件顛末録」22頁.
児島惟謙の法思想と司法権の独立(2) −β.9−−
39、
中心とする裁判所庭干渉行為をすると同時紅.,これに.従わない場合紅は,津田 をあくまでも死刑にするための方策を考えていた。すなわち,第・一・の方策ほ戒 厳令説であり,寛こは,詔勅利用説であり,貨三は外交利用税であり,第四の
(墾0)
方策ほ刺殺説であ った。
児島院長ほ.,その当時,これ等内閣の一−・連の二千渉石為に粛して,「窓法ハ明治 22年ヲ以テ公布セラレシ㌧ニアラズヤ。当時ノ元老卜閣員ノ或者ハ此光栄アル憲 法発布ノ詔勅二副署セシニアラズヤ。而シテ日本臣民ノ\不可侵ノ権利ヲ得,司 法官ハ完全ナ・ル独立ノ保障ヲ得タルニアラズヤ。而レタ此憲法ハ上天皇陛下ハ 列祖二誓ノ、セ給ヒ,下臣民ハ格守スべキ義務ヲ負ヒ,以テ国家ノ生命トスル所 ノモノニアラズヤ。元老卜内閣ノ圧迫ハ憲法ノ喋欄ナリ,国家死命ノ侵奪ナリ。
・一ソ三蔵ヲ斬ルノ、億万ノ自由卜安寧トヲ斬ルモノニシテ,一山ノ法条ヲ曲解スル ハ帝国ノ生命クル憲法ヲ無視スルモノナ・リ。而シテ司法官ノ行動ニシテ行政官 ノ可否二閑リテ動揺セラル、ニ至チリ、,窓法ノ大精神ヲ破壊シテ古ノ専制政治 二還ラシ㌧ムルモノト云ノ\ゲルベカラズ。況ンヤ三蔵ノ生命ヲ奪フモ国難釆ルべ
クンバ来り,困難来ヲズンバ来ラゲル,唯一・ニ富国当局者ノ意中二存スルモノ
(41)
ナ・ルニ於テヲヤ。」との考えを述べている。これほ確実なる見透しのある正しい
し1:一\
法的判断であったといえよう。
しかしながら,内閣ほ,あくまでも犯人津田三蔵を死刑に処する意図の下に,
裁判所に対する強い干渉行為を行なった。
すなわら,第一・紅ほ,松方首相が司法梅の最上層部に.ある児島院長碇対する5
月12日の干渉行為に.引き続き,5月18日,再度,首相が児島院長湛干渉行為を
行なった。このととほ,ロレヤ皇太子−−・行が日本を去る以前紅津田の死刑を確 定しておきたい意向であったこと。またロシヤ公使シ㌧L−ブィッチが,青木外 務大臣に.対して,露国皇太子の日本旅行中に危害を加える者が生じたとき,普 通人に危害を加える者以上にこれを厳しく罰する緊急勅令の発布を,日本政府
(40)緒方呉澄・「児島惟謙の法思想と司法権の独立(Ⅰ)」(「香川大学経済論葦第43巻策5 号」8貫〜9貰)。
(41)児島惟謙・花井卓蔵・「大津事件頼未練」6頁。
(42)田畑 忍・「児島惟謙」116責。
弟51巻 第1・2号
ーー40−− 40
に提案した。外相は,皇太子来日のために新しい法規を制定する必要ほない。
もし日本国民の中に.そ・のような不敬行為を働く者があれば,皇室紅対して同種
(43)
の行為をなした者に.準じて厳刑に処することを約束し,しかも,青木外相の自
(44) 署入りの文書がロンヤ公使に.交付されていたのである。これに反すると政府の
威信を内外に失することになると言い,戒厳令の発布により津田を処刑する用 意のあることをほのめかし,児島院長に.,「通常謀殺罪」を適用して処分しよう
とする裁判所側の翻意を強く要請した。
こ.れに.対して,児島院長ほ,事の複雑怪奇なる政府の措置に,しばし茫然と して驚くはかなかった。すなわち,これらのことほ,「政府は自分らの仲間の失 策を隠すために,ロンヤとの約束の存在を国民の前に隠蔽す′る政策をとりなが ら,この約束を実行する任務を司法部に課そうと企てたゐである。この得手儀 手な注文を司法部が呑めば,国民から政治裁判をしたという不名替な嫌廃をか
(45)
けられねばならぬことになる.」のである。児島院長ほ内閣側が考えている法線
(43) 「周際甚だ錯叉せり。英一を挙ぐれば,轟きに露国皇太子の我国に漫遊の通知 あるや,本邦駐劉の露国公使は我外務大臣に要求して日く,我国皇太子負国漫遊の際,
若し貴国人民に.して,不敬の行為ありたる時ほ,員国の刑法中之を処罰するの正条な し,何ては勅令を以て.該法律を制定せざれたしと。蕊に・於て閣議の上背木外務大臣よ り答えて,ミ特紅勅令を以て新法を設定するの必要なし。万一朔の如き事態を生ぜば我 皇室に対する法律に.より処断すべしと決答せり。然るに意外にも今般の大事に・遭遇
し,国際上食言するを得ずして遂に.閣議の未,過日青木外務大臣より露国公使に,更 に.我皇室に対する刑法を適用するを申込み,又外務大臣よりは各府県へ?我皇室に対 する法律を以て処分する事に閣議決定紅付,此際人民に於て不標の挙動無之様取締る べしと訓令したり…」尾佐竹猛・「湖南事件」140真。
(44)背木周蔵から二代あとの外務大臣陸奥宗光のとき,ロジャ公使シェープイツチの後 任ステ・グロフが陸奥を訪れて,「自分が公使館の記録を引き継いだ中に,背木前外相の 署名のある文静で,外国皇族に.危害を加えようとする者に対し刑法第116条の制裁を 加える法律を制定することを約束したものであるが,このような文昏が公使館紅残っ
ていることは,
出でがあったので,陸奥もこの文沓を受け取った,という。林重「後は昔の記」249 京。そこに.は青木外相がシューーサイツチ公使と約束したのは,「刑法116条に規定され ている制裁を犯人紅加える法療を作る」ことであったと番かれているが。一滋児島院 長が5月18日,松方首相からの話しでは,青木外相がレェ−グィッチ公使に「万一そ のような犯罪が発生したら,わが皇室に・対する法終(刑法116条)に・よ?て処断する であろう」と明言したとなっている。二つの話の間には,約束の内容について相違が ある点は認めねばならない。田岡良一・「大津事件の再評1取」26貢。
(45)田岡良一・・「大津事件の再評価」228頁。
児島惟謙の法思想と司法権の独立(2) 一々J−
41
の適用は外国紅もその例がなく,殊に.ロジャの法制を比較考鼠しても,刑法116 条の適用は,我国の天皇,三后,皇太子の場合に限定すべきものであり,また裁 判官の独立性と司法権独立の法理を繰返し説明した。また,大審院長といえど も,専件担当の裁判官に対してほ,そ・の裁判に.干渉しえないと述べた。また断 じて戒厳令によって処断すべきものではなく,「右戒厳令ヲ布カルルモ,津田三 蔵ノ如キスデニ縛二就キクルモノハ,司法裁判二付レ通常法律二拠ルモノニシ
テ,更二軍人ヲシテ処分セレムべキモノニ非ゲルべ 」きこと。また「■如何チリレ
(48)
困難アルトモ法官ナルモノハ,法律ノ神聖ヲ遵守スルノ途アルノミ」と論じて,
児島院長は松方首相の干渉行為に応じなかった。のみならず,後はど,/この趣 旨の意見書を提出するであろうと申しそえている。
第二にほ,内閣の干渉行為は児島院長の干渉に失敗した結果,方針を変更し,
松方首相ほ児島院長に,大審院特別法廷を構成する堤正己以下6名の判事の氏 名を提示させ,これら特別法廷の審理にあたる判事軋個別的に干渉行為を開始
した。すなわち,5月18日昼に,山田法相,大木文相,陸奥農相ほ司法省に.赴 き,堤正巳,中定勝,高野黄遜,木下哲三郎の4判事を呼び出し,個別に.干渉 行為を試みた。とれは係り判事7名のうち過半数を制すれば足りると考えたか
らである。他の担当判事3名のうち,安居修蔵,井上正一■・の両判事ほ,内閣と の個人関係がうすく,今回の事件に,刑故116条「皇室に.対する罪」を適用す ることに.反対する強硬論者であることがわかっていた。また,土師経典は鹿児
(47)
島の出身で西郷内相と親しい関係に.あり,「最初ヨリ内閣卜意見ヲ同ウシ」て いるものとみられていたので,個別干渉行為の対象からはずしたのである。か
くして個別干渉に応じた4名の判事と土師判事と合せて5名を一・致協力せしめ れば多数決の制度によって,内閣の意向に.合った判決をえることができること になったのである。
会見を終って四判事ほ退出したが,何れも困り切ったという顔色をしていた
(46)児島惟謙・花井卓蔵・「大津事件頗米銀」42頁〜43頁。
(47)児島惟謙・花井卓蔵・「大津事件願未録」47貢。
簿51巻 第1・2号 42
l−イご−一
(48)
ことは誰の冒に著しかったといわれている。しかし,この四判罫への干渉の内 容に∴つも、ては誰も書き残して公私した者はない。「恐らくその骨子ほ,午前中に 松方首相が児島に.したと同様に,ロンヤ公使への約束のあることを打ち明け,
政府としてこの約束に違背することほ出来ぬ情勢に・あることを説明し,わが国 が直面する危難を免れるために善処して頂きたい,というものであったと推察
(ヰ9) される。」結局このとき四名ほ,その後の行動から推定すると,政府の説得を容
れて第116条の適用を約束したようである。かくして事件担当の大審院判事白 から司法権の独立を放棄したのである。これに対して,児島院長ほ「敵ヲ射ル ニ先ツ其ノ馬ヲ射ヨト云フ術数ハ,今ヤ残リナク此処二施サレントシ,堂々タ ル法理ノ争ヨリ急転直下シテ蘭劣ナル手段ヲ以テ法律ヲ犯シ釆ラントス。り・L・裁 判革ノ、内閣ノ奴隷ニアラズ。而レテ強ヰテ屈従セシメソトス。故声其手段ハ公
(訓)
明ヲ欠キ英行動ハ卑劣ヲ極ムルナ・リ.」と絶叫している。
第三にほ,検事総長三好退蔵(以下「三好検事総長_lと略す。)紅よる発・一山審 の大津地方裁判所に.対する干渉行為であり,これと相倹・つて裁判所の司法権独 立の自らの放棄がなされたのである。
前記した大審院長及び特別法迂の担当大審院判事に対する内閣等の干渉より も先きに.,これらの−一・連の行為は開始されていた。すなわち,5月15日,山 田法相の命を受け京都紅行った三好検事総長ほ,′御前会議が,裁判を大審院特 別法延に移管する旨の決定がされたとの報告に接し,直ちに大津地裁検事局 山本換事正に指令を出し,予審中止の請求をさせた。18日,山本政事正ほ,大 津地裁に対して,津田の犯罪は「皇室に.対する罪」に該当するから,裁判所
(51) 構成法50条により大審院の特別権限に属する裁判である。したがって,刑事訴
(48)尾佐竹猛・「湖南事件」144真。
(49)田岡良一・・「大津事件の再評価」95貰。
(50)児島惟謙・花井卓蔵イ大津事件頗末録」46貫。
(51)「大審院ハ左ノ事項二付裁判権ヲ有ス 第一終審トング
(イ)上告
(ロ)地方裁判所ノ第二審トレテ\為シタル決定及命令並二控訴院ノ決定及命令
二対スル法律二定メタル抗昏
児島惟謙の法眉想と司法権の独立(2) ー4∂−
43
(52)
訟法164条の規定により大津地裁ほ管轄違いの言渡をするよう請求した。同日,
三浦予審判事は,検事正の請求どおり管轄違いの言渡を行ない.,予審を終結さ せた。予審終結言渡苔ほ,次のごときものである。
(53)
l ̄ 予審終結言渡書
三重県伊賀国阿拝郡上野町大字徳居籍五十−一項番屋敷同居当時滋賀県 近江国野洲郡三上村大字三一上館≡十五番屋敷寄留士族旧滋曳県巡査
津 田 三 蔵
右者二刈スル謀殺未遂被告事件遂予審処
被告三蔵が明治廿四年五月十M・・日午後一一博五十分頃滋賀県近江国滋賀郡大津町 大字下/j\唐崎二於テ露国皇太子・ニコラス親王殿下二対シ危害ヲ加へ・奉リクル事 実ノ\刑法第百十六条ノ犯罪二係ルヲ以テ当地方裁判所ノ管轄スべキモノニ非ズ
ト認ム右ノ理由ナルヲ以テ刑事訴訟法韓日六十四条二仇り本件ハ当地方裁判所 ノ管轄二非ルコトヲ言渡ス
但被告ハ逃亡ノ恐アルヲ以テ嚢二発シタル勾留状ヲ存レ本件ヲ検事二交付ス 明治廿四年五月十八日於大津地方裁判所
予審判事 三浦順太郎」
この場合,山田法相ほ.,三浦予審判事が山本検事正.の請求を容れない場合を考
(54)
慮して,抗告手続の準備までしていたといわれる。しかし,予審終結の過程で,
司法権の独立ほ大津地方裁判所に関するかぎり,完全に自らの手で放棄され た。千葉大津地方裁判示長は5月15日,津田三蔵の予審を担当する判事三浦償 太郎,土居庸太郎に.対し,「本件の処置は,実紅司法権の消長に関する重大問題 ならば容易に決断できないから,これより値ちに・京都に赴き,三好検事総長に
(ハ)地方裁判所又ノ\区裁判所ノ為レタル上告棄却ノ決定二対スル抗告 第二 第一膚ニシテ終審トレチ
刑法第73条,第75条及貨77条乃至79条ノ罪並二皇族ノ犯シタル罪ニレテ禁 珊以上ノ刑二処スヘキモノノ予審及裁判」
(52)刑事訴訟法(明治23・法96)164条「予審判事ハ被告事件其管轄二非サルコトヲ認 メタルトキハ其旨ヲ言渡ス可シ若レ勾留ヲ要スルモノト認メタルトキノ、前二発レタ ル令状ヲ存シ又ノ\新二令状ヲ発レ其事件ヲ検事二交付ス可シ」
(53)尾佐竹猛・「湖南事件」145頁〜146頁。
(54)尾佐竹猛・「湖南事件」146頁。
常51巻 簡1・2号
・−44− 44
(56)
面会,伝聞の事実を聞ただし,且つ司法部の先輩として協議するつもりである。
しかれども時横切迫せば,即答を要することもあらん。男等の意見如何」と問 い,三浦等から「臨機の処置ほ総て二所長に−・任す.」との答をえた。千弟所長ほ.
京都に出張し,翌日帰任し,三好検事総長より聴取した京都での御前会議のも ようを≡.浦等に.告げ,「斯くの如き場合,到底司法権の独立のみを主張すべきに あらざれば,三好検事総長に対↓,刑法116条の犯罪と認め,地方裁判所の管
(58)
韓逢一を言渡すべきことを約諾した」が,大審院の意見確定まで,「 ̄予審終結を見
(86)
合せよ」と話し,三浦判事はこれ紅応じ大審院の意見決定を待ちながら,管轄 違の終結決定と大津地方裁判所の公判虹付する決定と,両様の草稿を作り,ひ たすら竃報の到着を待ったというのである。18日午前10時,三好総長より大 審院の意見−−・致したるに何,予審終結決定をせよとの電報が着いたので,直ち に管轄違の決定を言渡したのである。とれより先,大津地方裁判所でほ,検事 の請求をまたず,謀殺未遂被告事件として予審に着手ん,法律適用についてほ なんら疑問を生ずることなく,12日,千葉大津地裁所長ほ児島院長に,津田の 犯行を「 通常謀殺罪」に該当するものとして同地裁の予審紅着手したと報告 し,14日にほ取り調べを終了したのであって,大津地裁の公判紅付するとの終結 決定を言い渡す以外に考える余地ほなかったほずである。に.もかかわらず,予 審判事及び地裁所長は,司法梅の独立を,自らの手で放棄した。予番判事は,
算・叫に,予審について権限のない地裁所長に判断を「一任」したこと。第二に.
地裁所長の違法な要求を容れで予審終結決定を延期したこと。第三濫,ニ通り の終結決定を用意し,検事総長の電報紅接するや,予審判事自ら,先きに自主 的に判断したところと異なる管轄達の決定を言い渡すなど,予審判事としての 司法権独立を自ら放棄したのである。しかも,16日夜帰京の途中大津地方裁判所 に.立寄った三好検事総長は,千葉所長に万端の対策を命じて,大津地方裁判所
(55)「15日夜11時,京都地方裁判所長加太邦憩,検事正岩蛋巌,司法省参事官倉富勇三 郎の諸氏大津地方裁判所に来り,千襲所長紅向ひ,本日の御前会議湛.て,検事総長は 刑法第116条説に贋したるを以て,同条紅て終結せよとの恵なりと倦へた」(尾佐竹猛
「湖南事件」136頁)ことを指すのであろう。
(56)尾佐竹猛・「湖南事件」136頁ふ
児島惟謙の法思憩と司法権の独立(2)
1−− イJ−−45
の独立を躁潤しこれを完全に.その掌中紅収めた。17日にほ三好検事絵島は,こ の事件が大津地裁の予審に係属しているに.かかわらず,一一一・件書類を携えてすで に帰京しているのである。大浄地裁所長にいたってほ,三好検事総長軋むかい,
司法権の独立放棄の前提の下に管轄権の決定を約束し,更に,予審判事に決定 の延期を要求し,司法行政上の監督権の権限を越えて不法に.も予審紅介入した のである。かくして一山田法相の指示に㌧基き,三好検事総長による干渉と大津地 裁千薬所長,三浦予審判事自らの司法権の独立の放棄によって,まず司法権の
(57)
独立ほ先ず末端紅おいて族潤されたのである。当時,児島大審院長の日記紅は
「三好検事総長ノ\−・件書類ヲ携へテ帰京レク。内閣ガ皇室二対スル犯罪トレデ 大審院二起訴スルニ決心セレハ明ラカニ判知スルヲ得タルト同時ニ,予ハ又心
(耶\
中大二決スル所アリ」と記してこいる。
かくして,内閣ほ,児島院長に対する干渉行為を行ない,この干渉行為紅失 敗すると,大審院特別法廷を構成する判事の叫・部軋個別に.干渉行為を行ない,
後述することく,これに成功し,更に.検事総長が第一一・審におV■、て予審係嵐中の 地方裁判所長及び予審判事紅干渉し,司法権の独立を自ら放棄させたのであ
る。これら三つの内閣及び三好検事総長の干渉行為は,個別的且つ並列的に 行なわれたのである。このように.,大津地裁が5月18日,予審を終結したの で,即日,三好検事灘眉購,「大審院ノ特別権限二属スル事件二付予審判事ヲ命
(的)
セラルヘキ請求」を児島大審院長償対して行ない,裁判所構成法55条但香華・基 づいて,便宜上,大津地裁判事をとくに.大審院法廷の予審判事に任命されたい 旨を要請した。三好検事総長からの請求に接した児島院長は,直ちに18日午後 3時電報をもって,さきに.,大津地裁の予審調書を作成していた大津地裁土井 判事に対しで,大審院特別法廷の予審判事に任命する旨を通告した。土井予審 判事ほ18日午後10時,大審院の予審を終結し,本件を大審院特別法廷の裁判に.
(57)田畑 忍・「児島惟謙」117頁{ノ118鼠。
(58)児島惟謙・花井卓蔵・「大津事件躇末録」34真。
(59)裁判所構成法55粂「大審院長ノ、籍50粂二依り大審院二於テ寛一審ニシテ■終審ヲ偽ス
へキ各別ノ場合二付大審院ノ判事二予審ヲ命ス但y便宜・ニ依り各裁判所判事ヲ㌢デ
予審ヲ馬サンムルコトヲ得」
貸51巻 第1・2男
−46∴… 46
付すべき事項と認定して意見書を電敵で送付した。尚,予審判事意見書ほ次の どときもゐである。
(60)
「予審判事意見酋
津田三蔵が露国皇太子ニコラス殿下に対し危害を加へノたる被告事件,予審を 遂る処
−・ ,被告津田三蔵ほ士族にして,安鱒元年十二月[j九日東京市神田区和泉町に 生る。原籍地ほ三重県伊賀国上野町大字徳居町,滋賀県野洲郡三上村に寄留 す。父ほ既に・投し,母ほ今尚存し原籍地に住す。兄弟三人ありしも,兄は目下 真所在を詳にせず,妹は他紅嫁し,弟ほ凍東電燈会社にあり。又−一番二女あり 被告と共に寄留所に在り。
−・−・,被告津田三蔵ほ明治四年頃迄其藩の学校に.在て漢学其他武芸を修め,同年 廃藩となるに及び他同学子灘と共に名古屋鎮台に.入り,明治十五年迄兵卒又は
卜士の務に.服し,其間西南の役起るに際し其軍隊に加はり,軍功に依り勲七等 に.叙せられたり。明治十七年頃三遷県に於て始めて巡査と為り,・一・旦辞職後十 九年十−・月滋賀県巡査となり水口警察署に.奉職,明治廿三年八月守山警察署に 転じ,爾来今日に至る迄現住所なる野洲郡三上村大字三上巡査駐在所に.奉職し 月俸九円を受く。
−・,被告津田三蔵が露国皇太子ニコラス親王殿下■に対し危害を加へたる事実 被告津田三蔵は明治廿四年五月十一・日露国皇太子ニコラス親王殿下,帝国皇子 汐ヨ−ジ親王殿下滋賀県大津に御来遊につき,沿道警衛の為同月四日大津へ出 向ふべき旨の命を受け,其翌九日大津に出発し,大津警察署長桑山警部より警 衛に付ての心得方を訓諭され,同月十−■・日殿下御来遊三井寺御着の際,被告は 巡査部長江木猪亦の指揮に依り同所境内御幸山紀念碑の側に在て警衛し,殿下 が同所を去らせ給ひし後一\旦同所の警衛を撤し,尋で殿下御昼食の為磁賀県庁 へ臨御の際,被告は再び大津町大字鍋屋町に在て警衛し;共通筋なる同所大字 小唐崎津田岩次郎宅前に在て他の巡査と共に警衛を為し居りしに,同日午後一・
時五十分頃皇太子殿下の−・行は予期の如く同所を通御あらせられ,被告ほ殿下
(60)尾佐竹猛・「湖南事件」147頁〜151頁。
児島惟謙の法思想と司法権の独立(2)
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の御召車の近づくを見るや否や直ちに.進み寄り,帯剣を引抜き殿下の御頭部目 掛けて帽の上より斬り付け,尋で又一一・刀斬り付けたれば,殿下把.は声を上げさ
せられ直ちに御召車を飛び下り難を避けんとせられしを,被告ほ尚は−ブコ斬り 付けんとする際,皇太子殿下の右側後押をなし居たる車夫和田彦五郎の為め左 の横腹を突かれしも,其億刀を振り翳しつつ二三歩追尾せし紅,其際殿下の後 列に屈給ひし布団親ま殿下ほ慮ちに御車を下り,当時携へられたる竹噸を持ち 被告が頭部を連打し給ひ,為めに被告は梢英気勢を失ひし処へノ,露国皇太子殿 下の御召車の左側後押車夫向畑治三郎ほ後より被告の両足を捉へ引例し,被告 ほ為に傭伏に.倒れ,その際携へ居たる抜剣を取落したるより,希国親王殿下の 御車の右側に/在て後押をなし居る津夫北賀市太郎これを拾い上ぐるや否や被告 の後頭部及び背部に斬り付け,尋で露国皇太子の御召車を引き居りし車夫西岡 太郎吉,及び前額和田彦五郎,向畑治三郎の三名もカを添え取り押へ屠りし折 柄,前駆たりし滋賀県警部木村武は直ちに.其場に.駆け付け被告を取り押へ,巡 査江木猪亦,藤谷幹叫の両名に.命じ捕縛を為さしめたり。而して露由皇太子殿 下の御負傷ほ,頭部右側掘顎部に当り,前より後へ掛け長さ凡そ九センチメ−
トル,深さ骨に.達し,長さセミリメ−トル幅鵬・ミリメ−・トルの骨症を斬り取り たる切傷血・箇所,同所の下方に・当り前より後へ斜に掛け長さセセンチメートル,
探さ骨膜に適する切傷一層所。
一・,被告津田三蔵犯罪の原因
被告が斯く暴挙に及びし原因ほ,之を要する紅被告が種々の妄想より惹起した
る−の感慨心に出でたるものと云ほざるを得ず。其概略を掲ぐれば,霧西藤国
ほ我国と隣国の好みを結ぶも,是迄千島樺太と交換一山件の如き専盗の所為こそ
あれ,未だ嘗て我国に利益を与へたる事あらずと家信しつつある折柄,今回皇
太子殿下御来遊の事を聞き,又皇太子殿下ほ名を漫遊紅仮り其実我内地の地理
形勢を視察せんが為ならんと′艶惟し,月我天皇陛下は皇太子殿下が御来遊に付
き特に御優遇遊さるるも,殿下は我内地紅入りながら未だ宮廷紅.至り天皇陛下
に.御挨拶もなさせられざるは儀礼も亦甚しと憤り,其他種々の妄想を抱き居り
しに,三井寺嶋内御車山警衛の際,又紀念碑虹対し座ろに.懐旧の情を起し−・層
一寸β − 第51巻 第1・2弓 48
感激し居りし折柄,西洋人二名其場に.上り来りしより早くも皇太子殿下の一行 なりと誤解し,巽西洋人が四方を眺望し車夫に.諸所を指示せしめ居たりし挙動 を見て,露国皇太子殿下が諸県下の地理形勢を按ずるものならんと速断し,盈 に−・一つの感慨心を起し斯る暴挙を企てたるものなるも,共際実行を躊躇し居り しに.,弼皇太子殿下が還御の専を聞き此機を失ふぺからずと思惟し,小唐崎鞘 に警衛の際遂軋実行したるものなりと認む。
・一,被告三蔵は医師の証明に.依れほ,今を去るセケ年前宿痢の為一一・時脳充血を 発し,続て酒客譜妄病に.陥りし事ありと雑も,其後五メく日に.しで全癒し,爾来 更に精神病の痕跡を留めずと云ふ。今回の犯罪にイ寸てほ固より発狂の模様ある を認めざるなり。
以上列記したる事実は,被告人津田三蔵,澄人固着兵衛,津田岩次郎,永井良 助,伊藤市兵衛,西岡太郎吉,和田彦五郎,巡査江木猪亦,同藤谷幹−・,同富 谷利八,警部木村武,及池田謙斉,野並魯吉の訊問調書,其他参考書類,犯罪 の用に供したる帯剣等に.より其詭悪充分也。
右被告の所為ほ.,刑法舞百十六候天皇,三后,皇太子に対し危害を加へ,又ほ 加へんとしたるものは死刑に処すとあるに該当すべき犯罪なりと思料せり。
右意見を付し報告慎也
明治廿四年五月十八日於大津地方裁判所
大審院予審判事 土井庸太郎」
当時,児島院長ほ,「此予審判事ノ意見啓二依リテ三蔵力犯セシ罪跡ハ明白卜為 レジ。此間一一瓢ノ疑念ヲ容ルルノ飴地ナシ。而シテ被害者人露国皇太子ニシテ 日本ノ皇太子ニアラス。刑法第116条ヲ適用スヘキニアラサル事モ明白ニシテ,
疑念ヲ挟ムノ飴地ナシ。然レトモ7名ノ判事中5名ニシテ若レ内閣ノ威迫ノ下 二惰伏シ去ランカ。憲法卜汝樺トノ、躁欄セラレ,……予ハ少ナカラス衷心ヲ傷
(81)
メタリ」と,この予審判事意見書の違法なることを指摘している。三好検事総 長も■また同じ内容の意見書を作成した。これらの意見書は,大審院特別法廷の 担当判事に・交付された。上の間,児島院長は事態を静祝していた。三好検事総
(61)児島惟謙・花井卓蔵・「大津事件頗末録」58巽〜59頁。
児島惟謙の法思想と司法権の独立(2) 一一■〃トー
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長が内閣の指令に従って,この裁判を大審院特別法廷の公判に.持ち込もうとし てこも,大津地方裁判所に.おける予審終結,予審意見書送付の段階で大審院がこ れを拒否する権限とその可台削生もあったわけである。
ところが事態ほ,内閣の意図するところ紅/むかって着々進展し,ここに個別 法延の担当大審院判事等が土井判事の予審意見書を却下ナるか否かにかけられ ることとなった。しかも,前記したごと.く担当大審院判事のうち4名は内閣の 閣僚によって個別に.強い干渉を受け,内閣の意図するところに,したがうこと に.なっていたのである。すなわ、ら,一一り件記録の交付を受けた大審院特別法廷の 判事達ほ,徹夜の協議の丸19日午前2時に.及んで,ついに土井予審判事の意
見書どおり′,本件を特別法延の公判紅付すべき事項と決定した。内閣の干渉行
為に屈した大審院担当判事の決定が違法であることほ,言うまでない。 すなわ ち,二F渉圧迫を受けた4判事が;内閣の干渉に屈服して白から司法権の独立を
放棄したことが明白となった。
この決定の報告を受けた児島院長は「此決定書ヲ得テ予ハ始メテ4判事ガ内
めんご 閣各大臣卜面悟レタル結果ノ大ナリレヲ知レリ。私情バ彼等ニハ国家ノ生命タ
ほうほう ル法律ヨヅモ重力リキ。而シテ内閣ハ共成功ヲ干渉鋒菅の尖頭二飾レリ。切言 スレバ私情卜陰険トハ公明卜iE儀トニ弟−・着ノ勝利ヲ占メタルナリ。予ハ職権 上己ムナク之レヲ司法大臣二通告シタヅト魂モ,如何ニシテ此邪僻ヲ排シ勝利
ヲ法律卜正義トニ帰セレムペキカヲ焦心苦慮スルニ至レジ。鴫呼内閣ハ梢々安 心シタルベン。然レドモ法律卜正義トハ益々迫害ノ探測二沈マントスルナリ。
日本国民ノ得クル権利義務卜神聖独立ナル司法権ノ安薗トハ将ニ・内閣ノ干渉卜 圧迫,法官ノ薄志卜弱行二因リテ破壊セラレントスルナリ。司法権ノ危機ハー・
(82)
髭ノ細糸ヲ以テ千釣ノ巨鼎ヲ繋グニ似タ.リ」と,当時の感懐をもらしている。
児島院長は,大審院特別法延の「決定書」を山田法相に.通告した。明けて登19 日,右決定に華づいて,山田法相は,「被告津田呈蔵事件審判ノ為メ大津地方裁 判所二於テ大審院ノ法廷ヲ開ク旨告示ス」と公告したのである。
(62)児身性謙・花井卓蔵・「大津事件鳳禾録」62頁〜63頁0
寛51巻 箆1・2月
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以上のどとく,内閣を中心とする行政府の大審院を中心とする司法府庭対す る干渉行為ほ.,児島院長,津田を適接裁判する大審院特別法廷を構成する大審 院判事及び法相の命を受けた三好検事総長紅よる第一儲を担当した大津地方裁 判所の所長並びに予審判事等に対して行なわれた。このことは.,ト一応近代的 な憲法が制定されたものの,それまでの惰性で司法権ほ権力の主流蘭島勢力か
(8さ)
ら全く軽視されていた。」ことを意味するのである。そして,第一・紅,児島大 審院長を除いてほ,内閣の圧迫干渉紅,大審院特別法廷の堤裁判長を含む4名 の大審院判事,及び第−・審の大棒地方裁判所の所長を含む予審判事も屈服ある いは自ら帝国患法及び裁判所構成法に定められた司法権の独立を放棄したこと ほ違患,違法の行為であるといえよう。第二に,三好検事総長の第一・審大津地 方裁判所の所長への干渉と所長及び予審判事等の司法権の独華の放棄の点であ る。この点に児島院長が司法行政の監督権を発動し,これら等の点を是正しえ なかったことは,裁判所構成法134条に基づき,大審院長ほ大審院を監督す る。併し控訴院以下の裁判所に・対し監督権を有しない,と定めておることか
(84)
ら,大審院長ほ大審院を監督するのみで其の下級裁判所を監督しないと,解さ れるからである。第三に,青木外相がロジャ公使シェープイツチとの約束され た覚書についてである。田岡良一・博士は「竃木がロジャ公使払向ってなした約 束を,わが国を拘束する国際合意であるとみなすことほ,諸般の情況から考え
(65)
て,無理な考え方とはい.え.ないと思う。」とされる。
しかしながら.,一い国が,ある国際協定に.よって拘束されるということと,そ の国の裁判官がこの協定を裁判の場合紅.適用せねばならぬということとは別問
題である。原則として,裁判官ほその国際協定が国内法律の形に変更せられる
のを侯って,はじめてこれを裁判事件に.適用することができるのであり,又,田 中時彦教授がいっておられるごとく,そもそもこの覚歯ほ「両国が批准し,調
(63)川北洋太郎・「大津事件一司法権の独立」(池田政章・「憲法の歩み」36頁)。
(64)島島 毅・「裁判所構成法」(「現代法学全集寛12巻」189貢〜191寛)。
(65)田岡良一‥「大津事件の再評価」149頁〜150貰。
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紳6)