向田邦子「ごはん」教材研究二題 : 父の「命令形
」 / 「艦載機」とB29の心象等
著者 近藤 明
雑誌名 教育実践研究 = Studies in practical approaches to education
号 42
ページ 32(1)‑23(10)
発行年 2016‑09‑01
URL http://hdl.handle.net/2297/46355
I
32
本稿は向田邦子﹁ごはん﹂について︑第一節では登場人物である父
親の用いる﹁命令形﹂をめぐっていささかの考えを記し︑第二節では
﹁艦載機﹂の記載をめぐって︑史実との関連の問題・前稿︵近藤明︵二
○一三︶︶で触れたB別の心象との関わり等について備忘的に記し︑
もって同作品の読解や戦争体験の理解・継承に関する議論に供しよう
とするものである︒なお注・参考文献は各節ごとに示すものとする︒
須藤敬︵二○一四︶は︑﹁ごはん﹂﹁字のない葉書﹂といった向田邦
子のエッセイに登場する父親像を論じる中で︑その言葉遣いに関して
どのような時でも家族に対し威張っている姿は︑例えば﹁ごはん﹄
の場合︑三回出てくる父親の言葉を︑
﹁構わないから判司渕渕判列測︒︵1︶﹂
﹁もっと食べろ︒まだ食べられるだろ︒﹂
﹁掃除なんかJ判切︒おまえも寝ろ︒﹂
と︑すべて命令形で示すことによって読者に印象付けられる︒
︵p一○一〜一○二︒傍線は引用者︶ |父の﹁命令形﹂ 目ざ○﹃d百8○自Qo琴Qごすぎ三己六○四ロン穴巨ヨ穴○閉四目毎月三国︑三皇①凰巴
F
向田邦子﹁ごはん﹂教材研究二題
1l父の﹁命令形﹂/﹁艦載機﹂とB羽の心象等I
と述べている︒父親の言葉遣いをこのように捉えることは︑この後に
展開される
家族とのコミ三一ケーション能力に欠ける父親とは︑そうしたあ
り方を容認し︑不器用で表現能力の乏しい父親の内面を察する家
族がいてはじめて存在し得るものであり︑また父親とはそういう
ものだと納得してしまうことで︑そのあり方に対する評価を問う
といったような議論もなされない︑ということになるのではない
か︒教室ではこうしたことも問いとして立てられてもよいのでは
ないだろうか︵p一○七︶
といった議論においてヨミ三一ケーション能力に欠ける﹂﹁表現能力
の乏しい﹂と規定することの根拠の一つとなっているようにも読める︒
この父親の家族に対するコミ三一ケーションのあり方が︑現代社会
において求められるそれと異なることは確かであろう︒しかし︑議論
全体の当否はともかく︑右の言葉遣いをもってただちに﹁威張ってい
る﹂と捉えたり︑ヨミニーケーション能力に欠ける﹂との把握に結び
つけたりすることは適切であろうか︒例えば二例目の場合︑この状況
としては精一杯の﹁魂の飛ぶようなご馳走﹂として作ったサツマイモ
の天ぷらをもっと食べるように言っているのであり︑直前には﹁日ご 近藤明
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