棄婦詩訳解
棄 婦 詩 訳 解
は じ め に 細田三喜夫
中国の詩を読むと︑ 〃棄婦の詩が意外に多い︒古くは﹁詩経﹂に初
まり︑中頃は漢・魏・六朝の﹁古詩﹂を経て︑唐以後はいよいよ多い︒
もちろん︑中国の各時代にできた各種の中国詩の総集を見ても︑そのほ
とんどは時代別分類であって︑ 〃戦争詩とか労働詩とかの目を立
てていないのと同様︑ 〃棄婦詩とか宮女詩とかの目は立てていな
い︒しかし︑それはその頃の中国における詩の分類意識がそうであった
までのことで︑ 〃棄婦詩という名称をもって呼び得ると思われる内容
の詩を︑それらの総集の中から選び出すならば︑それは驚ろくべきほど
多い︒ この事は︑〃棄婦〃なるものが︑中国の詩人たちの好んでうたいきた
った題材の一つであったことを物語るものであると同時に︑また〃棄
婦〃なるものが彼らの注目と関心を呼ぶに値する︑いうなれば︑社会問
題的意義を持った存在であったことを物語るものである︒ しからば︑棄婦たち自らは︑その歌の中で︑それをどのようにうたっ
ているであろうか︒また詩人たちは︑彼女たちに代って︑その歌の中
で︑それをどのようにうたっているであろうか︒それを見ることによっ
て︑中国の女性たちが︑狭くは中国の〃妻〃たちが︑どのような地位に
おかれていたかを知ることができるのではないだろうか︒少くとも︑ 〃詩という︑文学表現の領域において⁝⁝︒
こういう観点から︑現在集め得ている中国棄婦詩の中から︑若干を選 四二
んで︑これに訳と短い解説を加えてみる︒従って︑これは︑言
うなれば︑単なる紹介−中国詩の中には︑ 棄婦詩と呼ばるべき一
群の詩があるということの単なる紹介であって︑いまだ﹁研究報告﹂と
いうまでの段階には至っていない︒
次に凡例的な事項を若干附け加えておく︒
○本稿の詩は左の丈献から引いた︒
1
、
2︑
3︑ 4︑
○﹁詩経﹂
﹁伝﹂
の注︑
○本稿に挙げた詩の中︑その訳詩あるものを示せば︑次の如くである︒
−︑魚返善雄訳︵平凡社刊﹁世界名詩集大成﹂18東洋篇︶
谷風︑眠︑中谷有薙︑遵大路 −
2︑須田禎一訳︵平凡社刊﹁中国古典文学全集﹂31歴代詩書︶
張子離婦︑白居易母上子・井底引銀瓶
3︑那珂秀穂訳︵地平面容﹁支那歴朝閨秀詩集﹂︶
古怨歌︑白頭吟︑告絶詩︑書壁
4︑岡田正三訳︵第一書房刊﹁詩経国風篇﹂︶ 谷風︑眠︑中谷有要︑遵大路
なお︑漢の成帝に愛され︑のちしりぞけられた宮女班姥好に﹁怨歌
行﹂一首があり︑後世︑ ﹁怨歌行﹂ ﹁怨詩﹂﹁嫌好怨﹂﹁長信怨﹂等の名
でこの故事をうたった詩がおびただしくあり︑これらもまた当然〃棄婦
詩の範疇に入れてしかるべきであるが︑いまは庶民の中の棄婦のみを
考えており︑またそれらの詩は他の多くの宮女の詩とともに︑別に宮 ﹁詩集伝﹂一九五八年︑中華書局刊 ﹁玉台新詠集﹂商務印書追刊︑四部叢刊本 ﹁楽府詩集﹂一九五五年︑文学古注刊行社刊 ﹁金唐詩﹂光緒丁亥孟冬︑上海同若書局刊 の詩篇には︑ ﹁毛詩鄭箋﹂から﹁序﹂を添えた︒本欄中︑
とあるは﹁毛伝﹂︑﹁古注﹂とあるは漢の鄭玄の﹁毛翌翌箋﹂
﹁朱注﹂とあるは宋の朱子の﹁詩集伝﹂の注である︒
女詩の目を立て得るので︑いまはしばらくそれに譲る︒
一、
谷 風
一︑習習谷風 以陰以雨 範勉同心 不宜有怒 采葺采菲 無以下体 徳音莫違 及爾同死
二︑ 三︑ 行道遅遅 中心有違 不遠伊遡 薄送我畿 誰謂茶苦 其骨如蕃 宴爾新昏 如兄如弟
浬以消濁 渥渥其祉
宴爾新昏
不我屑以
経
郡 風 篇
春風そよそよ
雲が出てきて
仕事はげんで
おこ
怒ったりなど
カブや大根
根だけでよしあし
妻のほまれに
あたしゃあなたと
足もとぼとぼ
うしろがみ
遠くは出ずに
送ってくれた
にがな 茶はにがいと
あたしにくらべりゃ
今度の人と
〃お兄さまだの
浬は潤のため
なぎさにゃ澄んだ
今度の人と
あたしというもの
棄婦詩訳解 吹きだせば あ め 慈雨が降る 心を合わせ せぬものよ 採るときは きめはせぬ たがわねば 死ぬ日まで ただちょっと 門のうち いうけれど あまいもの お楽しみ
〃弟のと
濁るけど とこもある
お楽しみ ありながら 母逝我梁 母発我筍 我躬不閲 邊憧我後
四︑就其深
方之舟之
就其浅
泳之游之
何有何亡
旭勉求之
凡民有喪
綱萄救之
五︑不我能藩
反以我為艦
既阻我徳
頁用不佳口
昔育恐育鞠
及爾顛覆
既生既育
比予予毒
六︑ 我有一日蓄
亦以御冬
宴爾新昏
以我御窮 やな ﹁あたしの梁に ﹁あたしのうえを けれどあたしは あとの心配 深い川なら いかだで舟で 浅い川なら くぐって泳いで お金があろうが いっしょうけんめい 人に難儀が 這って行っても ぞうしたあたしを かえってあたしを よいところは 売れずに残った おそろしいとき ともに苦労を 楽になったと 今度はあたしを おいしいものを 冬の備えも 今度の人と
困っ・た時だけ 近寄るな﹂ あけるなよ﹂ 去られた女 何になろ なかろうが かせいだわ あるときは 助けたわ おかないで あだ 仇にする きらわれて 売れ残り こまるとき したもめを 思ったら
毒とする たくわえて
していたに
お楽しみ 使うのか
四三
棄婦詩訳解 四四
有洗有潰 既語我舞
不念昔者
伊余来塑 こわい顔やら あたしをさんぎ 忘れましたか
愛してくれた いかり顔 苦しめる 新婚の 頃の事
﹁序﹂には﹁谷風︑刺夫婦失道也︒衛人化其上︑淫於新婚二葉町旧室︑
夫婦離絶︑国俗傷敗焉︒﹂とあり︑夫に棄てられた妻が︑いままで夫を
助けてさんざん苦労してきたのに︑暮しが楽になったら︑そういう自分
を棄てて︐新しい妻と仲よくしている夫を恨んでうたった歌︒
谷風とは春風︒ ﹁小雅﹂に同じく﹁谷風﹂と題する詩があるが︑
それは〃朋友相怨む詩 ︵朱註︶であって︑ 〃棄婦の詩ではない︒
この詩の妻は何故棄てられたかは︑詩の中にはうたわれていない︒し
かし︑詩中︑ ﹁昔は恐れに育しきわまれるに心して︑爾と顛覆せるに︑
既に生き既に育すれば︑予をば毒に比す﹂などの語から察すると︑この
詩の夫は︑ 〃糟慷の妻を忘れた︑忘恩不実の夫であったようだ︒
眠
一、
ー之童蚤 抱布貿糸 匪来貿糸 来即我謀 送子渉漠 至干頓丘 匪我想期 子無良媒 将子無怒 秋以為期 衛 風 どこの誰だか 布をかかえて 糸を買うのが ほんとはあたしを お前送って 頓丘までも
﹁いつまでのばそう
まだ仲人も
おこらないでね
秋には嬉しい こごここと 糸買いに めあてでなくて くどこ・つと 潰水を渡り ついて来た 気もないが ないものを ねえお前
こともあろ﹂ ご︑乗彼脆垣 以望復関 不見復関 泣涕漣漣 既見復関 載笑載言 爾卜爾笠 体無下言 以爾車来 以我応唱 三︑桑之続落 其葉沃若 干嵯鳩分 無食桑甚 干嵯女分 無与士耽 士之耽分 猶可説也 女之分耽 不可説也 四︑桑之落 其黄而隈 自我祖爾 三歳食貧
演水湯湯 こわれた垣根に 復関の室 お前の顔が 涙ぼたぼだ やっとお前が 笑いながらの
﹁もしもお前の
不吉な言葉が
車でお迎え
荷物まとめて
桑の落葉 その葉は若くて
ああ 鳩よ
桑の実食うて
ああ 女よ
男にうつつ
男はうつつ
まだ言いわけも
女がうつつ
何と言い解く
桑の葉ッぱが
黄色くしぼんで
お前のお嫁に
食うや食わずの
漢水の水は 登っては 眺めたわ 見えないと 泣いてたわ 来たときは 物語り うらないに なかったら 頼みます 行きますわ﹂ せぬうちは 美しい 酔うでない 抜かすでない 抜かしても 立つけれど 抜かしたら すべもない 落ちてくわ まとまとと なってから みとせご 三歳越し
ショウショウと
漸車争裳 女車草津
墨筆其行
士也岡弁 解二席末
五︑三歳為婦
靡室労
夙興夜探
靡李朝
言既遂
至干草
兄弟不知
唾其笑
華言思之
躬立際
六︑及爾楮老
老使我怨
漢則有岸
曝則有梓
総角之宴
言笑曼曇
信誓旦旦
不思其反
反是不思
亦己焉哉 車のひれを 女にうそは 男心と 男心の ほんとに何を お嫁になって 苦労と思った あしたに起きて ひと朝なまけた 誓ったとおり こんなひどいめ 何も知らない 苦労もなげに ひとり静かに わが事ながら 行く末かけてと 老いたあたしを 川にも岸が 沢にもみぎわが 娘の頃の おしやべりしたり まごころこめて 去られようとは 去られようとは もう何も彼も
棄婦詩訳解 濡らしたわ ないものを 秋の室 頼りなさ するのやら 三歳越し ことはない 夜半に寝ね こともない 果したに 見ようとは 兄弟は 笑ってる 考えりゃ 悲しいわ 思ったに 怨ませる あるものを あるものを 楽しさよ 笑ったり 誓ったに 知らなんだ 知らなんだ おしまいだ ﹁序﹂には﹁眠︑刺時也︒宣公之時︑礼儀消亡︑淫風大行︑男女無別︑ 遂相奔誘︑華落色衰︑復相棄背︑或乃困而自悔喪其妃綱︒故序其事以風 焉︒美反正︑刺淫洪也︒﹂とあり︑これによると︑ 妃綱とは妻であ るから︑ 妻に背かれた勇の歌となるが︑詩を読むと︑むしろ逆で︑ 男に誘惑されて︑のち男に棄てられた女性の︑自らの悲しき半生を顧み てうたった悲恋の歌である︒ 嘱とは民の意︒ここでは転じて︑広く他国の民︑他村の男の意で ある︒ 古来︑中国の詩には棄婦の詩が少くないが︑この詩はそれらのうち の最大の傑作であるばかりでなく︑また詩三百中最大傑作の一つである︒ この詩の女性の恋は︑桑の葉茂る晩春初夏に初まり︑やがて晩秋︑桑 の葉の黄ばみ落ちるとともに︑彼女の恋もまた終る︒この詩の女性の棄 てられた理由は明らかである︒すなわちおのれの妻としての献身にもか かわらず︑男の不実のために棄てられて行く︒ここにおいて︑彼女は世 み おみな おのこ の同性に警告を発して言う︒ ﹁鳩よ︑桑の甚を食うなかれ︒女よ︑士と 耽るなかれ﹂と︒しかも︑この詩の女性の不幸は︑この詩の女性のみの ことではなく︑中国の旧社会においては︑きわめて普通のことであった のである︒⁝⁝⁝⁝⁝
たい 中谷有幕
一︑中谷有羅 嘆其乾
有女枇離
暇其嘆
嘔其嘆
遇人之難難 王風 谷のメハジキ カラカラ乾く 女去られて さめぎめ嘆く さめぎめ嘆くは 夫の難儀に遇えばこそ
四五
棄婦詩訳解
二︑中谷有擢
嘆其修突
有女低離
条其漱突
条其鰍
一人之不一一
三︑中谷有感
嘆其湿
有畜低離
聖運泣尖
畷其泣
何嵯及 谷のメハジキ 乾いてだらり 女去られて うめき泣く うめき泣くのは 夫の磯謹に遇えばこそ 谷のメハジキ 乾いてどうり 女去られて すすり泣く すすり泣いたとて
何としょう
﹁序﹂には﹁中谷有薙︑関周也︒夫婦日以衰薄︑凶年磯鰹︑室家相棄
爾︒﹂とあり︑鄭玄によれば︑ 薙 ︵七二ジキ︶は陸草︒故に谷中に
生うるときは︑水にいたみやすい︒もって夫が酒事に遇ったことに通え
るとする︒︵註︶この詩の妻が棄てられた理由は明らか︒それはただ夫が
難難︵飢餌︶に遇ったためである︒
註︒興者︑喩人居平安之世︑猶離之生於陸自然也︑遇内乱凶年︑猶離葦生谷中︑
得水則病将死︒ ︵毛詩鄭箋︶
遵大路 鄭風
一︑遵大路分 滲執子之怯分
無我悪分 不毘故也 都大路をかけめぐる⁝ 男の挟にとりすがり
﹁あたしを憎んでくれないで
古いあたしを棄てないで﹂ 二︑遵大路分 鰺執子之手分 無我醜分 不霞好分 四六
都大路をかけめぐる1
男の腕にとりすがり
﹁あたしを嫌いと言わないで
古いよしみを棄てないで﹂
﹁序﹂には﹁遵大路︑思君子也︒郭公失当︑君子去之︑国人思望焉︒﹂
とあるが︑朱子は〃棄婦詩としている︒ ︵註︶
葉婦詩︑そのおおむねは︑棄てられたわが身の不幸と悲しみをうたっ
ているだけであるなかにあって︑この詩の如く︑ ﹁あたしを棄てない
で﹂と男にとりすがる︑野性的な︑あるいは積極的な詩は︑他にない︒
註 淫婦為人所棄︒故於其去也︑執其怯而留愛日︑ ︵中略︶亦男女相説忌詞
也︒ ︵詩集伝︶
一
︑我行其野 小雅・祈父
片行其野 蔽帝其樗
婚姻之故
言就爾居 爾不我畜
復我邦家
二︑我行其野
言采其遂
婚姻之故
言就爾宿
爾不我畜
看帰思復 野原を行けば こんもりヌルデ 親のとりきめ お前の嫁に 養ってくれぬ さ ぐ 帰ろう実家に 野原に行って
ちく遂を採る 親のとりきめ お前の嫁に 養ってくれぬ
帰ろう帰ろ
三︑我行其野
言采其菖
不思旧姻
求爾新特
成不以富
亦砥以異 野原に行って
ふく蓄を採る あたし忘れて 新人を 金ゆえじゃない 珍らしゅえに
﹁序﹂に﹁我行其野︑刺宣王也︒﹂ ﹁註﹂に﹁刺其不能正嫁取之数︑
而有荒政多婚之俗也︒﹂
親どうしのとりきめで嫁に行った娘が︑やがて夫の家を出て︑実家に
帰ろうとするときの歌︒彼女が去られることになった理由︑それは夫が
おのれを忘れて︑新人を愛するようになったためである︒それもただ新
人が珍らしいばっかりに⁝⁝⁝⁝︒
二︑古
詩
上山影藤蕪 漢 無名氏
上山採靡蕪
下山逢故夫
長脆問故夫
新人復何如
新人難言好
未若故人妹
顔色類相似
手爪不相如
新人従門入 山に登って 山から下りると 両ひざついて
﹁今の奥さん
﹁今のも器量は
あなたの器量にゃ
﹁顔なんかみんな
お仕事ずっと
﹁今のは門から
棄婦詩訳解 篇
ぴぶ 簾蕪を採り
せんぷ 先夫に逢った
先夫に問うた
どうですかし
いいけれど
かなわない﹂
おんなじよ
上手でしょ﹂
入ってき 故人従閤去 新人工織繰 故人工織素 織鎌日一匹 織素五丈余 将縁来比素 新人不如故 あなたはくぐりから 今のは上手に あなたは上手に ほそ絹は日に しろ絹は日に ほそ絹しろ絹 今のはあなたに
︵玉台高詠集巻一︶ 出て行っに ほそ絹織るが しろ絹織った
一匹だけど
五割余織れだ
くらぶれば
かなわない﹂
﹁古詩八首﹂中の一首︒
棄てられた妻が先夫に逢って︑先夫ととりかわした問答の歌︒のち︑
漢の王僧孫の﹁為銀庫部旧姫擬扉蕪之句﹂ ︵玉台新詠細巻六︶を初め︑こ
れにならった詩が多い︒
〃靡蕪は和名オγナカズラ︑一名を〃当帰という︒ 〃当帰とは
まさに帰るべしの意︒よって女性が遠行の夫の帰りを待つ心をこめて︑
この草を摘んだ︒
この妻の棄てられた理由もまた明らかでない︒しかし︑詩全体から考
えると︑さきの﹁詩経﹂の﹁我行其野﹂の詩と同様︑これもまたその先
夫が新人を求めたためのようである︒︑
白頭吟
艦如山上雪 鮫若雲間月
聞君有両意
故来相決絶
今日斗酒会
明旦溝水頭﹂ 白きこと 明きこと ふたごころ ことさらに 今日の日は
明日の日は 雪の如きに 月の如きに 君の抱きて 別れなすてう 斗酒酌みかわし ひとりほりべに⁝⁝⁝
四七
棄婦詩訳解
曖諜御溝上
溝水東西流
凄凄復凄凄
嫁嬰不須暗﹂
願得一心人
白頭不相離
竹竿何搦搦
魚尾何回筏
男児重意気
何用六日為 行き戻る 西東 淋しとも
人妻は
もしあらば
しらがまで
竹竿の 魚の尾の
ますらおは
かね
金をもて
︵楽府詩集巻四十一︶ あわれほりべよ 水は流るる 淋しきかなや 泣くまじきとそ 実ある人と 添いて離れじ なんぞしなえる なんぞふるえる 意気こそいのち 何すとやいう
愛人ができたから別れに来たと聞かされて︑自殺した女の歌︒
﹁玉台新詠集﹂巻一には︑﹁古楽府詩六首﹂中の一首として挙ぐ︒﹁
楽府詩集﹂には︑ 相和歌辞中の産調曲に属するものの一として
﹁白頭吟二首﹂を挙げ︑一首は﹁晋楽所奏﹂︑他の一首はその﹁本辞﹂
であるとしているが︑その〃本辞とするところのものは︑ ﹁玉台﹂に
挙ぐるものと同じい︒
また﹁西京雑記﹂に﹁司馬相如将聰茂陵人女為妾︒卓丈君作白頭吟以
自絶︒相如乃止︒﹂とあるによって︑この詩を干鯛君の作とする説もあ
るが︑さきに挙げた﹁玉台新詠集﹂ ﹁楽府詩集﹂を初め古書に収めてあ
るこの詩にはみな作者の名がない︒
後世︑この詩にならって︑同じく﹁白頭吟﹂と題する詩が多く︑宋の
飽照一首︑陳の張正見一首︑唐の幹回夷一首︑李白二首︑張籍一首があ
り︑ ﹁反白頭吟﹂と題する詩に︑唐の白居易一首︑ ﹁決絶詞﹂と題する
詩に︑唐の元喫惧三首がある︒
また唐の崔鶯鶯には﹁告絶詩﹂ 一首︵後出︶がある︒ 古怨歌 後漢 寳玄妻
螢螢白兎
東走西顧 衣不如新
人不如故 白き兎は 東に走り 新しかれや
妻は古きに
︵古詩賞析巻六︶ 四八
さびしらに み 西に顧る
きぬ
衣こそは 如かめやも
唐の﹁芸文類聚﹂には︑後漢の寳玄の妻の夫に別れる書を載せて︑単
にこの詩の下二句を記し︑宋の﹁太平御覧﹂には︑ ﹁古艶歌・無名氏﹂
の作とし︑﹁古詩賞析﹂には︑寳玄の妻の作とし︑﹁古哲歌﹂と題する︒
﹁古怨歌﹂とはもとより﹁古詩賞析﹂の選者がつけた題で︑ 〃古の︑夫
に棄てられた妻が夫を怨んでうたった歌の意である︒
いましばらく寳玄の妻の作として掲げるが︑この弓懸の妻の故事は
﹁後漢書﹂︵註︶に見える︒それを見れば︑彼女が棄てられた理由︑それ
は自ら明らかである︒
註︒玄状貌絶異︒天子使出其妻︑妻以公主︒妻悲怨︑寄書及歌与玄︒時入影戯
伝之︒
棄婦篇 魏 曹植
石榴植前庭
緑葉揺標青
丹華灼烈烈
帷彩有光栄
光好曄流離
可以処淑霊
有鳥飛来集 前庭に 葉がくれに 赤き花 春の日に 春の日に よき鳥そ
よき鳥の ザクロ植えしが まろき実ゆらげり くれない燃えて 照りかがやけり きららかがやく ここに遊ばん
来たり遊びて
樹翼以悲鳴
夫何為丹華
丹華実不成し
栴心長歎息
無子当帰寧
有子月経天
無子若流星
天月相終始
流星没無精
栖遅失所宜
下与瓦石井L
憂懐従中来
歎息通難鳴
返側不能殊
適遙於前庭
蜘腱還入房
粛粛帷幕声
暴三更摂帯
撫弦弾素箏︑
慷慨有余音
要妙悲且清L
収涙長歎息 何以負神霊
招揺待霜露
何必春夏成
晩穫為良実
願君且安寧 つばさ打ち 何すれぞ 花あれど 胸打ちて ﹁子なければ
子のあれば
子のなくば
行く月は 流れ星
住みどころ
地に下りて
憂き思い 嘆くまに
・寝がえりつ
前庭を ためらいつ
ハタハタと
とばりあげ
いこ
絃かいなでつ
憂き思い 箏の音の
涙ふき 神霊に
招揺出でて
物なるは おそきほど
君願わくば
棄婦詩訳解 悲しみ鳴けり 悲しみ鳴くや 実こそなければ 長きため息
さ ずサ実家に帰れ﹂と 室行く月も 流れ星かも 終始あれども 消えて跡なし われは誤り 石とまじれり 胸にあふれて 夜ぞ明けぬる いねも得せねば そぞろ歩きぬ 部屋に戻れば とばりはためく またも衣まとい
こご箏ひけば あとに残りて 悲しく清し 長きため息 〆 われはそむかじ 霜露降る 春にはあらず よき実なるなり こころのどかに ︵玉台新詠集巻二︶ 子無きため棄てられし妻のこころを思いでよめる歌︒ 曹植には︑この外︑ ﹁種葛篇﹂﹁浮薄篇﹂︵玉台新手集巻町︶がある︒
去妾贈前夫 梁呉均
棄妾在河僑
相思復相遼
鳳風替落籔
蓮華帯緩腰
腸従別処断
貌在涙中鏑
願君憶疇昔
片言時見饒 めかけ去られて 思う殿ごは 鳳恩のかん︑ざし 蓮華の帯は 別れる時から 涙のうちから 君よ昔を
時にはことぼ 橋の上 また遠い 曇から落ちて ゆるゆるに はらわたちぎれ 顔やせた 思い出し
かけてたべ
︵玉台新詠集巻六︶
去られたる妾のこころを思いでうたえる歌︒
この妾の去られた理由もまた明らかでない︒彼女はただ去られたる身
の悲しみを言い︑せめてはも〃時には言葉かけてたべと前夫に願うの
み︒
詠人棄妾 梁 皇太子簡丈
昔時嬌玉歩
含差花燭辺
量言心愛断
街喘私自憐
常見歓成怨
非関醜易婿 むかしは歩みも 花燭のもとに 愛の心は ウウとむせびつ よろこびうらみと
色香うつるに うるわしく はじらいぬ 変らねど 身をいたむ なるは常
あらねども
四九
棄婦詩訳解
独鵠罷中路 ああ飛びやめし かた鶴か
孤鷺死鏡前 鏡の前に 死せし鷺かも
︵玉台新詠集巻七︶
皇太子簡文とは︑梁の論詰の皇太子薫綱︒
人あり︑その妾を棄てた︒そこで︑皇太子は︑その棄てられた妾に代
って︑この歌を作った︒
皇太子には︑この外︑ ﹁劇詩﹂ ︵玉台巻七︶﹁蜘蛛作糸﹂ ︵玉台巻九︶
がある︒ 三︑唐 詩 篇
去 君心匝中鏡
一破不復全
妾心志中京
難断猶牽連
安知御輪士
今日醗回較
一女亭一夫
安可再移天
君聴去鶴言
哀哀七糸弦 婦 孟郊 君が心は 割れたが最後 あたしのらは たとい切れても 立派な殿ごが
車返すとは
女は一度
夫かえるは
君聞き給え
七絃琴の
︵全唐詩巻十四︶
棄てられし妻が︑前夫に向いて︑
と訴える歌︒ 鏡と同じ 合いはせぬ 蓮の糸 あとをひく 今日急に 知らなんだ とついだら ならぬこと 鶴の声 ね 悲し音を 棄てられたるわれの悲しき声をきけ 古薄命妾 孟郊
不惜+指絃
為君千万弾
常恐新声至
坐使故声残﹂
棄置今日悲
即是昨日歓
将新変故易
持故為新難﹂
青山有扉蕪
涙葉長不乾
室令後代人
采綴幽思損 主のためなら 万たび弾こうと いつか新声 追い出されぬかと 棄てられし 愛されし 新を古きに 古きを新と 青山の その葉涙で うちのちの人
悲しき思い 五〇
︵全唐詩巻十四︶
その献身的な愛情にもかかわらず︑
れるに至った︑古き妻の︑嘆きの歌︒
﹁妾薄命﹂と題する詩は︑もと魏の曹植の作二首に初まったもので︑
のちこれにならって︑梁の簡丈帝︑劉孝威︑劉孝勝︑唐に至って︑この
孟郊の作のほか︑崔国輔︑武平一︑李百薬︑杜審言︑劉元淑︑李白︑張
籍︑李端︵三首︶︑盧論︑盧弼︑胡曾︑王貞にそれぞれ二子の作がある︒
離
十載来夫家
閨門無載疵
薄命不生子
古制有分離 婦 張籍 十でお嫁に ねやを守って しあわせうすく
古いおきてで 大琴を いとわねど 現われて おそれてた 今日の悲しみ こぞ 昨日の喜び かえるは易く なん するは難 オγナカズラは 乾くなく いたずらに 摘むばかり 新しき愛人の出現のために棄てら 来て以来 おちどない 子を生まず
去られます
託身言同穴
今日事乖違
念君終棄掲
誰能強在薙L
堂上謝姑鐘
長三三旧辞
姑婬見我往
将決復沈疑
与我古時釧
留我嫁時衣
高堂射我身
異我於路睡L
昔日初為婦
当君貧賎時
昼夜常紡績
不得事蛾眉
辛勤積黄金
済君寒与飢
洛陽買大宅
郡郵買侍児﹂
夫婿乗竜馬
出入有光儀
将為富家婦
永為子孫資
誰謂出君門
一身上車帰﹂
有子未必栄 からだまかせて イスカのはしの どうせ棄てられた なんでむりやり 堂に上って 両ひざついて 姑鐘はわれの 心にきめては 昔の腕輪 嫁入り衣裳 堂の上では 道のほとりで はじめてお嫁に あなたの貧しい 夜昼いつも 眉かくひまも 勤めはげんで あなたの難儀 洛陽に 耶郵で 夫は駿馬に 出るも入るも あたしは大家の 孫子のたすけと あなたの門を
一人車で 子供あっても
棄婦詩訳解 誓ったに 食いちがい この身なら とどまろう ふぼ 姑嫌に謝し いとま乞う 行くを見て また迷う たまわりて とどめおく わが身をさすり 泣いている 来た時は 時だった 糸つむぎ なかったわ 金ためて 救ったわ 屋敷を求め しもべも買ったわ またがって 堂汝と 奥さんで 思ったに 追い出され 帰うとは⁝⁝ 栄えない 無子坐生悲 子供なければ 為人莫作女 人と生れて 作女実難為 女となるは ︵全唐詩巻十四︶ 悲しい目 女となるな むずかしい
子供がないために離婚された妻の歌︒子供がないために離婚された妻
の歌は︑魏の曹植の﹁棄婦篇﹂もまたそうであった︒
張籍には︑この外︑ ﹁白頭吟﹂一首︵全唐詩巻十四︶がある︒
母別子 白居易
母別子子別母
白日無光実声苦
関西駆騎大将軍
去年破虜新策勲
勅賜金銭二百万
洛陽迎得如花人
新人迎来旧人棄
掌上蓮花眼中刺﹂
迎新棄旧未足悲
悲在君家留両児
一始扶行一初坐
坐哺行実牽人衣
以汝夫婦新燕娩
使我母子生別離
不如林中烏与鵡
母不失雛雄伴雌
応似園中桃李樹 母子に別れ 白日曇り 関西騨騎大将軍 えみし破りて こがね ほうびの黄金 花の美人を 新人迎えて はす 手の中の蓮花 迎える棄てるは 二児のあるのが 歩きはじめと 泣いてわめいて 汝ら二人は おやこ われら母子は 山の烏や 母子おすめす 庭の桃李の 子母に別る 声苦し いさお立て 二百万 みやこ 洛陽に迎う 旧人棄てる 眼の中のとげ 悲しくないが いたましい すわりぞめ 衣にすがる 楽しんで 生きわかれ カササギも 棲むものを 花散って
五一
棄婦詩訳解
花落随風子在枝L
新人新人聴我語
洛陽無限紅楼女
但願将軍重立功
更有新人勝於汝
︵全唐詩巻十五︶ 実だけ残ると 同じこと 新人新人 聞かれよや み こ
﹁洛陽にやあそびめ 限りもないそ
将軍かさねて いさお立て
汝にまさる 新人出でよ﹂
この詩には﹁刺新間旧也﹂という前書きがついている︒関西腰騎大将
軍が異族討伐の功を立て︑妻を棄てて新人を迎えたのを見て︑棄てられ
た妻の悲しみを述べ︑妻を棄てた武将とその愛人を責めた歌︒
井底引銀瓶 白居易
井底引銀瓶
銀瓶欲上糸縄絶
石上磨玉讐
玉讐欲成中央折
瓶沈讐折知奈何
似妾今朝与君別L 憶昔在家為女時
人言挙動有殊姿
揮婿両轡秋蝉翼
宛転讐蛾遠山色
笑随戯伴後園中
此時与君未相識L
妾弄青梅懸短燈
君騎白馬傍垂楊
摘頭馬上遙相顧 井戸の底から 上がりかかって 石の上にて もう一息で つるべ沈んで あなたと別れる むかしあたしが みんなあたしを 左右のびんは 二つの眉は 庭でみんなと まあだあなたを 青梅持って あなた白馬で
かきねと馬上と つるべを上げりゃ 縄切れた かんざしみがきゃ ポと折れた かんざし折れた あたしと同じ 娘の時にゃ すてきとほめた 蝉のはね 山の色 遊んだ頃は 知らなんだ かきねにいたら 木かげから
顔見合わせて 一見知君即断腸
知君断腸共君語
君指南山松柏樹
感君松柏化為心
闇合愛糞逐君去L
到君家舎五六年
君家大人頻有言
跨則為妻奔是妾
不堪主杞奉頭泰
終知君家不可住
其奈出門無去処
豊無父母在高堂
亦有親情満故郷
潜来更不通消息
今日悲差帰不得﹂
為君一日恩
誤妾百年身
寄言凝小人家女
慎勿将身軽許人 五二
すぐにわかった お心が
お心わかって お話すると
あなたは松の木 指したわね
あなたの変らぬ 心に感じ
こっそりまげ結って あと追った
お家に来てから 五六年
とうさましきりに おっしゃるは
﹁迎えりゃ妻だが 奔れば妾だ
祖先の祭りは させられぬ﹂
お家にはもう おれないが
お家を出たら どこ行こう
父母堂に おられるが 親類故郷に 多いけど
家出してから たよりもしない
いまさらなんで 帰らりょか
あなたの一日の なさけのために
あたしの一生 あやまった
﹁うぶなお若い 乙女子よ
うっかり男に 許しちゃダメよ﹂
︵全唐詩巻十五︶
﹁新楽府﹂中の一篇︒﹁止淫奔也﹂の前書きがついている︒
愛人のもとに奔ったが︑のち愛人の親から︑正式の妻でないからと︑
追い出された少女があった︒そこで︑その少女に代って︑この歌を作っ
た︒ ﹁詩経﹂の﹁眠﹂の詩もまた愛人のもとに奔って︑のち愛人に棄て
られに少女の詩であったが︑あれは〃男の不実〃のだめに棄てられたの
に対して︑これは〃奔るは妾〃との古礼のために追われた︒詩中︑ ﹁璃
すれば則ち妻たり︑奔れば則ち妾﹂とは︑﹁礼記・内篇﹂中の言葉であ
る︒〃自由結婚π︑それは当時は許されていなかった︒〃礼〃というも
ののもとにおいて⁝⁝︒ ︵楽府詩集巻六十九︶があるが︑みな〃思婦詩〃である︒
婦詩のようでもあるが︑ ﹁君心若車千万転﹂の句から︑
詩〃と解した︒ この詩もまた思 しばらく〃棄婦
車遙遙 張祐
東方朧朧車軋軋 東の室はしらじらと 車の音はキシキシと
地色不分新去轍 もののあやめもわかたぬに
あたしを棄てて行くわだち
閨門半掩窓半室 とびらも半分あいたまま 窓も半分あいたまま
斑斑枕花残泊紅 枕の模様に消え残る 涙のあとの赤いこと
君心若車千万転 あなたの心は車の輪 千だび万たびころζうと
妾身如轍遺漸遠 あたしのからだは車のわだち
いよいよ遠く残される
碧川遙週山宛宛 緑の川はばろばうと 緑の山はうねうねと
馬蹄在耳輪在眼 蹄の音は耳にあり めぐる車輪が眼に残る
桑間女児情不浅 桑の畑のおとめこの なさけは浅くないものよ
莫道野蚕能作繭 ﹁かいこはまゆを作るさ﹂と
そう簡単に言わないで
︵全唐詩巻十九︶
この妻は何故棄てられたか明らかでない︒しかし︑詩中﹁君が心は車
の如く︑千万転ず﹂の語からすると︑夫の〃千万転ずる心〃によるらし
い︒中国の棄婦︑そのおおむねはこのようにして棄てられていったので
ある︒ ﹁車遙遙﹂と題する詩は︑梁の車勲︵古詩源巻七では習の傅玄の作︶に 初まり︑唐に至って︑この詩のほか︑孟郊一首︑張籍一首︑胡曾一首
棄婦詩訳解 棄 婦 劉駕
回車在門前
欲上心更悲
路傍見自発 以妾初志時
養蚕巳成繭
織素猶在機﹂
新人応笑此
何如画蛾眉
咋日惜紅顔
今日宿老遅
良媒去不遠
点恨今告誰 帰る車が 乗ろうとしたら 道のほとりの お嫁にきたときと おかいこ飼って しろ絹織って 今度来た人 眉かく気にも きのうはふけるの きようは老いぬを よい仲人は
誰に語ろう
︵全唐詩巻二十二︶ 門前に また涙 花見れば 同じだわ 繭できりゃ やめなんだ 笑うだう なれないわ きらっこ︑﹀ ナ・カ おそれてる いるけれど この恨み
去られて実家へ帰ろうとする妻の歌︒
この妻の去られる理由もまた明かでない︒けれども︑詩全体から考え ると︑この妻は自ら蚕を養い絹を織る︑むしろ勤勉な妻であった︒それ
にもかかわらず︑夫に対する恨みも言わず︑新人に対する憎しみも言わ
ず︑ただ﹁新人まさに笑うべし﹂と自らを笑って去られゆく妻であっ
た︒
書 壁 周仲美
五三
棄婦詩訳解
愛妾不愛子
為問此何理
棄官湿球妻
・人情寧可巳
永訣潤之浜
遺言室在四
三載無三朝
孤緯涙如洗﹂
婦人義従夫
一節誓生死
江郷感残春
腸断晩姻起
西望太華峰
不知幾千里 しよう め 妾をば愛でて ことわりいかに つかさ 官も棄てて 人のこころそ
し洒水のほとり 別れのことば 夜も昼もなく ひとりとばりに おみな 女は夫に 生死を誓う のこんの春に 夕べの煙に 太華の峰を
はかりもかぬる
あ ご吾子愛でぬ きかまほし
め