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一運動分類論に関する諸問題一 三 浦 忠 雄*

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(1)

運動実践を基盤に置いたスポーツ運動の「概論」構築への検討(第4報)

一運動分類論に関する諸問題一

三 浦 忠 雄*

(1996年10月14日受理)

An Attempt to Generalize Movements in Sports(Iv)

一Problem of Classification of Movements一

Tadao MIURA*

(Received October 14,1996)

はじめに

運動の全体を見通し,把握する「運動概論」において,授業のある段階で,理科の授業で,例え ば,植物にはどのような種類があるのかを学習する場合と同様に,人間の運動にはどの様なものが あるのか,という様な命題に進むのは当然のことである。スポーツの領野に限定しても,スポーツ の世界にはどの様な運動があるのかをを検討することは,スポーツ運動の概論においても必須の課 題である。それは,我々の考察する対象を明確にするという役割もあるからである1)。

しかし,運動を挙げて,検討すると言っても,漫然と羅列するだけでは要領を得ないものとなる だろう。走る,跳ぶ,投げる,泳ぐ,打つ,滑る・… どこまでそしてどのように列挙したらよいの であろうか。一般的にこの種の著述で,「…・他」と著されることがよく見られるが,その著者は,

「他」とはどのような範囲までを考えているの気になるところである。

そこで,何らかの考えに基づいて,まとまり毎に示す等の工夫があれば,理解しやすいものにな るだろうことは首肯できる。その工夫の一つが「分類化」そして「体系化」である。しかし,我々 の運動(Bewegung)は複雑で,多様で,膨大で,つかみ所のないものである。確iかに目の前に現れる が,あっという間に消え去っていく。果たして運動は,「分類」という考え方に馴染むものなのであ

ろうか。例えば,「歩く」と「走る」や,「走る」と「跳ぶ」は意外にその区分は曖昧で,2種類の植 物のように,それぞれが独立した存在と限定し難く,しかも現実の運動場面では,連続的に変化し,

また複雑に融合さえするのである。

運動の研究分野において,運動分類や体系に関する研究はあまり重要視されてこなかった。それ は,分類の必要性や意義が十分に認識されていなかったし,運動実践にどのように役に立つのか不

*茨城大学教育学部保健体育講座体育方法学研究室(〒310茨城県水戸市文京2−1−1)

(2)

明確だったからである。実際に専門書で,運動の種類や運動分類に関する部分を読んでも,それに よって何か役に立つことの示唆を受けることはほとんどない,というのが現実である。

運動の分類は,運動の研究や運動学習にとって,どのような必要性や意義をもっているのかを検 討するのが本論の目的である。

人間の運動のさまざな見方について

人間の運動を概観するのにも,従来からさまざまな視点が挙げられている。しかしこのことが一 貫性のある分類作業を難しくしていることが理解される。いくつかの視点の検討を試みる。

*随意運動

*不随意運動

我々が対象とする運動は,意志や意識に基づいて遂行される運動である。この意味で随意的であ る。随意運動という言葉は,神経学,心理学,精神病理学に由来する用語である2)。特にスポーツ運 動は,目標や意図を明確にもって運動を行うのであるが,随意といっても,数々の研究事例が示す ように,意識と遂行の関係は完壁な連結関係ではなく,微妙なものらしい3)。習熟が進んで自動化さ れた運動遂行と意識との関係も興味深い。意識やより具体的な運動意図である運動表象,あるいは 運動想像と運動遂行の問題は今後さらに研究されていく課題を多くふくんでいる4)。

*精神運動系

*現象運動系

フェッツは運動系をこのように認識している。明確に心理的性格(たとえば運動表象,運動想像 力)を持っている運動系の現象は主として精神運動系(Psychomotorik)としてまとめられ,これに対

して,形態学的に知覚しうる運動系の領域を現象運動系(Phanomotorik)と名付けている。フェッツに よると,精神運動系は,感覚運動(Sensomotorik)や観念運動(Ideomotorik)から構成される5)。確か に,あたかも実際に運動しているかのように,生き生きと思い浮かべたり,それを運動習得に応用

(メンタルトレーニング)する,いわば心に描き,構想する運動も人間の運動と捉えるべきであろう。

*表出(表現)運動(Ausdrucksbewegung)

*表示運動(Reprasentativbewegung)

*目標運動(Zielbewegung)

バイテンディクによると,人間の運動を機能的にみると,このように分析される6)。マイネルは,

例えば,顔の表情変化,手振り,身ぶり,話すときの動作等を「一般人間運動」(allgemeine menschliche Motorik)としてスポーツ運動から区別している。また人間相互の交流における情報伝達と働きかけの 手段としての表現運動系をスポーツ運動系と区別してあげている。顔(表情)や全身(パントマイ

ム)の表現動作,話すことや書く表現動作,芸術上の創作・模倣の表現動作が含まれる。表現動作 というものは,不随意的にも,随意的にも展開されるものである7)。例えば舞踊における意識的な表 現形式は,*再現(DarsteHung)と呼ばれる8)。金子の言うように9),表出と再現のかかわり合いは複 雑であるが,マイネルは,舞踊や体操の中で,身体の動きを通じての表出や再現を養成することが,

体育の重要な一領域であると強調している。

(3)

*日常運動

*労働運動

*表出(表現)運動

*スポーツ運動

フェッツによると,人間の運動系は,利用あるいは表出の領域のちがいによって,このように分 けられる10)。マイネルによると,このような境界設定は決して厳密に区別してしまうことを意味し ているのではなく,対象領域(すなわちスポーツ運動)の一般的特徴を際立たせようという意図で ある。ましてやこの区別によって,論理学的な上位や並立の問題に答えようとするものではない。と いうのは,労働運動系にも,表現運動系にも,いろいろな関係や類縁性が存在するからである。こ こで重要なことは,労働であれ,スポーツであれ,芸術であれ,日常の人間相互の意志の疎通であ れ,どこででも,運動を介して,環界と積極的に対峙している生命ある人間が存在しているという

ことである11>。

*静態

*動態

身体の記号論を論じた山口は,足を中心に人間の行為の形態をこのように分類した。静態には立 位と坐位があるが,その中間として踵鋸があり,それぞれ儀礼的な文脈で重要な位置を占める。動 態には歩行や走行のように線を構成する運動と,移動を前提としない跳ぶ行為(上昇)と,それに 対する踏む行為(下降),更に両者を水平軸に置換したものとして「廻る」を示している12)。山口は 静態と動態を対立したものと捉えているが,運動学では,「姿勢と運動」は対立するものとは考えず,

協調したプロセス,すなわち姿勢は運動の準備と考えられる13)。身体コミニュケーション論の野村 は,正座したり,しゃがんだりした「姿態」も,自分のからだをいかにして支えるかという意味で,

歩いたり,投げたりと同じように技術的機能をもつ「しぐさ」として捉えている14)。

*生得運動系

*習得運動系

フェッツによると,人間の場合に,生得的な運動(Erbmotorik)として確実に数えられるのは「吸う こと」「飲み込むこと」「叫ぶこと」である。ところで日常生活において,人間が関わり合いを持た なければならない事物は大部分人間によって発見され,つくり出されている。そして,たいていそ れらの事物との関わり合いは多くの経験を要求され,また労苦さえ要求されることも珍しくない。人 間のおびただしい数の運動系の獲得は,このような経験や労苦の結果である。人間に特徴的なこの 運動の仕方は,習得運動系(Erwerbmotorik)と呼ばれる15)。フェッツは,かなり多くの体育指導者の 考えの中には,歩いたり,走ったり,押したりする基本運動というものは,いわば人間の生得的な 財産であり,いずれにせよ発達するものであるという,誤った判断が見受けられると指摘している

P6)

oただ習得運動系の中では,歩くや走る,投げる等のように,成長過程の中で順次獲得されていく

運動から,スキーや水泳,自転車乗り等,計画的な練習によって習得される運動までさまざまなも のがあり,分類の中でそのような重みの違いを,どのように表現するのかの問題もある。

シュトルヒは,系統発生の視点から習得運動系を*製作運動系,*使用運動系,*創作運動系に 分類している。また習得運動系を*伝承的習得運動系と*創作的習得運動系に分類する考え方もあ

(4)

る。これらの分類では,立ったり,座ったり,体をねじったりするような日常的な運動の位置づけ が困難になる。そこでガウルホーファの体系にならって,習得運動系をさしあたって,*日常運動 と*労働運動に分類する可能性もある17)。

*自己の身体操作系

*自己以外の物体操作系

伴は,人間の身体運動を運動成果と身体運動の目的の側面からこのように分類したが,さらに身 体操作系を*位置移動運動と*調節運動に,物体操作系を*推進運動と*吸収運動に分類した18)。こ のような視点の分類例は,他にも数多く見られるものである。

運動学の基礎を築いたとされるフィートは,随意運動を*自己の身体だけで行う運動と*他の物 体を用いて行う運動に分類し体育運動の考えの基礎としている19)。宇土は,ミッチェル等の研究例 を引きながら,*自分のからだ自体を操作する運動(主体操作の運動),*他の物体を操作する運動

(客体操作の運動)に分類する事に同調するが,さらに,*物体の操作が主体の移動と一体的になっ ている運動(主客一体的運動)の分類を提唱している20)。

ヴァイツゼッカーは具体的に分類に触れていないが,歩行,直立,姿勢などは,*不動の環界を 前提とする運動性作業であるが,われわれの運動の他の半分は,*動的なものを動かすという点に ある。水泳,乗馬,乗車,捕獲,闘争,摂食など,生命ある或いは生命なき動的対象とのあらゆる 出会いもまた重要なのである,と述べている21)。

*自力による運動(自然な運動,巧技,形づくられた運動)

*外力による運動(動物の力,重力,風力,機械力によるもの)

*動きの抑制を志向した運動(たとえば,射撃)

クリンゲは「動かす力」に従って,このように区分しようと試みた。マイネルによると,この試 みは,一つだけの視点での分類の難しさを示している例だとしている22)。

フィートは,人間の動きを*能動的運動と*受動的運動に分類し,体育の体系に組み入れた。受 動的運動は,ゆりかご,ぶらんこ等のゆすられる運動,乗って行く等の運ばれる運動,曲げる運動,

圧す運動,こする運動などがあるが,積極的に努力しない運動は身体運動にふさわしくないと批判 されたとある23)。ところで,ロイター式踏み切り板,トランポリン,飛び板飛び込み,棒高跳びの グラスファイバーポールは,器具の反発力を利用するものだが,単純に身体をあずけるだけではそ の力の発揮は得られず,空中に出た後の運動コントロールを考慮にいれると,その器具を介した運 動全体の技術性が求められる。

*部分的運動

*全身的運動

局部的運動,全面的運動と言ってもいいかもしれない。部分的に運動を行えば部分的な効果を期 待できるという考え方は,現代においても相当浸透している。フィートは解剖学的視点から,身体 運動(Leibesub廿ngen)を*簡単な身体運動(身体の個々の部分だけを動かす運動)と*複合的な身体 運動(身体全体ないし数箇所を動かす運動)に分類した以)。フィートは自分自身この分類の可能性 を否定的にみていたようであるが,後に要素的・関節運動で有名なペスタロッチの基礎体育に影響 を与えた,という見方もある25)。マイネルによれば,リングに代表される,局部化された運動練習 の効果は一般に,例えば,肋木のような器械を利用して,あるいはパートナーによって一定の体部

(5)

分が固定されることによって効果が期待できる26)。しかし人間の運動の自然性,意味・価値性とい うことからみれば,結局は,「構成されたもの」は,たとえ部分的的運動であっても,人間は全身が 一体となって動くという事実から乖離して,身体各部の絶縁状況を招くことになる,というマイネ ルの指摘は重要である2η。

*循環運動

*非循環運動

*組合せ運動

運動構造の違いから3つの運動形式が確認されている。その際運動意図,運動経過,運動達成の 連関を把握する必要がある。循環運動(Zyklische Bewegung)の代表的なものは,歩や走の移動運動で ある。左右の足を交互に踏み出したり,引き寄せたりする動作の反復が要求され,同一形式の運動 が循環することになる。非循環運動(AzykHsche Bewegung)は,投げる,打つ,蹴る等,単一の経過 で運動意図が達成される。非循環運動は,準備局面,主要局面,終末局面の3局面構造が特徴であり,

これに対して循環運動は,主要局面と融合局面である中間局面からなる2局面構造が特徴的である。

運動の組合せ(Bewegungskombination)の場合にも,前の運動の終末局面と後の運動の準備局面の融 合が認められる。なお運動の組合せには,さまざまなタイプがあることが確認されている。特に局 面構造による運動の観察は,その運動の習熟レベルの判断の要素となる28)。

*移動運動(並進運動)

*回転運動

一  一  一  ■  一  一  一  一  幽  一  一  }  ,  }  ,  一  一  一  一  }  一  一  一  g  o  −  _  _  _  _  _

*等速運動

*不等速運動

自然科学(物理学)の領域では,運動という概念は明確に定義されている。運動は時間的展開や 空間的展開に従って,いろいろな運動に分類される。しかし,スポーツやスポーツ科学におけるさ

まざまな問題提起に対して,運動の物理学的定義は,多様で,多彩な人間の運動を捉え,説明する にはあまりにも狭すぎる。人間の運動は,もともと目標に向けられ,問題の解決を目指すものなの で,物理学的定義は,複合的性格をもつ人間の運動には適していない29)。

分類についての見解の例

● マイネルの「基本形態の運動」の分類30)

マイネルは主著の「運動学」の中で,スポーツ教育学的視点から,スポーツ運動系に限定してそ の分類化や体系化の意義や必要性について論じている。すなわち,それは体育における多くの素材 を体系的に位置づけることになり,その明確な体系化は,知識を教育学的に,効果的に伝達できる ことになるからである。しかし,分類化や体系化の研究は緒についたばかりであり,完成された分 類は未だ存在していないと,現状を捉えたうえでマイネルは,スポーツ運動系の区分や分類も,ス ポーツ運動の「行為性」の特性,すなわち具体的な課題設定や情況というものを考慮にいれること が大切としている。すなわち(1)運動課題はどのように解決されていくのか,(2)具体的な条件のもと

(6)

で,どんな運動形態が形成されるのか,(3にれらの運動形態は,個々にどのような状態になってい るのか,の諸点をまず踏まえるべきであると言う。

マイネルは以上のような観点で,「基本形態の分類」を発表している。これはスポーツの課題を解 決するために,どのような基本形態(Grundformen der Bewegung)の運動が使われるのかの視点から分 類を試みたものである。

①移動運動系(人間が環界と直接に対峙して,ほかの手段に頼らず,自分の運動器官だけを使っ て移動する運動)

祖く,走る,跳ぶ,登り下り よじ登り り 一ぐ 四つんばいで・・く,這いずる

▼る  広がることなど

②対象物に働きかける運動(人間が運動をさらに先へ伝えていくために,他の対象物に直接に働 きかける運動)

ち上げる,圧す, 張る,引き く,弓っ張る, しずらす,運ぶ, げる し げる  一り げる  つことなど

・相手に働きかける運動(さらに,それらの動作を用いて,相手に働きかけていく運動)

レスリング ボクシング  着

③スポーツ用具(人間が自分の運動を対象に向かって間接的に伝えるために,さらにある用具を 使う運動。人間は自分の運動器官の働きを高め,その行動範囲を拡大するために,何らかのス ポーツ用具を利用している。基本的には,道具を使う生産労働運動と同種である)

・腕の運動の到達範囲,正確さ,あるいは勢いを増大させるために,

バット テニスラケット ホッケーのスティック ゴルフクラブ,ビリヤードのキュー フェンシングのサーベルなど

・氷や雪の上を足で滑走する能力を増幅 スケート,スキー

・さらにストックを使うことによって,腕の力も動員することができる

・ポールを使って,腕で胴体を引き上げる力や支える力を同時に利用しながら,脚のもつ跳躍力 を倍以上に増大させる。

・陸上や水上の,より速い,楽々な前進

ローラースケート  広  ボート オールや の

上記①〜③の運動の基本形態は,自然の中で運動するという特徴であったが,さらに人間は,自 然対象物の代替として,固定した体操器械を創作し,自然での運動とはまったく異なる性質をもつ 新しい運動系の可能性を切り開いたのである。その器械で人間はきわめて多様な仕方で,自分の体 重や慣性に対決するに至ったのである。

④固定した体操器械における運動(器械の特性に対しての大きな変形や適合の要求に応えながら,

多様な運動課題を解決するために動き,外力と関係しながらも自分の筋力を巧みに利用するの である。懸垂や支持における自分の身体の運動は,対象物との直接の接点となる腕を通して引 き起こされる特徴をもつ。

懸垂, 、,一 ,回転,跳  ( 跳 ),W均など

(7)

発生学的に考察すれば,器械運動においては,運動課題と同時に,その運動形態さえも移り変わ ってきた。すなわち,もともとは器械を克服することが前面に打ち出されていたのに,時の経過と ともに,器械上でのからだの動きそのものが中心的意味を多くもつようになり,さらに,それが本 来の目標になり,行為の内容に変化していったのである。

⑤自分以外の力を利用しての運動(人間の活動は主として,人間と器械ないし人間と動物という システムの運動の制御と操縦が中心。それでも乗馬のように,人間全体に対しても高度な要求 がなされる場合もある)

そ ,スキー  (重 の1

,.(動物 の」用)

ヨット ♪上ヨット グライダー( の  ) モータースポーツ(モーターの の1 )

木村31)や岸野32)が言うように,マイネルの分類はむbungの効果からではなく,運動形態(Bewe一 gungsform)自体から考慮されている点が注目されるが,分類がすべて統一されているとは思えない点

も指摘される。しかし,スポーツ運動が発生する様相のちがい,特に運動が成す「行為」の様態の 違いを詳細に記述するという立場を明確にしての分類だが,「人間の運動の全体」ということにも視 野を広げての分類を期待したかったところである。

●宇土の「運動の分類論」33)

日本において,まとまった運動の分類に関する研究が稀少ななかで,運動学への寄与を踏まえた 宇土の研究は目を見張る存在である。宇土は,目の前にある「運動」はいったい「何か」を見定め るのが,分類論の第一の課題と捉えており,そして,どんな観点から分類するのかが,運動分類論 にとって最も重要な基本問題であるとしている。宇土は自らの運動分類のねらいについて,①すべ ての運動を包含するための,分類基準の一貫,②運動に発展の方向を示す,をあげ,具体的には次 のように分類している。

1,運動発生からみた分類

①自然的運動

②人為的運動

2,運動の生態に着目した分類

①自然的付随的運動

②余暇活動的運動

③体育的運動

④職業的運動

3,運動の特性に着目して分類

宇土自身が指摘するように,1や2の分類は,運動そのものの特性ではなく,その生い立ちや生態 に注目したものでる。しかし運動学の使命やその発展を考えると,当然のことながら,運動それ自

(8)

体の特性に立った分類法がのぞまれるところである。ふつうにいわれる「運動分類論」の中心はも ちうんここにあると宇土は指摘する。宇土は,運動の特性に着目した分類では,

①運動の直接的な目的による分類

②運動の技術的構造に着目した分類

③運動の技術的特性に着目した分類

をあげているが,この中でも①と②は臼bungの分類で, Bewegungの立場に立った運動の発生に関連 する分類が③になってようやく扱われる。宇土はミッチェルの例を踏まえて,自分自身で自分のか らだを動かす運動(移動)と他の物体を操作する運動とに大別することを基本に,さらに検討を加 え分類を試みている。宇土は,運動の動きそのものの性質に着目した分類は,運動学における「運 動類型論」としては最も基本的なものとして重要視されるであろうと言っている。

(1)主体操作の運動(自分のからだ自体を操作することに技術のウエイトがかかっている運動)

①基本的主体操作(単純移動)の運動(基本的原型的な身体操作を主とする運動)

1渉く・走る・跳ぶ・登る・泳ぐというような,自分自身だけで移動させる運動 2)スキーやスケートなどのように 目をつけて滑る

高跳びのような用目( )を使って跳ぶ

宇土によると,2)のような運動も,基本的な運動をいっそう大きく強くするために用具を用いる運 動ということでここに分類される。

②複雑な主体操作の運動 る運  スタンツ運

宇土によると,前の①との区別は,これをスポーツについてわかりやすくいうなら,①が「記録 競技」につながるのに対し,②は,「採点競技」につながるような性質をみることができよう。従っ て,ミッチェルらが泳ぐ運動に含めている麹運動もここに入るという考えである。

② 客体操作の運動(他の物体を操作することに技術のウエイトがおかれている運動)

宇土によると,砲丸投げで代表されるように,主体の操作の可否は,砲丸という物体の動きで表 現される。しかし運動の性質は,あくまで主体の動きそのものに中心がある。このような単純な客 体操作の運動でも,まったく主体の身体だけで行われるものと,用具を用いて物体を操作するもの

と二つに分けることも意義があると宇土は言う。

①単純な客体操作の運動

1)直接自分のからだだけによるもので,又げる,、ち上げるなどの運動(スポーツ種目で いえば砲丸投げ,重量あげ)

2)用具を用いて客体を扱う単純な形式,ゴルフのような打つ運 ,趣や 道のような・

②複雑な客体操作の運動(扱うべき物体が動いていたり,反攻する競争相手にも対処するよう な複雑な情況を背景にしている)

1)用具のコントロールをしながら,反攻する相手に対処する,テニス,ホッケー 2)争いの目標が物体ではなく,競争相手であるため,運動の性質はより複雑になる

剣道,フェシング

(9)

3)球技にみられる,運動の性質がより多様になる,バスケットボール,バレーボール 4)用具や物体がなく,競争相手が相互にコントロールの対象になる, 道 レスリング

㈲ 主客一体的運動

同じ用具を用いた移動運動でも,スキーやスケートのように用具が身体の一部を構成しているよ うな場合と異なるものと位置づけているが,用具の性質,操作の技術のちがいにより,さまざまな 種類が存在する。

①ボート, 広 (からだの動きそのものの占める割合が大きく,運動の成否に関係する)

②ヨット,_術(からだの動きそのものの技術に比べて,いっそう用具のコントロールの占 める割合が大きい)

③モーターボート,グライダー(主体の運動の占める割合が減じ,用具のコントロール,ま たその基礎となる用具そのものに関する特別な知識が必要)

宇土は主体一客体関係を中心に,主体(自分自身)と対象物の関係的運動の発生状況を丁寧に分 析しているのが印象的である。ニュースポーツを含めて今後のますますのスポーツ領域の拡大を考 慮にいれると,スポーツにおける,さまざまな,特に,用具を使う運動の性質やその違いを知るこ

とは,スポーツ運動の教育的特性を考えることになってくるからである。

ヴァイツゼッカーについては先にも触れたが,例えばハンマーを手にもってたたいた時,たたい た力に応じただけの力で私の手にぶつかってくる。投げたボールの場合もそうだ。このような有機 体と環界との結合は,作用,反作用の力学的説明以上のものがあり,ヴァイツゼッカーはこのよう な結合を「形式の同一性」と考え,例えば騎手と馬,運転手と車,ハンマーと手などが同一の運動 形式を実施しているとしている。問題は環界と有機体のこのような形式の同一性はいかなる条件の 下で可能になり,あるいは不可能になるのかだとしている鋤。

宇土はスタンツ運動を「複雑な主体操作の運動」としてあげているが,マイネルが,体操器具で の,いわゆる障害克服的運動(Hindernistumen)から体操的価値を持つ運動への成立変化を強調し,特 性を鮮明にして記述しているのは対照的である。器械運動の運動は,この意味で「形式の同一性」の 特徴をみることができる。ところでマイネルが,スキーのジャンプや飛び板飛び込みの特徴につい て言及しているのが興味深い。たしかに空中へとび出すという必要な力は外的にもらい,身をゆだ ねているが,その後の運動コントロールを自ら生み出す特性をもっているからである。マイネルは 必要な角運動量をすでに「いっしょにもちこんできている」ことによって,それから先の運動を積 極的な踏み切りのなかで「先取り」しながら準備していると分析している35)。

●岸野の指摘36)

マイネル理論を主軸に,運動の一般理論を提唱する岸野が運動の分類論について触れて,人間の 運動がいろいろな観点から分類できること,しかもその体系的な分類を完成することがきわめて困 難なことを指摘しているブイテンディクの例を引きながら,スポーツ運動の分類にも,さまざまな 基準による,さまざまな分類が存在し,不確定な状況になっている基本的な現状について論究して いる点は注目される。

岸野は,分類は余り特殊であっても簡単であっても役に立たない。しかし分類が多項的になると,

(10)

ある項がひとつの項だけにおさまらず,他にも関連するようになり,場合によっては重複するばか りでなく,混乱さえ生ずることがあると論じ,マイネルにも,そのような問題が若干あることは,フ エッツが指摘するまでもないとしている。しかしマイネルの分類はt}bungの効果からではなく,

Bewegungの,しかも運動形態自体から考慮された「運動学的分類」であることを評価したいとして いる。確かに我々の考察の対象は,ある運動のまとまり,すなわち種目を指すようなt)bungではな い。例えば陸上競技と器械運動の区分けをしても意味はない。しかも陸上競技の中でも,器械運動 の中でもさまざまな運動の発生が観察されるのは言うまでもない。

岸野は,分類を体系化するためには,分類としての基準を確立し,「運動分類学」としての理論構 成を確立することが,なによりの急務と説いているのは,示唆に富んだ指摘である。

●金子の見解37)

金子は,技の表記論を論述するなかで,一般日常運動の表記の問題について触れている。金子が,

分類問題の底にある,人間の運動現象への関心や,分類の必要性について言及していることは特に 注目したい。まず人間の運動習得における言語の働きを認識したうえで,運動の概念と名辞との対 応関係についてとりあげている。子どもはいつしか「座ること」と「立つこと」,「這うこと」と「歩 くこと」,或いは「歩くこと」と「走ること」の差を認識できるようになる。それは子どもがある運 動形態をとると,その運動の名称を母親が再三繰り返していいきかせることを通じて,その運動の 概念と名辞との対応関係が捉えられるようになるからである。運動経験が拡大し,習得する運動が 増えるにつれて,「走る」,「跳ぶ」,「投げる」などの基本的な運動形態の概念とそれに対応した名称

も次第にその数を増やしていくのである。

しかしここで注意すべきことは,金子によると,この場合の「歩く」「走る」「跳ぶ」などの語は,

その運動現象の力動的な過程から離れた,比較的静止した概念ないし名辞へと抽象されたものであ るということである。例えば「歩く」運動をみると,その運動の起こり方(有り様)は,人の数だ け様々であるし,目的をもってしっかり歩く場合もあるし,散歩がてらにゆったり歩く場合もある。

また状況によっては「走る」や「跳ぶ」と区別が曖昧な運動もあるだろう。そんな個々の現象のな かから,ある共通のものを抽象し,概念的な「歩く」が取り込まれていくのであろう。このことは,

運動の概念的な理解と実際の運動遂行の差という問題にかかわってくるのである。

複雑な個人的特徴をもつ人間の運動のなかで,ある共通の運動特性(Bewegungsmerkma1)を抽象し て,ある一つの概念として命名することは,いわば「分類すること」を意味する。ここで重要なこ とは,分類はその運動現象の関心や必要性によって支配されるということである。「歩く」から「走 る」を区別し,「走る」と「跳ぶ」を区別することに関心がなければ,その運動を独立的に命名する 必要はない。特に必要がなければ,「歩く」と「走る」の区別があいまいでも,判然としなくても,

別にかまわないし,不便も感じない。我々は,両者を区別しながら「歩く」,「走る」を習得してき たのではない。ところが,それらの運動を体育運動として,練習の対象に取り上げたり,あるいは 形態発生や基本運動(Grundformen der menschlichen Bewegungen)の研究対象として取り上げようとす

ると,改めてそれらを定義する必要が生じてくる。

(11)

運動分類についての問題点

運動の分類についての問題点を次のように考えることができるだろう。

① 運動を分類したり,体系化する意義や必要性

② 人間の運動現象を分類する可能性

③ 分類の対象すなわち,運動の種類を示すであろう,運動の形態や形式の発生をどう考えるか

④ 対象の違いすなわち,一般日常生活運動とスポーツ運動の分類の違い

⑤ 行動(行為)としての運動を考えると,意識の問題をどう考えるのか

⑥ 分類論で言えぱ,運動現象の分類は,どんな分類法が妥当なのか

⑦ 分類と言葉(言語表記)の問題性

この中から,次の3点に絞って論考することとする。

(1)運動分類の必要性について

生物学においても分類論(学)は地味なものであるようであるが38),例えば有用な植物か,害の ある植物かを区別したり,適切な栽培法を探るために種類を判断するためにも,植物の分類は必要 である。それに比して,運動の分類はどのような必要性があるのだろうか。

確iかに,体育運動に関する専門書で,運動の代表として,走運動,跳運動,投運動などの,主に バイオメカニクス的な説明を読んでも,ああそうか,という程度が読後の感想である。例えば,跳 運動といっても,さまざまな情況を背景にしたさまざまな運動発生があることを知っているのだか ら,代表値的な説明を受けても,具体的な運動実践にどう結びつくか,実感としてわからないので ある。重要なことは,端的に言って,運動分類は何の為にあるのか,ということである。今一番関 心があるのは,今実施しようとしている運動は,例えばどの運動に似ていて(特に運動感覚的に),

どんな特徴をもっているのか,ということではないだろうか。

金子が先に指摘したように,例えば,特に必要がなければ,「歩く」と「走る」の区別が曖昧でも,

判然としなくても,別にかまわないのである。ましてや,我々は両者を区別しながら「歩く」,「走 る」を習得してきたのではないのである。せいぜいテレビの放映で陸上競技の競歩を見た時に,歩 と走の区別の事実を知らされる程度である。そんな時アナウンサーが,両足が地面から同時に離れ るか否かで走と歩が区別されると競技規則を説明しても,そんな基準で判別できるのか,実感とし て認識されないのが一般的である。だからブイテンディクが,一般日常運動の分類の困難さを指摘 するのは当然のことと思われる39。しかも運動が整理,分類されることにより,運動を考える(特 に実践面で)ことに有用な事実でも発見されることがない限り,分類の有用性や必要性を感じるこ とはないからである。例えば,走運動をVTR等で少しスローモーションで再生すると,あたかも連 続してジャンプしているように見える。それは時間的要素を引き延ばされた人体のかたちを見せら れているのであって,現実の運動現象ではない。また跳ぷ運動も,三段跳びのように前方への移動 を伴うと,走運動との区別が曖昧になる場合もある。運動の分類を考える時,人体のかたちに惑わ されず,運動のかたちで判断することが必要である。

運動分類論にとって重要なことは,分類がある(あるいは,できる)からといって,一般的にい って,我々は,現実的には分類に従って運動しているのではない,ということである。我々は「歩」

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を選択して歩き,「走」を選択して走っているのではない。我々は「情況」に応じて運動しているの である。そうすると,情況を含まない(意図を含まない,と言ってもよいだろう),いわゆる一般論 としての「運動」は現実的には存在しないし,ゲーレンの言うように「真空中」に運動は起こらな い40)。そのような概念的な運動の分類は,現実的な意味が薄いものである。だから運動({⊃bung)の 種類の羅列は意味が薄いし,関心も呼ばないだろう。

運動概論の中で,運動分類に触れるにしても,その「関心の所在」を踏まえたうえで論じられなけ ればならないだろう。重要なことは,運動の分類を考えるということは,分類図の中に,切り取っ てきた運動をはりつけることではなく,運動をどのように捉えるか,すなわち運動現象がどのよう に起こり,それをどのように見るのかに深く関与する,ということを認識することなのである。そ れでもなお分類をつくろうとすれば,何の為に必要なのかを確認したうえで成されるべきであろう。

ブイテンディクの指摘のように,一般運動の分類はひとまず置いて,体育の世界における教材と なる運動の分類,体系化へ進むのはやむを得ない。それは分類の目的がはっきりしているからであ る。しかし注意すべきことは,教材となる運動の分類は,いわゆる人間の運動の分類とは区別され ということである。それはまず教育しようとする意図があって,それにどの運動を当てはめるかが 第一の課題となるからである。

体育運動の体系化について,H,グロルの見解を検討する。グロルの研究は,グロル自身が言って いるように,身体運動全般ではなく,教育的に方向づけられた身体運動の分野だけを対象としたも のであるが,運動分類や教材となる運動の体系化への関心を呼び起こした功績は大きいものがある し,その翻訳本は,わが国において貴重な文献となっている。体育に計画性を求めようと努力すれ ば,運動教材の整理,分類に至るのは必然である。しかしグロルも言うように,整理,分類にはさ まざまなものが,研究者の数だけあり,運動分類の全体を把握するだけで容易でない。しかし体育 の本質にできる限り適合し,かつ実践面でも,真に有益な助けとなるような教材体系をめざすべき である,というグロルの指摘は大いに首肯できるものである41)。

ただグロルが,配列原理(分類視点)がもともと指導財(陶冶財)やその構造に由来するとすれ ば(活動,行為,運動の練習形態,生活形態,巧技形態など),「客体と結びっいた」(objektbezogene)

体系論となり,もし配列原理がもともと教育されるべき者の心・身構造から導き出されているとす れば(行動様式,態度様式その他),「主体と結びついた」(subjektbezogene)体系論になると言ってい るのは,分類を考える上で重要である42)。やはり分類の視点を明確にすることが必要である。グロ ルは,陶冶意図にそって成された陶冶課題や陶冶財について次のように分類することにより両者の 統合をはかろうとした。これはオーストリア体育の指導計画の基礎になっているものである43)。

A,(主に)個人を陶冶する運動領域

1,補充運動(補償,予防,コンディション調整の運動)

a)筋力強化の運動:下肢,胴,上肢のために b)柔軟性の運動:下肢,胴,上肢のために c)弛緩の運動  下肢,胴,上肢のために 2,形成運動

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a)姿勢形成の運動:日常姿勢および作業姿勢のために b)運動形成の運動:日常姿勢および作業姿勢のために 3,達成運動と巧技

a)基本運動   :走,跳,投,よじのぽる,その他 b)巧技     。徒手,手具,器具で

c)水泳と飛び込み:競泳,遠泳,救助法,高飛び込み,飛び板飛び込み d)ボートこぎ

e)スキー    :アルペン種目,ノルディック種目(スキー・ヴァンデルング)

f)アイススケート:スピード走,持久走,フィギュア(スケート・ヴァンデルング)

B,(主に)社会性を陶冶する運動領域 1,遊戯(リレーや集団競争を含む)

a)リレー,集団競争 b)簡単な遊戯 c)簡単な組対抗遊戯 d)大規模な競争遊戯

2,ダンスとダンス的集団遊戯(予備形態を含む)

a)予備形態     :体操・ダンス的基本運動,体操・ダンス的運動の組合せ b)ダンス的な集団遊戯:体操・ダンス的運動創作

c)ダンス    .民族的な子どもの輪舞やダンス,フォークダンス,社交ダンス,芸術ダンス 3,ヴァンデルング,スキー教室(キャンピング)

a)ヴァンデルング   徒歩ヴァンデルング,スケート・ヴァンデルング,スキー・ヴァンデル ング,登山

b)スキー教室 c)キャンピング

グロルは教師の陶冶意図を前面に出しての分類を試みたが,いろいろの活動や運動群は,教育学の 領域においては,それらによって働きかけようとする教師の意図を通して「訓練」(Obung)になるの である44)。ただ,体育にとって大切なことは,教師の陶冶意図を生徒も理解して運動を行うという ことである。例えば,跳び箱の運動は,教師の意図によっては,障害物運動にもなれば,技を発現 する器械運動(Kunstturnen)にもなるのである。

グロルはシュミッツの研究を例にあげながら,過去,多くの分類視点に基づいた数多くの教材体 系が提案されたが,それらの背景には,身体運動の本質にしたがった分類,特に教育学的に方向づ

けられた身体運動にふさわしい分類をつくるという努力があった。しかし,そうした努力が正当に 評価されておらず,逆に,作為的な配列として,つまり「人工的な教材体系論」と認識される経緯 があり,そのことが,実践を誤った方向に導いたと指摘しているのは重要である45)。

(2)運動モルフォロギーの捉え方と運動分類

運動の分類と言っても,例えば蝶類の分類や貝類の分類とは異なるものになるだろう。専門的に

(14)

みればそれらの分類も難しいこともあるのだろうが,分類作業の中心は蝶や貝の図形的な観察であ る。手に取って何度でも観察できる。これに対して運動は,確かに眼前に在ることは観察できるが,

あっと言う間に消え去ってしまう。「運動フォーム」や「運動形態」等,図形的に運動を把握するよ うな表現はあるが,目の前に起こり,消え去っていくあの現象を,写真的な,図形的判断と同じも のと考えてよいのであろうか。同じように,例えば音の観察や色彩の観察はどのように行われるの であろうか。波長や周波数の分析だけでは「生きた音」や「生きた色彩」を捉えることはできまい。

走るかたちや歩くかたちで言う「かたち」は,静止した,図形的なかたちとは違うものである。走 る人や歩く人を写真で撮れば,たしかに記録されるが,メルローポンティの指摘のように,それは 連続している運動現象から切り取られた人のかたち,言い換えれば,体のかたちであって,運動の かたちではない46)。はたして「運動のかたち」は存在するのであろうか。運動は「かたち」という 視点で捉えることができるのであろうか。

ヴァイツゼッカーは言うr運動の形式を考察するに当たって示されなければならないことは,そ れがどう「実現」されるかということである。すなわち,知覚の場合には何かが体験されているは ずであり,運動の場合には何かがなされているはずである。』言い換えれば人間(有機体)の運動を 考察する時重要なことは,白紙の,概念的な,人体のかたちとして捉えてはならない,ということ である。ヴァイツゼッカーは更にr有機体の運動は自己運動として理解されるべきこと,つまり意 図をもたぬものとして理解してはならぬことである。』47)

r大切なのは,運動を考察する立場ではなく,運動がいかにして成立するかである。運動という 言葉の多義性は,幾何学的な意味での運動,すなわち位置の変化とか,物理学的な意味での運動,す なわち質量との関係におけるエネルギーとかは決して有機体運動の目標ではないことについての理 解を促すものである。有機体は,運動それ自体というようなものを持っていたり実現したりするも のではない。有機体の運動は,「何か」を意味したり実現したりするのであって,この何かそれ自体 は別に運動だけに限られてはいない。重要なのは,「形式の成立」であり,我々の問いは,「有機体 の形式づけられた運動の発生」へと向けられる。』48)

っまり人間の運動の分類で基本的なことは,なされた運動の,図形的な人体のかたちの分類では なく,運動の発生の分類を考えることの示唆が与えられる。

(3)分類とことば(言語表記)の問題

池田の言うとおり,何かを分ける(=分類)ためには,何かに名前をつける必要がある49)。分け る基準は別に名前でなくともよいのだが,他人に伝えようとすると,名前が必要となってくるので ある。名前をつけることにより,世界は同一性に分節され,逆にこの同一性と差異性は世界を見る 基準となるのである。分類と名前あるいは言葉は不可分の関係にある。名前をつけることは,最も 初源的な分類なのである5°)。しかし池田はソシュールの例をあげ,言葉は世界を分ける(=分類す

る)が,言葉が発せられるや,言葉は価値を生みだし,そして人々は言葉の虜になるのである51)。

鉄棒の技で「けあがり」があるが,この時「ける」イメージを強く持たせる表記である。確かに,

ける動作を強く印象づけて鉄棒にあがる経過を示す例もあるが,技術的に「ける」ことは好ましい ことではない。技術的には振り戻り局面での「肩角度の減少」の方がより重要であることは専門家 なら知っている。表記(言葉)による,運動イメージへの影響の実例である。

(15)

運動を分類すると言っても,結局は運動の,ある様態を言葉で表記する,すなわち命名すること になる。しかし運動を言葉で表記することにはいろいろな問題があるのである。

一つは,運動現象を言葉で表記する難しさである。ましてや名前となると,簡潔な表現が求めら れる。命名が行われても,それがその運動をよく表す,適切なものであるか,よく吟味しなければ なるまい。例えば,マット運動の側転は,その運動的特徴から命名されているのであるが,その特 徴である,体の前後軸を中心とする側方回転は,その運動の全経過の中でごく瞬間的に見られるだ けである。立位から側転への開始局面や,側転から立位になる終末局面においては,左右軸や上下 軸が複合した運動になっている。側転という表記にとらわれると,実践への対応を見失う恐れがあ る。二つが,命名することによる,運動の概念やイメージの固定化の問題である。このことは先に 金子が指摘した通りである。運動はある情況のうちに発生するものであり,情況を背景としない,無 色透明な運動は存在しない。それが実践への方法まで規定してしまうことが度々あるからである。先 の「けあがり」がその例であるし,例えば,「歩く」「走る」ことを頭に思い浮かべると,個性のな い,無色透明な運動イメージができあがり,それが時に「正しい歩行」や「正しい走り」など,概 念的な拡張さえ生み出すのである52)。

競技体操における膨大な数に上る技は,マイネルが先に述べたように,創造された,日常性を破 る風変わりな運動ばかりであり,それは改めて命名されなければならない。しかし重要なことは,ど こで他の運動と区別して命名するかということは,その命名しようとする関心とその分類の目的に かかってくるということである。技名の任務は,まず他の技との区別であり,と同時に,その技の 内容を明確にすることが極めて大切である。便利だからと言って,単に記号ですましたり,仲間う ちだけに通用するニックネームで呼ぶのも適切でない53)。しかし技の持つ特徴や運動内容を明確に 表記することは簡単なことではない。技の運動内容をできるだけ明確に伝達するためには,その運 動経過をすべて描写記述することになってしまう。マイネルが言うように,運動を言語で記述する ことは,単に写真でとらえるように,運動の外形的な正確な再現だけでなく,同時に運動経過のあ る特性描写と説明をすることが必要であるが,我々がシンフォニーを言葉ではとても再現できない ように,極めて正確な,完壁な運動記述はとてもできるものではないと,運動の言語描写の困難さ を指摘している54)。

結局,技の運動内容を形態的に正確に,また本質的な機能的特性を浮き彫りにし,しかも,でき るだけ簡潔に表記するためには,表記の対象になる技の構造について十分な洞察を得た上で,その 運動表記に何らかの抽象的操作をして略語化しなければならないだろう55)。

この問題において重要なことは,我々は,運動とその名辞について,意外に固定化した概念を持 っていて,それに縛られているということはないだろうか。さまざまな運動形態発生に対して,我々 は固定化した,抽象化した概念や名辞で区分する前に,そこに何が行われているかよく見る必要が ある。結局は,分類したり命名したりすることは,その運動が何であるのか,すなわち運動の本質 的特性を把握することなのである。

(16)

運動分類のあり方(金子の体系例を参考に)

宇土が言う「運動類型論」や岸野の言う「運動分類学」の主張を考えると,運動の特性を十分に 踏まえた運動の分類作業が大切である。そのことが結局は,実践への有用性につながる分類となる からである。確かに運動概論における運動分類論については,運動の全体を見通すことができるよ うな分類,体系が望ましいが,何らかの分類視点をもたないと,単なる運動の羅列になってしまう。

金子の「教師のための器械運動指導法シリーズ」の一連の著作は,器械運動という一つの運動種 目の指導法を論じたものであるが,一貫して形態発生論の立場からの専門情報の提供に主眼を置い ており,単なる指導論を超えて,運動の体系化の考え方に大きな示唆を与えるものである。金子は,

運動学的な立場からの構造体系論に基づいて,膨大な技(わざ)の体系化を図っている56)。そこで は,多くの技についてまず,その構造認識や運動課題を前景に立て,従来のように,単に技を羅列 して解説するような方式をやめて,類縁構造を持つ技を「ファミリー」としてまとめ,そのなかで 系統的に指導体系を明らかにしようとした。金子の体系論の全体を捉えることは紙数の制限を超え るので,ここでは基本的で特徴的な部分をあげて,体系化の参考としたい。

運動学習において重要なことは,今,自分が習得しようとしている運動(技)は,その運動特性 から,全体的な体系の中でどこに位置づけられ,どのような発展性を持っているのかを認識するこ とである。当面の課題がとりあえず出来れば(例えば,さか上がりなら,上がれれば)よいという ことではなく,中核となる技術を理解し,その技術の体系的な流れを学習すべきである。金子は,運 動類縁性の立場から,「基礎技能一予備わざ一指導段階一変形・発展わざ」という一連の指導体系を 明らかにしている。金子は運動の縦の流れと横への広がりを示唆しているのである(第1図)。

墓呈 基予

b勇技ざ 基予

b備Z誓

誓群

能群

能群

第1図 前転ファミリーの体系57)

金子の技の運動構造的視点からの考え方を次の技の例からみることができる。例えば,鉄棒運動 の足かけ回転と足かけ上がりを全く別の発展体系に捉えている。極あて似ていて同一の系列の運動 と考えやすいが,「足かけ」にこだわり,この両者を一つの群として扱うことは,技の運動的,技術 的本質を見逃すことになる。図2(A)のような振れもどり機能の欠落した経過でさえも,片膝かけ 上がりのまずい実施として認めて,足かけ上がりの最も本質的な中核技術の振れもどり技術の欠落 に気付かない。また足かけ回転の技を片膝かけ回転だけと決めつけ,このことが結局,片膝かけ上 がりとの峻別を見逃すと考えられる(第2図)。

(17)

(A)       (B)

第2図 片膝かけ上がりの体系58)

逆に,別のものとして扱われやすい,さか上がりを後方支持回転と同じファミリーにまとめられ た。図に特徴的に示されたように,さか上がりは「上方移動」と「後方回転」から成る。この上方 移動の要素は,鉄棒の高さを変化させれば,その条件は変化する。極端にいえば,腰の高さの鉄棒 で行うさか上がりは,上方移動の要素はほとんど消えて,後方支持回転と同じになる。このような 運動特性に注意を向けず,さか上がりを上方移動にこだわり,筋力克服運動ととらえる考え方が問 題なのである(第3図)。

①   ②   ③   ④   ⑤

⑧α

第3図 さか上がりと後方支持回転59)         第4図 前転の回転60)

マット運動の前転は,確かに回転運動であるが,回転運動を機械論的にボールのような回転運動 と考え,またそのような考えで指導を展開する教師も多い。しかしよく観察すると,さまざまな経 過を経て立ち上がりにもちこんでいるのである。外力をもらわない限り,ボールのように小さくな るだけでは人間は回転もしないし立ち上がれない。足の投げ出しによる回転加速と,起きあがるた めめタイミングを見計らった足の引き寄せと主に上体から発動される伝導動作が行われている。こ の理解が前転を伸膝前転やとび前転への発展への体系に位置づけられるのである(第4図)。

(18)

まとめ

運動分類について,特に運動学(Bewegungslehre)的な立場から問題点を考察してきた。運動分類に おいても,金子や宇土が指摘したように,運動をどう捉えるのかに基本的に関わってくるのである。

人間の運動は,一枚の木の葉のように世界の中に孤立した存在ではない。運動は情況の中にあり,情 況とともに発生してくるのである。分類にしても,命名にしても,このような情況から切り離して 運動を見てはいけないと考えられる。運動の分類では,分類の視点を問題にすることが必要で,情 況との関わりもその視点の置き方によって変化してくるからである。分類とは,類縁性を求め,他 との違いを明確にすることでその特性を把握することであるが,人間の運動の場合,似ているとい う判断は,慎重になされなければならない。今回,運動概論の中の運動分類の具体案を示すには至 らなかったが,問題点を整理して今後の課題としたい。

1)ここで分類の対象とする「運動」はサッカーや陸上競技というようなスポーツ種目としての運動

(Obungen)を指すのではなく,人間が学習し,形成し,修正しながら習得していく運動(Bewegungen)

である。

2)E、Beyer編,朝岡正雄監訳rスポーツ科学辞典』(大修館書店,1993)p270.

3)例えばMv.Weizacker,木村 敏,大原 貢訳r病因論研究』(講談社,1994)pp.118−121.

養老孟司r唯脳論』(青土社,1989)pp.229−233.にみられる。

4)三浦忠雄「運動実践を基盤に置いたスポーツ運動の[概論]構築への検討(第2報)r茨城大学教育 学部紀要(教育科学)』44(1995)

5)F.Fetz,金子明友,朝岡正雄共訳rフェッツ体育運動学』(不昧堂出版,1979)pp.55−58.

6)同書,P.72.

7)K.Meine1,金子明友訳rマイネル・スポーツ運動学』(大修館書店,1981)ひ91.

8)同書,P.17.

9)同書,pp.430−431.(訳者注)

10)F.Fetz,前掲書, p.71,

11)K.Meinel,前掲書, pp.91・92.

12)山口昌男「足から見た世界」r身体論とパフォーマンス』(學燈社,1985)pp.134−135.

13)E.Beyer,前掲書, p。202.

14)野村雅一『しぐさの世界』(日本放送出版協会,1983)p.35.

15)F.Fetz,前掲書, p.82.

16)F.Fetz,前掲書, p.78.

17)EFetz,前掲書, pp.86−89.

18)伴 義孝『身体運動の人間学』(晃洋書房,1989)pp.114。115.

19)H.Grol1,高嶋 実訳r近代体育教材史』(プレスギムナスチカ,1978)p.63.

20)宇土正彦「運動の分類論」r序説運動学』(大修館書店,1968)pp.83−84.

21)V.v.Weizacker,木村 敏浜中淑彦訳『ゲシュタルトクライス』(みすず書房,1975)p.212 22)K.Meine1,前掲書, p.95.

23)H。Groll,前掲書, pp.62−65.

24)H.Groll,前掲書, p.61.

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