髄膜炎菌による急性気管支炎を発症した HIV 感染症の 1 例
1)東京慈恵会医科大学感染制御部,2)国立感染症研究所細菌一部
坂本 光男
1)小野寺昭一
1)高橋 英之
2)渡辺 治雄
2)(平成 19 年 3 月 16 日受付)
(平成 19 年 8 月 16 日受理)
Key words : Neisseria meningitidis, bronchitis, human immunodeficiency virus(HIV)
序 文
Neiserria meningitidis(髄膜炎菌)はグラム陰性の
双球菌であり,敗血症や髄膜炎をはじめ種々の感染症 の原因となる.髄膜炎菌感染症のうち髄膜炎は,流行 性髄膜炎とも称され,わが国では法律上報告が義務づ けられている.1945 年当時は年間 4,000 例前後の報告 がみられていたが,1970 年以降激減し,1990 年代以 降には年間発生数は 20 例程度の非常にまれな感染症 となっている1).しかし,報告義務は髄膜炎に限定さ れているため髄膜炎菌感染症の全体像は明らかではな い.近年髄膜炎以外の髄膜炎菌感染症として尿道炎が 注目されている2)が,呼吸器感染症の報告は比較的ま れである3)4).今回我々は HIV 感染者に発症した髄膜 炎菌による急性気管支炎の症例を経験した.併せて本 症例の喀痰培養より検出された髄膜炎菌について血清 型および遺伝子型の解析を行ったので報告する.
症 例 36 歳,男性.
主訴:発熱,咳嗽,喀痰.
現病歴:2004 年 11 月前医にて HIV 感染症と診断 され,2005 年 4 月より当院外来通院中であった.2005 年 9 月には CD4 陽性リンパ球数(CD4+)が 192!µL と低下し,血中 HIV-RNA 量が 1.5×105copies!mL と なったため zidovudine 400mg,lamivudine 300mg,
lopinavir!ritonavir 800mg!200mg による抗 HIV 療法 を開始した.軽度の嘔気,下痢,貧血などの副作用は みられたものの,経過は順調で,CD4+は 300!µL 前 後 に 回 復 し,血 中 HIVRNA 量 は 1.0×102copies!mL 以下を保っていた.2006 年 5 月 18 日より 38℃ 台の 発熱,喀痰を伴う咳嗽が出現したため,5 月 20 日に 外来受診した.同日のインフルエンザ抗原検査では A 型,B 型とも陰性であり,急性上気道炎と診断した.
解熱剤,鎮咳剤,去痰剤を処方したが,症状の改善を 認めなかった.喀痰は次第に膿性となり,咳嗽時前胸 部痛を伴うようになり,5 月 23 日外来を再診した.
既往歴:気管支喘息 11 歳,急性 A 型肝炎 28 歳,
右頸骨骨折 33 歳.
生活歴:独身で一人暮らしの men who have sex with men(MSM)である.HIV 感染症の診断後も多 数の同性との性的接触歴あり.最近 6 カ月以内の海外 渡航歴や外国人との接触歴はない.問診で確認した範 囲では今回の気管支炎発症の約 1 週間前にも同性と無 防備な状態でキスや肛門性交などの性的接触があっ た.ただし,相手の男性には喀痰・咳嗽などの症状は 認めていなかった.
身体所見:身長 180cm,体重 76kg,体温 37.7℃,意 識清明.眼球結膜に貧血,黄染を認めない.咽頭粘膜 は軽度発赤,口蓋扁桃の腫脹および白苔の付着は認め ない.頸部リンパ節は触知しない.胸部では心音,呼 吸音とも清.皮膚に発疹を認めない.髄膜刺激症状は 認めず,その他神経学的には異常所見は認めない.
検 査 所 見(2006 年 5 月 23 日:Table 1):血 算 で は白血球および好中球の増多は認めず,血小板も正常 であった.血液生化学では肝・腎機能は正常であった が,軽度の炎症反応の増加を認めた.胸部レントゲン
(Fig. 1)では肺野に浸潤影は認めなかった.喀痰の グラム染色(Fig. 2)では矢印に示すような白血球の 貪食像を伴うグラム陰性の双球菌が多数認められ,培 養の結果髄膜炎菌が純培養状に検出された.後日この 菌株は国立感染症研究所にて B 群髄膜炎菌であるこ とが確認された.さらに Multilocous sequence typing
(MLST)法による遺伝子型(sequence type:ST)の 解析の結果では ST-32 の亜型である ST-5583 と決定 された.血液培養からはStaphylococcus epidermidisが 検出された.
臨床経過 5 月 23 日の胸部レントゲンでは肺野に 症 例
別刷請求先:(〒105―8461)東京都港区西新橋 3―25―8 東京慈恵会医科大学感染制御部 坂本 光男
Table 1 Laboratory findings
Sputum gram staining IU/L
20 AST /μL
3,700 WBC
Gram-negative cocci(+ + + ) IU/L
13 AST
% 45.9 Gran
IU/L 180 LDH
% 42.6 Lymph
Bacterialculture mg/dL
0.4 T.Bil
% 8.5 Mono
Sputum IU/L
374 ALP
% 2.7 Eos
Neisseriameningitidis(+ + ) IU/L
21 γ-GTP
% 0.3 Baso
Serogroup B g/dL
8.3 T.P.
/μL 377×104 RBC
Sequence type ST-5583 g/dl
4.5 Alb g/dL
14.0 Hb
Blood mg/dL
15 BUN
% 40.5 Ht
Staphylococcusepidermidis mg/dL
0.8 Cr
/μL 19.7×104 PLT
mg/dL 5.9 UA
mmol/L 140 Na /μL
276 CD4 +
mmol/L 4.0 K
HIVRNA
mmol/L 102 Cl
copies/mL 9.3×101
mg/dL 3.26 CRP
Fig. 1 ChestX-P
は明らかな浸潤影は認めなかったが,喀痰グラム染色 ではグラム陰性の双球菌を多数認めたことより,細菌 性の急性気管支炎と診断した.この時点では原因菌と してMoraxella catarrhalisを疑い,tosufloxacin(TFLX)
600mg 分 2 の投与を開始した.TFLX の内服開始以 降は解熱し,喀痰,咳嗽とも改善傾向を示した.最終 的に喀痰培養から検出された細菌は,M. catarrhalisで はなく,髄膜炎菌であった.髄液検査は行っていない が,頭痛,意識障害,項部硬直などの症状は認めず,
髄膜炎は臨床的に否定した.血液培養からは髄膜炎菌 は検出されず,S. epidermidisが検出されたが,血液培 養採取時の混入菌と考えられた.以上の検査結果およ び臨床所見より,最終的に髄膜炎菌による急性気管支
炎と診断した.検出された髄膜炎菌は K-B 法による 薬剤感受性試験の結果,penicillin G(PCG)に耐性で あったため,TFLX の投与を継続し,7 日間内服にて 臨床症状の改善をみた.6 月 3 日の外来受診時には喀 痰の喀出は認めなかったため,咽頭培養にて髄膜炎菌 が陰性化したことを確認した.なお,経過中排尿時痛,
尿道口からの排膿といった尿道炎症状は認めなかっ た.尿検査および尿培養は行っていないが,尿道炎は 臨床的に否定した.
考 察
近年のわが国では髄膜炎菌性髄膜炎は年間 20 例前 後が報告されているにすぎず,まれな感染症という認 識が強い.しかし世界的にみれば,アフリカには赤道 直北に「髄膜炎ベルト」といわれる髄膜炎菌感染症の ハイリスクエリアが存在し,欧米諸国においても小規 模ながら流行は持続している5).WHO によれば全世 界的には年間 50 万人の患者発生と,5 万人の死亡者 が存在すると報告されている6).髄膜炎菌感染症の臨 床像は多様であるが,わが国では報告義務が髄膜炎症 例に限定されているため,髄膜炎以外の髄膜炎菌感染 症の動向は明らかではない.近年髄膜炎菌が性行為に よって伝播され,尿路・性器感染症の原因となること が明らかとなり2),わが国でも男性における尿道炎の 報告例が増加しつつある7)8).また髄膜炎菌は呼吸器感 染症の原因ともなりうるが,わが国での報告例は比較 的少なく3)4),海外からの輸入例9)や敗血症を伴ってい るもの10)を含めても数件が報告されているのみで,国 内感染例や純粋な呼吸器感染症の症例はさらに少な い.呼吸器感染症においては,健康保菌者が存在する ため喀痰や咽頭ぬぐい液より分離されても直ちに原因 菌と判定することはできない.本症例では急性気管支 炎として典型的な臨床症状を呈していたこと,喀痰の グラム染色で白血球の貪食を伴うグラム陰性双球菌が 多数認められたこと,一晩の培養にて髄膜炎菌が純培
Fig. 2 Gram stain ofsputum
養状に検出されたこと,髄膜炎菌以外に気管支炎の原 因となりうる細菌を検出しなかったこと,本邦ではも ともと髄膜炎菌の健康保菌者の割合が少ないこと11)よ り,髄膜炎菌が急性気管支炎の原因菌と診断して問題 ないと考えられた.髄膜炎菌は本来病原性が低く,健 常成人であれば,感染を受けても不顕性感染にとどま り発症することはまれである.本症例では基礎疾患と して HIV 感染症を有していたこと,気管支喘息の既 往があることなどにより気道の抵抗性が減弱していた ことが気管支炎の発症につながった可能性があると考 えられた.しかし,既に抗 HIV 薬の投与が開始され ており,免疫機能が回復過程にあったこと,初期に投 与した抗菌薬が有効であったことなどにより,敗血症 や髄膜炎には進展せずに改善したものと考えられた.
髄膜炎菌は莢膜の抗原性より 13 の血清群に分類さ れる.血清群の分布には地域差がみられ,アフリカで は A 群,北欧では B 群,南北アメリカおよびアフリ カの一部では C 群が多い12).一方わが国では B 群お よび Y 群が多い.1974 年から 2003 年までの 3 年間に 国内で分離された髄膜炎由来の髄膜炎菌 182 株を解析 した結果では,B 群と Y 群が 70% 以上を占 め て い た13).本症例から検出された髄膜炎菌は B 群であり,
国内の疫学状況と一致した.問診で確認した範囲でも 過去 6 カ月以内の海外渡航歴や外国人との接触歴はな く,国内で感染したものと考えられる.また MLST 法による遺伝子型の解析の結果 ST-32 の亜型と判明 したが,同一の遺伝子型は世界初の分離であり,ST- 5583 として新規の亜型に登録された.ST-32 は 1970 年代に欧州で大流行した株であり,同時期に少数では あるが,国内でも分離されている14).1970 年代に海外 から日本国内に流入し定着していた株が国内で派生し た可能性のあることが示唆された.
髄膜炎菌は乾燥や低温に弱く,ヒトの体内以外の自 然環境下では生存できない.通常は鼻咽腔の保菌者か らの飛沫感染や直接的な口腔の接触によってヒトから ヒトに伝播される.患者の家族や同僚に保菌者が多く
存在することが知られており15),家族内伝播が示唆さ れた髄膜炎の症例も報告されている16).しかし本症例 は独居者であり,家族から伝播されたとは考えられな い.近年では髄膜炎菌の感染経路として性行為による 伝播が注目されている.性行為に伴う感染では通常尿 路・性器感染症をきたすが,HIV 陽性の MSM では 無防備な同性との性的接触により咽頭の髄膜炎菌保菌 率が高くなることが報告されている17).本症例では,
気管支炎発症の 1 週間前に同性と無防備な性行為が あったことが確認されている.この際キスといった濃 厚な口腔と口腔の接触によって髄膜炎菌が伝播された 可能性も考えられるが,性的接触者の保菌調査は実施 していないことからあくまで推測の域を出ない.
髄膜炎菌感染症では発症後 7〜10 日以内に患者と濃 厚に接触した者への伝播の危険性が高いことが知られ ており,抗菌薬による予防投与が勧められている18). 抗菌薬の予防投与の対象となるハイリスク群は,家庭 内接触者,患者の口腔分泌液に暴露された者,デイケ アセンターの職員,看護学校,大学寮,軍隊兵舎の居 住者などである.ただし,病院職員のリスクは高くな いので対象とならないとされている19).今回の症例で は発症後の接触者は病院職員のみであり,短時間で会 話した程度の接触であったため,感染の危険性は低い と考え,抗菌薬の予防投与は行わなかった.接触者の 咽頭培養は行わなかったので,保菌者がいたかどうか は不明であるが,少なくとも発症者はみられなかった.
髄膜炎菌は従来各種抗菌薬に良好な感受性を示すと され,治療の第一選択薬はペニシリン系薬とされてい る.しかし近年ではペニシリン耐性の髄膜炎菌の報 告20)がみられることから,抗菌薬投与にあたっては薬 剤感受性試験の結果を確認する必要がある.本症例で
は当初M. catarrhlis感染症が疑われたためニューキノ
ロン系薬(NQ)を投与し,結果的にはこれが奏功し た.喀痰培養より検出された髄膜炎菌は PCG に耐性 であったが,NQ には感性であり,臨床的にも NQ が 有効であった.NQ が有効であった髄膜炎菌による肺
炎の症例も報告されており4),髄膜炎菌による呼吸器 感染症においては,NQ が有用な治療手段となること が期待された.
以上 HIV 感染者に発症した髄膜炎菌による急性気 管支炎の症例を報告した.わが国では髄膜炎以外の髄 膜炎菌感染症は法律上の報告義務がないことから全体 像は明らかではない.しかし,呼吸器感染症の原因と もなりうること,性行為によって感染する可能性のあ ることから,今後の動向に注目していく必要があると 考えられた.
本論文の要旨は第 55 回日本感染症学会東日本地方会総 会(2006 年,東京)において発表した.
文 献
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A Case of Acute Bronchitis Caused byNeisseria meningitidisAssociated with HIV Infection Mitsuo SAKAMOTO1), Shoichi ONODERA1), Hideyuki TAKAHASHI2)& Haruo WATANABE2)
1)Division of Infection Control, The Jikei University School of Medicine,
2)Department of Bacteriology, National Institute of Infectious Diseases
We report the case of a patient with acute bronchitis caused by Neisseria meningitidis associated with HIV infection. A 36-year-old homosexual Japanese man being treated for HIV infection and reporting fever and a productive cough was found in laboratory findings to have elevated C-reactive protein but no leukocy- tosis. Chest radiography showed no infiltrates in either lung, but a sputum smear yielded large numbers of Gram-negative cocci, including some phagocytized by white blood cells. One day laterN. meningitidiswas re- ported to be the predominant isolate from sputum culture. The patient was diagnosed with acute bronchitis caused by N. meningitidis. The strain isolated from this patient was in serogroup B. The sequence type based on multilocus sequence typing was ST-5583, a subtype of ST-32. This strain is resistant to penicillin G in vitro, so we administered tosufloxacin at 600mg b.i.d., which showed excellent efficacy. Because of fre- quent sex with many men, homosexual contact was suspected as a possible route of infection. Meningococ- cal infections apart from meningitis rarely are surveyed epidemiologically in Japan, and the frequency of meningococcal infections in general is not clear. Vigilance is needed to identify trends in meningococcal in- fection, becauseN. meningitidiscan cause acute bronchitis.
〔J.J.A. Inf. D. 81:731〜735, 2007〕