博士(農学)日浦 学位論文題名
日本列島におけるブナの形質と林分構造の地理変異 学位論文内容の要旨
勉
植物個体群の動態に関する研究は理論的・実証的なものを含めて非常に多いが,各個体の持つ 個葉サイズや葉群構造の差といった表現型の差による変化はほとんど考慮されてこなかった。ま た森林群集の動態を考える上で有効な方法論のーっであるギャップダイナミクス理論にtま,地理 的勾配にともなった同一種の動態の変異という観点が欠如していた。本研究は地理変異を詳細に 解析することを通して,樹木個体群を構成する個体の形質の変化によって個体群構造や群集構造 がどの様に変化するかを明らかにすることを目的とした。そのために葉面積の地理的クラインが 既に認められている(萩原1977)ブナを研究材料とし,モジュールレベル,個体レペル,個体群 レ ベ ル , 群 集 レ ベ ル で 比 較 し , 各 レ ベ ル を 整 合 的 に 解 釈 す る こ と を 目 指 し た 。 全国各地から採取した17産地の種子を苗畑の同一条件下で栽培しても野外での観察と同様,葉 面積が東北部で大きく,南西部で小さいという地理的なクラインが得られた。また比葉面積や形 状比にもクライナルな変異傾向がみられた。そしてこのような葉形質の違いだけでなく,様々な レベルで個体の形質や群落の構造に差が認められた。
種子形態の変異の検討のために30力所の地域個体群を調べるとその種子重は100←300mgと変動 し,葉面積の大きい個体群で小さく,葉面積の小さい個体群で大きいという傾向があった。また 種子重と複数の気象要因との直接的な相関関係はみられなかったため,種子重の選択に対する物 理的環境の直接の影響は少なく,栄養成長と繁殖成長の間に相補的な関係があるためと考えられ た。これらの種子の苗畑での発芽日は個体群の位置する緯度とは関係なく,むしろ種子の大きさ そのものに影響されていた。種子重の軽い個体群のものはやや順次に,重い個体群では一斉に発 芽する傾向を持っていたが,全体としてみると2−3週間で発芽は完了した。種子の外部形態に は東北日本と南西日本で翼状突起の有無という顕著な差がみられたが,子葉の折り畳まれ方には 基本的な違いはなく,第四紀以降に地理的隔離を受ける機会や時間が少なかったことを示すもの と考えた。
モジュールレベルと個体レベルで個体群間の比較を行うために,日本海側北部,日本海側南部,
太平洋側北部,太平洋側南部の4力所から代表的な個体群を選び,計80個体にっいて苗畑で3年 間階層別の枝条の成長と脱落,葉量成長と樹高成長の経時的な測定を相対照度12%の被陰区と対 照 区 を 設 け て 行 っ た 。 そ の 後 供 試 個 体 の 乾 物 生 産 量 の 測 定 を 行 っ た 。 モジュールレペルでは,葉面積の大きい個体群では当年枝も大きくその数が少ない。葉面積の 小さい個体群ではこの逆である。また葉面積の大きい個体群に属する個体では葉重の階層間の差 が少なくて,どの階層からもシュートの枯死が起こり,樹高成長に多くを配分して葉群を垂直的 に分散させる。以上の結果葉面積の大きな個体群では円簡型樹形を示す樹高成長夕イプとして捉 えることが出来た。一方葉面積の小さい個体群に属する個体では葉重の階層間の差が大きく,下 層から枯れ上がり,相対的に葉量成長に多く配分し葉群は上部に集中する。この結果偏平な樹形 を示す樹冠成長タイプとして捉えられる。これらの形質は特に被陰区で顕著な差がみられた。以 上の形質は苗畑の同一条件で比較したものであるから,遺伝的な影響を強く受けたものであると 考えられるが,各器官の相対成長関係を比較すると大径木を含む天然林で得られた傾向と一致し ていた。シュート死亡率は,被陰区では葉面積の小さな個体群が約2倍高く,対照区では逆に葉 面積の大きな個体群で約1.5倍高い。これらのシュートはいずれの個体群でも密度依存的に枯死 し,結果的に樹冠内の葉群密度がすべての個体群間を通じて一定の値を保っようになっていた。
この値は面積当り でみた群落の基本葉量と考 えられている(Tadaki 1966)3ton/haに近い。
このことからこれらの形質は,単位面積当りの葉量を一定にしなければならないという資源の制 限のもとで,生物経済学的な要請によって異なった光・水分条件下でそれぞれ適応的なものが選 択されてきた結果であると考えられる。
群落構造の比較は,全国の成熟した天然林4林分を対象にlha以上のスケールで行った。M亠 w図を用いた解析では,大きな葉面積を持つ個体群では階層構造が2層なのに対し,葉面積の′卜 さな個体群では3層の階層を持っていた。またガンマタイプの分布密度関数を用いてサイズの頻 度を比較すると,葉面積の大きな個体群では大径木密度が低く小径木密度が高い。逆に葉面積の 小さな個体群では大径木密度が高く小径木密度が低い。このようなサイズ構造の違いは一方的か 二方向的かという競争の様式を反映していると考えられ,前述したブナの樹体形成の違いに基づ くものであると考えられた。成熟林の動態解析は実験的手法をとることが困難なため,葉面積が 最大となる北限地帯のブナ林を中心に行い,これを他地域と比較する方法をとった。1.2haの 調査区で3年間の個体毎の成長・枯死の継続調査と0.2 haの年輪情報とから解析すると,より 南 の 葉 面 積 の 小 さ い 個 体 群 よ り 寿 命 が 短 く , 森 林 の回 転時 間が 速い と 考え られ た。
群集レベルの比較のために全国の成熟したブナ林23林分の種の多様性とギャップの特徴を数
haスケールで検討し,過去の気象記録から撹乱の頻度も推定した。群落毎の種の多様性は平均 ギャップサイズに依存しているのではなく,おもに撹乱の頻度と影響度によって規定され,中程 度の頻度・影響度で最も多様度が高まっていた。攪乱の頻度に明瞭な地理的勾配はなかったが,
撹乱の影響度は東北日本ほど大きいという傾向があった。これらのことから撹乱の影響度は円筒 か偏平かという個体の形態の差とも関係していると考えられた。
以上の成果から,ある個体群の物理的・遺伝的形質の変化が他の個体群や群集構造に大きな影 響を与えていることが明らかとなった。今後は形質の変化に関与する選択要因と選択の過程を もっと詳細に解明していく必要があるが,モジュ ̄ルや個体の各レベルの表現型差が群落の構造 や動態に大きな影響を与えるという現象は,本研究で取り上げたブナ林だけではなく他の森林で も見いだされるだろう。
学位論文審査の要旨
本論文は5章で構成され,図36,表14,引用文献165,総頁数108頁の和文論文である。別に参 考論文7編が添えられている。
植物個体群の動態に関する研究では,各個体の持つ個葉サイズや葉群構造など表現型の差によ る変化はほとんど考慮されず,また森林群集の動態を考える上で有効な方法論のーっである ギャップダイナミクス理論では,地理的勾配にともなった同一種の動態の変異という観点が欠如 していた。本研究は地理変異を詳細に解析することを通して,樹木個体群を構成する個体の形質 の変化によって個体群構造や群集構造がどの様に変化するかを明らかにすることを目的として行 われたものであり,成果の概要は以下のとおりである。
1.日本列島のプナには東北部で大きく,南西部で小さいという葉面積の地理的なクラインが 野外の観察から認められていたが,全国30力所から採取された種子を苗畑の同一条件下で栽 培しても同様の変異傾向が得られた。また比葉面積や形状比にもクライナルな変異がみられ た。
夫 夫
崇
恒 貞
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五 滝
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授 授
授
教 教
教
査 査
査
主 副
副
2.種子重は100〜300mgと変動し,葉面積の大きい個体群で小さく,葉面積の小さい個体群で 大きい傾向があった。種子重の選択に対する物理的環境の直接の影響は少なく,栄養成長と 繁殖成長の間には相補的な関係があるためと考えられた。これらの種子の苗畑での発芽日は 個体群の位置する緯度とは関係なく,むしろ種子の大きさそのものに影響されていた。比較 的軽い個体群のものはやや順次に,重い個体群では一斉に発芽する傾向を持っていた。種子 の外部形態には東北日本と南西日本で翼状突起の有無という顕著な差がみられたが,子葉の 折り畳まれ方には基本的な違いはなく,第四紀以降に地理的隔離を受ける機会や時間が少な かったことを示すものと考えられた。
3.日本海側の北部と南部,太平洋側の北部と南部から代表的な個体群を選び,苗畑で3年間 枝条の成長と枯死,葉量成長と樹高成長の経時的な測定を被陰区と対照区にっいて行った。
モジュールレベルでは,葉面積の大きい個体群では当年枝も大きくその数が少なく,葉面積 の小さい個体群ではこの逆であった。また葉面積の大きい個体群に属する個体では葉重の階 層間の差が少なくて,どの階層からもシュートの枯死が起こり,樹高成長に多くを配分して 葉群を垂直的に分散させ,円簡型樹形を示す樹高成長タイプであった。一方葉面積の小さい 個体群に属する個体では葉重の階層間の差が大きく,下層から枯れ上がり,相対的に葉量成 長に多く配分し葉群は上部に集中し,偏平な樹形を示す樹冠成長夕イプであった。以上の形 質は苗畑の同一条件で比較したものであるから,遺伝的な影響を強く.受けたものであると考 えられ,天然林で得られた傾向と一致していた。シュート死亡率は,被陰区では個葉面積の 小さな個体群が高く,対照区では逆に個葉面積の大きな個体群で高い。これらのシュートは いずれの個体群でも密度依存的に枯死し,結果的に樹冠内の葉群密度がすべての個体群を通 じて一定の値を保っていた。単位面積当たりの葉量を一定にしなければならないという資源 の 制 限 の も と で , 適 応 的 な も の が 選 択 さ れ て き た 結 果 と 考 え ら れ る 。 4.群落構造の比較は,全国の成熟した天然林4林分を対象に1 ha以上のスケールで行った。
大きな個葉面積を持つ個体群では階層構造の発達が悪く,大径木密度が低く小径木密度が高 い。反対に個葉面積の小さな個体群では階層構造が発達し,大径木密度が高く小径木密度が 低く。このようなサイズ構造の違いはブナの樹体形成の違いに基づくものであると考えられ た。成熟林の動態解析は,毎木の成長・桔死の継続調査と年輪情報から解析すると,北限地 帯のブナ林はより南の葉面積の小さい個体群より寿命が短く,森林の回転時間が速いと考え られた。
5.全国の成熟したブナ林23林分の種の多様性とギャップの特徴を数haスケールで比較し,
過去 の気 象記録 から撹 乱の頻 度も 推定し た。群 落毎の 種の多 様性 は平均ギャップサイズに依 存し てい るので はなく ,おも に撹 乱の頻 度と影 響度に よって 規定 され,中程度の頻度・影響 度で 最も 多様性 が高ま る。撹 乱の 頻度に 明瞭な 地理的 勾配は なか ったが,撹乱の影響度は東 北日 本ほ ど大き いとい う傾向 が認 められ ,円筒 か偏平 かとい う個 体の形態の差とも関係して いる と考 えられ た。
以上 のよう に本 研究は ,植物 個体群 動態や ギャ ップダ イナミ クス理 論で見落とされていた地理 変異 にっい て詳細 な検討 を加 え,′個体群の物理的・遺伝的形質の変化が他の個体群や群集構造に 大き な影響 を与え ている こと を明ら かにし たもの であ り,森 林動態 の研究推進に貢献する所大き いも のがあ る。
よ っ て 審 査 員 一同 は ,最終 試験の 結果と 合わ せて, 本論文 の提出 者日浦 勉は 博士( 農学) の 学位 を受け るのに 十分な 資格 がある ものと 認定し た。