博士(理学)今井陽子 学位論文題名
肝細胞および肝癌細胞の増殖状態における プロテインホスファターゼ PP1 の動態とその意義
学位論文内容の要旨
本研究では、肝細胞の増殖調節におけるセリン/スレオニン残基特異的I型プ ロテインホスファターゼPP1の役割を明らかにする目的で以下の実験を行なっ た。
第1章:当研究室においてこれまでに、各種移植性腹水肝癌細胞のPP1の動態 を調べたところ、移植性腹水肝癌細胞においてrriRNTA、核画分におけるPP1 活性、酵素夕ンバク量のすべてが上昇していることを見出だした。その詳細を 明らかにする為に、従来用いた腹水肝癌細胞の1つであるAH13細胞に加えて、
由来の異なる肝癌細胞であるヒトHepG2細胞を用いて、さらに検討を加えた。
@PP1活性は細胞粗抽出液では正常肝細胞と肝癌細胞に差が見られないのに 対し、核画分においては肝癌細胞で上昇を示した。◎細胞粗抽出液では肝癌細 胞でPPlaおよびPPlyl夕ンパク量が上昇していた。◎核画分においては肝癌 細 胞 でPPlaお よ びPPl6夕 ンバ ク 量 が 上 昇 し て い た 。HepG2細 胞 とAH13 細胞において以上3つの特徴があった。これらのPP1の変異は肝癌細胞の特徴 であると考えられた。
第2章:当研究室においてこれまでに、ラット肝再生過程およびEGFで刺激し た初代培養肝細胞において、GエノS期で核内PP1活性が一過性に上昇したこと を認めた。そこで、GエノS期における核内PP1活性の一過性の上昇が正常肝細 胞に特異的な現象であるか否かを検討するため、同調可能な肝癌細胞である HepG2細胞を同調し、核内PP1活性、酵素夕ンバク量の動態を調べた。また、
肝細胞の生理的増殖因子であるHGFで初代培養肝細胞を刺激し、生理的にも G./S期で活性上昇がおこるか否かについて確認した。HepG2細胞の同調方法 には2種類すなわち血清飢餓同調と薬剤同調を用いて行なったが、いずれの場 合も、正常肝細胞と同様にGエノS期において核内PP1活性の一過性の上昇が見 られた。また、HGFで刺激した初代培養肝細胞においてもG./S期において核 内PP1活性の一過性の上昇が認められた。しかしながら、正常肝細胞と肝癌細
胞を比較すると、肝癌細胞の核内PP1活性のbasdレベルが高く、逆に活性の 上昇は正常肝細胞の方が高いという差異があった。肝細胞の細胞周期において GiノS期を通過するのに、細胞の悪性度に拘わらずある一定以上のPP1活性が 必要であるように思われる。
第3章:正常肝細胞の増殖促進因子であるHGFは肝癌細胞に対しては増殖抑制 的に働くことが知られている。そこで、増殖抑制状態におけるPP1の関与を探 る 目 的 で 、ま ず 非 同 調HepG2細胞 をHGFで 刺激し 、DNA合成へ の影 響を 確 認し 、同 条件 下でPP1の動態 を解 析した。HGFによりDNA合成が抑えられた HepG2細胞において、PP1活性、酵素夕ンノヾク量は核画分および非核画分とも にHGF刺激の有無による変化は見られなかった。従って、HGFによる癌特異 的な 増殖 抑制 効果に つい ては 、PP1は関与していないことが示唆された。
第4章 :3章 で はHGF刺 激 の 有無 に よ りHepG2細 胞 のPP1の 動態 に 変 化 は 見られなかったが、核画分においてPP1活性はプレーティング後6時間におい て、一過性の減少を認めた。この減少のメカニズムを解明する目的で、HepG2 細胞を様々な細胞密度でプレーテイングを行ない、培養初期における核内PP1 活性および酵素夕ンバク量の経時的変化を測定した。核内PP1活性の一過性減 少は細胞密度が粗である時は見られたが、密である時は見られなかった。した がって、この一過性の減少が細胞密度に依存していることがわかった。しかし な が ら 、 この 時 の 酵 素 夕ン バク 量は一 定で あり 、PP1が 何ら かのpost− translationalな修飾を受け、活性変化をおこしていることが示唆された。
第5章:EGFで刺激した初代培養肝細胞は通常、5〜7日しか生育できずに死滅 するが、二コチンアミドを加えて培養すると、増殖はしないが30日以上生きの びるという報告がある。そこで、増殖はしないが30日以上生きのびるという条 件下 にお けるPP1の動 態を調 べる 目的 で、PP1の酵 素活性 、mRNAおよび酵 素夕ンバク量等の経時的変化を調ぺた。EGFのみで刺激した肝細胞のPP1活性 は9日目まで急激に上昇を示したが、二コチンアミドを加えた肝細胞のPP1活 性は緩やかに9日目まで上昇を示し、その活性はEGFのみで刺激したものと比 べて低い値を示し、その後ほぽ一定となった。この活性上昇はPPla、PPlyl のmRNA量 およ びPPlaの 酵 素夕 ンバ ク量に 反映 して いた。EGFの みで刺 激 した肝細胞はPP1の活性上昇異常により、生体内のりン酸化ー脱リン酸化のバ ランスを崩し、死を招くが、二コチンアミドによりPP1の転写や活性が抑制さ れることにより細胞死を免れるのかも知れない。
学位論文審査の要旨 主査 教授 菊池九二三 副査 教授 東 市郎 副査 教授 矢澤道生
学 位 論 文 題 名
肝細胞および肝癌細胞の増殖状態における プロテインホスファターゼPP1 の動態とその意義
細 胞 増 殖 の 調 節は 、 標 的夕 ン ノ ヾク の 可 逆 的リ ン 酸 化に よ り 調節 さ れ てい る 。 本 研 究 は 、 肝 細 胞 の 増 殖 調 節 に お け る セ リ ン / ス レ オ ニ ン 残 基 特 異 的1型 プ 口 テ イ ン ホ ス フ ァ タ ー ゼPP1の 役 割 を 明 ら か に す る 目 的 で 種 々 の 肝 細 胞 増 殖 条 件 に お い て 、PP1の 動 態 を 解 析 し た も の で 、 本 論 文 の 要 点 は 以 下 の4点 に ま と め ら れ る 。
1. ラ ッ ト 腹 水 肝 癌 細 胞 の1つ で あ るAH13細 胞 に 加 え て 、 ヒ ト 肝 癌 細 胞 で あ る HepG2細 胞 を 用 い て 、mRNA、 核 画 分 に お け るPP1活 性 、 酵 素 夕 ン バ ク 量 を 検 討 し て 次 の 結 果 を 得 た 。 ◎PP1活 性 は 細 胞 粗 抽 出 液 で は 正 常 肝 細 胞 と 肝 癌 細 胞 に 差 が 見 ら れ な い の に 対 し 、 核 画 分 に お い て は 肝 癌 細 胞 で 上 昇 を 示 し た 。 ◎細 胞 粗 抽 出 液 で は 肝 癌 細 胞 でPPlaお よ びPPlyl夕 ン バ ク 量 が 上 昇 し て い た 。 ◎ 核 画 分 に お い て は 肝 癌 細 胞 でPPlaお よ びPP16夕 ン バ ク 量 が 上 昇 し て い た 。 以 上 の 差 異 は 、 HepG2細 胞 と AH13細 胞 に お い て 共 通 し て い た 。 よ っ てPP1の 変 異 は 肝 癌 細 胞 の 特 徴 で あ る と 考 え ら れ た 。
2. EGFで 刺 激 し た 初 代 培 養 肝 細 胞 に お い て 、Gエ /S期 に 核 内PP1活 性 の 一 過 性 の 上 昇 を 認 め た が 、 こ れ が 正 常 肝 細 胞 に 特 異 的 な 現 象 で あ る か 否 か を 検 討 す る た め 、 同 調 可 能 な 肝 癌 細 胞 で あ るHepG2細 胞 を 同 調 し 、 核 内PP1活 性 、 酵 素 夕 ン パ ク 量 の 動 態 を 調 べ た 。 ま た 、 肝 細 胞 の 生 理 的 増 殖 因 子 で あ るHGFで 初 代 培 養 肝 細 胞 を 刺 激 し 、 生 理 的 に もGi/S期 で 活 性 上 昇 が お こ る か 否 か に つ い て 検 討 し た 。HepG2細 胞 の 同 調 方 法 に は2種 類 す な わ ち 血 清 飢 餓 同 調 と 薬 剤 同 調 を 用 い て 行 な っ た が 、 い ず れの 場 合 も、 正 常 肝細 胞 と 同 様にGエ /S期 に おい て 核 内 PP1活 性 の 一 過 性 の 上 昇 が 見 ら れ た 。 ま た 、HGFで 刺 激 し た 初 代 培 養 肝 細 胞 に お い て もG・ /S期 に お い て 核 内PP1活 性 の 一 過 性 の 上 昇 が 認 め ら れ た 。 し か し な が ら 、 正 常 肝 細 胞 と 肝 癌 細 胞 を 比 較 す る と 、 肝 癌 細 胞 の 核 内PP1活 性 のbasal レ ベ ル が 高 く 、 逆 に 活 性 の 上 昇 は 正 常 肝 細 胞 の 方 が 大 き か っ た 。 肝 細 胞 の 細 胞 周 期 に お い てGエ /S期 を 通 過 す る の に 、 細 胞 の 悪 性 度 に 拘 わ ら ず あ る 一 定 以 上
のPP1活性が必要であるように思われる。
3. 正 常 肝 細胞 の増 殖促 進因 子で あるHGFは 肝癌 細胞 に対 して は増 殖抑 制的に 働く こと が知 られ てい る。そ こで 、増 殖抑 制状 態に おけ るPP1の関与を探る目 的 で 、 ま ず 非 同 調HepG2細 胞 をHGFで 刺 激 し 、DNA合 成 へ の影 響 を 確 認 し 、 同 条 件 下 でPP1の 動 態 を 解 析 し た 。HGFに よ りDNA合 成 が 抑 え ら れ たHepG2 細 胞 に お いて 、PP1活性 、酵 素夕 ンバ ク量 は核画 分お よび 非核 画分 とも にHGF 刺激 の有 無に よる 変化 は見ら れな かっ た。 従っ て、HGFに よる癌特異的な増殖 抑 制 効 果 に つ い て は 、PP1は 関 与 し て い な い こ と が 示 唆 さ れ た 。 4. HepG2細 胞の プレ ーテ ィン グ後6時間 にお いて 、核 局在 性PP1活性の一過性 の 減少 を認 めた 。こ の減 少のヌ カニ ズム を解 明す る目 的で 、HepG2細胞を様々 な 細胞 密度 でプ レ冖 ティ ングを 行な い、 培養 初期 にお ける 核内PP1活性および 酵 素夕 ンバ ク量 の経 時的 変化を 測定 した 。核 内PP1活 性の一 過性減少は細胞密 度 が粗 であ る時 は見 られ たが、 密である時は見られず、この一過性の減少が細 胞密度に依存していることがわかった。この時の酵素夕ンバク量は一定であり、
PP1が何らかのpost‑translationalな修飾を受け、活性変化をおこしていることが 示唆された。
5. EGFで刺激した初代培養肝細胞は通常、5‑‑‑7日しか生育できずに死滅するが、
二 コチ ンア ミド を加 えて 培養 する と、 増殖 はしないが30日以上生きのびる。そ こ で、 増殖 はし ない が30日以 上は 生き のび るこ の条 件下に 、PP1の 酵素 活性、
mRNAお よ び 酵 素 夕 ン バ ク 量 等 の 経 時 的 変 化 を 調 べ た 。EGFの みで 刺激 した 肝 細 胞 のPP1活 性 は9日 目 ま で 急激 に上 昇を 示し たが 、二 コチン アミ ドを 加え た 肝 細 胞 のPPl活 性 は 緩 や か に9日 目 ま で 上 昇 を 示 し 、 そ の活 性はEGFの みで 刺 激 した もの に比 べて 低い 値を 示し 、そ の後 ほぽ一定となった。この活性上昇は PPla、PPlY1のmRNA量 お よ びPPlaの 酵 素 夕 ン バ ク 量 に 反 映 し て い た 。EGF の みで 刺激 した 肝細 胞はPP1の 活性 上昇 異常 によ り、 生体 内の りン 酸化 ー脱リ ン 酸化 のバ ラン スを 崩し 、細 胞死 を招 くが 、二 コチ ンアミ ドに よりPPlの転写 や 活 性 が 抑 制 さ れ る こ と に よ り 、 こ れ を 免 れ る 可 能 性 が 示 唆 さ れ た 。 これを要するに、著者はセリン/スレオニンプ口テインホスファターゼPP1に つい て肝 細胞 の増 殖状態 と細胞周期での役割について新知見を得たもので、プ 口テ イン ホス ファ ターゼ の機能面において貢献するところ大なるものがある。
よっ て、 著者 は、 北海道 大学博士(理学)の学位を授与される資格あるものと 認める。