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沖縄糖業の危機とその展望

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(1)

沖縄糖業の危機とその展望

1.さとうきび生産の衰退

一沖縄農業の生産構造とその変化

来 間 泰 男

沖縄農業の主要部門の一つになってほぼ1世紀、最大の部門になってからすでに30年余という

「さとうきび(甘薦)」であるが、このところ明瞭な後退過程に入ってきた。その加工部門とセッ トで「糖業」とされるこの沖縄の主産業が、いま危機的な局面を迎えている。このことは、沖縄 農業の新たな構造変化の始まりと認識すべきものであろう。

1)農業粗牛産額とさとうきび

農業粗生産額(表1)で、実現した金額からみた沖縄農業の構成をみる。実数の総額では、

1973年から83年への倍増と、それから93年への停滞とが対照的に見てとれるであろう。このな かでさとうきびは73年から83年へは平均以上の増加であったが、それから93年に向けては明瞭 な減少である。さとうきびの動向が最大の原因となって、沖縄農業の拡大から停滞への過程が 進行しているというべきである。

そのさとうきびの粗生産額(実数)は、復帰直後に生産者価格の画期的な引き上げがあって、

1973年の138億円から78年には313億円へと、2.3倍にも増加した。その後は増減を繰り返しなが らも83年には368億円へと、なお17%の増加をみた。これが88年には294億円へと20%減、93年 には221億円へと25%減となり、決定的に落ち込んだ。構成比では、1973年の31%から増大して、

78年には36%を占めたが、この頃がピークで、早くも83年34%、88年28%と落ちていき、93年 では実に21%となっている。

作目ごとの増減の特徴をみておこう。1973年から93年まで継続して伸びているのは花き、そ して畜産の肉用牛と乳用牛である。83年から伸びているのは米と葉たばこである。これに対し て73年以来ずっと減少を続けているのがパイナップル、83年から減少し始めたのが野菜とさと うきび、養蚕、豚である(鶏も83年ピーク)。83年の時点で構成比第1位のさとうきび、第2位 の野菜、第3位の豚がこの83年からことごとく減少し始めたことになる。

なお、1994年のデータも公表されたので、93年と比較したその特徴に触れておきたい。まず、

総額が1,009億円となり、4%減少した。停滞ないし減少過程は継続している。83年以来増加し てきた部門では、米、肉用牛及び乳用牛が引き続き増加した。ところが、花きが初めて減少し、

(2)

沖 縄 糖 業 の 危 機 と そ の 展 望 14

葉たばこも落ちた。また、83年以来減少してきた部門は野菜、パイナップル、豚とも引き続き 減少し、特にさとうきびは196億円となり、構成比も20%を割った。

表1農業粗生産額(沖縄県、1973〜93年、5年間隔、94年単年)

a 総 額 ・ 耕 種 単位:百万円、%

b 養 蚕 ・ 畜 産 ・ 加 工 農 産 物

(注)「生産農業所得統計」による。

2)作付延べ面積とさとうきびの作付面積

農作物の作付延べ面積及び耕地利用率(表2)によれば、さとうきびが1975年から85年にか けて増加し、それ以後減少しているのに対応して、作付延べ面積の総数も85年の前で増加し、

総 額

耕種合計F栞−「辰−5

野 菜 | 花 き パ イ ン | き び

痙章「『

1973年 (

1978

(

1983

(

1988

(

1993

(

45.119

(100.0)

86.074

(100.0)

106.836

(100.0)

105.011

(100.0)

105.174

(100.0)

28.015

(62.1

59.244

(68.8

73.280

(68.6

70.476

(67.1

69.851

(66.4

748

(1.7

902

(1.0)

552

(0.5)

634

(0.6)

965

(0.9)

907

(2.0)

899

(1.0) 1,374 (1.3) 1,669 (1.6) 1,392 (1.3)

7.334

(16.3

17.513

(20.3)

20.993

(19.6

20.360

(19.4

18.549

(17.6

533

(1.2

1.349

(1.6

6.765

(6.3

11.569

(11.0

16.308

(15.5

2,610 (5.8 2,314

(2.7 2,072

(1.9 1,902 (1.8 1,734 (1.6)

13.810

(30.6

31.320

(36.4

36.791

(34.4

29.442

(28.0)

22.117

(21.0)

514

1.1

,334 2.7

,074 1.9 ,118 2.0) ,423 4.2

l2く2く2l4く 1,559

(3.5 2,613

(3.0 2,659

(2.5 2,782 (2.6 4,364

(4.1

1994

(

100.851

(100.0)

65.594

(65.0)

1.128

(1.1

1.463

(1.5

16.908

(16.8

16.219

(16.1

1.698

(1.7

19.587

(19.4

4.267

(4.2

4.324

(4.3

養 蚕 畜 産

肉 用 牛 乳 用 牛

加工農産物 1973年

(

1978

(

1983

(

1988

(

1993

(

2

(0.0)

130

(0.2

269

(0.3

102

(0.1)

71

(0.1

17.085

(37.9 26,646

(31.0)

33,183

(31.1

34.352

(32.7

35.196

(33.5

2,641 (5.9 2,999

(3.5 4,358

(4.1 7,082

(6.7 7,788

(7.4

572

1.3 ,566 1.8 ,603 3.4

,338 4.1

,668 4.4

113く4l4

8.097

(17.9

15.728

(18.3

18.247

(17.1

17.095

(16.3

16.761

(15.9

5.209

(11.5

5.695

(6.6

6.494

(6.1

5.384

(5.1

5.592

(5.3

566

(1.3

658

(0.8)

481

(0.5)

453

(0.4)

387

(0.4

17

(0.0)

54

(0.1)

104

(0.1)

81

(0.1)

56

(0.1)

1994

(

56

(0.1)

35.147

(34.9

8.180

(8.1

4.764

(4.7

16.133

(16.0)

5.682

(5.6

388

(084)

54

(0.1

(3)

その後は減少している。総数は75年の水準に戻ってしまった。さとうきびの面積が減少するよ うになった85年以降も90年までは、その構成比は大きくは落ちず、なお65%水準を維持してい たが、95年には57%となった。これまではさとうきびの面積減少が総面積の減少と並行して進 んでいたのである。95年を85年と比較してみると、さとうきびの減少面積は9,400haもあり、そ の数がそのまま総数の減少数と一致している。また野菜も1,270ha、パイナップルも1,060畑そ れぞれ減少しており、代替土地利用が進んでいない。これをカバーすべき花きはわずかに510ha の増加、水稲は360ha、葉たばこも推定200haの増加にとどまる。すなわち、さとうきびの作付 の減少の多くが耕作の放棄につながっているということになる。

表2農作物の作付延べ面積及び耕地利用率(沖縄県、1975〜95年、5年間隔)

1975年

1980 1985 1990 1995

1 1

1

760 100 773 881 130

甘 藷

1 850 658 483 453 408

野 菜

4,060 5,270 4,720 3,470 3,450

花き

1

● ● ●

● ● ●

619 828 130

パ イ ン

3,580 3,190 2,260 1,730 1,200

(注)「作付面積調査」による。主要作物だけ掲げた。

3)さとうきびの生産動向

た ば こ

1.020

さとう き び

25,200 28,800 32,100 29,900 22,700

同%

63.8 65.0 65.6 65.4 57.3

単位:ha 延べ面積

ha

39,500 44,300 49,000 45,700 39,600

耕 地 利 用 率

95.0 101.1 106.1 97.2 88.4

さとうきびのデータを過去35年についてまとめてみた(表3)。

これは4つの時期に区分することができる。1961〜65年期は躍進期であり、「さとうきびブー ム期」である。収穫面積で2.4倍(この65年期が最高値)、収穫量で1.7倍(前年の64年期が最高 値)になった。66年は65年の水準より少し落ちていて、ここから後退が始まったが、この66年 から70年までは収穫面積27,000〜29,000ha、収穫量174〜198万tもあり、「安定期」とみること もできる。この70年期から74年期まではいっそう低いレベル、すなわち収穫面積が23,000haか ら19,000haへ、収穫量が110〜140万tとなっている。この1965〜74年を「第1後退期」としよう。

この時期は基本的に減少の中で推移していて、収穫面積は40%減少、収穫高も38%減少し、さ とうきび作農家戸数(後出、表5)も44%減少を記録している。「維持発展期」というべき1974〜85 年期は基本的に増加傾向で、収穫面積は20%回復し、収穫高も51%増加、農家数は横這いで推 移した。1972年の復帰後における日本農政の適用は、当時の国際糖価の上昇にも支えられて、

さとうきび価格を引き上げることとなり、その効果が徐々に現れてきたのである。しかし1985 年の後は再び一路減少の過程に入っている。最近の「第2後退期」の1985〜95年は、収穫面積・

収穫量ともに後退してきて、1995年期は収穫面積が14,694ha、収穫量が101万tとなっており、

面積は85年期から10年連続減少しているのである。実に8,436ha(36.5%)の減少である。なか

(4)

16 沖縄糖業の危機とその展望

表3さとうきびの生産(沖縄県、1961〜1995年期)

単位ha、t、千t

(注)沖縄県農林水産部『さとうきび及び甘しや糖生産実績』各年次による。

でもこの5年の減少率は特に高く、7.1%、9.2%、7.4%、5.0%、2.9%となっており、この5 年では5,703ha(28.0%)減少した。率からいえば「第1後退期」ほどではないが、この低いレ ベルでの一貫した減少は消滅につながりかねない危機的なものである。収穫放棄、荒蕪地化が 進んでいるのである。1994年期は収穫量でついに100万tを割り込んだ。また、さとうきび作農 家戸数をみると、収穫面積と同様な傾向を示している。ここでも1986年の3万8千戸から、95 年の2万3千戸へと1万5千戸(38%)も減少した(後出表5)。

夏 植 面 積 単収 収 量

春 植 面 積 単収 収 量

株 出 面 積 単収 収 量

合 計 面 積 単収 収 量 1961年期

1962 1963 1964 1965

8,297 9,754 8,694 9,750 6,079

32839●●●●●99596

773 893 503 903 420

1,537 1,277 1,258 1,850 1,370

00201●●●●●55464

78 64 53 10 56 1

3,633 7,344 11,146 18,223 24,516

25587●●●●●66575

224 477 617 422 389 99 1 1

13,467 18,375 21,098 29,823 31,965

08628︒●●●●87585

1,075 1,434 1,173 2,435 1,865

1966

1967 1968 1969 1970

4,700 5,543 5,597 5,090 5,007

63729●●■●●67777

312 404 430 365 394

1,482 1,244 1,226 1,211 1,341

15952●●●●●44445

61 56 60 54 69

23,498 21,075 21,307 22,457 21,410

81931●●●●●57667

1,369 1,501 1,469 1,419 1,519

29,680 27,862 28,130 28,758 27,758

90041●●○●●57767

1,742 1,960 1,959 1,838 1,982

1971

1972 1973 1974 1975

3,962 5,189 3,858 3,213 3,677

06477●●●■●56767

198 340 287 217 282

1 1

1 090 346 626 878 581

60311●●●●●44545

50 54 33 36 81

18,313 16,827 15,318 15,184 14,191

61994●●●●●56656

1,017 1,019 1,060

903 909

23,365 23,362 19,802 19,275 19,449

41005●●●●●56766

1,265 1,414 1,380 1,156 1,272

1976

1977 1978 1979 1980

5,651 4,604 5,785 4,860 5,165

34499●●●●●77876

414 340 486 386 358

1,662 1,849 2,070 2,830 2,433

5.1 5.7 5.1 4.1 4.2

84 105 106 116 101

14,109 15,031 15,520 15,422 13,678

43042●●●●●67766

1 1

901 100 079 985 842

21,422 21,484 23,375 23,112 21,276

52241●●●●●67766

1,400 1,545 1,672 1,486 1,301

1981

1982 1983 1984 1985

7,063 6,828 8,731 8,005 8,610

08061︐●●●●87888

567 531 694 690 693

2,214 2,058 1,082 2,375 2,489

51869●●●●●45555

100 106 105 134 148

13,170 12,666 12,332 12,291 12,031

99425●●●●●66777

911 869 914 885 899

22,447 21,552 22,865 22,671 23,130

00555●●●●○77777

1,578 1,506 1,713 1,708 1,740

1986

1987 1988 1989 1990

8,263 8,374 8,486 8,729 7,960

16056■●●●●78796

585 717 590 831 523

2,553 2,814 2,090 2,142 2,081

83987●●●●●45564

123 148 123 146 99

11,742 11,163 10,733 10,123 10,356

56798●■●●●66675

758 742 723 802 597

22,558 22,351 21,309 20,994 20,397

52750●●●●●67686

1,466 1,608 1,436 1,779 1,219

1991

1992 1993 1994 1995

7,500 7,131 7,052 7,006 6,928

40797●●●●●77767

556 500 543 484 536

1,853 1,448 1,653 1,507 1,396

55079●●●①●45544

83 79 83 71 69

9,588 8,613 7,219 6,622 6,370

52344●●●●●56666

527 532 457 422 408

18,941 17,192 15,924 15,135 14,694

25859●○●●●66666

1,165 1,111 1,083

977

1,013

(5)

次に単収(10a当たり収量)をみると、35年間を通して大きな変化はみられない。この間の平 均は6.7tであるが、それより高い単収を記録した年が18年、下回った年が16年とほぼ半分ずつ に分かれている。この10年では、画期的な8.5tを記録した89年を例外として、10年のうち8年 が7tを割って低迷している。

作型別(同じく、表3)では、「維持発展期」には株出の減少と新植(夏植と春植)の増加と いう流れであった。株出の減少は宮古と八重山を中心として離島地域で「株が立たなくなった」

ことによる。連作による地力の低下と病害虫の環境変化による多発が原因といわれている。だ が、「第2後退期」の現段階では、新植の増加が止まり、春植は1987年期以後は減少、夏植もま た89年期以後は減少過程に入った。この点からもさとうきびの減少は回復不可能のように見え

4)製糖工場の対応

さとうきびの生産は製糖工場の立地と対応している。その製糖工場はすでに合併に向かって 動き出した。1993年10月、沖縄本島地区にある5つの工場のうち3つが合併して新会社(翔南 製糖)が発足し、1工場は閉鎖した。この地域の分蜜糖原料さとうきびの生産量をみると、85 年期まで40万tを維持していたが、86〜89年期には35〜39万t、90〜93年期には27万t、24万

t、22万t、21万tと推移して、決断を迫られたのである。その後の94年期も95年期も19万t である。

本島内に残る2つの工場(1つは経済連)もすぐにでも合併すべく話し合いが続けられてい たが、中部地域農協や同地域の市町村議会の反対で延期された。この地域の原料さとうきびの 量も、1985年期の43万tから95年期には19万tに落ちている。

本島以外の島では、宮古島だけは工場2つという体制であるが、その他は1つずつである。

それぞれの地域で工場がつぶれればさとうきび生産が一挙に消し飛んでしまう運命にある。小 さな離島ほどその農業のさとうきびへの依存度が高いという現状では、本島地区よりも残存寿 命は長かろうが、それを維持するための負担は増大していく。

2.さとうきび衰退の原因

1)生産者価格の低下と収益性の低下

さとうきびの減少は、政府の告示する生産者価格が1978年以降低率引き上げとなり、83年ピー ク、その後据え置き、引き下げ、引き下げた水準での据え置きと推移してきたことから、収益 性が著しく低下したことが基礎にある。

コストを物財費と労働費に分けて検討してみる(表4)。物財費は1982年の39,351円から86年の 42,404円へ上昇、しかし90年の40,868円へ低下し、その後再び94年の46,738円へと上昇してい

(6)

沖縄糖業の危機とその展望

18

る。10年間で12%の上昇だが、この4年間で14%上昇している。労働費の動きはやや複雑である。

1982年の142,102円から90年の158,184円まで11%上昇していながら、その後低下し、94年には 146,989円へと4年間で7%減となっている。これは10a当たり労働時間が年々減少し、例えば90 年には161.0時間であったのが94年には139.3時間となり、4年間で13%減となっていることが反 映しているのである。これらの結果、両者の合計である生産費、全参入生産費(資本利子と地 代を含む)は1992年までは増加しながら、94年では若干減少を見せている。

表4さとうきびの生産費と賃金との比較(1982〜94年、2年間隔)

(注)1.さとうきびの生産費は「さとうきび生産費調査」による。全参入生産費とは、資本利子と地 代を含めた生産費のことである。*印は、奨励金などを含めたもの。すべて「10a当たり」で

示してある。

2.賃金は沖縄県農業会議『農業労賃・農作業料金に関する調査結果』各年次による。「1日=

8時間当たり」に換算した。

3.単位表示のある「さとうきび収量」を除いて、単位はすべて「円」である。

一方、収入の方は、さとうきびの収量と単価の積である粗収益と、生産費の中の家族労働費 の動向で決まる。粗収益から生産費を差し引き、生産費の中の家族労働費を加えたものが所得 になる。家族労働費は実際には自らに入ってくる労働報酬だからである。さとうきびの収量、

単収は、1982〜86年は8tに近い水準であったが、88〜94年は90年を除いて7.3〜7.4tに落ち ている。単価(t当たり)も右下がりである。その結果粗収益は1984年の176千円から94年の150 千円へ、10年で26千円、15%減少した。90年は単収が落ち込んでいるので、傾向線から大きく

はずれているが、粗収益は138千円であり、94年へは12千円、9%の増加となっている。これを 所得でみると、1984年の123千円から94年の97千円へ、26千円、19%の大幅な減少である。

コストは上昇しながら所得は減少していくという流れの中で、その収益性が低下してきたが、

農村賃金と比較するために、1日すなわち8時間当たり家族労働報酬をみる。これは、1990年 1982年産

1984 1986 1988 1990 1992 1994

生 産 費

物 財 費 労 働 費 全参入生産費

181,458 39,351 142,102 198,979

189,045 41,695 147,350 207,438

189 42 147 209

943 404 539 911

191 41 149 212

307 378 929 093

199 40 158 222

139 868 271 066

201 42 158 224

005 821 184 244

193 46

727 738

146,989

215.146

さとうきび収量(t)

その単価 粗収益

7.994 21

*171 450 472

8.194 21

*175 470 935

7.843 21

*168 470 375

7.353 20

*150 490 651

6.716 20

*137 490 649

7.312 20

*149 410 242

7.451 20

*149 080 592

所 得

家族労働報酬 同1日当たり

*122

*104

* 5 403 882 215

*122

*104

* 5 807 414 273

00419

***

257 434 972

*98,411

*77,625

*4,162

85,936 62,964 3,518

*** 87497***

393 122 229

*97,345

*76,871

*4.620

農業臨時雇賃金(男)

土 木 工 賃 金 (

5,229 3,707 6,310

6,078 4,446 6,874

5,489 3,907 7,135

5,854 4,000 7,100

647

420 543 900

6,983 4,978 8,680

7,128 5,110 9,027

(7)

から94年にかけて回復しているものの、84年のころの5,200円水準には及んでいない。これを農 業臨時雇賃金と比較すれば、男子とは82年までは拮抗していたが84年以降は抜かれ、90年から は女子にも抜かれた。これは女子を雇っても引き合わなくなったことを意味しており、その後 更に引き離されてきた。土木工賃金には以前から及ばなかった。

かくして、自家労働力の不足する場合は、高校アルバイト程度の雇用に頼るか、他出者を含 めて子供たちとその家族の犠牲的な労働で持ちこたえるかという、きわめて狭い選択の余地し か残されなくなっていったのである。

2)規模拡大の困難性

価格引き上げがなくとも、生産性の向上で対応する可能性がある。しかしその取り組みが弱 かった。また、土地所有の零細性が機械化などでの対応を困難にしていることが問題である。

規模拡大ができたとしてもただ面的に広がるだけで、そこに機械利用の道が進展しなければ生 産性の向上には結びつかず、したがってそれは進まなかったのである。

経営規模別にさとうきび栽培農家数の推移をみる(表5)。まず総数は、さとうきびブーム期 絶頂点の1965年期に64,595戸もあったのが、復帰直後の1975年期には35,288戸となり、10年間 で29,307戸(45.4%)も減少している。その後若干回復していたが、1985年期から1995年期ま での10年間で再び激減して23,305戸となり、この10年間では14,467戸(38.3%)の減少となっ た。この間、1戸当たりの収穫面積ではわずかに増加を続けているが、それは規模拡大が進ん だことを示しているというよりは、その進展の弱さを示しているというべきであろう。規模別 には、最大規模の150a以上層が2,000戸と3,000戸の間を行ったり来たりしていて、傾向といえ る特徴は見えない。総数が減少しているなかでこの層が停滞していることで、その比重は高まっ ていることになるが、これでもって規模拡大が進んだとは決して言えない。そして、これ以外 のすべての階層力】ほぼ一貫した減少傾向にある。

表5さとうきび経営規模別農家数(沖縄県、1965〜1995年期、5年間隔)

1965年期

1970 1975 1980 1985 1990 1995

さとうきび 農 家 数 64,595 52,001 35,288 37,290 37,772 32,994 23,305

30a

31,212 22,346 13,635 13,862 12,804 12,256 8,548

計 上 規 模 別 農 家 数 ( 戸 )

50a

13,950 11,243 8,084 8,812 8,191 7,062 4,806

100a

13,220 11,193 8,688 9,538 9,841 8,191 5,257

150a

4,116 4,053 2,894 3,118 3,989 3,032 2,080

150a

2,097 3,166 1,987 1,960 2,947 2,453 2,614

(注)沖縄県農林水産部『さとうきび及び甘しや糖生産実績」各年次、による。

1戸当た り面積(a)

50

53

55

57

61

62

63

(8)

20

沖縄糖業の危機とその展望 3)労働力の高齢化

さとうきび栽培者は「さとうきびブーム」と呼ばれた高価格時(1965年前後)に取り組んだ 人々に固定していて、その後の新規参入は極端に少なく、これらの人々が高齢化していく中で、

そのまま先細りとなっていきつつある。それに伴い、特に収穫労働の負担に耐えられなくなっ てきた。

4)園芸部門への期待

沖縄農業のどの部門も後退しているのではない。すでに表1と表2でみたように、1983年以 降の10年間でも、花きが2.4倍に、葉たばこが2.1倍に、米も1.7倍に伸びている。野菜でも品目 によっては増加しているものがある。1985年と比べた94年の作付面積をみれば、スイカが1.6倍 に、レタスが1.2倍に、ニガウリが1.5倍に、バレイショが1.5倍に、などと増加している。マン ゴー、パパイヤなどの熱帯果樹に取り組む者もいる。若い就農者はこれらの部門に流れている のであって、その人々が減少しているのではない。収益性の高いと考えられるこれらの部門の 展開が、さとうきびの減少につながったともいえる。

5)品質取引とその評価

このような危機的な状況に立ち至っているなかで、1994年期(95年1〜3月に収穫)からは 品質(甘鳶糖度)取引が導入されるという5年前の政府との約束が実行され、新しい体系での価 格告示がなされた。糖度12.9〜14.4までは現行価格(20,540円)、14.5度は40円アップ、それ以 上は0.1度高くなるごとに130円を乗せていく。他方、糖度の低い方は、0.1度落ちるごとに130 円安くなる。これによって、生産量のおよそ14%が引き下げられることになる。

すでに2期の実績が出ている(表6)。1994年と95年の実績、及び両年の比較を示した。全県 では原料量が3.7%増加した中で、糖度が1.2%ポイント(9.2%)上昇したために、農家手取り がt当たり800円、4.0%増えた。単価最高時には600円ほど及ばないものの、ほぼ10年ぶりの「高 値」である。しかし、収益性の低下に対抗するには余りに隔たりのある数字といわねばならな い。「全般的には天候にめぐまれ順調な育成であった」(沖縄県農林水産部『平成7/8年期さ とうきび及び甘しや糖生産実績』1996年6月)とされる95年期においてこれだけの「成果」し か得られなかったということは、この新しい制度がさとうきびの衰退傾向に対して歯止めをか け、プラスに作用するとはほとんど考えられないということを実証したといえよう。

しかし、この制度の問題点は地域差の問題にある。表6の地域区分の限りでは両年の平均の 比較で、大きな差は表れていない。本島北部13.5、中部13.5、南部13.7、西部離島13.7、南北 大東14.0、宮古14.0、八重山13.3、全県平均13.7度となっていて開きは0.7度に留まる。ところ が、表には示していないが、市町村別にみると、14.4〜14.0度が12,13.9〜13.5度が25,13.4〜13.0

(9)

表6さとうきびの品質取引状況(地域別、1994,95年期)

(注)1.沖縄県農林水産部「平成6/7年期さとうきび及び甘しや糖生産実績』(1995年5月)及び同

「平成7/8年期」による。

度が10,12.9度カヌ2市町村となる。開きは1.5度と2倍に拡がる。これは字別、ほ場別と単位を 小さくしていけば、当然に拡大していくものである。この表でも地域ごとの最低と最高の差が、

小さい所でも7.3度(94年の本島北部)もあり、大きな所では10.5度(94年の宮古)と絶大となっ ているが、このことは地域差の所在の一端を示しているといえよう。

また、この2年のデータでは年次差もあることが示されたが、これが地域ごとの栽培技術の 向上や努力の結果として出てきたものでなく、さとうきびに適当な雨量と、台風が回避された

ことによることは自明のことに属する。

かくして、量の衰退という流れのなかで、質の追求すなわち肥培管理の徹底などが可能とは 考えられないし、この制度自体は衰退に拍車を駆けることになるのではなかろうか。農家の努 力では対応しがたい地域差(地域によって糖度差がある程度固定している)、時期差(収穫時期

原料量 (千t)

農 家 手 取 (円/t)

甘薦糖度(度)

平 均 最 低

■ 一

糖度別の量(千t)

〜12.8度 (

〜14.4度 (

14.5度〜

( 本島北部94

95 94→95

113 110

− 3

20,204

20.363

+ 1 5 9 13.3 13.6 +0.3

431■●●990

16.7 17.8 +0.9

34(29.9 23(20.5) 9.4ポイント

66(58.3 65(59.3 +1.0ポイント

13(11.8 21(19.2

+7.4ポイント

本島中部94

95 94→95

121 117

− 4

20,034 20,434

400

13.1 13.8 +0.7

901●●●780

17.1 18.1 +1.0

48(39.4 22(18.9

‑20.5ポイント

64(52.6 64(54.9

+2.3ポイント

10(7.9) 31(26.2 +18.3ポイント

本島南部94

95 94→95

155 152 3

20,251

20.592

+ 3 4 1 13.4 14.0

+0.6

376●●●980

17.4 18.0 +0.6

46(29.6 18(11.9

‑17.7ポイント

91(58.4 81(53.3

‑5.1ポイント

19(11.9) 53(34.8 +22.9ポイント

西部離島94

95 94→95

136 113

−22

20,122 20,443

321

13.3 14.1

+0.8

363●●●880

17.6 18.5 +0.9

48(35.7 26(23.3

‑12.4ポイント

68(50.4 53(47.1 3.3ポイント

19(13.9 34(29.6 +15.7ポイント

南北大東94

95 94→95

68 77

+ 9

20,265 21,101

836

13.4 14.6

+1.2

187●●●990

17.1 18.2 +0.9

19(27.5 3(4.3)

‑23.2ポイント

41(60.2 30(39.2)

‑21.0ポイント

8(12.3 43(56.5 +44.2ポイント

宮 古 9 4

95 94→95

287 342

+55 19 21

+ 1 949 335 386

13.0 14.9

+1.9

055●●●781

17.5 18.6

+1.1

120(41.7 22(6.6)

‑35.1ポイント

137(47.7 90(26.4)

‑21.3ポイント

30(10.6) 229(67.0 +56.4ポイント

八 重 山 9 4

95 94→95

97 103

+ 6 19 20

+ 1 400 725 325

12.5 14.1

+1.6

707●●●770

17.3 18.6 +1.3

59(61.0) 16(15.4

‑45.6ポイント

31(31.5 41(40.0

+8.5ポイント

7(7.5)

46(44.6 +37.1ポイント

沖 縄 県 9 4

95 94→95

1 977 013

+36

20,029

20.835 + 8 0 6

13.1 14.3

+1.2

000●●77

17.6 18.6

+1.0

373(38.2 131(12.9

‑25.3ポイント

497(50.9) 426(42.0)

−8.9ポイント

106(10.9 457(45.1 +34.2ポイント

(10)

22

沖縄糖業の危機とその展望

の早いきびは糖度は低い)があり、かつ気象条件に左右される年次差もあるというなかで、農 家の努力を引き出すことには結びつきがたいし、きび離れはいっそう増大するものと考えられ

3.さとうきび価格引上げの展望

さとうきび衰退の原因の第一が収益性の低下にあるとすれば、対応策としてまず検討すべき はさとうきびの価格の引き上げの可能性と展望であろう。その可能性はあるだろうか。

1)糖価安定制度

現在、「砂糖の価格安定等に関する法律」によって運用されている糖価安定制度は、どのよう な妙況にあるか。以下にそれをみる。

まず、粗糖(分蜜糖)の輸入は1963年に自由化されているが、この制度の運用で実質的に制 限的に輸入されている。国内消費量と国内生産量の差額程度しか輸入されないように管理され ているのである。

国内糖価は国際糖価の9倍といわれる。このようななかで国内産糖(甘鳶糖とてんさい糖)

の価格は、国際糖価の影響が緩和されるように統制されている。輸入価格が安い時は輸入業者 から糖価安定事業団(現在は、蚕糸砂糖類価格安定事業団を経て、農畜産業振興事業団となっ ている)が吸上げ、高い時は補給する。このことによって、国内産糖の価格は、合理化目標価 格に影響されつつも、再生産が保障される水準に設定されることになっているのである。この 国内産糖の価格は、さとうきびやてんさいの生産者(農家)と砂糖の生産者(製糖会社)の双 方を保護すべく設定されているが、それは安い輸入原料糖を求める精製糖会社や、原料砂糖を できるだけ安くしたい食品会社などの利益と矛盾する関係にある。そこで、例えば食品会社は、

①砂糖と米などの混合品を輸入する(輸入後に分離して使用する)、②海外から半製品を輸入す る、③海外に生産拠点を移す、などで対応している。

この状況のなかで、さとうきび生産者価格を引上げることは、砂糖の内外価格差が拡大し、

この矛盾をそのまま拡大することとなり、きわめて困難と認めざるを得ない。

一方、国内の砂糖の需給状況は、異性化糖(原料はトウモロコシ)の出現の影響を受けて、

「砂糖」としては消費量が減少気味であり、甘鳶糖の生産の伸び悩みがありながらも、北海道 のてんさい糖が増加してきて、その分輸入量が少なくなってきた。自給率34%。

なお、日本の粗糖輸入の国別実績をみると、かつてはキューバ、フィリピン、南アフリカも 大きな比重を占めていたが、最近ではオーストラリアとタイが合わせて80%以上を占めるまで

になった(表7)。

(11)

表7日本の粗糖輸入・国別実績(1980〜1994年、2年間隔)

単 位 : 千 ト ン

(注)大蔵省「日本貿易統計」による。

2)国際状況

世界的には、生産量に対する貿易量(輸出または輸入量)の比率は30%前後で安定している。

また、消費量に対する在庫量の比率も35%前後に保たれている(表8)。

生産の動向は、国によって生産の増加している所と減少している所があるが、両者はほぼ相 殺される関係にある。このうち、需要の増加している所は購買力が小さい。異性化糖が伸びて

表8砂糖の国際需給(1984/85〜95/96年度)

単位:千トン

(注)1.ドイツリヒト社「InternationalSugarandSweetenerReport」の1996年6月19日発表によ る。95/96は予想である。

2.数量は粗糖ベースの数値である。

1980 1982 1984 1986 1988 1990 1992 1994

タイ

オ ー ス ト ラ リ ア キ ユ ー バ フ ィ ジ ー フ ィ リ ピ ン 南アフリカ 台湾 その他

155 768 289 25 404 470 149 0

371 563 304 15 271 495 126 18

477 530 226 15 303 244 26 16

391 470 577

332 43

481 676 332 31

355

590

658 1 2

肥別一鮒一一

881

52 刃弱陥一的一一

694

677

117

舛師妬一一

合 計

2.260 2.163 1.836 1.813 1.876 1.691 1.821 1.643

牛 産 量

増 減 % 輸 入 量 輸 出 量 消 費 量

増 減 %

期 末

在庫率% 増 減 %

在庫量%

(/ 1984/85

85/86 86/87 87/88 88/89 89/90 90/91 91/92 92/93 93/94 94/95 95/96

100,437 98,578 104,201 104,682 104,601 109,104 115,713 116,862 112,665 111,393 116,375 122,960

2.42 1.85 5.70 0.46 0.08 4.30 6.06 0.99 3.60 1.12 4.47 5.66

△△△△

33,25432,442

32,374 32,546 35,226 34,661 33,929 31,736 31,671

32.646

34,535 35,179

34,919 33,430 33,421 32,481 35,115 34,675 34,843 32,596 32,602 34,056 34,867 36,475

98.227

100,468 105,922 107,167 107,018 109,542 110,376 111,044 111,711 112,355 114,292 117,702

2.30 2.28 5.44 1.18 0.14 2.36 0.76 0.61 0.60 0.58 1.72 2.98

41,406 38,529 35,801 33,381 31,076 30,624 35,046 40,002 40,015 37,640 39,391 43,352

1.33 6.95 7.15 6.76 6.91 1.45 14.44 14.14 0.03 5.94 4.65 10.06

△△△△△△ 42.15

38.35

33.80

31.15

29.04

27.96

31.75

36.02

35.82

33.50

34.47

36.83

(12)

24

沖 縄 糖 業 の 危 機 と そ の 展 望

きているのは、先進国では共通している。これが「砂糖」の需要を減らす要因となっている。

以上のようなことから、今後とも国際糖価の大幅な変動は起こりにくい状況である。すなわ ち、他力本願的ではあるが、国際糖価の上昇があれば国内糖価に反映するということから、そ の可能性をみてきたのであるが、それが否定されることとなり、この点からもさとうきび価格 の引き上げは期待できないということになるのである。

4.生産合理化の展望

1)栽培合理化と単収増加の可能性

さとうきびの価格の引き上げが困難だとすれば、栽培の側から、その合理化によるコスト低 減の可能性はどうかということになる。また、単位面積当たりの収量(単収)を増加させる可 能性はどうかということになる。

栽培合理化の問題については、ほ場における栽植方式、肥培管理、収穫作業などの改善と合 理化ということになろう。そして、「高い労賃水準」という環境の下では、その最大の力点は労 働の質と量の軽減に置かれることになる。単収の向上という問題については、上記の課題と重 なりつつ、他に優良品種の開発という課題が付け加えられようが、品種の優良性は植え付けの 時期の設定によっても動く。

更に、従来はさとうきび単独で最高の結果を求めるという発想で品種が選ばれ、栽植方式が 決められ、取り組まれてきたが、決定的な低収益性という条件下では、他の作物との組み合わ せによる総合所得の追求という発想も芽生えつつある。すなわち、さとうきび単作ではなく、

他の作物との輪作や間作の採用によって、土地の有効利用、労働力の合理的配分、そして収益 性の向上を図ろうというのである。この考え方に立てば、さとうきび単独での最大収穫・最大 収益ではなく、複合作物との総合でみた最大収益が目標となる。さとうきびそれ自体の収量が 若干落ちることがあっても、他の作物との組み合わせた総合所得を拡大しようという発想であ

こうなれば、例えばさとうきびの収穫時期を前倒しにして、その収量と糖度が若干落ちるこ とがあっても、跡作物の収穫でそのマイナスを補い、総合的には収益性が高まることになる。

これに、早熟性の品種が開発・導入されて、そのマイナスが緩和できればなお結構ということ になる。また、間作の場合、畝幅を大きく設定することが好ましいであろうが、そのことによ る減収を間作作物の収益でカバーすればいいということになる。この場合も、さとうきびは必 ずしも減収にはならず、間作作物への施肥の残存効果が加わって、かえって増収につながる可 能性もあるというが、そうであればいっそう結構ということになる。

問題として残るのは、従来のさとうきび作農家がこれまで以上に農業に力を入れて、輪作や 間作に取り組むようになるかということにある。すでに論じたように、彼らの大半は高齢であ り、新たな前進への意欲には乏しいと考えねばならない。それは沖縄本島地区のさとうきび農

(13)

家の場合いっそう明確である。そこで、この対応策は、従来型のさとうきび農家と、輪作や間 作に取り組もうという意欲的な農家との、土地利用における協力関係として考えることになろ う。それを媒介するのは、経済的には地代の適正な設定であり、政策的には地域における関係 者の積極的な取り組みである。

2)さとうきび機械化の全体像

いま「栽培合理化の問題については、ほ場における栽植方式、肥培管理、収穫作業などの改 善と合理化ということになろう。そして、『高い労賃水準』という環境の下では、その最大の力 点は労働の質と量の軽減に置かれることになる」と述べたが、次には、機械化の問題をその基 本点において検討しておきたい。

まず、「高い労賃水準」という環境の問題に触れる。そもそもさとうきびの収益性の低下とい う場合、それが相対的な問題であることは自明である。したがって、先には他産業従事者の所 得、具体的にはその労賃水準との比較を試みたのであった。もっと賃金水準が低ければ(その 方向に世間を動かすことは不可能であるが)さとうきびの生産は継続できるのである。賃金の 水準はまた、その労働の継続時間(長時間労働であるか)や、その労働の強度(重労働である か)とも関連して評価される。この後者の強度との関連で、さとうきびの作業の中で特に収穫 労働の軽減が課題とされてきた。1日8時間、男子1人が働いて、4,600円の賃金にしか当たら ないとしても、その強度が小さければ許容されることもある。しかし、現実は近年人々に忌避 されているという、「3K労働」すなわち「危険で、汚くて、きつい」労働という、不名誉な評 価が与えられつつあるのである。

そこで、以前からさとうきびの機械化、特に収穫の機械化という課題がつきまとってきた。

ここではその考え方の一端に触れる。

さとうきびは、その栽培から収穫に至り、そして加工(製糖)につなげられる。まず、栽培 から収穫に至る過程、これまで農家が担ってきた過程における機械化の問題を整理してみよう。

第1に、どのような作業行程があるかを順に掲げる。ほ場の耕起、苗の栽培、苗作り、ほ場 への施肥、ほ場の畝立て、苗の植え付け、追肥の施用、消毒、除草、かんがい、収穫、ほ場か

らの搬出、工場への運搬(これ以後は工場の分担となっている)。

第2に、ほ場の耕起、畝立ての機械化について。これは、耕転機からトラクターヘの展開の 中で機械化の進んできた分野である。

第3に、苗の栽培、ほ場への施肥、追肥の施用、消毒、除草などの機械化について。苗の栽 培はさとうきびそのものの栽培の問題と重なるので、ここでは特に取り上げることはしないこ

とにする。施肥や防除についても、機械化は進んできた。

第4に、苗作りの機械化について。苗作りは、さとうきびの茎を切断(チョップ)して、し ばらく水に漬けておいて発芽を促進する過程である。これが機械化のもっとも遅れた分野とい えるかもしれない。ハーベスターでチョップされた茎の中から選抜するとか、ドラム脱葉機で

参照

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