蹄耕法造成草地におけるミヤコザサの動態について
その他(別言語等)
のタイトル
Fate of sasa nipponica plants during pasture improvement by hoof cultivation method
著者 本江 昭夫
雑誌名 帯広畜産大学学術研究報告. 第I部
巻 15
号 4
ページ 265‑270
発行年 1988‑06‑30
URL http://id.nii.ac.jp/1588/00002060/
常人研報1,15(1988):265〜270
蹄耕法造成草地におけるミヤコザサの動態について
2(;5
木 江 昭 夫*
(受精:1987年11月30日)
Fatc ofSasa n堵pOnica Plants during Pasture I血PrOVementbyIIoof Cultivation Mothod
Akio H(〕N(ニ〔)
摘 要
1)19創)年と1981年,池田町衆台の町営肯岐牧場において突毅を行った。褐毛和種による蹄 耕法で牧草を導入していく過程での.ミヤコザサ傑占草地の植生の推移を】g00年に,休牧の影 響を1舶1年に調査した。
2)地上部総生産最は,1980年の放牧区では421kg/10a.非放牧区では212kg/川執1儲汀年 の休牧区では317kg/10aであった。
3〕1980年の放牧区において,採食されたミヤコザサの乾物垂はl糾kg/10a,10月の現存量
は26kg/10a,休牧区の1981年10月の現存皇は179kg/10a.であったこ,
4)放牧開始前は全体の乾物生産舅のうちミヤコザサが鍋%を占めていた。非放牧区の草種
構成もほぼ同様に推移した。1980年1什月の放牧区では、ミヤコザサは25%,野草は8%,イネ 科牧草は62‰ マメ科牧草は5%であった。この草地を1シーズン休牧すると、1981年10月で、
それぞれ亜%,23%.31%,1%となった。
5)1900年10月のミヤコザサの梓敬は,非放牧区では175本/ポあった。放牧区では124本/′
出であったが,習年の休牧により10月には2糾本/ポに増加し,著し′い回復力を示した。
(キーワード)トk−Or CulLi、・也tlu†l.且胤=両脚)几Jeα
は明確に区分きれる瑚。太平洋側の十勝と棍釧地方に はミヤコザサが多く生育しており.全道のミヤコザサ
生育面積の78%を占めている5)。日本海側の多雪地滞 や山岳高地にほチシマザサが,両者の中間地執こはク
マイザサが多く分布している。ミヤコザサと他のササ 類が生育する地域は.積雪嶺の多少により区分でき,
その境界は『ミヤコザサ線』と呼ばれているⅠヨ)。
序 論
北海道の林地では,その鮒%以上に林床植物として ササ顆が生育しており.それを有効利用すれば.家畜
の飼料としての重要な資源になりうるといわれてい
るり、1道内のササ類は.チシマザサ節.クマイザサ節.
ミヤコザサ節の3タイプに人別され それぞれの分布
*帯広畜蘇大学草地学科草地牛態学研究室 080北海漕帯広苗稲田町
T,aboratorry of Crassland Ecology,【)epartment of Grassland ScienccL,Obihiro U[1iv巳rE,iLy ‖f AgrlCulture and Vetcrinary Medicinc
lnadaィ:tltj,(〕bihiro,H(1kkaldr)‥旬叩n個).
本 社l町 夫 2瞞
ササ型草地ほ,戦前は馬の放牧地として重要な位置 奄占めていた占掛こ.冬期間の緑薫飼料として有効に 利用され,また,そのための管理技術も確立されてい たl)。それが,戦後の酪農の振興とともに,牧草地が 各地で造成されたのにともない.ササ型草地はほとん
ど利用されなくなってきた。ところ嫉ここ数年肉牛 の飼育が盛んになるにつれ.ササ型草地の利用が見直
されてきた5l。家事の飼料としては,チ、シマザサの利 用はごく一部に限られており.ミヤコザサとクマイザ サが主に利用されている11)。賂に,ミヤコザサは葉が 糞らかく.ケイ酸含量も低く,家畜の嗜好性も高いの で転科価値が高いとされている㌔この研究では,蹄 耕法により牧草を導入Lていく過礫で、ミヤコザサの 窪占する野草地の偲生の変化およぴ.休牧した時の 回復の過程などを,ミヤコザサの動啓を中心にして検 討した。
実 験 方 法
Ⅰ9紬年と1聞1年の2年間,池田町東食の町営育成牧 場の5haの牧区博一1)において,この実験を行っ た。供試した牧区には,胸高直径が20−5仇Ⅷのイタヤ カエデ,ヤチダモ.シラカバ,ミズナラなどの広葉樹 が生育していたが,19T9年の夏に伐採された。林諾植 物とLては,ミヤコザサか主体であり,ほとんどの地 点で優占標となっていたb部分的には,イワノガリヤ
スやサマ7ワなどのイネ科植物や,オオカ:ワズ、スゲな どのカヤツリダサ科植物,あるいは,ワラビ,ヤマド リゼンマイ,コウヤワラ′ピなどのシダ植物が優占して いる地点も含まれていた。
このような野草地が蹄耕法により牧草化される過程
でこの研究者行った。まず,19軸年5月下旬に褐毛和 種を放牧して、野草を集中的に採食させた。ついで,
7月上旬に肥料の施用と牧草の播種を行い(義1),
そめ直後に肉牛を再度放牧した。9月上旬にも3回目 の放牧を行った。
この牧区の中で,ミヤコザサが優占しでいる緩斜面 を3か所選び.試験区を設置した。1榔年には放牧区 と非放牧区を設け.198Ⅰ年には前年に放牧した地点に 非放牧区を設けたQl胸)年に,それぞれの場所に,10 mつく10血を有刺鉄線で囲みっ肉牛の採資を防ぎ∴非放
牧区とした。放牧の両後に放牧区と非放牧区の両区で サンプリングを行った。50cmX50弧の坪刈りを10か所
で行い.草種別初葡物凄.ミヤコザサめ稗放と幸数を 削足した。1g飢年には,前年に放牧利用された場所に,
10mXl帥】を有利鉄線で囲み,肉牛の採食を防ぎ.非 放牧区とした。サンプリンゲは月1同行った。なお,
サンプリングに際して,広重樹の切り株のある場所は 避けた。
結果と考察
1)草地の生産量と採食畳
1980年の放牧開始前の草地の現存呈と採食堂を義2
に示した。放牧前後の坪刈りから推定した見かけ上の 採食率は1,2.3回目の放牧時でそれぞれ77,91,
75腎であり,シーズンを通してみると.焦蕉量の 75.7%が採会された。
採急ぎれた乾物重と10月下旬の現存敷こついて㌢革 種別に図lに示した。3何の放牧で採食されたミヤコ ザサの乾物羞は1糾短/10a,1碍0年の1¢月下旬の現存 量は26kg/10aであり,1年間のミヤコザサの地.L部
嘉1煎餅法による草増進成過程での施肥・牧草播種・放牧の概要
内 訳 日 時 処 理
5月22お口 1匝旧放牧 7月1−2日 施 肥
(t/ha)
牧草播種皇
(kg/ha)
7月2 6日 2回目放牧 9月1−7日 3匝旧放牧
94頭放牧*
炭醒カルシュウム:17.重焼燐:0.23.
化成肥料(0ふ5):0.70
オーナヤードグラス:12,メドープェスタ:8,
ケンタッキーブルーグラス:6.チモシー鳳 ラジノクローバーニ2.ホワイトクローバー:3
ミ組頭放牧
58頑放牧
*褐毛和種の成年換算の東致
−12
蹄耕法造成草地のミヤコザサの動態
義2 放牧時の草確の現存丘と推定採食丘
287
放牧の時期 放牧頭数ヰ 乾物重**
(頭/日/5ha)(短/10且)
採食率 採食宣
(%)(kg/頭/日)
l回目 94 74土9
2回目 98 1測+8
3回目 59 191±21
77.2 7.6
別).8 12.0
74.9 Ⅰ7.3
*成年検算の頭軌 **平均値と標準誤差を示す
総生産景は210kg/10aと推測された。これに対して,
非放牧区における1980年10月下旬のミヤコザサの現存 皇は17gkg/10aであり,若干低い値を示した。また,
放牧区に導入された牧草は夏以降におう盛な生育を示
し,3同日の放牧で採会された乾物垂は64kg/10a,
10月下旬の現存量は$2kど/10aであった。10aあたり の粗L都総轄蘇豊を比較すると.1980年の放牧区では 421kg/10aであったのに対し,非放牧区では212kg/
10aとはば半分の生産量にすぎなかった。1粥1年の放 牧区では317kg/10aの生産畠を示した8
森林の樹冠の発達の程度が,ササ類の稗の密度や生 産性に大きな影響をおよばすことが知られている=㌔
今回の実験を行ったミヤコザサ草地は,前年までは広 葉樹林であり,試顔区とLて選定した場所の前年まで の樹冠の程度は不明である。他の報告Il ら)と比較して
と≡1■つ1ナ什
みると,この実験で得たミヤゴザサの生産性は低い傾 向にあっ、た。このような結果を得た原因の一つとして,
供試したミヤコザサ草地の梓密度ほ林床にあった時の
状態にあり.一般に見られるミヤコザサの純群落とは 若干異なっていたと推察される。
2)放牧による草樫割合の推移 1g即年5月下旬の放牧開始前の草地植生はミヤコザ
サが主体であり,全体の乾物生産長の89%を占めてい た(図2)。そのうち.越冬した前年生の禅が糾%を 占めていた。残りは野草であり,イワノガリヤスやカ
ヤツリグサ科植物が多かった。放牧を行わない場合の 革種構成ははぼ同様に推移し,】9別年10月の時点で.
ひ川
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hl)(; 汚(几㍑1(j 寂圧日用C≠1L ■8り(;糾しこ ▲淵〉し■机し
国1放牧時における革種別の採会意と軟の現存量。
棒グラフの上の直線は5%の信頼区間を,横の 直線はL乱)(5%)を示す。
帥G:1980年・放牧区.鮒C:1980年・非放牧区,
81G:1981年・放牧区(休放),
悶:1回目放牧時の採金屋.
詔:2回目放牧時の採食皇。
囲:3同日放牧時の探鳥畳,
閻:10月下旬の現存呈。
7 パ l【 ( 丁 バ il 】
川811
エリボ1国2 乾物生産に占める構成革種の割合の紺眺1980 年は放牧利用,1981年は休牧。さCは放牧の,S は施肥と牧草播種の時期を示す。
園:1979年生のミヤコザサ,
圏:1980年生のミヤコザサ,
盟:1981年蕉のミヤコザサ,
皿:野草.胃:イネ科牧諷 冒:マメ科牧草。
本:幻[日百 夫 2楯
ミヤコザサが糾%,野草が16%を占めた9一方.肉ヰ の放牧を3回と牧草導入を行った試験区では,19軸年 10月の時点で,ミヤコザサは25!牧野革はる%を占め
たにすぎず,その減少した乳イネ科牧草(62%、)や マメ科牧草.(5%〕が増加した。このような草地を1 シーズン休牧すると.ミヤコザサはかなり回復した。
1g飢年10月の時点で.ミヤコザサは45‰野草は23%
まで増加し,イネ科牧草は31乳マメ科牧草はl%と 春先の半分まで減少した。減少した牧草のうちでも,
オーチャードダラスの割合は198Ⅰ年5月の28%から10 月の26%′までほぼ同様に推移した。一方,メドゥフェ スタでは6妬から4タ毎に,チモシーでは28%から0.3
%に,ケンタッキーブルーグラスでは3宛から1%に.
シログローバーでは11%から1%に減少し,革掛こよ り異なった傾向を認めたし,
今回の蹄耕法による草地造成の特徴として,、5月下 旬の帯1回目の放牧では過敏牧となるように草地を管
理したこ之があげられる。これによりミヤコザサを含 む野草の可鎧部は徹底的に採会されたので,それ以降
の再生にかなり影響をおよぼしたもの、と考えられる、α このような状態にある野卑他に牧草導人を行えば,
ナIa点たり2(機の肉牛で年引回程魔の放牧で,ミヤコ ザサの優占草地(ま3年位である線度まで牧草地化でき るものと思われる。
他のササ類と比較して.ミヤコザサ卯11取りに対す る祇抗性は強ぐ▼1小,競争能力については遂に劣ると されている1㌦また,ミヤコザサは他のササ類より耐 凛性が優れており一‖,鈴木11)はより進化塑であるとL
ている。このように,他のササ頬より広い環頓に廼応 できるだけの能力をミヤコザサは隆得しているが,放
牧革としての能力は明らかに牧草より劣っていた。
1シノーズンの放牧で衰退したミヤコザサ草地が元の
植生状態までに回復するには.構成草種の割合から単 純に計算すると.3年間の休牧が必要と推軌された。
他の研究例では,裸地化した場所が元確ササ密度まで に回復するには.ミヤコザサ草地で7β年11山,過放 牧されたクマイザサ草地で6年とされてい針㌔ しか
し.今岡の例では,競争力の強いオーチャードグラス だけは1シーズンの休牧ではほとんど減少しておらず,
かなり長い年凝滞慮たって生育を掛才るものと店われ るじ
園3 放牧区と非放牧区におけるミヤコザサの掃あた り乾物垂の推移。記号に付けた直線は5%の信 額区間を Gは放牧時期を示す。
▲▲=1979年生の梓・非放牧区l=19鮒年生 の梓・非放牧区,●●:19紬年生の梓・放牧区
▼▼:1981句三盗の梓¶放頗区(休牧)
:i)ミヤコザサの生育
ミヤコザサの梓あたりの乾物垂の推移を図3に示し た。非放牧区では,越冬した辞の乾物要は0.691.19 gであった。早番に出芽した梓は6月以降急速に乾物
重森増加させ,8月には越冬した梓の乾物更にまで達 した。これらを平均すると.禅あたり鱒乾物垂は0.狙 g(CV=1臥8%〕であった1〉 この乾物重が,この試
験地の環境条件下で地上部の轍乱を受けない時のミヤ
コザサの平均的な大きさと考えられる。−方,放牧区 では,1980年に出芽した掃は7月以降軋5g以下で推 移し.この傾向ほ翌年の休牧条件下でも継続した‖ こ れらを平均すると.悍あたりの乾物重は0.27gてCV=
35.6%〕であった。1981年に山賛した梓は6月以降急
速に乾物卓を増加させたが,0.55g(CV=8.4%)と 非放牧地の60%の乾物重にす蕃なかった。このように1
休牧しても前年の影響が梓あたり乾物感泣おいて明ら
かであった:二また,1集あたりの乾物重においても梓 あたり乾物垂と同様の傾向が認められ1g糾年1()月の 1幸あたりの乾物塵は非放牧地の74%にすぎなかった
(図4㌔
これに対して.梓数と稗あたりの素数については異 なる結果が得られた。非放牧区の群数が175本/ポで あったのに対して.放牧区の悍教1飢本/涌であり,
放牧により群数が2g%低下した。翌年の体牧条件下で は.悍教は逆に2飢本/ポとなり.非放牧区め群数よ 14一
2(;9
蹄耕法造成草地のミヤコザサの動態
う。また,平吾等】)は,クマイササ草原として維持し っっ放牧利用していくには,1頭あたり5ha前後の 広い面積を確保する必要があるとしているが,ミヤコ
ザサについてもこの点をさらに検討する必要があろう。
謝 辞
この論文をとりまとめるにあたり,帯広畜産大学の 福永和男教授より員膏な卸助言をいただいた。また.
池田町役場の神 弘氏と宮崎敏男氏には調査の便宜を
計っていただいた。ここに記して感謝の意を表しま す。
引 用 文 耐
1)馬場強逸(19朗):『山地畜産技術マニュアル 第 2編 北海道よ農林水産技術会議(編),38朗.
2)平吉 功・岩田悦行・松村正幸・安藤辰夫(19腿):
岐阜大農研乳26,L82−t94.
:i)平吉 功・松村正幸・岩田悦行(196乞b):日卓誌,
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4)平吉 功・松村正幸・岩田悦行(1969b):日宇誌.
15.155162.
5)平島利昭(1984):『山地畜産技術マニュアル 第 2編 北海道』,農林水蘇技術会譲(編).2ノト28.
6)岩田悦行・松村正幸(1974)= 富士什報,19.10 32.
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8)松村正幸・岩田悦行・西條好適(1974):岐阜大 農研報,36,389−404.
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11)西村 格・植田精一・寺田康道・窪田文武・須仙 哲男(1980):草地試研阻17,1132.
12)大原久友・吉田別人・福永和男・古谷政道・大原 洋一(1968):帯大研軋 5,561616.
13)Sし」ンニしJK.S.(1舗り:mm.Rev..15,1二う1147.
】4)鈴木貞雄(1961):丁ササ属(GcnusぶαSα〕の生 態』,玉川大字出版部,領雇.
15)高桑 純・伊藤浩司(1986):北大環境科学邦文 紀要,2,4765.
16)卜田弘一郎(1956):Fササの生態とその利用」L,
日本林業技術協会.
ユ7)薄井 宏(1961〕:宇都宮大農学報特輯.11.ト35.
ト
−
iH 1ご
Hこ、
」
図4 ミヤコザサの梓と雫の生産におよぽす放牧の影 響。結果は各年ともIO月に測定したもの‖棒グ
ラフの⊥の直線は5%の信頼区間を,構の直線 はLSD(5%)を示す。
80G:1g80年・放牧区,00C:1980年・非放牧区,
81G:1981年・放牧区(休放)
り60%増加ルたLつ これは前年の放牧による地上部掃乱 の影響で.ミヤコザサの地表や地中の休眠芽が刺激さ れ.それが出芽してきたためと考えられる17 ご また,
梓あたi)の嚢数について,非放牧区では4.4枚であっ たが,放牧区の1980年には3.4枚,1981年には2・7枚と,
放牧区で明らかに低かった。これは梓数の増加と関連 しており,草冠の菓の最大密度には限界があるので,
梓敢の増加した分だけ逆に梓あたり彙数が少なくなっ
たものと考えられる。
このように∴放牧に対Lてミヤコザサは倭小化する 傾向にあった。F司様の傾向はクマイザサにおいても認 められている21月ノ。また、休牧した場合には梓の密暖 は増加したので.今回のような放牧強度は.ミヤコザ サの回復可能な範阿にあったと推察される。平吉等11 は.密度が回復する場合はササ草原として維手寺できる 状態にあるが.荒廃化した段階では密度は低下したま
まであることを指摘している−〕ミヤコザサ草地を良好 な値佳1人態に保って.有効に放牧利用していくには†
密度の回復可能な放牧強度を明らかにする必要があろ
27㊥ 木 江 昭 夫
18)吉田垂治(1950):剰ヒ大農研報,19,17【23 Sl】mm且ry
l)1Ⅷ臆㍑periment was conductedin the pasture aも TpdaiirlJk8d8−Cbo,eaStern Hokkai血,i、nl㈲and19凱.The fate of5αさα 頑粉鍋ぬ鼠1柏ぷ1tudi8d 血Tir)g paSture imPrDVement by a hoof cultivfLtion method Wil払J包p且neSe brown c且ttle wlth special refer即1Qe tO the e托e9t Of graziT唱in19鮒and e翫ct ornot grazinginlg81.
2)T8tala8rialproductmn per seamn w舶 421kg〆10ainthe grazed plot and212kg/10a in班e plot not grazedinl纏0.1n1981when nQt graZed thi8Wa6317kg/1ぬip the plpt Which had b¢en grazed the previous year
き)CoTIsumedl)M wejght ofぶ.頑砂地如 per、S琶aSOn anditB Staれding eropin October
Werel朗and26kg/10a,re印eChvely,in凋軌 The standing crQp WaS179kg/10airlthe
Plotnot grazedin198l
4)S・几わpo花よcαOCCupied89%of toLalDM PrDduction before即aZlng.Tbi8p宅托enta酢 WaS maintainediIlthe plot noもgra写弓d.1n
£Ontr且St.differ8nt SPeCie首 COmpO6ition was observediれ the graヱed plot:彷% りf β 几わpoR上巳α,8%of native plants.62%of sown grasses,and5%of sownlegufneSln(ktober 1980.After a 6ea長〔】n W用元u上 官raZin、g,tbe
p町Cent喝8 Changed to 45.23,31.丘hdl乳 respectlvely
5)The culm number of S.れよ即¢由仁丘 W色ち 175/ばin the ploもn(〉t gra㌍d and124/diれ the grazed plotin October7980,Withdrawal fro血gTaZing duri叩a SeaSQnincreaseditも、y Z飢/d
月gぶ・血〜J・α机丸正8乙玩滋.J.∫∂(上紙ヲ).・掛g叩.
−16−