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遺伝子発現のオン・オフ

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科研費特定領域研究「情報統計力学の深化と展開」平成 年度研究成果発表会

遺伝子発現の確率ダイナミクス

笹井理生

名古屋大学大学院工学研究科 計算理工学専攻

はじめに

細胞はメゾスコピックなシステムであり,細胞1個に含まれる は1分子程度,転写制御蛋白質は1 種類当たり分子程度と数少ない.このため細胞内の化学反応は確率的ゆらぎを伴い,細胞はノイズに 満ちたシステムとなっていると思われる.例えば,原核生物の遺伝子発現は にリプレッサー,アクチ ベーターなどの転写制御蛋白質が結合・解離することによって制御されているが,最近の実験技術の進歩 はこの遺伝子発現は大きな揺らぎを伴う確率的現象であることを定量的に明らかにした .細胞は大き い揺らぎにどのように耐えているか,あるいはどのように揺らぎを利用しているかという生命科学の基本 問題が浮き彫りになろうとしている .そして,このノイズに溢れたシステムで如何に生理機能がコント ロールされているかを解明することは,統計物理学の重要な問題でもある.本稿では,1)遺伝子発現のオ ン・オフに伴う確率ダイナミクスを捉える理論について,すなわち少数の遺伝子からなる回路のスイッチン グについて考えた後,2)遺伝子と蛋白質の作る比較的大きな生体分子ネットワークの確率ダイナミクスの 安定性について議論したい.

遺伝子発現のオン・オフ

細胞が持つから個程度の遺伝子のうち,どれがオンになり,どれがオフになっているか?つま り,に転写され蛋白質に翻訳されるのはどの遺伝子か?という遺伝子発現の問題は細胞の分化,適応,

異常などを理解する上で欠かせない本質的な問題である.図と図には比較的単純な場合について,遺 伝子発現制御の概略が示されている ポリメラーゼと呼ばれる蛋白質複合体は遺伝子の近くのプロ モーター領域と呼ばれる の領域に結合することができる.ポリメラーゼは分子モーターの一種 であり,を消費しながら の2重らせんをほどいて移動して遺伝子の内容を転写したを合 成する.

しかし,ポリメラーゼのプロモーターへの結合効率は,他の蛋白質がプロモーターにいかに結合し ているかによって大きく変化する.例えば,リプレッサーと呼ばれる蛋白質はオペレーターと呼ばれる 領域に結合するが,オペレーターはプロモーターと重なった領域であることが多く,オペレーターにリプ レッサーが結合していると邪魔になってポリメラーゼはプロモーターに結合しにくくなり,転写の頻 度は下がる.また,アクチベーターと呼ばれる蛋白質がプロモーター領域に結合するときもある.アクチ ベーターはプロモーター領域に結合するドメインのほかに,ポリメラーゼと結合するドメインを持つ ため,ポリメラーゼはアクチベーターに引き寄せられて,より高い確率でプロモーターに結合して転 写の頻度が上昇する.このように,ある遺伝子が発現するかどうか,すなわち,遺伝子のスイッチがオンに なるかオフになるかは, の調節領域にどのような蛋白質が結合しているか,あるいは,していないか で決められている.

このような機構をモデル化して理論的に扱うことが必要になったのは,遺伝子を大腸菌に組み込み,そ の発現の度合いを定量的に測定する実験が可能になったからである.大腸菌は細胞質中にプラスミドと呼 ばれる短い のリングを持っている.このプラスミドに,人工的に設計された遺伝子回路を組み込んで

½

(2)

原核生物における遺伝子発現制御の機構.ポリメラーゼは 上のプロモーター領域に結合 して遺伝子のへの転写を開始する上図).リプレッサーがオペレーター領域に結合して邪魔すると,

ポリメラーゼはプロモーター領域に結合できなくなり,遺伝子発現が抑制される(下図).

原核生物における遺伝子発現制御の機構その2.アクチベーターがプロモーター領域に結合すると

ポリメラーゼがリクルートされて遺伝子発現が活発化する.

大腸菌に注入し,その動作を観察するのである.その結果,同じ環境で生長する同じ遺伝子を持つ大腸菌 の集団においても,個々の細胞の発現量にはかなりのばらつきがあることが定量的に示された.すなわち,

同じ遺伝子が同じ環境で発現しているにもかかわらず,遺伝子発現のゆらぎのために個々の細胞には個性が 現れるのである.

に単純化された遺伝子発現モデルが示されている.合成された蛋白質の個数を とし,リプレッサー 蛋白質の個数をと書く.リプレッサーがオペレーターに結合する速度をの関数としてと書き,オ ペレーターから解離する速度を と書く.リプレッサーがオペレーターに結合している 状態を と書き,結合していない 状態をと書く.遺伝子が読み取られてが合成される速度を とすると である.ただし,1回が転写されると,平均個の蛋白質がバースト的に合成 されると考える. に結合する蛋白質がリプレッサーでなくてアクチベーターであるときもモデルは全 く同じで

と考えればよい.蛋白質が分解される速度は蛋白質の個数に比例し である.

時刻において 状態がであり,細胞質中の蛋白質個数が である確率を としてベクト を考える. の変化が過程であるとすると,次のマス ター方程式が成り立つ.

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遺伝子発現のモデル.リプレッサー蛋白質の個数をとするとき,の関数という頻度でリ プレッサーはプロモーターに結合する.

大腸菌のような原核生物では遺伝子スイッチのしくみが簡単である.このため転写因子の への結 合,解離も単純であり,蛋白質の個数が変化するより充分速いと考えてもよいかもしれない.この仮定のも とではの変化は非常に速いため,他の反応が進む以前に平衡に達しているとし,式 に関するマ スター方程式に還元することができる .図のモデルにおけるパラメータによって定数 を考えると, では 状態の変化が充分速いと仮定する断熱近似が妥当であると思われる.

のときは断熱極限とは逆の極限であり, の状態の変化が充分遅く,蛋白質の個数の変化は

状態の変化に追随する.のときは,リプレッサーが結合して遺伝子の発現が抑えられている ときと,解離して遺伝子の発現が活発なときを別々に扱うことができる.前者では,蛋白質の個数の分布関

は平均

のまわりに分布しており,後者では,蛋白質の個数の分布関数 は平均

のまわりに分布しているであろう.熱力学のアナロジーを利用して,

および, という具合に を定義すると, を頂点 として下に凸の形をした曲線となるはずである. が図に模式的に描かれている.

は物性物理や化学物理におけるポテンシャルエネルギー面に似た関数である.のときは,

細胞は蛋白質個数の増減とともに曲面の上,または 曲面の上のどちらかを動いているが,リプレッ サーが に結合する,または から解離するとき,細胞は曲面から 曲面へ,あるいは,逆に

曲面から曲面へ遷移する.一方, のときは,蛋白質の個数の増減より曲面間の遷移のほうが 頻繁に生じるため,図のように曲面と 曲面が混ざった平均のポテンシャル曲面を考えるべきであ る.こうして, の断熱極限との非断熱極限では,蛋白質の個数ゆらぎは異なった仕方で現 れる.

これまで理論的に研究されてきたほとんどの遺伝子発現のモデルは断熱極限を仮定した理論であったが,

実際のバクテリアの中で断熱極限が成り立っているという保証はない.また,さらに複雑な染色体のダイナ ミクスを伴う真核生物の遺伝子発現では の状態変化が遅く,むしろ非断熱的になっていると考えられ る.断熱極限でもなく,非断熱極限でもない非平衡確率過程を表す数学的理論は未発達であり,本稿でも後

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遺伝子発現の動作を表現するポテンシャル.横軸は合成された蛋白質の個数.のときは,

蛋白質個数の増減とともにシステムは曲面の上,または 曲面の上のどちらかを動き,リプレッサー に結合する,または から解離するとき,システムはから へ,あるいは,逆に から

へ遷移する. のときは,蛋白質の個数の増減より曲面間の遷移のほうが頻繁に生じるため,

は混ざって平均のポテンシャル曲面が作られる.

にこれを問題にしたい.

2遺伝子スイッチ回路

ここで,断熱極限から離れることによって遺伝子発現の様子が変わる例をひとつ紹介しておこう.図 モデルを拡張して図のような2遺伝子回路のモデルを考えることができる.遺伝子1のつくる蛋白質1 の個数を ,遺伝子2のつくる蛋白質2の個数を と書く.蛋白質1と蛋白質2の両方とも2量体になっ てからリプレッサーとしてプロモーターに結合するとすれば,蛋白質1がプロモーター2に結合する速度

,蛋白質2がプロモーター1に結合する速度は

である.ここで簡単のために,

2つのプロモーターは同じ性質を持っていると考える. は蛋白質の個数の程度を表

2遺伝子によるスイッチ回路のモデル.この回路は実際に大腸菌に埋め込まれ,双安定スイッチとし ての機能を果たすことが示された

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す量である.が大きいほど個数ゆらぎの効果は小さく,が小さいほど個数ゆらぎの効果が大きいと予 想される.

に対応するマスター方程式を数値的に扱うためには,!"##$"アルゴリズムが便利であり% ,図 はその計算例である& の値に応じて,この遺伝子回路は様々な振る舞いを示すことが見てとれる.

が大きくてが小さい場合, はほぼ同じ値をとりスイッチとしての役割を果たさない(図

が大きくてが大きい場合, の2状態が安定になりシステムはその2状態をスイッ チ的に移り変わる動作を示す(図 が小さくて非断熱的効果が効く場合,システムは3状態の間を遷 移する複雑な動きを示す(図 '(.細胞は環境や自らの状況に応じてをコントロールすることに より,多様な状態間の遷移を行っている可能性がある.

2遺伝子スイッチ回路のシミュレーションで得られたトラジェクトリの例. を黒, をグレーの実 線で表している.横軸は時間.それぞれのトラジェクトリの下に描かれた曲線は,対応する の分布を 表す. '  (  文献& より転載.

遺伝子発現ダイナミクスの理論

上記の数値シミュレーションで示されたような蛋白質個数の増減や 状態変化のダイナミクスを見通 しのよい理論で扱うことができれば有用であろう.現在までにつくられた理論のほとんどは,細胞ごとの 遺伝子発現の静的なばらつきを記述する理論であった.細胞ごとの遺伝子発現ダイナミクスを追跡するた めの理論はほとんど未発達である.とりわけ,非断熱効果を正しく扱う見通しのよい理論はまだ存在しな い.そこでこの課題に挑むために,最も簡単な例として,合成した蛋白質がその遺伝子にとってのリプレッ サーである,という1遺伝子のネガティブフィードバック回路を取り上げて考えることから始めてみたい

) に結合せずに細胞質中に存在する蛋白質の個数を とするとき,マスター方程式は以下のよ

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うになる.

以降では,断熱パラメータ と蛋白質個数の目安

の他に,

Æ

という具合にスケールした変数を扱うことにする.

を扱うためには,蛋白質の個数の増減を生成消滅演算子Ý で表す方法を使うのが見通し が良い. Ý は交換関係

Ý

を満たしている.この方法は土井によって拡散反応過程を扱う のに用いられ ,文献 によって遺伝子発現の問題に拡張された.この方法では,時刻の状態を

で表す.ここで Ý とな る基底ベクトルであり, の母関数として時刻におけるすべての情報を持っている.

*であるので

と規格化されている.この表現を用い,

さらにとスケールし,ベクトル+

を定義すると,式はスピノール 型の,-"#./"/01を用いて

+ 1+

2'34("/5方程式に似た形で表現できる.ただし1

1

Æ

Æ

Ý

Ý

Ý

Ý

という演算子である.強い非平衡過程を考えていることに対応して,1は非-".型の演算子である.

時間順序積の演算子 を用いて,

1

+ を考えると,の変分により2 時間相関関数や応答関数など様々な期待値を計算することができる.量子力学のアナロジーを進めると,

を経路積分で表現することができる.

£

£

£

ここで,£ £および£はそれぞれ独立な時間の関数である.,65/5"/0は次のような関 数となる.

£

£

Æ

£

£

£

£

£

Æ

£

£

£

£

£

£

£

£

£

£

£

の経路積分のうち,最も重要な経路は変分ÆÆÆÆ£ÆÆ ÆÆ£ を解いて得 られる.これは£ そして£ というタイプの解をもち, は次の式を満 たす.

Æ

(7)

Æ

%

ただし, および であり, 状態がオンである確率, 態がオフである確率, 状態がまたはであるときの細胞質中の蛋白質個数の期待値,と 解釈することができる.この解釈のもとで とすれば,式%は1遺伝子回路のモデルを表現する 決定論的な(つまりゆらぎを無視した)化学反応速度論の方程式に帰着する.

ここでは,1遺伝子回路が定常的な振る舞いを示す状況を考え,式% の解として時間に依存 しない解を採用する.さらに,この状況での動的な確率的ゆらぎを取り入れるために,定常解 のま わりのゆらぎを7!7 £7!7 7 £ 7£ と取り入れることにする.

77! 状態のゆらぎを表現する量であり,7 7£は蛋白質個数のゆらぎを表現する量である.式 7 !7 7 および7£ の2次まで展開することにより,式を最も確率の高い経路のまわりのガウス 的ゆらぎで近似することができる.上に述べたように.7 !7 7 および7£を無視すれば,ゆらぎのない通 常の化学反応速度理論に帰着するが,7!7を無視して7 7£を取り入れるのが,これまでの多くの遺 伝子発現の理論で採用されてきた断熱極限の近似である.このときガウス型の経路積分は蛋白質個数の変 動を表す6/5"/方程式に変形できる.非断熱効果である7!7の効果が重要なときは単純な6/5"/

方程式に帰着しない.7 7£は蛋白質個数が大きいとき,すなわちが大きいときに無視できると考え られ,7!7は断熱極限に近いとき,すなわちが大きいときに無視できると考えられる.従って,ここ で採用している展開はが大きい状況でよい近似となっている展開である.多体問題における多くの 平均場近似がそうであるように,ここでの近似も定量的に信頼できるのは展開の正しさが保証されている

が大きい領域であるが,この領域を超えてあるいはが小さい領域でも,定性的な問題につい て多くの予言を行うことができる.例えば,何らかの異常が生じて質的に異なった現象が起きうることにつ いて,理論的な見通しを与えることができると期待される.

%蛋白質個数のゆらぎの分散8蛋白質個数の平均で表されたゆらぎの強さについて,上記の方法 で計算した結果と式!"##$"アルゴリズムによって数値的に解いた結果を比較した図である.ゆら ぎの強さの絶対値にはずれがあるが,2つの計算はともに  付近でピークを持つ強いゆ らぎが現れることを示している.

このガウス展開の方法を用いて種々の多時間相関関数や応答関数を計算することができる. 蛋白質個数

% 分散8平均で表現した1遺伝子ネガティブフィードバック回路における蛋白質個数ゆらぎの強さ.経 路積分をガウス近似して得られるゆらぎの強さ(左)とマスター方程式を数値的に計算して得られるゆら ぎの強さ(右).

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& 1遺伝子ネガティブフィードバック回路における蛋白質個数ゆらぎの2時間相関関数から得られた緩 和時間.単位は.経路積分をガウス近似して得られる緩和時間(左)とマスター方程式を数値的に計算 して得られる緩和時間(右).

のゆらぎの2時間相関関数を計算すると広いパラメータ範囲で相関関数は単一の指数関数で表現できるが,

が小さい領域では振動成分を含む複雑な緩和を示し,緩和時間も非常に大きくなる.図&は蛋白質 個数の2時間相関関数を用いて定義された緩和時間についてガウス展開の方法による結果と!"##$"アル ゴリズムによる数値計算の結果を比較した図である.ともに,が小さい領域で異常があることを示 している.

遺伝子数が増えて遺伝子回路の規模が大きくなると,!"##$"アルゴリズムによる計算は急速に難しく なる.ここで考えられた理論的な方法はそうした場合も含め,数値シミュレーションだけでは得られない見 通しを与え,特に非断熱効果の及ぼす質的影響についての理解を助けると期待される.ここでその試みを 紹介したような,平衡から遠く離れた非平衡条件下で非断熱効果を正しく取り入れる数学的理論は未発達 である.しかし,遺伝子発現に留まらず,シグナル伝達など細胞内での非平衡プロセスでは異なるタイプの 変数が非線形にカップルした反応機構により確率的に情報が処理されており,非断熱効果を適切に取り入れ る理論の必要性が高いと思われる.

生体分子ネットワーク

ある遺伝子は他の遺伝子の発現を制御する蛋白質をコードしており,その遺伝子も別の遺伝子にコード された蛋白質によって制御されている.このように,遺伝子はネットワークをつくっている.遺伝子ネット ワークは細胞の分化を決定し ,さらに分化した後の細胞の環境への適応を可能にし,細胞分裂のタイミ ングやその他の細胞リズムをコントロールしている.また,蛋白質どうしの相互作用も重要な制御の仕組 みである.ある蛋白質は別の蛋白質をリン酸化し,その蛋白質を活性化したり不活性化したりするスイッチ の役割を果たす.また,蛋白質どうしが複合体をつくったり解離するのもスイッチ的動作のひとつである.

さらに真核生物は,蛋白質をユビキチン化することによって分解を加速することもスイッチ制御の方法とし て利用している.こうした多様な相互作用ネットワークをモデル化した仕事を紹介したい

ここで考えるのは,出芽酵母の細胞周期をコントロールするネットワークである.細胞周期とは,細胞が 成長すると染色体の複製をつくり,分裂してふたつの細胞になるという周期的なプロセスである.図) 細胞周期の概要が説明されている.細胞は長く!期で過ごすが,2..と書かれた時点をすぎると細胞分 裂を準備する2期に入り後戻りできない.2期では の複製が行われる.その後,!期を経て, には2つの娘細胞への分裂が起き,分裂してできた細胞は!期に移行して安定化する.各段階における重

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) 出芽酵母の細胞周期.2..と書かれた時点を過ぎると安定な!期を脱して細胞分裂のための準備 が始まる.2期では の複製が起こる.!期と呼ばれる染色体の変動が比較的小さい時期を過ぎて 期に入ると,染色体の整列と分離が起こり,細胞分裂を起こして!期に戻る.

要なプロセスにはチェックポイントがあって,分子的な検閲が働くと考えられている.たとえば2期の終わ りには, 複製が完了したかというチェックが分子によって行われ,このチェックがないと2期から! 期へ移行できない.そこで,これらのチェックポイントを99:: などと名づけることにする.

細胞周期をコントロールしている蛋白質と遺伝子については実験データが蓄積している .こうし たデータを要約して蛋白質と遺伝子の相互作用ネットワークとして表したのが図である.この図のよう に,リン酸化,脱リン酸化,ユビキチン化,複合体形成などの作用を及ぼしあって,蛋白質は互いに相手の 活性や個数をコントロールしている.いくつかの蛋白質は転写因子として他の蛋白質の個数を制御してい る.また,チェックポイントの通過によりこのネットワークの一部が変更を受け,ある時期にのみ働く相互 作用があると考えられる.このネットワークに含まれるの遺伝子および種類の,そして対応 する蛋白質の個数と状態を変数として,それらの時間変化を追跡するモデルを考える.図に従ってこれ らの遺伝子,,蛋白質どうしの反応の確率過程を,対応するマスター方程式で記述する.個々の変 数はガウス分布に従ってゆらいでいると仮定し2次のキュムラントで切断すると,マスター方程式は蛋白質 の個数,およびの個数のガウス分布を特徴付ける分散と平均の従う連立微分方程式となる.このモ デルは多くのパラメータを持つが,モデルの目的は実験データを詳細に再現することではない.細胞周期 の安定性の原因についての論理を見つけるためである.そこで,パラメータとしては反応のタイプごとに 共通の値に揃えた値を用い,これらを微細に調節することはしない.むしろ,モデルの中でパラメータを大 きく変化させて,それでも変わらない性質に着目することにする.

このモデルでは,チェックポイントの通過, の複製,細胞分裂など図より範囲の大きな細胞全体 に関わるイベントは自律的に変動する力学変数としてではなく,微分方程式の外から与える条件として扱っ ている.例えば,解くべき連立微分方程式は,チェックポイントを通過するたびにその時期に特有な相互作 用を含むように,少しずつ異なった項を持つと考えているので,モデルの作成者が与えたタイミングでシス テムがチェックポイントを通過すると各分子の個数の平均と分散はそのたびに少しずつ異なった運動の仕方 で変化するようになる.従って,チェックポイントを通過するタイミングと微分方程式に従った運動のつじ つまがあっていなければ,細胞は安定な周期運動を続けることができない.

ただし,実際の細胞ではチェックポイントの通過の仕方は細胞ごとに異なり,大きくゆらいでいる可能性 がある.そこでモデルにおいても,チェックポイントを通過するタイミングはある幅でゆらいでいると仮定 する.このような確率的に変動するタイミングでチェックポイントを通過しても,それでもなおつじつまの あった仕方でネットワークの運動が続いてゆくかどうかがモデルを使って調べたいことである.また,細胞 分裂の際にや蛋白質は2つの娘細胞に分配されるのであるが,その順番とタイミングも確率的にゆ らいでいると考える.すなわち,このモデルではネットワークに含まれる確率過程としての化学反応による

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出芽酵母の細胞周期を制御する生体分子ネットワーク.図中の丸は遺伝子とそれを転写して得られ ,翻訳して得られる蛋白質をまとめて表している.丸の間の線はリン酸化,脱リン酸化,ユビキ チン化,そして複合体形成などの作用を表している.濃い実線は転写制御作用である.線の先が矢印になっ ている作用は,相手を活性化させる作用.先が小丸になっている作用は相手を不活性化させる作用である.

点線はあるチェックポイントからあるチェックポイントの間だけ限定的に働く作用.文献 から修正して 転載.

内在的なゆらぎとともに,ネットワークを超えた細胞レベルのゆらぎを含んでおり,前者をマスター方程式 の近似計算により取り扱い,後者をチェックポイントの到来する時間, 複製におけるタイミング,細 胞分裂の際の分配の仕方のゆらぎとして取り扱っている.

は,このモデルに含まれる蛋白質のうち3つに注目して,その平均個数の時間変化を追跡した図で ある.大きく異なる初期値から出発してもトラジェクトリは狭い領域に吸引され,ほぼ周期的に変動する.

すなわち,このモデルで表される細胞周期のサイクルは非常に安定で,大きく周期からはずれるようなこ とがあってもトラジェクトリは1周期のうちに,もとの振る舞いに戻る.また,実験データから想像される 値を中心に各パラメータを1けたほど値を変えても,定性的な振る舞いに変化がない.このように,このモ デルにおける概周期的な運動は非常に安定であり,パラメータの値の変化に敏感でないことが示された.

このような安定性と頑健性はどこに起因するのであろうか?これは,計算の中で意図的にチェックポイン トの到来を遅らせると明らかになる.各時期でチェックポイントの到来が遅れると,細胞レベルの確率的ゆ らぎによりばらけていたトラジェクトリは収束し,各分子の個数およびその分布の分散はそれぞれの時期に 固有な定常値に接近する.チェックポイントを通過して異なる時期に入ると相互作用の様式が変更を受け,

方程式の形が変化してそれまでの定常点は不安定化し,新しい定常点が現れる.トラジェクトリはその新し い定常点に向かって動き出す.こうした定常点への収束と定常点の移動が次々に生じて,周期的な運動が実 現しているのである.定常点が広い吸引領域を持つため周期運動も安定であり,定常点の安定性がパラメー タ変化に対して頑健であるため運動も頑健である.ネットワークの構造がこうした安定な収束を可能にし ていると思われる.

本稿では,前半で1遺伝子,2遺伝子からなる小さな回路の確率ゆらぎの特性を定量的に扱う理論を紹介 し,後半では13遺伝子の比較的大きな回路の安定性を扱う理論を考えた.統計力学の方法や知識と分子 生物学の技術的な革新が相俟って,これから魅力的な新しい分野が展開してゆくと予想される.

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細胞周期に伴う蛋白質個数の変動.モデルの中で区別された3つの蛋白質の平均個数の変化のトラ ジェクトリ.初期値の異なる10本のトラジェクトリが重ねて描かれている.白丸が初期値.異なる初期値 から出発しても,トラジェクトリは図中央のドーナツ状の領域に吸引され,ほぼ周期的に振動する.文献

から転載.

参考文献

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参照

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