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『宗教研究』191号(40巻4輯)

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(1)

――目次――

論文

1,

宗教思想研究の方法について:解釈と理解をめぐる一考察, 石田慶和, Das Problem der Erläuterung

und des Verstens über die religiöse Schrift, Yoshikazu ISHIDA, pp.1-16.

2,

宗教研究の方法:日本における宗教学の歴史と課題, 上田賢治, Methodological Problems for the Study

of Religion, Kenji UEDA, pp.17-32.

3,

インド学・仏教学と宗教学:方法論的課題, 高崎直道, Indian and Buddhist Studies visà vis Religious

Studies: Problems around Methodology, Jikod

ō TAKASAKI, pp.33-47.

4,

宗教研究と概念の構造及び facts(科学的事実)の構造について, 野村暢清, On the Structure of

Concepts and of Scientific Facts, Nobukiyo NOMURA, pp.48-68.

5,

宗教研究の解釈学的方法, 川端純四郎, Die hermeneutische Untersuchung der Religion, Junshirō

KAWABATA, pp.69-88.

書評

6,

塚本啓祥著『初期仏教教団史の研究』, 平川彰, Akira HIRAKAWA, pp.89-94.

(2)

宗教思想研究の 方法について あると言わればならぬ。しかし他面、この ょぅ な学問の成立の基礎にかかわる問題に、 尚 定説が 見出されぬことは、 宗教学の研究対象そのものの本質に根ざすので あって 、 我々はあらためて宗教現象の拡がりと そ の 深さについて認識 を 新たにせざるを得ない。人間の高度の精神的 きみである宗教現象を理解する為には、多方面に 一日一 る 研究方法を駆使 してはじめて可能なのであり、単に一二の方法 を 以てしては、その綜合的な理解を果すことはで ぎ ぬと言 う こともで き る 。即ち一見不統一に思われ混乱しているか に 見える方法論的多様性が 、 実は却って宗教学の 学問的性格を最も よ ︶ く 表現しているのである。しかしそ う は言って も 、一応今日に 掩 いては、心理学的方法によって 宗教現象を把 えようび とする宗教心理学と、社会学的方法に よ る宗教 社会学を二つの 軸 として、更に幾つかの領域を含 める科学としての 宗 Ⅰ 向から検討が加えられつつあることは周知の通 りである。このことは、やはりこの学問の進展に とって不幸なことで 宗教学の学問的性格並びにその研究方法をめぐ って、今日向定説となるべき決定的な理論が見出 されず、様々な 方

""" ス

教思

相伴

空 かの

万法について

解釈と理解をめぐる一考察

石田

慶和

(3)

教学が成立し来たっていると見るのが妥当であ ろ う 。 言う迄もなく、西欧に於けるこの ょう な意味で の 宗教学の学問的自覚は、神学的偏見からの脱却 から始まった。 客 観的 ・記述的・実証的な科学としての宗教学は 、 近世に於ける理性の自立を背景として確立され た 宗教哲学的立場の 延長として生まれて来たと言われる。そして 宗 教学は 、 他の人文・社会系諸科学の進展と連繋 し て 、次第にその学問 的 基礎を築 き 、現在内容の豊かな学問として 成 長しつつあるのである。しかしその進展の方向は 、宗教学の育った 母 胎 である神学や宗教哲学に対して、本来背反の 可能性を含むものであった。即ち、当初神学の 一 研究領域として発足 したものが、次第に神学と疎隔 し、 遂には神学的 制約からの脱却と絶縁をその学問的要請とする に 至り、 文 宗教哲学 の 立場に対しても、宗教に対する本質論的関心の 放棄によって、明確な一線を画そうとする動ぎ かくして現在宗教学は、一応広義の宗教学として 、規範的・構成 監 た神学並びに宗教哲学と、 記 述的 ・実証的な宗教 学 宗教史を内容として包含しつつも、事実は後 者、即ち狭義の宗教学に重点が移行し、而もこの 研究態度を異にする 二つの部門の積極的な接触・交流は必ずしも 十 分 ではないという状況に在る。このような趨勢が 果して宗教の学問的 研究にとって望ましいものであろうか。そこに は 宗教学の学問的性格として反省すべき問題が存 在するのではないで あろうか。この点が先ず検討されねばならない。 宗教学が今日実証的な科学として成長しつっ あ ることは先に見た通りである。しかしその研究の 進展の為に本質論 的 研究の援助をかりずにすむものではない。 禾 開 宗教にせよ、民族宗教にせ よ 、その宗教の概念 規定そのものをめぐ って、従来の宗教哲学的研究を無視して は 、研究 0 発足すら不可能であろう。所謂作業仮設的 定 義を以て出発すると しても、極めて多様な内容を有する宗教現象であ る 以上、その帰趨に迷 う 事態は常に生じ得るの である。その場合 に 、何等かの限定を示し、研究の方向付けを可能 にするのは、本質論的検討であろう。宗教の本 質 についての洞察が (482) 2

(4)

宗教思想研究の 方法 な 可 ル

宗 避

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哲 問 っ 哲

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下 へ 3@ (483) 唯 この ょう な見地から宗教哲学の歴史を省みる 時 、そこに従来の理解とは 硝 異なった思想的連関 されてくるのである。 て つ 一 と 問題の所在が見出 -2 ︶ 相補関係を一層自覚的に推進することが必要で あろう。もとよりこのことは従来から指摘されて きたことであるが、 はじめて宗教の客観的理解を可能にし得るのであ る 。他面、宗教哲学は 、 現にある宗教よりも、 あるべき宗教を明ら かにしょうとする。その意味で批判的・構成的で あると言われる。しかし、人間精神の本質的 必然的な領域として 宗教を規定しょうとしても、現実に歴史の中に 成立し展開しつつある宗教についての確実な知識 を 欠いては、単に個 々の研究者の主観的な映像が画かれるにすぎない 。特定の宗教の真理性のみを主張するものでは ないとしても、人間 の 理性の投影に基づく宗教観は 、 一つの要請とい ぅ 意味はもち得ても、学問的意義はもち得ない であろう。それを 避 げる為には、実証的な宗教学が明らかにし得た 客観的知識を必要とするのである。かくして実証 的 研究と本貫論的研 究の間には明らかに循環が存在する。而もその 循環は避けるべ き ものではなく、宗教の学問的研 究の上で一種の必然 性を有するものと思われるのである。今日実証 的な宗教学の立場からは次第に疎外される傾向に あり、 又 それ自身と しても閉鎖的になりつつある宗教哲学にとって 、 新しい視野を開拓する為には、上に述べた如 き 実証的な宗教学との

(5)

しかしこの規範的・構成的という特色付けが、 め が 教の本質の理解に際して、何等かの意味で外か ら 宗教に規範を与え るという意味をもち、 文 宗教の内容を理性に基 ついて構成するということを意味するなら、シュ ライスルマッヘルに 関しては 当 らぬ面を残していると言わねばなら ない 0 シュライエルマッヘルの立場が、宗教哲学 史上極めて重要な位 置を占めるのは、彼が宗教の理解に際して一つ 0 基本的な態度を確立したからである。例えば 彼 が 宗教を形而上学・ 道徳と相並ぶ人間精神の本質的必然的第三者と 壬 司ぅ時 、彼はあく 迄 宗教の成立する場に 於 いて ゐ 示教を把えようとして いる。この態度は、宗教の本質を規範的・構成的 に 規定しょうとするものと言 う ことはできない 。規範的・構成的な 立場に 掩 いて宗教の本質を規定しょうとする 場 合 、その基準となるものは、やはり何等かの意味 での理性である。 そ れが実践理性であれ、思弁的理性であれ、そこ には人間の認識能力にかかわる理性が何等かの 仕 方で関与する。その 理性に基づいて宗教に規範が与えられるのであ る 。然るにシュライ ヱ ルマッヘルの立場には、 め ホ教の成立するその場 に 身を置き、そこから宗教そのものに語らしめよ ぅ とする態度が見られる。彼はその固有の場を 感情の領域に見出し たのである。宗教哲学の歴史の中では、彼の主張 は 所謂主情主義として、主知主義や主意主義 の 宗教理解と対置さ ね 、 又 彼の ロマソ ティクの中に於ける位置から も 、そのような見方の妥当性が認められはするが 、それにもかかわら ず、 彼の立場には上述の如 き 独自性が見られる のである 0 このことは、シュライエルマッヘルの 宗教の理解が、宗教 そのものにとって極めて重要な点を把えていた @ ﹂とを意味する。即ち宗教には、単に外からの 理 解 をゆる さ ぬところ があり、その本質はあく 迄 宗教の成り立つ場に に 宗教を把 えょ 5 とする立場も出てくるのである 立ってはじめて理解されるという点である。この ような方向から更に 進めば、専ら歴史的事実に依拠 し、 或は宗教 規 象の観察、記述を試み、更に様々の宗教現象の比 較を通して、実証的 一方宗教哲学は、上述の如く、規範的・構成的な 性格を有すると同時に批判的な性格をも有して いる。即ち宗教の (484) 4

(6)

性格にかかわると共に、その研究の方法の確

に密接につながっている。それが最も具体的

問題になるのは、宗教

。我々は次に

立入ってこの問題を論じ、

れば

ついての解明と展望︶

七 %

本質を追求するに際して、常に現にある宗教 ょ りもあるべき宗教を問題にしょうとする。その 意 味 で現実の宗教に対 して批判的な態度を保持するのである。このこ とは、必ずしも事実をゆがめるものではなく、 レ アか な宗教より イデ ァか な宗教を求めるものとして、本来理性の機能 に 基づくものである。然るに宗教哲学の展開の 過程の中で、宗教を 外から検討するのではなく、宗教の成立する 場 に 立ち、宗教そのものの内に入って宗教を理解し よう とする態度が成 立し 、 更にそこから宗教を宗教自身に語らしめ よう とする態度が生まれてくると、宗教哲学の本 来の批判的な機能が 薄れ、事実に追随する傾向が強くならざるを 得 ない。そこに宗教の理解にとって困難な問題が出 てくることになる。 何故なら、単に事実に追随するのみでは宗教の 其の理解は成立し得ない。というのは宗教はその 本質に於て極めて 個 性的な面を有し、それは理解者の体験的な把握 を 要求するからである。その体験的な把握が宗教 の本質理解の根 抵に おかれる時、宗教哲学の批判的な機能が保持され 得る。実証的な宗教研究が、事実そのものに 圧 叩 らせようとする本来 の 意図に反して、様々の現象を列挙するにとどま り 、その為に再び宗教を外から眺める態度に陥 り 、それ 放 そこでは 宗教的生の真実が抱えられていないとされる 批 判 をまめがれる為には、この宗教哲学に於ける 体 験的 把握の意義を積 て 極的に認めなければならなかったのである。 しかしそのことによって問題は解決していない 。そこではやはりその 件

刊験的

把握の客観性が問題である。即ち個性的 な 宗教的生を理解する体験的把握も当然個性的 である故に、その個性的

得るかということが問われるのである。このこ とは、宗教哲学の学問的

(7)

(486) 6 史 そ し ブ な し め で か

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(8)

過去の時代が再構成されたりする資料として 扱 われるようになる。しかしこの場合、文献学は 、 理解する為の丈 献の 解釈という本来の学問的意図を失なってしまっ ている。即ちここではもはや理解ということが 十 分 問題になっていな いのである。然るに、既にシュライエルマッヘル が 洞察している よう に、本当の理解は解釈学的 規則の遵守のみによ っては得られない。彼は作品はある人間の生の モ メントとして理解されねばならぬと考える。 こ のような考え方を承 げて、ディルタイは、解釈は文学作品そのもの のなりたちへの生ける関係に於ける﹁造形成﹂﹁ 追 構成﹂であり、 理 解は ﹁生ける思想連関の本来的な 追 生産﹂であ ると言 う 。このような﹁ 追 生産﹂は、解釈者の個 性 と作者の個性とが 比較でぎ ぬ 事実として対立しないで。寧ろ両者 が 普遍的な人間性に基づいて形成されていること によって可能となる と 見る。ディルタイは、個人間の相違は、結局 ぽ 個人相互の質的な相違でなく、その精神的経歴 の 程度の柑 違 である と 考えているのである。かくして解釈は個人的 な 仕事であり、その十全な取扱いは解釈者の独創 性 に依存している。 そしてそれは 又 著者との立入った生の共有と、 不 断の研究によってたかめられた親近性に基づい ている。このように ディルタイが、著者と解釈者の親近性を理解の 可能性の条件とする時、彼はあらゆる理解の前提 を 明らかにしている て と ブルトマ ソ は考える。即ち、文献に 掩 いて 直接間接に表現されている事柄に対する解釈者 の 生きた関係、それが 理 叩解の成立する前提である。かくして解釈は 、 著者と解釈者が、問題になっている事柄に対し て 同じ生の関係をもつこ 沖 とによって成立する。そしてこの場合、ディ ルタイは、理解の可能性の条件として普遍的な 人間性を言 うが 、より 精 妨 確に言 う なら、解釈者と著者が同じ歴史的世 界 に生きているという事実こそ解釈の基本的 条 件 であるとブルトマンは 鮒 , 主張するのである。 (48

解は 、具体的にはどのような内容にかかわるの であろうか。もとより 彼 凸不 の場合、先述の如く、新約聖書の解釈という問題 背景をもつのであるが、ここでは寧ろ宗教思想 一般の理解の方法の

(9)

(488)

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(10)

は 、その文献への問いかけも理解も不可能である 。従ってあらゆる解釈は、必然的に当の問題に なっている事柄の先 行 理解によって荷われていると高 9 のである。 そ してこのような先行理解 や 、それに導かれた 間 がなければ、文献は 沈黙してしまうと述べている。かくしてブルト マンに 掩 いては、文献に表現された事柄に対する 著者と解釈者との 生 きた関係と、その事柄に対する解釈者の先行 埋 解 とがあらゆる解釈の成立の根本的な前提なので ある。 以上のような見解に基づいて、ブルトマンは 聖 書 解釈の問題に言及する。即ち聖書の解釈に際し ても、勿論 他 の 文 献 と違った条件の下にあるわけではない。先ず 解釈学的規則がそれにあてはめられる。次にやは り ここでも理解の成 て 現象とは区別して、一般に何を神のわざと手一 事柄は神のわざであり、それについては先行理 立 する前提は、文献と解釈者との結びっぎであ た ぬからである。神については、神の啓示に ょ と 、それへの先行的理解によって形成される。 し のである。しかしこれに対してブルトマンは 、神 ロい 得るかということの先行理解を前提している 解は存在し得ない。といらのは、自然的人間は神 り 、それは文献によって伝達される事柄に対する ってのみ、即ち神のわざによってのみ知ることが かしこのような主張に対して当然反論が出され のわざとしての出来事についての報告の理解は と 言 う 。もし人間が 、神 、人間の行為や自然 る 。即ち聖書の語る 解釈者の生きた関係 に 先行的な関係をも できると主張される 刊の啓示の前には、神が誰であるか、従って 神 のわざとは何を言 う のかを知り得ないと言われ るなら、人間は神を問 う 法ことに @ 於 いて、どうして神を神として知り得 るのかが答えられねばならない。人間が神への 間 によって動かされなか 方 ねったとしたら、人間は神の啓示に 於 いても 神 を神として認識しなかったであろう。その意味 で 先行理解ということが 蜥 , 前提されるのである。かくして新約聖書の理 解 に際しても、先行理解とそれから出てくる 諸 概念を前提として考えな ぬ ければならぬと言 う のである。この 25 な聖 書 解釈の根本的態度は、ブルトマンが一方では 文献学者としての実証的 右下 な 態度をどこ迄もとりつつ、而も他方では宗教 的 生の独自性をその宗教的生そのものに即して 見 出そうとするところ 9 ('@9)

(11)

から成立していると言 う ことができる。しかし 吹 に 、このような意味での解釈が、如何にして 客 観 性と普遍性をもち 得るかという問題が考えられねばならない。 釈 学は歴史現象一般の理解に関与する学とする フルトマンは解釈の客観性の問題を歴史的現象 彼の見解に基づくのであろう。我々はここではそ の 客観的認識の問題として考えようとする。それ の 当否 忙 問わず、 一 は 先述の如く 、解 @5- 応 ブルトマンの所説を聞こう。それについては、 ﹁歴史と終末論 ヒ に明確な論議が展開されてい る 。 先ず時間・空間的限定の下に起った個々の事件 ほ ついて客観的認識はもとより可能である。しか し 歴史はその ょぅ な 事件そのものにのみ 関 わるのではない 0 歴史 的な事件や行為は 、 常にその意味乃至は重要性が 問われる。その重要 性の判定は、歴史家の主観的な見方に依存して いろ。そ う すれば、客観的な歴史の認識というも のは不可能となるの ではないか。しかしブルトマンは歴史学に於ける 客観性は自然科学に於ける客観性とは異なると 考える。何故なら、 歴史現象は多くの観点から見ることができるし、 その各々の観点から客観的に真なるものが 現わ れ 得るからである。 従って歴史家の主観性とは、彼が一つの観点を 選択したことを意味し、それ故に、その主観性は 客観的な歴史認識の 必然的な要因である。 又 他方では歴史家自身が歴 史の中に立ち、歴史の中に役割をもつ時にのみ 意味をもってくる。 即ち歴史への参与によってゆり動かされる歴史 家によってのみ歴史は理解されるのである。その 意味で、ここでは 最 も主観的な歴史解釈が同時に最も客観的である ブルトマ ソ がこのように解釈の客観性の問題を 、 と目 = 戸 われる。 歴史認識の客観性の問題として 肥 えるのは、 ディルタイに従っ て 、歴史を人間の生命力が文化の諸作品や社会的 ぬ治 的 秩序や哲学・宗教・世界観となって 現わ れる場として考え、 歴史学はこのような作品の解釈に与かると見る @ ﹂とに ょ るのである。しかし我々はここではこの ような見解を、文献 の 解釈の問題 仁 あてはめて考えてみ ほ げればなら ない。その場合次のように言 う ことができるで あろう。即ち我々に (490) 10

(12)

宗教思想研究の 方法 @c ついて 我々は以上の論述に 拾 いて、解釈と理解の問題 をめぐるブルトマンの所説を立入って見てぎたが 、それはこの問題 に 新たな一つの展望を開ぎたいと考えたからであ る 。我々はここでブルトマ ソ の提起した問題を 更に進めて、彼の言 ぅ 実存論的解釈学の方法論に検討すべ き 点はな いか、即ち彼が理解成立の前提とする文献に表現 されている事柄に対 する著者と解釈者との生きた関係 | 親近関係と い う ものが、今日果して無条件に考え得るか、 又 文献に 拾 いて問題に なっている事柄に対する先行理解というものが、 その事柄に即した意味で存在し得るかという @ ﹂とをあらためて問い たいと思う。 先ず著者と解釈者との事柄に対する生きた関係 ということについて考えよう。ディルタイは 、先 述の如く、理解の 成立する根拠を普遍的な人間性に見出したが、 プ ルトマンは、それを同じ歴史的世界に生きてい ることによると考え︶ ている。この見解はディルタイ 肛 於けるより一層 具体的であると言 う ことができる。しかしこの 場合、同じ歴史的世㏄ 界 ということは如何なる意味に 拾 いて言われる のか。例えば我々が日本浄土教、特に法然や親鸞 の 思想に接する時、

とって個々の文献の内容の客観的な認識は一応 可能である。しかしその内容の意味並びに 重 ・ 要性 の判定はやはり解釈 者に委ねられる。そしてその解釈者の評価は 、常 にその文献の扱 う 事柄に対する先行理解に導か れて成立する。従っ てその先行理解は主観的であるが、それは文献 解釈の客観性の必然的要因ということになる。 そ してその文献は 、解 釈 者がそこで問題になっている事柄に自ら参与 する時、はじめて真に理解されるのである。 ブルトマ ソ の文献解釈をめぐる所説を以上の如 く 要約して大過ないとするならば、そこにどの ょ う な問題が見出さ れるであろうか。その点が次に明らかにされね ばならない。

(13)

もとより時と処を異にしていても、その思想的 伝統に 掩 いて共通するものは多くある。しかし 法 然や親鸞が、浄土教 を 理解しょうとしたその精神的背景と、我々が 法 然や親鸞の思想を理解しょうとする精神的背景 とはその様相を異に する。現今の研究に ょ れば、浄土教は既に平安 朝 以来大きな影響を貴族階級や庶民 層 に与え来た り 、それに加うるに 当時の社会的諸条件が要因となり、それを基盤 として法然や親俺の独目な帝土 我 が成立したので ある。そこに日本に 於ける浄土教理解の展開があり、 又 それが独自 性を確立し得た必然性がある。然るに今日の我々 は 当時とは全く異な った 精神的状況にある。我々が仮に当時の歴史的 ・社会的条件を完全に知り得たとしても、それ が 同じ歴史的世界に 住むことにならないことは言 う 迄もない。当時 0 人々が何を望み何を知ろらとしたか、何を頼り 何を信じようとした かということを理解し、更にそれを我々自身のも のとしてはじめて当時の精神的背景に接近する ことができる。しか ︵ 6 ︶ しそれは今日の我々にとって殆ど不可能なことで はあるまいか。厳密な意味で同じ精神的状況に 住むことはで きぬと すれば、文献に表現された事柄に対する著者と の 生きた関係というものも成立し難いのではない か 。たとえそこで 休 鹸的 認識ということが言われたとしても、その 体験を条件づける諸契機が異なる場合、体験の共 通性が何に依って 主 張 されるのであろうか。宗教に 於 いては、絶対 なるものに接するその接点に 掩 いて共通なるもの が 有り得るとされて も 、それについての表現が歴史的限定を受ける は 上、その接点に於ける共通性を証することは 不 可能であろう。従っ てその場合も、表現の根 抵 にある体験と、解釈 者の体験とが相応ずることを独断的に主張するこ とに終ってしまう。 宗教の成立する場が個性的であればあるだけ、 個 性的なものが個性的に主張される限り普遍性 へ の道は見失なわれて しまうのである。それを脱する為には、個性的な ものが同時に個性的な場を脱却する面をひら き 得ることを明らかに しなければならない。即ち体験的認識そのものが 腕白的な場に 掩 いて成立していると考え得るこ とが問題にならねば ならない。例えば法然や親鸞の思想を、浄土教 としてのその独自な限定の中に 於 いて 担 えっ っ而 も 同時にその限定を く 492) 12

(14)

てもその方向付けも導かれ得るし、 又 その問い かげを可能にする 範 碍も生じ得るというが、今 我々がこの記事に対して かもつ関心、或はナイーブな理解が 、 果してそ こで表現されている事柄に適っているであろう か 。もし今日我々が浄土 湘 についての表象をもっとしても、それは現代 0 科学的世界観・宇宙観とは無縁ではあり得な けて、或はそれと矛盾しないような意味での 浄 止観をもつであろう。 又 その浄土の観念の理解 は 、おそらく今日明らか 究 鮒 にされている他の諸宗教のもつ他界観念の理 解 と全く異質のものではあり得ないであろう。 もしそうなら、浄土を問 ぬ 題にしている文献に対する我々の先行理解と 、その文献の成立した時点に於ける浄土の把 え 方 との間には深い亀裂が 吉本 生じていると言わねばならない。その先行理解 が、 実は解釈者の自らの実存についての理解であ るとしても、 又 その 13 (*93) 超えて税目的な場 定の下に 於 いては 又次に、文献に に即した方向に 於 それに対して持ち 達は、浄土の存在 が 、 狩に出て帰途 いおい﹂と叫びつ という説話が記載 もない。このよう あまりにも 踊 りが に掩 いて 担 え得ることが明らかにされてはじめて その理解の可能性もひらかれ得る。単に特殊な 限 却ってその真実を把 え 得ない面を残すのである。 拾 いて問題になっている事柄に対する先行理解 ということに関しても、果して今日それがその事 柄 い て行なわれ得るかということが問題になる。 例 えば浄土という表象について考える場合、我々 が、 得る先行理解と、文献に語られていることとが 本当の意味で相応ずるであろうか。過去の浄七教 徒 を 空間的にリアルに 肥 えている。﹁今昔物語集 ヒ 巻 第十九に、讃岐国の源太夫という殺生無潮 の 男 に 講にあい、講師に仏法を聞いて忽ち髪を切り、 弓矢を捨て、金鼓を取って﹁阿弥陀仏よや 、 お つ西 へ進み、遂に海の見える峯に至って、そこで 海中から微妙の声を聞き、樹上に 拾 いて絶命 し 六 - @ されている。この物語も、当時の人々の一般的 な 浄土表象を背景にして成立していることは言 う 迄 な 過去に於ける表象の意味するところと、今日 の 我々のそれについての先行理解というものとは ︵ 7 ︶ ありすぎるのではないであろうか。ブルトマン ほ 、この先行理解によって、事柄に対する問いか げ

(15)

表象の中に現われている実存理解と、今日の我 々の実存理解とが果して共通の平面で語られ得る のであろうか 0 ここ での問題として言えば、文献に表現されている 表 象を成り立たしめている実存理解と、現在の我 々の先行理解を成り 立たしめる実存理解との間の共通性は何によって 主張し得るのであろうか。この問題は 、 先の体 験の共通性の問題と 本質的に同じである。 関 わるところが個性的な 場 であればあるだけ、個性的な面からのみ 担 え ょ ぅ とすると困難な間 題 が生ずるのである。それを脱する為には、 我 々の実存理解そのものが脇目的な場をひらくもの である外はないので はあるまいか。 以上我々は、ブルトマンが理解成立の前提とす る 二つの点、即ち文献に表現されている事柄に対 する著者と解釈者 の 生きた関係と、その事柄についての先行理解と いう問題をめぐって、浄土教思想を具体的な背 景 として考えつつ、 疑問とする所を述べた。それでは次に解釈 と理 解 の問題は如何に考えられるか。 T 以上考えようとしてぎた問題の主眼は、今日 宗 教約 文献の理解が成立する為には、解釈者の立場 が、 単にその宗教 約文献のひらく宗教的真理の独自性のみならず、 その特殊な真理の根 抵 に松いて普遍的な場をひ らく側面を見出, し得 るものでなければならぬことを明らかにしょう としたものであった。宗教が根本的には個性的な 場に拾 いて問題にな るものであるとしても、その個性的な場の把握が 何等かの意味で普遍性を獲得しなければ学問的 認識になり得ぬこと 世 は 実 罪 で 存

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(16)

となっている

よう

に思われる。例えば、親鸞の教

日本浄土教の発展の中にあるものとして、

弥陀仏の救済意志に

托し

信傾

するところにその教の本旨があるこ

とは言

迄もないが、その情願ということが成立

する

根抵

にその

信順

とぃ

5

在り方をも超え得るような場が本来存在

するのではないか、そこから

信頓

ということも

するような根源的

宗教的

が存し得るのではないかと考え、

れを明らかにしょうとするところに、親鸞の教を

普遍的な宗教的

生の

中に位置づげて理解する場も開かれ得るので

ある。而もそれが今日の浄土教の解明にとって

必然性をもってきている

と考えられる。このような理解の立場をひら

得て、はじめて宗教哲学は実証的な宗教学と

相補的な位置を占めるこ

難みつり、文献の解釈と理解の問題を中心に若

干の考察を試みようとした。ブルトマンの場合

、勿論その研究の中心は

七 %

新約聖書の解釈学であり、

その立場もキリス

ト教的

信仰である。従ってその方法についての

を一般化すること

15 d95) ほ ディルタイ以来十分考えられてぎ り、却ってそれは自らの相対性を語 理を問題にするならば、そこではや ない。宗教の宗教たる所以を形成す は、その偶有の場から 個 有性を脱す ことが、以前のように単純に考え ろ ことが認識されて来ている以上、 寧 たことである。個々の宗教的真理が各々の立場に 掩 いてその真理性を主張する 限 っていることになる。而も普遍的な宗教性一般の 個々の限定として特殊宗教の真 はり宗教は外から観察された宗教である外なくそ の 内実の生きた本質は把えられ る 独自な場へ入り、而もその特殊な限定を超えて 宗教の本質を明らかにする為に る 外に道はないのではあるまいか。その上今日 では、その偶有の場に入るという れなくなり、過去の体験成立の条件と現在の条 件 との間に大きな距離が存在する ろその 個 宥の場を超える面をひらくことがそれ 自 身にとって一つの積極的な要請

(17)

︵ 1 ︶小口優一昔㍉宗教社会学 L 二 二頁以下参照。 ︵ 2 ︶石津 照 重書﹁宗教哲学の問題と方向 L 三頁以下 参照。 ︵ 3 ︶ オ申母 0 目 ㏄ 三 ︵ ヨぃココ 一の 団仁ヴ 0% ヒコ 年ゼの ︵の︵の ゴ の コ ・ い 宙 ・Ⅰの・ めトト @ く ︵ 4 ︶波多野精一全集第三巻﹁宗教哲学序論﹂一五五 頁 参照。 ︵ 5 ︶ 力 ・ い三 ︵ ヨいコ コ一の e の。三り プド の 仁 コ印Ⅱのり プぃ 再三。 幅ざ ・ の 二の | 同中川秀本訴㍉歴史と終末論し一四九頁以下 参照。 ︵ 6 ︶この点が実存論的解釈 字 の問題の中七であるこ とは言 う 迄もない。例えば石津博士は、文献を介して 著者の経験を了解 するには、著者との間に共通なものがなければならぬ が 、それをディルタイの舌ロ う 生の連関より一層基礎的 な 華氏 に放 い て 考えているのが今日の解釈字の人間における実存の 存在論的構造であると言われる。 雀 宗教研究 L 第一八 九号石津想望 ﹁宗教研究の立場と宗教的実存の問題点﹂ セ頁 参照︶ し かし我々は、その人間存在の基礎的な在り方という ものが、宗教 経験がそれを規定する歴史的・社会的条件から解 き去 られてゆく方向に放いて考え得るものであるかという ことを問いた いのである。即ち我々が過去の宗教的経験の表現に接 する時、それは常に歴史的・社会的条件の下にある。 それ 放 それを 現在に放いて理解する為には、その条件を除いて実存 的に解釈を試みなけれ ば ならぬというのであるが、 そ の 解釈を成立 させる基底がプルトマンの手 子 つよ う に人間の実存の存 在 論的構造というものではなく、寧ろその個々の宗教 経験そのもの の 底を破って成立し得る普遍的な立場ではないかと 我 々は考えるのである。 ︵ 7 ︶プルトマンの﹁非神話化﹂の問題は、まさにこ こから出発しているのであって、神話的表象が彼岸的 なものの此岸化に よって成立しているとして、そこに実存論的解釈を試 みようとするのであるが、我々はその実存論的解釈の 成立する根拠 をここで問題にしているのである。 か ら に は れ は

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(18)

ゆ この学会に所属する会員数は急速に増大し 、 研究の分野と業績もまた、恐らく隔世の感があ るといってよい程に 、

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獅属

して来ているはずである。従って、ここに 再び一時期を画して、その過去を反省し、将来 を 策定する企てをもつこ 白下 とは、充分意味あることだと考えられて よいだ ろ う 。しかし筆者は、この特集号が、﹁宗教学の 方法﹂ではなく、 単 1 方法

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宗教研究の万法

1日本における宗教学の歴史と課題

上田

賢治

(19)

︵ 上 ︶小口教授は、この論文の中で、日本における @ 一ガ

に 従えば、発達の 第一期は、姉崎正治・加藤衣 卍 ・波多野精一らの学者 によって代表される時期である 0 これらの手者は、 そ れぞれ自己の 専攻する特殊部門を方法論的な意味から選択するので はなく、むしろ研究対地によって決定する方向へと 進 んだ。つまり 彼らは、宗教 し埋 字音とか、宗教社会手者になるので はなく、仏教学者とか、神道学者として立ったのであ る 。これに 続 えられた課題に取り組み、問題の所在をいくら かでも明らかにすることが出来れば、その責めの 一端を果し ぅ るので ︵ 2 ︶ ほ ないかと考えている。以下はそのような意図 に 基づく、ささやかな試みの一つなのである。 肛 、同教授が次のような嘆息とも取れる 回顧して、思いいたるのは、この五十年 ないことである﹂︵一五頁︶と。恐らくは 中心に位置する人々の間に、生きつづげ はないか、と思われてくるのである。 筆者はもちろん、小口教授が漏らされ あるとは考えていない。しかし、﹁宗教 ず、 而もそこには、極めて興味ある議論 心境を述懐しておられることである。即ち 、 ﹁ 日本における宗教学の歴史を の間に、学問的性格は明かになったが、同じ意 味 内容をもって発言する場の この嘆息が、宗教学会のその後の発展にもかかわ らず、今日なお、宗教学の ているのではないか、それがこのたびのような 企画を生む原因となったので るような嘆息の 、 由って来る根本的な問題に 、明 確 な解答を与えうる資格が 研究﹂に掲載された万法論に関する論文は 、そ の後も決して一・二に留まら の 展開を見出すことが出来るのである。それらの 論文を素材として、いま 与 そこで、東京大学における宗教学の講座開設 五 十周年を記念して本誌第一四 セ 号に掲載された 小口教授の論文、恥 ﹁宗教学五十年の歩み﹂を 繕 いてみると、そこで は矢 張り、前掲﹁展望﹂の論考と同様、方法論 0 間題を中心に 、こ ︵ l, ︶ の 学問の歴史が回顧され、現状への反省と課題 の 提起とが行われているのを見出す。特に興味深 いのは、その最後 に ﹁宗教研究の方法﹂と題されていることに、 あ る 種の戸惑いと疑惑とをもっている。 18

(20)

が 具体的にいえば、宗教学は、宗教現象を研究 する科学であり、その研究は 、 常に客観的な立 場 で、実証的であること

獅を

旨とし、かつ組織的なものでなければなら ない、ということになる。この限りにおいて、 今日といえども、博士の ( 七 % 主張に決定的な異論があろうとは思われない。 し かし、そこに問題が残されていないわげではな い 。その第一は 、こ

第二期は。第一期の学者から学んだ矢吹・鈴木・

・宇野・赤松・佐野という人々によって導かれてい

。そこに

出される共通の特色は、手者が白かわ信仰

字間との

葛藤を経験し、宗教体験がなければ、宗教の正しい

はありえな

いと論じたところに求められる

0

そうして、最後の第一

二期は、一九三

0

、日

宗教学会が創立された時以

、今日に至

るまでの時期であり、現在第一線に立っている学者も

、なおこの時期の当初から大した変化を兄せてはいな

いとされるの

である

0

小口教授はこの第三期に、宗教字の実証性が

著しく強められ、今日いうところの学的性格が確立し

たのだと述べ

ておわれる。しかし、﹁小口佳一の

とおしは大体

しく

つ興味深い。ただ、現在では、い

ところの第一

二期は一九四

五年を境として二つの時期に分けた方がよいなる

︵一一四頁︶という石津博士の評舌口︵

2

8

︶を

すれば、

法論についての問題を検討する場合にも、現在では、

やはり戦後の論考を素材として出発することが許され

よう。

2

︶関係する論文は凡そ次の如くであり、以後は記

によって

記することにしたい。

-

1

︶岸本英夫﹁宗教学の領域﹂︵一二一号︶

, ︵

2

佳一﹁

埋め理

不教学の方法論的反省﹂

一二一号︶・

3

ピ 戸田主我

﹁黎明期に於ける宗教学の問題﹂︵

三二号︶・︵

4

瀬襄爾

﹁宗教民族学の対曲、目的及び方法﹂︵一四五

︶・︵

5

口俸

放学五十年の歩み﹂︵一四七号︶・︵

6

︶北川一

二天﹁米国宗教学の展望﹂︵一五八・一五九号︶・︵

7

柳川啓一﹁

社会学にわける性能立

理論﹂︵一六一・一六

セ号

8

︶石津無要﹁宗教研究の問題と動向﹂︵

一 -

八三号︶

9

︶四九徳

最も重要な条件だと考えられたのは、ま求せられる社会科学的な﹁科学性﹂をも︵

一 -

八八号︶

,而

︶石津

重一条

研究の立場

(21)

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(22)

ゆ 味をもっものだと い えそうである。 獅 確かに、岸本博士は 、 時に目まぐるしいと 思われるほど、自から作業仮設的な定義を修正 してゆかれた。それは、︵ 古本 第一段における操作的な方法の意味を、忠実に 実現しょうとする努力の現われだったと理解され よう。しかし、その 2 そ う見徴 されている現象を拾い出すことである のなら、決してそれほど困難な仕事であるとはい えないであろう。 し かし、もしこの段階で、宗教とは全く異質な 、何 かの要素がいったん混入してしまえば、それは この後の科学的な 操 作 がもつ当然の制約から、恐らくは最後まで、 容 易に 除きえないものとなってしまうのである。 そ う 考えれば、一つ 0 社会科学が成立するために、対象を選択すると い う 操作が 、 決してそれほど容易なものではな いことが、理解され よ う 。デュルケムが社会学の独立を説くために、 ﹁社会学的方法の基準﹂で、第一の課題とし、 か つ その大部分を費 して論述したのも、実はこの、研究されるべ き社 会 現象が 、 果して固有のものとして存在してい るのかどうか、そ う して、若し存在しているとすれば、それはどの ょ うなものであるのかを明らかにすることであっ た 事実、それを想起 してみればよい。岸本博士自身、見方に ょ れば、 その学問的な後半生を 、殆 んどこの問題に傾倒 しつくされたのでも ある。 い う までもなく、この第一段の操作のために、 博 仝が提示せられた宗教の定義は、科学的な操作 によって修正する ことの可能な、作業仮設としての定義であった。 方法が科学的であるためには、確かにそれ自身 が 、究極性を主張す るもの、つまり、先験的に真理として受容され ることを求めるものであってはならないのである 。作業仮設は、その 目的に奉仕するために、あくまでも操作的な意 味 での、開放性をもっていなければならない。 そ の 故にこそ、科学が 要求する客観性・実証性・普遍性を保つことが 可能となるのである。こうした意味で、社会科学 としての宗教学が 、 卸 ﹁研究の出発点において、宗教哲学の援用を 拒否する﹂︵ 3 一 - 元 頁 ︶のは、方法論の立場から みて、決定的に重要な意

(23)

作業仮設 は 、単純 ていたければならな 哲学といえば主観的 盲 である。岸本博士 に 研究者自身の任意、或はその専意に任せられて よいものではない。その意味で、客観性をもっ いであろう。しかしそれは、決して哲学と無縁で あることを意味するものではないはずである。 であり、 広 々事実を無視し 、 或はこれを超越する ものだと考えるのは、科学主義の陥入り易い 迷 の 作業仮設的定義が 、 極めて個性的な博士の宗教 理解をそのままに映し出している事実を見 て の 可能性を認めているとはい う ものの、実は作 業 仮設的定義の提示されたと き 、それによる研究 の 成果は、すでに 確 足 されているといってもよいのである。︵ 4

23 に修正されることを予想した作業仮設的定義 それ自身は、一体どのようにして設定されたの であろうか。そこに ほ 、科学的と呼ぶに値する、即ち客観的に追試 可 能な 、何等かの操作手順が示されていたであ ろ うか 。事実はど う も 、その定義に用いられた用語についての解説 があっただけのように思われる。もし、このよう な 理解が当っている とすれば、科学的であるということは、凡そ 操 作の枠組が設定された後の段階においてのみいい うることであり、 枠 組を設定するというそのこと自身には、適用さ れることのな い 性質のものなのではなかろうか。 それが、ここでの 眼 本 的な疑問の一つである。 通常、神学は信仰の立場に立ち、宗教哲学 は事 実を超えた本質を問 う ものである、と理解されて いる。従って 、こ れら二つの立場からする宗教研究は 、 共にあるべ ぎ 姿の宗教を求めているのだと説明され えよう 。これに対して、 科 学 である宗教学は、事実にのみかかわり、そこ に 見出される法則性を関心の主題としているもの ネ Ⅰある。従っ十し、古木 教学が前二者と根本的に異なる学問であること ほ 、常識的に何等疑 う 余地がない、といえるの かも知れない。しか し 、作業仮設として最初に立てられる定義も 、そ してまた、その定義を科学的に検証してゆくた めに採用される資料 としての宗教的事実も 、 実のところ、共に前科 学的な方法によってしか定めえないのが事実では な い だろうか。修正 (502) 22

(24)

宗教研究の方法

れ 甘, @ 一 一

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唆 え

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で ・

本仏

を し て 自 か ら

23 (503) も 、この間の事情は推察するに難くない。従っ て 筆者は、宗教学的研究の出発に際して、宗教 哲 学 による宗教の究極 的な意味や構造、規制に関する提言を参酌する, ﹂とが、極めて大事なことであるとする石津博士 ︵ 皿 ︶の立場に、宗教 学 にとっての重大な暗示が与えられていること を 、指摘しておきたいのである。換言目すれば、 ぬ 不教学が理論的であり ぅ るために、い う ところの客観性、実証性が 、果 して何を意味するのか、その点についての反省 を、 強く求める必要 ︵ 5 ︶ があるということである。 ︵ 3 ︶第一の操作は、神学や宗教哲学の場合における ような、宗教の本質的概念規定を目指したものではな く、 常に修正され ることを予想した、作業仮設という意味での定義を要 求 する一つの方法に体ならない。それは文字通り、 研 究の出発点で 設定される作業の枠組みであり、その意味で、第二 第三の操作を規制する役割りを果しているが、それと 同時に、第三 段階の作業結果に従って 、 常に修正されなければなら ぬものでもある。このように、第一かわ第三段への操作 は 、不可分に 結びつけられており、その反復 順現 によってのみ、はじ めて方法としての意味を完全に成就することが出来る からである。 ︵ 4 ︶四九徳 善氏 ︵ 9 ︶は 、 ﹁われわれが 科 手酌事実 と 呼ぶものはつねに、われわれが前もって出した 杵苧 内た問いへの答え に 体ならない﹂というカッシーうの言葉を引用しなが ら、 ﹁このように、宗和学は宗教の事実の客観的な研 宛 であるとい うことをみとめるとしても、そのこと自体、じつは 宗 教が 何であるかについての暗黙の理解を前提として、 はじめて可能 であることがわかる﹂︵九頁︶と述べ、この問題につ いての論点を明らかにしている。結局、この問題の自 寛 が、宗教学 の 目的と、その性格の変化にもつながってゆくのだと 考えられるが、その点については、後に触れられるは ずである。 ︵ 5 ︶それが神学的、或は体験的な宗教理解の問題と どう結びつくのか、それには恐らく、多くの議論があ りうるだろう。 こ

(25)

全科学の一翼を担 う ものであるという自負を持 たせるのに貢献したのは、第二段の意味での方法 であるだろう。筆者 もまた、その成長を認めるのに吝ではないし、 そ れが宗教研究全般の評価に与えた影響と、もた らした貢献とを、 決 して過少評価するものでもない。しかし、ひと たび、新しい個別科学として成長して来た 、 例え ば 宗教心理学が 、そ の方法として使用している質問紙法、或はまた 伝 記 的方法、 T.A.T 、面接、実験 法 なりが、 資料蒐集の方法とし て 以外に、宗教学それ自体にとって、どれほどの 寄与をなしえたか、それを問 う てみるとき、 深 刻 な疑問をもたずに はおれないのである。小口教授︵ 2 ︶は、かつて ジンメルが社会学に対して与えた批判を想起して 、社会学の場合とは 逆に、﹁宗教学は、宗教現象という特定の対象 領 域 のみを有する折衷的学問であり、従って理論 科学としてではなく、 単に資料科学としての宗教 誌 ほとどまる﹂︵ 一 0 三頁︶のではないか、と述べておられる。これは 、第二段における 方 法の発達と、宗教学それ自身の成長とが、どの ような関係において考えられなければならないか を、 最も端的に物語 る 反省として、貴重な発言だと思われる。確かに 宗教学は 、 学の独立性のために、更に徹底した 反省を求められてい るのである。 一般にまだ神学への依存度が強い欧米での宗教研 充 と比較して、日本の宗教学が有利な環境 か ら 出発し、その 故 に、よ り高度な科学性を保ちえていることを強調 する場合には、過去における宗教研究の業績が 、宗教学の専門家に よって行われたものよりも、かえって心理学や社 全 学の専門家によって行われたものの中に 、よ り奔 れたものを見出 すことが出来るという事実を、宗教学者が 、ま だ 神学や宗教哲学の影響から、完全に脱却しえて はいない証拠とし て受 げとる傾向も見さげられる。この ょう な 見 方は、 或は、事実を正確にいい当てているの かも知れない。しか し 、筆者がここで論じようとしているのは、 例 , ぇば 、宗教心理学に関する研究業績が、心理学専 門の学者によって 行 われた場合にも、そしてまた宗教学専門の学者 によって行われた場合にも、そこに何等の基本的 な 着眼点の相違 や、 (504) 24

(26)

宗教研究の方 もたらしえなかった、ということになりはしな い だろうか。 岸本博士も、宗教学が、宗教現象の綜合的・ 織的 科学として、単なる部分的業績の集積に終っ てはならないこと 方法の差、そして更に、その結果と 5 ぜん予想 される成果の差も、これを期待することは出来な い し、またする必要 もないと云い切ってよいのだろうか、というこ となのである。 柳川啓一氏︵ 7 ︶は、宗教学的な宗教社会学と、 社会学的な宗教社会学との問題について触れ、 , ﹂の両者は、目的の 相違から、ある程度傾向の相違を生むかも知れ ないが、それは決して、方法の相違といえる種類 のものではなく、 せ いぜい興味の相違に基づくものにすぎないとして おられる。即ち、両者は、同じ方法、同じ学問 体系に含まれると ぃ ぅ のである。ここで、柳川氏が批判しておられ る 北川教授の言葉︵ 6 ︶を引用してみるのは、興味 深い 0 同氏は 、 次の ハ 60 ︶ よう に述べているのである。

法お

げる方法の成長と発達とは、本来、宗教学 結果、宗教学とは、純粋に、綜合的・組織的なめ 中心として考える限り、それぞれ、心理学或は 理学的宗教心理学、或は社会学的宗教社会学と、 る 、といえないであろうか。 斬 らしい個別科学 この事実は、一体何を意味しているのだろうか。 現実の問題として、宗教学部と人類学部とで、 同 は 何度もあった︶、大学院の学生の多くは人類学 そのものと無関係な、換言すれば、宗教学の発 社会学に還元解消し、雲散霧消してしまってもよ として宗教学の中に成長して 莱た 宗教心理学や宗 本数現象学をのみ意味するようになり、従って 、 そこには我々が、方法論について考慮すべ き 同じ方法、同じ学問体系に属するのだとすれば 部の講義に殺到するであろう︵ 一 0 三頁︶と。 時に原始宗教のコースを発表するとすれば︵ 現 達 に間接的な寄与をしか 、それらは、方法を 数社会学が、もし 心 第二段の操作段階に いはずである。その 何かが暗示されて ぃ にそうした場合 25 (505)

(27)

を、 夙に警告しておられる。それが、方法にお げる第三段階の重要性を説かれた意味でもあるだ ろう。つまり、 こ Q ことは、宗教学が単に宗教という研究対象によっ てのみ、その存立を保障される科学ではなく、 また、他の社会科学 に 共通な、科学的研究方法によってのみ、その 学 的 性格を維持しえている学問でもないというこ とが、すでに自覚 さ れていた事実を物語るといえないであろうか。 小 口 教授︵ 2 ︶の言葉を借りれば、対象と方法と の 、不可分な、そし て 、その独自な結びっきの中に、宗教学の存立 根 拠 があるはずなのである。 しかし、方法の問題を通じて学の独立性を考え る 場合、忘れられてならないのは、その学問の 目的が何であるの か 、ということである。学問・研究に先立って 、 それが科学的な立場から行われるものであるこ とを強調する場合、 論者の多くは、まず方法の問題にその関心を集 中し、採用される操作、手段としての方法が 、真 に 科学的というに 値 するのかどうか、その成否如何によって、研究 成果の価値も亦左右されるのだと考えがちである 。そのこと自体、決 して誤った認識だということは出来なかろう。 し かし、研究成果の性格やその価値は 、 実のと, ﹂ ろ 、むしろ方法の適 用に先立って、それがどのような目的に添う ら のであるのかによって、すでに決定されていると いえるのである。 方 法の適否如何は、妥当性の問題であり、従って 、 成果の性格、その評価を決定する条件としては 、 単に第二義的なも のでしかありえない。学問は、そもそもの出発点 から、ある特定の性格を帯びるべく、すでに 方 向づ げられているか らである。 従来は、宗教学の科学性を強調することに急な あまり、ともすれば、対象と方法との不可分性、 その結びつき方に おける独自性にのみ、関心を奪われていたので ほ ないだろうか。しかし方法は、上述の如く 、そ の 学問の目的とも 不 可分社関係にあり、その意味で二重の制約を受 げながら、成立することを許されているのであ る 。神学や宗教哲学 と 、狭義の宗教学とが峻別されるのも、一般的 な印象となっているように、そこで用いられる 方 法の如何に基づくと (506) 26

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